乾 坤容我静 名利任人忙
教育基本法の改「正」に 反 対! 反対はこちら。 文部科学省の基本法関連サイトはこち ら。憲法改正も反対(九条の会こちら) 
米国の理性Barack Obama氏(民主党、上院議員)を米国総統に推しま せう。                     

わかりやすい言葉が跋扈すると、みんな目をきらきらさせて連帯を始め、ボランティア精神が賞賛され、強要される。そしていつか来た道になる。

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2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

十月卅一日(火)腰痛。早晩に帰宅して読書。ドライマティーニ一杯。読みかけの『世界』十月号、Business Traveler誌10月号、英Economist誌先週号や雑誌の切り抜きなど読む。
▼2002年に董建華行政長官から香港政府の大紫荊勳章(Grand Bauhinia Medal)授かる自称政治家Sir Donald(当時は政務官)、と今年06年にSir Donald行政長官から同勲章授かる董建華前行政長官。写真裏返しただけ、か。Sir Donaldの蝶ネクタイの柄まで一緒。
▼朝日新聞の大岡信「折々のうた」に石井辰彦
もみぢ葉の染むる出湯に若者は腰をひたせりぼんなうの午後
という歌が紹介される。大岡先生は
『七竃』(昭和57)に所収。歌から見ると、この青年は美しい自然 界に取り巻かれた景勝地の温泉にいるのであろう。色づいたもみじに紅く染まっている出湯に、若い肉体を腰までひたして、たぶん物思いにふけっている。結句 におかれた「ぼんなう(煩悩)の午後」は、この青年が広い風呂場でひとり「煩悩」の思いにふけっていることを暗示している。今までこの欄にあまり登場して こなかった題材の、珍しい歌だ。
……と。なるほど珍しい。それに可笑しい。大岡先生もわかっていないのか、とぼけているのか。本文の「たぶん」以下は大岡先生は「わかっていて敢えて嘘書 き」。そう「普通に」読む人はそう読んでください、で結局「今までこの欄にあまり登場してこなかった題材の、珍しい歌」を紹介したかった。きちんと歌を紹 介しようと思えば下記のようなのは如何?
作者齢十九の砌り『七竃』(昭和57)に所収。自然に煩悩は似合わ ない。露天風呂の、若者の煩悩はふつうなら混浴か隣の女湯に因る。だが作者の視線は若者の肉体に向くところが、この歌の特異。「出湯に腰をひたす若者」と いう写生的表現から、若者自身の煩悩とは思えない。温泉で美しい裸の若者に出会った、詠み手自身の煩悩か。自然が突然、エロスとなり、それもまた自然。
とか如何だろうか。
▼岩波『世界』十月号より。よく朝日新聞とか『世界』からの詳細を引用するが、前提として「誰も読んでいない」ための幾許かの紹介のつもり。実家も朝日新 聞購読しているが先考の法事に「ちょっとお線香を」と寄っていただいた方が母との茶飲み話でふと卓袱台の新聞に目をやり「朝日なんて読んでるんですか」と 驚いていた、と(笑)。そこまで左傾紙、赤色新聞と思われているのかしら、確かに余の知る限り読者かなり少ない。香港で他人の家訪れ(その機会すら少ない が)朝日があったのは皆無。日経4、読売3、聖教新聞と朝日が1.5ずつくらい? で、『世界』となると「つくる会的な」旭屋で店頭販売するはずもなく定 期購読者もかつてご老人(台湾人だろうか、何となく)が一人いただけで誰も読んでいないだろうから紹介。
(1)まず和田春樹「安倍晋三氏の歴史認識を問う」。安倍三世の『美しい国へ』読んだ和田春樹、深読み十分で安倍三世が父のことは「父晋太郎」と名を呼ぶ のに岸信介については「祖父」というだけで名前をつけず。和田先生曰く、父は一人だろうが祖父は二人だろうが、と。しかも安倍晋太郎が二世議員で(妻が岸 信介の娘)当然、晋三から見た祖父もいるのだが、この本でどこに祖父が出てくるか、というと第七章「教育の再生」で「家庭が離婚により子どもが苦しむ事 例」として晋太郎の父・安倍寛氏のことが三行書かれているだけ。「戦時中、翼賛選挙に抗して軍部の弾圧うけながら代議士を続けた」闘う代議士がどうして安 倍三世に頭の中では岸信介だけが理想像として入っていて安倍寛については語られぬのか、と。安倍寛。明治27年山口県に生まれ東京帝大法科卒業し東京で事 業始め晋太郎生まれた数年後に離婚。昭和3年普通選挙実施で衆院に立候補するが落選。昭和8年故郷の日置村村長。その職のまま昭和12年総選挙に無所属で 出馬し当選。同じく初当選に赤城宗徳、三木武夫あり。東条内閣で大東亜戦争開戦の翌昭和17年の翼賛選挙に無所属、非推薦で立候補し激しい選挙干渉受ける が当選。この選挙に同区で岸信介は東条内閣の商工大臣で翼賛推薦で立候補しトップ当選。安倍氏当選後は三木武夫と国政研究会組織し東条内閣の戦争政策批 判。昭和18年には元法相・塩野李彦囲む木曜会で活躍し東条内閣退陣求め戦争反対、戦争終結の運動起こす。戦後は日本進歩党に加わり昭和21年選挙準備中 に52歳で他界。当時、晋太郎は東大の学生。晋三君がこの祖父に親近感持たぬのは当然かも知れぬが「ことは政治の問題」と和田春樹。
このような二人の「闘う政治家」を祖父にもった以上は、今日の日本 に生きる政治家として、日本の歴史を引き受けるさいには、決してどちらの祖父も無関係な者として切り捨ててはならないのです。安倍寛氏の歴史は岸信介氏の 歴史とともに、われわれを形作っているのです。そのことに直面し、考え抜くことが政治家としての安倍さんにとって必要ではないかと考えます。岸信介さんの 闘いだけをモデルにするのでは、今日の日本の政治を担うのには明らかに不足するところがあるといわざるを得ません。
(2)山口二郎「総裁選から見える自民党の末期現象」も凄い。冷静な政治学の教授とは思えないパンクロック。小泉長期政権は
旧来の自民党に対する国民の嫌悪。疑似社会民主主義の崩壊。自民党 の粛清。政治における意味空間を破壊。日本の民主政治にとっての最大の災厄。単純化された一般的なプロパガンダ。公信不能の断絶や亀裂。他者に対しては挑 発的な言葉を発しつつ自らは心の中に引きこもるという状態。ポスト小泉の人材不足や政策構想能力の欠如。小泉は耐用年数の切れかかった自民党を五年間延命 させたにすぎない。野党と対立するよりも自民党内に敵を想定し、これと対立することで政治ドラマを演出。野党の存在はかすみ、小泉は常に舞台の中央にいる ことができた。小泉は自民党という山はもうすぐ崩れると騒ぎ立てながら、この山に残った砂利を売り払って儲けてきた。もはや否定すべき敵、売る砂利もなく なった。国ぐるみで棄民政策。小泉改革はタマネギの皮をむくようなもの。「わが亡きあ後に洪水は来たれ」と言わんばかりの投機の政治。(以 上、原文抜粋「。」で区切る)
(以下、結句)小泉というシンボル、雰囲気を吸引することでつかの 間、自民党は元気になるという錯覚を得た。その意味では、小泉は薬物のようなものである。この薬物の効果が切れたとき、自民党は禁断症状を起こすに違いな い。安倍に父親殺しができないならば、より過激な言説をはくことによる人気取りというもっとも安易で、日本にとってはもっとも有害なやり方をとるか、中身 のあることは一切語らず、官僚依存で政策の矢縫を続けるか、どちらかしかないであろう。まさに日本の民主政治の正念場である。
(3)その(2)の山口檄文の中で社会学者・佐藤卓己のメディア論が紹介されている(北海道新聞夕刊八月十七日よりの引用)
メディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがある が、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味ではコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであった ものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグ ループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディアの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎ ない。
(4)今月号の特集は「石原都政8年の検証」。佐藤学「教育政策」で、これまでも石原教育改革はかなりアタクシも綴ってきたが初めて耳にして驚いたのは 「石原都政のもとで都内の学校において体育教師の校長が増加し、今や四割以上の校長が体育系教師」だそうな。「もちろん体育教師の校長にも優れた校長は存 在する。しかし、いくら何でも体育教師が校長の四割以上を占める実態はいびつ」と佐藤教授。御意。もともとはノンポリ、体育会系の右翼学生が大学当局の側 にたち学生運動鎮静に役立った昔から彼らは体制の方針には順応しやすいのかしら。そして「つくる会」の教科書採択した杉並区教育委員会は「不審車対策」で 教師全員に催涙ガス常時携帯義務づけたそうな。恐ろしいかぎり。清水雅彦「治安政策では」
石原都政における治安対策は、確かに「全国初」のものがあるが、全 て石原の発想で展開しているわけではない。東京版新自由主義改革である「都政の構造改革」を進める都庁官僚と、その帰結による「治安の悪化」に対処する警 視庁が、強権志向の石原と共に展開しているといえる。警察としては東京の取組を全国のモデルとして活用できるし、石原を前面に出すことで警察肥大化批判を かわし、石原の差別主義や道徳好きは外国人・青少年対策で活用できる。したがって、石原個人批判だけでは不十分であり、「治安の悪化」をもたらす新自由主 義改革を転換していかなければ根本的な解決にはならない。
(5)もう一つ、武居秀樹「石原都政を誰が支持しているのか」も面白い分析。03年の二期目当選では石原の「差別的な体質や危険性を承知」した上で「都政 に限定してリーダーシップを期待する」という二重思考の出来る賢い?309万都民、得票率で史上最高の70.21%を得た石原。女性、60歳以上の支持率 が高いとか、自民党、公明党支持者の得票が多い(民主党、共産党は少ない)のは当然、と思うが、この分析はかなり緻密で、例えば所得でみると高額所得者と 低所得層、零細商店集積地などで石原知事高いことや、23区別では支持率他高いのが中央(75.59%)筆頭に墨田、台東、千代田、江戸川、荒川、葛飾と 皇居から城東にかけて集まっており、反対に石原得票少ないのが杉並(67.98%)から板橋、文京、練馬、北、世田谷、中野、新宿、豊島、目黒と見事に城 西(都庁から西)に反石原ベルト地帯が形成されている。文京区が高所得者多いなかで唯一石原支持が低い例外。
▼Business Traveler誌10月号の06年の読者投票結果。シンガポール航空が最優秀エアライン、最優秀亜太区エアライン、最優秀Fクラス、同Cクラス、同Yク ラス、チャンギ空港が最優秀飛行場、最優秀免税品販売、シンガポールが最優秀ビジネス都市に選ばれる。シンガポール万歳!
▼香港政府教育統籌局常任秘書長・羅范淑芬(羅太)が政府汚職取締独立機関の廉政公署(ICAC)廉政専員に任命される。今年の年初に数万名の教師ら終結 し「羅太下台!」と 抗議受けたほどの嫌われ者。政府の行政主任(AO、上級公務員級)で順調に出世続け97年香港特区政府成立時の行政長官弁公室主任。運輸署署長、教育署署 長、教育統籌局長と要職転々とするが董建華による問責制導入で教統局局長重任拒み局長には当時、香港中文大学学長であったアーサー李國章が就任、羅太は教 統局常任秘書長に収まる。教育制度改革のなか教師相次いで二名自殺した際に自殺の原因が教育制度改革にあるのなら「なぜ自殺者がたった二名なのか?」だの 董建華不支持の世論が高まると「中学生が行政長官不支持主張する資格はない」などと発言続け、この人の資質かなり疑われる。が兄が中信泰富(CITIC) の榮智健の片腕でMD、政府の行政会議メンバーでもあり、その後光もあり。中国政府にはかなり好印象とか。で今回の廉政公員への抜擢。本来は政府の汚職摘 発が職務だが羅太の専任就任で蘋果日報なども「羅太任専任、廉署恐變「東廠」」と大見出し。東廠とは明代、永楽帝の御世、北京に置かれた特務機関 (http://ja.wikipedia.org/wiki/東廠)のこと。
▼民主党元党首で立法会議員の李柱銘氏が信報でジョークについて語る。お堅い弁護士出身ながらしばしば立法会の議会の場でも巧妙なジョークを飛ばす李柱銘 氏、一度、新嘉坡の李光耀将軍様が香港の外国人記者倶楽部での講演突然取消し。その代役引き受けた柱銘氏、演題に敢えてPress Freedom(報道の自由)選び開口一番“Mr. Lee Kuan Yew loves to press freedom”と。「報道の自由」と「自由の弾圧」の掛け詞。さすが。

農暦九月初九日。重陽。快晴。気温卅度。今年は観測史上最も暑い十月の由。朝早く黄大仙のMTR站にO氏、初めてお会いするT氏と見事な獅子山眺め慈 雲山から沙田峠まで坂を上がる。MacLehose Trailの先々週終えた地点からセクション5を続け獅子山、Beacom Hill、野猿大き金山を越え城門ダムまで約12kmの山の上り下り。重陽ゆゑ家族などで山に登る人多し。城門ダムのBBQ場は芋を洗うが如き人出。昼に かなり陽射しきつく城門ダムで「ここでやめませう」。針山、草山はまた仕切り直し。Tsuen Wanの市街に下り山西刀削麺に麻辣上湯刀削麺食す。ガツンと辛みがあるが美味。 Tsuen Wanの駅前の歩道橋下でフィリピン人家政婦らが各家庭の不用品か回収してフィリピンだかの施設だかに送るボランティア活動中。トリコロールの袋が並ぶ壮 観(画像)。MTRで香港島に戻り午後遅く按摩で疲れ癒す。帰宅。書斎かなり片づいており読み残しの雑誌などもかなり減り快適でドライマティーニ三杯。栗 をたくさん蒸して頬張る。白葡萄酒が蒸し栗にとても合う。湯豆腐。
▼「日本が中国の領土を不法占拠する」釣魚臺(尖閣列島)に対日抗議の船旅に出ていた活動家26名香港に帰還。27日に尖閣列島への上陸に挑むが島から 20kmの沖合で日本の海上保安庁の妨害に遭い上陸果たせず。親中派から民主派までの呉越同舟の今回の抗議航海の主催者曰く「国際社会に日本の不法占拠 アッピールできたことで行動としては成功」。海上保安庁の艦船は彼らを「殺そうとした」そうで強力な放水攻撃を受け船も海上保安庁の巡視船との接触で船体 も傷んだそうな。
▼先日の中村京蔵「山月記」の舞台。萩原朔美がパンフに書いた「文字で書かれた文体のリズムが、音声化されたときに意味として伝わるだろうか」という課 題。松井今朝子女史の厳しくも愛情ある評(こちら)、月 本氏の好評(こ ちら)、築地のH君や我が母の感想などさまざま。大半の観客のまなざしはまずは役者の体質や演技の大枠に向うもので脚本や演出の<意図>はわずか 一日の芝居でわかるには難しい。どうであれ畏友村上湛君の脚本の芝居に京蔵、葵太夫というお会いしたことはないが大変興味深い方々が出演、その舞台を月本 さんやH君、わが母が観劇するという、そういう<場>が何よりも素晴らしいと思う。
▼神谷町の文化功労者、そうそう夫人が政治家の山城屋が先に文化功労者に指名されておりましたね(2003年)。梨園の序列的には神谷町が文化功労者にな らないわけにはいかないか。吉田秀和翁の文化勲章叙勲は当然だろうが先帝陛下の御代だったら受けたかしら。今回の秀和翁の受勲受諾は「最後の護憲派・当今 様の帝徳の至れるところ」という某君の指摘。御意。
▼余の香港競馬予想など参考に馬券購入される方も居られまいが昨日の(土曜日、と綴ったのは間違い)HSBCの地場G3レース(こ ちら、芝1200m)知己の馬主W氏のSunny Sing(新力升)がほんの鼻差で二着。一着には35倍だかの大穴Absolute Championが入りSunny Singは9.5倍と三倍人気だったが複勝でHK$30の高配当得る。三着以下に実力馬のAll's Well(永利好)、Armada(好利威)、Regency Horse(帝聖名駒)が続き、更に不調続く昨年12月の香港スプリント2着のPlanet Ruler(紅旗飛揚)が8着、05年ダービーと昨年12月の香港国際カップ制覇のVengeance of Rain(爪皇凌雨)は85倍とブービー人気で10着。栄枯盛衰。

十月廿九日(日)快晴。夜明け頃から新聞雑誌読み雑事片づけるうちに昼に至る。午後、金鐘に薮用あり。早晩Z嬢と待ち合せバスで九龍城。いつもタイ料理で 金蘭花、デザートに茂地館というワンパターンなので今日は何か違うもの食そうと思ったがリトルバンコク化した九龍城でやはりタイ料理に食指動き今晩は南角 道のSaeb-Hlee Lub Ped(泰式美食)に食 す。ト ムヤン鶏、鳳爪、浅蜊に三味魚(揚げた白身魚に甘酸っぱいソースかけて)の四品にシンハ麦酒大瓶二本でHK$二 百と良心的な値段で気取らぬ店。午後六時に入ったのでまだ席はあっ たが晩飯の遅い香港で九龍城だけはちょいと人気ある店だと週末は六時半には満席で行列できる店あちらこちらに。甘味も今晩は合成糖水で紅豆沙のようなもの。「合成」というと日本語ではいい響きで ないが文字通り「合い成る」で完成度高い甘味。香港の日本語情報誌でかなり紹介されている店。甘味というよりあっさりと健康食の感じ。タクシーで九龍塘に 向うが道が渋滞しており、そのまま獅子山隧道抜けて沙田。沙田大会堂にて「吉田兄弟」のコンサート参観。凄 い力量に圧倒される。三味線の珍しいことをするセンス含め即興やソロなどテクニック的には弟さんのほうが上のようで、お兄さんのほうはフレーズ的にセンス が格段に上と思える。そのバランスがいい。竹本一匹というとてもいいパーカッションが入って魅力的。だがパーカッションはあんなに音をマイクで拾わなくて いい。三味線が負けてしまうし、この竹本一匹という人の太鼓なら三味線の背後で風のように鳴っていたらもっと美しいだろう。海外のたった二日の公演で、か なり制限があるだろうに照明がきれい。最初の挨拶は広東語で、そのあとずっとそれなりに英語でMCして日本語一切使わず通訳も要らず。洋風にアレンジした 曲で時々、和声がおかしいと思えたり「朧ろ月夜」で余計なセブンスが入ったりは、まぁご愛嬌。Z嬢と終わってから、三味線だからやはりマイクで拾わず地の 音で聞きたいし渋谷のジャンジャンで吉田兄弟に、この竹本一匹でゲストに淡谷のり子、なんてのが実現したら夢のよう。

十月廿八日(土)朝早く起き知己より送られた彷書月刊今年三月号特集「アドニスの杯」複写で読む。午前、Z嬢と西營盤の西區社區中心の古い洋館を借りて香 港史料展示続ける長春社文化古蹟資源中心に「香港交通百年歴史展覧」参観。主に市街電車(トラム)、スターフェリー、啓 徳空港の変遷などの写真多く展示あり。1950年代まで九龍湾方面まったく市街などない荒涼の地を背景にした啓徳空港。スターフェリーは来月12日だかに 香港島側の波止場が更に沖合埋立地に移り現在の波止場も余命幾許か、でこの展示はタイムリー。西灣正街の老舗、聯華茶餐庁に昼を食す。Z嬢と別れ上環の港 澳埠頭。フェリーで午後、マカオ。今月三度目。薮用あり。マカオでは澳門文化中心の広場にて日本文化祭なる催事ありマカオ特別行政区の行政長官・何厚鏵 君、カジノ王Stanley Ho君ら(このお二方、本晩の霍英東逝去をすでに知るや知らずや)来賓として参列。余は行政長官自身よりもその象徴としての自動車のほうに興味あり。晩に 香港戻り。同行の方数名と久々に寿司加藤に夜食。
▼霍英東逝去。享年83歳。1923年香港の蛋家(水上に暮す)に生まれ幼名は霍官泰。幼くして苦学するが皇仁書院に学び何鴻燊(Stanley Ho)は同学。日本軍による占領期は苦力などして戦後、母 親と細々と船運業営むが朝鮮戦争勃発で中共国内に物資偷運で一獲千金。50年代より地産、マカオでのStanley Hoと組んでの賭場経営など事業広げ親中派財界人として(英米政府からは容共派としてブラックリストに載り事業妨害工作などもあり)中国の開放経済政策始 まると中国の国内投資にも積極的で1979年の広州白天鵝賓館(White Swan Hotel)開業はその象徴的事業。1986年には董建華の海運会社・東方海外航運の倒産危機にHK$10億投資し救済、88年全人代常委、93年全国政 協副主席。息子、孫の代では新聞雑誌のゴシップ欄賑わわせる輩ばかり。マカオの賭場については02年に利益配分巡り内輪もめあり霍英東は手を引く。
▼舞踏家の大野一雄先生百歳長壽。吉田秀和氏文化勲章受賞。朝日新聞の「音楽展望」も年四回で再開の由。文化功労者に高倉健も75歳と年とるのは当然だろ うが同じく功労者に選ばれた神谷町が78歳で、中村芝翫と高倉健がわずか3歳しか違わない、という事実がどこか不思議。方や昔から老け役でかたやいつまで もヒーローゆゑ。
▼昨日紐育時報が中国で上海の党政府高官に端を発した汚職摘発が全国政協主席賈慶林に至ると報道(こ ちら)。85〜96年の福建省での省長、省党書記時代の収賄絡みの由。江沢民人脈の出世頭の一人。北京市長、北京市党書記、党中央政治局常委と要 職昇り詰めての政協主席。党政府で胡錦濤(国家主席)、呉邦國(全人代委員長、実権なし)、温家宝(首相)に続き第四位の地位にあり(第五位が国家副主席 の曽慶紅)。汚職捜査は賈慶林の他、北京市党書記の劉淇などに及ぶと言う。
▼安倍三世の内閣は結局、ご本人は静かな姿勢見せるが結局は五奉行(首相補佐官)が首相の分身の如く非核三原則であるとか歴史認識であるとかの見直し図 る。鵺の如し。
▼篠沢秀夫『だから皇室は大切なのです』なんて出版の草思社が元フィナンシャルタイムズ北京支局長James Kynge著という『中国が世界をメチャクチャにする』なんて題で書籍出版。原著の題は“China Shakes the World: A Titan's Rise and Troubled Future - and the Challenge for America”で『中国が世界を揺るがす』であり米国との覇権争いなどがテーマのはず。出版社がいい加減な邦題で反中感煽って本を売る呆れた商魂。

十月廿七日(金)秋の快晴の空。ドビッシーのプレリュードをArturo Benedetti Michelangeliのピアノで聴く。そういう気分の青空。恒生指数史上最高値。余の日々の暮らしになんら影響もなし。た だ酒を飲むばかり。本晩東京にて畏友村上湛君の脚本で中村京蔵丈の『山月記』の舞台あり。我が母も参観。会場にて村上君の紹介にて母、築地のH君と初めて 会った由。この山月記は村上君よりご厚意で当日配布の台本と村上君の挨拶文をさきに見せていただく。山月記が能舞台で紋服姿の李徴役(シテ方)、袁サン (「人」扁に旁が「袁」)(ワキ方)により演じられ義太夫とガムランの打奏。李徴と袁サンの科白ほぼ原作踏襲するが竹本の太夫の語り文句が脚本で読むとと ても良い。本日は葵太夫。
▼安倍三世首相就任から一ヶ月。穏健姿勢見せ朝日新聞からのまずは合格、などと言われているが官邸での「ぶら下がり取材」も即興とハグラカシの前任者に比 べ20分程度準備して臨むそうで北朝鮮のことなら俄然弁舌優れるが内政となるとイマイチ。広告批評の島本路子編集長の
安倍さんの言葉は形容詞とカタカナ語が多く、分かったつもりで言葉 がつるつるすべって理解できない。小泉さんは「自民党をぶっ壊す」など身近でインパクトあったが、安倍さんは借り物のようでリアリティーがない。優等生的 なだけに、美しい言葉の陰でとんでもないことをするのでは、と心配になる。見た目は良いが、古い政治家を見ているようだ。
という厳しい指摘(朝日)。公明党の太田代表の「国の基本にかかわることはセンター前ヒットが基本だ。右翼線二塁打もたまにはいいが、何でもかんでも右翼 線二塁打ばかりでは、幅広い国民の支持は得られない」と。所詮、三塁打でも勿論、ホームランでもなく、かといってヒットでもなく二塁打、というのが安倍三 世、公明党にも完全に見縊られているか。ところで安倍三世一昨日など午前11時40分に東京都知事が官邸訪れ首相と面談。午後の予定は2時からの財界人と のアポ。昼食とりながら石原先輩の教えでも請うたのかしら。早稲田の大学院でア太地域研究する鄭然太氏(韓国ポスコジャパン経営企画部次長)が安倍新政権 は「美しいアジア」を目指せ、と。御意。ところで、朝日新聞の政治部がこのところ元気。自虐史観の烙印押されて久しい朝日だが「歴史と向き合う」で最近は いわゆる「保守」の矛盾、とくに後藤田先生や亀井静香チャンばかりか小泉三世の御世になってからの中曽根大勲位やナベツネさんといった保守派の大物の現体 制に対する不快感あたりから(ナベツネさんが朝日の『論座』で小泉靖国に疑問呈したあたりから)朝日が元気。「帝国の記憶」の連載でも文藝春秋や諸君と いった右翼誌が90年代から自衛戦争論、侵略戦争否定、アジア解放など論調とすること取上げ、これに対して林健太郎氏の反論や産経新聞の故・柴田穂論説委 員長の「多くの日本国民は、かつて日本が中国を侵略し、中国人民に多大な危害を加えたことを知っており、その愚を二度と繰り返してはならないことを深く認 識している」(85年11月28日産経新聞)など紹介し、その保守の良識が今日の右翼雑誌では『正論』05年8月号で兵藤二十八「シナ側こそが侵略者」や 同10月号の中村粲「蘆溝橋事件発生と拡大の責任は略々全面的に中国側にある」といった極論へと暴走に疑問呈す。縄文人=河野洋平衆議院議長もインタ ビューで見事に自民党ハト派らしく侵略戦争の事実、戦争の悲惨さ、当時の政府の戦争責任、兵士の餓死など軍部の無策、東京裁判の評価などに論及。このへん が自民党最後の良識か。晩のNHKのNW9で中学生の「相次ぐ」いじめ苦にした悩みだの自殺の報道。教師のいじめに遭い自殺する子どもたち、と相変わらず 「まるで昨日今日始まったが如き」お下劣な報道。NHKのニュースセンター、バカの骨頂。余も自慢ではないが忘れもせぬ小学2年生の時の担任Y教諭。依怙 贔屓に怠慢、児童情報の無闇矢鱈の公開など非常識。この初老の女性をただただ哀れむ。小学4年の時の担任S教諭など余がちょいと掃除の時間に面倒だから、 と菷で集めた綿ゴミを整頓棚の下にささっと掃いたらS教諭、あたくしの家が飲食業営むこと取上げ「F君のお店は汚くて食べになんていけないわねっ!」と、 而もS教諭、当時、勤務時間中に木目込人形の製作に余念なく、その掃除時間中も木目込人形作りながらの暴言。但し余は自殺もせず子どもながらに、この教諭 の余りの思慮の浅さに「あーあ、まったく」で済んだ程度。イエス=キリストの如く?罪人の過ちを赦す、その肝心。今の子どもに果たしてそれが欠如するの か。否、ただマスコミが「また、いじめを苦にした子どもの自殺が相次いでいます」といったバカな「報道」が子どもをば自殺に追いやる。朝日で加藤周一氏の 夕陽妄語「核兵器三題」読む。
(要旨)冷静とともに米ソの核武装均衡も破れ小国の核武装。それに 対抗するのが核不拡散条約。ただし不平等。国連加盟国の一部(例えばフランス)には核武装赦しイタリアには認めぬ。中国がなぜ核保有国で印度はダメか。ま た安保理常任理事国は五カ国とも核武装国だが米国の寡占による不平等もあり。
(以下、文尾転載)私は死にどういう意味も見いださない。なぜ彼 が、彼女が、死ななければならなかったか、理由はない。理由があるとすれば、生きているという理由だけだ。私は多くの価値を相対する。広島の焼け跡を見な がら、どうしてそうしないことができようか。しかし生きていることそれ自身だけは例外である。何かに意味があるとすれば、今ここに生きていることの他にあ るはずがない、と私は考える。そして戦争に反対する。
▼一昨日の安倍三世主宰教育差遺制会議でいじめの問題につき教育委員会が事実隠蔽など槍玉に挙がり教育委員会制度見直しだの俎上に上がる。まったくもって 「よー、言うわ、ほんま」。ヤンキー義家先生などどこで教えてもらったのか「教委と事務方、組合がつながって隠蔽が蔓延っている現実がある」と指摘。本 来、戦後の教育制度は教育制度の民主化のために各地方自治体で公選制の教育委員会が設けられ「教育の赤化」恐れた自民党政府が無理矢理、公選制から首長任 命制にしたもの。それを今さら。御用組織と化した教委の罪悪とか公選制を任命制にして管理統制強めた自民党政府自身が責任を感じるべきで、教育基本法が悪 いなどと宣う前に自らを叱責すべき。
▼08年の北京オリムピックも結局は米国帝国主義の前ではIOCが競泳、体操など競技をば午前中=米国の野暮な連中相手のゴールデンタイム放映時間に合わ せる決定。
▼朝日新聞が「秋の読書週間」で敢えて親中派という揶揄、罵声に応じるかのように見開きで「中国の今に迫る」と中国特集。90年秋だったか広東省従化温泉 の湯治にご一緒した高原明生・東大教授(当時は香港総領事館専門調査員)がいくつか中国関係の書籍挙げた上で
驚いたことに最近の日本の書店には感情的に中国を非難する本が並 び、少し前まで中国の書店に日本批判の書が溢れていた情景を思わせる。弱い犬ほどよく吠えるというが、虚勢を張って相手を罵る本が受けるのは情けない。悪 書が良書を駆逐するのを防ぐには、お互いがコンプレックスと思い込みを克服し、虚心坦懐、常に書き手の判断の根拠を問いつつ本を読むことが大切だ。
と述べている。
▼米国は中間選挙近し。民主党でアタクシがずっと応援するオバマ氏がここに来て人気急上昇。「オバマ」でググる(ググる、の使い方には注意、こちら)とよ うやく長崎は雲仙の小浜町よりオバマ議員のヒット数多くなる。民主党は今更、ケリー&エドワーズの04年落選組ぢゃあるまいしヒラリー夫人かオバマ氏か。 黒人は時期尚早で「まだ女のほうがマシ」は米国のド田舎の本音か。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0610/26/news022.html
▼今季の香港馬の期待の星Danacourt負 傷。明日の重賞レース出場取消し12月の国際重賞も参戦危ぶまれる。馬主W氏のSunny Sing(新力升)有利かも。
▼張子の虎、と噂もあるマイクロソフト社の次世代OS、ヰンドウズヴィスタについて。複数開いたヰンドウの立体的表示、後ろから透けて見える、検索キー ワードの入力欄など、アップル社のMacintoshでは旧石器時代の産物の如き機能搭載して次世代と名乗るダサさ。しかも現行ヰンドウズXPは09年1 月でサポート終了。ビル=ゲイツ君が何億だか何十億だか慈善事業に寄付しようが、この愚の骨頂の「戦略」赦すまじ。
▼円楽師匠口座に再び。昨年十月脳血栓で倒れて以来。廿二日の鶴瓶の「無学の会」。文珍の「風来坊」に続き口座に上がり、昨年入院直前に口座で絶句の「紺 屋高尾」四十分にわたり熱演の由。花魁をいまの人気芸人に喩えようとして人名出てこず「忘れました」と笑わせる一幕もあり。アタシが上野鈴本で落語聞き出 したのが小学五、六年。中学の頃は畏友J君とも何度か。当時は圓生の絶頂期。口座に上がり憮然とした表情で「えぇ、最近のお若い方ならもうご存知ないこと でしょうが」などと圓生の真似をしてみたり。でも「真似しても」全然面白くないのが圓生。当時の円楽といえば笑点で「名人、円楽です」などと宣い圓生師匠 に怒られた若手。円楽はテレビ忙しく当時、高座で聞いた記憶なし。圓生が座敷で「ちょいとこちらにお坐りなさい」と円楽を叱る場面など真似して、圓生師匠 がお茶を啜りぎょろっとした目で円楽を睨み……と十二歳の頃の酔狂。
▼九月に自称政治家Sir Donald行政長官が香港にとって経済への積極的不干渉政策(laissez-faire)の概念は80年代に当時の財政責任者が言及したに過ぎず政府 は一環して「小さな政府」を目指している云々と述べ「もともと香港には経済への不干渉政策は存在しなかった」との立場を示しことにつき(九月十九日の日剰 にもこれに関する記載あり)シカゴ経済学派の重鎮Milton Friedman先生がSir Donaldの発言に苦言呈す(十月十四日の日剰参照)。ふと思えば、このFriedman教授の十月六日のAsian Wall Street Journalでの論文(こ ちら)をきちんとまとめておらず。要旨は下記の通り。
半世紀前、香港の宗主国たる英国は社会主義的であり、John Cowperthwaiteなどの公務員は活路を香港において見出しレッセ=フェール政策(自由市場的資本主義政策)実施。第二次世界大戦、当時の香港の 一人あたりのGDPは宗主国英国の四分の一であったが1997年には英国とほぼ同額にまで経済成長を果たし、香港の成功が中国や他国を中央による計画経済 から私企業と自由市場経済に向けさせ、結果、経済成長が続いている。中国の未来は経済の香港型への転換であり、これが香港の中国化より更に速度が速いこ と。Sir Donaldは(とFriedman先生は呼んでいないが)“when there are obvious imperfections in the operation of the market mechanism”と語ったが、その「欠陥」は総じて政府が引き起こすもの。過去半世紀の香港経験は自由主義経済の手本であり目標である。
▼元プロレスラー大木金太郎こと金一氏逝去。享年77歳。プロレスラー年鑑で本名「金一」とあるのを見た時の驚き。なぜ韓国人が日本名で活躍するのか、 と。72年の頭突き世界一決戦でのボボ=ブラジル選手との対決。力道山に憧れ釜山から密入国、逮捕され拘置所からの手紙に力道山が身元引受人になりデ ビュー。頭突きの後遺症による闘病生活であった由。

十月廿六日(木)こんにちは、安倍晋三です。は明日が吉田松陰の命日だそうで松陰の
身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂
という辞世の句を「気概には圧倒されます」と阿倍三世。阿倍晋三の「晋」の字は高杉晋作に由来するそうで、話題は教育へ。
次代を担う若者や子どもは社会の宝です。志ある国民を育て、品格あ る国家をつくるためには、教育が大切であることは、いつの世でも、どこの国でも変わりありません。家族、自分たちの住む街、国、そして命を大切にする豊か な心を育てる教育、それができる教育力の再生が何よりも必要です。
と意気込む。教育の目的が人格とかぢゃなくて「<国民>の育成である」と言い切ってしまう潔さ(本質的なところはわかっていないのだろうが)。
根本にさかのぼった改革が求められている今、新しい時代の教育理念 を明確にし、未来を切り拓く教育を目指すべく、教育基本法案の成立に全力を尽くします。
と意気込むのはいいが本当に教育を根本的に改革しようとしたら<近代>の教育が<国民の育成>にあることの見直しが必要なわけで(北欧などすでにこの見直 し図る)その本来の改革では自民党が目指すものと全く逆のはず。それがわかっておらず寧ろ<「国民育成の精神、制度の強化」図ろうとするのが今回の教育基 本法改定なのだから困ったもの。首相も首相なら教育再生会議と中教審で官邸と対立はするものの文相も文相で文部科学大臣伊吹某君も安倍三世に続けて「よき 日本人を育て、自己抑制できる品格ある日本を造る」なんて創造性に乏しい文章寄せ「国家とは、領土とそこに住む人間と人々の日々の営みでなりたっていま す。その営みの集積が、その国特有の文化、社会規範、伝統を創り出します」なんて社会と文化、国家概念の本末転倒。フランシスコ=ザビエルが日本人を「私 が遭遇した国民のなかで一番傑出して」おり生活ぶりには節度があると高く評した、と言い、その勤勉で規律正しく他人に迷惑をかけぬ「恥」と「共生」の文化 などの伝統的規範を大切にしてきた国民が、今日の拝金主義の蔓延、仕事があるのに働こうとしない(働けない)若者の出現、家庭で子どもをしつけ、先祖が 守ってきた社会規範を教え込みながら地域社会で温かく子どもをくるむという雰囲気もなくなり、で
教育は、効率や利益だけでは評価できない価値にかかわるものです。 私は、戦後教育のよかった点は引き続き尊重しつつ、教育の中で日本がかつて大切にしてきた伝統的社会規範の価値をもう一度見直すことが大切だと考えていま す。それが、よき日本人を育て、自己抑制できる品格ある日本、すなわち、安倍総理の言う「美しい国、日本」づくりにつながるものと考えています。
と、結局は教育再生会議が中教審と対立しようと伊吹君、結局は文相に起用され安倍三世への忠義心。
▼昨日の朝日新聞で山崎正和さんが「保守とはなにか」と題し、保守は「政治にはありえぬ立場」という持論展開。山崎さんといえば保守系文化人の印象強いが 安倍三世の「開かれた保守」だの「家族の価値観や地域の暖かさが失われた」と嘆く論調に対して山崎さんは「近代社会には「政治的な保守」というものは存在 しないし、存在しえない」と語る。
政治も、近代以前には文化と結びついていた。だが近代化により、政 治は文化と区別された。信仰や人格、気分など、統治者の身に付いた文化が規範になる政治から、指導者が国民との契約や法に従って合理的に行動することを前 提にした政治への移行だ。政教分離の原則は、こうした「政治と文化の区別」を象徴ししている。以降、政治は身体ではなく頭の仕事、つまり理性の仕事になっ た。そこに保守はありえない。
として、文化とは例えば茶碗をどう持ち、汁はどう飲み、箸使い、姿勢といった伝統に基づくもの=保守、と政治の違いを明確に語る。戦前は二・二六事件の青 年将校らや大東亜共栄圏に夢を託す岸信介など若手官僚らは<革新>であったが戦後、自由市場主義か計画経済の社会主義かが冷静の状況下において自由主義信 奉する人を保守と呼び左派を革新と呼んだに過ぎず。自民党は政権担当するがゆえに観念的提唱などしておれぬ現実対応政党=保守に非ず。安倍三世の自らの保 守派という定義にいて山崎さんは、冷戦下の保守・革新の構図や農村基盤に置く過去の自民党とかとの安倍三世の「血のつながり」で、それを「単純なもの」と 言い切り
「冷戦下で戦った祖父と父」が目標なのだから、彼には自分を保守だ と錯覚する十分な理由がある。
と指摘する。山崎さん、天晴れ。
首相の靖国神社参拝を擁護する人は保守で、批判する人は革新、とい うのは迷信だ。靖国は明治政府が、近代政府の生み出す負の面である「国家のための戦死者」を慰めるためにつくった。政治的イデオロギーの産物であって、信 仰ではない。現に、靖国には日本人が文化として愛する人々が祀られていない。西郷隆盛、白虎隊。いずれも「賊軍」とされたからだ。保守=靖国擁護という見 方では、本日をつかめない。靖国神社を支持する「保守派」の一部は「第二次世界大戦は日本にとって正しい戦争だった」と気概をあげているが、先ほども言っ た通り第二次世界大戦が正義の戦争だなどと言う主張は、きわめて革新的な意見だ。
また「教育基本法を改正して愛国心を養おうとする政策は、保守的でしょうか?」という記者の問いに山崎さんは
違う。いわゆるナショナリズムは、すべて革新の主張だ。歴史を見て も、慣習に従った長老支配が続く集団でナショナリズムを叫んだのは、旧体制を否定する青年たちだった。保守化ではない。また伝統的には愛国心などというも のはなく、みな「うちのムラ」が好きだっただけだ。後者には文化があり、保守にも馴染む。だが「この国とはこういうものだ」と名を付け、理念的な使命感を 与えて「こっちに進むことが愛国心だ」と言ったら、これはまさに進歩主義だ。しかも、少し、きな臭い。
憲法改正については
憲法を書いた人がアメリカ人であろうが日本人であろうが、それは大 したことではない。国民がそれを受け入れ、半ば身につけてきた部分は、もう変えられない。
山崎さんは自らを文化的には保守だあるが、政治的には近代とプレ近代(北朝鮮のような個人崇拝、イスラム原理主義やキリスト教原理主義など)の対立があ り、それが人類を不幸にするなら、政治においては自らは「保守主義者でなく、近代主義者の立場をとらざるを得ない」と締めくくる。御意。
▼香港政府教育統籌局があたくしの納税金も浪費して「国情施接触」なるCD作成。香港の全学校に配布の模様。義勇軍行進曲(国家扱い)、歌唱祖国、我的祖 国、黄河頌、松花江上、我愛ni中国、満江紅など15曲で愛国心高揚図る音楽内容。ちなみに義勇軍行進曲では楽曲から「国歌に歌われる気概を高め愛国心を 抱き国家への帰属感を育成する」ことが目標で「国歌が作られた歴史的背景(帝国主義的侵略の被害)」、当時の中華民族の面臨した危機と困難、民族団結の精 神や中華振興の責任と使命感を学ぶそうな(少数民族の立場はどうなるのかしら……)。
▼カナダ政府が20世紀初頭の中国系移民に対する人頭税について中国籍だけに対した課税が不平等であること認めC$20,000の賠償金支払う決定。現在 99歳になるCharlie Quan氏は1923年に移民の際、当時の彼らの二年分の収入にあたるC$500を納税。1903年にC$50の課税が始まり1923年にC$500まで 増額されたが、この年、カナダ政府は中国系移民の受け入れ禁止発令。これは1947年に第二次世界大戦でのカナダ生まれの中国系兵士の活躍評価され撤廃さ れるまで続く。1980年代になりこの20世紀初めの中国系移民への人頭税が人々の関心をひき始め、人頭税納税者約8万人のうち80年代当時で2〜3千人 のが生存と予測されたが現時点でこの賠償金得た高齢者は36名のみ。理想主義、法治とはこういうこと。
▼通常、日本の書籍購入はamazon.co.jpで郷里に無料で届けられ年に何度か大量の書籍香港に持ち帰り。今日明日に読まねばならぬでもなし自宅に は未読の書籍も山とあり。ただ今回は珍しく急ぎで要入手の書籍『イタリア日常会話から学ぶ、これで納得!よくわかる音楽用語の話』 amazon.co.jpより高いの承知でDHLで直接香港送付依頼。注文三日後に届き1900円の書籍代に送料が1300円で計3200円。高い、と一 瞬思ったが「そごう」の旭屋書店は現在0.15のレート(航空便の場合)適用で1900円の書籍はHK$285となる。これは実質レートで4,337円。 となるとネットのほうがずっとお買い得(それでも高いが)。

十月廿五日(水)昨晩十二時すぎに寝たのに朝に目覚め時計見れば444とパチスロなら当たり?のぞろ目でも早起きでは嬉しくもない四時四十四分。起きて 『モンテ=クリスト伯』の第三巻ようやく読了。
木は蔭をなすが故に人を楽しませ、蔭はそこに夢と幻とが満ちていれ ばこそ人の心を惹く。
言葉が美しいねぇ、山内義雄訳。肩と腰の痛み甚だしい日が続き、ふと思えば三ヶ月に一度の献血、で「解禁日」すでに五日も過ぎていたこと発覚。慌てて献血 に向う。採血されながらぼんやりと眠りに落ちている時のあの至福。すっきり。
▼信報の連載で唯靈氏が正確な言い回し忘れたが「美食去餐庁、食美在厨房」といった文句を紹介。「美味いものが食べたければレストランへ、美味く食べたけ れば厨房で」と、自宅なら食べたい食材を健康的に上手に食べられる、と。格言。
▼日本の高校で社会科必修科目不履修で卒業できぬ恐れ、各地で。「なんでこんなことが起きるのか」とNHKのNW9でも深刻ぶって見せていたが寧ろ「なん でこんなことが問題なのか」ぢゃあるまいか。「学習指導要領は何のためにあるのか?」なんて議論になっていたが、今度のこのミス露見で更に「指導要領の遵 守徹底」なんて叫ばれるのかしら。最低。世界中の初等、中等教育でのsyllabusを見てみるがよい。日本ほど国による徹底は他になし。
▼新潟の地震で避難生活送っていた山古志村の児童が避難先から村に戻るので避難先の学校でお別れ会。お別れ会のあと取材受けた子どもがカメラに向い、さ らっと「自分の心にある「ありがとう」の言葉を精一杯出しました」と語る。新潟の山奥の冬は雪におおわれた村の子がこの「いかにもテレビ受けする」コメン ト。ひと昔前なら、感極まって泣くこともに「どうですか?」と尋ね、答えにならない子に「さびしい?」なんて尋ねると「うん」と答えるのが精一杯、って場 面か。
▼最近話題は中国からのツアー客の香港での買い物でのガイドが小売店から受け取るバックマージンについて。なんと悪徳商法!と思うが実際には、このバック マージンなければツアコン業界は成り立たず、が現実。ツアー客がHK$3,000払って例えば香港三泊四日の旅に参加。そこに交通費、宿泊費、観光ガイド 経費など含まれ残りが旅行代理店のマージン……と思ったら大間違い。実際には香港側のガイドなどの手当はそこから発生せず。それぢゃ何処から?と言えばツ アー客連れて貴金属や電化製品、香水や化粧品など土産専門店に連れて行き客一人当りの売上げ目標はHK$3,000で店側は45%だけ得て残り55%の HK$1,650は客を連れてきた側へと渡る。ガイドはそこから5%(HK$82.5)を得て残りHK$1,567.50が香港の地場の代理店へ。宿泊費 は中国側の代理店が払う場合もあれば香港側代理店の負担の場合もあり。中国側代理店の経費割合が大きい場合、香港の代理店は見返りとしてHK$800を中 国側代理店に払うケースなど様々。ツアー客は格安ツアーに参加のつもりで実は中国で支払ったHK$3,000のほかにHK$1,650は確実にツアー料金 として払っている=高い土産を買わされているのが現実。ツアーガイドも30人のツアーにアテンドしたら4日でHK$2,475はけして悪くはないが過酷は 過酷。かつて日本人ツアー大挙して香港訪れた頃も買い物でのバックマージンは存在。ツアーバスから降ろされ店にそのまま直行。余も経験あり。何十年も前に 商店街の歳末大売り出しの一等賞だかの商品が香港旅行。それ当てた人が急遽参加できず「行かないか?」と誘われ十代後半初めて訪れた香港。到着の翌日から 「一人で街をブラブラする」と言ったらガイド氏「とても危険、危ない」でなかなか放してくれず。強引に単独行動で危険な旺角(笑)など散策して冒険気分 だったが最後の日は最後の買い物から空港に直行でさすがにツアーで動く。土産物屋に横付けされたバス。昨晩あまり寝ていないから、とバスで不貞寝決め込も うとしたらガイド氏がすっ飛んできて「お願いだから店に入ってくれ」と請う。「だって買い物しないですよ」と言ったが「バスにお客さんが残っているだけで 困るんですよ。だから買い物しなくてもいいから店に入ってください」と。当時もツアコンの収入はバックマージンだけだった、とまでは思えず。
▼昨日の朝日新聞で鶴見俊輔氏と姜尚中教授の「核と民主主義」という対談あり。米軍が原爆を落とし、戦後に東京の焼け野原を見て戦争の悲惨さを体感し、そ れが憲法の前文と9条につながった(鶴見)、憲法は米国が制定に関与したとか押しつけだからいけない、という議論は勿体ない(姜)、民族が国でまとまると いう考え方は見込みのある、生産的な考え方だったがサラエボから原爆につながる二つの大戦でわかったことは「国というものが保持されて、国に国民が服従す る限り、人類そのものの歴史が続かないということ(鶴見)と話が続く。姜教授の結びの言葉。
私は素朴に、朝鮮半島の人とこの列島に住む人が仲良くできる風景を 見たい。そのために方便として政治がある。それなのに政治が国家のたがをはめられて身動きできない。

十月廿四日(火)肉体は悲し、ああ、われは全ての書を読みぬ。という仏蘭西の詩人マラルメの詩を聞いたのは二十数年も前にまだ当時医学生であったN兄か ら。絶望的かしら、いや勇気かしら、浅学の余には解らねど、このマラルメは「われは全ての書を読みぬ」に続け「遁れむ、彼処に遁れむ」と続ける。それから 暫くして浅田彰のスキゾなんて言葉も流行つたが今になつて抵抗もできず<逃走>は実は重要な概念かも、なんて考えたり。N兄が今年初めの『メディカル朝 日』に踊る医師として取材され記事になつたのはN兄本人から聞いてはいたが築地のH君よりファイルで送られ眺める。その見出しに、このマラルメの「肉体は 悲し」あり。N兄の下宿は壁のいたるところ、洗面所のタイルまでも耳なし芳一のように呪文が沢山書かれていたが冷蔵庫に大きく「Foucaultを越ゆる べし」とあり。当時フーコーなんて読んだこともなかつたが後になつてフーコー読み耽り勿論アタクシにフーコー越えることなどできず、ただあの禿頭磨くくら い。フーコーといえば中島らも氏が生前、獄中で取り寄せて読んだのがフーコーの『異常者たち』(コレージュ=ド=フランス講義1974-75年、筑摩書 房)であつた。今日はいくつかかなり気分ゲンナリとする出来事あり。晩に帰宅して線香焚き先考遺影拝みウオツカくいっと一杯。お清め。アタクシの祖母なら 「あー嫌だ、気分が滅入っちまうよ、ちょっとお不動さんへ」と忌みのお祓いだつた。ついNHKのNW9見てしまふ。「いじめ、学校への不信感が高まってい ます」って。何を今更。ニュースにしたいだけ。東北から関東にかけて暴風雨。なぜ危ないのに骨も折れた傘を懸命にさして暴風雨のなか雨水を除けようとする のかしら。廿数年前に長春だったか夕方の驟雨に市街で傘をさしているのが自分一人と気づき恥ずかしさのあまり傘を閉じ雨に濡れる。よつぽど雨に濡れて困る 携帯品でもなければ、みんな「あーあ」で雨に濡れて歩いているのはアジアも欧米も同じこと。広重の昔から暴風雨のなか必至で傘で雨風を除けようとするのだ からDNAの成せる業かしら。今日から携帯電話の番号が契約会社が変わっても電話番号は変わりません、と携帯各社は繁華街で、秋葉原の家電店でとファン ファーレにくす玉割って宣伝活動。ポータビリティ制度。「ポー タビリティについて携帯電話制度での意味を説明せよ」で正解率はいかほど? 書斎の書棚の上のほうで落ちそうになつていた昔の事務手帖のスクラップあり。 手にとると1999年のもので何気に紐解くと1月6日の頁に今年8月に逝去された山村修氏からいただいた葉書を発見。てつきり山村氏の『禁煙の愉しみ』に 挟んであつたつもりで、この本は亡くなる五年前に間質性肺炎と診断されきつぱりと禁煙した父にあげたので実家のどこかに本はあると思うが、その山村氏から いただいた達筆の、一読者の手紙に丁寧かつ嬉しい返事。読み返す。
▼政府税調会長「だった」石弘光さん(この人も「さん」づけ仲間入り)朝日新聞取材に答え自民党政府の進める「法人税減税一辺倒の議論には違和感を覚え る」「特定の者や業界を優遇する税制は不公平やひずみを生む。一方で家計増税になれば、国民の支持は得にくいだろう」「皆で支え合う仕組みを作らないとい けない。減税食い逃げ的な話や、経済成長ですべてが解決されるというような話は無責任だ」「格差社会も出てきたし、所得再分配機能を強める必要がある」と 正論披露。小泉三世の御世、石といえば新自由主義の旗手、名前の通りカチカチの御用文化人という印象の人がナベツネさん、中曽根さん、山拓さんらに続いて 「さん」づけに値する発言。泣く子も黙る中教審すら首相補佐官の下村に守旧派と罵られる態。1930年代であれば海軍穏健派や財閥、親英米派らがこういう 扱い受けたのでしょうね、と築地のH君。突然「さん」づけで思い出したが亀井静香チャン。村山内閣の時に「俺はハトを守るタカだ」の発言あり。今はもう 「ハトを守るタカ」すらおらずハト喰らう怖い肉食鳥ばかり。

陰暦九月初二。霜降。毎日公私数十通のメールを齷齪と送受信。「メールの返事が早い」とよく言われるが、それでもちょいと返事が面倒なものだの溜まり始め ると懸案メールが十数通となりメールソフトのinboxとdraftにメールが増える。昨日、部屋を片づけたことに気分よくして今日は「溜まった」メール の処理に精を出す。某進学校で日本史教える畏友J君に修学旅行の案はないか?と打診受け香港ぢゃあまりに「ありきたり」、で考えたのが香港も新界の屏山な ど在郷の土地文物、湿地公園はダメだが米埔の奇跡的に残る野鳥飛来地、深圳は錦繍中華ぢゃなんだが日系製造業の数万人の謂わば女工が精密機器製造に励む工 場の見学、広東省中山市に孫文の足跡を辿りマカオで世界遺産見学ならじゅうぶんに社会科学習できる修学旅行になりゃせぬか、とご提案などもする。晩に「き のこシチュー」食す。山崎をロックで二杯。読書。
▼東京都では石原都知事三選出馬明言で、悲しいかな外国人差別や蔑視(例えば姜尚中教授への誹謗こ ちら、三国人発言こ ちら)、自分だってジジイのくせにババァ蔑視(こちら)、他国への軍事攻撃の煽動示唆、公 園など公共空間からの野宿者排除推進に加え東京五輪誘致と景観整備口実に新たな社会的排除行うこと公言(九月二日都新聞こ ちら)。「メンタル面では、日ごろの情操を培う基本的なものを精錬するとかね。新宿の二丁目と歌舞伎町は美観とはいえないよね。銀座でもごてごて と色があるし。景観法ができたし、規制力のある条例を今年中に作ります。」と。新宿二丁目は内藤新宿以来の花街で赤線の時代経てゲイ街(Japan Gay News #998こちら)。歌 舞伎町も綺麗だろうが汚かろうが歓楽街で人種の坩堝、風俗も盛ん。五輪誘致名目に自分に不愉快なコミュニティやまたそこで生活する人々の排除。そういった ものが排除された社会がどれだけ美しいのかしら。住みたくはない。
▼英国国教会Anglicans(聖公会派)のカンタベリー大主教が訪中。北京の朝陽教会でミサ行う。世界中に七千万人の信者有する聖公会派司教はそれぞ れの国の必要に応じての心の自由(inner freedom)が必要として、
Christians must develop an inner freedom. A freedom that allows them to see the truth about themselves and their society. It is very important there are people in this country with that kind of freedom, people who are able to say the question is not only about economic prosperity, it is about human dignity.
と述べる(暗にカソリック教会の反政府的な宗教の自由への動き牽制と受け取れるのだが)。宗教問題は中共政府にとって政治的自由、少数民族対策に並び重要 なわけで愛国教会を組織させ管理下に置く。朝陽教会は北京市党委員会宣伝部と北京市基督教会により設立された教会建物。中共政府と関係改善されぬ羅馬カソ リック教会などの動きに対抗すべく愛国キリスト教諸派への便宜供与。そこで羅馬カソリックとは歴史的に因縁深い英国国教会の大司教招いてミサ執り行い、英 国国教会側もこの中国政府の宗教政策事実上容認する、信者への自由についての解釈。共産党政府と宗教団体の見事な政治関係。

十月廿二日(日)晴。昨晩午前一時すぎに寝たのだが五時半くらいに目覚めてしまい鳩居堂の線香を焚き昨晩湾仔の茶荘に購つた龍井のかなりいい茶葉で茶を煎 れ一服。本日はおそらく何ヶ月ぶりかで何の予定もなく山に行こうとか海まで走ろうという意欲もない日。晴れていてもきっと在宅。朝から机まわりの片づけ、 引き出しの整理、クローゼット内の雑物の片づけと続けかなりのゴミを出す。けして今迄も散らかっておらず。ただ細かい物多く見た目が悪い。何ヶ 月も積んであった雑誌の類ひも必要な頁のみ切り取って書類を片づけ、少なくとも狭い書斎の中は「未解決」の物は多くとも全てが自らの<秩序>の中にある状 態にまで整える。ヒトがモーツァルトを好むのも李光耀の望む新嘉坡の安定もこうした<秩序>なの鴨。掃除をきちんとして風呂場の捥げたままであったシャ ワーの軸の交換であるとか日曜大工の壊れたままの道具箱の買い替えとかせっかくの機会であるから夕方散歩がてらいくつか買い込んで修理など済ます。数ヶ月 来の問題がずいぶんと片づき安堵。ドライマティーニ一杯。晩に韮と豚肉の鍋。山崎をロックで二杯。いくつか雑誌抜き取りなど深更まで読み物。
▼中国共産党「長征」七十周年。胡錦濤君が党の結束呼びかける。江沢民君は胡主席に次ぎ序列二位。長征が党史=中国現代史で語られるほど果敢ばかりでな く、長征の途中、党内での権力闘争(毛沢東の指導権確立)ばかりか長江支流赤水河渡河などで橋を守る国民党との攻防戦も歴史に語られるほど赤軍は国民党軍 を打ち破らず、日本軍の如く住民からの物資略奪や強姦などもあったともいう。だが「歴史として」長征は共産中国建国への大きな流れとして威風堂々と語られ なければならない。
▼尖閣列島(釣魚臺)の日本による不法占拠抗議のため香港より保釣運動の船が航海に発つ。中国領土保全となると親中右派から御用政党民建聯、民主党から前 綫まで呉越同舟。犬も喰わぬナショナリズムは国家団結にいかに大切か。それにしても釣魚臺の奪還という運動により<中国>なるものにアイデンティティ確立 を求める、香港にとっての<釣魚臺の効用>が面白い。
▼Financial Times紙の週末版が“Liberté, égalité, féminité”と2面使って仏蘭西社会党のSégolène Royal(セゴレンヌ=ロワイヤル)女史を特集。次期大統領は確定かしら。仏社会党でオランド現・書記長の伴侶(未婚)、ミッテラン大統領の時に環境相 で出てきた若き美貌の才女は風格も漂い、とにかく華がある。仏社会党のミッテランのお稚児の如きドミニック=ド=ヴィルパンですら支持率で水をあけられて いる程。日本でならさしずめ民主党から(まだ期待されていた当時の)田中真紀子先生でも首相候補で出るようなもの。民主党の女性議員にいないかね?、千葉 補選の太田和美議員とか経験積んで、是非。
▼陶傑氏、蘋果日報の日曜社説代わり「星期天休息」で仏独共同編集の歴史教科書の仏独両国中学校での使用開始取上げ日韓で何故それが出来ないのか、と。学 者レベルでは共同作業すでに始まって久しいが仏独共同の歴史教科書は03年に仏蘭西の志らく大統領と独逸のシュレーダー首相が合意して三年後の誕生。安倍 三世が韓国大統領とこうした意気投合があるとは思えもせず。
▼書き出すと顛末が長くなるが香港で男性の同性間での21歳未満の肛門性交禁ずる条例(刑法第118C条)あり。一人の二十歳だかの男性が、女性の場合 16歳未満との性行為禁止する事に比べ不平等であると裁判所に訴え裁判所もこの訴え認める。数日前に香港政府上訴せぬ決定。これにからみ一昨日だかの SCMP紙がプリンストン大学のPeter Singerという教授の“A mistaken idea of immorality”という文章転載。このSinger教授の主張は簡単明瞭。「法律は道徳を強要するために用いられてはいけない」と。なんと明確な言 葉かしら。日本の教育改革など愛国心だの道徳心の育成だのが目玉。教育に関するあくまで法律がそれをすることの悪意。
▼一昨日から昨日と劉健威兄が信報の連載随筆で坂本龍一<霊・静>と題し澳門での演奏会絶賛。電子音とビデオ映像にピアノで対峙する坂本龍一は白南準(ナ ムジョン=パイク)がビデオ映像でテレビに象徴される現代文化と伝統の矛盾を克明に表現したのに対して坂本龍一は現代文明を拒否せず機械的な電子音に対し ての耐性、その受入れの中で自己のアコースティックな音で呼応してみせた、とまさに禅のような世界、を劉健威は見て取った。アタシにはそこまで出来ない。
▼朝日新聞の「歴史と向き合う」シリーズの「帝国の記憶」という連載で日本の台湾統治と台湾の親日感取り上げる。日本統治時代の教育やインフラ整備、戦後 の国民党による弾圧への反発など親日感にはいろいろ理由あろうが根本的なところは台湾での近代の<国家>の導入、国民教育は日本によるものが「初めてで あった」こと。そこで「刷り込み」的に近代の感情が刻まれる。朝鮮半島においてはすでに十九世紀末に李氏朝鮮により大韓帝国という近代を迎え、それを日本 により蹂躙されたのであるから対日観は当然異なる。
▼中国で上海の市党委書記の公金不正利用発端とした汚職は中央に波及し国家統計局局長辞任も社会保障基金絡みによる解任の由。中央の党エリートもひどいが 下は下で深圳中級人民法廷(地裁に相当、何が「人民」法廷か)の複数の裁判官らの贈収賄。副院長は懇意の女性弁護士に大規模な破産事件の弁護斡旋し1億元 近い弁護料稼がせ、昇進に贈賄の弁護士は執務室に150万元(約2.3千万円)現金隠していたことが発覚。地方の下級裁判官でこれだけの贈収賄。そのカネ は当然、不動産投資だのマカオでの賭博に流れ浪費され米国へと流れつく。

十月廿一日(土)午前雑務。昼にピークに住われる某氏邸にてガーデンパーティあり末席を汚す。M君に自動車で中環まで送ってもらいマンダリンオリエンタル ホテル。小一時間時間空いたが夕方に一つ用事あり酒を飲むわけにもいかずホテルのロビーのソファーで新聞に目を通す。ゴムサンダル履きの西洋人カップル、 ロビーのソファに寛ぎ靴のままソファに足を乗せる女性、あちこちで鳴り響く携帯電話……ホテルの格調など今は何処。九龍に夕方からの用事済ませる。往復の 地下鉄MTR車内、最近は耳栓愛用。とにかく乗客の携帯電話での大声の愚かな会話と車内放送の大音響が耳障り。MTRの感性の欠如は地下鉄站コンコースの 小売ブース賃貸の醜悪さで明らかだが携帯電話は料金の廉価ゆゑ利用者は大声でどうでもいいこと延々と長電話。そういう輩にかぎってなんて声がデカイのかし ら。携帯電話の料金は三倍くらいにして公害な輩を放逐すべき。騒音防止にiPodもいいが読書に集中できず耳栓となる。晩 に湾仔の杭州酒家。日本から編集者K氏マカオ取材に来て編集 者S嬢、それに写真家のM氏、Z嬢。この食肆、先月からで三度目。大閘蟹の季節だが蟹粉豆腐に抑え乞食鶏、東披肉など少しずつ食す。食後に供された高力豆 沙、何故「高力」というのか、肆の者に尋ねると黒服氏の最初の答えは北方の「高麗」の字が転じたもの、と「北方の」というまるで我が邦の如き言い方に朝鮮 民族は不快感あろう、で料理長は鶏卵の白身を攪拌することが高力だと言い、今この食肆で修業中の旧知のN嬢はまた違う答え。食後にFCCに寄りラウンジで 一飲。四方山話深更に至る。南京豆砕いた程度で奥歯少し欠ける。晩遅く中島敦『山月記』を読む。廿数年ぶり。廿七日に畏友村上湛君の脚本、萩原朔美氏の演 出で中村京蔵丈がこれを舞台に。東京まで観に行けぬがせめて原作を読み直す。廿数年前は「漢文学の影響受けた短編」という印象が強かったが今読み直すと勿 論、体裁は漢文学だが昭和十七年になんと所謂ヒューマニティ標榜の物語であったことか、まるで戦後文学の先駆であること感ず。ただ余談ではあるが人間性の 讃美で「虎に失礼」かしら。
▼シンガポールでシンガポール民主党党首取材記事乗せた事が李王朝の逆鱗に触れたFar Eastern Economic Review誌(この記事は7、8月合併号に掲載あり、こちら)が 夏以降果敢にシンガポール政府に対して思想信条、報道の自由弾圧について言及。週刊誌の頃は十数年愛読したが月刊の専門誌となって以来定期購読せずどこか でパラパラと頁めくる程度であったが十月号購入し一読。編集長巻頭言からシンガポール政府(李王朝)に対するレビュー側の主張が続く。シ政府の李王朝によ る建国からの成功と経済成長は誰もが認めるが新嘉坡国内の教育上の民族差別(華僑優遇)や地元メディアの規制など問題もあるのは事実で報道機関がそれを質 し公平な立場で報道することの何処に問題があるのか、と。読者投稿には上述の新嘉坡民主党党首Mr Chee Soon Juanを取材しMartyr(殉教者)と称した記事読み震撼した新嘉坡市民からの投書を掲載。この読者によればChee党首は新嘉坡国政について何ら具 体的な提案も行っておらず選挙が不公平だと言うが新嘉坡では過去40年にわたり自由で公平な選挙が行われてきた結果の李光耀率いる人民行動党の勝利であり 国民の支持、常に海外にいる方が新嘉坡国内に居るよか長く、海外で新嘉坡の非民主、李光耀の独裁などと唱えるばかりのMr Cheeに何が新嘉坡の政治改善を語る資格があろうか、とまさに李王朝の現体制に理想的な狂信ぶり。これに対してChee Soon Juanの回答あり。最後に海外で検討会に参加は05年9月。それ以来、新嘉坡政府に旅券没収され海外渡航能わず。海外で何度もコンファレンス参加経験あ るが常に数日で、一年の九割は新嘉坡に在る、とChee党首。新嘉坡の政治体制についても五冊の書籍を上梓、そのうち2冊は民主党として過去の二回の総選 挙で党のマニフェストとして政治改革の提言しているのだが、新嘉坡国内のメディアがこのマニフェストなど一切触れておらぬので、この投書の方は多分ご存知 なかろう、と。新嘉坡の、北朝鮮とは全く対局にある不自由ぶり。

十月廿日(金)那覇は竹村松月堂の落雁をいただく。体調少し復活。コンタクトレンズせず眼鏡かけていると(とくに電脳のスクリーン眺めるには)かなり楽。 早晩に按摩。O氏がProtrekアウトドア専門店にてトレイル靴購うのにつき合い帰宅。煮うどん。NHKのNW9は北朝鮮の核の問題に続いてディープイ ンパクト禁止薬物のニュース。海外競馬評論家の合田某なる人が語っていたが薬物の専門的なことはアタシにはわからないが「水が変われば、食べ物が変われば 調子を崩すのは人間も(馬も)一緒。一人では寂しいから連れを……」とか「咳き込んだときにかかりつけの医者に診てみたいたいのは」という例え話。水が変 わっても食べ物が変わっても平気だし寧ろそれを好奇心で受入れたり咳き込んだくらいで医者はかかりつけぢゃなくてもいい、とアタクシはそういうクチだが馬 はもっと神経質なのか、図々しい馬もいるのかしら。明日から東京国際映画祭だそうで山田洋次が木村拓哉起用の時代劇がぜん注目集めているが頬や目尻が動く とか顔で表情作るに難儀な彼を用いたのは彼の知名度ゆゑの話題性に山田監督が依存した、と思われても致し方ないか。交通事故の後遺症など脳脊髄液減少症と いう病気で苦しみながら病気として認定されず保険や公的援助受けられず毎月の一回の治療に十万円単位の支出強いられる患者ら、の報道あり。齢八十だの九十 で寝たきりで意識もない、意識が戻る見込みもない老人らの延命措置よか生きる意志のあるその脳脊髄液減少症の患者の救援が優先されるべきと思う。
▼香港についにモスバーガー開店。観塘のMillennium City 5なる商業ビルのAPMなる小売場内。蘋果日報に特集の記事あるが取材の撮影用に用意された、つまり「いい状態」であるはずのモスバーガーやテリヤキバー ガーが、やはり「どこか違う」。モスバーガーはトマトの居住まいが悪い。テリヤキバーガーはレタスが不味そう。モスバーガーを廿数年前に始めて食せし時、 その生のトマトがソースにからむ、テリヤキバーガーで見事に折り込まれたレタス、そのトマトやレタスの水々しさがマクドナルドのモサモサのバーガーに慣れ た食感に衝撃的なジューシーさ、を教えてくれたもの。この香港のトマトとレタスはそれは難しそう。
▼一昨日の朝日で油井大三郎氏(東京女子大教授、米国現代史、比較占領史)が戦後体制の歴史認識について語る。先の戦争肯定や東京裁判否定の論理は「日本 は欧米の帝国主義をまねただけなのに、たまたま植民地争奪戦に負けたので裁きや誹りを受けている、という不公平感」やアジア解放といった「実に多面的な要 素を持っていた」という認識など「対外的には建て前として反省し、東京裁判を受入れたが、国内では全く違う本音の論理が大手を振ってまかり通る」日本の戦 争認識の二重基準。油井氏は「日本では、戦没者への追悼の念が、戦争について正しい歴史認識を持つことを妨げている。ナショナリズムの核に戦死者がいる」 もので「国ために死んだ人を国が追悼するのは当たり前だといった民衆の感情を、政治的資源として政治家が利用している。ナショナリズムは制御不能になる危 険性を自覚しなくては」と語る。欧州の統合のスタートは仏独の和解であったのに対して「中国や韓国に対して強い態度に出ても、日米の同盟が堅固であれば大 丈夫だとの思いが日本の政治家にはあるのでしょう。ですが、自己中心的な歴史観が、同盟を支えてきた価値観を揺るがすことになると気付く時期にきたのでは ないでしょうか」と結ぶ。事実、確かこの日の(朝日)社会面には、靖国神社側でも米国から不快感示された遊就館のルーズベルトの陰謀論的な解説などの見直 しするそうで(結局、米国の圧力には弱い)、神社内にある全ての戦死者祀る鎮霊社ももっと扱いをアップグレードするそうな。

十月十九日(木)幼い頃よりすぐに風邪、発熱、下痢などあり最近は山歩きだのマラソンですっかり運動体質と思われているが今月のようにちょいと忙しくなっ たりすると途端に体調崩す。蒲柳の質、ということで。Gastroenteritisが完治せぬようで(数日しっかり休養すればいいのだろうが)近隣のC 医師の診断を受ける。多忙で、と言うとC医師は自分などもう何年も休日などない、と笑う。確かに土曜は08:30〜12:30で午後も16:30〜18: 30、日曜祝日も09:00〜12:30と基本的に旧正月の連休除けば連日無休。恐れ入るばかり。湾仔の新鴻基中心の映画館・影藝戯院、来月末で閉館の 由。1988 年開館。香港で唯一の名画座的な小劇場で良質の芸術作品多く公開。そのなかでこの映画館の存在が一気に脚光浴びたは1990年12月20日に公開され香港 で爆発的人気となり92年5月27日まで524日の連続上映記録打ち立てHK$10,203,821(15億円)の興行収入稼いだ映画、港題『搶銭家 族』、英題は Yen Familyで滝田洋二郎監督の『木村家の人々』がそれ。安手のVCRなど出 回る今日では一つの小屋で30万人動員などとても考えられぬ話。この「銀都」系列の映画館、残すは九龍観塘の銀都戯院ただ一つ。同じ系列で1990年頃に 油麻地Eaton Hotelのビルに普慶戯院あり八十年代の台湾映画数多く上映。これも数年で閉館は惜しまれる。晩に詩藝の近くに行く用事あり詩藝の映画館の佇まいを写真 に残す。晩遅く帰宅。乱歩先生の全集よりふと随筆集「わが夢と真実」開き、槐多「二少年図」を読む。書棚にあった石塚公昭氏の荷風本が目についてページめ くる。ジャズ奏者や文士をモデルにする人形作家であるこの著者の文士好みは乱歩、荷風、足穂、澁澤、鏡花、寺山、槐多、谷崎、外骨、夢野九作にコクトー、 それに中井秀夫とまさにアタクシが好きな文士ずらりと並ぶ。
▼毎週木曜日は「こんにちは、安倍晋三です。」って早朝のラジオのパーソナリティの如し。つまり「爽やかさ」だけが売り物。北朝鮮による拉致について二十 年前に父の秘書の当時に拉致被害者の両親が訪ねてきて以来この問題の解決に向け努力してきた、ということは少なくとも小泉三世の郵政民営化より政治家のラ イフワークとして説得力あるが「拉致は、未曾有の国家的犯罪行為であり、わが国の主権と国民の生命に対する重大な侵害です」って、確かに人道的に許されな いが国家的犯罪行為としては「未曾有」と言うには、国家はもっと悪いことをいくつもする。
▼新聞に会社で社員旅行や誕生会、運動会など親睦行事復活、という記事あり(朝日)。オフィスでいい大人がペットボトルのお茶片手にその月生まれの写真数 名の誕生日祝う光景は不気味。社員旅行などそもそも団体旅行があたしゃ大嫌い。ふと気になり昔の手帖開くと1994年に我が人生で一度だけ写真旅行なるも のに参加した記録あり。香港よりコタキナバル行き、というだけで、「熱海の温泉に一泊二日」よかかなりマシだが、幼き頃からお誕生日など祝った記憶もなく (商売家では当たり前)、生来の運動下手で運動会も「雨になりますように」と呪うほど大嫌いで放送委員会に入ることでテントの中で「天国と地獄のギャロッ プ」のレコードなどかけながら「ほんと天国と地獄だよ、こりゃ」とつぶやいていたアタクシにとって、社員旅行も「ぞっとする」もの。その某会社に入社の際 も(って結局1年でお払い箱になったのだが)「うちは東南アジアのリゾートに社員旅行あるから」と誇らしげに言われ「それって全員絶対参加じゃないですよ ね」と確認したら「勿論」と言うので助かったが(ありがちな話で)入社後に「やっぱり社員の意思の統一が大切だから」と社員旅行への参加命じられコタキナ バルに行く。さすが海外であるから同行の連中も空港から鴨の行列、メダカ軍団化せず「自分で考えて行動する」人たちであるしリゾートでも集団行動といえば 沿岸の小島へのボートトリップが半日あった程度で、あとは晩飯が一緒になる以外はみんな適当にしていたが、この時も社員旅行でありながら「すでに旅行の計 画を立ててしまっていたから」という我が侭通し社員旅行で残り2泊残す日にアタクシ一人だけコタキナバルからクアラルンプールに飛び空港のラウンジでZ嬢 と待ち合せランカウイ島のThe Dataiに6泊の天国気分。海外 への写真旅行、というと大阪のリフォーム会社が珠海のホテルで買春ご乱痴気の記憶生々しいが、この記事によれば社員旅行も「拘束は宴会の二時間だけ」「個 人旅行に近くすることで参加率を高める」傾向にある、としてはいるが近畿日本ツーリストの担当者の話では最近は「温泉で宴会」型の旅行ばかりでなく(って いい意味かと思ったら、さにあらず)「目的地までの電車の中に漫才師を呼ぶ」だの「社員同士がマカオでゴーカートレース」など「付加価値」をつけた社員旅 行が増えている、と。醜悪。
▼マルクス経済学者の日高晋氏(法政大学名誉教授)死去。享年八十二歳。

十月十八日(水)早晩にフェリーで一路、マカオ。来るたびに(って十日前も来ていたが)ラスベガス資本のカジノだのの開業あり。今日は確かマカオ一高層の 38階だかGalaxyだか云うカジノ&リゾートが正式開業。ちなみにマカオの経済成長はStanley Ho氏によるマカオのカジノ寡占解禁決めた2002年にラスベガス資本の大手カジノの参入決まり、この年のマカオのGDP成長率は10.1%、翌年は 14.2%でラスベガス系賭場開場の04年には雇用増加などで28.3%を記録。05年も6.7%と安定成長続け今後数年の間にマカオでカジノ開設に投下 される資金はHK$200億という。今晩はFestival Internacional de Musica de Macauで坂本龍一とビデオ、電子音楽作家のアルヴァ=ノトによる insen の公演あり。こ のマカオ公演のあと山 口大阪、 東京と公演続き十一月初めに再び香港に戻る。日本では7,350円の入場料とるのがマカオでは入場無料。しかも場所はマカオの世界遺産の一つ「大 砲台」Fortaleza do Monte(モンテの砦)の野外特設ステージ。これは今様に言えば「ロハス的」で凄いこと鴨。で十一月の香港公演のチケット入手していたが、このマカオ国 際音楽祭の無料コンサート毎年いくつも企画され市民を無料招待というセンスの良さ、で坂本龍一がモンテの砦となれば「行ってみようか、どうしようか」だっ たが坂本龍一好きのK嬢に「香港のチケットが入手できないがどうにかならないか?」と尋ねられ「マカオがありますよ」と言うと「行きたい」と切望されたの で「坂本龍一についてはマンネリのコード進行に厳しい」Z嬢含む六人で、のマカオ行き。新馬路でバスを降りて缶麦酒と牛肉乾なんて購いモンテの砦へ。スト イックに、ただただストイックにピアノに向う、教授。insen という、今回のアルヴァ=ノトとの共演、あのピアノの演奏なら「アタクシだって弾ける」のだが余が弾いたところで誰も見向きもせず。坂本龍一であるから齢 五旬も半ば、うな垂れた頭べから白髪の髪がサラッと風に靡くだけで「すてき……」と女性ファンにため息つかせるのだから立派。あのテの現代音楽は正直言っ てアタシにはわからない。アルヴァ=ノトのビデオアートも然り。無料で屋外であるから開演に押し寄せた観衆のうち三分の一くらいが演奏途中で「こりゃわか らねぇや」と退散したのも事実。それでいいのだろう。あれは「わかる人にしかわからない」。最初は観衆の頭と肩の隙間からステージが垣間見られるか見られ ぬか、であったのが後半はかなり寛いで好きな人だけが楽しんでいた様子。一切MCもなしでストイックぶりの教授、二度のアンコールで最後には「戦メリ」の コード進行が延々続き「戦メリ」のフレーズをちょいと用いた曲で客も多くが口遊む。あたしゃ個人的には7,350円出すか?と言われたら、答えは「いい え」。寧ろ、このラスベガス系などカジノに囲まれた、このモンテの砦で無料で市民にこの音楽空間が開放されることに今様に言えば「ロハス的に」意味がある はず。屋外会場で「教授を一目見たい」というK嬢に「きっとリスボアホテルのサウナ行ったら教授が按摩してるかもよ」なんて軽口たたきながらモンテの砦あ とにする。ちょいとあやしい「かすみ」という名前の日式お好み焼き屋など旧市街にあり。ただ帰りのフェリーの時間との兼ね合いもあり「ひとまずフェリー埠 頭まで行き伊太利料理屋でパスタでも軽く」でタクシーで埠頭に行きタクシー止めようとすると運転手に「何処に行くんだ?」と言われ「えっ、あそこの伊太利 料理屋」と指さすと真っ暗。「引っ越したぞ」と運転手。そういえば十日前、偶然に媽閣(Templo de A-Má)に近い裏道、といっても世界遺産街道なのだが、にこのイタリア料理屋あり「儲けて分店まで出したよ」と思っていたら其処が移転 先。マカオフェリー埠頭の向い、年に一度しか使われぬマカオグランプリの建物の一角は「鄙びた場所」で賃貸も安かったのだろうが今のマカオの好景気では其 処も家賃高騰かと察す。で深夜23時のフェリーの出発まで小一時間、今更市街に戻る余裕もなく「フェリーターミナルの茶餐庁」で寂しく夜食済ます。香港に 深夜戻る。

十月十七日(火)疲労困憊。でも朝五時過ぎに目覚めてしまい茶を煎れ一服、机まわりの整理済ませ朝刊あらかた読んでようやく空が白む。八月に逝去された山 村修氏は書評の他に「花のほかには松ばかり—謡曲を読む愉しみ」なんて書籍まであり絶版で入手困難。「日本の古本屋」サイトですら見つからなかったが amazonのマーケットプレイスで3500円上限としたら見つかる。楽しみ。晩に招飲の約あり銅鑼湾の湖舟。山海の珍味に舌鼓。牛刺、馬刺、赤貝臭い赤貝、なかでもとりわけ 仙台沖の鮑を奄美大島の麹味噌に漬けたやつが秀逸。紅子(筋子とイクラのちょうど間くらい)の手巻き寿司も美味。焼酎は薩摩宝山。バーSに一飲。体調芳しからずアニスのPernodなんて数年ぶり。 Mortlachというスコッチのシングルモルト、それも1970年物をいただく。帰宅したら倦怠感の上に悪寒あり。熱が出て早寝。
▼一昨日の蘋果日報に「湾仔著名南貨店老三陽昨晨發生狗咬人事故」となり「おーっ」と感動したのは、犬が人を咬んだからではなく「湾仔」の地名について。老三陽といえば南貨(上海産の雑貨、中国では高品質の代名詞、江南省ゆ ゑ南貨と云われる)の老舗で、とくに大閘蟹(上海蟹)と嘉湖粽が有名。中秋も過ぎて今は大閘蟹の美味い時期。この店の飼い犬が客の少女の足を咬んだそうだ が、老三陽と云えば場所はTimes Squareに近い利園山道と登龍街でキョービの人たち的には、そこは銅鑼湾。湾仔じゃない。が1967年に反英暴動期にホンハムから移転した老舗である から当時の感覚では「湾仔登龍街」なのだ。どんな古くさい感覚で記事が書かれたのか。
▼朝日新聞社の社員の名刺。アスパラクラブだか云う、ネットの無料会員 制サービスのロゴが「朝日新聞社」よか扱いがデカいのは如何なものか。アスパラクラブといえば、その存在が最も効果的に認知されたのは、NHK特番改変問 題報じた社会部の本田雅和記者の左遷先、であったこと。このアスパラクラブ、フジ産経のオレンジページのできそこない、みたいなものでイマ イチ。大新聞社が積極的に展開するほどのネットビジネスか疑問なのだが。
▼英国エコノミスト誌先週号の“China and Japan talking at last”という特集記事あり読む。日本対中韓のいわば冷戦、安倍三世登場で何ら具体的解決もないままに関係改善急ぐなか北朝鮮の核実験は云わば近隣のそ の姿勢へのアンチテーゼ……という、ただ北朝鮮の核実験に怯えてみせる日本のマスコミに比べ溜飲下がる分析。“In dangerous waters”という論評では日本が a mood of patriotic populism in a country that sees both China and South Korea as new economic rivals, and that objects to being lectured about ancient guilt by the undemocratic Chinese という環境で中国や韓国に対する反感、不快感が育まれ外務省内にある書店で歴史見直し、反中、嫌韓の本が平積みで売られることを紹介。それでも日本と中国 の関係は日系企業の中国での製造業中心とした雇用は920万人であるほど切り離せず、それでいてSK-IIの化粧品の問題では本来であれば製造元は Procter & Gamble社なのに対日貿易として報道される反日感情にも言及。日本と中国の不思議な関係を客観的に見つめる。
▼慶応大学の文化人類学の渡辺靖という先生が朝日で時流自論というのを時々書いているのだが一昨日の「米領サモアで考える自立」という文章で東サモアの従 属的でも米国から離れずの微妙な姿勢を紹介し、東サモアに限らず「米国とのかかわりが深い社会にとって、単純な白黒二元論に還元できない両義性のなかに米 国が存在しているというのが現実なのだろう」と語り
日本においても昨今、「米国からの自立」、あるいは反対に「米国と の一体化」を掲げながら、戦後日本の歴史や文化の再解釈を求める声をよく耳にする。しかし、対米関係の両義的側面が深く顧みられぬまま語られる、日本とい う「国のかたち」がどれほど信ずるに値するのかは、心もとない。また、自立と一体化という、相反するはずの目標をあたかも整合的であるかのように語る最近 の政治指導者の論法も、付け焼き刃的な国威発揚の方便に思えてならない。ましてや……その論法で語られる国のかたちを「美しい」とは思えない。
と上品に、やんわりと安倍三世的なマヤカシに苦言。言い回し上手。

十月十六日(月)夜中に下腹部に痛みあり目覚め小用済ますが膀胱のあたりどうもすぐれぬまま朝。知人には「花柳病ぢゃないの?」なんて今の若い人にはわか らぬだろうが冷やかされ早晩に養和病院にて医師の診断受け恥ずかしい姿勢で前立腺検査などされ検尿。泌尿で悩むなど老いた証しか。悲しいかぎり。北角の街 市漫ろ歩く。天天で豆乳購い、美味そうな青い枝豆をみつけ (一斤がHK$6、つまり500gが100円だ。冷凍の高価で不味い枝豆購っちゃいけない)、老人のせめてもの贅沢と中国国貨でかなり高 価な鉄観音茶の茶葉購い、歩いていたら小腹が空いて聖羅蘭の 豆沙包を一個購い頬張り、畏友・欧陽應齋君もテレビ番組で紹介の十三座牛什で 煮込み購い、タ イ食材の店でプミポン国王の御真影まで購い帰宅。荷物増えタクシーに乗れば愛想のいい運転手、HK$29ちょう どの運賃にHK$40渡せば釣り銭をHK$10しか渡さず「勝手にHK$1のチップはなかろうよ」としっかりHK$1求めると憮然とした表情。劉健威兄 ぢゃないが不愉快。帰宅して珍しく茶を飲む。医者に離尿剤と痛み止めもらい水分をたくさんとって盛んに尿を排出せよ、と言われたが、まさか麦酒だのジント ニックのがぶ飲みは拙い。で、お茶。枝豆はさすがにお茶じゃ不味いので少しだけ麦酒。十三座牛什の煮込み、美味。ビビンバ。十三座牛什の煮込みとか屋台で 隣に「あれ?」と中上健次と都はるみが坐って焼酎飲んでいたりしたら最高だろう。食後もお茶のみ奈良の菊屋という菓子司の干菓子など頬張る。
▼安倍三世の「教育再生?会議」は天海祐希や故・三平師匠の女将さんなど本人なり事務所に理性あれば「折角のお誘いですが」と遠慮するのだろうが義家弘介 ヤンキー先生かつては『世界』で教育での国旗国歌強制に意義唱えていたが変節か転向か何も考えていないのか「侍ジャイアンツ」の番場蛮的に「憎き巨人軍の 腹の中に呑まれ、そこから巨人をぶっ潰す」(って結局は巨人の九連覇に貢献して死んでゆくのだが)腹づもりか、なんだかわからないが安倍三世の教育再生? 会議のメンバーとなり担当室長に抜擢される。朝日新聞の「国旗国歌法は?」という取材に「公立なら国旗国歌法を順守する」と宣われるが(築地のH君の指摘 通り)この「国旗及び国歌 に関する法律」のどこにも順守するような事項なし。せっかく安倍三世の幅広い人選なのだからせめて「やはり強制ということがあってはならないと思 います」とか陛下のお言葉を借りるくらいの知恵が欲しいところ。ヤンキー先生はこれについて更に「キリスト教の学校で(教師が)「私は仏教徒だから礼拝に 生徒を出しません」ということがまかり通れば教育現場はメチャクチャになってしまう」とご高説。結局、北星学園余市高等学校がキリスト教ならその立場、政府の諮問委員 となればその立場、か。それにしても、この発言、期せずして、国旗国歌への態度が公立学校でまさに「宗教」として機能してることを明らかに。どうせなら自 民党だから一人くらいやはりプロレスラーいれてほしかったところ。
▼週刊文春。小林信彦氏が連載随筆で「まちがいだらけの昭和史」と題しキョービの昭和三十年代ブームに「ブームになるような時代か?」とまさにその時代が 青春の氏が疑問呈す。で「過去の扱い方」で例に挙げたは戦後=焼け跡だと決まってテレビの画面では「リンゴの歌」が流れるが、キネマ旬報十月上旬号での小 沢昭一氏と川本三郎氏が「リンゴの歌なんて当時、そんなに流行っていなかった」と指摘。小林氏もかねてからの疑問が「やはり」と。もう一つ、朝の連続ドラ マに多い「戦時中の反戦的は庶民」の存在。
日本では、時代の風を感じて<先んじて動く>のは大衆であり、そそ のかすのがマスコミである。(略)戦時中にも反軍的は人はいたが、沈黙を守り、それでも投獄された。大きな声で<反戦・反軍>を叫ぶ<庶民>なんていな かった。<庶民>は闇の米を探すのに精一杯で、そういうことではいかん、と当時の新聞は叱っている。
歴史、過去とはそんなもの。いくらでも後世勝手に語られ、それが歴史となる。
▼集英社新書『永井荷風という生き方』って何かしら(松本哉・著)。新聞広告では「人生、老いてなお楽し。現代人に大きな勇気を与える、荷風の自由気まま な生き方。」という宣伝文句で「名作『濹東綺譚』などで知られる荷風は、人に頼らず、ケチ、女好きなどと呼ばれながら自分らしく生き抜いた。今こそ知りた いその精神」として荷風散人の「散歩、日記、好色……荷風の三種の神器」「男の料理とユニークな食事作法」「結婚を嫌った荷風の愛人一覧表」「日記『断腸 亭日剰』に書かれた文明批評」など内容盛り沢山。この本がこの新聞広告の宣伝ほど安易とは思いたくないが、少なくとも荷風散人の日剰を読んだ者に、荷風散 人の生き方が、そんな「老いてなお楽し」とは思えず。寧ろ全く反対。独り老いて窮屈な社会も楽しくないからこそ、ましてや「明治の子」荷風にとって震災後 の東京は、文化は破綻し軍靴の足音が耳障り。厭世的に自分だけは楽しく生きようとした結果があれ、のはず。換言すれば、その不愉快さを記録に残したのがあ の日剰。川本三郎の「荷風と東京『断腸亭日乗』私註」ですら荷風自身を直接に語らず荷風を通して東京の風景を語るほど一歩退いているのに。
▼中国の李先念元国家主席夫人、王光美刀自逝去。享年85歳。1945年に北京輔仁大学で原子物理学で修士号修め米国に留学しシカゴ大学とスタンフォード 大学に学ぶ。当 時、国共内戦の調停所執行部で中共側の通訳 務めたことで奨学金支給停止され中国に戻り共産党所在地延安で党務専従。劉少奇と出会い48年に結婚。劉少奇の政治秘書18年務める。夫が国家主席に就任 し1966年のビルマ訪問での、王光美女史のその容姿端麗ぶりは中共のファーストレディとして好印象与えたが、これに嫉妬したのが毛沢東夫人の江青。出自 は大地主、原子物理学と英語に長けた容姿端麗の王光美が疎まれぬはずもなく文革では夫とともに走資階級として非難浴びる(写真は北京清華大学で自己批判さ せられる王女史)。夫が殺され遺骨と対面する王女史。兄は光大実業公司の王光英氏。

十月十五日(日)朝八時に坑口のMTR站。O氏と待ち合せミニバスで西貢。一週間前は第14回日本山岳耐久レース長 谷川恒男カップに参加し奥多摩の72kmを16時間台で走破の氏がなぜにアタクシなんぞと山歩きか。西貢への車中、話を聞く。この山岳耐久レー ス、参加費が一人九千円で二千余名が参加。千八百万円の収入。慈善企画でもなく、途中、一箇所だけ飲料水の提供あるが香港のトレイル企画のような食事提供 なしでコストもかからず、かなりの現金が主催者側に。山岳協会であるから登山道整備や遭難者救援などに資金要すのだろう、が、エベレスト登山など許認可得 るのに担当は外務省だが実質、その判定は日本山岳協会などに委託されているわけで、日本からは世界最高峰にかなりの数のパーティが入山希望するわけで許認 可といえば当然「物入り」。そういうわけで山岳協会も現金が要る。ちなみに先頃亡くなった橋本龍太郎氏は(社)日本山岳協会名誉会長など務め政界の山岳重 鎮。ご本人の登山歴も立派(こちら)……っ て登ってはいないが。で「先生、ここは一つ是非よろしく」かしら。小雨のなか西貢からタクシーで企嶺下。雨歇む。濃い霧のなか馬鞍山に登る(標高差 640m)。尾根に出て「走りましょか?」ということになり茅坪まで一気に走る。買ったばかりの初シューズに多少難儀。順調にアップダウンこなし3時間 10分でGillwellキャンプ場に到着。こ のセクションのアタクシ的には最高新記録。大老山で12時間耐久レース開催中で飛鵝山道を下り、香港一の自然水と名高い水を思わず走り通り過ぎ下 界におりてミニバスで彩虹。本来ならば慈雲山上の峠の茶屋でカレーライス食すべきところ。それを逸し彩虹の街市熱食中心で屋外の茶餐庁でカレーライス食 す。ジムでサウナして帰宅。Bowmoreのウイスキー一杯。机まわり片づけながら、ふと「日曜の夕方は自宅でならジントニックを飲まなければならない」 と思いジントニック飲むがウィルキンソンソーダの瓶でもあれば最高なのだがシュウェップスの350mlの缶開けてしまうと細身のトールグラスで三倍くらい ジントニックを飲まねばならず、結果的に酔う。どうにか寝入らず晩になり「おでん」。食後、倒れるように臥床。熟睡。
▼久々に見たNHKの「海外安全情報」。今晩はアフリカのザンビアの首都ルカサに政情不安定で「十分注意」の勧告。ザンビアに外交官、銅や錫を商いする商 社、海外青年協力隊の他にどれくらい日本人が往来し、果たして「海外安全情報」必要とする旅行者がどれほど要るのかしら。
▼昨日ふとぶらりと訪れた石Kip尾の公共団地。今晩のニュースで此処が来週火曜日から解体工事開始、と知る。今週末で退去。偶然ながらぎりぎりで現存の 姿を見たことになる。今日は三十年以上前にこの団地のベビーブームの頃にこの団地で育ち小学校で学んだ同窓生が各地から集まり母校訪れる。当時の集合写真 と同じに並んで記念写真を撮りましょう、という発案。当時、120sqf(換算すると六畳一間)に12人で住んでいた、という家庭あり。当時の苦労も今に して思えば懐かしさ、か。
▼文藝春秋十一月号「掲載権独占」と題して「日中戦争、中国も同罪だ」について。文藝春秋の頭の悪さというか知的判断力の無さの証左の如き特集。まぁこん なもの読んで対中感覚で溜飲下げているオトーサンたち相手だから知力相応なの鴨。それにしても中国の論壇ネットでほんの少し話題となった「日本の中国侵略 は中国にも責任がある」という主旨の趙無眠という仮名の(而もネットである)人の文章を「日中戦争、中国も同罪だ」というタイトルに改竄して「掲載権独 占」で活字にする了見の無さ。そこまでして「日本は悪くない」と言いたいか、情けない限り。「もしも中国が日本に占領、統治されていたら」という結末は 「日本が中国を征服し統一することは、すなわち中国が日本を征服して統一することと全く同じ結果……それは中国がひとつであるという……になるからだ」 「日本という一国、または中国という一国。これはともに欧米人からみて心から畏怖されるに足りる国ではない。しかし、日本のように発展した中国、または中 国のように広大な国土を有する日本であれば、もはや西洋人に蔑まれることはない」と結ぶ。現実として「日本は中国を侵略し領土とすることができなかった」 のであり、かりに日本が中国を占領していたら戦後の高度経済成長も無理なわけで(松下政経塾の塾生だってこれくらい理解できるだろう、きっと)、何よりも 自分たちが欧米人から蔑まれているというこの自虐観が憐れ。この文藝春秋で唯一面白かったのは「球団社長が語る巨人軍の危機」くらい。
▼その文春十一月号に「911で男になれた」手嶋龍一君(元NHK駐米特派員)が「危機の指導者」という連載始め第一回はご他聞に漏れず李登輝先生。日本 のジャーナリストにとって最も扱い易いのが李登輝先生でジャーナリストで李登輝扱うことは「能がない」と公言するようなもの。李登輝先生の政治力、とくに 現状では必須の馬英九の次期総統就任を阻止すべく阿扁不人気を逆に利用し国民党内で台湾本土系の王金平担ぎ出し国民党分裂させようと画策することなど(当 然、手嶋君はこのへんに触れておらぬが)李登輝のフィクサーぶり面目役如。だが手嶋君がもう司馬遼太郎以降「埃かぶってる」李登輝先生のつぶやき「台湾に 生まれた者の悲哀」なんて今もまだ活字にできるとは……。「台湾に生まれた者の悲哀」は李登輝と司馬遼太郎の文学的な修辞だろう、とアタクシは思うが、台 湾で実際に「台湾に生まれたことの悲哀」感じている者はおそらく渋谷区神南で「NHKに働くことの悲哀」感じている者よかずっと少ないはず。

十月十四日(土)昼までと午後に別な寄席で高座かけもちあり。昼の中休みに突然のことながらN氏の子息がバリカン買うのに(先日、佐敦の裕華百貨紹介した が業務用しか売ってなかったそうで)急遽、旺角の理髪用具専門店に同行。難なく大阪の電器メーカーの充電式バリカン購入。バリカンという言葉が気になりふ と調べたらフランスの製作会社名「Barriquand et Marre商会の社名から。フランス語ではtondeuseと云い、明治16年(1883年)に駐仏の外交官であった長田桂太郎が「トンズーズ」日本に持 ち帰り明治18年(1885年)に理髪師・鳥海定吉が使用し普及の由。言語学者の金田一京助が三省堂の「日本外来語辞典」を編集するにあたりバリカンの語 源だけが調べても誰にもわからず三年余悩んだ末、とある床屋で聞いてみれば其処の店主も気になって調べていた、という逸話もあり。早晩にShek Kip MeiからSham Shui Poにかけて漫ろ歩く。Shek Kip Meiは戦後、中国からの難民のバラック密集、それが1953年の大火で、いわゆる難民住宅と呼ばれる集合住宅建てられ、その後それが公共団地に進化する のだが、当時の最初の型が(といっても各戸に台所、トイレ完備にリフォームされたもの)現在、相次いで取り壊されている最中。この風景もすぐに過去の記憶 に仕舞われ、いつの日か忘れ去られよう。Sham Shui Poの文房具屋や玩具屋が思いっきりハロウィンモード。香港で最も人口密度高く雑多なことではこの上ない此の地でハロウィンがなぜここまで普及か。ハロ ウィンの仮装などせずとも、かなり濃い町なのは、地 下鉄駅の入り口に「これでもかっ」と思いっきり売春業旺盛に重い刑罰や性病蔓延防止のネオンが光るのを見れば、言わずもがな。川本三郎的に麦酒が飲みた い、が適当な酒場もない。下手に探して入ると場所柄かなりヤヴァイ場合もありセブンイレブンで缶麦酒購い路上で立ちのみ。この界隈だとそういうオヤジ少な からず。晩に帰宅して新西蘭のOyster Bayの05年、智利のMontGrasのAntuという葡萄酒を飲みながらサラダやチーズ、ロールキャベツ食す。ゴーダチーズをオーブンで焼いて蜂蜜を ほんの少しかけて麺麭にのせてデザート。
▼八月二十日に民主党の立法会議員何俊仁氏がデモ参加後に中環のマクドナルドで暴漢に襲われ負傷した事件で香港警察は広東省警察当局と連携で五人の容疑者 逮捕。逮捕のキメテは襲撃現場での目撃者の証言、それに中環市街に設置の監視カメラが逃げる犯人を撮り、犯行時の野球帽やシャツこそ着替えたが似た人物が 当日、落馬洲から深圳に出境するところが更にイミグレの監視カメラに捉えられ広東省公安が容疑者を特定し今回の逮捕に至る。我々もどれだけ普段、監視カメ ラに撮影されているかと思うとぞっとするばかり。
▼シカゴ経済学派の重鎮フリードマン先生が香港特区行政長官「自称政治家」Sir Donaldによる経済政策を香港の伝統的な積極的非干渉政策を放棄するものとして非難(確か一週間ほど前のAsian Wall Street Journal紙)。すると今度はSir Donaldの施政方針演説翌日に中国政府の経済政策ブレーンとして著名な中国社会科学院記入研究所の易憲容先生が十二日の明報(明報、久々に話題とな る)にフリードマンの指摘は香港にとって「警鐘長鳴」と指摘、市場経済法則が香港経済を成功に導くかどうかは中国の改革開放経済にとって重要な鍵になる、 などと指摘。どちらが香港と中国でどちらが共産主義での計画経済かどちらが資本主義の自由市場主義かもはやわからぬ。Sir Donaldの施政方針演説、といえば演説を「和諧した社会をいかに建設するか」と纏めたことに信報社説(十三日)は、これが今週の中国共産党第16回六 中全会で提唱された「和諧社会」の受け売りは、香港と中国は状況も異なり、安易と指摘。中国は二十年以上の経済成長のなかで貧富の差や沿岸と内陸の経済格 差、土地の強制徴用、環境汚染、公務員の腐敗など社会問題深刻で、それを受けての和諧社会の提唱。それに比べ香港はすでに先進国並の経済水準で社会保障や 福祉政策なども完備に近いものとなり、市民生活で民生面での基本は保障されており、社会矛盾は政府の非現実的な政策に対しての監察と非難であり、中国と同 じレベルでの「社会的矛盾の解決」とは違うだろーがっ!、と。御意。
▼マカオの崗頂戯院(Teatro D. Pedro V)につき月刊信報10月号に記事あり(黄萃文)。このテアトロ、1860年の建立で音響の良さは格別。わずか二百席のテアトロだが広い玄関ホールは昨年 までの改築までフランスのオペラ座か梵爾賽宮の如く鏡の間だった、と。梵爾賽宮?、音からどうも正名が拾えずI嬢に尋ねたらヴェルサイユ宮がこれ。今年の マカオ国際音楽祭、このテアトロでの演奏会で訪れられず残念。殊に今週水、木曜のポルトガルのFado、Carlos do Caromoの演奏聴くを逸したのが残念無念。
▼シンガポールが来年、全国(といっても狭いが)完全ワイヤレス化して無料でネット接続可。さすがハイテク先進国と誉めたいが実際にはネット規制厳しく、 よーは政府の認める範疇でだけ勝手にやりなさい、のシンガポールらしさ。カネを払っても自由がいい。
▼GoogleによるYouTubeのUS$16億という巨額買収。これを昨日の信報で曹仁超の投資者日記が面白く分析。YouTubeに1.1億本のビ デオ短編が収められ5.5千万の登記利用者あり。企業の掲載広告費を1000人あたりUS$10として全ての頁に広告掲載をした場合、5.5千万のコアな 閲覧者だけでも、それらが毎回5〜10本のビデオ閲覧した場合、YouTubeの1ヶ月の広告収入はUS$500万で年間US$6千万。Googleのプ ラットフォーム利用でビデオ配給の場合、投資コストはかなり低く抑えられ、仮に年の純利がUS$3千万とした場合、買収に費やしたUS$16億でみれば P/E ratioは37.5倍で理にかなう、と。昨年のネット広告費はUS$160億で、ビデオ配給分野だけならUS$3.7億とまだ小さいがネット広告は8% の成長率で2010年にはUS$300億の巨大市場。YouTubeがそのうち占めるのが数%としても社員数十人の企業とおもえば巨利。YouTubeの 創業者二人は三年内にUS$2億受領することが羨まれるがGoogleにしてみれば高くない買い物の由。

十月十三日(金)恒生インデックスが18000超え97年当時のバブル期上回る史上最高値記録した由。所属するランニングクラブの関係で、ある旅行会社か ら打診あり香港政府の観光局からのオファーもあり香港にウォーキングツアー送り込む企画あり、と。近ツリ社であったかずいぶん前から「香港の山歩き」組ん だツアーあり、てっきりそういったのんびりしたものか、と思えばさに非ず。二百〜三百人の一団(ってチャーター機一機分?)が香港に押し寄せウォークラ リーのような催事、而も「競走」の由。地元のマラソンやトレイルイベントへの参加に非ず。誰が準備して誰が当日の応援するのか。政府観光局にそこまでの知 恵もノウハウもなし。アウトドア団体が「香港への観光客誘致のため」に地元の地理にも不案内な日本人だけの数百人のイベントに協力するか。せぬわな。 ジャッキー=チェンのファンの集いではかつてジャンボ二機飛ばした実績もあろうがリスクや事故の責任など考えたら山歩きは危険すぎ。諸事打ち切り早晩に FCCに寄りハイボール二杯。寛ぎたいところだが昨日の日剰綴る。FCCもやたら賑わっていたが中環に下ると仙台なら大崎八幡宮のどんと祭の如き人出に何事かと思えば蘭桂坊にて毎年 恒例のカーニバル開催の由。ふだんから立ち入らぬ「ガキの遊び場」と化した蘭桂坊、今の呼び方ならLKF、催事開催では更に恐ろしいかぎり。帰宅。芋煮る 会の如き山芋の汁、潮州料理風の浅蜊と葱のオムレツ、油菜など。赤芋の炊込みご飯。NHKのNW9が国連の安保理決議がトップニュースなら、BBC WorldのAsia Todayはムハマド=ユヌス氏のノーベル平和賞受賞取り上げ、BBCのベンガル語放送の担当者が(英語で)詳細にわたりユヌス氏の仕事や、農村銀行の背 景について語る。文藝春秋十一月号読む。
▼香港は街頭に企つ淫売婦よりもマンションに部屋構え淫買客待つ「鳳姐」多し。九龍や北角の雑居大廈は私娼家化激烈。同じ階にずらりと淫売宿並ぶ所もあ り。尖沙咀天文台道のある私娼フロア?にて、扉のまえにT-backの誘惑的な水着姿で企ち通りがかり(ってすでにマンションの楼上に上がっているが)の 客の品定めに応ず私娼あり。私娼家の「顔をさらけ出して客引きせぬ」掟破りで隣家の鳳姐と口論となり客引いた娼婦が鈍器で頭殴られる事件あり。この世界な りの習わし、規則などあり。
▼根津甚八、秋吉久美子の「さらば愛しき大地」ならビデオで見られるが同じ鹿島を舞台に石原裕次郎で「甦える大 地」(中村登監督)という映画あり、と畏友J君に教えられる。裕次郎の「黒部の太陽」に続く作品。茨城県知事岩上二郎君と鹿島の開発関係者や住友 金属などの話が下敷きで、鹿島臨海工業地帯の「開発の苦闘と賛美」みたいな内容で興行的には大コケの由。当の鹿島の人たちもそんな映画あったことすら忘れ ているかも。裕次郎の他、司葉子、三国連太郎、川地民夫、浜田光夫に渡哲也と渋いところ。

十月十二日(木)毎週木曜日は小泉三世にかわり安倍晋三君からのメール届く。
こんにちは、安倍晋三です。
昨日、わが国は、北朝鮮に対し、すべての北朝鮮籍船の入港を禁止す る、北朝鮮からのすべての品目の輸入を禁止する、など厳格な措置をとることを決定しました。
……「こんにちわ」で語ることだろうか。今朝の朝日新聞の社説「君子豹変ですか」は安倍三世の首相就任後のソフト路線、リベラル的姿勢に「これじゃ朝日新 聞と変わらない」という声を紹介し軽妙。ただ、なぜ持論を変えたのかきちんと説明しろ、と言うが、そんなの質さずとも「首相になりたい」「首相をしていた い」からなのは当然。本日、晩に寸暇惜しんで湾仔の茶餐庁にて(嗚呼、なんでこうも高カロリーなものばかりなのかしら……と思いつつ)せめてもの健康志向 と羅漢齋(つまり仏式精進)炒麺食す。仏式精進でも油たっぷりなのは御愛嬌。それにしても美味なる炒麺。香港ではアタクシの好きな「固い焼そば」なのが嬉 しいところ。茶餐庁多き雑居大廈の横丁で制服姿の中学生の女の子、たぶん自分の親の経営する店か、店の外、角のテーブルで手慣れた手つきで餃子の皮に餡を つめる。ちょいと恥ずかしそうな表情がまた好感。遅晩にジムでサウナに寄り帰宅。Bowmoreを数杯。キース=ジャレットのチェンバロでバッハのフラン ス組曲など聴きながらパイプ手入れ。怒濤の如き一日の最後ふと心休む。
▼中村京蔵さんの「山月記」、脚本を書いた村上湛君が歌舞伎座地下稽古場で稽古に立ち会うにつけ、村上君が坐る場所、ふと思えば十数年前までなら、そこに 大成駒が坐り稽古を仕切っていたであろうこと思い、いろいろ感慨深いものあり、と。いい話。大成駒の晩年、可愛がられた若き頃の京蔵さん、湛君、葵太夫さ ん。こうして芸が継承されていくこと。六世歌右衛門もあの世でさぞや喜んでいるでしょう。
▼小泉前首相、安倍現首相ともども就任前後に創価学会名誉会長と隠密裏に会談。北朝鮮核実験よかこちらのほうがずっと興味深いが新聞はベタ記事扱い。
▼中薬港(香港を漢方薬のメッカとする珍妙な計画)の挫折だのCyber Portや香港鼠楽園の大失敗にめげず偉大なる香港政府、今度は「中華教育枢紐」なる、中国の英才をば香港に集め高等教育施す計画を提案。陶傑氏がさっそ くそれを嗤う。香港で二年の大学教育受けたものがケンブリッジ大学の三年級に転学できるのか、ケンブリッジはケンブリッジでも九龍塘の劍橋養老院でない よ、と。北京大学が世界の大学ランキングで東京大学より上の10位代前半にあり清華大学など優秀な大学いくらでもあり更に優秀な学生はOxbridgeや ハーバード、MITなど米英に留学は必至。なぜに香港に英才が集まろうか、と。机上の空論もいいところ。で昨日、行政長官「自称政治家」Sir Donaldによる施政方針報告あり。特区政府中央政策組首席顧問の劉兆佳君(かつて香港中文大学政治行政系講師でボルチモア=サン紙記者であった畏友R 君の指導教官、香港の竹村健一宜しく保守的に辛口の政治批評続け董建華に請われ政府入り)は信報に「以民為本、均衡發展」とSIr Donaldの施政方針演説を(そりゃ劉君本人の書いたようなものだから)誉めるが信報社説は英国統治時代の総督による方針発表に含め「歴史上最短的、重 大政策欠奉、一切留待競選」と厳しく論評。
▼長野県で田中前知事時代のG階知事室だの記者会見の「表現センター」などが現知事によって姿消す。記者会見が記者クラブに仕切られず一般市民参加など評 価すべき点もあろうが朝日の記事に地元紙記者が答えているように「いやな質問をする記者は指名しない、まともに答えない印象だった」点はあろうし、一旦嫌 うと徹底的に罵声浴びせぬの気の済まぬ前知事の姿勢は怖いものあり。ドクトル=ジバコ的な怖さ。とても都知事選に反石原陣営の統一候補では危なすぎて推挙 できまい。
▼衆院職員が国政調査費による「海外研修」で年度末に欧州で美術館めぐり。だが名目は「欧州各国における請願制度等調査」で美術館に関わりはなし。それを 衆院事務局は取材に対して「美術館などに行っているのは、各国の文化・伝統について調査しようという意識の表れ」として「請願制度は幅広い。どんな請願が 来るかわからないので、非常に広範囲の知識が求められる。派遣目的には『等』と記されており、そこには文化の研究の意味も含まれている」と呆れるばかり。 それなら風俗探求も広範囲での請願に必要かも。
▼ディープインパクト今季で引退。
▼能楽師(喜多流シテ方)粟谷菊生氏逝去。享年83歳。
▼柳家小せん師匠逝去。享年83歳。「女房のケメ子が」で笑わせ、喪主は妻のシゲさん。

十月十一日(水)昨日は日本の新聞休刊で今朝の朝日一面トップは「北朝鮮が核実験」。一昨日の「実験」をこうも大々的に報道されても……。疲労困憊。思わ ず諸事打ち切り早晩に銅鑼湾の某スパに飛び込み背擦と按摩。極楽至極。商務印書館でペリカンブックスの特売あり。2冊で1冊の値段でJames Joyceの“A Portrait Of The Artist As A Young Man”と“Dubliners”の2冊選ぶが実は2冊買うと3冊目がタダ、でGeorge Orwellの随筆集とする。いつ読むのかしら。商務印書館を、香港の日本人だと私も含め商務院・書館という感じで呼ぶ人少なからず。商務で印書(つまり 印刷と出版)なのだから商務・印書館なのだが……どうでもいいか。帰宅してドライマティーニ。空腹感あり冷蔵庫の味噌鰹大蒜(漢字並べると読みづらいが味 噌カツオにんにく)つまんでみると、これがドライマティーニに絶妙に合い驚く。信報月刊十月号読む。丁望氏による文化大革命40年での劉少奇失脚に関わる 史実詳録が見事な内容。夕食済んだらいつのまにかソファで熟睡。
▼12月の香港国際レース。世界的牝馬Ouija Board、今季、Breeders' Cup或いはジャパンカップ経て12月の香港国際レース参戦を最後に引退の由。Ballydoyleも参戦。香港スプリントが1000m直線から 1200mに変更。沙田の1000m直線が国際G1からなくなるのは寂しい。

十月十日(火)雙十節。台北では阿扁下台叫ぶ百五十万人規模の抗議行動あり。諸事忙殺され、かなり「やっつけ仕事」で済まし晩に天后の関西料理・利休。バンコクから来港のY氏にバンコク新空港の話など聞く。利休が夏 には肆を畳む、九月末まで延びたが仕舞うのは確か、すでに閉まっていた、とマコトシヤカに何人かの人に聞き私自身何人かにそう伝え8月には「利休もこれが 最後か」と最後の鍋したが、今晩もかなりの盛況。「本当にお閉めになる?」と尋ねるのも野暮。ただオニオンスライス運んできた女将に「甘いタレにしました がお嫌いでしたら次回は酸っぱいのにしますから」と言われ、ボトルの残った焼酎も御主人に「キープにさせていただきますわ」と言われ、一向に閉める気配も なし。バンコク市内で洪水、とY氏夫人より電話あり。市街で膝くらいの水の出。洪水といっても突然の大雨でなく雨期の終わりでタイ北部よりじわりじわりと 洪水が広がりスコタイが水に浸かり次がアユタヤで九日か十日にはバンコクにも、と洪水予報ありのじわっと広がる洪水の由。思わず
クーデターよりもずっと怖い水がデター
とつまらない洒落が浮かぶ。Y氏と尖沙咀にかつてあった富士ホテルや重慶大廈の最上階の安宿隣の格安チケット屋、佐敦のラッキーゲストハウスやシャムロッ クホテルのボルシチなど八十年代の香港的な話題で盛り上がる。バーY。珍しく更にバーSにまで梯子酒。バーS盛況にて立ち飲みもまた愉快。
▼今月末27日に中村京蔵の山月記(原作・中島敦)の初演 ありと久が原のT君より知らせあり。脚本が畏友村上湛君で演出は萩原朔美(アタクシにとってはビックリハウス初代編集長)、竹本葵太夫の作曲に振付は藤間勘十郎。

十月九日(月)週末に休養すればいいのにマカオだトレイルだ映画だと続けた結果さすがに身体も倦怠感覚える。そごう旭屋書店にアサヒカメラ十月号受取。不 愉快なるはこの本屋の破廉恥なる民族主義。いつも平積み新刊書は「つくる会」だの藤原某の『国家の品格』、嫌韓などばかり並び今日もずらりと韓国だの中国 を罵ることで我が日本国民のアイデンティティの高揚をば図る本が並ぶ。国 内ならまだしも海外の而も香港に於いて、このテの本が売れることも寂しければ(実際に仕事で中国に接するからこそ「そうなんだよな」の腹癒せで読まれるの だろうか)売れるからといって売る方も売る方。書籍売ることが啓蒙どころか蒙を深める。もう15年も前にそごう拡張のおり紀伊国屋書店が入るという話あ り。流れて真に残念。シンガポールなりバンコクなり真っ当な大型書店あるなか、なぜ香港にはそごうの旭屋程度の規模と質なのか。ライカM8がついにデジタ ル。ライカの時代も終わりか。エプソンのプリンタXP-5500に 食指動く。Sony Style HKに寄りイヤフォンEP90LP購 う。そ ごう百貨店の地下から銅鑼湾のMTR站に渡る通路に大陸からの田舎旅行者座り込み。MTR職員(白いシャツ、後 ろ姿)が慇懃に座り込まぬよう説得するが「何が悪い」と開き直りの傲慢。太古。終日体調悪くC医師の診療所に寄る。C医師に会うなり疲労に加え体力消耗で 胃腸炎だと思うと思わず口走りC医師に「診断する前に患者が勝手に病名まで判定するべからず」と笑われる。診断の結果、やはり gastroenteritisなり。Protrek太古店に寄りHurricane Ridge XCRというトレイルシューズ購う。昨日のトレイルでもさすがに草臥れた、二年近くで履き潰しのトレイルシューズの交換だが、旧知の 店員の実に専門的なフォローで靴を選択し、幅広に微妙な調整をしてもらい、さらに足にあった紐の締め具合まで教えてもらう。帰 宅してドライマティーニ一杯。カレーライス。トリスのハイボール。NHKのNW9で本日昼頃の北朝鮮での核実験につき43分間だか報道続く。北朝鮮の核実 験がなぜ今か?と。答えは簡単で中国から韓国に飛んだ安倍三世への首相就任へのご祝儀と理解すべき。核「実験」である。広島で老人らに「核の恐ろしさは被 爆した私たちじゃないとわからない」と語らせ核の、テロ国家の核実験の恐ろしさを強調するが、核実験しますよ、と既に告知していた北朝鮮が予定通りの核実 験。予告しておきながら核実験しなければ「さてどうしたことか?」と心配だが。安倍三世は待ってましたとばかりに韓国で記者会見し北朝鮮への経済措置を含 む強い態度を主張。桧舞台とはまさにこれ。ニュースは北朝鮮への制裁、国連憲章第7条に従わない独善的行為、と批判するが、国連の動き無視してアフガニス タン、イラク攻撃する米国には甘く北朝鮮には厳しいのか。米国は国務省高官が北朝鮮がこういった行為続ける限り「米国は東アジアに関与し続ける」と声明を 発表。まさにどの国も北朝鮮さまさまで北朝鮮という「悪」を援用。勿論、核保有国、しかも独裁ファッショ国家の核開発は怖い。が北朝鮮の予定通りの核実験 を43分も報道し続け「北朝鮮は怖い、怖い」シンドロームで一億大騒ぎする日本のほうが国情として怖いものあり。北朝鮮は少なくとも多くの国民は政府のデ マローグに乗ってはおらぬのだから。神妙な表情でソウルから報道する特派員も、軍事紛争があれば仕事が増える、イラクでも北朝鮮でも目を活き活きさせた軍 事評論家が気分高揚しながらの弁舌の勢い。久々に軍事評論家・江畑謙介君の尊顔に排す。尊顔というより尊髪。金正日将軍様の髪形も強烈だが江畑先生の髪形 もそれに勝るとも劣らず。北朝鮮よりもあたしゃニュースが怖い。気分かえてビデオで先週土曜日のRTHK制作のテレビ番組「數風流人物」を見る。香港の元 SF小説作家・倪匡がゲスト。司会の往年の二枚目若手俳優・甘國亮が実はデビュー作が1974年の武侠映画の脚本が倪匡によるもの、であったと語る。倪匡 先生、創作活動から引退したばかりか嫌共でサンフランシスコに移住していたが様々な成人病でもう先も短いと思われていたが(蔡瀾がかなりそのへんを書いて いた)香港に戻り今晩の番組など健啖ぶり絶妙。上海訛りの早口の広東語で実に可笑しな話盛り沢山。何度もこの日剰に書いたが蔡瀾、倪匡に黄沾(故人)が勝 新太郎招いてのトーク番組の実に面白かったこと。懐かしむ。

農暦八月十七日。寒露。さすがに昨晩香港戻りが午前十二時半、帰宅して午前一時では今朝八時まで熟睡。机まわりの雑用など片づけるうちに昼近くとなり慌て てトレイルの準備して正午に坑口のMTR站。本日は還暦すぎてなほ健脚のO氏と二人でMacLehose Trailのセ クション3北 潭凹より企嶺下までの距離は10.2kmであるが一気に300mの登りから始まりアップダウン激しい行程。O氏はフルマラソンのベストが50代前半での3 時間10分で「もう4時間きるのは難しいですねぇ」とアクタシにしてみれば唖然な話、「今朝は西湾河より石澳まで走って往復しました」と気軽に言われる。 飛ばしはしないが快調なペースで途中、許林ストアで豆腐花食した時に坐っただけでほとんど休みもせずに2時間40分で歩き終わる。西貢に戻りいつもの如くThe Duke of Yorkに入りステラアルトワ麦酒注文したと ころで本日、大埔で10kmランだかに参加のO氏現われ一飲。ミニバスで坑口経由で太古。Protrekアウトドア専門店に寄り西湾河の二記海鮮飯店に早い晩飯。一旦帰宅してシャワー浴びて一時間ほど転た 寝。晩遅くIFCの映画館にて香港亜州電影節の閉幕記念上映で是枝裕和監督の『花よりもなほ』観る。香港での題名『花の武者』はなかなか言い当 てて妙。嫌な予感やはり的中で発売早々満席売り切れの映画のはずが100席としたら20席近くは空席あり。そこに是枝監督来場。主催者は動員率8割で成功 というが明らかに疑問あり。是枝監督面白可笑しく挨拶。この映画、天下太平元禄の江戸を舞台に、さしずめ下谷山伏町あたりの長屋舞台に岡田准一演じる信州 松本出の侍の父の仇を探しての仇討ちと赤穂浪士の仇討ちが、この長屋舞台に巧妙に縺れた話で描かれる点は是枝監督の原案と脚本が見事。ただ話の最後で仇討 ちの怨念を「愛」に転化する、それをするのは勝手だが、いちいち宮澤りえの科白にせよ説明がましい難はあり。とにかく長屋と、その半ば貧民の住人の舞台美 術と衣裳が「これでもか」と秀逸。美術は馬場正男。今さら説明も要らぬ映画美術の巨匠は1948年に大映に入社後、黒澤明の羅生門、溝口健二の雨月物語、 山椒太夫、衣笠貞之助の新平家物語と地獄門、安田公義の大魔神、フリーとなり勝プロの座頭市、その後松竹京都映画で78歳の現役。 テレヴィの鬼平犯科帳もこの人。で衣裳は黒澤和子。役者は古田新太演じる貞四郎のストーリーテラー、トリックスターぶりが秀逸。國村隼、原田芳雄、中村嘉 葎雄、石橋蓮司、寺島進と脇を固める役者がいいし、若い役者も本当にこの映画への出演を、エキストラも含め楽しんでいることが、その科白のイキの好さ、表 情から実によく読み取れる。

十月七日(土)昨晩遅くまで月を愛で、ということで「中秋節翌日」という風雅な休日。朝九時半のフェリーでZ嬢マカオに向う。Festival Internacional de Musica de Macau(マカオ国際音楽祭)で晩にケ ルンWDR交響楽団(旧ケルン放送交響楽団)の演奏会あり。目的はそれ。どうせ休日だし昼飯をゆっくりと堪能し、と考えたら折からのラスベガス化 したマカオブームの煽りか昼前のフェリーが一週間前でもとれず結局、朝九時半出。マカオに着きバスで旧市街のPadre Antonio街に行き、今回の音楽祭でもいくつかの音楽会の演奏会場となっている崗頂戯院(Teatro D. Pedro V)をあらためて見学。瀟洒なテアトロにて何か音楽会の仕込み始まるようだが警備員は私らが勝手に入ることも見て見ぬふりで厭 わず。Santo Agostinho教会などまわり散歩しながら付近の古めかしい街並をゆっくりと十九世紀後半の中国の思想家・鄭観應の旧居、鄭家大屋に向うが改装 中。媽閣(Templo de A-Má)よりバスでCotaiと呼ばれるかつての泥地、そこを埋立てにラスベガス系の大型カジノリゾートの建造相次ぐ光景眺め空港方面経 由してコロアネ島のCentro(路環)。Retrante Espaço Lisboaに昼食。鮹のサラダ、山羊チーズを前菜に注文せば山羊チーズの塊をさっと焙りパンの上に載せ蜂蜜 たっぷり、これデザートでしょう(笑)、でも美味。海鮮炊込飯で満腹。DouroのPlanaltoという白葡萄酒。パ イプ一服。酔い心地よきまま来たバスに乗っちまえ、で再び媽閣。かなりの陽射しに閉口。タクシーでマカオ芸術博物館。劉健威 氏などから噂には聞いていたが立派な美術館。テアトロと美術館の間の建物の空間が涼風心地よく、そこで読書(昼寝か)のZ嬢と別れ美術館の展示をじっくり と見る。特別展は故宮博物館よりの出展で乾坤清気と題し青 藤白 陽、つまり明の時代の陳淳(1484〜1544年)字は道復、又は復甫、白陽山人と号す蘇州府長洲縣人、それに浙江山陰(今紹興)の徐渭 (1521〜1593年)、字は文長、天池、晚年は青藤道人と号す、の二人の花鳥画の展示。個人的には書法は白陽(陳淳)が好く、絵画は青藤(徐渭)が好 い。常設展の歴史画展は当然のようにGeorge Chinnery(香港のマンダリンオリエンタルホテルのバーの名前にいただく)、と思っていたが同じ19世紀のマカオにAuguste Borgetとい うフランス人紀行画家がわずか十ヶ月滞在しマカオ市街の都市画残したのだが、精緻なるそれが実に見事。香港でいえば1946年のHedda Morrisonの都市写真のような奇跡。さらに特別展でフランスの現代芸術、Niki de Saint Phalleの展示あり。 精神を病み、その回復治療の一環として絵を描き始めた、というが芸術新潮だかでちょっと見ただけだったので現物展示を見られたのは幸運。これだけの展示、 半日かけてもまだ足りぬところ急ぎ足。Z嬢とわかれ夕方のマカオを少し散歩。燈刻Z嬢とClube Militar de Macau(澳門陸軍倶楽部)のメ ンバーラウンジで待ち合せジントニック一杯。パイプ煙草一服。新馬路まで歩いて北京水餃に食す。韮と白菜のそれぞれの豚肉の水餃子を十個ずつ注文した が白菜のが出てくるのに10分、更に15分待っても韮のが供されず、どうも韮のほうの飴が足りぬようだがセットメニューの客らには次々と供され、二度催促 するが「もうすぐ」「もうすぐ」の繰り替えし、「たかだか餃子に30分も待てるか!」と勘定求めるが「もうすぐだから」「作っている」で勘定の愛想に応じ ぬ店員に、卓向かいの老婆も口に餃子モグモグしながら「いいよ、餃子くらいいくらだって捌けるんだから、アンタらが帰っても」と私らに加勢、食べた分だけ 10パタカ(水餃子8パタカ、豆乳2パタカ……安すぎ)置いて、店を出る。15年ほど前に暗い街角で見かけた薄汚い餃子店に、その美味さに驚き、数年後、 今の場所で新規拡張開店を知り経営者の北京青年もすっかり貫録がつき店の繁盛は他人事ながら嬉しく澳門に行くたびに食した水餃子であるが今晩は老板の彼も おらず店員の対応の悪さには呆れるが餃子も飴はどこか水っぽく餃子の皮もまだ粉の臭いが残るような手際の悪さ、ちょっと再来に能わず、という気分。バスで 今日の午後遅く訪れた澳門芸術博物館と並んで立つテアトロに参りケルンWDR交響楽団の演奏で、指揮はSemyon Bychkovで、ドヴォルザクの謝肉祭序曲、メンデルスゾーンの交響曲第4番伊太利、休憩はさみラフマニノフの交響的舞曲、ア ンコールはハンガリアン舞曲5番など3曲を聴く。謝肉祭序曲は腕試し、としてメンデルスゾーンの4番では(もともとあたくしはあまり好きな曲ではない)真 面目な演奏だが抑揚もなく「ちょっと大丈夫?」という感じで消化不良であったがラフマニノフの交響的舞曲は素晴らしい演奏。これを聞かせるためにメンデル スゾーンは抑えた?……まさか。小屋も質実剛健な造りで音響は、音楽、演劇対応の総合舞台のため多少劣るが立派な多目的ホール。演奏会跳ね、十六夜の月を 愛でつつ裏のマンダリンオリエンタルホテル(かつてはここが沿岸!)まで歩きVascoと いう酒場でけっこう素敵なサックスのジャズを聴きながらジャックダニエル二杯。パイプ煙草一服。マンダリンオリエンタル・マカオと言えばかつては沿岸から マカオ湾を臨むバーが魅惑的で、夕暮れにここでぼんやりと一飲がよかったが今では近くの巨大カジノのネオン煌々として埋立が進み、すっかり内陸。酒場もロ ビー上のこの空間に移動していた。深夜のフェリーで香港に戻る。

農暦八月十五日。中秋。午前一時に寝ても何故に五時過ぎには目覚めるのか、まさに老いそのもの。今晩の中秋の名月は九年ぶり大きさ。月までの距離が 36.3万kmで98年の35.5万kmに次ぐもの。次は2015年まで待たねばならぬ由。早晩にFCCに寄しハイボール二杯。Z嬢と待ち合せFCCのダ インに食す。晩に油麻地のCinematiqueで映画鑑賞。この映画館ならいつもなら美都餐室など油麻地界隈の料理屋に参るところ中秋の晩は休む食肆少 なからず逆に開く料理屋は中秋の家族団欒に混雑すること確実。でFCCで夕餐済ますのが賢明か、という判断。菠薐草のサラダとReubenを食す。で晩に CinematiqueでHo Yu Hang監督の映画“Rain Dogs” (太陽雨、Tai Yang Yue)を見る。今 年のヴェネツィア映画祭のOrizzonti部門で上映されたマレーシア映画。壊れかけた家庭に育った十代の若者が自分と家族の再生のために踠く姿を描 く、ありがちといえばありがちな物語。特筆すべきはHo Yu Hangというこの監督がマレーシアの郊外と都会の闇を実に見事に画像にとらえる、その洗練ぶり。マレーシア映画だが、その主人公らの家族やほとんどの登 場人物が広東語、それに普通話もあり、の華僑映画。映画館出ると中秋の晩で外に人多し。油麻地の廟街や天后廟のあたりで中秋の月を愛でる。
▼The Economist誌の今週号は表紙に大きく安倍三世。特集記事を読むと安倍三世の首相就任に外交問題としては実に楽観的。外交は確かに対中韓では関係改 善あるはず。問題なのは内政。安倍三世に問題があるのではなく何があっても全く不感症、思考回路停止状態の「おまかせモード」の国民が過半数占める中で、 自民党も本来の党内政治の政治構造が、そして良くも悪くも官僚制が小泉三世により壊滅的に破壊された中で、総理大臣が「なんでもできる」状態になってし まったことなのだが。
▼マカオの観光の隆盛と香港のそれの衰退につき数日前の蘋果日報に陶傑氏の文章あり。国慶節大型連休に大陸より香港旅行の客は昨年同期比で二万人減。反 面、ラスベガス系大型賭場開幕相次ぐマカオには大陸から多く集客あり。陶傑氏曰く賢い米国人は中国の官僚の上は上海市党委書記から下は郷鎮企業の幹部まで 公金着服など汚職贈収賄が中国の官場で永久に続くことに目をつけマカオのラスベガス化で彼らに遊び場の提供は、賭場開業から一年で投資資金回収可の大成 功。これこそハーヴァードのMBA課程では教えぬ投資成功の見事な例であろう、と。それに比べ香港は北京、上海、深圳の何処にあるのと大差ない巨大ショッ ピングモールの建設しか能がなく、大陸から来た観光客が香港の中文紙見れば人民日報より極左の論調に驚き、国内の繁体字の復活に比べ香港の簡体字化も奇妙 に映るところ。英語を解す大陸人には香港のテレビの英語チャンネルのニュースも明らかに香港の地場の「一口半鹹不淡的前植民地英語」は中央電視台第九台の アナウンサーの流暢な英語に比べ明らかに劣り「国際都市」と威張る香港をかつて訪れた紐育と比べ「こりゃダメだ」と思われてお終い、と。
▼三越や香港日本人倶楽部が入居の、近日中に取り壊しとなる銅鑼湾のHennessy Centreの高層ビル、これも利家財閥の所有で設計がEric Cumineによるものであった、と知る。戦前の上海、そして戦後の香港の建築におけるEric Cumineの意義は昨年十二月廿一日の日剰に述べた通り。銅鑼湾にとくに多くCumineの建築物があったが、近代的な高層ビルとしての Hennessy Centreはあまり建築史的には評価されず。取り壊しは今となっては残念。

十月五日(木)昨日、Hazeという「靄」だか「霧」だか、あたくしはこれに「朦霧」という言葉を創り……などと書いたが、実は「朦霧」という言葉はすで にあり、それどころか日蓮聖人が『立正安国論』のなかで
廣く衆經を披きたるに專ら謗法を重んず。悲しいかな、皆正法の門を 出でゝ深く邪法の獄に入る。愚かなるかな各惡教の綱に懸かりて鎭に謗教の網に纒はる。此の朦霧の迷ひ彼の盛焔の底に沈む。豈愁へざらんや、豈苦しまざらん や。汝早く信仰の寸心を改めて速やかに實乘の一善に歸せよ。然れば則ち三界は皆佛國なり、佛國其れ衰へんや。十方は悉く寶土なり、寶土何ぞ壞れんや。國に 衰微無く土に破壞無くんば身は是安全にして、心は是禪定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし。
とまで書いていることを初めて知る。だが、この深く立ち込め晴れぬ霧、こそhazeにはぴったりフィットかしら。本日諸事忙殺され晩に至り二更に銅鑼湾のバーSに寄し一飲。ニッカウヰスキー「余市」。帰宅の途にふと空腹感あ り気がつけば夕食を未だとっておらず。が酒は飲んだ自らに恥じ入るばかりだが無性に腹が空き深更ながら「そごう」裏の利苑粥麺に雲呑麺食す。深 夜のどーでもいい夜食程度で、此処も場所柄どーでもいい食い物供して十分にやっていけそうだが、この絶好のロケーションでどーでもいい時間にきちんとした 雲呑麺がHK$20で食せるのだから有り難いもの。日本での深酒のあとの脂ギトギトの拉麺に比べたらあっさりと雲呑麺食せることも有り難い。而もこの麺 家、土曜日は江瑤柱麺、日曜日は特製鮮蝦鶏肉雲呑、と週末だけのメニューまで用意。地の利に驕らず立派なもの。帰宅途中にタ クシーの車窓より旧暦八月十四日の、明日が中秋、の月を愛でる。タクシー降りて暫し月に見惚れる。

十月四日(水)Hazeという「靄」だか「霧」だか、あたくしはこれに「朦 霧」という言葉を創り、ちょいと枕草子っぽく
朦霧のけむりたるは、いふべきにもあらず 遠き山々も靄いと白きも  また、さら でもいと暑きに、打ち水などして扇もて過すも、いとつきづきし
のつもりでいるがやはり最近はhazeと聞くとhaze=大気汚染という認識が一般化しており、具体的にいったい何がどうでどうなのか、が今ひとつ不明だ が在マレーシアの日本大使館もヘイズ危険情報など提供(こちら)。 いずれにせよhazeはもともとは赤道直下のものが今では亜熱帯の香港なども当たり前と なり台湾も北回帰線あたりまではヘイズあり。近いうちに沖縄、九州と地球温暖化でヘイズ拡散は必至。本日、薮用あり某日系大手銀行支店の窓口で久々にかな り「横柄な」日本人に遭遇。銀行での出納のサインがどうも照合できない様子。「ぼくはいつくもサインがあるから、どれを使っているかよくわからないよ」っ て、「お客様のサインはこれです」って銀行がおいそれとサインの見本を見せてくれるはずもあるまいに。自分は銀行窓口ロビーのソファに座ったまま、同行の 日本語担当な社員に指図していたが要領を得ず、その彼に「誰かいつも対応している日本人に出てくるように言ってよ」と言い彼がそさくさと日本人行員の助け 求めに行くと、腹の虫が収まらぬのかカウンターの行員に「僕はね、こんなところで対応されたことはないんだよ。いつも応接間に通されてね、それがまった く……」と文句言うが、カウンターの行員が日本語を解せぬこともお構いなし。日本語の多少できる行員が出てくると、署名をふたつ書いてみせ「このどっち か、か確認してよ」と依頼し、また日本語を解さぬ行員相手に「ほら、支店長、副支店長、担当のWさん、Iさん……」と、行員が「禮貌がない客だね」とつぶ やいているのも知らず、その銀行の支店長らの名刺を並べて、自分がどれほどVIPな客かを横柄に説明。対応の悪さに不満述べ続ける。このオジサン一人の行 儀が、だれだけ人に不快感を与え悲しい思いをする人が多いことか。晩に帰宅途中一緒になった知己の麦酒愛飲のT氏、自らの腰痛は麦酒に原因ありかもと述べ られ、言われてみれば余も最近腰痛あり、事務机の椅子の所為にしていたが、普段はそれほど回数も量も麦酒の所為かも知れぬ、と思えなくもなし。帰宅してド ライマティーニ二杯。晩飯ではサントリーの山崎。朝四時過ぎに目覚めていたため早寝。
▼香港の全人代代表で土共左派代表する親中派医師・鄔維庸氏 逝去。享年68歳。香港市民の大陸生まれ子女に関する香港居住権の問題でも99年には中国の御用法学者の見解(当然、居住権なし、とする)を政府中央の見 解として持ち上げ、居住権ありとした香港の最終裁の判決を「ガキの英雄気取り」と罵り、数年前には香港市民の民主化要求世論に「香港市民はドッグフード与 えられる飼い犬のようなもの」と発言、北京中央に対して口を慎むよう非難。翌日、謝罪。全人代への香港代表で威勢よかったが今日の蘋果日報で李怡氏曰く、 鄔維庸は全人代の香港代表でなく専制的な全人代を代表し香港駐在のようなもの、と指摘。御意。
▼日本の新聞が「つまらない」と思うことばかりだが社会面の片隅の、ふだんあまり読まぬベタ記事読めば
・統一教会の信者が強制献金で5.5億円の賠償求め東京地裁が教会に対して2.9億円の賠償命令の判決。
・北朝鮮の「救う会」元幹事らが同会の佐藤勝巳会長を1千万円の業務上横領で告訴。佐藤会長は1千万円横領認めたが元北朝鮮工作員に渡すなど情報収集に 使ったと着服を否定。
・中教審が小中学校の教員給与を一般公務員より優遇する「人材確保法」維持する方向へ。
といった何かと興味深い記事並ぶ。北朝鮮拉致者の方々の家族の皆さんが安倍三世首相就任直後に首相官邸で拉致問題の積極的な解決求め安倍三世の誠意ある涙 が語られる御時世、かなり力をもった「救う会」のこういった経理問題などもっと大きく取り上げられるべきもの。
▼この日剰でもかなり言及し、その文章引用する香港の才人・陶傑氏 について。今週金曜日晩七時よりテレビ翡翠台にて放送の「數風流人物」なる番組に出演し文雅について語る陶傑氏を紹介の新聞記事(蘋果)読んでおれば、陶 傑氏に数年前、九龍塘「木乃伊事件」なるものあり。陶傑氏についてはかなり読んで知っているはずのアタクシがこの九龍塘木乃伊(ミイラ)事件について全く 知らず。困った時のI嬢頼み、で調べて貰うとさっそく陶傑氏の九龍塘木乃伊についての記述あり(こちら)。 04年8月に九龍塘の時鐘酒店(ラブホ)にて愛人との浮気現場を下世話マスコミに探知された陶傑氏が暴露恐れトイレットペーパーで顔面覆い目だけ開けて (でこれがミイラ……笑)ホテルから自動車運転して強硬脱出図った、という話。なぜこれほど可笑しな話をアタクシも知らずに……と思ったが日剰捲れば当 時、台湾一週鉄道の旅の途中。浮気現場公表された陶傑氏は開き直り得意の弁舌で「結婚とは無期懲役の終身刑の如きもの。ときどき保釈願い気晴らしし、また 刑務所に戻るくらいの生き抜きが必要」だの本妻との生活と浮気現場を「一国二制度、高度自治」に喩えるなどさすが(笑)。香港代表する英才、さすが奇人的 に色好み、で愛人とラブホでの逢引はかなり頻繁との由(当時、今は知らず)。ノーベル経済賞候補にも名が上がった、シアトルで贋物中国骨董の販売と脱税で インターポールに追われ中国に潜伏中の経済学者・張五常先生と同じく、頭脳明晰と異常さは、筒井康隆の肯定する通り、共存か。でこの陶傑先生九龍塘木乃伊 事件を紹介のサイトには陶傑氏の生い立ちなど詳細記載あり。香港土着の親中派罵倒する陶傑氏であるが父親の曹驥雲はかつての大公報紙副編集長で母親も同紙 の編集者。陶傑氏幼き頃は大公報新聞社の宿舎に住い、真光小学に学び、文革の影響受けた67年の反英暴動の頃に親中系の培僑学校に転校し毛沢東語録を読み 深圳で「東方紅」の映画を見る、典型的な左派家族の環境に育つ。17歳で英国留学。親中派の左翼の父母が息子を英国に留学させたのは帝国主義国家を反面教 師的に実態見せ学ばせるため? 父母に反発でトラウマ的な反土共左派嫌いかしら。大学卒業後は倫敦でBBCの番組制作に携わり香港電台の倫敦特派員も兼 務。BBCの番組制作プロデューサー業の傍ら倫敦経済学院(The London School of Economics)で国際関係論の修士学位を取得。この英才が1991年に倫敦に遊んだ査良鏞(武侠小説の大家、金庸)と出会う。査良鏞は「当時は」香 港の知識分子愛読の新聞・明報の創設者、社主で、偶然にも陶傑の父の大公報時代の同僚。査良鏞の勧めで陶傑は倫敦から明報に「テムズ湖畔」、のちの「黄金 冒険號」の随筆連載を始め好評を博し(90年代前半のアタクシにも懐かしい時代)、査良鏞の求めに応じ香港に戻り明報副刊の副編集長。この直後、明報は査 良鏞の引退で当時バブリーな若手投資家・于品海(P.H.Yu)に売却され、陶傑氏は東方日報系の英字紙East Expressに引き抜かれ政治面総編集となるが94年9月に午前4時の退勤時、七人乗りの自動車で旺角に向う途中、大事故に遭遇。同乗の同僚死亡する中 で陶傑氏は意識不明の重体になりながらも奇跡的に生き延びる。East Expressは不振で廃刊となるが蘋果日報の黎智英の知遇を得て蘋果日報で黄金冒険號の連載続け、李八方の名で政治ゴシップ欄を編集し日曜日には蘋果日 報の社説にあたる「星期日休息」まで任され今日に至る。蘋果日報関係だけで月の原稿料は20万ドルの由。

十月三日(火)曇。賈樟柯のドキュメンタリー『東』、根岸吉太郎の『雪に願うこと』と二日続けて香港亜州電影節(HK Asian Film Festival)で映画見たがIFCの小劇場での一、二回の上映とはいえ発売開始から早々と満席売り切れの映画多し。だが二本ともいざ上映となると空 席、というか小劇場でスクリーンに遠い上席ほど何列も客のほとんどおんぬ数列あり怪訝に思えたが、本日、N氏にこの映画祭の閉幕上映、是枝裕和の『花の武 者』の入場券をいただき、これも満席、売り切れであたくしは入場券確保できずにいたもの、実は満席映画の空席の列が、この映画祭に協賛のスポンサーに入場 券配った「死に席」であると知る。せめて無料券配り実際に観賞希望の人には座席指定券と交換、程度にすればいいものを最初から座席指定の入場券などバラ撒 くから映画によっては空席の列が出来る。映画が見たい客が見られずスポンサーが入場券を無駄にするのは不甲斐ないこと。本日、さすがに昨日の25kmのト レイルで疲労感とともに微熱あり。毎年のことだが10km程度の走りなら平気でも突然、ハーフマラソンだの20km超えるトレイルウォークとなると身体が 驚き疲労感と微熱となる。晩に帰宅して名前失念の智利の赤葡萄酒でパスタ。早寝。
▼今日の朝日に寺島実郎氏の「時代の空気について」という一文あり。寺島氏は911以降、一切ブレることのない論客であり一貫して虚実を突く姿勢が見事。 いつも氏の論ずるところはいい意味で同じなのだが今日の「時代の空気について」はその中でも傑出の一文。時代の空気がおかしい、ポスト911の世界が「テ ロとの戦いを掲げた、逆上するアメリカの表情を投影するかの如く、全般的に「自国利害中心主義」の潮流の中にある」として「より強く近隣を批判することが 愛国的であるという方向に走り、協調を主張する者を「非国民」「利敵行為者」として排撃する雰囲気」、そう、まさに加藤紘一君の自宅が放火されるような、 「近隣の国々には侮られたくない」という次元での屈折した歪んだナショナリズムへの傾斜」があり、寺島氏は寺山修司の
マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
という歌を引いて「決して祖国を愛さない「非国民」的な心象風景ではなく、むしろ「見捨つるほどの祖国」への希求を潜在させた熱い想いを象徴している」と 説いた上で、歪んだ愛国心、の不健全さについて述べる。
一人の大人として、若者に「国を愛するべきだ」と語るのではなく、 愛するに値する国を創ることに責任を共有せねばならない。
と寺島氏は述べる。その通りなのだが、これを聞いたら安倍三世は「だから愛するに値する国を創るためには教育基本法の改正、憲法改正が必要なのでしょう」 と“共鳴”してしまうだろう。
▼Christopher Johnsonという書き手の“Democracy, the Asian way”という文章を読む(今日のSCMP紙)。ここにテンプル大学日本校のAsian studies科ダイレクターのJeff Kingstonという先生の日本政治に対するコメントがあり
Japan's political culture used to be very confrontational, very highly politicized. Now it is much less so. Because of the prolonged recession, people are worried about job security. In tough times, people look to their own interests.
と簡単ではあるが、そう、日本のかつての政治=自民党の党内政治のことなのだが、は良くも悪くも派閥の力学で非常に競走性のある高度に政治化されたものな のだった。それが今では自民党がぶっ壊され派閥の力学がなくなった結果、どうなったか。結局、安倍翼賛制という、自民党の中に政治がなくなってしまった実 態。これが小泉三世の自民党をぶっ壊すの顛末、実は自民党がぶっ壊された結果、日本に政治ぢたいがなくなってしまった、という悲劇。それを国民が選んだの だから大それたこと。
▼朝日新聞のニッポン人脈記という連載で大鵬と柏戸の柏鵬時代について。昭和37年から翌年にかけての大鵬の六連覇、昭和38年秋場所で四場所休場から復 帰の柏戸が十四連勝で千秋楽に優勝かけて大鵬と対決。柏戸が大鵬破り優勝。この決戦について当時、石原慎太郎が日刊スポーツ紙上で「協会ぐるみの八百長」 と決めつけ「千秋楽の優勝決定、よみがえった柏鵬激突の一戦とか称するしろもの。あれは一体何ですかね。(略)尊い国歌をあんなつまらぬ八百長ショーの後 にぬけぬけと歌わないでくれ」と当時、まだ三十二、三の若く気性の激しい、世間知らずの若者(で今も何ら違いもないが)石原慎太郎が噛みついた(それにし てもこの柏鵬戦を八百長と罵るのは自由だが、そこから表彰式での君が代に結びつけてしまうところが石原らしいが)、とい話を知る。相撲協会は同紙と石原を 名誉棄損で告訴、その頃、あまり離す機会のなかった柏鵬の両横綱は一緒に車に乗る機会があり大鵬が「いろいろつらかっただろうね」と語りかけると柏戸が 「うん」と首肯いてぼろぼろ男泣き。それ以来、柏鵬は打ち解けて話すようになった、と大鵬の懐古談。ちなみに石原慎太郎は大映の永田雅一社長の仲介で相撲 協会に詫びを入れ告訴取り下げられた由(こんな話を今さら書いた朝日に石原都知事はまたご立腹かしら)。で何が今これを読んで驚いたか、といえば「大鵬が まだ66歳」ということ。横綱で全盛の当時(というか今でも当然)長嶋や王より若いのだった。が六代目(菊五郎)でもそうだったが「大成している」印象か らか当時二十代であったことは当時は当たり前なのだが今でもまだ66歳であることに驚く。輪島と8歳しか違わなかった、といえばもっと驚く。ちなみに当時 の大関、清国関もまだ64歳で伊勢が浜親方で親方現役であることに地味に清国ファンであったことから殊更驚く。

十月二日(月)昨日の国慶節代休。今年も11月のTrailwalkerの100kmトレイル(西貢〜屯門)に申し込んだが幸運?にも抽選で外れ 100km踏破の苦行せずに済んだが抽選に外れれば外れたで「歩きたい」と思うもので今年もこの100kmを五、六区間に分けて縦走を企画。本日はその第 一回目で始点の北潭涌より香港で最も美しき海岸の点在する西湾のほうを歩き北潭凹までの24.1kmのトレイルは海抜0mより歩き始め最高は西湾山の 314mで大したことはないが海岸に下ること三度で途中何度か峠越えもあり通常なら走らねば最速で六時間。い つものメンツはあたくしを含む3名にバーYの元陸上部T君、それに健脚の若いC嬢、A嬢も傘下され途中、西湾の茶屋で少し寛ぎ六時間半かからず 24.1kmを踏破。西貢に午後遅く戻り御用達の酒場The Duke of Yorkにてステラアルトワ麦酒で喉を潤す。アルピニストのO氏より「そこに山があるから」の逸話を聞く。登山というと「そこに山が あるから」が決まって語られるが、そうそう、1920年代の英国の登山家でエベレスト山で遭難死したGeorge Malloryは紐育での新聞取材で「なぜエベレストに登るのか」という質問に世界最高峰の処女峰が"Because it is there"と答えたもの。まだ真っ当であった頃の本多勝一がこれについて何度か書いていたのを読んだ記憶あり。そこにエベレストがあるから、が日本では 藤木九三(朝日新聞記者、登山家)により「そこに山があるから」と意訳され今日まで広まる。早晩に海鮮堪能の同行の彼らと別れ独り名前失念の麺屋に麺と汁はイマイチだが海老の雲呑だけは見事な雲呑麺食 す。ミニバスで帰途急ぐが日曜早晩に西貢市街出るだけで自動車渋滞。坑口よりMTRで中環に急ぎIFCの映画館に約10分遅れで飛び込みZ嬢と、根岸吉太 郎監督の映画『雪に願うこと』見る。原作は帯広在住の作家、鳴海章の小 説「輓馬」。輓馬による「ばんえい競馬」の厩舎が舞台。百年 ぶりに文部科学省特選、少年、家族向けの「人間のやさしさ」なんて主題の映画を見た感あり。輓曳競馬が舞台でなければきっと見なかった鴨。いや四十代でい い味を出す小泉今日子の演技だけでも必見か。昨年の東京国際映画祭でグランプリ、監督賞、最優秀男優賞、観客賞の四冠を受賞だそうで、この映画は映画でこ ういう作品でいいが、映画祭的には他にグランプリ候補も最優秀監督や男優がいなかったのか、観客も他の映画を見つけられなかったのか、と疑問。だが日本映 画のグランプリ受賞が相米慎二監督の『台風クラブ』以来のことと知り、へんに「なるほど」と東京国際映画祭で日本映画に求められるもの、を納得。相米慎二 といえば、この映画はもともと相米監督が映画化目指し相米監督の他界(01年)で根岸監督が意志を引き継いだものの由。この映画に出演の佐藤浩市、あたく しにはデビュー間もない頃の深作欣二の『道頓堀川』の印象強いのだが、相米監督の『魚影の群れ』に出演、と思い出す。相米監督といえば思い出すのは蔡瀾が (あえて呼び捨てにするが)相米監督の死の直後に相米監督の映画について蘋果日報の随筆で書いたのだが蔡瀾はその追悼の文章の最後を「若くしての急逝はも しかして愛滋病か?」と結ぶ。蔡瀾本人が面識ある映画監督の死をこう随筆で茶化すことは映画人として最低の行為と余は憤り覺えざるを得ず。映画終わって上 環まで歩き梨花苑にて朝鮮料理食す。Quarry Bayで編集者S嬢より制作中の記録片のDVDのマスタコピー受領して帰宅。
▼九龍は太子の上海澡堂「浴徳池」閉業。香港での開業から52年。経営者自身と建物の老朽化、地域再開発の煽りで香港に唯一の上海式の風呂屋は歴史に消え る。上海に同名の浴室もあり(天津路)。この浴徳池の風呂場のタイル張りの見事さ、龍頭を模した蛇口など有名。いくつかの映画の舞台となり著・胡恩威の 『香港風格』ではこの風呂屋のことが書かれ表紙には、そのタイル張りと“龍口”の写真あり。

十月朔日(日)居間のソファ傍らに据える読書灯が数日前から電球取り換えても灯らずIKEAだから四年近くの使用で寿命尽きたか、と思ったが、また IKEAで購入か、と思った瞬間「日曜日の銅鑼湾の人ごみ」想像したら二の足踏んでしまい「直してみよう」と朝から分解し始めテスターで確認していった ら、結局はコンセントのヒューズが飛んでいただけ。無駄な出費にならずに済んだが電気製品の故障は「まず電気が通っているか、からコンセント、コードと 遡っていく」基本を忘れていた。昼にかけてジムで筋力運動と有酸素運動各一時間。週末はせめてもの減量と昼食を抜くが空腹だと美心カフェ、大家樂、味千拉 麺といった店々ですらかなり気になる。午後、按摩。FCCのバーで ハイボール二杯。競馬は中山競馬場からSprinters' Stakesの中継あり昨年の覇者香港馬のSilent Witnessがまぁ三着入賞がぎりぎりか?くらいの期待。昨晩のオッズでTakeover Targetが香港では16倍と人気薄で、これなら、とこの二頭で連複に賭けたがSWが四着。これでも現時点でのSWとし ては好成績。ただFCCのバーは上海で開催のF1GPに客は首ったけ、でフェラーリのミヒャエル=シューマッハーが見事に「勝ちに行く」瞬間を見せてもら う。香港初代総督の名前戴くポティンガー街の電気部品の屋台でヒューズ購いIFCの映画館でZ嬢と待ち合せ香港亜州電影節(HK Asian Film Festival)で賈樟柯(Jia Zhang-Ke)監督のドキュメンタリー映画『東』を観る。先月、ヴェネツィア映画祭で最高賞の金獅子賞(Leone d’Oro)に同監督の「三峡好人」が選ばれ、同映画祭でも話題となった新鋭作品部門Orizzonti(地平線)に、この『東』が出品され、賈樟柯の初 ドキュメンタリーとかなり期待したが……三峡ダムの工事現場で劉小東という画家が工事作業員らをモデルに「三峡大移民」という絵画を制作、それを賈樟柯が ドキュメンタリーにする、というところまでは理解できるのだが何故か監督とこの画家はバンコクに飛び、ここからはアタクシには意味不明。ぶらぶら散歩しな がらFCCに戻りダインで早めの夕食。アンチョビとレタスの サラダ、グースリバーとBLTサンドイッチ。帰宅して今年初めて大河ドラマ『功名が辻』をしげしげと見る。柄本明の演じる痴呆な秀吉や西田敏行の桃色の褌 姿の家康などに言葉もなし。晩遅く巴里のロンシャン競馬場より凱旋門賞の中継あり。香港 でも馬券発売ありディープインパクトが1.7倍でダントツの一番人気。これにシロッコ、ハリケーンランと順当に続くのだがデットーリのSixties Iconあたり来たら面白い、と賭ける。凱旋門賞の発走時間まで起きていられる自信がない。03年に訪仏、凱旋門賞もロンシャン競馬場で観戦し、まだ19 歳だったかのSoumillon騎手がDalakhaniで勝つとロンシャン競馬場の西の空に虹がかかった記憶が鮮やかに蘇る。うとうと寝てしまったが レース開始の頃に目覚め、一 応録画していたが伏兵レイルリンクがディープインパクトに競り勝つ、ディープインパクトには残念だが競馬としては、香港でいえばオリエンタルエクスプレス とインディジェナスの激戦のような、じつに見事な「競走」を見せてもらう。朝日新聞は翌朝の一面トップで「日本馬7頭目の挑戦は、またも本場の壁に跳ね返 された」、スポーツ面では「全力は出し切った。しかし本場・欧州の超一流馬の底力は、それをも上回っていた。力の差は素直に認めるしかない」って、まるっ きりの自虐史観(笑)。競馬は駆け引きなわけで最後の直線に入るディープ馬は三位からの、前を行く2頭を外から巻いて完ぺきに勝ちに出る展開だったが、土 曜晩に雨?、馬場が多少糠っており、先頭争いに計算以外の伏兵が背後から襲い、確かに日本でこれまでなら殆どのレースが一度抜け出して終わり、のはずが、 さすが凱旋門賞、その先頭争いがそれぞれの対抗馬と二度三度繰り返される中でさすがに力尽きた、と「それだけ」の話で「本場の壁」とか「欧州馬の底力が上 回っていた」「力の差」などと深刻に考えなくてもいいのでは? レースは駆け引きで、こういう結果もある、だけの話。それにしてもアタクシの馬券は Sixties Iconを軸にディープとシロッコに流しておりディ馬は三着と健闘したがシロッコがブービー、Sixtiesがどん尻、と冴えない結果に終わる。

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