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乾坤容我静 名利任人忙 乾坤ハ我ヲ静カニ容シ名利 ハ人ノ忙ニ任ス 乾坤は和訳に難き言葉なれど天地、陰陽、つまりは宇宙の理か。

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2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

十月三十一日(月)曇。気温21度だかに下がり肌寒し。小泉内閣改造。昨日、携帯電話紛失。フェリーの中でSMSのメッセージ受けたのが最後。昨年の Trailwalkerの100kmで出発前にタクシーに置き忘れ、で1年で紛失。CSLで携帯新規購入しSIMカード受領し15分後には通話復活、は香 港らしい迅速さ。晩に尖沙咀に薮用あり終わって晩10時すぎ尖沙咀歩けばハロウィンに浮れる若者多し。小娘が魔女の格好で泥酔か路上に屈み嘔吐している姿 はまさに化け物の如し悪夢。Austin街の北京餃子店に水 餃麺食し帰宅。NHKのニュース10録画されていたのを見れば小泉内閣改造に「街の声」で「新しくなったことで何か良くなれば……」と市民の声。何も思慮 もなく「ご一新」で明るい未来期待するこの発想。敗戦もこんなものであったのであろう。画面には晩八時半に皇居にて認証式、陛下より親任を授かる大臣らの 姿。今回の組閣を陛下が親任せねば世の中面白いのだが。陛下のお気持ちは如何に。
▼小泉内閣改造。期待したのは変人と称される首相であるから内閣改造で自ら総理大臣に福田康夫君選び天下を仰天させるとか。これをやったら歴史に名前が残 るのだが。それにしても官房長官に安倍二世(岸三世)、外相に麻生君(臣茂三世)とは。中国をそこまで刺激したいか、の組閣。麻生君が学習院出身だとい ふ。そりゃ麻生家のお坊ちゃまで臣茂の孫ともなれば学習院驚きもせぬが、学生の頃もあの強面だったのだろうか。お猪口女史が少子化担当大臣。お猪口といへ ば国際関係論で「将来は外相」で自民党が口説いたといふが「少子化担当」なら、やはり強靱な夫相手に二人の息子産み育て歌舞伎役者にした扇千景先生こと適 任かも。だがお猪口女史起用も「はた」と思えばこれは小泉内閣の少子化対策の極み。日本での少子化、出生率の低下は防げない。そこで抜本的発案は「双子」 政策。これなら出産は一度でも子供は2倍。というわけで双子を産み育てた経験のある猪口女史抜擢とか。ふと思ったが、なぜにここまで中国を刺激するのか、 の内閣人事。この反中国陣営はもしかすると米国の政策に沿ったものではないだろうか。昨日ネットで拝聴の亀井先生の話からそう思ったのだが、米国が最も恐 れる中国の覇権で困るのは日中関係の連携強化。アジアがEUのようにまとまることは米国にとって不都合。となると日本に親中政権が出来ることは回避すべ き。考えてみれば田中角栄以降「親中派は絶対に首相になれない」原則あり。田中角栄ぢたい亀井先生も言葉濁したが「何かの理由で」ロッキード事件での退 陣。それ以降、最近だけで見ても河野二世、加藤乱など。河野君が自民党総裁で終わり(この時に社会党の村山内閣で戦後50年の対中談話が発表されたことは 作為的)加藤君も党内で不思議な外され方をしている。となると、この「親中派は絶対に首相になれない」原則でいふと今回、入閣しなかった福田康夫君である とか外交のホープ高村正彦君であるとか親中派のレッテル貼られ、おしまい。安倍、麻生といった反中勢力が跋扈することになる。これは民主党にもいえること で小沢、横路、菅といった中国に強いパイプもつ有力者が避けられ非常に自民党的な、つまり親米(新米とも言えるが)の若造がすでに党代表となる動き。非常 にわかりやすい、といえばわかりやすい。

十月三十日(日)曇のち晴。ゆっくりと朝食済ませ午前10時にチェックアウト。今日の行程は自動車がなければとても回れずタクシーを雇ふ。あちこちまわり 午後遅くには江門まで行かねばならずタクシーの運転手も行程にうまく合わてくれるかどうか。タクシーの貸し切りは1時間60元で江門まで行くのは遠距離で 有料道路と高速道路も走るので4時間でも430元とホテルのドアマンに言われるが渋々受諾。だが回されてきたタクシーの運転手が、張君というなかなか誠実 そうな若者で、いくつかの行き先を把握した上で上手くまわれるように行程も考えてくれる。ホテルを出て開平の郊外に向かうと国道沿いのあちこちの村々に古 い高層建築がいくつも並ぶ。けして珍しい建物にあらず、どの村にもかならずいくつか。日本語では「梲(うだつ、卯建)が上がらない」といふ表現があるが、 その家が豊かになれば高楼を建てるのが、この「梲があがる」に相当するようなものなのか、と思ふ。張君は頼みもせぬのに、わざわざ裏道に入って村の中を 通ってくれるし、いい運転手に当たった、と安堵。まずは自力村。豊 穰なる田畑に囲まれた村は今がちょうど米の収穫と脱穀の真っ直中。この村はとくに高楼建築が多く国の伝統歴史建築に指定されている。集落の入り口でここは 入場料を払い村に入る。農村で庄屋であるとか豪農の家だけが立派なら驚かぬが高楼とまでは言わぬものの殆どの農家がかなり立派な家屋敷。それに四、五十軒 の村落なのにかなり立派な小学校。通りかかった道すじにもかなり立派な学校が多し。張君に尋ねると昔から開平は教育熱心で、かなりの数の開平出身の者が広 州や香港に学び所謂「士」「師」のつく職業に従事した、と。潭江の豊かな水量で田畑が潤い屋敷と教育に投資する時代が長く続いた。開平は広東省では欧米に 留学し移民した者が多いことでも知られるが、貧しさゆへ、でなく遊学なのがこの土地。自 力村の高楼建築のうち二つの楼が内部参観に開放されているが当時の家財道具を見れば洋行の行李には羅府(ロスアンジェルス)や桑港のホテルのステッカーが いくつも張られ、写真を見れば船で甲板に白い麻の背広姿の端正な青年たち。家内の調度品や内装のドアの把手や陶器の壁掛けなど眺めていると、この開平が昨 日市街を歩いて水まわり、内装関係の店が多いのも昨日今日の産業でなく、古くから家屋にカネをかける伝統、と思わされる。それが恐らく今は、香港などから の注文で内装家具など作り売り渡す産業に続いているのだろう。司馬遼太郎氏が来たら、さぞや面白い文章を書かれたころだろう。これほど豊かな農村が戦争、 そして共産政権での混乱に遭遇する。中国の共産革命は毛沢東による貧しい農村からの蜂起による都市への囲い込み、だが、この開平の場合、貧しくないのだか ら革命も「いい迷惑」だっただろうか。幸いなことは農村が平均して経済的に豊かであるから大地主の土地の小作人への解放といった土地改革はあったにせよ近 隣の豊かな農家の糾弾であるとか家屋接収などはなく、文革で建物破壊などといった被害もなく、建物はほとんどが20世紀前半の20年代くらいに建てられて いるが、そのまま原形を保ち、ずっと居住を続け、まだかなりの高楼は実際に住んでいるといふ。村の田畑を見ても敬服するほど整地され、かといってコンク リートで水路作るような現代化はせず、鴨が田圃の水路を泳ぎ地鶏が畔を走り回り、桃源郷の如し。ちょっと立ち寄るつもりが小一時間この自力村。急いで赤欣 に向かう。赤 欣は潭江の河岸に開けた小さな都市。運河に沿ってかなり欧風の建物が並ぶ。欧州風情街と呼ばれ映画の撮影も多く映画撮影所もあり。続いて訪れたのが馬降龍 村。ここは大きな高楼建築はないが19世紀末と古い様式を遺しており、すでに高楼は鬱蒼とした竹林のなかに姿を隠し川に面した平地に村民の多くは石作りの 頑丈な屋敷を並べて住まう。不思議なのは香港にも現存するが、こういった村は多くの場合、というか殆どが城壁村であり村の周囲を高い城壁で囲むが、開平に は城壁村が全く見られない。せいぜい高楼建築の場合、二階などから玄関を見下ろし鉄砲が撃てる穴がある程度の防御。ここから今日の最後の訪問地である瑞水 楼への向かふ。瑞 水楼は開平第一楼の名前をいただく開平で最も高層の9階建ての高楼建築で、その意匠の見事さでも群を抜く。集落の手前の川沿いの土手から眺めると、午前中 からさんざん高楼を眺めてきたが「はぁ……」とため息が出るほど見事な建築。集落を抜けて一番奥が瑞水楼と、それに並ぶ高楼が二塔。瑞水楼の建物は鍵がか けられているが建物の前庭に暇そうな壮年の男がおり、管理人かと思えば張君の紹介では、この楼の持ち主の男性で1人15元で内部を案内し参観をさせてくれ るといふ。せっかくここまで来たのだから、と入って正解。黄さんという、この男性の祖父は香港で手広い商売で当てて故郷に錦を飾り1932年にこの高楼を 建てた。この建物が国の重要歴史建築に選ばれた1993年まで黄さん自身も子供の頃から、この楼に住んでいたそうで、今は開平市内に住むが週末は参観者も いくらかあるので、ここに来て参観者があれば内部を見せている、といふ。5年の年月をかけ1932年の竣工は開平の高楼建築の中では最も晩いもので高さも 意匠も最高のもの。黄さんの話では93年に退去するまで、この建物から追い出されたことも接収にあったこともなかったそうで開平は土地全体の豊かさからか 革命の荒波も他に比べればあまり被らずに済んだ様子。午 後も1時半近くなり昼飯を食べ損ねると昨日の二の舞い、と開平の地図にも名前の出ている「彪記羊肉餐館」は如何?と張君に尋ねると開平では評判の料理屋だと言う のでこの彪記に参る。張君も一緒に、と誘い三人で羊肉の葱炒め、羊と鶏肉の蒸し料理など食す。美味。運転中だから、とビールを少しだけ飲んだ張君は少し弁 舌が冴え、中国が経済成長などと喜んでいるが駐車場に並ぶ自動車の殆どが日本製でトヨタの天下、あとは合弁のドイツ車がある程度で中国で実際に何が生産で きているのか、ただ消費経済が盛んになっているだけで本当の経済成長などしていない、と厳しい主張に遭ふ。この開平から江門まで高速使っても一時間、途中 で事故だの渋滞でもあれば今日中に香港に戻れなくなるので午後三時前には店を出て一路、江門へ。張君は真面目な運転手で430元といっていたが始発から ちゃんとメーターを倒して料金表示もしており運賃だけで江門の波止場に到着すると360元余になっていた。しかも時間は6時間で4時間の約束を優に超えて いる。4時間なら240元だが430元と言われ差額が190元なら、6時間だと360元+190元で550元となるが、どんなものか、料金交渉もせずにい たが車を降りて張君に500元渡すと本人は430元のつもりでいたらしく固辞するが祝儀、ということで500元。翌日、広東省の自動車事情に詳しい知人に 尋ねたら6時間はもはや終日借り切りで160kmも走り遠地で乗り捨てなら500元は安い部類、と言われる。実際に波止場で香港からついた船の客にタク シーの運転手が5kmほどしか離れていない江門市内まで60元と提示していた程であった。500元が北や西のほうに行けば一ヶ月の収入、なんてのもある が、広東省は今日の昼飯でも三人でちょっと食べてビール2本で85元。中国の収入と物価の格差は本当によくわからない。香港への帰りの船では松本健一の 『北一輝論』を少し読み始めるがすぐに寝てしまふ。同著『竹内好論』も途中まで読んだままなのに。最近いっこうに本が読み進まず。香港に到着して晩は京笹 で食すといふ噂もあったが疲れてタクシーで帰宅。陽気なタクシーの運転手の名前が黄一水といふ名で、新潟は佐渡の青年、北輝次が支那革命に燃え名前も支那 風の一輝としたことをさきほど呼んでいて一水という名が北一輝と、更に鈴木邦男と オーバーラップする。
▼朝日新聞に石坂啓女史が「憲法はもともと国民の自由や権利を守るために私たちが国を監視し、国が暴走しないようにするための決りのはずです。それなの に、国が国民に命じる内容を盛り込むのは、憲法の性格を百八十度変えてしまうことにつながる」と懸念表明し「国の横暴から国民の自由と権利を保障してい る」憲法改正に明確に反対を表明していた。ビデオニュースドットコムで亀井静香チャンの発言の後半を聞く。日本はの最大の問題は、戦争に負けて、本来はす ばらしい機会であったのに、過去の価値観にかわる新しいものを創り上げることができなかったこと、と指摘。戦争は勝つだけでなく支配できるかどうか、であ り、そういう意味では米国は日本経営について周到なる政策で臨み、それが60年を経た今、米国にとって最大のメリットになっている、と。具体的には日本は 米軍に安全保障上、基地をおいて守ってもらっているのではなく米国の極東戦略上の、殊に今日は対中戦略において重要拠点として国内の土地を貸与しているの であり本来は立場が逆。郵政民営化も然り。すべて米国の臨むがまま日本という国家が機能するシステムが完成し、それがいま実に見事に運用されていること。

十月廿九日(土)曇。Z嬢と尖沙咀の中港城の埠頭から午前八時半のフェリーで広東省の江門(Jiang Men)に向かう。目的地は広域では「江門」だが、その「開平」というところ。かなり旧式のフェリーで僅かHK$50高く払い一等にしたのはまだ正解。い くつかの座席の横にゴミ箱がついている。便 利なようで自分だけでなく周囲の客もゴミを入れると思うと不快。二時間半の船旅で持参の新聞も四紙熟読。自民党の憲法草案までじっくり読む時間がある。マ カオでフェリーはマカオ旧市街とタイパ島を結ぶ海峡を抜け珠江下流のデルタにある河と呼ぶにはあまりに幅広い河を遡る。この河も珠江の河口の一つだと思っ ているが地図で見ると中流は広東省の肇慶市があり上流は広西壮族自治区から貴州に至り、珠江とはまた別の大河。肇慶の先では西江と呼ばれているが広西自治 区では郁江、さらに上流では紅水と、いくつも名前がある。河口から遡ること80分ほどで江門の波止場に到着。かなり整備はされているが付近には何もない、 市街からはだいぶ離れているらしい開発地区のようなところに波止場があり、波止場を出るとタクシーだの白タク、バイクの客引きが五月蝿く、さてどうやって 開平に向かおうかと案じていると市街各地に向かう無料のシャトルバスあることがわかり「これは便利」と職員に「開平行き」を尋ねるがフェリーから百名を越 える客が降りたのに開平に向かうのは我ら二人だけ。開平はそんな田舎のはずもないが、と案じたが、「新会」という、これも広域では江門だが一つの大きな町 に向かうバスがあるので、とりあえずそれに乗り新会で乗り換えろ、と言われる。今回の旅の問題は香港で、この江門についていろいろ調べるがロクな、という か観光案内の書物も結局一冊も見当たらず、珠海だ中山だ、と言えば誰でもよく知っているが江門は中山から一つ西の都市であるのに誰も知らない。唯一、A氏 がむかし広域では江門だが沿海の台山に工場誘致の話があり視察した、がお粗末な魚肉加工の工場で投資にならず断念、という話を聞いたのみ。詳細な地図もな ければ江門のどこに波止場がありフェリーが着くのか、開平がどれだけ離れているのか、もよく見当もつかず。そもそも、この旅の発端は四ヶ月ほど前の SCMP紙に(広東省の旅行案内が数ヶ月に一度、別冊付録であるのだが)江門の特集があったこと。そのなかで紹介されている開平の僅かな情報が頼り。とり あえず新会行きのマイクロバスに押し込まれ三十分ほど走り新会の市街に着く。江門の郊外都市だがこれだって規模はかなりの都市。その華僑大廈の前でバスを 降りるが、当然、我ら二人のために此処から開平行きの継続バスが用意されている筈もない。バスの運転手に聞くと少し離れたところから開平方面に行く「長距 離」バスが出ている、と言われ「長距離」にぞっとするがバスは面倒だし「このタクシーで行けばよろし」と勧められるが、どうもこのタクシーが江門の波止場 からの連絡で待っていたようでさっさと余の荷物をトランクに入れる。タクシーに乗り込み、とにかくメーターを動かしたので値段交渉の難がないだけでも安 心。距離がわからないのだから値段交渉もできぬ。がZ嬢が「あのメーター、基本料金が0だ」と言う。見てみれば確かにメーターは倒したが「空車」のサイン が倒れただけで料金は0(笑)。つまり値段交渉せねばならぬ。で運転手曰く180元。冗談じゃない。高いから降りる、と言うがタクシー会社の規定では 250元のところ180元にしているのだ、と運転手は言い張り無線で会社に問い合わせて250元と無線の向こうの職員が言う。それも信じる気にもなれぬが 150元で妥協。とにかく早く開平に着かねば。で埃っぽいバイパスだの国道を走る。手許にあるかなり大まかな地図で新会から開平まで20kmくらいか、と 予想していたが料金は0のままのメーターの距離表示は動いていて開平市に入ったところで既に30km。国道沿いに浴室関係の水まわりや内装関係の展示場、 問屋などがかなり目立つ。開平市内にようやく入るが新会の運転手は、予約したホテル「潭江半島酒店」というホテルが何処かわからない。何度も通りがかりの 者や信号で止まった隣の車の運転手に問い合せ、市街中心部を流れる川を何度も渡りホテルを探す。開平は蒼江と潭江という川が交わる水域、そのいくつかの中 洲を中心に出来た街。そのため市街をぐるぐる回ると蒼江と潭江の橋をいくつも渡ることになる。ホテルの住所が中銀路2号というくらいだから市街の中心にあ る中国銀行開平分行のビルを目指していけばいいのでは?と提案して、ようやく遠くに聳え立つビルが中国銀行だとわかり、また橋をいくつも渡ってようやく到 着。結局、メーターでは60kmで市街で迷った分を差し引いても新会から55km。一応、基準としてあるタクシー料金が初乗り6元で250m毎にいくら、 というので計算するとメーターでも110元ほど。それほど「ぼったくり」でない。タクシーの運転手が「5星だ、5星」と興奮してホテルに入っていくので見 上げると確かに30階建てくらいの高層ビル。潭江の中洲の突端に中国銀行のビルとツインタワーになっている。大型ホテルらしく正面には万国旗がはためく。「日 の丸がない」とZ嬢。本当にこれだけ並んでいても日の丸がない。小泉三世の所為。ホテルはとんでもない豪華さ。ホテル経営は広州の白天鵝酒店の管理会社が 受け持っている、と宣伝するくらいだから客の接待のレベルなど香港のホテルに学んでもらいたいほど丁重、慇懃。27階の、かなり見晴らしのいい部屋。浴室 もいれると45平米くらいの広さ。これで一泊480元はかなりお得。眼下には潭江と支流が流れ込む一帯を見下ろし絶景。旅荷を置いて、部屋に置いてある、 と言われた開平の地図を眺める。タクシーでぐるりと周り地図を見て客室の窓から外を眺め、ひとまず開平の町のつくりが把握できた。ショックだったのは、こ の地図を見ると、なんと香港から開平に直行のフェリーがあること! SCMP紙の江門特集でも開平を紹介していながらフェリーは江門しか書いてなかった。 不覚。開平のフェリー波止場は市街の外れ。これがあるのだから江門港で降りて開平に来る客がいるはずない、と今になって納得。ただし香港〜開平のフェリー は1日1往復。片道4時間も要するのはマカオを過ぎるまでは江門行きと一緒だが、どうやら珠江デルタではなく潭江を遡るのに江門行きより沿海をずっとまわ るため距離を要するためらしい。同じ朝8時半の香港発で4時間であるから開平着は午後12時半。ホテルに着く時間では江門経由も同じだがタクシー代を考え ると当然、江門経由は高くついた。しかし明日の帰路は開平発のフェリーは午後1時半で、これでは明日は午前中のみ。江門発は午後5時なのでせめて午後まで 時間が使えるだけ江門経由でよかったか、と無理やりの納得。昼も一時近いので昼食を兼ねて市街を散歩しよう、と外出。だがこの中銀タワーのある場所は一つ の中洲であるが、他の一帯がかなり古くからの市街であるのに比べ、ここはこの中銀タワーとその背後にかなり高級そうな一戸建て住宅などが並ぶ新しい開発区 で、場所的には不便。というか、此処に来る客の足は自動車、が前提。たかだか昼飯にタクシー使う気になれず、取りあえず歩き始め一番近くの橋から「風采 堂」のある対岸に渡る。風 采堂は1914年に建設された地元の教育施設。清の時代までなら科挙の試験受ける学生を対象にした高等教育機関のようなもの。華南の、当時、西洋建築の影 響をかなり受けた「嶺南建築」と呼ばれる様式で西洋風の洋館の至るところに中華的な意匠が施されている。この建造物、実は現在も中学校敷地内にあり図書館 などとして風采堂の一部が利用されている。土曜の午後もまだ授業あり。勉学熱心。かなりエリート校らしく賢そうな女学生に尋ねると敷地内に入って見学でき る、と言う。それで入って見学していると、さっきは正門にいなかった守衛が飛んできて「写真撮影するなら料金を払え」と言う。風采堂の中は一般公開してお らぬようで外観の写真撮るだけでカネを払うのも癪なので断り退場。だが守衛室に料金表示もなく、どうも守衛の小遣い稼ぎと思える。で東南アジア的にパサー ドの続く古い市街地を歩く。通りがかりの店で餃子でも、と歩くが、飲食店がない。選り好みしているのではなく、飲食店がない。橋を渡り市の中心部へ向か う。飲食店がない。とにかく目立つのは市街でも浴室の水まわり、室内内装関係、照明、音響製品といった住宅関係の店ばかり。ようやくあったのがマクドナル ドとケンチキ。茶餐庁のような店もいくつかあるがどうも入りたくない。料 理屋がないのに、不思議なのは何処でもあるのが「涼茶」の店。しかも五軒も並んでいると圧巻。しかもどの店も客がいない。不思議。結局、一時間歩き、よう やく餃子を売る店を見つける。「21世紀の新風味」という看 板がどこか気になったが歩き疲れビールで喉うるおし出てきた餃子。マズイ。本当に食べられぬほどマズイ。飲食店が本当に少ない上に、ようやく見つけた餃子 屋の不味さに開平は「住」はこだわるが「食」は不毛か、と懸念。とにかくビールで空腹感抑えたので、また歩いてホテルに戻る。二時間余歩いて風采堂を外観 だけ見学したのとマズイ餃子で終わってしまった。しかし、おかげで市街の地理にはだいぶ明るくなる。ホテルのサウナ。按摩するには早晩からの外出に時間も なく垢擦り。江西省出身という師傳のオヤジ(といっても余より若い)は垢擦りといってもお湯をびちゃびちゃにしての垢擦りとは違う。かなり乾いた擦りの世 界。垢擦りに慣れた人ならわかるだろうがお湯でびちゃびちゃした垢擦りはいっこうに垢がでない。それに比べ客のカラダなど少し蒸した程度で殆ど乾いたタオ ルで擦ると恐ろしいほどの垢が出る。というか皮膚が剥けているのだ。これが肌にいいとはけして思えないが。で師傳に「どこから来た?」と尋ねられる。「香 港」と答えるが、あまりの垢の出具合にどこか山奥の未開地から来た、とでも思われたに違いない。顔まで垢擦りされる。たまったものじゃないが肌はすべす べ。早晩に外出。この中銀タワーの裏にはとてつもない高級一戸建て住宅が並んでいるが、ほとんど空き家。バブル崩壊か。だが、たんにバブル崩壊なら安値で 買い取られ住人がいるはずで、推測だが、この一帯、中国銀行のこのビル建設で開発された地区で、この住宅地は「その関係」で建てられ「売られた」分譲地で はなかろうか。だが当然、建設資金の出所と売る相手、売った価格や、その購入資金の出所など問題になり関係者粛清になったとか……何となくそういう物語を 想像させる空虚なる住宅地。いずれにせよ、こんな広東省の江門の衛星都市に、中国銀行がなぜ30階建ての分行を建てねばならないのか、而もホテルつきの複 合建築。中国は地方政府や党委員会の庁舎やビルの豪華さが問題になっているが、これもその一つ。こんな資金があるのなら民生だのインフラ整備にまわすべき なのだが共産党政府はそうはいかない。でバス通りまで歩くと、昼に戻ってくる時には午後の休憩であった海鮮料理屋が開いている。何気に店先の海鮮の水槽な ど眺め歩いていると「野味」の看板あり「いやな予感」したら案の定、蛇やウサギと並び籠の中に一匹のネコ。しかも愛らしいネコで、これが今晩、鍋になるの か、と思うと、いたたまれない。Z嬢と言葉もないままバスに乗り市街へと向かう。ホテルの部屋にあった地図では「商業地域」とある幕沙路でバスを降りる。 大型家電店と茶葉屋がある程度。潭江の川沿いを「ショッピングアーケード」に向かい歩く。暗い路上にいくつもテーブルを出した料理屋が並ぶ。どうやら昼間 は営業しておらず晩になると路上の即席レストランとなる様子。ショッピングアーケードをひやかし、此処は飲食店はやはり一つもなく、裏通りの路上の、通り を暴走する自動車とバイクの排気ガスと路上の埃が舞う、暗い「四川料理の看 板」の店で夕食。昼の餃子のトラウマで四川料理が本格的四川料理には思えなかった、味 はまぁまぁだが、やはり四川というよりも「京滬川」の何でもあり、の店。何の特徴もない店にかぎって「京滬川」つまり「北京、上海、四川」とごまかしの看 板出す、と劉健威氏が書いていたが、そういえば今日の信報の随筆で「滬川」上海風四川料理というのは、戦時中に上海資本が日本の攻撃から逃れ南京、重慶と 遡り、戦後また上海に戻る時に四川から運ばれた四川料理の味覚が上海で定着したもの、と書いていた。なんか今回の旅は食事については期待外れかも、という 感じ。バスでホテル近くまで戻り、さっきのネコの野味料理の店の角を避けホテルに戻る。テレビではマカオで開催されるスポーツの東アジアゲーム?だかの開 会式。お祭りさわぎ。大会主催者の代表が下手な挨拶をしているがフィールドに並んだ選手らは話も聞かないどころかデジカメで記念撮影に興じるだけならマダ しも携帯で「今、テレビで見てる?」とか電話する選手も多し。チャンネル変えると呉君如が風俗業の名演みせた映画『金鶏』をノーカットで上映。一流の俳優 らの友情出演で面白い喜劇を再び見る。
▼自民党の憲法草案。「愛国心」だの「和を尊ぶ日本の伝統」といった言葉が削られたことに寧ろ憲法改正に本気。前文の「日本国民は帰属する国や社会を愛情 と責任感と気概をもって自ら支え守る義務を共有し……」などと謳ふが、憲法は国民が国家に規制を与えるもの、という憲法の本質を全く理解しておらず。現行 憲法も前文を読めば確かに「日本国 民は……」と全ての段落で「なすべきこと」を述べるが、それは全て「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する」ための もの。全くスタンスが異なる。とくに気になるのは草案の第12条の「国民の義務」
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によっ て、保持しなければならない。国民は、これを濫用してはならないのであって、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚しつつ、常に公益及び公の秩序 に反しないように自由を享受し、権利を行使する義務を負う。
これは現行憲法の
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の 努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
と読み比べればかなり国民の自由や思想信条の自由に踏み込んでいる。現行憲法では国民が自覚して責任をもつ、というものが草案では、義務となり自由と権利 が制限される。こんな草案で憲法改正されたら、たまったものぢゃない。


十月廿八日(金)晴。日本からのお土産に、と東京銘菓「ひよ子」をいただく。一瞬、鳥インフルエンザ懸念。11日に打撲した左手人さし指(英語で Index Fingerと云うのを先日知った)の間接の痛みと腫れが全く引かず寧ろ間接が打撲直後より曲げ難くなり突き指の完治には数ヶ月必要とわかってはいるが五 年後のショパンコンクール目指しピアニストとしての将来をフイにせぬため養和病院で骨科のW医師の診断受ける(これまで二回は一般外来)。診 察の結果、側副靭帯(英語で言われ医学名称などわからぬが後で調べたら此処)の炎症と内出血で(って突き指の殆どがこれだが)かなり腫れがひどいので指に 無理な負担(指を関節で曲げる以外の動き)与えぬよう指用のギブスをして様子見るよう言われる。ギブスや義手義足など製作する専門の技術者が骨科に来て作 業。患者の症状とギブスの効果を考え数分で適切な形のギブスの設計を決めて即座に製作するのだからかなりの専門技量。早晩に独りFCCにウィスキーソーダ 一杯。きちんと読もうと思い切り取ったままの新聞スクラップかなりの数を読む。尖沙咀に渡り海防道街市の徳發にて牛南麺食す。もうこの季節なら徳發で食すも暑くな いかと寄ったがやはり暑く大汗。あの店の辣油はとても香りいいがかなり辛い。火曜日も北角の回味で牛南麺食しており「よくも飽きずに」と思われるだろうが名 前は同じ牛南麺でも究極のあっさりの回味とかなり濃い口の徳發、用いる牛肉も同じ牛南(南は正しくは「月」扁に旁りが「南」)だが全く違う。午後七時過ぎ からSpace Museumで中国映画特集で水華監督の『土地』(1954)と同監督の『林家鋪子』(1959)を二本続けて見る。『土地』は或る農村舞台に地主の所有 する土地の解放運動を描く。30年代に共産主義信奉する独りの男が土地 解放試みるが失敗し焚刑に処せられ中共建国の翌年50年にその男の遺した独り息子が成長し父親の意思を継ぎ、この農村の土地解放に挑む。共産主義がまだ理 想に燃えた時代のリアリズム主義のプロレタリア映画。但し物語大詰めの農民蜂起で共産党の指導、毛沢東思想が連発され、建国から僅か5年目の作品だが、す でに毛沢東の神格化がこれほど徹底していたのか、と驚く。だが5年など人の思考変えるには十分なことは我が国を見ていれば6、7年前まで変人扱いされた代 議士が自民党の領袖となり今では改革の指導者として国民にかなりの支持を得ている。物語は容易に創られる。胃痛あり映画の合間にコンビニで胃薬買い求め戻 り『林家舗子』観る。茅盾の原作、夏衍の脚本。浙江省の水郷の町が舞台。古い町並みの実写と見事なまでの屋外と室内のセットに唖然。いやー凄い、の一言。 舞台は1931年の旧正月間近、九一八事変で満州を襲った日本軍が上海にも攻め込み、この水郷の町も日貨排斥が叫ばれる。林源記という商店は(この店の名 前から「林家舗子」というタイトルがついているのだが邦題は「林商店」ぢゃ林芙美子が営む雑貨屋の如し)日本製品売るため体裁も悪く事実、上海が戦禍に見 舞われこの町には国貨も含め日用生活品などの物流が滞り林家も含め商店街の店々は明日の営業にも不安が募る。林源記の主人は国民党の役人に贈賄、日貨に中 国製のラベルを貼る偽りで商売継続するほど胡狡くもあるが、それも商売を続けるため。誠実で家族にも使用人にも優しい主人であった。が懸命に商売しても国 民党の小役人への賄賂は要るし上海から来た借金取り立てにも応じねばならず年越しの現金も工面できるかできないか、の瀬戸際。そこに上海事変で上海からの 難民が多くこの町にやってくる。機転の利く若い番頭のアイデアで、これを商機に、と難民相手の一元商品(百円ショップか)が好評を博し、どうにか年を越す が、不幸は愛娘が国民党の小役人に妾にと見初められたことから始まる。主人はこれを頑なに拒否するが小役人と子分である町の理事長は林源記の営業に難癖つ け主人を逮捕、拘留する。店の有り金すべてを番頭が携え役場に行き主人を釈放させるが、娘を差し出す以外この町で商売を続ける策もない。それを避けるには 夜逃げ。病身の妻が我が身はもってあと数日、主人に娘と二人で逃げろ、店には自分(妻)と番頭が残り対応する、と覚悟決め憔悴しきった主人は娘を助けるべ く夜中に小舟でこの町を逃げ去る。……と人情物で芝居に出来る、明治座で森光子に主人役は小松政夫(というのは主人役の謝添が小松政夫にとても似てい る……ちなみに謝添は82年に老舎の『茶館』を自ら監督し映画化)で、この筋なら十分にいいでしょう。上方の歌舞伎でもいい。だが映画の結末は翌朝に「負債かかえ廃業」 と張り紙の書かれた店に町の住民が集まり大騒ぎで始まる。商店主の夜逃げなど「売り掛け」のある問屋くらいしか被害がないようだが民衆がなぜ大混乱に陥る かといへば、映画で見ていると林源記は町の住民の貧困層からも借金し利息の返済にも窮するような場面が途中に出てくるが、あれは商店にカネを預けると一定 の利息が配当される仕組みが行われており、そのカネを預けた商店が夜逃げするのは銀行の倒産のようなもので被害が大きい。それで「カネ返せ」と騒ぎにな る。この場面を「資本主義の走狗を人民が打ち壊すというシーン」と紹介しているサイトも見かけたが、実際には民衆は相手にされず泣き寝入りで、まだわずか に商品の残った店の中では「知らぬ存ぜぬ、主人が勝手にやった夜逃げ」と頑なにしらばくれる番頭ともう虫の息の病床の女房に楯突き、高利貸や町の有力者が 国民党の小役人ととに一元でも回収してやろうと店の整理に忙しい。国民党の兵隊が民衆を散らそうと空砲を撃ち逃げ惑う民衆と街頭で民衆に踏まれ亡くなる幼 子、そして河のなかを進む小舟に憔悴しきった林家の主人……で映画は終わるのだが、大詰めまでは、何とか商売を続けようと巧みに働く林家の様子がとても小 気味よいが最後のシーンでは人のとてもエゴと愚かさが強調され暗澹たる思いで終わる。もともとは日本軍の侵略が不幸の始まりであり(映画の中では、侵略さ えなければ日本はすでに優れた日用生活商品を生産し輸出し、中国側はそれを購買することで生活が豊かになる平衡関係であった)、具体的には水郷のこの町の 国民党の小役人の悪さが林家が不幸に陥る元凶として描かれる。共産主義化した中国で、これほど社会派ではあるが明治座的な人情物で、共産主義のプロパガン ダの色が殆ど全くない作品が撮られていたことが驚くほど。だが当然この「革命的な思想性のなさ」が文革では毒草映画と批難され監督の水華は下放で労動改造 処分、原作の茅盾は党除名処分。この映画が文革で批難されたのを「日貨排斥という民衆運動がいかにその場限りで方向性を欠いた狂騒に過ぎないかをリアルに 描きすぎたから」という理由による、としている大学の先生もいるが、それは勘ぐりすぎ。たんに「共産主義的な思想性」のなさ、である。あれで共産党がこの 町に進軍し悪い国民党の小役人を追い出し……とするかでもしないと。共産主義的には何の魅力もないはずの林家の主人(なにせ商売のためには贈賄も厭わぬ愛 国思想も乏しい反革命的は守銭奴である)を人情味あふれる好人物と描いたところが反動映画と烙印押される。それにしても実際には、権力のまえでは「へーこ ら」して日々の商売では霹靂としつつどうにか生きていこうと奮闘する、この姿勢が市井のよくある市民の姿でリアリズム。それだからこそ茅盾らしさであり魯 迅の流れやゾラのような世界もここに垣間見られる。このような共産中国では異色の作品を水華が遺したことは興味深い。1916年生まれの水華かなりの英 才。11歳から文章の創作活動に目覚め17歳で上海復旦大学法学院に入学。左翼演劇活動に従事するが組織解散され36年にはすでに中国侵略をしている日本 に敢えて留学し東京帝国大学で演劇を研究。だが翌年には中国に戻り抗日宣伝活動に従事し正式に共産党に加わり演劇から映画へと活動の場を移していく。文革 が終わり名誉回復され81年には魯迅聖誕百年を記念した『傷逝』を製作。中国映画での功績から栄誉賞をいくつも受け95年に79歳の生涯を終える。この映 画、17、8年前だかに当時、千代田区の区役所隣の区民センターだかで中国映画上映会が続けられており、これが上映されたが何か用事できて見逃した作品。 謝添の『茶館』はそこで観ている。『駱駝の祥子』は確かZ嬢と一緒に観て日曜の夕方だか九段会館の屋上のビアガーデンで「右翼っぽい景色や」と思いながら ビール飲んだ記憶あり。
▼中国の「愛国資本家」で国家副主席も歴任の栄毅仁氏逝去。享年89歳。江蘇省無錫の裕福な商家に生まれ(1916年)上海の聖約翰大学(St. John's University)の歴史学系を卒業(37年)し家業継ぐ。49年の中共建国で多くの資本家や商人が大陸を離れ香港や台湾に移る中、栄家は敢えて国内 に留まり中共による建国を支持。57年には当時の副総理・陳毅が「赤い資本家」と賞し上海市副市長に弱冠41歳で抜擢される。59年には家族で所有の一切 の商工業資産をば国家政府に寄贈。政府より代価として600万米ドル(当時)として受取り毎年、国営化された企業利益から配当も得ていた(文革時期ま で)。同年、紡績工業部副部長(副大臣)に任命される。が66年に文革で資本家として批判され一切の公職解かれ幽閉の身。だが国家主席劉少奇すら殺された 文革の中でも周恩来の指示で栄毅仁は保護され一命取留める。78年に文革結束で全国政協副主席として復活。この年、一人息子の栄智健(16、7歳であった 60年頃に上海で英国製スポーツカー乗り回し友達連れて国際飯店で食事していた、というから並外れたお坊ちゃま)が中国を離れ殆ど無一文で香港に移民。智 建は現在の「中信泰富(Citic Pacific)」の社主で名馬オリエンタルエクスプレスなどの馬主でもある。で毅仁であるが復活の翌年79年に中国国際信託投資公司(中信)を創設。鄧 小平の経済開放政策の旗艦企業として成長。93年から98年まで国家副主席。「中信」の事業拡張で栄家の占める総資産は19億米ドルとすら言われる。
▼で興味尽きぬのは上海の聖約翰大学(St. John's University)(写真) である。1879年にSamuel Isaac Joseph Schereschewsky神父により創立(当初は中学のみ)の米国系Episcopal派のミッション校で、大学 は20年代から40年代に「東のハーバード」と称賛され傑出した卒業生多く戦後の華人社会のかなりの指導的立場にある知識と教養兼ね備えた紳士がこの大学 の出身。ミッション系の大学で中共の建国後1952年に「調整」対象となり各学部が復旦大学や華東師範大学、華東政法学院、同済大学などに編入される。台 湾の淡水にある1967年創立の聖約翰科技大学はこの上海の聖約翰大学の後継校ということになっている。
▼中国国務院新聞弁公室が10月19日に発表の「中国の民主政治建設」白書が中国政府が初めて発表の政治民主化についての文書と注目を浴びている。勿論、 内容が「民主政治というのは形は一つでなく、それぞれの国の歴史や状況により異なる形で政治の民主化は進められる」という主張は今更驚きもせぬが、やはり 馴染めないのは中国の民主政治の建設の原則として「中国共産党の領導の堅持」「社会主義制度の長所と優勢性の発揮」「社会の安定、経済発展と民生の向上に に有利に作用する前提」「国家主権と領土の保護と尊厳」の項目が並ぶ。つまり中共の一党独裁と社会主義体制が前提で天安門事件のような民衆運動は認められ ず、これでどこが政治民主なのだ?と思うのが当たり前。だが中共的には矛盾していないのは中国共産党自身が共産主義という人民主権社会で人民を代表する党 であるから謂わば「民主独裁」なので党の主導は全く矛盾を感じないのだろう。すごい話。
……本日はずいぶん中国関係の話題ばかり。

十月廿七日(木)湖南省で家禽流感(H5N1)に感染の鶏肉食した少女が死亡し弟も隔離中であること証実される。中国で家禽流感の現状がどうなっているの か中国政府の情報公開につき世界保健機構も懸念表明。SARSであれだけ騒いだ日本もSARS疫禍未然に防いだことで衛生大国と自任したのか今回の家禽流 感についてはあまり深刻な報道も見受けられず。香港では政府がこの家禽流感に効力があるといふスイスのRoche社のTamifluについて備蓄がいくらで来年までに 備蓄増がいくらと数字出しているが日本は対応はどうなっているのだろう。厚生省の最新情報はほとんど昨年の 「騒ぎ」の時のもので終わってしまっているしタミフルについても世界的な需要高でWHOなどの勧告によりロシェ社が製造方法の情報公開に踏み切ることが日 経の報道(こ ちら)などにある程度。で感染が拡散した場合の、まさに疫禍(実際の感染より感染恐怖のパニック状態)がどうなるかと想像すると恐いものあり。
▼小泉内閣メールマガジン。このMMは小泉内閣の性格をよく表わす。巻頭の小泉首相は在京のイスラム諸国大使らを官邸に招いての「イフタール」(回教の断 食明けの食事)開催について語る。
皆さんに持ち寄っていただいたおいしいお国料理を少しずつごちそう になりながら、日本とイスラム諸国の友好協力関係をますます発展させていくことができれば素晴らしいことだと思います。
と首相は語る。イスラム諸国との友好関係築くために米国のイラク占 領への追従こそ弊害と思うが如何に。だが首相は
食事は私たちの心やからだの健康をささえていくためにも、とても大 切なものです。「知育、徳育、体育」といいますが、私はこれに加えて「食育」が大事だと思っています。(中略)
秋も深まってきました。食欲の秋、皆さんも楽しい食事を通じて、人 と人との心のつながりを大切にして、健康な心とからだで、それぞれの秋を楽しんでいただきたいと思います。
と一人ほのぼの。これに続き文部科学大臣中山成彬君が
学校では、現在、中学・高校で、柔道や剣道などの武道を選択履修で きることとなっているが、ダンスとの選択になっている。ダンスがいけないというわけではないが、もったいない。私としては、男女を問わず、もっと多くの子 どもたちが武道を修得して欲しいと願っている。
と「武道のすすめ」を説き、内閣のメールマガジンだが特別寄稿で海上保安庁の特殊救難隊隊長が「漁船第三新生丸転覆海難救助」について語り、慶應義塾大学 助教授で「日本21世紀ビジョン」に関する専門調査会グローバル化WGメンバーの教授が「ジャパン・クール(カッコイイ日本)」についてヴィジョンを述べ る。印度や中国の急成長の追い上げの仲で「活力ある日本はいかにして実現」するか。
鍵は、「開かれた文化創造国家」を目指すことだと考えています。日 本が技術力を高めて、「世界の知的開発拠点」となっていく……。その拠点には世界から国籍問わず優秀なヒトや企業が集まり、互いに刺激して新しいアイデア が生まれ、製品化されていく。日本でしかできないモノづくり、アニメ・映画などのコンテンツ産業が発展し、「ジャパン・クール」なイメージが定着……。
と薔薇色の未来。この日本に
世界では日本文化をよく知る「知日人」が増えていく。現在は訪日す る外国人の数は少ないが(世界32位:03年)、観光客や留学生をもっと受け入れられる開かれた社会へと発展。それが近隣諸国との関係改善、国内雇用の確 保へとプラスの連鎖反応をもたらす。
と大学生の国際関係論での提出レポートぢゃありまいし。ご本人も指摘しているが
知日人が増えれば地域経済統合に向けた地盤固めとなります。もっと も、政府もアジアを中心に経済統合を急ぎ、安定的な経済パートナーを確保するさらなる努力が必要ですが。
なわけで、この内閣自身がその障碍になっていることをどう考えるのだろう。「
日本でしかできないモノづくり」なんて今さら嗤わされる。騙 されてはいけない。それにしても、食文化の大切さを説く首相、武道で修養を説く文部大臣、取り巻きの学者の説く薔薇色の未来。なんてノーテンキさ。末期 的。
▼ビデオニュースドットコムで亀井静香先生の言論を半分ほど聞く。首相が独裁的に振る舞えば民主主義社会であれば市民がそれに否定的に動くはずが首相が好 き勝手すれば国民がそれを痛快に感じる、という現状。今回の総選挙の結果でもこれで改革が進む、と安心する。これを小泉三世という人はわかっていたのでは ないか。それに対して亀井先生は民衆の判断力を信じ、誤解していた、と。亀井先生の指摘は正しいが、言われた<民衆>は「何、言ってんだよ」とよけい小泉 支持か(たぶん)。良識も教養も今は通用せず。

十月廿六日(水)晴。晩にハッピーバレーの競馬開催あり。今季初めて予想紙『大勝』を購入し自宅でテレビ観戦決め込むが恐ろしいほどの睡魔に襲われ2レー ス目は寝てしまい見逃すほど。とても観戦続けられず途中で早寝決め込む。ケーブルテレビの競馬中継はこれまで広東語と英語のデュアルリンガルであったが広 東語と北京語に変わっていた。北京語での中継は広東語の欲情的なのに比べ内容は冷静であるが、どうも北京語で競馬中継を見る環境に慣れない。亜州電視の国 際台はもともと英語チャンネルということもあり英語と広東語がまだ続いている。臥床して新聞開くと Sudoku ありちょっと始めてしまうが眠れなくなりそうで断念。老後は惚け防止には Sudoku はいいだろう。

十月廿五日(火)晴。早晩に帰宅途中にふと北角ジャワ道の「回味古法清湯南」 にて牛南河粉を食す。部活帰りの学生ぢゃあるまいに、ただ肥満のもと。それにしても香港で「清湯」の極みの如きスープ。牛南も非常にあっさりと牛肉の旨味 がとてもよくわかる。ずいぶん古い店と思っていたが新聞で紹介された切り抜きを読むと01年開業。店主が十数年の経験あり、と。ふと思ったのは上環の Cleverly街だかに五年ほど前にあった清湯牛南の店。確か名前は「生記」で近所のお粥の老舗「生記」と同じ店名だったので記憶あり。やはりあっさり の味でよかったが二度目に訪れた時にはもう閉業。それで逸したが、この店の主人がその生記で働いていた、とか。推測だが。帰宅し昨日O氏より託された桂文 楽のLPを録音。がLチャンネルのみ音が聞こえず何かと思えばアンプのPhone端子のLが不良。三十年以上前に父が家の新築の際に買ったヤマハのアンプ では不具合生じても当然か。無理やりターンテーブルをチューナー端子につなぐ。Line Outも壊れておりヘッドフォン端子もダメ。テープ録音など十年もしておらず古い録音機能ありのウォークマンに無理やりつなぎ劣悪なる音質で録音済ます。 それにしても文楽の「寝床」の面白いこと。話芸の極み。会話は声色を変えたりする技量にあらず感情のもちようなのだ、とあらためて痛感。日本酒。雑煮。週 末の新聞雑誌などたまっていたのをかなり読む。朝日新聞の衛星版では普通なら一日違いの加藤周一「夕陽妄語」と梅原猛「反時代的密語」がなぜか紙面に並ぶ 「豪華」ぶり。加藤先生は六十年前の廃虚から立ち上がった日本の近代を建築家・前川國男(1905〜86)など引き乍ら語られフランスの18世紀の思想家 セナンクールの言葉を紹介する。
人間は所詮滅びるかもしれず、残されたものは虚無だけかもしれな い。しかし抵抗しながら滅びようではないか。そして、そうなるのは正しいことではないと言うようにしよう。(渡辺一夫訳)
これを加藤周一は「廃虚からの思想」と呼ぶ。戦後が60年経っての今の絶望的状況で加藤先生の叫び。だが恐らく加藤周一など知らぬ人にすれば「?」で終わ りなのかも知れない。加藤周一を知ってる人でも「そういえば『羊の歌』なんか読むと戦時中、敗戦後も同じようなこと言ってたよな」で「今さら」で終わって しまうのかも知れない。加藤周一がどれだけ苦悩しようとも加藤周一の言葉に耳傾ける人は少なくテレビで「ちょっと見ただけ」で何を考えているのか全くわか らぬ首相には支持が集まる。今朝の朝日新聞に先の総選挙「面白かった」という人が50%超。狂気。常識的には「しまった。ちょっとやりすぎだった」と我に 返るところ。その後の選挙も全国で自民党が連戦連勝驀進中。何も面白いことが他にないので小泉改革に「盲託」の勢い。仙台出身の畏友も宮城県知事選を嘆 く。自衛官出身で、当選後最初に浅野知事のもとで揉めていた県警の裏金の承認に言及。ですからね。「これじゃ、もう茨城並みと嗤われる。多摩のD君は「そ のなかで武蔵野市が稀有な例外」と。多摩地区住民の民度の高さか。このままでは消費税も夢の15%も実現か。確かにEU各国の付加価値税はもっと高い。し かしフランス人は週35時間労働で1カ月のバカンスをとり、スペイン人は遅い昼にご馳走たべて昼寝して過ごすも可。そういう暮らし方ができるなら20%で も払おうが年収300万円と貧困なる社会保障が約束された上での増税に憤りもなく何故「改革」支持するのだろうか。
▼行政長官に就任し初の御外遊中の「自称政治家」Sir Donald君。カナダから米国へ。香港の普通選挙実施など問われ米国も婦人参政権実現まで百年を有した、と宣う。呆れて言葉もなし。
▼米国が占領中のイラクで憲法草案が国民選挙で可決。過半数で而も15だかの選挙区のうち3つ以上の選挙区で住民の三分の二以上の反対があった場合は廃案 という高リスクであったが2つの地区で三分の二以上の反対になり最後の開票結果待ちはスンニ派住民の多い地区。開票遅れたが結果的に反対票は55%で憲法 草案通る。米国の先の二回の大統領選挙といい、なぜキャッチングボードとなる際どい地区がいつも開票が遅れるのだろうか。不思議。……いや不思議じゃな い。わかりやすい。

十月廿四日(月)香港日本人倶楽部からの紹介で、と突然Oさんといふ方から電話をいただく。唐突な話ですが、と聞けば落語のLPを、香港の某大学で落語の 話芸について語る機会あり、そのLPの音源をば使いたいのだがLPをテープに落とす作業ができず、で余を紹介された、と。で落語のLPは?と尋ねれば「桂 文楽の「寝床」と「素人鰻」でございまして」とO氏。思わず「ようがす。如才なくできるかどうかお約束しかねますが、アタシがやってさしあげやしょう」と 半七は、素性もわからぬ相手に答えると電話を切った……と岡本綺堂ならこうなるが、さっそくO氏にお会いすることになる。LP持参で来られたO氏ご自身が 圓朝か圓生のような噺家の顔を少し優しくしたような風貌で話される日本語の、これまた噺家のような声と口調の見事さに驚くばかり。昔からのとてもきれいな 東京言葉に心洗われる思ひ。暫し落語談義。LPはNHKの落語名人選。文楽、志ん生、可楽、三木助、金馬などのシリーズ香港でお持ちだそうで圓生以降はO 氏もテープなどでお持ちだが古いLPを楽しめず、と。今はまたDJなどでアナログレコード復活しておりターンテーブルなど入手容易なことお伝えする。とり あえず、でLPを借用しテープにダビングにする件、承る。早晩にFCCにて海南鶏飯食し晩に尖沙咀に薮用。休肝日とぢまんしたいところだが休肝は二日続け ないと意味ないとか。晩十時半にかなり草臥れ帰宅の途につくが新聞に(いぜんから気になってはいたが)Sudoku あり。ついつい始めたら嵌ってしまい難度1のだが帰宅までにどうにか終わらす。なぜか
Sudoku がブーム。帰宅してついSCMP紙 にあった Kokonotsu Super Sudoku 始めると疲れも睡魔も忘れるほど熱中してしまい「これはマズイ」と途中で止め難なきを得る。
▼東京国際映画祭開幕記念上映作品「単騎、千里を走る」について は月本さんのサイト(こちら)で読んだが築地のH 君より主演の高倉健さんが張藝謀監督を「息子にしたい」とまで発言、と報せれる。上映前のインタビュー(こちら)で「男同士の強い友情・ 心のつながりを感じさせるような高倉さんの一言」は「(満面の笑みを見せながら)こういう、張藝謀監督のように本当に一生懸命に働く人を、僕は息子にした い」と。小泉三世のおかげで日中関係冷えきったなかで健さんの張監督へのこの感情。これも……また美談?か。たとえ話だろうが、すごいなぁ健さん。淀川長 治先生でも「お気に」を「養子にしたい!」発言はなかったと思う。それにしても、この「壇上から降りられる時も、お二人で譲り合いながら目があう度に微笑 み合うその表情からは、本当に二人で作り上げてきた映画をやっと完成させた事、そして皆様にご覧頂ける事に対しての、力を合わせてやり遂げた満足感、そし てこの日さらに深まったお二人の絆の強さがひしひしと伝わってまいりました」ってオフィシャルサイトでのこの扱いは皇族か。目に浮かぶような光景だが、例 えば六代目歌右衛門と梅蘭芳も出会った瞬間にこのような華やかさであったのであろう。
▼月本さんのその日の日記で六本木のハンバーガー・インが明日、五十五年の歴史を終える、と知る。古き良き六本木。

農暦九月廿一日。霜降。昨日に続き「日本の祭」にて的屋の仕切り。昼間は汗が流れるほどでないが陽射しはさすがに厳しく肌を灼く。そ れにしても炎天下よくぞ、の数の来場者。驚くばかり。晩の盆踊りがフィナーレにてずいぶんの数の人が輪になって踊る。踊りの輪に入るのはやはり若い世代多 く盆踊りを遠巻きに眺める老人らの姿。先の戦争以前や日本の香港占領期が記憶に残る老人らの中には浴衣姿だの盆踊りなど当時の日本の勝手な振舞いをば彷彿 する人もいるのだろうか。午後八時に閉園し片づけして午後九時すぎ。現場のあちこちで打ち上げあり。二日間ずっと同じ的屋稼業のF氏、A嬢と一緒にやはり 的屋手伝いのT君がバーテンダーするバーYで飲む。T君と居酒屋一番で〆て深夜12時すぎに帰宅。長い二日間が終わる。

十月廿二日(土)朦霧。晴。銅鑼湾のヴィクトリア公園にて「日本の祭」なるイヴェントあり。偶には人さまの少しでもお役にたつべく朝九時から午後十時まで 終日このイヴェントのうち「的屋」関係のお手伝い。子 どもの頃から祭りであるとか催事とか人の群がる企画は苦手なのだが今回はバーSの亭主M氏が催事の運営に奉仕されることを知り少しでもお手伝いしよう、 と。それにしては我が国の首相。タイミングよく靖国参拝で香港の多くの人がこの催事開催に尽力することに冷や水浴びせてくれたが幸いにも変 人首相の奇行に誰も知るところで動じもせず催事は予想以上の入場者あり。香港でもロリータ装束の少女は今さら驚かぬが「日本の祭」ということで地元の若者 にかなりの数の浴衣姿や日本の学生服、着物に袴姿?まであり。日本と中国、香港には歴史的だの政治的だのさまざまな差し障りある中でここまで日本を好きで いてくれるのか、と見ていて言葉もなし。「維園阿伯」と呼ばれるこの公園名物のオジイサンたちも少なからず。愚行愚慮の小泉三世にこの地元の人々と香港に 住まう邦人の気持ちが理解できるだろうか。小 泉三世ほどの変人であれば己れが靖国参拝など信念通しても香港のこれをみれば「やっぱりみんな友好的じゃないないか」などと感じるかも知れぬが、そう感じ たら是非、香港に来て「的当て」の標的にでもなっていただきたいもの。おそらく入場者は記録的多数。ずっとご無沙汰の続く何人もの方にお会いする。懐かし いかぎり。祭りもいいものかも。終日ずっと手伝い続くが早晩にさっと抜け出しZ嬢と利休に即席で食す。利休もこの祭りで晩はかなり繁盛。祭りの会場からで あろう、電話でのかなりの予約の客に「申し訳ございません」と満席で断り入れる亭主も嬉しいやら悲しいやら。晩は盆踊りも盛況の様子。あちこちでお振舞い の酒などいただく。

十月廿一日(金)快晴。早晩にFCCにてハイボール二杯。Chicken Tekkaのサンドイッチ食す。新聞読む。世界電影経典回顧2005の第2節で中国電影回顧(こ ちら)の特集は監督が「沈浮」と「水華」で(いずれも監督名)、本 日は沈浮・監督の『萬紫千紅總是春』(1959中國カラー114分)を観る。新中国は56年の百花斉放百家争鳴の開放路線から翌57年には一転して反右派 闘争となり58年には人民公社が成立。時代は教条的社会主義まっしぐら。この映画も御他聞に漏れず上海の吉祥里なる土地を舞台に「やればできる」の精神高 揚作品。だが沈浮の凄さはこの土地に住まう住民を、嫁と姑、夫と妻、工場の女工同士のそれぞれの確執をテーマにしているところで、中国の革命映画としては かなり異色。皆、工場の女工でこのコミューンの指導者的立場にある中年女性を中心に皆で協力し問題を解決してゆく姿勢が教条的だが、それを除けば山田洋次 的でもある……あの葛飾柴又もまたコミューンか。だが、その革命よりも人の義理人情のような浮沈の世界が六十年代の文化大革命で非難されぬ筈もなく沈浮監 督は63年の作品『北國江南』(今回は上映されず)がブルジョア保守作品として非難され75年に『阿夏川的秘密』の制作まで強制労働の身。この『萬紫千紅 總是春』はそれほど、社会主義も教条的だが一応は理想主義で皆で協力して理想的な社会を建設しましょう、という点では党のプロパガンダ作品とはいえず。党 の指導だの党領袖の思想云々は一切ない。で、これが監督の力量か、と感心して観ていれば、最後の最後で夫との不和も解消されかけた妻が家族で久々の和む夕 食の前に「ちょっと工場へ」と出かけてゆく最後のシーン。手には何か大切そうに画筒を抱え工場に着けば壁にそのポスターを貼る(依然として何か見えな い)。工場では仲たがいもあった同僚が一人現れ二人は寄り添い目をウルウルさせて壁を見上げる。でポスターは、と言えば偉大なる領袖、で毛沢東。なるほど ね。最後の最後に毛沢東の肖像画掲げ「毛首席の指導のもと新中国は発展してゆくのです」とまとめることで、この義理人情映画が59年に当局の放映許可を得 たか。場合によっては最後の毛沢東のシーンだけカットすることも出来る。非常に政治史的にも興味ある作品。それにしても偶然隣席から並んだ5人ほどの 15、6歳の女学生の五月蝿いこと。明らかに自らの興味でなく愛国主義学校の課題学習なのか興味もないのに見に来た由。映画上映始まってもひそひそ会話続 け携帯のメッセージ送受信で注意勧告するが、また暫くするとペチャクチャと始める。中国のいかにも共産主義的な場面では笑う。隣の友達に「ちょっと、こん なに話してるとまた怒られるよぉ」の態度で、これほどのバカには言葉は通じぬと思い隣席の娘の椅子の脚を蹴り威嚇。本人の足を蹴ると警察沙汰だが、脚を組 み換えた拍子に当たった、と言える程度、だが暴力的威嚇。さすがに静まる。バカには言葉は通じない。このようなバカが若者が成人して同じ時代を共有すると 思うとゾッとするばかり。荷風先生が昭和に入り銀座で野暮に馬鹿騒ぎする愛国学生見てゾッとする気持ち痛感。通路はさんだ反対側ではいかにも招待券で来た ババア二人が画面見ながら「あ、息子が泣いている」だの「昔は野菜とか安かったんだろうね」と昔の上海の市街場面見ながらの世間話にも閉口。年寄りも若者 もバカなのだからどうしようもない、か。ところで上海市街の実写で老舗の風呂屋・大観園が映っていた。今でもあの建物のまま現存するのだろうか。終わって 銅鑼湾まで地下鉄で参りバーSに寄る。亭主M氏に明日からの イベントの挨拶のつもりがお決まりの如くF氏が独りカウンターにおられ小一時間飲みF氏と一緒 に十時半には辞す潔さ。バーはこの程度で佳し。
▼昨日律政司長(司法長官)に就任の黄仁龍君。弱冠41歳で香港の皇仁書院からケンブリッジ大学に法律学んだ英才だが資深大律師(高級弁護士)になって僅 か三年で自称政治家Sir Donald君が黄弁護士を知り僅か四ヶ月での抜擢は多少「怪しい」ところもあり。而も梁愛詩の後任には香港終審法院首席法官(最高裁判所裁判長)の李國 能君の登用が噂され親中土共派まで中道の李君の推挙を受入れていた、といふ。それを翻しての黄君の登用経緯はまず黄君の義父(妻の父)が香港政界の長老・ 鐘士元君と商売仲間であった由。黄君は五年前に北京で国慶行事に香港の法曹界代表の一員として参加。その若さゆへ精鋭と多少評判になったが北京側も事後、 この代表団への加入には鐘士元の「引き」があったこと知る。いずれにせよ中央の知るところとなった黄君はその後いくつかのシンポジウムなどで中国側の御用 学者らと会う機会あり実質的な「面接試験」いくつか経てSir Donaldはほぼ人選終わった結果で引き合わされたようなもの。
▼信報の連載随筆で徐詠旋女史が東京の六本木ヒルズのアカデミーヒルズ会 場に香港の大学資助委員会と東京の香港経済貿易代 表部の共催「日本と香港青年論 壇」について書いている。香港の大学教育紹介し日本からの留学生招聘のためのイベント。でシンポジウムのテーマは「日本の流行ファッションが香港の若者に 与える影響」「恋人をみつける環境……香港と東京の学生比較」「香港と日本−科学と工学の学生比較」「変貌する大学教育−日本と香港で学生に与える影響」 「世界的視野からみた希望と挑戦」「マルチリンガル文化の中でどうビジネスを展開するか」「外国での仕事を通じて見た適応性とクロスカルチャー比較」…… が並ぶ。シンポジウムに参加した日本側の大学教授は「香港の若い男性は女性にプロポーズできない」と宣ったそうな。比較文化とか学問として成り立つことに 我はとても疑問。

十月二十日(木)快晴。早朝に小泉内閣メールマガジン第207号「郵政民営化法案の成立」届く。新しい日本の夜明け。近代の超克。清々しき気分でメール拝 読。小泉首相は巻頭で
小泉純一郎です。
10月14日、郵政民営化法案が参議院本会議で可決され、成立しま した。
政界の奇跡ですね。
国会の各政党は、私が総理大臣になる前は、郵政民営化は「暴論」だ と言っていました。私は、いつかこの郵政民営化は「暴論」ではなく「正論」になる、そういう時が必ず来ると思ってやってきました。
山を越え、谷を越え、一度は谷底に突き落とされましたが、国民の皆 さんがうまく引き上げてくれました。一度死んだ法案を生き返らせてくれたのも、法案成立という奇跡を起こしてくれたのも、小泉内閣の構造改革を支持してく れた国民の皆さんのおかげだと思います。心から厚く御礼申し上げます。
この人の世界には改革を理解せぬ旧守派や野党、平和希求する自らの信念すら信じようとせぬ中国や韓国があっても、このメールマガジンを読み小泉改革に賛同 し一票を投じてくれた「仲間がいる」と信じ、それがあれば何も要らぬといふ実にピュアな(単純な)気持ちあり。このメールマガジンを書いている時こそ至福 の時であらう。が我々の関心は官邸の幻覚キノコであった。しかしその話題はすっかり報道されぬようになり残念に思っていたが小泉三世本人がちゃんとメール マガジンでフォロー。さすが我らが小泉さん。
先週、公邸前の植え込みの中で見つけたキノコのお話をしたところ、 たくさんのメールをいただきました。専門家の調査によると、公邸の庭には、写真で紹介した2種類のキノコのほかにも6種類、全部で8種類のキノコが見つか りました。写真にある大きいキノコはテングタケという毒キノコでしたが、ほかのキノコは無毒のようです。公邸から官邸まで、50メートルぐらいですが、毎 朝歩いていくのが楽しみになりました。
やはりキノコに詳しい知人の推測は正解でテングタケはあったがヒカゲシビレタケは間違いだった様子。郵政民営化決議といふ重要な日に「おっ、キノコだ!」 とはしゃいいでいた、この官邸の余裕。反対勢力はもうこれで完敗している。もうこのまま小泉さんにずっと首相をやってもらうか、あるいは中曽根大勲位でも 実現できずに終わった大統領制、それも天皇制は維持したままでの立憲君主共和制(……嗚呼、新しい時代の夜明け)施行で小泉三世の大統領就任は未開社会に は最適かも。その清々しい気分でいたら香港政府律政司長(司法長官)梁愛詩が辞任。66歳。97年香港返還以来、香港の法治の破壊に尽力。何 よりも彼女の功績は99年に新聞発行部数虚偽報告(つまり新聞広告収入増目的)で起訴されかけた星島日報の社主・胡仙女史(タイガーバームの胡文虎の娘) をば董建華と組み「証拠不足と公衆の利益に配慮し」不起訴処分を決定(事実上の指揮権発動)。中国内地生まれの香港市民を親にもつ子どもらの香港居住権の 有無についても、基本法23条に拠る国家保安条例の立法化についても、行政長官と立法会議員選挙の普選実施についても終始中央政府寄りの姿勢を見せ悪役に 徹す。香港の日本人社会とは浅からぬ縁あり。もともと苦学の人で中学出て弁護士事務所に事務員として働き始め法律に興味もち弁護士資格取得が確か30歳 だったか。三井物産香港支店長から日本人倶楽部事務局長など歴任した藤田一郎氏など当時の日本人社会のリーダー格に可愛がられかなりの数の日本企業の solicitor務め日系法人企業の定款などに彼女の名も少なからず。港日交流協会だかも長く関わる。司法長官になった翌年には結腸癌患い健康上の理由 で辞任の噂がずっと続く。それもあろうが実質的には自称政治家Sir Donaldの治世となり董建華・梁愛詩・葉劉淑儀(保安局長)のうち最後に残った梁愛詩が香港政府去ることで人々の間にある負の印象拭いたいところ。後 任には弱冠42歳の黄仁龍弁護士が任命され本日即日着任。黄仁龍は就任記者会見で、かつて全人代常委での香港基本法解釈に反対するデモなどに参加の過去を 認めた上で在任中はできるかぎり釈法は避けたい、と表明。自称政治家Sir Donaldにしてみれば、この民主派も許容範囲である黄仁龍の抜擢は民主諸派の溶解及び民主派の引き込みのため北京中央の批准得た人事。行政会議への民 主派学者や夏佳理(弁護士、立法会議員であったが事実上、99年の指揮権発動に抗議して辞任、香港ジョッキークラブ現理事長)の登用なども全て「民主派の 取り込み」が目的。さすが自称政治家と改めて敬服するばかり。早晩にFCCでこの梁愛詩辞任について記事を書き日刊ベリタに送稿(こちら)。 ウィスキーソーダ2杯と智利産の赤葡萄酒1杯。FCCを出て隣のFringe Club前通りかかると丸見えのギャラリーに知己の方多し。何かと思えば港日交流のイベントの一環で日本の和紙人形展のオープニングセレモニーの由。中に 招かれ何人かの方にご挨拶。こうして地道に交流活動が折角行われていても首相の靖国参拝が冷や水浴びせかける。帰宅。ビビンバ。NHKの世界文化遺産紹介 の番組で澳門(マカオ)特集見る。普通にマカオの歴史遺産紹介すればいいのに安土桃山期の「南蛮屏風」に描かれている西洋人たちはマカオを経由して日本に やってきたポルトガル人たち「だったのです」と述べるが、こんなの小学生でも歴史で知っていること。マカオの教会跡から発掘された骨が16世紀の日本人信 者らの骨だということが「知られざる事実」だそうで、わざわざ教会の神父に案内させ、その骨の展示を見てレポーターが驚いて見せるが、これなど観光で行け ば誰でも見られる展示(笑)。道教の廟でポルトガル系の若者が参拝する姿など見せ異国情緒演出など「やらせ」も多し。
▼築地のH君より今日発売の週刊文春で阿川女史の対談で亀井静香先生の言論に注目、と。
亀井「とにかく今の国民は病にかかってますよ」
阿川「どうすれば覚醒できますか」
亀井「私、やりますよ。どういう病かというと、強者の論理に、それ によって被害を受けている弱者までが酔いしれて、弱者が強者に自己主張しないんです。小泉さんは、経済も政策的・意志的に国民総所得を510兆円から 506兆円に縮めちゃた。で、一部の大企業がうんと儲かってるというけど、これは経済構造改革という形で、下請け、孫請けに儲かりもしないような値段で仕 事をやらせて利益を召し上げて、史上最高の利益をあげてる」「そういう経済構造に誰がした? 小泉さんでしょう。私は逆のことを言ったけど、人相が悪いか ら、聞いてもらえない」
と亀井さん。そう、今回の小泉「マヤカシ」大作戦で最も卑怯であることは「強者の論理に、それによって被害を受けている弱者までが酔いしれて」にされてし まったこと。「この人に任せていたら貧しくなる、とわかっているのに、その人を支持するところが日本人は理解に難しい」と台湾出身の知人に言われた言葉思 い出す。
▼自由と人権の国という印象強いオランダで公衆場所でのイスラム女性のベール衣装(burkha)着用禁じる動き。宗教に寛容なオランダだがイスラム教批 判した映画プロデューサーが殺害されるなどありイスラム教への警戒心が強まる。不法滞在者摘発も積極的になり警察によるIDチェックなど強制的に実施され 既に4.5万人の不法滞在者を検挙。目だけを見せるburkha装束は保安上、警官が市民の認識をできぬ、で着用禁止。フランスでの公立学校でのイスラム 教信者のベール着用禁止であるとか、欧州の自由と思われる国家での対イスラム感に意外を感じる。が個人主義の徹底とは実はこういうことなのかも知れぬ。そ れにしてもオランダである。寧ろ、この国だと、イスラム女性の黒装束はダメでも、市街を裸で歩いていても全裸の自由は認められそうな気がする。なにせそれ なら爆弾も肛門に小型爆弾仕込むくらいしか出来ぬし。爆弾も肛門に小型爆弾仕込むくらいしか出来ぬし。
国境なき記者団が世界の新聞の表現の自由についてランキング発表(こちら)。北欧諸国など 順位高いのは今さら驚かぬが東欧やアフリカ諸国がかなり上位に並びアジアでは韓国の34位が最高位。日本の37位はやはり天皇制タブーなど「自由なようで 自由ぢゃない」現状を反映。香港の39位は中国政府の影響、44位に米国で意外と驚くのが台湾の51位はもっと上位でもいい気もするが亜扁総統の総統選挙 疑惑など確かに不明朗な点もあり。今さら驚かぬのは167カ国中で一党独裁の言論不自由国家シンガポールは139位で同じく中国が159位。北朝鮮が最下 位の167位。新聞マスコミがつまらない、という一点だけでも余はシンガポールと中国内地には居住する気になれぬ。

十月十九(水)小泉靖国参拝でいくつか憂慮だの
面倒な任務増える。まことに有り難迷惑。ニコンの営 業所にて先日壊したレンズ修理上がり受け取る。ついでにとニコンELを持参してファインダー内の汚れ除去願ふが「古過ぎて扱えず」と。べつに部品交換の要 もないのだが。帰宅すると競馬始まる直前。このところ全く競馬しておらずClass-5の駄馬レースは勘で選んだ馬が四番人気で一着になる。本日はこれだ け。松茸ご飯。福光屋の吟醸酒・黒帯「飄々」飲む。郷里で地震あ り。
▼昨日の信報社説は「財金経貿互利 中国取代日本」と。北京でのG20開催やFRBのグリーンスパン議長の訪中など見ていれば米国にとって日本に取って代 わり中国がアジアの経済体系での最も重要なパートナーになっている、と指摘。米中の将来的な軍事対立なども懸念される中、このパートナー化は喜ばしいこ と、と結ぶ。北京で着々とアジアの政治が米中間で準備されてゆく現実。今後、日本の最も懸案になる対中関係が拗れるなかで、我が国の首相は靖国神社に参拝 し合掌して小銭の賽銭投げ入れるくらいしか出来ず、その英霊の神への祈願も報われず、日本がイラク征伐に見られる単なる米国追従でパートナーに非ぬ奴隷ぶ り明らかになり、アジアでは小泉無策外交(外交にもなっておらぬが)ですっかり信用失ふばかり。英霊はこのような日本のアジアでの孤立を喜ぶだろうか。末 路。だがその首相に政権委ねたのは国民の意思。救われず。南無阿弥。
▼最近、話題にもせぬ(話題にならぬ)香港鼠楽園について。今年の国慶節での大型連休。内地から香港への旅行者数は僅か36.7万人で政府予期の50万人 大幅に下回る結果(昨年同期は43万人)。香港鼠楽園開幕で70万人の内地客がHK$40億の観光収入などと期待されたが空論に終わる。結局、香港市民の 血税で無駄な米帝娯楽施設建設し鼠本社にくれてやった愚策の結果。これだけの「犯罪」に誰も責任などとらず。信報で劉迺強氏が指摘しているが米国の鼠楽園 の主要客は楽園から二時間圏内の地元客や企業、団体客への大幅な割引価格設定であり、香港も地元客が見向きもせぬ娯楽施設では成功の余地なし。

十月十八日(火)快晴。早晩にFCCにてハイボール一杯。かつてはいつもドライマティーニが最近はバーテンダーに「ヰイスキーソーダ?」と聞かれ黙ってい ても氷なしのハイボール供されるは嬉しいところ。伊太利の赤葡萄酒一杯飲みパスタ食す。晩に尖沙咀の文化中心大劇院にて中国電影展2005なる映画祭の開 幕上映で『為 了勝利』観る。中国での映画制作開始百年記念する、といふ が実際には愛国映画ばかりでプロパガンダ的。この映画も今年制作された(山東電影製作廠&中央新聞記録電影製作廠の共同作品)もので党中央の党史編纂室だ かが監修の「中国人民抗日反ファッショ戦争勝利六十周年記念作品」と冠のついた抗日15年戦争の記録映画。史実は事実として記録片として製作は当然である し制作意図は反日精神でなく平和の尊さ謳ふといふのも真っ当。だが実際にはこの映画もご多分に漏れず愛党作品。この作品のなかに出てくる抗日戦争の中で祖 国のために尽力した人民、知識人、資本家など、そして1945年に日帝支配から解放された台湾……と当時は事実であるがその後、その知識人や資本家が反右 派闘争と文革でどれだけ悲惨なめに遭遇し自由を得たはずの台湾が国民党支配下でどうなったのか(日本による侵略と虐殺は事実として中共による建国後に毛沢 東政権下での政治政策に起因する闘争や飢饉などでの死者が抗日戦争での犠牲者を大きく上回る事実)、は当然語らず平和希求するが「党のプロパガンダ映画」 の印象強し。
▼小泉三世靖国参拝。昨晩香港で開催された小沢昭一、永六輔らによる「日本の芸能」なるトークショー、今晩は広州で開催の予定が「時節柄」で当局より指導 あり開催されず。IHT紙は一面トップで小泉参拝報道するが書き出しは“Prime Minister Junichiro Koizumi's visit to a nationalist war memorial here Monday...”と「靖国神社」はその名より先に“a nationalist war memorial”と称される感情的事実。根本的な問題として小泉参拝は彼自身の個人的気概などどうでもいい話で台湾の立法議員で日本で小泉靖国参拝違憲 訴訟おこすKao-Chin Su-mei女史が指摘しているように“Being the prime minister, he deliberately challenged Japan's judiciary and its constitution by visiting the war shrine. He is a bad example to the people in Japan”と首相がその国の司法と憲法に明らかに抗していることが立憲法治国家として許されぬ筈であること。首相が立憲国家の法治に従ふことは当然の責 務。それが無視されては首相も問題だが問題の重要性の理解できぬ(つまり法治が実は「ある程度」で許容されてしまふ)事実。近代国家の前提である法治蔑ろ にされるのだから日本は近代国家に非ず(陶傑氏なら土農、と嗤ふだろうが「農」といふ字は卑下されるべきでない)。
▼陶傑氏といえば陶傑氏が必ずや嗤ふであらう話が有人宇宙ロケット神舟6号(昨日の無事帰還)の二名の乗組員の英雄視、で二名のそれぞれの故郷の地方政府 と「単位」は郷里の英雄を厚遇。江蘇省昆山出身の飛行士には昆山市政府が飛行士の父母に(実質的には飛行士本人に、だが)別荘を贈呈。もう一人の飛行士は 自家用車で地味といへば地味だが、二人の故郷はすでに観光地化し参観者絶えず生家の近所には早くも宇宙ロケットの玩具など売る土産物屋まで開業。今後この 二人を宣伝に使いたい企業からはテレビや家庭用品、健康保険などの贈与多し。或る不動産屋も別荘地の不動産寄贈しようとしたが拒否された、と(で市政府か らのは頂戴した、ということ)。
▼中国の作家・巴金氏が逝去。享年百一歳。信報の弔報で「巴金」の名が(本名は李堯棠、李堯堂?)ソ連の無政府主義者ミヒャエル=バクーニン(巴庫寧)と 克魯泡徳金(誰だかわからぬが、この人の「金」)から、と知る。15、6歳の頃にこの巴金の『家」や『春』など読み当然のようにもう他界した作家だと信じ ていたがまだ健在と知り驚いたのは串田孫一と堀田善衛の時のように驚いた。で克魯泡徳金が誰かわからず築地のH君に尋ねると克魯泡徳金はピョートル=クロ ポトキン。世界三大アナキストといえば、バクーニン、クロポトキン、それにプルードン、と言われても革命関係に疎い私。クロポトキンの「一革命家の思い 出」は岩波文庫に入ってるくらいの古典。ロシア革命を批判しつづけたが亡命はせず1921年に死んだ時は国葬並みの扱いを受けたというからボルシェビキさ え一目置く存在。スペイン内戦期を描いた「蝶の舌」という映画で、理科を教える老教師の書斎でチラリとクロポトキンの著作が映り教師がアナキストで共和国 派であることを示唆するシーンあり。つまりそのくらい(一部で)メジャーな存在、とH君に教えられる。
▼で共産主義といへばもう一つ面白い話を築地のH君より聞く。「仁義なき戦い」の笠原和男が書いた幻の企画「実録・共産党」の脚本が、なぜか(笑)扶桑社 の文芸雑誌の付録についていたそうで、これを読んだH君。完全に共産党英雄物語。笠原先生の実録モノというから、てっきりリンチ事件とかハウスキーパー問 題とかを扇情的に描いてそのせいでクレームがついてオクラ入りになったのかと誤解。「かつてこんなに英雄的献身的な革命家の男女がおりました」という偉人 伝。主人公は「渡政」こと渡辺政之輔と、その妻丹野セツ。いまや「渡政」を知っている人が何人いるか(私も知らない……富柏村)。山城新伍が「実録共産党 は絶対にやりたかった」と言っていた、と。いまからでも山城にこの脚本を撮らせるプロデューサーはいないか。角川春樹先生とかどうだろうか。

十月十七日(月)朦霧。香港島の高台のかなり眺めのいい場所に終日監禁され会議。眺めいいはずがHazeの霧で視界かなり悪し。小泉三世靖国参拝、と知人 から速報入る。小泉三世の靖国神社参拝については対中関係も双方思惑もあろうし、これについては言及せぬ。小泉三世本人の「平和を祈り」も疑いもせぬ。た だ個人的には「甚だ迷惑千萬」。今週末には香港ではヴィクトリア公園にて「日本の祭」と題し日本国際観光振興機構と創立五十周年になる香港日本人倶楽部の主宰で催 事あり(こちら)と 聞く。これですら小泉靖国参拝の影響も懸念されるところ。この小泉参拝は左右の政治的云々にあらず小泉参拝で迷惑被る諸団体(外務省、中国ビジネス展開の 企業、投資家、留学生受入れる学校、旅行会社など)が連合で「甚だ迷惑千萬」を首相に抗議すべき。「首相の個人的な思い入れはわかるが」などと言っている 場合ではない。実際、迷惑。晩にニュースで画像見たが今回の参拝は昇殿せず賽銭箱にポケットから出した小銭入れ、では近所の神社じゃありまいし一国の首相 として英霊に失礼。あの貧相な姿、それに夕方の党役員会では「おれが参拝に行ったら雨があがってねぇ。ついているなぁ」と宣ったというし、やはり「この人 は変わっている」と納得するしかない。香港で日系団体に届いたファクスには小泉首相、町村外相など宛てで
日本政府應以和平主義代替軍国主義以化解日益猖狂的日本法西斯 (ファッショ)右翼!
といふメッセージが届いたといふ。主張は真っ当。ただ日本政府に対して「軍国主義に替えて平和主義を以て」と主張しても宛名が小泉首相で小泉本人は「平和 を祈って参拝」と言っているのだから。訪米中の李登輝君は“It is natural for a premier of a country to commemorate the souls of people who lost their lives for their country”と文芸春秋的に小泉参拝を否定せず。『文芸春秋』と『世界』が思想的に共存する旧制の若者らしさか。
▼WTOの総代表Pascal Lamy君来港し12月に香港で開催のWTO閣僚会議の事前宣伝でNGO代表者らと会合。WTO会議開催反対の民間団体が抗議でお出迎え。香港大学でのコ ンファレンスは香港政府のこの会議の責任者である工商及科技局長と会場の後門よりエスケープの態。代表が乗ったリムジンの屋根にまで登られ代表は車から降 りて抗議文書受け取り。それにしても99年のシアトルといい前回のメキシコといい、この会議への反対運動。なぜこの会議が、なのかわからぬ者も少なから ず。WTOの自由貿易推進が官商癒着でグローバリゼーションが貧富格差拡大もたらすだけ、といふのが反対派の主張。WTO側は貿易拡大が世界を豊かにする もので世界会議にもNGO関係者ら積極的に招き南北問題是正などに真摯に取り組む、と主張。私自身よくわからぬ。が一つだけ明らかなことはPascal氏 のあの英語で世界組織の代表務まる、といふことのみ。
▼家禽インフルエンザの欧州への拡散。ベトナムなどで死者発生でも中国が根源といふが中国政府は未だに国内での疫禍をば認めず。宇宙事業どころの話ではな し。
▼『星の王子様』の「プチ・プランス」につき出版業界の友人よりメールあり。これは旧訳(つまり岩波の『星の王子様』)の訳者・内藤濯氏の遺族から
クレームがついたためと思われる、と。「プチ・プランス」は文字どおり訳せば「小さい王子」。これを「星の王子さま」と訳したのは全く内藤氏の独創。この 邦題の素晴らしさであれだけ受入れられた、と言っても過言でない。「新訳」を名乗るなら先行訳の業績を安易に流用すな、と。これは妥当な意見。池澤夏樹訳 などは「星の王子さま」(こち ら)。村上春樹訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」も野崎先生の独創である「ライ麦畑でつかまえて」という邦題を無断拝借することへの遠慮か。 名邦題あらば直訳でいくのもカッコ悪いし、いっそ原題のカタカナでいくしかないな、と。
▼鎌倉市長選挙。今どき珍しく憲法9条が選挙の争点の一つ。さすが鎌倉。現職の自公に民主まで推薦の翼賛候補に対して宮城県の浅野知事らが推す宮城県環境 生活部次長経験の女性が立候補。これに夏目漱石の孫で鎌倉民主商工会長の男性が共産党推薦で立候補。鎌倉市は「鎌倉・九条の会」講演会への後援を「政治性 を含む」として取り消し。同会のいのうえひさし氏らが抗議。政治問題化。仙台出身のこの女性候補も漱石の孫候補も護憲派。ならばなぜ統一候補にできぬの か。この漱石の孫が無所属ならまだわかるがバリバリの党員なのだから党が一歩引いて統一候補擁立に動くべき。右派はいくらでも思想信条越えて烏合の衆とな れるのに。

十月十六日(日)晴。朦霧。坑口のMTR站に朝八時、I隊長、O氏2名、O君それにY氏と待ち合せミニバスで西貢。タクシーで北潭涌の西湾亭。ここから九 時に歩き始め西湾の海岸から大浪湾。サーフィンする若者多き大湾。ここは余は初めて。MacLehose Trailのコースに戻り第2段の終了が丁度正午。ここまで13.5km。午 後は10kmの第3段に入り標高約400mの牛耳石山や鶏公山を登り西沙路の峠に午後三時過ぎに出る。西貢まで戻りKent of Dukeでビールを飲む。中国の日系企業に対しての工 業廃棄物管理などについて面白い話聞く(これも昨日の田村さんの文章と一緒に後日詳述)。テレビでは上海でのF1の自動車レース中継あり。ミニバスで坑 口。本日、海岸歩いていて砂浜でかなり靴に砂が入り何事かと思えば昨年の今頃購入したトレイルシューズがかなり傷んでいる。一年でかなり歩いて走ったか、 とご褒美で帰宅途中にProtrekでMontrailのシューズ購入。帰宅して昨日T夫妻よりいただいた韓国産松茸。和食。NHKのドラマ「義経」と新 シルクロードで西夏の古代王朝の崩壊の話を見る。中国の潅漑や砂漠化の問題は興味深い。
▼麻生総務大臣が「こともあろうに」九州国立博物館開館記念式典の来賓祝辞で「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにない」と発言。麻生君の 事務所は「ヨーロッパなどは侵略や民族の移動で文化などが変わった。だが、日本は国家形成の中でそのような歴史がほとんどなかった、という趣旨だったと思 う。中曽根大勲位の「単一民族」や森さんの「神の国」以上に文化、文明に対する大きな誤謬が見事な麻生君。もう一度小学校6年生の社会科から学び直すべ き。文化までならまだしも文明にまで単一で言及とは。しかも朝鮮とは殊に歴史的に縁の深い福岡の太宰府に出来た国立博物館での話。こういう単一概念の幻想 に固執する以外に自己のアイデンティティ形成できぬとはまことに悲しい性。畏れおおくも天皇陛下のお言葉(こちら) に
日本と韓国との人々の間には,古くから深い交流があったことは,日 本書紀などに詳しく記されています。韓国から移住した人々や,招へいされた人々によって,様々な文化や技術が伝えられました。宮内庁楽部の楽師の中には, 当時の移住者の子孫で,代々楽師を務め,今も折々に雅楽を演奏している人があります。こうした文化や技術が,日本の人々の熱意と韓国の人々の友好的態度に よって日本にもたらされたことは,幸いなことだったと思います。日本のその後の発展に,大きく寄与したことと思っています。私自身としては,桓武天皇の生 母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。武寧王は日本との関係が深く,この時以来,日本に五経博 士が代々招へいされるようになりました。また,武寧王の子,聖明王は,日本に仏教を伝えたことで知られております。
とあるのは記憶に新しいところ。文明や文化は国という狭い範疇で形成されるものに非ず。桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫、と天皇陛下が述べておられる のに、この麻生君の失言。陛下が「麻生はどうもわかっていないようですね」と宣われれば戦前なら即、大臣更迭で議員辞職であろう。

十月十五日(土)晴。英国王立アジア協会(RAS)香港支部の歴史探訪で朝九時過ぎに中環の聖John教会。香港開闢から六年後の1847年に建立され二 年後に初めて正式なミサ執り行われた香港の由緒正しき教会。建 物はビクトリア朝のゴシック建築で今ではビルの谷間だがきちんと東を向いた教堂のステンドガラスは当時はさぞや眩しく輝いたことであろう。若い神父に続き RASの長老会員が1950年代からの教会や中環にまつわる話をされる。英国人は植民地において植物園を設け蒙古馬走らせて競馬を始め、そして英国教会を 建立し、と「当地には関係ない、些か無駄と思われもするもの」と英国人らしいウイットが可笑しい話。教 会見学このあと聖Paul教会の見学もあり興味深いのだが個人的に時間切れで途中で失礼する。Citibank Plazaの前でM君の車に拾ってもらい昼まえからピークにあるK氏邸にてガーデンパーティあり参加。午後M君の車で中環まで送ってもらい香港赤十字で献 血。三ヶ月に一度の肩凝り解消手段。FCCにてハイボール二杯。今ごろになり岩波『世界』七月号で日経の田村さんの「対中国円借款打ち切りの真相」を読む (重要な指摘あるがこれについては後日詳述)。九龍に渡り按摩。ペニンスラ ホテルのバーでドライマティーニ二杯。格式高いはずだが酒の作り方だの緊張感がない。T 夫妻とZ嬢と待ち合せ同ホテルの7階の旧館屋上で“The Peninsula Barbecue”ってたんなる肉焼き主体のビュッフェなのだが一昨年だか確かSARSで香港ホテル業界最悪の年に昼 は室内プールに面したサンデッキだが夜は用途なき空間で少し涼しくなる九月からBBQビュッフェ始めたらそれなりに好評。確かに牛ヒレも羊肉のチョップも いい肉を使っておりついつい食べ過ぎ。赤葡萄酒。値段にお酒含みますなら尚嬉しいところ。スターフェリーで中環に戻りタクシーでT夫妻送り帰宅。食べ過ぎ で脂汗かくほど。

十月十四日(金)快晴。首相官邸の幻覚キノコはやはり本当の話であつた(徳 島新報)。小泉三世ご本人このキノコ話を本日配信のメールマガジンで言及
こ ちら。幻覚キノコだと判明する前の記述だが
昨日、秋晴れのすがすがしい朝、いつものように公邸から官邸に歩い て向かう途中、公邸の前の植え込みのなかにキノコが生えているのを見つけました。カサが大きく開いたキノコや下草のかげに隠れるように生えている小さなキ ノコなど、よく見るとあちらこちらに何種類かのキノコ。食べることができるのかどうか、早速調べてみたいと思います。
と小泉三世。食べていたらどうなっていたのだろうか。常人が幻覚おこすのだから
小泉三世の場合は 真っ当になるとか。この小泉三世の凄さは何よりも毒茸と判明しても一旦公開のメールマガジンになんら訂正も削除もせず。おまけにご丁寧に公邸産違法キノコ の実 物写真(右がテングタケ、左がヒカゲシビレタケ)まで。これは小泉首相の了見なのかも。こ れが21世紀、平成の教養。われわれは小泉首相をいただき歴史の大きな壁を越えたのかも知れない……ってこれぢゃ「近代の超克」。今回初めて小泉内閣の メールマガジン読んだが、この文章、ここまで平々凡々のほんと普通の作文で、それゆへ寧ろご本人がお書きになっているか、と察す。小泉三世のクールビズと 同じで「あれなら俺と同じ」感覚がウケるのかも。難しい言い回しだの読めない漢字だの皆無、小学生でも普通に読めて書ける内容。し かも官邸でキノコを見つけて「早速調べてみたい」は理科好きの少年。本当に調べさせる、というのはある意味立派。「気味悪い」とか言って踏んづでもしたら 冷徹な権力者だが郵政民営化決議の真っ直中でキノコに関心をもつ純朴さ。さすが純ちゃん。だがキノコに詳しい余の知人はテングタケは間違えようもなくテン グタケだったがヒカゲシビレタケはテレビでの画像ではシカゲシビレダケに見えなかった、と。確かに図鑑にあるシカゲシビレダケ (写真右下)と首相官邸のを比べると明らかに違って見える。小泉首相に「これ、調べといて」といわれた官邸職員が「わ!これテ ングタケですよ。幻覚性の毒キノコじゃないですか!」「じゃあ、こっちのはこれですよ!ヒカゲシビレタケ!」とか一知半解で騒いだだけかも。だが訂正して はいけない。幻覚キノコが見つかったことこそ話題性といふもの。結果的に話題になればよいし。こうして歴史は作られる。ところで「引っこ抜いて調べさせ た」のだとしたら麻薬取締法違反(麻薬指定物の不法所持)で逮捕されるべきかも。本来なら「不審なキノコが官邸に」の段階で警察に通報すべき。内 閣官房の職員が勝手に抜いて調べたりしたら非合法であるし、それを示唆した首相も参考人として事情聴取。総選挙で自民党大勝で郵政民営化は 衆議院通過、あとは参議院決議だけ、というその参院決議の前日に郵政民営化をライフワークとする首相が幻覚キノコでラリってしまい麻薬取締法違反で逮捕さ れたり参考人で事情聴取されたりしたら前代未聞。フツーの人の家で自宅敷地内にヒカゲシビレタケが生えていたら「かなり深刻」 だが小泉三世だと、それが、どこか「朗らかな」話題、になってしまう。自民党は本当にすごい人物を総裁にして国民はそれを首相に担いでいるのかも知れな い。で郵政民営化は参院通過。万歳。これで日本は変る。晩のニュースで栃木県の山あいの人口650人の村、その村の唯一の金融機関である郵便局。その村に 住む老婆が郵便局が廃止されたら困るが「国でやることだから何も言えねぇし」とつぶやく。この老婆が二十歳くらいの頃が敗戦か。国でやることだから国民が 言う権利がある、と、それが戦後の日本であったはずだが、国民主権から六十年経てもまだこの魯迅が嘆きそうな共同体あり。
▼一昨日、文芸春秋での写真のキャプションが気になったのは勝手に物語作る点であったが今日の朝日新聞はその逆で「もう少し物語れ」と思わされる写真の キャプション。パキスタンの地震で亡くなった日本人の母が現地訪れた写真。「倒壊現場を訪れ、口元をハンカチで押える母の
○○ さん」って確かにそうだが見た写真そのままの描写。「悲しみに暮れ」とか「泣き崩れ」が感情で「口元をハンカチで押える」のは 単に行為。行為でも「悪臭がひどく」とか「嘔吐感があり」とか「笑ってはいけない場面で笑いそうになり」などの理由があるのな ら、写真には写らないその理由を書いた上でなら「口元をハンカチで押える」と続くと「あ、なるほどな」と納得。だがこの場面は誰が見ても悲しい場面。そ の写真を見て「口元をハンカチで押える母」と書く感性の乏しさ。「倒壊現場を訪れ、悲しみに泣く母の○○さん」でもいいが「倒 壊現場を訪れた母の○○さん」とだけ書くのが実は最も写真が生きる、と思う。

十月十三日(木)昨日から三晩予定もなくジムで鍛練のつもりが突き指とは。再び湾仔の梁仲偉にて治療受ける。明朝のTBSの「みのもんたの朝ズバ!」で小 泉三世が官邸内で偶然見つけたキノコがヒ カゲシビレタケテングタケとい ふ話題が午前7時くらいにオンエアという噂あり。首相のことであるからインタビューにはどうせ軽口だろうが、それも
そうか、毒キノコか。殺されてもいい!
だったりとか。ここまでながく小泉三世眺めているともはや何か「これを言ってくれ!」とバカな期待あり。寂しい。TBSといへば楽天が買収騒ぎ。TBSと いうと前身のラジオ東京テレビの『私は貝になりたい』、田英夫のベトナム報道、テレビマン・ユニオンの萩元晴彦、永六輔のラジオ、報道特集と電波メディア では他のどの民放局よりも印象に残る番組あり。そう言うと旧守派と嗤われるだけかも知れぬが何十年もかけて作り上げてきたものが数年のネット商売での成功 者にいとも簡単に買収されてしまう現実。メディアとして多角化されるのかもしれぬが、もう印象に残る報道番組や言論など期待はできまひ。秋刀魚など食して 菊正宗で晩酌。ビデオに偶然のように録画されていたNHKの釣瓶の「家族に乾杯」で宮本亜門が熊野を訪れる。熊野というと熊野本宮、そして中上健次。その 印象を崩壊させる熊野本宮の軽いノリの宮司。そして神門の傍らに大きなプラカードあり「甦る日本」と。本来の神道が司るものは日本といふ狭い範疇だったの だろうか。国家主義に陥ってしまった神社は魅力に欠ける。
▼香港の電影資料館での特集に続き福岡市総合図書館映像ホー ル・シネラでも「香港合作映画の黎明」 開催されることを「せんきち」さんのブログで知る。ご指摘の 通り宝田明トークショーで1時間は短い。彼は香港での土産話を3時間分くらいは持って福岡入りするはず。

十月十二日(水)左人さし指の突き指内出血もありかなり腫れひどく(このままではピアニストとしての将来を棒に振るかと懸念し)養和病院に参り診断を請 ふ。レントゲン撮影までされ骨には異常なく内出血も転んだおりの外圧で様子見るように言われ様子見るにも腫れと痛みひどく処方もなきゆへ湾仔の骨医梁仲偉尋ね揉解のうえ漢草の湿布の処方。高齢の梁仲偉すでに引 退し久しく
二人の授男が継ぐ。処薬のあと包帯巻く様など一見仕事粗いが見事でそのへんの看護婦にと ても真似できず。左手人さし指が包帯まかれてはキーボード打つにかなり難儀。晩のニュースで「自称政治家」Sir Donald君の初の施政方針演説の報道見ようかと思えばニュースの巻頭は中国の有人ロケット神州6号打ち上げ成功。宇宙開発が米ソ冷戦から国家威信かけ る業なのは理解するがアポロやソユーズといふ天体の名前に比べ神州ぢゃ皇紀二千六百年の日本か今日の中国か、でナショナリズム露骨すぎやせぬか。この有人 飛行、悪天候の影響で宇宙滞在を予定より数日早めて帰還らしいが宇宙の悪天候がどんなものか素人なので余はわからぬ。悪天気と交通渋滞、仮病はよく遅延だ の不慮の理由によく用いられる由。中国の科学の進歩を世界に知らせ、もよいが辺境窮地には机どころか教室もない学校にて学ぶ児童あり。晩の国家規模の中国 運動会の歌舞音曲豪勢な開会式の中継も見るにつけ人民の福利厚生こそ宇宙開発より急務と思えてならず。で本日の雪降る内蒙古は泉州の打ち上げ現場に温家寶 温家寶首相ら政府要人と並び董建華君の姿あり。確かに全人代副主席で政治要人の末席を汚すかも知れぬが期待の香港政府初代行政長官を実質的に更迭され而も 本日は後継者「自称政治家」Sir Donald君による初の施政方針演説の当日。その日に宇宙船打ち上げ見物とは(而も、そのポカンと口開けて発射眺める様が中央電視台で大写し)さすが厚 顔無恥極まれり、といたく感動。文芸春秋11月号読む。了見といふものの乏しさ。選挙前は(とくに週刊文春で、だが)かなり小泉三世に厳しかったが一転し て「郵政よりも憲法だ」と石原慎太郎に吠えさせて一気にこの自民党多数で「やることやっちまえ」の節操のなさ。ちょっとしたことだが気になったことも一 つ。最近とても気になるのが小熊英二先生に触発されたか歴史の言説のいい加減さ、なのだが例えばこの文芸春秋でも「戦後の子ども60年」といふ写真グラビ アに終戦後の浮浪児の写真ありキャプションに「放心状態の大人と違い、子どもはボロをまとっても、逞しく生きていた」とある。何気なく読めてしまうが実際 には大人でも子どもでも放心状態の者は放心状態で逞しい者は逞しい。それが勝手に「戦後のなかで」大人=放心状態、子ども=逞しい、といふ言説に置き換え られてゆく。ちょっとしたことだが歴史の印象はこうして作られる。次の写真も「昭和30年代、まだ舗装の行き届かない表通りは行き交う車も少なく、絶好の 遊び場だった」とある。1956年の栃木県での写真。事実は「商店街といふにはお粗末な住宅兼用の店の軒先。そこにちょうど小さなボンネットバスが止まっ ており子どもたちがカメラのまえに群がっている」だけなのだがキャプションは写真を見て勝手に「まだ舗装の行き届かない表通り」「行き交う車も少なく」と 物語ってしまう。本当にこの通りが栃木県のどの市街の表通りなのか、道路に行き交う車も少ない、も1956年ではかなり無理な話ではないか、と疑問。そう した「ナントカはこうだった」が勝手に常識化する。文芸春秋的な歴史観や思想こそ(今月も敗戦特集だが)そうした共同幻想に支えられたものであるのかも。 これが了見の狭さに通じる。ところで文春のお家芸の朝日新聞批判で朝日の記事偽造問題で秋山新社長の発言が詳しく紹介されているが社長本人の発言にあつた が後日の活字からは削除されたといふ部分が実に興味深き内容。読者には二種あり固定層と景品の勧誘で朝日と読売を三ヶ月毎に交換する層。後者は景品、つま りカネをかければ獲得できるから簡単だが前者はずっと朝日を読んできたが新聞への信頼がなくなるなど一旦購読を止められたらもう戻らず。その固定層の読者 の朝日離れが深刻、といふもの。その発言が「カネで読者を」など軽率だったとして活字化されなかったそうで文春もその朝日社長の不謹慎発言を揶揄。そうだ ろうか。朝日の最も根本的な問題を言い当てた発言として事実は事実で評価すべき。まさに朝日の問題は朝日らしさに共鳴して購読続けてきた読者の朝日離れ (というか絶望的な新聞離れ)であり新聞が景品つけての販拡で発行部数稼いできたことの竹篦返し。新聞が真摯な固定購読者層の乖離をきちんと認識すべきこ とで、ぶっちゃけた話は要は「景品で釣れるようなバカは販売に任せてどうでもいいのであって、どうやって教養ある朝日の読者に応えられる質の高い新聞であ るか、もう一度考え直すべき」の秋山社長コメントは大事。今後、大部数の維持など所詮無理なのであるから会社規模を小さくして本当の意味での Quality Paperに特化するしかあるまひ。まず急務は文春でも嗤われていた報道と営業兼業の地方「総局」、それに私から見ていればスクープのとれない海外支局の リストラ。海外の新聞社がどれほどの少ない人数で紙面制作しているのか見たほうがよい。もう今更無理、な日本の新聞社の巨大化なのだろうが。
▼宇宙といへば『プチ・プランス』なる書籍(グラフ社刊)。一瞬、プチ・フランス、かと思ふ。このタイトルでは何かさつぱりわからぬ。これが版権自由にな つた日本では長く岩波書店の『星の王子様』で好評の“Le Petit Prince”の新訳の一冊。確かに“Le Petit Prince”は「ル・プチ・プランス」だろうが「プチ」は我が国は小資本家(プチブル)で定着の仏語でも「プランス」は外来語として馴染みなし。マロ ン・グラッセの「グラッセ」ほど定着もしまひ。
▼重陽節に高い所に登る故事について。重陽は別名「登高」。茱萸(「シュユ」→日本語当て字の「ぐみ」とは別の、山椒の類木)入れた袋を腰に下げ高所に 登って菊酒を酌むのが「重陽=登高」の日の古例。茱萸袋・菊酒はともあれ香港にこの習俗ありと知り感服、と以上久が原の畏友T君より。東漢の時代に桓景と いふ人或る道士訪ねると農暦九月九日に村に災難あり。家族連れ高い所に登り菊酒飲み難を避けよと言われ従いて難を逃れる。それ以来の風習とか。この季節は 菊の花も見事。菊花には解熱解毒の効用あり茱萸、蓬も古くから霍亂(コレラ)治療にも用いられ菊根は除虫菊の名の通り。日本では菊花畏れ多し。
身にあまる菊の香りに包まれて
は六世歌右衛門が昭和54年文化勲章拝受の謹詠。真紀子大臣更迭の際に陛下に「嘘をついた」首相も先の総選挙自民大勝にて浮かれ気分。菊花にて解熱解毒が 必要か。
▼築地のH君にYomiuri Weekly誌のアンケート「現代日本の教養人は?」の2位に小泉純一郎さんがランクイン!と知らされる。H君曰く、色白美白芸能人に松崎しげるをランク インさせる如し、と。御意。「教養」という枠組みが崩壊したと同時に言葉の意味さえ失われたのか。1位が北野武。現代人は「教養」という語からトリックス ター的な人物像を連想するようになったのでしょう。広辞苑の定義がいつから変更されるか注目、とH君。もはや大江健三郎は「いつも真剣になにをそんなに憂 いてるの?」であろうし加藤周一は「モウロクしないおじーちゃん」で樋口陽一先生は「もっとわかりやすい日本語で話してくださーい!」か。村上陽一郎氏が あえてこの時代に教養の復権を提唱されているが小泉三世が2位の教養ラインキングに村上先生はどう答えるか。

農暦九月初九。重陽節。朝4時半に寝て8時にすつきりと目覚め朝食。さすがに転た寝するが天気も快方に向かい11時くらいに山に入り大潭を小一時間走り南 岸。重陽節は掃墓ばかりか高いところに登ると縁起がよいのだろうか。パーカー山道も湾仔市街の如き人出。山中の澤でコケて左腕強打。さいわい傷にならぬが 左手人さし指突き指。海岸で秋の青空の下、陽射しきびしくも汗も流れるほどでなし松本健一の『竹内好論』(岩波現代文庫)数章読む。夏なら炎天下にとても 読めぬ。共同体論が面白い。赤柱からバス乗り継ぎ帰宅。晩に帰国するT夫妻に誘われもう一組のT夫妻とZ嬢とで尖沙咀の天香樓に食す。初めて。いきなり「はい、何人?名前?」みたいな給仕日 本語で問答無用でジャスミン茶出され「まだこういう店があるのか」と驚く。料理は食材はいいが、かなり塩味強過ぎ。「標準杭菜」と名乗る杭州料理の名店だ が他の最近の杭菜が洗練されあつさりなのか、わたしが減塩すぎるのか。世界一この店のが美味いといわれる上海蟹も酔蟹も誰も「蟹、蟹、蟹」がおらずパス。 蟹味噌麺だけは食べて帰りたいT夫人の所望。美 味だけど値段には見合わない鴨(Quarry BayのIsland Placeの「袖山」で雲丹&蟹味噌パスタは値段は半値以下だが味噌の味加減といい秀逸なるパスタといい美味い)。筍だの豆苗だの確かに素材は何処よりも 厳選。紹興酒も余が今まで飲んだ紹興酒のなかで最も美味い。が、うま過ぎて料理に合わず。料理なしでじっくりと盃を傾けたい芳醇な甘さ。メニューには日本 語で「28年も紹興酒」とある。「28年物紹興酒」の「の」がなくなってしまったのだろうが「28年も紹興酒」だと気合い入っているし「それじゃ28年前 までは何やったねん?」と笑える。「ソースつける、これ、美味し!」の給仕の様にもようやく慣れ(最近、こういう古典的な観光ズレも珍しい)慣れるとこう いう店では広東語使う必要も店員どおしの上海訛りの北京語に合わせる必要もなく日本語で臆面もなく「お茶のコップくださ〜い」とかやつていればいいのだ、 と達観。給仕も慇懃無礼よか実はずつと愛想いいこともわかる。8卓だかのフロアは満卓でそのうち4卓は日本人。常連らしき客は2組(計4人)であと2組も 観光客と接待。上海蟹とフカヒレスープを注文しなくても給仕の愛想が悪くならないのだから。蔡瀾先生の如き常連中の上客とあとは日本人などで「普通の料理 屋じゃ満足せぬ」観光客でもっているのであろう。それで晩の実質的には18〜21時の営業でやつていけるのだから、それが店の格か。妙に納得。食事終わり 「塩からさ」で甘味欲し6名で通りがかりに初めて麻布茶房。 宇治金時かき氷を食す。甘さに深みないが若い客筋なら誰もそれに文句も言ふまひ。香港で宇治金時かき氷食せるだけでも御の字。

十月十日(月)諸事忙殺され晩十時に至る。菓子パン歩き食いの下品。バーSに 寄る。亭主M氏と催事打ち合せのつもりがバーSに催事主のF氏いらつしゃり小一時間で去るつもりが午前三時近く。F氏とダンディズムについて語る。香港の 最近の会社社長関係ではT社のH氏がもっともお洒落といふことでF氏と意見一致。H氏のカジュアルでも上等なウールのジャケットとシャツの組み合わせなど 誰も真似できず。煙草から銀座の菊水の話など話題尽きず。Smythonの手帖が香港でHarvey Nicholsで入手できることF氏に教えて差し上げると早速明日にでも、と。Smythonのことなど喜ぶのは年配ばかり。昨晩の催しのお礼述べにとい ふ理由でバーYに寄りハイボール2杯飲む。
▼或る料理屋が某掲示板で非難の的になつているといふ話を知る。発端の発言に余の某誌でのかつての記載にその店讃めそれを読んだ方が訪れて失望との由。そ れに共鳴だの揶揄だの書き込み読んだだけで非難への同調だの、と。発端の発言者は事実、不愉快に思ふ事例あつたのだろうが、匿名の無責任なる書き込みが続 くを見てまことに悲しいばかり。客に不愉快感じさせたのかも知れぬが二十年近くほとんど休みもとらずに昼、晩と懸命に働き続ける老夫婦。かたや一度か二 度、或いは一度も訪れたこともないまま「そんな店、絶対に行きません」との同調者まであり。言論の自由も匿名で末世なり。

十月九日(日)快晴。朝八時半に我を含む四人で金鐘に待ち合せタクシーで陽明山荘。香港トレイルの後半25km歩きませうとJardine's Lookout(433m)からMount Butler(417m)を登り大潭のダムを眺め下りまで約8.5kmを2時間。ここから石澳の岬の引水路に沿つたコースが「たるい」ので「走りましょう か」と7.5kmのジョギング。とはいへ近所のO君は元サッカー少年でO氏は月に200kmはジョギング、もう一人のO氏も毎年夏にはスイスから アルプス登るクライマー。さういふ人たちと一緒するのだから小生にはたまつたものぢゃないが「走りましょうか」と言つてしまつた都合上、走らないわけには いかぬ。もう十月とつい油断したが陽射し強く肌熬られる。土地湾の士多で水補給して海抜0mから281mの龍脊はShek'O Peakまで一気に登り龍脊歩く。柴湾墓地は明後日の重陽節をまえにすでに墓参者多し。Shau Kei Wanにタクシーで戻り南洋館に食そうと赴く。すでに閉業とZ嬢に言われていたことすつかり忘 却。残念。華正會に食しビールで喉を潤す。午後三時すぎジム のサウナに浴し帰宅。午睡。晩にランニングクラブの定例会でT夫妻の送別会も兼ね銅鑼湾のバーS貸し切り廿余名集まる。昨晩かなり遅く宝田明氏がこの店でご歓談 だつたそうな。

十月八日(土)快晴。気温は摂氏三十度近いが日陰に入れば風も心地よく少し肌寒いほど。初秋なり。海岸ででもぼんやりと過ごしたき日なれど薮用あり午後に 至る。湾仔でZ嬢と待ち合せ集成中心(C.C.Wu Bldg)の展廊にて明日まで開催の湾仔利東街の建築物の写真展参観。婚 礼案内や正月、聖誕節などに用いられるカードなどの印刷屋や小料理屋の並ぶ湾仔の細い通りだが戦後建てられたビルの老朽化著しく香港政府は「都市再開発」 着手。この利東街の建物取り壊される運命にあり。その破壊の前にと「民間博物館」の人々がこの通りの全貌をば写真や記録に残す作業に挑み半年かけた結果が 今回の展示。何より圧巻はこの街路の建物の平面写真なのだが利東街の幅は一車線で歩道をいれても8mほど。つまりどんな広角のレンズ用いようが8階建ての 建物を完ぺきに正面から撮影することは不可能。そこを特殊撮影と電脳の技術で一枚の平面写真に完成させる。敬服。香港政府といへば「西九龍」の埋立地につ いて文化地域建設と意気込むが所詮「箱」作る土建以外に何ら発想もなき小役人の発想で当初は大手デベロッパーのコンペで一社選び「丸投げ」の予定が一社丸 投げが恐くなり数ブロックに分割しての各デベロッパーへの小分けといふ「さすが小役人」と感心するほどの陳腐なる発想。同じビルにある木田のジェラート食す。西 湾河。香港電影資料館にて夕方、宝田明招いての座談会あ り。タクシーで急いだが時間間違え結果的に観衆多く三十分並んで正解。宝田明氏の話上手は大したものだが尤敏との逸話は昨日よりさらに真相?に迫り尤敏が すでに他界していると思ふとよくわからず。宝田氏の話のなかで映画制作にかぎらず日本人と中国人がお互いに違う文化や考え方、アイデアをそれぞれ出し合い お互いに自分にないものを相手から学び協力して作り上げてゆく……と力説される。今日の日本と中国の関係を見ていると相手への誹謗だのばかり目立ち相手へ の尊敬の念も何か学ぼうといふ謙虚さも感じられず。尤敏との映画撮影当時の写真をスライドで上映しながらエピソードなど語られるが映画での場面が映画を離 れ宝田氏が尤敏とプライベートでの出来事の如く語られたりするのも<記憶>と<物語>の面白さ。座談会には昔からのファンら多く集まり会場に入りきれぬ観 衆はロビーで場内で撮影のビデオ同時上映で参観。当時のスチール写真や映画雑誌など宝田氏に見せる熱心な方少なからず宝田氏もこれほど香港で当時の映画を 愛した皆さんが集まってくれて、と感無量。驚いたのは宝田氏本人が『最長的一夜』の完成版をこれまで見ていなかつたといふこと。ラッシュか何かでしかご覧 になつておらず、その話を知つた今回の映画特集の主催者が『最長的一夜』の映画をビデオに録画し宝田氏に贈呈。最高のお土産ができた、と宝田氏。座談会終わりZ嬢と西湾河の二記に食す。蝦蛄と元貝(帆立貝?)の二皿。かなり雑多そうに見える海 鮮料理屋だが美味い上に従業員の親しみと丁寧な接客は実にありがたいもので昨晩の見た目だけの坦々麺屋とは大違い。電影資料館に戻り宝田明&尤敏の最後の 共演作となつた『ホノルル・東京・香港』 見る。この映画での宝田明は銀座の真珠扱ふ宝石商(御木本がイメージらしい)の御曹司。前二作と同じく、今度は紐育、ハワイ、東京、香港、東京と飛び回り 相変わらず仕事せず(笑)。『香港の夜』では二人とも初々しく、宝田明は最後は戦場に死す報道記者、『香港の星』では商社マンで尤敏は女医。東南アジアで 貧困と対峙する医者と商社マンといふ立場の違いで社会性もあつたが、この『ホノルル』となるともはや半ば喜劇。加山雄三がハワイに遊学する次男坊。喜劇ら しく三木のり平や祖母役の名前失念の女優の好演。この上映でも宝田氏は上映に先立ち挨拶。ファンサービスもここまで徹底。この上映で唯霊氏に邂逅。ご挨 拶。晩もかなり過ごし易くなり風が心地よし。
▼米国でブッシュ二世とチェイニー副総統、ライス国務長官の写真に“Meet the Fuckers”なる言葉刷られたTシャツ着た女性が他の乗客から苦情受け飛行機から強制退去させられる。羅府より南西航空機でオレゴン州に向かつた女性 で、この言葉は映画“Meet the Fockers”のパロディであるが不愉快であるとされ経由地のネバダ州リノの空港で乗員から「Tシャツを裏返しに着るか飛行機から降りるか」迫られた結 果。テロの恐怖より恐いこの米国ファシズム社会。だが不愉快、と思われたのは言葉の汚さでも政治的言語への拒否でもなく、たんにブッシュらが罵られること がブッシュ支持した、或いは支持してしまつた自分たちが「くそったれ」と罵られていると感じるから、といふ実に低レベルの感情であることはほぼ間違いな い。ところでこの記事、朝日新聞にもあつたが映画が「ミート・ザ・フォッカーズ」(放題はミート・ザ・ペアレンツ2)でTシャツには「ミート・ザ・ファッ カーズ」(くそったれに会う)と書かれていた、とカタカナばかりでは英語以上に何のことかわからぬ読者のほうが多いのではなかろうか。カタカナ書きは日本 語として定着した単名詞にとどめるべき。

十月七日(金)諸事に忙殺され7時15分の西湾河映画資料館での映画上映開始20分前に銅鑼湾で用事済ませ地下鉄では間に合わずタクシーも金曜晩でさすが に乗り場には列。覚悟して、かなり賭けに近いがヴィクトリア公園のCauseway Roadの高架線下でまずタクシーは来ぬが来れば乗車していけない場所にはあらぬ一角で5分ほどタクシー待つと銅鑼湾方面から偶然のように一台のタクシー 流れて参り、それに乗つてしまへば東区走廊を時速100kmで爆走し5分で西湾河。Z嬢も滑り込み。『香港の夜』の上映に先立ち主演・宝田明氏来 港でご挨拶あり(これがあるはずなので上映時間に遅れられず)。日本語に自然に出てくる英語と北京語混ぜ捏ぜで淀みなく当時の思い出話など語る。ここにヒロインの尤敏がいれば往年のカップルで華やかになるが尤敏はすでに他界してしまつたのが寂しいところ。宝 田明氏の話では『香港の夜』『香港の星』と『香港・東京・ハワイ』に続き4本目の尤敏との共演映画は脚本もポスターも出来てあとは撮影、というところまで 進んでいたのだが……と「まぼろしの四本目」の逸話を語る。当時、尤敏が打ち合せなどのために来日。帝国ホテルに宿泊の尤敏は「まだ誰にも話していないの だけど」と、打ち明けた話は、尤敏には縁談が持ち上がっており相手は澳門でカ ジノ経営する高氏の御曹司(高氏は澳門でStanley Hoによるカジノ事業独占がある前の澳門賭博四大家族だかの一つ、のはず)。どうしようかしら、と尤敏。あとで思えば宝田明に自分との結婚の意思があるの か?の問い掛けだったのかも、と。だが当時の宝田明はこの年も年に十本の映画に主演する売れっ子で結婚考える余裕もなく寧ろ尤敏のこの縁談がいかにいい話 か、と結婚を勧めてしまった、と。で尤敏はこの高氏の御曹司との結婚となり映画界から退いてしまい宝田明との4作目は実現せず。今になってお思えば……と 宝田明はくやしがつてみせ「これは極秘の逸話」といふが更にいろいろ話はありさう。尤敏は父が粤劇の名優・白玉堂で邵邨人(Show Brothersの経営者でRan Ran Show(邵逸夫)の兄)の目に叶いShow Brothers入り。その後、映画会社を国泰(Cathay、航空会社とは関係ない)に移し人気女優に。宝田明との作品は1961年のこの『香港の 夜』、そのヒットうけて63年の『香港の星』に続き63年が『香港・東京・ハワイ』を最後にフィルモグラフィーと宝田明の話を合わせると確かに翌64年に 結婚し芸能界引退。96年に61歳で逝去。戦後の歌って踊れる女優・葛蘭と夫同士が兄弟。で『香港の夜』だがすでに観ている『香港の星』では宝田明は商社 マンなのだが『香港の夜』は通信社の記者。で共通点として海外勤務なのだがいずれも「ほとんど働かずオンナにうつつを抜かしている」こと。美男が一流の背 広に身をつつみオンナを追いかけ東京と香港、澳門を往来。香港映画なのだが客観的に観ると香港を舞台に日本人と上海人が勝手に恋愛している、としか映らぬ かも。欧州から南回りの航路で香港に立ち寄つた宝田明を通信社の香港特派員(藤木悠)が迎え啓徳空港から尖沙咀まで車で走り尖沙咀から中環までフェリーで 車のまま渡る。スターフェリーの波止場横にフェリーあり。藤木悠が香港は「今の推定人口が300万」(難民多く確定人口不明)で「あれが香港だ」と九龍か ら香港を指すのが印象的。香港は今では新界まで含めた総称だが当時は今より香港と九龍といふ地域感がかなり強かつたかも知れぬ。45年近く前の香港の市街 の映像なのだが当時の香港映画で市街地の風景ロケはかなり少ないのでこの映画は貴重。尖沙咀の現在のシェラトンホテルのところにあつたアンバサダーホテル や大埔道の丘陵に位置したカールトンホテル(その後、Giordanoで起業し蘋果日報の社主となつたジミー黎智英氏の屋敷近く)、そしてリパルスベイホ テルなどの実写。スタジオでの撮影もエキストラ多く使い渾沌とした市街地など大掛かり、澳門の実写も実に貴重。宝田明演じる記者には東京に懇意にする富豪 の娘(画家・司葉子)がおり、この画家の求愛。尤敏は母が日本人で戦争で生き別れの役で尤敏の母を探す宝田明記者。それに協力してしまふ富豪娘の画家。い ろいろあつて最後、宝田記者と尤敏は結ばれることが決るのだが……といふお話。この港日合作で宝田明にとつては一作目なのだが興味深いのは宝田明が達者な 英語の他すでにかなり北京語を習得していること。そして香港で夜総会のホステス役で出る草笛光子は日本語を解す上海娘役で実に見事に中国語で感情こもつた 熱演。映画終わり晩飯がまだでZ嬢と「食文化不毛地帯」太古城へ。十日程前に紛失のOctopus Cardの再発行受領を太古城のMTR站にしてしまつたため。Z嬢が、敢えて名前は挙げぬが「
太古城で、行列のできる、あの坦々麺と小籠包で有名な店」が香港での開業から二年 以上たつのにまだ食したことない、そうでさすがに午後も十時近ければ行列もなし。Z嬢が「一度来たらもう二度と来ません、ね」と。御意。もともとシンガ ポールの店で(それだけであまり美味そうぢゃないが)香港の味覚音痴にウケて今では上海や北京に支店網広げる勢い。翡翠といふから美心集団(Maxim Group)系かと思ふがそうぢゃない(どうでもいいが)。だいたいにおいて冷凍庫の如く冷房のきつい店に美味いものなし。料理が供されても急激に冷める のだ。許されまじ。麦酒のつまみに頼んだ前菜の涼拌青瓜からして化学調味料かなり。評判の坦々麺もさすがに「進化」したようで、いわゆる上海系のピーナッ ツ臭い不味い平凡な坦々麺ではダメだと思つたのか店オリジナルの坦々麺に創意工夫。だが最初から辛味に加え大量の酢を用いており閉口。午後10時半閉店 で、閉店時間近づくと店員がそわそわとまだ供されておらぬ注文を各テーブル毎に確認して厨房にそれを急がせ、まだ客が食しているといふのに「ごゆっくり」 といいつつ食事中の客に会計を先に済ませ掃除始め……と唖然。まつたくひどい店だが相変わらず飽きられぬまま客足も途絶えず「客が店を作る」といふがまさ に味覚とサービスに鈍感な客がこの店を支えているのかも。
▼引退が伝えられる香港の「法の番人」どころか「体制の番人」梁愛詩司法長官の後任問題で中央政府の香港出先機関・中聯辧副主任・李剛君が司法長官は「法 律を熟知し国家と香港を熱愛し香港人が香港を統治し一国二制度を貫徹しなければならない」と強調。中共の云ふ愛国は愛党政府。司法長官の後任と噂される弱 冠41歳の黄仁龍君は自称政治家Sir Donaldのご推薦で各界からウケもいいが03年の民主化要求71デモに参加の過去が極左派土共に不評とか。
▼朝日新聞の論壇で寺島実郎氏が「脱9・11への転換」書いている。米国のイラク統治の実態が明らかになるなかで日本が国連理事国になれなかつた事実は総 選挙の熱狂のなかで静かに忘れ去られようとしているがアジアで日本の常任理事国入り支持したのがブータンとモルディブだけといふ事実を受け止めるべき、と 寺島氏。911以降の米国のパラダイムに過剰反応し追米する日本の姿勢にアジア諸国が日本を21世紀のアジアのリーダーに認めなかつたこと。戦後の軽武装 経済国家としての非核平和主義とアジアの経済開発と安定に協力した日本の路線を矜恃をもち再確認すべき。だが寺島氏がその日本にもう一度、技術尊びモノ作 る産業力、それと北東アジアの2兆円の資金をばアジアに還流させ共同利益化図るプロジェクト推進挙げるのだが、現実には高度なモノ作りの技術も若者の労働 からの回避と非産業化(ニート?)で風前の灯、アジアの豊かな資金とて郵政民営化を見ればその資金をば米国市場に放出する売国奴政府では今さらもう将来は ない。寺島氏の理想も叶わぬ現実。
▼左丁山氏が蘋果日報の随筆で書いていたがスプリンターズSでのSilent Witness馬の中山競馬場での勝利に際してサイマルキャスト中継された香港の沙田競馬場は、この日が国慶盃もある国威発揚競馬日で当日馬場で中国国旗 の小旗配られたが午後4時半の国慶盃ではダービー馬・爪皇凌雨が雨を招いたのか雷鳴轟き驟雨あり。そのとき競馬場には「国旗を侮辱することは違法行為で す。皆さんご注意を!」と放送が流れた、といふ。何事かと左丁山氏思って観衆席見渡せば俄かの雨に人々が小旗で雨を凌ぎ、濡れて汚れた国旗が地面に捨てら れて、のこと。それほど神経質になるのなら出口に「国旗回収箱」でも設ければよし。持ち帰られた国旗がどうなるのかも誰もわからず、と左氏。さらに左氏が 憤慨するのは、そこまで国家国旗に神経使つてみせておいて、逆に中山競馬場からの中継が沙田競馬場に映つても沙田は沙田で次レースの実況の関係で Silent Witness馬の表彰式中継せず中国国旗掲揚国家吹奏も次レースのあとに録画で流す始末。日本ではSW馬が日本の競馬ファンに声援で迎えられているのに 香港はその現場中継すら軽視。だがSW馬が外国馬で馬主と調教師が葡萄牙系澳門人で騎手もガイジンでは北京中央の指導者も余り関心なしか、と。

十月六日(木)晴。まだ昼の気温は30度でかなり暑いが朝晩は市街歩いていても汗が流れるほどでなし。これでも一応は初秋か、と早晩に旺角でふらふらして おれば母から電話あり秋に日本に帰るのか?、直島のベネッセハウスよ り電話あり予約の再確認、と。昨年訪れた直島で(宿泊せず)今年も香港大学博物館の畏友A君主宰の秋の関西旅行あり誘われたが日程調整できず断念。A君の 依頼でベネッセハウスの宿泊予約をば半年も前にしたが途中から旅行の段取りは大阪の学術旅行など専門に扱ふ旅行代理店に任せてある筈で「なぜまだ連絡先に 私の名が?」と頭を一瞬過つたのは「ダブルブッキング?」である。予約難のベネッセハウスで而も今回は香港の誰もが知る名家一族のH氏夫妻がこの旅に加わ りベネッセハウスでも一番上等のsuite予約してあり宿泊は確か来週末だかの筈で一瞬「ゾッ……」とする。問い合わせるとやはり当初の予約の他に数日後 に代理店から予約あり。A君つかまらず大阪の代理店に電話。A君から先の予約取り消す要ありと聞いておりホテル側のミスとわかり安堵。ベネッセハウスは美 しい。だが昨年11月に宿泊室まで見る機会に与り感じたことは空疎感。洗練された建築で部屋の壁にまで有名作家たちの作品。余計なものも一切ない美は美し い。が何処か寂しさが漂ふ。旺角のお気に入りは西洋菜街の中南図書文具店。間口は二軒ほどの文房具屋であるがG階は普通の文房具店だが上二層かなり広く銀 座伊東屋と比べようとは思わぬが香港で珍しく大抵の文具入手可。ネオン看板怪しげな裏町歩き油麻地の美都餐室に食す。
久 々に休肝日とする。晩にCinematiqueに香港亜州電影節でイラン映画“Beautiful City”(Asghar Farhadi監督、04年)観る。16歳で女の子を殺害した少年が主人公。未成年のため感化院に入れられるが自殺企てたのも18歳になれば死刑執行され るため。それを待つ日々。そこに朗報あり友人らの努力で仮釈放。ただし助命されるには被害者遺族の控訴撤回が要る。赦しを請う少年と親友の姉が好演。日本 から見るとイランとイラクの区別もつかぬのだがイランはどこか中近東でも近きもの感じる風土なり。この映画館に併設のマイナー映画についてはかなり充実の DVD店で蔡明亮監督の『不散』を捜すと当然あつて而も李康生の『不見』と二枚一組なのは嬉しい。『不散』は04年の香港映画祭で観ているのだが不覚にも 半分は寝てしまひ見直し。ついでに『河流』とブルース=リーの死亡遊技なども香港の風景見直しのため購入。帰宅。芸術新潮に連載の橋本治「ひらがな日本美 術史」で棟方志功を読む。棟方志功が小学生の治ちゃんにとつて「まるで近くにいる知りあいの<あの人>のような」認識であつたといふ見方が非常に興味深 い。確かにどこか親近感あり、の棟方志功。私の場合なぜか小学生低学年の頃に「上野駅のコンコースの改札口上の巨大な壁画は棟方志功」と思い込んでいた節 あり。父に連れられていたのだから7、8歳。棟方志功があの独特な女性の豊満な裸体であり上野駅の猪熊弦一郎の『自由』(こちら) は到底違うものなのだが恐らく上野駅の『自由』と棟方志功の版画に強烈なるインパクト受けたのが同じ時期であつたのだろう。記憶のなかで勝手にそれが合体 してしまつている。だから今でも「棟方志功」といふ名前を聞くと最初の印象は上野駅の大壁画となつてしまふから不思議。

十月五日(水)少し深酒で午前二時半に寝ても五時半には目覚める老人性早起き。午後、外出の帰りに北角までフェリーで戻る。波に揺られ微睡み。読売新聞の 号外メールで届く。号外といふとやはり「何か不測の事態でも起きたのか」と驚き「何事にも動じまい」と念じてメールを開けて見るわけだが、それで内容がこれ。いい加減にしてほしい。いつま で読売巨人軍が国民的人気だとでも勘違いしているのか。世の中はもうすつかり変つているのに。早 晩、銅鑼湾で買い物。無印良品の品物を見ているとどこかホッとするのは大学生になり独り暮らし始めた頃に無印登場し自分にとつて生活用品購入の原体験的な ところに無印があるためだらうか。眼鏡店で近眼鏡受領。コンタクトレンズの度数下げ近くの小さな字が見えるのは有難いが今度は映画であるとか遠くのモニタ など凝視する時には困り、そのためにコンタクトした上での映画用。Parklane HotelのバーGeorge & Co.でドライマティーニ二杯飲む。新聞な ど読むには照明の明るい酒場はありがたい。晩にバンコクのY氏来港でいつものパターンでO君と三人で食事。鼎談。数年ぶりで銅鑼湾の居酒屋・一番。もはや老舗。小綺麗で洒落た日本料理屋が増える中で此処 は此処で普通の居酒屋然とした落ち着き。オニオンスライスが敢えて酢だけで供され「かつ煮」のカツのからりとした揚げ具合に下手な専門店よかよつぽど此処 のほうがマシとあらためて驚く。従業員も十数年前からほとんど変わりなし。東南アジアの田舎に別荘が欲しい。バーYに移り福岡のH君が先日入れてくれた ニッカのウイスキー飲む。深夜零時に帰宅。
▼ひとつ訂正。民主党菅直人君の愛読書ハクスレーの「すばらしい新世界」について。この本を菅君に紹介したのが……といぜん書いたが我の誤解で菅先生はい ぜんから愛読書として「すばらしい」を挙げており我の知人が勧めたのは同じハクスレーの『島』であつた。ハクスレーにとつてペヨーテ体験により「すばらし い」の思想が否定され『島』こそ核心、と紹介したのが事実。

十月四日(火)快晴。陰暦で九月になり昨日の見事な晴れ空。今朝は日の出から空気がとても澄み遠くの山々までくつきりと眺められる。た め息つくほどで見蕩れる。諸事に忙殺される。晩にZ嬢と時間も忙わしく「二年前に一度行ってかなり満足したが家の近くなのにそれから一度も訪れる機会ない まま」の日系ラーメン屋に食す。店をまかされる店主がいぜんのファンキー野郎から変つており味はかなり落ちていた。残念。Z嬢と別れ独り冷房の強さに車窓 も凍る海底隧道バスで油麻地。Cinematiqueで夜な夜な開催されている香港亜州電影節(HK Asia Film Festival)でパキスタンのSharmeen Obaid監督のドキュメンタリー“Re-inventing the Taliban?”(03年)を観る。イスラム原理主義政権下の故郷パキスタンの訪問記。イスラム色が弱いといふ理由で歌舞音曲規制され る原理主義社会を描写。だが「ごめんなさい」でかなり微睡んでしまふ。この作品に20分物のドキュメンタリーが併映とあり余り期待もしないでいたが、イラ ンのペルシア湾に浮かぶ、青い海に白い大地の映像に思わず引き込まれる。この小さな島の太陽熱の小さな発電所?に暮らす孤独な老人をただ沈黙の中で映し出 す。岸壁に打ち寄せる波の音と、白い波しぶきだけ。何も説明もなくこの老人の一日を20分に収める。イランのドキュメンタリー映画監督Kamran Shirdelの“SOLITUDE OPUS 1”(孤寂1)といふ作品。こ の監督はイタリアで映像学びテヘランに戻るが社会派の作風はパーレビ国王統治下で制作制限されホメイニ革 命で多少自由になるが30年に渡り自由拘束され30年ぶりの作品がこれ。ただただ圧倒され言葉もなし。午後11時すぎのこの映画館のあたりは大型トラック が道路に並び果物の段ボールをいくつも路上に卸す。九龍水果批發市場、といふと聞こえが良いが「その筋」もかなり絡む場所。かなりアル中の方々など路上で 見受けながらMTRの油麻地駅。銅鑼湾。かなり久々にバーS。この時間に珍しいことだが飲みに寄つたといふより今月下旬のイヴェントについてバー主M氏と まるで商店街のオヤジの打ち合せの如し。さつと飲んで帰るつもりが畏友B氏と邂逅。他の客もなく話上手聞き上手のB氏でついついハイボール2杯にドライマ ティーニ1杯。 これで帰ろうと思ったらB氏に「時計が34分ときりが悪いから45分まで待ったらよろし」とジャックダニエルを一杯ご馳走になり結果午前2時。帰宅して シャワー浴び2時半。眠気もなく、あと2時間余で最近のお目覚め時間、と思うとぞつとする。
▼香港外国人記者倶楽部が中国での記者逮捕につきYahoo!香港に対して利用者情報を中国政府に提供したことに公開抗議文提出される。
FCC to Yahoo: No Excuse For Being an Accomplice
"The Foreign Correspondents' Club, Hong Kong, has sent the following protest letter to Yahoo over its decision to give mainland authorities journalist Shi Tao's personal email information, leading to his arrest, charging and imprisonment."
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4 October 2005
(宛名など略)
The Foreign Correspondents’ Club, Hong Kong, is deeply distressed by Yahoo’s compliance with requests from unknown mainland authorities to hand over information regarding the personal emails of our professional colleague, journalist Shi Tao, and we wish to express our displeasure in the strongest terms.
We note with dissatisfaction Yahoo’s attempted explanation, offered through your good offices, that it “must comply with the laws, regulations and customs” of the nation where it does business. This attempt to seek cover beneath compliance with the rule of law is as unworthy as it is unpersuasive, and in no way addresses the questions of professional ethics and corporate conscience that should arise whenever a request for the provision of personal information is made. Yahoo’s effort at self-justification actually worsens matters; not only is no particular law nor regulation cited, but the suggestion that something as indefinable as “customs” is a legitimate basis for becoming a willing accomplice to authoritarian action makes a mockery of Yahoo’s already feeble effort to appear law-abiding. 
Handing over information regarding personal data to a government is not an act that Yahoo, or any responsible Internet Service Provider (ISP), should ever engage in without such material having being sought with a proper judicial warrant issued in the jurisdiction where you are legally domiciled. It is certainly not what Yahoo would do in the United States. Moreover, your firm is registered in Hong Kong, a common law jurisdiction where laws, such as the Personal (Data) Privacy Ordinance, clearly spell out the protections to privacy. If it is Yahoo’s desire to abide by local laws, the FCC suggests that it begin by complying with the laws in force where it is licensed to do business.
If it is Yahoo’s position, however, that the laws, regulations and customs of the Hong Kong Special Administrative Region are inferior to those of mainland China, then it should state so clearly. That way, people will understand what Yahoo’s view is on One Country-Two Systems relationship, and can select an ISP accordingly. We should add here that a number of our members, representing media organizations from around the world, are already discussing among themselves whether a boycott of Yahoo ought to be organized. Some have already given up their personal Yahoo addresses.
Indeed, if there are political pressures – beyond corporate competition and cupidity – that have driven Yahoo into an action that appears to be a surrender of conscience, then Yahoo – as well as any other ISP’s faced with the same threat – should step forward and make that fact known.
Accordingly, the FCC sincerely extends to executives of Yahoo an invitation to explain any difficulties directly to our members. We would be happy to schedule a speaking engagement. If you are willing to take up this offer, and we hope that you are, please let us know as soon as possible so that appropriate arrangements can be made.
(差出人、略)
FCC Press Freedom Committee
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同じくYahoo!創設者のJerry Yang君に対してもレター出される。

農暦九月朔日。或るインターナショナルスクールの学校長の話聞く機会あり。英国系に続き米国、カナダ、豪州、独仏など各国のカリキュラム混在の香港にあつ て、この学校は敢えて基本的には北米準拠ながらいずれの国のカリキュラムと特定せず。校長曰く欧州が中等後期(日本でいふ高校)レベルの統一システムとし てIB(Int'l Baccalauréat) 採用し世界的に標準となつているようになりIBは今ではPYP(Primary Years Program)にまで定着。また米国やカナダ、豪州はいずれも州毎に所謂、教育指導要領にあたるsyllabusがあり。つまり国家レベルで統一の指導 要領強制するのは日本、韓国、台湾、中国などなどアジアだけ、といふこと。英国も緩いがイングランド、スコットランドなどの「国家」毎とも言えるがEU統 合での通貨や関税など諸般の問題と同じく欧州の大陸側の勢いに席捲される、殊に教育については英国式のO-Level、A-Levelの統一試験がかつて は英国植民地で広く採用され普及してきたが風前の灯火。で、かういふことを紹介すると「こんなことで自国の歴史や文化、伝統をどう教えるのか?」と自民党 的にオトーサンたちは心配するのだが民族芸能一つとつても興味があれば日本舞踊でもケチャでもいいわけでいろいろ見て好きなものをやりなさい、の観念で、 歴史なら国家といふ範疇で区切らず小学生であれば「稲作」「茶」といつたものを通じて自然風土、貿易、歴史や侵略、ボストン茶会事件まで学べるわけで、そ れの魅力をこの校長に多く語られる。日本はさういつた世界の流れに逆らい教育も国家に準拠すること了見の狭さ。将来なし。晩に尖沙咀歩けば大陸からの観光 客ごったがえす。Louis Vuittonの前には黒服の集団あり何かと思えば店員研修。こ の人たちがどれだけの知識もちLV販売するのか?と懸念されるが店員も店員なら客も客で問答無用かも。LVとて夜中に各店舗の近くに貨物トラックが止り1 個数万ドルのバックとてビニール袋に簡易包装されたものが地面に放り投げられ、それが店内のフロアに投げられるのを見れば商品価値といふものがいかに虚構 かマルクス的に痛感されやうといふもの。ところで大陸からの観光客といへば香港鼠楽園出来て彼らの香港での観光消費により経済効果力説されたわけだが実際 には鼠楽園出来ても香港での滞在日数変らず、つまり一日は確実に鼠楽園観光が占めることで相対的に市街での買い物などに費やされる時間減り消費増加せぬ、 といふ味方が信報に紹介されていた。さもありなむの話。

十月二日(日)Hazilyなる晴れ。バリ島のテロ。テロも恐いがテロの恐怖があらゆるマスコミから延々と流れ、それを延々と聴かされることがもつと恐 い。東京は中山競馬場でのスプリンターズS参戦のSilent Witness快勝。Oriental Expressの98年の安田記念での確か11番人気での2着で驚きが始まり2000年のFairly King Prawnの堂々の安田記念勝利、で今回のSW馬はスプリントで世界ランキング1位であるから当然だろうが日本でついに一番人気で、の快勝。まるで明るい 話題なき香港競馬で久々の好事。九龍に用事あり九龍城の波止場までバスで戻りフェリーで北角。バスで西湾河。夕立。香港電影資料館で宝田明主演の映画『最長的一夜』観る。1965年。香港で一連 の宝田明作品制作の「電懋」の出品。監督と脚本は易文。共演の女優はいつもの尤敏でなく樂蒂。抗日戦争期の中国、戦地で死屍累々の日本軍のなかに一人生き 残った兵士あり。腕章と携えたカメラからこれが兵隊ではなく従軍記者・田中(宝田明)であるとわかる。腕を受傷し或る農村に辿着くがここは国民党が支配す る地域の真っ直中。日本軍営に戻ろうとする田中を泥酔漢・趙(吳家驤)が見つけるが逃げようとする田中を、瓜二つの息子だと勘違い。息子は国民党兵として 戦役についており数年便りもなく生死すら不明。それが戻ってきた、と大喜び。唖然とする田中。田中は中国語で自分は息子ではない、と懸命に説明するが泥酔 の「父」は一向に理解せず自宅に連れ帰る。自宅には失明した妻(王萊)。妻は田中に触れ息子が帰つてきたと信じる。そして息子の嫁・阿翠(樂蒂)。阿翠は 田中の軍服姿でもその軍靴を見て日本軍とわかり動転。家族四人での不自然な晩餐。田中は中国で生まれ育ったため中国語が出来る(宝田明が見事な中国語会話 を見せる)。父は近所に息子が帰ってきたと告げに出てゆく。阿翠は田中に夜のうちに出ていけ、と言うが田中は真っ暗で国民党兵が夜回りする夜の間だけはど うにかここに匿ってくれと請い阿翠もしぶしぶ夫の普段着を貸してやる。寝入る田中。その姿から夫との日々を思いだし歌をうたう阿翠。田中も起きて歌い出 す。ところが田中が感極まり日本語を口にする、とそこに偶然帰ってきた父。息子が別人でしかも日本兵だと知り動転して卒倒。高血圧で医者か薬を、と息子 (田中)に求める母。阿 翠はそれを理由に田中に村から出ていくよう命じる。田中は夜回りの村人に不審がられながらも日本軍の軍営(田中が所属する部隊とは別)に戻る。腕の傷の手 当てを受け高血圧だと嘘をついて薬をもらう。負傷兵の間で寝たふりをしていた田中は真っ暗ななか高血圧の薬を盗み軍営から抜け出し国民党兵に遭遇しつつも 命かながら趙家へと戻る。趙に薬を飲ませ命をとりとめる。そして長い夜が明けた朝。田中は今度こそこの村を去り自分の部隊に戻ろう、とするのだが、その 時、村人たちが阿翠の家を訪れてきた。どうもあやしい、息子は本当に帰ってきたのか、趙は酔っていてどうも話が頓珍漢、それに卒倒したという話もあれば夜 中に不審な男が歩いていた、と趙家に偵察に来たのだ。田中は隠れるが対応に出た阿翠もどう取りなしていいかとシドロモドロ。そこで意識の戻った趙。「日本 兵が隠れてる!」と言おうとしたが自分を助けてくれたのが田中で阿翠も「どうにか言わないでくれ」と懇願の表情に趙は「息子は夕べ帰ってきたが隠密裏の帰 省で夜中の暗いうちにもう部隊へと戻っていった」と告げる。村人たちは「なんだ、まったく」と趙家をあとにする。落胆する妻に趙は「おまえに別れを告げる とおまえが悲しむから黙って出ていった」と言い阿翠に早く田中を逃げさせろ、と合図。阿翠は田中の厚情にどこか好感をもつ。別れを惜しむ二人。田中は戦争 が終わったら絶対にこの家にまた戻ってくる、と誓い趙家をあとに部隊に戻ってゆく……終。現実離れの美談、かも知れぬが興味深いことはこれが1965年、 終戦から20年の時に作られている事実。先日の断鴻零雁記(55年)の日本趣味といい我々が最も不思議に思うのはなぜ当時、戦争の記憶もまざまざとしてい た時期にこのような作品が映画になつたのか?である。歴史的な侵略の事実は事実としてやはり歴史観であるとか戦争責任、反日感情といつたものが「作られて きている」こと。とくに国家が安定すると対外的な反感感情が必要になるのかも。日本でいえばポスト高度経済成長、中国でいえば文革終了後の経済成長期。と ころでこの65年の農村と山あいでの撮影。当時まさか中国本土で撮影できるはずもなく台湾なのか、香港なのか。香港でも当時なら新界の錦田あたりで豊かな 田園風景と、大帽山あたりでの撮影だつたのかも。帰宅して大河ドラマ「義経」観る。衆議院選挙の日からずっと回想シーンばかり続く。食傷気味。脚本が足り ぬのだろうか。

十月朔日(土)晴。国慶節。この大型連休に中国国内で3.7億人が旅行、香港と中国のborder出入境者数は730万人で繁忙日は日に30万人出入と か。朝四時半に目覚め五時には起床。まだ子どもの頃に小沢征爾君のドキュメンタリーで小沢君が朝の4時半頃には起きてスコア読みながら勉強する姿の映像あ り。よくも朝早く起きれる、と驚いたが小沢君曰く朝の静寂のなかがいちばんスコアが読める、と。同じ世代となり朝の暗いうちから新聞など読み実によく頭も 動く。午前八時に湾仔で国慶節の国旗掲揚儀礼あつたはず。見ておらず。香港中文大学で“Globalization, Localization, and Japanese Studies in the Asia- Pacific region” なる国際シンポジウムありM教授に先日ご紹介いただき中文大学まで出向き(KCR鉄道は中国本土に連休で帰省の者多し)午後まで映画などを研究対象にした 比較文化の発表を4本ほど聴く。どれも今ひとつ。トウシロウの感想発表ぢゃないのだから具体的にそこから何が見えたのかに踏み込み期待したいところ。午 後遅く急いで帰宅。早晩に天后で待ち合せランニングクラブの我も含め11名でZ嬢主催でBraemar Hillの小高い三角点から(先日、台風一過で昼に絶景楽しんだ場所)花火見物。天后のタイ料理屋で慌ただしく晩飯済ませミニバスでBraemar Hillに向かい三角点までのぼるが午後九時の花火開始の一時間前に着いたらすでにかなり本格的な撮影準備した方々かなりの数、おそらく三脚たてた撮影者 だけで三つの岩上に八人ほど。と、それの同行者。いずれにせよ昨日からかなりhazyな朦霧がずつと立ちこめるなか煙多き花火を眺める。国慶節で縁起かつ ぎ8の字の花火や中国国旗に因むのか星の意匠の花火もあり。8の字が出来るのなら64とは言わぬが77(盧溝橋)や918(柳条湖)などもできるのかし ら。Fortress Hillに下るミニバスに乗つたのがT夫妻とZ嬢と我の四人のみで(他は皆、銅鑼湾)小腹減り「それぢゃ寿司加藤」ともう店仕舞ひの時間も近いので「せめてバッテラだけ」と寄 る。ちょうどお帰りの唯霊(ウィリアム=マーク)先生に邂逅。ご挨拶。バッテラと穴子の押し寿司のみ食しさつと飲んで帰宅。

▼小泉靖国裁判。一昨日の東京高裁での私的行為に続き昨日は大阪高裁が痛快な違憲判決。さすが大阪や、阪神や。なんかぐじぐじぐじぐじ腐ったこと言っとら んで「国内外の強い批判にもかかわらず参拝を継続しており、国が靖国神社を特別に支援している印象を与え特定宗教を助長」し、これが憲法の禁じる宗教行為 にあたる、と。靖国神社ぢたい伝統的な神道からは隔絶された国が作つた国策宗教施設。先の大戦で敗れても明治から綿々と続く日本といふ国家の國軆として精 神的には国が今でも靖国を支援しているのが事実。だがそれが違憲。小癪なるは司法の独立、そして憲法、か。ところで先日観た映画「断鴻零雁記」で東京に遊 ぶシーンで呉楚帆と紫羅蓮が神社仏閣に参つたが神社の鳥居、あれは靖国神社。認識とは興味深いものでA級戦犯祀られ首相参拝となり靖国はこれだけ注目され るが少なくとも1955年には靖国にそこまでアレルギーなかつたらしい。
▼「ごまめの歯ぎしり」といふ衆議院議員河野太郎君のメールマガジンに国勢調査は次回の調査時には政府統計局解体され民間委託される、とあり。国民のプラ イバシーまで民間に放出。
▼李鵬の娘・李小琳が副社長で実質的経営する「中電国際」はBa叔の中科環保の汚職事件により一線画すため中科環保への入資を中止、と発表。中電国際は 「中国電力投資」の子会社で香港で上場しており環保電力と資本提携する予定であつたもの。
▼地方の美術館など文化施設廃止について(昨日の分に追記)。郵政に関する抵抗勢力のような動きが出てくるはずもなく、世間では何一つ話題にもならないま ま、粛々と廃止が進行することでしょう、とS君。それどころか、文化事業などという何の役にも立たないもののために税金が投じられ、専門の公務員が雇われ ていることは当世流行の言い方では「役人天国」の「既得権」の世界そのもの。文化施設と文化専門の公務員とをリストラすることに対しては世論の圧倒的な支 持があるはず、と。……この感覚は今の日本では本当にそうなりそうなのが恐い。熟慮したり思考したりの判断でなくワイドショー的に「そうよねぇ。なんでみ んな生活が大変な時に美術館とか楽よね」とただこの軽率な判断ですべてが決定されてゆく。それでいてフィレンツェとか巴里とかに団体旅行で美術館とか周遊 して「すごいきれいだわ」と、なぜ巴里の美術館があの廉価なる入場料やCarte Museesのパス券の収入で運営されているのか、は考えず。


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