教育基本法の改「正」に反対〜! 反対はこちら。文部科学省の中教審答申はこちら。ちなみに文部科学省サイトには教育基本法の原文すらないのが事実。
文部科学省は他にも「英語が使える日本人」の育成のための行動計画……だって、ダサ〜!、英語が使えれば日本人でもアイヌ人でも朝鮮人でも何人でもよし。
 
富柏村日剰サイト内の検索はこちら
既存の新聞に満足できないなら日刊ベリタを読みませふ。富柏村の記事も「稀に」あり。

2000 年11月24日からおそらくあなたは 番目の閲覧者です。


富柏村の白黒写真インデックスを設けました→こちらちなみに左上の写真は勿論、富柏村の撮影ではありません。Photo by Liu Heung-shing 1981
   
十月三十一日(日)快晴。朝九時に陽明山荘(の前)に四名で集合し来週末のトレイル本番に向け最後の練習。A君らの精鋭チームも同じ場所で練習開始。ランニング中の馬友I君も集合場所に現れ久々に練習で八名も集ふ。ジャーディン山より大潭のダムを抜けリパルスベイの峠から双子山登って三時間かからず赤柱近くのウィルソントレイル始発点に到着。赤柱の海岸の小さな店でビール飲みバスで帰宅。十一月になろうといふのにまだ海が気持ちよきこの陽気に香港はやはりやめられぬ。ジム。夕方来週早々に帰国の近隣に住まうO氏夫妻と七歳のJ君来宅。ゆっくり時間とれずお別れに夕方のビールとバランタインの21年。J君の大人相手のなかなかの愛嬌。今朝トレイル一緒したO君が来週のトレイルの荷物Z嬢に預けるため持参して来宅。0君の息子も今は小学一年のJ君と去年まで幼稚園一緒とわかりO君は息子のT君を自宅から連れてきて拙宅に珍しく子供の歓声賑やか。皆さんお帰りになり焼魚で夕食。NHK特集で地方自治体が構造改革特区として地域復興に尽力中なる番組眺めれば国の政府の所轄や権限に対しての話で本来(石原都知事ぢゃないが)自治体といふのは自治体であるから自治する地方で何でもできるわけで外交や軍事といった国が為切ると限定されたことを除き自治権がある筈がこうして構造改革特区とでもならねば何もできぬのはつまり自治など行われておらぬからで構造改革特区など推進するより本来の自治=民主主義が何なのかを考えるほうが重要なのではなかろうか。
▼一昨日は米長騒動と佐藤忠男の映画『2046』の評にやはり朝日購読してよかったと感動したが今朝の朝刊は公明党取り上げ「もっと自分らしく」と聖教新聞ぢゃないのだから、とため息。「公明党と創価学会の関係に不透明なものを感じている人は多い」だの「創価学会との関係をもっとオープンに」だの、と。公明党と創価学会の関係など誰も不透明になど感じておらず。公明党が創価学会の党であることは公明党の竹入君の言明待つまでもなく透明な事実で何を今更、で而も関係が不透明と言っておいて関係をオープンに、という注文こそ朝日の言いたいことが不透明(笑)。社説として主題に照らせば、公明党が自民党の補完装置にならず公明党らしい党是を打ち出すことで創価学会以外の支持者も得て創価学会の党から脱皮して……とでも言うべきところなのだろうが、結局は「創価学会の党」といふ「事実」があるとわかっているから、そこまで公明党の成長を期待できず、が朝日の本音……ならば社説でまで公明党を取り上げる立場になかろうが。
▼米長邦雄名人の日記。やはり陛下に「強制はよくない」と言われた直後の「本当に素晴らしいお言葉をいただきありがとうございました」が自ら述べたことの陛下の苦言に対しての返答と思えば支離滅裂のようでいて実は本人は「近代の超克」モードなのは本日の日記読めば「掲示板への多くの書き込み有難うございます。読みきれないくらいありました。感動しました。感激しました。陛下をご尊敬申し上げている人達のなんと多いことか。お言葉の深さを本当に肝に汲みいるように受けとめている。数々の書き込みを拝見して、心がひとつであるという氣が致しました。胸を打つ書き込みが多く、重ねてお礼申し上げます」ともはや名人本人が陛下の苦言受けたことなど忘却の彼方、ただ国民が陛下への賛辞(つまり米長名人への非難なのだが)読み自らがどれだけ罵倒されようが陛下の評価高まることへのこの快楽。パンチドランカー。自ら加担する東京都の教育政策が国旗国歌の強制であることなど記憶にもなく政府見解として「強制ということではなく、喜んで自発的に掲揚したりするありさまが好ましい」の環境整備に都の教育委員として力尽くし後任者へバトンタッチしたいと述べる。やはりすでに違う世界に米長先生旅だつ。でこの米長騒動のあと名人は富山県にお出かけになっていたのだが富山の上平村なる鄙びた場所(明日十一月一日にこの村は南砺市となり廃村)で上平中学は生徒数26名ながら村長の大英断で全生徒を米国旅行させたそうだが名人に「米長先生、東京では卒業式に国旗を掲揚しない学校があるんですか」と尋ねらる。「富山県では小中学校全校掲揚している筈です。国歌を斉唱しない?えっ、起立しない人がいる?」と驚く富山の人。それを聞いて名人は「東京を変えて日本を変える。これが間違いだったのか」と達観し「心の東京革命は、先ず首都東京を改革してから全国発信しようという意氣込み」であり「文部科学省よりも先に進み、全国へ波及させる。井の中の蛙とはこのことか。日本には健全の自然と人間が共生している地方があるのをすっかり忘れておりました。驕っておりました」と自己批判。「東京を変えることは、発信ではなく着信だったのか。東京こそ変らなければならなかったのか。むしろ東京さえ変れば良いと言い切ってしまおう。多くの励ましをいただきました。東京は地方に負けないように努力致します」と米長名人はもはや誰も制馭できぬ「あの世」モード。富山の田舎など日の丸も君が代も何ら疑問なく茶の間には昭和天皇皇后両陛下の御真影あるのが珍しくもなき地方にて一昨日の園遊会にて単なる愛国名人から尊皇名人と化した米長先生はこの「自然な愛国心と皇室への愛着」此処に東京にはなき理想的な日本見いだす。ここから東京を変えよう、と。もはや都知事石原君も「とんでもないのを委員にしてしまった」と後悔だろうが石原自らが変人聚めた結果ゆへ誰も同情もせず。

十月三十日(土)快晴。イラクの人質となっていた日本人青年殺害との報道あり。朝早く金鐘。M君と会い用事済ませピークの太平餐館?(旧ピークカフェ)のベランダにて朝食。昼前にもう一つの用事済ませ昼にかけピークの知人宅にてガーデンパーティ。午後M君に中環に送られジム。来週末の余興用に三鞭酒購いにワトソンズワインセラーに参るがLansonは扱っておらぬそうで思いっきりドライの三鞭酒欲すと余が言えばMoet&Chandon勧められモエの何処かドライなのかとわからずOliversにてLansonの黒帯四本購ひFCCにて土曜日午後のドライマティーニ二杯。新聞など目通し。夕方Robinson道のI氏宅。I君夫妻、O君、Z嬢らと来週末の余興の準備打合せ。三鞭酒四本お渡し。I夫人手作りのケーキと珈琲。居間よりヴィクトリア湾絶景(写真)。某客あり中環スンンレー街の蓮香楼に食す。七時で満席繁盛(写真)梅菜蒸肉餅など食して思うは例えば日本で親子丼の具だけ食せば鹹さも甘さも強すぎるがこの店の味付けといふのは肴によし飯のおかずによし。今晩は行けぬと覚悟していた灣仔のアートセンターでのLaden2004なるダンスのパフォーマンスZ嬢と観る。小亜細亜舞踏網絡と称しChan Yu Chun(台北)、Natalie Cursio(ブリスベン)、Daniel楊春江(香港)、池田素子(東京)と丁永斗(ソウル)の五人の舞踏家による独舞と休憩はさんでの群舞。その順で最初どうなることかと不安だったかさすがに地場のDanial Yeungの登場からの三人の踊りが小劇場のわずか五十余名の観衆惹き付け群舞の良さは格別。期待以上の舞台。Danial Yeungの踊るための身体とそれと対峙する静体としての?曜君の舞台の対比興味深し。ジムに一浴。
▼一昨日の米長騒動はやはり陛下の御言葉に牴れぬことが得策と陛下には大変失礼ながらこの国はすでに陛下を象徴などと据えるは形式にすぎず、ただ戦後六十年培ひし「あるがまま」に徹す。読売産経は依然米長騒動には黙して語らず朝日も朝日にとっては陛下の御言葉は朝日にとって勇気づけられるものながら本日の社説にて米長愛国名人が園遊会といふ場で政治的発言したことの誤りに言及、陛下の主張は異例だが政府見解の通りで「天皇が政治に巻き込まれれば象徴天皇制の根幹が揺らぐ。園遊会発言を機に、このことをあらためて確認したい」と結局は「黙して語らぬ」と同じこと。つまり右派はなかったことにして但し東京都の強制は「行き過ぎ」で自重、左派は内心は陛下の御言葉に勇気づけられたものの陛下の政治利用避ける点では今後「陛下も愛国心の強制は……」に言及できず。そういう意味では陛下の存在が、天皇制といふものが日本にとって戦後単なる象徴のようでいて、形骸化しているとすら見えていて、やはり実に政治的に君臨していることの証であり、寧ろ平成になり今上天皇の存在が日本の政治にとってどれだけ抑止力として働くか明らかになる。今になって宮台真司の指摘する天皇の政治性、政治的利用価値について考えさせられるばかり。新潟の地震と日本人青年のイラクでの殺害の谷間にて米長騒動の風化進むのであろう。まほろばに将棋の駒が勇み出て天の岩戸に滑り倒けたり、か。
▼銅鑼灣の蘭芳街の角にバブルにて地上げの土地あり。バブル崩壊し数年更地のまま一昨年だか地盤工事始まるものの杭打ちからして音が弱々しく打つ杭も細く一軒家の如し。ようやく全貌現れるが銅鑼灣の一等地ながら両袖の「再開発」で地上げと撤退が噂される老朽化せし建物とファザードを形成する同じ高さの、しかもチャチながら五十年代の巴里の如き建築に「何を今更この建築がこの銅鑼灣に」と驚くばかり。デザイン的には個人的に嫌いぢゃないが実際に接ってみると様式の美しさは外見のみで実際の施工の拙さは空前絶後。三年経てば取り壊し要すか。最初からそれを見越しての建築なのか。

十月廿九日(金)薄曇。朝刊(朝日)開けば思わず卒倒せむばかりに驚くは昨日園遊会にて東京都教育委員の愛国棋士米長某厚顔しくも陛下の御前にて「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と述べ陛下に「強制はよくない」と苦言呈されしことと佐藤忠男先生の映画『2046』の映画評に「香港人の不安と痛み映し出す」といふ題に涙零れるほど。朝日新聞購読していてよかった、とつくづく感動(笑)。畏れ多くも畏きは天皇陛下の御言葉。昨日園遊会にて東京都教育委員の愛国棋士米長某陛下の御前にて「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と述べるに陛下「ああ、そう」と先帝髣髴させらるる受け応えに米長某「頑張っております」と付け加え陛下「やはり、強制になるということではないことが望ましい」と述べられ給ふ。愚直なるはこの将棋指し「もうもちろんそう本当に素晴らしいお言葉をいただきありがとうございました」と低頭し謝辞。平成の歴史に残る場面なり(朝日)(映像)。ちなみに読売、産経の愛国両紙はこれにつき本日朝刊では沈黙。陛下の御発言について宮内庁次長園遊会後発言の趣旨確認し「陛下の趣旨は、自発的に掲げる、あるいは歌うということが好ましいと言われたのだと思います」と説明。これは「国旗・国歌法制定時の『強制しようとするものではない』との首相答弁に沿っており政策や政治に踏み込んだものではない」と釈明。久が原のT君の指摘通り「この明治維新以降天皇の口にせられし最も過激なる言」は先帝の二二六内亂の砌「朕自ら近衛兵を率ゐて鎮壓せん」と勇み立たせ給ひけむ先帝陛下逆鱗の言に勝れること数倍、殆ど比較にならず、と。確かに。時の宰相田中義一君天皇に異言を咎められを辞したるの先例すら昨日の園遊会でのこれに比べれば軽し。T君察するに先帝陛下ならば何と仰せられ候や。たゞ無言で通り過ぐるか、さなくば「あ、さう」とでも流し給ふか、恐らくそのいづれかなるべく候。聖上のお言葉は無學代議士・小役人の國會答辯にてはなく候。その場しのぎの輕々なる言など、今上皇帝これまでの御生涯を鑑み奉りても、一つとしてこれあるべからず候。その發語に無駄なき御性情、また昨日席上にて御對話の文脈に則れば「強制でないのが望ましい」とは「現に強制してゐる」ことの婉曲なる御指摘に他ならず。この間髮をも入れざる陛下の機鋒の鋭さ、言語感覺の鋭敏さに對して自ら發する語のみならず相手の語の内實さへも斟酌なす能はざる將棋指し某の魯鈍さ、どうにもかうにもお話にもならずとはこのことに候、とT君。ふだんあまり覘かぬ2ちゃんねるでも珍しく横からチャチャも入らず米長某への避難と陛下への「見直した」といふ発言多し。ちなみに米長某のホームページには本人の「さわやか日記」も昨日のこと記載未だなくサイト上「世間様は私が一生懸命に生きているのを分ってくれている人の方が多いように思います。感謝。ありがたいことです。励みになります」と素直に喜びを語ったといふ名人(こちら)に掲示板も将棋名人に対して「最大の禁じ手」「誤手」などと辛辣なる苦言多し。本日は金曜日にて午後三時より東京都知事石原某の記者会見期待するばかり。官房長官細田某「象徴としてのお立場を十分にご理解になった上でご発言になっており、国政に関する権能を有しないと定める憲法の趣旨に反することはない」との認識を表明。話題の法相南野某女は期待に応え(笑)国旗掲揚国家斉唱を「自ら進んで行うのが望ましいと(いう意味で)おっしゃったのではないか」と見事なる発言、国歌斉唱時に起立しなかった教職員を東京都教育委員会が懲戒処分にしたことについては「個別案件にとやかく言うものではない」としながらも「一人ひとりの価値観(の問題)だから、自主性に任せていいと思う」と都教委の対応に疑問も呈すまさに右往左往。これについて文部科学相中山君「国旗国歌は強制ということではなくて、喜んで自発的に掲揚したり斉唱したりするありさまが望ましいということをお述べになったのではないか」と感想述べ東京都の教職員処分は「校長や先生は関係法令や職務上の命令に従う責務を負っている。思想や良心の自由が内心にとどまる限りでは保証されなければならないが、(不起立という)外的行為となって表れる場合は一定の合理的範囲内で制約を受ける」と指摘し 「校長が学習指導要領に基づき本来の職務を命じることは教職員の思想良心の自由を侵すものにはならない」と述べ法相とは異なる見解。首相小泉三世は本日午前皇居に内奏。気になるところ。自民党総務会長久間某は陛下の発言につき「非常にごく当たり前のことで、自然と強制でなく、みんなが国旗を掲揚し、国家を歌うことが望ましいと言われたのだろう。そういう雰囲気が出来上がるのが一番いい」と述べる。自民党としての「おとしどころ」はここか。あきらかに陛下の御言葉を歪曲した理解。陛下の「強制はよくない」は自然と国旗掲揚し国家歌う「それならそれはいいが」強制はよくない、つまり国旗国歌に反対する人もいても容認すべきことが大切、けして「みんな」と強いることへの苦言。イラクではアジア人の遺体発見といふ報に政府まだこれが日本人捕虜かどうか確認していない、と小泉三世。もし日本人捕虜殺害され陛下の愛国心強制反対では政府与党にとってダブルパンチ。都知事の記者会見(映像)。新潟の地震について述べ東京での災害の場合、ヘリポートなど東京のもつ救援設備、施設は規模が違うと地震たっぷり。だが素人目にも新潟の辺鄙なる地であれだけの災害。東京で同じ規模の直下型地震発生の場合、ハイパー消防だか百機以上の救助用ヘリコプターでどれだけ対応しきれるのか想像するだけで怖いものあり。朝日の記者の「米長騒動」についての質問に対して都知事「文相の発言妥当」と述べる。法相は「ピントはずれ」と苦言。ただし詳細わからず憶測で言いたくないと逃げ口上。東京都のことを「誰かがホウカ?して(←聞き取れず)言うのは」強制強制というが東京は強制じゃない。国が決めたこと義務として行っているだけ、と逃げ答弁。その「誰だか強制と言っている」のはまさに陛下のはず。わかっているのだろうか。陛下の逆鱗に触れ臣民としてどう謝するべきか。それにしても国が決めたのは平成15年の文部科学省初等中等教育局長による「学校における国旗及び国歌に関する指導について(通知)」によれば「学習指導要領に基づく国旗及び国歌に関する指導が適切に行われるよう指導をお願い」し「卒業式及び入学式における国旗掲揚及び国歌斉唱についても,児童生徒に我が国の国旗と国歌の意義を理解させ,これを尊重する態度を育てるという学習指導要領の趣旨を踏まえ,域内の全ての学校において適切に実施されるよう一層の指導の徹底をお願いします」というもの。具体的に学習指導要領(こちら)見ても国旗国歌への理解と普及期しているものの、だからといって各校に係官派遣し式の徹底的監督行い公務員の処罰までして、これ強制以外の何ものでもなし。ふだん国の政策だの権限などにつき言いたい放題で国ができぬから自治体が、と言ってはやりたい放題で、こういう時だけ国の方針にしたがっているだけ、と逃げ口上以外の何ものでもなし。いや、国ができぬから自治体が、は石原らしさか。組の総親分に「テメーのシマ、ちっと緊めておけよ」と指示受けて地元に戻りちょっとでも抵抗する輩をば半殺しにするほど痛めつけた挙句「親分の指示に従ったまでで」と言い逃れの如し。東京新聞の記者の質問に国立市のマンション建築問題に触れれば「あのマンションより駅前の並木通りに名前を言ってもいいが、と景観壊す「中華料理屋、中華料理屋」そこまで石原にとっては中国が迷惑か(笑)。記者会見のあまりの小市民性にしみじみと知事の「不安と痛み」感じ入る。紐育タイムスの本日朝刊はAP電(こちら)で「米長騒動」をば“Japan Emperor Discourages Overt Patriorism”と伝える。当然「国旗国歌は強制ということではなくて喜んで自発的に掲揚したり斉唱したりするありさまが望ましいということをお述べになった」とは受け取っておらず(笑)。早晩に大気汚染甚だしき灣仔。シーズンに入り本日蘋果日報にも運動靴の紹介ありし10K Running Pro Shop(かつて灣仔道にあったがGloucester Rdに移転)訪れ香港では珍しきアシックスの運動靴見るが代理店なき由たかだか運動靴一足がいくらレース用とはいへHK$1400だのの値段は法外。Tom Leeでピアノ楽譜など眺め余りの自動車の排気ガスのひどさにさすがにマスク要るほどの中を歩きProtrekにてMontrailの「マサイ」なるアフリカの土族の名をいただいたトレイルランニングシューズなど購入。狂気の沙汰のミニバスで中環。蘭桂坊は異教徒どもがハロウィンといふケルト族の迷習真似た節句遊びに混雑の気配。明後日に閉業のクラブ64訪れれば閉業惜しむ客で結構な繁盛(写真)店の窓にチェ=ゲバラならぬ梁國雄君のサイン入りTシャツ掲げられるを見てこの酒場惜しむ気持ちより寧ろ歴史的使命終え潮時かと感じ入る。八九年の天安門事件のあとにクラブ64といふ意味深な名前で酒場が生れ梁君だの政治的青年やアート系の若者集い香港に貴重なる空間ながら梁君が立法会議員の当選せば「議員の飲み屋」であり実際に一昨日は民主党のマーチン李銘柱君や「大班」鄭経翰君らこの店訪れ惜別(李銘柱君ここでもやはり一滴の酒も固辞し「ハーゲンダッツの」アイスクリーム頬張る。クラブ64の筋向かいにXTCアイスあるにもかかわらず「あの」ハーゲンダッツなり)の写真を新聞でも見て、かつてのパリのサンジェルパンデプレの左翼思想家鳩るカフェぢゃあるまいし、寧ろ問題は梁君がチェ=ゲバラに代わりTシャツのプリント柄になるのは左翼の左翼的なヒロイズム。珍しく蘭桂坊に足踏み入れたので祝儀にと知る店のハッピーアワーにハイネケン一瓶飲みFCCにてドライマティーニ二杯。ラウンジの、確かに金曜晩にて酒場混雑するがあくまでラウンジの、三四人の客が黙って新聞読みワイヤレスヘッドフォンでBBCのニュース眺める空間で、余の隣の卓に中年の夫婦とその娘及び娘の親友らしき娘二人の五人現れる。十五、六の娘らの躾け乏しきこと言葉を絶する程にて粗野なるアメリカ英語にてクチャクチャと大声で雑談続け娘らの品位のなさより驚くは娘をば注意するなり注意せぬ迄も会話するなりもせず黙って寧ろ娘らとの会話避ける如く新聞にて顔を多い背中丸めて新聞読んだ「ふり」に徹する父親とやはり娘らとの会話ももてぬ母親。娘らも余があの歳ならさすがに親と話すことなど最も厭ふ頃だが親に料理屋に連れてこられれば努めて親との会話をした記憶あり。あまり娘らの白痴ぶりに呆れ、殊にそのうちの一人はソファにだらしなく身を擡げタンクトップは乳蔽すばかりでヘソと贅肉をば大らかに露出しだらしなく開いた口とラリってるのか潤んだ目差しは街に企つ売女私娼の如し。マクドナルドであるまいし此処は私人倶楽部であり娘らの資質など余は問いもせぬがそれを連れてくる中年夫婦の常識のなさに呆れれば新聞に顔隠したままの父親は論外だが母親がさすがに余の視線と遭って娘らに「少し静かに」と告げるがそれまでで結局会話もなにもなし。娘らの格好とその汚い英語使いから一見して島南の某校の学生かと察す。娘との会話すらできぬ親、親への気遣いもなき娘。地球崩壊の日も近し。父親の臆病ぶり特筆に値す。娘はときどき「いただきまーす」だの日本語用いて余計に恥ずかしき気分。帰宅急ぎタクシーに乗れば珍しく九龍見渡すほど視界広くビクトリアハーバーの上に十六夜の月愛でる。帰宅して浅蜊と茸のパスタ。最近気に入りのSalice Salentinoの赤葡萄酒(00年)飲む。NHKニュース10は新潟の地震のニュース特集。被害地の悲惨な状況。被害者がマスコミの共同取材に答え、最後に傍らの調整役らしきどこかの社の者に「以上です」と会釈して去ればレスキュー隊も同じくよく話すとしゃべりの上手さに驚くばかり。レスキュー隊、でよいのにレスキュー隊の隊員のみなさん、など「北朝鮮の拉致被害者の人々の皆さん」の如き過剰表現、NHKの記者も「食事を食べ」など言葉もどこかみな不自然だが不自然であることに気づかぬ者も多し。余談ながら先日さる高名な国語学者の先生の手紙読み、その文章の句点の多さ、文脈の不自然さに驚く。ちなみに新潟地震の報道終わればパレスチナのアラファト議長の危篤だかパリでの緊急治療のニュースで次がスポーツニュース。西武の松坂投手の結婚発表だかで松坂君も「結婚させていただくことになりまして」と過剰なる謙譲表現。新潟地震の報道長引いたことで而もアラファトの治療と松坂の結婚でイラクの日本人人質の件も当然のことながら「黙りを決め込む」ことが得策と判断されたであろう米長騒動と陛下のご発言など続報は報じられもせず。新潟の地震は悲惨だがNHKニュース10を眺めて思ったは、結局は地震の被害なき全国の茶の間に悲惨さ、悲しさを伝えるばかりで、実際に被害の問題点であるとか緊急救助についての提案などマスコミが本来すべき報道は皆無。ただただ現場の苦しみに耐える人々の映像垂れ流し。見るほうは「寒くなるのに大変だねぇ」「可哀想だねぇ」と画面見るばかり。NHKが偉大なるローカル局であることまぢまぢと見せつけられた感あり。晩にあらためて久が原のT君よりメールあり。以下編まず引用。
國歌・國旗と申さば、象徴たる天皇御自身の地位とも等しく、これに言及せらるゝには、陛下御自身細心の注意あられたるものと察し居り候。その言動に些か衝動的なる嫌ひもこれある東宮殿下とは異なり、今上陛下の言に輕率なるものこれまでに皆無なるは、貴兄既往お察しと存じ候。假令御逍遙途上偶然の御發語なるにもせよ、失言の響き感ぜられざるは、今上陛下生來の御言葉の重みと申すべきものにて候。それにつけても思ひ出ださるは、大東亞開戰當時を囘顧せられし先帝陛下の言にて候。曰く「あのまゝ開戰の詔勅を出ださゞりせば軍部のクーデター惹起して帝位も危うく、實に已む無き次第であつた」云々。先帝陛下の自覺の根源は、帝位を守るは即ち三種の神器を護持することに他ならず、國家・國民と神器とを等價に考へてをられしフシこれあり候。この點、科學者と言はれし評判とは凡そ對極的なる超現實的フェティシズムを、昭和天皇の内に感ぜざるを得ず候も、今上陛下にはこれまでさうした非現實性を看取せしことはなく候。思へば今上陛下は、取り卷く現實と御自身との距離とに鋭敏なる實感を抱き給ふ御方なるべし。その御方が、現在自民黨政權の強制せる國歌・國旗フェティシズムに對し疑念の語を投げ掛けられたるは、當然と言はゞ當然に候へども、この御態度の裏には、「開戰の詔勅を出ださゞりせば帝位も危うく已む無き」と「帝位」に執着せられし先帝陛下とは全く異なる、強き御信念の窺はれ候。國旗・國歌フェティシズムこそ、これまで天皇制のある面を強固に支へ來たりし發想にて、國旗・國歌に對しはつきり疑念を呈するは、すなはち、自らの「帝位」そのものに對する、舊來の天皇制護持者に對する、明確なる訣別に等し。恐らく今上陛下は時の政權・輿論の流れにも超然と、御自ら信じ給ふ自由主義的人間觀を貫かるべく、縱令、帝位・神器すら危ふくなりたりとも、それらの如きは弊履の如く捨てゝ顧みず、御自身の信念(と最愛の皇后宮と)を護り守りて國家に殉じ給ふ御覺悟なるべし。昨日の御發言には、愚生をしてかくまで思はする力あり。米軍の伊勢灣上陸の可能性に、先づ第一に伊勢神宮・熱田神宮の護持を考へ給ひし昭和天皇とは、甚だしき相違と申すべし。天ノ岩屋戸以来の神器、萬世一系の神話ならで、「憲法=現實社會現前の常識」に從ひ、帝位の危ふきをすら顧みず天皇たる責務を全うせんとせらるゝ御態度、必ずや後世に特記せらる折あるべしと、さまざまなる思念浮びて未だに纒まらず、贅言三たびお耳に逹し納め候。
引用終わり。遅晩に米長名人の「さわやか日記」本夕に昨日の記述あったのを読む。将棋のことから陛下との会話始まり「現役はやめました。将棋盤を挟んで親子が楽しんでいる家族は幸せだと思います。将棋の普及に務めております。陛下のお正月の昭和天皇と皇太子殿下とご一緒の写真は大切な我が家の宝でございます」と述べ陛下より「教育委員として本当にご苦労さまです」との御言葉を拝し「はい。一生懸命頑張っております」と。ここに「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と述べたことも陛下に「強制はよくない」と指摘受けたことことも一切なし。欺瞞にあらず。恐らく米長名人にとって二十四時間の間に余りの高圧が精神にかかり「日本中の学校で国旗を掲げ、国歌を斉唱させることが私の仕事でございます」と述べたことが記憶から消え去っているようなもの。その日記は最後に「開かれた皇室、明るい皇室、心温まる皇室。幸せな一日でした」と結ぶ。まさに憔悴しきった極楽。ランニングハイ。どこかでこの「開かれた皇室、明るい皇室、心温まる皇室」的な穏やかな天皇崇拝、と思えばこの感覚はまさに『近代の超克』の世界。昭和に入り教養人の知性に高圧かかり開戦でもって脳がイカれてしまひ転向といふには烏滸がましき思想なき、高尚なる、まるで母の胎内のごとき内で心地よく、畏くも天皇戴いたわが国に生きることの喜びなど語る、あの世界。昨夕よりさぞやお疲れなのであろう。
▼下述の『2046』の佐藤忠男の王家衛にも況して遜色らぬ迷評論読んだあとに信報の文化欄に鐘寶賢氏の同じく映画評あり一読して溜飲下がる思い。映画監督でも王晶が大衆路線に走ったのに対して王家衛は藝術指向のマイナー路線選び、と語り始め、話は突然、この随筆の筆者偶然読むことになるDavid Puttnamの“Movie and Money”なる1895年の映画発明から映画界がいかに欲望、競走、欺瞞や裏切り、果ては暗殺まで映画に纏る暗き側面がすべてカネ絡みと暴露する書だそうで、なぜそれが王家衛に繋がるかといえば、筆者が銅鑼灣の書店で二年前の秋、偶然に王家衛とその連れの女性がいるのを見て、その女性が誰かといえば陳以新。王家衛は一九六三年五歳の時に両親と上海から香港に渡り父親は船員でそれゆへ王家衛の映画に南洋の街が旅人の宿として描かれるのに影響あり、と鐘氏指摘するが、母親に映画によく連れていかれた王少年は大学で設計学んだもののジーパン屋だのバーでバイト生活。偶然そのバーで知り合った客の女の子に失恋した王がヤケになり、偶然バーで出遇ったサングラスかけた女性がこの陳以新。陳は当時、TVBテレビ局のプロデューサーで連日の撮影に憔悴しきって夜もサングラスはずせぬにいたが、王家衛と知り合った陳女史は王家衛をばTVB局の番組製作部に引き入れ、王家衛と陳以新は結婚。王家衛がテレビ離れ映画製作に乗り出すこととなり陳は王家衛作品のプロデューサーになる決意。一九八八年に『旺角カルメン』制作し(まさかこれが王家衛とは余は今日まで知らず)九〇年に陳以新が四千萬ドルの資金集め迷作『阿飛正傳』の制作に取りかかる。鳴り物入りで年末年始前に放映開始したがいきなりコケて十二館のみでクリスマス迎える。収益は伸びずとも香港電影金像奨で5部門で金賞とるなど評価あり映画界で王家衛の作風が定着。それ以降『2046』の今日に至るのだが、筆者が〇二年の秋、銅鑼灣の本屋で出遇った王家衛と一緒のこの陳以新。彼女にとって映画とはまさに“Movie and Money”の世界であり、彼女の子供の頃の夢がスチュワーデスになることで(『2046』にこの挿話あり)彼女の好きな歌劇が『花様年華』であり、まさに彼女の夢が王家衛の映画のなかの世界に現れている、と。一読してなるほど、と納得。結局、王家衛の映画とは王家衛の独創的な世界なのではなく、王家衛にとってなくてはならぬゴッドマザー的存在の妻でありプロヂューサーの陳以新が、彼女の世界を王家衛が五里霧中のなかで賢明に撮影し映像にしている世界。「これでいい?」と絶えず彼女に尋ねていれば、あの脚本もなく撮影現場で次々と変わる演出も理解可か。すべて推測ながら、この映画評といふより王家衛の背景なるものを読むと、佐藤忠男の「香港人の不安と痛み」といふ映画評が非常に胡散臭く思えてならず。
▼王家衛監督の名作『2046』につき待ってました!と映画評論の大御所佐藤忠男先生の映画評朝日に掲載される。「香港人の不安と痛み映し出す」といふ題に「そうだったのか……」とそれを映画から読み取れぬ余の感性の乏しさ恨むばかり。スター集めた恋愛映画は外見でこの映画は「香港文化の輝きとはいったいなんなのか、これからどうなるのかと真剣に自問しているような厳しさ」を内に秘めた作品と佐藤先生。この映画からそれを読み取ろうとせば余は「香港映画の輝きとはすでに過去のものであり、これからダメになる」としか思えぬほどの駄作と思ったが佐藤先生はこの2046が香港の97年からの五十年不変の約束が終わる年であることを挙げて「いわばこの数字は、香港が近年享受してきた自由と繁栄がどんなに頼りない条件のうえに成り立っているかを象徴するもの」であり「この映画のストーリーの進行する時代が本土では文化大革命が進行中の1960年代であることも重要」で「香港人の心のヒリヒリするような痛い処を恋物語に映し出している力作である」と。ガチョーン! この映画評読んでの衝撃は昨年十月の中嶋嶺雄先生による台湾香港民主化に関する大見解(昨年十月十九日日剰参照あれ)に続くヒットなり。梁朝偉演じるわけのわからぬ女たらしの三流ライターの自堕落なる生活とそのライターが書く2046年の未来小説のどこに香港人の不安と痛みが描かれていようか。香港のこの一国二制度と登β小平の五十年不変の制度も佐藤先生に「どんなに頼りない条件のうえ」かと指摘されると復す言葉もないが先生のおっしゃる「香港人の心のヒリヒリするところ」が何なのか映画評ではまったくわからず。まぁ強いていえばこの梁朝偉演じる三流物書きが香港人を象徴しており、それほど頼りない条件で危なっかしく生活している、といふことなのだろうか。毎年香港国際映画祭で尊顔をお見かけする映画評論の大御所ゆへ実際には映画について何も語らず勝手に香港のことなど評すこの姿勢は残念極まりなし。
▼South China Morning Post紙の報道で昨日余も言及せしFar Eastern Economic Review誌が経済週刊誌の体裁を止め月刊の経済論評誌に模様替えを決定と知る。香港で58年の歴史ある評価高き経済誌ながらアジア通貨危機以降定期購読減りダウジョーンズ社傘下となるがインターネットでの政経情報の影響などあり六年間赤字経営。余もこの雑誌の質の高き特集記事や文化欄の充実などあり八十年代後半に東京に住まいし頃から二、三年前まで定期購読。かつての表紙レイアウトなど実にセンスもよく壁に貼れば芸術作品の如し。月刊論評誌ではこれまで以上に存続厳しきことは想像に易く事実上の廃刊か。
▼シナの民間伝承には興味深きもの多し。子どもの尿滋養に好しと飲む者あれば老虎の尿も風濕(リウマチ)の防止に効あり整腸に好しと飲む人あり。重慶野生動物園の管理員ふと思いつき四十頭有する虎の陰茎に安全套(コンドーム)被せ虎の尿液をば摂取しこれを売る商案。専門家は動物の尿に毒菌多くけして飲まぬよう警告発す。
▼京屋文化勲章授賞決まる。

十月廿八日(木)晴。早晩にひとりFCCにパスタ食す。尖沙咀にて薮用済ませ帰宅してFar Eastern Economic Review誌捲れば“Gay Asia”なる特集に北朝鮮からセクシュアリティを事由に「脱北」せし男性の記事あり。この現在四十三歳の男性、母の勧めの相手と結婚したものの妻に欲するものなく仕事終わっても帰宅を厭ふほど。九年にわたり子どもも産れず。離婚をば考えるが離婚の裁定下りず妻との暮らしに終止符打つがために中国に脱北し!韓国への亡命試みるが韓国外交官の支援拒否され第三国への亡命も図るがそれもならず復た北朝鮮へと戻り軍事境界線を越えて韓国に亡命。韓国の情報部はこの男を保護し亡命理由など問はれ男は「女性との性交渉がもてぬ」と打ち明けると「韓国で医療の最善の治療あり」と告げられる。数年後に新聞紙上に二人の男の接吻の写真を見て自らが同性愛の嗜好あることまじまじと自覚。而して衆道に至る、と。政治的、経済的でもなくセクシュアリティによる亡命ありしことは日本でもイラン人Sさんの亡命などあり。ところでFEER誌なる硬派経済誌のこの特集、なにに触発されてかといへば「あの」シンガポールがこの夏、男色家集まる「ネイションパーティ」の開催地となったことでシンガポールも保守的なる健全社会「治安」に緩和かと思われたわけだが、実際にはアジアの国際都市目ざすシンガポールにとって(当然、敵は香港だが)二千七百人もの男色家海外よりシンガポールに集結し六百万米ドルといふ所謂“Pink Dollars”をばシンガポールに落とせば経済効果も少なからず。かつてシンガポールが男色をば厭ふは儒家老荘の倫理よか寧ろ人口増加が重要な国策のシンガポールにあって男色の非社会生産性こそ実際の問題であったのだろうが結局、それがヘテロにも況して遜色らぬ経済効果などあるとわかればシンガポールなどシドニーだのバンコクに負けじとゲイキャピタルをば標榜か。経済の下部構造まざまざと見せられる。
▼昨日香港愚政府の財政司長唐某が大嶼山(ランタオ島)開発計画発表。珠江をば跨ぐ大橋の建設、東涌より昴坪の大仏までのケーブルカー建設のほか香港ネズミーランドに次ぐテーマパーク建設もあり長沙の美しき海岸にも水上スポーツ施設建設とか。自然をばそのまま残すことの賢明さ知らぬ政府の愚かなる開発に呆れるばかり。

十月廿七日(水)昨晩遅く二ヶ月ぶりかの雨あり。今朝はすでに止み地面多少湿る程度ながら僅かなりとも煤塵も流れたか風に草木の青くささもあり。最近ひとつ心地よきことはミニバスで目障り耳障りな映像の放映なし。はじめはバス一台での故障かと思ったがいずれのバスも放映せず広告代に頼るこの番組制作並びに提供の会社が広告とるも難儀しての経営破綻かミニバス経営会社(つまりミニバス大王・馬亜木氏)との提携折り合わず、か。いずれにせよくだらぬ映像をば毎日見せられることなく嬉しきこと。これで九龍バスなども同じく放映なくなればよいのだが問題はあちらの場合この放映会社が九龍バスの経営であること。資本力もあり広告も集まりそう簡単には止めまい。早晩にT氏と帰宅が一緒になり半年ぶりかでQuarry BayのEast Endに地ビール一飲。久々に訪れても従業員の親しさ変わらず。流れでT氏拙宅に誘い薩摩酒造の「明治の正中」飲み豚汁と栗ご飯。競馬全く擦りもせず。
▼香港政府衛生福利及食物局の局長でSARSの対応の拙さの責任とり実質的に更迭の前任者襲った新任の周某なる局長に対しこの人の九十余の老父が公立エリザベス病院に危篤で入院したものの高級個室病棟に入りすでに九ヶ月、集中治療受けるが救急患者用の施設であり個室は一日三千ドルの病室料金のところ、この父は退職高級公務員が故に福利恩恵あり僅か一割の三百ドル支払えばよく、しかも息子がかつてこの病院の院長歴任し現在は香港医療のトップとあっては、それもあっての厚遇と新聞に書かれる。周局長曰く老父は癌に冒され両足截断の上に腹膜炎も併発しており集中治療必要と。個室の廉価待遇もあくまで父の職歴ゆへのもので局長本人の意向には非ずと述べる。そうかも知れぬが不公平と思われても致し方あるまひ。
▼先週末に立法会にて民主派の無党派議員張超雄君が「突然」07年08年の普通選挙実施につき住民投票にて賛否をば問ふ動議提出。民主派にはこの普選実施要求あるものの立法会始まりしかも無党派議員からの直接のストレート球に北京駐港官員及び香港政府高官も驚き普通選挙についてはすでに全人代常委の手続き決定ありと主張。住民投票実施については法的論拠の解釈に精華大学法学院副院長の王振民が登場。中国政府の意向に沿った法解釈を担ふ「護法」学者は今年初めの愛国論争などで「四大護法」など登場したものの余りの粗野なる御用学者ぶりに香港の法学者らにただ嗤われ退散。若手の王振民はその四老護法に替わり登場の「新護法」。彼の主張を紹介せば、住民投票実施の主張は立法会議員として相応しくなく、何故なら議員就任時の宣誓にて香港基本法の遵守を約っており基本法にこの住民投票の規定なく、それの実施を主張することは基本法に矛盾し、因って議員の資格なし、と(嗤)。さすが中国代表する大学の御用法学者。信報の廿五日の社説が、周知の如く「普通法の法治の精神は法律に制限謳われなきことはできる」のであり、言い換えれば、基本法に住民投票の禁止がないといふことはその投票の権利がある、といふこと、と。御意。ちなみに信報は社はこの住民投票が現状では政治的にはリスク大きく、法律的にも基本法が普通選挙実施について基本法に付件として全人代常委での批准の必要性など謳っておるため普通選挙実施のための住民投票実施は基本法に合致せず(普通選挙実施にあたってはこの付件の内容変更を要す)とする。
▼信報といへば米国政界の解説記事でBarack Obamaの紙面四分の一使った特集記事。日本語のGoogleでBarack Obamaで検索せば二百件にも満たぬヒットでカタカナでは僅か三十八件のみ。ちなみに巨人の星のオズマだと千件以上のヒット。イリノイ州の州議会上院議員にて十一月の選挙にて民主党からイリノイ州選出の連邦上院議員に立候補。大統領選でのケリー候補の応援演説に出るほどの民主党の若手注目株だが何故米国五十一番目の州とすら謂われる、親米であるはずの日本でここまでObamaの報道すらないのか不思議。香港では何度このObamaの記事を見たことか。

十月廿六日(火)信報で唯霊氏の「雙魚、再見!」といふ随筆読めば唯霊先生が「飮早茶的地方、兩年前隔隣出現了一家雙魚座的小珈琲館」といつも行く茶室(つまり陸羽)の隣に二年前に出来た雙魚座といふ喫茶店のこと語り、この中環のオアシスの如き閑かな空間を好んだ唯霊先生だったが重陽の連休を前に訪れれば店主に数日後の閉業を告げられ、確かに商売は常連相手の地味なもので然し二年もやってこられたわけでわけを尋ねれば景気回復にて家賃高騰し地主に4割増求められての決断の由。唯霊先生いつもの如くこの店の朝食を済ませ「さようなら、だがまた何処か店舗をば探して開店の暁には連絡を請ふ」と告げ店を出でる。ふと思えばこの店が余が廿二日に中環スタンレイ街にて見かけた店先にて什器備品の類ひ叩き売りありし処。借金ゆへの閉業かと察したがとんだ誤解あり。九七年以来のバブル崩壊と不況にてインフレは落ち着き何より嬉しきはこれまでの家賃高騰にて曾ては所謂「趣味の店」など営むに能わずの香港が家賃下落により珈琲店だの本屋、小物屋など増えたこと。せっかくのその街の態がまた「好景気」により淘汰され、不動産屋とわけのわからぬ大型居酒屋などばかりになるかと思ふと寂しいかぎり。同じ信報に畏友登β達智君の随筆「蟹季」も実に見事なこの季節の蟹の味覚を語る筆致。早晩にジムて半時間ほど有酸素運動。ジムのモニタで今月より六時台のニュース番組冒頭で流れる香港政府公民教育委員会制作の「心繋家國」なる国歌と中国の発展の映像流れるビデオクリップ(こちら)をば初めて拝む。我が税金もこのビデオ作成に浪費されたかと思うと実にありがたし。そもそもこの国歌(義勇軍行進曲)は作詞の田漢が文化大革命中に獄死。梁國雄君がいみじくも批判したように「愛国、愛国」と求められても建国以来、大躍進で数千万人が命を落とし反右派闘争、文革そして天安門とどれだけの人民の命が国家により失はれたか、それを思えばその国家に対して無節操に愛国心など保てず、と。御意。運動していてもニュース見ていると、政府の住宅及規画局長孫某の顔がジャッキー・チェンのマネージャー(プロダクション社長)陳自強に似ている、とか財経ニュースの取材に答えるシティバンク(香港)財務総監といふ若手エリートビジネスマンの机上のPCのデスクトップスクリーンの画像が「大トロの握り寿司一人前」であることがやたら笑えたり、ちっとも運動に集中しておらず。FCCにてドライマティーニ二杯。帰宅して先日来港の旧友K君よりいただいた、K君は(確か山形の出で)彼の実家よりの新米を焚き鱈を焼いて食す。美味至極。テレビのニュースで新潟地震の報道続く。道路寸断され避難もままならず救援物資も届かず自家用車内での避難生活。四日目にして自衛隊の救助対策本部の現場での設置。現場の実情は伺い知れぬが何故、ヘリコプターででも救助できぬのか、なぜ被災地をば離れぬのか、道路も遮断された被災地にマスコミが大挙して取材する不思議。被災地の小学校では教員が各家庭をまわり明後日よりの学校再開のチラシ配る。住宅半倒壊し庭で焚火中の児童が先生のチラシ受け取り「学校はどうなの?」と尋ねれば「ぐちゃぐちゃで先生たちこれから片付けるの」と。子どもが「僕も手伝う!」と言うが先生「ガラスとか危ないから。学校でまた会おうね」と。子どもも学校がない寂しさを語るが、先日の台風での学校の周辺浸水したなか救助用ボートでの通学風景といい、安全でない場所でどうしてそこまでして学校再開をするか。たんに子どもが学習する場を損わないため、なのかどうか。近代の公教育の根元的問題。台風被害の対策の遅さを見るにつけ、ハリケーン襲来の米国フロリダ州の映像脳裏を過る。数日前から他州まで自家用車で避難する人で高速道路が渋滞するほど、他州などのモーテルや自然公園の宿泊施設などが開放され、当然、被害地で軍の機敏なる復旧作業が続く。新潟の小千谷では消防員が目を腫らして「とにかく人手が足りない」と訴える。イラクに自衛隊派遣し天幕に特設の風呂場まで設けられるのに。別のニュースで自民党の青木幹夫君が出て、この人の「なまり」の妙。竹下島根の出だが島根はああいふ島根弁なのだろうか。言葉も顔もいわゆる「水戸黄門に出てくる地方の地主」の如し。「そげなことは絶対に許せねーのでごぜぇます」調。なんど聞いても時代劇。Z嬢が録画したNHKの「夢音楽館」なる番組を見る。矢野顕子の出演にての録画だったが番組冒頭に戸川昌子か!っと驚いたが矢野先生。なぜ失礼だがこのごっつい指で、この指動で、といつも驚くが、矢野顕子にしか出せぬ音、引けぬ旋律、誰もマネできず。田村秀男『人民元・ドル・円』を続けて読む。
▼是枝監督の映画『誰も知らない』現在香港の二館にて上映中。中環のバス停の映画広告見れば題名は『誰知赤子心』とまるで義太夫節。だが洋画の邦訳に比べれば実に見事な直訳か。
▼これまでブッシュ二世と余は書いていたが実は祖父がコネチカット州選出の上院議員にて、つまり現ブッシュは三世。あの知力で何故エール大学卒かと猜われたがブッシュ本人も成績劣悪を認め(寧ろそれを売りにして)これは祖父の代からエール大学のあるコネチカット州に影響力あり父ブッシュもエール大学に多額の献金している実績での三世の優先入学だとか。

十月廿五日(月)晩に諸氏と鳩り銅鑼湾の満江紅といふ料理屋にて四川火鍋。香港にてこうして本格的な麻辣の四川菜何軒もあること数年前までは想像もつかず。この店に限らぬが四川火鍋で煮汁の出汁が化学調味料に頼りすぎの感あり。余は化学調味料にそれほど敏感にあらず炒め物では鈍感ながらさすがにスープとなるとあの「甘さ」気になる。数ヶ月前に求めざっと目を通しただけになっていた田村秀男『人民元・ドル・円』岩波新書をきちんと読み直し始める。通貨のもつ政治性をきちんと抑え人民元の歴史から中国の「特色ある資本主義」の仕組み、問題点まで分析鋭く、しかも無駄のない漢語の言葉遣いに惚れ惚れする文章で好著。

十月廿四日(日)快晴。大埔站にO君、I君と隊りタクシーで大尾督。八仙嶺に登る。最初の頂・仙姑峰(五百十一米)まで五十分、黄嶺(六百三十九米)を越え屏風山、奈落の如く下り鶴藪水塘まで大尾督より三時間ほどで辿り着く。鶴藪圍の村よりミニバスで上水聯和墟。車窓よりジャズラーメンを覘けば昼の営業中で満席。まだ時間に余裕もありと嘘の如き名前の「デラックスレストラン」にて生ビール飲む。パブではないし一応、何か注文すべきかとエスカルゴ(缶詰)とチーズのかかったムール貝の二品。二時近くとなり「そろそろジャズラーメンも空いたか」と向かえば「休憩中」の看板あり。二時で閉店で「あの三人なんですが何とか」と請ふても「二時で終わって」「ちょっと」と内儀が店先に出で「二時までなんです」とまだ説明されるので内心「それはわかっているから、どうにか請ふているのだが」と思っても埒あかず。諦めるしかなし。寧ろラーメン一杯にこうして客でありながら店に愛想売る自分に情けなし。たかだかラーメンだろうが。といふわけで客家料理の新漢記へ。太鹽鶏、姜鼓葱爆珍珠螺(牡蠣の卵焼き)に一品雑錦炒魚麺といふ魚麺とは魚のすり身用いた米粉で実に美味。上水站。列車の行き先が「尖東」とあり何かと思えばKCRのホンハムから尖沙咀東への延長線が開通。だが今朝はいつも通りにホンハムからの発車であったが、本日午後三時に開通の由。新線初乗り。それにしても「尖東」といふ陳腐なる站名は如何なものか。尖沙咀の東、かつての操車場跡地の再開発で尖沙咀の東部のそこが「尖東」と俗称で呼ばれた「だけ」で、東中野を「東中」、東日本橋を「東日」と呼ぶ如し。而も東中野は小さな通過駅に過ぎぬが、こちら歴史ある広東九龍鉄道の終点としては陳腐この上なし。もともとこの路線の始発站は「九龍」といふ站名でありながら格調高きこの名をばMTR空港線の新站に譲り「ホンハム」といふ「狭い地名」となり、今回の新線で「尖東」なる更に格の低さに至る。ちなみに広九鉄道の歴史は
1898年 英資会社が清朝政府より九龍より広東に至る鉄道専利権を獲得
1904年 ネイザン総督が尖沙咀を鉄道始発站と決め尖沙咀の半島突端の埋立て工事開始
1910年 九龍より羅湖までの英国建営部分の開通
1916年 九龍站完成
1921年 九龍站時計塔(現存)完成
1975年 九龍站が現在のホンハムに移転
1978年 九龍站舎取り壊し
1990年 旧九龍站時計塔が重要歴史建築に指定される
2001年 ホンハム站より尖沙咀への地下路線の建設に着工
2004年 ホンハム〜尖東区間開通
O君、I君とお上りさんの如く「尖東」新站のホームからコンコースを参観。出札口に「KCRのご利用ありがとうございます」なる文句が英独仏日韓で書かれ「亜州国際都市」らしさの演出だろうが仏語は“Merci pour voyager par KCR”で日本語は何と「KCRによって走行しているありがとう」と意味不明。無理に理解せば乗客がKCRのこの鉄道営業に感謝すべき、か(笑)。地下道より尖沙咀ハノイ道に出る。ちょうどドイツビール飲ますBitburgerなるパブの前で復たビール飲む。三時間歩いてもデラックスレストラン、新漢記に続き三軒目で山歩きの甲斐もなし。帰宅するにMTRに乗ればここ数日かなり気になるはThe Spaghetti Houseといふチェーン店の広告看板でチキン味とポーク味の新しい料理の宣伝なのだが(合成写真ではあろうが)生きた鶏の上に黄色いソースかかる図ともう一枚は豚の頭にだらりと同じソースのかかる図(写真)。家禽類の肉食すは事実だが生きた鶏だの豚にだらりとソースかけて何か美味いもの想像するのだろうか。広告発案者、このスパゲッティハウスの担当者、責任者、広告代理店、MTRのいずれも疑問に思わぬのだろうか。発想と感覚の異常さに恐れるばかり。晩に銅鑼湾の茶荘「邀月」に二十年近く前に仙台にて業界仕事にての知己、K君とS君それぞれ夫人連れ来港ありZ嬢とK君らに会い旧交暖める。K君は当時仙台の業界某社の若手プロモーター、S君はその会社の学生バイトでK君も数年前に上京し新婚の奥様がかつて香港に住まひ今回は知人の結婚式に参列のため来港。S君は今では人気高き「ドラゴンアッシュ」の事務所社長。「邀月」は五年前だかに開業の茶荘。食事も供しK君夫人がかつてこの店で中国茶習った由。功夫茶の作法知らずの余はいつもこの店の向かいのイーストエンドにてビール飲むばかりでこの茶荘は始めて。経営者のV氏の招飲に預かり赤葡萄酒、上等なる紹興酒。料理はあっさりとなかなか美味。この季節始めて上海蟹を頬張る。上海蟹と紹興酒あれば秋はほかに何も要らず。FCCのバーに場所を移し款語笑話深更に至る。

陰暦九月初十霜降。快晴。Z嬢と西貢よりタクシーで北潭凹を越え黄石埠頭。午前十時半の連絡船(写真)に乗り西貢の最も北となる大灘海の高流湾に至る。岬の突端の静かな漁村(写真)には子供もおり何処の学校に船で通うのか。海岸を西に歩き始め蛋家湾。すでに廃村となるが謝屋、劉屋と姓が集落の名、林屋には住む人あり林屋の隣に教会と福利更生の施設あり巫屋といふ集落名は興味深し。魚の養殖場など眺めながら藪扱ぎとなり狐狸叫より岬の尾根まで二百米ほど上がり東にシャープピーク(写真)を仰ぎ蛸蛇湾(写真)の碧き海を見下ろしながら尾根歩きを続け一つ名もなき標高三百米の峰を越えトレイルコースの2の大浪凹の峠まで久々にトレイルコース外れ郊外地図でいふ破線の、途中何度か藪扱ぎや道に迷い地図と磁石の要るコース。ここまで山道にて人ひとりに遭わず。トレイルコースの2を赤柱まで歩きここから本日の出発の黄石埠頭まで戻る。午後三時半のバスに乗るべく赤柱より黄石までは途中走る。18kmほどのコース、4時間余。黄石埠頭よりバスで西貢。西貢のバス乗り場近く、福民路と敬民街に挟まれた横丁(セブンイレブンの横入る)に何故かタイ料理屋多し。どの店に入ろうかと悩んでも結局、料理が向かいの店から運ばれたりと料理屋の名前からしてよくわからず。そのうちの一軒で春巻、紅焼猪頸とタイ式牛南飯食しビール飲む。そういえばこの横丁に龍記桂林米粉といふ小さな麺屋あること思い出して牛南米粉と韮菜水餃米粉食す。太めの確かに食感は米粉なのだがこれが桂林の特産なのかどうか知らぬ。が美味。本日の競馬は珍しくハッピーバレーで昼競馬。豪州のCox Plateの中継あり。余はGrand ArmeeからPaoliniと香港牝馬Elegant Fashionに流しもう一つStarcraftから同じくPaoliniとElegant Fashionに流す。が結果は107磅の斤量の軽さでSavabeelとは余は逆立ちしても買えず。一日歩いた疲れとビールの酔いでミニバスも地下鉄も寝ていたら地下鉄の中で選んだ馬が二着となり一瞬落胆したが連複でこの馬から総流ししており結果的に大当たりといふ夢を見る。夢まで競馬とは。ジムに一浴し自宅に戻り晩に香港文化中心にて日本のSal Vanillaといふ舞踏集団の「増幅amplified」といふパフォーマンスあり。期待したが余には理解できず。照明や映像などかなり凝ったものだが舞踏のもつ身体性、そのアッピールが照明や装置によって有耶無耶になってしまふきらひあり。純粋に身体の動きだけ見ようとしても「身振り」が「振り付け」の難かどうもいただけず。抽象的であるのは勿論良いのだがカタログ見れば「都市社会での人間の身体の埋没、いかに空間の多元性を探索するか」といわれても、残念ながらこの舞台から何も理解できず。会場ロビーで流れるビデオなど見るとこのSal Vanillaのパフォーマンスはもっと面白そうで、あくまでこの作品に難ありと理解すべきか。スターフェリーで波戸場で買ったXtcIceのジェラート頬張る。帰宅して競馬の結果見ると最終レースでホワイト君騎乗のWealthyで連複の総流し(当然これが一番人気)が二着となり結果33倍だかの配当。早い晩の競馬の夢が正夢だったとは(笑)

十月廿二日(金)重陽節。深更より未明に暴走せし自動車の交通事故多し。キチガイに刃物とはまさにこのことなり。この理性なき運転の凶暴さ、救助隊だの警察消防の出動、加害=被害者より経費実額をば徴収すべし。日本の台風被害甚大なり。小学校の周辺浸水しボムボート用いて児童をば学校に通学させるを見て唖然とするばかり。学校とはそこまでの危険要して通ふものかどうか。台風の最中に傘さして市街をば歩く(←危険)人たちの姿といいずぶ濡れの背広姿のサラリーマンといい日本の台風のなかでの態に驚くばかり。香港は天より一滴の雨も零れず一ト月か。折からの朦霧に雨降らずで煤塵も甚だしく天気晴れても朦朧とせし視界に山に行くも厭ふ。昼まえにジムに寄り一時間拳闘擬ひ、小一時間有酸素運動し更に一時間の筋力鍛錬。Z嬢とジムで会い中環。スタンレイ街に廃業せし料理屋の店頭に店で使ひたる食器什器の類並べたたき売り(写真)店内覘けば片付けも終わらぬ横で冷房機だの取り外し作業あり一見して倒産にて借金の抵当に差し押さえ。街市に食材購ふ。Gage街の華豊焼蝋にて好物の鶏レバ焼購ふ。ハリウッド道の中央警察署前にマスコミ鳩る。中央警察署(写真)並びにヴィクトリア監獄などの建物保存運動なり。何東一族の末裔が数億ドル拠出し基金設けこの一九世紀前半よりの建物の全面保存に名宣り挙げるが(香港大博物館の畏友A君もこれに積極的に関わる)愚鈍なる政府は中央警察署など主だった建物の保存だけをば条件に「再開発」の名の下にこの公共地をば競売に掛けようと毫かもなき知恵ゆへの愚策。呆れるばかり。Wyndham街の角に香港の古き烟草商Tabaqueria Filipina(福和煙草香港有限公司)の会社あり古風なる看板を見る(写真)名前の通りマカオの、つまりポルトガルの烟草貿易会社にてフィリピンより烟草買付けが原業か十年程前まで尖沙咀のMody Roadに実に格式高き煙草小売店をば営み余も当時パイプ煙草に興味もち指南をば乞ふたも懐かしきこと。この店の扉を押したは香港に参るまで余は東京にて仏蘭西のゴロワーズ煙草をば嗜み香港にてゴロワーズどころかジタンすら売る店なく仏蘭西煙草をば索しての由。FCCに憩す。Glenfarclasの12年物飲む。ブランデーの如き円やかさあり。帰宅してテレビつければ偶然にNHKで「天才てれびくん」、日本は平日にて珍しくこの早晩のテレビ番組見る。小学高学年から十二、三歳の出演者らの、往年の中山千夏のませた姿ともまた異なる、この子らのあまりのタレントぶりに、思わず想像するは収録終わると「六本木で焼肉」ののち青山のクラブででも豪遊の図。ジャニーズらしき少年三人組が原田真二!のライブに現れ往年のアイドル原田先生のピアノに歌う画像流れよく見るとライブの客席には恰度このステージの少年らの母親にあたる四十路のオバサンら多し。三十年近き昔に「銀座Now」で「キャンディ」のピアノ弾き語り聞いて以来の応援とは敬服。

十月廿一日(木)早晩にFCCにて海南鶏飯食しペリエの新製品といふ炭酸ガス弱き炭酸水飲む。ペリエの発泡舌に辛くあまり飲まぬ余にはこれは味よし。
▼蘋果日報の連載にて陶傑氏「校服」といふ題で聖ポール中学校の校則が男子は髪が耳にかからぬ様にといふ事項に象徴される如く厳格すぎと生徒に不満で保護者も同調するに対して陶傑氏厳しく教育すること望んだ親がこの所謂エリート校に子供遣るのであり生徒とて三十年経って同窓会などで集まれば当時の厳しき校則に不満どころか厳しき校則も校風として当時慕び母校の威厳とその卒業生らの社会的成功に酔いしれると思えば校則など高尚なるものと理解せよ、と。御意。陶傑氏が例に挙げしエリート校・華仁中学(陶傑氏もここの出か)の規則など“Multi-coloured garments of any kind should not be worn. Moreover, the school generally disapproves of students wearing the latest or most stylish clothes The style applies to hairstyles”とこの拡張高き英国の寄宿舎学校の、それが香港にて植民地的に伝統となる、この文章。「いかなる種類の派手な衣服着用されるべきに非ず。また学校は学生が今日日の最も流行なる衣服をば着用せむこと概ね認めず。この規定は髪型にも及ぶ」とこの何ら許容も妥協もなき駄目なものは駄目こそ文化であり伝統の筈。而も華仁中学の校則は“The school desires Wah Yan students to be simply and modestly dressed. Exaggeration or ostentation of any kind is frowned on.”「正純に紳士たれ、いかなる誇張も見せびらかしも忌嫌はれる」と説く。これを校則緩和だのと躁いでも何も其処から生れず。

十月二十日(水)無印にて作務衣など購ふ。Colorsixにて8x10の写真現像三十数枚受け取り。素人写真もこの大きさにせば見るに能ふもので我がサイト内に近日中に上網ゆへ諸氏のご高覧請ふ。ジムへの道すがら十三年ほど前にHappy Valleyは景光街に住まひし頃近所にあつた化粧師のC君に邂逅。旧交懐かしむ。ジム終わってFCCのバーにウォッカ酒一飲。バンコクよりY氏夫妻来港しA氏、O君とZ嬢でPeel街の京菜・京味居に食す。料理秀逸の上に廉価。酒はビールしか供せず但し棚にスコッチウイスキーとペリエありよく見れば「唯霊訂定」とありこの店贔屓にされる唯霊氏のマイボトルキープなり。この店に来る途中のO君に電話で紹興酒の購入をば請ひ調達せし紹興酒二本飲む。このPeel街の上手、Robinson道より下った一角にHappy Valleyは景光街より移り住みたるは月日過ぎるは早いもので十年前のこと。食事終わり皆でエスカレータにてハリウッド道まで上りそぞろ歩いてFCCにて三更まで歓談笑話尽きず。FCCのバーの黒服の若造、下手に日本語や韓国語で「何にしますか?」だの一見機転利きそうに見えるが早晩も注文せしウォッカにレモン搾汁加えてと頼めばライム二切れ入っていても疑問に思わず三更の勘定の際もメンバークラブでありながら勘定の伝票をY氏に差し出しそうになりまだ新入りの女給に余を指して「ちょっと、あの人がメンバーでしょう!」と指摘されるほどの粗忽ぶり。給仕など接客の真面目なる基本全く理解しておらず。今晩のHappy Valleyの競馬開催にてClass-2の芝1800mのレースに馬主C氏のDashing ChampionとDashing Winnerの両馬揃って初の出場。倍率はDCが23倍、DWが14倍と期待薄のところこの競馬場の晩戦に強きDCが序盤からハナをとりDWがそれに追いつき見事DC一着、DW二着の快挙。余もご祝儀でこの二頭のQとQPの馬券そこそこ購入しておりQが縁起よき8並びのHK$888、QPもHK$219.50の配当あり。他のレースも早晩に数分競馬新聞で予想したのみで購入にも拘らず3つで単勝当て久々に絶好調なる結果。

十月十九日(火)快晴。余は直接の被害なきものの近隣のファイル共有するPCの一群ウイルスに冒され感染せしPC数台勝手にネットの某サイトに接続することで異常なる負荷かかり感染せぬPCからもこのサーバー通じてネット接続できず感染PCの修理対応に追われる。こうしたネットワーク異常の場合にやはり有効なのは電話線でのモデム通信なのだが(海外で旅行の場合などを除き)香港ではモデムなどすっかり使ってもおらず利用可なものかふと気になりモデムカード差し込みノートブックで通信試みるが何が驚いたかといえば余の利用するPCCWのNetvigatorのサイトにてダイアルアップの電話番号がなかなか見つからず。かつてはサイトの最初にあった電話番号が今ではモデム通信などする者少ないからか、かなりサイトの奥に入らねば見つからず。驚くばかり。ハロンの斉藤さんも指摘されていたがサイトもブロードバンドが前提で重いことに何ら意識もなき時代となる。晩に自宅にて牛丼食す。荷風日剰昭和廿二年の春を読む。
▼朝日の文化欄に月イチだかで「ヒト科学21」といふ連載する下條信輔氏(認知神経科学・カリフォルニア工科大教授)いつも興味深き内容ながら今月の「大統領選の心理」なる文章殊に面白し。ヒトの記憶なるもの常に「正しき」データのみ記憶するに非ず例えば「忘れろ」と言われし場合の方が「忘れるな」の場合より記憶に鮮明に残り潜在意識での親近性すらあり米国大統領選で見れば一度刻み込まれた記憶は潜在レベルで情動的な反応の引き金を引き、その効果は取り消されても消えず、市民感情なるもの分析的な根拠に基づくといふより情動的な場合にそれが明白。生々しきテロへの恐怖、戦争につながるものの拒否反応など。映画「華氏911」が好評であろうと海外でブッシュ再選支持が極端に低かろうと、それが大統領選挙には何も影響せず。なぜなら米国は(ある面ではさすが民主主義国家だが)国民の多くがボランティアだの小額募金などで大統領選挙に何らかの関与あり一旦「ブッシュ支持」で関与した者にとって「華氏911」や海外でのブッシュの悪評などを理由に今さら「認知を変える」のは難しく、それよりブッシュ攻撃を「事実無根の悪質なプロパガンダ」といふ話に乗る方が心理的ダメージもまだ少なく少なくともブッシュ支持といふことで首尾一貫性を保ち自身の過去をば否定したくなき願望にそれが重なる。下條氏はそれを「今や投票する主体は自覚的な個人というよりは蓄積する潜在心理ということになりかねない」状況と言い、これが「現代を近代から区別する特有の問題がここに突出している」と結ぶ。下條氏の分析はちなみに日本の状況といふのはまさにこれと逆といふ点にも及び、日本の場合、無党派層浮動票が増え些細な醜聞や話題が簡単に選挙の行方を左右するのは、まさにこの「認知の食い違い」と「関与」であり、具体的に見れば国民の八割の支持を得た小泉三世の支持があっという間に下落するのはこの八割の国民が具体的に小泉首相実現の運動したわけでもなければ募金に応じたわけにも非ず、ただワイドショーで見て「この人なら日本を変えてくれるかも」などと期待しただけ故のこと、と解釈できるか。

十月十八日(月)快晴。早晩に中環ColourSixにて写真現像依頼。ジムにて小一時間有酸素運動済ませFCCにてウォッカ酒檸檬割で飲む。中環にて漫画家といふのか多芸多才なる歐陽應齊君にばつたりと遭ひ数年前に一度飲もうと言つていた儘で復た再会の約す。Jimmy's Kitchenの前を通りこの料理屋にて今年二月に不愉快なことあり二度と食すものかと少なくとも洋鬼の野暮な支配人いる限り二度と食すまひと覚悟し、それに比べ尖沙咀の同店の質の高さに感服し、ふとあの支配人はまだ居るのだろうかと気になり食事する気など毛頭ないがバーならと思って立ち寄る。 クビになっておらず。バーでドライマティーニ注文。そこそこの繁盛ぶり。半地下の店で湿気多いのは致し方ないが入り口がカーペットが湿る所為だが異臭あり支配人筆頭に給仕らに緊張感なく余が注文せしドライマティーニとてオンザロックの注文がストレートアップで供され流石に給仕も気づき余の指摘する前に持ち帰ったのは良いがバーカウンターで氷入れたオンザロックのグラスにざーっとストレートアップからドライマティーニを注ぎ唖然。素人感覚では見た目は同じだがステアしてストレートアップに注がれた酒とロックグラスにて軽くステアされただけの酒は違うもので、ましてやストレートアップ用にステアされたものを更にオンザロックにすれば酒がどれだけ薄くなるかは明白。而も氷は大きめにぶっかかれたロック氷にあらず製氷器製の小さな氷塊。これが昨日今日ソーホー地区にでも開業せし素人バーならまだしも香港でも老舗の格式高き料理屋のバーで而もドライマティーニの旨さが倫敦にまで名の知れた店と思うと悲しい限り。この店のジンはタンカレーでドライのヴェルモットはマルティーニ社のを用いた、配合まではカウンター覘いておらずわからぬのだが、この店のマティーニは確かに美味いだけに誠に残念。一杯のみ飲んで店を出ようとする時に支配人、予約台帳に目を落としたまま余のほうも見もせず“Thank you very muchi, Sir!”と一言。呆れるばかりなり。帰宅して浅蜊のトムヤンクンと鶏肉のタイカレー食す。ウォッカをブラッディメアリーよろしくV8の野菜ジューススパイシーホット味にて割って飲む。NHKのお笑いニュース番組ニュース10見る。台風がまた日本襲ふ。ここまで災害続けば日本には古来伝統的に改易といふものあり。まず時の執政者をば迭えるべし。二年も台風の嵐続けば改元の要あり。プロ野球再編のニュースでソフトバンク孫氏の意欲的な動き伝えるニュースでプロ野球のオーナー会社は「鉄道や映画、新聞社など伝統的な企業が多く」といふ説明に一瞬椅子から落ちそうになる。さすがニュース10、今晩のオチはここか。鉄道はまぁ伝統的な企業といふのは譲るとして映画って大映か(笑)、新聞社とて読売新聞だけのはず(他にも曾てあったのだろうか産経クルセイダーズとか日経エコノミスツとか)。ニュースの原稿など三十くらいの若造が書けば、デスクもデスクとして全うに作用しておらずでこのお惚けコメント。映画も伝統産業になりにけり。伝統産業とは造り酒屋とか醤油製造、呉服屋にせいぜい両替商かと思っていたが。遅晩に荷風先生日剰昭和二十二年頃を読む。

十月十七日(日)昨晩眠れずまんじりと朝も三時となり荷風先生日剰読み昭和十九年の正月から翌年八月の敗戦へと至る。昭和二十年三月十日未明の大空襲にて荷風先生廿六年住まひし偏奇館炎上を綴るその筆致。何よりも日頃老いただの他人事には渉らぬだのと言ふ荷風先生、炎上甚だしき麻布永坂に七八歳の女の子が老人の手を引きて道に迷ふを見てその二人を導き住友邸の方へと救ふ。蔵書など燃え火焔一段烈しく空に上るを敢えて見る荷風、明日より着の身着のまま蔵書もなき心情翌日には「昨夜火に遭ひて無一物となりしは卻て老後安心の基なるや亦知るべからず、されど三十餘年前歐米にて購ひし詩集小説座右の書卷今や再びこれを手にすること能はざるを思へば愛惜の情如何ともなしがたし 」と綴る。何よりも印象的はこの焼失の二日前の日剰に銭湯につき荷風綴るは「もとより湯殿のある家に生まれし身なれば町の錢湯は車夫馬丁の汗を流すところとのみ思ひ居たりしに二十のころより吉原通ひを覺え通だの意氣だのと云ふ事に浮身をやつすやうになり居續けの朝も午近く女の半纒を借りて寢間着の上に引掛け我こそ天下一の色男と言はぬばかりの顏して京町二丁目裏の黒助湯といふに行きしこそ思返せばこれ洗湯に入りし始めなるべけれ、吉原よりの朝かへりには池之端の揚出し三橋の忍川などいふ料理屋にて湯豆腐の煮ゆる間に一風呂あびて昨夜の移香を洗ひ流しぬ、その頃上野淺草邊の料理屋は曉方より朝がへりの客を迎ふるため風呂をわかし置くならはしなりき」といふ嘗ての東都の粋な様。焼け出され岡山に疎開すべく大正十年に左團次一行と京都に遊んで以来実に廿四年ぶり!に東海道下る荷風。戦時中とはいへ紀行文として荷風先生の筆冴え渡る。朝五時半頃にようやく睡魔訪れ暫し眠るが六時半には目覚まし鳴り本日O君らと針山より屯門まで50km近くのトレイルの約あるものの意識朦朧とする上に眠れぬ晩に体力かなり果ててとても歩ける気力もなくO君に不参加の旨電話。復た眠れるわけでもなく朦朧としたまま昼近く。日がな一日と決めてZ嬢とFCCにて朝とも昼ともつかぬブランチ。白葡萄酒飲み気持ち冱える。多忙なるジャーナリスト相手だからかのメニューAll Day Breakfastなる料理初めて頼めばステーキの如きベーコン、腸詰に牛酪味のマシュルームと目玉焼き二つ、それに申し訳ない程度に焼き蕃茄添えられ(写真)見ただけで胃がもたれ気味。ベーコンと腸詰め折箱に入れ持ち帰り。Z嬢去りFCCの作業部屋にて或る公募に出そうと決めた写真の選定済ます。酒場に戻り独りウイスキーソーダとウォッカレモン一杯ずつ飲む。雑誌『世界』の残り読む。アンジェロ・イシイ(サンパウロ生まれの武蔵大学講師で在日ポルトガル人新聞の編集長やNHKポルトガル語放送のキャスターなど務める)のブラジル映画論興味深し。競馬は沙田トロフィーが好利多(人気馬だが余は買えず)、THE LADIES' PURSE盃が36倍の穴でRUSSIAN PEARLが入る。全く擦りもせず。「怖いもの見たさ」で昨日より開催の蘭桂坊カーニバルの雑踏のなか十分ほど要して抜ける。この催事の仕掛人97グループの総帥某氏の自信たっぷりな姿あり(写真)HMWにてピンクフロイドの、もう三十年近く前にLPで聴いていた“The Dark Side of the Moon”(どうもこれを『狂気』と呼ぶに抵抗あり)『原子心母』と『アニマルズ』などCD購ふ。数年ぶりにプリンスビルの食材店オリヴァースに寄り数年ぶりにハイランドモルトのDalmoreを一本購ふ。帰宅。晩に湯豆腐鍋。この季節初めて酒を燗する。『藝術新潮』十月号特集は岩佐又兵衛を読む。
▼沖縄国際大学での米軍ヘリ墜落現場訪れた外務大臣町村某「被害が重大なものにならなかったのは(操縦士の)操縦技術も上手だったのかもしれない」と発言(朝日)。小泉が首班の内閣であるから外務大臣がこれほどの知悉であること今更驚かず。東京学芸大附属世田谷小中→日比谷高校→東京大学経済学部→通産省と絵に描いたが如きエリートコースでこのレベルの町村二世(北海道知事、衆議院議員、参議院議員議長歴任の町村金五君の次男坊)。
▼戦前の小津の映画で『マダムと女房』や『淑女と髭』のヒロイン・井上雪子六十八年ぶりに映画出演(塩田明彦監督『カナリア』)といふ記事読み井上雪子健勝と知る。

十月十六日(土)薄曇のち晴。昼前に裏山をば10kmほど走る。午後一瞬ジムへ行こうかと気は馳せたが明日もまた長丁場のトレイルあり先週も土日と25kmずつ歩いており休みなしで午後は九龍に渡り知る湯屋にて湯に浸かり垢擦りと按摩。夕方FCCに独りステラアルトワ半パイントとドライマティーニ二杯飲む。ふと気づいたのはFCCの酒場にて落花生出されると小皿に大きめのスプーン添え供されいちいち塩炒りの落花生をばスプーンで掬って頬張るも面倒と思っていたが本日競馬新聞に予想の○印など付けながらペンを手にしていれば当然、落花生の脂だの塩が指については困るわけでスプーンで落花生をば掬い空いた手の掌に豆を落として口に放れば確かに手は汚れず。合点。ここ数年殆ど足を踏み入れぬ蘭桂坊にまだ日も暮れぬうちから賑わいあり何かと覗けば蘭桂坊カーニバルなる催しあり蘭桂坊の酒場街の入り口に模擬店だの屋台並び子供連れた家族などにて歩く隙間なし(写真)数日前にはゲイパレードだかで今日がこれ。全て蘭桂坊をば為切るクラブ97など十数軒の飲食店酒場経営の97グループの為業なり。全て蘭桂坊の宣伝のためだろうが今でこそ「けして酒場で一緒になりたくなき」連中やガキども多きこの地は余にとっては二十年以上前に初めてここ訪れた折は当時は昭和三十年代の麻布の如き素人さんはとても扉開けるも勇気いる酒場がひっそりと営まれていた時代で今は形跡もなき或る酒場にてついお気軽に半ズボンで入場咎められジーンズすら「ディナージーンズを」と言われ深夜十二時前の当時中環と佐敦埠頭をば結びしフェリーで佐敦に渡り廟街の屋台でジーンズ購いタクシーで中環に戻りその酒場に戻ったほど根気要る場所にて今のチキチキバンバンな蘭桂坊でなど酒を飲みたくもなし。セントラルのワトソンズワインセラーにてイタリアの赤葡萄酒購い帰宅。トマトのパスタと青菜アボガドのサラダ。ここ数日今まで意識して見た例しなき香港電台制作のテレビ番組、「頭條新聞」でるとか香港警察の「警訊」など見る。香港では公共放送の香港電台は独自の放映チャンネルをもたず民放2局(中英の計4チャンネル)に放映権をば与える条件として放送の2割だったか香港電台制作の番組放映すること義務づけられ晩のいわゆるゴールデンタイムの七時代に香港電台の番組あり。公共放送とタカを括ること勿れ。頭條新聞は911のあとにビンラディン模した男登場し亦た董建華への揶揄など少なからず親中派より公共放送として問題ありと指摘されるだけNHKよか真っ当。香港警察の「警訊」はそういう意味では風刺も揶揄もなくつまらぬが香港電台の番組の場合は字幕がきちんとしており広東語の勉強には役立ちもする。
▼『世界』十一月号の原武史&Kenneth Ruoff(米ポートランド州立大学助教授)の対談「象徴天皇制は危機に立たされているのか」読む。対談といふものはここまでお互いが自分の主張した上で相手の話を聴く場なのかと当たり前のことながらそう実感するほど対談として秀逸。話は五月の皇太子発言より始り原がそれを「このままだと何十年後かに皇室制度が存続している保証はない」からこそ「システムではなく個人を尊重する新しい皇室を目指さなければならないというメッセージが含まれている」と指摘し翌月の補足説明文書でも皇室の伝統や仕来りに批判的な言及も見られ原は国民の側も女帝云々だけではなく皇室制度ぢたいをもう一度真剣に考えてゆくべきと指摘。結局、問題は宮内庁なのだが原は皇太子妃の病状の公開なども宮内庁が深刻な病状が明らかになった時には皇室制度ぢたいに対する信頼が揺らぐ可能性をば恐れているからの発表であり憶測としつつ今の皇太子妃との関係を絶ち(つまり離婚)皇太子を再婚させることで危機に陥った皇室制度をもう一度安定させる可能性について言及。それに対して皇室制度が明日なくなっても別にかまわないとルロフは、だが天皇制が存続するならば社会的に良い役割を果たすべきで大阪人権博物館を訪問するくらいの積極性を皇室に求める。原は七十年代くらいまでのほうが記者会見で天皇に戦争責任に対する積極的な質問ができたことや現在でも御用邸の付近では市民との対話などが比較的気軽にあり実は天皇制が市民から乖離していおり而も現天皇が宮中祭祀に積極的であることなど指摘する(現天皇は天皇就任の際に日本国憲法に則り、だのと戦後のリベラルで護憲派といふ印象もありこれは興味深き点)。それに対してルロフは現天皇の韓国や中国への謝罪や皇后の福祉活動など従来の皇后に見られぬ積極的な社会活動を挙げ「開かれた皇室」を評価するが原はだが東京では九〇年の天皇祝賀式や九九年の在位十周年、〇一年の内親王愛子誕生の際の「国民の集い」など全てが夜間に挙行され二重橋の上に立たれるといふ実際に見えぬ天皇皇后に対して国民が君が代歌い万歳を号ぶ図が身体性の閉ざされた、昭和天皇の戦後の「人間宣言」を経ての国民との対話や場の共有が、実はそれは戦後の天皇像でなく原の指摘によれば現人神であった昭和十五年の紀元二千六百年式典でも天皇皇后が皇居前広場に現れ昼間、同じ目の高さで臣民と対い集まった市民はすぐ向こう側にいる天皇皇后に万歳を号んだ事実があり、これは不健全で非人間的な環境と原は指摘する。が同時にカリスマ的な天皇像が寧ろ不要で皇居という場所と天皇という名の人間があれば中身は問わないという意味では「これ以上安定した支配はない」と原は指摘する。大胆な指摘だが宮内庁にとってはまさにこれが理想的な皇室であろう。ルロフはこの原の大胆な指摘にそれでも食い下がり〇一年の天皇の日本の歴史上の「韓国とのゆかり」発言を取上げ天皇みずからが純潔の大和民族といふ神話壊した意義に言及。だが原はこれも問題は天皇に韓国併合後の日本と朝鮮の王室との関わりが意識されているのかどうかと指摘し李王をば李王家といふ皇室として日本の皇族を嫁がせることが日韓同祖論や内鮮一体をまさに体現したのが皇室で、そういった近代の歴史を見れば天皇の一言を肯定することに疑問を呈す。また原は「開かれた皇室」にとって宮中祭祀こそ全く国民の知らぬ世界で賢所など三殿も全く公開されず宮内庁の公開する地図にもその場所すら記載されず現天皇とミッション系大学出身の皇后は実はかなり祭祀に熱心だが皇太子及び皇太子妃がどれだけ熱心かどうか、とくに皇太子妃がこの祭祀に余り熱心でなく馴染めずにおり五月の皇太子の発言の「伝統や仕来り」の部分はこの宮中祭祀のことではないかと推測を続ける。ルロフもこれについては結局、神社本庁などにとっては天皇よりもこの伝統的な祭祀が天皇によって行われることが大切であることを指摘。原は結局、天皇よりも祭祀、そして三種の神器こそ大切なのであり、万世一系なる見えない概念の「担保」がこの神器であり、と続けるがルロフは原のその伝統云々への遡りに閉口しているらしく、現在の皇室は時代に適応しつつ伝統が再生されている、と指摘する。そでも原は納得せず、具体的には関東大震災では宮城前広場に三十万人の罹災者が集まり戦後も六十年代まで皇居前広場が当時の若者が夜な夜な性行為をば行う場所であったことなど挙げ、そういった寛容性がどんどん損われていっている、と言う。最後に原は宮内庁が最も恐れているのは世論であり、これまで安定していた象徴天皇制が五月の皇太子の発言で世論が女帝容認に流れ、つまりは万世一系でなくとも天皇や皇室の人格、それに対する国民の信望で天皇制が維持できることがわかってしまった。皇太子は旧来の宮中祭祀執り行い三種の神器をば擁くことより個人の尊重する新しい皇室であることを国民に見せようとしている。皇太子妃の病状も回復のためには皇太子は皇室内部の伝統やしきたりを変える必要があると考えており、それに対して宮内庁は天皇皇后と同じく多少時間がかかっても皇太子妃が健康を回復し公務と宮中祭祀に復帰することを願っており、その対立の深刻さを指摘する。それに対してルロフはどうであれ皇室の変化は避けられず皇太子妃もそしてその夫としての皇太子もこういったメンタルな問題に悩む姿を見せたことで同じような悩みをもつ国民の共感を得るなど皇室の新たな伝統がどう創出されるかに注目していきたい、と結ぶ。
▼ヘラルドトリビューン紙にブッシュの発言あり。
In the last few years, the American people have gotten to know me. They know my blunt way of speaking. I get that from Mom. They know I sometimes mangle the English language. I get that from Dad. Americans also know that I tell you exactly what I'm going to do and I keep my word.
と。これが開拓時代の学校に行けぬ者ならまだしも、米国の大統領といふ世界をば支配する者の発言とは。だがこの自らが馬鹿であると「正直な」この発言こそ、意外と米国では国民にウケるわけで、少なくてもインテリで万能の如き何らミスもなきゴアが再度選挙に挑んだら大統領として四年間この馬鹿さぶり見せたブッシュには勝てまい。だからまだ「せいぜい隣近所のエリート」程度の印象のケリーのほうが対抗馬たり得るのかも知れぬ。だがバカであることが選挙の売り文句とは……。英語といへば「鮫の脳みそ」の誉れ高き森君が首相の時にクリントンとの対談で有名な噂さ話だが英語で話したいと側近に習ったのが“How are you?”で“Fine, thank you. And You?”と言われたら“Me, too”と答えるのを間違って“Who are you?”と尋ねてしまひクリントン君が困りつつも“I'm a hasband of Hillary”と機転を利かして応じたのに“Me, too”と答えたといふ話あるが、少なくとも森君にとっては英語は慣れぬ外語であり、ブッシュ君の場合の母語とは異なるもの。だが米国といふ国はもともとかなり怪しい英語話す者多い国にてスパニッシュの席捲もありブッシュの英語の誤りに気がつかぬ者も少なくないのが事実。そのブッシュ君をば米大統領選に「干渉したくない」と前置きしつつ「だがブッシュ大統領とは親しい関係にあり善戦を期待する」と宣ってしまったのが我らが小泉三世。内閣官房長官が慌てて「首相発言は誰が当選すべきかを言ったものでない」「選挙結果がどうれあれ日米関係は良好となることを確信する」だとかフォロー。今日のヘラルドトリビューン紙には上述のブッシュ発言引用の論説の隣にブッシュと並ぶ小泉三世の写真大きく掲載されこの小泉発言が伝えれる。日米の指導者の恐ろしきまでの知性感性なり。

十月十五日(金)雲一つとなき快晴。気がつけば昨日が陰暦の九月初一。秋も深まりぬ。歴史家高君に会い天理教本部より借用せし昭和十七年頃灣仔に設けられし天理日本語学校にて撮影されたる写真十数葉高君に貸しデジタルへの複写依頼。香港史の碩学により写真に写りたる瑣細なる事象より何か発掘されることであろう。二人で写真眺め開校式らしき写真で舞台左側に日章旗あり右に当時已に香港陥落にて英国旗ある筈もなく別の角度からの写真でよく見れば白き印は中華民国で青天白日旗。大陸にて攻める相手国の国旗とは興味深し。早晩に時間持て余しハッピイヴァレイのBrownにて珍しく赤葡萄酒飲みつつ新聞読み。店の奥庭に戸外の席あり。其処で早晩に従業員賄ひ飯済ませるはよいが経営者らしきと支配人らしき男二人が晩飯済ませた上に経営内容だの投資につき談義始め客ある場所にてのことに呆れる。確かこの店、創業者の感性ある某女史が数年前に経営権他者に売却の由。葡萄酒一杯でHK$88、店を出る際に二、三名の従業員一切礼も口にせぬ無愛想。些か空腹感あり成和道向かいの蓮園甜品にて緑豆沙食す。美味。Z嬢と会い薮用済ませかなり久々に日本料理・慕情に食す。晩に来ること数年に一度。盛況ぶり驚くほど。白子の天ぷら、〆め鯖。
▼地場のテレビ局TVBの報道局幹部三名辞職。香港局の放送広東省一帯にも映るは今に始ったことにあらず。されど今年になり正式なる放送営業権をばTVB局獲得し報道内容につき局内にて何らかの圧力か。
▼立法会開催され日々の詳細綴らぬが梁國雄君の行動連日マスコミを沸す。議員就任の際には宣言内容に「為中国人民、為香港市民」「還政於民」といった文言加え、相変わらずTシャツ姿にて登院、董建華との集合写真に加わらず、中指議員黄某批判の折に梁君も中指立てて見せたことが立法会議事堂内部でのこと故問題視され、昨日は立法会議事堂入り口にて董建華に意見書手渡そうとしてSPに阻止され議員の登院保証される立法会条例にSPの行動が違反と問題視、等々。
▼信報で葉狐城が連載「一個人的城市」で王家衛『2046』につき、水が半分ほど入った一杯のコップ眺めて其処に香港人の過去、現在そして未来映すが、無表情な売春婦ばかりで全ての感情が暗黒の洞窟へと押し込まれ只有性永在。唯一「へぇ」と感心したのは主人公の梁朝偉演じる三流作家が武侠小説、SF、色情小説でも「何でも書ける!」と豪語することに羨望、と。

十月十四日(木)快晴。イラクのサマーワにて自衛隊員2名がパトロール中に爆弾で死亡といふニュースありマスコミは報じておらずと東京の報道関係の友人よりメールあり。誤報といふ説もあり、と、そこに読売新聞の号外がメールで届き「やはり」とドキッとするが開けてみればサッカーで日本がオマーン相手に勝ちW杯最終予選出場。晩に独り尖沙咀の「Kimberley Roadの」源記茶餐庁に食す。叉焼だの焼鵝だの焼蝋が馳名の店ながら焼蝋は高カロリー多脂質で「金牌」と店が自慢の牛什麺を食す。あっさりと上品な味だがふと思えば香港で殊にこの尖沙咀に「源記」と名宣る、殊に牛什だの牛南を供す食肆いつたい何軒あろうか。余が知るだけで四軒。遅晩にウォッカを檸檬搾り飲んでいてふと思うは人の行動に「異常」といふものあらず全ての行動が自然であり、だから許されるといふものにあらず自然のままでは自我の崩れた存在としてのヒトは暮らせぬから何らかの規範が必要になるが、問題は、その最低のルールを越えて、それが英国でいへばビクトリア朝以降なのだろうが、寧ろその行為者をば異常者とレッテル貼ることでその異常者に向けた「健常者」のまなざしと、その異常者を排除することでの共同体の社会化図ること。殊に近年、その健常者がテロだの変質者だの異常者に対して「異常に」過敏反応であり、そのテロだの変質者の存在で自分が生きていけぬような錯覚に陥り、場合によっては寧ろ健常者と信じる己れが実は異常者になっていること、勿論本人はそれを理解するはずもなく毎日自分は健常者として生きているのだが、そんな社会が現在あること。『世界』十一月号にテレビ朝日の紐育特派員であった丸川珠代女史の「ブッシュを支持する人々」といふ文章あり。米国大統領選挙の共和・民主の支持率がかつては4:4で2割の浮動票の取り合いであったものが今回は45:45で僅か1割の、それも中部州のわずか千万の単位の投票によって米国大統領が決まる現実。ムーア監督の『華氏九一一』が米国でヒットすることで米国の良心と見ても、実はこの映画見る人は民主党支持の45%の中だけにありブッシュ支持者が見る筈もなく、いくらこの映画でブッシュをば揶揄しても45:45:10といふ比率に影響なきこと。而もブッシュは小学生でもわかるような英語の間違いがあり、新聞も読まず(読めず?)、イラクの大量破壊兵器は見つからず千名を超える自軍の兵士が死亡し失業者はこの4年で百万人増加し財政赤字はゼロから4770億ドルにまで膨張し……とその大統領を国民の半数が支持する事実。何がそのブッシュ支持かといへば、前回の選挙でいへばゴア候補のスマートさへの嫌悪であり今回はケリーのわかりづらさであり、それに比べて酒場で会ったら肩をすぼめて「ヒーヒーヒ」と笑うこの男(ブッシュ)はすぐさま声をかけて握手して盛り上がれそう、といふ感覚。ではブッシュでなければならないか、といふとそうではなく石油メジャーであるとか軍事産業、基督教(プロテスタント)保守派の原理的福音主義者など「ゴアやケリーじゃ困る」人たちにとって「無害な」(イラクだのにとってはとても有害なのだが)この大統領。やはり当選するのだろうか。だがケリー当選でイラクから名誉ある撤退となることも期待できず、ケリーの「よくわからなさ」よりバカであること明白なブッシュのあと4年に期待?もあり。伏牀し荷風日剰少し読む。昭和十九年の夏、隣家のラジオの騒音ひどきことに悩む荷風先生、いっそのこと米軍空襲をと祈る。勿論期待するは米軍空襲への危惧で隣家が疎開でもしてくれれば、といふことで自家も含め一帯が焦土と化すことまでは期待しておらぬが。
▼今月に入り在港のテレビ局で晩のニュース番組の前に「心繋家國」なる香港政府製作の愛国プロモーションビデオ流がし国歌演奏で祖国の限りない発展褒える。余の納めた税金もその製作に用いられたかと思うと嬉しいかぎり。

十月十三日(水)晴。朦霧。来月の関西での旅行につきいくつか通常の旅行では訪れられぬ場所あり畏友らのツテでどうにか参観許可得るべく手を打つ。来年の旧正月の旅行も先日フィリピンのあるリゾートホテルに予約入れたが今回は日本より両親招こうかと手続きしたものの父の養生要しこの親孝行の真似事は頓挫、予約満杯のリゾートにてすでに前金どころか宿泊費全額の支払いも済ませており取消し変更はいかなる理由であり返金なしと念押されていたが事情をばメールで説明し取消しをば請えば返事あり取消し承認の上に“We wish your father well”とあり忝き上にその言葉に思わず感無量。早晩にジムで鍛錬。帰宅してチゲ鍋。『世界』十一月号の特集「ブッシュか、反ブッシュか」の特集で佐藤学氏(沖縄国際大法学部教授)の民主党の誤謬の分析が秀逸。民主党は今回の大統領選挙が2000年のイカサマ選挙の復讐とブッシュ憎悪でブッシュ以外なら誰でもいいという感情をば党外の一般有権者も擁いていると誤解しており『華氏911』の映画ヒットや紐育での共和党大会に合わせての反ブッシュデモなど追い風と思ったが実は勘違いでそれが中間層市民の支持を獲得する上で逆効果、と佐藤氏。真っ当な言葉も英語ですら話せぬブッシュが敢えて愚鈍さをば定評として米国の反知性主義の伝統の中でリベラル文化人をば民衆の敵といふ位置づけに成功しブッシュは自らを親しみ易い庶民の仲間と演出。本来であれば米国社会はマイノリティ層が高学歴化する中で社会進出し彼らが民主党の指示母体となると思えば必然的に民主党の支持が増えるのだが、その環境に甘んじた民主党に対して共和党がブッシュといふ愚鈍な領袖を得て政党支持構造すら変えようとしているのが現状。今回の選挙はそういう意味で米国の健全であった二大政党制にとってかなり悪影響もあろうか、と。御意。結局は今回の選挙で明らかなように民主党が反ブッシュといふ以外に、かつての日本社会党が反自民でしかなかったのと同じく、実はその甘さが保守政権政党をば扶助する政治の仕組み。
▼仏蘭西の志らく大統領の訪中。本来なら心の故郷・東京に立ち寄りたかっただろうが、実はまたお忍びで一泊か、新宿は東京医科大の裏の富久町の路地をちょいと入った横丁の、この季節、玄関の傍らに無花果と巵子の小さな鉢が置かれた仕舞た屋の鄙びた一軒家、「志楽」なんて表札かかり、昔は神楽坂でちょいとは名の売れた芸妓上がりの、女優でいへば澤村貞子似の婦人が住まふ。そこにだいぶ宵の闇も深まった頃に一台のタクシーがすーっと現れ車から降りるはシラク大統領、車の音に気づき玄関の扉開けた姐さんが「あら、アンタ来たのかい」なんてね、いいねぇ。だが今回は大好きな大相撲もなしでお気に入りの(と勝手に決めつけているが)寺尾の土俵を見れもせず。で中国にとっては「日本に立ち寄り」は中仏のメンツにかかわりもあり東京立ち寄りは断念か。ところでシラク大統領を横綱審議委員会の委員長に。で相撲協会理事長は寺尾で決まり。あの二人、実の親子ぢゃないかい?、よく似てるねぇ、なんてね。
▼漫画家本宮ひろ志氏の週刊ヤングジャンプ連載の『国が燃える』が旧日本軍が南京で市民を虐殺する様子を描き「真偽不明の写真を使っている」などの抗議を地方議員のグループや読者から抗議あり暫時休載の措置(朝日)。本宮君といへばその漫画の立志っぷりだの気概だの寧ろ保守反動右翼の諸君にウケよき作品あり、その人ですらこれ。では逆に保守反動右翼の諸君が「南京大虐殺はなかった」といふ主張をば漫画にした場合、左翼や市民団体の抗議受け連載中止となるか、といへばならず。これがファッショ社会の現実。
▼西武鉄道絡みの有価証券報告書での虚偽報告の責任とり堤二世がコクドや西武鉄道などグループ企業や西武ライオンズのオーナー職、日本オリンピック委員会名誉会長など辞任。朝日には「西武鉄道の虚偽記載、株主軽視に厳しい批判」などと見出し踊るが練馬産の大根運んだ鉄道屋から戦後の新興財閥に成り上がった親から継いだ財産資産で会社経営のオーナー堤二世にとって株主軽視など指摘されてもピンとは来まひ。

十月十二日(火)快晴。昨晩遅く読んだ荷風先生の日剰に昭和十八年の暮も三十日に戦時下の玉の井訪れた齢六十五歳の荷風散人
「數年來馴染の家に立寄て見しが今は老衰の身のなすべき事もなし。閨中非凡の技巧を有する者に逢はざるかぎり爲さんと慾するところいよいよ爲す能はざる年齡に逹せしが如し。天保時代の儒者松崎慊堂は六十六歳にて十七八の侍婢に男子を擧げしめたる事その日記に見ゆ。余の古人に及ばざること啻に經學文章のみにあらず。浩歎すべきなり。漁色の樂消滅する時大抵の人は謹嚴となり道義を口にするに至り易きもの也。余は強て自からかくの如くならざらんことを冀へるなり」
とあり。ところでこの当時荷風先生毎晩の如く食す新橋烏森口の「金兵衛」の女将が十五代目の異母妹とあり。原田某なる三州西尾の出の藩士が横浜で洋婦に生ませた子が巡り巡って市村家橘の養子となり、それが後の十五代目羽左衛門となる。その妹(といってもお互い顔も知らずに離れて育つ)が金兵衛の女将でその兄二人は仙台にてカフェと娼家、天婦羅屋営むと日剰にあり。朝五時半覚醒め眠れず。東都五日続きの雨模様に肌寒しと報せあり香港は雨も何日が最後かと忘れるほどの好天続き乍ら朦霧ひどし。早晩にかなり久々にジムで鍛錬。帰宅して玄米だけの飯に茸入りの山芋、韓国海苔、里芋と烏賊の煮物、葱の味噌汁。一ヶ月以上遅れて『藝術新潮』九月号眺める。特集は梅原猛の円空巡礼で円空佛もいいが梅原猛がそのままお地蔵さんにでもして野辺の道に佇ませたきほどの表情で、映画なら蔡明亮の映画で大雨の映画館の前に雨宿る老人風情、もう四半世紀も前に『隠された十字架』で脚光浴びし頃のギラギラせし業もすつかり削ぎ落とされたり。靖国神社がいかに日本の伝統から逸脱するかについての積極的な発言も大したもの。同誌で松本喜三郎の生人形展熊本と大阪で今月上旬まで開催ありと知る。スミソニアン博物館に常設展示の貴族男像が衣脱がされ全裸にされ生々しき性器まで見せ物にされたとは。実に立派な逸物ありと伝えききしが貴人ゆへ贅を尽した衣を纏つてその内はお見せせず、でもいいような気がするが、博物館なるもの人体解体模型同様全て見せるその好奇心と猥雑さ、それへの「まなざし」こそ博物館かと思えば致し方なしか。
▼『週刊読書人』で赤木洋一『平凡パンチ1964』と小林泰彦『イラストルポの時代』の二冊刊行を期に亀和田武が「平凡パンチ」クロニカルなるものを綴る。「カジュアルな文化大革命を摸索していた60年代半ば」だの平凡パンチの時代を「それまでは隔絶していた日本と欧米の若者たちの文化が一気に連動していくダイナミズム」などといふ言葉踊る。また同紙は『紐育ブックレビュー』であるとか英国タイムス紙の書評の如く権威ある書評紙の筈が数ヶ月に一度の池田大作先生の著作に関する一頁特集も批評といふには諸手を挙げてのヨイショ評論で全面広告かと思わされるが【広告】といふ表示もなくこの編集元と創価学会の関係は余は知らぬが書評編集での立場理解し難し。二年ほど購読せし週刊読書人の購読中断を突然決める。
▼『世界』十一月号の編集後記で八月二十六日の東京都教育委員会の「男女平等教育について」(参照)といふ通知について批判の論説あり。各学校長宛の通知には「東京都教委は(略)望ましい男女共同参画社会の実現に向けた取組の一環として男女混合名簿の導入を推進してきた。しかし近年『男らしさ』や『女らしさ』をすべて否定するような『ジェンダーフリー』の考え方が出てきて(略)それに基づき男女混合名簿を導入しようとする主張が見られ(るが)『ジェンダーフリー』の考え方に基づいて名簿を作成することは男女混合名簿の考え方とは相容れないものである」と『世界』編集長の指摘通りこの通知の意味を理解することは難儀で同じ男女混合名簿でも男女共同参画社会実現のための場合とジェンダーフリーにも基づく場合では違うといふのが東京都の主張。だが実はこの東京都の好む「男女共同参画社会」といふのが政府の男女共同参画審議会の答申によれば
「女性と男性が,社会的・文化的に形成された性別(ジェンダー)に縛られず,各人の個性に基づいて共同参画する社会」
のことであり、つまり東京都の通知は意味不明、無知、論理的思考できず、と指摘。だが『世界』の編集長の編集後記にしては詰めが甘いのは、実はこの編集後記に引用されている答申といふのは96年の橋本首相の頃のもので実際にはもう「お蔵入り」しており現在の内閣府男女共同参画局によれば「男女共同参画社会」といふのは(参照
「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会」
と定義されており、比べればわかる通り、性別に束縛されないジェンダーフリーといふ言葉は政府も好まず男女といふ性別、性差は当たり前のものとして存在。つまり東京都のジェンダー嫌ひは政府と歩調協せしものと理解すべき。余が奇しくも東京都の弁護するようだが(笑)実は東京都の前述の通知が意味不明、無知、論理的思考できず、なのはその通りで、問題は(『世界』の編集長もここを指摘すべきだったが)「『男らしさ』や『女らしさ』をすべて否定するような『ジェンダーフリー』の考え方」といふ定義に誤謬あり。ジェンダーフリーといふのは正確には男らしさも女らしさも女々しい男も男のような女も全てフリーであること。ジェンダーフリーは男らしさの否定などしておらず。尤も更に突っ込んで指摘すれば『男らしさ』などといふものがホモフォビア的には実は女々しさの裏返しであるのは三島由紀夫見ればわかる通りであろう。
▼連日「2046」の話題になるが今日の新聞広告には「2046亨誉全球」とタイム誌だのルモンドの賛辞載せてるが韓国の人気女優だそうな宋慧喬の「この映画は一度だけじゃなくて何度も見るべき」も可笑しいが香港の億万長者李嘉誠の次男・李澤楷の「王家衛が好きです」もこの李坊の一言が何人の観衆を動員できるのか期待したいところ。李嘉誠といへば本日の政府所有地の競りで何文田の政府官舎地をば九十億ドルだかで落札。競りは五十億ドルから始り実際にそれほどの価値がこの土地にあるとは思えぬがこの落札の瞬間に香港の不動産価格浮上(笑)
▼北京で六四天安門事件で犠牲となった学生らの父母で組織する「天安門母親」の発起人・丁子霖女史が訪中の志らく大統領に公開信をば送り今回の訪中で四百億元に及ぶ受注をば仏蘭西は中国より得ているが人権宣言発祥の仏蘭西が天安門事件の評価すら覆さぬ中国政府に何ら疑問もなく武器輸出まですることへの抗議。ところで中国といへば右のこのオブジェ、実に象徴的にこれだけにて誰が見ても毛沢東。ここまで簡略化されても誰か判明するのはヒットラーの髭か毛沢東の容貌くらい。

十月十一日(晴)仏蘭西の古今亭志らく師匠ぢゃなかった志らく大統領が訪中。北京では胡錦涛国家主席が志らく師匠をば最高の国賓待遇で迎えエアバスは十億ドルの単位の受注締結、仏蘭西の財界トップ率いた団体旅行はこのあと上海、香港へ。昨年は巴里にて中国年と艶やかにサンジェルマンデプレのルイヴィトンの店先の飾りつけもシノワズリ。今年は北京がこの巴里祭気分で天安門広場に週末はオペラだか何だか大規模な催事あり。唯一悔まれるは北京の大気汚染にて可視界が五百米とはつまり天安門広場で人民大会堂から広場に対峙する歴史&革命博物館どころか広場中央の毛沢東記念堂も曇る程。……とこの項ここまでタクシー車内にて打っていたのだが北角界隈でもあちこちで無線LANが勝手につながる箇所あり香港の無線網ぶりに驚かされるばかり。帰宅。でこの北京での仏蘭西文化年に比べ海老蔵君の襲名披露は團十郎も病ひをおしての巴里公演ながらその仏蘭西年に比べれば成田屋の名前だけでは弱かろうか。これに匹敵するならば巴里の名だたる大劇場をば借り切ってオペラ座では歌舞伎、バスティーユのオペラ座では宝塚歌劇団、メゾンドラジオフランスで紅白歌合戦、パレドトキオで安来節にオルリー美術館で葛飾北斎展でも一挙開催するくらいせねばならず。晩に今ごろになってケーブルテレビで映画の『踊る大捜査線』を観る。練りに練った脚本、無駄のない筋、王家衛も見習ふべきか(笑)。王家衛といへば信報で黄珍尼が「翻版」といふ題で王家衛の『2046』取り上げ、先週土曜日の夜七時半に『2046』観れば劇場に客は数人と書き出して、或る映画評はこの作品を「史詩」と持ち上げ、また或る批評は記号論的に分析するが、黄女史はだれかが王様の新しい衣装での行進に「王様は裸だ」と号ぶべきだ、と指摘。一流の俳優揃えても王菲や木村拓哉が打ち明けたように「撮影時には何を撮っているのか筋も全くわからない」状況で演技の仕様もなく監督が自作の物語をば何度も何度も「翻版」にて取り直す中で面白みも失せて最初は新鮮であった女優のロングドレスに高く結った髪も今さらの感あり。評判の化粧もアイラインがどの女優にも似合うものでもなく劉嘉玲のそれはオカマの女装の如し。六十年代にそんな化粧があった筈もなく映画広告のポスター写真見ただけでうんざり、と。文藝春秋十一月号で李登輝君が作家浅田次郎相手に「武士道と愛国心について」と談義。大正生れの万年青年が明治の先達の気概を語る。新渡戸稲造の『武士道』は矢内原忠雄の文語調訳がよく若い人にも是非読んでもらいたい、と言われても若い人が読む筈もなし。本来なら台湾総統辞めれば政界より足を洗い長老派教会の牧師として布教に勤しむと語った老輩はもはや日本人になき気概ある元日本人として文藝春秋などに弄ばれるばかり。李登輝氏が『跳舞時代』といふ映画取り上げ若い人にぜひ観てもらいたい、と語っているが筋を見ただけでは(こちら)日本でいへば『上海バンスキング』の如き昭和の初めのあの時代の徒花のようだが如何なものか。

十月十日(日)馬鞍襲撃日本と新聞に題字踊り馬鞍とは何処のテロ組織かと思えば首都圏襲撃の台風の香港名。昨日北譚凹にて終了せしトレイルを本日は北譚凹より鶏公山、馬鞍山を越えて九龍慈雲山の茶屋に到る25kmをば本日はわがトレイルチームにて実施。朝八時に坑口の地下鉄站に待ち合わせば珍しく最近は競馬友と化したI君の姿あり。思い返せば五年前にI君と会ったのはトレイルなり。間違えて科学技術大学行きのバスに乗ってしまひ科技大より西貢を経て北譚凹までタクシー移動。天気快晴続きで気温も28度程ながら湿度四〇%台で涼風も心地よし。昼前に鶏公山の第三区終えて午後は馬鞍山(写真)。途中少し早足で駆け午後三時半には慈雲山の茶屋に到着。山多き25kmを六時間四五分は上出来。茶屋で三人で青島麦酒大瓶五本飲み黄大仙に下り地下鉄で帰宅。ジムに浴す。煮込みうどん晩に食す。さすがに二日で50kmの走破で身体の疲労甚だしくも心地よし。一昨日だかZ嬢と下種な会話でのこと、他人の家がどれだけ散乱っているか、を語る場合、見ていないとなかなか想像に難きものあり。また見た本人と聞いた者では想像に違いもあり。そこで一つの尺度として用いられるのが映画「誰も知らない」の秋、冬、春、夏の四季。映画見ておらぬ方にはわからぬがあの家族が新しいアパートに引っ越してきたのが秋、この状況では引っ越しの荷物が片づいておらぬ程度に散乱っており、それが冬になるとかなり散乱りが目立ち、春になるとかなり問題多く夏は限界を越えた乱雑ぶりに到る。「どのくらい?」に「そうね、十一月って感じかな」で具体的に想像に能ふ。

十月九日(土)N氏に誘われ日本人のドラゴンボートチームのメンバー五名のトレイルの練習に加わらせていただき午前九時に北譚涌を出で余はS氏、M嬢と三人で早足にて萬宜水庫からいつものコースで西湾を経て北譚凹まで25kmを五時間で歩く。途中に海岸より海抜三百米の小高い山を越え峠も二つの道程だと思えばこの時速五時間は我ながら上出来。写真はいつもの海ながら今日はいつもにもまして海も碧し。日本は首都圏に本日勢力強い台風直撃とか。香港はとうとう一度も台風来たらぬまま秋となる。午後二時に北譚涌より乗合バスで西貢。ミニバスで眠る間に彩虹。尖沙咀でジムに一浴しZ嬢と落ち合い四時から尖沙咀はGatewayの映画館にてマイケル=ムーア監督の『華氏9/11』の先行上映(試写会)あり香港では珍しく上映遅れたこのカンヌ映画祭のLa Palme d'or作品を観る。ブッシュ二世の呆者ぶり更めて笑うが911の当日に世界貿易センタービルが国家テロにより襲撃受けたことを告げられたブッシュが「七分だかに渡り」訪問先の小学校で側近から隔たったまま児童の前でぼんやりと絵本に目を落とす姿など映像の面白さ。映画の冒頭に使われる対イラク開戦をば告げるテレビ中継での中継開始前のブッシュら米国高官の「愉快そうな」表情も印象的。米国政府の調査委がイラク攻撃の根拠となった大量破壊兵器の存在をば否定した今となってみると実に偉大なる茶番の数々。だが「映画」作品としては米国覇権の世界で米国大統領の馬鹿さ加減をば米国の映画監督が撮ったといふ点での面白さこそあれ、これがカンヌのLa Palme d'orかと思うと天安門事件の89年のノーベル平和賞にダライラマ十四世猊下選ばれし時のことなど思い出し作品ぢたいよりも背景の意図優先かと思いつつ「賞」といふものは全てその政治的意図により実際の人や作品はそれに見合うものが実に恣意的に選ばれるのが当然の仕組みなのであろう。映画終わって山林道の越南料理・和平館に食す。ビールは33麦酒、牛肉入りの生春巻き、アスパガラス油炒、ムール貝オーブン焼に蝦檬と生牛肉麺。

十月八日(金)快晴。卓上で酷使する電脳にここ一週間ほど不具あり動き佳からず専門の業者に診断請えば病疫だのソフトの問題に非ず硬盤(とでも漢字で書こうかHD)の物理的な故障と判り他にすべなく硬盤をば交換。損うものこそ少なくも作業にほぼ一日を要す。昼に或る人が突然帰国の要あり午後十二時半に全日空に電話し午後二時五十五分初の関西空港行きの便への搭乗図る。ご本人には支度して空港への直行を願い余は中環の全日空にて午後一時には航空券受領。全日空の場合日本航空と同じく香港空港での発券業務はなし。厳密にはキャセイパシフィックに業務委託で正規料金以外での発券できず割引運賃などの場合は支店での発券となり、つまり週末祭日は不可。機転のきく職員迅速かつ親切な対応。航空券受領しエアポートエクスプレスにて空港に向かい一時四十分には空港着。搭乗者も十分後には空港に到り搭乗券渡し登場手続きするが支店より手続きの遅れる旨連絡してあり実際には出発時刻一時間前と余裕と笑顔の対応あり。座席予約から一時間半もかからず空港で登場手続き可といふ香港の手際のよさ。卓上の電脳の硬盤交換もどうにか終わり帰宅途中に岩波新書の新刊入手すべく百年ぶりの銅鑼灣そごう百貨店の旭屋書店訪れる。ここ数年書籍は一切合切紀伊国屋のネット書店で購入するがお気軽な注文でついつい書籍買いすぎ自重。だが旭屋には文庫に比べ新書かなり少なく中公新書ばかり目立ち岩波新書は永六輔のとわずか数冊のみ。岩波の「買い取り」では海外の書店には品揃え薄くもなろうか。それにしても小林よしのりだの保守国粋本ばかり目立つ本屋で知性のバランス感覚に欠ける感あり。帰宅してドライマティーニ飲みカレーライスにワイルドターキーのソーダ割。酒を飲みたいと思うも身体も元気になった証左か。遅晩にふと自宅で酷使のノートブックの硬盤の断層化を直そうかと始めるとさすがにノートブックの遅さで作業捗らずふと桝野浩一『ガムテープで風邪が治る』を読む。
この厚さ、この内容で千四百円 詩ってどこまで本気かわからず
という感じ。まだ断層化解決の作業終わらず今晩旭屋で衝動買いした『M型ライカヒストリーブック』と『魅惑のコンタックスTシリーズ』といふ二冊の写真機のムック本もぱらぱら眺め終わるが深更にも未だノートブックの作業終わらずふと思えば電脳が勝手に続ける起きて待つ必要などなく朝になれば終わっており何を深更に二時間も眠い目をこすりつつ起きていたのか自分に呆れるばかり。

十月七日(木)快晴。晩に佐敦に薮用あり早晩に尖沙咀山林道のベトナム料理の老舗・和平館にて蝦檬(蝦入りVermicelli)食す。極めて美味ながら魚醤(ランプラ)の汁多く食す途中より味付け強すぎの感あり。
▼王家衛の映画「2046」が釜山にて「5分でチケット完売」と蘋果日報にありこの駄作に何故の椿事かと思えば釜山国際映画祭の開幕記念上映。つまり誰も未だ観ておらぬ故。開幕に合わせ訪韓の筈の木村拓哉君現れず。
▼都立板橋高校の卒業式で「日の丸・君が代」の徹底を求める東京都教育委員会に反対する資料を配りし同校元教諭を式妨害のカドで警視庁が威力業務妨害などの疑いで書類送検(朝日)。
▼イラクの大量破壊兵器に関し米国の調査団が「大量破壊兵器なし」と報告。イラク征伐の茶番ぶり明らかに。官房長官細田某は「現時点では、そういうもの(大量破壊兵器)がないということは非常に結構ではないかと思う」と宣ふ。首相小泉三世この報告につき日本の立場に影響は「与えない。国連決議に則って日本は(イラク戦争を)指示したわけだから。国連決議に従えば戦争は起こらなかった。なぜフセイン政権は国連査察団を妨害したり決議に従わなかったりしたのか。なぜ戦争を回避する努力をしなかったのか不思議だ」と述べ判断を誤ったということは「米国としてはある。米国の立場と日本の立場は違う」と逃げ口上。ブッシュだの小泉だの本人の資質だの知力の問題以前にこういった輩を米国大統領だの内閣総理大臣に選挙せし国政托す日米の国民に誤謬あり。この報告に新聞各紙の論評期待するが産経新聞は社説も産経抄もこれを取上げず。本日社内にてあーでもないこーでもないと低き思考力で検討の後に明日にでも社論掲載か。読売新聞は社説で「脅威は間違いなく存在していた」と調査団報告書の「フセイン元大統領は制裁が解除され経済が安定した後で大量破壊兵器の開発能力を再構築したいと考えていた」 とする推測を更に一歩越えた断定。読売は大量破壊兵器の存在でなくその「脅威はイラク戦争の主要な根拠」としフセインが「大量破壊兵器の廃棄を求める国連諸決議を繰り返し無視し」「大量破壊兵器が存在しないことの立証責任も果たそうとしなかった」から「こうした状況から世界中がイラクは大量破壊兵器を保有していると考えたのも当然である」と嘘八百。願うべく余は「世界中」などとブッシュだの小泉、読売と一緒にされたくはなし。
▼鈴木一朗君国民栄誉賞を「まだ未熟者ですから」と再度の辞退。首相小泉三世は記録達成の直後「どんな賞でもあげたい」としつつ「もう国民栄誉賞、あげてもあげなくても素晴らしい。偉大だ」と語ったのも三世なりにこういった「エサ」に鈴木君であるとか中田君が「乗ってこない」こと薄々感じ取っていたか。首相の見事な政治的感性なり。

十月六日(水)晴。毎週水曜信報に畏友の歴史家・高添強君(「高添」といふ日本名に非ず高・添強なり)の歴史談あり。毎週含蓄ある内容だが今日は「調景嶺故事」といふ題で今は地下鉄の走る新興住宅地だが九十年代中期までは九龍東部の陸の孤島にて国民党残党の集落、この地は英語でRennie's Mill(レニー製粉所)と呼ばれた縁起について。1898年に英国が新界租借し英領香港の面積は十倍となり七年後に九広鉄道も完成。この頃にRennieといふ名のカナダ人の商人あり中国の「洋化」で麺包を食す需要高まると期待し香港の地に大規模な製粉工場の建立を画策。英国の香港政庁もこの製粉所の生産量が当時の在港の駐軍兵含む全人口を四ヶ月養える規模であり戦争等で海峡封鎖での断糧の非常時でも有用と在港の財閥資本も投資に加わり香港政庁は九龍の東端のその地四百三十五エーカーを提供す。製粉所の建設が進み一九〇八年の年鑑にはこの製粉所が一日に八千袋の高品質な小麦粉を生産し一ヶ月の小麦使用量が六千屯に及んだと記載あり。電化された工場には工員宿舎だの港湾施設まで完備し小麦粉の日本やビルマまでの輸出まで企図。だが期待された中国での洋化とパン食が進まず経営者のRennie氏一九〇八年に製粉所傍の海に投身自殺。事業失敗し荒れ果てたこの製粉所が歴史の舞台に再び登場するは戦後のことで中共内戦で中国を追われ香港に移住した国民党の軍人軍卒らのためにこの荒れ地をば臨時居住区として提供。毎年十月十日の双十節には中華民国の青天白日旗が掲げられ反共基地の象徴の如し。九七年返還でこの反共集落の存在が問題となり政府は大型の住宅地建設の計画たて陸の孤島が今では高層住宅の並ぶベッドタウンと化し地下鉄が走る。で語るに値するはこの地の地名の由来にて「調景嶺」なる中文名は「吊頸嶺」の当て字で「頸吊り」は文字通りRennie氏の絞首に由来する、と。自殺が海への投身か首吊りかは史実不明。だが高添強氏の地道な調査によれば一九〇四年の英文地図にすでにこの地にTiu Keng Wan(吊頸湾或いは吊頸環か)といふ地名ありこの地名がRennie氏の自殺の前に、この地がRennie's Millと呼ばれた製粉所とは関係なく地場でTiu Keng Wanと呼ばれていた史実あり調景嶺=吊頸嶺の名がRennie氏の自殺とは関係なきこと明かす。晩にハッピーバレーの競馬場にて競馬開催ありI君とキャセイパシフィック航空のボックス席で観戦。見事にかすりもせず賭け金も抑え観戦に徹す。

十月五日(火)快晴。信報で劉健威氏が「冷飯」といふ題で「まったく!この二日続けてつまらない映画を見てしまった」といふ書き出しで“La mala Educacion”と合わせて王家衛の「2046」をば酷評。前者については観客を引き込みこそせぬもののまだ独特の色彩など美的感覚ありとしつつも後者については全く評価する点なし、と余が見たかぎり王家衛に甘い香港で「化学調味料たっぷりかかった冷や飯」と最も辛辣な王家衛批評。「2046」といふタイトルからして97年返還から半世紀といふ政治的暗喩に何の意味もなし。「阿飛正傳」から「花様年華」と炒完炒再で同じ話が延々と続き「没有脚的鳥」がどうしただの愛情の記憶は山深き果樹を探す如しだの、最初は新鮮な話も二度三度と繰り返されてはウンザリするばかり。話の筋も感情も単調なこれに撮影で数年費やしたのは映画界の笑い話だが、笑っておれぬのはプロモーターで聞くところではこの制作にかかわった日本人は惨澹たる状況に涙を流して泣いたとか。結局、豪華スターを並べただけでその化学調味料が王家衛といふ冷や飯にふりかけてあるようなもの、と。御意。早晩に香港大学博物館のA君と親しいT女史とハッピーヴァレイのジョッキー倶楽部のクラブハウスにて会いカフェで来月の旅行の打合せ。格式高きはずのジョッキー倶楽部もクラブハウス市口で見ておれば下品かつ野暮なメンバー多くカジュアルとはいへ服装も品もなし。遊技施設などあり子供多きことも保育所の如し。タクシーで北角。寿司加藤。一ヶ月以上ご無沙汰で体調のことや歯の治療のことなど店忙しくなる前のご主人と話す。トレイル一緒するメンバーで集い打合せといいつつ酒盛り。終わってO君、I君とCity Garden Hotelの地下の酒場に一飲。
▼経済学の奇才といってもシカゴ派経済学で香港でフリードマンを紹介したのが功績といふ点ではポランニーでの栗本慎一郎と奇才といふ点では似ており但し国会議員に身を落とさずは評価もされようがなかなか奇抜な書家としても評判で骨董などの道楽が嵩じてシアトルだかに開業せし骨董品屋が偽物売りだの脱税で米国当局の捜査受け本人も参考人として出頭すべきところ香港から米国に戻らず今は中国国内で隠遁中といふ噂のある張五常君(元香港大学経済学部長)が蘋果日報で「五十五年有感」といふ論説あり。張教授の水晶球に見える将来は中国の経済発展はあと十八年で米国に追いつくそうで中国の現在の経済発展は七十年代の日本をも陵駕する勢い。現在の中国は当時の日本を十個合わせたほど、と絶賛。珠江デルタの経済成長が全国に普及すれば十二年で到達可能の。これぢゃ竹村健一(笑)。この中国の高度成長支える要因として張教授が指摘するのは毛沢東の政策のいくつか。まず人民の「上山下郷」(これは文革での強制労働など含んでだが)で全国的に移住が進み隣村でも言葉通じぬといわれた中国で普通話普及し意志の疎通が可能となったこと。そして大学進学、とくに理工系の技術部門で高等教育が普及していること。三つ目が住民登録制度の完備で治安維持が図られていること、と。単なる保守派を超え状況に合わせ何でも理屈に合致させられる点は確かに奇才か。

十月初四(月)快晴。早晩にFCCに用事あり帰りに香港政府合署の前通れば警備員が配置され閉門のうえ路上には二人の警官。かつて97年の返還前は門すらなくBattery Path側は塀すらなく夜中でも通り過ぎることが可能であった政庁が高い塀をばめぐらして今では人を寄せ付けず。金鐘にて「かつては万年筆」のモンブランの代理店にて長く営業するC氏と星巴珈琲。Trailwalkerをば警官二名、消防員との組にて二十二時間にて走破だそうな。C氏と出会った頃に幼稚園であった息子が今では十四歳とは月日ばかり早く過ぎる。帰宅して秋刀魚を食す。ビジネストラベラー誌読めばベトナム航空の広告あり(写真)写真は「涼しげなイメージ」であり、まさか実際にベトナム航空ではビジネスクラスが籐椅子とは思わぬが「もしかすると」などといふ予感もあり(笑)。エミレーツ航空の頭等客槍など「やりすぎ」であろうしヴァージン航空のアッパークラスの寝床はかなり宣伝しているが背もたれを前に倒して寝床にするといふのは、つまり一旦立ち上がらねばならぬわけで、坐って徐々に椅子を倒すに従い眠りにおちるのがフライト中は自然だと思うと、この一旦立ち上がって背もたれを前に倒してシーツ敷いて毛布かけてベッド作ることに根本的に発想の間違いあり。ベトナム航空で香港からサイゴンくらいまでの距離なら籐椅子も風情ありかも。風呂にはいっていて突然「おもちゃのチャチャチャ」をば口遊む自分を知る。なぜ突然。それにしてもこの曲のファンキーさは大したものだが、冒頭の「おもちゃのチャチャチャ」の「チャチャチャ」の部分の和音(ドミソラ)が今では慣れたが子供の頃、C→F→G7に慣れた耳にはこのCにどうしてラの音がつくんだ?の音にかなり衝撃覚えたもの。老いて幼き頃の、ずっと忘れていた遙か昔の些細なこと思い出すこと多し。
▼久が原のT君より漫然とNHK教育テレヴィジョン見ておればいきなり二村定一×天野喜久惠の長閑に歌ふ「アラビアの歌」が流れ柳家花緑師匠御案内のアラビア語講座。米国で「スキヤキソング」流れ芸者現れ日本語講座始まる如し。
▼築地のH君が昨晩のNHKの7時のニュースでトップは「シアトルのそばのなんとかいう火山が噴火のおそれ」で次が「イラクで米軍が大規模な掃討作戦」。三つ目が「台風で行方不明者の捜索続行中」となり、外国の火山が噴火しそうだ、が日本のニュースでどれほどの意味あるのか、と。而も火山学者のコメントは「噴火しても大きな災害にはつながらないだろう」では、勘ぐればイラク情勢を後回しにしたい一心か、それよりも国内の台風で実際に被災者が出ている方が優先のはずで、理解不能なり、と。シアトルのそばでイチロー絡みか(笑)。火山噴火でイチローの安否とか。台風の被害はイチローに一番関係ないか、と思ったがイチローの出身地にも近い台風被害のはず。H君彷彿するはバースやローズが王のホームラン記録を破りそうになった時の敬遠の「王さんの目の前でガイジンに記録を破らせるわけにはいかない」のお返しで今回のイチローも「日本人ごときに記録は破らせない」という意図が働くのではないかという観測に対して実際には確かにいっとき敬遠だの微妙な判定も出たがすぐに収まり、スタンディングオベーションだの逆に米国はイチローに非常に好意的。不愉快に思った米国民も少なからずいただろうがそれが出そうになると封じ込めるだけの「良識」が世論にあり。ブッシュのイラク侵攻への反対世論など(これも気づくのは遅かったが)米国社会の辛うじて残された健全さか。東京新聞がダイエーの元コーチでローズの敬遠を指示したといわれる若菜氏のコメントとり「いま考えると余計な配慮だったかもしれない」と語られたとか。ところでヘラルドトリビューン紙(紐育時報)はスポーツ面でイチローの記録達成の記事でイチローを“Suzuki”と呼び記事でその選手が日本人であることについての言及一切なし。ところでその鈴木選手が記録達成で一塁ベース上で帽子とって軽く会釈した映像見て思ったのは小津の「長屋紳士録」で田代青年演じた頃の笠智衆と似ていること。
郵政民営化に関する「有識者」会議から今度は民営化具体策講じる郵政民営化情報システム検討会議が発足。座長は加藤寛(千葉商科大学学長)。まだ、或は「また」でもいいが加藤寛か。二十年、日本といふのはこういふ人たちの間のお手盛り続くばかり。ついでに言及せば武器輸出三原則見直し図る安全保障と防衛力に関する懇談会もあり。有識者会議だとか懇談会といふがその可否問ふものに非ず最初から民営化だの武器輸出をどうすればできるかが前提。開玩笑。NHKのニュース10にて武器輸出三原則につき首相が佐藤栄作君の当時財界の男芸者と揶揄されたエーチャンですらベトナム戦争で武器は共産圏並びに戦争紛争当事国(米国は実質的に当事国?)にも輸出禁じる歯止めあり三木首相当時は武器輸出につき輸出も憲法に則り慎むと首相答弁あり。隔世の感あり。

十月初三(日)快晴。昨日インターネットのセキュリティをば強化せば突然、余のサイトのうちカウンタだけが表示されなくなり(他の電脳でならカウンタ表示は問題なしで)何かと思えば「Webサイトから広告コンテンツを削除」といふ機能が有効になっており、何故カウンタだけなのに広告コンテンツとされるのかよくわからぬが、ひとまずこの機能無効にしてカウンタ見れるようになる。絶好の競馬日和。滑稽……ぢゃないよ国慶賽馬日。Z嬢と二人で今季初めて沙田競馬場に参る。キュセイパシフィック航空のマルコポーロ倶楽部のメンバー用ボックス席(写真)空港のビジネスクラスのラウンジと同じコンセプトでなかなか快適。一昨日「登攀」の馬鞍山の山なみ一望(写真、黄色線は一昨日のコース。R2(クラス4芝1800m)にてフジキセキの子八戦未勝で前走は14尾着のフジサンライズが何故か6.9倍のオッズに支えられ初勝。馬主は次期行政長官の噂もある唐英年財政司長。雨の中山競馬場よりの中継でスプリンターズステイクスは昨年の覇者・多旺達(デュランダル)が一番人気で余はこれに武豊君騎乗の黄金駒(ゴールデンキャスト)と香港より参戦の喜望峰(Cape of Good Hope)で連複狙い。喜望峰はご祝儀に非ず国際レイティングで115と今回の出場馬の中では互角に競えると期待。金鎮之光(カルストンライトオー)が雨の不良でぶっちぎり一着。ゴールデンキャスト二着で喜望峰三着とやはり善戦。國慶盃(精鋭班、芝1400m)はSnippetsを父とする、昨季の登場から八戦五冠三亜〇負の芙蓉鎮(Town of Fionn)が一番人気で辛勝。二着にMerridian Starで三着がBowman's Crossingと暫く勝ちから遠ざかっていた二頭続き馬券外す。R11(クラス3芝1800m)も期待のSize厩舎の汕頭之星がコケて今季好調の筈が本日は惨澹たる外れぶり。競馬終わって國慶記念の花火あり(写真)。鉄道が競馬場に直結しKCRの列車も一等車なら必ず坐れる快適さで十数分で市街に戻りバスで香港島にすぐ渡れといつもながら香港の競馬場の便利さありがたし。ジムに浴し帰宅。三更に巴里ロンシャン競馬場より凱旋門賞の中継あり。こうして一日に日本の中山と巴里ロンシャンの競馬中継あり賭けられるのは嬉しいが売上げではいずれのレースも単勝で百萬ドルほど。香港の通常のレースが二千萬ドルだと思ふと、いくら権威ある国際レースでも「知らない馬ばかり」で而も単勝、複勝に連複だけでは香港では関心低くサイマルキャストがどこまで続くか多少の不安あり。英国のWinhillではFallon騎乗のNorth Lightが一番人気でDettori君はMamool、日本からはタップダンシシチー参戦。余も馬主C氏と伍調教師の縁で知己なるEric Legrix(李格力)君は昨年は凱旋門賞にこそ騎乗せぬものの凱旋門賞の日の最終レースで勝ち今年は九月初旬にロンシャンでのG1戦でフランスに戻ってから初のG1勝利を得て当日に次男誕生と幸事ありロンシャン競馬場宛に余とZ嬢からお祝いのカード送ったが届いたかどうか、で本日は好調のValixirに騎乗。今月は海老蔵の襲名披露巴里公演もありロンシャンで観戦できれば最高だが、せめて馬券だけでもLegrix君に祝儀もこめて単勝とValixir軸にMamool、タップダンスシチーとNorth Lightに流す。懐かしきロンシャンの競馬場。レースはNorth Lightが出足よくタップダンスシチーが好位置につけて最終コーナーで勝負に挑み一瞬ハナをとりまさか?と思った瞬間に体力尽き、そこにCherry MixでSoumillon君の二年連続凱旋門賞制覇か?と驚けばBagoが競り勝って一着。李格力君は六着くらいだったろうか。香港ではBagoは12.5倍、Cherry MixとのQの143倍はじつに馬券として魅力的でSoumillon君贔屓ならそこから総流しといふこともあったのだろうか。余の得た配当乏しくも競馬三昧の日気持ちよく終わる。
▼蘋果日報の随筆頁は左肩の一等席が蔡瀾でその右隣が陶傑、蔡瀾の下が左丁山と一流処が並ぶ。今朝の随筆では陶傑北京での國慶節での国家首脳と香港代表団との「接触」について得意の薀蓄、左丁山は立法会議員に当選の民主派の弁護士・余若薇女史について述べ、それぞれかなり読ませる随筆だが、蔡瀾氏は“Sony Ericsson S700i”といふ題で単にこの新しい携帯電話の性能を述べる。誰でも書ける、別にわざわざ「蔡瀾の」随筆で読む必要のない内容で「携帯を買う時は自分のニーズが何なのかよく考える必要がある。もし撮影が好きならこのS700iはピッタリだ」と結ぶ(笑)。これの何処が随筆なのか、書く本人よりも書かせる新聞社側に問題あり。誰もが実は呆れているが蔡瀾にも王家衛の場合と同じく指図できず。
▼一昨日の國慶節より始った中国の十連休で一昨日は二十八万人!が深センより羅湖経由で来港。羅湖からだけでこの数字。ツアーは五百組とか。
▼昨日の蘋果日報の社説「蘋論」で主筆・廬峯氏「共和国は歴史の教訓を汲めるのか?」と敢えて國慶節の祝賀にこの国家がこれまで損った多くのものの代償がいかに大きいか、今後この反省を活かして国家建設ができるのか、を論ず。具体的には章立凡・編の『記憶往事未付紅塵』といふ書籍から引用。建国後の国家建設への貢献が報いられなかった知識人、文化人の回顧録で、例えば三十年代に米国で治水学学んだ黄萬里といふ学者は建国後に中国に戻り国家的革命事業としてソ連の協力で計画された黄河上流の三門峡ダム建設に反対唱えたが反右派闘争で批判され文革期には三門峡ダムの便所の穴掘りまでさせられる。六十年代にこのダムの完成以来陜西省だの黄河中域の砂泥の堆積甚だしく長期に渡り水害の脅威あり川沿いの住民が移住強いられ、かつて黄河流域といへば肥沃な大地が豊饒なる農作物をばもたらしたものが田畑も耕せず。今日の黄河を見ればその河の土砂の堆積すさまじく普段は枯れたが如く細く水が流れ、それがいったん大雨となると大量の河水が川から濫れ〇三年の水害は五百万人に被害あり。このほか建国後すぐに人口抑制策提唱し当時の「産めよ増やせよ」の革命思想に反したとされた馬寅初や大躍進政策批評した章乃器だの。廬峯氏曰く、もし共和国政府が未だ人民に真実を、そして体制とは異なる意見を語る権利をば認めなければ中国の未来は成功にはまだ遠く人々の払う代償が大きい、と。御意。

十月初二(土)気温摂氏廿三度と涼し。昨晩は十時過ぎに臥牀し今朝珍しく八時まで起きず。睡眠を貪れるも体調回復か。さて何をしようかと思えば電脳がWindows XPのサービスパックの更新だかを告げ更新せば「あなたのコンピューターは外部からのウイルスの侵入などの防備に深刻な状態にあります」だかの警告が出て何事かと思えばウイルスチェックソフトだかがアクティブになっておらずMcAfeeといふ会社のウイルスチェックソフトをばアクティブにすれば「ソフトが最新の状態に維持されておりません」と警告が出てアップデート試みればシャープのこのノートブック購入の際に附属のこのソフトはすでに旧版で「それでよし」としたいが画面の右下に忌ま忌ましきは「警告」のアイコンが消えずMcAfeeのその最新版をばダウンロード購入してインストールし細かい更新だの続けるうちに昼近くなり電脳をば何度も消しては立ち上げを反復す間あまりに暇でつい数年ぶりにピアノの稽古。老いるとともに指は動かず譜面は追えずせめてサティのGymnopedieくらいマトモに弾きたいものと稽古続ける。このウイルスチェックソフトの購入にクレジットカードでの決済をするが住所などは日本の実家の住所にして香港の銀行のクレジットカードでも決済は問題なく終了。本来なら「海外、而も香港の偽造クレジットカードか?」とか疑わぬのだろうか。どうにかウイルスチェックソフトの整備終わり午後、裏山に入り小一時間走る。パーカー山道にて家族と散歩のO君と遇ふ。走って市街に下りてジムに寄り帰宅。ふと気づけばウイルスチェックソフトの機能のスパムメール撃退にてメールの受信に支障あり解決するのにまた一時間ほど要す。複びピアノ稽古。秋らしく栗ご飯となめ茸のみそ汁。食後に珍しく赤葡萄酒飲む。イチロー安打記録達成。立派なものだがこの大記録達成に喜ぶ挙句に日頃の様々な問題などきれいさぱりお清めしてしまふが伊勢神宮の式年遷宮に象徴される我が民族の美徳の如く実は大いなる欠陥でもあり、イチローのおかげで明日はまるで今日とはとは違って爽快なる朝迎える気分あり。
▼荷風先生昭和十八年七月五日の日剰より。
日本人の口にする愛國は田舎者のお國自慢に異らず。其短所缺陷はゆめゆめ口外するまじきことなり。齒の浮くやうな世辭を言ふべし。腹にもない世辭を言へば見す見す嘘八百と知れても輕薄なりと謗るものはなし。此國に生れしからは嘘でかためて決して眞情を吐露するべからず。富士の山は世界に二ツとない靈山。二百十日は神風の吹く日。櫻の花は散るから奇妙ぢや。楠と西郷はゑらいゑらいとさへ言つて置けば間違はなし。押しも押されもせぬ愛國者なり。
隣の子供の垣を破りておのれが庭の柿を盜めば不屈千萬と言ひながら、おのれが家の者人の家の無花果を食ふを知りても更に咎めず。日本人の正義人道呼ばわりはまづこの邊と心得置くべし。

十月朔日(金)快晴。中共國慶節。朝の八時より灣仔の「大陸観光客記念広場」にて国旗掲揚式あり董建華はじめ政府要人ら参閲。このあと國慶酒宴開催され昼前に民主派含む御一行飛行機にて北京に飛んで胡錦涛国家主席らに拝顔の誉れ、晩に國慶宴に参加して深夜帰港とか。N氏の誘いありO君らと沙田の站にてN氏らと待ち合わせ一行八名で乗合バスで馬鞍山は恒安邨の団地に到り坂道を馬鞍山村への方に上り馬鞍山郊野公園管理所。連休初日にてBBQなどする市民多し。此処から山道をば上ること一時間余で牛押山(標高667m)。途中いくつか急な斜面あり備え付けの荒縄に捉まり登る箇所もあり。眼下に馬鞍山の住宅地と吐露港の向こうに中文大学を眺める(写真)馬鞍山へと尾根を渡り牛押山を眺める(写真の背景の稜線が右から牛押山から馬鞍山。馬鞍山よりトレイル4区に降りて余は夕方からの予定ありN氏らと別れ久々に山をば一時間ほど走って昴平より大水井に下り北港凹の集落。太平村の小店にて麦酒一罐購い立ち飲み。この太平村(写真)は罹災者集落をば政府がとにかく長屋の如く集合住宅建造したもの。ミニバスで彩虹経由しジムに立ち寄り一浴し帰宅。夕方、Z嬢と北角よりミニバスでCyberportへと向かふ。Cyberport(写真)は政府鳴り物入りで建設のハイテク地区にてシリコンヴァレイだの台湾の新竹をば目指し大型公共事業で景気対策なども図ったが結局はこの開発は李嘉誠財閥に丸投げされ李嘉誠がまた独占事業をば一つ得ただけの結末。笑止千萬。初めて此処を訪れてみれば建設途中とはいへ李嘉誠系列のスーパーParknshopと「工事人夫立ち入り禁止」で物議醸し出したcybercanteen、それに採算は当面まるで合わぬ(大陸からの団体客を誘致するにはやはり躊躇ひたありか)ホテルLe Meridien CyberportとBroadway系列の映画館だけが稼働中。今後Phase-3まで建設が終わってどれだけのCyber都市となるのか期待したいところ(嗤)。その閑散としたCyberportをば休日にフラフラとするのはその九割が映画の客にて「どうせ閑な連休の初日だし映画見るのも何処でもいいけどCyberportまで行ってみない?」といふ連中で余とZ嬢も実はその一組。王家衛監督がトニー梁朝偉、章子怡、王菲、木村拓哉に鞏俐、マギー張曼玉など豪華絢爛たる役者揃え5年の年月を費やした期待作「2046」がついに公開される。駄作。王家衛の作品は酷くなるばかりで今回も殆ど「悪口言うためにも見ておかねば」モードであったし、Z嬢は開演前に長蛇の列の手洗いに並んだのも「トイレ我慢していつ終わるか、終わるか」と思うのは嫌だから、といふことであったが、余も映画館の強烈なる冷房に冷え切って寒さに凍え惰眠を貪るわけにもいかず、せめて広東語のお勉強と思ったが広東語と北京語と木村拓哉の日本語がごちゃごちゃで登場人物は物語上意思の疎通があったのか(笑)、王家衛が映画撮りたいと思ふのは本人の自由だが王家衛を香港映画の唯一の藝術派の巨匠の如く扱い、何より不思議なのは王家衛の映画にカネを出そうといふプロダクションあることに(といっても香港の製作会社はもうすでに三歩も四歩も王家衛の制作から退いており……そりゃそうである制作に五年も費やされては香港では話にならず)今回はフランスだかイタリアの製作会社だとか。駄作といふ意外に表現のしようがなし。王家衛の映画の酷さは今に始ったことに非ず、ただ王家衛の映画がわからないといふと馬鹿だと思われるのが怖いからみんなわかったフリする、謂わば「ベルリン天使の詩」の状況で、だが例えばバタイユを読んで「何が書かれているのかわからない」といふのは本人の感性の乏しさに映るからわかったフリをするわけだが、王家衛の映画はもっと早い時期から「駄作」であり「何がなんだかわからない」わけで「阿飛正傳」が香港映画であんなの今までなかったから誰もなんと批評していいのかわからぬまま「 」つきで名作扱いされ、それが重慶森林だの王菲を起用してのnouvelle hongkongの巨匠扱いされ、張國榮と梁朝偉起用してのホモ映画で収益的には持ち直したが、やはり「花様年華」で限界は見えていたわけで、いつまでも制作上で行き詰まると過去の作品の結局収拾つかずワケのわからなくなってしまった部分にひっかけて前作髣髴させる音楽流して誤魔化す、それだけのこと。王家衛が映画をとるのは自由だが、わけのわからない映画を「圧倒的なオリジナリティでアジア映画の概念すら変えてしまった」だの馬鹿なヨイショは止めるべき。日本では木村拓哉が出てしまったがタメに電通、フジテレビだのマガジンハウスだの「今さら退けず」状態で悲惨。日本では十月廿三日から公開。オフィシャルサイトの「全世界が待ち望んだ“幻の映画”の封印がいま解きあかされる」は映画の封印の解き明かされた結果「駄作だ」といふ事実が暴露されることを公開前から怯え「かつて誰も見たことのない映像美と予想不可能なストーリー展開」といふ説明は笑うに笑えず。日本での宣伝会社も苦肉の策か。担当者は公開前から夜も眠れまひ。キムタクでそこそこの集客あろうが木村君本人が制作の途中で言葉通じぬ上にあまりのワケのわからなさで出演放棄し帰国し完成間際に為方なくもう一度撮影に加わりストーリー取り繕いの部分に出演といふ経緯も悲惨にて、大スター御一行でカンヌに出向いたものの実際には殆ど真当に評価されず梁朝偉が「誰も知らない」の柳楽少年の主演男優賞受賞に怒り心頭だったのも、出演者にしてみれば木村君も含め「王家衛の映画はワケわからぬが国際的には評価されており俳優として知名度得る点では出ておいて損はない」からのギャラの採算など考慮せず五年もかけての撮影。カンヌは悲惨であったが「それはなかったことにして」先月末からの公開では王家衛監督と出演者が香港、北京、台北と各地を巡回。各地のお歴々や映画など業界関係者がプレミア公開に鳩まり内心「なんだか全然よくわからない」と思いつつ「馬鹿だと思われる」のが怖いから「あのセンスは誰にもマネできない」(←そりゃそうだ……笑)などと感想述べる他なし。最初の十五分で飽きて途中から淀川長治的に何かこの映画のいい部分をさがそう、と思って懸命に見ていたが皆無。鞏俐もやっぱり老けた、だの梁朝偉もベットシーンで脇腹の贅肉がめだち尻の肉は落ちて見るに忍びなし。唯一の収穫は梁朝偉が何度か食事の話題で「羊南保」(南は扁が「月」で旁が「南」でバラ肉、保は「保」の下に「火」で鍋)に言及し冷え切った身体で「そういえばそろそろ羊肉の季節か」と思ったこと。映画終わってZ嬢と「やっぱりね」と苦笑。夜更けてCyberportは暗澹たる寂しさ。Le Meridien Hotelの灯りぼんやりと浮かぶがホテル内の閑散をば映し出す。このPokfulamの一帯、珠海河口の海をば一望する高級住宅地にて香港大学の高級職員宿舎だのありBaguio Villaの住民など眼下に突然このCyberportなど出来て視界も邪魔しては不快だろうに。バス乗り場に向かえば往路利用せしミニバスは二十人ほどが行列に並びバスも来ておらず中環に向かうバスは三十分に一台!と不便この上なし。映画見に来る客の降りたタクシーつかまえ西環桂香街の坤記。店の入り口に「支竹羊南保上市」と看板あり。久しく訪れぬうちに店は小奇麗に改装しており今晩も盛況。店の街頭に卓を出すがそれでいいか、と勿論それで構わず街頭の卓に羊南保(写真)と田鶏と鰻の釜飯をば食す。秀逸。鍋を食してもけして大汗かかぬ季節となり。昨年の今頃は巴里でジョルジュ五世通りの海鮮料理屋Marius et Janetteの店先で夜風浴びつつムール貝に舌鼓打ったことなど思い出し、この香港で路上にゴキブリ走る横丁にて羊肉鍋もまた好し。梅芳街の臨時街市跡(写真)。黒猫。公衆便所の水道から見事に水を汲む傑作(写真)
▼立法会議員となる梁國雄君は今朝の國慶節記念式典に招かれ昨年迄と同様に棺桶をば御輿に会場近くに現れるが昨年までは警察のバリケードで衝突していたのに今年は議員として警察の護衛あり(笑)。棺桶は政府当局者との交渉で会場には持ち込みせず。但し「還政於民」「反平六四」と書いたTシャツは着たまま。董建華長官の挨拶の最中もひとりシュプレヒコールあげ乾杯は中国人民に。奴隷に立ち上がること謳う国歌をば梁君大声にて歌ふ。
▼長嶋茂雄君病後初めて公の場に姿を現す、と築地のH君より「読売新聞社内が「公」かどうかわかりませんが」(笑)と報せあり。ナベツネとのツーショットの写真。日本中の野球ファンの鼻つまみものになったナベツネが流石に今度ばかりはその自覚があるのか「ギョクはまだこちらの掌中にある」と長嶋天皇を復権に利用するあざとい狙い見え見え。スポーツ紙は各紙ともこの写真を一面に特大で掲載したが朝日は写真なしだそうな。しかしもっとも見事なる仕事は毎日新聞で写真を半分のところでトリミングして長嶋の写真だけを掲載するという会心の一撃、整理部の大ヒット(笑)。ですね。H君の指摘通り、この写真のニュース性は本来「長嶋が姿を見せた!」といふことで隣に写ってる老人は関係なし。しかし長嶋にとってナベツネは昭和三十年代からもう半世紀近き「政治的関係」あり。   

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