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乾坤容我静 名利任人忙 乾坤ハ我ヲ静カニ容シ名利 ハ人ノ忙ニ任ス 乾坤は和訳に難き言葉なれど天地、陰陽、つまりは宇宙の理か。

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2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

十一月三十日(水)毎週水曜日はかつては競馬でうきうきとして早晩には競馬場に駆けつけオッズの動き眺めながら、まずは生麦酒一杯に始まり日も暮れればB 氏ら常連の友人たちも集まり……といふ日々。街も交通規制などあるので競馬に関心のない人もどこか忙しく、が今では我も競馬に足を向けず競馬の売上げもか なり落ちて。早晩にジムでテレビの晩のニュース見ながら走り更に一時間の有酸素運動。帰宅。馬主C氏のDashing Championが第4レースに参戦。いつもハナをとるこの馬が上手く二番手で第4コーナーをまわり「ひょっとしたら?」と思ったが4着に終わる。サント リーホワイトのハイボールとカレーライス。競馬中継はここまで。新聞と少し雑誌読みデュ=プレのチェロでサンサーンスとドヴォルザークのチェロ協奏曲聴 く。サントリーのホワイトは8月に日本で懐かしさで買ってきたものを開栓。高校生の時に学校の近くのジャズ喫茶に高校生の分際でボトルキープ(当時 1,500円)。さすがに上履きのまま学校の塀を乗り越え脱走した昼間は、この「ロメイン」なるジャズ喫茶でも女将は酒は出してくれなかったが、夕方以降 は、の話。大学の時は飲めば二人で一晩でホワイト一本は当たり前で毎月かなりの本数を消費していたもの。老いると若い頃のことばかり思い出話。

十一月廿九日(火)薄曇。朝日一面トップの見出し「耐震偽造で住民支援策」。一瞬、耐震偽造すること「で」住民支援か?と驚くが「耐震偽造に(対して)住 民支援策」のことか。晩に帰宅しようとすると自宅の鍵のないこと自宅階下で気づく。Z嬢に連絡をとれるまで太古城に参り時間潰しにRuby Tuesdayなるパブに入りビール一杯。1パイントのフォスター麦酒がサービス料込みでHK$35.2だかで中途半端であるし釣りの小銭はチップ狙いだ ろうとすら勘ぐるが百ドル札に半端省いてHK$65をぴたりと釣りを渡され、ちょっとしたことだがとても感動。このパブに入ったのは三年前くらいに台風接 近で警報が発令され「することもなく」帰宅途中の一飲以来。帰宅してテレビつけるとNHK歌謡コンサートだかで布施明が「霧の摩周湖」歌っている。幻想的 な霧の摩周湖も東京は赤坂のナイトクラブのロマンチックな夜も「昭和41年の光景」なのだが実は「歌謡曲での偽装」でもみんながそれに共鳴していられた時 代。それにしても布施明の絶唱が「ちぎれぇたぁあいい、あいい、いいい、いいのぉ おもいい、いいでぇ、ええ、ええ、さぇもぅぅ」と原曲の歌詞がわからな いくらい、それはそれはデフォルメされていること。当時も当時なりに「かなり」ではあったし、ここで必要以上に盛り上げることでサビの「こだませつない  摩周湖の夜」の静寂を醸し出すのがこの曲の真骨頂なのだろう。だがそれにしても平成17年は、ここまで引っ張らないと昭和41年と同じあの感動は得られな いのかしら。晩飯のさなかテレビのニュースに香港訪問中の中国の「神舟6号」の宇宙飛行士2名。どこだかの学校訪れ学生と卓球して対話、のお決まりコー ス。それにしても「宇宙から、残念ながら万里の長城は見えなかった。しかし中国の海岸線、砂漠、そしてわれわれの台湾が見えた」と笑顔で語る。政治の醜悪 さ。海岸線は朝鮮半島からずっと続き南越からマレイ半島に至り宇宙から「中国の」国境線で仕切られた海岸線もない。砂漠が意味するのはウイグルへの牽制 か。そして「われわれの台湾」。悲しいくらい呆れる。1961年のソ連はガガーリン飛行士が「地球は青かった」と。「アメリカが小さく見えた」などとは言 わず。了見の問題。土曜日の「走り」の疲れがまだ癒えず。
▼朝日新聞に中曽根大勲位とヨーダ宮沢の両氏取材した編集委員・星浩君の一文あり。宮沢君を語るのに、なぜ必ず決まり切ったように「テーブルには近着の英 誌『エコノミスト』が置かれ、フランス国内の暴動の記事が開かれていた」などと書くのだろう。昔から宮沢君といえば「情報は海外の新聞から」とか、国会に 登院の時に車ではヘラルド=トリビューン紙を読んで……などと陳腐。『エコノミスト』など空港のラウンジにあれば誰だって読めるしヘラトリ紙など朝、我が 自宅にまで配達される普通の新聞にすぎぬ。政治家が英字紙や欧米誌を読むだけで目立つ、日本の未開社会ぶり。日本は幕末に勝海舟が字引なしで英語の本を読 んでいると感心された時代から常識も「世界の」情報も量も質も何も変っていないのかしら。
▼朝日で週一で5回続いた横森美奈子さんの「快適系」なる連載 が終わる。歳をとることを積極的に快適に、が横森さんらしい。それにしても「歳を取ることは、すべてがゆっくりと余裕が出てくるものかと思っていたら、す こぶる忙しい。仕事が忙しいのはありがたいが、それを成り立たせる“自分メンテナンス”にも手がかかり、時間を取られることは想定外だった」という「事 実」がとても可笑しい。横森さんは東京在住の頃、懇意にしていただいていたデザイナーのC氏の親友のお一人で90年くらいにC氏らと来港されファッション 音痴の私ですらメルローズやハーフムーンでの女史の活躍を知っていたくらい。女史の尊顔に拝す。もう15年も前のこと。当時は香港の中国返還前のピーク? でかなりいろんな方が来港。突然のことで当時の片岡孝夫丈の知己を得たり、いろいろなことあり。当 時といえばギタリストの伊藤可久君。仙台で彼が高校生の頃のアマチュア の頃から知っていたがギタリストされていることを偶然知る。仙台といえば青葉通と東一番丁角の額縁店「森天祐堂」が年明けにも閉業 らしい。近代化される市街の中心の中心で「異様なほど戦後」であった額縁屋……だが建物の角は煙草を売る窓に名物と化したオバチャンが座り続け古くはプロ マイド屋でもあり「チケットぴあ」など出来る以前からのプレイガイドとして機能。80年代に「阿Q」のライブチケットなど置いてもらっていたもの。昭和の 原風景がまた一つ消える。

十一月廿八日(月)晴。昼に百年ぶりに飲茶で点心食す。どうも粤式の点心の肉脂が苦手。穀物類も多く結局、晩になっても腹も空かず晩飯抜き。諸事済ませ晩 十時にかなり久々に銅鑼湾のバーS。モルトの試飲会のことな ど亭主M氏にお教えする。駆けつけでニッカの「余市」でハイボール一杯。冷凍庫で冷えたウオツカ「フィンランディア」にビターをかなり含ませグラスの曇り が消えぬうちに。十一時前には酒場を辞す。これで帰宅すればいいのだが、つい「珍しく銅鑼湾に来たのだから」とバーYに独りで訪れるのなど百年ぶりで。フィンランディアをもう一杯。 これ以上深酒せず。深夜帰宅。
▼昨日のジャパンカップについて競馬のほぼ専門家の畏友のサイトで読む。月本さんが 「フランキーが乗ると馬がまっすぐ走る、力を出し切る姿に感動。馬の尻尾から鼻面までの線がそのままゴールにまっすぐと一つの質量のある矢印として伸びて いる、そんな感じ」と言っていることがよくわかる。馬券については斉 藤さんの「JCは実績よりここに臨む過程と馬場適性で◎キングスドラマ。あとは○ゼンノロブロイ、▲アルカセット。キングスドラマからなら配当的 に総流しもアリでしょう。一応連下はベタートークナウ、アドマイヤジャパン、ハーツクライ、ヘヴンリーロマンス」で◎が来なくても「なるほど」という予 想。成沢さんはウイ ジャボードを本命にされたようで私と同じ。香港の国際レース開幕が待ち遠しくなってきた。

十一月廿七日(日)晴。さすがに朝八時まで九時間ほど寝入る。家事雑事済ませ昼前に裏山に登る。脚の筋肉と関節に多少痛みあるが歩けぬほどではない。寧ろ 鍛練、と裏山から大潭を10kmほど歩いたり軽く走ったり。海岸で松本健一『竹内好論』少し読む。リパルスベイに出てバスで湾仔。ジャパンカップはデッ トーリ騎乗のAlkaasedが制す。香港でもゼンノロブロイが一番人気。12月の香港国際レースのVase戦に参戦のAlkaased、Ouija BoardにWarrasanの三頭が今日のジャパンカップに出ており馬券的には香港ではWarrasanが三番人気だったかで狙ったが。この Alkaased、デットーリは相性もいいようで。結果論だが。デットーリの馬券はいつも相性悪い。帰宅途中に菊正宗を購おうとジャスコに寄れば果物売り 場に「シャロン」という名のブランドの「柿」が山積み。やはりよく見ればイスラエル産。小泉という名の果実園の葡萄がある程度の一致にすぎないが。帰 宅して早晩に枝豆とハイボール。きちんと出汁をとった煮うどん。大河ドラマ『義経』をようやく放送で(ビデオぢゃなく)見る。安宅の関の勧進帳の名場面。 義経は科白のない芝居で滝沢君は科白が噛む心配もないが富樫役の石橋蓮司が名演。一昨日N氏より頂戴した日本の雑誌数冊読み憂鬱な日曜の晩を過す。
▼中国の有人宇宙船「神舟六号」の飛行士二名が来港。香港大球場だかで数万人の市民集まり歓迎催事あり。テレビのニュースでは、会場で六、七歳の子どもが 「中国人も宇宙に行くことができた」と誇らしげに。教育の成果。国宝級の飛行士二名は水曜日まで香港に滞在し次はマカオ。あちこち訪問して市民や学生と対 話、だそうだが、厳しい訓練を経ての成功、夢はかならず叶う、一生懸命努力することの大切さ……といった通り一遍の話しか出来ないわけで滞在は寧ろ一泊二 日くらいのほうがイメージ戦略としてはいいのだが。
▼昨日早朝けたたましいヘリコプターの音に目覚め何かと思えば金曜日午後パーカー山にて行方不明になった11歳の少年の捜索。自閉症児で父親が山あいに散 歩に連れ出し父がMount Parker RdのBBQ場横のトイレで用を足す間に行方不明。昼前に数キロ離れた山あいで保護される。誘拐に非ず少年みずからがふらふらしたのが行方不明となった、 という。もう一人の15歳で突然死の少年、が新聞に大きく報じられる。内地より79年に香港へ密航し香港に暮す父が十数年前に郷里の親戚の紹介で内陸住ま いの女性と結婚し、この少年が生まれる。少年は内地で母のもとに育つが父はその後肺結核患い定職につけず月HK$3,000で生活保護受け妻の子の暮す内 地を訪るも能わず。妻は生活にも窮し息子をこの夫の郷里に残した母に預け何処へか去る。その祖母が02年に老衰で逝去。少年は03年に親戚の者に連れられ 二週間のビザで香港を訪れる。二週間経ちビザは失効するが故郷にこの少年を育てる者もおらず父と息子の香港での暮しが始まるが父に生活資金も労力もなく息 子は不法滞在で学校にも行けず仕事にありつく術もなし。それどころか警察の路上での職務質問畏れ外出もままならず。結果、電燈に扇風機と電気釜以外に家電 もない住居でテレビもラジオもない中で少年は二年間、憂鬱な日々を送る。唯一の外出は公共団地の敷地内を散歩するだけ。父が外出して持ち帰る新聞が、少年 が唯一外の世界を知る術。24日、父が外出から戻ると床に少年が卒倒しており父が警察に電話し少年は救急車で病院に運ばれるが死亡が確認される。死因は突 然死との由。父曰く、少年は内向的な上に父の貧窮を知り何が欲しいとも言わぬ性格。余り会話もなかった、と言うが、少年のベッドの壁に遺書らしき一文あ り。この三年も学校にも行っておらぬ、と思えば15歳の少年の心情の吐露。
如果我倒星期一還不会死、我就選択活路、垪命活下去、甚麼事不再 (在)乎。想自己的前景会是暗的、不会是明、只可能做不三不四的事、没有可能做正経的工作、因為很難伐得到、不然就割脈、吊頸、跳楼死。
と少年はぎりぎりのところで生きていたが将来は暗澹たるものでで割脈、吊頸、跳楼と自殺の思案。内地生まれの子女の香港での居住権は全人代常委により法解 釈で否定されたが実際には香港政府の入境事務処でも個別に案件検討し状況により情状酌量もある、といふ。殊にこの少年の場合など内地に養育する者おらぬの だから助かれば助かった話。

十一月廿六日(土)朝九時のフェリーで中環からランラオ島に向かい九時半に梅窩着。十時からのPhoenix Walkathonへの参加に三十分前の到着にお仲間か ら「余裕やね」と冷やかされ、もう今年で四回目?の梅窩から大澳までの28kmの山登りと走り。気温は摂氏24度だと言うが梅窩の波止場から二東山 (749m)への登りは風もなく肌を灼く暑さに閉口。途中棄権?と一瞬頭を過るが大東山(Sunset Peak、869m)に向かう頃には風も出て標高300mの東涌峠から鳳凰山(Lantau Peak、934m)を越え下りランタオトレイル4区からは「走り」で観音山(434m)、姜山(459m)を越えて萬丈布から一気に大澳に下る。午 後4時28分着で昨年より30分も遅れたのは昨年は確か摂氏17度だか。T君がこの28kmのソロでなんと4時間1分で第1位。毎週のようにレースで一緒 になり自動車で送ってもらうK氏も5時間38分で9位。余が6時間28分で11位なのだから、いかに精鋭ががんがん飛ばして走っており、後続が続かぬか、 という証し。余が嘘でも走る人たちのどん尻。応援はA嬢とZ嬢。日暮れに五人でタクシーで大澳から長沙下村の海岸。Stoepで打ち上げ。南アフリカの葡 萄酒Springstoneの白、赤。肉料理。K氏の会社から参加のお二人が初めての参加で八時間近くかかったが28kmのデュオで2位入賞。Stoep に駆けつけ。T君とそのお二人のカップ並べておいたらStoepの女将がお祝いとPorcupine Ridgeの白葡萄酒一本ご褒美に。晩も九時に至り梅窩からのフェリーの時間がうまくあわず東涌までバスで戻り地下鉄で一気に戻る。帰宅して当然の如く疲 労困憊で寝入る。ちなみに梅窩から梅窩に戻るランタオトレイル全程70kmのレースに参加中のN氏はまだ歩いている。このPhoenix Walkathonも運営難で今年で中止か規模縮小と主催者発表あり。

十一月廿五日(金)早晩に中環のマンダリンオリエンタルホテル。この聖誕祭の営業終わると一年も休業して大規模な模様替え。客室の、今では大気汚染で誰も 寛げぬベランダを廃して部屋の拡張と水回りやハイテク化。格 調高いモダニズムのホテルの美しさが損なわれることが残念。東京から本日来港されたN氏と再会。N氏の父が大正時代に来港、香港湾仔利東街で地元民相手に 日本製の衣料品売る商店営みN氏は1929年に香港で生まれ41年まで香港に育つ。日本の香港占領前に日本に戻ったため戦禍に遭わず当時の学校の記録など 今では貴重な史料を而もきちんと整理して保管されている。年に一度ほど来港される。いつもこのホテルに投宿されるが来年来られたら様相も一変のはず。N氏 とホテルのチナリーバーで一飲。このバーも十数年前に若造の 身分で緊張して訪れてからベルギー人だかのバーテンダーと懇意になりしばらくよく通ったが(ここでだいぶモルトウイスキーを味わう)六、七年前だか食事メ ニューなど揃えるようになり、かつては女人禁制だったという格式高いバーもガキは増え騒ぐし、ドレスコードもかつては最低スマートカジュアルだったのがG パンに運動靴、はたまた半ズボン客まで受入れるようになり、携帯電話もいつの間にかリンリンと五月蝿い。呆れて、中環で憩いの場をFCCに見出してからは 一向に足を向けぬようになったが、あと一ヶ月で閉業で改装後はかなり変わる予感もして、N氏と早晩の一飲に訪れた次第。ホテルを出ようとして香港日本人倶 楽部の理事で日本人墓地の墓誌発行にむけ献身的な活動されている在港四十数年のI氏にばったり遭遇。立ち話では勿体ない。I氏と別れN氏と歩いて萬宜大廈の小南国に赴き大閘蟹や清炒蝦仁、小籠包など少しずつ食す。I 氏の小学生時代の香港の様子いろいろお聞きする。トラムでShau Kei Wanまで行き小高い崗を越え、どうやら今の柴湾のあたりで海水浴。リパルスベイはとても湾仔の商店の倅では行ける場所ではなかったらしい。戦争ももちろ ん侵略する側とされる側の国家ではあるが、実際に不幸になる人と戦争で儲ける人はどちらの国にもいるわけで、戦争は強ち正と悪には二分できぬことなど語 る。かなりいろいろ毎回お話をお聞きしており、いずれそれをまとめなければならない。N氏をホテルまで送り一人で深酒にならず帰宅。節制。
▼吉林省の石油化学工場火災による河川汚水でハルビンの松花江が極度に汚染される。中国の地理に少しでも明るい人なら一瞬「えっ?」と思うはず。ハルビン は黒竜江省の省都で吉林省の北、その黒竜江省の、詩にもうたわる美しい松花江はソ連国境のアムール河に至る大河で、なぜそれが吉林省から流れ出ているの か?と疑問に思ったが、吉林省の西域は内蒙古自治区にも接しており、地図でよく見ると松花江は黒竜江省の山あい(興安嶺山脈)を源流にするが斉斉哈爾(チ チハル)の南で一旦、吉林省の西北に入り、また黒竜江省に戻りハルビンへと至る。と言っても河水は自然に流れているわけで行政区分での省など関係ないのだ が、そういう事情で吉林の化学工場での事故がハルビンで松花江の汚染を齎す。思い起こすのは廿数年前の一人旅。長春では当時「外国人宿泊指定」は駅前の長 春賓館(旧大和ホテル)ともう一軒だけでバックパッカーには高嶺の花。駅前の本来外国人宿泊不可のホテルに頼み込み泊めてもらい、英国人のT君がシベリア 鉄道に乗り長春通貨する際に当時外国人は闇で入手するしか術のなかった人民元をホームで渡してくれた話はいぜん日剰にも綴ったが、この長春からチチハルに 向かおうとして、通常の鉄路はハルビン経由なのだがハルビンはどうせ満州里からの帰りに通るので、と鉄道好きゆへ別な路線で進もうと何も考えずに吉林省の 白城という内蒙古に近い小城市行きの列車が長春からあるので、ここで一泊して翌朝の列車でチチハルへ向かおうと思ったのだが、夜遅く白城に到着すると駅の 出札で「外国人だ」と駅員が慌て公安が来る始末。公安のジープで接待所に連れて行かれ(幸い宿泊費は安かったが)翌朝、また公安のジープで駅に送られ列車 に乗せられる。公安の職員がかなり親切で事情がわかったのは、この白城なる小都市は軍施設があり外国人立ち入り禁止(当時)。我もつい列車の乗り換えなの で非開放城市に公安の許可とっておらず。その白城からチチハルに向かうあたりがこの松花江の水域。当時はのどかな農村が続き夏八月は一面の向日葵畑広がる 光景。所々に石炭工場や製鉄所など点在していたが、それが今では大規模な化学コンビナートなのであろう。でハルビンであるが、長春で宿したそのホテルの八 人部屋の同室に黒竜江省の国営の新華印刷工場に務める陳という初老の男性があり、その中国旅行で広州、北京は外国人専用のホテルだったため初めての「モグ リ」に言葉もできず戸惑う我に陳さんはかなり親切で、ハルビンに着たら必ず尋ねるように、と連絡先をもらう。で二週間後だかにハルビンに着く(途中、もう 一度、黒竜江省の山あいで公安のお世話になったが、その時も公安はジープで「このへんに外国人が来たのは60年代のロシア人以来、とあちこち案内までして くれた……笑)。新華印刷工場の敷地内にある陳さんの家で手作りの餃子ご馳走になり陳さん夫妻と市街に散歩に出る。ロシア風の街並みの残る美しきハルビン 旧市街。キタイスカヤ通り。時間があれば毎夕のように二人で散歩する、という松花江の河岸の、確かスターリン公園。松花江の洪水の時にソ連の援助で堤防決 壊防いだ、との由。美しい夕陽のなかを手をつないで歩く50すぎの陳さん夫婦にこちらが照れる。この松花江の向こう岸に太陽島という名の、帝政ロシア時代 に開発されたロシア貴族らの避寒地の別荘あり。市内のホテルが高く陳さんの紹介だったか、で太陽島にある、どこだか国営企業の療養所にモグリで宿泊させて もらい、毎日、フェリーで松花江を渡りハルビン市街に。この八月(以下の話も日剰ですでに書いているが)日航機の御巣鷹山での惨事。それを瀋陽だったか大 連だったか、新聞社の壁新聞で見て知ったのだが、同じ新聞の片隅にベタ記事でハルビンではその松花江を太陽島に渡るフェリーでエンジンの火災事故あり三百 人だかが死亡、とあった。わずか数行のベタ記事。二週間ほど前に毎日あの松花江を往復していたフェリーが、と思いぞっとする。あの松花江がいま基準の50 倍だかの汚染。アムール河に流れソ連との問題になるのも必至。廿数年前に事故で三百人死亡がベタ記事も驚いたが今回も化学薬品の河川への流入から九日だか して事実公表。政府関係者はマスコミ報道だけが情報公開の適切な手段ではない、と嘯く。
▼香港鼠楽園試験開業から百日。ついに鼠楽園側も入場者数など公表。入場者数は鼠側の発表で100万人。つまり1日あたり1万人のみ。当初1年の入場者数 を560万人と予定しており現実には遠く及ばず。来訪者は地元、中国内地、海外をそれぞれ三分の一と見積もっていたが現実には地元客が49%を占め26% が海外からで中国内地は24%に留まる。ここが誤算。日刊ベリタにこの件、記事送稿。

十一月廿四日(木)晴。朝日新聞一面トップに日本の各都道府県のタミフル備蓄量が必要量の0.4%と記事あり。マカオはちなみに人口46万人に対して16 万人分をすでに備蓄とか。
毎週木曜日の常として朝に小泉メールマガジン拝読。
私は、日中友好論者であり、日韓友好論者である。この考え方に全く 変わりはない。私は、日中関係も日韓関係も将来それほど心配していない。私も、日本政府も、日本国民も、日中友好、日韓友好の重要性は十分認識している。 たとえ一つの問題で意見の相違や対立があっても、これが全体の友好関係を損なうようなことにしてはならないと思っているし、皆さんもそう思っていると思 う。
と。「たとえ一つの問題で意見の相違や対立があっても」と言っても、それが貿易での関税問題であるとか離れ小島の領土問題なら兎も角、靖国参拝は過去の歴 史上の軍事的侵略に大きく関わる問題であり、それを侵略した国の側が半世紀経ったとはいえ未だ解消されぬ問題によくもしゃぁしゃぁと「たとえ一つの問題 で」と宣えるもの。
かつて60年前にはアメリカと日本は敵対関係にあった。しかし、い ま、日米は最良の同盟国、友好国になっている。ベトナムのルオン国家主席も出席し、ブッシュ大統領の隣に座っておられたが、30年前、アメリカとベトナム は敵対関係にあったが、いまや友好関係を発展させている。
……と、だから中国も日本と友好的になれるはず、が小泉思考だが、日本が米国と同盟国になれたのは米国が日本占領にあって日本の國軆をば玉に傷つけずに遺 すこと前提としての戦後の親米。ベトナムとて米国はベトナム戦争の過ちを認めているし、まさか「トンキン湾事件はなかった」などと釈明しない。
このように、一つの問題があるから、一つの意見の相違があるから、 全体の関係を損なうようなことにはしないことが必要だと思っている。日本と中国、韓国との関係は、相互互恵という観点からきわめて重要である。両国との関 係は、経済的にも、文化的にも、スポーツの面でも、人的交流にしてもこれほど深まっていることはかつてない。短期的に一つの問題で意見の相違があったとし ても、中長期的にみて、この問題が両国の関係を悪化させないような方向に持っていく努力は今後ともしなければならないし、お互い時間がたてば理解されるも のだと思う。
これだけ深まっている友好関係に水を差しているのは誰か。「(短期的な)問題が両国の関係を悪化させないような方向に持っていく努力は今後ともしなければ ならない」と言うが、その短期的な問題の元凶は何か、誰か。呆れて言葉もなし。結びは
これは、私の外交についての基本的な考え方です。これからも、日米 同盟と国際協調を日本外交の基本として、各国との一層の友好関係を深めていきたいと思います。
わかりやすい。国際強調のまえに日米同盟。自民党の50年は親米政策の50年でもある。だが例えば宮沢喜一君の親米は少なくとも日本の国益のために、とい う前提あり。中曽根大勲位とて同様。だが小泉三世となると国益がいずれの国の国益なのか、怪しい。
早晩に尖沙咀。マカオマラソンの申し込み〆きりが明日で東莞在住のO氏申し込み済ませておらず代理で。尖沙咀の東英大廈の15階に上がるとすでにほとんど のテナントが移転しており日本のサトウ製薬のオフィスと、このマカオマラソンの事務処理するオフィスのみ。このオフィスには香港マラソンの膨大な量の申請 書もあり、香港のChampion Chipの代理店でもあり、大規模な長距離レースの事務処理を引き受けているらしい。帰宅してスミノフのウオツカにビター数滴たらして一杯。チーズたっぷ りのパエリア。残り物の赤葡萄酒(山西省のGrace Vineyard)。今ごろ雑誌『世界』の八月号読む。日経の田村さんの人民元引き上げに関する文章に、金融政策の決定、為替自由化、通貨の安定の三つ は、いずれか一つを欠かすことで残り二つが成立する、という誰だっか経済学者の有名な理論が紹介されていて、日本は通貨を変動相場制とすることで政策決定 と為替自由化を維持しており(これが世界の先進国の大半だろうが)、香港の場合は米ドルとのペッグ制を摂ることで金融政策の決定と通貨安定を維持してい る。これで見ると中国は元相場を固定することで通貨の安定を図る、その金融政策が党政府の匙加減一つ、という点では中国は経済開放などで資本主義化が見ら れるが今でも社会主義経済体制である、ということ。自明の理だが忘れてしまいそうな「事実」。この数週間、外食があっても暴飲暴食を避けかなり節制。食後 の飲酒は皆無、午後11時には就寝の日々が続く。
▼四年に一度の香港の麻薬濫用調査で十代の学生に尋ねたところ調査対象の95,890人の学生のうち2.7%にあたる2,589人が麻薬経験あり6割強は 友達に勧められて、と常識的だが、父母に勧められたが3.1%、兄弟姉妹が2.3%、つまり5%強が親兄弟から「一発やってみるか、スカッとするぞ」。息 子や娘にコカイン勧める親ねぇ……。
▼昆明から香港旅行に来た還暦の男性が香港で女装ダンサーのショー見ていている途中に喘息の発作起こし急死。このオカマショー、こんなもの香港にあるの か?と驚いたし「香江大舞台」なる、この演舞場、場所は当然のように旺角界隈か、と思ったら、なんと香港島の西端の公団住宅団地・華富。なぜ華富にタイか ら来港のオカマ嬢のショウがあり大陸からのツアー客がなぜそれを見に行くのか……。まずこの「香江大舞台」は華富団地にあった倒産した映画館の跡地。映画 館を居抜きで歌謡ショウにしたようで歌謡ショウの客は老人だろうが華富では集客など期待できず苦肉の策が大陸からのツアー客誘致だったのか。このオカマ ショウが好評で日に五回公演。大陸からのツアー客というのもオカマショウだの湾仔の金紫荊広場だの変なことに香港での貴重な時間費やす。

十一月廿三日(水)気持ち入れ替え早晩にジムで久々に有酸素運動一時間。帰宅。おでん。大河ドラマ「義経」ビデオで一本半見てようやく放映に追いついたは ず。佐藤忠信は確か六条堀川の館に襲われ自刃した筈だがドラマでは鎌倉に送られる静を助けようとして命果てる設定となっていた。01年の夏に福島の飯坂の 玉湯温泉に父母と大叔父を連れ湯治に参りテレビで高校野球中継みている父と叔父を宿に遺し母と医王寺に参ったことを思い出す。此処に佐藤継信、忠信兄弟の 墓があり、芭蕉は「笈(おい)も太刀も 五月にかざれ 紙幟(かみのぼり)」と詠む。寝る前にJacqueline du Preの演奏するエルガーのチェロ協奏曲をCDで聴く。
▼朝日新聞に自民党50年で中曽根大勲位が小泉靖国参拝について
外交的にみても、隣国の首脳と国際会議以外では容易に会談できない 事態が続いている。小泉君の個人プレー外交で「引きこもって」いるからでしょう。小泉君は「個人的信条」で靖国神社へ参拝すると言うが、大きな国益の前で は、国民の理解を求めて個人の信条は譲らないといけない。昔の政治家は笑われても、けられても、国益優先でやってきた。小泉君はポピュリズムに基盤がある から、そこからは抜けきれないんでしょうね。
御意。キョービ、中曽根大勲位がここまでリベラルに映るとは……。
▼朝日といえば加藤周一の夕陽妄語も加藤先生お得意の夢で古の人に遭って物語る筋は兵法『孫子』の著者、孫武か孫臏との語らいが見事。孫子から米国のイラ ク征伐と日本参軍の誤謬を説く筆致。だが加藤先生が紹介する
利に非ざれば動かず、得るに非ざれば用いず、危うきに非ざれば戦わ ず。主は怒りを以て師を興こすべからず。将は愠りを以て戦いを致すべからず。利に合えば而ち動き、利に合わざれば而ち止まる。怒りは復た喜ぶべく、愠りは 復た悦ぶべきも、亡国は復た存すべからず、死者は復た生くべからず。
もいまの読者にどれだけ意味が解せようか。「死者は復た生くべから ず」の一句は、加藤先生をして、歴史と国境を超えて私を無条件の平和主義の方向へ限りなく近づける、とさせ、この文章を結ぶが「死者は復た生くべからず」 の意味も今では「死者はふたたび生き返ってはいけない」とでもとられはせぬか。
▼昨日紹介した伝統的で保守的と国民の誰もが信じている某私立校の図書館の蔵書の一部を紹介すると『マンガ 日本人と天皇』シュガー佐藤&雁屋哲、『近代 天皇制とは何か』同上、『天皇の軍隊』熊沢京次郎(=本多勝一の共同ペンネーム)、『教科書に書かれなかった戦争』シリーズ揃 梨の木舎刊、『従軍慰安婦 と十五年戦争』西野留美子、『宮本百合子全集』など。如何だろうか。取り憑こう、いや都立校なら偏左書籍として焚書されるが如き書籍ばかり。
▼12月11日の香港国際レース開催日の出走馬発表になる(こちら)。 スプリントは香港馬サイレントウィットネスの独壇場なのだろうが日本からはアドマイアマックス。ヴァースはローヤルアスコットのゴールドカップの覇者 Westerner、日本からは菊花賞でディープインパクトに差されて二着のシックスセンス、マイルは安田記念で一着となり、この日剰でも話題にした(秋 の天皇賞は四着)アサクサデンエンが早くも注目度高く日本からはハットトリックも参戦。で香港カップは香港馬はダービー馬Vengeance of Rainとジョッキー倶楽部主席所有のRiver DancerにGreen Treasure、海外からはMaraahel、Raktiに昨年の覇者Alex Gldrunに三着のTouch of Landが参戦。
▼北京で閉鎖中の通順競馬場にて競馬馬600頭屠殺だとか(蘋果日報)。香港の投資家が7億8千万港元かけ01年に開業のかなり本格的設備有する競馬場。 中国国内での競馬合法化、北京五輪での乗馬競技開催に向けたが賭博合法化は程遠く五輪での乗馬競技の香港開催も決定。通順競馬場は競馬開催と暫停繰り返し たが税金問題なども絡み10月から亦た閉業。経営困難で二千頭越える所属馬のうち四分の一の処分。
▼歌舞伎の芝居など町外れの橋の袂、晩も遅くに夜鷹が偶然に拾った風呂敷包みが二十年前に別れた父の借金の証文で……などという話に「芝居だから」と片づ けられず。偶然とは奇異なるもの。警官が路上で歩行者の身元・所持品調べしていると、或る男の財布から映画俳優・周星馳の香港IDカードあり。他人の HKID所持は当然違法で五千元の罰金刑に処される。聞けば、この男、周星馳のファンで、96年の聖誕節に路上で香港IDカード拾うと、それが偶然にも周 星馳が落としたもの。男は警察に届けず大切に財布に保管していた、との由。

十一月廿二日(火)晴。一つ大きな仕事終え早晩にジムで鍛練か、と思ったがちょっとしたことでジムに向かうタイミング逃し、一瞬、それなら太古坊のバーで でもちょっと飲んで、と思ったが、飲んだら帰るのも億劫になるし、何より困るのは一人でバーで飲むのに昏時でも照明かなり落とされると新聞に目を通すにも 難儀。結局真直ぐ帰宅。ドライマティーニ。浪花屋の柿の種。CDでMischa MaiskyとMartha Argerichのチェロソナタ69番と102番を聴く。三平汁などで夕餉。二週間前だかの大河ドラマ「義経」をビデオで見る。西国へと逃れようとする義 経を見送る法皇様の、平幹二朗の、動揺を見せる目の演技の見事さに言葉もなし。そののち西国落ちに失敗し都に戻ろうとする義経を助けむと鬼一法眼現れる が、この美輪明宏の、今度は手を仰ぐ演技の見事さ。幹二朗先生と美輪先生がいる楽屋はかなり「濃い」ことだろう。
▼Int'l Herald Tribune紙にペルーのフジモリ容疑者の“companion”と噂される片岡郁美女史へのインタビュー記事あり。日本の大手マスコミでは実業はホテルプリンセスガーデン社 長だが「英霊を慰め日本を守る会」の代表発起人の一人である、この女性のことはあまり取り上げぬ。国粋系のロビイストであり、このホテルも上野富吉(鄭富 吉)という人が事実上経営するホテル三條苑であったが「日貿信」なる会社買収の仕手戦の最中に行方不明となった物件。叔父は経営破綻した旧信用組合の岐阜 商銀の安璋煥元理事長。片岡女史はフジモリ容疑者を、アルゼンチンの元大統領Juan Domingo Peronに喩えて話す。1955年にクーデターで失脚し国外亡命するが71年に帰国し73年に大統領に復帰。このペロン大統領の話は大統領自身よりも Eva Duarte de Peron夫人が有名。映画ではマドンナが主演した、あのEvitaである。このEvitaにまで言及し、記者は「あなたが将来のEvitaか?」と空手 の黒帯で、15歳で家出して米国は羅城でプール掃除や犬の世話、マクドナルドで働いたという片岡女史に尋ねると、女史は自分は影の存在だ、と言葉濁す。フ ジモリ容疑者がマクドナルドでも「たくさん注文するな」、スーパーでもテイクアウトの寿司が閉店間際に15%安くなると知ると一時間でもそれを待つことな ど倹約家の逸話など紹介するのも興味深いが、それ以上に(IHT紙ではそれに触れていないが)「在日」だそうである彼女が日本の国粋系になってゆく思考的 遍路のほうがもっと興味深くもある。
▼国粋系、で話題もう一つ。多摩のD君が息子の「お受験」で或る、実に伝統的で保守的であろうと思われる某私立学校の説明会訪れる。図書館の蔵書を眺める と驚くなかれ天皇制問題や日本のアジア侵略などに関する書籍多し。東京都の教育右傾化など憂いての私学志向であったが「まさか、この伝統的で保守的と思わ れる学校がっ……」というリベラルぶり。この学校名は敢えて挙げぬが意外とそんなもの鴨。
▼最近は話題に出すのも気が引けるほど低迷の香港鼠楽園。SCMP紙が香港鼠楽園の正門前で実地計測の結果、入園者は11月13日(日)が12,972人 で、16日(水)は11,399人。香港居民に対して入場料HK$50割引も功を奏さず。鼠楽園線の鉄道運営するMTRも週日の乗客数を1万人と暴露。政 府の試算では初年に560万人の入園者期待されたが、これに見合うには日に1.5万人強の入園者が必要。香港鼠楽園、建造費HK$277億のうち香港呆政 府が8割余にあたるHK$225億を費やし40年にわたりHK$1,480億の純益を齎すと嘯き公的資金流用された結果がこれ。香港政府こそ千古罪人に値 す。而も上海と鼠楽園誘致に関してかなり争う中で、この政府負担額の大きさで鼠楽園側は香港での鼠楽園開業決めたが、実は上海での開業も着実に現実に向 かっているわけで19日には中共上海市委書記の陳良宇が2010年開催予定の世界博覧会についてなど語る中で上海は崇明島の開発のなかに大型主題公園の建 造予定ありマスコミに対して鼠楽園側との接触認めるコメント。結局は巨象が鼠に遊ばれる劇画なり。
▼少し気になっていたのがブッシュ来日で参られた京都の迎賓館。そんなもの何処にあったか?と思ったが京都のH氏のブログを読んでいたら(こ ちら
B大統領上洛。御所内の迎賓館と言えば、5年ほど前から自然がいっ ぱいの御所内の木々群を切り裂いて建設されたもの。秋の紅葉に合わせての来日か、迎賓館のお披露目のための来日か、K首相との人気取りのための来日か。今 イチ、何しに来日し、しかも、わざわざ京都で会談する必要があるのか。たった1日そこらのために……。で、話し合ったことはと言えば、「自衛隊イラク派遣 延長しまっせ」「アメリカ牛肉輸入再開しまっせ」と。それでもって、首相は「緊密な関係を保つことが大事」と、コメント。せっかくわざわざ京都に来て話し 合うのなら、「地球温暖化防止のための京都議定書」のことを再確認するくらい話題にしてほしいところ。
とあり。御意。こんな施 設を史跡のなかに建造する破廉恥には当然、反対運動もあ り。そのブッシュであるが中国では北京五輪の自転車競技のカントリーレースコースを自転車で走ってみせたかと思えば、モンゴル入りすると今度は大統領のリ ムジンが郊外を走れば騎馬民族よろしく鎧甲冑姿の武者が蒙古馬に乗り草原にてお出迎え。遊園地で遊ぶ子どもと同じ。
▼Int'l Herald Tribune紙に突然、イタリアのスペッターコロで活躍するBeppe Grilloによる「イタリア国会浄化」 の全面広告。このブログとか読んでみれば面白いのだろうがじっくり時間もとれず。日本も、本来ならこういう役目は青島幸男であるとか大橋巨泉が担うべき 「だった」のだろう。
▼私以外の誰が注目しているのか知らぬが経済学の鬼才で米国での偽骨董販売と脱税で国際手配中の張五常教授。内地にて経済学者ら集まり張教授の古希の祝い (20日信報)。記念シンポジウム開催され「張五常学術思想」「張五常其人其事」「張五常対中国経済改革的貢献」などヨイショ目白押しで教授ご本人の記念 講演もあり。興味深いのは出席者が「内地」関係者ばかりで香港からの出席は在野の経済学家2人のみ。徹底した張教授の内地化。国際指名手配をば中共の庇護 受け「金玉を握られ」ての態。近日中に信報の林行止主筆がこれについて書く、と予告あり。楽しみ。

十一月廿一日(月)快晴。昼飯も食す時間もなくお茶一服休む間もなく燈刻に至る。急な仕立物多し。仮縫いでOKが出ていたものが仕立て上がる寸前でダメだ しが入ったり急な縫製の仕事もこういう時に入るものでお約束の押立ては本日お昼には、とお客様と約束していたのに急拵えの出来上がりは燈刻に至り、ご多忙 のお客様を待たせたお詫びも兼ね九龍まで仕立物お届け。かなり忙しかったようで、と逆に多忙労われる。かなり疲労困憊。ドライマティーニ。パスタ。山西省 はGrace Vineyardの赤葡萄酒を一杯半ほど。ロシアのプーチン大統領来日でロシアが北方領土問題に前向きな姿勢見せる背景につきNHKのニュース10でモス クワ支局長の石川一洋氏がモスクワから解説を述べるのだが、不思議なのはNHKの特派員というのは、なぜ「見てくれが現地系」が少なくない、ということ。 古えには磯村尚徳君のように見るからに「巴里かぶれ」もあるにはあったが、石川支局長の場合「かぶれ」どころか「日本人である、とは絶対に思えない」ほど に、ちょっと中央アジアのあやしいオジサン。取材現場に入ろうとすると警備がちょっと緊張しそう。

十一月二十日(日)快晴。朝五時半起床。Z嬢と銅鑼湾06:20発のバスで新界は天水圍。一時間、バスで仮寝。天水圍に着き天水圍循環の軽 鉄に乗り換え湿地公園。Nike主催の10kmのロードレース。若い人の間でこの参加記念Tシャツが人気。実際には事前に参加者ゼッケンとTシャ ツ配っており一万人だかの定員のうち当日参らぬ者も多し。それでもかなりの数。キロ6分もきびしい今シーズンであったが結果58分でゴール。日ごろの運動 不足と不摂生思えば1時間以内で完走できただけでも御の字か。終わってレース参加のK氏が太古城のユニーで買い物、とおっしゃるので送ってもらうがK氏が 大欖隧道潜るはずが話に興じ間違えて粉嶺に向かってしまい思いがけずの新界ドライブ。雲ひとつない快晴で心地よし。ユニーで日本の駅弁を揃えて特売中で昼 飯に、と富山の鱒寿司とばってら購い帰宅。駅弁と昼からお酒一合半。昼寝したいが、たまった新聞読み。午後遅く九龍の知る風呂屋にて擦背と按摩。灯刻、Z 嬢と中環のNike直営店で待ち合せ。本日の参加者特典で2割引だったが別段、何も買わず。FCCにてステラアルトワ半パイント、ハイボール2杯。アイル ランド風のシチュー。スターフェリーで尖沙咀に渡り香港文化中心で香港管弦楽団の演奏会はEdo de Waartが音楽監督に就任直後の最初の演奏会(確か去年の夏?)以来だが今回のお目当てはZ嬢が予選から殆ど観ている九月の香港国際ピアノコンクールで 一位になったピアニスト、Ilya Rashkovsiy君が今日この香港フィルでラフマニノフのピアノ協奏曲2番を演奏のため。今晩の演目は香港フィルのメンバーによる室内楽のサイズでド ヴォルザクの管弦セレナーデ作品44、続いてベートーベンのGrosse Fuge(大フーガ)。 大フーガは弦楽四重奏曲だと記憶していたが今晩の演奏は木管楽器やホルンなど入る。ベートーベン自身が、この曲をピアノ連弾のた めに書き直した直筆の楽譜が発見されたとか先日、新聞で見た記憶があるが今晩の編成がどこまでオリジナルなのかもよく知らない。いずれにせよドヴォルザク の管弦セレナーデも大フーガも個人的にあまり興味はない。而も室内楽の大きさは香港フィルにとってはWaart先生にとってもまだまだ難儀。楽譜を見て譜 面を追って弾いています、の域。実力のわりに公演多く、Waart氏にしてみれば公演の数と経験を踏むことが最も大切なのかもしれないが、香港フィルに とっては練習も十分なのだろうか。休憩はさみIlya Rashkovsiy君の登場でラフマニノフのピアノ協奏曲2番。確かに上手であるし、この若さ(二十歳くらいだろうか?)でいくら香港で、とはいえ物怖 じもせず、とにかくミスタッチがほとんどない。立派なもの。だが、そつなく上手に弾けてしまうのだが「Ilya君ぢゃないと」というほどの個性の域にはま だまだ達しておらず。香港フィルは、こういった「大袈裟な曲」であれば、しかもピアノなりの協奏曲であれば、その合奏のオケとしてなら(室内楽などに比べ れば)それなりに演奏。これはWaart氏の1年でのかなりの成果だろう。だがフレーズのしっかりした第1楽章や第3楽章に比べ、2楽章など聴くと、まだ まだオケが歌うほどの力量には遠い。アンコールでは、Ilya君がソロで、おそらくラフマニノフのであろう、独奏曲を一曲。ラフマニノフの曲かどうか曲名 も我にはわからぬが「これはラフマニノフである」と思わせてしまうくらい、恐らく、だがIlya君のラフマニノフへの思い入れが伝わってくる(これでこの 曲がラフマニノフでないと困るのだが)。帰宅してラジオつけるとBBC World Serviceで日曜の晩の11時に自殺に関する番組で「人はなぜ自殺するのでしょう?」と。日曜の晩なんて、それでなくても憂鬱なのに、こういう番組編 成は嬉しくない。

十一月十九日(土)昨晩はさすがに疲労困憊にてNHKのニュース10を見ながら、つまり晩の九時半くらいに睡魔に冒され晩十時すぎに臥床。尿意催し熟睡の 気分で目覚めれば午前一時半でぞっとするが疲れゆえ亦た寝入るも厭わず気がつけば朝の七時すぎ。雲一つなき快晴。昼前まで一時間半ほどZ嬢とかなり久々に 裏山に登り小走りに歩く。昼よりご公務。早晩に公務より上がるが日暮れも早くすでに灯刻。金鐘のPacific Placeは香港レコオドにてZ嬢と待ち合せ。Z嬢がブラームスのピアノの何だかCDを捜しており、ふとベートーヴェンのチェロ曲の棚にMischa MaiskyとMartha Argerichのチェロソナタ69番と102番のCD見つけMaiskyとArgerichの演奏なら踊れるな、と思ったが、そのCDを倒すと次に現れ たのがJacqueline du PreとDaniel Barenboimのチェロソナタ1〜5番。EMIの04年発売のCDで詳細もわからぬが偶然にも先週のいつだったか畏友William鄧達智君が Jacqueline du PreとDaniel Barenboimのエルガーのチェロ協奏曲のことを書いていたこともあり、du PreとBarenboimのチェロソナタをここで見つけたも何かの偶然と、結局、MaiskyとArgerichのチェロソナタとこのdu PreとBarenboimnの、二枚購入。Island Shangri-la HotelのBar(もともとLobster Barなる海鮮供する店のバーであるが隣接のシガーバーを閉じたことで内装大幅に変えてバーエリアが併合されたわけでで、もはやロブスターなる生臭い名は 止めるべき)でドライマティーニ。Conrad Hotelのイタリア料理 Nicholini's にて晩餐。Z嬢と二人でホテルのレストラン などかなり久しぶり。而もイタリア料理は数年ぶりのはず。葡萄酒はChianti RufinaのNipozzano Riserva '01はちょっと奮発した甲斐あって酒も料理も美味しゅうございました。帰 宅早々にdu PreとBarenboimnのチェロソナタを聴く。1970年、du Pre弱冠25歳であるが彼女にとっては晩年の、彼女にとっては円熟の(だが誰も彼女の「将来」は知らない)演奏。この演奏の頃にまだ二人は彼女が年明け に病に冒されるとはまだ知らない筈なのだが、結果論だが何かを予感させたのか沢山の演奏をして名盤をいくつも世に残した。この年に何枚か録音されているラ イヴの一枚。Barenboimが奏でるピアノは彼がdu Preの夫であるにせよ「世話女房」的。そして二人の合奏はどこか見るに憚られる見せ物のようなところがある。それにしてもdu Preのチェロ演奏の、気骨というのか……我にこれ以上この演奏を語る言葉もない。このEMI盤、ライブであるが録音の質はかなり劣る。客の咳だの嚏だの 荷物落としたのか雑音がかなり目立つ。だが客席の聴衆もまさかこの演奏が1970年というdu Preのそんな記念盤になるとは思いもせなんだわけで、この録音もそんな予感などないままに録音されていただけにすぎない。それがdu Preが翌年を最後に演奏から退いた結果、そうなった次第。何という不幸か。だがジャニスも一葉も早逝の女性ゆえ、その才能が惜しまれる。

十一月十八日(金)快晴。朝の気温摂氏16度。ホテル裏のセブンイレヴンにて新聞二紙買い求める。昔に比べればかなり読める記事あり。但 し雑記事はかなりの量が香港紙からの転載。朝食後バスで市街を流せば広東省政府の正門前に四、五人の男が座り込み抗議のシュプレヒコール。土地の強制徴用 に関するもの。午前中、或るミッションに同行し市内の南越王墓と越秀公園を訪れる。観光名所だが南越王墓は初めて。西漢の時代に南越(紀元前203〜同 111年)興せし趙佗襲った孫の趙(目未)の墓だそうで、聞けば1983年に土中より発見された由。ちょうど余が初めてバックパッカーで広州訪れた頃のこ と。二千年以上も前の古代に実に見事な副葬の装飾品。水晶製の飾杯であるとか全く実用性がないわけで実用性がない代物に精巧な細工施して身につけ飾って悦 に浸ることの面白さ。団体に従い越秀公園の鎮海樓(広東省博物館)に上がる。思い出せば六、七年前であろうか亡き父が当時七十後半の大叔父を連れ来港。従 化温泉に遊びこの鎮海樓にも登ったが、当時すでに父は間質性肺炎にてかなり声もでず久々に再会せし父のあまりの老け具合に驚き同じ申年でひと回り上の大叔 父のほうが矍鑠とした姿。鎮 海樓に登れば、その階段をゆっくりと登る父の姿を彷彿するばかり。樓 内の広東省博物館では広州文物保護十年という、簡単ではあるが展示あり。広州市のこの 十年の史跡保護の記録だが確かに都市開発のなかで古代遺跡から中山大学の建物まで史跡保護に関して広州の姿勢は立派。樓前にいくつもの大砲あり。清末のも のでドイツ製の見事な大砲三台が目を惹く。老夫婦一組。老夫はデジカメなど用いるが何するでもなく二人でずっとベンチに坐る。大砲に乗ったり遊ぶ小学生の 団体を眺めている。その子どもらの一向が立ち上がると老人も立ち上がりカメラ構える。どうやら大砲の撮影をしたいらしい。そこにまた数名の中学生が現れ大 砲で写真を撮り始めるとまたベンチに坐ること暫し。老人は大砲を撮影したいのだが子どもらが遊ぶ間は、ただ、待つ。子 どもらがようやく去ると老人は熱心にデジカメで撮影を始める。昼に、亡父と大叔父が来粤の折りは三人で北園酒家であったかに面白可笑しく食したが今回は ミッションで団体飯。数百年ぶりに観光客用の土産物屋に入る。ビン=ラディン師の人形。当然何も買わず。午後、広州東站。15:45発の広九鉄道列車にて 一路、香港。灯刻帰宅。
▼広州の「新快報」紙が読者投票で選ぶ広州の美味いレストラン。かなり調査は細かい。評価高い順。
【粤菜】広州酒家 白天鵝賓館玉堂暖餐庁 南海漁村 蓮香樓 大同酒家 中国大酒店四季庁 潮皇食府 花園酒店桃園館 炳勝酒家 泮溪酒家、以下、北園酒 家や陶陶居など老舗は十位からは漏れるが名前あり。四川料理では川国演義、重慶陶然居、巴蜀と続き湘菜では洞庭土菜館、毛家飯店など。

十一月十七日(木)朝六時すぎに見事な満月愛でる。
快晴。朝七時半に来港中のA氏のホテル。某所に 向かうA氏送迎。い くつかの机上の雑事済ませ、いぜんから頼まれていた或る仕事をばHappy Valleyで済ませ待っていてもらった自動車でホンハム站に急行。コンコースの星巴珈琲にて昨日の日剰綴り上網。新聞には中国国内にて鳥インフルエンザ のヒトへの感染(3名)確証される、と記事。インフルエンザだが「鳥」ではないとか、いろいろ言い訳されていたが結局は二人は確実に「鳥」で死亡。三人の うち一人の少女は死亡後すぐ荼毘に付され死因究明はされず。駅舎コンコースのホールにも雀何羽か舞う。鳥インフルエンザのヒトへの感染広まれば、この雀ら も抹殺される運命か。湾仔のグランドハイアットホテルのロビーにも雀幾羽かいた筈。ホテルなど尚更か。12:15発のT802列車で一路、広州。12: 15発だが10分前の乗車義務づけられており予定より3分早く発車(笑)。香港内のKCR列車の運行との兼ね合いもあり「できるだけ早く運行」が望ましい のだろう。20年以上前に深センから特急でも4時間余かかった旅程も今では香港からこの最速列車なら1時間20分だかで広州東站着。新聞四紙読了でちょう ど。2010年には第二広九鉄道開通させるそうで1時間に旅程縮まるらしい。「新最速」とかいう名前の列車で速いのはいいが客席のレイアウト悪しく窓が壁 面!の席に当たってしまい車窓の風景も楽しめず。広州東站に到着してホテルのリムジンバスで花園酒店(Garden Hotel)投宿。折から米国政府国務省が広州での米国関連施設狙ったテロ攻撃の危険通知をば発令中。外国人の多く集まる施設には近づかないように、と外 務省の渡航情報にもあるが花園酒店のオフィスタワーには米国の広州総領事館文化部分室や広州American SchoolのElementary部もあり米国系医療機関もあるそうで花園酒店は「広州ではかなり米国系」集中のビル。時節柄あまり近寄りたくないが今 回は明日までのかなりの時間(というか殆どを)このホテルに留まることになる。ホテルは満室。正面玄関に公安の自動車とバイク二台が泊まり二人の公安が銃 装備で警戒にあたるのみ。私服もそこそこいるのだろうが。ロビーでM氏と打ち合せ。諸事片づけているうちに晩。ホテルで夕飯。ホテルのサウナに一浴。晩に 短い打ち合せ一つ。結局、午後二時半にホテル到着から一歩も外に出ず。二更にせめて缶ビールでも購はむとホテル裏に出れば企街の私娼多し。ホテルに向かう バスの車窓から眺めただけの、実に三年ぶりの広州は市街の都市化ばかりか美化に驚く。ホテルではロビーではワイヤレスでネットつなげると案の定、我がサイ トは接続不能であったが部屋のケーブルでは接続可。いずれも接続は無料。
▼中共の駐日大使・王氏のインタビューが朝日に、と築地のH君より。ここ数日の新聞きちんと読んでおらず。日本は米国に対しては東条はエンペラー・ヒロヒ トの身代わり。中国に向かっては東条は日本人民の罪を一身に背負う。A級戦犯の存在なしに日本人民を戦争犯罪から救い出すことは出来ず。A級戦犯が存在す る故に「日本軍国主義は中日両国人民共通の敵」という「見方、考え方」が成り立った。でなければそれこそ日本人は永遠に中国人に対して謝り続けなければな らず。A級戦犯を断罪し続けることにより過去のことを過去とできる。これが中共にとっても日本にとっても双方の利益。それをみすみすぶちこわしにするよう な愚行は国益を破壊する国賊のはず。アタマが悪いからこうなったのだとしたら「日本人として」情けないばかり。
▼某週刊誌によれば、福田康夫さんは官房長官を辞任するにあたって小泉サイドからの強い慰留要請を受けた、そうな。しかし頑として譲らず「政治家が自らの 行動に責任をとる風潮が薄れていることは問題」として敢然職を辞す。これは「この程度の公約」「どこが戦闘地域かわかるはずもない」といった小泉三世の無 責任な答弁が念頭にあっての無言の抗議。爾来小泉三世は「福田に恥をかかされた」と怨みを募らせ森派内では森−福田ラインと、小泉−中川−安倍の二つのラ インが別個に存在、とか。
▼小泉メールマガジン。
戦後、日本の平和と繁栄を支えてきたのは日米同盟と国際協調であり、これが日本外交の基本です。日本と米国の関係は、世界で最も重要な二国間関係です。日 米関係が良ければ良いほど、緊密であればあるほど、日本と中国、韓国、アジア諸国をはじめ世界各国との関係も良いものになるというのが私の考えです。「世 界の中の日米同盟」という考え方に立って、テロの問題や北朝鮮、イラク情勢、そして基地問題、経済面での協力などについて率直な話し合いをすることができ ました。
とブッシュとの京都会談終え小泉三世宣う。

十一月十六日(水)諸事忙殺されたのち昼に空港へ急行。来客A氏を迎える。A氏はすでに10年も電話やメールで頻繁にやりとりする東京の御仁ながらお会い するのは初めて。だが旧知で話題弾む。A氏と晩まで打ち合せ。晩に北角の雪 園飯店。在校の三氏とともにA氏と会食。この店の名物のフカヒレも自然倫理上食べてはいけないか……と思いつつ堪能。香港鼠楽園のホテルは 結婚披露宴バンケットのメニューからフカヒレを外し香港大学も来賓用メニューから同じくフカヒレを除く。近い将来「歴史上の食材」になろう。蟹粉も秀逸。 帰宅するが新聞も読めぬまま三日目。明日から二日、大陸のため日記更新できぬ鴨。

十一月十五日(火)かなり諸事忙殺されいきなり晩に至る。バンコクからY氏来港でO君と、ここまではいつもの面子だが鎌倉から来港中のO女史も誘い四人で 銅鑼湾のいろり。一応はアスリート連中のため軽いものしか食 さず焼酎1本入れて1人HK$160は銅鑼湾では安すぎ。Y氏とO君と楼上のバー Y。体調芳しからず珍しくジンジャエール、それにトマトジュース。晩11時すぎには帰宅。
▼築地のH君によれば都庁職員黒田君のご学友がラジオで「黒ちゃんのひととなり」について「すごいいい奴ですよ。気配りが効くっていうか。ホームパーティ なんかすると、いつも盛りあがったころにやってきて、皆が帰ったあとも一人で残って、ゴミの始末や残り物の片づけをやってくれるんです」と語ったそうな。 ノーコメント。
▼亀井静香先生が語る(東 京新聞)。「国民がアホなんだよ」と現代のタブーを敢然と冒す。
こんなに萎えた、批判精神のない、強者に巻かれていけばいいという国民は、小泉さんがつくったんじゃない。国民が小泉首相を生んだんですよ。残念ながら、 そんな国民になってきたことには、結党五十年の自民党に責任がある。私にも責任がある。
御意。本来であればその責任をとって自民党は終焉を迎えてもおかしくなかったのに、そこに「自民党をぶっ壊す」と救世主現れた結果が旧来の自民党とは全く ことなる政党としての機能なき議員集団。確かに小泉三世の「自民党をぶっ壊す」は成就。だが結果、それを支持してしまった国民に竹篦返しも必至だが国民の 60%はそれがわからず。

十一月十四日(月)曇。松竹の歌舞伎会絡みで日本発行のVISAカード入手したことでiTunesでの日本のミュージックストアからの音楽配給受けられる ことになり早速、初めての購入はいろいろ考えた揚げ句、Charの“Char played With and Without”となった。Charは我の子どもの頃から永遠の「カッコいいお兄さん」のまま。最初はテレビの「ぎんざNow!」だったのだろうか。何度 かライブを観ているが最も印象的なのは高校三年であっただろうか、当時一緒だった親友のO君と行った日比谷野音でのコンサート。夕方の開演まで時間を潰し ていたのは銀座の「らんぶる」だったか喫茶ウエストだったか。子どもを抱いてアロハシャツのチャーが楽屋入りする姿のカッコいいこと。今年リリースされた このアルバムで“Smoky”など聞くと年甲斐もなく踊り出しそうな気分。米国政府国務省が昨日(日曜日にもかかわらず)広州の米国関連機関、施設がテロ の標的になる可能性につき、かなり高度な警戒情報を発表(こ ちら)。中国とは四人組がまだ跋扈する頃から貿易にかかわったA氏と、当時は(余が学生でバックパッカーしていた頃も)中国と聞いただけで危険だ の恐いだのと言われたが今になって思えば世界中なんと安全な世の中だったか、と話す。冷戦の秩序と調和。中国はそういう意味では「逆に」安全であること。
▼築地のH君より。われらが「保守の良心」山崎拓さんがまたも憂国の情を発露。13日のテレビ番組に出演の山崎さんは北朝鮮による拉致問題で経済制裁も必 要などと訴えてきた安倍官房長官の対応について「対話と圧力の圧力の部分を今まで代弁してきたが、圧力だけでは解決しない。強硬論で人気を博したと思う が、強硬論で解決しないことは間違いない」と述べる。フランス大統領選挙で極右候補に対抗しリベラル勢力が「鼻をつまんでもシラク」であったようにヤマタ クへの期待。言うべきことは言う、政治家として真にあるべき姿だ。ヤマタクこそ現代の尾崎愕堂である、とH君(笑)。森さんや山崎さんに頼らなければなら ないほど事態は緊迫。国民が安倍君にダントツの支持を与えるのだから。次は竹中平蔵に消費税増税をやらせて参議院で惨敗。安倍晋三はその次、というような 話もああり。しかしいったん竹中増税で負けさせて、その後は「やっぱり小泉さんでなきゃ」という声に推されて小泉再登板…とか。安倍官房長官の場合はパパ が「次の次はあんた」とか言われてそのまま逝去という苦い経験もあり安倍君はそう簡単に「次の次」という話に乗るかどうか。米国はさすがに安倍首班では国 際秩序ず福田支持、という記事もあり。だが下手すると「外圧を跳ね返し、安倍総理誕生を!」という民の野蛮な声が高まる恐れもあり。安倍首相待望論は実は 中国こそ、というような見方もあり。小泉三世に連なる「自称」タカ派の右翼政治家は本当に国益を真剣に考えているのかどうか。東条が聖上の罪を一身に引き 受けたからこそ聖上の戦争責任が回避されたのが事実。A級戦犯は「罪人であることが彼らの本懐」な筈。キーナンやマッカーサーが相当苦心して天皇裕仁の身 代わりに東条を押し込んだおかげ。ヒトラー=ムッソリーニ=東条となっていることの恩恵。いまさら東条を免罪しようとすれば再び戦争責任論が蒸し返され 「東条は悪くない?、確かに。そもそも天皇が責任者じゃないのか?」までもが問われることは必至。贔屓の引きたおしなのか、それとも単に無知のなせるわざ なのか、あるいは左翼の陰謀かw。とにかく日本にとっての「国益」は「戦犯は東条で、日本人は皆侵略戦争を深く反省している」ということ。これがまさに戦 後。そして自民党だったものが……。

十一月十三日(日)昨日に引き続き週末のご公務。秋晴れの朝の快晴の空。不自由なる身に涙するが昼前から曇り、気も少し休まる。午後遅く銅鑼湾。星巴珈琲 にて新聞読み。ここ数日の努力で夏以来かなりたまっていた新聞に切り抜きなど漸く読了。いくつか気になることなどPowerBookでメモに残しメールの 確認などしてからジムで一時間の有酸素運動。日曜午後のこの「流れ」が健全すぎる。煙草の煙で曇るカフェの薄暗い一角で……ならいいが、いつから社会はこ んなに健全になってしまったのだろう。Citysuperで博多屋の「ざる豆腐」と芋焼酎、それに新潟物産展で粽など購い北角のT氏宅。週末の Trailwalkerのため大量のお好み焼きの材料用意していたが、お好み焼きするはずだった大帽山のチェックポイントまでチームが至らずに途中棄権、 その材料でお好み焼きを食すことになりK氏夫妻も山中でのオリエンテーリング終わってT氏宅に来宅しておりK氏の「焼き」でかなりの量のお好み焼きを食 す。晩のATVのNewslineの番組にChris Patten君出演し香港の政治について語るのを、お好み焼きの最中に見る。あらためてPatten卿の気取らぬ、ある面では不躾な物言いが実に政治家 的。十時半にT氏宅辞し帰

▼本晩、ベルリンフィル初の香港公演あり。S席HK$2,500でZ嬢と二人で行ったら、と思うとさすがに二の足踏む。一流のホールであれ ば、だが香港文化中心では残念ながら、という理由もあり。今回のアジア巡業は北京にも初公演。上海のほうが本当の需要はあるのだろうが北京はやはり首都。 東京の21日の公演のチケットを母が入手した、と聞く。知りあいの方から「もし行けたらどうぞ」といただいた、と(驚)。その公演の二日前には水戸芸術館 で小沢征爾指揮の水戸室内管弦楽団の演奏会もあるそうで贅沢な話。
▼中華巴士【ちゅうかばす】香港で最も安定した不動産デベロッパー。元は乗合バス会社。香港島の公共バス路線の独占営業権有するがバスは時間に緩く、 しょっちゅう間引き運転されるわ、運転手の態度は粗いわ、車体は老朽化も厭わず、と乗客や度重なる政府の改善要求に応じもせず(九龍側のバス路線独占する 九龍バスに比べかなりの遜色あり)独占営業権失いCitybusが競合相手として史上算入するが、それでも改善に応じずついに路線バス営業権失い後継会社 に路線営業権譲る。で中華巴士の社運尽きたかといへば左に非ず現在は負債一切なし、手持ち現金HK$17億、香港と倫敦の土地資産HK$15億、関連会社 の土地資産HK$7億で減価償却後の資産残高がHK$34億と優良極まりなし。収益率低い路線バス業務終焉迎えること今になって思えば中華巴士にとっては 願ったり叶ったり。佐敦、北角、柴湾にバスターミナル、車庫のために広大な土地有し現在は現行の路線バス会社に貸与するが、この貸借期限切れになり「開 発」せば数億の利益。将来安定。だが疑問は中華巴士が獲得の土地は「路線バス」のための波止場前などの一等地。確かに企業の私有地であるが公共バス運営の 専業権がなくなれば所有の土地は私有地としていかにでも「再開発」可というのも不思議な話。

十一月十二日(土)快晴ののち曇り。午前中ご公務。昼過ぎ某らーめん屋。 かつて尖沙咀に開業の頃は「これぞっ!」というラーメンであったが支店いくつか設けるとかなり日式の怪しい味に変わる。午後遅く百年ぶりにジムで一時間 じっくり有酸素運動。フェリーで中環。FCCでハイボール一杯。新聞読み。つい難度5のSudoku(数独、と週刊文春にあり)始めるが難しい上にバーで 一人クロスワードなどに興じる孤独なる老人の哀愁感じ途中で破棄。晩に銅鑼湾の韓国料理・郷村にてランニングクラブの例会。昨日からのTrailwalkerは 新聞によると気温摂氏30度の過酷。優勝は昨年に引き続きグルカの精鋭で記録は12時間半で昨年の12時間を切る新記録より半時間遅いのも酷暑ゆへ。例会 の後かなり久々にバーYにて二次会。それでも10時すぎに散会し帰宅。
▼劉健威氏が馬友友リサイタル跳ねたのちInter-continental Hotelのオープングリル「スプーン」訪れたこと信報の随筆に綴る。この店のDinner Setは三品にシャンペン1杯ついてHK$450は五星ホテルとしてはけして高くない。が、シャンペン出たあと食事が一向に供されず客席に料理が出ねば通 常の給仕なら気づくものだが劉氏痺れ切らして尋ねればミスで注文が厨房に伝えられておらず。更に待たされ食事にありつくがお会計はHK$1600を越え何 事かと思えば料理供されぬ間に「お水」と頼めば供されたミネラルウォーターが一瓶HK$135もして10%のサービス料いれればこの値段。それで客あしら ひもなっておらず、と劉氏憤慨。かつてのRegent Hotelがインターコンチになり一度も足踏み入れてもおらぬが、このような話聞けば聞くほど足も遠のく。Four SeasonsもMandarin Oriental Landmarkも開業から訪れたこともなし。
▼1999年に九龍の空き家マンションで発見された美人モデルの死体遺棄(死後4年で白骨死体化)につき新任の司法長官黄仁龍君が再調査を命令。死体発見 後に死因判定裁と警察当局は証拠不十分として、この死体遺棄を刑事調査せずに終わる。だが死者遺族が司法判断に不満で再調査開始に尽力するが、このマン ションは当時の政務長官アンソン=チャン(陳方安生)女史の実兄・方曼生の所有マンションで、どうやら「高度な政治的判断」での当時の判断らしくもあり。 アンソン=チャン女史の突然の政務長官辞任は北京中央や董建華との軋轢とも言われるが、この実兄の所有マンションでの一件がそれにかかわっているのかどう か。
▼香港の最後の総督Chris Patten君が新刊の自著“Not Quite the Diplomat”の宣伝のため来港。香港での人気に陰りみられず相変わらずの人気。好物であった泰昌餠家のエッグタルトが泰昌餠家の家賃高騰による閉業 でもう食べられない、と思われたが泰昌餠家の韓国企業による投資での再開で昨日はその新装なった泰昌餠家の旺角の支店開業に臨席し肥満も厭わずタルト頬張 りやんやの喝采。何軒かの書店でサイン会済ませ晩には自称政治家Sir Donaldの官邸にて当時の政府高官ら集めての晩餐には、上述の実兄所有マンションでの死体遺棄の再調査でマスコミの注目集まるアンソン=チャン(陳方 安生)女史や英国上院議員リディア=タン(鄧蓮如)女男爵も参加。リディア鄧女男爵は今回のPatten君の来港に合わせての帰省。相変わらずの女傑ぶり 発揮。
▼北京五輪でマスコット?奥運福娃なる五体が発表になり北京ではかなり盛大に発表会あり。中華色出したが一言でいえば「ダサい」意匠。中国の三流テレビ CMにでも使われそうなイメージキャラ。而 も乳幼児思わせるキャラクターに中国国内では有毒粉ミルク連想させる等の揶揄もあり。五輪はスポーツの祭典ながら「意匠」の象徴的意義大。東京オリンピッ クの象徴はモダニズム。丹下健三デザインの競技場、新幹線、東京タワー、首都高速、ニコンのカメラ。それが伝統的な日本の風景、文化と見事にコントラスト 見せての成功。北京もそうなるはずなのだがマスコットのキャラクターデザインなどは正直言って巧くない。

十一月十一日(金)晴。母に歌舞伎座の来週の切符購入請われネットで予約できるのは歌舞伎も進歩だが切符の優先販売などある歌舞伎会がVISAカードに。 日本では我はすでにクレジットカードなど「身元不詳」で申請もできぬ身だが歌舞伎会は退会せぬままでいたおかげで思わぬところで自動的にVISAカード入 手。これで日本ではすでに始まった iTunes での音楽販売の利用が可。Apple社のこの音楽販売は販売実施国で発行されたクレジットカードが必要で香港から日本の音楽販売は利用できず。香港など さっさと iTunes での音楽販売始まりそうだが中国も含め音楽著作権の問題と複製で問題多いのか未だ実施されず。本日 Trailwalker2005 開催される。昨年は二年ぶりに参加して完歩果たした100kmの山々壮行。今年は参加抽選に漏れて参加できず。が本日の気温は摂氏29度まで上がり大会史 上初の真夏開催ではなかろうか。我がランニングクラブから出場の17時間!での完走目指す精鋭四人も序盤から暑さにやられかなりの苦行と聞く。午後遅く左 手人さし指突き指での治療に養和病院。まだ完治せず簡易ギブスはめたまま。W医師の診断によれば第二関節の靭帯の損傷まだ癒えず関節から指が本来曲がらぬ はずの方向(手を伏せて左手人さし指が小指側)に曲がることがその証拠、と。「突き指して最初の治療から……」とカルテを見て「ギブスしたまま経過観察し て1ヶ月後に再診」と言われると回復経過の判断なのか「医療保険は傷害発生から180日」の計算なのか(笑)。晩燈刻まで諸事に忙殺される。帰宅途中にニ コンのサービスセンターに寄り先日、開平で紛失の広角レンズのキャップを購入。ニコンはデジカメ一眼のバッテリーのリコールがあり職員も忙しそう。聞けば 「とても些細な問題」だそう。だが安全に配慮しての世界的な電池交換。帰宅してドライマティーニ。パスタ。Trailwalkerでは我がランニングクラ ブから出場のチームは1名がCheck Point 4でリタイア。夜中に大帽山とゴールに応援に行くはずのZ嬢も深夜の応援取りやめ。昨年ゴールしてRansonの黒ラベルをチーム4人で健やかに1人1本 ずつ抜栓せし爽快感を思い出す。週刊文春でタリウムで母を毒殺図ったという16歳の少女がブログに綴った日記を読む。識者の雑感ほど馬鹿馬鹿しいものはな いが、この少女のブログについて作家の石田衣良氏が優しさで語っている。この日記を読むと一瞬、文章の技巧的なところを感じるが石田氏は、これは「特異な 人の書いた面白さ」であると突っぱねて「共感を通じて人と人がつながる情動の部分が全く欠け落ちている」と見ている。そしてこの日記は「犯行声明」ではな いし不特定多数が読むのではなく「空き瓶の中にメッセージを入れて大海に流すようなもので、それをまったく自分のことを知らない誰かが一人でも二人でも 拾ってくれて、自分に共感してくれればいいと思ったのでしょう」と述べ、寧ろ「これを社会問題であると重くとらえすぎて普通の家庭がどんどん子どもを締め 付けて、普通の子どもが壊れていったりするほうが心配です。いま以上に家庭のあるべき姿を目指そうとして、子どもに同調同圧をけないことが大切」と。御 意。家庭も社会も国家もまさに同じ状況。深更にスプリングバンクをロックで飲みながら文芸春秋(12月号)も読む。この雑誌、どうでもいいがグラビア頁の ほとんどが著名人使ったモノ紹介で結局は宣伝か通販。品がない。
▼香港郵政署が「香 港流行歌星」なる記念切手発売。黃家駒、陳百強、羅文、張國榮と梅艷芳と並べば確かに香港ポップス歌のスターであり物故者であれば記念切手になる のかもしれぬが、この十余年でビヨンドの黃家駒は日本でのテレビ番組撮影中の事故死、陳百強は半ば麻薬中毒死、張國榮は投身自殺、 羅文と梅艷芳の二人こそ癌の疾病だが現役の歌手として志し半ばでの逝去。謂わばこの記念切手の全員が死ぬにも死にきれぬような不慮の死。それをまぁ商魂逞 しくよくぞキッチュな記念切手に出来たものと呆れるばかり。
▼十日の東京新聞に「国立追悼施設を考える会」の設立総会について報じられていた、と築地のH君より。注目は会長に山崎拓氏!が就任。ヤマタクが「今の内 閣の顔ぶれについて『気になる。少し右に寄っている感じがする』と心配している」と。ヤマタクさえ憂える日本の極右化。小泉改革はとどまるところを知ら ず。総会への出席者は、福田、加藤紘一、鳩山由起夫に公明党から神崎・冬柴。これは単なる私的会合とは言えず。自民党と民主党はもう一度、ガラガラポンで 再編成すべき。もっときちんとタカ派とハト派で別れるほうがいい。公明党は「あと数年、あるいは十年?」待たないとそれまでは現体制であるが、いずれは切 掛さえ来れば割れるであろうし。
▼お猪口大臣が小泉メールマガジンでみずからのドレスに言及した件につき朝日など新聞も記事にする注目ぶり。週刊朝日ではファッション評論家のドン小西が 「各社からコメント依頼が殺到して苦労した」と書いているとか。ただ、意外にもTPOは間違っていない、と。あとはセンスの問題。あの青、しかもあの生地 で確かに着こなせれば、皇后陛下や和田アキ子君とか着こなせるもの。ただし、もっとタイトなデザインにすべきで、大臣があの背丈であのゆるゆるで着てはい けない。それにどうれあれ皇居での晩餐会ぢゃあるまいし皇居での認証式、内閣の初閣議、集合記念写真だと思うとTPOは間違っている、と思う。TPOのセ ンスのない人に(将来的に)外相は勤まらないであろう。

十一月十日(木)晴。諸事忙殺され晩に至る。晩に帰宅しテレビつけると有線電視の娯楽台にて「踊る大捜査線」というドラマの、おそらくテレビ版の初回だろ う、の放映中(あとで調べると97年の放映)。刑事ドラマといへば「七人の刑事」とまでは言わぬが萩原健一の頃で刑事ドラマを見るのは終わってしまった。 がついつい「踊る」の面白可笑しい本店・支店の組織論で初回だけ90分?の後半半分ほど見る。テレビ見ながら久々にダライマティーニ飲む。ベルモットをい れすぎるが、ふと思えば「ドライ」なマティーニほど通と言われ、いかにベルモットの量を少なくするかに苦心し、慎重に少し注ぐバーテンダーもいれば、最初 から数滴しか落ちぬ容器を用いるバーもあればベルモットをロックグラスの氷のうえに注ぎ攪拌して液体を捨てベルモットの香りだけ氷に残すのもあり(この捨 てるベルモットを「もったいない」から、まず飲んでしまうのが富柏村風)、よく使われる「オヤジのネタ」だが最もドライなマティーニはベルモットをジンに 注がずベルモットのボトルを眺めながらジンを飲む、などと言われる(使い古されたネタ)。だが結局はこのネタに見えるように、ただかぎりなくジンだけに近 いものを飲んでいるのが当世のドライマティーニで、たまにベルモットを(といってもさすがに甘口でなくドライのマティーニだが……と書くとご存知ない方に は珍紛漢紛だろうがドライマティーニというカクテルの名前とは別に「マティーニ」というブランドの「ベルモット」がドライと甘口と2種あり、ベルモットを 使ったカクテルもマティーニというので、ドライマティーニというカクテルのつもりで「マティーニ」ブランドのドライのベルモットをオンザロックで飲んで、 それがドライマティーニというカクテルだと誤解する御仁も少なくない)たまにベルモットを(といってもさすがに甘口でなくドライのマティーニだが)1:3 くらいいれたドライマティーニを飲んでみると、とても新鮮でもあった。購読している雑誌の七月号だの何冊か読む。
▼小泉メールマガジン。小泉三世本人のお筆書きは今回はAPEC首脳会議を「ソウルでの」と書いたのが実は釜山で本日午後訂正メールが入ったくらいしか面 白みなし。この誤記でやはり本当にこのお筆書きは首相自身になるもの、と思わされる。今回のメールマガジンの白眉は「青空と礼服」なる少子化・男女共同参 画担当のお猪口大臣の一文。「長い不況のトンネルの先に見える青い空。小泉構造改革とは、苦労の多いプロセスを一歩一歩推し進めながら、経済のグローバル 化という世界共通の試練のなかで、日本が再び青空に出会えるようにするためのものと改めて思い、その閣僚チームに入る喜びがこみ上げてきました」とやっぱ り、希望にあふれるだけで具体的な政策は何処へ、の「近代の超克」内閣らしさ。でタイトルにある通り皇居での認証式の礼服=ドレスに話題が及ぶ。「全国で 3000万人くらいがテレビにつっこみ入れた」であろう、夫である孝教授がアイロンかけたドレスであるが、本人にとっても「あれは失敗」なのかと思えば 「改造内閣発足では、新任の閣僚は皇居にて認証式に臨みますが、そのときの直感で、礼服の色は青空の色!と思ったのです」と。自民党の全てを牛耳る小泉三 世の今回の小泉三世最後の総仕上げの内閣改造で唯一の失敗があの青いドレスだった、というが、それに対してご本人のこの勇気。凄すぎ。
▼SCMP紙の経済面に中国のネット貿易の大手Alibabaについ て大きく報道。アリババはYahoo!と提携しYahoo!がアリババの株の40%(時価US$10億)をもつことで中国国内でのYahoo!中国のオペ レーション業務をアリババが運営。記事には書かれておらぬがYahoo!にしてみれば何かと面倒な中国のネットビジネスであるから寧ろ中国の企業と提携し てしまうことで(公安当局に対する記者・程翔氏のメールデータ提供など)「ウチがしてるんじゃありません」と政治的な問題からYahoo!が距離を置くこ とも可。

十一月九日(水)写真二葉はHappy Valleyの古い墓地。早晩にFCCにてたまった新聞の記事スクラップ熟読。ハイボール三杯。晩にフェリーで尖沙咀に渡り香港文化中心のコンサートホー ルにて馬友友のチェロリサイタル。バッ ハの無伴奏チェロ組曲のうち3、5と6番の独奏。このバッハの無伴奏チェロ組曲は古典音楽のなかで余の最も愛おしむ楽曲。萩元晴彦氏がもう三十年近く昔だ ろうかTBSラジオの深夜放送の番組でカザルスについて語ったことで初めてカザルスでこの無伴奏チェロ組曲を聴き、今では所有するCDだけでもカザルス、 Anner Bylsma、Pierre Fournier、Kremer、Micha Maisly、Janos Starker、そしてYo-yo Ma、変わったところではRadek Baborakのホルンでの演奏まで。一人の作曲家の一つの曲でこれほどCD有する曲は他には当然、ない。奏者も一流であるが故だがこの楽曲であるからこ そ、奏者によって全く異なる楽しみあり。だが正直なところ、このコレクションのなかで個人的に最も苦手なのが馬友友であるのは事実。ビルスマの力強さ、フ ルニエの優雅さ、クレメールの原曲への忠実さ、マイスキーの流暢さ、スタルケルの重厚さなどどれも面白いのだがヨーヨー=マの場合、彼の奏でるこの曲を最 初に聴いたのが彼のチェロ演奏に合わせ大和屋が踊る画像であったことがトラウマ。ヨーヨー=マの卓越しているのだろうが彼の抑揚のありすぎる音が苦手。こ の無伴奏組曲と踊り手の組み合わせも、例えばビルスマに大野一雄先生、フルニエに菅丞相の装束でただ舞台に座し手を揺らす先代の仁左衛門、早弾きのマイス キーに伊藤キム、スタルケルに六代目歌右衛門、なんてかなり凄いのではないか?と想像するだけでも楽しいがヨーヨー=マに玉三郎はやはり個人的に凄すぎ た。で今晩、初めてヨーヨー=マの演奏を聴く機会を得る。会場は世界的チェリストの演奏会らしく香港の政財界のお歴々多し。余の席とステージ結ぶ線上に董 建華夫人と司法長官引退したばかりの梁愛詩女史のお二人が並ぶ。最悪。ヨーヨー=マ君が颯爽と舞台に登場。椅子に坐るなり間髪入れず3番のハ長調のプレ リュード奏で始める。えっ……客席の照明暗転せず。ヨーヨー=マ君は舞台から明るい客席の客を舐めるように凝視しながら「おらおらおら〜っ」と煽るように 演奏を続ける。観られることで演奏に更に興じられるのだろうか。チェロのしかもバッハのこの荘厳なる曲は私の印象では暗い空間にチェリストだけにスポット ライトが天井から明かり、孤高なるチェロ奏者が俯いて静香に奏で始めるものであるからマ君のこの「おらおらおら〜っ」に寧ろこっちが赤面して「恥ずかしい から、やめてくださいっ」と俯いてしまいそう。客席ではHK$500もするA席に坐る幼児は寝ているし舞台から3列目で携帯でステージの写真撮るバカは職 員に怒られるし時節柄、咳やクシャミは多いし。ハ長調の3番は予想できた明快さ。私が最も普段聴かない、地味な5番のハ短調をどう演奏するのか、が気にな る。余の所持するマ君のCDは彼が確か三十代後半だかのものでマ君もすでに50歳でさすがに5番は地味に、地味に。休憩はさんで最終楽章の6番ニ長調。も う21世紀のこの曲はマ君のこの解釈をバッハが聴いたら自分の曲とは想像できぬかも。技巧冴え渡りすぎ。Gavotteの二曲を高らかに奏で最終曲の Gigueはどうして第一弦を開放でずっと鳴らしながら高音で旋律を弾けるのだろう。誰のGigueでもここまで「技巧的に」優れたものは聴いたことがな い(但し、それが楽曲として最高かどうかはここでは論じない)。好き嫌いは別にして凄いものを観てしまった……と思っているうちにフィナーレ。アンコール では名前は知らぬ中世のリュートの曲だろうか、宗教曲を高音で実に柔らかく奏で、アンコール二曲目は草原情歌?だろうをかなりアレンジして、もはやオリジ ナルの中国民歌のように聴かせる。終わる。やはりビルスマやフルニエのような「洗礼を受けたような」感動とも違う。技巧もマイスキーのような拍手喝采の巧 みさとも違う。悪くいえばShowbiz的である。が卓越している、まだまだ若いエネルギー。たった一晩の香港公演。Z嬢は「レコかしら?」と。レコー ディングぢゃない、こっちの「レコ」である。確かに、そんな感じもあり。会場にいらしたA氏とZ嬢と三人でフェリーで湾仔。十時すぎでいくつかの日本料理 屋もすでに厨房終わっているようで利休に電話で「どうにか」 とお願いしタクシーで急行。いくつか肴いただき、うどんで〆る。
▼フランスでの暴動について「民族含む共和制の「危機」にシンガポールや中国など「それ見たことか」と言いそう」と昨日日剰に書いたが今日のIHT紙の Page TwoにRoger Cohen氏が“Why Singapore hums as riots engulf France”という一文を寄せる。シンガポールのRace-bllind Meritocracy(人種差別なしの能力主義)はヒンズー系の貧困家庭に育った少年がシンガポールの米国大使にまで出世できる実力主義。実際にシンガ ポールの華僑が幅をきかせながらもイスラム信者も多い社会の安定は確かにフランスの多元化社会の今回の爆発は「それ見たことか」であろう。だが現実になぜ シンガポールが社会の安定化に成功したか、と言えば余の私見であるが理由は二つあり。一つは社会に共存する他民族にとって言わば共通の杞憂があること。そ れは強権的なる政府。強権的なる政府が君臨し国家経営することで民族を問わず配下におかれることでの杞憂の共有。そしてもう一つは言語。フランスのフラン ス語に対してシンガポールは全ての民族が「英語」という媒介語を通して意思の疎通はかること。これも強権なる政府と同じで全ての民族にフェアであること。 この二つがシンガポールを(あまり評価したくないが)race-blindな社会にしている、と思える。
▼SCMP紙に八日より香港市民にHK$50引きで入場券発売の香港鼠楽園の記事あり。場 内閑散とは聞き及んでいたが写真で初めて、その閑散ぶりを目にする。「これはまずい」といふほど惨憺たるもの。スペースマウンテンは15分待ちで乗船可。 割引入場券も香港市民限定とはしているものの窓口を変えれば(而も入場券購入に長蛇の列もなし)何枚でも購入可で入場口でもいちいちHKIDなど確認もせ ず、つまりは香港市民1人いれば何枚か観光客の入場券割引で購入できるのが実態。
▼中共胡錦涛君の英国訪問。中国の元首として国賓待遇でエリザベス二世女王と馬車に乗る。ソフトな印象ではあるが中国の共産党指導者と英国女王というのが イメージでとてもしっくりしない。王政打倒!と叫んでこそ共産主義者。

十一月八日(火)晴。朝、客人を銅鑼湾のホテルに迎え某所に案内し昼前に空港に送る。昼にHappy Valleyの寿司・にて鉄火丼。諸事忙殺され一更に至る。本晩、プロレスラー和泉元彌の 狂言公演が香港大学である由。先 週木曜日だかに横浜アリーナでのプロレス興業あり昨日には来港とはさすがタフな巡業なり。帰宅してテレビつける とNHK(国際衛星)の画面に長谷川一夫。愉快に芸談を語る。はっ、と「長谷川一夫も亡くなったのか?」と驚いたが口にしなくてよかった。「あら、やだ、 おじいちゃん、長谷川一夫が亡くなったのはもう二十年も前のことでしょう?」と笑われそう。そう、長谷川一夫は、長谷川一夫というより林長二郎のファンで あった余の祖母と同じ年に亡くなっていた。突然の長谷川一夫の芸談だがNHK映像ファイルの「あの人に会いたい」という10分番組。突然見ると驚くので 「この映像は1979年のNHK「芸能花舞台」の映像です」とかテロップ流してほしいところ。
▼ペルーのフジモリ「容疑者」が智利で逮捕される。智利ならペルー政府の「逮捕請求」に応じないとタカをくくったのか予測された上での立ち寄りだったの か。いずれにせよプライベートジェット機でのご渡航とは贅沢なご身分。日本政府がフジモリ容疑者をば厚遇にて匿った本当の理由は何か。たんにフジモリ氏が 日系人で日本国籍を有するとの判断の筈もなし。開発援助絡みとかいろいろ噂もあり。
▼フランスで都市暴動さわぎ。他民族含む共和制の「危機」にシンガポールや中国など「それ見たことか」と言いそう。だが今日の信報では林行止専欄は巴里の 株価の安定を例に挙げ、この程度のことでヘコたれるフランス政治ではない、と力説。むしろ政治異変を受け問題を解消していくことに共和制の強さを期待。数 十年、この信報なる新聞の社主、論説主幹として言論に生きてきた人の強さに敬服するばかり。
▼朝日新聞にパール=バック原作・脚本の日米合作映画『大津波』(1961年に米国公開、タッド=ダニエルスキー監督)についての記事あり。パール=バッ ク原作・脚本に主演が早川雪洲、音楽が黛敏郎、特撮が円谷英二……なんてこった、という布陣。映画の存在については廿数年前にNHKのプロデューサーM氏に話を聞いたことがあったが日本では上映の記録もはっ きりせず映画撮影の舞台となった雲仙の観光協会が川喜多記念映画文化財団にフィルムあること突き止め40数年ぶりの上映、と。全編が英語の作品。朝日の記 事によると、筋は、海辺の村に住むトオル(成人した若者だが演じるは当時弱冠13歳の伊丹十三!)は漁師の子。火山の爆発と噴火で家族失い友達のユキオ (ミッキー=カーチス)の家で育てられ、裕福な長老(早川雪洲)の養子になる誘いも断り、漁師になるべくユキオの妹・セツ(ジュディ=オング、この映画が デビュー作)と海に去ってゆく……と、ただ「見たい!」の一言。パール=バック自身も1927年に雲仙に4ヶ月ほど滞在(南京事件からの疎開)。その時に 聞いた大津波の話を題材に47年に原作小説を発表(この邦訳(トレヴィル刊!)は絶版だったが径書房から2月に復刻)。この径書房の原田純社長が「映画『大津波』とパール=バック研究会」 結成。伊丹十三は商業デザイナー経て俳優業、というのが常識。勿論言わずと知れた万作の息子であるからチャンスはあったにせよ13歳でこんな映画に、それ も成人した漁師役で出ていたとは驚くばかり。で、偶然ではあるが朝日の衛星版ではこの『大津波』の記事(写真は海辺での伊丹十三とミッキー=カーチスの姿)の 隣に大江健三郎の「伝える言葉」という連載の随筆あり(伊丹十三と大江健三郎が愛媛の高校の同級生で伊丹夫人が大江先生の妹)。ふだんあまり読まぬ連載だ が宮城県の高校で創立10周年記念で大江先生が講演、という書き出しに、記憶にもまだ新しいのは何年前だったか新潟県の三条高校が創立百周年の記念講演会 で大江先生に講演依頼したものの校長が「こともあろうにノーベル文学賞の」作家に対して「大江さんの過去の講演集を読んだが、全体として政治的な話題に言 及されている。政治の話題を取り上げる場合には、中立となるように配慮してもらいたい」という趣旨の手紙を送り大江先生が講演辞退。この当時の校長の名前 が笠原「中庸」ということ今になって知る。それで中立を期待か(笑)。で、それに比べ宮城県の民度の高さ。この宮城野高校の校長先生は大江氏に対して「知る」ことより「わか る」ことへの手がかりになる話を聞きたい、と求めた、という。大江先生も高校では政治的な話はせぬそうな。連載では憲法の話。古関彰一『「平和国家」日本 の再検討』(岩波書店)を取り上げて紹介。憲法9条成立が東京裁判での天皇の戦争責任に及ぶこと防ぐためのマッカーサーによる政治的工作によるものである こと、沖縄を切り離し基地化することで本土の非武装化が可能と判断された経緯など。戦争被害国に対する戦争責任が曖昧となり日米関係が優先される戦後の実 態が出来上がったこと。自民党の憲法草案の前文にある「気概」といった言葉一つでも警戒が必要なことを説く大江先生は古関氏の本の結びを紹介する。
平和を守るために国家の権力行使を阻止するのみならず個人の人権主 張、「恐怖と欠乏」を除去するための活動をいかに憲法で保障することによって国の安全を確保するかを議論しなければならない。時代はむしろ軍事力によって 安全を確保できる時代ではないのだから。
▼築地のH君に「丸山眞男の手帖」なる集合を教えられる。その「丸山眞男の手帖」にあった話、とH君に教えられたのは、丸山眞男をめぐる話。後藤田先生、 安東仁兵衛先生と梅本克己先生(いずれも故人)は旧制水戸高校の同窓生。余談であるが当時、余の祖父の営む飲食店は彼ら水高生の溜まり場。とくに入り浸り は、のちに作家の舟橋聖一先生。何の偶然か余が書斎にて昨晩遅く開いた本が梅本克己の追悼本と、郷里の昔の泉町なる商店街の回顧録であった。梅本克己の追 悼文集は梅本克己の奥様より余の母が頂戴したもの。この商店街の歴史記録『泉町物語』は郷土史家であった故・望月安雄氏より余が直接いただき余に「謹呈」 と裏表紙にあるのを懐かしく読む。すると今朝、突然、築地のH君よりこのメールが届き偶然に驚くばかり。閑話休題。東大闘争時に当時警察庁次長だった後藤 田先生が安東仁兵衛を通じて丸山眞男と秘かに接触し封鎖解除のために機動隊導入について交渉をしていた、という「噂」あり真偽不明のまま30年以上語られ てきた、といふ。この「眞男の手帖」の編集者が、これを確かめるために後藤田先生を議員会館に訪ねて本人に確認したところ先生は「残念ながら」丸山眞男と の面識はなかった、と。だが後藤田正晴と安東仁兵衛、梅本克己との交遊は事実で、とくに梅本克己先生とは一級違いで寮生活をともにした仲。築地のH君が懐 かしむのは、当時のエリート内部での左右を越えた交遊。双方に幅。少なくとも加藤紘一や亀井静香あたりまではそれがあったはず。これがダメになるのはやは り全共闘時代からか。当時、秩父宮ラグビー場で「東大正常化」集会を仕切った前外相に、どれだけ全共闘側の同級生と人的な交遊があったかしら。戦前の共産 党の場合は検挙されても検事や裁判官は同級生とか、河上肇のように自らの教え子が向こう側にズラリと並ぶ関係。大学の教え子が恩師を裁く世界。それが今 ぢゃ丸山眞男の弟子がノーパンしゃぶしゃぶの中島某。片山さつき代議士が「エリート」と言われる世界。話は戻るが後藤田先生の「執務机の上には4日前に成 立したばかりのテロ対策特別措置法に基づいて小泉内閣が国会に提出したPKO協力法改正案のコピー、しかも赤のサインペンでアンダーラインや疑問符のつい たそれが載り、九月十一日ニューヨーク同時多発テロ後に自衛隊の海外派兵を正当化する法律が矢継ぎ早に成立してゆく状況を、「満州事変前後と同じだよ。み んなこれはいかんな、いかんなと思いながら、どんどん、どんどん引きずられてなし崩しに行って、結局ダメになっちゃったのを同じだよと言ってるんです。止 められなくなる。と述べまし
た」そうな。「丸山眞男手帖の会」はこちら。今年の終戦記念 日の「復 初の会」では樋口陽一先生が「憲法学にとっての丸山眞男『弁証法的な全体主義』を考える」と講演をされている。樋口先生相変わらずダンディ。今年 の夏は樋口先生は殊に「「クールビズにはしない」とゆうことで敢えて必ず上着とネクタイは欠かさなかった、という噂もあり。
▼築地のH君が自らサイトなどもたぬ人ゆへ敢えて彼の文章を積極的に載せる。「希望について考えると」の厄介な問題さ。魯迅のいうように「歩く人が多いと そこが道になる」ようなものなら、こんなに歩く人が少なくなってしまうと、じゃあもう希望はないのか?と絶望せざるをえない。いや魯迅のいうのは「絶望す る前に、そこを人が歩くように誘導する努力をせよ」ということなんだろうが「いくら頑張っても誰も歩いてくれない」ときはどうしたらよいか。人間が「希望 についてシニカルに語る権利がない」存在であるとして、しかし誰もその道を歩こうとはしない。そのなかで尚、希望について前向きであろうとした時に「必然 的にテロリズムの肯定に至るしかないのではないか?」という問い(⇦これについては啄木など思い出す……富柏村註)。ロシアのナロードニキは、あらゆる 特権を捨てて「人民の中に」入ろうとして、その人民に拒絶されて「希望」をうち砕かれる。ここでシニカルになり「これだから貧乏人はヤだよね。俺は貴族に 戻っておもしろ可笑しく暮らすよ」となってもいいはずなのに敢えてそれをしなかった人びとが「ニヒリスト」(虚無主義者)としてテロルを選択する。自分の 「希望」に誠実であろうとしたからこそのニヒリスト(⇦この屈折した回路については、書けばもっともっと説明がいるかも知れない)。シニカルに生きる「権 利」があるならテロは選ばなかったはず。パレスチナの状況に即していえば、パレスチナ人がイスラエルの世論を合法的に動かすことは不可能。「国際世論」に 訴える手段すら持たない人びとが、なお希望をもちつづけようとすれば「とりあえず目の前にいるイスラエル軍兵士を一人でも多く殺す」という以外に現実的な 手段は思いつかず。自爆テロを選ぶ者にしても、自分の自爆攻撃によってそれがパレスチナ解放闘争のために何かの足しになるという希望を信じているからこ そ。本当に絶望しているなら、そんなことはできなぬ。「絶望すら許されない」ということのツラさ。

陰暦十月初六。立冬。朝日の天声人語が立冬について語る。「啓蟄や立秋など、もともと中国で生まれた二十四節気は、日本の気候とは微妙にずれている。それ が近ごろ、いっそう目立つ気がする」と。よくテレビのニュースなど当り障りのない話題で「暦の上ではもう立冬……ですが東京では日中、汗ばむほどの陽気と なり」と、この暦と実際の季節のズレを語るのが当たり前、で「暦の立冬の今日、日本列島には寒波が襲い……」ぢゃない。で天声人語子のように「もともと中 国で生まれた二十四節気は、日本の気候とは微妙にずれている」という発想となる。だが実際には「中国でも実際の気候とはズレている」のであって「日本だか らズレている」は大きな誤解。この陰暦、黄河中域から下流にかけて豊穰な土地にて農業盛んになり農作業の経験から生まれた気候との関連の暦で、立冬のころ 華北では確かに寒いが冬の寒さよか「まだ暖かい」日も多く実際の気候とはズレている。日本の気候とはズレているが農作業では陰暦が使われる。で、そのズレ が「いっそう目立つ」のは異常気象の所為で日本ばかりか中国も当然、ズレが目立つ。諸事忙殺され晩飯も下品に茶餐庁に済ます。二更も遅く帰宅。疲労感ある が机まわり片づけ、せめて明日から気持ちよく過そう、と。ウオツカにポート酒いれたカクテル?飲む。新聞、気になった幾つかの本に少し目を通し午前二時に 至る。
▼香港鼠楽園が入場料を香港居住者にかぎりHK$50引きで入場料設定。鼠楽園側は「香港の皆さんへのご奉仕」とするが実際には予想以上に入園者数頭打ち で地元客増が狙い。だが「何を今更」の話。
▼「香港の朝日新聞」とかつて云われ香港を代表「した」新聞紙・明報に簡易爆発物入りの小包届き開封した総編集長秘書が怪我。明報が十月にしでかした「い いこと」に対する報復と脅迫文にありHK$3千万を公益基金に募金せよと要求。詳細不明だが公益基金への募金でカネ目当てでないことだけは確か。この新聞も興味深き歴史あり。1959年、 当時「黄色小報」ゴシップエロ新聞全盛のなか查良(金庸)氏が創刊。查氏は武侠小説の大家・金庸。六、七十年代は明報は大陸の政治報道にかなり長け社主で ある查氏の筆なる社説は中共の政策と対峙する健筆ぶり。金庸としての武侠小説が連載され、これも好評。1967年の中共の影響受けた反英左派暴動では左派 の暴行批難し中共系左派紙の大公報などと論戦。查氏暗殺という脅迫もあり查氏はシンガポールまで避難したこともあり。香港の新聞の殆どが国民党系の右派、 中共系の左派、それにエロ新聞、総督府系の英字紙という中で明報は毅然とした態度で中立。香港のQuality Paperとしての認知を得る。中共も鄧小平の開放政策となり查氏は香港基本法草案の委員に任命され寧ろ中共に融和する姿勢も見え民主派市民からは明報の 変節に不信もあったが、余が香港に住んだ90年くらいは大学内で明報を読んでいないと恥ずかしいくらいの信頼が明報にあり。が雲行きおかしくなったのは 92年のこと。高齢の查氏は引退を決め明報を当時、香港バブルで絶好調の若手投資家・于品海(P.H. Yu)に明報を売却。だがこのPH氏もいろいろ背景にある人で(日本企業とも親密であったが火傷負った日系企業少なからず)学生の頃にカナダで拳銃の不法 所持の前科をば隠し経歴詐称に問われ(香港上場企業の役員は刑罰などすべて会社条例で報告の義務あり)香港バブルも弾けPH氏ももはやここまで。明報はマ レーシア華僑の資産家に売却される。明報ぢたいは発行が続くが蘋果日報などセンセーショナルな新聞がウケるなか中立と良識はいいが気真面目な紙面は政府の 小役人と教育関係者以外に読むに値せぬ毒にも薬にもならぬもの。ゆえに、どの筋かわからぬが「その筋」に睨まれるような報道もないはずで今回の脅迫はかな り不思議。まぁ社主絡みの揉め事に起因か、と察す。

十一月六日(日)朝六時半に天后より参加者バスに乗り大尾督にて開催の第28回のHKDRC主催のハーフマラソン(FILAが数年前よりスポンサー)に参 加。10kmまでの山の走りはしていたが長距離でレース参加は2月の香港マラソン(フル)に参加以来始めて。練習もなしのぶっつけ本番。ここ1ヶ月以上ジ ムにも通っておらず。ハンディキャップ(つまり体重増)はこれまでで最大。疲労感に睡眠不足で最悪のコンディション。走り出しはまだよ かったが天気に恵まれすぎ気温は炎天下30度以上で心拍数は160からゴールまでずっと下がらず。「これはダメだ」でLSD決め込み(ということにしてお く)2時間20数分もかけてのハーフは最低新記録。我がランニングクラブからはK氏とO氏が参加。Z嬢応援に来てO氏とともにK氏のクラウンにて送ってい ただく。ジムによりサウナ。帰宅して昼に力うどん。新西蘭の白葡萄酒グラスに一杯のみ二時間ほど昼寝。夕方たまった新聞読み。早晩にひとり西湾河。太安楼 地下の電気屋の牛什(牛のホルモン煮)立ち食い。海鮮料理屋 の二記に生薑と葱に卵だけの炒飯食す。予想以上に秀逸。香港 電影資料館。中国映画年2005より『台湾往事』と『 魯迅』の二本観る。さすがに突然のハーフマラソンで足腰が映画鑑賞には痛む。『台湾故事』(監督:鄭洞天)は日本統治下の台湾で医者の家に育った少年の半 世紀。林家は祖先が中原から福建に下り台湾に渡り百数十年。林 家が大陸の出自であることを強調する祖父は漢方医。父は日本統治下で典型的な西洋医だが阿片患者の治療で治療拒む院長に逆らったことが原因で憲兵に連行さ れ精神を病み数年後に逝去。気丈夫な母親に育てられ1945年に高等中学卒業し福建省は廈門大学の生物系に入学。これで話はわかるが国民党の台湾入りで青 年は家族と離れ離れになり1983年になり福建訪れた日本の台湾統治時代の同級生(当時は駐在の警察官の息子でかなり台湾人に辛くあたっていた)の恩返し で母と数十年ぶりの再会を東京でする話。この筋であれば今までに何本もこのての話は映画になっているのだが、この映画の興味深いところはこの映画が大陸作 品(中國電影北京電影製片廠)であること。台湾の人々の出自が大陸にあることの強調は中国側製作では当然だが。というのも、この映画の原作は台湾生まれの 張克輝の回想録をモチーフにしたもの。張克輝氏は台湾民主自治同盟という大陸で台湾独立に反対する台湾出身者の政治団体で中央委員会主席を務める重鎮でで 現在、全国政治協商会議副主席。
つ まり中共の対台湾政策で象徴的存在(朝 日)。と書くとかなり政治的だが映画ぢたいは予想以上に中台の生き別れの家族の悲しみを描く。北京の映画俳優の層の厚さは凄いと改めて思う。近く のコンビニで赤葡萄酒の小瓶一本購い映画の幕間に小憩。続けて『魯迅』(監督:丁蔭楠)観る。魯迅の晩年の上海での逸話。これも魯迅を革命家であるとか前 衛の芸術家とだけで描かず魯迅のうちにある革命性と非革命的的な「様式」、それに孤独とそれに相反する家族愛や師弟との友情だの、当然、内山書店の内山完 造が魯迅の親友として登場するが魯迅の民族主義と親日観など、魯迅の多様性をうまく描く。

十一月五日(土)晴。疲労困憊なのに朝いつも通り六時すぎには起床。MTR乗り継ぎ黄大仙。快晴の空に黄大仙の祠社、巨大な壁の如き公共団地、その向こう に獅子山を望み「これぞ九龍」という光景。午前八時。い つものトレイルの面子は今日はI君と我のみ。I君といえば彼の奥さんであるE嬢(Madam de Jordanと呼ばれてもおりとヨルダンの金持ちの奥さんのようだが「尖沙咀の次の佐敦」がJordanである、念のため)の岡山在住のご母堂がこのサイ トご覧になっておりI君の休日及び平日晩の「飲み」といっても我が一緒なのは彼の「飲み」の本当にごく一部だがそれを岡山でご存知だとE嬢から先日 Bierfestで聞かされる。でI君と我の二人では何ともオヤジ臭いが今日は旧知のS嬢誘い参加してくれて三人。ミニバスで慈雲山邨まで坂を上がり沙田 拗道をいいペースで早歩きで登り一気に獅子山。Beacon Hillの天文台横ではすでに来週金曜日からのTrailwalkerの準備が始まりテント設営や飲料水の運び込み。昨年三度目の完走果たした100km であるが一週間も前からこうして準備する人がいること実感。大埔道まで下り野猿多き金山自然公園に入る。いつも通り過ぎてしまうがこの周辺は日本軍の侵略 での激戦地で英国軍のトーチカ(地下壕)縦横に走る。I君がE嬢と来たことがある、と暗い地下壕の中を案内してくれる。Regent StreetだのCharing Crossと倫敦の名が地下壕結ぶ地下通路には刻まれStrand Place Hotelもあり。予想以上に壊れても汚れてもおらずまるで軍隊が去ったばかりのよう。これが六十年余年も前の銃弾痕も生々しき激戦の跡地。この山を日本 軍に越えられると眼下の九龍は英国領。租借地新界は捨ててもここが英国軍にとって香港防御の生命線。飛鵝山から大老山、獅子山……と急峰の続く新界と九龍 を分ける稜線でこの金山が最も海抜も低く、なだらか。当 然、新界に進軍した日本軍はここを抜けようと挑む。それを迎え撃つための前線の地下壕。だが若林といふ将校の軍隊がたやすく此処を占拠。刻石の文字。「香 港はさすがに英国の植民地だけあって郊外のハイキングコースがよく整備されている」は香港で山歩きする日本人の定説だが実際には我々が山歩きする道のかな りが戦争中の野戦での進軍路。それが戦後、ハイキングやトレイルのコースと化したのが事実。昼に城門ダムに下る。これから針山、草山と進む予定だが「なん か気分的に今日のコースは終わってしまい」ちょうど飲み物売るバイクのおじさんがいて自然と缶ビールに手が出て城門ダムからミニバスでTsuen Wanに戻る。佐敦で用事済ませ尖沙咀の知る風呂屋で按摩。夕方帰宅して急ぎ着替えて銅鑼湾のRosedale HotelにA氏と客人を迎え晩に湾仔Century Hotel地下の上海料理屋・老上海飯店。黒服の給仕長が、この店がまだ「老正興飯店」で銅鑼湾の三越の裏にあった頃からA氏は顔なじみで当時、 自分はまだ店に入り立ての十四、五歳のボーイであった、と三十年前の昔話。大閘蟹(俗に云ふ上海蟹)が季 節。旧暦も十月に入り雄が見事。美味い紹興酒とともに堪能。酔蟹も食し極楽。小籠包まで美味しくいただく。客人をホテルに送り銅鑼湾のバーに後ろ髪ひかれ つつも明日に具え帰宅。

十一月四日(金)晴。週刊文春「この人の一週間」で競馬評論家の井崎脩五郎氏。実際は多忙極めるのだろうがさらりとした筆致が実にいい。飲食の「具合」も さすが。諸事忙殺され晩に至る。帰宅して平野レミ女史のレシピの韮鍋。SCMP紙開くとSudokuあり。「やってはいけない」と思ったがNHKのニュー ス9ではプロ野球で楽天問題のオーナー会議などてれてれ報道?しているしSudoku始めれば初めて難度4完成。時間かけてじっくりやれば高難度の Sudokuもいつかは解けるのだろうが嵌ってしまい何も他に出来なくなるを恐れ個人的ルールとして数字の重複が出てしまったらゲームオーバーとしてお り、これまで難度3迄しか解けず。雑事片づけ三更に至る。
▼三笠宮寛仁殿下が女性女系天皇容認について異議述べる(自ら会長務める福祉団体の機関誌にて)。皇族のこの発言は自由だが「2665年間の世界に類を見 ない我が国固有の歴史と伝統」「万世一系、125代の天子様の皇統」「神話の時代の時代の初代・神武天皇から連綿として一度の例外も無く、「男系」で今上 陛下迄続いて来ているという厳然たる事実」「神武天皇のY1染色体が継続して現在の皇室全員に繋がっている」といった皇国観に驚きを感じ得ず。「万世一系 の天子様」の存在を大切にして来てくれた歴史上の事実とその伝統があるが故に、現在でも大多数の人々は、「日本国の中心」「最も古い家系」「日本人の原 型」として(略)「天子様」を敬って下さっている、と。更に国民を、我が国を形成する「民草」の一員として、2665年の歴史と伝統に対しきちんと意見を 持ち発言をして戴かなければ、日本という、「国体」の変更に向かうことになりますし、いつの日か、「天皇」はいらないという議論に迄発展するでしょう、と まで言及。女性女系天皇容認への賛否への言及は自由だが、この皇国史観、神武帝からの史実化、天皇の天子扱い、国民を民草と呼び国体の擁護、天皇制反対の 議論への憂慮……。皇族のなかに、まだこんな思考があったのか、とあらためて驚く。神武帝の実在を「事実」と皇族が述べれば「つくる会」の教科書も次回の 改訂では既成事実だろうか。この「天子様」観は先帝の「人間宣言」に反する恐れもあり「日本人の原型」と殿下は述べるが今上陛下が述べられた通り朝鮮との 王族と我が国の皇室の絡みもあり。また梅原猛先生がこの「日本人の原型」などと聞いたらどう反論されることか。歴史学者として父宮がこの殿下の発言と歴史 観をばどう感じるだろうか(晩のニュースに宮中にて文化功労者などのお茶会あり陛下の横に九旬にてお元気そうな三笠宮崇仁親王殿下の姿あり)。陛下のご心 中や如何に。女性女系については別として皇族のこの発言にさぞやお心苦しいのではあるまいか。
▼築地のH君が、この「万世一系」について、寧ろわが国古来の伝統からいえば、実子相続なんてのは本来けして必須に非ず。男子がいなければ、また家督相続 させるに値しなければ、武士だって芸人だって、みんな養子。家思想の核心は法人格としての「イエ」の存続であって血統的な連続などはほとんど意味がない、 と。確かに。保守思想の倒錯。寧ろ系図を保存して血統の嫡流にこだわるのは孔子家や韓国の族譜にみられるような「支那的儒教的な発想」かも。日本書紀とて 大陸の王朝意識しての我が国の固有の歴史の創造。じつは「日本の伝統」にこだわる人ほど「漢心」にとらわれていたりもする。
▼宮中のお茶会といへば招かれた長嶋茂雄さん。リハビリ中で黒の運動靴には朱色で「3」の数字。「3」という数字で長嶋さんは何が言いたかったのか。最初 ふと思ったのは朝鮮の「三韓」。百済、高句麗、新羅に陛下の皇室と朝鮮の王族のゆかり発言を思い出すが長嶋さんとは関係ない。「さんかん」といえば「三 冠」だろう。で「三畏」だ。論語に「君主有三畏、畏天命、畏大人、畏聖人之言」とあり。長嶋さんは大人か、いや、長嶋茂雄の言を以てすれば難解さには「君 主もそれを畏れる」かも。
▼訪米中の東京都知事某はワシントンの米戦略国際問題研究所で講演。「戦争は生命の消耗戦。生命に対する価値観が全くない中国は憂いもなしに戦争を始める ことができる」と発言し米国については「生命を尊重する、そういう価値にこだわる市民社会をもつ米国は勝てないと思う」との危機感を示し「中国に対して講 じるべき手段は経済による封じ込めだと思う」と指摘。それにしても中国の悪口言う前に考えなければならないのは、「憂い」もなく対中、対米戦争始め「生命 に対する価値観」や「生命の尊重」なく天皇陛下万歳を叫びながら特攻隊で死んでいったのはどこの国家か、と言うこと。パレスチナ解放闘争の歴史の中で岡本 公三君ら日本赤軍3兵士のリッダ空港決起以前には「帰還を前提としない作戦は皆無」だったという。つまり歴史的には「自爆攻撃」もイスラム圏に根拠がある のではなく明らかに赤軍兵士の「カミカゼ・アタック」が出発点。築地のH君の指摘。9−11のときには本多勝一さえを含め「カミカゼと自爆テロはまったく 違う」と熱心に主張する向きもあったそうだが、精神論は別にしても技術論として近代戦に自爆攻撃をもちこんだのは神風特攻隊なのは明らか。
▼先日逝去の中国の資本家・栄毅仁氏(元国家副主席)の告別式が北京で挙行され(昨日)国家主席(中共総書記)胡錦涛君も参列。孫文夫人の宋慶齢に続き二 人目の非共産党員の国家主席と言われていたが新華社が弔報にて1985年7月1日(中共成立64周年記念の日)に秘密裏に中共に入党、と伝える。すでに 20年。死後ようやく事実が公開されたが逝去の直後「栄毅仁同志」と呼ばれていた理由もこれで明らか。告別式は北京の八寶山革命公墓にて挙行され中共政府 は胡錦涛以下9名の中央政治局常委全員が参列し萬里、朱鎔基など元老も姿見せるが李鵬の姿がなかったといふ。

十一月三日(木)曇。毎週木曜朝は小泉メールマガジン読むこと日課となる。新内閣発足で小泉三世の弁舌も滑らか。それにしても得意の外交については「中 国、韓国をはじめとする隣国との友好関係、アジア、アフリカ、EU、世界各国との国際協調を実現していくために、努力してまいります」と、それだけ。隣国 との友好関係実現のため何をどう行うのか具体的な主張など当然、ない。この人らしさ。早晩に銅鑼湾の香港中央図書館。建物の品のなさ、無意味な巨大な吹き 抜け(つまり利用面積の欠乏)と動きづらいフロア設計で殆ど利用せず。とにかくフロアが上下移動強いられ而も参考図書(リファレンス)が8階なのに5〜7 階が閉架式書庫というUser Unfriendlyな設計はお見事。そのフロア移動もエスカレータ使うと各フロアをぐるりと回る設計で閲覧机の横をたくさんの人が通り過ぎるので落ち着 かないしバカに明るい照明も不快。電脳多く宛らネットカフェの如し。98年だかの開館以来三度目(初回は開館後の見物、二度目は03年の7月1日デモでト イレ借用)の来館の目的はG階のギャラリーで開催されている「往日京華……首都図書館歴史写真珍蔵展」参観が為。G階のギャラリーはG階のため直接入れる のが嬉しい。北京首都図書館の収蔵写真は凡そ百年前の清末から民国初期のもの。二百葉ほどの展示は圧巻。だが残念なのは写真ぢたい複写(而も印画にあらず 印刷)であり光の光沢がないところ。まだ城壁が取り壊される前の旧市の様子。北京の面白いところは何といってもいわゆる「支那趣味」でなく清朝の異様さ。 映画『ラストエンペラー』でベルトリッチ監督はその清朝の文化的異様さを「これでもか」と演出していたが華中、華南から見ると「どうにもしっくりとこな い」あの雰囲気こそ北京。先日この日剰にて上海の聖約翰大学のことに触れたが北京には羅馬カソリックの輔仁大学あり。1925年に輔仁社として成立し翌 26年に大学となる。1952年に北京師範大学に吸収合併。この輔仁大学の写真もあり。四年前の秋に北京マラソン(ハーフ)のため赴京のおり郭沫若、梅蘭 芳の故居を参観し護国寺街を歩き、この旧・輔仁大学の校舎見学したが、その現存する建物よりずっと古い校舎写真を眺める。市街写真ばかりかと思っていたが 京劇の写真も少なからず。梅蘭芳の師匠が王瑤卿(1981〜1954)で王瑤卿は「梅尚程筍」と称された四 大名旦の女形を育てる。その筆頭が梅蘭芳で、尚小雲、程硯秋、筍慧生と名を 連ねるが梅蘭芳以外写真を見たこともなかったが王瑤卿を囲みこの名女形四人が並ぶ写真もあり。また張作霖の誕生日に北京の奉天会館なる場所で誕生祝賀の上 演あり「六五花洞」の衣装でこの梅尚程筍に筱翠花、徐碧雲と六人の女形がポーズとる写真も圧巻だった。日暮れも早い。整備され「闇」のすっかり欠けたヴィ クトリア公園を抜け関西料理・利休。バンコクから来港中のY 氏、Z嬢と食す。酒は薩摩串木野の芋焼酎海童。最後にきつねうどん。美味。いつものパターンだと銅鑼湾でバーYとなるが天后ということもあり睡魔にも襲わ れ帰宅。
▼築地のH君の話で少し述べたパレスチナの映画は『ア ルナの子どもたち』で監督がアルマの息子のジュリアーノ。イスラエルによるジェニン侵攻。ゲリラとして戦闘死した子、テルアビブで自爆攻撃をして 死んだ子。撮影中も戦死する子がでる。築地のH君からの話は「アルマがつくった学校は意味があったんだろうか?」という問い。なんのために子どもたちは学 んだのか?兵士として死ぬためか?結局アルマの仕事は無駄だった、という意見も出る。結局テロリストを養成するだけだったのではないか、と。満足に学校に 行けない難民キャンプの子どもにとって、アルマの演劇学校は唯一かけがえのない「学びの場」だったがジュリアーノによれば「そこで学んだ子どもたちは、自 然とリーダーシップを身につけ、抵抗勢力の中核へ成長したのは自然なこと。もちろん戦争をするために学んだわけではない」と語る。「子ども=未来の希望」 みたいな図式が完全に破壊されつくした世界。森達也は先の総選挙の結果にも触れつつ「ほんとにもう、どこにも希望はないよね」みたいな悲観をつぶやくと ジュリアーノはそういう語り口を拒み「われわれには希望に対してシニカルに語る権利はないのです」と語ったそうな。
▼孫引きになるが立花隆氏が週刊文春で紹介する岸田秀&三浦雅士『靖国問題の精神分析』で三浦氏の語りが凄い。
ヒトラーをはじめゲッペルスとかあのへんをぜんぶ祀って、『俺たち はドイツ国民なんだから、お参りする。これは俺たちの勝手だろ?』ってやった場合、隣近所の連中がどう思うかですよ。小泉首相の論理は『もう謝ったじゃな いか、金も払ったじゃないか。ヒトラーだって気の毒だ。罪を憎んで人を憎まず』という論理ですよ。それを言ってもいいのはユダヤ人であって、ドイツ人じゃ ない。(略)それと同じことを小泉純一郎はしているんですよ。『これは内側の問題だから、ヒトラーを祀ろうが、勝手じゃないか』というのは盗人猛々しい。 だって、隣の家の不良の息子に自分の家の娘が犯されて殺されちゃったと。不良の息子が死刑になって数年後に、隣の家でそいつの等身大の像を作って拝みはじ めて、『いやこれは今後こういうことが起らないように祈っているんだ』とか名にとか言っても、これはぞっとする。(略)東条英機のことを拝みたいなら自分 の部屋で拝んでほしいよ。趣味の問題だからね。ヒトラーのことを好きだっていう人もいるわけだから、それはしょうがない。でも、それを国家的な事業にして はいけない。
これを受け立花氏も「小泉は選挙に大勝ちしたおかげで、いまや、何をやっても許されると思っているのだろうか。それも日本人代表みたいな顔をして」と述べ 「私は三浦の意見に賛成である」と結んでいる。この立花氏の考えが常識的だろう。が今の世の中は「何がわたしが悪いのよ」で、自分のどうしようもない部分 を棚に上げて周囲の所為にして自分を正当化することだけに熱心な社会になってしまった。そこでは小泉三世や安倍新造のような、その国民の意思を体言する政 治家が持て囃される。

農暦十月朔日。早晩にFCCで溜まった新聞読み。新聞はその日に目を通す順番(読み終わる、ではない)で言うと朝日、IHT、蘋果、SCMP、信報の5紙 (それに読売はときどき目を通す)であったが「つまらないのを承知で」明報も仕事上読むようになる。新聞の購読量では従兄のS兄に昔から驚いていたが当然 かなりの時間を要す。自宅で読みきれる筈もなく持ち歩くが香港の新聞の場合それぞれかなりの厚さあるので重い。数キロになる。とにかく熟読要らぬ紙面を さっと目を通して捨てることから始まる。折り畳むと10cmくらい。当然、その日に読み終わらぬ、熟読要す紙面だけ切り取り(そのために切り裂き魔じゃな いが簡易カッターは必携)持ち歩きFCCなどで読んで必要なら残すしメモをとるし要らぬのなら捨てていくことになる。ハイボール二杯。尖沙咀にフェリーで渡りMarco Polo HK Hotelで開催されているGerman Bierfestに て大いに麦酒を飲む。ランニングクラブで声をかけると12名ほどが参加。麦酒はLowenbrauだけで個人的には余り好まぬがいったい何杯飲んだのか定 かでなし。客の多くが飲んで歌って踊って、の世界。
▼築地のH君より。国連総会がポーランドのアウシュビッツ強制収容所解放の1月27日を大戦中のユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)の「国際追悼デー」にす る決議案を採択。 採択後に中国が「60年前、アジアの人々も筆舌しがたい苦しみを受けた」「1937年の南京大虐殺で30万人が死亡した」として「ユダヤ人と同じようにア ジアもこの歴史の一章を決して忘れない」と発言。日本の国連大使は「歴史を議論する際には、特に数字についての共通の理解を持つことが建設的だ」と発言。 「歴史の事実を謙虚に受けとめ、痛切なる反省と心からのおわびの気持ちを常に心に刻んでいる」と述べた、と言う。国内では「南京虐殺はなかった」説もかな り流布されるが、さすがに国連の場ではそうもいかず。内では黙るが外で我が国の大使が発言するのだから、これが政府見解のはず。「どうして毅然として反論 しないのだ!」くらいならマダしも「なぜ、幻であることが実証済みの南京虐殺などが持ち出されるのだ!」と主張する国民も少なくないかも。いずれにせよ中 国政府としては最も効果的なやり方。これまでなら日本の面子を立て、ここまで恥はかかせず。あくまでの対日の動き。それが小泉首相のおかげで国連でも過去 の反省につき言明せねばならぬとは。
▼もう一つ築地のH君より。パレスチナで映画をとったイスラエル人の俳優が来日。映画の上映のあと森達也と対談。森達也氏がもう夢も希望もどこにもないと 皮相的な態度で嘆息とともに発言を〆るとイスラエル人は苦笑しつつも「希望に対してシニカルになる権利は我々にはありません」と引き取ったそうな。希望に 対してシニカルになる権利は我々にはない。

十一月朔日(火)曇。粛々たる気持ちで朝日の朝刊で内閣改造の報道を読む。読売は安倍官房長官と大きな見出し。嗚呼。お猪口女史、初当選で入閣が皇居での 認証式にドレス慌てて用意。すごいセンスは築地のH君が「全国で3000万人くらいがテレビにつっこみ入れたと思う」と。ドレスが間に合わず赤坂のキャバ レーのカーテンでも巻いてきたのか、といふ感じ。事実は朝日新聞に暴露されていたが夫である猪口孝教授が妻に電話で「ドレスをいくつかアイロンかけたけ ど……」。孝教授、何をしているのだろうか。早晩に香港大学図書館。図書館の入場証と借本証の手続き。FCCにてハイボール一杯。セントラルの場外馬券場 にて昨日購入の携帯に馬券購入機能のactivation済ます。競馬といへばメルボルンカップ開催。Maykbe Divaの三連勝。愛国心で日本馬アイポッパー(藤田伸二騎乗)前晩オッズが22倍だったかMaykbe Divaと絡ませてみたが12着。豪州は地元最強馬の三連勝でさぞや湧き上がったのだろう。晩にA氏を誘いB氏と三人でQuarry Bayの日本料理・袖山に参るが予約の手違いあり而も本晩貸し切り。競馬開催で渋滞恐れつ つタクシーでHappy Valleyの寿司。かつては競 馬開催の晩ともなればLeighton Rdの交通規制凄まじく付近一帯が恐ろしい渋滞となりHappy Valleyの飲食店は客が此処に寄りつかず開店休業状態、せめてもの期待は競馬で当てた客の打ち上げ、というのが当たり前だったが競馬場周辺の交通規制 もかなり軽減され渋滞も皆無。Happy Valleyの市街をば競馬馬が厩舎から牽かれて競馬場に向かっていたのも昔の話となりぬ。寿司澄では魚もかなり平目の縁側だの通好みの珍しい魚いただき 純米酒は強力と名前失念の泉某。BGMで森田童子の「ぼくたちの失敗」が流れ微かに聞こえ切ない気分。B氏と「ちょっと一杯」で銅鑼湾のバーS。其処はほ んとうに軽く一杯で済んだがB氏にフィリピンカラオケに誘わ れ実に何年ぶりか、で。カラオケですら何年ぶりで前回も確か此処だったような。だが水商売の凄いところは数年ぶりの客でもママが客の名前を覚えているから 凄い。カラオケは歌う趣味もなく出された酒も怪しいウイスキーと小さいショットぐらすで何度も飲み干すテキーラは宿酔も恐いので氷の溶けたオンザロックを 飲んだふりして舐める程度。ホステス嬢の話を聞けば来港7年で一度もフィリピンの故郷には帰省しておらず。この12月に始めての帰省が実現しそう、と。敬 虔なるカソリック教徒であれば聖誕節は家族と過ごすか、と思えば聖誕節など航空券がとても高くて12月上旬の閑散期しか選べぬ、と嬉しくも亦た悲しげ。午 前11時半から某フードコートで客の食べた食器片づけの仕事を午後7時半まで八時間続け午後9時すぎにはカラオケに出勤し午前2時まで。客が居残れば午前 3時、4時もあり。数時間の睡眠もザラ。昼の仕事は月にHK$4千と薄給で生活費にしかならず夜の水商売の稼ぎが故郷への仕送り。香港に同じく働く実妹と 月に二度、日曜日に昼食をとるのが唯一の楽しみでフィリピンの家に電話すれば父母が娘である彼女に会いたいといつも電話の向こうで泣くのがつらい、と言 う。沁みたれた話と安い香水のかおり。世情の話に祝儀少し遺し小一時間にて帰宅。
▼小泉支持率さらに上昇し6割に。次期首相には安倍晋三君が他を圧倒。閣外の福田二世は小泉外交が行き詰まりの際のリリーフという説もありH君によれば某 新聞は「自民党的な振り子の原理で」福田二世が首相後継の可能性も、と書いたそうだが「自民党的な原理」こそ小泉公約の通り「ぶっこわれた」もの。今に なって思えば「自民党をぶっ壊す」と小泉三世が吠えて国民の八割が彼に神託(愚託)を与えたのだが実際に自民党は壊れたが壊れたことで自民党の戦後の機能 が壊れ旧来の自民党は壊れたが後継に出現したのが、この「近代の超克」。
▼昨日の新聞・太陽報の一面トップに経済学の鬼才で米国での脱税とシアトルでの偽骨董販売で起訴され国際手配中で中国国内に潜伏中の張五常教授が偽骨董販 売について買い手と賠償及び訴訟費用のUS$55万支払うことで和解成立と報じる。HK$7100万の収入の申告漏れなど13の罪で起訴され最高刑期83 年、追徴金US$475万は依然解決するはずもなく潜伏は続く。それにしても経済学でノーベル賞候補とも言われた教授が偽骨董品販売とは避けない話。商品 価値の盲目ぶりを地で証明してみせたのか。中国は米国との犯人引き渡し協定なし。教授は深センの高級マンションにお住まいで国内の空港利用ではVIP通路 利用の厚遇。


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