香港の自由と言論のため香港特別行政区基本法第23条による国家公安維持の立法化に反対〜!  ひとまず董建華は9月5日に白紙撤回を表明!

教育基本法の改「正」にも反対〜! 反対はこちら。文部科学省の中教審答申はこちら。ちなみに文部科学省サイトには教育基本法の原文すらないのが事実。
文部科学省は他にも「英語が使える日本人」の育成のための行動計画……だって、ダサ〜!、英語が使えれば日本人でもアイヌ人でも朝鮮人でも何人でもよし。
        

2000 年11月24日からおそらくあなたは  番目の閲覧者です。


既存の新聞に満足できないなら日刊ベリタを読みませふ。富柏村の記事も「稀に」あり。

十一月卅日(日)快晴。朝六時に起きZ嬢とタクシーにて北角でT君夫妻、H姐拾いホンハム站よりKCRにて大埔墟。摂氏十四度と寒波到来。冬。尖沙咀の天文台が摂氏十四度であるから大埔は十二度くらいか。N君夫妻、N兄、I君合流し新界タクシーで今月二日にハーフ走った大尾督より新娘潭。八時。新娘潭の瀑布より烏蛟騰(Wu Kau Tang)の新屋村の外れより200mほど一気に上り馬頭峰、船湾淡水湖の絶景、此処から船湾の湖をぐるりと時計回りに東に横嶺(Wang Leng)の尾根を歩き鹿湖同、南に巡って赤門海峡、白沙頭より水塘の堤防を歩き夕方大尾督に戻る。距離は20kmほどだが馬頭峰より標高で50mほどの上り下りが幾度も続き殊に鹿湖同よりの南下は標高差激しい上り下り、ガレ場多く楽とは言えず。大埔墟まで戻り大明里の江東鶏飯店。鹽局鶏が馳名、確かに美味。KCRでホンハム站、バスで帰宅。さすがに疲労甚だし。
▼我が国の国産ロケットH2Aの6号機打上げ失敗し発射より十分余で爆破処理。99年のH2型8号機の事故を最後に我が国の宇宙航空技術の威信をかけ順調に進んだかに見えた計画が坐礁し倭学地の宇宙技術への信頼大きく揺るがす……と事故は事故でいいのだが石原慎太郎君、シナの有人飛行成功を日本の技術力すれば容易と宣ったが、打上げの際の補助ロケットの分離すら失敗とは。かういふ失態があるのだからクダらぬ国威などがためにシナであろうが朝鮮であろうが罵倒する勿れ。
▼自衛隊のイラク派遣について元防衛研究所所長、教育訓練局長歴任の小池清彦氏(新潟県加茂市長)が述べる(朝日)。イラクの現状はゲリラ戦であり武装部隊である自衛隊派遣すれば当然狙われれば応戦すれば必然的に海外派兵となり憲法違反。小泉三世は戦場の何たるか理解できず、イラク特措法は正規軍の戦いのみ戦闘行為と定義(つまり対イラク軍との戦闘行為さえなければ自衛隊派遣可という解釈)、対ゲリラ戦は戦闘行為に当らずイラク全土が非戦闘地域という解釈だが、これは戦時国際法上の概念とも全く異なり現代の戦争の多くが不正規軍とのゲリラ戦であると思えば、この特措法の解釈なら世界中どこにでも自衛隊派遣が可。ゆえにこの特措法ぢたいが違憲。自衛隊は自衛隊法が「わが国の平和と独立を守る」と明記するように祖国防衛でありイラク派遣は自衛隊の使命に非ず隊員雇用との契約違反。イラク派遣など最高司令官たる首相として最低の態度。このような文民統制では文民統制の意味もなくなり民主主義国家にとって由々しき事態も懸念される。現行の憲法があり9条があることで戦後の日本は朝鮮、ベトナムに湾岸戦争に参戦せずに済み、日本人がこの憲法有することで世界中から平和を愛するとして敬愛された。平和憲法は日本の宝であり、海外に派兵せぬことこそ先の大戦で亡くなった英霊が一番望むこと。……と小池氏。力強く平和憲法の維持と海外派兵阻止を主張するのが自衛隊の元幹部とは。政治家において自民党ではハト派すら駆逐され護憲勢力など風前の灯火、改憲が当然のように認識され戦後日本の箍をば外すパンドラの函が開けられようとする時代の怖ろしさに文民どもは何も気がついておらず。

十一月廿九日(土)晴。昼前にハッピーバレーの日本人学校にて学校開放日だかの古書バザーあり本漁りに訪れる。かなりの人出に対して本多からず人混みかき分け本が残る一角見つけ近づいてみれば余が数ヶ月前の蔵書整理にて放出しバザーにと提供した本の数々。実に寂しいかぎり。ドグラマグラだの南方熊楠随筆集だのブレイザーの金枝編、荷風のふらんす物語だのの文庫、芦原義信や陣内、川本といった東京都市論の新書など一向に見向きもされず。気軽に読めるミステリー、赤川次郎に群ようこなど人気は当然か。売値は文庫、新書が一冊HK$2、新刊書でもHK$5とお安く廿冊ほど購入。古本バザー会場の出口あたりに「ご自由にお持ちください」なる本の一角あり余のM、モース著『社会学と人類学』上下二冊(新刊なら約五千円)がやはり専門書だからか無料の汚れた絵本だのと一緒に放置されておりあまりの悲しさに再び余の手に戻す。午後九龍。晩にT君夫妻、Z嬢と待ち合せ記者倶楽部。一月に記者倶楽部にて開催予定の会合の宴会場下見してダインにて夕餉。エール飲みウヰスキーソーダでサーロインステーキサンド、とアップルパイ。このところ毎晩、山崎俊夫一二編ずつ読む。昨晩は伽羅小袖、志羅川夜舟。今晩は麝香猫。山崎の文章の上手さはまさに大正の口語体の、一葉とでも言うべきか。

十一月廿八日(金)晴。朝、浴室で聞いていたRTHKのニュースにてブッシュが感謝祭に電撃的イラク訪問といふ速報流れ目も覚める。敵地に僅か二時間半の潜入、敵詐いて「やーい、やーい」とまるで「だるまさんがころんだ」の子供の悪戯の如し。しかも感謝祭にイスラム国家にしでかす宗教的傲慢と冒涜。赦されるべからず。イスラムの戒律は七面鳥食すを禁じておくべきだったか……だが北米大陸原産のキジ目キジ科の鳥ではイスラムの戒律に登場せぬも仕方なし。どうせならブッシュ君米軍最高司令官としてイラク平和解放までイラク滞在しては如何か。Noblesse Obligeにて彼の信念の踏襲を。米国総統なら他にいくらでも代替者あろうがイラク解放など暴挙信じてできる指導者はブッシュ君の他になし。晩にZ嬢とペニンスラホテルのガディスにてフランス料理。これまでに遭遇したこともなき繁盛ぶりはペニンスラホテルの開業75周年にてホテルの飲食をば七掛半にて奉仕の由。三月SARSの疫禍の直前にK氏夫妻と来た折など我らのほか早晩のお食事の一組の他は東亜銀行頭取李Baby國寶氏とお妾だけ。今晩は香港一といふ料理屋、携帯電話は鳴る、肘ついてパン丸かぢりする、デジカメのフラッシュが閃光あちこちで光る、ホステス同伴から賑やかなるカナダか豪州留学組の女の子の同窓会まで、従業員も店内走り回りまるですらいらーくの如し。なぜにバシバシとああも無遠慮に写真撮るのだろうか。せっかくのほのかなシャンデリアの明り天井に燈り卓上の蝋燭の光あるのだから、その明りの中でじっと佇み美しく映そう、映ろうとは思わぬのだろうか、などと思ってもライカなりコンタクスの時代に非ず。かつて半ズボンだのスニーカーでの入場お断りと威厳あったペニンスラホテル、そのガディスとてジャケット、ネクタイ着用がジャケット着用にまで規制緩和され昼はスマートカジュアル可、携帯電話が鳴ってもお咎めもなしの時代。この料理屋に果して生演奏のバンドが要るかどうか。残念なるは料理も今回のご愛顧感謝期間のためかアラカルトの料理かなり絞られ主菜の牛の茹肉料理は今ひとつ。デザートで下手に日本語解す給仕に「これは春巻です」と言われギョッとして見たらチョコレートロールで正直に「これは春巻ではありません」と教えたつもりが「はい、そうです」と答えられ、つまらぬ日本語話すべからず、と思うばかり。そのデザート、周囲にオレンジだのグレープフルーツが添えられムースを巻いたチョコレート、あまりの味のバランスの悪さにとても食せず残して春巻君に「絶対に美味しくない組合せだと主厨氏にお伝えあれ」と乞うほど。バーゲンセールに良品なし。ペニンスラホテルといへばAmexのゴールドカードにザ・ペニンスラなるこのホテルの提携カード登場し今朝がたAmexに問合せれば通常のゴールドカードと全く同じ条件にて履歴も維持、番号も下四桁の変更だけで変更可、と。何も得点なき通常カードに比べればザ・ペニのカードとすれば系列ホテルでの飲食八掛半にて宿泊など得点ありならこの方が幾許かお得、変更をば依頼す。
▼蘋果日報にて陶傑氏。イスタンブールの爆破事件、アラビア世界にあってトルコ率先して泰西が議会民主主義導入し婦女顔被り外しコーランをば寛容に解釈し現代化成功させ謂わば「イスラム世界の日本」となりアラブ世界にあって半ば西洋人と化す。陶傑氏思いだしたは映画007の『ロシアより愛をこめて』にてジェームス、ボンド君ソ連の暴挙防ぐため乗り込むはイスタンブール。現地のちびでチョビ髭のトルコ人支局長(ペドロ、アルメンダリス君が好演)がまさにトルコの立場体現し、ボンド君を危機一髪から救いイ市の地下の下水道から逃しボンド君が撃つライフルの照準合わせるため肩を貸す、その役割がまさにトルコと。御意。トルコは正式なる西側国家に非ずとも西側にとって友邦にて当時ソ連敵にまわした米英にとってトルコは最前線。支局長がボンド君のライフルを肩に載せし時すでにトルコは「脱阿入欧」のであり四十年後に米英のイスラム攻撃に対してトルコがその反米英の標的となるは歴史の因果。

十一月廿七日(木)晴。香港大学にて日本の近代文学研究されるC先生にお目通りいたしたく郷土歴史家でC先生と懇意のK氏に紹介していただきK氏とともにC先生の研究室訪れる。在港日本人の社会史につき教示いただきたい件のお願い。C先生の研究室の書棚一覧すれば垂涎の書籍並び数日籠りたし。明治は本当に面白い、と先生。御意。鴎外、露伴など香港大図書館にずらりと全集並び明治文学の蒐集の充実もC先生ゆえ。あらためて明治の文学につきお話いたいところ。K氏と香港大博物館の香港早期娼妓場所の展覧。K氏、展示される写真資料一瞥するなり「これは全部 P.H.Cさんの蒐集ですね」とご明解。さすが。この蒐集のC氏は当然K氏懇意の人。丁度博物館のL館長いらっしゃりK氏紹介するとK館長もK氏の高名存じられており今後何かと協力を、と。研究者の専業につかず地道に香港歴史探求するK氏の姿勢に感銘するばかり。香港大図書館に寄るK氏と別れ記者倶楽部にて一憩。尖沙咀。M君に車で送られM君給油のため尖沙咀のKCR地下延長工事凄まじきなかMiddle Rdの給油所に向かえば地下駅工事で給油所閉鎖、結局旺角まで給油に行く不便。
▼仙台弁につき仙台出身の畏友より仙台弁サイト見せられる。彼曰く仙台弁の中核概念!たる「いずい」が載っておらず、と。確かに。「いずい」は他の言葉で代弁しにくき感覚にて(浅野知事の個人サイトにも記載あるがこのサイト靖国以上に公人私人の区別際どし)まことに下品なたとえ乍ら仙台ネイティヴの某君がチンチンの場所直しながら「いずい」と表現したこと挙げると畏友も「いずい」の用法例としてはまず最適格で「まさにその感覚」と。わかっていただけるだろうか。
▼朝日新聞のイラクでの伊軍駐屯施設へのイラク側の攻撃が「自爆テロ」でなく「攻撃」とした件につき、あれはやはり「すごい暗闘」も「経営幹部の珍しい英断」もなく記者か当番デスクの小さな勇気と感性で朝日だけが自爆テロという誤った見出しをつかずにすんだ見識。続報でも「攻撃」用いており外報部内では共通認識かも。
▼数日前の蘋果日報の随筆で陶傑氏述べるは香港にていま最も尊ばれるべき品格とは映画見終わった際に周囲の金髪仔や似非中産階級が銀幕に劇終 The End と出るなりすかさず席を立つ中、場内清掃の従業員の「早く席を立て」といふ執念の睨みも無視してじっと席に停まり役者や制作者名、撮影協力場所などのタイトル終わるまで見続けること、と。但し、と陶傑氏、これは洋画に限ることで、と。なぜかといえば港産作品となれば撮影協力場所に並ぶのは二十年このかた金殿サウナ、新同楽海鮮酒家、富都夜総会、旺角石本蘭街街坊委員会(香港の歌舞伎町振興組合)に警務署公共関係科ばかり……つまり香港映画はヤクザがサウナで組のモンと打合せして料理屋で対立する組の若衆に射たれナイトクラブに対抗する組の幹部を襲い夜の繁華街で撃ち合いとなり警察が登場、と、そればかりという陶傑氏らしい揶揄。

十一月廿六日(水)昨晩遅く山崎俊夫作品集(上)読了。続けて中巻巻頭の『雛僧』読むが大正五年に此の掲載が原因にて『三田文学』が発行停止処分になったといふが当世で読めば多少猟奇的なばかり。当時はこれが未だ空想の世界ながら十年後には現実となり当世では不思議でもなしとは。ふと気になり同じ山崎俊夫の遺稿集(補巻一)にある「荷風挽歌」読む。山崎俊夫は昭和34年の荷風逝去を新聞の夕刊で知った時に荷風の臨終の惨さから『珊瑚集』を開き巻頭のボオドレエルの「死のよろこび」なる詩を読み直す。
蝸牛匍ひまはる粘りて湿りし土の上に
底いと深き穴をうがたん。泰然として、
われ其処に老いさらぼひし骨を横たへ、
水底に鱶の沈む如忘却(ごとわすれ)の淵に眠るべう。
……と。まさに「先生のもっとも望んでいられた境地」と山崎。で山崎氏の荷風先生の追憶が語られるのだが山崎は慶應の塾生であった当時『三田文学』に寄稿し荷風の面識を得、荷風の慶應でのフランス文学の講義三年に亘り受講するのだが何と学生はたったの二人! 羨ましき限り。その後山崎と荷風は疎遠となるが『墨東綺譚』朝日に連載されし当時(ちょうど余が断腸亭日剰にて読み返す昭和12年の頃のこと)山崎は松竹の少女歌劇といふ雑誌の編輯に携り松竹の文芸部長であった安東英男の紹介にて銀座の金春通りの喫茶店きゅうべるに参れば荷風先生いらっしゃると知り二三度足を運ぶが会えず偶然に富士アイスにて先生に遭ふと(荷風先生は不二アイス店とも書くが此処が教文館の地下に在ったことを山崎の記述で余はようやく識る)荷風は山崎に「さびしいですね。『童貞』の作者がこんなに禿ちゃって。ご覧なさい。わたしなどはまだこんなにふさうふさしていますぜ」と還暦の荷風。話は飛ぶが荷風の告別式の朝に京成電車の八幡の駅で山崎は堀口大学に遭ひ「さびしいですね」と声をかけると大学先生は黙って肯定き、佐藤春夫の車にすれ違い黙礼。荷風の最も優秀な学生であった大学と春夫の二人に会えてよかった、と山崎らしい遠慮さで、最後に再びボオドレエルの
送る太鼓も楽もなき柩の車は
わが心の中をねりゆきて……
で荷風挽歌は終る。ところで偶然、このボオドレエルの「死のよろこび」の荷風訳を網上にて検索して余丁町散人なる方のサイトに辿りつく(こちら)。趣味人とはこういふ人を指すのであろう。昨日の発熱おさまるが咳だの流感の症状ひどく朝、近所のC医師の診断請い終日臥床す。休養すべきところいつも以上に読書だのと意気込むこと憚れ診療所にて供されたる咳止めシロップ「ほんの少し」多めに飲み睡眠図るが午前のラジオのニュースにて昨晩中国より入境の29歳日本人男子発熱著しくSARSの疑いありバプテスト病院に一旦収容されエリザベス病院に移送し検査中とか。一瞬、日刊ベリタに送稿とも思うがSARSの心配よかこの収容されし「容疑者」SARSと疑われたるだけにて今後の大騒ぎの渦中に巻込まれるかも知れぬ不安にどれだけ苦悩するかと察すれば疫禍をばまるで期待するかの如き余計なことに携らぬべきと感ず。続報によれば大連より香港に空路到着の方だそうで現在発熱はなく胸部X線に影あるがSARSの可能性低いと衛生署高官。かなり信頼できる筋の方が「感染せず、に3000パタカ」と。ちなみに英語ラジオはRTHKの中波ながらwww.rthk.org.hkのオンラインラジオではステレオ放送され、寝室にても屋内のワイヤレスでnotebookで聴取可、それをBOSEのWave Radio/CDで聴けば音質じゅうぶんといふ次第、便利快適なる環境。午後になりこの「容疑者」氏シロと判明。それにしても熱があるだけでSARS感染者かと詮議され隔離され……とまことに容疑者も不憫であるし恐ろしき世の中。熱があることはアルカイダ以上の犯罪的行為?となりつ。高熱があります、といふことは最大の武器なり。この日本人SARS感染の疑い、見たかぎりNNAが香港電で伝えたのみ。2chあたりなら、さしずめ「中国政府が大連で日本人にSARSウイルス投与して香港に」とかの推測となるのだろうか。調薬効いたか夕方には咳と鼻水も治り但し薬の所為で朦朧。カレーライス食し競馬中継少し見る。
▼仙台弁の「がおる」につき余は「驚く」と書いたが仙臺生れの生っ粋の仙臺人の友人より「がおる」は驚くより肉体的あるいは精神的に「くたびれる」「疲れて元気がない」という感じで「なんか内部で支えてたものが崩れるような感覚」と指摘あり。それで村上君の挙げた「我折る」がピンとくると。なるほど。余の仙臺弁はかなり阿Qといふ曾て存在したバンドのTaraco君らの影響あり、よく何か悪戯した際の「がおったや〜ぁ」という用法が驚きの際かと思っていたが、あれは「えらいことになった。こらたまらん」というニュアンスでやはり「がおる」と。仙台時代に余はずっと「驚いた」で「がおった」用いていたが「えらいことになったっちゃ」の意味なら余り誤解もなく受け取られていたのであろう。
▼蘋果日報が星港の海峡時報から伝えるは北京政府にて香港行政主管する副総理・曽慶紅君、香港の区議会選挙前に400議席のち民建聯に対して確実なところ最低90議席の議席確保を期待、と。それが60余といふまさかの不振に北京政府も香港管治につき再考要すところ。ちなみに董建華君の支持率は香港大学の調査によると43.6%と「予想よりそれでも高い」が、選挙で董建華に投票すると答えた者は17%に過ぎず、つまりいかに董建華が支持されておらず、だが現在の北京指導の行政にては董建華以外首班となっても画期的なる改革期待できぬという消極的なるがゆえの43.6%と理解すべき。
▼マイケル、ジャクソン君の今回の童禍に関する窪塚的に言えばクソテキトーなマスコミに対しての公式反論サイトはこちら。まぁ「クロ」だろうがマイケル君はもはや肌白。

十一月廿五日(火)快晴。夕方、金鐘のアイランドシャングリラホテルの車寄せ通れば並々ならぬ警備ぶり。早晩に日系某銀行の総支配人交代パーティあり行政長官董建華君一昨日の区議会選挙の与党敗北でマスコミの前に余り姿呈したくなきところこの某銀行のパーティには来賓として出席とか。日本人相手ならきな臭き話もなく社交に徹するも可か、それにしても董建華君のご来臨にはまだ早く何かと思えば大型リムジン到着し足早にホテルに入るは中国銀行幹部クラスと見覚えある御仁。テロ対策か余りの物々しき警備ぶりに唖然とするばかり。香港大学博物館にて「香港早期娼妓場所」なる資料展明日より開幕にて本日開幕パーティあり同博物館のH君に招かれ参加。数多くの写真、資料は中環にて骨董商営むC氏の蒐集品にてH君に紹介されC氏にご挨拶。日本語も多少解すC氏に戦前の日本婦人娼妓について尋ねるがC氏も灣仔春園街界隈に日系妓館いくつかあったことしか御存知なく具体的な資料等は蒐集されておらず。ましてや大正の頃には中環の擺花街の貸席の存在など御存知の由もなし。本晩は展示開幕にてC氏ご多忙につき資料等もあり日をあらためて拝借したきご面談乞ふ。H君と歓談暫し。展示される資料写真の多くは当時の市街写真にて具体的な娼館の中だの商売ぶりの写真に非ず。具体的には数名の娼妓の今でいふプロマイドある程度。余も香港の暮し長くなり古い写真など目にする機会も多かれば展示される二十年代より四十年代の市街写真見てもどの通りのどの付近りにて其処には何某という料理屋だの百貨店ありと察するほど詳しくもなりぬ。開幕パーティゆえ三鞭酒とまでは贅沢は言わぬがせめて白葡萄酒と軽食のお振舞い程度あるかと期待せしが軽食あったが酒どころかオレンジジュースとミネラルウォーターのみ。さすがに辞退し懐かしき香港大からミッドレベルを歩く。かつて八年ほど居住せし界隈も今にしても思へば活動には至極便利ながら自動車の往来激しく、但し一歩路地を入れば昔ながらの古き町並と鬱葱と茂る古木の匿す階段道あり午後七時すぎといふのに人影もまばらにて乱歩的世界。かなり久々に九記にてカレー味の牛南麺食す。相変わらずの客入りに奥に空席見つけ腰掛けると写真撮影家のK嬢に挨拶される。日本の雑誌だかの取材とか。香港大の展覧会の案内状差し上げる。パーティのお帰りにも一人軽くお食事?と笑われるが此々云々と訳を説明。擺花街にて一憇し帰宅。昨日より風邪ひき生薑湯、カップの底に蜜と生薑残りブランデー注ぎ一飲。
▼台湾の陳水扁総統、訪台中の前経済産業相平沼赳夫君にGLAYの台湾公演実現に協力求める(朝日)。GLAYといへば昨年余が北京マラソンのハーフに参加の翌週、北京にてコンサート開催し、それに先立つ夏の訪中にて国家首席江沢民君とも会見し身分不相応にも握手。で次は台湾。なぜGLAYが中台問題にこうも関わるのか。日本は正統なる外交工作からポップアイドル外交に転身か。

十一月廿四日(月)快晴。先週のTripod不通に続き今日は卓上のPCのシステム破壊あり終日かかり修復依頼。幸いハードディスクに障害なくデータ救われる。メールソフトの中身は?と尋ねられ二年ほどのメールこれを機に消去。
▼昨日の統一区議会選挙は民主党大幅に議席伸し親中派の御用政党民建聯議席九十余より卅ほど減らす惨敗。党首曾玉成君責任とり党首辞表提出。快事。曾玉成といへば七月朔日の五十万人市民デモの当日、示威集合地点となったヴィクトリア公園親中の左派団体にて半ば借り切り康楽活動実施し廿三条反対デモ牽制し何万人デモに参加しようとも国家公安立法成立に邁進と豪語、地下鉄站には「国家なくして家はなし」なる浅ましき標語掲げ傲慢ぶり発揮せしが市民の反感喰らい今回の選挙にては副党首現職の重点区にても民主派の何少蘭女史に惜敗。信報の社説曰く今回の選挙にて民建聯は無残なる被害者、と。民建聯の母体は7年の香港返還控え民主派が反中姿勢強烈なるなか北京政府との対立香港に安定した将来期待できずと保守の連中で結成された民生重視の政党にて、今回の選挙にて否定されたは董建華の愚政ぶり。民建聯が親中派=董建華支持がため反董建華票民主党に流れ結果としての民建聯の敗北。本来区議会は民生が論点になるべきで与党として民生重視し地区環境整備など地道に続けたる民建聯にとって住民の支持受け当然のところ政治的には単なる御用政党と化し北京の後ろ盾にて国家保安立法にての立法化貫徹の傲慢さ、所詮、御用政党は御用政党、何ら存在意義もなき輩と化す憐れ。

十一月廿三日(日)快晴。朝五時に起きタクシーで銅鑼灣摩頓台のバス総站。Z嬢と六時丁度の天水圍行きの始発バスで長距離バスもここ数ヶ月の相次ぐ転落横転事故あり一応制限速度守り一時間余で天水圍、NIKEの香港10km挑戦賽03に参加。十数年前に曾ての産経新聞香港特派員で当時長野の某公立短大で教鞭とられていたI氏に誘われ流浮山に海鮮食そうと上水よりバスで元朗から流浮山に向かう途中、この今で云ふ天水圍のあたりが大規模な宅地開発という話ありこの殺伐とした丘陵と湿地帯どう開発かと猜疑ってから十数年、多くのマンションだの団地だの建ってすっかり郊外の市街地と成る。このNIKEの10km、昨年は蘋果日報などある将軍澳の工業団地で遠いが一応は油塘の地下鉄站よりシャトルバスあり、今回は香港でも新界の最も西北にて深センに近い天水圍、不便甚だしきところ、ふと思えばKCRの西鉄が本来は十月に完成予定で、だとすればKRC西鉄の天水圍站より大量輸送も可のところ西鉄の始業延期続く。数日前の天気予報では摂氏15度といふ話が25度ほどの晴天。10kmを肥満、過労と練習不足で56分ほどで走る。天水圍の公園から運動場、天耀邨の団地抜けてKCR西鉄の天水圍站を潜り聚星樓の古塔(写真)。宋代の古塔で香港が英国統治になる遙か昔からこのあたりが登β氏の土地で、この塔も当時の繁栄の象徴ながら今では高架線の鉄道駅の真ん前になり果てつ。この古塔の手前の空き地にとつぜん「千葉跳蛋市場」といふ名の「千葉のフリーマーケット」なる催し物屋開業(写真)なぜ千葉か(笑)。この建物の前の敷地に現在、屋台やフリーマーケットが並ぶブース建設中。いったいどうなることか乞ふご期待。西鉄開業に合せこの聚星樓の古塔にも観光客訪れるといふ算段だろうか。此処から屏山文物徑に入り上章圍の城壁村写真は村の入口の囲い戸)楊侯古廟、登β宗祠、観廷書室から洪聖宮と歩き屏山の集落。本日は香港全域の区議会選挙。この屏山は田舎らしく一議席巡り恐らく屏山区でも坑尾村と屏廈路の向いの塘坊村にてお互いから候補者出てかなり過激な選挙戦か、坑尾村の一角の某候補の選挙事務所前では若衆などかなり動員されかなり殺気だった得票分析中。KCRの軽鉄にて元朗。大榮華酒樓に参るが丁度昼時で早茶からの點心続き店内ごった返す。元朗の街中でも区議会選挙の選挙応援かなり烈しく大榮華の前も御用政党民建聯の幟が立つのも偶然か、屏山の料理屋もそうであったがどうも政党、地元団体の選挙絡みの「お振る舞い」の会食での賑わいと思えてならず。元朗の市街は遙かなる郊外であったのが天水圍など郊外に団地できたことでかなりの人出、銅鑼灣の如し。潮州菜の池記、お粥の國記も満杯、鹵水の満記になる店で鹵鴨飯食す。古り玩具店にトミカのミニカーかなり並びホンダのスーパーカブを購う。子どもの頃に父だの家業の店で働く若衆にこのスーパーカブの後ろに乗せられ、当時はヘルメットも原付の二人乗り禁止もなく、街を爽快に流した記憶。午後かなりギラギラとした陽射し浴びつつバスで昼の麦酒に酔い爆睡してる間に小一時間で一路、天后。帰宅途中に我が居住区の区議会選挙にて投票。我が選挙区も元朗の屏山の如し。巨大な団地は地下鉄に近き「下」と山に近き「上」あり、この上下よりそれぞれ候補者あり、つまり上の候補者当選すれば上新田の道路だのバス停だの改善され下新田なら下新田の居住環境の整備と実に貧困なる村選挙。余は上新田の居住ならが我が地区の候補者(現職)はどうも名誉職でロータリー倶楽部か松下政経塾で学んだ程度で世の中を達観したが如きの御仁、どうも一票を投与する気になれず、それに対して下新田の候補(新人)は無党派ながら民主派で七一デモでも積極的な動き見せ、この新人に一票を投ず。ちなみに香港の選挙、投票時間は朝の七時半から夜は十時半まで。夜の報道で投票率平均34%というのを見てからもまだ投票に行けるほどの時間帯の便。帰宅してさすがに疲労もあり睡魔に襲われ午睡。網上のreal.comつければラフマニノフのピアノ協奏曲三番の最終楽章の本当に最後の16小節ほど流れ力強くテンポ速い演奏に誰かと思えばホロヴィッツ。晩に卵焼き、きんぴら牛蒡、鮭の漬け物など肴に一飲、蕎麦を茹で食す。百年ぶりに『武蔵』見る。筋が散漫。役者も真田幸村役の中村雅俊見て台詞の棒読みぶりに驚き曾ての花神での高杉晋作役、おのう(秋吉久美子)相手のお座敷での粋な芝居ぶり彷彿。花神こそ高杉晋作ばかりか、梅之助演じた大阪の適塾に通う村田蔵六(大村益次郎)、伊藤博文(尾藤イサオ)、吉田松蔭(篠田三郎)に山縣有朋の西田敏行、そして圧巻は米倉斉加年の桂小五郎と幕末の薩長土佐が舞台では散漫にもなるキライあれどそうはならず。
▼最近、奇っ怪なる人多し。先日の聖ペテルブルグ交響楽団の演奏会中に毛糸編みする夫人に続き昨日遭遇せしはかなり混雑する地下鉄の車内にて立ったまま無心に刺繍する女。かなり仕草も大胆にて大きく振り上げた手に針が四方八方に伸びて恐ろしく周囲の客は刺繍女から距離置くほど。テロより怖き市民。奇っ怪といえば余の同じマンションの棟に潔癖オバサンおり。マンションの出入りなどいっさい扉だの暗証番号のキーに触れず。誰かが現れ押すのを待ち、その扉の開いた隙きに素早く出入り。いつも鼻にはティッシュ当て外気の塵埃も遮断と徹底。今日、投票の返りに見ればやはり移動は多数の者と同乗するミニバスなど避けてタクシーだがタクシーも扉の開閉は運転手に任せ扉など一切触れず。だがこの清潔オバサンにとって唯一の不便はエレベータにて誰も来なければG階はまだしも自分の居住階は鈕押さねばエレベータ止らず帰宅時も自分の階を押す必要あり。この時ばかりはさすがに鈕に触れぬわけにはいかず仕方なく手を出すのだが不潔なる鈕に触れたくないオバサン、ご丁寧にティッシュで鈕を押すのだが、これが呆れるのはそのティッシュ、外気から鼻を押えていたティッシュで鈕押すとまた鼻にしっかりと当てる(笑)、鈕についた黴菌吸うが如し。鈕にも清潔オバサンの鼻汁など付着する不衛生もあり、こういった清潔ぶった輩にかぎり実は不衛生さに気づかず。恐ろしや。
▼ちょっとしたことだがロールスロイス社の社長がBMW傘下となっての初の産品「ファントム」の発売にあたり東京モーターショーでのファントム紹介で「ドアは観音開きを採用しました」と言っているのだが(朝日他)、おそらく“double door”といった表現しているのだろうが、それを観音開きと日本語訳すると、東照宮的な派手さが「観音」の音にありロールスロイス仕様の霊柩車、それも名古屋の、を想像してしまふのは余だけだろうか。
▼朝日の書評に加藤周一先生の『小さな花』(かもがわ出版)の紹介あり(評者増田れい子)。世界で一番美しい花は60年代後半の越南戦争反対のワシントンでの集会でヒッピーの女性が自動小銃で武装した兵士に隊列に差し出した一輪の薔薇、と加藤先生が述べていることを紹介。それはいいのだが評者曰く「大正半ばに生まれ青春を十五年戦争のなかで送り生き残った氏は権力の外にひらく「小さな花」として生きた。そしてそれがいかに美しく豊饒なものであり得たかをこの本で証明」と。賞め過ぎ。加藤先生の十五年戦争は軍国主義から隔絶された東大のキャンパスと医学部、そして空襲が激しくなってからは軽井沢。パルチザンでも亡命政権だの地下政府運動にかかわったわけでもなし。「生き残った」といふのは空襲であれ戦地であれ革命運動であれ命さながら、の場合の言葉でないだろうか。しかも権力の外はそれはいいのだが、加藤先生ほどの御仁が「小さな花」であってはならず、サルトルほどの巨大は花にならずとも、せめて権力者の額に突き刺した一輪挿しか、せめて薔薇の棘がきりきりと権力者を刺すくらいでないといけない。文芸家として美しく豊饒であろうが、だが「小さな花」は「羊の歌」ほどにやはり、いけない。

十一月廿二日(土)曇。疲労たまるが休日でも朝早く覚醒るは老いの証し。諸事済ませラフマニノフのピアノ協奏曲二番聴きつつ競馬予想。オーマンディ指揮のフィラデルフィア管弦楽団でピアノがルービンシュタインの1971年の演奏なのだから競馬予想も曲の旋律に合せ展開が見えるが如く(笑)ついつい全て上手くゆくやふな錯覚に陥る。だがそれにしても何と素晴らしい演奏。昼に灣仔のジムにより昼すぎ九龍湾。馬主C氏の会社訪れ十一月四日のDashing Championの口取りの記念写真頂く。余が口取りさせて頂いただけでももう五回目。C氏の次男B君事務所におり立ち話。先週の惜敗、当然のことだが今季で三勝でratingも上がれば厳しくなるが他の対抗馬とて同じこと、次回はやはりマイルで勝負といふ話。折角九龍湾まで来たのだからとSARSで世界中にその名を馳せたアモイマンションに近い橋桟水餃店訪れるが六七人が外で待つほど。曾て日本の屋台グルメだかの雑誌に担々麺が絶妙と紹介され日本からの客すら来るほどであったが最近の担々麺ブームでこの店も客多し。だが問題は十名ほどの客で満席となるこじんまりした店で厨房も小さく客の注文をこなしきれず給仕もせめて客の順番を確認するなり待つ客の注文を聞いておくなりすればいいのだが何もできず漸く卓についた客も注文はできず注文しても料理届かずうんざりとした表情で、そこまでして並んで待って担々麺一椀食すほどの意気込み余にはなし。アモイマンションの向い、かなり老朽化著しい牛頭角団地の前から美孚行きのバスに乗る。九龍湾から黄大仙、旧啓徳空港、九龍城、旺角……とかなり「九龍らしい」コースだが土曜日の午後で旺角の渋滞著しく漸く抜けたと思えばバスは長沙湾からぐるりと李鄭屋古墳のほう周り結局九龍湾より一時間余かけて終点の美孚。夕方、I君がZ嬢とすでにラグビーのワールドカップ観戦している記者倶楽部に参る。これまでスポーツ観戦なるもの大嫌いであったし今もって国家対抗の団体競技に燃えることないのだがスポーツ見ながら麦酒など飲むことほど何も考えぬ所謂「癒し」他になく(競馬ではそうはいかず)とくに今日の豪州対英国は接戦の実にいい試合。延長の最後で英国がDG決めて画期的な北半球勢初の優勝を勝ち取ったのだがI君に言わせればキック合戦でラグビー本来の攻めて攻めてのトライなきことは不本意と。確かに。蘭桂坊はZ嬢の話ではこのラグビーの中継観戦で酒場に集まった客が多く坂下で通行規制中だそうな。記者倶楽部のバーも英国七、豪州三で歩けぬほどの客の入り、英国ばかりか豪州とて米国に加担しており「恨まれても仕方なき」英豪の人集ふ場所は危険といえば危険か……日本とて加担側なのだが。試合終ってバーも少し静まりダインに移り夕餉。タイ風鴨肉のカレー。競馬はといへばまたもI君が十戦のうち余が自信もなく敢えて避けた唯一の第四場で35倍だかの首騎士なる馬より流して連複当て相変わらずの大穴での勝負強さ見せつけられたがわりあい固い展開続き余も単複購った八戦のうち第五、七〜十場の5つが一着、二つは複勝で入賞せぬのは第一場の一つのみ。大した配当でないがTierce一つとTrio二つ当て、あとは配当にはならぬが3Tも九頭中五頭まで当り、残り五枚の馬券も連複で一つは入っており完全に外したのは結局第一場の単複の一枚のみという好成績。本日地場の二級賽(G2)二戦あり香港スプリントの予選は昨季の緒戦から短距離で六戦六冠と負け知らずの精英大師(Cotzee騎手)が同じく昨季緒戦から六戦五勝一李と絶好調の幸福財星(William騎手)との一騎打ち、精英大師が七勝目。香港マイルの予選は何といっても昨季緒戦から九戦五勝三李一負の幸運馬主、同距離一分卅四秒一の時計では他のどの馬をも寄せつけず。
▼昨日驚く心境を仙臺辧にて「がおる」といふと書いたら村上湛君よりこれは江戸俗語「我折れ」の轉ならずや?と本朝廿四孝で八重垣姫「どうぞ今から自らを、可愛ゆがつてたもるやう……」に応え腰元濡衣「取り持ちせよと仰有るのか。我折れ」とあり、と。我折れ=參つた。こら堪らん。といふ俗語。なるほど。
▼週刊文春で「私のごひいきベスト3」で渡辺保氏が「現役の劇評家が今日の「ごひいき」を書いては差障りがある」と「昔の」三人の名女形として挙げる。まず三代目の梅玉。敢えて保少年が戦争直後に見た七十歳の梅玉は今日のような美しい女形ではなく「皺だらけの悪声の上に低音」なのだが東京劇場で見た戸奈瀬や玉手御前のグロテスクな美しさ、それが人を夢中にさせ、スケールの大きなまさに芸の格が梅玉にあった、と。次が梅蘭芳。今さら説明も要らぬが高校生の保少年は昭和31年の中国京劇団の来日公演「貴妃酔酒」を歌舞伎座で見ているといふ幸運。当時すでにテレビで舞台中継あり保少年は見逃した覇王別姫を隣の家のテレビで見せてもらふのだが、この共産中国による京劇の訪日はまさに奇跡。一年遅れたら実現せぬ、つまり梅蘭芳が日本で見られることなどできず。中国は翌年に反右派闘争、続いて大躍進制作だの人民公社化だの急速な共産化進め京劇もブルジョア芸術として非難され苦難の時代始まる。その僅か一年前の来日。確か梅蘭芳が六代目だったかの自宅訪れた写真見た記憶あり。で、最後の一人に渡辺先生が挙げたのが、渡辺保なのだから当然大成駒・歌右衛門を挙げると思うのだが今回のベスト3は歌右衛門や梅幸より「一時代前の名優たちで少年の私が夢中になった」女形を選んだそうで、そこで挙げたのは新派創始期の女形・喜多村緑郎。さすが渡辺先生、か。緑郎、渡辺先生が見た当時ですでに八十歳に近し。若い頃の写真など余も演劇画報などで見ただけだが、そのまま柳橋の芸者にでもさせたいほどの色気。で芝居の立振舞い、せりふ廻しがリアルで抜群の演技力とは、想像するだけでも楽しいところ。

十一月廿一日(金)天気予報寒波襲来告げ気温下がる曇天と宣ふが晴れ廿五度に汗ばむほど。Tripod.comへの不通先方より米国東部時間廿日ぢゅうに問題解決と報せあり今朝繋いでみれば復旧あり。どうも日本からの接続に難あったらしく余のサーバーも日系某社は日本経由の為か不通だった模様。余一人の事にあらずtripodの顧客服務頁には報告あるが Some users who are attempting to access or edit tripod sites have recieved error 404 messages, page not found messages, gateway timed out messages, and other messages instead of the sites they are trying to reach と吐かし何が some users だろうか。この数日間の不通にて余のサイトが開かぬのは日頃の余の言いたい放題に政府当局からの圧力か?といふご冗談も知人より頂いたが余の如き小物相手にされる筈もなく日本にて対政府与党への放言など憲法に保障された言論の自由の内、我が国でタブーといへば畏くも宮中、ふと思い出したは『噂の真相』一行情報に永六輔氏「こともあろうにNHKの」番組で畏れ多くも皇太子殿下を「浩宮と呼びつけ」にしたとかしないとか、言論の自由あっての泰平、余も数日ぶりにこうして上網するにつけ放言できる有難さ身をもって痛感するばかりなり。ところでこの不通にて余も余なりにいろいろ立回っておればふとドメインネーム登録サイトに辿り着き当然 www.fookpaktsuen.com は余による登録、ふと詳細をば見れば余の住所だの電話など閲覧可にて「すわ大変」、この心境仙台弁では「ガオる」といふが登録時の余の注意不足に起因、まさにガオり慌てて変更済ます。久々に自宅にて晩餐。神戸漁協の須磨産の味付け海苔、小田原の山葵漬、おこわなど。NHKのNews-10見ればバクダッドの外国プレスなど集まるホテルでロケット弾による爆発ありヘルメット、PRESSと書いた防弾チョッキ着た特派員氏ホテルの前に立ち「爆発のあとアメリカ軍がすぐに治安部隊を出し治安維持にあたり上空にはアメリカ軍の飛行機が警戒にあたっています」とまるで米軍は正義の味方。米軍がいるからこのような惨事続くのだが。その中継を受けてスタジオではバクダッドの市街地模型を眺めながら「今回爆破があったのは……」と相変わらず爆撃地点の検証などといふ意味なき報道、だが相手は驢馬の牽く荷馬車(笑)、『インディ・ジョーンズ』の映画の如し、それを爆撃地点の検証することの滑稽さがNHKには理解できぬらしき。今井環君は今回も「やはりまだフセイン支持をするグループがおり、今回の犯行に挑んだわけですね」と。違うって。もはやフセイン支持の奈何ではなく単に対米民族闘争と化しているといふこと。かふして米国がいくらテロ征伐挑まふとも事態は深刻になるばかり。
▼昨日土耳古はイスタンブールのHSBC爆破され曾ての香港上海豐匯銀行も地銀より世界銀行目指し名前より香港上海なる土着色消すが為にHSBCと頭文字だけの名義変更、これ功を奏し世界第二位の規模とは驚くばかり、香港にてはついHSBC爆破と聞き地元行の土耳古支店狙われた如き錯覚、香港警察も香港のHSBC総行など警備強化、だが土耳古にてHSBCも三千名だかの従業員有す大規模行にて地元業務が基盤、HSBCは今や香港の銀行に非ぬこと改めて実感するばかり。
▼ところでその土耳古での英国といふ我らが自由主義勢力を狙った残虐極まりなき爆弾テロ行為(ブッシュ語的表現)の報道見ようとcnn.com見ればトップ記事はマイケル・ジャクソン容疑者とは。築地のH君に言わせれば「チンパンジー相手にしていればよかったものを」と。確かに。マ容疑者の兄Jermaine Jackson氏は今回の逮捕について“Michael is innocent”と弟を弁護。45の男に innocent もなかろうが、今や innocent なる言葉は現代の代名詞。米国の先代大統領も華盛頓の白宮にて葉巻でお戯れとは本来なら赦されるべきなかろう珍事ながらクリントン氏のどこかinnocentなる面に温情集まり放免。当代の米国大統領、日本の首相のinnocentさも今さら言うに及ばず。マ容疑者の声明は“Lies run sprints, but the truth runs marahons. The truth will win this marathon in court”と力強いが、この決め台詞、検察とて同じ文句のはず。マ容疑者の半生振り返れば越後獅子が如き小芸人ぶり、そして全盛の華々しさ、で性趣の醜聞に凋落とマ容疑者、実に芸能のおどろおどろしき半生。中上健次先生ご存命であればこの物語どう読んだか、と想像するばかり。それにつけてもマ容疑者の被告人写真(写真)なんといふ形相。紐育時報“The picture showed a hollow-cheeked Mr. Jackson with his head turned slightly to the right, his eyebrows sharply arched and his eyes wide open and staring directly into the camera. His lips are thin and bright red and his nose bears a distinctive chiseled look that Mr. Jackson acknowledges was achieved surgically.”と徹底的に描写。ここまで凋落せし形相、歌舞伎なら夜鷹の役もつこうか。かりに実刑となって出所せば五十路、再び奈落の底から舞台にたち照明浴びてこそ芸人、脱疽で手足切断しても舞台にたったといふ三代目沢村田之助見るほどの畏れもあるやも知れず。それにしてもこのマ容疑者の嫌疑、日本でも某芸能プロダクションの社長であるとか、Sirの称号英国女王より頂く高名なるSF作家の先生も同趣。後者は某国の官憲捜査に乗り出すもSirの称号汚すこと怖れし英国政府が外交ルートにて手を回したといふ噂もあり。マ容疑者の罪は放免されぬにしてもなぜマ容疑者「は」検挙されたのか?は月本氏的に十分に考えるべき問題。
▼本日の産経、連載コラムで曽野綾子先生「イラクとの開戦前後から、私は産経新聞の論調と自分の心に時々隙間を感じることがあった」なる重大告白あり、と産経愛読のH君より。「アメリカの。それもブッシュ政権の見通しの悪さと愚かさの結果と言ってもいいイラク侵攻に日本が一筋に追従していいと思えたことはなかった」と正論。だがそれに続く言説は、いまのイラクで戦う相手は無法のゲリラなので国際法は通用せぬという展開を見せ「アメリカも日本のオピニオンリーダーたちも、戦う相手が正規軍ではなくゲリラだということを忘れているように見えた」「ゲリラがジュネーブ条約を守るなどということは初めからありえないのだ。ゲリラはその日その時の気分次第で、捕虜を好き勝手に扱うだけである」と……これも考えようによっては曾野先生らしいといへば先生らしい極論か(笑)。これを多摩のD君に尋ねるとD君指摘するは曽野先生の国際法理解おそらく第二次大戦前くらいでとまっているのではないか、と。戦後は民族解放闘争に一定の正当性があると考えられるようになりゲリラにも捕虜資格が「ある程度だが」与えられるようになっている、とD君(こちら参照)。実際にも例えば南ベトナム解放民族戦線などが米軍捕虜を気分次第で取り扱ったかといえばそうでもなく寧ろ現在米国がグアンタナモでやっているようなアルカイダやタリバンの取扱いこそ「その日その時の気分次第」の絶好例ではなかろうかとD君。反米主張するにしては重要な論点を見逃しのキライあり。

十一月廿日(木)朝、自宅にて一瞬サイトにつながり安堵するが元木阿彌。何人か香港と東京の知人に尋ねるが依然つながらず。四日目。日本でも築地のH君よりつながらぬと報告あり。Tripodに確認依頼。だが香港でもかなり遅いがつながるケースもあり原因依然不明。先週あたりから香港にて感染性胃腸炎が流行。学校など集団感染あり。けして珍しくなき流行症だが兵庫県伊丹医師会に(こちら)予防対策あり。
予防対策:近年、感染性大腸菌感染症が多発しているので、各自治体から対策ポスターの貼付、対策パンフレットの配布など実施されている。ぜひ清覧されたい。
と。これのどこが予防対策なのか(笑)
▼昨日綴った中国河南省駐馬店市での連続殺人。その「知能木馬」なるもの、何人かの方から「これは何ぞや?」とお問い合わせいただく。乱歩的に絡繰(からくり)の、かなり精巧なる器械を想像し「知能」といふ文字がICでも埋め込みSonyのAIBO的に判断力まで有し、まるで犯行者の思うがまま虐待加える木馬想像するも易し。だがこの「知能」、単に「知能発育年齢向け」、簡単にいえば「幼児向け」の意と普通にとれば、この木馬、単に幼児用の木馬の玩具にて、高級品は昔でいへば宮様がお玩びの舶來の木馬から今でいへば縫いぐるみの毛並みよき品(左)、簡単なモノなら自分でも作れる木製(右)まで。その幼児性の玩具に少年を縛るといふのが更に猟奇的か。この加害者の青年、報道によればホラー映画のビデオ好きなど「お決り」の趣味もあるが部屋には自ら描いた中国画飾るなど文化的生活の一面も、と(こちら)。ところで大久保のN兄より「駐馬店」なる地名、かつて街道交通を馬に頼った時代の宿場町とわかる地名、と。確かに。ある掲示板の書込みには中国での最近の犯罪、事故などネットカフェ多いのでは?、と。全くその通り。日本など「自由世界」にある若輩とてネットに群がるのだから自由統制され雜誌など活字、放送媒体が制約受ける中国に於てはネットこそ彼らに自由与える唯一の媒体。政治的規制も入るに入るがドバイでのポルノ規制などに比べれば甚だ緩きもの。
▼マイケル・ジャクソンさん(45)。こういった事件起きると本人の罪状より周囲のコメントに傑作あり(こちら)。まず日向野春総精神研究所所長の日向野春総氏、強い母親に育てられ精神的去勢状態になり成人女性への恐怖感から自分の思い通りにできる子どもへと関心が移り……とそこまでは事実かどうかは別にして心理学っぽくてまだ「なるほど」なのだが「繰り返す整形は自分を産んだ母親への復讐心の表れ」で「あのロボットみたいなダンスも母親への復讐に見える」と(笑)。ブレイクダンスは母親への復讐だったとは。次に犯罪心理学がご専攻の上智大名誉教授・福島章先生は「クリントン元大統領の例のように『スパースター』という社会生活で見せる人格と下半身の性的衝動が全くの別人格のようだ」と。大統領としての人格なら(それがないのが現職だが)まだわかるがスーパースターの人格って何? それにスーパースターは下半身の性的衝動あってはならぬようだが「英雄イロを好む」といふではないか。更に「お金があれば小児性愛にかかわらず、山崎拓先生のようにヘンなこともできるわけだから……」とおっしゃるが「ヘンなこと」はおカネがあってもなくても出来る、ただおカネがあると「犯罪にせずに」何かできる、といふことか。

十一月十九日(水)小雨。Tripodのサーバー依然として修復されずgoogleでtripod検索すれば1370万件だかヒットするのだが世界中のこれだけの網頁に支障あり。被害さぞや甚大……と信じていたがTripod側からの通知によると先方にては正常で余のサイトも閲覧可能、と。だが実際には少なくとも香港と日本からは閲覧できず。更なる調査を依頼。晩にHappy Valleyで競馬。馬主C氏のDashing Champion今季四戦三冠一李〇負の好成績でついにClass-1に昇格、本晩のメインレース亜州区弁護士会会長杯に参戦、すっかり競馬好きのI君、O君誘いZ嬢と四人でStable Bend Terraceにて肉食のBBQビュッフェで競馬観戦。Dashing ChampionもさすがにClass-1では強敵多く惨敗。投資分はご祝儀も含め、だがそこそこの儲けも消えて最終レースで取り戻しもあり。第2レース(芝1000m)では初陣の煙花燦爛(20倍)の入賞二着を当て第3レース(芝2200m)でも17倍の9戦未勝馬を押したりとかなり勘の働いた一夜。終わって香港大学勤務のH君に会えば「うちの馬が二着」と。どの馬かと思えば第3レースで一番人気の「新英」で余の推した17倍の「精梳王」に最後画期的に刺されたが新英とは立派な馬、てっきりH君のご両親の持ち馬かと思えばレープロみたらH君も馬主とは……。I君、メインレースで一着の「駿先鋒」7.3倍と二着の「妙手」は22倍!の二頭それぞれ軸に総流しで見事に両頭から当てる快挙。大したもの。
▼今日の産経社説「主張」。産経愛読(笑)の築地H君も「こんな言説、つい数年前には正気では読めなかったものですが」と(こちら)。H君曰く戦争は一度始めればなかなか後戻りはできなぬもの、ベトナム反戦がいかに偉大な闘争だったか、そしてそこから権力がいかに教訓を引き出したか、今更ながら、と。その産経社説、産経社説にしては意外と読める内容だが(ただ事実をずっと述べているからでもあるが……笑)白眉は最後の
戦後日本に特有な精神的な弱さが暴露されることで、かえってテロの犠牲者を出しかねない逆説に目覚めるべきである。自虐的な日本より、いまは苦難に立ち向かう雄々しき日本が求められているのである。
といふ主張。「戦後日本に特有な……逆説に目覚めるべきである」までは「まだ」読めるが、今回の政府の決定が何処が自虐的なのか、産経的感性に乏しき余には理解できず。精神的な弱さ≠自虐的。どちらかといえば臆病ぢゃなかろうか。それに今回の日本の立場は「苦難」ってほどのものぢゃなし。ここで「苦難」などとて言ってしまふ産経こそ自虐的でなかろうかね。
▼信報の連載隨筆によれば紐育より東京に立ち寄った劉健威氏東京にて六本木山荘訪れその偉容に敬服。高層ビルから眺める東京の都市の風景は「散乱而平淡(散乱シ而モ平淡ナリ)」と実に言い得て妙だが、それでも初めて高いところから自分の住む都市を眺めれば「眼神還是充満驚奇」にて森美術館を褒め、香港も香港国際金融中心落成したが高層建築としての偉容はあっても何が欠けるかといへば文化、と劉先生。確かに美術館どころか画廊の一つすらなし。
▼中国河南省でのネットカフェ舞台にした少年25人殺害(こちら)。加害容疑者自宅近くのネットカフェなどでアルバイト募集を装って中高生らを自宅に誘い込み「知能木馬」と名付けた道具に縛りつけるなどして拷問、殺害した、と。乱歩の猟奇譚か、これは。知能木馬といふ器械、いかにも乱歩先生想像しそうな怖さあり。ちなみに朝日の見出しは「中国当局、男を拘束 20人余殺害の疑い」だが中国の新聞では「河南一独身男子 25男生 其屋内掘出18具少年死体」と実に生々しく漢字の見事さ。香港ではこの事件、事件ぢたいより数年前からの謎の行方不明相次ぎ、この容疑者は買春容疑などで何度か検挙されているが罰金刑で釈放され、今回の事件も容疑者逮捕のあと新華社、人民日報、中国中央電視台といったメディアが報道控え湖北省の地方紙が取上げ続いて北京青年報による報道があって被害者の親たちが事件を知るという公安の情報公開の遅れに親が号泣して公安局前に座り込みという点大きく取上げられる。
▼在京某新聞社の朝日新聞ウォチャー自認する知人より朝日新聞にジェンダーガイドライン越える表記あり……かもしれない、と。これは朝日の数日前の夕刊にあった「藤原竜也が役者生命賭けて蜷川ハムレットに出演」という記事。蜷川先生に「彼(藤原君)でハムレットができるわよ」と耳打ちした英国のプロデューサーがおり……とじつにさらりとした表現だが、この所謂オンナ言葉実は社内基準で「女性がしゃべったからといって勝手に女言葉で訳してはいけない」というジェンダーガイドラインがあるそうな。すると、そのガイドラインを越えたこの表現はオンナでなくオネエ言葉の可能性あり、と(笑)。確かに倫敦のシェイクスピア劇のプロデューサーってのが「いかにも」だが、そうであるとすれば某君曰く、記者の原稿がデスクでいったんジェンダーフリー表現に直されようとした際に、記事書いた文芸部記者が「いや、これは女性ではない。オネエ言葉、で表現する必然性がある!」と頑張ったのでは?、と(笑)。
▼オネエねたでふと思い出すは新宿のL君よりの笑話。映画評論家で米国の警察制服フェチでも有名なM先生(って誰でもわかるか、これぢゃ)トーク番組でなぜか?お尻の穴の話題になり、先生、話題が下品にならないようにと肛門と言わずに気をまわしたつもりが「入り口が、入り口が……」と連発。そりゃ普通、出口や(笑)

十一月十八日(火)小雨。寒波。余のサイト開かず、それどころかwww.tripod.comもこのサーバーに属す恐らく全ての個人サイトも終日つながらず。慌ててもどうしようもあるまひ。晩に或る仕事絡みで北角の寿司・加藤。最近酒にかなり酔ひやすく醒め難し。翌日に疲労感残り、それを余がこの場で「気持ちいい疲労感」と表しウケたが、いずれにせよ酒精の分解にかなり体力消耗するのは事実。ゆえに今晩はかなり酒量気にしてコップ酒を嘗める如く頂く。結果的に三時間で7勺ほどを二杯のみ。慣れぬことしてみたが実にいい酔い心地、和み。若ければとても気が猛ろうが老境の醍醐味か。と本人はかなりの満足だが気にするのは同席の輩及び加藤のご亭主。最初はさかんに「飲んで、飲んで」と勧められたが途中から「どこか具合が悪いのではないか?」と神妙に心配いただき、否定しても皆さん酔うほどに「カラダの具合が悪いなら」と気遣いいただき恐縮。客観的に見れば飲み過ぎ=あなたたちが寧ろカラダに悪いはずなのだが(笑)。それにしてもたかだか7勺のコップ酒2杯で数時間を過ごすとは快挙か哀挙か。帰宅しても実に心地よし。
▼ふと気づけば窪塚君の『狂気の桜』先週木曜日に3館にて上映開始のところ本日僅かに1館のみ、それも天水圍といふ深センに近い郊外一ヵ所のみにて上映中。Kornhillに当初掛けたは日本人居住多しとの目論みだろうが結局先週末の客の入り悪く一週間ももたず上映打ち切り。当然か。
▼日本が平和国家かどうか。『世界』で大分のオバサン、国家の天皇制の利用に懐疑的で植樹祭など植樹どころか緑伐採事業にて中止すべき、とただそれだけの考えのオバサンなのだが、この程度のオバサンですら天皇皇后両陛下の大分への御幸の際には公安当局が徹底した尾行まで(笑)ラムズフェルド来日反対の左翼系市民デモとてずいぶんデモ参加者多しと思えば機動隊員(笑)。たかだかこの程度の平和的デモでこの物々しき警備。行動右翼からの襲撃の危険性あり表現者たる市民を守っているのだろうか。香港のデモでの警察の車道でのデモゆえ交通事故発生を防ぐための警備とは比べものにならず。中国国家主席の来港とて過激な反対デモなら機動隊も対峙しようが単に共産党独裁反対という意志表示をマスコミに投稿した程度の市井のオッチャンオバチャンに公安の尾行はつかず。
▼イラクへの自衛隊派遣、治安悪化で先送り、と。日本が「普通の国」として国際社会で責任ある地位であるがためにイラク情勢安定に貢献するがため派遣するはずであった自衛隊だが治安悪化で先送り。小泉首相曰く自衛隊は軍隊、だが危険な「戦場」に行けぬ軍隊とは。非武装中立など普遍的理念にすぎず丸腰平和論など葬り去られての今回の軍事協力、だが現場が危険で協力できず、英国Guardian紙など二三日前にはすでに自衛隊派遣断念で「臆病」といった記事すらあり。それならば、寧ろ観念的平和論であれ基督教対イスラム教といふ宗教的対立の枠外にあることも幸いし日本が石油で培った中東での友好関係をば足がかりに中東和平で平和的解決にむけ積極的なる外交することのほうがよっぽど「普通の国」としての国際的貢献であることは確か。頼みの宗主国米国にすらブッシュ=小泉が協力なパートナーシップなどといふのは嘘で(だいたい言葉すら通じず……笑)米の国防副長官曰く「日本からはもともと(部隊の派遣で)多大な貢献を期待していなかった」し「日本は今も、こと軍事に関する限り、いかなることでも非常にためらいがちな姿勢をとる」とまで予言(笑)。更に、日本はもともと大してあてにしていないとの考えを示した(こちら)、のだから本来、国辱的であるが当然、小泉三世であれ自民党であれ都知事であれ米国のそういった侮辱には一切抗せず。さすが。だがいずれにせよ軍事協力も調停和平も一切しておらぬのだから何を言われても文句もいえぬか。ところで加藤周一先生が一貫して「イラク征伐」といふ表現するは見識。
征伐=服従しない者を攻めうつこと。征討。「鬼を―する」(広辞苑)
まさに。正義も悪もなく、ただ気に入らぬから攻めるといふ、それがさすが世界最強の国家のなせる業。ところで加藤周一先生といえば更に高齢の大野一雄先生、97歳になって車椅子で一輪の花を手に踊られる姿あり(朝日新聞)。自衛隊などイラクに贈るより大野先生が健康でさえあればバクダットの市街にてどのような舞踏を見せていただけるか。
▼産経新聞に「自由主義研究会」に属す中学教師が「歴史教科書は敗戦を「第3の建国」などと書いているが、外国の占領下の建国とはいったいなんだろうか。聖徳太子が見たらなんと仰るだろう」と書いているそうな。築地のH君は「海瑞免官を論ず」みたいだ、と。確かに。実は「産経的に文句のつけようのないロジック」を用いて宗主国たる米国のイラク侵略を厳しく批判か?……まさか(笑)。いずれにせよ聖徳太子がご覧になったら敗戦時よか今の日本の為体のほうがよっぽどお嘆きではなかろうかね。

十一月十七日(月)小雨。九龍に藪用あり茘景(Lai King)にてMTRをば東涌線よりTsuen Wan線に乗り換えるがふと思えば何度も茘景站にて乗換えしつつ一度もこの茘景で途中下車したこともなく站出てみれば西は世界一の規模誇る香港港の貨櫃(コンテナ)ターミナルが広がり殺伐とした風景、東に乗降客の流れに従えば岩崖に張り付くように建てられた旧型の公共住宅地。帰宅時間ゆえ住人で賑わふがそれ以外の何もなし。これほど周囲から隔絶され企業など一切なければ確かに此処に住まうか知人でもおらぬかぎり訪れる機会もなきは当然か。バスで美孚に下りる。美孚も三十年前に建設された近郊の大型マンション地帯。此処もまた隣の長沙湾、茘枝角の旧市街からは隔絶されMTRとバスのみが美孚を市街と結ぶ。九龍バスの総站が此処ゆえ人の往来こそあり商店街などあるにはあるがBroadwayなどと名付けられた通りもマンションの階下の乾物屋だの青果店、魚屋の並ぶ湿った横町の如し。
▼週刊文春が「在日外国人の少年犯罪」の「圧倒的第一位はブラジル人」と。このブラジル人は当然、日系ブラジル人。都知事はこれに困らぬか。悪の根元は朝鮮人、支那人でなければならず、まさか我が同胞の子弟とは……。だが心配に及ばぬは日本での少年犯罪の大多数は当然ながら我らが同胞の日本人少年たちであり、同じ血を引く日系ブラジル人がそれに続いても当然といえば当然。いずれにせよ犯罪を民族で括ることの愚慮。人口が多ければ犯罪件数も多く経済的い苦しければ同様に犯罪件数も多いだけのこと。
▼今日の信報に李登輝嫌いで名を馳せる台湾の、といふより「中華民国の」老練ジャーナリストである陸鏗氏、李登輝先生が来年の総統選挙に向け陳水扁総統(民進党)の応援に大々的に乗り出し「陳水扁が負けたら自分は海外に亡命しないといけない」とまで宣ったこと取上げ、李登輝君の政治姿勢のどこに信頼がおけるかと罵るは李登輝君の半生をみれば日本の皇民化政策で(これを1947年と書いているが当然誤記)岩里政男と名告っていた李登輝は終戦後は共産党員となり、それが国民党員となり農相、台北市長、台湾省主席と……この経歴を見れば李登輝の変節ぶり明らか、と。確かに外省人で国民党一途の陸鏗君からすれば皇民→共産党→国民党→民進党支持といふ李登輝君の政治姿勢は変節以外の何モノでもなし。だが日本統治下に生れ日本の旧制の教育受け戦後に共産主義信奉するは当時の知的青年にとっては当然といえば当然のこと、それが国民党の白色テロ時代を迎え台湾で知識人が生き抜くのに表面的に国民党に近づくのも当時の台湾にては珍しいことに非ず(そうでなければ犯罪者扱いか国外逃亡しか手段なし)、その時代が終焉を迎えた時代にかつての赤学生が中道左派政権を支持する、という遍歴に“変節”といふほどの思想的転向があろうか。ごく自然ではなかろうか。確かに陸鏗から見れば憎んでも憎みきれぬ李登輝であろうが陸鏗が老いてもジャーナリストを名告るのならこの台湾の青年李登輝君の思想遍歴はもっと客観的にとらえるべき。ここが陸鏗の「中華民国的限界」なのだろうが。

十一月十六日(日)曇。早朝から夕方まで藪用あり。黄昏に尖沙咀に遊ぶ。帰宅しておでん。ギネスの缶と韓国OB麦酒の缶あり何れも瓶ならかなり好むが缶入りは余には格段に味落ちると思え、ふと半々で混ぜてみれば普通に喉越しよし……と書いてふと思うが麦酒を語る場合の「喉越し」とか「味にキレがある」とかの常套句、言葉こそよく使うが具体的に何を意味するのか漠然、かりに自分はそれわかっていても各人夫々かなり具体的な感じ方に異なるものあるのではなかろうか。NHK特集にて「文明の道」の7集?「エルサレム 和平・若き皇帝の決断」といふ番組見る。シチリア王、のちの神聖ローマ帝国王となったフリードリッヒ2世のイスラムとの和平、エルサレムのわずか10年余ながら十字軍の時代の13世紀初頭にイスラムとキリスト教がエルサレムにて互いを尊重し共存する、まさに叡知に基づく時代。結局それを壊したのは異教徒との融合を批判したバチカンでフリードリッヒ2世はバチカンの送った十字軍に敵とされる悲劇だが、ローマ法王庁は西暦2000年に十字軍の行為に「ゆきすぎ」を認め謝罪したもののフリードリッヒ2世の破門はいまだに覆されておらぬそうな。宗教は人を救ふ、か。『噂の真相』並に『世界』読む。
▼その作家の本手にしたおりてっきりすでに故人と疑わずふとしたことでご本人健在と知り驚くことも稀にあり。串田孫一など母が女学生の折に愛読せし『アルプ』だか納戸で埃かぶる冊子よりその詩を読み故人と信じていたのが新聞だかに隨筆見て驚いたもの。堀田善衛氏もそのお一人。ご健在と知った後のことだが古本屋で見つけた『上海』なる小説読み鎌倉にお手紙を差し上げたらご丁寧に返信頂く。今回何に驚いたかといへば巴金。四半世紀も前だろうか岩波文庫で『家』を読み1920年代だかの封建的な“家”が若い世代によって変革されようとする、その近代的なる物語に「世の中そう簡単には済まされないよなぁ」と思いつつ、五四運動に触発されたあの世代にとって未来とはそれほど耀かしいものだったのかと想像しつつ勝手に余の記憶では魯迅、郭沫若、老舎、茅盾といった中国の文藝の列に巴金氏をすでに逝去と書き加え……だが巴金氏も文革にては下放されかなり悲惨な目に遭ったといふような話も知っているのだから記憶と矛盾するはずが、昨日、巴金氏の生誕百周年でご健在という記事を見て驚くばかり。

十一月十五日(土)晴。午前、百年ぶりに康柏ジョギングトレイルに上り8kmほど走る。身体重くコースまで上がるに難儀。走り出せば10分もすれば身体はどうにか走るに応ずるが課題多し。昼すぎジムにて同じく百年ぶりに筋トレと思い自宅出るが金鐘でタクシー降りるとOctopus Cardなきことが発覚。仕方なく自宅に戻るが見つけられず。タクシーにて財布取りだそうとして落したか。プリペイドカードであるなら単に残高さえ諦めれいいのだが問題は余のカードの場合、銀行口座と連携しており残高不足となると自動的に口座よりHK$250が振替えられる、便利であるが危険な仕組み。Octopusの管理会社に電話するとすでに土曜日午後にて営業時間外。留守番電話対応ながらカード紛失にてまず香港IDカードの番号、生年月日を入力せば早急にカード使用不可の過程に入る、と。規則としてこの紛失の届け出から24時間以内については不正利用等あった場合の損害はカード保有者本人にあり、24時間以降は免責。24時間以内が問題だがいずれにせよカードが残高不足となり自動振替されるのは1度きりでつまりHK$250以上の実害はなし。しかも余の個人口座は浪費たたり数百ドルの残高しかあらず(笑)。週明け月曜にカード残高の精算並びに再発行手続可、と。いつもながら香港の効率的な事務処理に感心するばかり。ジムをまた逸して九龍某所にて高座。旺角。晩にランニングクラブの定例会あり佐敦のLa Bohemeなる創作系料理屋。La Bohemeといえば十月に巴里のオペラ座(バスティーユ劇場)の舞台彷彿。三十分時間間違え早く着き藪用済ませ恭和堂にて亀苓膏。曾ては砂糖だの蜜だのかけてどうにか口に運んだ亀苓膏もいつの間にか甘みなどなくとも爽快なる妙。廟街の屋台と軒の間歩けば街頭に企つ淫売婦の多きこと算えるも難儀。昔は越南戦争当時からの廟街皇后多きこの一帯も今ではかなり別嬪の大陸娘多く淫売などせずとも旦那見つけるなりお酌でもじゅうぶんに生活には困らぬように見えもするが。淫売とてあれほどおればどう見ても需要と供給では仕事不足で大した商売にもならぬだろうに。例会終って、最近は酒もめっぽう弱くなり二次会に行くことも億劫にて知友らと岐れ、Z嬢とそういえば佐敦に来るのもかなり久々だからと食後だといふのに麥文記にて雲呑麺食して帰宅。今日も競馬に参る時間なく昼に慌てて予想して単勝のみ購入。当てたのは確いレースのみで大穴見事に外すがそれでも9レース買って4冠3亜1李1負は十分。複勝買わずも3亜1李は配当HK$15かそれ以下で寧ろ単勝に絞って回収率高し。主戦は12月の香港国際カップの準備戦(G2)、けして本命出ず。香港国際カップトライアルでいいものをレース名は今年からThe Asia's World City International Cup Trial と(笑)。本当にアジア代表する国際都市であればこのような名義要らぬ、新嘉坡や上海意識してのこの名義、悲しきもの。一着はElegant Fashion、香港で唯一?の牝馬(ほかにも数頭いるかもしれぬが活躍するのはこのEFのみ)。
▼昨日のSouth China Morning Post紙に香港大学の美術館にて展示管理するH君登場。トレイルで出遇い競馬も彼の両親が馬主で彼も大の馬好き。美術品を見て語れる人といふのは大したもの、と感じ入る。余は美術音楽については小泉三世ほどの感情表現しかできず。
▼先日、この日剰にてかなり疑問視した「信州魚巻麺」、ある方のご指摘うけ実際にこの料理、信州にあり「信州蒸し」といふそうな。かなり奇妙な料理ながら、もしかしたら、と怖れていたらの実在。日本の高級割烹や喰切りの店などでよくある料理だそうで、香港の高級ホテル内の日本料理店でも懐石の中の一品として新蕎麦の季節には見かける、と。余の無知を忸じるばかり。そういった日本料理屋で出される信州蒸しを修行していた地元の板前氏が材料を地のものでアレンジし、所謂“日式”料理店供しており、今の季節なら 甘鯛の信州蒸しあたりが少し濃厚な口当たりの酒に合ふ、と。通な世界。だが余にはどうしてもなぜ信州で海の魚使って蕎麦にまで巻くか、やはり食してみぬと理解できぬ世界だろうか。ちなみに余が冗談で述べたブラックバスの信州蒸しもあり……となると石班の信州蒸しもあっても不可思からず。

十一月十四日(金)晴。黄昏に灣仔運動場。来週末のNikeの10kmのゼッケンなど受領に参る。参加者、本来は完走者に配られるべきTシャツも本日頂いてしまっては、これぢゃ場所が天水圍といふだけでも遠く参加危ぶまれるといふのに余計に行かぬ公算高まるばかり。MCLのKornhill戯院にて窪塚洋介君の『狂気の桜』見る。幼拙ながらどうにか何か言わんと欲す姿勢は見せる窪塚君発案にて主演といふので多少何か衆論ありやとも期待せど格好ばかりの平成維新、結局所詮単なる組の対立の極道映画に終るは残念。窪塚君演じる青年山口君、山口君と聞けば山口二矢と思うのは余の齢ゆえか、60年代に大江健三郎君が左翼語ることが新しくそれが平成の世ではスマートなネオ右翼が新鮮か。窪塚君宣うは日本は巨大なる勢力に取り囲まれてこのままではダメになるといふ危機感。日本が立ち直らねば、という気概と強力なるエディプスコンプレクス。「ナンパ」なんて何語なんだろう、日本人なら日本語使えといいつつ自分は「イデオロギー磨かせてもらいます」と(笑)。洋意(からごころ)を最も捨てられぬは実は渋谷に生れ育った自分たち。結局、国家だ日本だと大層なこと宣ふが所詮は自らのシャバなる渋谷が「わけのわかんねー自分たちのことしか考えてねえ日本の国民か貴様らみてーな」連中に占領されていることへのイライラだけか……。ところでナンパが軟派であること程度なら知らぬ者も少なかろうが(窪塚君も当然知っていて映画では知らぬ役を演じたはず、だろう)「硬派」が真面目の意と「誤解」されるのがキョービのご時世かしら。ところで(その2)映画の中で青田の親分(原田芳雄)の床の間に飾られたハングルで書かれた掛け軸、僅かしか映らねど余にはハングルで「ハングル」と書かれているように読めたが見間違えか。もしそう書かれていたとしたら日本人が「ひらがな」と書かれた掛け軸掛けるようなもの(笑)。日本にてじっくり生きた在日の中年が鬱病になり易いだの按摩は中国人女性だのと、それでなくとも日本の右翼に対するアレルギーある東アジアではこの映画はどうにもウケまひ。ところで(その3)高校生演じる高橋マリ子はキャバクラ嬢にしか見えず。窪塚君は二年前だか『Go』にて在日朝鮮人の役演じ「背景のある」作品演じられる若手の出現に期待されたが、今回は右翼だからどうのこうのではなく、単にその「背景」弱すぎて繰り返すが陳腐な組の抗争だけに終った極道映画。終ってZ嬢「たけしの映画よかつまんない」と一言。御意。Kornhill Plazaに寿司亭なる回転寿司出来たそうで参るが行列あり回転寿司並んで食すも野暮、Juscoにて中島水産なる魚屋の持帰り寿司。生烏賊と細魚、鯛はそこそこの味。とくにスーパーの持ち帰り寿司にしては舎利は立派。ジャックダニエルを生(き)で二杯、ピンクフロイド効きながら風呂に入れば風呂場の反響でピンクフロイドよりピンクフロイドらしさ。『噂の真相』で佐高信が紹介した、藤原弘達が69年に述べた一節は「もし自由民主党が過半数の議席を失うようなことになった場合、公明党に手をさしのべて、これとの連立によって圧倒的多数の政権を構成するならば、そのときは、日本の保守独体制が明らかにファシズムへのワンステップを踏み出すときではないかと思う」というもの。藤原弘達のこの危惧から35年。本来保守であるはずの藤原弘達が当時の300議席に手が届く圧倒的な勢力の自民党を、ではなく将来の過半数に届かぬ時の自民党の危険性を危惧したことの先見。確かに300議席の自民党なるものは岸信介の右から広池会の宮沢喜一君に至る保守本流、三木、宇都宮といった中道リベラルまでを有し、左右の振れも見事、それに比べると民主党への分裂を経て護憲派など存在もせぬ、つまり左のブレーキ効かぬネオコン牛耳る現在の自民党。自公連立にては唯一の関心は公明党が改憲、それに先立つ教育基本法改正(これは前回は公明党が改正に難色示し持ち越し)どこまで対自民の独自色出すか、と。
(第3版……笑)昨日珍しく褒めた朝日のイラクでのイタリア軍軍事施設爆破をテロと呼ばなかった件、某在京の新聞社に勤める友人より報せあり、朝日は実は朝刊早版では「テロ攻撃」の表現使っており大阪の朝日も同様。それが「自爆攻撃」との表現変更、とすると当初つけた見出しについて強い異論が出て差し替え、この段階での「異論」となるとデスクレベルでなく幹部クラス、それも編集局長室以上、と友人。普段なら幹部クラスは逆の意味で「偏向報道を自制すべく政府筋のお気の召すままに」表現の訂正ならあるが、幹部クラスでのこの正義?は意外。いずれにせよこの「自爆攻撃」なる表現は評価に値していたが実は結局、朝日の昨日の夕刊では「テロ攻撃」といふ表現に。再び幹部クラスからの表現の訂正が依頼されたか。やっぱり昨日朝日を「つい」褒めたことに買い被りあり反省(笑)。……とここまで書いたら(追加)更に詳細が報らされ、夕刊で2版、3版は「自爆テロ」が4版では再び「自爆攻撃」だそうな。何が起きたか朝日新聞。内部で箱島派と旧守派の暗闘か(笑)。ちなみに大阪は朝刊でテロ、夕刊は攻撃。名古屋も同じ。西部版は朝刊、夕刊も攻撃。たんに現場サイドの混乱かも。「こういう場合はテロは使わない」が基準だが現場でついついテロに慣れ(悲)「テロ」と書いてしまひチェックするほうも見落として後で気づく、とか。だがそれじゃ面白くないので噂の真相の一行情報っぽく「朝日の幹部層で暗闘中」といふことに(笑)
▼陶傑先生が蘋果日報の隨筆で英国の左派の女権運動家Christabel Pankhurstの格言取上げるは“Never lose your temper with the Press or the public is a major rule of political life”と“For a politician to complain about the press is like a ship's captain complaining the sea”と。「いちいちマスコミだの世論に怒らぬことは政治家の第一の条件」「政治家がマスコミに腹立てるのは船長が海を腹立てるようなもの」とは御意。自らは何でも言い放題でテレビ局の報道ミスには名誉毀損で告訴も辞さぬ都知事。
▼熊本の九州ルーテル大学(旧九州女学院短大)の教員が大麻所持で逮捕されたが、またもやたかだか大麻。だが大麻取締法なる法律があるかぎり法治社会は大麻を轄まるか。この先生、大麻栽培までしてかなり本格派、と見たが、臨終心理学が専門、地元民放の情報番組にコメンテーターとしても出演、と。大麻キメた心理学の先生がテレビでコメント、って想像しただけでも愉快。それをこの大学の学長は「世間を騒がせて申しわけない」と謝罪。御意。申し訳なきことはたんに「大麻はいけない」と信ずる社会を騒がせた程度。このマリファナ教授のせいで実際に何か社会的被害あったわけでもなし。但し学長は続けて「教育現場として遺憾なこと。言葉で表しようがなく、申し訳ない」と蛇足な謝辞。今の大学が学問の志もなきガキ相手に学位配るだけの組織であるのは事実だが少なくとも大学は教育機関である以上に研究機関であり研究者は立派な研究さえすれば大麻吸飲しようがアル中だろうがどうでもよきこと。もしこの教授が実際に研究成果なければ社会に対して謝罪すべき。「言葉で表しようもなき」は痛切な反省の語彙にもとれるが単に「自分は大麻など吸ったこともないのでわからない」という意味にとることも可能。どうせなら「世間を騒がせたことは申しわけない。だが私も大麻など経験ないので言葉で表しようがない」といえば妙答。
▼来年の新之助の海老蔵襲名、築地のH君に知らされたが勧進帳は団十郎の弁慶で「海老様」は富樫だと……。なにゆえに海老蔵の襲名で父上の弁慶見せられるのか……団十郎の白猿?襲名ならまだしも。あ、それも悪しくもなし、団十郎の三升?、白猿?襲名で新之助がいきなり十三代目団十郎襲名とか。今回の新之助の海老蔵襲名記者会見でも父団十郎思わず「新之助の団十郎襲名」と言い間違え照れ笑いでもあったのだし。その海老蔵襲名の演目には当然助六もあるがまさか団十郎が助六で新・海老蔵が福山のかつぎってこたぁあるまひ(笑)

十一月十三日(木)晴。昨日のたつた二合余の酒にて宿酔なくも終日倦怠感甚だしくつくづく老ひを感じ入るばかり。香港政府は教育予算まで削減に乗り出し、その的となったは大学生などの授業料補填する補助金の削減。大学生ら一斉にこれに反発、罷課(講義ボイコット)も避けられず。現在この一律全学生対象にせし補助金あり学生負担の授業料を幾許か廉額に抑えるもの。確かに中流化進み大学高専の数も増え嘗ての貧しき香港にて香港大中文大の両校だけの時代とは異なり学問の志も低き単に学歴稼ぎの若者がためどうして公費援助が必要かといふ気もするが教育予算で何を削減するべきかといへばまず公費にて養ふ必要なき研究の何ら社会的還元もなきロクでもなき教員どもは解雇するか大幅な給与削減すべきであり(何のために「これ」を大学にて高級にて雇用しているのか?と甚だ疑問に思われる教員かなり多し)大学の教員住宅など香港の水準からすれば超高級な施設をば給与額の毫か7.5%の支出のみにて貸与する不思議。無駄な大学教員の解雇、たかだか外語教える程度の教員の大幅な給与削減及び住宅個人負担額の上昇することでどれだけ経費削減となるか。少なくともどう見てもアホだが若者に投資してみることとロクでもなき教員の人件費とを比べればアホな若者も突然学問に覚醒る可能性もなきにしも非ず、将来的に世のため人のためになる可能性、確率で考えれば当然後者を削るべき。SARS復興にと巨額のギャラで外タレ集めHK$1億をば公費浪費しておいて大学教育での補助金削減とはさすが阿呆政府らしさ。昨日入手せしBoseのヘッドフォン。連続的なる騒音の排除は理解したがいざ音楽聴けばどうかと試しにグールドの演奏にてリスト編曲のBeethovenの「運命」。……。ピアノの低音床を伝わるが如く響きグールド先生の唸り声もスピーカーに比べものもなきほどフレーズとして聞こえる不思議。晩は尖沙咀にて高座あり終わってM君の車に送られ帰宅すれば終日残る疲れに爆睡。
▼イラクでのイタリア軍駐屯地での爆破。築地のH君が見つけたが今日の朝刊各紙見れば見出しに「自爆テロ」との表現が踊るなか(例えば讀賣新聞朝日だけが唯一「自爆攻撃」と呼ぶ。これは朝日の見識の高さ。珍しく朝日を褒める(笑)。今回の攻撃は純然たる軍事施設が目標で民間人を狙ったものに非ず、これはテロに当たらぬ「侵略軍に対するゲリラ戦」の範疇であり、合法的である可能性も極めて高いのでは?とH君。テロと呼ぶことで無意識にイラクのゲリラ勢力を「悪」と見做すことの危険性。H君指摘するは、そもそも異教徒の外国軍が侵略してきて傀儡政府まで作ろうとしていることに抵抗しない、祖国の伝統を投げ捨ててもろ手をあげて占領軍を歓迎ではまさに自虐のきわみ。ゆえにイラク攻撃に反対するのはイラク国民に当然の理あり、それをテロと呼ぶなど言語道断。ちなみに赤旗は当然のようにテロ扱いせず。
▼朝日の国際面「ことば・ワールド」にブッシュの言葉あり。「第二次世大戦前、民主主義の経験がほとんど、あるいは全くなかった日本が民主主義を受け入れることができたのだから、中東の人たちにもできるだろう」と。唖然。「ほとんど」と「あるいは」でだいぶ異なるが、いずれにせよブッシュの如き野蛮な輩に日本は野蛮と罵られたようなもの。一昨日の日剰に綴った樋口陽一先生の強調した日本の完璧とはとてもいへぬが明治からの民主主義、立憲主義の実績もブッシュの如き浅学にはその知識もなし。こういったブッシュの日本にとっては国辱的なる言動にきちんと反論すべきがナショナリズムであり首相小泉三世、都知事、歴史教科書の「つくる会」の西尾先生など默っていてはいけぬのでは。築地のH君に言わせれば、この点は保守反動の彼らの完全なウィークポイント、論理的には回答不能でしょう、と。つまり日本における米国による「戦後民主改革」を全否定しておいて同じ米国のイラクの民主化は100%支持。どうせなら「ブッシュの言う通りです。日本はもともと民主主義の経験なんてほとんど、あるいは全くなかった。なぜならそれは本来、わが国の文化には相容れないものだからです。だからアメリカが持ち込むまで、民主主義はなかった。それはわが国には必要ないものだからです」とでも反論すればいいのだがアメリカに阿って言うべきことを言わず。或は樋口陽一先生の如く「そんなことはない。わが国にも民主主義の伝統はある」とも言えず。その上、自分たちが認めぬはずの「アメリカによる民主化」という価値のためにイラクに自衛隊を送る。この大いなる矛盾に疑問もないのは思考力の欠如か。これでは愛国どころか自らがふだん彼らが罵る売国奴、国賊と言われても致し方あるまひに。ところで朝日はどういった意図でこのブッシュ発言載せたのかは不明。

十一月十二日(水)晴。Boseのヘッドフォン Quiet Comfort 2の入荷が今月中旬と言われており「そろそろか」と気になりBoseの直営店に電話すると正式の入荷は12月にずれ込むが米国より初回入荷がいくつかあり視聴用だのお得意への販売のみ済ませたが数台在庫ありもし所望であれば、と。そりゃ当然ご所望にてさっそく店にて支払い済ませHung HomにあるBoseの倉庫訪れる。倉庫には垂涎のアイテム整然と並び壮観。このヘッドフォン持ち歩くには大きすぎて難儀だが早く飛行機にて試したきところ。晩にA氏誘われ北角の寿司加藤。酒は澤の泉峰の白梅の瑞。小鰭と烏賊、つぶ貝。コップ酒で7勺として5杯なら2合ほどだがすっかり酔ひ我ながら2合程度でこれでは老いを感じざるを得ず。競馬は沙田にて馬券のみ購入するが複勝で擦する程度。
▼昨日の朝日夕刊にアナール派の歴史家アラン・コルバンの文言あり。
特に危惧しているのは、歴史を知らない社会は知的に貧しい社会になりかねないことだ。たとえば、少しも新しくはないのに、たまたま目の前にある現象を新しいことだと勘違いする無邪気な心理が生まれてしまう。過去の体験や知識を正しく受け継いでいれば避けられるのに、それを知らないために社会全体が幼稚な錯覚にとらわれることになりかねない。
……とわざわざこれを言いに来日か。日本への警鐘。だがあまりにアナール学派らしい遠回しな言い方、これじゃ幼稚な日本人にはわからぬ、と築地のH君。小泉三世などまさか自分が批判されているとは気づかず「ほう、なるほど、感激した!」とか言いそう(笑)。文相呼んで「だから歴史教育では、子どもたちをひきつけるような生き生きした物語が必要なんだよ!」とかすごい勘違いしたりとか。それにしてもH君と同意したのはこの記事の見出しの拙さ。「歴史感覚が平面化して 軽視される遺産や体験」って意味がわかる読者はいるだろうか。H君は「歴史を知らない社会は 知的に貧しい社会に」「歴史を知らない社会は幼稚な錯覚にとらわれる」くらいならまだわかるが、と。いまだに抽象的で難解なのが哲学とでも勘違いか、朝日。コルバン先生の文言も確かに抽象的ではあるが、これは具体的に「日本の政府首脳はアホか?」といふのが失礼だからの文雅。意図するものが異なる。
▼朝日といへば阪神支局での記者殺害事件について「朝日の論調が偏っていたからあんな事件を招いた」と、これを言ったのが東京都知事なら驚かぬが、コトもあろうに朝日新聞の××がそう宣った、と信頼できる筋より。朝日といへば朝日の特ダネとなったリクルート事件だが、コトもあろうにリクルートの江副君の本を、一応自費出版らしいが、朝日新聞出版局より出版。この出版局といへば朝日が新聞協会賞を授かった9-11のルポも阪神支局襲撃事件の本も出さぬほど、まさか江副先生の著作を出版とは。ワシントンポストがニクソンの回顧録、とか、文藝春秋から田中角栄の自伝出すようなもの、と業界では評判(笑)。社内では「自主出版だから」が言い訳になっているらしいが、本屋に並ぶこの本、凄い恥ずかしいタイトルの『カモメが翔んだ日』には「この本は自主出版です」と帯に書かれているわけでもなく誰が見ても朝日の刊行なり。阪神支局襲撃事件については時効迎えたが社長が時効にあわせコメント出すわけでもなし、それだけならまだしもあの襲撃の原因が朝日の偏向にあると××が苦言するとは。あの襲撃事件は阪神支局だから狙われたのでもなければ小尻記者を特定したものでなし。偶然に阪神支局の小尻記者で、ヘタしたら、といふかかなりの確率で朝日の××が狙われてもおかしくはなかった事件。社内には××が狙われたら「朝日の××として日本の言論の自由のために命を捨て貢献したかも」といふ声もあるとかないとか。だが敵もバカぢゃないからそこまでしない。あの事件は朝日の論調が偏向といふような狭義的なとらえ方をすることより言論が銃で撃たれたことの深刻さ。朝日が赤いだの讀賣が白いだのといふ次元の話でなし。都知事などこの美談聞いたら「朝日もようやくマトモになった」と思うか(最近の都知事は毎日がお嫌いだし)

十一月十一日(火)晴。寒波到来にて気温十八度と寒さ感じる朝。今日こそ百年ぶりにジムに参らむと思っておればA氏に誘われ黄昏に銅鑼灣のInside OutにてStella Artoisをば2pints呑み帰宅。百年ぶりに自宅にて夕餉。ホッケ焼魚、南瓜煮に根深汁と五穀米。菊正宗を常温でコップ一杯。自宅に休刊まで残すところ4号の『噂の真相』と岩波『世界』届いており『世界』数日前の新聞広告に「誰のために「戦場」へ?」といふ特集で巻頭に樋口陽一先生の「改憲をまじめに考えるなら「徴兵の倫理」が不可避である」なる題が踊り、思わず改憲に向かう風潮にて樋口先生ならこう来たか、と思わずニンマリとせば着替えもそこそこに早速頁を捲る。思わず「えっ」と思ったのが巻頭論文であると思ったらインタビュー形式。だがこれは樋口先生の著作読む者には周知の事実だが、築地のH君ともかねがね話したことは、碩学樋口先生の文章、比較憲法論など憲法学の論文にては理論明晰まことに解りやすい文章が一般人向けの新書モノなどになるとご本人は文章書き下し易しく書いているつもりが慣れておられるのだろうが余には読みづらい事実。このインタビュー形式が偶然のことなのかいずれにせよインタビューに纏めたのは賢明。岩波であるから岩波新書の『比較の中の日本国憲法』79年から『自由と国家』89年を経て『憲法と国家』98年を読めばどれだけ樋口先生が近年になるにつれ平易に書こうと心掛けたかが明白。それだけ学生見ても世の中見ても平易にせば憲法を理解もできぬ者多しと危惧されたのか。でこのインタビュー、いきなり編集部の質問がイラク派兵など現状を述べて樋口先生に対して「憲法からは、自衛隊のイラク派兵をどうとらえますか?」と樋口先生=日本国憲法か。先生が比較憲法の第一人者であり人権、平和といった分野で憲法を積極的にとらえる姿勢については何も口を挿まぬし先生が日本国憲法をば体言した人格であるとしても、樋口先生=憲法に、それも岩波でそうなってしまふほど憲法は切迫した状況にありといふことかも。樋口先生曰く憲法を考える場合、第一に政策選択、第二に国民の倫理あり、政策としては米国のブッシュのイラク攻撃にブレア的に立回りたい日本にとって邪魔になったのが第九条でありだから改憲したい、と。反対にフランスやドイツには第九条がなくとも米国の戦争に反対する国民の共通理念があったわけで、もし日本に第九条がなかったら今回の政府の政策でぎりぎり歯止めがきいたかどうか。ブレア的参戦をさせなかっただけでも樋口先生は第九条の意味があった、ととらえるが当然反対の立場の人にとっては第九条が邪魔。本来、国民が苦慮すべき政策選択を第九条が国民の怠慢をカバーすることでしてくれた、と。それがいつまで続くのかが改憲問題、と。次に国民の倫理としては、改憲論者が口にする「日本も普通の国になるべきだ」という言い回し。実は日本国憲法は半世紀も前に日本といふ国家が普通の国家を抜け出そうという理想を謳い上げたものであり(つまり国家の国家主義的な範疇から乖離して国家を越えた普遍性を条文に盛った普遍法であること)、かりにそれでも「普通の国になる」と強情を言うなら、首相小泉三世は憲法前文の「先生と隷従、圧迫と偏狭を地上から永久に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたい」だの「いづれの国も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」を引用しイラク派兵もこの理想の実現としたわけだが、樋口先生曰くそれで理想の現実を望み正義の戦争があると考えるならば「その正義は全国民が担うべき仕事であり」「徴兵制は不可避」と。改憲派があれだけ言いたい放題なのだから護憲派もここまで極論を言うべきであろう。そういう認識があってこそ覚悟決めて他国に攻めてゆくべきで、だが国内の人権問題も民族問題も解決できぬままではとてもそこまでの力量はあるまひ、と。現行憲法で派兵が行われた場合の憲法の無効化については、少なくともこれまでは憲法が歯止めとなり何らかの軍事的突出があった場合もあくまで解釈により違憲でない、とされていたのが、最近は政府が「憲法が現実にそぐわない」から改憲と堂々と主張するようになり、これまではどうにか内閣法制局が立法案や政策を検討するなかで一種の違憲審査が行われていたものが、今では開き直りの「そうですよ、違憲ですよ」ではこの政府の違憲審査すら機能せず、と。憲法の歴史的認識としては、おしきせ憲法という非難に対して樋口先生は、「日本にはポツダム宣言を受託しないで(略、国民が)全員玉砕する自由があった」のに政府が國軆維持のためポツダム宣言受諾したが、ポツダム宣言の条項には日本政府がやるべきこととして民主主義的諸傾向の「復活強化」のためのあらゆる障害を排除すべし、とあり(吾等ハ日本人ヲ民族トシテ奴隷化セントシ又ハ國民トシテ滅亡セシメントスルノ意圖ヲ有スルモノニ非ザルモ吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戰爭犯罪人ニ對シテハ嚴重ナル処罰ヲ加ヘラルベシ日本國政府ハ日本國國民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向ノ復活強化ニ對スル一切ノ障礙ヲ除去スベシ言論、宗教及思想ノ自由竝ニ基本的人権ノ尊重ハ確立セラルベシ)つまり勿論アジア侵略などマイナス面もあるが自由民権運動から(幕末の諭吉兆民からでもよかろうが……富柏村)大正デモクラシー、男子だけとはいへ普通選挙実施や責任内閣制、二大政党での政権交代(そう、それがあったのだ、曾て)という歴史があり、だからこそ連合国がポツダム宣言でそれを述べたのであり、戦後は、つまり日本国憲法は原爆が落ちて軍閥政府を追い払ってアメリカのおかげで民主主義が忽然と出てきたのではない、と。御意。かふいふ力強い言説、似非右翼保守反動の諸君はたぢたぢといふ言説がリベラル側から大いに発せられるべき。日本にはそのような歴史があるのであり、イラク復興で米国だの突然、45年の日本モデルだのといふが、失礼だがイラクにそのような立憲民主主義の下地なかったことは事実と、この樋口先生の「つくる会」にも優るとも劣らぬ日本の歴史の見直し……そう、こういう部分は積極的に日本は自信を持つべき(それが戦後に活かされなかったは事実だが)。また樋口先生は日本人の「改革」といふ言葉への弱さ取り上げ行政改革、教育改革、で最後は憲法改革なのだが、こういった言葉が用いられるとすぐ靡く、と。後藤田先生や野中広務君が改革などそんな簡単なものぢゃない、といふと自民党若手など嘲笑するが、野中君の言葉取り上げ「いまの国会のほうが帝国議会での花火を散らした論戦に比べて異論が出てこない」現状であり治安維持法の立法化で貴族院にて徳川侯爵ですら「特権階級中の特権階級に属する者が本案に賛成いたさない意思を表明いたしますのは余程勇気を要する」としつつ治安維持法の問題指摘したことなど、そういった民主主義が戦前にあったのに、それが45年まで一気に崩壊していった歴史。戦前は暗黒だったのではなく、立憲主義の育った環境もあったのにそれを失ったのが日本。そこから何を学ぶかが大切、と。そして選挙。ちょうど衆議院選挙が終わったが、樋口先生は56年の参議院選挙取り上げ、この時の衆議院で護憲派が議席の三分の一を占め鳩山一郎による改憲が阻止された、と(樋口先生は常識として述べていないが、この時は衆議院では55年体制の保守合同で自民が467議席中297議席を占め(63.6%)、あと一歩で改憲案衆議院通過という状況にあった)。その衆議院選挙の実施が来年夏。面こう三年で改憲を狙う人たちとの日程ともぴたり一致、と。衆議院選挙では票が逃げるのを怖れ話題にされなかった改憲が与党絶対安定多数の状況で政治日程にあがるわけで(ここで公明党がどう出るかがかなり面白いが)、そうなると来夏の参議院選挙こそ意味あり、最後に樋口先生は「倫理の問題として、日本社会をつくっている、いま生きている日本人が何をして何をしてこなかったか、ということが問われてることになる」と。確かに。ところでこのインタビュー、最初が「憲法からは、自衛隊のイラク派兵をどうとらえますか?」で始まったが最後も聞き手が「ありがとうございました」と、このテのインタビューでお礼で終わるとは……岩波がお礼(笑)。Macallanの12年一飲。ところで『噂の真相』の岡留編集長の日誌に「日本テレビの「行列のできる法律相談所」にレギュラー出演していた弁護士のキャバクラ通いをグラビアに掲載しただけで提訴された」裁判について「キャバクラでセクハラまがいの言動をされた池袋のキャバ嬢」が本紙側証人として出廷とあるが、キャバクラでどこまでがお遊びでどこからがセクハラなのか余には区別つかず。
▼保守神道ぢゃなかった保守新党の解党で自公の二党連立となりより公明党の力が大きくなるのでは?という質問に官房長官福田二世曰く「大きくなるという見方なんですか? 小さくもならないでしょう。つまり変わらないということだ」と。最初から「変わらない」とすら断言もできぬ、この修辞。政府を代表して物言うべき者ですら、この程度。小泉三世に至ってはイラクへの自衛隊派遣について不安定どころか死傷者相次ぐイラク情勢で「時期を見極め」危険箇所でなく人道的復興措置のとれる場所に行く、と。危険はないのか?と質されると「危険のない場所などない」と声荒げ、だから危険のない場所がないなら時期見極めるのも意味ないでしょうが……一国の首相とは思えぬこの愚弁。少なくともこういったマスコミが待ちかまえる場所に姿呈さぬように徹した鮫の脳味噌とまで揶揄された森君のほうが答えぬだけ賢明だったかも。『世界』にて大橋巨泉氏曰く小泉三世は「たんに総理になりたいだけの男」だったのが今では「総理でいたい男」に変わっただけ、と。一日も早くこの男の正体を見破らないと、日本は大変なことになる、と大橋先生。余が小泉君を何度か歌舞伎座で見かけたのはあれも今思えば「総理になりたい」と思っていたのか彼が厚生大臣の頃。歌舞伎座の客席でご婦人たちにいささか好意的に「あら、小泉さんよ」と私語かれ、時の厚生大臣がふらりと一人で歌舞伎見物が好評博していたが、このご婦人らは今、高い小泉支持率の群のなかにあるのであろう。
▼有栖川宮様名告る男による詐欺事件。この宮様よかこの宮様を招いていた天孫降臨伝説で有名な神社や右翼団体はいったい何を考えていたのか。皇室を戴くことにより親しみ覚える神社や右翼団体がなぜ有栖川宮のお家が杜絶えて久しいことを知らぬか。本当に皇室を愛しめば、なぜ広尾の有栖川宮邸が(戦後の皇籍離脱ならまだしも)戦前に敷地が東京市に寄贈され公園になったかなど常識でなかろうか。なぜそういった方にかぎって陳腐な皇室詐欺に瞞されるのか。興味深い問題。
▼国会議事堂クリックすれば戦後の衆議院での政党別議席数。結果論だがかなり強引に自民党及び亜流、公明党、公明党を除く非自民でまとめたもの。今回の選挙結果で二大政党制が具体化などと言っているが、野党の実力なるものは今回も含め4割前後で変わっておらず。これは戦後一貫した事実。単に中道左派から共産党で革新票を奪いあってきただけのことが明白。自民党は確かに90年代から単独政権は難しいものの、今日の民主党につながる分裂を経ての結果でも過半数維持できることがどれだけ底力あるか、と評価したいのだが、どうしたって注目すべきは公明党。本来、50議席確保できる集票力もちつつ明らかに自民党への選挙協力で自民党が過半数維持。公明党が小選挙区制でここまで自民党に寄与する、もしくは政権交代のキャスティングボードになるとは。それは見方によれば欧州の保守党と社会民主主義政党の二大政党制で小さい基督教政党がどちらにつくかで政権交代可能な政党環境と似ていなくもないが。小選挙区といえば築地のH君彷彿するは小選挙区制導入のとき「やってみてだめだったら、また変えればいい」などと信じられなぬくらい無責任なこと放言していた輩、「また変えればいい」ってそのだめな選挙制で選ばれた当人たちが国会に居座ってる中でどうやったら変えられるのか、できるもんならやってみろよ、と(笑)。保守の票獲得の手段も、選挙区制度も、中道から左派の票の喰いあいもただ呆れるばかり。

十一月十日(月)曇。真面目な会合のあと日本語堪能なある女性に日本のドラマ見ていてどうしてもわからぬ台詞あり、と尋ねられる。周囲に数名、日本語解す香港人おる中でのこと。彼女曰く、シャワー浴びる場面で「シャワーできません」と聞こえ英語の字幕は“Please take a shower first”だといふ。シャワーなら動詞は「浴びる」であろうから「シャワーを浴びません」の聞き間違えでないかと質したが、彼女曰くそれぢゃ字幕の英語と意味が全く違う、と。確かに。で、いったい何のドラマなの?と尋ねたら『失楽園』で黒木瞳の台詞だ、と(笑)。なーんだ、それを先に言え。『失楽園』は見てもおらぬが「それならきっと黒木瞳が「シャワー浴びてきません?」って言ったんでしょう、「浴びてきません」が「できません」に聞こえたのでは」に間違いなしと余は答える。質問した女性も周囲の者も「なるほど、それならわかる」と合点し、それで終わればまだしも余は「つまり」“Shall we take a shower before...”とメモに書いてしまって、言葉に詰まる。質問した女性はだいたい『失楽園』を教科書に質問してくるくらいだから余り何も考えてないのだが、隣にいた男性が機転きかして「あ、そういえば僕もわからない言い方があって……」と質問逸らし事なきを得る。
▼ここ数ヶ月、月刊『文藝春秋』を読む。この雑誌にとっていったい何が評価すべき対象で何が罵声浴びせる対象なのか、その節操のなさがよくわからぬまま。徳川の殿様の末裔や天才(12月号の特集)、皇室と親日的な台湾とかは親近感あり。結局、自分にないものをもつ者に憧れ自分に優しくしれくれる者には甘える少年の純粋な心「がそのまま大人になってしまったから困ったもの」なのだろうか。子どもの頃に文藝春秋は大人が読む雑誌と思っていたが。「私が選んだベストブランド」なる有名人が自分のお気に入りのブランド紹介する、記事のようで実は広告協賛の提灯企画なのだが(情けなし)、シェフ三國清三、高麗屋、秋本康、こぶ平、三浦雄一郎、阿木燿子に東儀秀樹と確かに「いかにも自立しているようでいてスポンサーないとやってけない人たち」の見本のような方々が商品宣伝、でやっぱり読んで一番「うーん」と思えるのは長嶋茂雄。やっぱり天才。他の人が当たり障りのないどうでもいい出来合のコメントのなかミスターだけは断トツ。当然ミスターは松井のJALに対抗するANAのイメージキャラクターでミスターが選ぶブランドも全日空。いつもANAのファーストを利用するといふミスター曰くANAのファーストは「広くゆったりしていて、愉快な時間を過ごせるバーカウンター」ってそりゃミスター搭乗してたら乗務員も愉快だろうがその「バーカウンターへも上体をストレッチしながら行けるんですよ」って何のこっちゃ。別にバーカウンターぢゃなくてもトイレでもたた通路歩くだけでも座席に座っていても上体のストレッチは可。機内で上体をストレッチしながらバーに向かうミスターみたら搭乗客はそりゃ愉快。「シートでの楽しみは映画」だそうで紐育便で往復路とも見て感動して泣いたのが壬生義士伝。壬生といふ字が読めたかどうか、などと失礼なこと言うべからず。で「泣くと疲れるんですね」って機内で映画見て疲れるほど泣いたのか……「それで大好きな寄席を聴いてリラックス」したそうだが、当然「寄席を聴く」なんて言葉は長嶋語以外の何ものでもなし(笑)。いいなぁ、ミスター、やっぱり。でANAのファーストの宣伝で「非常にワイドなベットにもなる」シートを賞めるのだが「そのフォルムが球形のセル状で、まさにゆりかご」って、ミスターが「フォルムが球形のセル状」なんて説明するわけがなし。さすずめ「うーん、スパイクの中にスライディングした感じですかねぇ」とかなら長嶋っぽいのに。
▼結局、昨日の衆議院選挙は、何も変わってないどころか、民主党の躍進が自民を追いつめるどころか社民共産に打撃与えることに役だった、といふ、中道リベラルらしきもの掲げる民主党が実は自民党が最も敵としてきたはずの左翼陣営を一掃した記念すべき選挙。今回の選挙は55年体制で成立した自社体制が崩れてからの十年で漸く日本に本格的な政権獲得可能な二大政党政治が到来のように言われ、民主党の177議席が野党が過去最高を記録した55年の社会党の議席数上回ると讃えられる。しかし留意しておくべきことは55年のこの総選挙でも日本の二大政党制が期待されたこと。55年は当時まだ革命路線をとる共産党はわずか1議席!でその後市民政党目指し議席を40台にまで増やしたのだが下降線をたどり昨日の選挙での急減も意味深。今日の民主党はまさに当時の左右両派統一された(統一は数の上だけで理論上、政策上は統合されておらずの)社会党そのもの。風前の灯火の社民党は55年当時は(まだ万年野党化する前)浅沼書記長のもと現実的政策も打ち出し、今でいえばマニフェスト。それが「当時の」55年体制。それが結局自民党の政権維持が続き80年代ともなると55年体制が日本の政治の弊害のように言われたこと。つまり政治の言説などいくらでも意味は変わるわけ。つまり「変わった」などと評価される点は全くなく、このままいけば下手すると悪い意味での55年体制の再来になりかねず。そうならぬためには、例えば、どうせここまで社民共産を潰すならば、同じ潰すでも、社共が全国で得た「死に票」を思えば、そして自民公明の余りに議席確保のためだけの政治理念もなき野合に対抗するなら、せめて民主党が社共に政策協定でも結び地方区では社共の候補者擁立見送りでの民主党支持、そのかわり比例区での革新票結集での社共独自候補の議席維持くらいせねばなるまひに。そうでもしけければ、これであと10年も民主党が野党であれば、のちの世から平成15年体制などと罵倒されることも避けられず。
▼数日前の蘋果日報に紹介された「日式」料理店のお勧めメニューは信州魚巻麺(写真)信州で蕎麦は納得するが茹でた蕎麦を蕎麦汁に浸け、それを白身魚で巻くという奇妙奇天烈な郷土料理。本当にこんなものが信州にあるのか……と、あるわけないと信じたいが、しかも記事によるとこの魚は香港でよく食す石班、日本では「ハタ」と呼ばれるスズキ目ハタ科ハタ亜科の学名Serraninae、西ではマスまたはアラと呼ばれるシーバス(Sea Bass)やガルーパ(Grouper)のことである。信州でまさか南洋の深海魚・石班は料理に使うまひ。百歩譲って信州ゆえ淡水魚で確かに諏訪湖で大量繁殖が問題になっているブラックバスも獲れるゆえバスを使った料理か……などとも想像するが、まさか。しかも、この奇妙な信州の郷土料理は、この日式料理屋の経営者である板前氏が友人からようやく伝授された料理だそうで、なんとその友人はこの料理を日本料理界で最も名の知れた料理人・土井勝先生から伝授された土井先生の創作料理だそうな。土井先生も鬼籍に入られば誰もその事実を否定できず……まさか香港で土井先生の信州魚巻麺が現れようとは。

十一月九日(日)曇。衆議院選挙。朝日は「政権選択が焦点」と見だし踊るがSouth China Morning Postは小泉政権圧勝確実、と。民主は議席数伸すであろうが「それでも」自民党選択する国民多し。どうぞご勝手に、といふ心境。Hiwise主催の10kmのレース先週のFilaのハーフに続き大尾督は萬宜水塘にて開催されるが天気おもわしからず体調も優れず不参加決め込み朝寝。久々に九時間だか睡眠。昼にZ嬢とバスで東隧道と大老山隧道潜り沙田第一城、バス乗換え沙田。香港文化博物館にて「港飲港食」と題した香港食文化の展覧参観。半年ほど前に香港大博物館で開催の「香港の早期飲食場所」の写真資料にいくつかの老舗の菜単だの領収書、食器や什器など展示。バスで九龍塘。タクシーで九龍城。タイ料理の「金寶」は九龍城でもかなり馳名、いつも混んでいるが午後3時と閑散で初めて食す。併盤、通菜、軟殻蟹に老品炒飯。香港の食通の間で評判となりマスコミかなり取り上げ十年で同じ通りに店4軒構えるほどの隆盛、主人は今でも店を仕切り大したものだが、とにかく塩からく閉口。素材の味など当然活かされもせず×。萬千不来。口直しに地茂館にて湯圓緑豆沙。九龍城波戸場までタクシー。北角まで船で渡り帰宅。夕寝して週刊香港の原稿書き日本の知合いの大学生より就職の自己紹介文の推敲請われ呻吟。NHKで衆議院選挙開票特番見る。首相小泉君からテレビの解説者まで国民は与党三党の連立を支持といふが自民党支持はたんに愚直なる自民支持、公明も当然支持者は公明を支持するのであり自民との連立支持に非ず、保守新党など存在せぬも当然と思えば国民の与党三党の連立支持などとは詭弁も詭弁。民主党とて躍進などと浮かれおれず社共の議席激減を思えば単に革新票が民主に流れたに過ぎず本来最も期待されるべき「右」からの取り込みは実質的には十数議席に過ぎぬことを弁えるべき。むしろ民主の議席増で革新側が脆弱になり自民党の議席維持を思えば政権交代どころか民主党内部の殊に若手の安保論など思うにつけ更に保守化右傾化が進むと見るべき。
▼朝日新聞の書評で「間宮海峡発見した間宮林蔵」といふ記述あり。疑問。

十一月八日(土)雨。はて傘は何処と久しぶりの雨。それも驟雨幾度も襲ふ。Trailwalkerにて行山の人を念ふ。四日(火)にEMSにて日本に送った余の貴重なる一票。当日のうちに香港を空路発送され翌日午後東京国際局着。それが何故か関東の東京より一時間余の中継局経由し選管に近い配達局に届いたのが昨日朝。高額費やしたEMSが六日の終日どう扱われいたのか不思議。昨晩まで配達された形跡なく在郷の郵便局に電話で問い合せ。「EMSでそちらに送った郵便が届いてないのですが」と尋ねると「受取り人の方ですか?」と。「いえ、送ったほうです」と答えると「それはこちらでは確認できないんですよ、受取りの相手の国のほうに確認しないと」と。在郷の局では致し方あるまひが電話してくる者は前提として局域内の居住者なのであろう。「ですからそちらに送ったんです、私は送ったほうです」というと「あ、そう、で、送り先は?」と局員。「選挙管理委員会です」と答えればさすがに在外選挙の送付などあったようでEMSとの関連に気づき「あ、それはそれは」と明日が選挙で今日届いていないとまずいので「何かわかりますか、お名前とか」と突然対応が敏速。EMSの番号告げると「それじゃ調べてお電話差し上げますから」と親切だが「海外ですよ」と言うと職員が凍るのは選管と一緒。あとで電話します、と追跡依頼。で電話すれば「昨日届けていますね、ただこちらで入力を忘れてたみたいです」と。EMSで香港から配達に四日、しかも配達後の処理忘れとは。雑用済ませ昼に競馬予想。午後に九龍某所にて高座に上る。中環に戻り手荷物ジムのロッカーに預けC君と待ち合せFCCの酒場にて麦酒一飲。Fringe Clubにて香港城市当代舞踏団の“The Enigma of Desire - Dali vs Gala”なるダンス観る。男女二人の踊り手と守りとしての老女。確かにダリ的な世界で現実(といふか虚実の総体であるだけ)から乖離した二人が館の中で狂ったように踊るというコンセプトはわからぬでもなし。だが必要以上の導入での演出、椅子と一つの家具(それは鏡や衣裳棚、寝台、窓などに変化する用途は面白いが)への演出上の依存は納得できず。小さい小屋で観衆に三人の若い日本語話す若者あり。終わってFCCにてギネスの生麦酒、印度風の鶏御飯。Trailwalkerの終点にあるZ嬢より友人らのチーム32時間余で無事四名で到着と電話あり。帰宅して中島らも『牢屋でやせるダイエット』読む。拘置所でらも先生が取り寄せて読むのがフーコーの『異常者たち』。17世紀のフランスで親の嬰児殺しに対しては死刑か無罪しかなく死刑はかなり稀でつまりは無罪が殆どであったのが、それの「是正」のために証拠の多少によって罪を段階的に決める<情状酌量>といふ制度設けられ、つまり情状酌量とは「従来無罪であった囚人の罪を重くするために制定されたもの」と。牢屋でフーコーとは最高の読書場所。らも先生の拘置所での悟りは「生きるということは死ぬまでの時間をどうやり過ごすかということ」で「膨大にある」「時間との戦い」、その「戦いに勝たんがための武器として大麻があり、酒があり、全ての嗜好品がある」のであり「これらをうまく機能させれば、それだけ時間が早く進んでくれる」と。らも先生は平成の安吾。それにしてもらも先生は大麻吸引を「誰がチクったのか?」と悩んでいるが『噂の真相』の絶対安全Dランキング(高橋春男)ではらも先生の「身内しか知らないはずでしたから、誰がチクったのか今でも不思議なんです」というらも先生に奥さんが「だって吸ってるって自分で書いてるじゃないですか」と(笑)。さすがらも先生。
▼信報に昔の笑い話あり。古典的なのは中国政府の(民国政府であろう)駐米公使がある米国人に“What kind of‘nese' are you - Chinese, Japanese or Siamese?”と尋ねられ仕返しに“I am Chinese. Say, what kind of‘key' are you - Yankee, donkey or monkey?”など。80年代のでは、イタリア赤軍がフランスのジスカール・デスタン大統領、西ドイツのシュミット首相と米国のカーター大統領誘拐し一人ずつ銃殺処刑に挑む。最初にジスカールデスタン氏、機転きかし銃殺される直前に「地震だ!」と呶鳴り混乱の隙きに逃亡成功。次に処刑台に上ったシュミット氏はフランスを摸て「洪水だ!」と叫び同じく逃亡成功。それを見たカーター氏は「火事だ!」と叫んだが不幸にも“Fire!”が火事でなく“Fire!”が「撃て」で銃殺されてしまった、と。当時の欧州にて巧妙な政治力でならしたジスカールデスタン氏が「地震だ」と嘘をいい周囲を狼狽させる妙、堅実なドイツがフランスに追従し成功する様、そしてカーター氏を当時、無能無策のように揶揄したものだが、今となって思えば史上空前絶後のバカを大統領に頂く国家はカーター氏が大統領現役時代こそ活躍なかったとはいえ氏の今日までの国際平和への活躍見ればどれだけ優秀な人材を大統領に選んでいたか、といふこと。

十一月初七日(金)晴のち曇。本日 Trailwalker 開催日。一昨年まで二年連続で出場し昨年は選抜チームを始点から車で支援。獅子山にて一人挫折し大帽山下りチームも続行断念し今年15時間目指し彼ら再度出場。今年は藪用今日明日と多く支援もできず。夕方Z嬢と東涌線の香港站にて待ち合せMTRでOlympic站。担々麺が美味いと評判の(昨晩も担々麺であったが)金満庭。所謂行列のできる店、場所が場所ゆえわざわざ訪れる機会もなく恰度通りがてらの途中下車。17:45恰度晩の開店に間に合えばすでに卓は三四割埋り三十分もせぬ間に満席。担々麺は蘭州式手拉といい確かに麺は手打ち実演するが味は落花生の円やかさにて上海風、麻辣効かせ辣油に雑ぜて食す本格的な担々麺を期待するべからず。北京水餃も北方の薬味の香らず、上海風ならと期待した小籠包もどこか余所余所しい味。総じて太古城の翡翠麺家(今では銅鑼灣の時代広場にまで進出し行列あり)と同じ萬人受ケのファミレス的。わざわざ行列に並ぶほど何処が「美味い」のか理解できず。先日CitysuperのK氏と語ったのは拉麺であるとかお好み焼きとか気取らぬものは行列に並んでまで食すほどのものでなし、気軽にさっと食べて美味いことが大切。午後六時からこれほど聚まる客は単に行列が出来ると雑誌などに囃されそれに盲に従ふだけかの味覚音痴か。ちなみに茶代で一人HK$9、頼みもせぬのに出た煎豆がHK$12、これで二人ならすでにHK$30、行列ができるほどの繁盛なら客に愛顧感謝すべきところ茶代豆代まで強請るとは馬鹿馬鹿しいにも程があり。葵芳の葵青劇院。葵青といふ語彙の奇妙さ、これ葵涌と隣の青衣の両地区のための劇場という、国分寺と立川の間で国立の如き下品な名づけ。スイスの黙劇団Mummenschanzの舞台見る。団員も老いて動きはだいぶ静かになったとこの劇団お気に入りで廿年近く前に東京で見たZ嬢。但しどうすれば被り物の中でこの動きができるのか、と神妙。意味不明の無機質な物体が動き時どき顔を浮かばせ感情を物体に表し愛らしいようで死や縊首自殺の風景などすっと見せる上手さ。全く無機質であるはずの物体が動く場合と、肢体ありそこそこ人に近い有機的な物質動く場合の二つあるのだが、寧ろ肢体あり感情あふれるほうがグロテスクに見え無機的な物体愛おしく見れるのも面白いかぎり。帰宅して正高信男『ケータイを持ったサル』中公新書読む。書名が巧妙、これは読了して察したのは養老先生の『バカの壁』の後塵拝す命名かと。『バカの壁』が何故あれほどに売れたのか判らぬが余は正直言って養老先生のご高説読みきれず自分がバカかと落込んだ次第、余に限らずあの書名で買った同輩多かろう。この『ケータイを持ったサル』も同じこと。実はその売れ筋狙いの書名の下に小さく「『人間らしさ』の崩壊」とあるのだがここがミソ。もっと面白可笑しくケータイを持ったサルどもを分析評価していただけると期待して読むと実は内容は「ケータイを持ったサル」の記述は第4章の、それも非常に心理学的な「関係できない症候群」だけで、その前後はマザコン、子離れせぬ母と居場所のない夫、思考力の老化など非常によくありがちな社会心理学的な記述が続き、最後の章が実は白眉で「そして子どもをつくらなくなった」となり、なんと驚くなかれ「ケータイを持ったサル」という書名の本の最後が「少子化傾向を止める手だて」で終わる(笑)。「政府が少子化の傾向に真実、歯止めをかけようと考えるなら、「お産は三〇歳から」という認識を社会に定着させなければならないだろう。同時に、それまでに教育のなかで若者が子どもと接する機会を積極的に設けることも不可欠である。今のように、幼い子どもと出会うことがほとんどないままに育ってくる者に、突然に子を持てと言っても、藪から棒に等しい。中学校・高校のカリキュラムをはじめ、社会活動としての保育活動への参加を激励することが大切である」って……正論かも知れぬが、つまらないし、これなら書名は『人間らしさの崩壊、少子化をどう克服するか」のはず。つまり「それぢゃ売れない」ってこと。最近の新書は要注意。書名で迂闊に選べず。中島らも先生の『牢屋でやせるダイエット』少し読む。たかだか大麻で捜査員11名が自宅に乗り込み、それもらも先生の証拠隠滅怖れ、らも先生曰く証拠隠滅どころか昨晩吸い残しの大麻が捜査官と対峙する食卓にあり、と(笑)、でガサ入れどころからも夫妻睡眠中に自宅への強硬突入(笑)。世界中でたかだか麻薬でしかも個人の常用者相手にこの物々しさはさすが日本、天晴れ。その上、その大麻見つけた捜査官が突然「中島、これは何だっ!」って暴力団で拳銃見つけたわけじゃあるまいし、らも先生に「まだ犯罪者と確定したわけじゃない。だからそれまでは敬語を使え」と言われ「はい、わかりました」と答えてしまふ捜査官。平和な、平和だからこそ大麻程度での大騒ぎの平和ボケ国家。
▼香港政府The Equal Opportunities Commission(平等機会委員会)主席・王見秋君辞職。王君は元高裁並に上訴裁裁判官にて退任後本年八月に平等機会委員会の主席に任命される。このEOC、前任者の胡紅玉女史の積極的なリベラルな立場での職務遂行が董建華にとっては目障りにて契約更新されず。王見秋が後任に選ばれたが10月下旬に王が董建華の酌量により裁判官退任年金に加えこのEOC主席の報酬を得ていることがマスコミに取上げられ、次に王の裁量でEOCの実質的な執行官である行動科総監・余仲賢氏が解雇されたことについて不明瞭と指摘される。ここまではまだ何とか、であったがかつて王見秋の娘が香港の富豪・劉鑾雄と恋仲にあり別離の際に高級マンション宛がわれ其処に王見秋も現在居住、その上、劉が王父娘に海外旅行の航空券贈与歴などが暴露され、この航空券贈与が司法司に報告されておらず贈賄に該当する可能性問われ、王にEOC主席辞職求める世論高まり、本来は本日七日に立法会での参考尋問予定されていたが、王は董建華の庇護あり横柄であったものの、最終的に董政府はこの問題での董建華非難高まることを惧れ王を撤てる決定、一昨晩に董建華の使者たる民政事務局局長何志平が王見秋と会見したことが昨日の蘋果日報に暴露され王は昨日EOCの緊急会議招集し自らの辞任を発表し緊急記者会見。王は辞任に当たっても自らの非を認めるどころかマスコミの暴力的な偏向報道による被害を訴え辞職が不本意であることを協調。何よりの問題は司法官として知恵浅き王見秋よりも政府でも鬼っ子的存在のEOC主席胡女史更迭し王を採用した董建華政府にこそ問題あり。今回もまた董建華、自らへの火の粉振り払うべく部下解雇。ちなみにEOCでの胡女史に続いて政府内で「やめさせたい」官僚は香港申訴專員のAlice Tai女史であろうか。
▼水戸地裁の裁判官の殺人犯した暴走族少年に対する「産業廃棄物以下」発言につき「非行少年の立ち直りを目指す審判での発言として疑問視する声がある一方、発言を取り上げた報道機関には「この裁判官は市民の気持ちを代弁している」「何が問題なのか」と発言を支持する多数の意見が寄せられた」と(こちら)。確かに「相次ぐ少年の凶悪事件への厳しいまなざしが背景」にあるのは事実。だが裁判とはたんに市民の気持ちを代弁する装置に非ず。司法は司法。ゆえに超人的なまでの非人格的な人格が求められるのであり徹底した厳格な判断により法の執行が可。今回の裁判官の発言に「市民の気持ちを代弁」などと感じる者は司法の何たるかを全く理解できておらず。圧政で泣き寝入りするばかりの庶民の心情をば南町奉行の大岡様はお分かりになっていらっしゃる、よっ名奉行って、そのノリか。裁判でこのような暴言発す裁判官も裁判官ならそれを贔屓する市民も市民。民主主義など理解もしておらぬ者にかぎって裁判官の暴言に「市民の気持ちを代弁」などとそれが民主社会であるかのような誤解、憲法の精神すら活かせぬ者にかぎり改憲を主張、H君挙げたのはプライバシー、人権、環境など真摯に考えたこともない連中にかぎって「憲法にはプライバシー権が欠けている」などと吹聴。第十三条【個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重】 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする……この条文の運用を最高裁は戦後徹底できたのかどうか疑問、とH君。確かにこの条文に遵えば戦後の日本国政府は違憲!になりかねず。あ、だから改正したいわけか(納得)

十一月初六日(木)晴。早晩に独り百年ぶりに佐敦の好好上海小館。担々麺注文するなり人の好い給仕頭女(かしらめ)余を未だ覚えていたようで大声で「タンタンそば?」と日本語。そうだと答えると辿々しく「とんかつ入り?」とまた日本語。周囲の客の視線浴び余は小声で「あのさぁ、客が入ってきて担々麺って注文したら担々麺は担々麺でしょうが」とお願いする。相席の対面の女性「そうよね」といった表情。愛想好いのも好すぎると狭い店で日本語での応対など要らぬと思いつつふと壁に貼られた新聞の紹介記事など見れば日本語の観光ガイドなどの記載多く「地元日本人もお勧めのお手軽な上海料理」などと紹介あり。そういえば余もその片棒担いだのも事実。それにしても佐敦にいるのでちょっと気軽に、という程度なら解るがわざわざ観光旅行でまで食すほどかというと疑問。で担々麺なのだが四五年前の開業時にはかなり滬港風味ではあるものの一応担々麺と呼ぶに能ふしっかりぶり、麺のコシも納得だったが本日の担々麺、麺は即席麺の如く細くコシに欠け而も茹ですぎ、汁も担々麺というより湯麺と呼ぶべきスープ状で味以前の問題としてこれが果して担々麺かと疑問。尖沙咀にて高座あり撥ねて二更にY氏と尖沙咀の酒場にて歓談。二人でFoster麦酒7pintは飲み過ぎ。尖沙咀の香港島行きタクシー並ぶ天文台道まで歩くと多少ふらつく。帰宅が午前零時過ぎるはかなり珍しきこと。大阪生まれのY氏香港にて事業主のまま東京に一年ほど前に趣味の店出すが来春には店畳みバンコクに移住と。日本も現実厳しいが東京は特に国際都市と言うには程遠い、殊に個人主義理解した京阪の人には理解し難き巨大な田舎。石原は京都市長や大阪府知事はできへんでぇ、と。御意。あれが都知事に三百万票得て当選するのだから。勿論東京にも良さはあるのだろうが、とY氏。だがそれも荷風先生ですら嘆いたほどで池波正太郎の頃が限界か。新丸ビル、六本木ヒルズなどの誕生で噪ぐが所詮、六本木ヒルズのルイヴィトンが夜遅くまで営業しヴィトンの鞄が小学生のランドセルの如く有印良品として東京に溢れるだけの話。
▼築地のH君らの影響か産経新聞についつい関心あり。先月21日の朝刊の社会面に大阪書籍なる教科書出版会社にかかわる「「つくる会に負けられぬ」教科書採択汚職、大阪書籍の元顧問」といふ記事が産経にあり(こちら)。大阪書籍の社員が教科書採用にあたり三重県尾鷲市の教育長に01年に贈賄。容疑者は「当時は『新しい歴史教科書をつくる会』の教科書が話題を集めており、負けるわけにはいかなかった」と供述。扶桑社=産経の「つくる会」の教科書に対抗とは産経にしてみれば「うれしいほど」の贈賄(笑)。であるから、もっと客観的な記事が求められ、例えば、これ。
(事件の事実報道……略) つくる会のメンバーが執筆した教科書は01年に初めて検定に合格、採択対象となった。(略)02年度から使われる教科書採択で大阪書籍は(この尾鷲市を含む地区で)小学校の生活と社会、中学校の国語(書写)と歴史、公民の教科書が採択された。つくる会の教科書は採択されなかった。大阪書籍は前回の採択で付属教材が多く利益が大きい生活科を他社に取られており贈賄の契機になったとみられる。大阪書籍は1909年創立。人権問題などの記述が多いとして、西日本を中心に社会科系の科目で定評がある。つくる会は97年に設立。中学用歴史教科書について、日本の戦争責任に関する記述が少ないなどとして中国や韓国で猛反発が起きた。
と。大阪書籍の教科書は人権などの表記で定評があり、それに対して「つくる会」の教科書は歴史記述で海外の猛反発がある、ときちんと事実は事実として報道。非常に信頼がおける。で、それぢゃこの記事が朝日新聞か、といふとさに非ず。これは実は先月20日、つまり上掲の記事の前日の産経新聞インターネット版での記事(こちら)。産経ともあろうものが人権に優しい大阪書籍の良さを紹介しつつ何を血迷ったか系列の扶桑社教科書へのマイナスイメージ暴露。で翌日はこの引用部分がばっさりと切られるという経緯。網版と朝刊という違いこそあれ網版がよりリベラルということもあるまひに。産経にも常識的な書き手おり、網版は検閲も弛く記事になってしまい、それを翌日の朝刊掲載の際に「なんじゃこりゃ!」ということで余計な背景部分削除、と思えば想像に易いか。余が産経の担当者であらば20日の記事をまず抹殺するが網上に残しておくとは産経の度量。いずれにせよサイード追悼、ローチ監督、護憲派の元産経記者衆選立候補といい、最近、産経内部のリベラルぶり?散見される日々。
▼文部科学省で「これからの時代に求められる国語力」について検討する文化審議会国語分科会(分科会長・北原保雄筑波大学長)が文部科学相への答申案まとめる。骨子は「自ら本に手を伸ばす子供を育てることが何より大切である」らしいが「価値観が多様化して国際化や情報化などが進むなか」「今日ほど国語力の向上が強く求められている時代はない」(ああ陳腐な表現だ)そうで円滑なコミュニケーションの実現や論理的思考力の獲得をあげる。気持ちは解るが、円滑なコミュニケーションはたんに言語の問題に非ず、社会ぢたいが円滑なコミュニケーションを成立させる基盤をもたず而もその社会が国政を見ればわかる通り論理的思考力に欠けるのが事実。そのような社会だからこそ言葉も劣化。……と思えば答申にもある具体的な「心ぱい」「こっ折」などの交ぜ書きをなくし「ルビ」の活用などだけで十分なのだが、審議会が有識者集めて政府に知恵を与えるように見えて審議会設立から意図的なのは「国策への結びつけ」であり、それゆえに審議会など空洞化し単なる御用団体と化すのだが、この審議会もご多分に漏れず提言するは(結局、ここが大事の真骨頂なのだが)「近年の人心の荒廃は、感性・情緒の欠如に起因する部分が大きいとみて、美的感性、日本の文化・伝統・自然を愛する祖国愛など「情緒力」の育成を国語教育の大きな目標として掲げた」(朝日)といふ点。人心の荒廃⇒感性情緒の欠如⇒情緒力の育成の要⇒具体的には日本文化・伝統・自然への慈しみ=祖国愛とは一笑に付されるべき幼稚な発想。祖国愛あらば人心荒廃せず、と(笑)。日本だけに非ず欧米列強であれ内戦に混乱する国家であれナチス独逸すら崇高なる祖国愛の結果どれだけ他国侵略し国民を殺戮する惨禍を生んだか歴史を見れば明らか。美的感性溢れるテロリスト、日本の伝統文化愛でるアナーキスト、極端な話だが自然保護のため殺人も辞さぬ過激派すら存在するのが事実。三島先生など美的感性や日本の文化伝統が祖国愛と結び付いた例であろうがそれが稀有なのであり(しかも嘘っぽい……笑)対極には荷風先生あり。感性だの文化の素養だのは祖国愛だの愛国心とは一切何ら関係もないこと。その程度の事実は審議会の委員とて理解しているのだろうが(国語学会ですら終に日本語学会に改称せねばならぬ現実)、結局、近代の<国語>なる概念が近代国家建設のための一つの大きな鍵であり、国語について談義する場合に祖国愛の挿入は明治以来今日まで必須といえば必須か。だいたいにおいて祖国愛だの愛国心などといちいち言葉にせねばならぬといふことぢたいその国家が破綻しているといふこと。時代はもはや国家などといふ陳腐な範疇のもっと向こうにイッてしまおうとしているのに、このような陳腐な審議続けて何になろうか。

十一月初五日(水)FCCにてアジアアフリカでの地雷撤去活動を積極的に行い柬埔寨ではクメールルージュに誘拐されモザンビークで片手足損ったにもかかわらずマラソン完走など強靱な活動続けるChris Moon氏の講演聴く。どのような苛酷な情況でも生きようと思う積極性の大切さ、と。隣のFringe Clubにて香港で三十年以上写真攝るBob Davis氏の写真展もあり参観。黄昏に献血。三ヶ月毎の献血の予定は一ヶ月も前にすでに当たったものの巴里に居り戻っては入院してだので延び延び。血が溜れば血行悪しく肩凝りひどく久々の献血にてさっぱり。少し時間ありビクトリア公園歩く。すっかり整備され、つまりはこの公園のもっと政治性と陰湿さの一掃。政治性とはこの公園舞台にした六四追悼に象徴される大規模な政治集会開催困難とする為の意図的な芝生広場の区画化であり、公園内の散歩道だの林を整備することでかつての「見通しの悪さ」なくなり健全化。広場では国際スナック菓子フェスティバルなる醜悪な展覧会催され閑散とした会場に様々な揚げ菓子の類の臭い漂ふ。O君、I君とZ嬢で銅羅湾道の杭州料理・華亭會所。上海蟹の季節だが茹蟹頬張ってもねぇ……と蟹粉豆腐、鹵鴨、千層峰(猪耳)、馬蘭頭に龍井蝦仁。廿三年の瓶出しの老酒。I君持参のChateau Gros Moulinの98年。二更に台北より来港のY氏投宿のParklane Hotelで氏と再開しホテル樓上の酒場。同じく来港中のY2氏も合流。歓談三更に至る。
▼王家衛監督の『2046』、99年に撮影開始し翌年中断、出演の木村拓哉君も王家衛のこの作風に監督との軋轢ありとも伝えられしところ最近ようやく上海にて撮影再開。香港の芸能紙によれば上海での記者会見にて木村君への「奧さんやお子さんは上海での撮影に同行しないのか?」といふ質問に木村君「家族は日本にいる、これは撮影、なんで家族が同行しないといけないんだ」と言葉荒げ記者に向かって「あんたが取材に来る時にボーイフレンドを同行するか?」と。気持ちもわかれば記者への追求も厳しさが面白いものの、最大の矛盾は、木村君は注目される芸人で記者は一介の名もなき記者であること。記者が恋人を取材に同行してもなんらニュース価値はなく木村君の妻子であるからこそ。その立場の違いを考慮せずこの責め言葉。
▼先日古今亭のこと綴れば古典劇評論の村上君より電信一通あり。志ん朝師匠逝去の晩ラジオにて追悼の堀ノ内を聞き其の精気溌剌たる口演に粗忽者の夫に對する女房の造形故人圓生ならば夫を對象化し批評するが如き鋭さを持つに対し(志ん朝の)あくまで柔らかく包み込む姿は祖師参詣に赴く朝の洗面の手拭と間違へ猫を触ってどうするのと女房問ひ掛くる件など隨所に其れを感じ志ん朝の藝の本質は志ん朝自身自らを冷靜に對象化しながら自らを取り卷く他者を冷たく突放すことのできぬ情味、と村上君は、「癒し」なる浅薄流行の語は嫌ふと言いつつ現代人の志ん朝に求めしものはこの「癒し」めきたる暖かさ更に言はゞ諦観の果てにある人間愛に相違あらずと。志ん朝を「一合舛に張り切り漲る灘物の銘酒に口を付けたるが如き愉悦」と村上君、まさに言い得てたり。それが志ん朝なら馬生は菊正宗の無造作に注いだようで本人は神経質なコップ酒、志ん生なら湯飲みに注ぎすぎて「おいおい、こぼれちゃってるよ、もう」ってな具合かねぇ。
▼築地のH君が最高裁の藤田裁判官のプロフィールにある愛読書「敗北を抱きしめて」「マクナマラ回顧録」だから、そこからせめてファシストや反動とは違うはず、と。だがマクナマラ回顧録というのは微妙、とH君。精一杯誠実に国務長官としての職を果たそうとした人が知的エリートゆえに己の知力を過信した結果躓き退任した後も一生をかけて己の過ちを検証しようとした、とすれば、藤田先生はマクナマラの回顧から何を学んだのか。在任中は職務に徹す、といふことか。ご自身がこの日本の末期的な政治状況下で司法にどれだけの正義感が求められているか、つまり最高裁の裁判官の人生がマクナマラの生き方と交錯しているといふことにどれほどお気づきか、が気になるところ。

十一月初四日(火)昼に香港で実況中継ありのメルボルンカップは巴里の凱旋門賞の屈辱果すことDettori君に期待するが×。日本の衆議院選挙と香港の区議会選挙の日程勘違いして衆議院選挙今週日曜日といふことに気づき反・小泉自民党の意を込めた貴重なる一票投ずるためにEMSにてHK$99もかけて送付、そこまで費用かけた分せめてもの楽しみはtrackingくらい(香港側、日本側でちなみにEMSの郵件編号はEE430145716HK)。黄昏より尖沙咀に遊ぶ。尖沙咀に向かう地下鉄にて馬主C氏知古の某氏と遭い今晩の競馬予想。馬主C氏のDashing Champion昨晩の倍率13倍がすでに8.8倍とのこと、今季二冠一李で斤量上がり対策として騎手を見習の梁明偉君として5磅減としたのが吉とでるかどうか、が焦点。二更近くに銅羅湾に戻り珍しくCitysuperの食堂街、この時間ならまだマシかと元八ラーメン。Citysuperで食品部門を仕掛るK氏に数年ぶり(Citysuperの創業者I氏の告別式以来か)に邂逅、最近の商売ぶりについてなどラーメン食しつつお聞きする。Happy Valleyの競馬場。Dashing Championの倍率一時6.4倍まで下がる。このレースはSouth China Morning Post紙の記念すべき創刊百周年記念レース。C氏にレース展開の予想尋ねられ軌道狭きC道で最外の12枠となれば出走良きDashing Championなら飛び出して先頭に立つことも可能だが強豪馬少なからず1650mで逃げ切るには難あり、レース引っ張る先行馬が一頭いてそれに着いていけば斤量117磅で勝算かなりあり、と(当然そんなことC氏にせよ伍調教師にせよわかった上だが)期待。会員席より公衆席に出てCarlsberg麦酒一杯立ち飲みしていると返し馬でのDashing Championは素晴らしい快走見せるが梁君ちょっと距離長く走らせすぎと思え凝るばかりだがゲート近くに戻ってくればDashing Championこれから走るのが楽しみと見えてならず。梁君も騎乗初めてのDashing Championを撫でつついい感じ。レースは予想通りの展開みせ最後Dashing Champion競り勝って頭差で一着。倍率は8.5倍まで落ちており馬券的にも有難い限り。口取りに参加させていただく。SCMPの創刊百周年記念盃の授賞式でC氏ご夫妻ご満悦。賞金HK$100萬かけたHappy Valley Million Challengeは5位にいた同じく伍調教師のGrand Fighterが今晩17倍のところ一着に入り12点獲得しDashing Champion抜いて一位に踊り出、Dashing Championがこの勝利で再び抜き返すといふ俄然猛烈な争い。この日、SCMP紙の創刊百周年記念でとても立派な競馬特集紙が無料配布される。
▼朝日新聞国際衛星版国際面トップ記事に(なぜ?笑)「香港の路面電車工夫重ね健在」といふ記事あり(香港=三木特派員)。記事冒頭に「香港の路面電車は香港電車公司が経営する私鉄だが、香港人が「電車(ディンツェー)」と呼べばこの路面電車を指す」という一文あり、朝日の文章力復た疑惑わざるを得ず。この文章が拙いのは「香港の路面電車は」を主語としてそれが「私鉄だが」に掛かり、そこで香港の路面電車=私鉄、という前提で、「だが」香港で「電車」といえば「この路面電車を指す」と続くから、悪意をもって読めば(笑)「私鉄だと電車と親しまれていけないのか?」「公営ならいいのか」ふーん実に朝日らしい(笑)とか、そこまで揶揄はせぬが(してるか……)、ようするに言いたいことは「ふつう電車といえば普通名詞で香港にも電車は他にいくつかある。しかし香港人が「電車」といえば、決まってこの、香港島を走る二階建ての路面電車を指す。それくらいこの路面電車は庶民に親しまれている」ということ。記者よりも外報部のデスクとかが何をしているのか、と気になる。あの書出しでは公共交通機関の民営化の問題とかか、と察せられるようなもの。この冒頭の難文すらクリアすれば後は普通に読める記事なのだが、実は問題あり。解説の囲み記事で「香港では九龍広東鉄道軽鉄部も元朗〜屯門(略)に路面電車を走らせている」と紹介し、これを読んで、「あ、香港には他にも「電車」があるのだな」と合点するのだが、これが誤解。この九広鉄道(KCR)の経営する軽鉄は文字通りなら軽便鉄道で鉄道だが確かに道路のなかを走る部分があり路面電車といふ言い方も可能、しかも電気式であるから電車、ゆえに朝日の記事ではこれを電車という範疇として「香港島を走る路面電車の他にもある香港の電車」として扱っている。だが、問題は香港ではこの軽鉄を「電車」とは呼ばない事実。軽鉄は軽鉄なのである。しかも更に重要なことは鉄道を走る列車は電気で走ろうがディーゼルだろうが中国語では「火車」。この軽鉄も軽便であれ鉄道ゆえに電車ではなく火車になるはず。更に同じKCRの主要路線である九龍〜深センの東鉄も電車が走っているが火車と呼び誰もあれを電車とは呼ばず。つまり香港で「電車」といえば軽鉄があろうがなかろうが鉄道を走るのが電気式だろうがなかろうが、電車といえばこの香港島のトラムしかない、ということ。記者のいいたいことは単純なことでわかるのだが、簡単なことをヘンに絮い表現にした結果がこれ。
▼築地のH君発見の興味深き衆院選挙候補。神奈川9区の小林武治候補(61歳)。「憲法改正する必要はない。平和憲法、民主憲法として世界に誇れる内容を有している」「イラクへの自衛隊派遣は日本が独自に決める問題ではない。国連軍に自衛隊が加わり、イラク派遣隊として出征する場合は行かねばならない」「真の人間教育、規律、倫理の厳格さを教える教育内容にはほど遠い。規律の重要性を訴え、教育基本法を守るべし」と大変真っ当な主張。何が興味深いかといへばなんとこの小林氏、元産経新聞経済部記者。産経勤務の経験をもとに国の経済政策を批判、立て直しを主張する、というのがウリだそうだが、つまり産経新聞の主張とは真向から対立する護憲平和主義で産経での経験は反面教師か(笑)。サイード追悼といいリーチ監督への授賞といい産経新聞、じつは中道リベラル左派なのだろうか。小林氏の「規律の重要性を訴え、教育基本法を守るべし」という主張は、アタリマエのようにみえてある意味斬新、とH君。最近に日本といえば「国の最高法規を守れないような連中が規律重視を訴えている」矛盾多き現実、「都合悪いルールは守らなくてもイイ、という規範意識の破壊を身をもって体現してる」のが日本政府。この小林候補はそういった時代に必要なはず。

十一月三日(月)晴。在外選挙の投票用紙届いたものの次回選挙にも必要な在外選挙人証が同封されておらず。郷里の選挙管理委員会に電話し「はい、選管です」という一言すら訛りある職員に「在外選挙のことでお尋ねがあるのですが、先週、在外選挙の投票用紙を……」と言いかけたら「で、お名前は?」と尋ねられ余が名告ると「あ、○○さんね」と、さすが田舎(笑)すぐわかったようで、微妙な濁音や平坦なイントネーション除いて綴れば「在外の選挙人証は外務省の、総領事館経由で送ったんですけどね、投票用紙も一緒におくってしまうと、選挙が近いから投票が間に合わないといけないですから、それで投票用紙だけ先に早く届くように郵便で送らせてもらって、選挙人証は総領事館に送りましたから」と。気配りいただき感謝。だが送付にあたり一筆添えていただければ余計な心配もなかったものを、と思いつつ厳重な手続き(いかに不便かの記事はこちらの決まっている投票ゆえ選管の一職員がメモなど入れるだけでも問題ありか、とも察す。それにしても何と厳重な投票用紙の送付方法(写真)そこまで重要な一票なのか、と思いつつ自民党に一票投ず(嘘)。翌日の朝日には週刊誌で女性問題を報じられた山崎拓君(福岡2区)は、妻や娘の応援を前面に押し出し女性対策を意識した作戦を取り、その甲斐あってか主婦層の6割から支持を得るまでになった、と朝日。あれだけ書かれても夫と父の選挙応援できる妻と娘も天晴れだが所詮「遊び」は男の甲斐性か、主婦層の支持得るとはさすが日本(笑)。大気汚染ひどし。旺角では汚染指数180を越え。拉ont size=-1>i200になると危険)大気が黄色く渾る市街の中心にある小学校など校外運動すら中止とか。乱歩『黄金仮面』光文社文庫少し読む。帯に青柳いずみこの一文あり「乱歩は早く生まれすぎたのか」と大書きされ「乱歩は早く生まれすぎたのか。気持ち悪いもの好きの乱歩が自分を異邦人と感じるような風土がこの国にあり、ある種の人々を窒息させているのは確かなようだ。そのことを乱歩が明確な形で書いてくれていて、それを引用できるのがとても嬉しい」と。乱歩は早く生まれすぎてなどおらず。明治に生れ大正の時代に遊び1920年代という時代に満を持して現れ、あの時代だからこそ一世を風靡したのが乱歩。近代まであらゆる気持ち悪い者、異人が徘徊し、それを許容する社会があったのであり、それが近代国家化の中で異端に追いやられる中で人々の目差しが異形をハレの対象からグロと見るようになってゆく時代だったからこそ乱歩活きる。その乱歩が軍国主義の時代となると少年物に謂わば引き籠る。戦後など乱歩にとっては何の魅力もなし。月刊『東京人』で古今亭の特集あり、特集だけ読む。志ん生、馬生、志ん朝のうち余は志ん生は生で見ておらず志ん朝は未だ「若手」で誰よりも馬生愛しき。粋であること。品がありながら無粋に見せる余裕。書だ絵だと趣味広く無頼の酒好き。余が今も菊正宗を常飲するは馬生慕ってのこと。『東京人』の落語特集の充実は定番、前回は志ん朝師匠急逝の直後「東京の落語」特集の号届きこぶ平と対談する志ん朝のすっかり病んだ態に驚き餘命幾許もなき対談を何度も読み返し最後となった住吉踊りの懸命に踊る姿に思わず落涙。今回も期待に応える内容。まず談志と志ん生の長女(つまり馬生と志ん朝の姉)美濃部美津子女史の対談。談志がNHKの「二十の扉」に志ん生がゲストで出た時に、普通なら「それは植物ですか?」とか「食べられますか?」などと質問しつつ答え推量するのが番組なのに志ん生師匠いきなり「それは卵の殻ですか」とか「龍の髭ですか」などと答えていた、と。それが笑いとるためだったのか?と言う談志に美津子女史が「本当にルールわかっていないのよ」と。談志は、志ん生については「(老いて)落語ができなければ炬燵にあたってるだけでカネ払って見に来る客がいる」とさすが見事な志ん生評。言い当てるとはこのこと。そして自分が談志の落語を続けていられたのも志ん朝が伝統的な落語をきちんとやってくれていたから、志ん朝が志ん生襲名の時には口上の約束までしていた、と語る。落語協会分裂の時の志ん朝脱退を馬生が懸命に防いだ話など興味深い。但し談志の、だから談志らしいといえばその通りだが、最後は結局「志ん生の凄さは俺が実証」「志ん生の集大成を自分の落語にもってきて現実に売れている」と自画自賛。この対談の他にも中尾彬(馬生の娘・池波志乃の夫)が自分が企画し実現せずの談志志ん朝二人会(ちなみに前座!が小朝)はギャラまで決まっており談志が50円だけ高かった、とかの逸話だの、舞台で競演した水谷良重の(すでに八重子襲名しているが八重子になってからの舞台見ておらぬ余にとってはまだ八重子は先代、良重はどうしても良重になってしまふ)杉良太郎の結婚披露宴であった志ん朝の余りの暴飲ぶりに小声で「あんた、死ぬよ」と忠告したら本当に死んでしまった、という回顧談だの。のり平劇団の畏友・寺田農の追悼談も。弟子筋の馬生、志ん朝の師匠談も抱腹絶倒。だが噺家を代表して古今亭を語る小朝の話が面白くないのが事実。この小朝の話は真面目な落語評、噺家評になってしまいオチがない。小朝らしいといえばその通りだが。
▼地下鉄の構内も、藪用で訪れた公立中学の校内の壁も「楊利偉、楊利偉、楊利偉」と現在来港中の中国初の宇宙飛行士に大騒ぎ。東北人特有ののっぺりした顔立ちで無理に笑ったような笑顔のポスターばかり。夢にまで出てきそう。経済紙『信報』の社説がこれ取上げ、盛り上がってはいるがこの楊利偉の来港にはリスクもあったわけで、香港人特有の自由散漫さで民族感情は内地に及ばず中央政府のこの香港優先の宇宙飛行展も下手したら冷淡な反応になる可能性もあったが実際にはそれどころか熱烈歓迎だったので結果はリスクなしだが、と述べ(社説はそう言うが実際には96年の尖閣列島あたりから香港の民族感情の高まりは内地を陵ぐのでは?)、それにしても土曜日の楊利偉歓迎セレモニーで芸人がステージに上がり楊利偉と一緒に愛国歌曲熱唱は子どもっぽく幼稚ではないか、と厳評。この有人飛行については米ソに遅れること四十年だが、中国は70年代に有人飛行に成功する可能性もあったことを紹介。中国は70年に人工衛星「東方紅」打ち上げ成功しており、57年にソ連が初の衛星打上げ成功し61年に初の有人飛行、米国は58年の衛星で62年の有人飛行という米ソの経過を見れば早ければ人工衛星の4年後に有人飛行の可能性もあったはず。実際に中国は有人飛行に向けてかなり技術投資していたがそれを中断させたのは林彪事件に見られる中央政府の政治問題。その後は文革が始り宇宙開発どころでなくなったのは周知の通り。つまり如何に宇宙開発が政治的事象であるかは米ソの冷戦での宇宙競争にしても中国の事情みても明白、と。ソ連は宇宙開発に巨額の資金投入したことが国家経済破綻の要因でもあり、米国はアポロ計画に当時US$240億かけたがこの開発でのその後の技術の民生利用著しくその経済技術効果は数十倍の効果生んだもの。中国そして香港にとって今後の問題はこの宇宙開発技術をどこまで経済発展に利用できるかが焦点、と信報社説。
▼楊利偉といえば同じ信報で劉健威氏まで楊利偉取上げるが流石に劉氏だけあり目の付け所全く異なりマスコミに出ずっぱりの楊利偉を見ていて劉氏が注目したのは楊利偉の小指の爪(笑)。小指の爪を伸ばしているのだそうな。これは(その文化により小指の爪の尺度も異なろうが)田舎のオヤジの象徴で、高度な科学技術の象徴である宇宙飛行とは將に対極的。この小指の長い爪が中国の高度な科学技術のイメージにまるでトラウマの如く「ひっかかって」離れない、と劉氏。
▼朝日新聞の創刊125周年記念行事の一環に「オーサービジット」なる企画あり。一見していったい何のことかわからず。英国で普及した小説家(author)が小学校など訪れ(visit)読者に直接語る行事だそうで、井上ひさしらが顔揃えるが、何なのだろう、この「オーサービジット」なる言い方。タイトルをただ英語をカタカナにして、言葉への愛着もセンスもなければせっかくの企画も台無し。小学生に「書き手が来るぞ!」でいいのでは?
▼開催に問題多きHarbour Fest、その終幕飾る今回の目玉 The Rolling Stones の公演。その新聞広告(写真)見て目を疑うは Nevermind the politics. It's the Rolling Stones. なる広告文句。政治なんか気にするな!とは二つの意味で大きな疑問あり。まず何たる皮肉か、今回のHarbour Festの開催ぢたい政府のSARS基金をHK$1億も用いての外タレコンサート開催に米国商工会議所会頭らの問題多く政府の無能ぶりが問題となっており、かなり政治的。その背景で「政治なんか気にするな!」はあんまり。そしてもう一つの問題はローリングストーンズが出てきた時代こそまさに政治の時代。ロックが政治的背景をもっていた時代。それを源泉にする時代のバンド(このバンドぢたいがそこまで政治性あるかどうかは別にして)のコンサートにおいてこれはあるまひ。
▼築地のH君曰く、世の中悪くなるのはけして石原の如き人物の所為ではなく、善良そうに見える個人一人一人が本人は誠実のつもりで与えられた役割を忠実に果した結果ではないか、と。例えば先日綴った東電OL事件……この名称も困ったもの、確かに当時東電のOLであった女性の殺害事件だが殺された原因はこの被害者の「夜の顔」であり東電、東電と面白可笑しく呼ぶのだが、この事件で東京高裁で容疑者の再勾留請求を決定したの判事の中に後に少女買春で捕まった判事もおり、そんな輩が容疑者の人権無視した判決していると思うとそら恐ろしいかぎりだが、今回の最高裁の裁判長・藤田君などそういう意味では善良ははずの人物。それがあの判決とは如何に。まるで抽象的な存在であるはずの国家権力が顔もった人格として立ち現れてきた如し、とH君。一人一人はけして悪意もなく、寧ろ自分は誠実に自分の善意に基づき何らかの思慮があるはず。だが結果的には個人が誠実であることで、本人はそれでもそれを利用できる権力装置は上手くそういった世の中の誠実を利用して悪しきほうへ、悪しきほうへ、と進んでゆくもの。戦争に至る歴史など見ればまさにこの通り。1945年まで日本の国民は殆どが積極的に支那を侵略し米英と戦いたいと思っていたわけでもあるまひ。寧ろ漠然と平和を望んでいたはず。だが結果的に日々の生活から戦争に荷担しているようなもの。積極的な抵抗ない限り、良心の呵責があろうがなかろうが服従か荷担に他ならず。

十一月初二日(日)晴。毎年長距離走の季節到来告げるHKDRC主催のFilaのハーフマラソン。朝六時前に家を出て天后より主催者用意のバスで大尾督に向かう。今年で四年連続の参加か。但し今年は暴飲暴食に不摂生で肥満、運動不足ひどく完走できるか自信もなし。案の定走り始めると身体も驚いたのか心拍数上がったまま一向に下がらず後半に入り少し楽になり、どうにか上り除けば6km/分のペース保ち2:05:51にて完走。海抜0mより走り始め海抜200m近くまで上り鹿頸まで下り折り返す過酷なコースだと思えば日頃の運動不足からすれば健闘。終わってランニングクラブの面々と朝の十時すぎだというのに大尾督の郊外料理屋で麦酒。T夫妻の車で九龍塘まで送ってもらい帰宅して競馬予想。午後三時までウトウトしつつテレビで競馬観戦。夕方から油麻地のBroadway Cinemathequeにて独逸映画“Good bye, Lenin”見る。東独逸崩壊を10数年でここまでの物語にするとは。それも喜劇性、政治、経済、家族問題など脚本の素晴らしさ。日曜の夕方の特別上映ながら満席、当然ドイツ人の観衆多し。本日、競馬はThe Ladies' Purseのレースありpremiere Classで強豪揃うなか馬主C氏のDashing Championが今季初戦。昨日のオッズ71倍とかなりの人気薄だが何人かの信頼もてる評論家が調教の時計の良さなどから「ひょっとして」の大穴予想もあり「せめて」と複勝及び軸にしてのQとQPの総流しするが六着。残念。一着は昨年デビューから五戦四冠一季〇負のCheeful Fortune破竹の勢い。尖沙咀にてTommy HilfigerがAmexのカードなら三割引でシャツ二枚購ふ。中環。FCCにて晩餐。走ったから、と言い訳で数年ぶりにビフテキ食す。本日快晴ながら靄がかっり視界悪く大気もどんよりと市街にこもる。大気汚染の指数は140だかを越えここ数年で最悪とか。11月だといふのに気温も25度だかまで上昇、熱帯性低気圧と大陸の気候の影響で沿岸の大気まったく動かず埃塵だの排ガスなどが舞っていると天気予報。不快甚だし。視界は2kmといふが実際には香港、九龍いずれも対岸すら不鮮明(写真)さすがに疲労甚だしく風呂に入り正高信男『ケータイを持ったサル』中公新書少し読む。
▼「あれ」の暴言停まること知らず。今度は中国の有人宇宙船取り上げ「中国人は無知だから喜ぶ」などと述べ「日本がやろうと思ったら1年でできる」と。もはや歴史問題ばかりか、とにかく朝鮮支那は全て罵声浴びせぬと気が済まず。何処までエキサイトするのか、最後はご自身がテロの標的になりませぬことを祷るばかり(笑)。この発言も、裁判官が暴走族の少年らに「産業廃棄物以下」と罵ったのと同じで、実は中国の有人飛行船を馬鹿にして見下したい日本人少なからず。それを「あれ」は計算づくめで代弁。裁判官の「産業廃棄物以下」発言も新聞社にはその裁判官支持する読者の声がほとんどだったとか。問題は築地のH君の指摘の通り、石原慎太郎であるとか「産業廃棄物以下」裁判官であるとか長崎の少年による男児殺害事件での鴻池大臣の「親は市中引き回しのうえ打ち首にすればいい」などと言った発言に「俺が思った通りのことを行ってくれた」と溜飲を下げてる国民が多いこと。自分の個人的感情レベルで思ったことと、それを都知事、政治家、裁判官が公の場で口にすることの違いすら判らず。本来、社会だの政治だのの鬱憤は選挙だの世論を通して権力側に向けられるべきはずのものが、石原、この裁判官や鴻池といったトリックスターの存在により、個人的感情レベルと公的なるものの区別すらつかぬ多数の国民によって、権力側は安泰しただただ社会の悪化だけを招くのが今の日本。

十一月朔日(土)晴。先日不在中に小包だか届き郵便局で受取り。列に並んで見ていると窓口に日本人主婦。まだ梱包も終わっておらぬ小包、局員にテープで封いだ上に紐で縛るよう英語で言われる。局員はこの主婦が英語理解せぬと察し紐を縛るジェスチャーまでして、郵送料はHK$710と英語で言った上に計算機の710なる数字見せる気配り。主婦は応じて千ドル札出すが局員がお釣り渡そうとすると主婦すでにカウンタから離れ梱包に懸命でお釣りのHK$290をカウンタに置いておいてくれ、と言わんばかり。局員も次の客の対応にお釣りを放置できずに困惑。すると主婦、梱包の手を休めず幼稚園生の娘にお釣りを受け取るよう言い、娘お釣り受け取ったものの乳母車に乗った弟の面倒見もあり子どもだからお金床に落しても気がつかず。主婦の荷造りテープでの梱包は見るからに不器用。女の子が床に札を落す状況に列に並んだ客も「これって大丈夫なのだろうか?」と困惑の表情隠せず娘の落したお札広い乳母車の幌を直し、と見かねて手助け。主婦はといえば案の定、紐で縛らずカウンタに戻り再度、紐で縛るジェスチャーされ見かねた先頭近い客が紐を更に「ここ」と指さし主婦ようやく紐で縛り始めるがテーピング以上に技術要す紐での縛りは劣悪。「日本人は英語は下手だが紐を結ぶのが得意だったはずだが」と思ったのは余ばかりであるまひ。で須臾並んで受け取った郵便物は何かと思えば衆議院選挙の在外用投票用紙。先日郷里の選管に電話で問い合せたところ「いま担当者が不在のため戻ったら電話させます」と言いつつ「か、海外ですか」と言葉失ったくせに投票用紙はご丁寧にEMSで送るとは。開封してみると投票用紙はあるが命の次に大切な在外選挙登録証が同封されておらず。それがないと次回の投票できぬのだが。本当に不便な手続き。ちなみに次回からは香港も総領事館での直接投票可能だそうな。で、投票であるが、もはや旧社会党は壊滅状態、共産党が政策的には理想論としていちばん納得できるが結局どことも妥協もせぬ党派性が気になり、消去法でいけばいくつも疑問点多いが少なくとも自民党の覇権崩すには民主党、となるのだろうか。昨日受領したEuroの小切手銀行に持参し巴里より電話で聞いていた通りEuroの普通預金口座開設。窓口の行員、口座開設の用紙記入しつつ名前などは電脳のデータを見て記入しておきながら婚姻状況を余に尋ねる。申し訳ないが口座開設と婚姻状況がいったい何の関係あるのか?と質すと記入項目があるから、と。基本的に口座開設と関係なき事項である上に口座の新規開設ではなくすでに所有する総合口座内の外貨口座を開くだけのこと。なぜそういった個人情報が必要なのか理解できず、解答拒否。更に職業、職種まで尋ねられ「だからすべてアナタが見てるコンピュータに出ているでしょう、なぜそれを」と質すが「項目があるから」と。そこで余は「だいたい総合口座内の外貨口座開設など電話でも出来ること。電話での場合、面と向かっておらず香港IDの確認もできぬから本人確認で暗証番号の入力、住所、生年月日とか聞かれるが婚姻状況、職業など一切聞かれず、電話でそれなのに窓口ではそれを尋ねるとは矛盾するのでは?」と指摘すると何も答えられず。寧ろ「確かにね」といふ表情される。曾てはかなり自由であった銀行業務も日本に優るとも劣らぬ意味のない慎重さだの必要以上のプライバシー関与。ちなみにEuro61は額面の0.25%の手数料とHK$16.1の通信費の計Euro2.15引かれるだけでEuro58.85が手許に入るのだから香港の銀行手数料の安さ有難い限り。日本なら半額くらいになってしまうのだろうか。郵便局と銀行で小一時間。九龍某所で高座あり。夕方ジムで10kmトレッドミルで走る。帰宅して冷奴と韓国惣菜で菊正宗。昆布出汁のうどん。五穀米で栗ご飯も少し。NHKスペシャルで「教育を乗り越えろ」なる番組、画期的な指導で学力著しく伸す京都市立御所南小学校取上げる。経済同友会代表幹事、文部省官僚、鳥取県知事ら「識者」口を揃えて校長のリーダーシップ、教員の協調を指摘。管理職のリーダーシップと協調性も確かにあろうが、誰の口からも教員の個性とか自主性でなくというのが出てこないのは偶然だろうか。この校長のリーダーシップと教員の協調まではまだ理解できるが、それが識者の口から出たところで「そして、それに加え」と(って先に取材されてるのだから余りに予定調和すぎるよ、NHKらしいが)紹介されたのが、教育委員会の専門主事の存在。管理職経験者の指導官が学校をまわり校長に助言指導、と。これぢゃ店長がリーダーシップ発揮し店員は協調性が大切、で本社派遣のスーパーバイザーが地域の店舗まわって指導のマクドナルド、吉野家と何ら変らず。で次に初回されたのが「教育立国フィンランドでは」と日本得意の「でわの守」、言葉はできず国際交流も疏かながら「外国では」と紹介だけは盛んなのが日本だが、フィンランドの学校風景。どう考えても長時間の職員会議もなさそうだし卒業式でフィンランド国旗国歌の扱いなど議論しているとも思えず。生徒は授業中に帽子かぶったまま、教員は長髪にヒッピー髭はやして殆どピンクフロイド。まず日本ならこれだけで教師としての資質だの授業中は帽子とれだので大騒ぎ。いったい何が違うのかは一目瞭然。が一番重要なことは学校の組織管理だとか思想的異端教師の扱いだとか日の丸を揚げるか君が代歌うかなどといった「どうでもいいこと」に時間浪費せず子どもの教育に徹すること、それ以外大切なことは他にないでは。
▼毎週土曜日『週刊読書人』届く。二面に有名なロングインタビューあり数十回、つまり1年でたった二人くらいのインタビューの連載で前回は蓮実重彦で今が大西巨人。編集などせず一言一句そのまま掲載するからかなりの量になるわけで、確かに大西巨人の言葉を書き残すことは歴史的にもかなり意義ある仕事。だが正直言って聞きて(今回は蒲田哲哉)のかなり饒舌な現代文学論が続き大西先生が一言「それはないと思うな」でまた聞き手の文学論が続き、では正直言って飽きる。飽きるといえば「執筆と編集のためのパソコン技法」なる連載(未来社編集人の西谷能英による)があり、これも43回になるのだが、延々と「たかだか」Winでの秀丸やMacでのJedit4といった「サルでも使える」エディタの操作方法について文章で説明。しかも初期設定なんて「見てやってみればわかる」こと。なぜこんなのが必要なのか。習うより慣れろ。これをいちいち読んでエディタ使っている編集者がいたら最初からそんなの編集者として失格。じつは週刊読書人の編集者が熱心な読者なのかも。
▼中国初の宇宙飛行士来港で大騒ぎ。宇宙飛行士なるもの、運行上どれほどの責務なり専門技量があるのだろうか。例えば旅客機のパイロットは離陸のG点?だかを決めるなり異常気象時などの力量要求されるだろうが、果して宇宙飛行士は旅客機のパイロットほどの専門職なのかどうか。お猿の電車のお猿とは一緒にせぬが、搭っているだけ、に近くないのかどうか。この楊某なる宇宙飛行士、口を開けば「我ら中華民族が……」ばかり。民族の思いやり、暖かさ、努力すれば何でもできる、と。香港スタジアムでの歓迎会ではジャッキーチェンとカラオケ合唱まで。
▼ある邦字誌のダイン&バー紹介でかなり評価高く紹介された店、日本バーテンダー協会にも加わるバーテンダーおり、と。それほどの店で紹介されたお値段が「シーバスHK$68〜」と。どれだけ個性的にお酒揃えているか、が気になるのだけどシーバスじゃねぇ。しかもカウンターの写真にはChivas Regalのボトルと並んでシュウェップスのトニックウォーター。シーバスのウィスキートニック?がお勧めなのだろうか。私なら気を衒ひもせず「とにかくこのハーバーを眺めながらまずロックでドライマティーニをお飲みください。ウヰスキーはブレンドならバランタインの17年からをお勧めします。日本のお店ですのでニッカのウヰスキーも蔵出しのモルトを揃えております」だろうか。
▼昨日綴った新聞の優遇販売について李嘉誠答えて曰く、この廉価販売について自社は一切利潤なし、あくまで居住者への優遇、、またこれは独占でなく販売に加わりたき新聞販売店あれば参入可、と。自社のもつ不動産物件でこういった優遇することぢたいが李氏の系列の住宅地の評価につながるわけで間接的ながらじゅうぶん利潤あり。また参入可といったところで一部の新聞からHK$0.3の販売益じゃ誰が参入するだろうか。李嘉誠富豪になりすぎてもはや現実感覚欠如甚だし。
▼西安の西北大学での日本人教師と留学生の下劣な寸劇に地元学生反発し日本人学生数名殴られ軽傷負い反日デモにまで進展。胸に赤いブラジャー、下腹部に紙コップを付けて踊り、ブラジャーから紙くずを出し観客席にまいた……という日本の馬鹿な学生なら当たり前か、しかもお下劣に加え中国人冒涜する内容という部分が今ひとつ具体的にどういったものなのかわからずだが、背中に「日本」とか「中国」と書かれていたとのこと。これが日本なら留学生が裸踊りして背中に「日本」と書かれていても日本を侮辱とは思わず、裸踊りなどやんやの喝采で笑って踊るのだろうが、そういった価値観こそ、場所により異なるわけで、背中に「中国」と書かれていると中国が侮蔑されていると思うわけ。しかも西北大学は事情通のS君の話では中国でも真面目さでは定評あり上海や北京に比べ内陸のかなり硬い学生が真摯に勉学に励む風潮あり、とてもこのお下劣は理解できず、と。いずれにせよノーテンキな日本人学生と些細といえば些細なことから胸に「中国」と書いて国威発揚の抗議デモにまで至ってしまう西安の大学生は余りに対照的。直接寸劇に係らずの日本人留学生も市内の日系ホテルに安全のため非難とか。天安門事件の時も大使館の指導で北京で王府井のホテルに待機して寧ろ逃げられぬ危険に陥った反省など活かせておらず。反日感情高揚のなか日本人で固まることで寧ろ関係ないものまでこの寸劇学生と同じ範疇に自ら入るようなもの。誰も庇護などしてくれぬことを覚悟して個人に徹すべき。
▼「あれ」31日の定例会見で日本の韓国併合は当時の韓国の「政治家たちが合議して決めた」「国際機関でだれも日本を誹謗する者はなかった」などと述べ発言の正当性を強調。さらに仏蘭、米国がそれぞれアジアの植民地で残虐な行為をしたとし「これに比べれば日本の植民地主義はまだ人道的、人間的だったと思う」と。ちなみにここで「あれ」が例として挙げたのが自分が福田赳夫に連れられ韓国訪問した折に韓国の閣僚が自らの教育体験を挙げて日本統治で義務教育が徹底され貧しかった自分の家でも親は子どもを学校に行かせぬと罰則あり自分が学校に行けて日本人教師の薦めで師範学校に入れて更にいい日本人教師に恵まれ満州の軍校、更に日本の士官学校にまで進み首席で卒業できた、といった話を持ち出し、そういったのが日本、と。だから日本の占領はよかった、と。どんな悲劇にも小さな美談などいくらでもあり。その美談を取り上げ総論を片付けるのは詭弁以外の何ものでもなし。このような事例持ち出し記者に対してキミたちも国の歴史を学びたまえ、だって(嗤)。だいたいしかも日本の首相が客としてソウル訪れれば韓国政府の官僚だって客の待しでそういった過去の美談持ち出して場を和ませるだろうに(だからといって侵略の過去を清算したわけではないのだが)そういった韓国人の配慮の心すらわからず、それで直木賞受賞の作家だというのだから本当に嗤ってしまふねぇ。具体的に毎日新聞名指しして「どっかの新聞が例によってマッチポンプでたきつけた。残念ながらあまり騒ぎにならなかったが」と述べているが、騒ぎになっている。この知事も愚劣だが記者会見聞けば相変わらず記者がこのコメントは都知事としてなのか個人としてなのか?などと「あれ」に但し「あれ」がそういった質問ぢたいが馬鹿馬鹿しいことで、その質問が作為的なのだろうけど、そういったことに国民は嗤ってるよ、と。これは確かにその通り。

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