十月三十一日(水)Halloweenは古代ケルト人のSamhain祭が起源にて新しい年と冬を迎えこの日の夜に死者之霊が家に返ると信じられていたものがキリスト教に取り込まれ暦といえばゴレゴリウス四世がローマ教会の祭日に加え万聖節の前夜祭として位置づけられたそうな。放牧中の家畜を寒さに備え畜舎に入れる日であり火を焚き死者の霊を招き入れる異教の習慣を押さえるために万霊節を定めるとは巧妙な政策。hallowはアングロサクソン語にて聖徒saintを意味し万聖節前夜祭All Hallows Evenが縮まりHalloween。古代ヨーロッパの自然崇拝に基づく祝祭がキリスト教に取り込まれ普及せしものを気候風土も全く異なり而もキリスト者でもなき民衆がこれを怪物や魔女の仮装にて騒ぐはこれ奇妙なり。蘭桂坊はまた大騒ぎか。民主党党首にて立法會議員の季柱銘昨日のSouth China Morning Postに"There must be someone better for the job"、また本日の『信報』に「請譲港人眞正當家作主」なるほぼ要旨を同じくする論説を掲げ来年に迫りし香港特区行政長官の選任にあたり董建華君の信望悉く低きものにてただ北京政府だけがこの忠犬支持するを当然反董が立場の季君曰く「もし董が再任されないとして果たしていったい誰がこの「大任」を果たせるか」「どうやって後任者が董建華よりマシと保証するのか」「北京というファクターで考えれば董を除き目下の情勢と制度下では最良の人選はなく香港市民が董のこれまで四年の施政にどんな不満があろうと政治的現実を受入れれば董にあと5年連任させるべき」であり「選任にあたっては董がいいかどうかでなく現行制度下では香港市民にその選任の権限が全くない」のであり制度を改革しないかぎりなんら問題は解決しない、と。董は無能ながらかつて自らの船会社倒産の危機を北京資本によって救済された前歴ありその恩義をして北京の忠犬たる宿命、家主が庭に放つには主人に忠実な犬であるのは当然にて庭の芝がとやかく言うことにあらず、か。碩学季柱銘の最も悲観的にて且つ根本問題を捉えた論説なり。M氏とM氏同僚のK氏、私の仕事関係のM氏の四名にて快活谷にて競馬をStable Bend Terraceにて観戦。K氏が70倍の大穴含めた連複、M氏も最終レースでそれまでの全投資額をリカバーする連複。私は難しい第六場にて1+4+8か1+8+9かと單Tを迷い1+8+9を選び1+4+8入りHK$1,260を逃す。競馬場から金鐘までの競馬開催日バス1Mにポルシェデザインのキーホルダーまで忘れツイてない一日。
十月三十日(火)曇。世田谷のT君より歌手Hの香港版CD送りしお礼にと鈴木敦史『クラシック批評こてんぱん』(洋泉社)並びに永江朗『批評の事情』(原書房)届く。洋泉社新書かなり興味津々小浜逸郎『なぜ人を殺していけないのか』並びに玉木明『ゴシップと醜聞』注文す。角川『新字源』は中学から座右にあり更に一冊、小学館新編日本古典文学全集のうち曲亭馬琴『近世説美少年録』の下巻が上巻から二年かかり中巻を経てようやく刊行され注文す。この全集88巻のうち貴重な三巻をこれに当てるとは快挙は愚弄か。
十月二十九日(月)曇。普段より憂鬱な月曜日の朝に昨日までの好天が嘘のようにどんよりと曇り未明には驟雨か。尚のこと憂鬱。週末の疲れか夕方恐ろしく暖かい牛乳珈琲飲みたくなり銅鑼湾禮頓道の星巴(Starbucks)、珈琲を飲んだら食欲湧きSharp St. Eastの南亜餐廰にて海南鶏飯。ジムの前に、と自省。エスプレッソに雲呑麺ででも済ませば理想的だが肉体疲労からきた必然的な食欲かと思う。
十月二十八日(日)晴。早朝寶雲道馳す。寶雲道に入りお決まりですでに往復を終えたI君と会いT君が九龍から走りに参り30キロ(寶雲道4往復)している最中と聞きすぐさまT君と遇う。あとでI君の網上書込みみればH氏も走っていたとのこと。シーズン開幕を思う。昨日購いしMizunoのフラッグシップウェイブエキデン(笑)なるシューズ、初履にて往路は恐る恐る駈けたがさすが駅伝なる名を記した靴だけあってか爽快復路意識して飛ばし寶雲道自己ベスト更新す。某寄合にて山頂の某邸にて秋恒例の園遊会。マンションのプールで泳ぐ。Z嬢と寶雲道散歩し灣仔、皇后大道東の快楽餅店にてエッグタルト、馴染みのアウトドア屋にてトレイル用シューズ(昨年の秋に購入した靴の底がすり減り慣れたこの靴にて11月のTrailwalker終了せばそれからまた気持ちを新たに履くためのもの)など購う。日本人倶楽部にてランニング倶楽部のTrailwalker参加に関し打ちあわせ。ランニング用の腕時計、時代廣場の運動具店にて購うが店員が機智に富み商品知識なく訪れた私がまず手にした多少値の張る時計に対し目敏く使用目的が長距離走かと察し別な而も廉価の時計をこれにて充分と提示し私がちょいとNikeの一昨年からのデザインに浮気心を起すと「それは古いモデルにて液晶に見る難あり」と、結局この店員の差出した時計を購う。月刊『東京人』の特集が期し「落語いいねぇ」にてこぶ平と対談するは先日急逝し志ん朝、写真を一瞥すれば、ふと思いだすは亡くなる寸前の松緑の石川五右衛門の役だったか、一瞥してああこの人はもう生先短くそれを承知で達観して芸道に精進しているという姿、志ん朝の姿もあの勢獅子のようなハリのある志ん朝を知るものには驚くほど病魔に悴れた姿。この人を相手に対談したこぶ平もさぞや。そしてその対談が終わり頁をめくると落語をやめられぬという談志師匠の単独インタビュー。あまりにも切実な特集なり。松緑に『東京人』といえば先月号で歌舞伎役者を撮影し続けた吉田千秋の特集あり、現・辰之助の松緑襲名も近いが(先代の辰之助すら松緑存命はあったが松緑の名を継がずに逝去しているというのに、である)名代の名前が役者を大きくすることもあるにはあるが、吉田千秋の撮影した昭和32年のまさに働き盛り44歳の先代松緑の金剛杖を振り上げる弁慶の写真を見ると、この役者の大きさをまざまざと拝まされ、反対頁には十一代目団十郎の助六にてこの写真を見れば孫・新之助が生き写しと言われ祖父を目指すと公言し確かにそれも叶うかと首肯けるが、話は戻るが辰之助がこの祖父の大名跡をとはちと早すぎはしないか。歌舞伎といえば今月の『噂の真相』に大和屋のホモセクハラの記事あり。話は大和屋の弟子筋の訴えによる師匠からのセクハラに始まり大和屋のホモ因果を求めた記事は梨園の御曹司でもなき大和屋が14歳にて彗星の如く歌舞伎界に現れ女形として成功していく影に後援会会長をした某資産家の愛児癖あり、この御贔屓筋の後押しで今日の立女形としての地位と名声があり……とそこまではいいのだが、森茉莉や栗本薫ならこれを耽美な物語として描くものを、この野暮な記事は大和屋が自らの「肉体」をこの捧げ、その力を利用して伸上り、今回のセクハラ事件により自滅する、と。大和屋が旧来の梅幸的女形では達しえずしかも大成駒が近代の演劇を歌舞伎の女形に持ち込み独特の世界を作ったにせよ梨園の御曹司たちの女形ではできなかった、まさに「美」なるものを女形として演じた(あれは演劇でなく大和屋の自我そのものなのだが)それだけで大和屋の功績は大きなもの。大和屋は役者であり役者の芝居がよければ何を利用しようが舞台に伸上るに問題なくセクハラもそういった市井の倫理通念を芸道の世界に持ち込むべからず。芝居は芝居がよければそれでよし。それを評価せず而も「自滅する」などとゴシップ暴露雑誌が断言するに値せず。正義を振り回すはいいが倫理を振り回すとは『噂の真相』驕ってはいまいか。大和屋を異常な犯罪者扱いすることでいったい何が生まれようか、マスコミの弊害。
十月二十七日(土)晴。昨晩回転寿司にてふと感じたる事は板前の手袋にて(かつては薄い透明のビニールの簡易的なものだったが今では手術にて執刀医が手を挿頭し看護婦が手に被せるあの粘着したゴムの手袋である)あれを見ると薄気味悪く手術だのフィストファック(笑)だのと寿司の味も半減どころか壊滅するのだが衛生の名の下に「指導」されるあの手袋は客を守るものではなくもしかすると新鮮でない魚の黴菌やウイルスから板前を守るものかとZ嬢と罵詈(この店のことではない、念のため)。昨日Reebokの1/2マラソン返信届くが開封すれば中身空にて申請書送り先がHollywood道30番地とありエスカレーターを下り出街の道すがら訪れれば米国系の個人経営の税理会社にて土曜日というのに朝から職員が一人このレースのゼッケンなど送付に忙しく訳を話して改めてゼッケン、割引券の類を頂く。このレースは私も属すHK Distance Runners Clubの主催にて本来私かて何か手伝うべきものを例年レースに参加するのみ。尖沙咀のReebok訪れ割引可のランニングシューズを見るが昨年はかなり気に入ったものの今年のラインナップは重く踵が大きく気に入らず。佐敦の麥文記で雲呑麺。麥文記の並びにあるMizuno扱う運動具屋にてシューズみるが気にいった軽量シューズあるがサイズなくPrudential Hotelの下に位置する東京スポーツ(笑)がMizuno大きく扱いし事を思いだし半時間以上熟考の末シューズ購う。年に数回の快活谷開催の週末昼競馬ながら観戦せず。第2レースが豪州のCox Plateのサイマルキャストにて佐敦の場外馬券場で中継観戦(今季より主だった場外にテレビ設置される)。国際レースは私でも知ってる馬に賭けるしか手筈なく独逸のSilvanoと新西蘭のSunlineに賭ける。Sunlineがレースを始終リードし最後直線にて一番人気Northerlyが差し三着に三才馬のViscount入る。尖沙咀某所にてラジオ聞きながら競馬。勝馬多く決めかねるレースは三着狙いと第4レースにて梁明偉が7磅の見習減磅にて騎乗の109磅しか背負ってない無輿倫比を複勝一点買いHK$47で取ったのはこれぞトレイダーBO氏曰く複勝の醍醐味かと思う。Z嬢が谷川俊太郎が朝日新聞にての語りに触発され購いし『真夏の夜のジャズ』をジャックダニエル飲みながらVCDにて観る。1958年のニューポートジャズフェスティバル、当時のフィルムの感度と舞台の照明でどうしてあの舞台、そして何よりも観衆の表情まで撮れたのか。しかもフィルムでのあのオンタイムの編集! できれば翌日7月4日のマイルスデイビスにてコルトレーン、大砲アダレイ、ビルエヴァンズこそ観たいのが、この3日の舞台も出てくる奏者が私でもすべて名前を挙げられる名手にて、チコ=ハミルトンがどう間違えると赤坂ミカドのムード歌謡になるのかなど考えさせられる。チコのバンドといえばチェロの ネイザン=ガーシュマンがふと奏でるバッハの無伴奏チェロ組曲は見事、あの煙草に火をつけるのに中断する、あの間が……バッハがあのフィルム観たら泣くだろうなぁ。井上陽水「東京ドドンパ娘」聞きながらBombay Sapphire飲みながら日記綴る。
十月二十六日(金)晴。昼にH君に手渡すブツあり北角、H君と百年ぶりに適当にそのへんの日式料理屋Tに入り野菜ラーメンなるものを注文すれば湯麺かと思えば味噌スープに麺、その上に茹でただけのモヤシ、椎茸、青梗菜が盛られたもの。美味ければいいがスープは出汁もとらずただ味噌をお湯で溶いただけ、そこにただ茹でた野菜が浮いているとは。やはり日式は入るものに非ずと痛感。夜は夜で映画の前にとZ嬢と尖沙咀にて他よりか美味い回転寿司と聞いたCameron道の寿司亭。香港回転寿司界の双璧ダブルGよかまだマシかと思うが舎利が焚き加減イマイチ機械での握りが硬いのが難点ながら回転寿司は所詮回転寿司文句は言うまい。Z嬢映画切符を忘れし事発覚し当日券有りに期待かけるが訪れたは尖沙咀の太空館(Space Museum)にて会場の科学館(Science Museum)と勘違いし開演まで14分すわ科学館と尖沙咀を駆け当日券無事購う。監督・季子羽の『一曲柔情』観る。北京が現代舞踏団を舞台にいわばフジのトレンディドラマ。気楽に観れる内容にて劇場で映画としては客に足を運ばせるには二流。監督色気を理解しておらず。葉紅役の羅海瓊はいい女優だが葉紅と確執する小米(韓暁)それぞれが惚れる亜明役の毛毛「なんでこんな男に惚れる?」という程度にて華がない。鄭伊健のようなただ今様の顔。終わって日式に回転寿司と味覚がかなり狂い口直しにと五味鳥訪れるが満席。尖沙咀にて金曜夜に飲みたいバーも見つからず地下鉄を避けセブンイレブンにて缶ビール購い天星小輪にてビール飲みながら島に渡る。『信報』のリベラルなはずの連載随筆にて驚く記載二つあり。まず岑逸飛「韓日怨恨」という韓国の日本に対する恨みが日本の韓国植民地化と皇民化で生じたものであることを正確に紹介していてそれはいいのだが馬關條約(下関条約)により朝鮮を独立させ中韓関係を断絶させ南韓は中国の属邦でなくなり……と清までの王朝が朝鮮を属国としたことについては当然のこととして記載。日韓関係もさることながら日韓を語る前に中韓を呻吟すべし。劉健威も自らの言葉による相手への威嚇、暴力を省みる文を綴りながら広州の中国大酒店でタクシー長蛇の列ながら二人の「黒人」が列を無視しタクシーに乗り込むを見て怒った劉がそのタクシーを止め二人に降りろと怒鳴り……と自省の文であれば自らを咎めればいいわけで何故に「黒人」と書く必要があるのか、(劉本人がそう思っておらずとも読者にとって)黒人という言葉が規則を守らぬ者という意味合いになることを意識しておらず。民族主義、国家主義の片鱗がふと無意識に現れし実例か。ここ五、六年無沙汰を続けてしまった畏友T君は曾てW大の博士課程にて伊勢物語を研究しつつ歌舞伎にてとりわけ大成駒と大松島を愛し10年以上前に京都は南座改築直前の顔見せに一緒に参るなどの仲、同じく畏友にて地唄舞する舞踏家にて医師のN兄よりT君が遂にe-mailまでするようになったと聞き、メールにて交際が復活。大成駒逝去からの喪が明けたT君は歌手Hにゾッコン、香港版のCDを送って差し上げるとお礼にと日本の批評界の本数冊を送ってくれたと連絡ありメールでのやりとりにてクラシック音楽評論家の大御所Y氏が「生きる痛みを知るがゆえに対象に矛先を突きつけられない」という点にT君触れ、T君が批評の批評の対象とせし歌舞伎評論のW氏などは私にとっては尊敬も込めさしずめ「生きる痛みを知らぬがゆえ対象に矛先を突きつけてばかりいる」ようなものかと返書す。
十月二十五日(木)快晴。重陽節。南岸へバスにて参ろうと中環に赴けば重陽の墓参りと日曜休でないが故に中環の楽園を得られず行き場を失ったフィリピン女中たち大挙始発バス站に長蛇の列。第一巴士のマイナー路線に運良く飛び乗る。海岸にてKazuo IshiguroのWhen we were Orphans読み始めがCDにてStarkerのKodalyのチェロ聞けば秋の高き青空にチェロ悲しく鳴り響き終日聴き惚れIshiguroの本ちっとも進まず。夕方銅鑼湾に赴、夕餉のおでんとCity'superにて一ノ蔵の純米酒辛口を購う。さういへば脱税にて数カ月服役し白韻琴が数日前に出所し愛人の弁護士謝偉俊が白姐姐が為出所前日白姐が嗜好品を購いし中にCity'superにて取り扱う聘珍樓が天津甘栗あり(何故に香港にて横浜聘珍樓にて而も天津の栗か)試しに賞味す。栗の粒といい風味といい北京に比べれば格段の差あれど「くりわり君」なる重宝な道具頂き得せし気分。Starabacks。ジム。中環HMWにてZ嬢と待ちあわせJazz on a Summer's DayのVCD購う。Z嬢朝日新聞にて谷川俊太郎が語りし『真夏の夜のジャズ』に誘われたりしもの。蘭桂坊はSchnurrbartにてKoingのピルスナー飲む。一ノ蔵飲みおでん。グローバリズムにかなり抵抗を見せる良紙『信報』に「抗衡全球化衝撃」なる特集記事ありBusiness Administration学の大家P. Drucker(杜魯克)を引用し自由市場の効能は市場経済の領域のみにあり他の体系に応用されるべきに非ずと賢に自由市場の原則が政治から文化までを覆いし時代にあって重要なる掲示(啓示とまでは言わぬが)。
十月二十四日(水)快晴。競馬なき水曜は寂しきもの。ジム。
十月二十三日(火)晴。久方ぶりに中環ヱリントン街の大清清湯南にて牛腑のカレー食す。上環の九記、尖沙咀の徳發、灣仔鵝顎橋街市の恵記と並び大清は牛南の名店。九記は知らぬが恵記は回教ハラルの店にて徳發のある市場も他に比べハラルの精肉店ばかりとやはり牛肉を扱う食肆は回教かと思えば大清という名も清は満族だが北方の異族の縁か。中国映画祭にて市大會堂にて監督・馮小寧の『紫日』を見る。余り期待せぬ作品なれど1945年の満州を舞台に親や村人を日本軍に殺された農村の支那人青年(富大龍)と逃げ損ねし日本人の少女(前田知恵)に参戦したロシア軍の女将校(Anna Jennylanova)が大興安嶺山脈の美しい秋の森と高原を逃げ、これで無事日本の降伏にあって平和が訪れるかと思いきや……と予想以上に脚本がしっかりしており好い映画。日本人の描写がかなり甘いし、いくら大興安嶺とはいえ七月から八月十五日であの秋めいた景色はちょっと……とかれこれ18年ほど前にこの大興安嶺を外国人旅行許可とらず公安に叱られながら一人旅した記憶が蘇る。富大龍、前田知恵にAnna Jennylanovaとも好演。
十月二十二日(月)Starker演奏によるKodalyの無伴奏チェロ組曲、ドボルザークのチェロ協奏曲、バッハの無伴奏チェロ組曲(これで同作品4枚目か)がamazon.comより届く。早速MP-3に落したが銅鑼灣の雑踏や地下鉄の騒音にてチェロ独奏は掻消される。数日前の新聞に訪米の首相小泉君が小布殊総統と快談の際にアフガンの数百万の難民のことなど忘却の彼方か野球談義となりイチローの話題にて小泉君が「私はピュアなイチロー」と宣いアメリカ版サメの脳味噌の布殊君もこの程度ならレベルが合うのか一笑、それをモニタにて見た米国記者が「戦争してるんだぞ」と吐き捨てた、と。さういふ意味では上海で「無事」閉幕せしAPECはさながら米国を大将にした若頭舎弟集まりたる組の壮会にて上海灘調の支那服など着て集合写真に収まりこれが「戦時中」かと恐れ入る。APEC恒例の民俗服姿、もし開催がパプアニューギニアだった場合は男性全員がコテカでもつけるのか、と思い苦笑す。佐敦は彌敦麺粥家にて魚片牛肉粥食す。
十月二十一日(日)快晴。久々に走行会の面々募つての捷歩にて朝Tsuen Wanに待合せ今回はたつての願いにて飲茶をしやうと大帽山麓の川龍の村落は端記茶樓。中秋節から清明節まで涼しい時期だけ歩くZ嬢も参加。端記は閑静とした山あいの村落の茶樓にて茶を啜りといふには街中のどの早點より繁盛し賑わい自家用車で詰めかけた客に駐車場の車移動を報せる放送が鳴り響きといつた奇観。一切合切自助式にて茶も点心も自ら運ぶ。点心はあれが廣式といえば廣式か豚脂たつぷりで都会のあつさりとした点心に比べかなり塩辛くもあり。平日の早朝6時すぎにでも訪れたきもの。大帽山からの下った道まで自動車道を上りトレイル九、十段。メンバー三名とかなり捷歩にて3時間余にて193番に当たるトレイル本番のゴールに辿り着き200番の屯門まで歩き詰め後続を待ち午後の晴天の陽を浴びつつ缶ビールにて喉を潤す。元朗からの直通バスにて灣仔。某君たちのトレイル用品の購買につきあい割引を提供す。いったん帰宅してZ嬢と粗呆区はこの界隈がSOHO区などとなる以前からこの地にある貴如。芥蘭牛肉炒、梅子蒸排骨、八珍豆腐。秀逸。R大学のY君に面談を願った某社T氏より日曜の夜というのに快諾のメールいただき叩頭深謝。普段あれだけやつても当たらぬ競馬が昨日さらつと予想をし最終三レースのみ馬券購入すれば内二レースにてQ(連複)当てわからぬもの。沙田トロフィー(G3)は大方の予想を裏切りShanxi Fortune。二番人気のMeridian Starが二着。原居民は三着にはいり実力を維持。昨晩32倍のShanxi Fortuneを入れてQどころか単Tもゲット。Shanxi Fortuneは16倍までオッズ動き今日見てみたら単勝を買えていたかも(結果論か)。愛馬金龍華は最終レースのClass-1にて二着。C氏のDashing Winnerは難しい第六レースのturfにて五着。
十月二十日(土)快晴。学者と呼ぶのもおこがましき御用学者・加藤寛が『日本経済の再生は近い』とまた節操なきオベンチャラ、加藤にこれしか芸がないのは当然のこと故いちいちメクジラ立てるもおこがましき事ながらこの拙書を出版したるは勁草書房、もう少し理性のある出版社と思っていたが愕然とす。海岸にて新聞雑誌の類乱読し明日の競馬の予想。二度も馬主C氏に招待されしDashing Winner が明日これまで未勝の沙田の芝で1,600mに出走。夕方ジム。一旦帰宅してランニングクラブ月例会にて中環は擺花街(ちなみに花を擺(ひら)くと艶っぽい街の名は戦前までこの界隈が花街にて殊に擺花街は日本人の娼妓多く置屋料理屋の類が軒を並べた処)のSiam Cafe。下駄を穿いて階段道を下り粗呆区に参上す。北京マラソン終わりトレイルウォーカーを前に多いに盛り上がる。二次会の誘いを辞退し早々に帰宅。月刊東京人読む。
十月十九日(金)薄曇り。日本のR大学から香港中文大学に留学せしY君と会い日本人倶楽部がHennessy Centre屋上にて今月末まで開催のビアガーデンにて歓談す。Y君の話を聞けば真摯に某業界への就職を希望しておりその業界でお世話になっている方を参考になる話を聞く事でも出来ればと紹介しようと思う。それはそうと日本人倶楽部の金曜日晩餐は母子家庭ばかり。旦那は何処へ。旦那は旦那で仕事という名目で飲食ご歓楽か。父を失いし母子が群団にて亭主抜きでまた愉しそうなるも感慨深きもの。それにしても此処ぞとばかりに子を遊ばせ主婦仲間で飲食歓談もよかれども子は階段の手摺りを滑り縄跳びにが他の子の首に巻きつき危険なことかぎりなし。子の抱き方ひとつみても「それはねぇアナタ……」と姑ばりに口を添えたくなる始末。Y君の話を聞けば聞くほど我幼き頃から途中にはニクソンショックなり石油危機なり不況こそあれ社会なるものは限りなく豊かになっていくものにして将来は自ら頑張れば幸せが得られるようなそういう希望を抱きしもの誰が自らより若きこの世代がこんな苦労することになろうと予想せなんだ。されど食うに困るわけでもなく少子化で家を出されるわけでもなく生きていく上での必要なる物が与えられた上でのこの社会的不幸はまだ耐え易きものか。知人より米国がもしこの「戦争」に負けたらという画像にてイスラム化されたニューヨーク、イスラム信者の如くターバンを巻き鬚をたくわえたブッシュ総統、顔を布で隠しアラビア文字の書を手にした自由の女神などの見事な合成写真届く。紐育での悲劇を思えばこういった遊びは非道なものという捉え方もあろうがパロディを想像する柔軟性、余裕こそマッド・アマノ氏でないが大切であり、表現の自由の最後の砦か、と思う。そういえば今回の合州国によるアフガン攻撃、これをラジオなどThe War against Terrorismと云っているが、これまでの歴史にこれほど一方的な主観での呼び方の戦争があったか。戦争とは朝鮮、ベトナム、南北、日清日露と地名で呼ぶのが最も客観的であり、さもなくば十字軍や薔薇、戊申、阿片といった象徴記号を使うべきものにて、The War against Terrorismといったまるで正義と悪の対決めいた語は間違っても使わざるべきものなり。本日の朝日新聞『天声人語』でも語られし事は英国でMR. BEANにて著名なるコメディアン Rowan Atkinson氏がThe Timesへの投稿にて英国にて立法化されし反テロ法案にて「良識の如く」宗教的憎しみを煽ることを禁じる事項があり宗教すらパロディにして嗤うことが余儀なき真摯なコメディアンとして懸念を表せざるを得ないというもの。反テロにてこの事項は特定の人種や宗教の蔑視、攻撃にならぬよう良識的歯止めをかけているように見えるが実は反面自らが宗教を不可侵としその揶揄すら禁じる事に結びつきし事なり。全く以て正論。ふとこの「戦争」が呼び名、The War against Terrorismに代わる名はないかと思い浮ぶは米国と原理主義の戦いにて原米(げんまい)戦争、米原(よねわら)戦争という名は如何か。
十月十八日(木)晴。上海にてAPEC開幕近し。会場が看板にShanghai, ChinaとありChinaなる「略称」ばかりで一向にPeople's Republic od Chinaの正式「国家」名称見当たらず。人民共和国なる名称じたいがrepublicは市民人治に基づき人民共和国なる物言いは厚かましく寧ろ人民共和国なる名称を使う国ほど人民が虐げられていると揶揄されたりもする。いずれにせよ中国は最近このChinaなる名称の使用により台湾や香港、新疆といった辺境をも含む大中華を求めてはいないか。香港の良識ある公共放送・香港電台(RTHK)の『頭條新聞』(ヘッドラインニュース)なる番組にて先週土曜日に阿富汗の市民にとってタリバーン政権の最も深刻な問題はその施政においての空手形連発と無機能であり(とここまではいいのだが)それを以てして香港の董建華を揶揄したものだから(お見事!)それに董が不快感を示し『頭條新聞』と再びRTHKが非難の的となり左派団体の組織した無知な老人たち(かつて60年代に左派暴動の世代か)がRTHKに抗議デモする始末。公共放送ゆえに政府への揶揄を許さぬとは行政手腕の乏しさはすでに万民の知るところなれど董建華まさに小人物にて呆れる。
十月十七日(水)快晴。ポラロイド社倒産。デジカメ等より精緻な即席画像装置の登場と普及故か。余りの即席さと写真としての質の悪さ、そして写真がベロンと出てくる分かり易い態度が寧ろ愛嬌。それがアンディー・ウォーフォールなどによりアートとして使われ、私の記憶では忌野清志郎が会う人毎にそのスナップをポラロイドにて撮り作品としたものが印象的。共同通信社の『FMファン』も廃刊。エアチェックなんて言葉もいつの間にか死語に。今ではエアチェックは室内の空気の汚れ具合のように響く。『FMファン』がクラシック、アート系で『週刊FM』が歌謡曲系、いつも『FMファン』で番組をチェックし録音して番組表を切り抜きカセットケースのインデックスに貼ったもの。私の最後のエアチェックは20年ほど前のNHK-FMでの懐かしの昭和初期のポップス特集、『キューバの豆売り』など録音した記憶。MP3を使う今日この頃。沙田にて夜競馬、自宅にてテレビ観戦は新聞の予想がかなり当たりそういう日に限って予想を根拠ないまま無視し1レースのみ当たる。
十月十六日(火)快晴。暴走する車の排気ガスにいつも不快に思える香港の街も北京から戻れば澄んだ大気に遠くまで摩天楼や九龍の山脈が見渡せ爽快。2002年度版のタイムシステムのリフィール届く。毎年更新される葡萄酒指南の頁は毎年この頁のみ捨てず頁を重ね取り置けば1984年産の品評がある故に85年よりこれを使用。今日日のPalm系の電子文具が流行る時代からすれば想像もつかぬが80年代後半のバブルな時代はシステム手帖爆発的に人気となり黒ずくめのブランド衣料に身を堅め白山眼鏡を目立たせシステム手帖を小脇にはさみ青山だ未だ餓鬼に占領させる前の渋谷をバイヤー、プランナーといった職種で闊歩するが最前線だった時代にて業界では若手であった秋元康やユナイテッドアローズのバイヤーだ六本木のディスコの空間プロデューサーだといった連中がシステム手帖特集の雑誌にて手帖を語るがお洒落。いまだに机上にはタイムシステム、携帯用にとファイロファクスを使うとは我のみか。炭疽菌に怯えるなか税務署より緑色封筒でお馴染の納税通知書届く。この通知に炭疽菌もしくは炭疽菌恐怖に便乗した悪戯発生すれば怯えた市民が納税通知を開けず納税滞り政府が財政難となり転覆するといった物語を思う。土曜日の競馬は心之靈、鹿鳴と入ったが第9レースで赤胆福星一番人気ながら9位に埋没し3×7ならず。梁明偉騎乗の百勝福星が318倍と歴季最冷記録更新。
十月十五日(月)晴、極めてHazy。朝遅く建国門外の秀水市場。京客隆は北京のいかりスーパーか紀之国屋というわけでU嬢お勧めの焼栗を購う。1斤14元と高級品。秀水市場にてカシミヤと云われるセーター見るが触れれば安物の混合羊毛であること明白、友誼商店でしかいわゆる羽仁五郎&加藤周一モードの黒のタートルネックのセーターは見つからず香港よりHK$500安いということで購入。普通の1号路バスが1元なのを3元も徴収する特1のバスにて西単。新華書店の総本店の大きさにも驚いたが昔ながらの街並みは何処、巨大なショッピングセンターのビルばかりで入る気にもならずタクシーで前門。都一處にて焼麥を昼に食す、至極。店に郭沫若が揮毫の「都一處」の巨きな額、1963年にこの店にて乾隆帝より店が賜ったという帝揮毫の「都一處」に落款がなかったこと(没落下款)に郭沫若敬意を表し自らも落款せず。見事な揮毫の目下の卓にて昼餉とは心地好し。一旦ホテルに戻り90分ほど時間あり急ぎ故宮。実に五度目の上京にて初めて故宮に足を踏み入れるたり。但し午門より北の神武門までを一気に30分余で駆け抜け恐らく故宮見学最短時間かと思う。どうせなら北京マラソン、ゴールを天安門とし走者最後は宮内へと参入し太和門を潜り太和殿にて完走の栄誉を授かるくらいの演出は如何か、と思う。順貞門を出てところでばったりと香港の知人H先生と遭遇する奇遇。八旬を越えた老母を連れ都見物。ホテルに戻りタクシーにて北京空港。Z嬢と一旬記念にと免税店にて1992年のDom Perignonを奮発し購う。某ラウンジにて京客隆の焼き栗と青島麦酒はいいマッチング。港龍航空903便。機内にてJRAの『優駿』と橋本治『二十世紀』読む。橋本治は言ってみれば結果論で歴史を語ってるんだけど結果論じゃない歴史なんてないわけで徹底的に結果論で歴史の因果関係ってのを紐解いてみると歴史ってこんなことで動いてきたのかという実に誰かの、そして民族の恣意なわけで、二十世紀ってやつは「終わってしまった十九世紀の痕跡を九十年もかけて消そうとしている世紀」だったりして……と治ちゃん口調。橋本治が語ればこの二十一世紀初頭のポスト冷戦の宗教っていったい何なのかと気になる。香港に戻り遠くまで続くビルの夜景に北京の大気汚染を念う。眠れず『二十世紀』読み続ける。
十月十四日(日)曇。北京マラソン。ハーフマラソンに参加。早朝Crowne Plaza HotelにてT氏、N夫妻、R嬢と待ちあわせ歩いて天安門前広場。この朝はマラソン関係者のみ広場への入場許され、法輪功の諸君は不在。法輪功の走者探すが見つからず。陽気な伊太利人ばかり目立ち、日本からは「闘魂」と書かれた日の丸鉢巻きの御仁まで参上。この中国で沿道の市民の視線を浴びながら天晴!、民族主義か何も考えていないのか。人民解放軍の兵士が並ぶなか整然としたスタート。まるで監獄で監視され走行訓練のよう。広場を1巡し長安街を西へと進む中、出発直後にもかかわらず既に尿意催す選手少なからず一人の連鎖反応か毛主席記念堂の生け垣に立ち小便する不敬な洋鬼走者後を絶たず偉大なる領袖の遺体納める記念堂と知ってか知らずかの不敬、それを眺めた地元選手らも「主席の面に小便」と大笑い。二環より広安門を南下し三環道路に入り時計回りに南西……いや荷風はそれを嫌い西南か、を回り北京動物園西の花園橋まで。多少腹痛ありとて快適順調に走りながらなぜか速度上らず2時間を越える不本意な時間。ホテルに戻り暫し休息。CNNをみていたらLarry King Liveにてこの御仁ですら(というかこの御仁だから、か)論壇にてパキスタンのイスラム側指導者に対してコーランのことをyour bibleと言い驚く。BSでのNHKのど自慢はサンパウロからの放送にて、17才のブラジル生まれの二世が「夏は両国隅田の空に~」と唄うのを聞く。夏の両国も隅田川の花火も知らぬ少女がここまで都はるみになるのはDNAなのか。ゲストの鳥羽一郎先生についても何も言うまひと思ったが歌の歌詞は北海の漁師がキロ40円の助宗鱈が今年はキロ100円を越えたとかで漁師にとっては嬉しい歌なのだが続く歌詞が「それに今年は大量続き」と大量続きで高値が続くという事で経済市場知識に乏しい私はかなり理解に苦しむ。昼過ぎCrowne Plaza Hotelのタイ料理屋(美味くはない)にてT氏夫妻、N氏夫妻、陽明山荘I氏、フルマラソンにて自己ベストのI君、レース応援のI夫妻にZ嬢で祝杯。新街口探索。場末の浴池にて垢擦り。北京動物園へと向ったZ嬢と動物園前の103番バス始発站にて待ちあわせるが雨降りだし暗くなりバス站は工事中にて逢着危ぶまれるなかどうにか二人とも一筋裏道のバス始発を見つけずぶ濡れになり遭遇す。タクシー捕まえ三環を爆走し建国門外。U嬢と再会しお連れのA姐とご一緒しU嬢の車にて朝陽区は新源里の五洲火鍋城。鍋はそろそろ秋にて羊肉格別、白菜も香港にはなき歯応えと味の豊かさ。それにもまして食後の油酥餅が秀逸。
十月十三日(土)晴。朝早くジョギング。ホテルを出て故宮に向い東華門、これより入城し堀に沿い走るといつのまにか午門に辿り着き早朝からこの数余多の観光客の奇っ怪なる走者への視線を浴びながら天安門潜り天安門前広場に放り出された感。北京飯店より王府井抜けてホテルに戻る。ホテル近くの蘭州麺家にて朝食。103バスにて北海、中南海の中を覗いてみたいものと思いつつ北海公園を散策し北に抜けて郭沫若故居。北棟つきの見事な四合院にて門を入れば大きな銀杏、庭の樹木殊に柿が見事なるはまさに北京之秋。郭沫若の書斎は簡素にて趣味好き当代一の文化人の仕事空間。それでもこの二十世紀有数の書家でもある郭沫若の書斎の正面には毛沢東の天真爛漫な揮毫が掛かる。これほどの知識人、書家も天才奇才の毛沢東には敵わぬということか。資料を見れば郭沫若の生涯にも大きく影響するは周恩来、いつも中国のどこかで誰か尋ねたい故人の故居、資料館を訪れるとそこには周恩来の軌跡と写真あり遭遇する因縁。此処よりしばらく護国寺街を歩いて梅蘭芳故居。瀟洒な四合院。この名優が絶世の女形と云われるが美しいとかそういう範疇でなく役者としてこれほどの器量は他にないのだとあらためて納得。あの目、あの耳、あの指先から武術役までその全てが完璧。若いうちから桑港凱旋公演での存在感など圧巻。日本訪問では戦前は歌右衛門(五代目)とその嫡男(これは現・芝翫の父にあたる五代目の福助か)との姿、そして戦後は沢瀉屋邸にて猿翁の踊り拝見の姿。ここでも京劇好きにてみずから女形もやったという逸話をもつ周恩来が梅蘭芳に勝るとも劣らぬ華にて写真に現れる。護国寺街の旧・輔仁大学の校舎見学(現在は北京師範系の専門学校校舎)。道すがら恭王府花園に入るが幻滅。隣りの四川飯店も満員にて蒋養房まで出て羊房の家常菜の店にて餃子にて昼食。観光客の多い劉海胡同一帯もここまで来ると外国人少ないらしく昔の中国のような好奇心と親しみあふれる接客。更に歩いて后海をぐるりと回り宋慶齢故居。東京の旧宮邸を懐わせる見事な調度の邸。支那調ながら戦前のモダン建築にて内装はとくに見事。孫文が亡くなり威厳の宋慶齢。ここも言わずもがな周恩来の一派。中国共産党は建国までにこういった当代一の知識人・郭沫若、名優・梅蘭芳、本来なら亡命してもおかしくない共和国父孫文の妻・宋慶齢などを政協会議などで政府に引き入れ政治活動をさせるほど当時人々を魅了したものだったのだ。とくにこういった人々のオルグができたのが周恩来であり、その上に誰も太刀打ちできない鬼才・毛沢東がいて、いったいなんて組織だったのだ、と思う。この一帯はこういった本来、中共とは対峙する筈でありながら共産国家樹立に協力した秀人たちが中共より下賜された居住地であり、鼓樓西大街にある西蔵自治区政府の駐京使館とて本来は中共に従順していればのダライラマがここを在京の居場所としてたところ。意味深な一帯である。歩きすぎてホテルにて休息。黄昏に陽明山荘I氏の投宿する王府飯店にてI氏、T氏夫妻と合流、N氏夫妻現地集合で香港のランニング倶楽部の面々と朝陽区は安慧里にある香港の知友Y氏経営参加の薬膳火鍋屋・大紅灯籠刷鍋村。漢方を取り入れたスープは烏骨鶏が一羽そのまま入って素晴らしい出汁となり、それで鍋をする。
十月十二日(金)晴。早朝、空港快線にて空港。某ラウンジにて新聞乱読。港龍航空900便にて北京。予想以上の大気汚染と光化学スモッグ?、Hazyな空に驚きながらタクシーにて王府井は王府井飯店に投宿。某機関にて旧知のU嬢によるご手配。客房は安い煙草の臭いが部屋中に染みつき禁煙フロアは満室と断られ他の部屋の清掃をしていたメイドに閉錠された窓を開けてもらうが「窓が」と言った途端に合点するはそれだけ喫煙大国でも煙害に悩む人民少なからず、か。いつものパターンにて早速「餃子大王」浦江源にて餃子。餃子15個と麦酒にて14元。朝同じ便にて来京のN夫妻、それにR嬢とCrowne Plaza Hotelにて集合し三環道路は三元橋の中国旅行社にて明後日の北京マラソン(ハーフ)の出場登録。空港からの首都空港高速道路の市街終点にてホテル投宿前に立寄らかったは失敗。王府井に戻り何軒か百貨店、洋装店を覗くが古典的タートルネックの男モノのカシミヤのセーターなど時代遅れのなのか没有。黄昏に建国門外にてU嬢と4年ぶりの再会。友誼商店覗くが百年一日の如くカシミヤあり(笑)。日壇公園の日壇飯莊にて北京料理。
十月十一日(木)晴。午前中百年ぶりに寶雲道を走り日頃の走行不足におっかなびっくり二往復16km走る。キロ当たり6分余とかなりゆっくりだが気候がいい所為もあるが呼吸も乱れず走れ安堵。そごうの旭屋にて生まれて初めて日本の競馬誌『優駿』を購う。墨魚丸潮州麺にて四寶粉。電動歯ブラシの虜となり明日からの遠出に携帯用電池式電動歯ブラシ購う。夕方ジム。明後日の競馬の新聞購い移動中の地下鉄の中などで下品に予想し知人にいくつか馬券託す。心之靈、鹿鳴、赤膽福星を各レースよりそれぞれ選び複勝で3×7。明日より週明けまで旅行。旅行中にサイード『オリエタリズム』読破しようと鞄に仕舞うが如何なることか。
十月十日(水)曇。香港賽馬中心サイトのフジヤマ館長、活力小姐夫妻、Z嬢に今朝石家庄より列車にて北京に動き航路香港に戻りしトレーダーBO氏を交え快活谷競馬場の満貫樓にて食事&競馬。8レース中3レースにてそこそこ儲かるがTだの3TだのDTだのといった配当の大きな馬券を1点買いなどしたところで当たる筈もなくその浪費さえなければ充分に黒字となると猛省。1,200mのHappy Valley Trophyには原居民Indigenous、奔騰Oriental Expressといった老名馬からWinning Counter、Our Classといった上り調子の四歳馬、それにS'poreより参入のLucky Winなど節度のない組みあわせ。Indigenousも蝦FKPに賞金王の記録も破られ99年3月の香港金盃より未勝にて、しかも1,600mの中距離以上でしか勝てない馬を苦手な短距離でしかも快活谷とは馬主も調教師も何を考えているのか不明。馬王と称されしが単勝複勝ともオッズは最下位は不憫。しかしIndigenousはスタート直後3馬身送れて最尾にいたものが最後は実力発揮し4着に入る健闘。1,650mだったら醍醐味。フジヤマ館長はこのIndigenousの複勝を買っており残念。實力派Solid Contactが一着。今日の南華早報にAllan調教師は今年のジャパンカップに原居民と奔騰を遠征させると報じられる。マジか?
十月九日(火)曇。かつてH社のM氏より近未来の電脳環境としてモバイルなどなくなり各人がICカードのようなものを持ち歩いていればどの電脳や通信機器などを前に立てば自動的に電脳がそのカードからのデータを読み込み各人用の作動し始めるといった話を聞きし事あり。M君とこの話を今朝方して但し現状の技術ではこのカードを胸ポケットに携える事は心臓に悪影響ないかICカードの紛失盗難という懸念もありM君が然らばケツにチップを埋め込み椅子にセンサーを取り付けたら如何と。妙案。ただしコードレスになるのはまだ先の話として安定した通信環境とするにはやはりLANとして椅子に突起ありそれを肛門に挿入するは一案だがそれで快感に至る者あれば痔もちには激痛走り他者との突起共有の衛生上問題あり。然らばEthernetにて各自が尻よりひょろひょろとコードを垂らすを想像するもをかし。ビンラディン氏のビデオにての発言、精読すればするほどこの戦いは長期化して解決のしようがないのではと思う。かつての冷戦体制のあの平和はいずこに……。米ソ対立に中国が絡むなどという虚構の対立で世界が安定していた時代よ。
<オサマ・ビンラディン氏の発言要旨>朝日新聞より
巨大なビルが破壊され、米国は恐怖におののいている。米国民が味わっている恐怖は、これまで我々が味わってきたものと同じだ。我々ムスリムは80年以上、人間性と尊厳を踏みにじられ、血を流してきた。神は米国を破壊したムスリムの先兵たちを祝福し、彼らを天国に招いた。今もイラクでは罪のない子供たちが殺されているのに、それを糾弾する声は聞かれない。イスラエルの戦車がパレスチナで破壊行為を続けているのに、だれもそれを直視しようとしない。なのに剣が米国に振り下ろされると、偽善者たちは悲しみを表明する。米国はテロに立ち向かうとうそをつき続けている。(原爆を投下された)日本をはじめ、世界中で何十万人が殺されても、米国はこれを犯罪とは呼ばない。(98年に米国大使館連続爆破のあった)ナイロビとダルエスサラームで米国人が殺されると、アフガニスタンなどに爆弾を落とす。世界は今、信仰をもつ者と、異教徒に分かれようとしている。すべてのムスリムは信仰を守るため、立ち上がらなければならない。預言者ムハンマドの地、アラビア半島から悪魔を追放する風が吹いている。米国民よ、私は神に誓う。パレスチナに平和が訪れない限り、異教徒の軍隊がムハンマドの地から出ていかない限り、米国に平和は訪れない。
フランスLongchamp競馬場で開催の凱旋門賞、月本裕氏の観戦羨まし、Dettori騎乗のSakheeが優勝、G1レース100勝目とは……。人気薄ながら武豊のサガシティ三着も見事。折しも米国が阿富汗を攻撃し時の開催にて、SakheeはドバイのGodolphin機構の持ち馬にて主馬主はSheik
Hamdan al-Maktoum、月本氏の指摘の通りLongchamp競馬場には欧州の財閥系や貴族の大馬主にアラブ人もユダヤ人と混じりそれぞれが意味深な情報持ちより思惑が競馬場を包みしか。東京より香港賽馬中心サイトのフジヤマ館長来港、活力小姐夫妻交え銅鑼湾は益新酒店にて会食。活力氏夫人乗馬され競馬でなしに馬知識豊富。益新は折角の料理でもあゝも冷房滝の如く降り注げば料理冷めて箸進まず。
十月八日(月)快晴。合州国が阿富汗を爆撃す。パンドラの匣を開いた者は悪魔のテロリストなのか正義の合州国なのか。マスコミがこの報道に沸き返る中『信報』は一面2/3ほどの記事のみにて実質的社説である『林止行専欄』にては下記の如き言葉の論証とは!敬服。アフガニスタンの「すたん」は国家家園或は草原地帯を示す土地の多義総称。中国は古来波斯(ペルシア)語にては「秦」を音するSin或はSiniと言われ亜刺比亜語にはSinj、トカラ(吐火羅)語圏と粟特語(?)が波斯語と相互に影響しあい、中国はCynstn、CnyatnそしてCinastan(支那地)と呼ばれ、これがまた古称「震旦」「振旦」「眞丹」「眞旦」の由来であり、中国を支那と呼ぶは梵語のCina(秦)の音訳を「指那」「脂那」や「支那」に「至那」(唐三蔵玄奘の訳法)とせしこと。またアラビア一帯のイスラム国家を一緒くたに視る傾向があるがイランはアラビア語にて回教ソンニ派の他国家とは異なりペルシア語を用いる葉派の回教。また阿富汗人は英語でAfghan、通貨はAfganiと通称されているが阿富汗の巴基斯丹大使が英語で「Afghaniは米国の強大な軍事力に屈してラディン師を交出させたりせぬ」と答えており反タリバン側の政府サイトにても阿富汗人をAfghaniと云うが何故か米国にてはAfghaniは通貨単位でCIAの"World Factbook"にても阿富汗人をAfghanと呼びたり。iがあるかないかの些細な事なれどAfghan-istanかAfghani-stanかは前述の土地を意味するstanとも係わること。そして更に興味深きはパキスタンの「すたん」もこれと同じならパキスタン人をPaksと云うも可なりしものを何故にPakistaniと云うかといえば(これに倣えばAfhanistaniになる筈)パキスタンはPaks族の土地にあらずこの地の主要族群即ちPunjab、Afghania、Kashmir、Iran、Sindh、Tukjaristan、Afghanistan並びにBaluchistanの頭文字並びに語尾を組合せたるものなりと1930年代に剣橋(ケンムリヂ)大学にて学びしパキスタニ学生が考証したものなり。これを読みペルシアに梵語と悠久の往昔からの物語を識り民族の混合など思えば現世の争い誠に貧しき出来事なりけり。夕方銅鑼湾のジム。佐敦にて藪用。夜遅く尖沙咀のHMWにてシュタルケルが演奏するコダーイの無伴奏チェロ組曲をさがすが在庫なし。HMWへの道すがら北京道といえばRed Lips Bar、Red Lips Barといえば雨の日も不快指数120%の熱帯夜もいつも涼しげに北京道からRLBに入る横丁の角で客引きをしてきたRLBの女将も最近は妖艶なら厚化粧にも皺が目立つと思っていたがたまに腰掛けていた程度だったバーのスツールのような椅子がいつのまにかしっかり坐り込む椅子へと変わっており女将もさすがに足腰の衰えを隠せず。それでも通りに立たぬ日なし。このバーには香港大の地理学科で教鞭をとる専門が日本の街道の研究という英国人の講師がかつて居り、10年近く前だが或る研究会の帰路このバーに誘われ訪れた事一度だけあり。その講師はこのバーがお気に入り、麦酒など飲みながらホステス相手に歓談す。ホステスもすでに年季の入ったお姐さんばかり、酒のご媒酌もままならず養命酒を水で薄めたようなカクテルを客の払いで飲み店の売り上げに貢献す。お姐さん方の余興の特技は客が麦酒を1パイント一気に飲み終わる間にアメリカの州名を全部早口で言うという芸当あり、これに挑戦し余が飲み終わるより先に言い終わりけるも事の外をかし。越南戦争にてさぞやアメリカの兵隊多く覚えし芸当なりしかと問えばお姐さん曰く朝鮮戦争なり、と。余は魂消て酒の酔いも醒めたり。
十月七日(日)晴。九月十二日の雪辱戦とばかりにDashing Winnerは馬主C氏のお誘いをZ嬢とともにうけ陽明山荘住人I氏に従い山荘に氏を尋ねC氏夫妻の車で沙田競馬場。馬主席にて観戦にてレース前はパドックに初めて入る。第七レース1650mのダートに登場せしWinning Dashは善戦したものの優良馬の評価高かりしものの第一班から未勝のまま三班まで降格の陽明之寶(Alf)が腐っても一班馬で善戦し初勝利、Dashing Winnerはわずかに及ばず二着となるが快いレース展開。C氏に送られZ嬢と尖沙咀、ペニンスラホテルのThe Verandahにてコンサートまで急ぎ軽く夕食を、と、鴨レバーのソテ、茸類のパスタ。エンジェルヘアーのパスタと揖保之糸と何が違うのかとふと疑問。香港文化中心にてJanos Starker(ヤーノシュ・シュタルケル)のチェロ(鋼琴は1976年!よりStarkerと共演する練木繁夫にてStraussのチェロソナタ、Beethovenの同4番にBrahmsの同1番、アンコールにてBartokのRumanian Folk Dance #6とこれは東京カザルスホールでの先月末の演奏会の続き。シュタルケルをこうして香港で聴ける感激。シュタルケルについて余計な事を言葉で何をか語ろう哉。実はシュタルケルの歴史的演奏である同じハンガリーのコダーイの無伴奏チェロ組曲を未聴とふと反省す。
十月六日(土)薄曇。百年ぶりに昼前寛ぐ。MDプレーヤー四年程前に購いし録音可が機種と昨年購いし携帯用の最小型保有しつつも携帯頻度は頗る低くふと路上にて二手電化製品携帯電話類買取りの看板掲げし者に現物を見せると小型はHK$100にて旧型はHK$50と。携帯型の最小は新品にてHK$600ほどにてMDは二手では売れずこの値で買取りても儲けなどなしと解説され了解してHK$150にて二つを手放す。Wellington街は麥○にて雲呑麺、HK$23は向いの雲呑麺HK$10を売り物にする沽記の二倍以上の値段ながらやはりここの雲呑は言うに及ばず歯応え格別の麺は至極。春回堂にて涼茶。SonyのMP-3(NW-E3)を購う。尖沙咀にてGym。SonyのMP-3はMacには対応せず(!)仕事で丁度WinNTの入替え用にと届いていたWin2000の電脳を用い出す。MP-3でPink
FloydのDark Side of the Moonを聞きながら快活谷の上のほうを歩けばいつもの見慣れた景色もまた格別なり。曲はMoneyが始まり丁度来た小巴に乗るなり運転手が小銭の貯まった料金箱をガチャンと動かし小銭が音をたてて落ち丁度Moneyの曲のイントロと合う見事なる偶然。四、五年前にBachの無伴奏チェロ組曲の楽譜を購いその足で上環の朝鮮料理屋梨花苑に行った折は席につくなりカザルスの演奏にてこの曲がかかった事を思いだす。堅道の古くからの飯屋・海燕飯店朝から昼こそ繁盛するものの夜は静かで一時は英語の品書きなど貼り出し気さくなるアル中の店員が店を仕切り夜もそこそこ客が入り始め我もとても朝の雰囲気には余の落ちつく席もなく店中を窺うのみが夕食にこの店を贔屓にするようになった一人だがこの店員も店を去り英語も消えていたが調理師不在のため休業中にて調理師募集の張り紙。残念。明日の沙田の競馬は前回快活谷にて一番人気ながら惜敗せしDashing
Winnerが雪辱果たすべく沙田にて初のダートにて試走好調前晩オッズは3.0倍にて一番人気なり。
○は冠が「不」にて下に「大」を置く。
十月五日(金)曇。陽明山荘I氏より頂き日本橋は銀装のカステラを食す。随分と久々の銀装、こんなに甘かったかと驚く。早天朝日新聞を眺めれば大江健三郎君が9・11について語りテロル発生にあたり二人のアメリカの知友の声を聞きたいと願ったと語り始めるは文化帝国主義批判のEdward Said君と言語学者Noam Chomsky君の事にて大江君が互聯網にて見つけし英ガーディアン紙の評論を紹介。さっそく検索にて同評論を入手するがサイード君の書籍数冊を数年書架に眠らせていることを後悔。この時期こそ読むべき名著を。サイードはパレスチナ人としての出自とイスラム並びに中東に関する知識とそして反帝国主義的な言動によりかつてはテロ専門の教授のように思われてもいたが実は欧米の外から欧米ismを見つめることのできる碩学。築地のH君よりアフガン北部同盟の領袖「パンジシールの虎」マスード師を長年に渡り撮影せし写真家長倉洋海氏のことを伝え来る。「マスードは自分にとって恋人のような存在だった」と明かし、肩こりの激しいマスード氏を時折按摩したという逸話を紹介(都新聞)。長倉氏はマスード暗殺を報じる電視の報道番組で発言を求められ泣いていた、とH君。この砂漠の思想には愛があると納得。世界が悪魔と呼ぶビンラディン師とて同じこと。悪魔とて魅力なければ囁きに耳を傾ける者なし。M氏と初更に銅鑼湾はEast Endにて地ale飲み南華會のbarにてErdinger飲む。ビンラディン師の生命を奪えば寧ろ泥沼化することが明白なものを。M氏は同郷にて最初にお会いして六年、度々飲むようになりM氏家族とも意気投合し三年か。会社の会食に合流するM氏と別れ金曜日の夜というのに遊行する覇気もなく二更を待たず帰宅す。Z嬢が勧められしSuper Oxygenated Waterなるものを試飲、高純度にて口に慣れぬ異常な丸やかさ。互聯網の某網站にて通信販売を申し込めば合州国の網站にて国名選択の際に合州国が最初にあり次からabc順にてアフガニスタンより始まり両国並び意味深。来週水曜の競馬の話をしては馬に笑われしもののHAPPY VALLEY TROPHY 1200mにはIndigenous、Oriental Expressと普段快活谷には参戦せぬ歴代の名馬に4冠4亜1負の四歳馬Winning Counterなどが挑み好取組を期待。
十月四日(木)晴。昼に太古城にて近頃評判の北方支那料理・翡翠拉麺小籠包、水餃はイマイチ、手打の麺のコシ、紅油抄手、小籠包は及第にて価格は廉、正午には満席にて流行るも納得。M君より携帯に電話あり一部上場の某K社倒産の噂ありと。午後になり其れ誤謬にて事の発端はK社の某氏が個人で使用するインターネットプロバイダが倒産しメールアドレスが変更とのメールを関係者に送り其れを読みし某がK社倒産と早合点。それだけならまだしも夕方或る人にその事話せば余がK社の名を出すとこの人曰く「k社倒産は未だ公式に発表されぬ極秘情報」と。かうして人の噂は拡散するを痛感す。明日の朝東京市場開けばK社株は暴落か。
十月三日(水)快晴。夕方gymへと向えば道すがら駆友I君より電話あり大陸より戻った由happy
hourの誘いありgymをいとも容易く断念し丁度Cnetralにて蘭桂坊はSchnurrbantなる独逸酒場にて落合いKonig
Pilsenerを飲む。独逸の勇ましき女給がたっぷりと時間をかけて注ぐ麦酒は絶品にて二杯目の素人女給が独逸嬢の半分程の時間にていれた麦酒は著しく風味劣る。I君を晩餐に誘うがI君は大陸の連休中にて香港の会社に内緒で香港に戻りし故同僚に会うを怖れる。晩餐は天后の利休にて電話にて亭主S氏に問いあわせればI君の会社関係の予約はなし。I君と利休に向いI氏、Y氏とZ嬢。途中柬埔寨(カンボジア)より戻りしH君も合流。利休は香港の日本料理屋にて評価高き店なれど狭い店にバッテラの鮨詰の如く日本人サラリィメンが集い煙草の煙と仕事への情熱と鍋料理の熱気が店に籠り酸欠状態なのは苦しきもの。全席便所の前まで満席にて盛況甚だしきものなれど二更を過ぎればサラリィメンは銅鑼湾のカラオケバーにでも繰り出すのか一気に客はひきたり。繁盛はいいが最近厨房にて調理ばかりの女将さんは疲労困憊か。
昨日飲食店組合主催により大規模な反禁煙条例のデモ。飲食店が全面禁煙では不況の最中客足が遠のき大打撃と政府の禁煙政策を非難。政府の調査は全面禁煙を望む市民が大多数と真向から対立。デモには専欄作家の蔡瀾、料理評論家の唯靈、調教師の簡炳犀も参加、蔡瀾は飲食店全面禁煙するなら禁煙化は世界の潮流にていっそのこと香港を全面禁煙にしてはどうか(さうすれば蔡瀾も中国に移住するとすでに書いており(この場合、表現の自由の問題は考慮しておらず)香港からかなりの知財が流出しよう)と宣い、唯靈は飲食店全面禁煙は社会の二分化を促進すると警告、簡炳犀は喫煙者は高額を納税する市民であり吸毒ではないと叫ぶ。少なくとも煙草は毒。マリファナやコカインのようなサイコ~なる快楽もなく、煙草を吸えば落ちつくだの安まるだの言うのはニコチンが切れた体調不活性の状態にてニコチンを吸入することにより安定した状態(つまり煙草を吸わぬ者の平常)に戻るだけの事。煙草を吸う者の自由は認めるが香港空港の如き一切二次喫煙のない隔離された場所だけとしマリファナ、コカインの類を合法化せぬか。劉健威の如き文人すら喫煙問題となると常軌を逸し「間接喫煙をせぬ権利というがそれが公共の場所を全面禁煙にする主張と釣りあうのか」「全ての公共の場所に行くのでもないのに自分の行かぬ場所まで禁煙にするのか」「これは自己の保護どころか他人の(権利の)侵犯である」と。更に或る精神病患者の事を採り上げ政府調査にて禁煙化にYesと答えた者よ!と呼びかけ此の患者の唯一の心の安らぎが喫煙なのだが公共場所たる病院が禁煙になるとこの患者の唯一の権利が剥奪され彼は破滅し死に急ぐ事となり調査にてYesと答えた者は自らの手を鮮血で染めることになろうぞ……と流石というべきか喫煙というドラッグ中毒者たるべき論調に我は唖然とす。ヘロイン中毒の患者の唯一の嗜好がヘロインの場合に病院にてヘロインを与えぬ事をヘロイン患者の権利剥奪と劉は言うつもりか。煙草というドラッグ(ヘロインの場合は本人の摂取は周囲になんら間接的影響はなく煙草の間接喫煙とは全く異る)の中毒者に権利などあろうか。また劉はかつて牢獄に入りし経験ある台湾の映画監督の辛い経験を例にして懲役中に無くて辛き事は一にオンナ、二に煙草、禁煙化に賛同する者は精神病院にも牢獄にも入ったことがなく其処に収監されし少数の者を迫害することを解っているのか、と。自らの権利を主張することが他人の権利を侵犯するのであり禁煙賛同者は排気ガスを吸わぬ権利を主張し、全ての自動車を走行禁止とし、伝染病にかからぬ権利もあろうから風邪を含めた伝染病患者は公共場所に入れぬようにしては如何か、と続ける。このようなことをせぬ事こそ相対の規準であり、そうできぬは身体は健康にて精神病である、と結ぶ。つまり煙草を吸わせろ、とそれ以外何ら説得力もなし。無様。
十月二日(火)快晴。志ん朝逝去の報に接す。江戸の落語奇跡的に志ん生より志ん朝に遺継されしがもはやこれまで。噺家にて63才の死は余りにも若く円熟の志ん朝を聞けぬことはまことに不幸なり。もはや談志の芸風の孤立無援は孤独となりぬる。朝日に建築家・安藤忠男語るに今回のテロは「米国のスタンダードの押しつけによる経済至上主義や西洋文明と、非西欧文明の衝突」であり「『多様な価値観を認めよ』という叫びにも見え」「世界貿易センタービルは同じ規格のスペースが積み上げられた構造で、経済合理主義の権化のようなビル」で「建築学用語で『均質空間』と呼ぶ」「米国流スタンダードともいえ」「いま、建築の世界でもこの米国流が世界を制覇している」が「世界には異る文化、宗教、風土があるのだから、多様な建築があっていい」もので「多様な価値をお互いが認め、受け入れるべき」であるとまさに溜飲が下がる思い。安藤氏の建築はテロが襲わない、テロリストも安住できるもの。東京にてカラバッジョ展見たい。『諸君』(文藝春秋)は9月のテロ騒動に便乗し石原慎太郎・佐々淳行の対談で「ペンタゴンの黒煙を眼前に今こそ『日の丸』を立てる秋!」って国旗を立てる故にテロに狙われることを判らず、「『開かれた社会』の『敵』イスラムテロリズム」ってアメリカ集中のグローバリズムも「開かれた社会の敵」であり、「安易な比喩はやめてくれ、何が『真珠湾』だ『特攻』だ!」という対談も今回のテロには「本人たちには」その「聖戦」をアメリカに挑んだ明確な聖戦の根拠があるだけに日本の真珠湾、特攻とは根本的に異らないか。
十月一日(月)晴。昨日に続きトレイル練習にて同じチームのK氏、別チームよりS氏、K氏参加しトレイル第六、七、八段。針山まではどうにか勢いあったものの流石に昨日の疲労ぶり返し草山の上りで急激に体力消耗、七段の終わりの休憩でK氏にオレンジもらい柑橘類の作用に驚く。S氏に城門ダムの源流にあたる小川の場所を教えてもらい清水汲み喉の乾き癒す。かなり上質の清流。どうにか回復して大帽山登る。大帽山山頂にて五星紅旗靡き何かと思えばボーイスカウト隊の少年諸君の行脚にて記念写真を撮る、国威発揚される様頗る顕然。夕方帰宅して競馬は沙田にて国慶記念。Orieantal Expressがレースを引張り第4コーナー回って順当に蝦が王道が決まっていたかのように先頭にたち1.23.3の1400m新記録にて優勝。第10レースは健康快車が来るのは当然として問題は二着、Expressoのオッズが50倍を越えていてちょっとそれはあまりにもと思い複勝、それに三着で来る予定でQP、ご祝儀にQを購入。するとExpressoがマジに健康快車を追いかけ二着。56倍にて複勝HK$86、QはHK$826、QPはHK$237と久々に痛快なレースとなる。夜、自宅にS君S嬢、夕食して国慶節の花火、自宅からでは遠くのマンション群が遮り高く上った花火しか見えずバランタインの21年持参でマンションの屋上。気候もあろうがなぜにああも毎回花火が打上げの煙にて曇るのか、花火の材質の問題か。かつてはこの国の成立とその混乱が故に香港の地に逃れた者がこの花火を眺め国慶節に何を祝うのか余には解らず。それよりも国家の成立など関せず何億年かただこの季節に美しき圓影を投じる月はハーバーとピークのちょうど間に掛かり、それに見惚れる。