十月三十一日(金)曇。毛唐の知人に"Happy
Halloween!"と挨拶され何と答えていいのかと言葉一瞬失ふ。"Happy
Halloween!"とただ言い返せばいいのだろうが余は偏屈者にて上辺にてさう付合えず。毎年書いていることながら古来ケルト人が死神Samhain
讚え死者の魂が家に帰るとされ新しい年と冬迎える節句にてキリスト教に取り込まれ万聖節となる。放牧されていた家畜を寒さに備え畜舎に入れる日。それが彼
の国において何事でもそうだが深き根拠削ぎ落とし純粋ショーアップ化され今日のハロヰンとなる。祝う者もその由来を知らず。彼らがハロヰンを祝ふは勝手な
がら聖誕祭同様に世界中キリスト者ばかりであるが如く誰彼かまわず祝祭されるとどう応えてよいものかと躊躇せわるを得ず。我は節分の豆撒きを、モスリムも
Ramadanの断食を毛唐に強要せず、仏誕節も佛の恩徳を信ずる者だけで祝ふ。支那人とて中秋の月を蛮族に勧めず、それは敢て嫌味でいへば「この月の美
しさに酔ふ」感性もつ者は高貴にて蛮族どもに月を愛でることなどできぬものといふ偏見があるやなきや、いずれにしても文化なるものはさうして他との差異化
と独占にて生まれたもの、キレイにいへば「全て奥ゆかしく信ずる者の内に秘めたり」。それに対して彼の国の彼らには寧ろ他者への偏見なき由にて悪気なく純
粋に"Let's
enjoy Holloween
together!"といふ気概。その無邪気さこそ理屈とかなき故に実は難儀。これまでその無邪気さに世界が合わせきたのだが、それが世界中喜怒哀楽を共
にするといふ誤謬に繋がり、何故に自らがイスラム原理派から敵とされたのか全く理解できぬほど、ただ相手が悪い奴だからだ、といふ結論に到るようになり
ぬ。ドナルド=ダックらが南米に悪い奴を退治に行く漫画から今日のブッシュまで全てがそれ。ふと思へば故・笹川良一先生は「世界は一家、人類皆兄弟」と仰
言られていたが価値観が一緒とは言っておらず、家族兄弟とて肉親にありながら考え方など異ること常にて仲違いや不和あり「それでも親兄弟だから」協調して
いかねばならぬのがこの世である、といふことだったのか。何事においても十人十色であるべき哉。己れには解せぬこと多し、であればこそ興味津々楽しきもの
なり。キョービの風潮はそれを忘れまるで世界が一つの体系、価値観にて動いているが如き誤謬あり、それに基づく意思の疎通の不和なり。ふと思いだすは数年
前の冬にタイのリゾートに遊んだ折ちょうど聖誕節に当りホテルの従業員がサンタクロースの格好にて各部屋をまわり心ばかりの、と小品を配って歩き、余はそ
れに起され寝惚たまま部屋の扉を開ければ"Merry
Christmas!"と言ふ笑顔の少年は自然とタイ式にて胸元で合掌。思わず余も合掌。これは仏式なり。何故に阿弥陀佛を信ずる者同士が基督の生誕を祝
ふのかグローバリズム下の甚だ奇妙な光景なり。つまりこれはユニバーサルな(普遍的な)ものへの転化に非ず、ただ強大な権力有す一つの<体系>への画一化
に他ならず。晩に4年前に帰邦されたY氏来港し同郷のS氏、A氏らとY氏在港の頃は未だ知る人ぞ知るであった北角渣華道街市の東寶小館。六時に訪れれば予
約満席にてどうにか隅の卓宛てがわれるが晩餐の遅い香港にあって六時半も過ぎれば見事に満席にて唖然。予約とれぬ客が企ったまま卓の空くを待つも数組に非
ず。そこまでして食すほどの料理供するかといへば甚だ疑問ながら興味深きことは年若き客ばかりにて邦人この肆を好き好んで訪れる理由は街市の熱食中心香港
に数余多あれど街市に慣れぬ邦人とて安心して気安く入れるは此処ばかり、それ故に流行るが実はそれは邦人ばかりに非ず香港とて年軽の衆にはもはや街市の即
席など普段は不潔なる場所にて訪れることなく此の東寶小館であるとかHappy
Valleyの黄泥涌街市であるとか極めて清潔にて凍えるほどの冷房完備、街市といふ場所の疑似体験を得られるものなり。年嵩の入った人に言えば今さら何
を好んで街市などで食事したいものかと言ふ。冷房の寒さ我慢できず街市附近にて寒さ凌ぎの衣服探すがわずかHK$20とて好みの服あらず、ふと思へば
Trailwalker主催するOxfamの事務所に近く訪れ今年のTrailwakerのTシャツ購い重ね着し寒さを凌ぐ。食後独り北角の波止場を閑
歩。曾ては九龍に渡る要所にて賑わい活け魚など売る屋台並び盛況を博すが今では波止場を囲むように建った公共団地も老朽化にて「再開発」となり住民立ち退
き取壊し待つのみにて、つい一ト月程前にはまだ現役にて余が写真に収めた郵便局も既に廃虚と化し、スケー
トボードする子供らの跳板の軋音ばかり侘びた鉄筋に響くを聞くも亦寂しきものなり。鉄条網にて蔽われた団地の隙間には徘徊する野良猫に餌を誰かしら供し寂
しく餌喰う猫を眺め、すでにひとけなき北角の市場街より深夜のバスにて帰途につく。
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北角書局街にあった北角郵便局(富柏村撮影)2002年8月
窓両側についた冷房機と木扉上のシャッターが邪魔だが、それ以外は70年頃の小規模郵便局の原形を留めている。 |
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北角琴行街にあったモダンな集合住宅(富柏村撮影)2002年8月
50年代からの所謂「難民アパート」や60年代末からの公共住宅とは趣きを異にする集合住宅。建築年代は不明だが同潤会アパートのような重厚さが漂う見事 な建築。 |
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取り壊された北角邨(North Point Estate)中大樓のG階廊下(富柏村撮影)2002年8月
大理石とまではいわないが磨きあげられた石床、壁のタイルの装飾など解体されるのが惜しい。大陸からの著しい避難民流入で香港の人口が激増し、その対応と して応急で建てられたとは思えない見事な作り。今日の公団住宅の陳腐な安普請とは比べ物にならず。 |
十月三十日(水)春の如き高温多湿の雨模様なり。日記に天気のことを書き留めるは日本に多きことと誰
だかの日記にあり。気候が単調であれば確かに日々天候のことなどいちいち綴るまひがここまで世界的に異常気象になると豪州やカリフォルニアの民とて天候を
綴るようになるのでは?と思ふ。荷風散人、震災ですでに失いしものあり昭和に入り醜悪なる東都に嫌気さし心は震災前の江戸情緒ありし頃にと遷るが余もまた
世の中の余りの怖さ加減にただ自らの趣きの世界へと霊友会ではないが「いんなーとりっぷ」してしまひさう。吉田秀和氏が「今ごろになって」幻のワーグナー
の10番を聞いてそれにブルックナーの9番のような感動を示し第一次世界大戦後のドイツ絵画に耽ると朝日の音楽展望に書いており、いったい今ごろ何を19
世紀末かと思えばキョービの世界に対する恐怖感、と。せめて己だけは自律あるのみ、と思ふ。Happy
Valleyの夜競馬パッとしたレースもなく贔屓の馬も出ず雨模様にて競馬場に一旦寄り馬簿のみ購い帰宅してバランタインの17年など飲みながらのテレビ
観戦は案の定黏りひどく終盤レース荒れて中盤までの儲け擦ってお終い。
▼国体にて開催の高知県天皇杯逃す38年ぶりの快挙。先帝御容体変調を来してより御崩御まで皇室担当として
NHKにて報道に当り平成になり高知県知事となった橋本君敢えて「天皇杯という仕組みはスポーツの大会にはふさわしくない」といふ事実に言及、この天晴な
る高知県の英断を最もお慶びになるは正しく当今の天皇陛下にあらさせられるはず。
▼岩手県遠野出身のS嬢と語るなかで柳田『遠野物語』を発端として(柳田
にとっては実際には遠野でも何処でもよかったのは?といふ気がするのだが)遠野といふ町がその付加された<遠野>といふイメージをいかに体
言いくのか<遠野の遠野化>、見つめられることで意識して見られる自分を装っていく、というその課程をまとめた研究書はないものか、と。遠野駅前に『遠野
物語』の記念碑が設けられたのが70年代だそうで遠野を遠野物語の故郷として観光地化させようという意図がありありとわかりました、とS嬢。その頃はちょ
うど国鉄のディスカバリージャパンの時代か。東スポに「河童を見つけたら1000万円」というのが載り遠野テレビというケーブルテレビの企画なのだが結局
のところ市役所の試みで遠野市民として恥ずかしい、とS嬢。
▼SCMPにてKevin
Siclair氏の論評より。新界西貢の人口僅か30名の僻村にむけてHK$28.5m(4億六千万円)か
けて上水道建設、と。20年ほど前に計画され当時はまだ数百名の住む村にて過疎となったが政府は当時から計画を順にこなし、過疎のこの村が順番と。日々是
善政(嗤)。
▼民主党石井代議士殺害『週刊朝日』では
本誌記者が石井代議士と最後に会ったのは10月23日のことだった。議員会館ですれ違ったとき、「いい話が
あるんだ。書いてよ。これは間違いなくでかくなる話だから……」と耳打ちしてくれた。「その話、でかいけどまたヤバイ話じゃないですか」と冗談で返すと、
「まあな、俺、ヤバイことばっかやってるからな」と笑って答えた。実はその数週間後にも、こんなことがあった。別の記者が民主党議員の秘書から、「石井先
生のところに政界を震撼させるすごいネタが入ってるみたいだ。当たってみると面白いかも……」と聞かされたのだ。記者が石井氏に当たったところ、「まあま
あ、そう焦りなさんな。いま証拠固めの最中だから。いずれ時期を見て国会で質問する。そのときは連絡するよ。これが表沙汰になったら、与党の連中がひっく
り返るような大ネタだよ」といって、たばこをぷーっとふかした。
かりにそれが本当だとしても自民党「だけ」のスキャンダルならもっと揉消しにもっと「懸命な」手段もありま
せふ。与党間しかも下半身絡みのお下劣醜聞か、なんて察しもしたりして。
▼国家としての被害を大国こそ忘れぬ(このフレーズ、卓見と築地H君に讃
められコソバユし)のに対して日本のこの健忘症的な感覚、米国が真珠湾攻撃に対する反日感情に比べ広島長崎の原爆投下につき反米の声を聞か
ず。右翼の「反ソ」ももう遠き昔。築地H君曰く「反米意識が冷戦構造のなかで政治的に隠蔽されてきたのかと思ったらそれは逆で反ソ感情の方が人為的に作ら
れてきたものだった」といふこと。何故にここまで日本は「昔ヒドイ目にあった」ことについての拘り希薄か。和を尊ぶ民族だからか、と言いつつ実は母国にも
ヒドイ目にあわせられてれば敵意も外敵に向かず、などといふ皮肉な見方ができるかもしれぬ。それが具体的に戦争でありその責任が何処にかということには敢
て日剩には語らぬが。ただどんなことがあっても親御に罪をきせぬといふのが美徳。実はただ何も考えておらぬ、のかもしれぬが。何も考えておらぬとしたら彼
の国も大統領のその浅はかさ見るにつけ「何も考えてない」おらず英国の如き老成した国家とて労働党党首がその米国追従する始末。世界的に「何も考えてな
い」が主流となってきていると思うと日本は「何も考えていない」ことで世界の潮流の先端をいっていたのかも。話は80年代に流行った「日本こそポストモダ
ンの最先端」みたいなとこに戻る、とH君。なにせ彼の国が「投票用紙のほんのちょっとの複雑さすら理解できぬ民度で」ブッシュを選んでし
まった1年前から我が国はすでに鮫脳味噌氏を首相に頂きたり。
▼再び2chについて。現実の社会のコミュニケーション経験に乏しき乏しき輩が2ちゃんねる的な「世論」が
世の中のホンネだと勘違いするのが怖い、と築地のH君。殊によしりん信者の如きプチ右翼。勘違いならまだよいが実際に「朝鮮人や左翼や部落民は皆殺し
だ!」なんて(主張できるかどうかは別として)キーボードを打てる者がけして絶対少数でないことも事実。そのテの「言論」はこれまでどんな三流新聞であろ
うと掬いきれず。せいぜい公衆便所の差別落書き。その言論と人間性による淘汰作用によって人類の歴史上隠蔽されてきた「卑しいホンネ」が2chによってが
ついに表舞台に立った?ということも推論可とH君。人類の滅びるのも近いか。南無阿弥。
十月二十九日(火)曇。この季節には珍しく今にも一雨ありそうなどんよりとした雲立ち篭めるなか早朝
に北角英皇道を抜ければ香港殯儀館門前に供花いつにもなく多く記者ら多く群がり誰人の葬礼かと思えば先日癌にて五十余歳にて逝去の歌手・羅文。新聞に目を
おとせば昨夕より告別始まり香港の黄金時代象徴せし歌聖の逝去に芸能ばかりか政財界要人まで参列と。弔報的に綴れば「70年代香港が経済的にも高度成長始
めた頃にデビューしその歌は当時の香港市民を勇気づけ香港の成長とともに羅文の歌があった」「芸能界を象徴するような華やかな歌唱と舞台は実力派歌手とし
て多くの市民を魅了しつつ、二十年前に全裸写真を発表するなど話題性に富み、発病後も同性のアシスタントが公私にわたり面倒を見て、生涯独身を通した」と
でもなるのか。財政長官・梁錦松が経済低迷のなか曾ての香港が苦労した時代に懸命に生きた市民を描いた人気テレビドラマ『獅子山下』を取り上げ今日もその
活力を!と(そういう精神論より経済対策を!)宣い、このドラマ再放送され、その主題歌が羅文。すでに癌発病し治療の最中にあったが羅文リバイバル。日本
でいへば加山雄三か、ただし広東省の貧家に生まれ香港に移住、苦労して歌手になりといふ点では若大将より北島サヴちゃんや森進一的に演歌っぽく、薔薇の花
に囲まれプレスリーなみの派手な衣装と豪華絢爛な舞台といふ点では美川憲一、でとどのつまりはは森進一的に芸能界デビューした美川憲一風の妖しい青年が丁
度高度経済成長のなかで加山雄三的国民的ヒーローとなり谷村新司のように私は大御所正統派歌手然として芸能界に君臨し、不治の病で逝去、永遠に惜しま
れ……と、まさに<芸能>の王道。と書いておいてジムでこのまわりくどい喩えに替わるものは……と思ったら、そう「美空ひばり」なのだ。その歌い手が亡く
なることで一つの時代が一緒に終わってしまふくらい存在感がある、まさに羅文は日本でいへば身空ひばり。今和次郎『新版大東京案内』上巻読了。上巻は考現
学といふより東京を最もよく知る先生がさらりと書いた観光ガイドの如し。今和次郎ほどの東京通は江戸っ子と今日まで思っていたが実は弘前。『江戸から東京
まで』の矢田挿雲も佐賀の人。忘備録的に書き留めておけば、東京の顔のようなデパートであるが震災までのデパートといえば三越と白木屋を双璧として松坂屋
(上野)、高島屋(京橋)、松屋(神田)、大丸(丸ビル)、武蔵屋(四谷)の七軒。三越に並ぶのは高島屋じゃなく白木屋といふのが意外。高島屋は日本橋で
なく京橋。大丸は丸ビルが出来て京都の老舗が東京進出。これが震災のあと丸ビルの大丸が丸菱となり(戦後はまた大丸)、四谷の武蔵屋が倒産してこれが新宿
の京王ビルに移り(現在の京王デパートの前身)、松屋と松坂屋が銀座に進出、新宿ではほてい屋と三越の支店が競合し、伊勢丹はまだ昌平橋に開店したばか
り。また劇場では新橋演舞場というのは今では松竹の経営で場所も東銀座から築地に向う途中にあるがもともとは名の通り新橋にある演舞場であり、新橋芸妓の
かせぐ玉高から見番へ積み立てた所謂「刎ね銭」を資本として建てたもので年に三度、芸妓一同が出演して東をどりが褒貶だったのもそれが芸妓の総見であった
から。それと今和次郎はかなりのグルメだったようで「味覚の東京」で紹介する肆々はといへば
料理屋 柳光亭(浅草)、八百善(築地)、星ケ丘茶寮(山王)
天麩羅 天金(銀座)、橋膳(新橋)、高七(魚河岸)、中清(浅草)、伊
勢卯(日本橋)
お座敷天麩羅 錦(京橋)、三好野(赤坂)
鰻 竹葉(新富町)、大和田(麻布)、大国屋(霊岸橋)、小満津(京橋)
寿司 帆か
け鮨(銀座)、与兵衞鮨(両国)、毛抜鮨(住吉町)、幸寿し(京橋)、蛇の目(新富町)、美佐古(四谷見附)
蕎麦 薮(連雀町)、更科(麻布)、万盛庵(奥山)、蓬玉(池ノ端)
豆腐 笹の
雪(根岸)
おでん 丸梅(四谷)、まるぎん(神田)
小料理屋 加六(銀座)、岡田(銀座)、赤あんどん(日本橋)、左近(銀座)
お手軽料理 江戸銀、赤ひょうたん、花むら
牛鍋 松喜(銀座)、三河屋(四谷)、今清(よし町)、今文(神田)
鳥料理 末広(銀座)、都鳥(池ノ端)、なると(溜池)、金田(馬道)、
喜仙(銀座)
とろろ料理 むぎとろ(湯島)、まりこ(赤坂)、たごと(日本橋)
上方料理 錦水、春日、浪花家
京料理 瓢
亭(赤坂)、伊勢忠
西洋料理 精
養軒、東洋軒、中央亭、宝亭、帝
国ホテルグリル、ボストン(赤坂)、オリンピック(銀座)、富士アイスクリーム(銀座)
カレーライス 中村屋(新宿)、晴湖(銀座)
素人洋食 隠豪家(京橋)、翁(日本橋)
支那料理 山水楼(日比谷)、晩翠軒(芝)、陶陶亭(日比谷)、偕楽園
(日本橋)、もみぢ(赤坂)、上海亭(銀座)、芳蘭亭(築地)、雅叙園(芝浦)
その他 揚出し(上野公園下)、精進料理吉見屋(浅草)、みやこ(浅
草)、どぜう越後屋(駒形)、すっぽん料理まるや(日本橋)、栗めし角伊勢(目黒)
浅草海苔 山
本(日本橋)、山形屋(日本橋)
佃煮 佃茂(佃島)、田中屋(佃島)、玉木屋(芝)、宝来屋(銀座)
果物 千疋
屋(銀座)、万惣(神田)、高野(新宿)
甘味 饅頭の塩
瀬、練羊羹の藤村、甘納豆の栄
太郎、干菓子の虎屋黒川、金つばと栗饅頭の青柳
最中 鮹松月、壺屋、うさぎや、空也、塩瀬
洋菓子 不
二家、三河屋、風月、和泉屋
チョコレート 森永
団子 芋坂だんご(日暮里)、夫婦だんご(松葉)、言問団子(向島)
大福と金つばは東京中の名物なり、
……と。青字は余が食したことある、或は今でもある(はず)の肆。他にもあればご教示下されたし。こうして綴っているだけで銀座
の竹葉で鰻、根岸の笹の雪で豆腐、銀座のはち巻岡田で一酌と夢心地。富士アイスは荷風散人が贔屓。鳥料理で池ノ端にて都鳥とはいかにも情趣ある名。とろろ
料理のむぎとろとあるが新宿東口にあったむぎとろとは別かどうか。
▼朝日新聞のしりあがり寿『地球防衛家のヒトビト』、合州国の一国至上主義を表すunitarianism
といふ言葉を「ユニラテ……ラリ」と難しいねぇとボヤくのは地球防衛家ばかりでなくホワイトハウスの執務室にももう一人、と(笑)。ブッシュ君がこれを言
えぬという風刺はブッシュ君のオツムの弱さと実際に米国ismの当事者でありそれが他を否定している至上主義であるといふ理解すらできぬという二点あり、
秀逸。ユニで切ってしまうと言いづらいが新教の一派であるユニタリアンの人々の主義でありismをつけずユニタリアン、ユニタリアンと念じておればそれに
ismをつけるだけで発音も易し。純粋なる一神派にてエホバの神が神であるからにはイエス=キリストの神格を認めず。さういふ意味ではキョービの米国の専
制主義は神の尊厳さをも恐れぬ独裁にて正確にはユニタリズムといふにもおこがましきものなり。
▼カリブ海を望むリゾートホテルのプールサイドに白いシャツと黒いズボンの老給仕たち並び何事かと思えばホ
テルの給仕に非ずAPECなり。香港より董建華君出席するが紛いなりにも現在かもしくは過去に民意にて選ばれた政府を代表する元首もしくは総理のなかに実
質的官選のたかだか地方都市の首長がいる矛盾。矛盾といへば保安局長葉淑儀、基本法23条による国家安全法の立法について国家転覆を罪とするなら中華人民
共和国成立は如何に?と問われれば「革命は天に順ひ人に應じ人民の支持あり」と肯定。司徒華「それなら当時は万民の支持あった文化大革命も肯定か」と一
笑。民主主義については「民主主義は万能ではなくヒットラーとて民選にて総統となり700万のユダヤ人を殺害」と葉淑儀は答えるが同じ民衆の支持でも中華
人民共和国は肯定されヒットラーは否定され、二、三百人の学生が自分を非難したところで31万人の会員を有する工聯会(当然、親北京派)の広汎なる23条
支持がある、と反論。厚顔無恥とはまさにこの人。厚顔無恥といえば中国の錢其深副首相は香港での23条反対について「23条に反対する人には心に鬼(悪
魔)が棲みついているのでは」と発言。中国の曾ての名外交家も老いてボケたか。
▼加藤周一氏『夕陽妄語』にて「北京の秋」なる一文。日中国交正常化三十周年にて加藤先生も訪中、北京飯店
より天安門前広場、長安街を眺め(この景観は遅ればせながら本20日の日剩附近に写真掲載す)ホテルの樓上に登れば碩学の目には長安街が長城を越えてはる
か絹の道に連なり大陸の空間全体を貫き、市街を一望すれば北京ばかりか中国が、更には東アジアがよく見える、と。碩学曰く大国の条件とは「その国民の意識
のなかに直接自国の利害に係ることばかりでなく世界のどこで起きる出来事に対しても関心があり意見がある」ことで「すなわち世界を他国の眼を通してではな
く自らの目で見ようする習慣がある」もの、と。例をあげて「米国のタテマエは世界のどこにでも民主主義と自由市場を求める」ことで「中国政府は原則として
世界のあらゆる状況について主権の尊重を説き「覇権主義」に反対する」ことで普遍性に基づく主張は大国の条件の一つであり、その意味で米国は大国であり中
国も少くとも潜在的な大国、と。その中国が「新しい世紀の初に扱うべき問題の優先順位の第一」として「歴史認識」を挙げ、「侵略戦争の過去を日本社会がど
う見ているのかという問題」があり「武器を携えて他国に浸入し百万単位の市民を殺傷すれば加害者は忘れようとしても被害者は忘れない」のであり靖国神社の
公式参拝や大東亜戦争弁護の教科書の公認やくり返される政治家の失言は「その問題を解決するためには貢献しない」もので「憲法九条の改定と軍事同盟は無
益」と碩学。その通りだが敢て付け加えれば「加害者は忘れようとしても被害者は忘れないが、その被害者じたいが大国であった場合、殊更」大国としてそのよ
うな忌まわしき過去は忘れまじ。日本に侵略され市民虐殺をされた中国であり本土攻撃を受けた米国がそれ。徹底した対米戦争を続けながら戦争が終れば反米感
情もなき日本や越南は小国といふことか。
十月二十八日(月)曇。百年ぶりにジム。
▼医学界早已証明「手淫不是悪習」、但湖南省十五歳郷村少年姚勇、認為手淫影響他的読書成績、竟同時用四把
利刀「自宮」、将自己的睾丸、陰嚢全部割掉、図戒手淫習慣。割生殖組織無法尋回以「自宮」令自己専心読書的姚勇、出生於湖南臨豐県一個貧農家庭、性格内
向、但是十分用功読書、升初中後、一直有手淫習慣、到了中三更因功課圧力、加上性知識貧乏、手淫已到不能自抜。今年中、姚勇投考師範学校失敗、認定是手淫
影響、令他不能集中読書、想了二十多天後、上月二十六日晩将自己鎖在房内、拿出四把刀「引刀一快」、割掉自己的陰嚢、睾丸等、唯余下陰茎。割掉組織沒尋
回、接駁手術做不成、医生指姚不會再有性欲和生殖能力、姚説:「我不是要自殺、只是想通過這方法擺脱手淫的因擾、把精神集中到学習上。」……科挙に受かる
前に宦官になってしまったといふ支那らしき話なり。
▼民主党石井紘基代議士殺害、犯人の右翼人士の直接の殺害原因は金策に困りアパート代払えず、の無心とそれ
を断わられての犯行と。まだ政治思想の背景に基づく暗殺のほうが「話せばわかる」か。セセコマシイ時代となりぬ。
▼築地H君とは歌舞音曲の話ばかりでもなし。数日前に2chの話題となり石井代議士のスレッドにても社民連
を社会党と勘違いし社会党なら殺されても当然といふような発言まであり、どうしてスレッド立って暫くは面白い発言続くがすぐにどうしようもない罵詈雑言に
陥るのか、と。面白くなるネタを淘汰してしまふ世界。これにH君進化心理学者の書いた性淘汰の本読んでるいると便りあり「人類の脳の異常な発達は配偶者獲
得の競争から生じたもの」という説あり「通常の自然淘汰の過程では脳がここまで過剰に巨大化するリスクに耐えられず子孫を残せ」ず現に人間以外の種ではそ
うなっている、と。しかも利他行動であるとか楽しいおしゃべりとかユーモアあふれる会話とか心やさしいふるまいとか気高い精神性というのは(我々はまさに
それを<文化>などと呼んでいる)「生存にメリットはなし」で「寧ろ常に利己的にふるまうことが生存上有利」で「メスから好意をもたれるために人類はその
ような能力を発達させて」つまり「わざわざ損になるような利他行為やカロリーコストのかかる大脳のはたらき(言語能力)を行えるというのはそれだけ身体的
な適応度が高いという」で「金持ち喧嘩せずというか生存が精一杯の個体はとてもそれだけの余力がない=適応度が高くて余裕があるから不要な能力が発達」
と。これは孔雀の尾羽などに見られる「ハンディキャップ理論」。一方、オスだけでなくメスも会話によるコミュニケーションによってそのようなオスを判断し
なければいけないので同様に脳が進化し「言語能力が高くて人間性の豊かなオスは生存適応度も高いことが予想される→メスにとって魅力的なオスに見える→そ
ういうオスは配偶のチャンスが高く子孫を残す可能性が高い→遺伝的にそのような能力の高い子が生まれる→その子もまた子孫を残せる可能性が高い…という
ループが成立し短期間で大脳の飛躍的な発達と言語能力と人間性が獲得されていった」と。そういった環境から見るとH君曰く「2ちゃんねるの場合やはり「相
手にどう思われてもかまわない」というところが言論の質の低下を招いた」のであり「話し手(書き手)が聞き手の反応を忖度しないので言論を向上させる圧力
が生じ」ず「正のフィードバックを生むループがここで切られてしま」った、と。なるほど。敢て危惧を語れば「言語能力とヒューマニスティックな精神性とは
互いにフィードバックしながら発達してきた」ため2ちゃんねる的なコミュニケーションは「言論の質が落ち」つまり「人間性の低下も招くこと」もある、か。
「たまにいい流れができてくると必ずいいところで「荒らし」が入ってメチャクチャになり」「これは言語能力や人間性の低劣な個体が自分より優秀な個体のプ
レゼンテーションを妨害して相対的に自己の欠点を補正している」こと。実生活でこういうことをやればその行為自体がマイナス評価されるが2ちゃんねるなら
平気=また別人になって登場すればいい、という世界。H君推論するに逆にテレクラとか出会い系は「言語能力を総動員した騙しと騙りのせめぎ合い」なわけ
で、しかもその交渉を成立させて最終的には「ヤル」という目標に到達せねばならぬ。それと対峙する、この、最終的にはその「性行為といふ最終的な目標とし
ての」エロを「抜き」でここまで発展したメディアとして2ちゃんねるは興味深し。それでも「発言したい」「表現したい」という欲求はまさに人間だけに神よ
り授かったものか。余はどうしても天麩羅蕎麦を「抜き」で食えず、高橋義孝先生のように「抜き」で食せることが文化かと思えば、つまり余は文化性に乏し。
十月二十七日(日)曇。晝に山頂に居を構へる某氏邸にて庭にて宴席あり参与。晩に曽利文彦監督作品『ピンポン』看る。窪塚洋介君の『GO』ヒットし窪塚君の新作ということにて香港にて上映。香港の俳優李燦森出演。李燦森といへば陳果監督
『香港製造』にて路上のチンピラ少年スカウトされ映画デビュ。それにしてもこの映画は香港にては流行らず。基本的にこの映画が香港にて掛かることなど想定
もしていなかったから単に卓球=中国、であるから脇役として卓球王国からの輸入選手を必要とした「だけ」であり、だから上海出身なのにコーチと広東語にて
会話する、といういい加減な設定でも良かったのであり、しかもその名前が孔文革と大変失礼な名前、しかも中国ナショナルチームのいくら「おちこぼれ」選手
とはいえ再起果たすためにやってきた日本で窪塚らに負けることが筋書で与えられたキャラクター、中国人からしてみたら不快以外の何ものでもなし。窪塚君最
近はすっかり憂国俳優らしいがこの映画にては惚けた味を出すが、ただこの主人公の英雄願望の強さは窪
塚君の最近の精神世界に近いものこそあり(ちなみに窪塚君のお好みはサ
ンマーク出版)。ARATAだ
の萬屋など脇の若い役者も好演。竹中直人の卓球部コーチ役でのジャ
ニー喜多川を真似た演出、あれは誰のアイデアか、竹中自身か、クダラナイがだから可笑しい。香港にても竹中直人が画面に映っただけで客席から今度
は何を見せてくれるか、と、何をといっても「あれ」しかないのだが演技前から笑いがおきるのも竹中世界。萬屋といへば映画初出演。従兄弟が当代の歌六、時
蔵であり叔父に故・錦之助や中村賀津雄、つまり祖父は三代目の時蔵にてその兄が初代吉右衛門、弟が勘三郎。その獅童君はもっと線が細い気がしたがこの映画
での役柄もあるが当代でいえば高島屋(左団次)の担うような役を後継してゆくべきニン。白波五人男でいへば日本駄右衛門か南郷力丸、石川五右衛門、助六な
ら鬚の意休、源平布引滝で瀬尾十郎、忠臣蔵なら九段目で加古川本蔵、車引の時平とか。
▼競馬にてちなみに昨日Dashing Winnerを進路妨害にて告訴し一着を掠取りたるThe
Achiver (B347)
小癪ながらフジキセキ産駒にて10月1日のR67(四班1200m)初戦で9着してこれが第二戦。香港にてサンデーサイレンス系の活躍としては期待したい
ところ。Breedres
Cup ClassicはVolponi(Jose Santos)が50/1で一着、Hawk Wing(5/1)とWar
Emblem(3/1)は七、八着と酸敗。同じくTurfはKinane騎乗のHigh
Chaparral(8/5)Golanは六着。天皇賞は一番人気テイエムオーチャンを外すとことまでは出来たが一着はシンボリクリスエスでサンライズベ
ガサスとエアシャガールは三、四着。
十月二十六日(土)快晴。競馬日和。朝より慌てて予想。香港は珍しく週末のHappy
Valley、C氏の新馬Dashing Champion、R1(1200m)に初陣。本日はC
Courseにて1枠のこのDCに期待。競馬日和は香港のみに非ずRacing
World SeriesではメルボルンはCox
PlateありKersleyのNortherlyかDettori騎乗のGrandera。Arlington競馬場ではBreeders'
Cup開催でClassicはWar Emblem(Espinpza)かHark Wing(Kinane)でしょうか。Breeders'
TurfはGolan(Fallon)に期待。北京にて購う「行雲游水」の掛け軸、居間に掛ける。晝より競馬。競馬場に滑り込みR1にてDashing
Champion、これはいくぞといふ予感。李格力君苦手な出走を上手くこなし飛出そうとする馬を手綱捌きもよく三着につけ第四コーナーでちょっと外に出
たがどうにか持ち直しThe
Achieverを抑え一着。初戦にての殊勲喜ぶが二着に入ったThe
Achieverの騎手Quinn君最後の直線での進路妨害をネタに抗議し抗議成立してしまひDashing
Champion二着に甘んじる。が、充分にその実力見せたり。しかし騎手は李格力君にてよいかどうかは疑問。途中、豪州のCox
Plateの中継録画の放映ありNortherly素晴らしいレース展開。DettoriのGranderaもやっぱりあの位置から三着にちゃんと来るの
はさすが。予想的中、やったね、次はBreedres'
Cupだ。モニタにてこのレース見ていたら、隣りでやたら豪州のレース事情に詳しくいろいろ話している夫人おり顔見たらSize夫人(笑)、そりゃ詳しい
はず。本日の冠レースR8保良局百周年記念盃(二班1800m)一着はDanriva、ちょっと躊躇したがやはりG1がAllan厩舎ならその次の冠レー
スはSize厩舎しか想像できずDanrivaとして、レースよりもパドック後方の柱に凭り白けた表情にてレース眺めるSize師、顔を高潮させ
Danrivaの出来に亢奮する女将の姿ばかり眺めていたが、この馬でここまで勝ってしまうのだから敬服。競馬場よりCitysuperに寄ればハロウィ
ン商戦凄まじくハロウィンがいったい何の祝祭かも知らぬ衆お化け祭と勘違い。そもそもケルト人のこの冬を迎えんとする直前の節句、基督教に取込まれ、節操
なき彼の国にて「洗浄され」今日のお化け祭とされた次第、それを無節操に享受するアジアの衆に罪もなきことか。いずれにせよ競馬場より五分歩いただけで汗
ばむこの風土にあり余には係わりなき事。このハロウィン、子供が奇っ怪なる仮装をし家々をわまり菓子の類をもらったりするそうながら、世界には様々な宗教
あることも知らぬ者にかぎって大騒ぎし異教徒にこれを押し売りするもので、その勝手なる様に怒りし異教徒に無邪気な子供が制裁に遇うようなことなきこと
を!。本来ならば大人が子供に世界にはいろいろ異なる文化を抱く衆いることを教えるべきことながら大人とてディズニーとマクドにて育ちたる世代にては基本
的に無邪気にて道理も判らず。それでは子も不憫。かりに拙宅に仮装せし子訪れれば可愛相ながら「ハロウィンって何?」と尋ねてあげることが教育か。子ども
にはそれは厳しすぎるかな。Chateau
Los Boldos'01の白葡萄酒にてZ嬢のミートパイ。NHKの『抱きしめたい』なる芸術祭参加ドラマ視
る。和久井映美、西島英俊の好演あってもやはり余の世代には石田あゆみであり七曲署での刑事定年退職した竜雷太。明日の天皇賞、今季はやはりサンデーサイ
レンス追悼しサンデーサイレンス産駒といいたいところだがアグレスフライト、トラストファイヤー、エアシャガール、アグネススペシャル、サンライズペガサ
ス、ロサードと六頭参戦(汗)、ただこのなかで撰べと言われれば武豊でエアシャガール(森秀行調教師)本
命で、サンライズペガサスを押えか。
▼橋本治ちゃんは本来「やっぱりこの人、ヘンよね」という立場にあるべき人なり。東大生のくせにポップ、素
人のくせにイラストレーター、イラストレーターのくせに小説家、若者文化の桃尻小説家のくせに文芸評論家、評論家のくせにセーター編み、でやっぱりホモよ
ね、この人……とつねに胡散臭い、でも本職よか核心を突いてしまふ、そういう存在であることが「橋本治とはなにものであるのか」の本質なのだけど、その治
ちゃんがあんまりみんなが誤解してるから「もー、わかっちゃいないんだから」って書いた『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』で第一回小林秀雄賞を
とってしまった。確かに小林秀雄に値するだけの評論家なんて橋本治くらいしか平成の世に「残存していない」のは確かかもしれないけれど橋本治は前述したよ
うに、いい意味せ「所詮」○○のくせに△△を演じてるから橋本治なわけで(……と橋本治文体になっているけど)そういう意味では小林秀雄っていう戦後の評
論を背負っちゃった人の名前を冠にした賞を授けられては、つまり「かぶいて」いることが旨味だった橋本治が評論の大家になってしまって、そしたらもう違う
んじゃないの?って思えてならない。実際に本人も受賞会見で小林秀雄がなにものだったのかに興味はないが小林秀雄を必要とした日本人とはなにものだったの
かには興味がある、と「ぽろっと話した」らその場で出版社が飛びついて次はそのテーマで書くことになって早速『小林秀雄全集』が送られてきた、って逸話。
もう大御所。本人も「口からでまかせいうたびに本一冊書かされるはめに陥る。『なにものだったのかシリーズ』を続けなきゃいけない」とまんざらでもないみ
たい。つまんない。やっぱりホモビデオ数十本だか自宅に籠って見続けて誰も書かないホモビデオ評論とかやってみせていた橋本治が面白かった。お笑いの芸人
が森繁さんみたいになったらもうオシマイなんだから、といっていたビートたけしが同じ轍を踏んだが如し。どうせなら『「橋本治」とはなにものだったのか』
を書けば?と思っていた矢先、Z嬢が朝日の小さなコラム見て笑っているので何かと思えば亀和田武が金井美恵子のエッセイ取上げ『一冊の本』にて島田雅彦、
西尾幹二、田中康夫に続き橋本治が金井美恵子に「容赦なくコケにされ」たことを書いていた。橋本治ちゃんが『婦人公論』(い
かにも永六輔に続く男のオバサンが連載書きそうな雑誌だけど)の連載で東京駅のパン万引き男が追いかけた店長刺殺した事件取上げ「五百円ば
かりのことで人が殺せるのかと驚く」「どうしてこの程度の人間が<社会人>として生きて来られたのかを考えて、それを放置してきた日本社会の愚かしさ」に
まで言及。それに対して金井は「五百円くらいのパンだかおにぎりを万引きされたくらいで何百メートルも万引き犯を追いかける店長というのがいるということ
に「変わっているよ」と驚いた」と感想を述べ、橋本といふ「憂国の文化人となった往年のポップスター」(亀和田)に
対して金井が辛辣に「桃尻娘がなんで村上龍にヘンシンするのだ?」と。御意(笑)。本来、橋本治といふ人
じたいが「どうしてこんな人が」という色眼鏡で見られるようなキャラであり「なんでそんなことにそんなに情熱をもって文章が書けるの?」と思われて当然、
そしてその橋本治という存在「それ放置してきた日本社会の面白さ」が語られるべき人。その人が憂国人士となってしまっては確かにつまらない話。
十月二十五日(金)快晴。昨晩三更に久生
十蘭『魔都』読了。奇書と云われるこの物語、江戸川乱歩、横溝正史、谷譲次らを輩出した『新青年』誌に連載された小説にて新刊として上梓されず、
それが朝日新聞社の文芸文庫となったことだけでも貴重。なにゆえに朝日?と思うが物語は夕陽新聞なる花柳界新聞より下に扱われる三流新聞の記者が主人公に
て、何度か小説中にて朝日が一流紙として置かれているが由か(笑)。久生十蘭の荒俣宏に受け継がれる博覧
強記、その語感の好さは痛快なれど描かれる物語とその舞台となる東都が果たして「魔都」と呼ぶほどの設定かというと疑問。物語は奇想天外ながら最終的には
警視総監絡む二大新興財閥とヤクザな土建屋の抗争となり、安南の王様もこの記者もあまり個性もなくなり、帝都も江戸の地下堀とロイド建築の帝国ホテルくら
いが「闇」で今ひとつ。乱歩の描く東都のほうがよっぽど魔都。今和次郎『新版大東京案内』(ちくま学芸文庫)(底本は昭
和四年中央公論社版)読み始める。まさに『魔都』の時代の東都の全貌ここにあり、という記録。
▼ふと残念と思い出したるは長城に赴く際にCDにてPink
FloydがThe Wallを携えなかざる事なり。あのまさに長壁稜線を這う景観にて游ぶ客も数えるほどの寂寥にてThe
Wall聴かばいつたい何を感じたか、と後悔。
▼1967年の中共での文革の影響受けた香港の左派による反英暴動(英国
植民地政府の強硬なる鎮圧あり51名が死亡)や89年の天安門事件など香港にとつて痛ましき現代史、これまでF4、5(日本でいう高校1、2年)の歴史教科書にて記述は70年代まで(但し67年の反
英暴動については歴史として語るには時期尚早と記述除外)だったが2004年から使用されるsyllabusにこういった現代史の出来事が
登場、と。今回の改訂は歴史については当然のことながら97年の香港回帰を含むことが重要にて、そのためには反英暴動、天安門事件を語らぬわけにはいか
ず。ただしこれをどう教えるのか、易しからず。当然のことながら北京政府からの「指導」もあろう。文革の影響を受け香港政庁に対して打倒植民地主義を唱え
た67年のこの騒動は「暴動」とされており、北京政府すら文革を政治的誤謬と認めているのに、この暴動の首謀者の一人であり実刑にて服役すらした
Yeung
Kwongは昨年、その政治的手法は別にて社会的正義感が評価され(?)董建華よりGrand
Bauhinia Medal授与され(嗤)、するとこの67年の騒乱は暴動なのか義挙なのかわからず。
天安門事件にては香港市民が中国民主化を支援しているが汎い意味での愛国心と捉えていいのか。これは23条立法となるとこの中国民主化支援も政府転覆を意
図した有罪行為か。結局のところ政治という装置に支配されている教育においては自由に歴史を語ることはできぬ、といふこと。
▼教育といへば教育基本法の改正に向けた中間報告素案にある「愛国心」という言葉を「国を愛する心」に書き
換え、と(朝日)。
「愛国心との言葉は、偏狭なナショナリズムと誤解される」と(嗤)。愛国心は偏狭なナショナリズムにて国
を愛する心なら広汎なる美徳か?。わからぬ。スワッピングは卑猥にて「夫婦愛を他者と共有する趣味」なら良し、とするが如し。愛国心といふ言葉のどこに恥
ずかしさあろうか。愛国心なる語を国を愛する心などと言い換えて済まそうといふ魂胆すら偏狭なるopportunism日和見主義にて、そんな言い換えを
する輩に真の愛国心などなし!。所詮、その程度の意欲しかなき愛国心。ならば国を愛するなどと宣うべからず。また「新しい時代を切り開くたくましい日本
人」を「心豊かでたくましい日本人」とし、これは「たくましいという言葉だけでは経済的な原理だけを感じる」とする委員の意見を踏まえた、と。委員は唯物
史観か?(笑)、もしくは朝日の記者の文章表現の拙さも考えられるが、いずれにせよ意味不明。それにして
も問題は「逞しい」の文字のどこに「経済的な原理」=経済的な豊かさ?ってことか、があるのか。どーであれこの程度の真意なき言葉遊びしかできぬ輩集い教
育基本法改正とはお先真っ暗。日本の<国家装置としての>教育も終焉に向うであろう。国家装置としての教育が興隆することなどよか、それでいいのだが。
▼大手7金融グループ・銀行のトップ竹中金融相がまとめる不良債権処理の加速策に対し反対と異例の共同声明
を発表。銀行側にも拙い体質こそあろうものの、竹中某の如き政界の男芸者(といふ言葉は芸者に失礼か)政
界の幇間(これも幇間に失礼か)いずれにせよ慶應でいえば加藤寛に象徴される御用学者(そうそう、これ)の現実性なきやりたい放題に金融業界もさすがに従えず。結局、小泉改革といふもの、傷みを国民で
分かち合うだか何だか知らぬが、最も病んだ患者の手術にて患者が治療法がダメとソッポ向いた。では銀行側がみずから処方箋を出すのか。海外は米国からタン
ザニアまでとにかく日本の景気と構造改革にはこの不良債権処理が急務と期待というか絶望の中でその即時実行を求めているのに、この停滞ではますます日本へ
の落胆つのるばかり。無惨。さぁ明日から日本シリーズです、などとウカレている場合に非ず。どうせなら金融代表と竹中チームで野球でもやって竹中勝ったら
その処理加速策に従うとかとでもすれば?
▼香港の裁判所にて裁判で用いる公用語、Putonghua普通話(北京
語)はそれに非ず、と。これは文書にて公用はEnglish
and
Chinese、英語及び中文と書かれており、そのChineseが意味するものは?と問われ、これは広東語である、と。法律など書き言葉としての中文は
問題ないのだが裁判など話し言葉を用いる場合にこれが微妙。とくにPutonghuaを話す者(つまり大陸人)が
係わる裁判が急増しており(91年に4,656件が01年に9,158件)、その需要が高まっているなか
での見解。本来は明確にすべき点なれど広東語としてしまうと本来の口語としての広東語にてはとくに官文としては用を足さずPutonghuaとしてしまっ
ては広東語が用いられる香港には合わず、そういう事情がありわかっていて敢えて「中文」といふ表記にて誤魔化しているのが香港基本法での公用語の規定も含
めた実情。それんしても本来であればラテン国家の如く分裂して当然であるのに、この中文つまり漢文あってこそこの広い大地の民が会話も通じぬのに文書つま
り官報により一つの政治権力によって統率し続けられ今日に到ったと思うと漢文という装置のもつ凄まじき精度を痛感せざるを得ず。
▼民主党・石井紘基代議士刺され死亡。政治汚職を強い姿勢にて追及しテロ特措法に基づく自衛隊派遣の承認案
の採決で党方針に反して棄権、天下りと土建政治の土壌でしなかい道路公団の無駄さを追及し続け特殊法人の見直しなど税金の無駄遣いの監視を続け「国民会計
検査院・国会議員の会」の代表幹事。4月の衆院安全保障委員会で航空自衛隊機入札でスイスのメーカーが落札できなかった経緯について、防衛庁が会計検査院
の検査報告書を改竄してスイス政府に送付していたことを明らかにした、と(朝日)。巨悪魑魅魍魎闊歩する
政界においてマシではないか。これで殺害されるとは昭和初期の如き物騒な世相なり。代議士の殺害とへば90年の自民党代議士丹羽兵助君以来12年ぶり。丹
羽君は陸上自衛隊駐屯地で刺され死亡ながらこれは犯人が政治的背景なき精神異常者にて而も病院での輸血ミスによるもの。ということは殺傷され現場での死亡
は記録に生々しき社会党院長の浅沼稲次郎君以来にて既に42年も前のこと。
▼築地H君によればイスラエル軍による再度のジェニンに侵攻にて、その侵攻理由は「自爆テロの犯人の出身地
だから」と。阿呆か。しかしこのような理由にもならぬ理由が罷り通るが理性なき現代にて、結局のところテロリストがイスラム系であることにてイスラム社会
全体がバッシングされるのとて同じこと。牧伸二と郷里が同じであれば「おまえウクレレで漫才してみろ」と因縁づけるのと同じレベルにて国際政治が動く。
▼同じく築地のH君見つけたる読売新聞のお笑いは(いつも朝日揶揄ばかり
にてたまには読売も)華盛頓での連続狙撃犯逮捕にて犯人二人の関係を「養子とされる少年は、戸籍上の関係はないが、ムハンマド容疑者と交際
のあった女性の子供で、その後2人で共同生活を送っていたという」と(笑)。米国に戸籍制度などなし。戸
籍があるのは世界上で日本、韓国、台湾のみ。戸籍制度がないのだから戸籍上の関係などないのは当然。読売がいいたかったことは「養子とされているが法的に
養子縁組の手続きがなされていない」ということか。また朝日も「私生活では結婚と離婚を繰り返し最後は入国記録のないジャマイカ出身の少年とホームレス同
然の生活を送っていた。すさんだ日々のなかで、何が無差別殺人へと駆り立てたのか……」などと曾ての「テレビ三面記事」の再現ドラマ以下の安っぽい記述。
新聞の質の低下陥る底知らず。このムハマンド君の経歴にある「41歳の元軍人でDVで離婚歴あり」では普通は所詮どーしようもない「白人で太ってて、禿て
るくせに長髪をうしろで縛ってて無精ひげはやしてるみたいな。郊外のバーで毎晩のんだくれて、おっぱいの大きな女にしょっちゅう絡んでて、酔っ払ったとき
の自慢話は戦場でいかに俺様がかっこよかったか、というような話を100万回くりかえしてるような」「トレーラーハウスに住んでて、アル中のヤク中のくせ
に唯一のプライドは白人であるというだけ」(H君)というような輩しか想像できぬが、この過激犯の顔写真
を見れば端正なる顔立ちとその語るに深き視線。そこにいったい何があるのか。「米国の首都ワシントン近郊を中心に犯行が相次いだ連続狙撃事件の容疑者が逮
捕されたことで首都圏に住む約7000人の日本人社会の間では安堵感が広がった」(朝日)とは事実だろう
がこの犯人が捕まっても実質的には彼の国の何も解決されておらず。それにしてもこの連れの17歳の少年もまことに興味深し。ジャマイカ出身で密入国、荒れ
た家庭環境でこのムハンマド氏とホームレス同然の共同生活と続け、今回の狙撃犯行。少年はクラッカーと蜂蜜、栄養剤しか食べることを許されていなかった、
と。それを「極限状況のなかで2人は社会への被害妄想を高めていったのかもしれない」(朝日)とドラマ仕
立てにするのも勝手だが、どうせなら三島先生か17歳の天皇狙撃犯に天皇の行列見下ろしながら性器をゴムで縛ってまでの自慰をさせた「かつての」大江健三
郎なら、これも愛を物語れることだろう。核心はこのム
ハンマド氏とこの少年でね。日本版なら高倉健とかつての岡本健一少年、その母に太地喜和子か。それにしても彼の国ではこの17歳の少年を州によっ
ては死刑にできるそうにて(華盛頓府は終身刑)正義の名の下にどう裁くかが焦点、と。
十月二十四日(木)快晴。T97次列車は夜中に長沙を過ぎ朝七時には広東省へと入り韶関に停まるがそ
れも知らぬまま列車の揺れとレールとの軋音心地よく更に昨晩の白酒(日本の雛祭の白酒に非ずバイチュウという54度の蒸
留酒なり)の酔いもあり朝八時まで爆睡。飛行機を嫌い専用列車の旅をされる北の将軍様のお気持ち理解に易し。ここまで先行列車を次々と追抜
き快走続けたこの列車も列車運行本数多き広東省に入ると途端に速度落ち殊に広州より深センの大動脈は高速列車ばかりにては電気機関車が列車牽くこのT97
次も優等に非ず而も東莞(常平)にて中国の出境手続きあり通関のため列車より一旦行李携え出境を通り再び列車に戻る、その手続きに80分停車もあり、韶関
より香港まで350km程を六時間といふ鈍行ぶり。かりに此処をそれまでの快走続ければ北京より香港まで24時間も可。さういへばこのT97次列車、当然
97が示すは1997年香港返還にて北京発香港行(下り)が97にて香港発の上りが98、燕京より香港に下り入るを97としたは当然か、この列車運行開始
の折は時間短縮狙い京九線(北京~九龍)を謳い京広線(北京~広州)に並行して東莞(常平)より南昌、合肥、済南を抜ける縦断鉄路を急遽建設し弾丸列車走
らせると息巻いていたものの結局は香港より北京、上海を結ぶ列車、従来の京広線走り今日に到る。噂にてはこの新鉄路、工事急ぎ地盤工事疎かなれば高速運行
どころか旅客運輸に耐える安全性すら乏しく貨物のみ運行、と。北よりかうして南下すれば華南、殊に広東省は土地肥沃にて産業栄えその裕福さ著しきもの。香
港に晝すぎ定刻に到着。先週土曜北京に出発の折、飛行機にて予想し日曜のマラソン終わって慌てて購入せし馬券、荒れず手堅きものとはいえ購入せし7レース
のうち5レースにて単勝とり残り2レースも亜、李軍と入賞。かういふ時にかぎり購入馬券の単位額低し(悔)。
▼久々に香港の新聞見れば董建華、香港大世論調査に中止圧力かけたりなど董建華の腹心として暗躍せし路祥安
(元・行政長官上級特別秘書)、その不評著しく先の行政長官茶番選挙の折、この公職解き選挙対策任せ、表面的には董建華の船会社・東方海外(一旦倒産しか
かったところを中共資本により再建され董建華は中共に恩義あり行政長官となっても親中であることは当然の結果、そうできる人材を行政長官にせし北京政府の
策略なり)所属と戻したが、董建華にとっては腹心中の腹心にて来年早々には再び特別秘書に任命と。香港政府の公務員信用できず外部より知人畏友招聘し脇を
固める董建華の幼稚さ顕著。
▼親北京『文匯報』の香港基本法実施五周年の記念特集にて基本法委員会委員である譚惠珠(親中派……当然か
(笑)が「基本法23条の立法化に反対するような司法関係者は中国公民にならなくてもいい」とまで発言(唖~!)。「まず民族ありきを理解して民主、国家
ありきでそして香港特区」と。董建華の拙政といいかういつた国家主義といい所詮、植民地根性に培われたる奴隷性以外の何ものでもなし。
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北京~香港のT67次列車の餐車、車内。モダンで
す。美しい。
レースのカーテンのむこうに大地がひろがります。 (2002年10月23日、撮影富柏村) |
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「站」は列車の駅ではなく実は司馬台の長城のケーブ
ルカー站。
站舎の上に纜車站といふ大きな文字看板があり それが晩秋の午後の陽を浴びて地面に投映されました。 (2002年10月21日、撮影富柏村) ワトソン君、キミにはこの画像が虚構であることがわからな いかい? えっ、ホームズ先生、これのどこが……。 站の看板は站舎正面から見えるように字が並んでいるよ、普 通は。 站の裏から見るためじゃないからね。 この站の方角や建物の構造、撮影の位置関係はわからない よ。 でも、こう撮影されるとしたら、だ、ここが重要だよ この撮影者は站舎の屋上にでも上がらないと撮影できない。 屋上で文字の裏側にまわって文字の向こう側からの光で投映 された字だ。 しかし站の屋上に上がるかい? 普通は站の正面入口に立って、偶然にこの影文字を見たとし たら 字は裏返しになる、はずじゃないかね? あっ、そういうことか……さすが先生。でも……。 どうした?、ワトソン君。 でも、先生、どうして中国の漢字が裏表逆だって読めるんで すか? うーん……、なかなかいい質問だね(汗)。 |
十月二十三日(水)曇。朝、ホテルの食堂、ビュッフェの卵料理のコーナーにて初老の日本人、料理人に むかって自らの目を指さし「目玉、目玉」と日本語で宣い、それで通じぬと今度は指で輪をつくり目の前に翳す。せめてフライパンにて卵を割る様でもすればよ きものを。料理人、ヱイターを呼びその「目玉、目玉」の様を嘲笑。さらにこの秘本人のオジサン、連れと食堂の料理のそばのテーブルにて煙草をプカプカ。他 に誰も煙草吸う客などおらず煙立ち込め顰蹙なるも気がつかず。このオジサンと世界とのコミュニケーションの絶対的隔絶。今朝もまた日本人高校生おれば北京 テレビの朝の番組にてJTBが万里の長城の整備にと寄付金寄贈、と。そりゃそうであろう。朝、北京西站。香港まで三十時間の列車の旅。北京西站、世界で最 も巨大な站かしらん。「2000年の」北京オリンピック開催目指したはいいが97年だったかの開業当初は高さ七、八階分だかの吹抜けで天井のガラス落ちた り話題となった站舎。Z嬢と高包(二人用個室軟臥)。蓮實重彦『小津安二郎』読む。一行で済むことを十四行語る蓮實の独特の言回しにこそ難儀すれど蓮實の 言う事のなかで大切なことは「小津安二郎が決して小津的なものにかさなりあうことがないように、日本もまた決して日本的なものにかさなりあうことはない」 といふこと。小津はまさに映画人として映画を撮っただけ。小津映画、日本では全く看たことなかりしものを香港にてこの十二年の間に香港にて戦前の作品では 『突貫小僧』に『生まれてはみたけれど』、戦後は『晩春』以降の殆ど全ての作品を観ていること。そのうえ来春の香港映画祭の特集は小津だそうで、それを聞 くと少なからず他に何か新機軸なきものか?と思うが、どうせやるのなら92年だったかの香港映画祭にて、山根貞男氏が執念にて発掘した『突貫小僧』が初放 映されたように例えば観衆すでに「小津的」なる印象に凝り固まっているのだから現存する最も古き『若き日』であるとか『大学は出たけれど』、『淑女と髭』 そして何よりも田中絹代の『非常線の女』あたり上映してもらいたいもの。小津的といへば周防監督の映画に小津的なエロ作品があったが、例えば「サザエさ ん」の磯野家でのあの物語をアニメのまま小津的にローアングルで捉え、波平「そんなもんだろう」サザエ「そうかしら」波平「そうだよ、そんなものだ」サザ エ「そんなの、私、いやだわ」と茶の間を出てゆくとか(ただし磯野家には小津作品で貴重な空間である「宙に浮いたような」(蓮實)二階がないのは欠点だ が)面白いかも。ただし問題は磯野家のあの家は、茶の間は縁側に向いておらず廊下からのローアングルで狙っても茶の間から小さいながらの庭先といふアング ルが得られぬこと。「腹をこわしているので食べ物を与えないでください」といふ札を背にかけたタラちゃん、胸に手をあて指で何か印を作ったら倒れなければ いけない符号をもつカツオとワカメ、ただ何もいわずそんな家族を眺めている東山千栄子ふうのフネ。いい世界だ。もしくは『太陽に吠えろ』とか刑事モノのド ラマの小津風。刑事部の部屋。壁に掛かった帽子とコート。鼻の脂を指にとり拳銃を磨く刑事たち。事件など何も起きず。ただ娘から縁談を断りたいという電話 を受ける警部。黄昏に新橋は烏森口あたりの割烹の小上がり。久々に旧制中学の同級生との酒盛り。「お電話です」という女将の声に一瞬、事件か、と思うが、 再婚相手を紹介してきた畏友からの返事催促の電話でしかない。ちょっと酔って横須賀線に乗ると、昼間、電話してきた娘とばったり……という刑事ドラマ。 97次特快列車は快適に南下続ける。最高速度135km/hほどにて曾て広州を23時すぎに出て翌々日の早朝に北京についた時代を思えば(というかその列 車もまだ現存するのだが)27時間余にて北京~香港にて広州までなら24時間と六時間速いのは中国鉄路事情を思えば画期的なこと。どこまでも続く中原の平 野。ちょうど綿花の収穫の季節。山羊の放牧。線路に接して多くの製鉄だの製煉だのの国営工場の遺跡。広大なる敷地内に工場の他、宿舎、保育園などの施設。 工場の施設が錆びつき窓ガラスが全て割れ荒涼とした光景に、開放経済と中国の特色ある社会主義のもと収益性のなき国営工場は過去の「異物」と成り果てる。 そしてその綿花畑の向こうに突然バベル之塔の如く二十階建や三十階建ての高層ビルが建ち誇る。沿線の鄭州であるとか武漢であるとかの大都市の話ではなし。 名もなき郷鎮の国道沿いに、である。開放経済にて一獲千金にて当てた地方中小企業が「これぞ」とばかりに建てた歴史的遺物。鉄路にて大陸の京広線を縦断す るのはこれが三度目ながらいつも広州を夜に発って北京に向かうばかりで長江(揚子江)こそ夕陽の映える見事な様を観たものの、しかも85年は食堂車にて麦 酒を飲もうとした時にちょうどこの絶景に遭う。ただし鄭州はいつも夜中にて黄河を渡った実感はなし。今日は初めての南下にて陽が暮れかかった頃に鄭州の手 前にて黄河を渡る。長江に次ぐ大河といふ印象から広壮なる河想を像するが沼地のごとき流れともいえぬほどの浅き川筋がいくつかあるのみ。ただしその川筋の なかにできた泥島の土は一瞥しただけでも肥沃、ましてや河の河岸段丘にこの黄土の大地には珍しき樺茶色といふのか黒褐色の壌土が広がり、なるほど此処に文 明が生まれ商などの古代国家が誕生したのか、と思う。地理の教科書に黄河流域は土地が肥沃とあるが実際にその土壌を見て、而もそこ以外の土地は灌漑でもせ ぬかぎりとても作物など育たぬ荒涼とした乾いた平原が続くことを思えば、全てを納得、百聞は一見に如かず。鄭州の站にて党幹部なのか送迎のためホームにま で乗り入れる自動車。天皇陛下或は彼の国の大統領とてホームは歩むもの、それをたかだか田舎漢の地方都市の「幹部」のこの野暮なる様、否、田舎皇帝ゆえの 粗野か(飛行機嫌いで有名な北の将軍様は如何に?)。個室寝台にて老北京をちびりちびりとやりながら本に目を落し疲れては平原を眺めまたうたた寝、咽喉が 乾けば麦酒飲みと極楽至極。九生十蘭『魔都』読む。電脳は部屋に電源なく洗面室の髭剃用電源にて充電するがさすがに列車よりモバイルするほどの意欲もなし (笑)。 六時を過ぎればすっかり外は暮れ、原野のかなたに沈む太陽こそ何度か目にしたことあれど気がつくと暗闇のなか車窓のずっと下ほう、茶杯の高さの向こうに十 七夜の茜色の月。真っ暗ななか、その高さに月が彷徨い、闇の平原のなかを列車が走ることを実感す。餐車にて車窓より月を褒めつつ一酌。食堂車といへば曾て 国鉄黄金時代、昭和40年代までか特急といへば食堂車あり、よくすでに夜の列車に乗る前に食事は済ませているのに酒を飲みたい父に従い食堂車。特急こだま (新幹線のこだま号に非ず)のパーラーカーとまでは遡らずとも、まだ急行だった頃の「しなの」だったかにはダイニングの食堂車どころか寿司のカウンターな どあり、新幹線は食堂車が帝国ホテルか都ホテルのに乗りたさに一本遅らせたり……。種村氏だったか?食堂車に関する随筆で東北本線の花形特急ひばり号の食 堂車のことを書いており、それで氏曰く栃木路を走りながら蟹クリームコロッケだかを肴に飲む麦酒が秀逸とあり、余は東北新幹線開業間近に親の同伴ではなく 初めて独りでこのひばりに乗りまだ未成年の若造ながらそれを真似て一酌したことあり。その時の上京が武道館でオーレックスジャズフェスティバルだかあり、 ジャコがジャコパストリアスビックバンドにて来日せし時か、はたまたキースジャレットとチックコリアのピアノヂュオだったのかキースのピアノソロ即興か老 いて記憶も遠くなりにけり。夜の十時すぎに武漢(漢口)に着く。ホームには窓ガラス黒塗の高級車乗りつけられ制服組二、三十人おり二、三人の客人の送迎。 列車の時間まで酒樓にて接待盡くし。呆れるほどの階級社会。長江渡る。「滔々」といふ言葉あるが幅こそ1kmほどにてけして広汎ではないがこの河の湛える 水量たるもの、まさに滔々という言葉の意味を納得するもの也。
十月二十二日(火)朝食にとロビーに降りれば某大学の数数多ある付属高校の一つが修学旅行。分別もな き粗野なる十代の腑抜面、親のカネにて旅行に遣られる身であれば宿泊など青年宮で良し。真の教育者であれば学校側も教育にて何を教えることが大切なのか真 摯に考えるべし。青年宮なり学生のための宿泊施設を看ればきっと「施設が貧しい」だの「衛生に問題がある」などといふ感想をもち、それでロビーに「よろず 相談所」のテーブルまで出して若造のために上げ膳据膳にて対応するJTBの配膳にて北京飯店か。東京でいえば帝国ホテルに泊めるようなもの。かりにそれを 赦すならばまずホテルでのマナーなるものを教えるが教育ではなかろうか。弛れた服装、エレベーターにては相手に先を譲る程度の作法。渋谷の路上ではないの である。その粗野ぶりで中国など訪れ修学旅行してもなんら教育的意義などなし。黒い詰襟の学生服も異様ながら、北京飯店に泊まらせるほどならせめて揃いの ブレザーにスラックスくらい学校が用意すべし。行楽日和の好天、北京之秋、司馬台の長城に游ぶ。初めて北京訪れしは20年近く前、それ以来七、八度来京し ものの機会なく故宮すら前回昨秋が初めて。ホテルにてバスに乗り市街のホテルいくつかまわり更に八逹嶺の長城に向かう者と司馬台に向かう者に分けられ司馬 台へと向かう。120km余といふが北京より東北に向かい密雲県に入っても整備された道路が続く。密雲県、北京郊外にてハイテク産業育成推進し工業団地作 りバブルでマンション立ち並ぶがご多分に漏れず既に廃墟の如し。ハイテクなるものは巨大なビルを作ることにあらず、いかにそういった重建開発型から脱却す るか大切であるのにビルを立ち並べるばかりか粗野な装飾だのローマ風の柱だの宮殿の如き有様、マンションもこんな交通量の多い幹線道路沿いに建ててはせっ かくのバルコニーとて無駄。中国の各地の大都市の郊外に存在するこういったバブル後遺症の遺跡。長城への往路、バスの中にて英語ながら全く何を話している のか意味不明のガイドいろいろ説明。長城の地図見せれば歴代のいくつかの長城の線が色分けされロスアンジェルスから来たといふ若者が「何故に歴代の王朝は 新しき長城を築くのか、既存のものを修繕すれば更に強固なる長城が築けるではないか」と質せばガイド氏曰く「良き質問なり」と。ただし返答に窮し「前代の 長城、風雪にて傷み再び築城が必要」と。それもあろうが、歴代の王朝にとって長城など実質的国防の意味などなく、それを築くことが権威の象徴なのであり、 前代の王朝の長城の改修など有り得る筈もなし。巨大な無駄であるがその無駄のために人力と資源、資金を投入できることの誇示。ガイド氏が八名のツアー参加 者に自己紹介などさせて恥ずかしきこと限りなし。ふとツアーに参加などいつ以来かと思えばZ嬢は大学卒業の際の欧州旅行以来、余もランニングクラブでの二 年続きの広東旅行を除けば1985年に中国初めて訪れ遼寧省は北朝鮮との国境の丹東市訪れ対岸の北朝鮮・新義州市を眺める黄緑江の遊覧船に乗って以来のこ とかと彷彿。その時、新義州側眺めれば四、五階建てのビルが並ぶが全ての建物が中国側を高くして「見せる」ための建物、赤いスカーフをした小学生が並んで 笑顔で手を振ること毎日のことか。この85年の旅行、予算も乏しくこの丹東にても外国人に開放された丹東賓館にて宿泊費高く交渉の結果、敷地内にいくつか 立ち並ぶ宿舎の建物のうちの一つ玄関横の管理人室宛がわれ、その窓からぼんやりと外を眺めていたら、当時『女性自身』や『女性セブン』などの世界の奇怪シ リーズなどに出てきていた中国の多毛児君が母親らしき女性と歩いているのを看る。閑話休題。司馬台の長城は、いくつかある観光客に「開放」された長城のう ち最も歴史浅く開発も進まず長年の風雪に荒れ果てた原状維持するもの、と。訪れてみればケーブルカーこそあるものの長城を歩く観光客など数えても50名お るかおらぬかという閑散とした様にて秋の晴天に遠くまで長城が山の稜線を這ふ様誠に見事。観光の客の数と同じほど地元の物売りの衆おり長城の稜線を歩く我 々に纏わりつき絵葉書、写真集の類を売ろうとしつつ観光ガイド。その随行の多さは那須岳にお登りになる皇太子殿下並に雅子妃殿下の如し。受け答えでもしよ うものなら最後にガイド料でもせがまれてはたまらぬと相手にせず。しかしながら英語達者にて平日のこの時間にこの長城の頂におっては学校など行っておらぬ 少年だろうが "How many days have you ever been in China?" などと少なくても北京飯店に投宿する我が同胞の高校生の輩よか流暢に語るを聞き、教育、否、学習とは学校など制度や組織にあらず中身にあると痛感。登る時 気がつかずながら麓に「愛国主義教育基地」なる石碑。本来、共産党政府であれば封建王朝が人民を搾取し強制労働にて建造せし遺物であるはずの長城も、この 偉大なる建造を愛国主義教育のための象徴とすること可笑し。午後も二時となるとすでに薄暮。長城を下り平野の彼方に沈むまことに大きな夕陽を眺めつつ北京 に戻る。ツアーのお決まりにて「長城見学」であるのに何故か(というか当然か)市内に戻り漢方薬局での買い物なるものが付いており、そこでの客の買い物代 のうち幾らかがガイドと運転手氏のバックマージンとなること明白、申し訳ないがそういった買物に興味なく而も時間もなく拒絶するとガイド氏、通常は頑なに 買物を勧めるものの彼は多少困った表情しつつあっさりと認め、市内に入れば何処からでもタクシーにてホテルに戻るという我々に高速道路から下りた三元橋で 「ホテルまで送れず申し訳ない」とタクシー代三十元まで宛がわれ恐縮、深謝。件(くだん)のロスアンジェルス君昼間は調子よかったがケーブルカー使わず登 坂し体力消耗したか風邪気味にてホテルに急ぎ戻りたしと求めホテルが北京飯店に近き台湾飯店ゆえ送ってくれとガイド氏に頼まれZ嬢と三人で三元橋よりタク シーに乗れば機転の利いた運転手にて上手い具合に混雑した道を避けていい意味で市街を右往左往、渋滞激しき午後六時代に二十分ほどにて三元橋より王府井。 途中、渋滞する対向車線よりはみ出し対面よりパトカーに先導され走って来る自動車あり。党幹部、ドクトルジバコの世界。晩に明後日三年余の北京生活より東 京に戻るU嬢と会い建国街の某中華にて会食。風邪ひき発熱、悪寒甚だし。
十月二十一日(月)昨日の疲労もなし。昨晩から零度。北京飯店のロビーにはなかなか品のある日本人の
初老紳士多く何事かと思えば暮れに北京晩報読めば中日国交回復30周年で北京市対外友好協会が中日友好に貢献せし日本人50余名を表彰、と。その参加者と
察す。Z嬢と出街。建国門外の北京市旅游局にて明日のツアー参加予約。瑠璃廠。支那紙の便箋、色紙、玉忠なる書家の「行雲游水」という字の掛軸購う。和平
門まで出て全聚徳にて燒鴨。香港の燒鴨のほうがカラッとして個人的には好み。昼から麦酒どころか白酒酌み交わし名菜並べ頬張る人たち、とくにどーみてもカ
ラオケ小姐昼間から呼んでの接待に興じるオジサンたちに敬服。地下鉄にてぐるりと市街を廻り積水潭。環状線の地下に降りる階段の臭い、地上よりの浅さ、古
めかしき仕様などどこか銀座線と相似。新外口の徐悲鴻記念館訪れるが月曜日にて休館。バスで安定門の雍和宮。ラマ教寺院。参拝。歴史資料みれば、よーは
1951年の<關于和平解放西蔵辨法的協議>、この封建的チベットの人民のために中国政府がチベットを和平的に解放するためのチベット中央との協議とい
ふ、実質的には武力侵攻以外の何ものでもないが、そのプロパガンダに基づく展示にて、つまりこの寺院とて北京中央の管理下にあるということ、資料館入れば
正面に毛沢東に「謁見」する若きダライラマ、パンチェンラマの写真。右に劉少奇、左に周恩来といふなかなか意味深な写真。資料の扱いでは何といっても亡命
とチベット独立活動などせず親北京貫いた9世パンチェンラマの扱いが14世ダライラマより格別にて(当然か)、14世については人民代表大会にも宗教界代
表にて政協会メンバーとして参加、北京のこの雍和宮にても加持祈祷、とそこまでしか説明せず。北京政府によるチベット平和解放のあとダライラマが印度に亡
命しその後チベット独立活動を続けノーベル平和賞まで授けられたことなど書くわけもなし。ここでもまた歴史が作られることを看る。パンチェンラマといえば
9世逝去のあとダライラマが見出した少年が北京政府に「保護」され現在まで身柄公開されず、それに対して北京政府が公認して指名した傀儡の10世、御年
12歳だそうだが江沢民、また殊の外李鵬に愛でられる様、醜悪。この10世とされた少年も今後この権力と対峙してか、もしくは権力の傀儡として人生を送る
と思うと不憫なり。近くに位置する孔子廟参観。夕方になり陽も傾き風もあまり強からず北京飯店に戻るのに「歩こう」ということになり安定門より公道口、北
大街と胡同を彷徨。曾ては東単くらいであった商店街が、北大街も東四のあたりに来ると「巨大な田舎」北京にしてはかなりセンスのいいファッションや小物と
いった店々が並び胡同がブティック街となり20年前との様変わりに驚きながら散策。単東の街路に監督が張元にて『江姐』なる映画の看板連なる。十六献礼作
品とあり、これって十六期全国人民代表大会のこと?と思い、いつから張元がそんな体制的になったのか、と。何か思惑ありげな予感。北京飯店に戻りタクシー
にて先程歩いていた交道口まで戻り圓恩寺胡同にある友好賓館の割烹白雲。創価学会の経営といふ。ここは蒋介石が北京に駐在した折の官邸だった洋館にて横に
閑静なる四合院の建物あり、此処が何故か安静とした割烹となっている。十五夜の月。97年だか来京の折に畏友R君に連れてこられた店。品数も魚もそれほど
ないが格別廉価にて寿司を供す店。ちなみに今晩は刺身120元、寿司二人前にて160元。場所が場所だけに今ほど日本料理屋も多くては静寂なる空間なが
ら、曾て日本料理といえば北京飯店の五人百姓(京樽)か、それが高級すぎる客には新京飯店のレストラン(名前失念、都だったか?)しかなかった時代とは異
なり、交道口といふ此処まで赴く客も少なく、我らが着いた七時には座敷にて関係者らしき客一組のみにてテーブル席は電気消してあったほど。ふと思ったが五
人百姓なる店の名(今もあるが)、京樽の経営にしてはヘンな日本語であるが、これってまだ開放経済始まって間も無い中国の而も北京飯店に出来た日本料理屋
なわけで、この百姓はプロレタリアートを意味し、五人とは農民、林業水産、工人、公務員、革命軍人の無産階級5者を意味していたか?と想像する(そんなこ
とないが、そうであるべきだ)。割烹白雲、刺身と寿司の値段に比べて日本酒熱燗一合が50元は高すぎ。食べたりず、とはいはぬが、どうせだからと王府井に
戻り灯市口の夜市にて坦々麺、新疆羊肉串、西米露食し北京飯店に戻る。連日、北京のアクセスポイントは混雑極まりアクセスできず。酒店のISDNのライン
は香港など部屋にすべてデータが用意されているが此処ではIPアドレスなどサービスセンターにお尋ねください、と書かれており、電話で尋ねれば「今、人を
遣ります」と、確かに電話でよくわけのわからない説明されるより職員来てセッティングを扶けてくれるほうがマシかと思いつつ一向に職員現れず、ビジネスセ
ンターで尋ねても拉致あかず。結局、香港に通話してアクセスしているのが現実。
▼米大リーグのワールドカップ、あの国威発揚の開会式、国歌独唱のなか先鋭の軍機が空を飛行する様、あれが
イラクのフセインによる国家経営と何が違うのか。
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10月21日に雍和宮の資料館にて撮影した毛沢東に謁見する
若きダライラマ(右)、パンチェンラマ(左)の写真。 右に劉少奇、左に周恩来といふなかなか意味深な写真。 資料館館内写真撮影禁止とあったが 偶然にもこの写真は正面玄関入った正面にあり 館外より合法的に撮影(笑)。 |
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10月19日に晩餐の前門・都一處の二樓に掲げられた
郭沫若が認めた店の名の一筆。 なんとも言葉に表現のしようなき ただただ美しい書法。 |
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天安門前広場の人民英雄記念碑。
手ブレを防ぐのに広場の消火栓だかの上に カメラを固定していたら私服公安に不審者と思われた。 写真にも兵隊が映っていますが警備が厳重。 記念碑の右後方の照明は毛沢東記念堂。 |
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人民英雄記念碑同様に照明に冴えた天安門。
政治の装置として見事に利用されております。 |
十月二十日(日)薄曇。気温10度を下回る。北京マラソン。昨年に引き続きハーフマラソンに参加。天 安門広場より西長安街、復興門、阜成門南、気温多少上がるを期待するが空に雲立ち込めて体温あがり汗かいても鳥肌がたつほどの寒さのなか月壇北街の閑静な 団地より釣魚台国賓館の角をまがり阜成路、水上バスがゆっくりと走るのを眺めながら龍雁南路を北上し北四環西路、このあたりになると北京ももう郊外、万泉 河路よりまた市街に戻り海淀南路にて終点。丁度二時間。終点にてはゲート潜って5mほどの処でゼッケン番号の確認をたった二人のスタッフがしておりゲート 手前100mから長蛇の列。10kmレースのゴールでの応援より来るというZ嬢待つ。身体は火照っていても汗止めの濡れた手拭い頭よりとるととたんに冷た くなり寒気を知る。人口一千万に及ぶのか、その交通手段を殆ど車両交通に委ねる北京において日曜日とはいえ市街地の幹線道路を西から西北、北へと遮断して は渋滞著し。さすがに数万人が群がって走る10kmまでの朝のうちはよかったがハーフとなると渋滞で苛立った運転手たちの警笛も甚だし。Z嬢とタクシーに て王府井に戻りホテルに戻る前に灯市口は餃子大王。ホテルに今日の午後の香港の競馬の馬券、携帯にて購入。何故に香港競馬の携帯での購入、大陸から出来る のか不思議ながら、その客を目的としたサービスか納得。新街口。洗澡。夜六時に天安門広場人民英雄記念碑にて香港からのマラソン参加の面々で集合。歴史博 物館の上に十四夜の見事な月。権力は歴史を支配するといふが国家の首都の中心、人民大会堂と対峙する歴史博物館。権力が過去の歴史を語ることは日本書記の 昔から、それにしても建国間もない共産党がこの位置に歴史博物館を置いたことの意義こそ共産主義政府がいかに独裁に専心したかを物語る。ふと思うは東京に て東京に国立歴史博物館をもたず、それが権力から措かれた大阪にあることは興味深し。過去の歴史を蓄える歴博の向かいは人民大会堂ながら、ここも歴博が作 られた過去なら人民大会堂は作られた現実、なぜなら体面上は国家の最高決議機関でありながら実質のそれは人民代会堂の北に位置する中南海にあるのだから。 その中心に人民英雄記念碑が聳える。厳重に監視された碑は革命に命を堕とした人民を祀るものながら実際には多くの生命が反右派闘争、文化大革命、天安門事 件にて亡くなったと思うと、この権力がこの碑をどうしてここまで警備し崇め奉るのか、いろいろな意味。英雄讃美に非ず、鎮魂以外の何ものでもなし。そして この広場にていま当局が最も恐れるは法輪功。どうみても私服警官か軍人とわかる厳しい目つきの男たちが碑の周りを徘徊。南に毛沢東記念堂。その向かいにあ る清真の東来順飯荘にて羊肉鍋。身体暖まり店を一歩でれば寒風吹き荒び身体凍るほどにて走ったあともけして痛みもなかった大腿の関節と筋肉が攣るほど。今 晩こそ三里屯で一飮とも思っていたがタクシー乗場まで歩くも辛くホテルに直ぐ戻り熱い風呂に飛び込み爆睡。
北京飯店の部屋より眺めた天安門前広場
十月十九日(土)薄曇。朝、上環の波止場より噴射船にて珠江河口を滑り一時間余にて深セン福永港。送 迎バスにて深セン空港。予想以上に大きなターミナル2をもつ空港にて各地への便頻繁、喧騒甚だしきものの中国南方航空のみターミナル1にて午前に僅か4本 の出発のみにて秋田空港的な閑散に安堵。中国の国内線とタカをくくっていれば搭乗者の身体検査は靴まで赤外線を通し裸足にて貴金属探知の門を潜らせる。機 内持ち込みで取上げられるを恐れ予め爪切りまで預け荷物に隠すがゾーリンゲンの爪ヤスリは仕舞い忘れ、それでも身体検査に比べ荷物検査かなり粗雑にて「凶 器」は発見されず。イスラム系テロを米国とはまた違う意味で恐れる中国。それにしても凶器武器爆弾には神経質な中国も赤外線にて透視する手提げの中にある 蘋果日報や信報など「反中央政府」系の新聞には目を光らせず。北京への機内にて数日分の新聞読み明日の競馬予想。フランスよりDoleuze参戦、沙田錦 標(G3)芝1600mは二年連続このレースをその季の初戦として続けて三位の原居民(九歳!)Doleuze騎乗。Grand Delight(Dye/Size)に期待。W氏の新力軍はちょっと期待薄。R8芝1000m(一班)C氏の多利高は前走よくどうにか入賞期待で本命は好 望角。ほかR5の鑚石、R7の東方明珠など好馬多く観戦できぬのは辛いところ。宮本輝『蛍川』読む。この芥川賞受賞作、個人的には『道頓堀川』『泥の河』 に比べあまり面白くなし。北京に到着、摂氏11度。27度の香港よりわずか三時間余。タクシーで三元橋の中国国際旅行社の事務所にて明日のレースの手続 き。待たせていたタクシーで北京飯店に投宿。新装なった正面玄関とロビー。曾ての薄暗いロビー、20年もまえに冷たい水飲みたさに入ろうとして薄汚いバッ クパッカーである余はドアマンに睨まれ、97年だか朝の6時に広州からの列車で到着した時のフロントで夜勤の職員が椅子を並べて大蒜臭い鼾で寝ていた頃な どを回顧。部屋は15階の故宮Viewにて部屋からもちろん景山から故宮、天安門広場を見渡す。黄昏に王府井にて水、旬の甘栗、酒(老北京)、地図など買 出し。晩は北京飯店ロビーにてランニングクラブの面々と待合わせタクシーにて前門。前門の大通りを日本からの修学旅行生、多少ガラの悪い男子高のガクラン 連中が御練りの如く歩き北京の者はまだ見慣れている風景かも知れぬが田舎からのお上りさん多き前門にあっては、その異様な若者の一行に道を開け「なんだ、 これは?」「軍隊じゃないよ、日本の高中の学生だってさ」とひそひそ話。そんな話をされているとも知らぬガクラン君たちは北京考鴨にて馳名の全聚徳の樓上 へ。世の分別も知らぬ高校生の若輩どもに全聚徳は不相応。大学の頃にも余は全聚徳など敷居高くカネもなく繁華街の宿舎には泊まれもせず今では北京南站と名 を変えた永定門站そばの安宿に泊まり界隈の安い飯屋にて茄子炒めでぬるい麦酒を飲んでいたもの。都一処にて燒麦(包子)堪能。包子も美味いが郭沫若の揮毫 「都一處」を眺めるだけでも至福。さすがに明日のレースあり三里屯に飲みに行くわけにも行かず。インターネットはモデムで北京のポイント混雑続きアクセス できずマカオ経由。
十月十八日(金)雨。早朝、Happy Valleyの上に引越したC君宅に招かれ朝食とりつつ款談暫し。永田町のキャピタル東急にての朝食会に集う政界財界じゃあるまいし朝食に他所の家訪れる は初めてながら閑静な地域の低層マンションにて小雨と湿気ながらベランダの扉開けて心地よし。我ながら朝の六時に起きてゆっくりとかうして何かの人の家訪 れる自分に老いを感じざるを得ず。昔なら朝の六時といへば一晩酒を飲み明かし空が明るくなれば窓開け放つと部屋にこもった煙草の烟煙一気に流れ出し「さ あ、そろそろ寝ようか」という時刻。晩二更に昨日「イク」に悩んだM君拙宅訪れて中古で得たルーター設定してくれiMacの他にPowerbookも ethernet上にて稼働。便利至極。
十月十七日(木)薄曇。宮本輝『泥の河』読む。向田邦子いらい久々に情景、映画の如く脳裏に浮かぶ。
それもそのはず宮本ワールドにてサイト見ればこの人の構築され
た世界理解に易し。
▼芸人謝霆鋒君交通事故運転手早変わりと警察官への贈賄につき裁判判決出て今日までの二週間の拘置所収監に
て懲りただろう、と240時間の社会服務令のみ。警察官が禁固半年、身代り運転手ですら禁固四ヶ月に対して謝霆鋒へのこの「求刑」は実質的な無罪判決。通
常、スリなどの軽犯罪において道路清掃などこの社会服務令用いられるが芸人の場合、老人ホームだの孤児院だのの施設訪問から社会公益活動参加ですらこの社
会服務に当り通常から宣伝兼ねてこういった活動への参加する芸人にとっては宣伝活動しておれば240時間の「お勤め」終了。星島日報の社主Sally
Auなど財界有力者、芸人など著名人に対するこの司法の優遇とはいったい何ぞや。中共のほうがまだマシ。
▼畏友M君よりメールあり。内容を解説も含めて茲に綴れば日本語の使役は命令の「仕事をさせる」で使役受け
身は「仕事をさせられる」。つまり使役受け身には「したくないがせざるを得ぬ」という心あり。それがイク(逝く)においては使役であるはずの「俺、夕べは
サイコーに調子よくて相手を5回もイカせたぜぇ」の場合、話者に強制の直接命令もなく、「弟の死は両親を悲しませた」のような間接的な行為でもなし。もし
日本語を学ぶ者よりこの「イク」に関する質問あった場合(質問せぬか、こんな文……笑)説明に難し。さらに使役受身で「何度もイカせられました/イカされ
ました」となると強引に不快なことを受けたという解釈ではなく寧ろむしろ快感にてそこはか嬉しき響きあり。日本語は奥深し。敢て文法的に解釈すれば、つい
イクことを恭事=positiveに捉えることに誤謬あり、本来はイクことは「まだ気持ちいいから快感を持続させたいからまだイキたくない」が前提であ
り、それに反してまだイキたくない善がる相手を無理強いして「イカせる」ことは命令で、イカされてしまったことは確かに不本意な結果なり。さう捉えれば使
役、使役受け身の原則に反しておらず。まぁ何回もイカせられれば不本意どころか本望なりしもののか。
▼教育基本法の改正に向けた中央教育審議会「法の見直し」前提とする中間報告素案明らかになりこれを基に中
間報告をまとめ、これから「国民」(誰ぞや?)に意見を求め年明けにも答申を出し自民党次期通常国会での改正案の上程=可決、と出来レースであること明
白。「現行法には新しい時代を切り開くたくましい日本人を育成する観点から重要な教育の理念や原則が不十分だ」と説明し「『公』に関する国民共通の規範の
再構築」や「国や社会など『公』に主体的に参画する意識や態度を養うこと」、「日本人のアイデンティティー(伝統、文化を尊重し、郷土や国を愛する心)を
持つこと」が重要と。さて反論(笑)。まず、「新しい時代を切り開くたくましい人」の育成など別に平成に
非ずとも明治の御一新だろうが聖徳太子の時代だろうが新石器時代だろうがいつの時代も逞しき人おり今更敢て述べるもお題目にすぎず。そもそもなぜ「新しい
時代を切り開くたくましい」者が日本人ぢゃないといけぬのか。教えてほしい。これまでの歴史でも新しい時代を切り開くたくましい人が先住民に非ず弥生人、
朝鮮支那からの渡来人、または進駐軍(笑)であつた歴史もあり。在日の朝鮮人支那人ら出自を異にする者と
の切磋琢磨あってこそ新しき時代切り開かれるのでありいちいち日本人だの朝鮮人だのといふ認識など不要。新しき時代が切り開かれる時といふものは経済と産
業の大きな変化がある時であって、その地変動によって政治、文化の体制までが必然的に変わるものであることはマルクスの説いた通り。今の日本ほどこれほど
停滞した経済体制のなかで言葉ばかり「新しい時代を切り開く」などと宣ったところで言葉遊びにすぎず。次に、『公』に関する国民共通の規範の再構築など求
める前に『公』に属する者がまず襟を正し公儀を守り国民がそれを規範と承へる礎となるべし。三つ目は、伝統、文化を尊重といいつつアイデンティティーなる
醜悪ある語を用いることこそ伝統も文化も其処に有らず。美しき言葉も忘れ泰西の語を借りて何が伝統と文化か、呆れて言葉もなし。そして「国を愛する」こと
について……国を愛せと言われてもその<国家>なる近代の概念こそ我々の慈しんで參った悠久の歴史のなかではフランス革命以降の、ビクトリア王朝以来の所
詮数百年の、それも渡来の概念にすぎず、<国のかたち>としてのConstitutionももてぬ<国家>において愛国心といふ言葉ばかり説くこと即ち
偏った国家主義の悪弊あるのみ。太陽暦を以て旧暦の節句を祝ふことの矛盾すら感じぬ者に、どうして風土が根づく郷土を慈しめるものか。そもそも、愛国心、
愛国心と宣ふが真摯に豊葦原瑞穂の邦を慈しむ保守反動右翼の諸君は軽々しく伝統も文化もなき明治の時代に「とってつけた」愛国心などといふ言葉を用いるべ
からず。<愛>といふ語ぢたい元来「人に物を贈る」の意にて「愛玩」の語のように犬や猫など籠物や物を愛(め)で
ること。つまり愛の対象は崇高に非ず目下。荷風先生がカフェの女給、私娼と遊ぶは之なり。荷風先生慕ふ御母堂は愛さぬ。崇高なるものは本来「慈しむ」。対
-国家についてみればその観念の兆しは水戸学の礎たる徳川光圀にすでにあり、国家といふ近代の観念こそなきものの権力に塗れた幕府と異り権力構造から除外
された朝廷をば光圀は敢て後世の本居宣長の言葉でいへば「もののあはれ」でいとおしむ観念あり。宣長まではさういつた心地あれど平田<神道>あたりより捩
れ、Loveなる言葉渡来し愛といふ字を当てたあたりから誤謬甚だしくなり。愛国なる語には「もののあはれ」を慈しむ本来の心、能わず。また、
patriotism(愛国主義)、patriot〔愛国者)、patriotic(愛国的)と語こそあれ「愛国」なる名詞もその動詞もなし。ちなみに
patri-は「父」を意味することはpatriarchy(父系社会)なる語に見られる通り権力構造に基づく語派生す。この権力=国家に対する隷属関係
を意味する語がpatriot系の言葉にて、ここに母系の<愛>などなきことは明白。百歩譲って<郷土>愛することは出来ても<国家>なる権力構造愛する
ことは正に異常愛以外の何ものにも非ず。今ふと思えばヤンゴトナキ宮様にあられてもお名前にこの字あれどそもそも御祖父にあたる今上陛下御幼少の砌り敬虔
なるクエーカー教徒のヴァ
イニング夫人の博愛なる精神の教え愛でたければ浩宮様におかれても然れてお子様の御名にこの字を当て給わる。ちなみに<love>なる語の語源に
ついては故・羽仁五郎翁の著作に奴隷制よりのloveの歴史詳し。そもそもloveといへば基督教の本源、悠久なる言葉のようでいて泰西に於ても実は
loveが今日の人を「愛す」意に用いられたるはビクトリア朝あたりからの観念にすぎぬのもなり。さういつた古今東西の智慧知れば、伝統にも文化にも浅き
知恵しかなき者にかぎり国家なる幻想に立脚したつもりにて新しい時代を切り開くたくましい国民といつた実は中身空っぽなることを推論する。邪論。最後に、
この答申にて宗教教育については「異文化理解や宗教に関する知識が必要」といった意見を並べるにとどめ改正の方向性にまでは踏み込まなかった(朝日)といふが国家主義の愛国教育こそ邪教(笑)。最後の最後に
一言。この中央教育審議会の会長は鳥居某なる前慶応義塾長と。Loveに愛といふ字を当ててが福翁先生という言い伝えあり。その当て字の良否は茲では問わ
ぬが、まず自立した個人であることが人間の基本であると説いた福翁先生にあっては中身空っぽのまま愛といふ字がここまで無節操に用いられるこの平成の
キョービの観念主義をば墓の坤下にてどう思われていることか。結論だけ言えば(しつこい、か)、新しい時
代を切り開く逞しき人に<国>を愛する心は要らず。本当に逞しき人集へば単なる組織としての国家など自ずから逞しきものとなり「国を愛する心」などという
空っぽのお題目は不要。
十月十六日(水)快晴。偶然にも晝のある会合にて1911年の中環地図眺める機会あり皇后波止場につ き合点付きしは中環の中央に英語名はStatueSquareなる銅像広場で皆目見当もつかぬが漢語では皇后像廣場あり曾て文字通りここに女王の像あり、 それがビクトリア女王の像にて、この像の鎮座まされますこの広場のすぐ岸辺に設けられていたりしがこの波止場にて皇后波止場と名づけられたと察す。御像は そののちビクトリア公園銅鑼灣に建造されそこに移転し波止場は度重なる埋立てにて皇后廣場より今では200mほど離れたり。偶然とは重なるものにて夕方S 嬢より大きめ目の茶封書届き開けてみれば荷風の墨東奇譚、新潮文庫版。曾て岩波文庫で読みしものの丁度毎晩の如く少しずつ読み続ける斷腸亭日剩、昭和12 年にて荷風先生、玉ノ井に遊び始める日々。となれば当然、墨東奇譚をも一度読みたいと思っていた矢先、S嬢がちょうど二冊あったのであげます、と。感謝感 謝。それにしてもこの富柏村日剩を読むでもなきS剩、何故に突然余に墨東奇譚を贈られるかと思いつつS嬢の面白みもそこにあるかと納得。
十月十五日(火)快晴。小型艇を約し朝から有志老若男女丁度中華料理二卓ほどにて中環は Queen's Pier皇后波止場より海に遊ぶ。平日であることを忘れ休日のつもりにてタクシーに乗り波止場に向おうとして出勤の渋滞に巻き込まれ遅れるも少なからず。 この皇后波止場は何故に皇后の名を冠に頂くかとかねがね疑問にて、想像に易きは女王陛下におわせられてはこの港に上陸されたを記念することながら、事実、 香港は英国統治時代に今上エリザベス女王の来港給わりしものの陛下当然のことながら飛行機にて来臨あらせられ船艇ブリタニア号にあらず。その波止場を発っ た艇は青馬大橋を潜り南に大嶼山、北に大欖の山々を眺めつつ飛行機の離着陸甚だしき沙洲並びに鼓龍洲の海洋公園に も至る以前に幸運にも空港の沖合にて中華海豚(ピンクイルカ)数 匹と遭遇。遠くから眺めるばかりか海豚といへども観光都市香港にあっては商売っ気大したものにて艇べりまで近寄り愛想うる様は健気。けして環境佳からぬこ の水域にこうして稀有なる中華海豚生息するだけでも奇跡の如し。大嶼山は西端の大澳に停留。遠浅の入江にて船は村から離れた波止場に停まり市街までこれま で歩いたこともなき鄙びた家々竝ぶ道。地元の路線バス会社の知人のお勧めにて市街の蓮香海鮮酒家に食す。午後また艇に二時間半揺られ中環に戻る。
十月十四日(月)重陽節。間もなく秋の走行の季節にて最近は山道走るばかりにて舗装道のロードレース
に慣れておらず突然走って身躯驚かせてはいけぬと引越して早二カ月半余、晝前に久々に寶雲道。朝は多雲ながら晝頃から青空清々し。二往復16kmを心拍数
も上らぬよう遅々と走り7min/kmほどか。これで好し。Z嬢とMagazine
Gap
Rdの公園にて待合せ動物園抜けて久方ぶり粗呆区に到る。心地よき午後にて電梯沿いのBayouと云う米国南部料理、肆の奥は燦々と陽射心地よければケイ
ジャン料理で麦酒かと赴けば肆すでに閉業。Elgin
Stの貴如はさすがにこの午後は閑散とし梅子蒸排骨、烏賊と西蘭花(ブロッコリー)の炒め物、蝦仁炒麺食す。Z嬢ジェラート所望し閣麟街に肆を出した
Xtconice(Exotic
on Ice)に赴けば隣家の、余が懇意続けたる古董●(金扁に旁は表にて腕時計を表す)鎧戸下りて不動
産屋の下品な看板余多掲げられる。移転の報掲げられるわけでもなく不況続き骨董のRolexなど購ふ客も減り返還前には日本人客にて賑わった肆とあっては
流石に経営厳しく肆閉じたかと察す。この坂上、卑利街に住みし折ふと通りかかったこの肆で58年だかの文字盤が薄桃色のRolexの時計に一目惚れし肆の
扉を押せば店主温かく余を迎え暫し時計談義の末にすでに朋友なりと廉価にてそのRolexを譲られ骨董ゆえに動かなくなりもすれば針が外れることもあり、
そればかりか硝子に傷をつけたりと、その度毎に肆を訪れば一度硝子に皴を入れた時を覗き店主いつも気軽に無償にて修理請負ひたり。年に数度の交友ながらそ
の八年を思い出せば普段なら美味なるジェラートの味も一向に美味からず。午後に至り陽は射るほどに中環の市街を照らし写真機携えなきことを惜しみつつバス
にてうたた寝し帰宅。薄暮に風呂につかり荷風先生日和下駄読みつつ寝室を通して風呂よりBeacon
Hill(筆架山)のむこうに大帽山の高峰眺めらるるを識る。晩に豪州Wolf
Blassの白葡萄酒01年飲みパスタ食す。NHKのドキュメンタリにて「中国のキムタク」などと評判?のピアニスト李
雲迪が師事せし但昭義と深セン芸術学院にてピアノを学ぶ少年少女たちの映像を視る。但昭義のことも深センに中国屈指のこんな学校があることも今日
まで知らず。この学校の英才たちがまず目指すは香港ピアノコンクールながら果たして香港にこのやうな学校も教授陣もいるかといへばおらず。荷風「日和下
駄」続けて読む。曾て恵比寿に住み休日には神宮、青山、赤坂から秋葉原まで自転車を乗り回した余には東京は実は高低の厳しい土地にて坂が多きことも体感で
きることなれど荷風先生「崖」なる章にて「根津の低地から彌生ケ岡と千駄木の高地を仰げばここも亦絶壁である。絶壁の頂に添うて根津権現の方から団子坂の
上へと通ずる一条の路がある。私は東京中の往来の中で、この道ほど興味ある処はないと思っている。片側は樹と竹薮に蔽われて晝猶暗く、片側はわが歩む道さ
え崩れ落ちはせぬかと危まれるばかり、足下を覗くと崖の中腹に生えた樹木の梢を透して谷底のような低い処にある人家の屋根が小さく見える。されば向は一面
に遮るものなき大空かぎりもなく広々として、自由に浮雲の定めなき行衛をも見極めらる」と。荷風先生らしい誇張もあろうが根津から千駄木に坂が急なことは
知りとてもここまでの崖といふ感覚はなし。この日和下駄、大正四年に刊行され荷風先生御年三十四歳ながらすでに初老を気取られるが「閑地」なる文章に「私
は雑草が好きだ」と明言し「一ツ一ツ見来れば雑草にもなかなかに捨てがたき可憐なる風情があるではないか。然しそれ等の雑草は和歌にも咏われず、宗達光琳
の絵にも描かれなかった。独り江戸平民の文学なる俳諧と狂歌あって始めて雑草が文学の上に取扱われるようになった」と心情を吐露。つまり荷風先生が愛した
市街、銀座のカフェ、玉ノ井のちの浅草は全てこの雑草が如し。
▼インドネシアはバリ島クタのディスコにて爆弾炸裂し二百人近くが死亡。当然のことながら彼の国テロ撲滅と
息巻き世界最大のモスリム信者を有すインドネシアもその警戒対象となればテロリストによるテロも元凶はテロに狂う側にあるのかテロ撲滅に狂う側にあるの
か。いずれにせよクタに遊ぶは豪州の酔っ払いばかり、対米テロとして地点誤ってはおらぬか。これではまるで二二六事件での青年将校らの謀反にて玉ノ井の娼
家を襲うが如き見当違いなり。それともこの「ブッシュ率いる巨大なるカルト国家による悪の枢軸撲滅」という狂った非常事態にあってバリを黄泉とでも勘違い
し夜な夜な酔っ払い遊び呆ける衆に対してのテロリスト側からの命引き換えの警告だったのか。わからぬ。北欧だのバリだのさういった暴挙から無縁に思えた土
地に続く無惨な出来事。ちなみに我が国の外務省の海外渡航情報は「インドネシアに渡
航・滞在される方は、ここ当分の間、ショッピング・モール、デパート、レストラン、ディスコ、カフェ、宗教施設等多数の人の集まる場所や公共施設の近く等
にはできる
限り近づかないようにするとともに、外出する際には、このような事件等に巻き込まれないよう、最大限の警戒を行うほか、周囲の状況やその他の動向にも十分
ご注意下さい」と。親切なようでいて一切何も語れぬ空虚なる文。そもそも観光なるものが飛行機、空港、ホテルといふ「人が集まらざるを得ぬ場所」なしには
成立しえぬものであり、預言者でもあるかぎりトーシローの観光客に無差別時限爆弾に対して周囲の状況やその他の動向など最大の警戒とはいったい何ができる
のか。NHKの海外安全情報にては香港についての無意味な内容が消えたかと思えば今度は北京(笑)、天壇公園にて最近引ったくりなどの被害が増えている、
天安門広場などでは観光客を狙ったスリも多く、空港には白タクが客引きをしている可能性がある、と(嗤)。北京など外国人に限らずお上りさん相手のスリな
ど昔から多く、ただ日本人は多額現金携帯者につき被害が大きいだけにて、空港には白タクは「いる可能性がある」のではなく「絶対にいる」のである。馬鹿な
安全情報など流すべからず。空港から白タクが一掃されたら珍事として報道でもすべし。世界どこも同じにて東京も新宿など繁華街にスリなどあり成田とて白タ
クいることを真摯に捉えず「香港では」「北京では」「リスボンでは」とただ無意味に流し視聴者それをただ呆然と眺める我が国のまことにもって愚かな事象な
り。言葉遊びといえば同じNHKのニュースにて「今日、釜山で開催されていたアジア大会が閉会式で幕が閉じられました」と。観梅を見に行く、が如き愚昧な
表現。開会式で幕が閉じられでもしたらニュースにて大袈裟に報道すべし。
十月十三日(日)有志十名ほどにて大嶼山は梅窩より大東山869m登る。東京(とうけい)より眺め西 の富士、東の筑波と並び称される筑波山、今でも晴れた日など首都の超高層ビルより、明治の頃なら王子の飛鳥山より眺められたといわれれば関東平野に聳える やうに見え仰々しくも登坂電車や架空纜車などにて頂に至るほどにて筑波神社の境内から歩いて歩れといわれれれば多少物怖じするが標高876m、それに比れ ば梅窩の港から一気に大東山に登るほうが険しきところ、梅窩を出でてけして急がずとも一時間半余にて登りつめ晝に東涌の峠へに到るも山歩きの訓練にてとて もかつて筑波に登ったような気概もなし。我は歩き始めれば途端に大汗が流れ気候はけして暑くもなく山に上って気温下がっても小休止しても汗止まず靴の中 ぐっしょりと水堪るほどにて当然体力消耗も甚だしく救急用にと携帯するアミノギア一飲しそれでも回復せず。アミノギアと いへばGoogleにてこのカタカナ名にて余の曾ての日記も含め僅 か二件しか架からず(もう一件は香港日本人倶楽部のドラゴンボートのサイトのエッセイ)つまりアミノギアという語 は香港の運動する邦人だけしか知らぬ?と思い査べれば香港にては味の素のかなり有名な製品 ながら発売は香港だけらしきこと識る。閑話休題、東涌の峠にて 後続待ち憇みいくらか疲労感は抜けたが汗止まらず梅窩に戻り波止場にて麦酒で喉を潤し食事する一行と別れバスで東涌。秋の連休の行楽日和か寶蓮禅寺の大仏 に参る衆バスに並ぶ列はまさに数珠つなぎ、地下鉄站前の広場にまで到る寸前。蒸風呂に浴し一憩、夕方Z嬢と九龍湾にて待ちあわせ牛頭角下邨の公共団地。い わゆる難民アパートから脱しマクルホース総督の時代に出来た公共住宅の初期の型にて各部屋には小さなバルコニーの両側に狭い便所兼シャワーと流し、あり。 九龍の新興地にかなり大規模に建設されたが老朽ひどく楽富、長沙湾などを皮切りに最近も黄大仙のこの型の団地取り壊されこの牛頭角などもはや遺跡の如く旧 来の型を留めるがここも来年から部分的に取壊し始まる予定にてテレビにて曾てのドラマ『獅子山下』など再放映されたこともあり最近の懐古ブームからか香港 政府でもリストラされるであろう香港房屋委員会が 後援しこの団地の一角にて牛頭角邨街坊 懐舊展なるもの開かれており、団地にある古くからの肆や住宅の骨董品の如き家具や道具など展示するを見学。喧騒のなか団地の下には小さな肆々が並 び賑わい上海豆腐の悪臭が漂い公園には老人が憩い建物に囲まれた狭い運動場少年たちが蹴球だの籠球に熱中する、ごくありふれた超密集団地の光景ながら数年 後にはここも「きれいな」団地になるはず。図々しくも建物の通路、古き便所、通路など写真に撮る。横丁の飯屋のおかずにかなり後ろ髪ひかれつつバスで観 塘。崇仁街の雲南風味にて晩餐。豚耳、四季豆、涼拌豆腐、鴨腎の四皿にて麦酒五本飲み紅油抄手、上湯昆飩(雲呑)に茄醤米線、でHK$173。今日の乗物 にて荷風『日和下駄』読み夜更けて続けて読む。
十月十二日(土)遠く拙宅より飛鵝山どころか遠く馬鞍山と思われる岳まで見渡せる秋空。愚猫数日前の
予防接種にて左上の犬歯(というのか猫でも)折れていること判り、さういへばここ半月ばかり数日機嫌悪くZ嬢に噛みついてみたり引掻いてみたりの悪態あ
り、昨日Z嬢が愚猫をミッドレベルの主治医の処につれてゆき、それの迎えに今朝出向く。競馬の予想のための準備済ませ晝前にMount
Parker
Rdを登り大譚水塘まで走り下り大譚西引水路約3km走る。すっかり曇り空となり海岸にてラジオの中継聴きながら競馬。久々にじっくりと予想紙眺めそこそ
この的中。R8日本中央競馬会錦標(二班芝1400m)今季調子良さそうな吉利大少(Size/Dye)にするが侵略と星運爵士と父Danehill馬で
一、二着。メインのR9(一班芝1600m)は北金烈馬(洲/Whyte)で獲るが昨シーズン末の二連勝に続き今季初レースも強さ見せ三連勝。吉利大少も
北金烈馬も昨季末で引退した王登平調教師の育てた馬。肖其湾の街市にて秋めいて柿購い帰宅して湯豆腐。愚猫精神不安定続く。『断腸亭の経済学』続き読む。
▼琉球の伊波普猷をもとに暴力と危機の問題を考察する冨山一郎『暴力の予感』(岩波)これじたいも面白そう
だが週刊読書人でこれの書評(沖田中康博氏・沖縄国際大学社会学)実にいい文章。さわりだけ引用すると、<帝国>の語りが圧倒的な力で私たちの日常生活を
構成し、言説の外側を想像することがますます困難な時代に私たちは生きている。さらに、暴力がありふれたものとなる一方で、自らは暴力の彼岸にいると思い
込ませる言説装置もまた一般的なものとなりつつある。見知らぬ他者が直接暴力を被るどこか遠い土地。テレビの画面を通してそれを視る私たちがいる場所。明
確に区分けされた地政学的な構図が、暴力が行使される場面を<非日常>に囲い込み、私たちを<日常>の場へと安住させる。……と「本書が置かれているコン
テクストをさしあたってそのようなものとして捉えることが可能だろう」とさらりと書評の導入にしているのだが、キョービの世界をこれほど端的に表現する例
は稀。
▼新聞(蘋果)一面に、香港に住む夫のもとを雙程來港証もち訪れていた所謂大陸妻、生活難と二人の子供の学
費稼ぎにと私娼として街に企ち客をつかみ連込宿に入ったものの良心の呵責あり淫売は避けたきものの入用はありと客が一交を前にシャワー浴びるすきに客の財
布の入ったズボン持って逃げ去るが四日後にふと料理屋にてこの女と客が出くわし男は警察を呼び女逮捕されるが貧困ゆえの淫売にて公判にも幼き子が母に縋る
姿は見るも哀れ、と。貧困ゆえか奢侈目当てか知らぬが近頃、街に企つ私娼の数余多その増すこと極み知らぬは昭和10年頃の銀座の如し。殊に公園に日がな憩
う中高年相手のそこそこの齢の私娼多く、手交百元、口二百、肉弾戦三百元と数カ月前にこの日剩に綴りたるがさらに減価と価格破壊凄まじく牛丼屋なみ、と。
十月十一日(金)薄曇。二更に北角、加藤に食す。早めに肆に入りZ嬢来るを待ち週刊読書人読めばチョ ムスキーの特集。熱燗もいい季節。日本にてドキュメンタリーで「チョムスキー 9・11 Power and Terror」といふ映画、制作されたことを知る(製作配給はシグロ)。米国にても公開、と。チョムスキー先生、米国にて公演活動などかなり 多忙にて彼の国にチョムスキーの言動を受入れる自由がありそれに集まる聴衆がいるという良識があること、日本に敢えてこの映画を作成するだけの<意思>が 存在することは世の中まだ捨てたものじゃないか。ポン酢の白子、格別新鮮にてツブ貝と小鰭をツマミ、赤貝、細魚など握り。つい深酒し心地よくQuarry BayのEast Endにてエール一飲。
十月十日(木)快晴。辛亥革命91周年記念の雙十節
なり。返還前には市街各地に親国民党団体掲げた青天白日旗たなびき九龍の陸の孤島の如き調景嶺の国民党部落は祝賀一色となりしもの。香港返還もあったがか
つて親国民党=親台湾団体であつたものが李登輝路線にて親国民党と親台湾は大きく袂を分かち、親台湾つまり台湾独立を欲すものは辛亥革命を祝う意味も薄く
関係団体が尖沙咀のホテルにて先週末にひっそりと雙十節祝賀に終る。ジムを出ればすでに日暮れ秋を識る。先週だかの新聞
SCMPに生麦酒の注ぎ方に徹した酒場と紹介されしがCuseway
Bayに在るというInn Side Outなる肆にて電話番号を探しても該当なくGoogleに
て僅かに一件この名前が拘りLee
Garden向いのSunning StとあればEast Endの辺りにてふらりと赴けば嘗てKing's
Armなる酒場があり閉じたあとはEast Endが拡張した店舗にて、其処がこのInn
Side Out。記事に拠ればこの酒場は白耳義のStella
Artoisの生麦酒を主に供すゆえ本場ブリュッセルより麦酒の注ぎ方では玄人のバーテンダーRobert
Briers氏来港し此処の給仕らに注ぎ方を教示、と。このお師匠さんに言わせれば英国の麦酒の注ぎ方は慌てすぎにて風味なく独逸は時間をかけ過ぎ麦酒温
くなりこってりとしすぎて白耳義の麦酒の時間を長からず短からず注ぐそれが秀逸、と。そこまで言うのならと思い赴けばやはり曾てのKing's
Armにて香港には珍しき屋外に卓が並び殊更この季節そこで一飲するは快適なる空間、このInn
Side Out、対面するEast Endと給仕も混じり顔なじみもおり経営は同じと察す。Stella
Artois注文すれば注ぎ方は残念ながらBriers氏の訓え余り徹底された風もなくインドネシア人らしき給仕英国式に粗く注ぎ、しかも
グラスの角度も悪ければせっかくの脚のついたグラスなのに始終グラスの胴を持ってはそれだけでも麦酒の温度上ルといふもの。おそらく我みずからが注ぐほう
が美味かろう。だが大ぶりのグラスは注ぐ前に高圧の寒水にじゅうぶんに
晒され麦酒の冷え具合といい味といいこれまで香港にて飲んだStella
Artoisのなかで秀逸。二杯飲んで宮本輝『道頓堀川』読了。ええなぁ。大阪の御堂筋、心斎橋界隈の街
のネオンと雑踏、ほんま思いだすわ。この物語ももう終章、喫茶店リバーのマスター武内と息子政夫のビリヤード、スリークッションの勝負。宮本輝のこの緊張
感溢れるゲームの描写、
阿佐田哲也の麻雀放浪記の如き緊張感と息遣いちうわけや。Stella
Artoisが美味い上にこの酒場、気が利いて周囲のテーブル席は薄暗いがカウンター席にはちゃんとライティングが行き届き本を読むにも充分なる明かり。
そーや、邦彦の、この主人公の性格こそ道頓堀そのもんなんや。「夜、幾つかの色あざやかな光彩がそのまわりに林立するとき、川は実像から無数の生あるもの
を奪い取る黯い鏡と化してしまう。不信や倦怠や情欲や野心や、その他まといついているさまざまな夾雑物をくるりと剥いで、鏡はくらがりの底に簡略な、実際
の色や形よりもはるかに美しい虚像を映し出してみせる。だが、陽の明るいうちは、それは墨汁のような色をたたえてねっとりと淀む巨大な泥溝である」と。ほ
んまええなぁ。武内とその女房寝取った杉山との再会も、邦彦がまち子姐さん相手に童貞失う晩の敢えて立ち入らない描写も、ありゃ東京の作家には真似できへ
ん。やっぱり江戸やのーて上方の粋や。文楽でもそーやないか、あとも一つここでっちゅうとことで義太夫かてふっと堪えて語らん。人形やってぐっと気持ち抑
えるんがええんやなぁ。本と麦酒に酔って車拾ってハーバー沿いの高架道に入りビクトリアハーバーみれば、夜景はは大川(すみだがわ)に非ず。道頓堀と云い
たいが大きすぎ、淀川や。三日月。子供の頃は毎晩のように眺めていた月も今では夜に憩ふ閑暇もなく高層ビルに囲まれて月も見れず。
▼外務省田中アジア局長の憔悴しきつた表情、平壌空港に小泉首相従えて降
り立つあの日の覇気溢れんばかりの表情とは別人の如し。心労も学んだことも多かろう、霞が関から銀座よか、十三(じゅうぞう)のホルモン焼きのカウンター
にて焼酎でも飲んでいれば「いいオニイサンやないか」と思わせる風貌。
▼高知国体、1964年の新潟大会以来開催都道府県による優勝という筋書
きを高知県、敢えて打破し優勝せぬ「勢い」と。国体にて思いだすは余が小学生の頃地元であった国体にて数
年前から東京オリンピックの如き高潮を見せ小学校では国体音頭なる踊りが踊られ数年後の国体めざし北朝鮮の如く二年後に中学生になる少年たちを集めて開会
式のためのブラスバンドが組織され県外(主に東京の体育大学)から国体要員の選手たちが教員として多く採用され田畑のなかに国体道路ができ一時間に上下一
本足らずのローカル線の踏切りが立体交叉となり原発の村に数万人を収容するスタジアム建設され万全を期しての開会式。入場券はプラチナチケット、その日は
参観のためなら学校休んでも出席扱い措置にて我は隣家の相撲と野球中継が酒の肴であったスポーツ好きのお婆ちゃんと倶に参観す。そこで判ったことはこの国
体なるものの意味は天皇陛下の来臨にて、いかにそれを恙なく行い陛下をお迎えするかが大事。そして男女総合優勝して天皇杯を授かること。余の祖父と懇意に
していた商店街の大老が旧藩校を参観される陛下のご案内役の大役を仰せ遣わされ、これも恙なく恩賜の金杯に恩賜の煙草。陛下のお泊まりになったホテル、保
養所の部屋に参観する民絶えず。同じ日に開会式にて陛下のお言葉を拝聴せしJ君(N大の大学院まで明治期の農村教育を専攻しS学園にて教員)と余は小学校
で同じ放送委員会に属し講堂の演壇用いて恐れ多くも陛下の口調を「本日、この○○において第29回国民体育大会が開催されることを……」と真似したもの。
陛下が終戦直後過酷な旅程にて日本全土を巡幸され、国体なるものはそれに続き復興した各地を再び陛下に覧ていただくもの。この国体こそまさに日本の<国
体>である。確かに記事(朝日)にある通り国体が二巡目となった88年の京都(陛下にとって先帝のおわせられた都!)での国体をまえにこの開催地優勝の大
きな佐けとなる開催地元に付与される予選免除振るエントリー資格の廃止の如何が問われたが、80年代末という世はまさにバブル謳歌せし頃、国体開催に絡む
「開発」あってはその開催地の亢奮を削ぐなど許されるはずもなく今日に到る。それが高知県において橋本県知事が「天皇杯という仕組みはスポーツの大会には
ふさわしくない」と宣う。橋本知事といえば先帝ご下血され崩御なされる頃にNHKにて宮内庁担当という大役にあり。それがこう発言するとは(選手確保や会
場整備など)「財政事情に迫られただけ」といいつつ昭和の時代が終わり平成という時代が橋本氏にここまで言わせるだけ過酷な時代である証しか。記事の見出
しに「国体の意義、問う契機に」とあるが、問われているのは国民体育大会に非ず日本といふ国家の<国体>そのものかも知れぬ。余の推測ながら今上陛下にあ
られてはこの高知の英断を必ずや内心お喜びにあらせられようと察す。
▼朝刊にて作業服姿のいかにも誠実さうな技術者の写真あり明和電機、代表取締役社長の土佐君、芸術選奨でも受賞かと思えばク
リソツながら田
中耕一君なる島津製作所の技術者のノーベル化学賞受賞。ど
こかで見た顔だと思えば英国のHarvey
Nicholsを買収し西武百貨店香港支店もお買い上げの高級小売財閥Dickson
Poon君とも瓜二つ。テレビニュースに映る島津製作所、玄関を入れば引き窓の向こうに事務所ありその引き窓の上に<受付>という札張られ引き窓
の涌はペンキの剥がれ錆目立ち窓の向こうの制服着た受付嬢が腰を屈めて窓から顔を見せる、とまさに明和電気が醸し出す昭和40年代までのいつか見た工作場
の光景。NHKのニュースに出演し若いアナウンサー嬢に「昨日の作業着姿とはうってかわって……」と言われていたが、昨日、田中氏が着てい
たものは、あれは「作業服」ではないか。では作業着と何が違うのか言われればシニフィアンとシニフィエの作用となるがシニフィアンは作業に着る服で同意な
がら作業着は土方、ツナギなどにて作業服は工場の技術者なり、といふ差異あり。アナウンサー嬢が敢えて「作業着」と言ったとしたら立派(笑)。それにして
も電話でのノーベル賞授与の連絡も英語がよく聞き取れなかったそうで、そふいふ田中氏の研究がどうやって海外に知らされたのか気になるところ。
▼北朝鮮に拉致されたる邦人一時帰国と。いくら子を北に残してとはいへ拉
致された者がまた拉致した国に返る、また拉致された側(日本)もそれを認めるといふのも奇妙な話。たとえて言へば、ある親子が誘拐され人質として犯人は立
篭り食料を警察に要求、食料の受取りのため犯人は人質にされた親を遣り食料を得る、警察はまだ子が人質になっているがために親を保護できずむざむざとまた
犯人に渡すようなもの。あり得ぬ話ではないが国家間にてこれが行われていると思うと訝しこと甚だし。誘拐犯立篭りのときに警察の強行突破、犯人殺傷を含め
を人質救出も手ではあっても国家がこれをすることは戦争といふ事態にて平和国家日本、米国ではあるまひにこれは出来まひ。いずれにしても国交回復への外交
交渉再開を急ぎたるが為のこの不条理。
▼「蘋果日報の報道に由れば」(と予め断わるが)マイケル=ジャクソン
氏、米国にて暴露本出版されマイケル君十年にわたり漂白剤注射続け、とこれは公然の秘密にて誰も驚かぬが、邸宅に個人動物園など設け動物愛護を装ふが実は
動物虐待癖あり曾て来日せし折も連れて參った彼の畏友チンパンジーのバブルス君も祭壇の生贄に、と。これはがマイケル君の呼掛けにバブルス君反応せずそれ
に怒ったマイケル君無二の親友を焼き殺した、と。美容整形に見事に過失あり児童愛癖に動物生贄を揶揄される肌白き黒人、まさに奇行異形の人なり。
十月初九日(水)快晴続く。燈刻ジムにてT君と遇い灣仔の
Delaney'sにて鶏肉のサラダとBeef
& Guinness(牛肉をギネス麦酒使ったソースにて煮たもの)を肴にギネス生麦酒一飲しほろ酔い加減にて快活谷競馬場。R7はHappy
Valley
Trophy(1200m)にてLegrix君パドックにて視線あうといつも微笑まれるが返し馬でまで手を挙げて挨拶をうけLegrix君騎乗の
Victory
Warriorは6.4倍の二番人気にて前走の時計も佳くこれは買わぬわけにはいかぬ。先行馬にて第二コーナーより先頭にたちこのまま最後の直線逃げてい
けるかと期待したが速度落ちぬものの引き離すほどにならず冷馬Bull's
Eye今晩は好調らしき騎手Williams君見事な追い上げにて一着。それに続いて上がったMy
Honour(Schofield君)もVWを僅差で差しVW三着。複勝も同額買っておいて小額を回収。馬主C氏、息子のB君と遇いDashing
Winnerは20日雪辱戦と。帰宅してショットグラスにDordonsジン、Cointreau微量おとして一飮。『道頓堀川』読む。
▼広東語にて20、つまり廿に「やー」という語があり24を「いー(2)
さっぷ(10)せい(4)」つまり「に+じゅう+よん」という言い方とこの廿四を「やー(廿)せい(4)」という言い方あり。30も三十と卅(さー)あ
り。31は「さーや」で畏友M君ふと「さーや」といえば紀宮様つまり清子内親王殿下と。紀宮様が
御年卅一歳におなりあそばせば「これがホントのサーヤや」と具申せしむところ二年前にすでに「さーや」に
おなりあそばされ御年は卅三(さーさん)であることを識る。
▼一昨日読んだ『遠野物語の誕生』に釋迢空こと折口信夫登場しさういへば
ヨシモト隆明『共同幻想論』も折口あらはれやはり感じ入るはこの先生の影響力。ふと平凡社の世界大百科にて引けば「中学教員時代,母校国学院大学の教授,
また慶応義塾大学の教授としてのあいだ、信夫は身を投げうって多くの教え子を育てたすぐれた教育者であっ
たが、自身は生涯独身を保ち、〈あゝひとり 我は苦し
む。種々無限清らを尽す 我が望みゆゑ〉という晩年の作歌がある」と。モノも書きやうとはまさにこれ。実際には〈あゝひとり 我は愉しむ。種々無限淫らを
尽す 我が望みゆゑ〉であるやなしや。キョービの趣も思考に閑暇も幅もなき浅慮なる時代にあっては折口先生もセクハラ変態教員扱い、か。荷
風もエロ作家、乱歩は猟奇オタク、大宰は自殺中毒症……と笑っていいとものレギュラーにて世の嘲笑を授かるか。
十月八日(火)暑すぎず寒からず乾燥せし風そよぐ心地よき晴天な
り。昨日Netscape7.0導入せしものの日本語にての作文には少なからず難あり文書作成ソフトなどから文章写せば意味不明の文字化けあり文字コード
など変換試みるも解消せず文字色すら不安定にて一瞬Windowsへの乗換えなど頭を過るが微軟社の戦略のなかでもIEの寡占化殊更問題多く(参照)
94年だったかイリノイ大学のNCSAよりMOSAIC入
手せし頃からの畏友M君の勧めにてNetscapeのうちComposerとしての最高傑作であるNetscape
Communicator4.8(昨
日まで4.6を使用)を入手。Netscapeもはやビデオ界のソニーのベータの如く風前の灯なれど世界各地に微軟社の寡占化に屈せずNetscapeの
美しさを守る方たちも多し(参照)。実
家より岩波書店より出版されたる荷風先生『斷腸亭日剩』全七巻、ウォッカStarka二本、徳岡神泉「笹百合」(京扇堂)と奥田元宋「富嶽青松」の扇子
(いずれも朝日新聞の頒布による)を小包にて受領。日頃読み続ける荷風先生の日記は東都書房刊の永井荷風日記にて先生ご存命の折出版せしものにて私件色事
など省かれたるものにてやはり斷腸亭日剩読むべきと昨今岩波より出版され入手。丁寧に表紙張られた箱入りながら小包み粗く扱われ濡れた床にでも置かれたか
箱の角など傷み残念極まりなく天気好きことを幸いに涼風ぬける日陰にて曝書し糊の剥がれた箇所など繕ふ。薄暮ジム。独りSupersandwichにて
マーガリン、マヨネーズ、鹽すら省きたる鳥肉と野菜の練り物の三文治と野菜ジュース。拳闘の選手の如し。宮本輝『道頓堀川』少し読む。若き
頃になぜか宮本輝を庄司薫であるとか三田誠広と同じような作家と誤解し読まず。今になって読むが、単純に好きだ。普通の喜怒哀楽。初期の森川信の出演していた頃の「男はつらい
よ」とか、向田邦子とか、小林桂樹のドラマのような世界。喫茶店リバーのマスター武内のリバー開店までの筋に思わず涕涙の感あり。三更にMosaicダウ
ンロードすれば94年の当時モデムでのダウンロードに小一時間はかかっていた(もっとか?)ものがわずか数秒にて唖然、今ではJavaなどスクリプト開発
されMozaicにてそのまま清覧できるサイトも少なきものの懐かしき世界。
▼PCCWの株価ついにHK$1を下回る。かつての香港テレコム、英国通
信大手Cable&Wirelss傘下を経て李
嘉誠の次男Richard(品
川あたりの再開発にも係わる若手実業家なり)がPacific
Centuryに買収されPCCWとなり折からのネットワーク事業バブルにて、当時、光通信など持て囃され、この
Richardとお互い株も持ちつ持たれつ買いつ買われつ今太閤、株価HK$20を越えていたものが通信事業のグローバル化と社名より香港の冠を外したが
運の尽き、ネットワークバブル崩壊し不況相乗し最高値から今日までの下落幅は実に97%、恒生指数構成したる藍股(Blue
Chip)のうち唯一の角股(10¢単位株)となる無惨。
▼昨日の信報にて劉健威、「私家菜」つまり無許可営業レストランについて
曰く、自らも私家菜では老舗となった黄色門(Yellow
Gate)の経営者ながら、週刊誌いくつか私家菜の特集組むにあたり、不況の最中街中のレストランが倒産の憂き目を見るなかで私家菜かなり繁盛しどの店も
予約は数週先まで及んだのも束の間、今ではかつての予約帖頼りに客に電話で来店を誘うほどにまで冷え込み、本来は料理好きの主人が趣味が高じて名の通りの
私家菜(手料理)を客に振る舞ったものが脚光浴び豪華な内装だの鮑魚翅の類を供し卓数千ドルという高級な店から海景一望のマンションなどまで高揚し、かつ
て私家菜が通の間でウケたのは無免許であり隠れて営業し、事情通が口コミにてそういったヤミを食すことにちょっとした興奮があったもので、もはやその趣き
なし、と。劉健威とて黄色門の老板としてさんざんマスコミに登場し他人を揶揄できる立場に非ずとはいえ、さすが私家菜について述べれば高説の通り。とうと
う私家菜には蘭桂坊の周Mamaにて晝に坦々麺食したこと一度あるのみにて流行り廃る。
十月初七日(月)曇。半袖では肌寒き日。この寒波襲来にて何が楽し
みかといへば街を歩く人々の厚着にてさすがに今日は23度ではせいぜい長袖のシャツか薄手の上着程度なれどあと数度下がればマフラー、手袋やコートといっ
た防寒具を「装い」あー寒、あー寒と嬉しそうに街往く人々を見かける。黄昏にジム。このサイトが見づらき事実あり余の嫌ふ微軟社のInternet
Explorerによる寡占に抵抗している由。然れどこのサイトの閲覧者の実に65%がWindowsを使いIEにて閲覧するは事実にて余もいつまでも
Netscape4.3など使ってはおれぬ(技術革新進みこれでは開かぬサイトかなり多し)とNetscape6.0はかなり重く鈍く閉口したが7.0は
快適にて、これを契機にフォントの字も大きくし多少閲覧される諸兄の便宜に応えるものなり。然れど字が大きくなると内容浅はかになるは日本の新聞が実例に
てそれを教訓とす。明治大に学ぶS嬢に頼み送ってもらった石井正己『遠野物語の誕生』(若草書房)読了。筋はまさに書名の通り遠野物語誕生までの物
語にて、想像したるは遠野がこの遠野物語が世に出て遠野がどう物象化されて遠野化してゆくのかというまさにその誕生を語るものかと期待し、その柳田を軸に
した遠野物語をめぐる物語でもよいのだがそういった知の歴史を語らせたら山口昌男なわけで多少物足りなくもあり。ただし「泉鏡花と遠野物語」の項は面白
し。泉鏡花の遠野物語について語るは次の如し。
修羅の巷を行くものが魔界の姿見るが如し。此の種の事は自分実地に出あひて見も聞きもしたる人他国にも間々
あらむと思ふ。われ等も数々伝へ聞けり。此と事柄は違へども神田の火事も十里を隔てて幻に其の光景を想ふ時はおどろおどろしき気勢の中に女の叫ぶ声す。両
国橋の落ちたる話も先ず聞いて耳に響くはあはれなる女の声の人雪崩を打って大川の橋杭を落ち行く状を思ふより前に、何となく今も遥かに本所の方へ末を曳い
て消え行く心地す。何等か隠約の中に脈を通じて別の世界に相通ずるものあるが如くならずや。
とまさに鏡花の面目保つ一文。
大体につきて此を思ふに人界に触れたる山魅人妖異類のあまた数を変じ趣をこそ変たれ敢て清国伝来して人を誑
かしたる類とは言はず。我国に雲の如く湧き出たる、言ひつたへ書きつたへられたる物語に粗同じき者少からず。或は山男に石を食ませり或は河童の手の其等な
り。此の二種の物語の如きは、川ありて家小さく山ありて軒の寂しき辺には到る処として聞かざるなき事恰も幽霊が飴を買ひて墓の中に嬰児を哺みたる物語の音
羽にも四ッ谷にも芝にも深川にもあるが如し。
と、この遠野物語で語られた話は「音羽にも四ッ谷にも芝にも深川にもあるが如し」ってのがいいねぇ。鏡花の
この流れるが如き文章こそ村里のぼそぼそと語れたる物語を嫌ふものかも知れぬ。
恁く言ふは敢て氏が取材を難ずるにあらず其出処に迷ふなり
と。これでけして遠野物語が否定されるものに非ず。都会の見栄。亦た芥川の『河童』が遠野物語のパロディで
あるという著者の説も面白し。本を前述のS嬢に贈る。S嬢は遠野の人なり。
▼日経バブル以降最安値更新。小泉君の答弁も下手な言葉選
びに終始し経済相もこの男がどこまで責任をとれるのかも怪しげ。そのニュースを見ていて何故かふとジョー山中の歌った「人間の証明のテーマ」Mama,
Do you remember?が頭を過る。何故かわからぬが過った。原作は西条八十の「帽
子」という詩。ふと狂歌にする。
……母さん、僕のあの投資株、どうしたでせうね?
ええ、日本橋から市ケ谷へ行くみちで、
神田川へ落としたあのNTTの株ですよ。
……母さん、あれは高い株でしたよ。
僕はあのとき、ずいぶんくやしかった。
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
……母さん、あのとき、向うから若い証券マンが来ましたっけね。
ブルックスブラザースのスーツを着てファイロファクスを持った……。
そして拾はうとしてずいぶん骨折ってくれましたっけね。
だけどとうとう駄目だった。
なにしろまだ汚染がひどくて、それに草が
背丈ぐらい伸びていたんてすもの。
……母さん、本当にあの株どうなったでせう?
そのとき傍に咲いていた車百合の花は、
もうとうに枯れちゃつたでせうね。そして、
秋には、灰色の霧が聖橋をこめ、
あの株の下で毎晩きりぎりすが鳴いたかも知れませんよ。
……母さん、そして、きっと今頃は、……今夜あたりは、
あの川谷に、静かに雪が降りつもっているでせう。
昔、つやつや光った、あのNTTの株と、
その裏に僕が書いた
Japanという国名を
埋めるように、静かに、寂しく……。
▼雅
虎、中国での生き残りを選び中国政府に靡き雅虎の中国語サイトを見ての
通り、まずYahoo世界共通の分類は見えず毒にも薬にもならぬ「お子様」分類があり、かなり下のほうに通常の分類が現れるのだが(それを残しただけでも
雅虎は良心の呵責に堪えかねて、か)ちなみに政府與政治といふ項目は「中央政府」から始るのはつまりは中国が一党独裁で政治といへば共産党中央といふこと
(笑)。それだけならまだしも検索の窓のなかに「法輪功」とか「天安門事件」と打ってみ給へ、コンテンツは何もなし!、北京政府の法輪功に対する公式見解
すら検索できず。思想統制とはさういふものなり。しかしこの雅虎中国のトップにはパリの同性愛市長傷害事件あ
り、かつてはホモ死刑であった国としては格段の進歩だが、よーするに政治のこと=つまり対政府については黙っていろ、と。
▼パリといへばロンシャン競馬場の凱旋門賞、週末にあったことも忘れる大失態。マンハッタンカフェ(蝦名正
義)休養長すぎて13着。優勝はDettori騎乗のMarienbardにてwillhill.comにて見たら11.0倍(オイシイ)。
▼パリといへばそのドラノエ市長、H君によるとこの人ジョスパン引退にてフランス社会党の有力リーダーの一
人とか。次期大統領候補?。このドラノエ氏がフランス政府がブッシュをオネエ言葉でとっちめたらブッシュ逆上して「フランスはホモの巣窟、悪魔の楽園」と
か言いかねぬ、とH君。それでもブッシュのあのマールボロ的なアメリカ男性社会のホモフォビア性はそれが嫌う世界との表裏一体なわけ。ところでノストラダ
ムスの予言では「フランスに赤い薔薇が咲く」といふのがあってそれがミッテラン大統領の当選であると五島先生はノストラダムスの大予言でお書きになってい
たがゲイの左派大統領ではこれがホントの赤い薔薇(笑)。
十月初六日(日)今にも雨降りだしそうな普段の曇空晝前に北からの 季節風一吹すれば途端に遠くの山なみまですっきりと遠望できるほど空気澄み渡り気温は晝でも27度、夜半には23度と昨日より一気に四度下る。晝にかけて ジム。気温下がったことを事由にペニンスラホテルのPoloにてコーディロイのヂャケツ購う。沙田にて競馬。R7(3班1,000m)にて Anabatik(騎手はCahill)短距離を自家薬籠中のものとして目下五戦で1,000mは二冠一亜、1,200mは一冠一亜と負け知らず。今日も これに勝つ。好きな小飛象(Elephant Dance)はR6(・班2,000m)、飛象過河(Flying Bishop)はR10(2班1,600m)にていずれも一番人気で着外とふるわずメインレースR9(精鋭班1,800m)ではC氏の多利高(李格力騎 乗)は揮わず七着。小宮豊隆『中村吉右衛門』読了す。歌舞伎嫌いで通っていた漱石が歌舞伎を「極めて低級に属する頭脳をもった人類で、同時に比較的芸術心 に富んだ人類が、同程度の人類の要求に応ずるために作ったもの」と定義するのはかなり面白し。言い当てていて妙。明治で九代目であるとか五代目歌右衛門の あたりから団菊左に至って歌舞伎が高級なものになるのだが漱石の言う通りの低俗な大衆演劇であるのが本抄。豊隆も書いている吉右衛門の文化勲章で芸術の域 として「公認」されたわけだが豊隆の随筆はこの「吉右衛門と文化勲章」昭和26年あたりから吉右衛門逝去、そして句集、日記の上梓と播磨屋亡き後の文章が いい。若い頃の「吉右衛門論」のような必要以上の緊張がなく吉右衛門という大成した役者の姿が文章から彷彿される筆致。窓を開ければ涼風、すっかり秋の気 配となる。
十月初五日(土)薄曇。朝T氏と先週に引き続き山に入り康柏徑走 る。Mt. Parker Rdまで出たところでY氏と遇いSir Cesil's Ride終点にてBraemar Hillより上ってきたY氏に遇う。晝すぎまで拙宅にて洗面所だの食卓だの補修。夕方買い物。最近のスポーツ店スポーツ風ウェアの用品店と化し実際にラン ニングだの球技だのの運動に用いるウェアをあまり売らず。結局Mizunoを主に扱う旺角の東京スポーツまで赴きランニングウェア購う。佐敦のアウトドア 店にてMontrailの山用ランニング シューズ購う。晩に秋田系カナダ人T君、日本酒好きなK嬢、朝ランニングにて邂逅したY氏とZ嬢手料理にて大信州、出羽桜呑みつつ 款談。コルトレーン、ピンクフロイドなどLPにて聴く。T君とサイードの話する。カナダ人だけあってリベラルにてチョムスキーを読むというので『9・ 11』を貸す。
十月初四日(金〕薄曇。昨日日経平均株価は9,000円を下回りバ
ブル後の最安値を記録。晩にNHKニュース10を見れば奄美大島沖の北朝鮮工作船の全貌が明らかにと海上保安庁の発表がトップニュースにて日本での工作員
の送迎が目的であるとかプリペイド型の携帯電話は日本に潜在する工作員と連絡をとるためと当たり前のことを神妙に報じる。密漁に来たわけはなく観光旅行で
あるはずもなく携帯電話とて北朝鮮への土産のはずもなきことなど明白であるのに。そして拉致問題。バブル後の最安値明けの今日の市場報道は番組始まり23
分後。「暗い北朝鮮」ネタ終わって、東京株式市場は午後に東京証券取引所を視察した小泉君が「貯蓄を投資に向かわせる分かりやすい税制を目指す」と発言し
たことを受け5営業日ぶりに反発し前日比91円12銭高の9027円55銭とアナウンサー嬢はいたって明るい表情。小泉君微笑み「いまを最悪と考えず、最
安値をここがチャンスと思わなければ」だとかと発言、この人はサメの脳味噌と誉れ高き前首相以下かもしれぬ。そりゃ安値で買い高く売るというサルでもわか
る株の原則にて、首相が経済建て直しにむけ政策を組む時に口にする言葉でなし。最安値こそここがチャンスなら今まで何度チャンスがあったのか、これからも
まだまだチャンスがあるということか(悲)。呆れてモノも言えず。投資益(キャピタルゲイン)など香港は無税であり、わかりやすい税制目指すまえに香港を
真似ては如何か。北朝鮮の脅威に怯えるまえにバブル崩壊から立ち直るどころか底なしに沈んでゆく自国の脅威を真摯に受け止めるべき。
▼師走の歌舞伎座は沢瀉屋、大和屋に中村屋という華の競演にて晝は紅葉狩
りにて更科姫実は戸隠山の鬼女(玉三郎)、山神(勘九郎)に平維茂(猿之助)、夜は通し狂言で椿説弓張月は沢瀉屋宙乗相勤メ申シ候ところ勘九郎が噛んで堂
々たるケレン競い。曲亭馬琴のホンで三島由紀夫演出に大和屋といえば彷彿されしは昭和44年まだ無名でありし玉三郎(19歳!)は三島先生に引見し、確か
国立劇場の喫茶室にて誰だかに紹介され白いタートルネックのセーター来た玉三郎少年に邂逅と先生の随筆だったかに記述あり、先生惚れ込み新作「椿説弓張
月」の白縫姫に抜擢し、これが好評を得て玉三郎が一躍若女形として喝采を浴びたる事は世に知れた話。先生「玉三郎君のこと」なる文章(昭和45年)に「そ
の奇蹟の待望の甲斐あって、玉三郎君という、繊細で優婉な、象牙細工のような若女形が生まれた。(略)玉三郎君という美少年の反時代的な魅惑は、その年齢
の特権によって、時代の好尚そのものをひっくり返してしまう魔力をそなえているかもしれない。」と綴る。築地のH君に早速メールすれば「マックイーンと
ポールニューマンが無理矢理共演した「タワーリングインフェルノ」みたい」な組合せ、見逃せず、と。続けて、弓張月のケレンの一番の見せ場は実は主役の為
朝ではなく高間太郎の切腹(これを今回は勘九郎)舞台中央で切腹する高間太郎の上から巨大な波が覆い被さり高間太郎はそのままセリにのって舞台下にさがれ
ば大波が引いたあとに残る一面の大海原……といふこの演出が三島先生自身の発案にてまさに三島流「切腹の美学」の結晶、とH君。この昭和44年11月の公
演より丁度一年後に市ケ谷にて自ら高間太郎を演ず。で、ふと気になりその昭和44年11月三宅坂での高間太郎が誰かといえば猿之助(30歳)!で為朝は先
代の幸四郎。沢瀉屋と大和屋は今回の弓張月で当然初顔合わせかと思えばさに非ず。まことに面白きこと也。
十月三日(木)曇。ここ一年ほど日に50名ほどであったこの日剩の
閲覧が80名ほどに上がる。富柏村の「日常」は綴るにもおこがましき平凡な日々なれば「日剩」にては文字通り剩語(無駄口、余計な言葉の類)ばかりなり。
かつては翌日に前日の剩事思い返し綴りたるものが老いて一睡すれば記憶乏しきこと甚だしく更夜に更新をせしものが日々、ただそれを徒然に綴るも余の老い由
にての癇癪烈したるるか世相狂うが事実かいずれにせよ人生幸路師匠の如きボヤキ止まぬどこ
ろか増すばかりにて老身に半夜の記述はこたへその日の出来事のみ綴るに徹し剩語ボヤキ癇癪の拙感は晝に午餐ののち僅かの時間を割き一瀉千里に及ぶものな
り。夕刻巴珈琲にてエスプレッソ一飮し、すわジムと勇んで駆け込んだ瞬間に満を持して日本に返っていた筈のI君由り電話あり一飮招かれ蘭桂坊の
Schnarrbartにて麦酒。Z嬢加わり太古城の海峡沿いの某日本料理屋にて款談二更に及ぶ。I君本日引越済ませしが荷物片付けず(片づかず、ではな
く片付けておらぬ)寝場所もなしと拙家に逗留。
▼この日剩にても三月より折々綴ってまゐりたるは芸人謝霆鋒君に依る交通
事故にての運転手入替りと警官への贈賄による司法更生妨害にて謝君は保釈の身で幾度もの出廷を繰り返し、而もスポンサー契約せしコカコーラを必ず片手に入
廷と芸人の卑しさ茲まで極まると敬服に値し、父親の謝賢まで息子に倣い同じくコカコーラ始終飲む様は天晴れ、余の如きトーシローが揶揄するに能わず。謝君
容疑否認し続けるが昨日法廷にて警官並びに入替り運転手の供述が信用に足りるものとして謝霆鋒の罪状確定し保釈認められず即刻拘置所に収監。未だ年若くこ
の拘置期間中の服務状況など鑑み二週間後に判決、と。この「事件」に余が関心をもつはこの芸人にかかはりたる物語の面白さ。四月の日剩の記述を写せば
先月二十三日未明に雨中運転するフェラーリ綿花路にて抑制失い車左後部大
破し運転手やむごとなき事情ありか雲隠れするもカローラならいざしらずフェラーリでは車主は明白。芸人Nicholas謝霆鋒君にて警察に出頭せしは彼の
助手。謝霆鋒君より車を借りて運転中の失事と供述。されどこの自爆事故謝霆鋒君似と女歌手張柏芝似の男女が事故車に後続せしベンツに乗り移り現場から去り
たるを目撃し人あり。謝霆鋒君は60年代の若者映画スター謝賢の子息にて北米にて十五まで育ち東京に寄宿し歌舞音曲を学び香港にてデビューせしは96年の
こと。一旦はアイドルを演ざるを得ぬShow
Bizに嫌気さしカナダに引き籠るが時恰もアジア通貨危機バブル崩壊にて謝賢の投資悉く負資産と化し資金繰りに困窮。それに手を差し伸べしは香港がライジ
ングプロ?英皇娯楽集団が領袖楊受成にて謝霆鋒カナダより戻り謝家を救いし英皇娯楽と長期契約し芸道へと復帰す。とここまでは美談ながら猛き若者が歌舞音
曲に優れれば淫蕩をかき立てらるるは路地の中本の若衆、六本木でぶりぶりいわせし松緑襲名目近の音羽屋の若旦那同様の性にて謝霆鋒君若きうちから浮き名流
せば醜聞絶えることなし。芸人として絶えず大衆の目前に立たされ芸事に忙殺され女と遊ぶか酒に酔うか深夜酔った勢いにて時速200kmにて高速車にて馳せ
る他謝霆鋒君の重圧掃ける時もなし。記憶に新しきは秦那の歌姫王菲(Fay
Wong)との一回り違ふ姉貴との恋愛歌姫と若君との物語に人々酔いせしがこの春破局迎えその直後にこの事故。醜聞媒体は張柏芝との事捲し立てぬ筈はな
し。昨日廉政公署ICAC謝霆鋒君及びこの助手、警察官一名を司法公正妨害並びに贈賄にて身柄拘束し事情聴取。しかも深夜二時に張柏芝の自宅にて逮捕との
見事なまでの物語。歌舞音曲の世界の凄まじさなり。
……といふ、もし故・中上健次が小説に綴れば、貴乃花怪しき宗教に凝り家
庭崩壊し故障し休場続け呆れ果てられ復帰すればヤンヤの喝采はやはり平成の大横綱といふのと同じで、面白き話なり。謝君この事件ののちも暴走運転など続け
「楽しみ半分かフェラーリにて追従する蝿記者の低速車を愚弄せし為業にて連日の暴走はまるでジェームス=ディーンよろしく若くして事故死すれば永遠に明星
か」(五月二十八日の日剩)と思われるが、昨日の収監さ
れる護送車にての表情もやはり下衆にはけしてできぬ妖
しき笑みにて高貴にして猥雑なる芸人らしきみごとなニンあり。今回のこの謝霆鋒「事件」の焦点、流行りの芸人の罪状に対し司法公正の如何が注文さ
れしこと。董建華政府かつて星島日報社、広告収入増狙い発行部数偽る不正ありし折、星島日報の如き大企業倒産することによる失業を回避(笑)と董建華指揮
権発動し律政司司長・梁愛詩動かし董建華の旧知なる社主・Sally
Aw不起訴とし香港返還後の司法不公正の前科あり。北京という権力にはすでに屈せし香港司法、業界の「しかるべき筋」からの圧力なり謝霆鋒ファンの少女た
ちを傷つけぬためなどという情状酌量なく司法厳正に貫徹されるべきながら政治家官僚大企業の権力に基く巨悪とは異り芸人風情の愚行にて謝霆鋒更めて世に放
たれるも亦た可笑しきことなり。
▼今月初旬に平壌入りした際は政府専用機のタラップ上にてはいずれが内閣
総理大臣にていずれが小役人かわからぬほど首相小泉君をも凌駕せしほどのニンであった田中アジア局長、拉致問題の対応の拙さあり昨晩今回の調査団の報告を
読み上げる様は表情精気削がれ衰弱甚だしき。己の手腕あらば外交など成樹能わざることなしと信ずるも拉致されし同胞の生死は軽んじられるべからず己の驕り
悟り得給わりしかと察す。
▼台湾前総統・姓李臣登輝先生すでに病気治療がため来日の前歴あれど今回
は11月末の慶應大学三田祭にて「これからの日本精神」なる公演のため訪日、と報道あ
り。台湾人として生まれ日本人として育ちコーネル大学にてアメリカの自由なる風土に触れ学究の道より政界入り外省人魑魅魍魎闊歩する国民党にあって本土化
を進め民主社会を実現するまではまさに天晴れなれど司馬遼太郎相手に台湾の悲哀を語りし頃を境にしか小林よしのりの対談に応じ見事に利用されるなど醜態露
見され始め先日の沖縄タイムズ相手の尖閣列島日本帰属発言など一国の元・元首にあるまじき発言にて、人は老いることにて幼少に返るといふがまさに李登輝老
いて単なる老日本人になりし、か。今回の慶応大も学生団体の主催といいつつ金美齡による工作あり慶應といえば学者といふもオコガマしき加藤寛あたりが慶大
による招聘を欣喜雀躍しておるのではなかろうかと察す。李登輝の講演など聴かぬでもどうせ「日本には素晴らしき伝統と智慧あり、それに臆するべからず堂々
と自信をもって国際社会において確固たる地位を築くよう躍進すべし」「私はそういった精神を日本に学んだことを誇りに思う」と宣い、保守反動右翼の諸君喜
ばせ、当然のことながら福沢諭吉を挙げて福沢先生に傾倒せし丸山真男の『文明論の概略を読む』からも語り、と日本の良質なるリベラルにも触れれば左右を問
わず誰もが喜ぶ、と想像に易きもの。正論ではあるが徒に元・日本人にそれを語らせるを拝聴し日本人が己を誇るとは真に浅ましき。ましてや大学の学生たる若
者が老人に励まされる後援会開催とは……。
▼返還後の暗黒なる社会において「香港の知性」とまで称されるほどになり
し元・司政司司長・陳安生女史、退官後始めて香港について語り記事になるは英国のタイムズにて今回はワシントンのThe
Heritage Foundationにて23条立法化について香港政府の立法化の危うさについて講演。明らかな香港政府への指弾であり香港政
府にとっては未だに市民からの信望高き女史の苦言は歯がゆく、中国政府にしてみれば「そら見たことか、この欧米の奸漢が」というところ。
十月二日(水)曇。早朝、小宮豊隆『中村吉右衛門』(岩波現代文
庫)読み始める。とくに「中村吉右衛門論」は明治44年に書かれたもので豊隆弱冠27歳。明治にこのような一人の役者の評論がなされたということは驚き。
しかも吉右衛門が九代目団十郎の薫陶により(これは私は個人的にはそんな素晴らしいこととは思えないが)「型」の歌舞伎に「心」を持ち込んだ近代の役者な
ら豊隆もまた『演劇画報』に代表されるそれまでの芝居見物評を批評と「しようとした」人。黄昏てジム。晩に「中村吉右衛門論」の続き読み思ったが、(朝の
記述に続き)だが、問題は吉右衛門を讃めるために播磨屋と並んで当時の若手の花形である六代目(菊五郎)は「菊五郎の芸には抑揚はあっても極まり処は的確
に極まっても緊張感にムラがあって高潮を経験することは出来ない」とか一つ上の世代で円熟してきた十五代目(羽左衛門)までを否定することで吉右衛門の良
さを引き出すという、批評においての「他を否定することで良さを見せる」といふ禁じ手がふんだんに使われてしまった。そして「吉右衛門が今後の努力は哲学
と芸術と宗教を合して太初以来また永久にわたりて消滅せざる人類の最初にして最後の問題に触れていく点にある」と、弱冠27歳はそこまで言う。しかもこの
吉右衛門論を読むと大成した天才役者に捧げた文のようであるが実は播磨屋は豊隆より一歳年下でまだ若手。だから「今後の努力は」なんて書かれてしまうわけ
だけれど、吉右衛門を例えば若き日のアーサー・C.
クラークであるとか大野一雄であるとか誰を置いてもこの文章は生きてしまう。ということは吉右衛門のことを書いているようでいてこれは実は批評文の習作で
あったりもする。そうやって読んでみると、この「中村吉右衛門論」は批評の体裁をとっているが批評とはいへまひ。確かに吉右衛門が優れた役者であるにして
も正直いって「まだそこまで讃めるには……」というのが実際じゃないのか。それじゃなんでそこまで豊隆が讃めるのか、吉右衛門という役者に惚れているのか
しら。客観的になど見えていない。舞台で見る吉右衛門は完ぺきであり豊隆にとっては拝みたいほど。その心境で書いたのがこの「中村吉右衛門論」といふファ
ンレターかもしれない。ところで、豊隆も言及しているが吉右衛門は(……とここまで書いていてふと思った
が誤解がないように書いておくと(歌舞伎など珍紛漢紛の方も多かろう)ここで述べている吉右衛門というのは鬼平犯科帳でお馴染の吉右衛門(二代目)では当
然なくて二代目の祖父であり義父にあたる先代の吉右衛門(1888-1954)のことである、念のため)「吉
右衛門の芸の範囲は狭いと言う者がある」そうで(私だって実際に先代を見たことがないから知らないが)私が子供の頃から思っていたのは吉右衛門の有名な役
の数々を写真で見る機会が多く(写真が今でもよく使われる点では六代目であるとか先代之成田屋などより群
を抜いている)有名な熊谷直実であるとか佐々木盛綱(こ
れは現吉右衛門が小四郎役で吉右衛門の盛綱と映っていることでも有名な写真)とかどの役の写真を見ても
「あ、先代の吉右衛門だ」とすぐに合点するほどこの人の表情は、どの役を演っても吉右衛門は吉右衛門ということ。たとえば沢瀉屋が忠信を演ったにしても宙
乗りなどあれだけ個性の強い沢瀉屋だとて写真を見た時に「あ、猿之助だ」と思う前にまずは「四の切だ、狐忠信だ」と思って、そして沢瀉屋だと思う。なぜか
といえば同じ猿之助が鮨屋で権太を演ると忠信とは違った権太の表情を見せるからである。が吉右衛門は何を演じてもまず吉右衛門。それを凄いと感動するのか
(豊隆は間違いなくそうだった)ちょっと役者としては面白みに欠ける、と見るか、人それぞれ。ふと思えば当代の播磨屋も祖父であり義父のこの先代のそう
いったものをちゃんと継承しているのか、この役者もどの役をやっても「播磨屋だなぁ、この演技」と勿論巧いのだがすごい個性を見せる。顔もどの写真を見て
も当然いつもの播磨屋の顔を見せる。余談だが、だから播磨屋の芝居となると観客席に強烈な播磨屋フリーク少なからず芝居の間ずっと「はぁりまや~っ・・」
と魘されたように呟き続けるご婦人客がおり周囲の客が迷惑を被るのだが……。話は余談に逸れたが、いずれにしてもこの豊隆の「吉右衛門論」は明治44年、
明治が終わる前年だもの、当時、ファンレターか批評かわからないけれども、こういった<近代の文>で以て書かれただけでも画期的なこと、そういうことであ
る。だいたいにおいて劇聖といわれた九代目とか名優の誉れ高い六代目であるとか、役者としてどれくらい優れていてもこういった本が上梓されるのはそれが吉
右衛門という人だったから。吉右衛門のあとには、そういった扱われ方、つまり役者というより批評の対象として「思わせぶり」がニンである役者(……なんの
こっちゃ?)は「中村保にとっ
ての」歌右衛門ただ一人しかいないだろう。
▼自由と平等を唱える彼の国において本日より15カ国がテロリスクありと
いう理由で入境の際に指紋押捺や写真提示などの措置受ける。多くはアラブ、モスリムの国家にて伊蘭、伊拉克、利比亜、蘇丹、叙利亜、沙特阿拉伯、阿富汗、也門、埃及、索馬里、巴基斯擔坦、印度尼西亜、馬來西亞、
それにブレイク中の北朝鮮と
彼の国の古典的冷戦対峙国・古巴と
なる。この短絡的な対テロ偏見と人権侵害。呆れるばかり。この国名にリンクさせたCIAに
よる各国情報は本当にタメになるもので一読の価値あり、つまり二度読む価値はなし。とくに各国情報に書かれた巻頭のbackgroundは米国がその国に
対する正直な理解であり、そういったものを羞ずかし気も迷いもなく露出できるのが良くも悪しくも米国という国の浅はかさ(あ、讃めてないか……笑)。ちな
みに同盟国・日本は
日本は由緒ある文化を維持しつつ19世紀後半から20世紀初頭にかけて西
欧のテクノロジーを迅速に取り入れた。第二次世界大戦での敗戦ののち日本は世界で二番目に最強なる経済体として復活し、合州国の忠実なる同盟国
(staunch
ally)となった。天皇は国家統合の象徴として君臨し、実際の権力は政治家、官僚と財界の強力なネットワークにある。経済は30年間に及ぶ急成長を経て
90年代に大きな低迷を迎えた。
と極めて現実的によく纏めてある(明治以来の「文明開化」で日本は西欧の政経、文化に到るまで諸般取り入れ血と肉としたつもりでいるが、それが実はテクノロジーだ
けである、つまり上辺だけ、と認識されている事実!)。そして自国もちゃんと各国情報の一つに掲載してお
り、合州
国は
英国のアメリカ植民地は1776年に母国と袂を分かち1783年のパリ条
約によりアメリカ合衆国なる新しい国家として認証された。19世紀から20世紀にかけて元来の13州に北アメリカ大陸を跨ぐ拡大と海外占有地の獲得により
37の新しい州が加わった。国の歴史のなかで最も痛ましい二つの経験は1861年から65年にかけての内戦(南北戦争)と30年代の大恐慌である。二つの
世界大戦での勝利と91年の冷戦の終結により合州国は世界で最強の国家となった。失業率とインフレの低さ、テクノロジーの迅速なる発展により経済は順調に
成長を続けている。
手前味噌とはまさに此なり。テクノロジーのバブルも弾け21世紀を迎え経
済は低迷を始めたが自国のディテールについてはアップデートしておらず(笑)。一読すればわかる通り、原住民の命と土地を略奪し建設されたこの国家にとっ
て最も痛ましきことは正義の名の下に世界に軍事介入し無実の民を殺戮せしことながら当然それも理解できず。当たり前か。
十月一日(火)国慶節なり。余に国家を祝賀するほどの知性はなし。
H夫妻の主催で10名ほどにてMcLehose
Trailの3段15kmほど歩いての山登り下り。中野のY君より最近ジムにて大流行りとチタンネックレスなるもの贈られそれをH夫妻に見せると実はこのファイルドなる会社がH夫妻の京都の家のすぐそばにて数年前からH夫妻はファイ
ルドマニアであることを知る。何事も信じ易き性格にて、昨日よりこれを首にして確かに肩凝りが軽くなった!と言いたきところながら馬鹿にされるのを知って
おり躊躇。晝に3段終わり4段に進むH夫妻らと別れバスにて馬鞍山、タクシーで沙田の競馬場。国慶盃、正蝦王(Allan、Marwing)が一番人気な
がらどうしても兄蝦に比べるとこの正蝦と快蝦は線が細く見え赤胆福星(Size/Dye)に賭け、有本銭とW氏の持ち馬・新力軍と組合わせるが結局、蝦が
一着、二着に有本銭、赤胆福星は三着。順当といえば順当か。他後半レースには御林軍、緑色世紀、自家飛、祝福など今年注目株が出て安定した力を見せ本格的
なシーズンに入ったことを実感。あまり荒れず久々にどうにか回収。晩に国慶節祝賀の花火。折からの雨空に、また引っ越してかつては自室から花火一望したも
のが方角が異なり今後花火見えず。深夜、橋本治の三島本(三島論とはいふまひ)読む。
▼昨日の信報の専欄にて林行止、日本経済の厳しい現実の数字を密に挙げて
結論として曰くは景気回復を図るべく産業再編など構造的な体質改善、抜本的改革が提示されぬままデフレで産業経済が萎縮してしまっているなか「今回の小泉
内閣改造によって公的資金導入による銀行不良債権処理「だけ」がなされても景気が上向くはずもなく唯これが(再建困難と判定された企業の)倒産狂潮と80
万人から180万人の失業を生じさせ社会は恐慌状態となり与党自民党は支持を失い小泉の存続も在りえず」と。このような見せかけの改革では拙いことを香港
政府は見習え、というのが林行止の主張。ではそうなった場合に政権交代か。民主党はといへば朝日夕刊の地球防衛家のヒトビト(しりあがり寿)にて学芸会の
舞台にて劇演じる出演児童二人が「誰も見ていないぞ」「よっぽど劇がつまらないんだ」と気がつき舞台で喧嘩となったら観衆が盛り上がり「ウチワもめになっ
たら注目された」「まるで民主党だ」と揶揄される始末。朝日の社説は「人事権をもつ首相が古臭い手間を省き一気に決めてしまう。年功序列や派閥順送りの人
事を排するために、こうした手法がこれからも定着することが望ましい」といふが若しこの手法は失敗した場合にもはや自民党的な年功序列や派閥順送りにも戻
れず、かといって議院内閣制の中で英国的な不文律のConstitution(政権がいずれの党に移行してもけして変わらぬ国のかたち、とでも云おうか)
があるわけでもなく米国型の大統領交替による一掃人事に適うだけの人材登用ができるわけでもなし。お先真っ暗。
▼昨日のSouth China Morning PostにBob
Allcockなる香港政府のお抱え御用弁護士論説を呈し基本法23条の法制化によって言論の自由は侵害されぬという主張するが一読して驚愕せしは、言論
の自由がこの法令により制限される例として「中国が他国と戦争状態になった時に香港永久居民がその敵のプロパガンダを扇動した場合は敵を支援したこと」つ
まり国家転覆に寄与したこととなり、この法の対象となる、というような例を挙げる。国家が国家の名の下に戦争などといった集団的狂気に走る時こそ言論、思
想信条の自由が確保されるべきであり、米国ですらチョムスキー先生のように政府の軍事行動を糾弾しても罪にならぬが、これではまさに昭和20年までの日本
と形相を同じくするものなり。民主党党首・李柱銘は本日の『信報』とSCMP紙とに投稿し、そもそも今回の基本法23条による起草の問題は立法会の委員会
の席上、議員より保安局長・葉劉淑儀に何度も質問がされたようになぜ白紙草案(White
Bill)として市民に意見を聴く提案とせず保安局が強引に藍紙草案(Blue
Print)にしたのか、ということにて、葉はそれに対して「青色の何がいけないのか。青色でもみなさんが読むことはできる。重要なのは内容であり紙の色
ではない」と宣い「内容のわからないタクシー運転手、ウェイター、マクドナルドの店員とこの23条について私と討論しろ、というのか。草案は議員、法律家
や学者など専門家がすでに内容に通じている」と応えている。李柱銘この施政に対してこそ市民は自らの自由を守るため意見を言うべき、と。明らかに<帝国>
なるものが社会を覆う現実なり。