乾 坤容我静 名利任人忙
(旧)教育基本法(1947〜2006) 改正に反対した文化人129 名の声明 憲法改正反対(九 条の会こちら)          

また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。
ヨ ハネによる福音書8章32節)

メディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味で はコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意 識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディ アの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。(佐藤卓己)

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■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日記を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。

2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

五月卅一日(木)余は公式見解として煙草は吸わぬことになっているのだが、たとえば『演劇界』増刊の『役者名 鑑』とかの役者プロフィールとかだと「煙草」という項目あり(今はどうか知らぬ)。禁煙が趨勢の世、これに市川海老蔵の項にマールボーロメンソールライト とか出るかどうか。團十郎はたしかマイルドセブンライトだったが病ひでさすがに禁煙した、と思う。この「煙草」の項にさすがに大部屋の女形が「ハイライト 日に二箱」なんて書けないので「嗜み程度」って言葉がいい。お酒も「おつき合い程度」で。であたくしの場合、煙草を吸わない、と思ってもライターだけは愛 用の品ってのがあって傍に置いてあるから、今では 焼香の時くらいしか使わないのだが、愛着あるライター、がロンソンのVaraflameで、 これが着火石がチビて最後ほんの微かになっていたのが着火石をいれる細い管の中でどうしたことか転んで杭のように嵌ってしまい、さぁ大変。どうにかそれを 取り除こうとしているうちにライターが分解されてしまい、さらに大変。1947年に登場のこのライター、仕組みは簡単だが歯車のちょっとした調整が大切、 でどうにも復元できず。でロンソン社のサイトを見ると「愛用のライターを修理いたします」と、さすがZippoのように素敵だが、1990年以前の製品は 修理承れません、の一言。困った。あたしのは80年代にアメ横で購ったもの。で途方に暮れたが、さすがノガミだねぇ、ってなわけで上野にはちゃんと(株) インポートフジイの修理工房なんてのがあって古いライターの修理を引き受けてくれる。当然、完ぺきにガス抜きしてこの修理工房に送る。舶来のライターだっ てのにこうして伝統として息づく、こういうところが「美しい日本」かしら。英国にもライター修理の職人はいるのだが連絡先がわかったくらいで、上野の修理 工房のようにネットで情報提供し「とにかく送ってください。診断します」までのサービスはない。日本語が読めないと、この幸運もない。本日まだ胃痛あり。 また養和病院で医師の診断請う。何か食べると食道の最後から胃の入口あたりが傷むので食べるのもついつい億劫になりオートミールなど糊状のもの舐める程 度。しかも熱いものは激痛するので冷ましてから、では味もない。昨晩もあまり食せず、困ったもの。今晩は灣仔の泉記で紫菜四寶河粉。胃痛でも美味いものは美味い。諸事忙殺され晩遅く 帰宅して「のだめ」のコミックス6〜9巻通読。
▼安倍三世、松岡農林水産大臣逝去につきメールマガジンで曰く
私は今、内閣を率いる立場としての責任の重さを改めて噛みしめつ つ、しかし、この深い悲しみを乗り越え、内閣をあげて、全力で国政に取り組む決意を新たにしています。
文中の「しかし」の意味解せず。「内閣を率いる立場としての責任の重さを改めて噛みしめつつ、この深い悲しみを乗り越え」が自然だと思うが。「しかし」が 入るとどうも弁明っぽいというか何というか「この深い悲しみを乗り越え」を通り過ぎて「首相としての今回の件に関する責任はある」がしかし「今後も首相と してやってきますからね」と聞こえてしまうのはあたしだけかしら。
▼政治的言動では完ぺきに抑えられた中国だが民衆は土地とカネ、つまり資産についてだけは当局の言いなりにはならぬようで土地については華南中心に政府に よる土地の強制接収などにつき警察と血を流す抗議抗争もあり、カネについては暴騰する、バブルな上海株式市場だが政府が京滬(北京と上海)につき株式売買 での印紙税を0.1%から0.3%にする発表で昨日は上海市場が6%暴落し股民(株式投資者)が政府財政部のHPへ攻撃や財政部へのデモにまで発展の由。 中国が政 治運動でなく「資本家としての民衆」による蜂起で国家が不安定な状況になるとしたら、これは歴史的に面白い鴨。まるで英国の産業革命後の市民革命を見るが 如し。

五月卅日(水)客人あり晩に尖沙咀東の小南国。末席を汚す。 食事の内容はまぁそつなく無難、個室の給仕がじつ に愛想よく真摯な態度。驚いたのは個室などで宴会の際にどの店でも必ず「お会計になると現われる黒服」の慇懃無礼さ。だいたい自分は何もしないでいて埋單 (お勘定)の時だけニヤニヤ揉み手して現われる黒服ほどあたしゃ嫌いな輩はおらぬ。今 晩も現われたが勘定の合計にほんの数ドルの端数切り上げクレジットカード切ったのがカンに障ったのか無愛想。じつはあたしはこの黒服にチップあげるのが不 愉快で(本当に給仕したスタッフに渡るかも心配)今晩も実は部屋付きの女給さんにはそれなりのチップを、それもその娘がどこまでわかってくれるかは知らぬ が「日本橋ははいばらの版画刷りポチ袋」 に入れて「今日はお世話様ね」と渡している。黒服はそれも知らぬのか、あるいは自分にチップを渡さなかったことが不愉快なのか、もともとホスピタリティに 欠ける性格なのか、いずれにせよ不愉快な輩。本来、真っ当な黒服であれば、例えば尖沙咀星光行の金島燕窩海鮮であるとか老上海飯店(旧・老正興)あたりだ と黒服自らが慇懃に給仕して、その上で勘定に現われるし、雪園飯店も黒服は何度か個室を覗いては食事の流れに気を使う。で領収証が要る、と言えばちゃんと 渡したチップ分も加味して領収証に金額を認める。小南国、上海で成功し香港でも人気だからといって油断するなよ、味はソコソコなんだし。久々に尖沙咀に飲 み地下鉄ある時間に香港島に戻ったが、ふらりとバーSに寄 り、まだ胃痛も治まらず薬酒を一酌。

五月廿九日(火)胃痛ひどく夜中に何度か目も覚める。香港はここ数日の雨で緑がぐっと繁る。いきなり夏。快楽 亭ブラック師匠のブログ で雑誌『演劇界』休刊と知る。版元のHPには今夏「100周年記念新創刊」のための三ヶ月休刊とあるが。香港でかつて定期購読していたのもあたくしくら い。『演劇界』は正直言って中途半端なスタンス。ヅカ雑誌ほどこてこてのファン誌でもなく競馬ブックのような情報誌でもなく地味な徹底した評論誌でもな い。そういう意味では往年の『演藝画報』は見事。この『画報』の創刊が1907年で、それで『演劇界』が創刊100周年と宣うのだが……。あたしは当然 『画報』オンタイムで読んではおらぬが松竹本社にある図書館に20年くらい前に暇を持て余し通ってざっと読み通したことがある。当時の役者のグラビア写真 を見続けたおかげで、九代目團十郎、十六代目(羽左衛門)、弁慶役者の七代目幸四郎、五世歌右衛門、勘弥、二代目左團次……といった花形役者の姿が今でも 浮かんでくる。芝居評も遠慮がなく、それも著名な評論家ばかりか、人形町の商家の旦那が芝居好きで評論までしてしまう。今のようにネットなどで演劇情報が 流れる時代でなく、この『画報』一冊で前月の各座の芝居への痛烈なる批評、今月の芝居や役者の紹介、今後の芝居日程などが見事に収まり、見ていてほんと楽 しい雑誌なのだった。であるから歌舞伎座にかかった芝居、役者へヨイショはできるが評論など能わぬ『演劇界』が『影藝画報』を前身といい百周年ということ に戸惑いを覚えるのだ。早晩にジム。一時間の筋力運動。筋力運動などしているほうが胃痛など気にならず。帰宅。禁酒二日目。炊き込みご飯。「のだめ」のテ レビドラマ続き(第6話?)見る。酒に酔っておらずやけにアタマが冴えており、ふと文春文庫の『民族の世界地図』という新書が途中で読み残しになっていた のに気づき読了。21世紀研究会という9名の専門家による共著だが、あらためて読むと民族問題や国際紛争などじつに客観的な立場で分析しており手軽にリ ファレンス本とできる内容であった。

五月廿八日(月)昨朝は夜半の雷鳴にまんじりともせず朝を迎え今朝は昨日からの胸の痛みに唸りながら朝とな る。最悪。あたしに何のストレスがあるのか?と自問自答。せいぜい「安倍内閣」くらいか(嗤)。養和病院のC医師の診断を請う。肺だの心臓だの、と言うと 宮内庁病院での皇族のごとき精密検査になるので、多分、ストレスや緊張感によるもので、ここまで強い痛みも二、三度人生で経験あること伝える。普通なら神 経性胃炎となるのだろうが、ちょうど食道と胃の間くらいの痛み。痛み止め二種、かなり弱めの精神安定剤を出される。診察待ちの時にテレビニュース見ていた ら安倍内閣支持率低下、と産経の調査で36%だったか、と報道。国民の三分の一の支持の首相の内閣で憲法改正推進していただきたくないもの。それにしても 北朝鮮の拉致被害者問題で男を上げ(たように見せ)た安倍三世の首相就任で「若い首相の登場に期待」と支持した人たちの存在の怖さ。今でも頑固に安倍首相 支持ならいい。この流動的な、おそらく日本の政治がバカになった日本新党あたりの頃から細川、村山、小泉、安倍……と節操もなく支持してきた、都民であれ ば青島にも投票したが今は石原、という、この「世論を動かす」人たちがいったい何を考えているのか。何も考えておらぬから怖いのだが。……と思うと胃も痛 むが午後になり安倍内閣の農相自殺。終日、この胃の痛み続くがじっとしていても動いていても一緒なので早晩にジムで一時間の有酸素運動。今晩と明日は禁酒 せねばらなぬ。年に何度あるのかしら、の休刊日。雑煮を少し食べて「のだめ」のテレビドラマ第4〜5話だったか、を見る。田中長徳先生の『GRデジタル  ラークショップ』を読む。えい出版のムック本の上手いところはGRの使い方本、を出すのに田中長徳に「GRデジタルは小型のライカM型だ」と語らせるとこ ろ。あたしもそれに乗せられこの本を入手した一人(1500円の本に975円も余計に払うのだ、香港で旭屋だと)。やっぱり上手いね、長徳先生。
あれは、たしかフルヤ製菓と言ったと思う。ウインターキャラメルと かいうのがあって、そのパッケージいんは四角い窓があって、そこに長い紙芝居状の絵が稚拙なクランクで巻き取れるようになっていた。そんなおまけ付き景品 のキャラメルを当時はそれを「テレビジョンセット」と称していたのではなかったか。少年の時代になにか変であるな、と思っていた第六感は今にして正しかっ たわけだ。あれはテレビなどではなかった。あれから半世紀後の今になって、あのキャラメルの箱に仕込まれた「疑画像が登場する機構」とは、今のデジタルカ メラの液晶モニターの未来予測形であったわけだ。
……と。上手い。ISO感度の話にしても感度が800とか1600とか画質が粗くはなるが、としつつ粗さも銀塩時代の名残であり
だからモノクロモード・感度1600で撮影すると、その画面は「森 山大道さん全盛時代のプロボーグ」とでも言いたい暴力的映像世界が出現する。無論、転載森山は一人で充分だから、これは「森山大道風」なのである。あるい は名作“NEW YORK”を世に放った当時の、奇才ウイリアム=クラインと言い直しても良い。
と、こんな筆致は通常のデジカメのムック本にはない。それが出来るのがGRだから、なのだろうけど。長徳先生に感化され、本日の日剰も画像はGR Digitalで接写の妙。カメラといえば一昨日、David Chan氏の店でエルマーの50mm/f3.5をお買上げの御仁、後日談あり、このエルマー入手し店を出るとショーウインドーからピエール=アンジェ ニューの35mmレンズが自分のほうを見ていた由。アンジェニューのエキザクタマウントをニコンのFマウントに改造したもの。氏はこのうっとりするくらい お洒落なインクブルー色の鏡胴の「街撮りにちょうど欲しかったフランス玉の35mm」をエルマーを返品して獲得。だがアタシも不思議なのは確かニコンの一 眼を氏がお持ちだったのか?ということ。だがなんと氏はDavid Chan氏の店であるから、この仏蘭西娘のためにNikonのFM (黒)を「オマケでつけてもらい」ついでに、ニッコールオートズームの43〜86mm/f3.5まで「オトナ買い」してしまったそうな。つける薬のない重 傷。
▼第60回のカンヌ映画祭。いいねぇ地味な結果。パルムドールのルーマニア映画からグランプリの河瀬直美『 殯の森』、主演男優賞・女優賞、『潜水服と蝶』で監督賞はジュリアン・シュナーベル、60周年記念賞の“Paranoid Park”も見てみたい。世界中から、というかアジアから大挙してカンヌに集まった芸人や監督、映画関係者ら。「キミたちはアホである」というカンヌから のメッセージがこの選考に見えないか。こんなところで大家ぶってる場合か?の王家衛(夫人はカンヌは似合わない)、張藝謀と巨乳が売り?の鞏俐、香港の映 画出演のギャラが高いだけで世界的には全く無名に近い女優たち、「歴史的任務を終えた」と言われているのに香港映画の巨匠!たちが同窓会の如くカンヌに結 集(香港の西貢の海鮮料理屋で良しっ!)。それに冷や水を浴びせた感あり。

五月廿七日(日)夜半に雷雨あり。昼にZ嬢と銅鑼湾。Cafe Eosに食す。午後、顏を出せねばならぬ会合あり金 鐘。落雷豪雨あり。室内に居り気づかず。本日、天安門事件「六四」18周年の集会ヴィクトリア公園にて開催され夕方、デモ行進、銅 鑼湾より中環の政府本部に向 う由。親中御用政党・民建聯にとっては党代表・馬力の「天安門事件虐殺なかった発言」でかなり非難受け、この雨はデモ参加者減らす恵みの雨かしら。夕方、 金鐘でまだデモは参らずトラムに乗ると灣仔に入りかけでデモに遭遇。帰宅して枝豆と麦酒。雨上がりの紫色に染まる夕焼け見惚れるばかり。晩飯済ませデザー トはインディアンマンゴー。噂には甘ったるいだけの普通のマンゴーより小振りのこのインディアンマンゴーが格別に美味いと聞いてはいたが香港に入荷の時期 が限られ何処に売られているのか、あたしは見当もつかず。Z 嬢が灣仔鵝頸橋の印度人経営の食料雑貨屋で入手。普通のマンゴーの値段は3倍くらい。5月に何度か入荷の由。甘みの抑えられた、ただ香りだけは豊かなマン ゴーに檸檬のような柑橘系の酸っぱさが含まれ、それが甘みを引き立てる。自然の妙味。遅晩に『有吉佐和子の中国レポート』読む。本当に元気なオバサンで北 京でも朝のジョギングをかかさず、まさか6年後に急性心不全で53歳の若さで亡くなろうとは……。「文革と四人組のあとの中国で、このアタシが人民公社を 体験してくる」と息巻き、訪れた郊外の小役人の人民公社の組織形態など説明がちょっと十分じゃないと怒り、地場の農民の説明にちょっと数字の矛盾などある と「農民だからきちんと説明できない」と文句を綴る有吉佐和子につい て悪く言うことも可能だが60年代から日中友好に文化人レベルで寄与し漸く中国訪問で言いたいことが言えるようになった事への著者の喜びは読み手も酌まな ければいけないのだろう。晩に胸がきゅっと痛み始め痛み徐々に増す。ストレスだの神経性のもの、とわかるのは初めてのこの痛み感じたのが23年前のあたく しの初めての訪中ひとり旅で深圳から広州について余りの都市の大きさと共産中国の濃さに重いリュック背負って歩き続けた結果、市内の珠江岸に辿り着き 「いったいどうなるのかしら、これから」と思った瞬間に、この胸の痛み走りフラフラの体で安宿探しあてベッドに倒れ込んだ時がこの痛み。あたしの今の生活 でどこにストレスだの神経疾患があるの?と言われればそれまで、だが。
▼中国共産党の元朗の一人、葉剣英がピアノ演奏に長け「東方紅」もピアノでの初演は葉剣英によるもの、と秋吉佐和子の話にあり。葉剣英といえば19席末に 広東省梅県雁洋堡下虎形村の客家の豪商の家に生まれ、黄埔軍官学校で教官となり、此処で周恩来と出会う。南昌起義での敗北後、香港経て莫斯科に軍事科学学 びつつ独仏で演劇まで学んだ由。黄埔士官学校では周恩来と京劇でもやっていたのかしら。

五月廿六日(土)曇。気温摂氏32.5度。無風。不快極まりなき猛暑。自宅にて雑用済ますうちに昼となる。昼 に素麺。さすがに食欲も失せる暑さ哉。午後、九龍でM君と会い茶を喫す。M君、今月初旬にご尊父急逝、明日が火葬、葬儀で今日から福建の親戚などの世話な ど忙しい由。労ひ。九龍で用事済ませ燈刻、尖沙咀。ライカM用の接眼視度補正レンズの購入。利き目の右目は−4.5くらいなのだが左目は極度の乱視で最近 は老眼もあり眼鏡の視力を0.8くらいに抑え日常生活には不自由もないが(何か遠くを見る時のためにはEschenbachの一眼鏡など携帯)、さすがに 写真を撮る時に、殊にライカの小さなファインダー覗く際には眼鏡も煩わし。本来なら−4.0くらい欲しいところ−3.0が最大。で久々にDavid Chan氏の店を訪れる。さすがに新品屋でも正規代理店でもないので補正レンズはなく懇意の同業者にすぐ尋ねてくれるが−2.0しか現品なし。これじゃ眼 鏡つけたままでもあまり補正効果なし。David 氏に「この人も日本人よ」とレンズ吟味中の方を紹介される。渋い。眺めているのがライカでもLマウントのエルマー50mm/f3.5なんてレンズなどご覧 になっている。あたしの補正レンズ届くまでちょっと雑談。ライカにはミノルタCLから入られM4をずっと愛用された由。旅行などの際にぶつけても気になら ないM4の頑丈さ、と。御意。M6ですか、とあっしのライカを覗かれる。レンズはズミクロンの50mmととても初心者な組み合わせ。恥ずかしいが仕方がな い。実はEpsonのR-D1sのデジタルからMマウントのレンズに入りライカMに辿り着いたのです、と告白すると「そういう入り方もあるんですねぇ」と 驚かれる。そうだろう。この方もライカのウイルスに罹られ重傷っぽい。マカオで仕事されている建築家。それでライカでもバルナック型なんて使われるとした ら格好いい。カメラ屋で客どおしがライカ談義という、たいへんオヤジ的な時間を過している場合ではなかった。補正レンズ、だ。でライカの正規代理店である 天祥撮影器材に向う。が補正レンズは在庫なし。で最終的に尖東のフランシスコ撮影器材へ。ここには補正レンズの在庫あることは先日、確認済みなのだが、香 港でおそらく最強のライカ取揃店だがどうもあたしゃこの店との相性悪い。店主が無愛想に思える。さきほどお会いした建築家氏も同感であった。だが背に腹は かえられぬ。相性の悪い店の暖簾くぐるのが云々などと言っていては補正レンズ一つ入手できぬ。で−3.0を当ててみるが−3.0でも裸眼では微かに不鮮明 だがピントが合わせられぬ事はなく眼鏡通して見れば格段の鮮明さ。でこれを入手。御店主は相変わらず無愛想なようで休日の営業時間を尋ねるとようやく ちょっと微笑んだ。実際、さきほどDavid Chan氏の店での言い値よかフランシスコのほうが安値。そりゃ近隣の店からの現品調達と正規代理店の違いで比べようもないのだが。ところでDavid Chanの店でちょうどM6に先日この店で購入のズミクロンの50mm(正確にはあたしの同レンズの所持品を買い取ってもらい差額補填し上品入手)が ちょっとピント合わせのリングの回りが悪い。でDavid Chan氏にそれを告げると勿論、修理屋に出す、と言われる。一週間かかるから置いていきなさいよ、と。で「その間、代替のレンズ要る?」とご亭主。車検 している間の代車じゃないんだから(笑)。売り物のレンズ借りて下手にキズでもつけようものなら買い取りか、と思うとぞっとする(一ヶ月の小遣いでも賄え ぬのだ)。で無事、補正レンズ入手して帰宅。夕食で智利のBaron Philippe de RothschaildのEscudo Rojo(03年)を飲む。ユニーでも売ってる、香港で100ドル台の葡萄酒としてはあたしゃ満足。晩8時よりRTHKの4チャンネル(FM)で昨晩の香 港シンフォニエッタの録音放送あり。このシンフォニエッタの音楽監督で指揮者の葉詠詩という人指揮者ではあるが、プロデューサーとして今後かなり期待でき るのではないか、と思う。いい意味で常識的でありバランスのとれる人なのだから。Cédric Tiberghien(セドリック= ティベルギアン)君のドビッシーのアンコール2曲も流れる。「花火」はドビッシーが1900年の巴里万博での花火のドーンと上がって満開から得た印象とい う話も聞く。セーヌ川がさしずめ江戸の大川のような感じか。だと思えば次々上がる花火の印象なら、あのテンポも理解できるかも。それにしてもドビッシーと いう人、土人の少年の踊り、とか巴里万博でいったい何曲作っているのかしら。アンコール2曲目は曲紹介でやはり「映像」の第2集から、で「荒れた寺にかか る月」であった。セザール・フランクの交響曲ニ短調は好きな曲でもないし(これをベルリオーズの幻想交響曲と並び仏蘭西的な交響曲とする見方もあるがあっ しにはわからねぇ)昨晩も聴かなかった判断はそれはそれで正しかった、と録音を聴いて思う。芸術家と常識、で突然思い出したが有吉佐和子の『中国レポー ト』という紀行文集で1978年の四人組逮捕直後の北京での話なのだが偶然に小澤征爾と会った話。中国中央楽団を振る小澤征爾との晩餐で、有吉佐和子は 「郭沫若逝去」という、まだ報道前の特ダネを得ていたのだが小澤征爾は「誰、その人。どういう人? 偉い人?」で小澤征爾に同行していた母親のほうがよっ ぽど興味を示し、小澤征爾は自分の振るブラームスの二番が文革を経たこのオケにとって初めてのブラームスとの出会いでありブラームスについて何の音楽的知 識もない楽団にどうブラームスを演奏させるか、が目下の重大事。それで当然。長嶋茂雄もおそらく郭沫若は知らない。

五月廿五日(金)先考の生きておれば75歳の誕生日。朝、新聞を眺めているとSCMP紙に今晩の香港シンフォ ニエッタのコンサートがピアノがJean-Claude Pennetier(ジャン=クロード=ペネティエ)急病で来港能わずCédric Tiberghienセドリック= ティベルギアン)なる若手に交代と知る。ペネティエでサンサーンスのピアノ協奏曲2番を聴こうと思った香港シンフォニエッタの演奏会なので残念で はあるが、このセドリック=ティベルギアンなる30歳のピアニストが1998年のLong-Thibaud(ロン=ティボー)国際コンクールで優勝し彗星 の如く登場のけっこうな腕前と知り(耳学問ならるネット学問だが)期待できる鴨。ちょうど20日に北京でロン=ティボーのギャラコンサートがあり、それを 済ませての来港か。北京でロン=ティボーのギャラというのは差し詰め、ピアノの国際コンクールといえば中国からの参加者増こそ「狙い目」で、そのマーケ ティングとしてのギャラコンサートかしら。早晩に中環。いくつか用事済ませ(って場外でMark 6の30回連続の籤を買ったりするだけなのだが)久々にFCCで一飲。此 処のバーのウヰスキソーダは黙っているとFamous Gooseなのだが唯靈氏が信報の随筆で氏がカティーサークという題でウヰスキーについて語り若い頃はカティーサークかなり飲んだが(飲んだ場所がGo Downという、60年代から90年代初頭まで、その後、一瞬、10年ほど前にCitibank Plazaに再開し数年で閉業、Go Downというのが当時知る者には懐かしい食肆なのだが)今でも好きなのはJ&Bである、と書いていたのを思いだし(カティーサークといえばやは り桃井かおりだよな、なんて懐かしいが)J&Bなんて何十年ぶりかしら、でウヰスキーソーダ(氷なし)で頼んでみたがあたしはあまり好きではな い。で二杯目はBloody Maryの氷なし。何を頼むのも「氷なし」なので(冷えるのだが、身体が)給仕がすっかり覚えてくれたのが安心。Z嬢来て軽く夕食。食欲がない時のあたし の好物のアイリッシュ=シチュー。市大会堂。で香港シンフォニエッタの音楽会。音楽監督で指揮者の葉詠詩が演奏前に語るにはペネティエが手の神経痛?で休 演決まったのがわずか三日前。で今宵の開演まで奮迅のスタッフ、楽団員に葉女史が敬意評したのも納得。セドリック=ティベルギアンに白羽の矢が立ちペネ ティエが演奏するはずであったサンサーンスのピアノ協奏曲2番が、セドリック=ティベルギアンの出演で急遽差し替えとなった曲がプロコフィエフのピアノ協 奏曲3番。そ りゃ一日、二日ではかなり難儀もしたであろう。で今晩の一曲目はLam Fungという1979年生まれの香港出身の若手作曲家の“Illumination”なる曲。まるで聲明の如き曲だが寝てしまう。セドリック=ティベル ギアン君登場し(ホロヴィッツの如き長身と大きな手)プロコフィエフのピアノ協奏曲3番が始まる。それにしてもなぜプロコフィエフの3番なのかしら。突然 のピアニストの抜擢で合わせる時間も極端に限られ、しかも失礼な言い方だが一流のオケだって難儀なところをシンフォニエッタの限られた条件で、なのだ。第 一楽章の、あの舞台を引っ繰り返すが如き展開は怒濤の如く過ぎゆく。ティベルギアン君が強引に引っ張った感じ。葉詠詩という指揮者はソリストにうまくオケ を合わせることは巧妙。たださすがに第二楽章“Tema con variazioni”(テーマと変奏)は合わせてせいぜい二日(だろう)のリハではこのオケには難度Cであろうし金管が弱いところが露骨に出た感もあ る。最終の第三楽章はもう、この突然のティベルギアン君とシンフォニエッタのプロコフィエフの3番の共演が大団円的に収まった感あり。客もかなり拍手喝采 でティベルギアン君はアンコールの声に応え仏語でさらさら、と何を言ったのかわからぬが辛うじて英語で“FIre Works”と聞き取れドビッシーの2つの前奏曲集から「花火」(...feux d'artifice)を披露。とても早い第一主題。さらに喝采がおきてアンコール2曲目で弾き始めた曲はやはりコテコテのドビッシーだとはあたしにもわ かったが、香港では演奏後ロビーにアンコール曲の曲名速報なんて出ないから「あの曲は何だっけ?」で溜飲下がらぬこと多く、その「ドビッシーの何か?」は 今晩の一曲目の“Illumination”よりさらに宗教的に黄泉の国の如き境地の曲。Z嬢が確かドビッシーの「塔」か曲集「映像」の一曲か、と指摘し ていたが帰宅して調べるとご名答でドビッシーの「映像」から「荒れた寺にかかる月」(Et la lune descend sur le temple qui fut)であった(たぶん間違いない)。休憩はさみ後半はセザール=フランクの交響曲ニ短調だったのだが、ちょっと今晩はこのプロコフィエフの3番とティ ベルギアン君のアンコールでのソロのドビッシーの2曲で終わりにしたい、とZ嬢と意見まとまり会場を後にしてしまう。
▼信報の随筆で黄珍妮という書き手がDVDで見たという小津の「秋刀魚の味」について語っていた。
元来、日本のその頃の映画では「簡略」の手法が多く見られ物語は明らかに婚礼についてなのだが、話は婚礼の前の、娘が嫁にゆく前の賑やかな状況から一転し て婚礼のあとに父親が自分の同窓生を連れ家で酒を酌み交わす状況へと飛ぶ。
なんてそれなりの書き出しなのだが、驚いたのは、
父親役の老人は演技がコチコチのアマチュア俳優のようで、どうにか 一つの表情をつくるにも難儀。セリフも覚えきれてないのか一つ一つの言葉がどうにか思い出したように出てくる感じなのだ。私のまわりにもいる、こうした老 人は何か尋ねても言葉がかえってくるには数十秒かかり空気は死んだようで忍び難い。だが「秋刀魚の味」のこの老人は、表情に欠けセリフの口跡が悪くても、 人を感動させ、まるで自分の父親を見ているようで……
って、これって笠智衆のことか。結果的にこの書き手が感動してくれたのは小津の目算通り、か、老け役なのだから笠智衆(当時、58歳)の演技がこう「否定 的に評価」されるのもいいことなのかも。

農歴四月初八。佛誕。昼まで寄席で高座に上がる。昼に旺角。昼に何か食そうと思い花園街の樂園牛肉丸大王に向っている自分に気付く。旺角で一人で気軽な食肆を本 当に此処しか知らず。困ったもの。でカメラ店覗いた道すがら通菜街の香格里 拉という雲南米線店に食す。ファーストフード的だがそれなりに美味。香港だから「これで並」だが東京にでも店を出したら行列が出来る、だろ う。ジムで筋力運動と有酸素運動各一時間。夕方、佐敦を散策。本日は沙田競馬場で重賞(地場G3)で沙田ヴァース(芝1,200m)あり。デビューから負けなし五連勝のSACRED KINGDOMが圧倒的人気(1.6倍)。これに対抗できるのはMEDIC POWERくらいかしら、で2.6倍。久々にじっくり予想してこのSACRED KINGDOMを軸に三連複で脚に4頭選ぶ。結果、MEDIC POWERが1分7秒7の沙田の1200mの新記録で一着。なんと単勝99倍(以上)の最低人気のMY CHOICEが三着に食い込み、あたしはこれをなんと脚の4頭に入れている! で、5頭選んで1〜4着見事に的中、「久々に高額配当いただいた!」と喜び も束の間、おいおい、軸にしたSACRED KINGDOMが四着だ。最低。三連複で5頭のボックス買いならHK$100で一頭軸馬にしたところでHK$60だから、わずかHK$40の節約しても、 と結果ではそう思うがSACRED KINGDOMが三着入賞せぬ、とは思いもせず……。最低人気のMY CHOICEを調教の時計だけを根拠に選んでいただけに悔しい思い。三連複でHK$4,237もついてるじゃないの。それにしてもSACRED KINGDOMとMEDIC POWERの二頭は久々に楽しみなライバル戦にしばらく期待できそう。オリエンタルエクスプレスに告魯夫とか、靚蝦王(Fairy King Prawn)すら脅かす存在となり得たKingston Treasure(京城之寶)など往年のライバル馬のこと彷彿。帰宅して晩に豚肉と韮の鍋。Z嬢知人より借りた「のだめカンタービレ」テレビドラマを VCDで見る。ドラマ化しても筋どころかセリフ、展開の一つ一つまで原作の漫画と同じで驚くほど。昨年10〜12月のフジテレビ製作のドラマをそのまま録 画してCMだけ省いた完ぺきな海賊版(中国語字幕入り)。ヒロインの「のだめ」役の上野樹里嬢は適役だが千秋先輩役の玉木宏君は如何なものか。ありがちな 話だが千秋青年の幼き頃演じる子役(藤田玲央)があまりにクラシック少年らしく玉木氏を喰ってしまった感あり(このテの子役の上出来は映画でいれば『ラス トエンペラー』とか『霸王別姫』とか少なくないのは何故かしら)。
▼「のだめ」の漫画など読み(のだめ、は作者のデッサン力で手足の指先までの線の美しさがいい)ふと思い出したが吉田秋生先生の新作「蝉時雨のやむ頃」上 梓の由。吉田秋生というとあたしの場合『バナナフィッシュ』で頂点迎えてしまっていたが、この「蝉時雨」もかなりのものらしい。『バナナ』は毛色が違うと しても、こういった日本の市井の若者の暮し描いたことでは、吉田秋生ではあたしの場合『河よりも長くゆるやかに』で終ってしまっていたが。『バナナフィッ シュ』といえば、80年代後半から90年代にかけての連載当時はピンとこなかったが、今にして思えばアッシュという魅惑的な主人公の存在は当然として、そ の対に日本人青年(奥村英二)を置いた、置けてしまったことがとても80年代後半のバブル的状況の象徴であったのではないか、と。奥村英二が作中でトリッ クスターであるだけならまだしも、主人公たる気難しいアッシュが好感すら抱いてしまうわけで、なぜそれほど奥村青年に魅力があるのかアタシにはわからない が、わからないからこそ(橋本治的なまとめ方になってしまうが)それが強引に出来たのが80年代後半のバブル的状況なのだ、と思った次第。
▼安倍三世がメールマガジンで「教育は人なり」と宣う。当然の如く教育関連法案の改定成就について。
子どもたちのモラルや学ぶ意欲の低下が指摘され、いじめや未履修問 題が表面化する中で、これらの問題に対し、学校や教育委員会が適切に対応できなかったことは、子どもの命や安全、教育を受ける権利の侵害について責任をも つ国として反省しなければなりません。
で「教育は人なり」で、「すばらしい先生にめぐりあえるかどうか」が大切なのだが
今もいい先生が大勢がんばっています。しかし、中には、人を教える ことに向かない、能力が及ばない先生がいることも事実です。時代の変化、技術の進歩が著しい今、一旦教員になったら生涯身分が保障され、各人の適性にかか わらず先生を続けるというやり方で果たしていいのでしょうか。
と、これは正論だが当世の日本の風潮で「排除される」のはいったいどんな教師か。安倍三世は吉田松陰の「人々貴き物の己に存在するを認めんことを要す」な ど例に出すが、只単に時の政府の(それも、おかしな)方針に従えぬのなら「辞めてください」。これでいいのかしら。あ、いやだ、いやだ。

五月廿三日(火)昨晩通読の「のだめカンタービレ」でのだめ憧れの千秋先輩が大学のオケでミルヒー先生に突然 指名を受け大学のオケ相手に弾き絶讃を浴びる曲がラフマニノフのピアノ協奏曲2番。今朝起きてCDラックで確認すると我が家にはラフマニノフ本人のピアノ でストコフスキー指揮、フィアデルフィア管弦楽団の1929年の演奏、ツィメルマンと小澤でボストン、それにアシュケナージでモスクワフィルの3枚があり ツィメルマン&小澤を目覚めに聴く。右目まで炎症に罹り通院の医者を変えたところでどうなるものでもないか、と思ったが養和病院眼科は前回左目が少し治 まった時に一応再診なしとしていたので銅鑼湾のそごう(開店22周年の由)と同じビルにある眼科の専門医の診断請う。実に誠実な若い医者で懇切丁寧に診断 の結果はTracomaで私らが子どもの頃はトラホームと呼んだが今はトラコーマなのね。昔は頻繁に子どもなど罹った気がするがC医師の話では70年代く らいから少なくなっていたが最近また流行りの由。晩に尖沙咀。天祥カメラ店覗くと珍しくライカM型のコーナーに客がありトリエルマー28〜50mmのレン ズ購入の示談中。ライカのオリジナルのレンズフィルターだけでHK$1.2千なんて話してるのだから困ったものだがフードも合わせた価格は計算機覗き込む とHK$21,800也。掌に乗るレンズ1本で33万円……ライカはオジサンたちにとって困った玩具。レンズも羨ましいが流石、ライカ特約店だけあってレ ンズ購入のオマケにライカ社の写真集だの見事な装丁のメモ帳、ライカマークのマウスパッドなど特典も多し。羨ましい。Z嬢と待ち合せAshley街のEbeneezersという店でケバブ食す。市中の繁華街で連鎖店のケ バブ屋だが美味。ファーストフードもこれならいい。文化中心。先週、リール国立管弦楽団のコンサートであたしらの前列に坐ったかなり年配の老人、ボレロの 時に乗って軽く指揮する姿がなかなかだったが今日も文化中心の館内をふらふら徘徊。考えてみればチケット売り場とかでよく見る顏。も しかしたら文化中心では有名な老人、鴨。客の入り悪しき音楽会などだと「ちょっと入ってよ」なんて館員に請われコンサート鑑賞でかなり耳が肥えた「大向 う」さんだったり。で今晩はLe French Mayの続きで Thierry Malandain振付のBallet Biarritzのバレエ公演ご鑑賞。演目の“The Creatures”は曲が、一瞬、モーツァルトか、とあたしは思ったが、これがベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」、でバレエのタイトルも「創造 物」なのか、と開演後に合点。この「プロメテウスの創造物」は1801年に維納に君臨したバレエのお師匠さんサルヴァトーレ=ヴィガノのご指名でベートー ヴェンが作曲したもの。この曲をこうして聴くのは今晩があたしにとってはお初かも。何もない舞台空間でただ舞者がバレエというより「体操と舞踏きわどいと ころ」踊る。すっかり端正で見事。舞者もけして古典的なバレエ団の踊り手とは違い、不均衡な体形でけして美貌から程遠いバレリーナもいれば、ひょろひょろ もいれば筋肉質のダンサーもいて、ただ身体表現が本当に巧み、の一言に尽きる。Thierry Malandainの演出の美しさ。ただどうもこのバレエ曲だけはモーツァルトと同じであたしは生理的に好きになれず。舞台が跳ねて香港大学のT姐さんと 邂逅。このバレエ、ちょっとすごい良かったじゃないの、と感激も投合。あとちょっと演出しすぎたら諄過ぎる、逆にあとちょっとセンスが足りなかったら NHKテレビ体操の日本女子体育大学っぽい<体操>になっちまう、その見事な「おとしどころ」がThierry Malandainという人の凄さか。帰宅してラフマニノフ師匠本人の奏でる3番を聴きながら久が原のT君とメール。今日、時鳥の初音を聴いた、とT君が 言うので、あたしは流行りもので目をやられたので「目を病めば 耳傾けて 時鳥」と詠んで送ると、さっと返歌あり。
目を病めば 耳傾けて 時鳥 闇の深さを聽き定めけり
ところで大岡信の「折々のうた」に対してパロディで短歌評「澱々のうた」ってどうかしら。面白そう。

五月廿二日(火)中村屋の脱税、ありゃ何だろうね、まったく。快楽亭ブラック師匠の借金や故・勝新太郎の大麻 などなら「芸人だから」「常識がない」「芸の肥やし」で済ませようものの(先代勘三郎も「もしほ」時代にいろいろあったようだが)、架空の人件費計上だと か芝居の切符売上げの手数料未計上とか、それがホントなら立派な犯罪だよ、それも家族ぐるみ、で。はしたない。晩に香港日本人倶楽部で寄合いあり末席を汚 す。麦とろ飯いただく。可愛くウーロンハイを一杯。ブラック師匠がよく飲むので、ついどんなものだったか飲んでみたくなったが、ありゃただガブガブ飲んで 気がついたら酔ってるだけの酒だね。美味い鉄観音でも煎れて、いい焼酎で割ったら別モノだろうけど。寝際に突然、Z嬢が知人より借りていた漫画「のだめカ ンタービレ」読み始めてしまい1〜5巻通読。漫画はダメだね、ついつい読み止められず宵っ張り、で気づいたら午前二時半。
▼The Economist誌が“America's fear of China”の特集。読めば読むほど確かなことは、昨日の朝日ヘラルドのビル=エルモット氏の指摘にもあったが、日米関係は経済問題の余波が政治対立に向 わず寧ろ調整指向で確固たる?日米同盟の強化に至ったのに対して、中国の経済成長は中国の覇権主義で対米対立を煽る、との指摘。小学生の頃に母が「あんた の大きくなる事には中国がすごい大きな国になって、日本なんて中国なしでは商売もなくて大変なことになっちゃうんだから」と言われたのが中国を「ゴジラの 映画に出てくる北京放送局からの中継」の場面以外で初めて中国を意識した時かもしれないが、ほんとどうなるのかしら。対米経済問題、大気や水質汚染など中 国の経済成長はソニー、トヨタにジャルパックで済んだ日本とは比べ物にならず。経済台頭する中国と米国、で折しも対米通商交渉中の呉儀副首相は「経済摩擦 を政治問題化せぬこと」を米国に要望……として、実際は中国国内向けの牽制と思えるが。

五月廿一日(月)ふと快楽亭ブラック師匠のブログに 行き当たり思わ ずのめり込み読み耽る。芸人らしい生き様、借金苦も見事だがブラック師匠の日本映画への造詣の深さ。成瀬巳喜男監督の国策映画の珍品「勝利の日まで」なん て科学者(徳川夢声)が助手(古川ロッパと高峰秀子)と協力して大砲に芸人乗せて打ちっ放し前線の兵士を慰問させる、って奇想天外。しかも芸人はエンタ ツ・アチャコ、川田義雄、岸井明、山田五十鈴だというのだから。それにしてもブラック師匠、落語は本業としても映画、競馬、歌舞伎が好きで酒好き……とは なんとまぁ立派。早晩にジムで一時間の有酸素運動。左目が治りつつあると思ったら今度は右目。泣きっ面に蜂。帰宅してドライマティーニ一杯。麻婆豆腐で五糧液をすこしやる。「陶ずれど、 酔わず」とはよく謂ったもので心地よく食後は小一時間ソファで転た寝も心地よし。
▼朝日新聞にヘラルド朝日紙の月曜コラムだそうだがビル=エルモットの「世界を読む」で中国のバブル経済取り上げ、原文は英語だが誰の仕事か知らぬが邦訳 の簡潔なる日本語が見事。経済に疎くとも読める。中国のキョービのバブルを日本の、80年代後半のバブルと比較するのではなく70年代の第一次石油ショッ クと比べ、当時の日本が米国の固定相場放棄による円切り上げと原油価格高騰の中で、結果的に原油高と円高に対応した産業構造の再編を成し遂げたことを取り 上げ、中国の現状の人民元安が容易な資金調達と輸出拡大には好条件ながら、余剰資金が投機的な投資にばかり向いてしまうとバブル崩壊すれば何も残らず。温 家宝首相がインフラ整備や公共事業等への投資を求めても、所詮、キョービのバブル謳歌するのが輸出産業、党有力者や地方幹部とあっては聞く耳ももたず。中 国バブルの崩壊は、それが日本にとっても影響大きいことへの懸念。
▼新潮社『考える人』06年春号の佐藤卓己の世論論(第4回)「安保闘争と「声なき声」岸の世論と樺の輿論」も面白く読む。60年安保というと岸信介によ る安保改正とそれに反対する国民世論、と恰も簡単に総括されてしまっているが佐藤卓己はこれに徹底した分析で再検討を試みる。まず安保(日米相互協力と安 全保障に関する条約)は旧来の日本国内での内乱等の際に治安出動できるような、事前協議なし、無期限であった条約を、10年限定で内乱出動廃止など盛り込 んだものへの改訂であった、とする。この改定については50年代、むしろ国民は支持。岸内閣は55年体制で戦後、初めて与党(自民党)単独で成立し59年 の参院選でも自民圧勝で単独過半数という、非常に安定した環境で、この改定を単独採決。岸内閣は退陣するが、それは樺美智子という一人の学生の死が安保改 定反対の民情を高めた結果、アイク来日で岸信介は「米国大統領迎える際に天皇陛下に万が一のことでもあったら」の懸念からアイク来日中止と自らの退陣を決 定。つまり安保反対の世論が岸を退陣に追い込んだのではない、ということ。本来、この岸退陣は野党に利するはずが、労組票に依存する社会党は選挙では勝て ぬ万年野党の体質にすでになっており、自民党より選挙結果に対して不信感を抱き、民情の軽視は岸内閣以上ではなかったか、と佐藤卓己は指摘する。そこで自 民党は池田勇人が首班となり高度経済成長に向う経済国家へと向う。(歴史を結果論で見るようなものだが)60年安保とは実は改定に挑んだ岸も反対派も反米 という点では同根であり安保改定が戦後日本の「国民主体の迂回的回復戦略」であったとする。その時代に比べ、現代など小泉、安倍の何だかよくわからない親 米で、大衆的な反基地闘争すら起こす気概もなく、主体性のある時代のほうがよっぽどマシなのではないか、と。御意。
▼同じ『考える人』での養老先生と対談した内田樹の言葉より。
きちんと集団性格が規定された上で、集団が成り立っていることな か、実はほとんどなくて、むしろ、ある集団の集合的性格とされるものの多くは、集合的に扱われたことの事後的な効果じゃないかと思います。民族特性といわ れるもののかなりの部分は「後づけ」なんじゃないんですか。
安倍三世の「美しい日本」などただただ嗤うべき共同幻想か。

五月二十日(日)未明に雨音に目覚める。早朝に馬鞍山にて8kmのロードレース開催あるが大雨に負けて(それ 口実に?)行かず。昼にかけて九龍のジムで筋力運動と有酸素運動各一時間。無印良品で夏物のパジャマ購い帰宅。ゴルトベルグ変奏曲をグレン=グールドと高橋 悠治であらためて聞き比べながらドライマティーニ飲みFar Eastern Economic Review誌4月号読む。Review欄で読売新聞刊の“WHO WAS RESPONSIBLE”取り上げられる。これは読売新聞が今年1月に大々的に特集組んだ「検証・戦争責任」の英語版に対して(評者はウォールストリート ジャーナルの論壇副編集長のMelanie Kirkpatrick女史)。評者の指摘を一言で言えば、この読売の作業は日本の「国民のための」戦争の総括であって戦争という対外の武力行為について その総括はされておらぬし“The Yomiuri doesn't examine what it was about Japan's political system that allowed World War II to happen.”と指摘。つまり読売の社を上げての戦争の総括が「一笑に付された」もの。つまり読売新聞が最大発行部数を誇る=日本国民が「嗤 われた」ということ(朝日新聞くらいがこのFEER誌の書評を取上げればいいのに)。雑誌など読み続け昏時、Thomas Hardy's Ale 飲む。25年貯蔵のaleは、生きている。開栓しグラスに注いだ時は色も濁り鼻をつくにおいに一瞬閉口したが暫くすると多少薔薇色がかった琥珀色は美しく 香りも芳しく何とも見事。晩飯でChâteau CantemerleのセカンドのLes Allées de Cantemerle 01年飲む。美味。晩にシンガポールではシンガポール航空国際カップ開催。コスモバルクの二連覇に情緒的に期待して単勝、日本馬はもう一頭シャドウゲイト 参戦で、その連複としたらシャドウゲイトが来てコスモバルク二着。結果、香港では配当がHK$226とまずまず。三連単はコスモバルク軸にシャドウゲイ ト、他の馬はわからないので知ってる騎手でMarwin騎乗のOracle WestとFradd騎乗のSetembro Choveという馬に流したらSetembro Choveが4着であった。それにしても日本馬、絶好調。晩遅く新潮社「考える人」06年冬号の続き、で橋本治「浄瑠璃を読もう」と小谷野敦「買春の日本 史」の二篇読む。いずれも「濃い書き手」すぎる。橋本治は菅原伝授手習鑑を「これでも、か」と解説。たしかに白太夫にスポット当てたり、江戸時代の浄瑠璃 作者の歴史の見方が歴史の事実を鵜呑みにせず、透徹した歴史を見る芽、歴史の主体的解釈、という指摘は面白いのだが……。これに続けて小矢谷敦を読んで寝 入ったら、さすがに寝つき悪し(笑)。
▼数日前の信報が親中御用政党民建聯の馬力主席の六四「修正」発言について報道しているのを今になって読んだが、この六四見直し発言の何が発端だったかと 言えば香港の愛国心教育について。馬力曰く「愛国心というのは街中で国歌が流れれば立ち止まり直立不動になるもので携帯電話すら通話止めるべき」と。土 共・馬力にとっては愛国心というのは「この程度のもの」。タイ社会など理想的な愛国心を有する、と映るだろうが、ありゃ具体的に現国王への信奉であり(も ちろん政府が国の統合のために「愛国心」用いてはいるが)、あれを欲するなら「愛される北京中央政府」を頂けばいいだけ、のこと。馬力にとっては愛国心と はその程度のもの。陶傑氏は今日の蘋果日報「星期天休息」(日曜の社説に代る陶傑氏による論説)で鄧小平の語った「愛国」の定義を用いているが、それによ れば鄧小平の定義した愛国とは「只要擁護祖国的統一、只要尊重自己的民族」と、それだけ。馬力など土共の輩はこの鄧小平の爪の垢でも煎じて喫すべき哉。

五月十九日(土)午後遅く昨晩にも勝るとも劣らぬ豪雨。黄色雲警報となりぬ。早晩に尖沙咀にてZ嬢と待ち合 せ。印度料理でも食そうかという話となり重慶大廈に入り十五年ぶりかしら(とはっきり覚えるのは月刊誌『香港通信』の編集者U嬢の取材での食事に誘われた から、で)E座のKhyber Pass Mess Club(7E 咖喱王)訪れる……とE座の昇降機に並ぶ地場の若者の数にイヤな予感したが「なんじゃこの人ごみは〜っ」というほど盛況。午後6時すぎで、である。不自然 に二十代の若者多いのは何か雑誌に紹介されたからかしら。かつては重慶大廈というだけで二の足踏む人多かりしが今では物騒な事件もなくアミューズメント パークの如し……といいつつ食後、狭い昇降機が何度か満員なので裏の階段から脱出図ると階段にはちょっと危ない人も臥せっていたりし裏口出るとかなり汚穢 な世界。でKhyber Pass Mess Clubだが「並んでまでカレー喰う気もせむはな」であったが店員に「こっちもあるから」と隣室に通されると此処にもほぼ満席の客だがぎりぎり最後で二人 卓あり。いきなりVIPメンバーカード登録させられ何かと思えば1割引き、とあるが、よーは拡張部分だろうか、レストランとしての営業許可取れておらぬの で会員制ということで当局の規制掻潜るための客のメンバー化かしら。いずれにせよ七、八十人の客が午後6時くらいに一気に入り厨房が料理に追いつくはずも なし。あたしらはサモサとカレーくらいだったので後続のはずがかなり早めにカレー供され助かったが焼き物系の料理頼んで後からカレーの客はかなり待たされ た模様。店の入口にはさらに数十人の客。恐ろし哉。で今晩は香港フィルのコンサート。香港フィルはおそらくEdo de Waartが芸術監督兼総指揮者に就任直後の2004年以来かも知れぬ。今晩は指揮者はアイスランド交響楽団の総指揮者務めるRumon Gambaなる人が振りヰリアムテル序曲から始まる。数年前から比べると見違えるように香港フィルの質は向上している(とくに弦楽)。で今晩は “Cello World”と題し豪州出身の呉沛祺(Pei-jee Ng)と呉沛軒(Pei-sian Ng)という若い兄弟のチェリスト(こちら)招く。写 真によれば前者が当世風のロン毛のPei-jee君で、後者が当世風の短髪のPei-sian君。パンフレット見るとお互い1984年生まれ、とあるから 双子かしら。で、最初に出てきた長髪であるからPei-jee Ng君がチャイコフスキーのPezzo Capriccioso(カプリッチョ風小品)を弾く。で次に同じチャイコフスキーで「ロココの主題による変奏曲」なのだが舞台に出てきたのは、やはり似 たような長髪で多少染色しているがほとんど「見分けがつかない」一卵性双生児。だが、テクニック的にはこのロココの主題による変奏曲の弾き手のほうがほん の少し上に聴こえ、パンフレットにある二人の経歴(といっても全く一緒にアデレードでチェロを学び始め英国に留学して同じ師匠らに師事なのだが)比べると Pei-jee君のほうがコンテストなど少し評価高く、このロココの主題を弾くこちらがPai-jee君なのか、と思う。いずれにせよ双子のチェリストで お互いそれなりにソリストとしての技量があれば面白いには違いない。休憩はさみコープランドの『アパラチアの春』は1944年のバレエ音楽。日本が本土空 襲に逃げ惑う最中にこんなバレエ上演していると思うと日本が戦争に勝てたはずもない。今晩の目玉はこの双子のチェリストがKalevi Aho(1949−)というフィンランドの作曲家の「2台のチェロとオーケストラのための協奏曲」を弾いてみせた。このカレヴィ=アホという作曲家の曲ぢ たい初めて、で評しようもないが、この二人がさすが息の合ったところを見せ、また、曲中に何度も登場する対立するフレーズの葛藤が面白い曲であるし二人が 上手くこなす。この曲が2003年の作品とあとで知ると、まるでこの双子のために作られた曲のようにすら思える。この双子のチェリストは七月は豪州縦断の 維納少年合唱団の如き強行軍で16都市での公演。まだ学徒の身なれば次なるご予定は思いっきり飛んで年末にフィンランドにてOulu Sinfoniaとの共演というのは当然、Kalevi Ahoの絡みなのであろう。
▼四月に亡くなった龔如心の遺産相続人と龔如心認めた遺書に名のあった、龔如心とは「赤の他人」であるはずの謎の風水師・陳振聰君、この登場以来ずっと行 方くらましていたが昨日、突然、中環のFour Seasons Hotelで弁護士と密会の由(といいつつ有名ホテルのラウンジとは明らかに、わざと、か)。でこの陳振聰が白花油の御曹司(といってももういい年だが) で「歌う貴公子」と人気の顔福偉と瓜二つなのが可笑しいが、この和興白花 油薬廠有限公司といえば、たかだかメンソールオイルの製造販売で(ちょうど今日の信報の報道によれば)昨年の売上げは前年比4%増で1億ドル (15億円)。で何が「やっぱりたかだか薄荷油」なのは純利が4.2千万ドル。トヨタ自動車が24兆円の売上げで利益(税前)で2.4兆円で、売上総利率 は1割。白花油の4割は、商社も顔負けだろうし暴利貪ることでは電通なみか、と思ったが電通も売上総利率は16.6%で白花油の足下にも及ばず。で白花 油、驚くなかれ、というか所詮メンソールオイルだからな、といえばその通りだが従業員数はわずか103人。でこの売上げとは優良企業中の優良企業……ただ し顔福偉は可笑しい。

五月十八日(金)夕方、養和病院の眼科。左目の赤目鯛の如き充血三週間近く続き点眼薬つけ続け漸く快方に向う が両目とも疲労感甚だしく連日電脳見続ける事が如何に目に負担かと思いつつ致し方なし。あたしの視力は近眼は右が-4.75、左が-2.50で倍も違う所 謂「ガチャ眼」で、そのうえ左目は乱視がひどく、最近はそこに老眼が忍び寄り、先日「メガネは顔の一部です、だから〜」の東京メガネ店で眼鏡誂えた折にこ のガチャ目の乱視と老眼初期に合わせ全対応で、日本でいう視力0.8くらいに抑えた眼鏡にしており、これについては眼科の専門医からも年齢など考えるとじ つに真っ当な着地点と指摘受ける(東京メガネが香港で地場の店より多少高くても納得)。0.8というのは映画の字幕がぎりぎり見えるくらいで芝居や舞台の 鑑賞ではやはりつらいところ。ちょっと離れた人の顔は認識できず。不便は続く。昏時暴風雷雨襲う。灣仔鵝頸橋で薮用済ませた時でずぶ濡れ。時代広場の CitysuperでO'Hanlon's BreweryのThomas Hardy's Ale購う。もう一週間だか前の新聞に何十本だかCitysuper仕入れたと記事にあり。一瓶毎に製造番号の刻印された、25 年も貯蔵された幻の麦酒はまだ残っているかしら、と思ったが、さすがに250mlで一瓶HK$65もする麦酒はそう簡単には売り切れぬようでまだ数本あ り。まだ賞味期限までは10年くらいあろうはずだが香港ではとても寝かしてはおけぬ。帰宅してユニー……と言ってはいけぬ、改装後はApitaで鮪の解体 即売あったようそうで、その中落ちで丼ぶり。NHKのNW9は、ちょうど番組開始10分前に逮捕されたという愛知県での立篭り犯が警察に護送されるところ を30分以上!生中継。元妻人質にし駆けつけた警官が撃たれ重傷、それを救出しようとした機動隊員が撃たれ死亡、だそうだが犯人が捕まっただけで、これほ ど長々と報道すべきか疑問。現場からの記者の中継も「犯人が捕まった今も付近は騒然としています……」と始まったが「今では警察や機動隊もすべて撤収し、 付近の住民も安堵の表情です」って、話がぜんぜん噛み合わず。実際に現場から300m以内の警戒地域となった住民にははなはだ迷惑な話しだろうが、付近の 住民に取材しても昨日午後からのこの騒ぎに「不安ですね」以外、何ら答えなどないわけでニュース性などなく、いくら報道したところで、いくらキャスター柳 沢某が焦ったところで、こういった事件=外道な男が元妻との復縁話のなかキレて弾きか刃物持ち出し暴れ籠城、殺傷事件となり……なんて江戸時代もあったろ うし、22世紀になっても同じような事件はなくならぬ。江戸の頃ならこんな事件があるとマスコミのかわりに芝居の作家が面白可笑しく脚色して筋書き、芝居 で上演されていたのだろうが。新聞も朝日で言えば、この「立篭り発砲」が一面トップで、安倍三世が今の国会で最重要法案の一つと位置づける教育関連法案改 正の衆院の教育サイセイ特別委での可決=今日の衆院本会議も当然通過、など紙面の隅に追いやられる始末。この教育関連法案がこんな安易に改正されることの ほうが、立篭りで発砲の組員の事件より、未来永劫ずっとあたしらの社会に大きな関係があるのだが、愛知の何処だかもわらかぬところの事件に大騒ぎすること の方にずっと関心ある社会。

五月十七日(木)多忙にて二晩続け茶餐庁に晩飯喰らう。昨晩は肉絲炒麺。今晩は時菜排骨飯。氷檸檬茶つきで HK$30くらい。たかだか茶餐庁のぶっかけ飯がなぜこうも美味いのか、と今更感激す。新潮社の季刊雑誌『考える人』の06年冬号だったか、小津安二郎特 集を読む。小津のファッション、洋装と自宅での着物姿、服装に合わせ紙巻き、パイプ、煙管と吸い分けた煙草の趣味、ベンソンの懐中時計から湯呑み、全てが 粋。それにしてもなんて老成した御仁だったのかしら。
▼憲法改正での国民投票関連法案につき安倍三世曰く憲法96条に憲法改正に謳われど具体的な手続き定められぬまま60年にわたり「放置」され今回の法整備 で国民が自らの手で憲法改正が能う、と。法案成立に対し「国会において精緻な議論が行われ、立法府としての責任を果たされた」とは笑止千萬。
憲法は60年前のままでよいと思っている人は、どれほどいるので しょうか。私は、国民の中にも、時代の変化を正面から受け止め、今こそ憲法について議論すべき、という声が大きくなっていると感じています。
と安倍三世は宣うが「読売新聞ですら」3月の世論調査で憲法改正賛成46%に対し反対は39%で1993年以来15年連続で改正賛成が反対上回りつつ「改 正派は昨年調査に比べて9ポイント減り3年連続で減少」し「非改正派は昨年比7ポイント増」という。この状況で「憲法は60年前のままでよいと思っている 人は、どれほどいるのでしょうか」と言い切ってしまう安倍晋三とは何者か……アタシはこの人を嫌う。
▼親中派御用正当の馬力主席の天安門「見直し」発言余波高し。民建聯は馬力主席の発言は党の立場とは一切関係がないもの、と打ち消しに躍起。北京中央の香 港出先機関はダンマリを決め込む。馬力氏本人は一昨日にこのコメントして本人は長く患う疾病の抗癌治療のため広州に向ったが香港での反響に対して「自らの 発言は天安門事件がなかった、と主張するものではないし香港での民主化への支持を否定したものではない」として、あくまで必要以上にあの事件を反政府的 に、政府への信望をば打ち消すために用いられるべきでない、という意味での主張として「民建聯に対して謝罪するし、いかなる処分も受ける」と発言。民建聯 といえば御用政党で地位安定のはずが2000年には副主席で民建聯のスター的議員であった程介南が立法会議員の立場で得た情報を自らのビジネスコンサルタ ント会社で情報提供に用いたカドで立法議会選挙運動期間中に議員辞職(有罪で2年実刑入獄)。民建聯支持率激減。03年に主席の曾鈺成は基本法23条立法 で世論に対し傲慢な態度見せ立法会選挙で民建聯は議席大幅減らし主席辞職。その主席を襲ったのが馬力。で今回の失言。北京中央も可愛がる御用政党のこの為 体に呆れる他なし哉。

五月十六日(水)松井今朝子女史のブログからの受け売りだが昨日NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」と いう番組で藤沢調教師曰く「馬はレースに負けたからといって、悔しいから次のレースに勝ちたいなんて思うわけないですからね。ヤル気を出させるのは大変な 仕事なんです」。含蓄。毎週水曜日はHappy Valley競馬場で競馬開催あり。水曜晩にゆっくり競馬する時間もずっとないが3T馬券だけは買い続けている。指定の3連続レースで各レースの上位三頭 を順位に関係なく当てる、つまり三連複を3レース連続で当てればいい、の 計9頭で、それだけ聞くと当たりそうだが難しい。配当は入賞各馬の人気倍率に関係なくJack Potで高額配当。今晩もHK$1.8m(2.7千万円)。260万倍ということになる。で各レース3頭ずつ長年のあたくしなりのフォーミュラで選ぶのだ が、今晩も時々ありがち、な各レース2頭はきちんと入っており、各レースとも「あと1頭」が選べず。これまでに最大7頭的中はあるのだが、どうしてもあと 一歩、いや二、三歩が難しい。しかも一点買いなのだ。晩に薮用終えて銅鑼湾のバー SでM君と待ち合せ、飲む。M君には先日、新宿のヨドバシカメラでオムロンの万歩計買ってきてもらった精算。
▼親中派御用政党・民建聯の馬力(Ma Lik)主席が昨日、愛国教育について述べるなかで現代史で天安門事件についても触れるべきと言及し具体的には天安門事件を正確な分析することで正当に理 解し「屠城」と言われるような状況でなかったことを理解すべき、と主張。勢いづいたか、それに続け、六四・天安門事件につき当時の北京が「屠城」の如く言 われるが天安門事件で死者がおらぬとは言わぬが本当に屠城なら四千人くらい死んでも不思議でないし、タンクが市民をひき殺して進んだような事実はなく、反 中勢力の策略に乗り天安門での出来事を政府に否定的に誇大して把握するべきでない云々と主張。毎年この時期、六四に向け中国民主化などにつき政治的敏感な 頃。その時に馬力、何を思ってのこの「見直し」発言か。当然こうした発言が市民の反発くらうのは承知のはずで民建聯も天安門事件や中国民主化については敢 えて触れずに香港の民生面など強調してきたのだが……。

五月十五日(火)早晩に佐敦。今日の新聞(蘋果日報)に佐敦の雲呑麺屋・麥 文記が創業半世紀という広告記事あったこともあり、ふらりと訪れると 今日は創業記念の宴会で夕方で閉店。呉松街の阿龍咖喱ももう 何年も食しておらず阿龍で咖喱鶏飯。美味。寧波街の明記で蓮 子紅豆沙。尖沙咀のHMWでグレン=グールドの1955年のゴルトベルク変奏曲とブルーノ=ワルター&維納フィルでマーラー『大地の歌』1952年のデッ カ録音の2枚CD購入。いずれも「名盤中の名盤」で「いまさら」なのだが多感な十代前半にLPで愛聴。デジタル化でかなり音質もよくなりCD盤が出ている こと聞き及んでいたので。文化中心でZ嬢と待ち合せ、仏蘭西のOrchestre National de Lille(リール国立管弦楽団)の演奏会を聴く。香港で毎年五月恒例の「法國五月(French May)」の一環の音楽会。アタシも音楽監督で指揮者の Jean-Claude Casadesusの名前知るだけで全く知らないオケ。ベルリオーズのローマの謝肉祭序曲、続いてMarie-Ange Todorovitchというメゾ・ソプラノ(プログラムにはソプラノ、とあるが)とのベルリオーズの「夏の夜」、で後半はラヴェルのTzigane (ツィガーヌ)は李傳韻のヴァイオリン、続いて円舞曲(La Valse)で最後はボレロ、と、想像しただけでだいぶ舞台の入れ替わりが激しくないかしら、と案じていたのだが、やはり円舞曲とツィガーヌ入れ替えて、 ちょっと変則的であるがラヴェルのうちLa Valseだけやって、休憩で後半は李傳韻とのツィガーヌとボレロ、となった。残念なことに知名度が低いオケでS席800ドルと強気、で会場は4割も埋ま らず。謝肉祭はさらさら、とウォーミングアップ。Todorovitch女史の歌う「夏の夜」はベルリオーズなんてあまり聴かないアタシは初めてだった が、これもいい。で「ラ・ヴァルス」がね、ラヴェルが意図した、ワルツとそのリズムの乱れの崩壊、蘇生、その渾沌がじつに見事に演奏されるじゃない。オケ もいいけど、このオケを手塩に育てたCasadesusに対してアタシも含め観客がかんぜんに親しみと尊敬を感じてしまっている。ラ・ヴァルスは最後、ガ タガタに盛り上がって、そこで曲が終った、と客は思うのだが、冒頭の主旋律に戻る、ってところでCasadesusが「まだ、ちょっと」と客にゼスチャー してみせたり、で客との一体感。墺太利=匈牙利帝国の末期、もうワルツでも踊っているしかない、って世界が実に21世紀の今、心に沁みる。このオケの楽団 員は仏蘭西の総統選挙に投票できたのかしら?なんて気になる。で後半は李傳韻が登場。青島生まれの中国のバイオリンの天才少年も今では27歳。相変わらず クラシックのバイオリニストとは思えぬ体躯と容姿。バイオリンを奏でる仕草をZ嬢が「山西刀削麺で麺、削ってる感じ」などと表したので、それがトラウマの ように深刻な印象(笑)。Tzigane(ツィガーヌ)が仏語で「ロマ」の意味だと初めて知ったが、匈牙利的な旋律を李傳韻が唸る唸る。ピアノによるピア ノの旋律はハープで演奏。Casadesusのリール楽団もそれをまたとてもラプソディとして演奏するから、いったい何処の何の曲かわからぬくらい。それ が面白い。アンコールで中国の「馬が駆けるナントカ序曲」みたいな(曲は知っているが)確か二胡のための協奏曲をバイオリンで。ボレロは今更語る必要もあ るまい。アンコールは中国の、これも曲名は知らないがナントカ祝典序曲みたいな曲。とアルルの女から。客の入りは4割だったが後半からかなり盛り上がり 「行って良かった演奏会」で◎印。明後日が上海公演の由。帰宅してグレン=グールドのゴルトベルク変奏曲を聴く。これが自然に聴こえてしまうのが21世紀 なのか。むしろ高橋悠治のゴルトベルクのほうが崇高どころか、ずっとずっと衝撃的に聴こえてしまうのだ。
▼日曜晩に蔡瀾氏のグルメ旅行番組ありご本人が視聴率20%台で絶好調と蘋果日報の随筆に書いている。先週は順徳から深圳。一昨日はタイ特集。そのタイ特 集をビデオ録画して昨晩眺める。チェンマイでいえば訪れるレストランはピン川沿いの誰でも知っている観光ズレしたレストラン、そこで食べる川魚を「この川 で獲れた新鮮な魚であそこのマーケットで売られる」と紹介するがピン川がいったいどれくらい汚染されているかは一目瞭然だしフローロット市場だったか、そ の市場で売られている鮮魚も所詮、熱帯の山あいの川魚でお世辞にもちょっと……とアタシは思う。泊まったホテルのスパの按摩を「タイには数千のタイ式按摩 があるが此処は格別でリピーターが多い」と紹介するのだがお泊まりのホテルはマンダリンオリエンタル・チェンマイで、 最近出来たこのホテルは蔡瀾氏の動静は蘋果日報の連載で凡そ把握している者の一人として蔡瀾氏も初めて泊まったのではないかしら。旅慣れたグルメ、という 蔡瀾氏の印象も昔は事実だったものの、今ではやはりテレビなどマスコミで出来上がったものになってしまってはいないかしら。

五月十四日(月)憲法改正に向け国民投票法案の与党案が参院憲法調査特別委で与党の賛成多数で可決。安倍政権 の横暴と左翼的に批判は簡単だが国民の信託に基づき(おそらく三人中一人だけ、で一人は反対、だが残り一人は何も考えておらぬから賛成にまわる)国会は今の 自公の安定多数があるわけで、致し方ない。厳粛にこの事実受け止めるばかり、で早晩にジムで一時間の有酸素運動。帰宅して強制リセットにウオツカをスト レートで一杯流し込みBowmoreをちびちび舐めて気持ちを落ち着かせる。最近、酒量が多いなぁ……とちょっと自分でも心配になったのが文藝春秋六月号 でNHKで紅白プロデューサーであった矢島敦美さんが書いた「女王・ひばりが号泣した夜」を読んだため。文藝春秋というのは一言で言えば「凄い雑誌」。岩 波書店の『世界』が「読まなくても何が書かれているか」わかる理性なのに対して、「売れる」雑誌の基本は何かといえば「いったい何が書かれているのか読み たい」と読者に思わせること、そして読者の鬱憤を晴らすこと。それに用意周到であったのが菊池寛であり、文藝春秋は売れる。「赤い資本が続々と日本上場  日本乗っ取り 中国企業リスト」など文春的には「楽しそう」。日本資本が八十年代に米国などで何をしていたのか。当時「イエローモンキーが米国占領」など と書かれたらどう思ったか。所詮、センセーショナリズムが菊池寛の基本なのだが。石原都知事夫人の選挙戦振り返った手記もあり。
夫がいちばん辛そうだったのは、都議会で共産党や民主党から一方的 に理不尽な攻撃をされても、じっと黙っていた時でした。(略)今回、自分の行動だけでなく、家族のことや、適任だと思って四男に手伝わせたことを批判さ れ、ひたすら我慢し、堪えたのだと思います。
……って、この都知事に一方的に理不尽な攻撃をされてどれだけ教員など辟易しているか、この都知事夫人にはその痛みもわからぬのだろうし、都知事が身内に 都のかかわるプロジェクト手伝わせたことは、その手伝わせたことぢたいより不透明な資金提供が問題なのに……。石原軍団といえばかつては裕次郎の石原プロ であったが今ぢゃ慎太郎ファミリーこそ石原軍団か。
▼その文藝春秋で山本夏彦に仕えた編集者らが夏彦回顧談。そうそう、と夏彦先生が「ごめんくださいませ」の「ませ」を嫌い、ありゃ高島屋が京から東都に進 出して店員に「ませ」を使わせたからの普及で東都ではもともと「ごめんくださいまし」だ、と。そういえば日本橋生まれの祖母も「いらっしゃいまし」と言っ ていた記憶あり。
▼その文藝春秋の書評で岩瀬彰『「月給百円」サラリーマン』取り上げているのだが一読して驚いたのは戦前の日本にも貧富の差があり「最近の日本について、 あまりにも近視眼的に「格差社会の到来」を論じる識者が幅を利かせているだけに、ぜひご一読を」と勧めるのだが、この書評だけ読んだら「そうか、格差は何 も今更の問題じゃない」と読者は思ってしまうだろうが明らかにこれは誤謬。経済的格差に関しての昔と今の違いは、何よりも、当時が貧乏であろうが富裕層で あろうが「目指すところ」があったのに対して、現在の格差は勝ち組と負け組の明らかな差異と「目指すところ」の共有がもはやできないこと。
▼その文藝春秋で福田和也が「昭和天皇」連載中。震災の逸話に折口信夫のことあり。琉球で民間伝承の取材から横浜に戻る。歩いて東上すると芝増上寺のあた りで抜刀した青年たちに取り囲まれた信夫。彼は額に痣あり吃音で関西弁とあっては青年らの尋問に答えるほどに彼らは信夫が朝鮮人かと激昂し危うく殺されそ うになる。信夫は『自歌自註』のなかで
その表情を忘れない。戰爭の時にも思ひ出した。戰爭の後にも思ひ出 した。平らかな生を樂しむ國びとだと思つてゐたが、一旦事があると、あんなにすさみ切つてしまふ。
と嘆く。この時の歌は
國びとの心さがる世に 値いしより 顏よき子らも 頼らずなりぬ
少年だった清水幾太郎も市川の練兵場で東京の焼け跡から帰ってきた兵隊が
私が驚いたのは、洗面所のようなところで、その兵隊たちが銃剣の血 を洗っていることです。誰を殺したのか、と聞いてみると、得意気に、朝鮮人さ、と言います。私は腰が抜けるほど驚きました。朝鮮人騒ぎは噂には聞いていま したが、兵隊が大威張りで朝鮮人を殺すとは夢にも思っていませんでした。 『私の心の遍歴』
このような時々、えっ、これが文春?みたいな記述があったり、井上ひさしや永六輔が登場していまうところも文藝春秋の間口の広さか。

五月十三日(日)午前中ジムで一時間有酸素運動。バスで帰宅途中に『世界』六月号読む。愛国心など教育の右傾 化、石原三選、憲法改正、先の大戦での沖縄の集団自決……等々、全て世の流れに対する憂慮であり反対であり而も全て劣勢ときては「読んでいて悲しくなる」 ばかりで「読まなくても書かれているであろうことがわかる」という点では「売れぬ」雑誌(菊池寛的な売れる雑誌がこの対局にあり)。帰宅。昼過ぎZ嬢と、 606番のバスで九龍に渡るには此処が便利、と北角七姊妹道の水餃姨姨で 餃子。バスで牛池湾。地下鉄の駅は「彩虹」なんてどうでもいい名前だが牛池湾には高層団地群に囲まれて辛うじて牛池湾村が残り市場と商店街で賑わう。牛池 湾文娯中心で香港のDaniel楊春江君や日本の池田素子らによるHomeless Dance Companyのダンス公演観る。Daniel 楊春江や池田素子は04年だったかにLittle Asia Dance Projectだったかでアジア諸都市回っており素晴らしいダンスであった。今回は一部メンバーが変っているがダンスカンパニーを組織してのメルボルンか ら香港、そして台湾への公演。東 京、ソウル、台北、香港とメルボルンの異なった背景のダンサーがまるで終戦直後の戦災孤児のように空間で遊び続ける、そういうコンセプトのはっきりしたダ ンス。小さな創作舞台だったが子どもとかにもっと見せたら面白い。夕方、バスで新蒲崗。取り壊される寸前の城壁村・衙 前圍村をもう眺めるのも最後か、と散策。九龍城公園抜けて九龍城市街。ぶらぶらとタイ食材の店など眺めていたが今日油断できぬのは「母の日」。先 週末よりすでに飲食業界は母の日繁盛で(今日の新聞だったかに飲食業の「母の日」売上げは11億ドルとか出ていたが香港の人口で割ったら1人あたり150 ドルは大袈裟だろう)日曜日はかなり早い時間から混雑し始める九龍城の、とくにタイ料理屋は今日は殊更「爆満」が予想される。親孝行はいいがクリスマスで もヴァランタインでも本来宗教的、祝祭的行 為がすべて商行為に飲み込まれ<消費>に収斂されるところがあたしは個人的には不愉快(文化人類学的には祝祭が商行為に発展するのは事実なのだが)。この 「母の日」を警戒し午後五時過ぎに、いつも行く金蘭花タイ料 理屋に入ったが、すでに二、三卓は母親を連れた早めの夕食の家族連れで、午後五時半すぎには満席。あたしらが席を立った六時半すぎにはこの金蘭花も他の飲 食店も多くが路上に空席待つ家族連れで溢れているのだった。金蘭花も隣に分店設けたと思ったら同じビルの楼上にも部屋を設けたようで九龍城の飲食店の絶好 調ぶり象徴するが如し。バスで帰宅の途についたがすっかり寝入ってしまった。
▼昨晩寝際に岩瀬彰『「月給百円」サラリーマン』読了。しばらく目を庇い寝際にあまり本を読めず。まだ完治はしておらぬが少しマシ。で岩井彰氏は共同通信 の記者で十年前、香港返還の頃の香港支局長で面識もあり、の方。その人が戦前日本の普通の人の生活感覚(懐具合という言葉のほうが似合うだろう)を、彼ら の収入が平均でいくらで、それでどの程度の生活が出来て、家賃がいくらで娘を嫁にやればどの程度の費用がかかったか「ミクロ情報に徹した」調査。なぜ中国 情勢専門の岩井氏がこんな手のかかる徹底した文献調査を始めたか、といえば岩井氏自身が戦後生まれ育ちで「永井荷風や内田百閒や谷崎潤一郎を読むたびに細 部でつまずき、向田邦子の作品でさえよくわからいことがたくさんある」の最たる例が月給百円の価値がわからず「甲種商業卒」はどの程度の学歴なのか知ら ず、家賃二十円の家が安いのか高いのか見当もつかなかったから、と言う。確かに。天皇機関説や柳条湖事件は知っていても、だ。で岩井氏は仕事が休みの週末 に国会図書館などに通い徹底した文献による調査。ネット時代にここまで書物に基づいたミクロデータの蒐集というのも本当に珍しい。余りの徹底した詳細デー タが続くことに多少興味あっても食傷気味となる読み手も少なくなかろうが、これは著者が「ミクロ情報に徹した」というのだから。むしろそれに徹したこと で、とんでない戦前日本の(具体的には東京だが)懐具合の集大成が出来上がってしまった感あり。

五月十二日(土)朝起きて机まわりの雑用すませ昼まで裏山に登りカントリートレイルを一時間走りジムに一浴。 気温は摂氏三十一度まで 上がるそうで当然、炎天下は午前中からもっと暑い。そろそろ走りも危険域となる季節。そもそも紫外線浴びることぢたい危険な廿一世紀。午後薮用あり出かけ たが日向に出るともう傘がないとかなりつらい。汗もできるだけかきたくないし。昼は中環で写真現像受け取り陳成記に好物の牛腩伊麺を食す。美味。HK$16だと思うと昨日の一碗 麺の紅焼牛肉麺の五分の一か。早晩にFCCでZ嬢と待ち合 せ。ハイボール一杯。豪州Jindalee Estateの シャルダニー05年。野菜だけのコロッケ。Yellow Tailの メルロー06年。酔いざましにFCC出て歩き始めると香港政庁の傍らの茂みからLower Albert Rdの牆に飛び乗った「あ、猫か」と思ったら、これが狸。中環に狸……董建華に非ず。香港の大自然。金鐘抜けて歩いて昨晩に続き灣仔の藝術中心。ハンガ リーのPálfi György監督の映画“Taxidermia” 見る。面白い。この映画、三級(成人映画)指定なのだが「三級じゃなくてB級よね」とZ嬢も評価。見方に よってはグロなB級映画だがハンガリーの戦後の先の大戦直後から冷戦の時代の徹底した共産主義、そして解放後までを社会史の如く描いてみせる。だがB級に 徹したのが見事。性欲、食欲からグロテスクな美学まで、伊丹十三が見たらかなり好みそう。久々にジョン=ウォーターズ監督の『ピンクフラミンゴ』見た時の ような爽快さ?感じるが、György Pálfi監督はそれでもきちんとハンガリーの社会史的に描いただけマトモなのかも……ただそう考えると『ピンクフラミンゴ』とて米国の戦 後の家庭を超現実的に描いてみせた社会学的な映画とも言えるのかも知れないが。
▼ダウ=ジョーンズ株の李國寶君介入とされるインサイダー取引につき日頃冷静なはずの信報が昨日トップ記事でこれを「香港の国際金融都市化、中国経済の勃 興に対する陰謀説」取り上げる。The TimesやNY Timesの記事引用の形をとりつつ米国のロックフェラーや欧州のロスチャイルドなど欧米資本が中国資本の巨大化を嫌い阻止力が働いた結果、と。

五月十一日(金)早晩に灣仔。星街の坂を上り廃虚めぐり。ここも近々Hopewellにより大型ホテルなど 「再開発」の被害に遭う予定。鬱蒼 とした樹木、戦前から手付かずの石垣、多くの猫、薮蚊、犬の糞尿の臭さ。高台の裏道から最近、第二の蘭桂坊化著しき星街に出る。Z嬢と待ち合せで野外のカ フェcine cittāで白ワイン飲む。新聞読みながら涼 をとる。ジャックダニエルもソーダ割で一杯。Z嬢来て、一度試しに、と星街のOlala経営の一碗麺なる麺屋に食す。紅焼牛肉麺がHK$80とは。まぁHK$48な ら許せるかな、程度。日本でもせいろが一枚八百円なんて蕎麦屋もあるが店の亭主が精魂込めて打った蕎麦なら、と納得かもしれぬが、この店、オープンキッチ ンで素人っぽいオバサン二人がさっさ、と「温めるだけ」。茹でた麺もきちんと解されておらず。誰でも調理できる(実際にはそれ以前のお話だが)状態で店員 の身だしなみの悪さから作法の鈍さまで「シャキッとしろ!」と喝を入れたくなるほどで、さ きほどまで厨房で調理のオバサンがトイレ入口の床をモップで拭いている。これで高級店というのだから呆れるばかり。これでも芸人だのタカピーな客には人気 とか。タカピーといえば先ほどのカフェバーで近隣のオフィスに働く株屋、相場師、不動産業者の類いらしき若者ら屋外の店で煙草吸うのはいいが「吸うなら吸 うできちんと吸え」と言いたくなるほど中学生のガキの如く煙草蒸かされ煙いのなんの。caffè HABITŪで珈琲飲んでから久々に芸術中 心。入口がすっかりアートっぽくなっていて驚きZ嬢に何ヶ月来ていないの?と驚かれる。でタイ映画“Syndromes and a Century”(原作・監督:Apichatpong Weerasethakul)観る。アタシにはバンコク舞台にしたこの「医療機関映画」が何が何なのか、さっぱりわからず。わからぬのだから評しようもな し。晩にやたら喉が渇く。アタシが夜半に喉が渇くのは、だいたい化学調味料のはいった料理を食した時。
▼英国首相ブレア君ようやく引退表明。首相就任から数週間後に香港返還で来港。引退にあたり“I may have been wrong... but I did what I thought was right”と宣われる。「間違っていたかもしれない。だが正しいと思ったことををした」では結局反省もなく単なる弁明。これで国政担えるとは能天気な 話。
▼最近の社会の「目の敵」といえば白熱灯。例えば今日のSCMP紙の記事によれば10,000時間の使用の場合、60Wの白熱灯は10個要り、消費する電 力料金込みでHK$650もかかる。それに対して最近の蛍光灯つかったランプの場合、1個で済み消費電力が低いためランプ1個と電気料金の計はHK $110となる。消費するCO2も480kgと88kgでは、白熱灯はまるで諸悪の根源。だが白熱灯がこの世でいったいどれだけ使われているのか。圧倒的 に蛍光灯が多いのだから総量で考えるべき。ちなみにあたしの家には蛍光灯は台所に一本用いられているだけ、であとは白熱灯だのランプばかり。かなり薄暗い 照明で本を読む時などみずから灯りに近づく、灯り引き寄せるのが心地よい。

五月十日(木)安倍三世がメールマガジンで訪米につきブッシュ三世と「お互いをジョージ、シンゾウと呼び合う 仲になったことを今週号で報告できるのは大変うれしいことです」と宣っている。お互いファーストネームで呼び合うことが友好関係の証し、とするが、恐らく 「ロンヤス」あたりからのことだが、これは誤解。アメリカ人など、誰彼ともなく初対面から「ロンと呼んでくれ」というのが当たり前。むしろ初対面などでの 緊張を解すための手段としてファーストネームで呼び合う。そうすることで寧ろ仲良くやっていこう、ということ。それをいちいち「ジョージ、シンゾウと呼び 合う仲になった」なんて言わないといけないのは、日本人らしい誤解か、本当の意味でまだ親しくなっていないのか、言葉が通じないことで今ひとつ率直に会話 できないのか、ということの証しか。
▼マードック氏によるダウ=ジョーンズ社の買収。ダウ=ジョーンズ(DJ)参加のWall Street Journal紙がマードック氏による買収でのDJの株価上昇にあたりDJ社の役員でもある香港の東亜銀行頭取・李 Baby 國寶君が買収情報漏洩でインサイダー取引に関与、と報道(昨日)。買収発表前後のDJ社株の売買で約9億円の売却益を得た香港の実業家夫妻の父が東亜銀行 カナダ分行の役員で、Baby李君と懇意、でインサイダー情報が流れた、と憶測あり。New York Times紙は米国政府の当局がこのインサイダー取引について近々調査始めるにあたりDJ社がBaby李君に内部調査始めたと報道。DJ社はそれを否定す るがBaby李君は情報提供は否定しつつもマスコミの取材に慇懃に対応。このDJ株に用いられた巨額の資金の出自も興味深いところ。本件、巨額の資金がメ リルリンチ銀行にある上述の夫妻所有の口座で動き、それを怪しんだ同行の職員によるリークが発端という。Baby李君といえば香港有数の財閥名家御曹司。 SARS疫禍であったかペニンスラホテルのさすがに閑散とした仏蘭西料理店ガディスにZ嬢と余が晩餐の折(客は他に一組のみ)Baby李君が女性伴い現わ れ(妻にあらず、娘かも知れぬが)奥の間に入りドンペリ抜栓で楽団招きその女性と軽く晩餐でダンス踊り去るのを目撃。さすがに遊興も大胆、と恐れ入る。弟 は香港中文大学の医学部長から中文大学長、さらに董建華に抜擢され香港政府教育統局局長となり香港の教育改革にメスを入れ顰蹙買い放題のアーサー王こと Arthur 李國章は実弟。

五月九日(水)よっぽど急ぎの仕事だけ電脳上で済ませ終日できるかぎり目に負担かけず左目の充血などだいぶ快 方に向う。晩は昨晩の益新のおかず残りお持ち帰りで残ったワインで済ます。昨晩三時間しか寝ていなかったこともあり、さっさと寝る。
▼生駒山について。久が原のT君に教え請う。
はるかの古代。大和の國人にとつて二上の聖峰を含む生駒金剛の連山は西を隔つる境界、生駒の向かうには難波の海があり明石の門を越え長門筑紫から高麗唐土 さらには至れる果ての西方極樂淨土、これが生駒の向かうに幻視され、しかして生駒の山は高く嶮しかつた。
風吹けば沖つ白波龍田山夜半にや君がひとり越ゆらむ
と詠んだ伊勢物語の人待つ女の呪歌もこの事情を併せ味讀すべきもの。戰前國策に基づいた鐵道計劃で初めて生駒に隧道が穿たれた時の關西人の驚きは尋常では なかつた、と。

五月八日(火)養和病院の眼科で先週末に続き左目の診断。いぜん充血退かず目脂ひどし。晩に Jardine's Lookoutの益新美食館にI氏、K 氏と三人で「ワインを飲みながら」の発案で集まる。白はオーストラリアのGraggy Rangeというソーヴィニヨン=ブランの05年で前菜に海月、五香牛展と清炒蝦仁。赤は新西蘭のCape Clairaultというワイナリーのメルロー、05年。莧菜の油炒め(大蒜入り)、マカオ風の豆腐料理と店の名物の焼鴨。ワインは二本で足りるかしら、 と最後のご褒美用?にボルドーはポイヤックのChateau Pichon Longuevilleの(……というと3,000ドルくらいするが)このワイナリーのセカンドラベルのワイン(97年もの)も楽しく飲む。K氏と銅鑼湾 に下りバーS。K氏と別れてからバーYに寄りハイボール二杯。よく飲むわ、と我ながら感心。
▼青島啤酒といえば「路上での量り売り」もあり、と北京のO氏より。こりゃすごい。
▼バブル景気に沸く、中華人民投資国の新國歌。SCMP紙のビジネス面より
快來,還沒有開戸的人們       早く来い、まだ口座を開いて おらぬ人々よ
把我們的資金全部投入誘人的股市   我々の資金を全て誘惑的な株 式市場に投資するのだ
中華民族到了最後發財的時候     中華民族についに財を成す時 が来た
毎個人都在發出興奮的吼聲      人々の興奮の歓声が聞こえる ではないか
買進!買進!買進!         買い、買い、買いだ!
我們萬衆一心、冒着被套的風験    我々は心を一つにして、どん なリスクにも立ち向かう
錢進!錢進!錢進!進!       錢進!錢進!錢進!進!

五月七日(月)快晴。気温摂氏31.2度。先月、北海道から東京に遊んだM君に銀座でライカ扱う店を教えてく れと請われ、その時に何か欲しいものはないか?と尋ねられ頼んだのがオムロンの万歩 計。でヨドバシカメラで買って来てくれた万歩計を毎日つけては歩き「今日は運動したわけでもないのに○千歩歩いた」と一人満足していたのだが実は 連日「しっかり歩き」モードでは0歩のまま。今日は敢えて万歩計を鞄につけておき、小まめに歩数を見てわかった結果といえば……今日の歩数は887歩。つ まり朝、家を出てから帰宅するまで鞄を持っている、つまり本当に外を歩いていたのがわずかに887歩。しかも自宅から執務室のある御所まで御料車で移動の 時に御料車とはいえ運行中の揺れで片道約70歩分は勝手にカウントされており、この往復を除くと747歩。しかも帰宅途中にジャスコの旭屋書店でアサヒカ メラ五月号受取りでジャスコ内で約300歩歩いており、これを除くと自宅と御所の往復でつまり347歩しか歩いていない結果に。御所の中で万歩計をつけて いれば日に二千歩くらいにはなるが、それも執務室での机仕事の合間にヒドロ虫類の研究のため研究室に往復する程度。香港は確かに日本に比べ交通機関が至便 でエスカレータなども多く歩く距離が格段に少ないのだが自宅と御所往復ではわずかに300歩台とは甚だ運動不足と痛感。帰宅してドライマティーニ。薩摩は 濱田酒造の芋焼酎・兼重を飲みながらビビンバを食す。NHKのNW9でキャスター「会津の男」柳沢某はエキスポランドの事故に「また、あってはいけないこ とが」「新たな怒り」「憎んでも憎みきれない」と、この人は社会面的な事故となると本当に言葉が勢いづく。人生幸路師匠の「責任者、出て来いーっ!」を彷 彿。この柳沢君の強硬な姿勢が国政やNHKへの政治家介入にも向いてくれればいいのだが。フランスではサルコジ氏が総統に当選。シラク総統が「志らく」 「志楽」だったのでサルコジ氏は……と考えれば「猿故事」は親米派のお猿の話になってしまうし「沙流居士」では戒名になっちまうし「猿虎子」じゃ頭が猿の 虎でなにが何だか……それにしてもフランス総統といえばミッテランのように社会主義者ながらフランス人の誰よりもフランス的には伝統的保守であり、シラク も下手な左翼より中道左派で対米外交の妙。それに比べると保守派で親米派、口を開けばフランス国内の治安の安定ぢゃ、あまりにも単純すぎ。晩にアサヒカメ ラ五月号読む。瀬戸正人氏の「薬師寺」は「写り過ぎだよ、こりゃ……」と思ったのも道理でHasselbladの500C/Mにデジタルパック付きぢゃ薬 師如来様もちと恥ずかしそう。
▼来週末に小田原から山中湖まで第1回のOxfam Trailwalker Japanという催事あり。香港で社会事業としてすっかり定着のTrailwalkerの日本版。どこまでこの「個人参 加のスポーツ」がコミュニティチェストとして理解されるか(基本的には「愛は地球を救う」で芸人が100kmマラソンするのと一緒なのだが)。で、これに 出る奈良の友人が生駒山でトレイルの練習をしているというので万葉集の
妹に逢はずあらばすべなみ岩根踏む生駒の山を越えてぞ我が来る
という歌を捩り
妻に逢はずあらばすべなみ岩にコケる生駒の山を越えてぞ我が来る
という歌を送ってふと思ったのだが「生駒山はそれほど険しいか」ということ。自動車で初めて奈良から大阪に抜ける「ちょっとした峠越え」で此処が生駒山と 知り「嘘だろっ!」と思った、標高642mの山。坂東の筑波山のほうが887mでも平野にそびえるように見え東都からの眺めでも「高く険しく見える」。で なぜ生駒山が険しかったのか、という疑問。ふと思ったのは万葉の人々と我々の「山に対する感覚」の違い。今でこそ「登山」というスポーツがあり数千メート ル級の山にわざわざ登るが、それも登山道だの整備されて、の話。万葉の昔、数千メートル級の高山は神や鬼の棲む聖なる場所。当時、奈良から難波津に抜ける 生駒山こそ、人が越えるような山としてはかなり「難度が高い」山だったのぢゃなかしら。神や鬼にあわず、せいぜい天狗が里を見下ろしているくらいで。
▼青島啤酒の「啤酒豆」について早速、北京の畏友O君よりメールあり。嬉しく思う。青島啤酒の「啤酒豆」は青島ビール工場見学で無料試飲の時にもらえるお つまみとの由。市販されていればいいのに。

五月六日(日)ふと今日が母校の小学校の開校記念日であったこと数十年ぶりに思い出す。天皇誕生日からの大型 連休があたしの小学校は更に一日長かった。Z 嬢とちょっと山を歩こうか、という話になりバスで小西湾。かつての中華巴士の車庫がまだ残る。海沿いの小西湾運動場から小高い丘に上がり小一時間で海抜 312mのPottinger Peakに至る。香港島など歩き尽くしたつもりでいても香港占領し初代総督となったPottinger将軍の名を冠るこの小山は初登頂。眼下にヴィクトリ アハーバーから香港島東の外界、島南の石澳まで一望。香港島以東の頂ゆゑ先の大戦では日本軍の空襲に備えたかトーチカだの機銃砲など残る。少し薮漕ぎで下 り石澳道に出で巴士で筲箕灣。昼飯に東大街の安利魚蛋粉麺に て切腩四寶粉。普通の潮州風の四寶粉に雲呑と更に美味な牛腩入りなのだから 多少の行列に並んでも食すだけ美味い。バスで中環。今晩、ホワイトアスパラが食べたいと思ったのだがすでに旬が済んだようで中環の街市にも一週間前には あったホワイトアスパラはなく、Oliver'sだのCitysuperにも少し残ってはいるが萎びて食すに能わず。断念。Z嬢と別れ夕方、按摩。帰宅し てドライマティーニ一杯。貰い物の豪州の赤の発泡酒あり、一見して甘そうで抜栓したら「やはり」で少しだけ飲み、生ハムとメロン、それにグリーンアスパラ と馬鈴薯をオーブンで焼いて葡萄酒は豪州のCape MentelleのCab Sauvの04年。メインは長葱のキッシュ。今日はふと山への出がけに書棚から手にしたのが山村修氏の『気晴らしの発見』新潮文庫。しばらく前に購入して いたが、今日この文庫本をバスの中などで読んでいると、てっきり山村さんのほんと「気晴らし」の随筆と思っていたが、これが実はストレスから不眠症となり コルステロール値をどうにか下げようという山村さんの涙ぐましい日々の記録。ただ闘病記ではなくストレスから来る不眠やさまざまな症状をどう癒すか、その 癒しに格好の書物や散歩、食事といった「気晴らし」の大切さを語る、優れた随筆なのだが。この本、とくに山村さんが突然、不眠に陥ったところの不安から、 ストレスを発見したハンス=セリエ博士の話、多田道太郎の北京で女医にキンタマを握られた話、そしてライナス=ボーリング博士の話など、これが興味深い話 が鏤められていて面白い。自分もふと四月下旬のかなり深刻であった胃痛や、まだ治癒もほど遠き左目の充血と不快感、これもセリエ博士の所謂の「まさに病気 である症候群」なのかしら、と妙に納得。それにしても偶然に自分がそういう体調の不適応の時期にふと書棚から手にした文庫本がまさに「症状に適応してい た」偶然が面白い。
▼数日前だが中国の青島啤酒が副産品として出している「啤酒豆」 の小さいパック入り1袋をいただく。これが美味。サイトで見てもさすがに、ずらりと並ぶ各種ビールの「産品系列」にこの豆菓子は出てもおらぬのだが、美味 い。どこかで入手できるのかしら。

五月五日(土)小雨愚図つく。家計のやりくりだの昨日税務署より所得申告の用紙届いたこともあり先の納税のこ となどちまちまと考えているうちに昼に至る。午後九龍の用事済ませ晩に灣仔の杭 州酒家。四月に急逝された知人O氏を友人知人らで追悼の宴をもつ。この食肆、昨年九月に我々の会にO氏初めて参加が此処。齋膳。この宴会の 前に灣仔に多少早く着いていたので灣仔のオタクビル「東方188商場」参観し時間潰す。入口は狭いがビルの中には間口一間あるかないかの狭い店が並び狭い 通路に客あふれる。いったん火事にでもなれば誰も助かるまい。今さらながらプレイステーションだったかゲーム画像の鮮明さにただ驚く。まるで自分が闘って いたり荒涼とした近未来の風景の中をラリーしていたり、の臨場感。つまらぬ現世からいっときの解放感か。だがその余暇がまるで現実を越えてしまうほど「の めり込み」になるだけの超現実のリアリティすらあるように思えるところが怖い。
▼維納に遊んだT君より便りあり。先帝ご誕辰の先月廿九日小澤征爾復帰のオペラ座には黒悼旗の掲げあり「さまよへる阿蘭陀人」演奏開始前にロストロポー ヴィチへ捧ぐる黙祷があった由。

五月四日(金)夕方、銀行であたしの口座担当者と雑談。今日は眼帯をしていたが香港でも眼帯をしていると混雑 した街中でもけっこう気 にして道を避けたりしてくれる人は少なからず。外 国人記者倶楽部のバーでドライマティーニ三杯。晩に尖沙咀東。Royal Garden Hotelの東来順で広州在住で今日はタイからの旅行帰りのO君家族、それに夕方偶 然に電話をもらったK氏も誘い、Z嬢も来てしゃぶしゃぶ。葡萄酒は智利のヴィーニャ=セグーというワイナリーのDoña Consueloのソーヴィニヨン・ブラン05年と山西省の怡園の赤を二本。O君の息子のカブトムシの組立玩具が精巧でついつい制作に夢中になってしまっ た。O君の家族だけは近隣のホテルに戻り、このホテルのG階にあるMatini Barで食後に歓談。バーで晩の十時くらいに幼い子ども二人連れた米国人夫婦。子どもがバーの中を走り回る。更に銅鑼湾に渡りバーSでシングルモルト飲む。Mortlachの1949年蒸留で 2001年に瓶詰めされたモルトが1本あり、バーSの開店三周年で今月から開栓できると言われていたが、まだ栓は開けられておらず。どうせだから、と開け てもらいショットに一杯だけ賞味。もっと重たい酒を想像したが香りが見事で実際に飲むととてもスムースなモルトであった。
▼本晩参加能わず、であったが中央図書館にて英国王立アジア協会香港支部の講演会でDick Irving氏が“Almost Forgotten Aspects of the Dragon Boat Festival in the North-west New Territories”という演題で講演。Dick Irving氏といえば1985年から十年間、香港大学の地理学科の講師。日本の「中山道」をライフワークの如く研究テーマとされていたが、香港を離れて 何処へ?と思えば関西学院大学で教鞭をとられている由。香港から何度か好事家を集め中山道を歩くツアーも企画。そのDick先生が香港に戻り今回、端午の 節句に合わせドラゴンボートについて。(以下、引用)
Dick’s research interest in Hong Kong was rekindled recently with the saga of an estuarine crocodile ‘infesting’ the marshlands near Mai Po.  He recalled an earlier notion he had conceived – that the origins of the Dragon Boat Festival in southern China lay in the fact that these sleek boats were originally designed to chase down troublesome crocodiles in the local waters.  Whilst still holding this notion to be true, his main concern on this occasion is with the nature and significance of the Festival as it used to be celebrated in the north-west New Territories.  Following a post-war revival, depopulation, land reclamation, and events in the mainland all combined to bring about the eventual demise of the Festival in this area in the late 1940s.  Today only a handful of former participants survive to recall the memories they share of this event.
The Festival then was very different to the rather synthetic version of dragon boat racing we see today.  Extending over a number of days, when tides were highest during the first week or so of the fifth lunar month, the ‘races’ were not just an opportunity to display village prowess but also to resolve inter-village disputes, or re-establish friendships.  The size of the boats varied according to the status and wealth of the thirty or so village communities who regularly participated, so competition was never even.  Rather, the Festival resembled a mere procession of boats from township to township, with rivalries being settled out of sight of the crowds who would assemble to greet their male relatives from more distant communities.

五月三日(木)憲法記念日。朝日新聞が一面トップで論説委員・若宮啓文君の「提言−日本の新戦略 憲法60 年」という護憲論を載せ、更に前代未聞で本日社説21本掲 載し「さあ、ページをめくってください」と若宮君は持論締めくくったが「国際衛星版は紙面の関係で社説掲載は四日になります」だ(笑)。憲法に関する社説 を憲法記念日に載せずにどうしよう、と言うのか。昨日の朝日によれば憲法改正を必要が58%、必要ないが27%、とくに20代の若輩どもは78%が改憲で 不要は13%しかおらず。70代でようやく改憲派と護憲派が拮抗(40:36)。改憲が必要な理由は「新しい権利や制度を盛り込むべき」が9割で9条改正 についても(40代以上と対照的に)改正に危機感もなし。戦前を知る世代が改憲に懐疑的なのが興味深いが、その日の朝日の投稿にも横浜の69歳の男性が 「繁栄と平和は9条が支えた」と気骨ある意見を載せており、それを読んでいたら「私の祖父喜重郎は、終戦直後、首相の任にあり」とあり、思わずのけ反った が、投稿者の名前をみれば「幣原さん」で幣原喜重郎のお孫さんであった。終戦後の同じ保守党の政治家の孫でも何処かの首相とは大違い。というわけで本日、 左目はいぜん充血と目脂ひどし。こんな日にかぎって終日、パソコンと睨めっこ。
▼成田屋の紫綬褒章受章につき松竹のメール曰く「市川團十郎が、平成19年度春の褒章で紫綬褒章を受章されることになり、歌舞伎座で記者会見を行いまし た」。故永山会長以来相変わらず敬語の使い方のおかしいのが松竹歌舞伎。松竹に帰属する役者だから、と成田屋を敬称つけず、でありながら「受賞される」と 尊敬表現。本来「市川團十郎丈が……受章される」か「市川團十郎が……受章することとなり」が自然だと思うのだが。
▼マカオでの警官による対デモ対威嚇射撃について。警察側はデモに巻き込まれ路上に転倒の市民あり安全確保の制御のためと威嚇射撃が状況上止むを得ないと いう判断をばしていたが、この混乱のなか路上に倒れた老婆(この直後に警官は発砲)はマスコミの取材に対して「サンダルが脱げたんでサンダルを拾っただ け」と答え擦り傷一つなし。警察側は混乱した状況で警官の判断の誤謬も致し方ないとするが現場にいた市民は口を揃え警官の威嚇射撃で現場が混乱したと指 摘。陶傑氏は蘋果日報の連載随筆で、この威嚇射撃の銃弾を300m先で偶然に受け入院した男性について病院側がこの男性の体内に「飛行性のある金属片」が 見つかった、と述べ、けして「銃弾」とせぬところが言語の政治性だと指摘。御意。

五月二日(水)左目の充血と痛みひどく養和病院で医師の診断受ける。点眼薬で赤目のものの他に「抗生物質の点 眼薬」までくれる。香港の抗生物質漬けは今更驚かぬが点眼薬まで抗生物質系をくれようとは……。浣腸とかも抗生物質入り、とかあるのかしら。昼 にちょっと用事で訪れた中環のビルからStar Ferryの旧波止場がすっかり解体されたのを見た。あれだけ「携帯で写真撮影は邪道」といっていたが時には便利、でしかも写り具合は悪くない。
▼晩に久々にNHKのNW9を見る。やはりキャスター「会津の男」柳澤某が可笑しい。今晩は米国総統選挙で民主党候補として小浜君がヒラリー女史抑え支持 率トップに、というニュース。かなり現地からの画像も入れて時間をかけた内容。これについて柳澤某曰く「オバマ候補が支持率トップといってもアメリカで支 持率を出す大きなマスコミが4つあるんですが、そのうちのたった1つですからね。それにまだ大統領選挙は来年の11月ですし」と。コメントとしては的確か もしれないが「アンタはコメンテーターじゃなくてキャスターなんだよ」と言いたいところ。自局がまとめた報道について、このまるで冷や水を浴びせるコメン ト……またプロデューサーが「柳沢の野郎……」と怒っていそう。同じNW9で「丸の内で音楽祭」を紹介。ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」なるGWに 合わせた音楽祭で主催は東京国際フォーラム。で今年のテーマは「民族のハーモニー」だ そうで、なんでフランスのどこだかの港町で10年くらい前に始まった奇抜で気軽な音楽祭の物真似企画で「民族のハーモニー」なのか怪訝に思ったが、調べて みるとやはり音楽祭実行委員会の名誉委員長は都知事(笑)。西欧音楽での民族主義とは19世紀末から20世紀初頭にかけてのチャイコフスキーやスメタナと かの所謂、国民楽派ってやつでしょう。それがどう奇抜であるべき「熱狂の日」のコンサートに反映されているのか。しかもモーツァルトの生誕250年まで組 み込んで……。根本的に何も考えていない、か。
▼昨日のマカオでの労働者デモに対する警官の威嚇発砲がかなり話題に。その宙に向けた威嚇発砲を「向天鳴槍」なんて漢語で表わされているのにうっとりして いる場合ではない。この威嚇射撃で銃弾が放物線を描き300m先でバイクを運転していた男性の肩にめり込んだのだ。信報社説は澳門のこの騒動について、香 港が70年代の経済成長を受け80年代に製造業の中国内地への移転、香港の金融とサービス業への産業構造変化を経た(経ざるを得なかった)のに対して、澳 門も本来はカジノ収益がGDPの7割を占めるのだから産業構造の変化は容易い筈なのに過去八年、特区政府は澳門経済の多極化に対応せず、カジノ産業とその ためのインフラ整備=土建という企業にとっての利潤獲得ばかりで(香港の場合、80年代の産業構造変化でコスト高=利潤ばかりがけして高くない社会の到来 は必然であった)、土建業にいたっては内地からの不法就労者を雇用するなど、このような状態で澳門市民、労働者の不満が高まるのは必然、と。御意。マカオ の銀行による北朝鮮の裏金操作について米国政府が暴露、抗議したのも実はマカオのカジノ産業が本場ラスベガスをも営業額で抜いたことに対する米国政府の 「強い関心」の表れ、とこの社説は述べている(興味深い)。いずれにせよマカオがカジノ依存の経済構造の体質の改善を検討すべき時が到来、と指摘。ところ で、朝日新聞はこのマカオでのデモと警察による鎮圧を写真記事にしているのだが「警官隊は威嚇の発砲をしたが、けが人は出なかった模様」とキャプション入 り。「けが人が出なかった」が警察によるデモ鎮圧全体によるものなのか、発砲での直接の怪我人に言及したものなのか文章からは不明だが、いずれにせよ昨日 の晩の報道から、デモで怪我人が出ていること、この発砲による銃弾で怪我をしたとされる男性が入院、と報道されていたわけで「けが人は出なかった模様」は あまりにも呑気。誰が何処まで事実確認して記事にしているのかしら。

五 月朔日(火)労働節。マカオでは最低賃金など求めるデモ隊が警察と衝突。警察の異常な警戒と暴力。宙に向け発砲数弾まであり。99年の返還から「安定」強 調してきたマカオだが空前のカジノ好景気も儲かるのはマカオ支配する上層ばかり、と 行政長官・何厚鏵君名指しでここまでの批判、初めて目にする。マカオの警察というと黒社会対策の印象強いが最近は黒社会もすっかり沈んでしまい、いつの間 にか政府批難には敏感、で中国らしさ、か。胃痛どうにか収まったかと思えば今度は左目充血ひどく眼球がゴロゴロ感。昼前にZ嬢と裏山を一時間半ほど足早に 歩く。休日だというのに午後野良仕事済ます。早晩に自宅で今年初めての枝豆&麦酒。餃子など食す。目を休めるべく早寝。
▼自民党の改憲への勢い。舛添要一参院議員は「憲法は国民を守るもの」という立憲主義の精神の、自民党内での認識不足を指摘する。立憲主義の認識が戦後の 日本で薄れた理由は、一つはフランス革命のように「自分たちで権利を勝ち取る」経験と認識の欠如、もう一つは政権交代がないこと。国家観や価値観が合わな い政党が権力を握った時のことをどこまで想定しているのか、と。

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