乾 坤容我静 名利任人忙
(旧)教育基本法(1947〜2006) 憲法改正反対(九 条の会こちら

また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。ヨ ハネによる福音書8章32節)

メ ディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味で はコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意 識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディ アの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。(佐藤卓己)

■ 富柏村の一連の写真画像はこちらで ご覧になれます。
■ 「はてな」の富柏村日剰・香港日記(テキストのみ)はこ ちらを ご覧 ください。
■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日記を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。
■香港の高級紙「蘋果日報」からの紙面、寫眞の無斷借用多し。同紙社主・黎智英氏自ら同紙の無斷借用轉用大歡迎と公言ゆゑ、それに甘えてをります。
 2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。


六月朔日(月)の朝日新聞(文化面)に「六四」天安門から廿周年で香港のヴェテランジャーナリスト李怡氏の寄稿「記憶在反抗遺志」あり。富柏村の拙譯。ご 高覧請ふ。

五月卅一日(日)朝七時半に港鐵の坑口站にアタシ含め六名で集まりミニバスで西貢、タクシ自動車雇ひ北潭涌。MacLehoseトレイルの1&2を上り坂 は歩き、それ以外は走りで20数kmのトレイルラン。健脚揃ひ に加はるアタシも怖いもの知らず。天気予報は最高気温摂氏卅一度と伝へたが幸ひ高温にならず快適。たゞ最初の走りの10kmがかなり堪へ左膝にかなりの負 担感あり。さく/\っと赤柱まで来て「最初走つたからもう充分でせう」といふ多数意見で小舟雇ひ黄石の波止場まで高速船でひとつ飛び。バスで西貢。全記海鮮菜館(海鮮街五十三號の方)に食す。小ぶりの石班魚がかなり美 味。麦酒大いに飲む。競馬は本日が今季重賞レース最後のCharter Cupあり。一番人気はCollection(閒話一句)だが2400mには果たして耐へるか、とトレイルで山道上りつゝつれ/\考へた結果、Viva Pataca(爆冷 )だろう、と。06、07年のこのチャーターカップ制し昨年こそPacking Winnerに負け2位だし流石に国際G1となると辛きところあれ(4月のQE II Cupは二着)7歳で地場G1なら2400mで果たして強敵がゐようかしら(と結果、勝つたから何でも言へるのだが)。で西貢の場外で馬券購ふ。帰宅の途 中、ジムで一浴し携帯で競馬の結果聞けばViva Patacaが首差でCollection破り二年ぶり三度目!のCharter Cup制覇はお見事。帰宅してドライマティーニ二杯。BCCのChannel-3でやけにハイドン流れると思へばハイドン二百年忌の由。Z嬢が街市の贔屓の八百 屋で勧められた玉蜀黍茹でて食すと確かに美味。茹でる際に皮を剥ききつてしまふと風味が抜けるので最後の薄皮一枚は剥がさずに蒸せ、と八百屋の主人の話。 確かに。メロンと生ハム、チーズ。Z嬢の煮た白豆など食し智利の白葡萄酒 Concha y ToroのTrio Reservaの08年飲む。斯須まへのSCMP紙のワイン特集で香港でHK$100以下のワインで白では断トツに評価高き品がこれ。超級市場 Wellcomeで取り扱ひ。さすがにトレイルランの疲れと酒の酔ひで食後の記憶朦朧。

五月卅日(土)明空。午前中少し走りジム。昼にZ嬢と尖沙咀の韓国料理「豊園」に食す。午後から快晴。だが汗をかくほど暑からず、米国カリフォリニア州の 如し。午後に打合せ一つ。請け合ひ仕事のゲラ確認の要あり銅鑼湾の日本人倶楽部のラウンジがWi-Fiあり其処で済ます。中 環。HMW でキーシンのピアノでアシュケナージ指揮、フィルハーモニア楽団のプロコフィエフのピアノ協奏曲2、3番のライブ(08年)のCD、日本のアマゾンで今月 25日だつたかの発売の先行予約で3,000円がHK$99とお買い得。一緒にアルゲリッチの1967年の録音で同曲とラヴェルのピアノ協奏曲ト長調はア バド指揮の伯林フィル、と「夜のガスパール」の1枚、それにiTuneではすでにダウンロードして所有してはゐるが「やっぱりCDで欲しい」は Gustavo Dudamel指揮でSBYOV演奏のマーラーの5番。FCCで香港に長く住まはれた写真家Robin Adshead(1934 - 2005)の60〜70年代の香港の風景写真展あり。それを観る。来港中の和仁廉夫さんがバーに来られSanta CarolinaのSau Bl を結局、一本飲み干したくらゐ歓談。和仁さんから聞く話がとても面白い。来客あり帰宅して「おでん」煮て食す。
▼先日読了の堀田兵衞さんの『上海にて』より断章。
(日本の中國侵掠について)「……中國戰線は、點と線だといふけれ ど、點と線どころか、こりや日本は、とにかく根本的にぜーんぶ間違つてゐるんぢやないかな。この廣い、無限永遠な中國とその人民を、とにもかくにも日本か ら海を越えてやつて來て、あの天皇なんてものでもつて支配出來るなどゝ考へるといふのは、そも/\哲學的に、第一間違ひではないかな。」
(都會の魅力について)都會の魅力、あるいは神祕は、必ずといつて いゝほどに住民のある部分がまつたく非生産的な、ひよつとして公けの保護を得られないかもしれないやうなことに從事してゐること、それから、要するに社會 から放つたらかされてどん底の暮しをしてゐること、などゝ斬りはなしがたい關係があるのである。
(終戰勅語について)しかし、あのとき天皇はなんと挨拶したか。負け たとも降伏したとも言はぬといふのもそも/\不審であつたが、これらの協力者(アヂアの親日協力者のこと……富柏村注)に 對して、遺憾丿意ヲ表セサルヲ得ス、といふ、この嫌味な二重否定、それつきりであつた。その餘は、おれが、おれが、おのれの忠良なる臣民が、それが可愛 い、といふだけのことである。その薄情さ加減、エゴイズム、それが若い私の躯にこたへた。

五月廿九日(金)眠つていたら薄ら寒く目覚める。朝の気温は摂氏廿一度。陋宅は谷風あり更に寒し。五月末と思へば平年なら暑さで湿気が肌につき汗ばみ、と 不愉快なところ初夏の高原の早朝の如し。新型インフルエンザ対策より異常気象対策を。日暮れに帰宅してドライマティーニ二杯。午後から脇腹の神経に痛みが走 つたが帰宅して一杯ひつかけると痛みも失せるから。さう/\、春に悩まされた蕁麻疹は五月初旬に診察受ける病院替へて貰つた薬が効いたやうで爾来時々少し 痒みがあるくらゐ。ジャレド=ダイアモンド『銃・病原菌・鉄』上巻を半分ほど再読。
▼1989年の天安門前広場より民主化要求学生領袖救出の黄雀行動(イエローバード作戦)につき未だ全貌明らかにならぬところ陣頭指揮とつた「六哥」陳達 鉦が昨日、梅艷芳(アニタ=ムイ)ら芸人の具体名を挙げ、資金拠出も含め当時の絶大なる支援に感謝の意を表す。救出された学生領袖が海外で「それなりに豊 かな老後」の日々送るのに対しアタシが気になるは天安門広場に取り残された学生ら、の「その後」。
▼新型流感の罹者一人が通学の観塘の中学を香港政府が感染防止で二週間の休校措置。そのうえ二次感染もないのに学生一人一人にタミフル配るキチガイ沙汰。 香港ではタミフルの薬害は殆ど問題視されず。新型流感の二次感染よか服薬必要もなき者のタミフル禍の方がよつぽど心配。
▼香港行政会議のメンバーで保守派の雄、土地鑑定師から成り上がりの梁振英が董事会主席務める香港城市大学の法学部主催のセミナーで、中国の政治的安定に つき土地所有権や再開発絡みの当局と住民の紛糾騒動目立つこと取り上げ「司法人員是社会公義的最後希望」ゆゑ香港の法律学ぶ駿材も香港の法治の規律会得せ ば将来は大陸内地にて法律業務に携わり更に中国と香港の発展に寄与するやう、と述べる(信報)。「司法人員是社会公義的最後希望」つて、そりゃその通りだ が、それよか三権分立もなく司法が党政府の思ひのまゝぢゃ司法も「社会公義的最後希望」になれまひに。

陰暦五月初五。端午節。こゝ数年はずつと石硤尾は南山村の嘉湖と鏞記の手軽vs豪華な粽をそれぞれ賞味してゐたが今年はバタ/\するうちに粽も購はず。少 し宿酔。午前中はPCCWの職員来るを待ち机に凭り書事済ます。ブロードバンドが二日前にプツンと断線。30Mbpsになつてから交換機の不良で已 に一度取換へ。交換機がやけに熱く翌朝には回復したが。で来宅の職員曰く不良の多い交換機なので取換へませう、と持参の交換機を据えていく。ネットで簡易 測定すると下りが28.2Mbpsで上りが8.95Mbps、でまぁ悪くない。ジャスコが棚卸し前の安売りださうで恵比寿麦酒が6缶でHK$39.9がさ らに1割引。麦酒1缶が72円。楽天最安値でケース買いで1缶228円。三分の一以下なのだ。飲まずにいられやうか、で晩は恵比寿の黒とラガーでハーフ& ハーフ。韮と大根おろしで豚の鍋。
▼NHKのNW9のインフルエンザ報道。早々と「秋以降の流行に照準を合わせ」とパリコレか(笑)。「これまで6時間かかつた測定が30分で、の測定方 法」つて「それだけ」のことだが理化学研究所の専門家の話も含めウイルスを特殊な薬品で分解し……とテレビの前のトーシロー相手に全く意味不明の説明を5 分間。上手くいけば冬のインフルエンザ流行の前にこのA型の測定が迅速にできるやうに、つて復た最新型の異質のインフルエンザが出たら、どうするのかし ら。
▼今日の東京新聞に「現在はアメリカ系の金融機関の台湾責任者を務める」ウアルカイシ君のインタビューあり。
今の学生は現実的で物質的。一般人民も民主よりも金もうけに関心が ある。しかし、金もうけに関心がある人は必ず民主に関心を持つ。人々は『中国に民主はいらない』と発言する一方で、個人の発展や公平な環境を追求してい る。これが民主と知らないだけだ。20年前に比べて希望をもっている。
といつた発言だつた由。真つ当だが「亡命して米系銀行から台湾に遣られた人 に言はれたくはないよ」か。だが「シンガポール的には」よりよい生活と自己実現は「政治的リスクのある」民主主義とは異なるやも知れず。高度管理の「行き 届いた」シンガポールは誰も殺されず(強いていへば麻薬の賣人以外は、反政府主義者だつてしても!)幸福に生きていける。かうあるべき、といふ「正常」な 状態が作られ国民を「正常」な方向へ生かし、そのために「正常でない」個人を排除する力学=フーコーの言ふ「生権力」の世界か。
▼作家の中島梓女史逝去。享年56歳。栗本薫の名での『ぼくらの時代』がもう30年以上も前の作品となつたとは。その頃にこの人が同書のあとがきにでも書 いてゐたからか森茉莉の『恋人たちの森』など読んだことふと思ひ出す。

五月廿七日(水)ようやく雨が歇む。睡眠薬で熟睡できたか目覚め爽快。依存症にならないやうに。諸事忙殺され晩に旧知S氏よりの招飲受けHappy Valleyの寿司澄。いろ/\美味いが平目の縁がわを海苔で巻く、なんて昔はなかつたが最近の好物。再びの甚雨。S氏と款語尽きず銅鑼湾に往きバーBに 飲み深更に至る。
▼讀賣新聞に「天安門事件20年の中国」として現代中国研究の楊中美氏(法政大学)と矢吹晋先生がそれぞれ語る。後者は読み方によつては「当局が強硬策に 出たのは仕方なかった」と事件そのものを擁護する発言と解す向きもあらう、がアタシは矢吹先生がそこまで、とは読めず、それでも先生の発言に釈然とせぬも のがあつたが、よく/\読んでみると讀賣の紙面では発言が
1 当局が強硬策に出たのは仕方なかった。
2 党内が改革派と保守派にわかれており民主化運動を収拾できずに いた。
3 無政府状態となっていた。
4 最終的にあのような惨事に立ち至った。
5 しかし解放軍動員は間違い。警察でじゅうぶん対処できた。
となる。これがもし
2 党内が改革派と保守派にわかれており民主化運動を収拾できずに いた。
3 無政府状態となっていた。
1'  保守派を抑える意味でも何らかの強硬的な沈静化策は必要だった。  
5 しかし解放軍動員は間違い。警察でじゅうぶん対処できた。
4 最終的にあのような惨事に立ち至った。
なら、すんなり理解できるところ。聞き書きであらうし。大切なのは矢吹先生の言はれる「一つでも既定の見解を覆せば、見直しの動きがドミノ式に広がるとの 懸念」。胡耀邦、趙紫陽の名誉回復が「二〇年を経ても」さう易々と出来ぬ現実の問題の大きさ。築地のH君曰く、歳の順に鄧小平が胡耀邦より先に死んでいた らだうだつたか、趙紫陽も生きてゐれば「チェコの山奥で森番をしていたドプチェクがヴァーツラフ広場の大群衆に歓呼で迎へられたやうな」劇的な場面を空 想、と。中国は国家の規模が大き過ぎ「改革派」も乾坤一擲の大勝負に出られず、孫文でさへ、結局、現実的に治国は袁世凱に譲つたのも「現実感覚」がありす ぎて自縄自縛。毛澤東が中国史上真に偉大なのは、その種の現実感覚がなかつたからでは?とH君。御意。毛澤東に凡人的な冷静さなどあらば長征も大躍進も文 革も出来るはずもなし。

五月廿六日(火)気まぐれに降る雨も午後には歇み久々の夕暮れ空にご祝儀と俄然、白葡萄酒が飲みたく陋宅に買い置き切れてをり帰りがけ超級市場に立ち寄れ ば冷蔵庫のやうに冷房のきいた店内で白葡萄酒はみんな飲みごろ(笑)。Jacob's Creekは日本でも1,000円ワインの定番の一つ だらうがリースリング(08年)二本でHK$155、って一本900円くらひ。南半球の葡萄酒は香港の税撤廃もあり確実にお手頃。それを飲みながらチョー トク先生のブログ読めば西班牙はマラガ旅行中の、それもモスクワ経由(笑)のチョートク先生、
パワーブックのACアダプターのショートで、使えなくなりました。 小さい町、マラガでアダプターを捜索するより、ピカソミュージアムで傑作を見ている方が時間の使い方としては有効と思います。よって、日記の更新は日曜の 昼に東京に到着してからになります。メール連絡もできませんので、関係方面にはご不便をおかけします。もうバッテリーの残量がないので、これが最後の通信 です。
って羨ましいこの最後の伝令。最後の伝令、って(筒井康隆のぢゃございませんよ)エノケンの芝居、昭和6年のがありました。菊谷榮の原作。でチョートク先 生のマラガ日記、同じEpson R-D1sなのにさすがプロ。こ の写真なんて、もういけません、見事すぎ。まるで自分が5月の陽光眩しいマラガにゐるやうな気分で冷たいリースリング飲みすつかり日暮れ前に酔 ふ。夕食後あまり記憶なく二更のうちに寝臥。が半夜三更に番号非表示で来電、それですつかり目覚めてしまい今ごろ“Monocle”三月号読み睡眠薬服し 二度寝。“Monocle”三月号は陽気なメキシコ特集。このあと墨西哥流感が流行ろうとは。
▼新型インフルエンザの「騒ぎ」終息宣言した、と思へば北朝鮮の核実験。新型インフルエンザが超微弱毒性なら北朝鮮の核実験ほど安全なものは他になし。隅 田川の納涼花火の方が打ち上げで火傷など怪我多し。そも/\絶対に日本や韓国といつた友好国に核爆弾をば放ずるはづもなし。かつての米ソ冷戦のやうなも の。新型インフルエンザといへばNHKはNW9で関西の「影響を受けた経済をだう立て直すか」と。必要以上に不安感煽つた加害者の分際で何を言ふ。燐寸ポ ンプポンプ。おバカなキャスターが「この一ヶ月の教訓を今後に活かしていくのが大切です」と宣ふが一ヶ月の教訓を今後に活かすべきは自分たちが「バカな煽動報道せぬこと」だらうに。
▼蘋果日報に「年年教六四 民主星火不滅 執教17載 張銳輝孜孜不倦國情教育」という記事あり。二十年前に香港大学の学生寮・太古堂の寮生会の会長が数名の同級生と寮の前の路上に「冷血屠城烈士英魂不朽誓殲 豺狼民主星火不滅」と揮筆疾書。この寮生会会長は大学卒業後、中学教師となり半ば公立の保良局李城壁中学で教鞭執ること十七年。香港大学では一九八九年以 来、学生有志がこの路上への揮毫続け今日に至る。この教師は在籍校でも学生に六四につき語ること続け学校長も保護者も是々非々なる観の由。日本でなら殊に 東京都教育庁下の教員なら職権乱用の偏向教師のレッテル貼られ教育委員会の指導入り所属校校長も訓告処分、だらうが「自由の都市」香港では処分もなし。蘋 果日報の取材に何人かの教え子が実名に写真入りで六四について、それを学ぶことについて語る。だう考えるか、は別にして現代史と政治を学ぶことの重要の実 績。思考力も判断力もなくおバカに育つよか真っ当だらう。
▼築地のH君と<近代の矜恃>について語る。H君が、先日アタシが日剰に綴つた八九年六四での運動家国外逃亡への公安武警の幇助につきH君曰く中国には 「政府の統治する次元と別な次元の「公」という感覚があるんでしょう」と。伝統的思考の中のアナーキズム的な要素。中国が一党独裁であつても少なくとも近 代革命(あるいは毛沢東の農民蜂起かも知れぬが)を経ている証左かしら。さう考へると近代革命を経てをらぬ場合、泰国やブータンのやうに名君に縋るか、ア ラブの首長国のやうに王族が全てを支配するか、近代国家といふ意味ではシンガポールモデル?と考へたがシンガポールの規模だから強権的な政府支配が能ふわ けで日本の規模では無理な話、とH君に言へばH君曰く、日本で提唱される「道州制」っていうのは、これがねらひかもしれません、と。地方を切り捨てて東京 圏、大阪圏、名古屋圏が濃密な高度管理社会を築き、その他の地方は人材やら近郊野菜やらを供出する、それが日本の生き残り策。民主党の松下政経塾系等がい かにも考へそうな発想なり。

五月廿五日(月)先考誕生日。存命なら喜壽。本来なら生前に膝下に伺侍し報恩べきところ何ら返すこともなく忸怩の念ばかり。数日の甚雨が小雨となるが未だ 歇まず。誕生日といへば、と話題は孝恩から下世話になるが、銀行やクレジットカード会社から誕生月に届くお祝ひ、かつては数百ドルの商品券であつたり二時 間のフェイシャルトリートメントであつたりしたものが、こゝ数年は指定の食肆、ケーキ屋等でこれ/\お食事になり買物されゝばこの特典あり、とお祝いどこ ろか消費促進。こんなもの祝ひにならぬ失礼甚だしと送り返し事もあり。
▼先週末に香港で開催の何だか経済フォーラムで(クラグマン教授も参加かしら)で北京大学のMBAの院長が「上海が中国の紐育なら香港はシカゴ」と語り、 その場にあつた香港政府の小役人(財経事務及庫務局局長)がせめて一矢報ひやうと「上海が紐育なら香港は中国の倫敦」と応へた由。第三者がこの言ひ争ひ聞 けば、長野と松本、静岡と浜松の如き地方都市の筆頭争ひの如し、か。信報は今日の社説「應由 市場決定誰是國際金融中心」で
市包括上海可比,因此天津乘着渤海經濟區起飛,而其市長戴相龍又曾 經當過人民銀行行長,各項條件俱在,天津於是也積極籌建國際金融中心。但是,一國之內,又怎可能會出現幾個國際金融中心?
香港的金融中心地位,是百多年來經市場考驗、受過不同年代金融風暴 衝擊而幸存下來的成果,雖然在中國內地開放之前,香港得天獨厚獨家經營對中國的業務,但北京從來沒有指定香港要成為金融中心,表面上看,中國曾經給予香港 「優惠政策」包括安排幾家大型國有金融機構來港上市,但事實上在九十年代內地要進行金融改革、把國有銀行改造上市,除了香港股市為其效勞,還有其他更好的 選擇嗎?當年中國銀行申請在紐約掛牌時,就受到監管機構多番追查、層層審核,最後被迫打退堂鼓。三家大型國有銀行成功上市,香港市場為它們籌集了以千億計 的資金,一夜之間把瀕於崩潰的國有金融機構化身為市值最高的幾家銀行,試問中國能在其他地方找到這樣運用自如的金融市場嗎?
と述べ「北京中央が何故に上海を中国唯一の国際金融センターにしたいか、といへば、その理由の一つは香港の政治的環境=民主化の動きを北京が掌握できぬジ レンマあり、中国が香港に匹敵する「自分たちの」国際金融センターをば建設したいのだらう」と指摘。だが国際金融の中心地となるには金融ばかりか政治の安 定や法治といつたリスクあるわけで、それが果たして何処まで理解されているか、いづれにせよ中央政府の上海の金融都市化への加担は積極的で、それがある限 り香港は公平な競争は出来まひ、と述べる。この社説に加へ林行止専欄も「監管稍嫌不足 香港排名降級」と題して香港が国際金融センターとしての地位を維持しやうといふ時に香港金融管理局(HKMA)の任総を襲ふ総裁人事問題は、この総裁の地 位にあつたジョセフ=ヤムが本来、後継者育てるべきところ英国人やマレー華僑だの、つまり専ら自らを襲う危険性少なき部外者で脇を固めた安直さを指摘、で 出来レースで選ばれるであらう後任の陳德霖では経験不足でとても香港金融の世界的な地位など維持できまひ、と冷静な林行止にしては辛辣なる指摘あり。
▼も一つ信報より。馬國明「六四屠城與經濟發展的謬誤」。先日、自称政治家・文革曽行政長官が立法会にて六四平反について問はれ「中国のその後の経済発展 と社会安定を鑑みれば」と応へたことにつき、馬氏の指摘は、一九八九年当時、六四民主化以前の党政府は官僚の腐敗ひどく民衆の不満が増し改革派の領袖たる 胡耀邦失脚と逝去あり。鄧小平とて当時は陳雲、李先念ら改革に懐疑的な元老らと対峙し胡耀邦更迭に加へ天安門での対応不良理由に趙紫陽をも切ることで反改 革派に靡き、どうにか鄧小平が報ひたのは一九九二年の南巡講話でせう、と指摘。南巡は北京で巻き返しのきかぬ鄧小平による都離れての政変。直接、地方官僚 や末端幹部に訴へ北京へ巻き返し。それが成功しての今日の経済発展、と思へば天安門事件平定=その後の経済成長と安定に非ず、と。

陰暦五月初一。多雲惨澹、甚雨不歇。机に凭り書事了はぬ内に昼に至る。龍井茶淹れ「とらや」の羊羹一切れと日本橋錦豊琳なる店の「かりんとう」頬張る。午 後遅く北角で整体。早晩に佐敦でZ嬢と待ち合わせ佐敦咖喱屋に食す。食後、寧波街明記甜店に路上で芝麻糊頬張り飼ひ猫と戯る。油麻地まで雨のなか漫ろ歩 きCinematique に今晩は許鞍華監督の『天水圍的夜與霧』観る。任達華が演ずるは職に溢れ活保護受け天水圍の団地の用水路で魚釣りするだけの中年男。すぐにキレて若妻や 双子の幼い娘にまで乱暴狼藉。張靜初がその男の健気な後妻役。四川省から深圳に集団就職の職工転じて私娼となり客の香港男の妾のはずが身篭り本妻に。これ で天水圍で幸せに暮せれば良いが夫の暴力と狂気は日に日に非道くなるが妻は香港の永住権なく生活保護も受けられず、の悲劇は惨劇的結末へ。家庭崩壊だの社 会問題が目立つた典型的な郊外の団地・天水圍が舞台。家庭内暴力といふ「ケースが多様で、だう解決できるの?」といふテーマだがソーシャルワークの不備や 警察の杜撰な対応など問題指摘の社会派映画。
▼日本橋にキンホウリンなんて花林糖あつたかしら?と思つたら東京驛地下街で評判のかりんとう屋の由。この菓子屋、丸井スズキなる菓子卸業による出店。会社は確かに明治31年に日本橋 小伝馬町で創業の金平糖の製造卸、だが戦後に小伝馬町から昔なら千住から放水路越へた梅島村=現・足立区南花畑に移り(確かに錦豊琳の会社住所は日本橋小 伝馬町だが)一昨年この東京驛の売店でのかりんとう販売開始で「日本橋」とはよく言つたもの。この錦豊琳は「にしきほうりん」と読むさうな。錦松梅だつて 「にしきしょうばい」ぢゃなくて「キンショウバイ」、どうしても訓読みなら「にしき、まつ、うめ」で錦豊琳を「にしきほうりん」と読ませることに、「和 民」が経営者の渡海氏の名に因むとはいへ「人が和む」意で「和民」と名づけ「わみん」或いは「かずたみ」ぢゃなく「わたみ」と読ませるやうな語呂の不安 定感ぢるのはアタシだけかしら。「にしきほうりん」が赦されるのは林道栄(はやし どうえい)とか、江戸の書家か漢学者か姓は「にしき」で名が「ほうりん」くらいだらう。アタシには普通のかりんとうとしか思へぬが当たると売れるから商売 は不思議。

五月廿三日(土)終日、甚雨。昼過ぎまでジムでランニングと筋力運動。午後、陋宅にてブルックナーの7番、8番聴く。Z嬢と夕方、油麻地。 Cinematiqueで陸川監督の『南京!南京!』観る。陸川監 督は数年前の香港映画祭で『可 可西里』観て以来。これを観ようと思つたのも辛 辣な評論の陶傑さんが題名をなぜ一言『南京』とせず『南京!南京!』なのか、魯迅の名句「院子裏有兩株樹,一株是棗樹,另一株也是棗樹」をなぜ「兩株都是 棗樹」と済ませないのか、と非難せぬ文人趣味に大陸の映画人は陥つてゐるか、と指摘した以外はこの映画を「正戯」と讃めたゆゑ。日本軍が南京占領後「公式 には」国民党の残党兵のみ報復戦恐れ虐殺し(実際にはこれも国際法上赦されぬのだが)それを除く平民は処刑対象となつてをらぬ点、慰安婦も原則は強姦に非 ず金銭による買春であり日本と朝鮮の婦女も慰安婦とされたこと、の二点を挙げ、中国のこのての作品だと必ずエンディングロールで「日寇南京屠我軍民人數: 300,000,血海深仇,我們世代不能忘記」といつたメッセージが出る作風とせず南京を淡々と描いた点を評価。実際に観てみると映画では平民も日本軍兵 士のその場の「臨機応変」でいとも容易く銃殺がいくつもあり、慰安婦もいくら商取引とはいへ避難民区保護を名目に婦女の慰安婦としての拠出求め、エンディ ングロールには確かに「日寇南京屠我軍民人數:300,000……」はないが映画は冒頭で「南京で命を落とした三十萬の同胞に捧ぐ」から始まる。中国での この映画の公開で陸川監督に対する多くの非難は日本軍の中の一人、良心の呵責に悶える憲兵隊長・角川の美化。監督は今日のNew York Timesの記事“Showing the Glimmer of Humanity Amid the Atrocities of War”によれば今回の映画製作にあたり当 時、中国に進駐の日本軍人の手記や資料をかなり集め侵略する側の軍人たちの、実は一般的な当時の日本の若者が、夫であり、それが一旦、戦場に送られると非 道な軍人と化す異常さを描きたかつた、と語る。また陶傑氏も何度か指摘してゐるが日本軍の南京虐殺の蛮行の発端となつたのは国民党政府が易々と南京を放棄 し主要軍隊も南京離れ市民ばかり城内に遺し南京に残留の小規模の国民党軍(この映画では劉燁が隊長)が日本軍相手に戦ひ降参しての日本軍のほゞ無血入城ゆ ゑ(それで日本軍の蛮行は一切赦免されぬが)。この映画はまずその南京政府と自国軍の過失、怯懦を描いたことも中国の愛国的な攘夷派、殊にネット系には 「日本を美化」と映るだらう。個人的にアタシも良く出来た映画、と思ふ。たゞ二時間余の物語で唯一「なんぢゃこりゃ?」は南京陥落奉祝の祝日に日本軍の兵 隊が崩壊の市街を鬼太鼓座のような大太鼓を神輿に担ぎ阿波踊りでも模したか、かなり前衛な踊り行列のお練り。南京で日本軍が奉祝はしただらう、があんな鬼 太鼓座太鼓と晩期の黒澤明監督の演出のような見事な?踊りはなからう。この場面は映画をぶち壊し。しかし陶傑氏はこれを連載で二日にわたり絶賛。
對屠殺淨化之後,就是對日軍的美化了。日軍入城之後,慶功祭祀的一 場大鼓戲,是導演陸川先生全片最精采的畫龍點睛之作:鏡頭多樣,節奏活潑,把日本武士的陽剛之美,刻劃得有如希臘雕塑之神聖。這一場戲,很明顯,是向納粹 德國紀錄片女導演萊芬斯坦致敬。(五月十九日)
還有結局的一場大鼓祭祀戲。這場戲拍得像三十年代納粹女導演萊芬斯 坦的《意志的勝利》。一樣的黑白鏡頭,一樣用陽光重塑武士陽剛的形象,打大鼓的日軍,就像一九三六年柏林世運會出場的德國代表隊,這場戲,讓日本的上一代 看了,一定感動,還會訓斥下一代的日本青少年:看,人家中國人把我們的大和魂展現出來了,照照鏡子,看看你們今日這等萎頓不振的面貌,羞不羞? 這場祭祀戲,是全片的戲眼所在。導演當然知道憤青斷章取義的心理,愛國精神,在前面交足了行貨─劉燁飾演的國軍軍官,從容赴死,帶頭喊「中國萬歲」─以當 時的現實,更有可能是喊「中華民國萬歲」的─這就突出了正氣,封住了許多人的嘴。(五月二十日)
……と、確かにナチスの『オリンピア』的なモノトーンの世界の健全美は見受けられる。が日本人が見て「なんぢゃこりゃ?」ぢゃ、残虐な殺戮場面によつて、 でなく、この陳腐な場面一つで「日本での上映」でミソがつく。日本軍の鬼子と恐れられた残酷な兵隊の戦地の些かな休暇で見せる無邪気さや愛嬌を陸川監督が この映画で描いてみせたことは「勇気」だらう。がこの陳腐な場面こそ「日本軍を美化」と非難されても致し方あるまひ。カットすべき。折しも上海では偶然に も本日、日本人留学生らが企画し日本人向け上映会 開催され陸川監督も来場し意見交換の由。ちなみに日本の某新聞は昨晩は間違ひなく台北にゐた特派員が今 晩、上海からこれを取材して出稿。今日、上海に戻つて午後3時から上映後の午後5時半くらいの談義を取材したしたら激務ご苦労様だけど……。陸川監督曰く
私がこの映画を撮ったのは、中国と日本の戦争として南京大虐殺を取 り上げるのではなく、1人の日本人兵士(角川)を通じ、人類の戦争に対する反省を描こうと思ったからです。戦争にかかわった大多数の日本人は本来、善良な人々だったはずで す。ただ、戦場の中で、理性を失い、自分をコントロールできず、望まないことを起こしてしまった。戦争から逃れる方法は二つだけ。一つは自ら命を絶つか、 戦争に屈服し戦争のための機械となるか。1人の日本人兵士(角川)が葛藤し、自滅の道を選んだのは、善良な人が戦争の中で遭遇した最大の悲哀です。私は、 中国人だけでなく、日本人にもこの映画を見て欲しいと思っています。この映画によって日本人が中国人を理解し、両国民の相互理解につながる一つの架け橋に なればと願っています。みなの友情を深めるための映画になるよう望んでいます。
と。優しい方……このコメントの最後の方は皇族のお言葉みたいな訳になつてゐるが。でも「善良な人が戦場の中で、理性を失い、自分をコントロールできず、 望まないことを起こしてしまった」で赦されてよいか。自殺か服従か、と監督はいふがさうかしら。貧困な家庭から食い扶持得ようと軍人になつた無智(善良、 は誉め過ぎ)な一兵卒ならまだしも、この映画の角川のやうな軍人なら自殺か服従にかぎらず、加藤周一先生ら多くの知識人ですら出来なかつたことだが母国の 天皇担いだ異常な権力集団に対するレジスタンスもあつたはず。いづれにせよ陸川監督の視点もさうだが人民日報のこの映 画紹介なども興味深いところ。映画見終わって大雨のなか中環。市大会堂。法國五月(Le Trench May)でMichael Dalbertoのピアノリサイタル。ふと気づいたが日本語の漢字表記でフランスを仏(仏蘭西)と書くが耶蘇の国に仏様はあるまひ。断然、漢語の 「法」蘭西の方が近代法治と民主主義の謂はば発祥の地、フランスには似合ふ。樋口陽一先生も納得してくれるだらう。『南京!南京!』のアトにピアノはだう よ?と思つたが結果的に素晴らしいピアノ独奏。フォーレの「主題と変奏」嬰ハ短調・作品73と夜想曲(変ニ長調 作品63)。フォーレはふだんほとんど聴かないが美しく崇高。あと十年くらゐすると楽しめるかしら。続いてラヴェルの「夜のガスパール」は今晩の演奏の白 眉。「オンディーヌ」の不安から2曲目の「絞首台」は数時間前の映画のシーンがいくつもあたまを過る。「スカルボ」は圧巻。Michael Dalbertoなるピアニスト、全く知らず、だが「フランスにはこんな名演奏家が何人かいるのね」の世界。この難曲を見事に、そして高い完成度で聴かせ てくれてしまつた。たゞたゞ敬服。中入後はドビュッシーの前奏曲集第2巻。第1巻に比べ退屈で睡魔に襲われると覚悟してゐたが、物語が見えてしまひ、こと に後半の水の精 (...ondine)から花火(...feux d'artifice)秀逸。アンコールはショパンの「舟歌」とバラード1番。シューマンのトロイメライ。雨は歇まず。
▼朝日新聞の「声」欄に「閉口する電話窓口の音声案内」という投稿あり。テープ音声対応への苦情。最後に
先日「英語でのご案内希望の方は2番を押してください」という音声 が日本語で流れたのを聞いた。その必要性に首をかしげる私である。
とあつた。一瞬「日本らしい。さもありなむ」と嗤つたが、これが香港のやうに音声の最初に「広東語は1、普通話は2、英語は3」と、それが全ての言語で流 れ先ず其処で言語選択が出来るなら、広東語での説明が始まったあとに「英語を希望の方は3を」と広東語で言はれゝが然も滑稽。だが最初から日本語での説明 しかない、日本語を解さぬ者には絶対的絶望の世界にあっては「英語」「2」と、それだけでも聞き取れゝば御の字、で「ないよりマシ」だらう。むしろ音声案 内の最初に“For English, please press 2”と伝へる親切の欠如こそ嘆かれるべき。この投稿主も、この日本語での「英語での……」の案内が「ないよりマシ」で必要な事に気づいてゐないかしら。
▼SCMP紙のLai See欄で香港金融管理局の任総につきグリーンスパン議長にこそ(厚遇で)勝つたがノーベル経済学賞のポール=クラグマン教授には負けた、と冷かすは倶楽 部萬教授がジョセフ=ヤム(任総)が経済危機の最中に解決策も見ぬまゝ辞任することに意見求められクラグマン教授曰く「とくに意見はないが自分の学生でヤ ム氏への批判的なレポート書いて出した学生にはAの評価をした記憶がある」と(笑)。
▼交流戦で巨人に大敗の楽天・野村監督、他球団から補強した選手が多い巨人に毒づき「巨人シーフ(泥棒)にはかないかせん。金の力でねじ伏せられるのは腹 が立つ」。御意。
▼朝日新聞の文化面に神里達博氏(東大・科学史)が「マスク着用と世間の目」寄稿。日本の新型インフルエンザ対応についての社会的混乱=他の国に見られぬ 社会的恐怖感につき安倍謹也の「世間」の概念を挙げ、もし感染し感染広めたら、といふ社会的責任や世間の目があるもの、として怖いのは、
一見、粛々と進められている我が国のインフルエンザ対策だが、何か 条件が変った時、我々の集合的な感情が思わぬ方向に向かい、知らないうちに不合理へと逸脱していく懸念も、ゼロではない。従って我々は、自らの心や共同体 の集合的な意識を、時折もう一つのさめた目で見つめ直すことが重要だろう。メディアで繰り返し語られる「冷静な対応」とは、本来、そういうことを指すので はないだろうか。
……と指摘する。言われていることは間違いない、がはつきり言つて「集合的な感情が思わぬ方向に向かい、知らないうちに不合理へと逸脱していく懸念」は 「ゼロではない」どころか「かなり大きい」のであり「自らの心や共同体の集合的な意識を、時折もう一つのさめた目で見つめ直すこと」と仰るが、それが出来 ていたなら社会がこんなことにはなつてをらぬ。「時折もう一つのさめた目で見つめ直すこと」ぢゃ甘い/\。インフルエンザで感染者出した学園へのバッシン グ、田園都市線で「うちの子が感染したら責任をとってくれるのか」の不安、サッカー観戦でマスク着用の義務づけ、インフルエンザばかりかワーキングプアも 社会の諸問題も同根。こんな社会に誰がした、つて我々なのだが根本的に市民革命も経てをらぬまゝ近代化の後果。今更だうにもなるまひ。ふと東大の科学史で 村上陽一郎先生なら今回の新型インフルエンザでの社会の安全不安についてだうコメントされているかしら、と興味深く思ふ。

五月廿二日(金)韓国映画「霜花店」観る。宮廷もの。元朝の支配下の脆弱な高麗王朝。寵臣の警護隊長を愛し同衾する王、元朝より嫁いだ皇后との間に元系の 世継ぎとなる子はなく(以下、あらすじ)王はこの寵臣を自分の身代りに皇后と交はらせ、この寵臣の子なら自分の世継ぎとして幸い、とまで思ふ。が王の命、と皇后と房事済 ませた警護隊長は皇后と恋し合ふ本気となり王の寵愛が忌しい。皇后の弟を担がうとする宮廷内の臣下らの謀反、その粛清、王は寵臣の警護隊長と皇后の淫蕩の 現場を押さえ警護隊長を罰として去勢させ……と物語は実によく練られ歌舞伎の歴史物的な、不条理の宮廷物としてなか/\の面白さ。だがいくつもの殺戮、決 闘の場面で刀が身を貫き血がドピューッばかりは韓国映画らしく甚だ食傷気味。銅鑼湾で某大手IT関連メーカーの香港代表K氏より招飲受け西班牙料理屋に食 す。食後ふらりとバーSに寄ると知己の方が待ち合わせのやうに次々と鳩まり近所のスナックの如し。亦た夫れも佳し。ハイボール一杯。驟雨あり。雨の歇むを 待ち23時過ぎ帰宅。
▼K氏より笑話あり。K氏に某新聞の電話取材あり内容は「アジアの、殊に香港の日本人激減」。悲観的材料並べ日本の経済力の衰退嘆く記事。世界経済がかふ で日本企業の不調など見れば日系企業の海外拠点の規模縮小、ましては中国内地シフトで日系企業の香港依存が縮むのは明らか。中学生でも解る事。ならば記事 にならず。この状況で「香港に日系企業増加!」でもあれば初めてニュース記事になるのでは?とK氏。御意。

陰暦四月廿六日。小満。東都は麹町の一元屋の金鍔いたゞき明 前の龍井茶と一緒に。至福。晩に湾仔の益新美食館。M女史ら 七名で飯局。食前に伊のPlanetaの07年のシャルドネ。NZのDog PointのSau Blの08年、赤は仏はSeguretのMourchonでグランレゼルヴの06年と益新の料理には似合ふChateauneuf de Papeの03年。K経理が料理の出すタイミングまで見事に酒の進み具合に合はせてくれてありがたいかぎり。不景気な御時世ながら楽しく物語り尽きず皇后 大道西のバーHに空眺めつゝ飲む。23時過ぎにはご帰宅。
▼先日は故・趙紫陽氏の口述筆記本出版があつたが内容は「あっと驚く」暴露もなく、だが「出版の事実」だけでも何らかの衝撃はあらう。今日の蘋果日報の六 四の廿周年特集では黄雀行動(イエローバード作戦)について。六四のあと民主化運動の主要ポストにあつた学生らの海外逃亡支援のこの計画。香港などの資産 家が資金援助し海外の諜報機関、中国国内でも党や軍の幹部級の者から蛇頭など不法出国仲介屋、暴力団、香港では有名芸能人までが関はり厳家其、王丹やウア ルカイシ、柴玲など学者や学生運動指導者の出国を介護。だが(ベタな表現で言へば)その実体は謎に包まれ関係者は今日まで具体的な関与や幇助の実際には口 を噤んだまゝ、と。だが凡そ「この人だらう」といふ中核の人物は今更驚かぬが今日の蘋果の特集でも名前も挙がり、逃亡介護者の具体的な人数やルート書かれ た手帳も公開あり。当時、中央戯劇学院の学生で民主化運動に参加の王龍蒙(在台湾)の話によれば北京を脱出し深圳へと向つたが深圳手前の東莞で列車内で武 警の尋問受け「これまで」と覚悟。そこに現れたもう一人の武警が王龍蒙の素性を察し同情したか「自分の同僚だ」と嘘の紹介をして危機一髪で難を逃れ(って 勧進帳か)、列車は深圳についたが国境の警備は厳しく、だが同じく逃亡中の国務院経済体制改革研究所の張剛が王龍蒙をば探し出し、台湾の民主化支援団体が 企画し香港から深圳入りしていた「旅行団」に救われ偽名で加わり、海外逃亡どころか深圳から南京、鄭州、杭州と国内旅行、で福建から雇ひし漁船で台湾へ渡 つた、と。また台湾といへば馬英九総統は1989年当時、国民党政府の行政院研究発展考核委員会の主委と大陸工作會報(現在の行政院大陸委員会)執行秘書 務めており黄雀行動への関与こそ否定しているが馬英九本人も自らのUS$10,000(当時の英九氏の給与三ヶ月分)義捐は認めているもの。
▼丁度20年前の1989年5月21日、香港の『文匯報』に社説はたゞ四文字「痛心疾首」と出る。親中系といふか実質的に中共の新聞に香港とはいへ天安門 広場での民主化運動弾圧への良心の呵責でかう書かれた事への驚き。これにつき今日の信報に先頃北京での拘束から釈放されたジャーナリスト・程翔氏が回顧談 あり。北京が戒厳令敷いた翌日のこの日、文匯報の社説が「痛心疾首」と嘆き百万人の市民が抗議デモ。以下、程氏の回憶によれば、文匯報の社説は全て新華社 (現・中聯辧)の審査経るもので1989年のあの日の社説も例外なし。香港文匯報の社長・李子誦と董事・金堯如は「夫復何言」と「痛心疾首」の2つ用意し 新華社訪れる。新華社(香港)の副社長・張浚生は「こちらの四文字の方が更に人々の気持ちを反映してゐるだらう」と「痛心疾首」を選んだ由。この話は当時 の新華社(香港)の社長・許家屯の回顧録にもあり、許氏によれば文匯報の関係者の多くは「夫復何言」(そも/\もはや何を言はむ哉)の掲載を主張したが許 家屯も 張浚生の選んだ「痛心疾首」(心を痛め首(こうべ)を疾む)に同意したさうな。六四事件のあと李子誦、金堯如の二人を初め十数名の記者が文匯報を辞し李子 誦の主宰で雑誌『當代』発刊となる。

五月廿日(水)読みかけの堀田善衞『上海にて』読了。1959年の初刊本はさすがに読んでをらぬが最初に古本で読んだのが筑摩叢書版(1969年)で、そ のあと筑摩学芸文庫になつたのも読み今回は昨年、集英社文庫で出たもの。同じ本を違ふ版で三度も入手して読み返しも珍しい。いま読んでも善衞さんの活眼ぶ りには驚くばかり。
▼HSBCが銀行預金金利大幅下げ普通預金の年利は0.001%はHK$10萬で年利HK$1は2003年SARS期の一瞬の最低利率以来の低金利。
▼昨夕、去就注目されてゐた香港金融管理局の通称「任総」こと任志剛(Joseph Yam)総裁が国慶節!の十月朔日で総裁辞任発表。香港政庁で金融担当の若きエリートとして頭角現はし30代の80年代にはPEG制(US$1≒ HK$7.8)の実施に携わり、1988年には政庁の外貨準備金を半ば中央銀行的な香港上海豐匯銀行(現HSBC)から政庁の外匯基金管理局に移す一大事 にも従事。ちなみにこの作業は隠密裏に準備されたが、それを唯一見事に見当てたのが「香江第一健筆」の誉れ高き信報の林行止ださうな。でこの88年の年 暮、新界粉嶺の総督別荘に当時のウィルソン総督が「北からの要人」招きポスト1997年の香港金融に関して金融管理局構想を練る重要な会議の席上にもジョ セフ君参加。1991年には外匯基金管理局の局長に就任。1993年には同局が金融管理局(HKMA)となり今日まで総裁。1997年9月に国際通貨基金 (IMF)世銀総会成功させたがアジア通貨危機の洗礼を浴び海外からの香港ドル買ひに300%の高利吹つかけ撃退、翌年には株価低迷にHK$1000億の 外貨資金投入し市場介入で刺激策実施で名を馳せた。が、勢ひはこゝまで。本来は香港政府の一公務員だがHKMAなる政府から独立の牙城に陣取り米国FRB 議長より厚遇の年俸1億円プレーヤー、で誰もこれを引摺り下ろせもせず。信報に時々ある連載は素人経済評の域を出ず。香港返還で誕生したHK$10硬貨も デザインが悪評だがこれは任志剛自身の素人デザインであることを後日、本人が信報の随筆で暴露。2007年には恒生指数が31000ポイントまで上昇した が、昨秋の経済海嘯。各銀行が販売のリーマンブラザース系ファンド商品購入の末端被害者救済に関して強権なるHKMAの立場で銀行管轄が手緩いと世論の批 判浴びHKMAも創設から15年でHK$749億の損失。で退任論浮上。98年には財務司であつた文革曽行政長官、文革曽の腰巾着・現任財務司の曽俊華と は仲違ひ。昨夕の辞任記者会見でも歴代の財務司らへの賛辞に対してこの二人への謝辞もなし。金融財務に長け外貨管理に明るいことから今後、中国人民銀行の 顧問に就任といふ噂もあり。信報は「別了、七點八先生」と題した社説で曰く、もと/\金融政策などなき香港で政庁の財金官員皆英国の銀行から遣られるなか 任志剛が地場の官員としてPEG制での香港ドル安定政策に精通は事実。その香港ドル安定で勿論我々香港の者は恩恵受けたが、このPEG制度下での香港ドル 安定でバブル経済があり崩壊があり香港の株式市場が高騰。で実際にPEG制度で最大の恩恵受けたのは中国内地企業、と社説は指摘。香港での安定した香港ド ルでの資金調達は、そのHK$7.8の変動が中国企業に与へる影響少なからず。今後、PEG制をどうするか、は当然のやうに中国政府の引導あらう、と。 「任総」の傲慢もひどいが後任と噂されるは陳徳霖。HKMAの副総裁も務め任総の薫陶を受けた一人だが文革曽行政長官の子飼ひで、今後はHKMAが元来財 務畑長き文革曽行政長官の意のまゝ、といふ懸念もあり。
▼ノーベル経済学賞のPaul Krugman教授、紐育時報の人気コラムは正直言つて「ブッシュ憎し」頃は面白かつたがブッシュ退任後はイマイチ。最近、北京、上海、広州周り講演会開 催は毎回US$19萬で三ヶ所で計US$57萬の由。プリンストン大学でいくら俸給得ているか知らぬがUS$57萬よか少ないだろう、と蘋果日報で左丁山 氏。Krugman教授もブッシュ様々で悪口も言へまひ。
▼元・第四インターの太田龍氏逝去(1930〜2009年)逝去。革命運動からアイヌ解放、エコロジー、家畜解放、反米や反ユダヤ主義くらゐまでは共鳴す るか、は別にしてまだギリ/\太田龍先生の言ひたい事はわかつたが反ユダヤ主義から人類を支配する爬虫類人説だか何だかになると、もう理解不可能、の革命 バカ一代は収入も安定せず妻が生活支へる清貧で糊口を凌ぐ処世を勝手に想像してゐたが弔報で私事覗き見るのも卑しいが東都は文京区白山のかなりの家屋敷に お住まひの由。

五月十九日(火)夕方遅く迄てつきり今日は月曜の積もりで、火曜と気づき慌てる。晩に帰宅してドライマティーニ。鮪の中落丼を食す。二泊三日の新嘉坡での 食生活は初日の晩にチェーン店での肉骨茶、日曜の昼はホーカーズでの炒飯と炒麺。晩がターフクラブで美味くもないクラブハウスサンドと香港麺=即席麺、で 夜食にパブのナチョス、と実にシンガポール的、と言つたらシンガポール人に怒られやうがマレーが本場の肉骨茶は別にしてホーカーズ系の一品料理も香港の方 が断然美味いのは事実。時間さへあればシンガポールでは「中せい」 (かつての縄寿司のN師傳だ)で寿司を食べたかつた。ここ数日ずつとブラームスの二番と四番を聴く。指揮者のPerry So君がプロコフィエフの五番と並べてブラームスの二番に言及してをり久々に二番を聴き、カラヤン&伯林のCDで同じ一枚に四番もあり。ブラームスの四番 といへば随分と昔だが坂本龍一さんが「交響曲らしい交響曲、例へばブラームスの四番のような、そんなシンフォニーを書きたい」と語つてゐたことふと思ひ出 す。確かに四番はさういふ曲。
▼「インフル対策緩和へ」厚労省、季節性並みに、と今回の新型流感報道では冷静さの目立つ朝日新聞の今朝の一面トップ。その緩和の判断は正確だと思ふが、 それぢゃ今までの騒ぎは何だつたの?。「強毒性の鳥インフルを想定した現在の政府の対策について、今回の新型向けに緩める方向」だ さうで「感染は急速に広がつてゐるが、重症化する恐れは季節性の流感とほゞ同じ程度」の由。つまり普段から「どんな流感でも」突然変異や大流行の可能性が あるから覚悟して対峙してゐなければならず、たゞ「新型だから」といつて大騒ぎするな、といふことだらう。右に掲示のグラフは日本政府の感染症情報セン ターの報告する過去10年のインフルエンザの定点当たりの感染報告数の週別統計。大阪と兵庫で新型の数百名の感染があつても全国的には季節性を含む流感全 体としては新型の感染者数は反映せず流感全体としては例年なみの流行。今回の新型のやうな、地域的にたとへば四、五百人くらゐがかゝる流感など毎年いくつ かあるのでは? 日本では続々とH1N1A型の感染者出てゐるが、日本だから「もしかしたら、これも新型?」と思ふ容疑者が次々ときちんと医師の診断受け 医師もきちんと新型かどうか確認し……と、その真面目さが数字に反映、とか。だうであれ、これほど致死率の低い流感なのに不安が煽られる。どこだかの会社 で、朝の社員一斉のラジオ体操、感染防ぐため社員が中庭に一堂に会せず夫々の部署内で、ってマスクしてまで朝の体操……悲劇的。NHKのNW9では「新型 インフルエンザにかかつた場合、だうすればいいのでせうかっ!」と感染症専門の大学医学部の専門医を尋ね、尋ねる方も尋ねる方だが答へる医者も医者で「ま づ、治すこと」そして「うつさないこと」としてマスクの正しい着用と消毒を説く。もはや喜劇。デパートでマスクした受付嬢が「目元だけでお客様に笑顔を作 るやうに心がけてゐます」だの「声のトーンもいつもより少し高めで」と全く無意味な取材も含め20分もこの新型流感を報道し、結論は「そんなに過敏になる 必要はない、ってことですねっ」と。NHKの報道センターこそワケの解らない病原菌に感染してゐるのでは? 地方の役所の対応とて墨西哥での豚フル発生か ら「わが県の県民はメキシコにどれくらゐゐるんだっぺ?」と知事だか総務部長の鶴の一声で「アジアでも香港で感染があったみたいだし、どうせなら海外に県 民がどれ位ゐるか、調査してみっけ?」で県庁職員が海外の関係機関に次々と電話やメールで問ひ合せ無駄な労力を費やし、次ぎに海外からおらが県への感染に 脅え、今度は国内での感染で教委は修学旅行取消しの苦渋の判断を迫られ……とたゞ/\労力を費やす。通常の季節性流感と変わりない流感不安でこの騒ぎなの だから、鳥流感(致死率63%とか)や致死率の高い新型悪性流感でも流行したら日本はどんな混乱になるのか、と思ふと恐ろしいかぎり。
▼広島の少年院での教官による収容されてゐる少年への性的虐待(朝 日新聞)。被害者の少年の母曰く「明らかに性的虐待でまるで拷問。少年院は大人を信用させて社会復帰を促す施設のはずなのに」。母には辛からう、 が、何らかの社会的規則から逸脱した、とされる冒瀆者を監禁する中での規範の執行者による冒瀆的な言辞 と冒瀆的行為……人に更生を図らせることを意図した 監獄、感化院など収容施設でのかうした狂気は残念ならが今に始まつたことではない。むしろ、さうした「異常」行為があることがフーコー的には理論的には正 しい=行為の善悪にあらず、さうした行為の存在が必然的であることの証左。この母のコメントが「少年院は大人を信用して」でなく「少年院は大人を信用させ て」なのは、さういふ意味で正鵠を得ていよう。
▼蘋果日報の連日の「六四」廿周年特集に昨日の紙面はウアルカイシ氏登場。1989年当時、人民大会堂での首相李鵬との対話にパジャマ姿で現れた李鵬の喋 り遮り言ひたいこと言つて男を上げた印象強いがウアルカイシ本人曰く、あの姿は絶食と疲労で病院に担ぎ込まれ病院の患者用の寝巻きそのまゝだつたもの=意 図的にパジャマ姿で出たわけぢゃない、と説明。当時の自分たち学生の主張は官僚主義の打開、汚職否定や報道の自由、私有化財産等であり、それは今も間違つ ていないと確信するが、政府は経済自由化ばかり進め他の停滞を誤魔化してゐる、と指摘。ウアルカイシ君の指摘は間違つてはゐない、だらうが同じ民主化運動 のリーダーの一人であつた封從徳氏はウアルカイシが李鵬との面談で天安門広場占拠の学生が統率とれておらず混乱状態のやう(強調學生領袖與學運組織的無能為力, 甚至說廣場學生背離民主程序)と 語つたことで、中共中枢に天安門広場の学生たちの運動が混乱に陥つてゐると印象づけ「無政府状態解消のため」という口実で学生鎮圧を提唱する強硬派を勢ひ づけた、と指摘。
現在的問題,不在於要說服我們這些人。我們很想讓同學們離開廣場, 廣場上現在並不是少數服從多數,而是 99.9%服從 0.1%;如果有一個絕食同學不離開廣場,廣場上的其他幾千個絕食同學也不會離開。
ウアルカイシが英雄化してスポット浴び首相李鵬とのトップ会談で「逆上せた」ことが凶事となり、その直後からウアルカイシや王丹などが指導層から外れ「広 場派」と呼ばれた李禄や柴玲が主導権を握つることとなつた、と当時を回顧。
▼十五日(金)の日剰に綴つた自称政治家「文革曽」行政長官の呆れた「六四」発言。(以下、十七の蘋果日報より)97年の香港返還以降昨年まで立法会議長 務め全人代常委(現職)の范徐麗泰女史が「香港には様々な(思想、立場の)人がゐるわけで、一人で全体を代表するやうなことを軽々しく口にすべきでない」 と苦言呈す。また「六四は一つの悲劇」として「誰もが教訓を得るだらう」し「国家がいつか六四をきちんと取り扱ふ時が必ず来るだらう」と婉曲ながら指摘。 「香港は言論の自由があり誰もが自由に意見を表明する権利がある」と行政長官一人が香港市民代表するやうな主張することをやんわりと非難。范女史を襲ひ立 法議員となつた元保安局長の葉劉淑儀も文革曾の発言を誰が全体を代表して主張できるか、と指摘し六四事件については「河水不犯井水」と。さすが行政長官前 任者の董建華から突然の辞意聞かされ行政長官となる日に軽々しく爽快に口笛吹く、その曲が中国国家(義勇軍行進曲)だつた、とさすが文革曽の凄さは香港の 保守派の間でも顰蹙の由。

五月十八日(月)目覚めたら朝の七時。暑さに疲れたか熟睡でこんな時間まで目覚めないなんて。急いで荷造りしてホテルをチェックアウト。タクシーでチャン ギ空港。だいたい朝起きて読みたい新聞がない物足りなさ。この国ではIHT紙だつて目の敵。空港ではネット接続が無料と謳ふがアタシのMacBook Airからはつながらず。Airport Expressの走行中の車内からしつかり繋がる香港は……とつい香港居民は宿敵のシンガポールや上海の不満を言ふ(笑)。実はちよつとこの数日感冒気味 で今朝は熱つぽいが発熱なんて重病だとどんな社会的制裁加へられるか、幸ひ体温計では36.8度でアタシとしては高熱だが社会的には平熱で鎮痛解熱剤飲 み、ちよつとふら/\するがCXの機内ではノートブックにむかひ香港までお仕事。ガキが乗り物の中などでゲーム機でピコ/\五月蝿いのはまだしも機内で携 帯のゲーム機能でピコ/\五月蝿い五十くらゐのジヽイあり。あたしは直接、本人に「音がうるさい」と苦情を言つたがゲーム機能の音のことだと理解できぬほ ど脳がやられてしまつてゐて呆れた。さすがに周囲の客が機内服務の姐さんに告げネーサンが本人にかなり説得してゲーム止めたがジジイは香港まで始終落ち着 かず。もう完全にイカレてしまつてゐるらしい御仁。もう昔なら疾つくに寿命のジゝイだが考へてみれば十代の頃にはもう任天堂のゲームボーイの洗礼受けた世 代だと思へば、もうかなりキテしまつてゐるのだらう。どうであれ携帯ゲーム機など作つてしまつた国の国民として、英国人が中国で阿片中毒に苦言呈するやう なもの、ゲーム中毒者に苦情は言へぬか。香港はシンガポールかッ?といふほどの猛暑で好天。でもスコールがないから熱冷しがないのがつらい。空港は到著客 全員に問診表の呈出を求め、さういへばシンガポールが「検温銃」で到著客の検温をするだけで予想以上に「緩い」のに驚いたが、空港もさることながらアタシ のマンションもタクシーから降りると旅行トランク引摺つてゐたからだが警備員が飛んできて「どこに旅行してました?」と一応、確認までされる。荷物片づけ メールに急ぎの返事だけして晩遅くまでご執務あり。
▼日本での新型インフルエンザの感染拡大。墨西哥や亜細亜初の感染の出た香港についてはあれだけ大騒ぎして報道してゐたNHKも、新聞も、国内感染の広ま りに対して、へんに冷静。NHKのNW9のキャスターは「過剰な反応をせず冷静に判断したものですねッ!」と言つてみせるが「墨西哥や香港の感染の時に過 剰反応して大騒ぎしてたのはアンタらだらうがッ!」と罵りたい気分。彼岸の火事には驚くが、火の粉を被ると「大丈夫、大丈夫」と冷静に努める……なんて態 なのかしら。

五月十七日(日)朝八時、ホテルにZ嬢の旧友M嬢いらつしやりBoat Quey裡の印蘭食肆でロティと甘い珈琲の朝食。お二人と別れ独りホテルに戻りジムで少し運動してプー ルサイドにシンガポールの地場の本当につまらない新聞を数紙読む。リー首相が長年の医療整備での貢 献がありシンガポール医薬協会から名誉会籍が授与されました……とか、どうでも良い。昼前にZ嬢戻り日曜で閑散としたRaffle's Placeのホーカーズで軽くお昼。Z嬢と別れアタシはMRTでクランジ競馬場へ。本日はシンガポール航空がスポンサーでKrisFlyer Int'l SprintとS'pore Airlines Int'l Cup(2,000m)がメインレース。幸ひ驟雨もなき好天ながら猛烈な暑さ。殺風景な郊外の住宅地を抜けジョホールに近いところ。ドレスコードは香港よ り厳しいがアトは緩い新嘉坡ターフクラブのクラブエリア。シンガポール在住の馬主O氏にご手配いたゞきオーナーズラウンジで競馬観戦。O氏の持ち馬が SIA国際カップはじめ四匹出走、でパドックにも入る。日本からはSIA国際カップにタスカータソルテ(藤原英昭調教師)が来新で岩田騎手が在新の高岡厩 舎のO氏持ち馬にも騎乗。かつて香港で活躍のEric Legrix騎手(李格力)が今はシンガポールを本拠としてをり本日も前半の三レースに騎乗で声をかけると覚えていてくれ嬉しいかぎり。 お会ひするのは2003年の凱旋門賞当日のパリのロンシャン競馬場以来。昏時、Z嬢も一人で競馬場へ来る。彼女は午後、印度人街などふら/\。インド布の 商店など冷やかし、食材屋では美味さうなインディアンマンゴー見つけたがキロ単位でしか売らず悔しい思ひ、と。Z嬢がLegrix騎手のファンなのだ、と 夫人のシェリー(香港出身の彼女は1995〜96年に見習ひ騎手)に話してゐたら彼女がZ嬢が来てから、また声をかけてくれZ嬢とLegrix騎手で紀念 写真。KrisFlyer Int'l Sprintに香港からSacred KingdomとInspirattionが出てをり前者に運を託す。香港では一番人気かも知れないが、シンガポールでは一番人気はデビュー戦から七戦七 勝の地元馬のRocket Manで香港の競馬好きには懐かしいFradd騎手。Sacred Kingdomは一枠で左前脚故障からの恢復で香港とは逆の左回りは不利、とFradd騎手のコメントが今朝のStraits Times紙には出てゐたが、良いスタートで、Rocket Manをマークし続け最後、外側からさっと差しきって1.07.8の好タイムで勝利。プレブル騎手、最高。5.6倍の配当は嬉しいところ。SIA国際カッ プは四月末の香港のQE II Cupでとんでもない強さ見せたPresvisか、と思ひつゝDettori騎乗のBaliusとしたが、まさか、で仏馬のGloria de Campeao(TJ Pereira騎手)が勝利は25倍の高配当であつた。昨年の勝利馬Jay Pegは走行中に脚を故障してどん尻。昼の暑さもあるが欧州への競馬中継の関係もあり(斎藤さん談)メインレースが晩の八時前後といふ本日の競馬は最終 10レース終はると午後九時半。MRTで市街に戻る。日曜晩でさすがに静かなBoat Queyの河沿ひの英国パブでSauv Blの葡萄酒飲みナチョス食しホテルに戻る。シンガポールはいつも簡単な食事に終はつてしまひ買物もあるわけもなく支出が以上に少なく終はるところ。

五月十六日。朝七時過ぎにZ嬢と空港。ラウンジで三文治と珈琲。CX717で一路、シンガポール。時節柄ガラ/\だらうとタカを括つてゐたらかなりの乗 客。AAとの共同運行便なのが鳥渡、気になる。抱へた新聞も雑誌も読み終はりSudokuの難問も出来てしまひ堀田善衞『上海にて』続 き読み微睡むうちにシンガポールに昼過ぎ著。タクシーでThe Fullerton Hotel投宿。前回シンガポールに来た時はこのホテルもまだなかつたのだから十数年前。マリーナ界隈やチャイナタウンなど の変貌に驚くばかり。独りで鳥渡だけ附近散策して夕方までホテルのプールサイドで読書。こゝ数日、雷雨の悪天候続いたやうだが今日は幸ひ好天。午睡。Z嬢 と夕暮れから外出。ホテルの前からBoat Queyの外国人&環境客對手のシンガポール河添ゐの飲食店街を抜けClarke Queyにあつた松發肉骨茶に早めの夕餉。MRTでAng Mo Kioまで往き路線バスに乗り換へナイトサファリ。本当は 夕方までシンガポール動物園、で晩にナイトサファリの予定だつたが、さすがにちよつと着かれて午後はホテルに憩ひたり。香港ディズニーランドが羨ましがら う、土曜晩のかなりの集客。トラムで場内一週し歩いて川獺など暗闇の中で眺める。郊外のこの動物園から市街に向ふエクスプレスバスでOrchardまで戻 りホテルに戻るZ嬢とMRTの站で別れラッフルズホテル。来星中の斎藤さん入江さんらとLong Barで一飲。半夜三更、蒸す夜を散歩、シティーホール前の 緑地を抜けホテルに戻る。

五月十五日(金)早晩に尖沙咀のDomonに葱ラーメン食しJimmy's Kitchenにドライマティーニ一飲。香港文化中心。珍しく香港フィルの演奏会聴くは今晩がPerry So(蘇柏軒)君の指揮者としての香 港デビューゆゑ。昨年までRTHKのChannel 4で週末の朝に早期古典楽曲番組あり独得の声色のパーソナリティが巧みに楽曲紹介。で昨年秋に香港の 蘇柏軒なるほとんど無名の若手指揮者がプロコフィエフ国際指揮者コンクールで優勝、といふ音楽記事を信報で読み、そこで実はこの指揮者は指揮の研鑽積むか たはらRTHKで番組パーソナリティを、とあり「あつ、あの」とアタシは合点した次第。ラジオで聴く落ち着いた口調で、まさか二十代の青年とは思ひもせ ず。でそのPerry君が香港フィルでエド=デ=ワルトの許で見習ひ指揮者となり今回が香港での初舞台。今晩の演奏会開催を知つたのが二週ほど前で已に大 方切符は売りきれ辛うじて舞台上手後方の弦バスの上の安い席を確保したが、却つて此処は指揮を見るには絶好。で演目はモーツァルトのCosi fan tutteの序曲、ベートーヴェンのピアノ、提琴とセロのための三重協奏曲、で中入後がドボルザークの九番「新世界」。指揮者の指揮ぶりを見るには「新世 界」はあまり指揮者の個性が出るとは思へず、アタシは全く聴いたことのない、ベートーヴェンのその三重協奏曲に期待したがアタシにはちつとも面白くない曲 に思へ、三重奏の中で唯一難度の高いセロの独奏(香港フィル団員のWong Sze-hang)が高揚するばかり。指揮者は頑張つても香港フィルが室内楽編成でかうした曲に面白さを出すはずもなく、たゞつまらなさう。パンフレット に「拍手は、楽曲が楽章に分かれてゐる時は全曲が終はつたときだけ」なんて書かれてゐるのもご愛嬌だが実際に第一楽章終はつて盛大な拍手(笑)。この曲な ら香港フィルより香港シンフォニエッタのはうがずつと面白い鴨。「新世界」ではやはりこのPerry So君独得の面白さも出ようはずないが掌本の寄稿文によればPerry君は一ヶ月ほど前に自室の書棚でこの曲のスコア本を見つけ、その表紙裏に書かれた名 前と90年代前半の日付から、そのスコア本は小学生の時に買つたもので、おそらく貝九(つまり「合唱」)と並び指揮者になりたい、と思つた少年がCD聴き ながら最初に指揮をして遊んでゐた楽曲の一つで、その後、指揮を学ぶ頃にはヱバーン、ストラヴィン スキ、ショスタコーヴィッチ、ヴァレスやベリオなど二十世紀に入つてからの音楽に強く興味を持つやうになつたがドボルザークの、とくに「新世界」は単純で 幼稚な曲に思へ興味もなかつた、と正直に本人。だが、つまり小学生の時から指揮歴?はすでに15年もある曲ゆゑ指揮ぶりは実に手慣れたもの。「新世界」で は第三楽章のスケルツォが、この曲のなかでは最も指揮者の統率が要る楽章だらう、が上手にまとめてみせた。指揮を芸風でいへば歌舞伎なら亀治郎のやうな、 器用だが鳥渡、くどいところあり。そりや地元での指揮者デビューの初舞台、終はつて意気高揚のPerry君、オケもこの将来有望な指揮者の、今晩は独り舞 台と思つてゐただらうが、Perry君は歓声と拍手のなか一旦、下手に退いて復た舞台に現れた時には自分よりオケの団員の何人かを立たせ讚辞を送り、指揮 者として最も大切であらう、楽団員をどう喜ばせるか、を心得てゐるところは見事。アンコールはなし、で舞台跳ねた後は中文大学の呂大樂教授招き舞台でトー クセッションとなる。Perry君は本人曰く、古典らしい曲ではブラームスの二番、で最も好きな曲はプロコフィエフの五番だと言ふ。慥かにプロコフィエフ の五番やストラヴィンスキーをやつてこそ、この人の指揮者としての力倆がわからう、といふもの。
▼天安門事件から20周年の今年、「目玉」はいつたい何かしら、と思つてゐたら趙紫陽さんが生前に語つて遺したテープ数十本に及ぶ録音があり、それが近々 出版される由。この録音は趙紫陽の側近であつた鮑彤が保管し息子の鮑樸が英訳の“Prisoner of the State”がまづ今月十九日に出版され、この日は趙紫陽が天安門広場に現れ民主化求める学生らに「来るのが遅かつた」と涙ながらに語り、公衆の面前に現 れた最後の日、から二十年目にあたる由。その後、中文版『改革歴程』出版とするのは英語版を先に世界的に認知させ報道があることで中文版が焚かれるのを難 しくするため。本来、共産党政府の官僚主義の弊害や汚職に対する抗議であつた民衆運動が党中央にあつて「反政府、反社会主義の国家顛覆活動」と認知され弾 圧されるに至る過程を当事者として趙紫陽がどう語るか、は興味深いところ。
▼天安門事件といへば昨日の香港立法会議会の席上、自称政治家「文革曾」行政長官が民主派からの「平反六四」(天安門事件に関する再認識)迫られたやりと りの中で「天安門事件からずいぶんと年月も過ぎ、その間、国家はさまざまな面で発展し香港も経済発展してゐる。香港市民が国家の発展に対して客観的評価が 出来ると信じる」と発言。この詭弁に民主派が反発すると、さすが文革曾、さらに「自分のこの考へは香港市民全体を代表する見方だ」とまで強調。民主派が議 場から退席し文革曾もさすがに後ほど発言を謝罪してみせたが本心は語つた通りだらう。棚ぼたで行政長官まで成り上がつた小役人の度胸に呆れて言葉もなし。

五月十四日(木)散髪。久々に湾仔のグランドハイアットの三鞭酒場で 一飲。アタシはバーテンダーは男の職業、と思ふ。男勝りの豪傑の女将が仕切るパブはそれはそれで 良い、が。でこのバーで珍しく女性のバーテン ダーが切り盛り。ドライマティーニを作る作法は、正直言つて鳥渡、頼りない。がマティーニのあと白葡萄酒を一杯やり、バーを去らうとすると「マティーニは 如何でした?」とアタシに尋ねる。お愛想ではなく真率に、は表情でわかる。つい“Good!”と答へてしまつたが本当は「一つのカクテルを作る時はそれに 集中すること。あと15秒は短くできるでせう」は冷たいうちに供してよ、と言ひたかつたから。このホテルのボールルームで開催中のSeoul Auction通りかゝる。日本、中国、韓国とコンテンポラリーアートの潮流で韓国が鼻息荒く香港で競売開催、つて気持ちはわかるけど。折り紙で丹念に作 つたブルース=リー、ちよつとメタボすぎないかしら。Z嬢と待ち合はせART HK 09(香港国際芸術展)。今年が二度目、でVIP 券いたゞいた。草間彌生先生の関係で紹介いたゞいたオヽタファインアーツの O氏、K嬢にご挨拶してちよつとお話。O氏のお話が興味深い。アタシは草間先生がケータイまでは「やりすぎ」だと思ふしお若い頃の反企業資本主義的なムー ブメントと相容れない、と素直に思つたが、よく/\考へれば老いても衰へず果敢に企業と対峙する姿勢は吉本隆明のコム・デ・ギャルソン着こなしより更に過 激なの鴨。草間先生の、まるで赤塚不二夫のやうなギャグつぽいキャラの犬が、参観者が「あ、猫!」と言ふのが可笑しい。コンテンポラリーアートも、もう何 だか食傷気味なのは正直なところ。純粋に、素晴らしい作品もいくつか、はあるのだが全体のノリとしてはもう、鳥渡。Sara Rahberなる作家のアラビア化した米国趣味が興味深し。 Z嬢と「作品よか画廊関係者ウォッチングした方が、あの人たちの雰囲気こそずつとコンテンポラリーアート」と首肯く。ぐる/\見回つてから北京水餃皇に食す。かつて鄙びてゐた食肆が「どうしたの?」といふ感じ で盛況。しかも毛唐多し。味的にはちよつと最近、化学調味料強くない?と気になるところ。食事中のビールも、食後もなんだか恐ろしく喉が乾き閉口す。
▼グランドハイアットの三鞭酒場で読んでゐた蘋果日報の畏友William鄧達智君の随筆。もうあまりの表現力、言葉の美しさ、リズム……たゞ/\感歎す るばかり。昨日、MTR西鉄で彼の家の近くを通り高架線から屏山を眺めたが、今ではすつかり団地の外れのやうな屏山のかつての樹木の中の風景よ。
月又轉圓,極晴的夜就是深也是藍。循著村邊小路歸去,五月入夏前最 後一抹北風伴著月光印地亮如白晝。老屋邊上楊柳枝葉豐盛,月上樹梢,抬頭透過葉縫看,腳步輕挪,每一下那月葉重叠似剪紙又似萬花筒變化。夜未極深,走至長 巷上山另一頭,後山隱蔽的大榕樹茂密葉底下望月,那剪影更鬼魅。少說也有一百數十年的老樹雖然未登上過甚麼大樹榜,留它一回清靜,它可是老一輩村人的禁 忌;那個上幼稚園的早上,祖母未同行,過後山,領路的表哥驚喜報告:有人吊頸!從來沒人告訴過五歲的我死亡恐怖,走到樹下,死屍仍掛榕樹枝椏,我們流連盤 踞細意端詳,自此樹林就是黑夜也不是我的顧忌。英國人一百一十年前,在小山頂上蓋起新界首間理民府並警署,也在山腰植下數十棵從也是大英帝國殖民地移植過 來的白皮尤加利,就是在我們童年也已粗壯得幾個小孩才得合抱;縱使一些經歷颱風倒下,枝葉重新爬起來長得比本來母體更健壯。山路另一邊本來滿植松樹,樹下 我們聽松濤拾松針松雞,如今像香港幾乎所有松樹的命運,被吃松心毒蟲徹底消滅。(略)坐在尤加利樹群幽深一角望葉梢突現突暗月光,聽婆娑風過葉縫;夜甚安 靜輕柔。

五月十三日(水)午後遅く新界屯門。コンテナトラックの走る数がこんなに凄まじいものか、と驚く。早晩に佐敦。Z嬢と待ち合はせ裕華國貨でお茶を買ひ油麻 地で久々に美都餐庁に食す。Cinematiqueで Jacques Tati 監督の映画特集三本目で『ぼくの伯父さんの休暇』Les Vacances de Monsieur Hulot(1953年)観る。ユロ伯父さんが独得のキャラこそ出来上がつてはゐるが、次作『ぼくの伯父さん』に比べれば徹底した主張はなく、まだ悪戯や ヘマばかりで他人に迷惑をかけることの連続。悪意的なところもあり。ナンセンスコメディとして可笑しい。ふと思へばサザエさんも『こち亀』の両さん、『男 はつらいよ』の寅さんも登場した頃は目つきも厳しく意地悪なところもあり、それがだん/\丸まつて愛されるキャラになるばかり。プロレスのザ・ブッチャー もさうか。逆にどん/\嫌はれるキャラになるのは政治家だけ、か(笑)。で映画はこれでもか、これでもかのギャグの連発に鳥渡、食傷感すら覚えたがひと夏 の浜辺のリゾートに遊ぶ客たちの出会ひから帰省までにギャグをまとめたところがタチ監督のセンスの良さ。これが『ぼくの伯父さん』では美学となり『プレイ タイム』では壮大な映像実験となるのだから。
▼チヨートク先生がカメラ日記でSU(アエロフロート)からの封筒のロゴに添へられたヘチマ(か胡瓜)のことから、糸瓜といへば当然のやうに子規に言及さ れていらつしやる。かういふところが、さすが先生。で、ふと
糸瓜(へちま)なり席のつまりしアエロかな
と、子規には失礼だが絶句をチョートク先生と先生がお乗りになるアエロフロートで戯れ歌にする。と
ウオトカ一斗 アエロのそなへも 間にあはず
をとゝひの アエロの便も 取らざりき
と戯れ歌ならさら/\と出来るから。で、長徳先生からとても貴重な玉稿を見せていたゞいた、がこれは内緒。

五月十二日(火)快晴。早晩に年長の畏友G氏よりお誘ひうけハッピーヴァレイの英皇駿景酒店(The Emperor Hotel)の駿景軒の四川料 理。久々に歓談款語。評判は聞いてゐたが慥かに美味。客筋も佳し。従業員が全員、マスク着用は「やりすぎ」と思ひつゝ、このホテルなら英皇集団の親分筆頭に傘下の芸プロのジャッキー=チェンら芸 人、政財界関係者からその筋の方まで「インフルエンザ感染させたら一大事」な上客多く、でマスク着用かしら、とG氏と語る。噂をすれば食後、玄関を出ると 車寄せにGG38ナンバーの巨大なベントレーありホテル周辺も超豪華車づらり、と並ぶ。福臨門酒家か此処か、の光景。
▼岩波書店が荷風散人生誕百三十年、歿後五十年で(無理矢理だが)荷風全集を第二次刊行(慥か四月から)。荷風の愛読者はまだゐるだらうが、それが日剰で あるとか「濹東綺譚」「おかめ笹」「つゆのあとさき」くらゐならわかるが全集をもつか?と言はれるとチヨートク先生が慥か「日記は面白いが荷風の花柳文学 は鳥渡」と言はれるのも正直なところ。アタシは奈良の古書店で数万円で良品の全三十巻見つけたので勢ひで買ひ成田空港に直送したが、全集となるとそれが鷗 外、露伴や丸山眞男ならなんだが荷風となると「どうしても」揃へたい、かどうか。なのに岩波の第二刊は大胆。今回は全三十巻に補遺の「資料篇」がつくが内 容は小品や草稿、ちよつと見たいのは1945年用の手帖、でそれに谷崎の疎開日記や樗牛、春夫ら代表的な同時代作品評を収める、つてちよつと全集から逸れ てゐないか。多喜二がブームでも荷風が復たもてはやされたら本当に時代は末世かも。

五月十一日(月)
▼「アジア一の女富豪」龔如心(Nina Wang)の逝去から二年。遺族と彼女の率いた華懋集団の前に遺産相続は私が、と「謎の富豪風水師」現れ示談も成立せず今回ついに裁判始まる。遺産数千億 香港ドルと云うロス疑惑ならぬニナ疑惑のこれまでの経緯を忘備録的に綴っておくと(蘋果日報より)
1955 年9月29日
龔如心が王德輝と結婚。
1960 年4月23日 腎臓病の王德輝が一度目の遺書を用意し財産は父と妻が相続とする。
1968 年3月15日 龔如心の不貞に不満の王德輝は遺書を書き改め全財産の相続人を父とす る。
1990 年3月12日 王德輝が三度遺書改め遺産相続人として龔如心を指名。この70〜80年 代にかけ華懋集団の経営は格段に拡大。龔如心の経営力も大きく、また身代金目的の誘拐にあった王德輝の救出に尽力した妻に対しての信頼もあり。
1990 年4月10日 王德輝が二度目の誘拐に遭い、その後、行方知れず。
1992 年3月12日 龔如心が風水師・陳振聰と知り合う。陳振聰の弁明によれば、これは陳振 聰本人の結婚(相手は現夫人)の三日後。その後、この風水師と龔如心は相思相愛となり性関係もつように至った、と。
1997 年5月26日 王德輝の父・王廷歆が1968年の遺書を有効と訴え提訴。
2002 年7月28日 龔如心が華懋慈善基金を遺産相続団体とする遺書を用意。
2002 年11月21日 高裁で王廷歆勝訴。1990年の遺書を偽造と認定。
2002 年12月12日 龔如心が夫の遺書偽造で逮捕される。その後、保釈。
2005 年9月16日 上訴審で龔如心が逆転勝訴。
2006 年10月16日 龔如心が遺産相続人を風水師・陳振聰とした遺書を綴る(とされる)。
2006 年10月20日 龔如心が陳振聰の会社にHK$6.9億を付与。
2007 年4月3日 龔如心が子宮癌で病逝、享年70歲。数日後に陳振聰が遺産相続人として 名乗り出る。
2007 年4月24日 華懋慈善基金が2002年7月の遺書が有効として提訴。
2008 年11月10日 華懋慈善基金は陳振聰が06年の遺書は風水をネタに龔如心を騙して用意 したもの、と指摘。
2008 年11月14日 陳振聰が自分と龔如心は14年の相愛関係だった、と暴露。
2009 年3月30日 華懋慈善基金は2006年の遺書は偽造と指摘。
2009 年5月11日 開審。
いがらしゆみこの「キャンディ・キャンディ」キャラそのままの奇女・龔如心、二度も誘拐された夫・王德輝の生死、行方は?、その父の奇嫁への懐疑、謎の風 水師の登場……と実にB級ミステリー的話題満載〜!
▼香港政府の芸術系団体に対する補助金について。以下、信報より( )内の数字は金額(萬香港ドル、と各団体の総収入に占める補助金の割合)
香 港管弦楽団 6,210 58.4%
香 港中楽団
5,310 80.8%
香 港バレエ団
3,220 66.0%
香 港舞踏団 3,140 87.0%
香 港話劇団 2,990 74.0%
香 港シンフォニエッタ 2,070 57.0%
城 市当代舞踏団 1,420 56.5%
進 念二十面体 1,050
63.3%
中 英劇団 930 55.3%
香港フィルに年間7.5億円。大阪フィルへの補助金が橋下知事の予算削減で話題になるが国、府と市からの補助金合わせても2.8億円が香港シンフォニエッ タとほゞ同額とは。

五月十日(日)朝の八時半に黄大仙。七名で獅子山(ライオンロック)まで上り平坦は走りBeacon Hillを越え二時間で大埔道に出る。城門水塘に正午前に到著。一向は水塘の周囲9kmほど歩いて終はる決定がアタシは「虚弱体質なもので」とこゝでお終 ゐ。荃灣に出ると、いつも山西刀削麺なのだが清龍清湯腩といふ牛腩と咖喱の評判の店があり此処 で腩河食す。牛腩のかなり脂で出汁が出てゐてもあつさりの味つけ。午後はプールで泳ぎカフカ短篇集読む。晩は自宅で揖保の白糸。
▼日本での新型インフルエンザ感染の確定。なぜ「香港で」の時より新聞の扱ひが小さいの?(朝日新聞)
▼朝の黄大仙も午後の深水埗も、なんだか法輪功の方々がいつにもまして大々的、と思へば本日はご尊師様のお誕生日の由。なるほど。北京中央に対して反政府 的な法輪功だが香港警察は彼らの活動を集会やデモなど保護する。自由社会であり立憲法治の基本ね。
▼警察の裏金づくり告発し窓際職扱ひ受け定年退職迎へた愛媛県警の巡査部長。職員会議での挙手・採決禁止は言論統制とした意見や教育の反動化に反対した姿 勢が危険視され定年後の非常勤教員としての再雇傭拒まれた都立高校長。兎角かういふ人たちは嫌はれる。管理する側だけぢやなく「良心的な」ご近所も「いゝ 人なんだけどねぇ、なんで、こんなことになつちまつたんだか」的に嘆いて見せるのは戦前も今も日本では何も変るまい。さうした反体制な人にスポット当てる 朝日新聞も左翼偏向か。今日読んだカフカ短篇集に「掟の門」といふ小品あり。ある門を通してほしいと何年も生涯をかけて門番に請ふ男。誰もが掟を求めてゐ るのにどうして私以外の誰一人、中に入れてくれといつて来なかつたのです?と門番に問へば「他の誰一人こゝには入れない」と告げ、その理由は「この門はお まへ一人のためのものだからだ」と教へる。インフルエンザであれ社会体制であれ、日本の社会つてこの「掟の門」そのものかしら。
▼香港の性教育について。日本では性行為や同性愛許容まで教へる性教育が左翼偏向と保守反動の諸君の間で問題視されるが、香港では小学二年生に「常識」と いふ科目で「どういつた行為が性犯罪か」を教へる。ameiyip さんのブログより。
露體狂、いやらしい目でじっとみつめる、太股をなでる、スカートをめくる、着替えを覗く、アダルトビデオを見せる、服を脱げと言う
……といつた行為が戀兒癖のある大人に「されること」ばかりか、怖いのはこの列挙された項目はスカート捲りや出歯龜など、どう見ても子ども間の他愛ない悪 戯程度の行為も性犯罪のレッテルを貼ること。テロや新型インフルエンザの犯罪化と同じく、かうした<性行為の犯罪化>もヴィクトリア王朝以降の現代の怖 さ。フーコーが指摘した、このやうな狂気にわれ/\はどう対処できるのか? ameiyipさんのご子息が教師に「先生、うちのパパとママ両方ともこれぜんぶ俺にしてきます」と答へた由。白眉。露出はパパとの連れション、両親は息 子を「いやらしい目でじつと見つめ」身体ぢゆうを撫で回し、着替えも愚図だからずつと見張られ=覗き、香港の多くの映画は暴力や麻薬絡みならIII級=成 人指定だからアダルト映画を見たことになり、風呂に入れるには服を脱がす……慥かに両親の行為はすべてが性犯罪か(笑)。

五月九日(土)朝起きてテレビでNHKのテレビ放送見れば我が国で「つひに」新型インフルエンザ感染の報道。この感染より報道と危懼の過剰の方が怖い。新 型で騒ぐのも勝手だが、それぢや旧型なら、感冒と流感の区別も本人どころか町医者とて賭けの丁半の判断かも知れ ず、流感でも「今日は大事な会議」と出勤し学校の教員も「休めない」とバファリン飲んだ程度でご出勤。で旧型インフルエンザは毎年当たり前に流行る。新 型、新型と騒ぐ前に旧型の流感で、米国でも毎年三万人の死者と聞けば、致死の確率が現時点で、とはいへ若干名に過ぎぬ「新型」よか旧型への憂慮こそ大切な のでは?と思ふ。NHKのニュースは川崎の感染の疑いのある人=容疑者か?は熱は「37度まで上がつてしましたが」と言つてみせるが摂氏37度なる体温は 平常、こんなに騒ぐかしら。今晩、土曜でNHKのNW九がないことだけでも幸ひか。南無阿弥。近隣にお住まひのS氏とH君がランニングが趣味だと知り今日 は朝早く裏山にお連れして六kmほどさくさくつと走る。昼にZ嬢と西湾河。電影資料館で六、七月の映画入場券購ふ。昨晩、油麻地のシネマティクで見た西湾 河の同館のパンフレットの表紙に着物姿の女性、で見出し読めば向川喜多夫人(むかひがわ・きた夫人)つて日本の映画関係者で誰よ?と思へば向川喜多夫人致 敬は「川喜多夫人に敬意を表して」、で川喜多かしこ特集なのでした。太安樓の商場ぶら/\して、行きあたりばつたりの茶餐庁で昼食。Z嬢とわかれトラム電 車で銅鑼湾。快晴の強い日ざし(でも猛暑にあらず)でライカM3でお散歩、と思つたのにトラムの二階席に坐れば風が心地よく、忽ち午睡。気づけば銅鑼湾。 ヰンザーハウスの仕宏攝影器材でBillinghamのカメラ鞄(大)の肩当て購ひMac扱ふ店でAirport Express購ふ。このワイヤレスステーションは一つあつたが居間か寝室か、で二つ目。でこのAirport Expressをスピーカーに繋ぐにはステレオミニプラグ⇔ステレオピンプラグのオーディオケーブル必要となるが、かういつた周辺アクセサリー探すのが香 港では難儀。家電店はテレビモニタやオーディオ家電は売つてゐても、それを繋ぐケーブルなど利鞘が小さいから売らない。でTime Squareの家電店数軒尋ね漸く弱小のオーディオ重視店でケーブル購ふ。午後遅く帰宅。土曜日の午後かうして家に居ることも稀。MacでAirport 繋ぎ家ぢゆうでRCサクセション流れる。本日、青山葬儀場にて忌野清志郎のAoyama Rock'n Roll Show開催される。

五月八日(金)引き続き快晴。昨晩まで三日も!休肝日で、できればこのまゝさうありたいところ。が、厭なのが左下腹部の神経にときどき走る尖つた激痛。ビ クッと、突然来るから受身が出来ず目の前に對手がゐれば「痛さう」とわかる。ネットで漁れば「年齢やストレスから来る自律神経失調」。この日剰に毎日、具合の悪さ綴るのも食傷気 味だが。で香港の特区薬 Penadol 服すか、でも安楽が特効と思ふと、やつぱり一杯の葡萄酒がいちばん。FCCで早晩、抱へた新聞貪り読みつゝ一杯。パスタで軽く夕食しまして油麻地の Cinematiqueへ。映画『ぼくの伯父さん』のDVD購入。今晩は独りJacques Tati 監督の“Playtime”を見る。ウルトラモダンなパ リの空港からオフィスビル立ち並ぶ商業区へ、見本市、街頭に曝されたマンション住宅、そして圧巻は新装開店のナイトクラブの慌たゞ しさと大騒ぎ、で夜明けと、ロータリーを廻転木馬のやうに回る自動車たちと人々の美しさは前日のウルトラモダンとの対照。たつぷり監督が剪貼の126分版 で満喫。前半の見本市や「ぼくの伯父さん」のコントは日本でどこで見たのかしら?と思つたら、ありやゲバゲバ90分だしナイトクラブの大仕掛けの舞台の壊 しはドリフの「八時だよ全員聚合」だらう。さう思ふとタチ監督のコメディタッチは日本に影響も大きいはず。だがセンスとしては何といつても伊丹十三。伊丹 十三が『モノンクル』といふ雑誌を創刊した時にアタシはまだジャック=タチの映画は見てをらず。伊丹十三がタチ監督のやうな映像で笑はせる映画を撮つてゐ たらさぞや面白からう、が今になつてふと思へばテレビドラマ『コメットさん』の父役の伊丹十三は当時の子どもにとつて陰気でちよつと不気味ですらあつた が、ありやタチの流れの芸風かもしれない。映画跳ねれば三更半夜近く。寝静まつた新填地街、上海街の街路には果物市場の早朝の競りに向け大型トラックのコ ンテナから鯔背な若衆ら水果を運び出す。廟街の屋台と賑やかさもタチ監督の映画のあとだと視覚的になんだか混乱のやうな調和のやうな面白さ。暫し眺め終電 近い地下鉄で帰宅。
▼上海経由で来港の墨西哥さん今回のインフルエンザに感染してをり滞在せし湾仔のホテルが疫宿として検疫がため封鎖され283人の宿泊客と従業員が閉ぢこ められ七日目。本日晩に開封。ホテルが直面するHennessy Rd通行止めでの騒ぎに午後遅くより湾仔市中渋滞の気配あり。だが多くが渋滞避けたか平時より自動車の通行量少なく燈刻は金曜だといふのにすい/\と走れ るから。翌日の蘋果日報は「香港健復了」つて、慥かに一面トップのこの大写しの湾仔のホテルの写真の右肩には「猪流感疫潮跨過第一關」一つ目の峠を越え た、とはちよつと註釈してゐるけど、政府が「念のため」と「疫禍怖さ」での疫宿封鎖の措置が終はつただけで「健康恢復」は言ひ過ぎ、と思つたがSCMP紙 も“VIctory”なんて言葉が見出しに。なんだかマッチポンプに思へてならず。

五月七日(木)快晴。五月晴れといへば聞こえも良いが連日、気温こそ朝は摂氏22度くらひが28、29度まで上昇こそするものゝ涼風が吹き香港では通例な らじめ/\と不快な季節が爽やかなること米国西海岸の如し。朝早く養和病院に参れば昨日は「血液検査の結果は担当医が内容確認せねばお渡しできぬ」と言つ てゐたのに外来の受け付けであつさりと検査結果渡される。空腹時の血糖値は標準値を超えこそすれ僅か、で安堵。当直の医師曰く年齢的なものもストレスなど 外部要因もありませうから、と引き続き蕁麻疹の薬=精神安定剤と睡眠薬供され食生活に気を配り運動と休養を充分に、と言はれる。晩のお仕事の前にジムで一 時間ほど運動。お仕事終はり旺角の花園餐廳。「食生活に気を配り」と言はれたのに、つい羊扒排(羊のステーキ)など註文すれば「一切れで充分」なのに三切 れもあり、安い肉なのだらう「羊臭さ」も格別で一口食べて箸を、いや、ナイフとフォークを置く。
▼この日剰でも急逝、追悼紹介の映画配給会社Fortissimo FilmsのWounter Barendrecht氏につき今日の蘋果日報に紙面一頁費やしての追 悼特集記事あり。Wounterの功績も、紹介の映画も全てがオマージュ。だが一つだけ理解し難いのはこの人が王家衛監督の全力的な支持者で、あ の映画の宣伝に尽力したこと。王家衛の映画が「阿飛正傳」と「重慶森林」くらゐならまだ少ししか、それ以降の作品は全く理解できない(作品が悪いとは言は ない、アタシに感受性が乏しいだけ)ので、名伯楽が王家衛の作品の何処に惚れたのか、もわからない。

五月六日(水)快晴。今日が明治六年開校の我が母校の小学校の創立紀念日だつたことふと思ひ出す。学校の創立紀念日が休日かどうか、は地方によりまち/\ で西より東日本に休業日とする地域が多いと聞いたことあり。朝早く養和病院で血液検査。朝の七時過ぎに普通にラボが開いてゐ て驚く。結果は昼過ぎにはわかる、と言はれ、やはり気になり午後に電話したら外来の担当医が目を通してから、と言はれ勤務日を聞けば金曜だと言ふ。それな ら昨晩、深夜や翌朝の検査を求めなくてもよからうものを。血糖値が高い=糖尿病の原因は食べすぎ、運動不足やストレス。笑つてしまふほど当て嵌る。早晩に FCCで抱へてた新聞読み。Z嬢来て軽く夕食済ませIFCの映画館。Le French May 09Jacques Tati 監督!映画特集で 『ぼくの伯父さん』Mon Oncle を観る。帽子に薄手のコート、長傘とパイプ、その飄々とした雰囲気はアタシの大好きなこの世界。NHKだつたか深夜名作劇場で観ただけ、しかもアタシは 1980年代に東京でテレビが白黒だつたので、総天然色のオリジナルは初。もうすべてが好き。物語の筋、演出、モダニズムは様式美として美しいが人がその 中でどう疎外されるかの批判、ライカのレンズでいへばエルマリートのやうな色彩、暗闇の中の光、背景の路地裏の窓から漏れる洋灯の灯まですべてがアタシの 好み。ちよつと冷静にこのTatiの映画を語れないし、語る気にもなれず。たゞゝゞ淀川長治的に「この映画をみて本当に良かつたな、この映画を見られた私 はなんて仕合せものなのかしら」と感動したい。
▼中国の墨西哥人隔離政策に墨西哥が反発。戦時下の捕虜交換の如く両国に滞在中の自国民をチャーター機で奪還。墨西哥からすれば過剰な中国の措置は差別・ 蔑視に映り、中国にしてみれば自国の人口や都市の密集度、言はないまでも衛生など満足いかぬ点もあり……と思へば疫禍になつたら惨事であり、それが中国か ら世界に広まつたら大変でせう、だから、と……こんな言ひ方をすると中国政府が天安門事件や人権など批難する諸外国に対して中国が不安定になり難民が続出 したら香港や日本などどう対応するのか?と諭すのと同じやうな言ひ回しになつてしまふが、だからどう徹底してゐるのだ、が中国の言ひ分なら、墨西哥にして みれば「そんな外国人を蔑視する前にオタクの国内の……」と、もうかうなると売り言葉に買ひ言葉でどうしやうもないだらう。
▼朝日新聞で林真理子&原武史で対談は「皇室と女性」。美智子皇后様について所謂女性週刊誌的な部分と異なる祭祀での見事な振舞ひなどシャーマン性を評 価。皇太子夫妻が父母君が見事に戦後から平成に紡いだ伝統と皇室のあり様をどう引き継げるか、と語る。それにしても林真理子と原武史のご両人は「姉と弟」 といつたら「やつぱりねぇ」といふくらゐ似てゐる。林真理子の男装と原武史の女装のどちらの方が美男美女か、まで想像する必要もなからう、が。とくに真理 子さんの表情は、かつての「ルンルン」でとにかく美容に熱心になられてゐた頃に比べると役者でいへば神谷町のやうな古風さに近づいたかしら。

陰暦四月十一日。立夏、といふに相応しい初夏の日ざし。蕁麻疹はどうにか治まつてはゐるが眩暈だの耳鳴り、脚の腫みが気になり視力がずいぶん落ちた気がす る。養和病院に参れば新型インフルエンザ警戒中で寧ろ平常より患者少ないのは「なるべく病院には近づかない」心理かしら。RCサクセションのLPがどうし ても聴きたく、晩に、もう35年くらい前に父が購入の音響アンプ(ヤマハのA1)の不調をどうにか直してレコオドが聴けるやうにしよう、と試みたが治ら ず。養和病院より血液検査の結果が電話で連絡あり血糖値が基準値上回つてゐるので再検査勧める、で「今晩12時は如何?」と看護婦。三更半夜? 「もう夕食が済んでゐれば食後四時間だから」と、そりやさうだが何故、夜中に。ラボは24時間空いてゐる、といふ。早朝五時でも六時でもOKなのださう な。香港らしい。が明日にしやう。
▼香港ではケーブルテレビのニュースチャンネルが30分のニュースのうち冒頭の五分で済ませた新型インフルエンザ報道。NHKのNW九は17分。楽観視の 危険性課題が浮かび上がつてゐます、さらに発熱相談センターの設置と一般の病院での外来としての診察拒否……と日本の新型インフルエンザ報道はまるでマッ チポンプ。蔡瀾の言ふところの日本人の好む悲観主義か。まさに希臘語で「全ての人々」意味するPandemosを語源とするパンデミックな一億総ナント カ。問題を大きくして課題を想定し悩んで結果は不十分なものだから、とまた課題を考へ……の永久運動。自動車製造ではKaizenは有効だつただらうが。 SARSのさなかに感染経路の特定できるSARSに比べインフルエンザがいかに脅威か、と指摘された尾身茂教授、今晩のNW九に出演して「今、地方自治の 力が試されてゐる」といふコメントなど聞くとインフルエンザの権威からすでに変異か?と思つたが尾身教授が自治医大だと思ふと地方行政に言及は当然か。だ がインフルエンザの流行の周期について話すなかで「流行が穏やかになつてしまふと」なんて生放送のコメントだから論うのもなんだが「風が吹けば桶屋が」の やうに思へもして。息を吸ふ音が耳障りなキャスター(女性)も何を勘違ひしてゐるのか「私たちが国としてやらなければならないことは」ですつて……アンタ は首相か。キャスター(男性)は「35歳、昔なら働き盛り、今は希望のないワーキングプア」の特集を受けて番組の最後で、あのの世代が「報はれない社会を どう作るか」とコメントしてしまつて慌てゝ「報はれる社会」と訂正。アタシがプロデューサーだつたら番組終はつて胸ぐらつかむだらう。独逸訪問中の麻生首 相は伯林のフンボルト大学での講演で日本語なのに「日本と欧州のパートナーシップが必要」といふところで、思ひつきりパートナーシップだけ「僕も英語が出 来るんだぞ」と力んだのか、思ひつきりコントさんのやうな英語風で発音してみせた。どうせならPartnerschaftと言つてみせれば良かつたのに。 NHKから首相まで全てが滑稽。
▼信報の今日の社説曰く1918年の西班牙大流感と米国の株価を見てみると意外にも、この流感が猛威を振るつた期間のダウ平均株価は安定してをり1918 年から21年にかけ六割近い伸びをみせたさうな。「人類はこの新型インフルエンザの未曾有の危機を乗り切つた!」といふことで景気恢復の起爆剤つて「あ り」鴨。
▼朝日新聞で市川速水氏が「広告塔」ジャッキーの失言、と題してジャッキー=チェンの舌禍取り上げる。この俳優が「香港返還の97年前後から中国の未来に ついて楽観的な発言を繰り返してきた。(略)香港と中国を結ぶ役割を背負わされた、中国にとっての広告塔。今回も公的な役職として発言する場を設けたの が、中国の意向であることは疑いない。今や彼の発言は個人的ではすまされない」と手厳しく評す。書き手は続けて曰く、香港と台湾が「中国から独立も、統合 されもしなひ微妙な両地域」として(香港は統合された上での隔離にすぎないのだが)「自由」の一語に託す思ひの強烈さであり「そこに想像力が働かないな ら、広告塔といふより中国の宣伝マシンと呼ぶべきではないか」と痛烈に批難し、社会の不安定化への不安もあらうが「それでも、管理が自由に優先するという 論理が堂々とまかり通ることには、寒気がする」と結ぶ。市川エディターにとつてはかなり高揚した物言ひ。それくらゐこのジャッキー=チェンの発言が残念な のだらう。だが敢へてジャッキー=チェンの側で考へてみれば、中国の現状に多くの問題があることなどわかつてゐる、が解決策が見えないからこそ敢へて道化 となり、世の中を少しでも良く感じられるやうにしたいのだ……といつた気がしないでもない。さもないと、それぢや映画『新宿事件』の登場人物たちのやうに 仕合せになりたくて逃走したのに結局は内ゲバ的に壊滅情態でいゝんですか、と。とても難しいところ。

五月四日(月)。五四運動九十周年。豚と墨西哥がまるでスケープゴートのやうだつたが実は二月くらゐには新型インフルエンザが西班牙なのか何処なのか、で 発生してゐたし米国が本当は何処まで出来たのか、あるゐはすべきだつたのか、も気になるところ。いづれにせよ、おそらく世の中は大恐慌以来のこの金融海 嘯に対して「人類はこの新型インフルエンザの未曾有の危機を乗り切つた!」といふことで景気恢復の起爆剤にする魂胆なのだらう。
▼都立日野高校で栗原清志君=のちの忌野清志郎が愛をしみやまなかつた美術の先生。翌五日の朝日新聞社会面にこの小林先生の記事が大きく出てゐるが、こん な先生、いまの都下ではまづ問題教師で教委から「指導が入る」類ゐの先生だらう。アタシの十代のころはこんな個性のある教師はぞろ/\ゐたもの。高校の時 に現国のW先生は授業中に教科書の安部公房、小林秀雄など語ると授業そつちのけで文学論となり放課後まで喫茶店に場所を移しアタシら對手にとく/\と論 議。アタシらからの貰ひ煙草も「講義代だ」と笑つていらつしやつた。週末には成田闘争に出かけ朝、校門の前でビラ配りしてゐた新左翼の社会科のT先生。校 内でカミングアウトこそしてゐなかつたが明らかにゲイの愉快な先生。あの頃はみんなテクノカットにアイビーで、自転車に二人乗りしてウォークマンでRCサ クセションを聴きながら……素晴らしい時代だつた。忌野清志郎といへば宝島社。かつてJJ氏のワンダーランドが宝島になり、さすがに植草甚一のノリからは だいぶメジャー化したが、あの『宝島』を出版してゐた宝島社のその後の変節は知るところ。だが今日の新聞に宝島社から「日本よ、牙を持て!「田母神」防衛 論の決定版!」として田母神俊雄『真・国防論』なんて広告を見るとJJ氏もキヨシローも草葉の陰でたゞ苦笑ゐることだらう。

五月三日(日)憲法記念日。快晴。朝九時にランタオ島の東 涌。ランニングクラブの計六名で東涌から大澳まで約12kmをゆつくり走る。まづ東涌の新都市から旧集落に入り、途中、空港を離陸する飛行機を眺めたり、 木陰は涼しく爽快なるランニング日和。昼にち やうど大澳に着く。本当は16km先の石壁まで、といふ案もあつたが「もう充分に走つたよね」と大澳の蓮香酒家に食す。麦酒ガブ飲みしつゝ飾らぬ料理に舌鼓打つ。今日も偶然 だが豚の揚物がこれが美味。一時間バスに揺られ爆睡で東涌に戻り解散。夕方、按摩して帰宅。RCサクセションを聴きソロの「夢助」を聴き、Yosui Tributeで清志郎の歌ふ最高の「少年時代」を聴きYoutubeで生前のステージを観て……一個人の死を越えこんな歌ひ手はもう不世出だ、と痛感す る。
▼香港で惜しまれつゝ休館した湾仔の映画館・影藝戲院が二年半ぶりに九龍湾の淘大商場に再開の由。かつて『木村家の人びと』が『搶錢家族(Yen Family)』なるタイトルでこの映画館で評判得てロングラン。湾仔の新鴻基中心はこの映画館撤退の後は未だ店子も入らずじまひ。
▼朝日新聞で憲法記念日にあたり伊勢崎賢治氏(東外大教授)の護憲論あり。各地の紛争処理や武装解除に従事し阿富汗斯担でも日本政府特別顧問として武装解 除指揮した氏は百歩譲つても国際貢献や平和維持活動とは異なるソマリア沖への自衛隊派遣を「国益のため」として違憲とし何故このソマリア沖に反対が小さか つたのか?と護憲派も含め厳しく叱責。自衛隊には寧ろ丸腰でゝも軍事監視団をさせるとか考へるべき、として憲法九条が議論の的となるがこの九条はあくまで 方法論であり、それは憲法「全文」の理想を実現するためでせう、と。加藤周一氏も逝つたが「九条の会」など従来の護憲運動とはずいぶん芸風の違ふ「勇まし い」護憲論が新鮮。英国に「動物愛護のためなら殺人も辞さぬ」動物保護団体あり目からウロコだつたが「平和憲法の護憲のためには争ひも辞さない」……とま ではいかないか。「秋の嵐」だつた見津毅君が生きてゐたらワーキングプアの問題であるとか、かうした積極的な護憲など面白い動きをしてゐたかしら。朝日新 聞といへば数日前に劇作家の平田オリザ氏が昨今「劇場型政治」といふ言葉が悪い意味で使はれてゐるが、その主役となる首相たち(ともはや我が国の首相は十 把一絡げで、さう呼ぶしかないが)についてオリザさん曰く現実に彼らの問題は良い芝居が出来ないことであり政治家たるもの本来はどんな政治を演出してみせ るか、の最高の役者であるべき、と。だからさういふ理想的な政治家の出現に期待する、とおつしやるが問題はやはり「革命を経てゐない国家」では、さうした 優秀な政治家でも一度び出現するとファッショ的とまではいかずともポピュリズムの情況になることの怖さ……小泉三世レベルであの「小泉さーん!」ブームだ つたのだから、それが怖い。

陰暦四月初八。佛誕。長州島で太平清醮(饅頭祭り)あり長州島へ赴く……といふのは冗談で人混み雑沓恐れ今まで一度も訪れたことなし。雲一つなき快晴。ジ ムで少し運動して裏山から大潭を二時間くらゐ走る。気温は最高が摂氏廿八度といふが大潭の風は心地よく汗も あまりかゝず。晩に京都人の畏友B君夫妻来宅。佐賀の五町田酒造の東一の大吟醸持参される。B君香港ジョッキークラブで競走馬有するのはまづ無理としてマ カオならシンジケイト組み……と馬名のみ先にハシリマッカ、ドナイデッカー、ホドホドデンナーの順で決める。
▼忌野清志郎氏逝去。五十八歳。喉頭癌克服しての昨年二月の武道館の完全復活祭、そして七月に癌の左腸骨への転移を公表、治療。さすがに転移後は症状が深 刻と噂に聞くと、アタシもつい「トランジスタラジオ」や「雨上がりの夜空に」口遊んでゐること多く先月、武道館の復活祭のDVD購入も、どこか「もう復活 はないだらう」といふ断念のやうで気持ちも閊へてゐたら、のこの弔報。1980年だつたか、のあのRCサクセションのブレイクを思ひつきり体感してしまつ た、しかもウォークマンであるとか雑誌『宝島』で、だ、さういふ世代としてキヨシローの死は近いと覚悟してゐたとはいへ、やはり悲しすぎる。
▼先月タイで急逝のFortissimo FilmのWounter Barendrecht氏の追悼の会あり日本からは映画監督の岩井俊二氏ら参加の由。

五月朔日(金)労働節。Z嬢と、もう五年くらゐか新界西貢の鹽田仔なる島に行つてみよう、と話してはゐたが、いつもその話となるのが復活祭だつたり聖誕祭 だつたり耶蘇の祭り絡みの日ばかり。この島、新界東部にある小島の一つだが150年ほど前に天主教の布教で島民が全て天主教に帰依。今から二十年以上前に 島民が全て島を離れたが今でも旧村民の末裔らが耶蘇祭祀続け2003年に村の天主教堂を改修し忘れ去れし離島の教会が昨 今、地場の天主教徒らの間では香港の聖地の如し。本日快晴で何だか米国西海岸か豪州パース市の如き温暖で風も爽やかな陽気、労働節で明日が佛誕ならさすが に天主教の祭祀もなからうか、とZ嬢と北角からバスで西貢。カメラはライカのM6の他、ContaxのT2にフィルムはヴェルヴィア50で、デジカメは同 じくContaxのU4Rと、何とも旧時代的な装備。西貢湾の艀船雇ひ昼ころに鹽田仔。すでに廃村ゆゑ握り飯、さらにアル中のアタシは西貢のコンビニでウ オトカの小瓶購ひ鹽田仔に渡つてみれば旧村民の公益組織が小さな売店を営み屋外の洒落たテラスまであり。教会や廃村となつた家々を小一時間見てまはる。島 内には二、三十人の観光客あり。浅瀬の向ふには香港唯一の公営ゴルフ場ある滘西洲(Kau Sai Chau)見渡す。もと/\は西貢に多い客家の集落の一つ。偶然にも明後日(五月第一日曜)がこの島の教 会の祭日で世界中に散らばつた島出身の者が島に戻 り祝祭挙行の由。午後二時過ぎに艀船で西貢に戻る。西貢ベーカリーでパン購ふ。林記小食でZ嬢好物の腸粉を頬張る。帰宅して昨晩に続きグスタヴォ=デュダ メル指揮のSBYOでCDがなかつたがi Tuneでダウンロードして噂の(つて、もうずいぶん前だが)チャイコフスキーの五番を聴く。予想以上の第四楽章の、煽る、煽る、が見事に合奏になつてゐ るから。晩は自宅で韮と大根おろしの鍋で豚肉のしやぶ/\。この鍋だといつも焼酎なのだが今晩は白でSauv Blならきつとこの鍋に合ふだらう、と帰りがけに寄つた近所の旧知の葡萄酒屋のW君のお勧めでCh. de Fieuzalの04年にしたら、実によい組み合はせ。でも韮と大根と豚肉より葡萄酒の方がずつと値が張つた。
▼今晩のNW9もまだ「疑ひ」で墨西哥感冒の報道続く。毎晩/\「迫り来る新型インフルエンザに世界各国は日増しに緊張を高めてゐます」つて、テレビの報 道も新聞もあんな大袈裟なのは悪いけど日本だけです。横浜の高校生も災難なら学校も、この高校生の墨西哥感冒の疑ひ晴れた時の校長の感涙……は生徒の無事 に、なのか「いつたいこれから世間様にどう釈明」の気苦労が失せての、か。前者、と思ひたいが普通のインフルエンザなら生死にかゝはるやうな心配がないの が日本の普通の感覚で、とにかく全ての心労からの解放での涙かしら。戦前に学校が火事で奉安殿で御真影が無事だつた時も学校長は同じやうに感涙に咽んだも の。小学校で教師が子どもだちに新型インフルエンザの怖さを語り感染例のない日本なのに子どもたちがマスクをして「どうですか?」といふ取材に「とても怖 いです」と答へる、それが怖い。Z嬢曰く、このインフルエンザにこんなに大騒ぎするけどデング熱とか、そりや感染は極端に拡散しないから、なのだらうけ ど、どれだけの被害が出てゐる?、と。慥かに(日本の外務省情報)。 メーデーの今日現在、日本の失業率は330万人を越えた由。メーデーの集会の報道とか就労対策とかの方が墨西哥感冒よりよつぽど重要で深刻な問題の気がす るがNW九では自転車宅配で企業した青年の話題のみ。完ぺきに脳がウイルスに罹られてしまつてはゐないか。……と思つて呆れてゐたらNW9の番組の最後で 「香港で亜細亜で始めての新型ウイルスの感染が発見されました」と。なんだかパチスロで「出た〜つ!」といふ感じ。昨日、上海から空路香港入りの墨西哥人 で湾仔のホテルは消毒と泊まり客の検疫のため暫定閉鎖され、この感染者はすでに病院に収容され隔離観察治療中の由。さすが亜細亜の自称国際都市=香港なら では、だが感染者が「上海経由」といふところがやつぱり21世紀は上海の時代かしら。自称政治家「文革曾」行政長官が早々と香港政府はインフルエンザ警戒 を「厳重」から「緊急」引き上げるが現時点ではこの感染拡大がなければ「学校等公共活動は現時点では平常通り。パニックにならないやうに」とコメント。香 港政府衞生局局長の周一嶽君が「明日の長州島の太平清醮(饅頭祭り)は現時点では予定通り挙行」と発表が何とも流感より風俗伝統なのがほのぼの。
▼左丁山氏が昨日の蘋果日報連載で天安門事件廿周年で天安門事件が後世に与へた最大のインパクトは何か?と考へ、その答へはジョルダーノの社長が天安門の 学生支持のTシヤツ売り義援金募り「李鵬のバカ」と主張したことがキッカケで結果、香港と台湾で『壱週刊』と蘋果日報が発刊されたころだらう、と。慥かに (笑)。

日記インデックス に<戻る>