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乾坤容我静 名利任人忙 乾坤ハ我ヲ静カニ容シ名利 ハ人ノ忙ニ任ス 乾坤は和訳に難き言葉なれど天地、陰陽、つまりは宇宙の理か。

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■既存の新聞に満足できないなら日刊ベリタを 読みませふ。富柏村の記事も「稀に」あり。
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讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。

2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

九月三十日(金)快晴。朝四時半に目覚める。確かに昨晩十一時すぎには臥床ながら早 朝まだ暗きうちに一旦目覚めると眠れぬのは困つたもの。当然、朝刊も届かぬのを幸いに昨日の読み残しの新聞雑誌読む。朝五時半から本港台で「人在江湖」見 る。八十年代前半の新界錦田であるとか金鐘での工展の風景とかドラマの中に外景の実写あり歴史的価値あり。朝六時に中央電視台で「六点早新聞」見る。起 来!起来!起来!と国歌義勇軍行進曲で始まるこの朝のニュースをいつたい何億人が見ているのだろうか。朝日の朝刊届く。小泉三世靖国裁判訴訟は東京高裁が 一審(千葉地裁)の公的行為との判断退け私的行為と判断。「職務として参拝する趣旨と受け取られることを避けるため8月15日を断念し13日に参拝するこ とにした」から、との判決理由(嗤)。原爆投下の日をさけ首相が広島長崎を訪問すれば私的行為か。バカもいい加減にしろ東京高裁。排卵日を避けHしても受 胎したら事実は事実。行為より首相は行為の結果が外交問題に発展する立場であるから本人の認識が私的だろうが公的な影響ある場合は公的と判断されてよし。 それにしてもこの記事、朝日衛星版では第3社会面。通常、天皇陛下がお田植えとか、浩宮様が登山、の当り障りない記事ばかりの場所である。香 港の地元紙は信報も蘋果日報も原告が「不当判決」と幟を挿頭しての写真入りで政治面。この温度差の違い。朝、北角の波止場近くで「無人」の新聞販売スタン ドあり驚く。いつも店番がいたはずだが。眺めているとちゃんと客は6ドル置いて新聞を取つてゆく。お釣りまでちゃんと用意されていてお釣りのある場合は勝 手に崩す。田舎の街道筋で野菜の販売ぢゃありまいに。思ふに誰か新聞スタンド二軒経営するが店番を置けば人件費もかかる。新聞の薄利ならいっそのこと店番 置かず「勝手にお取りください」で多少の損があつてもそのほうがマシといふ算段だろうか。晩に自宅でドライマティーニ一杯。真露を飲みながらチゲ鍋。 NHKで釣瓶の「家族に乾杯」といふ番組で旅先は和歌山の本宮。伊勢から本宮にかけては南方熊楠だの中上健次だのいろいろあり、で旅のゲストは宮本亜門先 生。
▼その敷地面積から入場者数まで全く公表もせぬ香港鼠楽園の神秘ぶりは北朝鮮の如し。我々は香港鼠楽園の守衛のほんの一言などから入場者数が予想下回つて いることなど察するが(あの守衛ももう楽園追放されているはず)冠忠バスが昨日の株主総会で社主のW氏(知己の馬主なり)が「ディズニーランドへのシャト ルバスの乗客数が開園後も予想に達しておらぬ」と指摘。冠忠バスはランタオ島での大嶼山バス会社の親会社であり鼠楽園開幕にともない中国からの参観客目当 てに深セン境界の皇崗、珠江フェリー波止場の尖沙咀中港城からの路線を得、他に中環に開業のFour Season Hotelからと二軒の鼠楽園内のホテルからのバス運行もして更にKCRとの共同運営で上水站からの鼠楽園行きバスまで運行しているが「乗客は予想の日に 数千人に対して日に数百人」で鼠楽園開幕でランタオ島全体の観光客の伸びも期待したが期待外れ。実際には鼠楽園の客は香港の地元客が多く(当初、政府など が述べている)ディズニーの経済波及効果がどれほどのものか、まだ数ヶ月見てみないといけないが、とかなり悲観的。W氏兄弟の表情も暗澹たるものあり。鼠 楽園路線につきここまで言及することぢたい今後のバス専線の契約更改捨てる覚悟あり、であらう。
▼香港政府ICAC(廉政公署、汚職摘発専門部署)が中科環保電力と中国環保電力の経営者、通称「Ba叔」ら22人を逮捕。容疑は環保電力の経営者らが別 の会社に贈賄で環保電力との取引きあつたように見せかける粉飾行つたもの。これぢたいは「ありがち」な企業犯罪だが気になるのはICACの立場。英国植民 地時代に政府汚職ひどく設立された強権部署であるが97年以降はその権限独立ぶりがどうも一党独裁国家では気になる存在のやうで董建華襲つた「自称政治 家」Sir Donaldに中央政府から期せられた使命は3つの整頓があり、立法会民主派と公共放送「香港電台」と並びICACであるといふ。ICACにとつては正当 な業務執行であつても「また余計なことをして」である事例続くとICACの立場は脆くなる。今回の執行で気になるのはこの中科環保電力と中国環保電力(実 質的には同一会社)の背景。Ba叔は不思議な人物で電力産業のこの投資会社経営のほか中国国内の芸能プロダクション業務取り仕切る別会社も有してポップス 系歌手の中国国内での興業にもかなり力をもつ。開けっ広げで人懐こき性格も好感度あり。だがこの環保電力は「北京中科通用能源環保」の三分の一の持ち株な ど中国国内の電力事業への投資も積極的。で「中国電力」の親会社である「中電国際」の5%の株も所持。中国電力といへば中国の電力発電の最大手の国策会 社。ここに食い込むことは並大抵の話ではなく逆に環保電力は中電国際の香港での実質的なパートナー。で中電国際の副社長(実質的な経営責任者)が李小琳。 あの国務院前総理・李鵬の娘。中国政府では電力部出身の李鵬。その息子・李小鵬は機構改革前の「中国電力総公司」(中国の発電送電を総括する国営企業)の 副社長で現在は華能国際電力の会長。で娘がこれ。中国の電力事業を李鵬一族が仕切る。かなり焦げ臭い話であるが投資家邱永漢系サイト(こちら) などかなりノーテンキに投資情報。
もともと中国の電力業界は「中国国家電力総公司(SPC)」という ものがありました。電力の母体企業、基幹産業として国内では判独占状態が続いていました。しかし、独占的な企業はとかく競争力に欠け、技術革新意欲や経営 改革などに対しては脆弱な体質が芽生えます。
中国の発電技術はともかく、送電・配電体制が先進国に比べてウイー クポイントになっています。送配電体制が機能的に整備されていないのは、これまでの政治体制の中での派閥が原因だとも言われています。言い換えると電力会 社は政治的な色彩が非常に強い業界と言えます。更には、政治との癒着や腐敗を生むことになります。
そこで国家発展計画委員会は、電力体制の改革を実行し、国家電力総 公司を解体して、現在の5大発電グループと2大送電体制を作りました。
……だそうである。で誕生した会社が華能国際電力や中電国際。この「改革」のほうがよつぽど政治との癒着や腐敗であると感じるのは我だけだろうか。首相の 息子が三流役者でNHK大河ドラマで役を授かる程度が親の威光である日本は元首相家族が人口13億の国家の電力事業掌握する国家よかまだ健全かも。……と いふわけで「電力会社は政治的な色彩が非常に強い業界」であるがゆへにICACのBa叔逮捕がICACのみずからの首を絞めることになりゃせぬか、と思へ てならず。(……といふ以上の話とは「関係ない」が、と敢えて言つておくが)
OECD が中国での贈収賄汚職の現状を報告。異例。昨年一年の中国国内での贈収賄の金額は最大6,380億元で中国のGDPの5%に達するもの。一昨年の上半期に 中国から8,300名が贈収賄での逮捕免れるために国外逃亡、国内の失踪が6,500名。そのうち三分の二が国営企業の管理職で87.5億〜500億米ド ルを海外に持ち逃げ、といふ。
▼29日のIHT紙にハーバード大学で日本政治研究するMargarita Estevez-Abe女史の「小泉の新党」といふ論評あり(こちら)。 小泉三世の政治改革を首相への権力集中型の英国化と呼び先の総選挙での選挙結果は“promise to transform Japan and its relations with the rest of the world”だそうで90年代からの小選挙区制など一連の改革も日本が英国型の議会制民主主義の実現に向かふものだと位置づける。そんな讃めていいのか よ?と思ふが結局の結論は“Japan will develop a more pro-market face and be ready to tame on a more active role in the U.S. global security strategy”と、これをEstevez-Abe先生は問題視しているのではなく積極的に評価(凄)。米国にとつて小泉三世の改革がいかに有効か、な のである。“American business and policy makers will certainly find the new Japan easier to understand and to deal with. Whether a country like China will welcome the change is another issue”と述べるEstevez-Abe先生。中国に対する指摘は面白いが、この論調であれば、まだお若いが美貌の米国駐日大使候補確実。ご本人も当 然そのへんの強い意思あつてのこの戦略的政治論ではなかろうか。これで日本側は猪口外相か。嗚呼。
▼日本である公立美術館の学芸員をするS君からのメールによれば某県は美術館をはじめとする県立文化施設の廃止の検討に入り来年までには結論。財政破綻の 結果だが総務省の意向に沿うもの。地方公立文化施設の廃止は小泉構造改革の方針に他ならず「民間でできるものは民間で」の精神か。だがその反面、民間サッ カーチームのJリーグ加入推進には何億円もの財政支援を議会の反対を押し切つてでも断行。県武道館の無理矢理な建設も含めとにかく体育スポーツの強化は県 政の重要課題。思えば軍国教育において重要なのは冷静になることを知ることではなく熱くなることを知ることにあり従つて歴史でに非ず神話伝説であり、そし て美術文学に非ず体育、とS君。御意。

九月廿九日(木)薄曇。初秋の巴里は歌劇(こちら)。競馬は凱旋 門賞もこの週末。巴里の青き空を思い、ただ、た め息。眼鏡店にてコンタクトレンズ交換。昨日までの眼球の疲労感、頭痛嘘のやうに失せ老眼鏡なしでかなり近くの文字も見える慶び。早 晩にFCCにてドライマティーニ三杯。飲みすぎかしら。だが終日忙殺のあと日剰など雑感綴りながらの一飲にて甚だ心地よし。ラウンジで隣席に毎早晩この時 間に世界的ジャーナリストのCH女史あり。湾仔の中国旅行社でフェリーの切符購入。好感もてる職員の対応。Z嬢と待ち合せJaffee Rdの北京餃子皇に食す。拌青瓜と韮菜猪肉餃、羊肉餃と坦々麺を注文せば見事に坦々麺、餃子二種、最後に拌青瓜と供される(笑)。何も考えておらぬが「い かにも山東省出身」の雰囲気醸し出す主人の姿。湾仔の芸術中心にてLADENといふとビン=ラディン師彷彿させるがLittle Asia Dance Exchange Network(小 亜細亜舞踏網絡)の略称でこの舞踏発表見る。昨年十月Z嬢と余の贔屓にするDaniel楊春江君がこの小さな発表に出るため参観。で日本からの池 田素子を含む五人の、殊に数日の練習で発表に至つたといふ群舞の見事さ。で今年の発表。新嘉坡からJoavien Ng嬢、台北からSun Chou-tai、東京から笠井瑞丈、香港のAndy WongとソウルのChung Yuen-sooの五人が踊る。笠井君もいいが韓国のChung YSの端正な舞踏がさすがトリ、と納得。とても単純な照明の使い方がじつに見事。東京はちなみに10月11日に織部ホール(こちら)にて。
▼Vodafoneのクレジットカード支払い口座変更はオンラインではできぬとのことで自宅に変更届が送られ実家から転送してもらい本日受領。ここまで手 続き慎重で、変更届は往復葉書。そこに銀行口座や口座印鑑、クレジットカード情報など記載とあり驚くが、さすがに個人情報のため内容が見えぬように反対頁 のシールを剥がして記入部分にお貼り下さい、と「日本らしい」「高いコスト」の気遣いと思えばシールは「剥がして、また貼れます」シール。これぢゃ誰でも 開けて見れるがな。しかもクレジットカード選んだ場合に署名欄もなし。これで今度は「海外発行のクレジットカードはお取り扱いできないのですが……」とか 言われさう。「これまでも香港発行のAmexからVisaへの変更なのですが」と説明すると「当初、Amexでお受けしましたのはご登録が店頭だったもの ですから係の者が海外発行のカードとは気づかずにお受けしたもので……」と説明され「でも、それで受け付けて支払いができているのだからいいぢゃないです か?」と求めると「いやはやなんとも……」と永井豪。日本ではよくある話。
▼朝日新聞一面に「空自3曹覚せい剤云々」の記事あり。なぜ空自三曹覚醒剤と漢字使えぬ世になつたのか。覚醒剤はまだいいが3曹では級位とは思えぬ。一等 海尉は1等海尉と書くのだろうか、横書きだとまだ違和感ないが縦書きだとかなり変。ちなみに「陸将」など漢語だと漢数字で「6将」になり、かなり等級下が る鴨。この醜い日本語に徹するのなら小林1茶くらまで徹底するべき。鳩山1郎、タコ8郎、伊東4朗。永六輔はこの貧困なる文化に対抗して永6輔とすべきだ つた。いや、固有名詞でなくて普通名詞の場合です、と言うのなら従二位も従2位藤原定家とか。受勲で突然心配になつたのだが中曽根先生が大勲位なら小泉三 世もこれだけ長期政権で日本の構造改革に寄与すればやはり大勲位なのだらうか。南無阿弥。ただただ陛下がそれに難色示されることだけ願ふばかり。ところで 受勲について調べてみたが杉田荘治氏の受勲頁はすごい(こちら68万ヒット……誰が見 ているのだろうか)。宗教に関しても凄い(こちら)。 突然気になり杉田荘治でgoogleするとかなり濃い(こ ちら)。奥崎謙三先 生に近い凄さ鴨。
▼その朝日に中曽根康弘大勲位閣下が小泉自民党圧勝について 語るインタビュー掲載あり。郵政解散は立憲主義に対する侵犯、 と大勲位。だが小泉三世も小泉三世を支持する人も何が立憲主義で郵政解散がどう侵犯しているか、は理解できまひ。立憲国家の首相が立憲主義を侵犯すること は通常あり得ぬし(まずはそれが政治機能上、阻止される筈)かりにあり得たら首相更迭。80年代の中曽根君が治世の御時、改憲の主張や教科書検定で反動右 派の首相と思われたが今になつてみれば本人曰く「中道やや右」は確かに。警察庁長官で新左翼から敵と狙われた後藤田先生とて大勲位は「中道やや左」といふ が実際には仏蘭西的には後藤田先生は左派で中曽根先生もこのご時世では「中道」と言ふも余は辞さぬ。このインタビュー読んだ築地のH君が先日の帰朝当時は 日本の政治には絶望、もう新聞を見る気もせぬ、と言つていたが、この大勲位の発言読み、あらためて「知性と教養」がいかに人間にとって大切かを感じた、 と。大勲位閣下とはH君は政治的心情においてはまつたく相入れずもお互いに了解可能な言葉の存在、それが教養とか知性とかいわれる文化の枠組み。中曽根先 生に「少数派と同居する、異端とも共存する——これが民主主義だ」と言われても現首相にはおそらく文章の意味すらわからぬのかも。ところで大勲位は「国民じたいが変人・小泉が登場する前に「変人社会」になった」 と指摘。だからこそ変人首相が大衆の指示を得た結果が今回の選挙。大勲位ももはや国民が変であるとのご認識。御意。大勲位はH君の指摘通り自民党にあつて は保守傍流として常に自分が異端であったという自己意識あり。おなじく現首相の売りが「変人」とか異端であることな筈でも異端として似たような政治的境遇 潜つても全く別の結論に至る。それが「歴史を学ばぬ」ことの「無知の強さ」。今朝のテレビ番組では加藤紘一君が郵政政局で「両者とも大きな誤解をしてい る。反対派は小泉さんが決して解散をしないと思っているし、小泉さんは解散しても自民党が勝てると思っている。どちらもまちがいだ」と指摘していたが「郵 政という課題がこれほどまでに国民的な支持を集めるとはまったく予測できなかった。結果的に私の方が間違っていた」と率直に自己批判したといふ。加藤君の 頭脳はやはり高級すぎて大衆の愚昧さまで読みきれず。この人の致命的な弱点。「加藤の乱」の時もし彼が数名の手勢だけでも離党して勝負に出れば恐らくは国 民的なヒーローになり民主党との連立政権の首相も可なり、とH君。御意。だがそこまで大衆の動きを読み切れず。あくまで「宏池会」率いて自民党内でヘゲモ ニー握るといふ正攻法への拘りが敗因。逆に小泉三世あれを見て「そうか。これをやれば自民党で負けても総理になれる」と知つたのぢゃないか。だとすれば 「加藤の乱」こそが歴史的なメルクマール。あれが戦後民主主義にとつて最後のチャンス。それを逸し日本社会は「歴史の終わり」へと辿着く。鳥越俊太郎君は 後藤田先生の後継者は加藤紘一だ、と述べたさうだが勝とう君、首相になるチャンスはないかもしれぬが政治家である意味は限りなく大きいの鴨。但し、問題は 自民党のなかに加藤君の忠告など拝聴する輩がもはやおらぬことであらう。
▼イラクで裸の拘留者の首に縄をつけ引き摺りまわしの女性米軍兵、軍法廷にて懲役三年の実刑。“I apologize to  coalition forces and all the families”で「米軍とその家族への」謝罪。“(apologizing to) detainees, the families, America and all the soldiers”と拘留者にも言及するが訴える最後はそれでも“remained  an American patriot”と、この一言で二年は懲役減るか。米国への愛国心ゆへ正義のための戦役に従い戦場での過ち、ってか。

九月廿八日(水)朝日新聞衛星版の香港頁にNNA香港(こちら)の編集長の随筆で日 本の香港占領期に軍票の印刷に携わつた女性をこの筆者が尋ねた話あり。すでに高齢のこの人は自分の上司であつた鈴木といふ軍人のことを語るのだが鈴木とい ふ人はいい人でとても優しかつた、と言ふ。筆者をそれを聞いてちょっとほっとした、といふのが随筆の内容。
残虐な日本軍の話が陳さんの口から一切出てこないことに、私はいさ さかほっとしていた。香港市民に、香港ドルと軍票を強制的に替えさせた横暴極まりない日本軍の姿も真実であるかもしれないが、ひとりの穏やかな人間として の鈴木さんの姿もまた、きっと真実であるに違いない。妊婦の陳さんを見舞いに行き、腹巻きを頼む人間像は、香港で流布されている日本の軍人としてのイメー ジとはかけ離れている。
筆者に特段の意図もないのだらうし、寧ろこの話に「ほっとした」のは日本人の本音。がこのテの「語られる歴史」のなかの善意ほど恐いものはなし。秀吉の朝 鮮攻めでもナチスでもイラクの米軍でも「いい人」は、いる。だが “So what?” だらう。「だからどうしたの?」と尋ねられると筆者は何を答えればいいか。なにせ日本軍の横暴は香港ドルと軍票の強制交換などに留まらぬ。で寧ろこのテの エピソードは「作る会」的に解釈され利用される、それが恐い。昼前から晴れる。雲一つない青空。何日ぶりかしら。目に眩しい。目がじつはこの一ヶ月ほどか なり痛む。目が乾き眼球全体に痛みのある感じ。疲れもひどい。一日使い捨てのコンタクトレンズで黴菌などの心配はない。目薬をさし目を冷やし……といろい ろするが晩になるともうたまらない。ついに養和病院の眼科のT女医の診察受ける。診断の結果、コンタクトレンズの度数が強過ぎる、と。そのため眼球と視神 経の疲労。右目は-3.75を-3に。左目は-2.75を-2.25にするように、と。だが4年くらい同じ度数で問題なかつたのに、と尋ねると年をとるに 従い視力が落ちることはあるが、眼球も衰えるわけで強い度数に目が合わせることができていたのがだんだん辛くなる、と。納得。先日また半年分のコンタクト レンズを購入してしまつたが眼鏡屋に電話すると医者の診断なら交換してあげる、と。有難し。早晩にFCCに寄りノートブック上の諸事いくつも済ます。最近 せめてもの自制と飲時チップスだのナッツだのは一切いただかず。帰宅。ホワイトシチューなど食す。中国山西省のワイナリー Grace Vineyard の赤葡萄酒がかなりイケること何度か日剰にも綴りしが先日このワイナリーの白葡萄酒を見つけ赤に比べ「あまり期待できない」予感したが試飲。やはり期待外 れ。あと十年はかかるだろうか。
▼信報に香港政府中央政策組の顧問であつた練乙錚氏の連載はこの日剰でも今年六月にかなり細かく綴つておいたが練氏のこの文章が『浮桴記』といふ題で上梓 され信報に一昨日より浮桴記書序といふ連載始まる。自叙伝的に半生で出会つた忘れ難き人の話。筆頭で紹介されたのが民主党元代表・李銘柱氏。練氏の父は国 民党政府の文員にて国共抗戦ののち香港に避す。家貧ながら連氏学業に優れ九龍華仁書院に学ぶ。大学進学夢見て当時は台湾での進学も考えたが台湾の往復の旅 費の工面もままならず。その時に学校の神父に米国の大学で奨学金制度あり生活費まで補填されるを知り懸命に学業続け奨学生に選ばれる。が老いた父に「学業 も大切だがおまえが大学に進学して誰が家族の面倒をみれるんだ?、米国への往路の旅費すらウチでは出せない」と大学進学より就労促され練氏は絶望の淵に陥 る。華仁書院の親切な神父は学長神父に相談する。神を信じれば必ずご加護がある、と言われた翌日、校長神父が資金援助してくれる人が見つかつた、と報せ。 その人が若手の弁護士・李銘柱氏。李弁護士の事務所を母と訪ねると練氏の話をきいた李氏は一通の封筒を練氏に授け「このカネは返済しなくてもいい。もし逆 の立場になつた時に誰か困つている学生を援助してあげてくれればいい」と李氏。それに涙する母。そして三十年後。香港の民主運動の先頭にたつ李銘柱に再会 した練氏、その当時の話をして礼を述べると「あ、そう、あまり覚えていない……がキミの名前があんまり珍しいからまだ記憶にあるな」と李氏。古道熱腸、右 手的樂善好施、左手也不知道、と練氏。
▼台湾の放言作家・李敖の大陸訪問。北京大学での言いたい放題、清華大学での当たり障りなし、に続き今度は上海復旦大学では厚顔無恥甚だしく中共賛美の弁 舌巧み。香港の民主運動まで取り上げ英国植民地時代は何ら抵抗もせず返還となれば騒ぎ出す、と揶揄。時代的には確かにその通り。だが89年の天安門事件が 香港の民主運動の契機となつた事実を李敖は考慮しているのだろうか。

九月廿七日(火)朝、五時半くらいに目覚め何気なくテレビつけると亜州電視で「人在 江湖」の連続ドラマの再放送中。思わず見入る。実に傑作。まだ若い周星馳など出ていたはず。老人の早起きで得もあり。早晩にふとトラピスト修道院の麦酒Chimay飲みたくなりQuarry BayのEast Endに寄る。深みに嵌るのが恐いがきちんと味わいたい、と思いまず青瓶から赤瓶、白瓶とじっくりと深みのある味からあっさりに飲み比べ。三種とも当然、 甲乙つけがたし。帰宅してドライマティーニ。鱸の粗煮など食す。菊正宗。NHK歌謡コンサートなる番組見る。男の哀愁、だかがテーマで内容はどうでもいい が演歌であるとかムード歌謡、恐らく大阪万博あたりを境に「ダサくなつた」と思えてならず。それにしても演歌はなぜ傷心で「北へ」旅するのだろうか。南に 行けばいいのに。なぜ北海道は舞台になるのに、タイを舞台に「肌にまとわるドリアンの匂いもつらい〜」はダメなのか。「まえも見えない雪つぶて」を「まえ も見えないスコールの〜」で金子光晴でもいいと思うのだが。でもどうしても「北へ帰る人の群れは誰も無口で〜」が南へ帰る人はみんなおしゃべりで明るそう だから演歌にはならないのかしら。寝酒にMacallanで明らかに飲みすぎ。だがどの酒も実に美味。ところでChimay麦酒のHPに日本語で「知識と 醸造される麦酒は知恵と味わわれる」と格言あり。意味不明。Una cerveza elaborada con saber se toma con sabiduria.で「叡知に基づき醸造される麦酒は智慧とともに味わわれる」で納得。
▼日本のある知人からいただいたメールに香港鼠楽園での大陸からの観光客のマナーの悪さについて言及あり。なぜ知つているのか=日本のマスコミがその悪習 をば紹介する由。事実は事実だが日本で放送される「だから中国人は」と偏見となる。鼠楽園といへば今度は韓国ソウルにも開園計画中。鼠天下もいつまで続く か営業に欲出して鼠楽園がウケるのはどうせアジアだけ、と開き直りで各地に小ぶりの鼠楽園建設。だが米国だの東京だの、なかなか行けぬから期待も感動も大 きなわけで、そうあちこちにできれば鼠の市場価値下がるだけの気がするが。どうせなら平壌に鼠楽園建設し米国帝国主義文化が如何なるものか北朝鮮人民に見 せることもありかも。
▼宗教の信心とは大したもの。立法会議員の広東省視察で、あれだけ中央政府に従僕なる行政長官Sir Donald敬虔なるカソリックにて広州にても宿泊先のWhite Swan Hotelから月曜日朝、沙面の天主教路徳聖母堂に参拝し祈祷。民主党元代表の李銘柱も同行。中国政府にしてみれば何かと面倒な対カソリックの関係で Sir Donaldがわざわざ視察旅行中に教会で祈祷はけして嬉しいことに非ず。
▼マカオ特区第3回の立法会選挙。投票率は58.39%。直選12席と間接選挙10席の計22議席のうちカジノ業界代表が7議席とさすがマカオ。7人のう ちにはカジノ王Stanley Ho氏の四番目の妻・梁安琪の初当選も含む。民主派の民主新澳門から呉國昌が投票総数13万票弱のうち23,472票でトップ当選。民主新澳門はもう1議 席獲得。澳門の場合これに行政長官が任意で指名の7議席が加わる。当然子飼いばかりの人選で澳門の政治的安定が図られる、か。
▼北京の地安門西大街71号に香港特別行政区政府駐北京辧公室が完成。四合院の建築多く残る一帯でこの辧公室も四合院ふうのかなり凝ったつくり。で当然 HK$八千七百万ドルも費やし建物完成してもまだ立法会で正式に支出は承認されておらず。

九月廿六日(月)霪雨。朝日の天声人語もたまに「ためになる」話あり先日の総選挙で の小選挙区の票数は自民公明両党の3350万票に対して非自公票は3450万票。つまり小泉郵政改革は支持されたのではなく寧ろ支持せぬ者が100万人も 多し。だが選挙結果はかの通り。勿論、比例区では自公票のほうが多いのだが選挙結果がまるで民意の総意であるが如く小泉三世の口から語られることはインチ キに他ならず。IHT紙は一面トップで江沢民の軍事委主席辞任による胡錦涛への権力全面移行につき江沢民の舎弟筋にある曽慶紅が胡錦涛体制に組みしたこと が要因、と報道。一時は江沢民の後継として名の挙がった曽慶紅が覚悟決めての胡錦涛支持で国家副主席に甘んじる。まぁ当然あつて当然の北京政治劇。少なく とも共産党内部で領袖にならむと動きがあるだけ首相独裁の自民党よかまだ健全かも。早朝に北角波止場のバス乗り場で東空より黒雲にわかに襲ひスコールの如 き雨。逃げ場もなし。香港鼠楽園行きのR11バス始発がエンジンもかけず停車中で、その後尾のバス陰に隠れれば東からの強風で横殴りの雨に傘もいらず。米 奇鼠に拯けられるとは情けないかぎり。ふと思えば鼠楽園行きのバスが北角始発なのも偶然に非ず。北角といへば中国からの香港旅行客の宿泊集中地。ここから バスで鼠楽園への客当て込んだ始発。昼にHappy Valleyの日本料理・慕情に食せば香港猛虎会の酒樽据えられ阪神優勝に向け秒読み態勢。例年なら中秋過ぎれば天高き秋の晴天が暗空を強風に煽られる大 雨にただ驚くばかり。Octopus Card紛失。朝のバスの中でだらうが気づいたのは夕方。Octopusでも残額なくなれば自動的に口座より振替されるカードがため危険も多し。慌てて Octopus Card会社に電話。HKID No.と生年月日入力せば自動的にCardを即座に失効させること可能。日本では到底考えられぬ方便。翌営業日に電話一本で10日後には再発行カード送ら れる手順。諸事忙殺され晩十時になり晩の食欲失せ帰宅。十一月の香港マラソン何を勘違いしたか昨年に続きフルマラソンに応募。それを思えば減量にいいか も。この応募もオンラインで三分で完了。先日、日本のVodafoneで支払いクレジットカードの変更する際の面倒思えば簡単至極。Vodafoneはよ うやく日本の実家にクレジットカード変更手続きの申請書が郵送で届いたところ。安全のため、手違いを防ぐため、と2で済むことに9、10の無駄な労力か け、その手間とコストのために雇用と流通が促進されて成り立つ経済。もつと大切なこと、時間がいくらでもある筈に無駄ばかり。
築地 のH君三週間の仏蘭西から葡萄牙の旅より昨日帰朝。もう新聞を読む気もせぬ、と。先の総選挙で自民党圧勝の「被爆」せずに済んだことだけでもH君は幸甚か も知れぬ。
▼天安門事件以降初めての本土入境となる民主派含む立法会ご一行の広東省視察旅行終わる。本土に入る際の、皇崗のイミグレなど香港市民にとっては何ら珍し くもない場所。寧ろ仕事で連日の如く通る者には(日本人も含め)うんざり、で香港の男性諸君にとつては「ちょっと抜きに」手ぶらでお気軽に深センにお出か け程度の場所が民主派議員にとっては「おーっ!」と絶叫。最初に訪れたのが世界の名所のミニチュア集めた「世界之窓」なのだから。89年以降の16年の民 主派議員の世間とのズレは小さきものに非ず。
▼九月五日のIHT紙からの切り抜き。Anne Riceなる作家がハリケーン被害のNew Orleansについて書いている。“What does it mean to lose New Orleans”から引用。
To my country, I want to say this: During this crisis you failed us. You looked down on us; you dismissed our victims; you dismissed us. You want our Jass Fest, you want our Mardi Gras, you want our cooking and our music. Then when you saw us in real trouble, when you saw a tiny minority preying on the weak among us, you turned your backs. Well, we are a lot more than all that. And through we may seem the most exotic, the most atmospheric and, at times, the most downtrodden part of America, we are still pat of it. We are Americans. We are you.
と。最後がお決まりの「我々は米国人だ」になつてしまつているが、ハリケーン被害での救済であれだけ裏切られてもまだ米国に対するこの希望。新天地ゆへも うここから先にはexodusできないのかもしれない。

九月廿五日(日)霪雨。朝寝貪る。昼にバスで旺角。何が用事あるでもなく雨空を漫 歩。楽園牛丸大王に牛南麺食す。旺角では此処ばかり。店員が 粗野な中年男ばかりであつたのがお揃いのエプロンの女性ばかりに。男衆は何処に掃いて捨てられたのか。野営系運動具店何軒か覗く。山歩きの小物購入。ミニ バスでホンハム。赤ミニもオ クトパスカード使用可。ジム。一時間筋力、もう一時間有酸素運動。暴雨。昏時フェリーで中環。雨を避けビルからビルへ空中回廊抜け通り抜けやうと The Landmarkに新装開店のHarvey Nichols百貨店に入ると見慣れし青色が目立つSmythsonの文具売場あり。香 港ではLane Crawfordだの英文書店が時々Smythsonの手帳など年末だけ扱ふが長続きせず愛用者はメールオーダーに頼る。パナマ型の手帳など見ているとお 隣にW女史のお姿。ご挨拶。まぁお元気?、香港にSmythsonが出来るとはねぇ。でも今はもうこういう手帳とかきちんと使う人も減ったんでしょうよ、 とW女史矍鑠。W女史でもHarvey Nicholsは今日が始めてだそうで「こんな天気が悪いと空いていてお買い物は樂よね」とW女史ともなると何事もプラス思考と敬服。FCCでフィリピン 産のサンミゲル一瓶とハイボール一杯。帰宅してNHK大河ドラマ「義経」見る。今頃になり岩波『世界』7月号など読む。佐藤優の連載「民族の罠」の面白 さ。佐藤優氏は宗男議員絡みで現在は起訴休職外務事務官。現在もまだ連載中。必読。第一回の連載から書き抜きせば
日本が包囲されているという自己意識は「日本人が正当な主張をして いるのに、その言説に周辺諸国が耳を傾けないのは不当だ」という被害者感情につながりやすい。ナショナリズムが強化されるときは、必ず「他者によってわれ われが不当な取扱いを受けている」という「負の感情」による連帯が生じる。特に高度に発展した産業国家、平たい言葉で言うと国力の強い国家で「負の感情」 による連帯を基礎にするナショナリズムが感情的になると、それは「われわれ」以外の人々を積極的に排除する排外主義的ナショナリズム(ショービニズム)に 転化する。(略)日本では、社会は世俗化、個人主義化しているにもかかわらず、対北朝鮮関係、対中国関係を巡ってはある種の集団的被害者感情が存在する。
まさに今の日本で最も恐いのが、この「負の感情」による連帯。具体的に何もわかつておらぬがマスコミを通してモニタに映る中国とか見てると「むかつく」の がそれ。で実は社会的弱者であるが、それを認めたくないから、敵が必要となる。だが自分は太刀打ちできぬから強く見える政治家、石原や安倍が誇らしく思え る(実は彼らもその弱い自我の一員なのだが)といふ構造。
ESF(English Schools Foundation)のClearwater Bay Schoolが香港鼠楽園への「課外授業」実施計画し保護者からも「教育目的があるのか?」と疑問の声。Marian Eastwoodといふ校長は“People are entitled not to let their children go, but they're not entitled to try to stop the majority going”と強気の姿勢。乱脈経営で政府援助削減されれば経営破綻必至のESFは教員の厚遇もリストラの対象となり一律給与1割削減打出し教員側は反発 し時限ストも辞さぬ構え。海外から招聘の場合、6年教員経験があると手当だの込みで年収HK$150万となり豪州で1500人規模の学校で30年教育経験 のある校長の2倍で英国のイートン校などの校長よりも高給とか。植民地ゆへの享楽ももはや限界。
▼朝日一面トップに「海自薬物汚染」とあり我が国の海上自衛隊の戦艦が薬物で汚染されたのか?、テロの仕業か?と思えば、たかだか大麻や合成麻薬の使用で 6名の逮捕。「潜水艦隊の乗組員に薬物が広まっている」で「汚染」。「県警は、隊員らはいずれも潜水艦に乗り組む合間に陸上で薬物を使用していたとみてい る」って当たり前。潜水中に一服は能わず。海自も「武器を扱う集団が薬物に汚染されていることは危険」とコメントしているが、一服して潜水したら海の中は さぞや美しいことであらう。お魚さんたちと会話できたり。で武器を所持していてもて大麻なら抗戦意欲もなくなるから、実は安全。シャブは困るが自衛隊員の 大麻は平和への第一歩。シャブといへば民主党のシャブ議員がいたが国会議員など国会で居眠りしている姿を見れば覚醒剤でもキメて大いに論戦を張つてもらい たいところ。
▼飯沼二郎・京大名誉教授逝去。享年87歳。農業経済学者で人権・平和運動に取り組み87年の君が代訴訟の原告代表。これからかういふ人が国立大学の教授 などなれぬ時代か。
▼中国の田舎政府の小役人らのバカさ加減は今更驚かぬが給与は上がらず贈収賄は極刑で、で何に走るかといふと公費乱用。田舎政府の建物の豪華さ(成金趣味 でとても下品であるが)。全国で小役人どもの「公用車」購入が全国で年間3000億元、とくに最近のお気に入りはランドクルーザーでトヨタが大人気(こち )。価格は中国で 70〜80万人民元で高税もあるが日本円では1000万円超える。政府国務院規定に照らせば部長(大臣)級の公用車基準価格の二倍以 上。中央ではそうだが地方は地方の裁量。中央集権のようで、この実際の地方自治(笑)。かつてはベンツや黒塗りがお好きだつたが黒塗り=仕事せぬ接待オヤ ジ、の印象強くクルーザーであれば、いかにも「道路も整備されておらぬ山奥まで人民の生活水準向上のためお仕事」っぽい。実際に一雨で水の溢れる市街もク ルーザーなら市政府の潅漑整備の遅れも気にせず走れるし週末の家族でのお出かけにも便利。広州南沙にトヨタ自動車の大型工場建設されたが中国で公用車の占 める割合はかなり大きいはず。その地方政府の豪奢ぶりのかげで義務教育での本来無償のはずが教科書代など「雑費」高騰続き全国で失学児童が2000万人。 北京では小学入学で991元の雑費に保護者が義務教育法に基づき教育無償を提訴するが雑費は政府の管轄外として取り合われず。雑費払えぬだけで授業を受け ることも能わず教室での授業を入り口から覗き込み授業受ける少女の姿。世の中、この極端な拝金主義。

九月廿四日(土)台風余波にて警報3となる。朝六時過ぎに起きてしまひ窓が雨に濡れ たを幸いに窓掃除。机まわりの片づけや二ヶ月も前の新聞切り抜き読み直し。ニコンF2の露出計の使い方など復習。なにせマニュアルのカメラ使ふのは廿年ぶ り。露出補正のないカメラとなると大学生の時に中国をバックパッカーで数ヶ月旅した当時の父に借り二コマートEL以来。先日ソニーファミリークラブに注文 の銀座タニザワの 散歩カバン届く。朝日の日曜版とか十代の頃にこのソニーファミリークラブの全面広告あり紳士小物や健康器具などオヤジ臭い商品を眺めながら「これに注文す るようになつたら人生終わりだよな」と思つていたが先日、文芸春秋の十月号だかに銀座の一流品特集でトラヤ帽子店のニット帽などと並びとタニザワのこのカ バンあり。小型のカバンは競馬観戦に便利でずつとHunting Worldのカバンを愛用したが十年近く経ち外の素材もだいぶ疲れたが何より内側のウレタンのような材質の劣化著しく使い物にならず。それは当時、父母を 台湾に招き北投の温泉の日本風旅館に泊まつたりした折に航空券まで日本に送つたら父が恐縮し台北の免税店で「何か買え、買え」と勧められ買つてもらつたカ バン。もう実用には耐えぬが先考の思い出のカバンとなつてしまひ捨てられず。で競馬観戦や散歩に丁度いいカバンがない、と思つていた矢先にこの銀座タニザ ワのカバンを見つける。昔の老人なら財布と煙草入れ、老眼鏡くらいで良かつたが最近の老人には携帯電話とデジカメといふようなアイテムがいくつか増えたわ けで、このカバンは20cmの縦横に対して幅が8cmと深いが見た目がけして下品な厚さにならぬのがさすがタニザワと思わせる。天気は悪いがタニザワの散 歩カバンを肩にかけ気分は楽し。土曜の午後。北 角の港運城(Island Place)横の琴行街に行列のできる焼き菓子屋あり。昔からの味も素っ気もない焼き菓子なのだが。いつも行列で試す気にもならぬが折からの悪天候にわず か二、三人しか並んでおらず。さくさく感は確かに他よかずつとあり。午後遅くFCCに寄りステラアルトワを飲む。テレビで競馬中継あり丁度ダートの Class-3のレースに馬主 C氏のDashing Championが出ているが単勝14倍でさすがに厳しいがClass-3で悪天候のダートならDCがかなり期待できるのは確か。複勝とワイド、それにご 祝儀で連複も携帯で購入。八位くらいで終盤迎えスピード落ちたかと思えば最後の直線で入賞?と思えば三着も狙い「マジ?」と思ふ間に二着。お見事。さすが にタニザワのカバン代になるほど世間は甘くないがそれなりの配当いただく。昏時、香港大学でZ嬢と待ち合せ九月九日に講演を聴いているHedda Morrisonこちら)の写真展。大きく 印画された実に 精緻な写真を見入る。カメラはRolleiflex(こちら)と知り「なるほ どなぁ」と納得すると同時にピークや九龍の山から撮影の写真がまるで飛行機からの鳥瞰写真の如く「撮影者の位置が出張つている」のが何故か、かなり不思 議。本当に空を飛んでいた魔女ぢゃないかと思わせるくらいHedda Morrisonの写真は凄い。掲示されているHedda女史の略歴を読む。1930年代に25歳で北京に赴いたのが広告での見た北京のドイツ人経営の写 真館の撮影技師募集の広告であつたといふから驚き。北京でこのHartung's Photoshopとの雇用契約終わり……で「えっ!」と思わず声を上げてしまつたのだがHedda女史が北京で出会ひ結婚に至る男性Alastair Morrisonは当時珍しい北京生まれで、その父がGeorge Ernest Morrisonとある。これでドイツ人のMorrison女史が老後、豪州に住まい臨終迎えたも納得。George Ernest Morrisonは倫敦タイムズ紙の北京特派員で漢学者。中華民国総統府顧問務めた豪州人で何よりも岩崎久彌がMorrison氏の蔵書購入し、そのコレ クションが今日に残る東洋文庫。昨日偶然に断鴻零雁記のことで 東洋文庫の名を挙げたがまさかHedda女史が東洋文庫にまで関わつてくるとは。興味津々。東洋文庫のコレクションにはAlastairとHeddaが収 集のボルネオに関する書籍(こちら) もあることを知る。でHedda女史は1993年に亡くなるのだが80年代に香港で撮影の写真の出版を企図し香港大学歴史学科のShin教授と写真集出版 に関するやりとりあり。但し出版に至らずHedda女史は自らの余生もさう長くない、と達観し写真のフィルムと作品をYale Universityの燕京図書館に寄贈。Z嬢と大雨のなかバスでFCCに戻り軽く晩餐。ハイボール二杯。晩に葵青戯院にて鈴木忠志演出『ディオニソス』 を観る。出演は蔦森皓祐、Ellen Lauren、竹森陽一ら。静岡県舞台芸術セ ンター。劇団SCOTの芝居は水戸芸術館で「リア王」観てかなり印象強いもの。今回も期待したが正直言つて抽象的すぎて感性乏しき我には理解不 能。様式美で見せるのか科白劇なのか、がわからない。科白も観念の言葉の饒舌なやりとりで。中文と英文の字幕見ようにも三列目の中 央の席で葵青戯院の客席の構造では舞台左右の字幕も見えず。帰宅して復習してみれもやはりわからぬ。
▼台湾の放言作家・李敖君の中共訪問。先日の北京大学での言いたい放題に対して昨日の清華大学では一転して低調。かつては罵られた中国がここまで強くなつ たのも中国共産党の力と男芸者ぶり発揮。中国の憲法を自由や人権など謳われ世界で最も理想的な憲法の一つと絶賛。憲法の文面に美辞麗句綴ることは易し。問 題は現実だろうが。国民党支配の戒厳令下にあつて一党独裁批判し逮捕され入獄も長年の李敖は民主化後は台湾独立反対の急先鋒。変節か老いか実は権力に弱き 姿の暴露。学生も愛国主義講演に居眠りだの携帯操作する者多し。ところで数日前の新聞読み返すと北大での講演も信報すら「百無禁忌」と李敖の果敢なる弁舌 をば讃めていたのを知る。信報には北大での講演の全文掲載されていたが全文読めば殊更これが実に中共に気づかつた心配りの講演であつたと納得。
▼明日から二日の日程による香港立法会議員の広東省視察に香港政府は反政府色強き蘋果日報と自由亜州電台の取材同行を拒否。新聞の報道の自由に反すると 25名の立法会議員が自称政治家Sir Donaldに抗議。この視察旅行、民主派から「長毛」梁國雄君まで参加のところ不参加表明し「男をあげた」のが詹培忠君。この視察が自称政治家 Sir Donald 演出の「政治騒ぎ」だと見抜く。躍らされる馬鹿馬鹿しさ。中共関係者らから「立法会議員の団結を顕示してほしい」と参加促されるが拒否。何が団結で何が顕 示か。

農暦八月廿三日。秋分。台風余波。昼は曇空にギラギラと太陽の照りつけあり黄色に光 る市街。早晩から雨雲張り出し小雨模様。Z嬢と銅鑼湾に待ち合せ。不安定な天気に外を歩くを厭ひTimes Squareに入り13階のShootersなるメリケンダインにてエール一飲。Z嬢来る迄いくつか急ぎのメールなど済ます。この店の中で店の無料のWi -Hiの他にこの建物集合体がWharf系であるから i-Cableなど4つもWi-Hi接続が可能なることに驚く。ノートブック一台あれば何処でもオフィス。Z嬢来て簡単に食事済ませMTRで西湾河。香港 電影資料館。八月は抗日戦期映画特集に続き今月は早期港日電影交流といふ特集で1950年代から60年代の香港と日本の共同制作による映画特集。抗日映画 とだけ聞くと不愉快かも知れぬが抗日期と戦後の共同制作といふ両極を並べて見せることの意義。開幕上映は『断鴻零雁記』(監督:李晨風、1955年)。断鴻零雁記と言へば東洋文庫に残る呉楚帆の名著(絶版、on demand版あり)。蘇 曼殊(1884〜1918)は名は玄瑛、字は子穀。横浜に生まれ稲門に学ぶ。日中間を往来し清末の革命に寄与の文人。梵語をよくし画に巧み。バイロンの詩 の翻訳などあり。ユーゴーの『レ・ミゼラブル』を陳独秀と共訳。と才覚溢れむばかりだが35歳で早逝。この映画は断鴻零雁記を元本に戦後の香港映画の美男 といへばの代表格である呉楚帆が制作と主演(実質的には監 督)。話は清末の広東。動乱に夢破れし革命家の蘇三郎は出家し僧となり読経の日々。あることから母が日本人であることと知り日本に渡り箱根に母親を訪ね る。箱根に滞在するなかで従姉妹の静子(紫羅蓮)と恋に落ちるのだが故郷では武昌蜂起を知り革命運動に命捧げむと蘇三郎は静子と別れ中国に戻る、といふ 話。日本の風景でのロケには松竹が協力し日本でロケ敢行。映画はじつに松竹映画のノリ。スタジオでの撮影は香港だが日本家屋の安普請(鉋もかけぬ長さもち くはぐな木材や畳のかわりに筵敷きなど)は気になるが、それなりに、は日本風情。蘇三郎の母も夫が広東人であつたから、といふことで広東語を解し伯母も従 姉妹らも恐らくかつて広東に住まひし過去あり、といふことで全員が広東語に明るい、といふ設定で役者はすべて香港の女優が日本髪の鬘をかぶり着物着て演 技。静子役の紫羅蓮のシナをつくる様や襖の開け閉めの作法まで実に見事。非常に興味深きことはこの映画の制作は先の大戦から僅か十年。「今の私たちからす ると」反日感情はまだ生々しく、なのだが、この時期にジャパネスクなる、而も中国の近代革命の革命家に日本の血が混じり革命の大事に日本に半ば亡命といふ 話。それがなぜ受入れられたのか。当然、戦争での傷跡まだ生々しき時代だが、戦争は戦争として映画制作の現場での日本の映画製作者らの対中交流であると か、中国側の日本趣味も元禄狸御殿にはならず実に確かな理解あり。而も呉楚帆が演じるのだから映画が親日的などと罵倒されることもなく五百本の呉楚帆出演 の映画の一つとして受入れられる。戦禍での侵略の事実は事実として歴史感情とは後世つくられる部分多し。反英感情がないように。戦後の日本が戦争での侵略 行為への認識不足や教科書での記述「配慮」などがあるのに比例して、そして国内問題のガス抜きとして、反日感情や戦争の被害に関する強い認識などは深まる といふこと。

九月廿二日(木)朝刊を広げ後藤田正晴先生逝去を知る。享年九十一歳。早晩にジムで 小一時間走る。一旦帰宅し紺木綿の甚平に本桐の下駄履きで北角の寿司加藤某 新聞編集委員のT氏来港で招飲いただきT氏夫妻、Z嬢と食す。その某新聞の香港の営業会社の社長O氏も偶然に加藤でお会いする。T氏とZ嬢が東京都東大和 市といふ「都民でもよく知らぬ」土地の話題。東大和は一瞬、西大和もあれば東大和か、と思ふが元々は「大和町」で東大和ではない。市制実施の際に神奈川県 大和市がすでにあつたため「東京の大和」で東大和になつたといふこと(安易な話)をZ嬢から聞き驚く。東京じたい京に対する東の京で、東大和は「東の京の 大和」といふことになる。それに「東京」を略す場合は「京浜」「京急」といふように「京」の字とするべきで(しかも本来は読み方は「けい」)そうなると 「東大和」は「京大和」にすべきだが「大和は京やおまへんで」でかなりややこしい話。寧ろ「都大和(みやこやまと)」とすべきであつたはず。だが、そもそ もなぜ武蔵野といふにもおこがましいこの土地になぜ「大和」があるのか、が不思議。大和町の前身が大和村。だが更に元々、大和なる地名はない。明治8年宅 部村と後ヶ谷村が合併して狭山村となり、その後更に近隣の清水、高木、蔵敷、奈良橋、芋窪と共に6村が合併することになつたのだが政争の激しく対立する村 々が合併するのに「大いに和す」との主旨で「大和村」となつた、といふ(こちら)。ほんの短い時 間〆ただけの新鮮な小鰭、ウコン塩でほんとうに薄味の烏賊塩辛など美味。帰宅して本日amazon.jpより届いた『ニコンFシリーズ—ニコンF・F2・ F3』といふ本の解説頼りにF2の操作確認。ファインダー外すと父の保管がよかつたようで見事なまでに新品同様の状態に驚くばかり。
▼後藤田正晴先生について。後藤田先生の政界引退後の真の意味でカミソリ後藤田として愚かなる現職の政治家に苦言呈する言葉いくつも彷彿。後藤田先生が保 守でありながら護憲、自衛隊の海外派兵反対訴えし正義。先の大戦で陸軍に入り主計将校として台湾で敗戦迎え「加害者の立場を知る」ゆへに戦後の平和につい てどれだけ慎重。保守の政治家が「国民全体が保守化し政治家がナショナリズムを煽る。大変な過ちを犯している。アジアの近隣諸国との友好が大事」と説き 「このままじゃ日本は地獄におちるよ。おちたところで目を覚ますのかもしれないが、それではあまりに寂しい」と嘆く。この夏、朝日新聞のインタビューや雑 誌『世界』での加藤周一氏との対談での発言は白眉。氏が後塵どもに遺す警笛ながら小泉三世らの政治家もそれを支持した国民も誰も後藤田正晴の憂ひが理解で きず。あれ?と気づけば朝日新聞は第3次小泉内閣発足は(衛星版では)4面といふ扱いの悪さ。これがせめてもの小泉三世への抵抗か。悲しいかぎり。自民党 は今回当選の83人に対して「後藤田正晴先生について述べよ」の課題作文を書かせてみるとよい。「郵政民営化と構造改革について」などといふ、どうせ全員 が賛成するだけの茶番よか、国民に推挙された議員のアタマの悪さがよくわかるであらう。どうせなら民主党の、丸山真男すら知らぬ松下政経塾出身の小僧たち も、この課題作文に参加するとよいかも。読売新聞は当然の如く一面トップで第3次小泉内閣発足を報じ、後藤田先生の弔報記事で最後に巨人ファンである氏が 「テレビを見ていてもつまらない。これじゃファンがチャンネル変えちゃうよ」と嘆いていた、といふ話。読売新聞の低俗さに呆れて言葉もなし。自民党は圧勝 で民主党も改憲強硬タカ派の前原某の代表就任で読売は嬉しくて仕方がない。
▼朝日のしりあがり寿氏の漫画「地球防衛家の人々」が「衆議院480議席のうち296議席の自民党と113議席の民主党とあわせて409議席が改憲を主張 する党首を選んでるっていうのは」「はたして民意を反映してるのかねー」と。確かに。だが、ある面では「どーでもいい」といふ民意を反映している。加藤周 一「夕陽妄語」では今回の選挙結果を、暮らしの不安はいくつもあるが衣食に足りる現状は変えたくないといふ現状維持願望、それは小泉三世が「改革」唱えて も根本的には何も変えないといふ信頼感(嗤)、それと退屈な日々に対する「適切な内容を適切な時期に」の改革願望、その二つの明らかに矛盾するものの弁証 法的止揚に首相と自民党が成功する(結局は何もせぬ、といふことだが……富柏村註)。憲法九条を改める準備は進行するが国民の半数の抵抗も顕在化している が「日本国が公然と戦争をする国になるか、ならぬかの選択は、郵便物の配達が公務員によるか会社員によるかの選択よりも大きい」のに総選挙では一種のすり 替えで憲法に全く触れず民主党も憲法については自民党と大同小異であるから選挙で争点にできず。日本の集団志向型の社会で地域や職場の集団的圧力にさらさ れている人間が選挙での投票でだけ、政治的判断にだけ、「突如として天賦人権を自覚し独立不羈のの自由な個人になり得るものだろうか」と加藤先生はこれま では言及せずにきた真実を語る(実はそう思つてはいたが、それでも人々の理性に賭けてきた、のが今回の選挙で無碍にされたためかしら……富柏村)。自由な 個人になどなり得ないとしたら「自由な選挙」とは一体何か。……とここから加藤周一は選挙後に見たフリッツ=ラングの映画『メトロポリス』1927年につ いて語る。この危惧に「まさかそれほど危なくはない」と誰もが信じている。
▼市川團十郎。週刊文春で保阪正康氏が小泉「郵政翼賛会」でファシズムに流れるに日本を憂ふを読む。文芸春秋が右傾化を憂慮するほど時代はおかしくなつて いる。阿川佐和子の「この人に会いたい」といふ連載対談は普段『文春』では読み飛ばすのだが今回の團十郎の対談ぶりは敬服。白血病とその治療についての團 十郎の実に明晰な語り。普通の患者は病ひをここまで語れず。感情的にではなく事実として名医の如く解説できる、舞台以上の口跡の良さ。成田屋サイトの入院日記を読み耽る。 文章の巧さ。息子の隠し子騒動でのマスコミ宛の手紙で見せた達筆といい文人である。

九月廿一日(水)昼に太古坊湾岸の「袖山」にて評判の蟹味噌 と雲丹和えたパスタ食す。かなり身体に悪さうだ が塩辛さもなく極めてあつさりと而も生麺のアルデンテtuttoさが蟹味噌と雲丹に実によく合わさり見事。見事。で きればドライな白葡萄酒でもいただきたいところ自粛。かなり諸事に忙殺され午後七時間際に中環Stanley街Colorsixにて写真受領。先日のF2 で撮影の風景写真の5Rでの焼き増し及びデジタル化画像。デジタルはスキャンすら避けラボでのネガからのデジタル化。本日日剰に掲載の画像は一切色彩処理 施しておらず。同じStanley街のChung Pui Photo SuppliesにD70s用リモートシャッター購ひに寄ればリモコンシャッター予想以上に廉価に驚き、ついつい何れも購入。店の者曰くニコンといへば周 辺小物の高値であつたがデジタルカメラになり驚くほど周辺小物の値段下がる、と。確かに。何気に店の者の背後のガラス棚に眼をやれば1971年に発売の Nikon F2用のファインダーであるとかaccessory shoeなどが「新品」で販売されている。何といふ店だ。思わずF2談義。シャッターの精度の良さ。FCCにてハイボール二杯。独り新聞数紙に目を通す、 この時間の至福。帰宅してハヤシライス。ワイルドターキーのソーダ割。NHK のニュースで国会開会の光景眺める。自民党新人83議員の登院風景。地震がなければまだ山古志村村長。早稲田のスーパーのおっちゃん。就任ご挨拶と書かれ た名刺数百枚を議員事務所にて受領し「選挙で応援していただいた方にご挨拶」って誰もおっちゃんに投票しておらず。電話一本で数合わせに、と請われ比例区 名簿に名前乗せただけで偶然に当選。市民の感覚で衆院に、とご本人おっしゃるが「当選するとは思いませんでしたので」と議員就任辞退して今日の選挙制度の おかしさをば世に問うことこそ、おっちゃんに出来たことのはず。猪口女史の登院に孝教授が同行。まぁ社会科見学なのだろうか。登院し感無量で感涙に咽ぶ猪 口女史。そりゃそうであろう来年には外相だ。森さんが「歳費がこれだけもらえてよかったとか、宿舎がこんなに立派でよかったとか、こんな愚かな議員がいっ ぱいいる。名前だけ入れといて当選した人もいる。内心忸怩たる思いだ」と嘆くのは杉村大蔵先生の当選。小泉三世の主張が郵政民営化ばかりだと思つたら杉村 先生の応募した自民党の候補者公募での課題作文も「郵政民営化と構造改革について」だつたそうな。郵政民営化反対と書けば候補になれない、それしか「篩 (ふるい)」がないほど了見の狭き今日の自民党。民 主党の両院議員総会にて民主党新党首前原君、挨拶する様は経験浅き、ホテル結婚披露宴の司会の如し。もう国会など終わり。国会解散。解散は「解消する」の 意。王政復古。天皇親政のほうがずつとマシであらう。現状への忸怩たる思いは森さんばかりか陛下とて同じことかしら。遅晩にTUMIの背嚢を繕ふ。数年の 使用で肩にあたる部分のナイロンが(TUMIは米国の警察で防弾チョッキに使用される高耐久性の素材と自慢するが)少しずつ解けてしまひ、ちょうど Nikeのバスケットボール用の指サックが同じような素材でクッション性もあり籠球などする筈もないので、それを開いてきちんと縫い付け補強する。深夜に ウイスキーちびちびと縫い物とは。
▼新界沙田は大埔道の老舗の郊外料理屋・雍雅山房(Yucca de Lac)閉業。1963年に、当時まだドライブなど裕次郎的に上流階級の享楽であつた時代に新界郊外の地、遠くに馬鞍山を望み眼下に吐露湾を見下ろす馬料 水の高台に開業。もともと広東省国民党将領・陳濟棠といふ人の別荘にてYucca de Lacは「湖辺の蘭花」といふ意。四旬の間に沙田は農村が人口七十数万だかの郊外都市となり眼下に長閑に走つていた鉄道は蒸気機関車が電化され、湾岸岸の 道路は高速道路となり香港と広東省結ぶ大動脈。馬鞍山は(15年前ですらキャンプなど行つた場所が)マンション立ち並び地下鉄の高架鉄道が走る。余も15 年程前に中文大学に寄宿の頃、大学の高台に位置する、この怪しげな場所、香港狸御殿か?と訪れれば見事な景色に昏時、麦酒と名物の焼き鳩に舌鼓。学生には 気軽に訪れるには安からず。敷地はHK$3.8億で売却され6億ドルだかかけ僅か17戸の高級住宅になるとか。
▼台湾から国民党の連戦、親民党の宋某に続き作家で新党の李敖が中共訪問。 李敖は黒竜江省だかが原籍の外省人。過激なる弁舌が売り物。発言が物議かもすところでは饒舌なる石原慎太郎想像すればよろし。李敖が訪中し昨日、北京大学 にて講演。李敖が歯に衣着せず弁舌、で中国の解放ムード演出。で李敖の講演の様子をテレビニュースで見れば「今日、俺がね、ここにこうしておりますってぇ ことは、みんな俺に「で、師匠、共産党を罵る?」と期待されているのでしょうが、さて、私が何をみなさんにお話したいかと申しますと、ここに取りー出した る一冊の本……」と李敖は大げさなジェスチャーで見せたのは毛沢東文集。「では読みましょう。『共産党は歴史の中で生まれた。歴史の中で生まれたものは凡 そ総じて始まりがあれば終わりあり。共産党も例外ではなく、いつかは消滅する時がある』……と、おっと拍手?、拍手はいけないよ拍手は」と談志だな、口跡 は。李敖もいろいろ考えたのだらう。中共におべっかは使いたくない、かと言つて当たり障りない話ぢゃ李敖の名に恥じる。で毛沢東とは。一瞬、共産党非難、 にも聞こえなくないが、毛沢東の述べるは高校生にでもわかる実にマルクス史観な共産党の歴史的使命と「発展的解消」にすぎず。結局、所詮は人気とり。政治 のお遊び。

九月廿日(火)。早朝に大雨。びつしょりと濡れる。デイパックに荷物詰めていたが、 ついTUMIのつもりで安易に傘さしていれば思いつきりデイパック内に浸水あり危うくノートブックから修理に出すレンズまで濡れたところ。やはり安物に良 品なし。東京三菱銀行に用事あり。金鐘でかつては金色の極東金融中心に東京銀行香港支店。日本経済の勢いある香港進出の象徴の如し。同ビルのレストラン四 季が東銀の社食と言われた時代。それが東銀の三菱銀行との合併で同銀は隣の海富中心ビルのなかに目立たなくなつたのだが今回のUFJ銀行との合併で中環の 旧フラマホテルの跡地に建立のAIG Towerに入居。噂には聞いていたが警備厳重なビルの中でエレベーターホールでは香港IDのチェックどろこかID番号と名前まで記録される始末。さすが に個人情報秘匿のため、と来館者の一人一人のデータは次の者に見えぬよう厚紙で隠してはいるが。たかだか銀行での出納に不便といふか異常過剰なる時代。で AIG TowerはいわゆるインテリジェントビルでG階のエントランスからエレベーターホールに上がるエスカレーターでかなり音響のいい室内楽が聞こえる。なん て音響設備だ、と思えば偶然にこのロビーを使い室内楽団が何だか撮影中。そりゃ生演奏であるから音がいいはず。お出かけのついでにニコンの顧客センターに 寄りレンズの修理依頼。「保障期間中ですが使い手のミスで壊しました」と素直に申請。素直に申請といへば素直に申請せず嘘ついて修理依頼したTUMIの付 属品のナンバーロックだが本日電話あり「直さないで新品と交換しましたからご来店を」との事。店員に見せるなり「これは直らない」と言われたのだから素直 に信じていたら……。嘘も方便。でニコンは香港で購入の行貨(正課品)のため修理代は1割引だそうで覚悟よりか安く済みそうな気配。ニコンといへば中環は Stanley街のKinefoto(世界撮影)にちょいと 用事あり寄れば(カメラ屋にちょいと用事ほど恐いものなし)ニコンのとても古い携帯用ルーペあり。埃かぶつているが売り物だそうで「在庫あるの?」と尋ね れば「有貨!」と。思わず購入。箱までレトロ。左の画像はこの日剰掲載用に私が撮影したもの。店にこんな風に置かれていたわけぢゃな い、念のため。早晩にFCCでドライマティーニ飲みながら昨日の日剰を綴る。ドライマティーニ二杯で帰宅。秋の味覚、秋刀魚とゴーヤチャンプルを食す。菊 正宗。NHKのニュースで自民党の新人研修会の様子。83名の新人議員。選挙民に正当に選ばれし素人衆多し。その中で猪口議員だけが「新人ですから一生懸 命勉強して……」と言いつつ顔に「アタシは国際政治のプロで国連軍縮担当大使だったんですから素人と一緒にされたくないわ」と自信の表情。週刊文春の記事 では猪口女史は外相込みでの自民党のオファーだそうで(「いのぐち」で変換できないが「ちょこ」と打つと変換できるのが可笑しい)。猪口といへば良識人で ある旦那の孝教授のほうが奥様の暴走から完全に距離置いているのが興味深い。週刊文春といへば小林信彦先生が青島も巨泉もなきあと野坂昭如の焼け跡派を継 いで戦争を知る最後の世代としてキョービのキチガイな社会に警笛を毎週説いている。それが文春で、だといふのだから。凄い。小泉三世の胡散臭さが許せない のだ。毎週、読む価値あり。で自民党は新人議員に対して党執行部が派閥にかわり新人研修。派閥解消と聞こえはいいが結局は「おまえら小泉親分のおかげで議 員になれたんだ、親分に逆らうような真似、するんじゃねーぞ」である。新人も小泉ダイレクトセレクトの子飼い多し。猪口議員は先ほどの「新人ですか ら……」に続き派閥解消につき「よろしいんじゃないですか。さわやかです。近代化して……」と今どき「近代化」なるフレーズをこうもネガティブに使えると は。上智大の教授で、である。学長選挙では落選したが国会議員に当選。でNHKの電話調査によると小泉内閣支持率は選挙前の調査から11ポイント上昇して 58%なり。今後小泉三世支持率が70%越えることでもあると警戒水域。これで郵政民営化成功の暁には米国からのご褒美で北朝鮮との拉致問題解決と国交正 常化など実現しようものなら一気に80%の首相就任時に返り咲きだろうか。小泉三世がまだ厚生大臣であつたころ、あの人は一人でぶらりと歌舞伎座で芝居見 物。休憩中もじーっと坐つて。で終わると正面玄関で足早に大臣専用の黒塗車に乗つて帰る姿。まさかあの人が「平成の宰相」にならうとは思いもせず。小林信 彦は今の我々の選択があとの時代になつて「あの時が……」と悔やんでも取り返しがつかぬ、と叫んでいるが誰も聞く耳ももたず。南無阿弥。小泉三世を支持す る6割の国民は、そんなこと言われても「何がそんなに危ないの?」と腑に落ちぬ話。最も危ないのは思考停止と「改革者」への全ての委譲であること。
▼鐘偉民兄が蘋果日報の連載で先週だか書いていたが偉兄の住まふ澳門の龍華 茶樓について。澳門で最も基本的な茶樓である。オヤジ以外お断り。早朝から澳門のオヤジたちが鳥籠を携え早茶。小鳥の囀りをば愛でつ茶をご くりと飲み食べたき點心あらば蒸篭が積まれた台から自分勝手に選んで食べる。勘定は帳場で自己申告。その茶樓が、である、この夏、改装のため閉業中。夏は 香港からの客も多く而もここ一、二年この龍華茶樓はかなり香港でも紹介され客が多い夏に、だ。人気の茶樓だが客あたり十数元の商売で大々的に改装するほど 儲かる筈もなし。古くささだけが取り柄の茶樓で改修する意味もない。が改装のため閉業。なぜか。澳門政府の文化局が、だ、観光名所であるがゆへに観光開発 と資金援助しての改装。阿呆か。阿呆である。澳門政府も香港政府に勝るとも劣らず。改修で「きれいになつた」龍華を誰が訪れようか。鼠楽園が如きテーマ パークであるまいし。もう終わり。鳥のインフルエンザ恐れ店内への鳥の籠持ち込み禁止。吐痰も喫煙も禁止の龍華ならハックスリーっぽくSF小説が書ける。

農暦八月十六日。香港の「中秋翌日」という祝日がいい。中秋の晩は遅更まで月を愛で て時も忘れるほど月に酔いしれ……ゆえに翌日は休み、と何と風流ぢゃないか。でも僕はもうこの年だと朝も早く起きちまう。昨晩はあんな雨風で中秋の月もま ともに拝んでもいないのに、なんてこった、今朝は見事な晴天。これが昨日だったら最高の月見酒が出来ただろうなぁ……(と以上、山口瞳っぽい文章)。午前 少し、自宅のまわりをほんの少し走る。本当にいい天気。昼にかけてZ嬢と実地検分。場 所は昨日、Z嬢に依頼されて下見したBraemar Hillの裏山の三角点付近。それほど歩かずで、かといつて誰でも来れるほど容易でもなく、これから月見や花火見物にはいい場所ぢゃないか、と実地検分。 天気もいいのでデジカメNikon D70sばかりかNikon F2に28mmの広角レンズ装着まで持参。かなり重い。いや〜絶景、絶景。海南島の方に向かつた台風の所為で雲の流れ早く九龍の清水湾のほうからきれいに 雨のカーテンがこちらに向かつてくる。慌てて下山。ほんの小雨にあたる。折角、重い思いでカメラ抱えているのでBraemar Hillから108番の海底隧道バスでホンハム。最近やたらホンハム多い。週末、ホンハムのジムに行く機会があるのと北角からフェリーに乗るのがのんび り、なだけでホンハムでもWhampoa Gardenの中など歩いても一つも楽しくもない。が108番のバスでわざわざ出かけたのは東九龍走廊(5号幹線)とWhampoaに挟まれた市街(かつ てのホンハム湾の漁村から市街化した一帯)はかなり古い建物が残り今日なら撮影日和。と くに旧啓徳空港から馬頭涌道、5号幹線の高架道は「香港」の強烈なる印象が強い。といふのは昔、香港に三更にパンナム航空などで到着すると「あの匂い」の 啓徳空港からエアポートバスに乗り尖沙咀の安宿に向かう時(あるいは観光バスでも香港島に渡る途中)バスは九龍城の市街地を横目に真っ暗い中、馬頭涌道か ら5号幹線の高架道を走る。すると今ほど街は明るくないわけで、眼が慣れてくると暗い市街に椅子など出して夜風を楽しむ住人たちの姿。こんな夜遅く!にパ ジャマ姿で路上で遊んでいる子どもたち、ランタンのぼんやりとした灯の屋台、そして何よりも高架道から眺める高層ビルの部屋べやに「なぜ室内灯をつけない のかしら?」、冷房などないから窓は開けっ放し、真っ暗な室内にどの部屋もテレビ、当時は白黒でしかもみんな同じチャンネルを見ているから同じ画面がいく つもの部屋のなかでテレビから映る。その画面をじっと眺めている人たち。天井でまわる扇風機。あの光景が香港の原体験にあるのは我一人でないはず。……で 馬頭涌道、5号幹線の高架道は香港の印象なのだ。歩道橋の上から5号幹線を撮影。ホンハムの旧市街を写真撮影しながら歩く。大利清牛南の店があつたので牛 南河粉。湾仔と天后の店にくらべスープがかなり薄味。同じ名前の大利牛南でもそれぞれ全く異なる。でガガーン!。レンズを床に落とす。18-70mmの ズームレンズ。レンズ交換で落とすならまだわかるが「レンズ交換は立ったまませず、かならずしゃがんで」の基本は当然で、なぜレンズ落としたか?といふと カメラバックに仕舞つた筈のレンズがバッグの中でカメラケースの上にちょんと置かれた格好になつていたようできちんとバッグに入つておらず。で店で腰を下 ろそうとした時にレンズが床に転げた。幸いレンズには損傷なし(と信じたい)。がマウント部分がしつかり打撲(重傷)。当然、壊れる。落ち込むとヴィクト リアハーバーに投身自殺しそうなので望遠レンズで撮影、撮影。あとはF2で撮影。F2が、なにせマニュアルで絞りもオートでないカメラなど20年ぶりくら い。露出も適当、シャッタースピードと絞りの勘だより。勘ったって勘があるはずもない。がファインダーに映る景色がContaxのレンジファインダーとも また違う、なにかダイナミックな明るさがあり「もしかすると?」と期待もありWhampoaのDPE店に現像に出す。小一時間して受取り。期待の反面、 「お客さん、なんか露出がぐちゃぐちゃで何も撮れてないですよ」とか「カメラ、壊れてるんじゃないの?」と言われても不思議でなし。何せ父も何年前に、い や恐らく十年以上使つておらぬカメラで保存状態がいいかどうか、の世界。恐る恐る現像受取り袋から出してみる。思わずDPE店の店員に「ポジのフィルム、 置いてる?」と突然、態度がデカい我。何ってこった!といふくらいの明るさ、柔らかさ。ほとんど何も操作せず露出計の使い方もわからず、で、である。 シャッターの音、ボディに響く。カメラ機内で機械が電気モーターで、でなく動いているのを実感。昔はカメラはみんなかうであつた、と思い出す。ホンハムか ら北角に戻るフェリーで、レンズを一本壊したショックとF2の予想以上の出来に悲しいやら嬉しいやら、で青島麦酒1缶で孤独な乾杯。天天豆乳4本購ひ帰 宅。Z嬢とFCCで早めの晩餐。ステラの半パイント。ハイボール2杯。晩に市大会堂で一昨日最終選考を参観の香港国際ピアノコンペティションの最終日。本 日は審査員の先生方の演奏会。昨日は中秋の観月で逸したが最終選考の上位3者による演奏会。ところで結果は一位はZ嬢「お気に」のIlya君(余はこの人 の演奏聞いておらず)、二位がラフマニノフ好演の上海からのShen君で三位が百貫キム君であつた(結果)。で昨日のこの三人 の演奏会は観た人のサイトで読んだかぎりではShen君が予定されたプログラムから突如の変更でリストを弾いたとか。かなり難易度の高い曲で一曲終わると 拍手の中、立ち上がつたかと思えば無表情にピアノの周囲一周してまたピアノに戻りもう一曲をモーレツに弾いてみせ観客はやんやの喝采だつたとか。一位の Ilya君が喰われたのは当然であらう。で今晩の審査員演奏会はチケット購入時は「アシュケナージ先生が嘘でも一曲弾くであらう」と思つたが先週だか演目 発表となるとアシュケナージ先生は出ない。N響のリハでお帰りの様子。もうずつとピアノ演奏からは遠ざかつているであらうし当然か。連日弁舌巧みな主催者 =司会が演目紹介。彼はGary Graffman先 生がブラームスの「左手のためのChaconne二短調」(原曲はバッハのPartina BWV-1004)を演奏するのに際してブラームスがクララ=シューマンのために左手のための曲を作曲した逸話(こちら)や第一次世界大 戦で参戦し片手を失つたピアノ奏者らのために片手で弾けるピアノ曲が大戦後に欧州で盛んになつた歴史など語る。そのGraffman氏の「左手のための シャコンヌ」に圧倒される。この演奏を言葉で語ることなど余にはとても無理なこと。続いてVladimir Krainev先生。チャイコフス キー=コンクールのピアノ部門の審査員も務める氏が香港で演奏。Scriabinのソナタ。ショスタコヴィッチの3つのプレリュード。続いて李名強先生。 右手がピアノ演奏には不自由なことは一昨日の日剰に綴つたが演奏するはショパンの葬送行進曲。観客の前でピアノ演奏するのは正式には二十年ぶり。その機会 にあることの感激。氏の不自由な手について語ることも失礼だが記録のために綴つておけば、右手の中指と薬指が鍵盤を和音で押えることはできるが細かいフ レーズの演奏には難あり、だが、フレーズは親指、人さし指と小指で奏で一音も省かずに見事な演奏。もはや宗教の儀式で音楽に拝する如し。文革での苦しい日 々を過ごした氏が二十年ぶりの演奏が葬送行進曲の厳粛であるとは、それに政治的意味はない筈だが考えさせられること多し。葬送行進曲はあの葬送の有名なフ レーズばかりイメージにあるが李先生が奏でる、あの曲の慶び、故人を、生命を讚える明るい部分こそ李先生の真骨頂。「故人」といへば先日、久が原のT君よ り贈られた、中秋の白楽天の「三五夜中新月色 二千里外故人心」につき「故人」を我々はつい「亡くなつた人」の意味でばかり用いているが「故人」はもとも とは古き友=老朋友の意。老朋友の「老」も現代日本語では「老人」すら差別用語のやうに解され「老人」を避け「お年寄り」などと言い換えるが「お年寄り」 の方がよつぽど失礼な話で「老」は「長い」の意味だからこそ「老朋友」と用いるのであり「老人」も「長寿者」の意。老朋友が他界し葬儀での友人の送辞、弔 辞であるからこそ「故人」と用いたのが、いつの間にか「亡くなつた人」=故人と意味が転じたのではなからうか。推測だが。もしさうであれば弔辞で親族が親 を「故人」と言つてはいけない筈。閑話休題。続いて李先生が、やはりピアニストの娘 Li Jing女史との連弾でチャイコフスキーの眠れる森の美女から四曲。休憩挟んでPascal Roge氏が自家薬籠中のDebussyの6つのプレリュード。このコンペティションで用いられた、ステージに並ぶ4台のピアノに敬意を表しての 4台のピアノを代わる代わる演奏。なんて素晴らしい晩なのだらう。続いてCristina Ortiz女史が演目紹介には“Cristina’s favourite pieces by French-Brazilian composers”としか書いてない。演奏はZ嬢にあとて聞けばDebussyやラフマニノフ、シューマンなど「よくぞあそこまで続けて」の渾身の演奏 で見事な組曲になつているのは事実、事実。最後にRoge先生とOrtiz女史が連弾でFaureのSuite DOLLYから6曲。楽しい晩。尋常に考えれば若いお二人が先でGraffman、Krainevと李先生が最後にくる「べき」だが、このプログラム編成 はそれはそれで秀逸。最後は楽しく終わり2008年の再会を演奏者と観客が約束する。演奏会終わり会場でF君と邂逅。かつて余を「先生」と呼んだこともあ る当時、中学生のF君がすつかり大人になり(オヤジとは言わぬが)かつてのバスケ少年と李先生の演奏と文革などについて語る。演奏跳ねて市大会堂から中環 の波止場に出れば空には十六夜の月。見事。ただただ月を愛でる。せつかくだからとバスで帰宅。車窓からずつと月を愛でる。マンションの外で月を一枚だけデ ジカメに撮る。帰宅してワイルドターキーをがぶりと飲む。至福。

▼今日のIHT紙に民主党で前原君新代表に選ばれし報道あり。記事の最初 が改憲と自衛隊の海外派兵の積極について。やはり自民党と民主党はガラガラポンで議員入れ替えるべき。前原君は改憲をば党是とする自民党に移り自民党の穏 健派が民主党に移る必要あり。前原君が海外でかう紹介されれれば中国も韓国も「嗚呼、また」と溜息。かりに前原民主党が政権獲得に近づけば、それはそれで 対韓、対中外交で余波あり。
▼すつかり報道も地味な香港鼠楽園について。開園から最初の繁盛期と期待 されし中秋の三連休。鼠楽園側は依然として入場者数公表せぬがSCMP紙の報道では土曜日の午後1時に同園のセキュリティ関係者の話として当日の入場者数 は11,000人。香港鼠楽園のキャパは3万人。つまり三分の一。さもありなむ、と心情的には喝采であるが香港の血税が注がれし鼠楽園の不人気がいかに 「ドブにカネを捨てた」ことかと思ふとまことに許しがたき話なり。

農暦八月十五日。中秋。
日刊ベリタに澳門での北朝鮮の money Laundering「洗黒銭」作業で米国政府に名指しされた銀行での預金引き出し殺到を記事送稿(こちら)。 昼前に裏山を一時間余、走る。先週は理想的な走りであつたが今週は全滅。また気合いを入れるが身体がかなり重い。Z嬢からBraemar Hillの裏山の探索任務を受けSir Cesil's Rideを走る。この山道、六、七年前に初めて走つた時は草茫々で而も道に陥没などあつたが今ではすつかり整備され散歩人も少なからず。岩を登るのに膝を 擦りむく。絶好の場所見つける。まさか絶景に遭遇できるとは思わずデジカメも持参せず後悔。自宅近所のジムに寄り一浴し帰宅。午後、北角からフェリーで Hung Homに渡りジム。北角からHung Homに渡るフェリーは今では30分に1本。数ヶ月前まで20分に1本。フェリーに間に合わねばとタクシーに乗れば、自宅の近くをいつも流す好々爺の運転 手氏。雑談で中秋でも仕事ですか?と尋ねれば「身寄りもないし中秋も一人だからね」と言われてしまい言葉もなし。毎年、独りタクシーの運転席から中秋の月 を眺めているのだろうか。ぎりぎりフェリーに間に合いそうで運転手に礼を言うと「このフェリーも昔は15分に1本で便利だったが」と懐かしむ運転手。当 時はそれに自動車の搬送もあり。ジムで有酸素運動一時間半。夕方フェリーで北角に戻り帰宅。慌てて荷物の準備して早晩にShau Kei WanのMTR站に集合。Shau Kei Wanで集合前にZ嬢がどうしても行くべき場所が、といふので何かと思えば街士の果物屋のオジサンが飼つている子豚。トントンといふのだそうな(豚 豚?)。可愛い。が先日まで二匹いたそうでZ嬢がオジサンに「もう一匹は?」と尋ねるとオジサンは「えへへへ……」と笑つて答えず。それ以上恐くて聞け ず。Z嬢主宰の毎年恒例の中秋のお月見ハイク。だが今日は昨日は海南島のほうに流れた台風の影響で警報1が発令され今日も何度か驟雨あり。しかも強風。気 象台も今晩のお月見は無理、と予報流すが毎年恒例のお月見で「せっかくだからやるだけやろう」と集合。11名。バスで石澳道の大潭峡懲教所。香港トレイル 10段逆行し龍脊に上がると深い曇天のなかから朧に月が。嘘でも中秋の月ではないか、と感動一入。だがすぐにまた黒い雲のなかに消えたかと思えば大雨。ま さに大雨。遠くでは雷鳴もあり。このまま龍脊の稜線を歩いては危険、と引き返し香港トレイルの抜け道になる中腹の道を足はびちゃびちゃ泥だらけで歩き土地 湾のバス停からバスでShau Kei Wanに戻る。毎年恒例でShau Kei Wanでは此処しか食さぬ越華會で午後九時から中秋の宴。多少塩辛いのが難だが何を食べても美味 いが最も美味いのは確か楊貴鶏だったか(名前失念)の葱生姜のタレのかかつた鶏料理。見た目エグイが実に美味い。葱のタレが当然残るのでこれを持ち帰り炒 飯にするとこれがまた美味なのである。帰宅してメールを眺めれば久が原のT君より 三五夜中新月色 二千里外故人心 と題したメール届く。白楽天 の
銀臺金闕夕沈沈  銀台金闕、夕沈沈
獨宿相思在翰林  独り宿し相思いて翰林に在り
三五夜中新月色  三五夜中、新月の色
二千里外故人心  二千里外、故人の心
渚宮東面煙波冷  渚宮東面、煙波冷たく
浴殿西頭鍾漏深  浴殿西頭、鍾漏深し
猶恐清光不同見  猶ほ清光同じく見ざるを恐れ
江陵卑濕足秋陰  江陵卑湿、秋陰足る
の一節。芭蕉を介して京の江戸初期の俳人・貞室(安原正章)といふ人の 松かげや月は三五夜中納言 を知る。中納 言は在原行平。T君の見た今月の歌舞伎は余の予想通り(哀しいかな)弥次喜多 が愛知万博見物の愚劇の「膝栗毛」。細木数子の扮装で歌江の口寄せ巫女など登場。歌江が大松嶋や大成駒をやつても観客は「?」だとか。だが今月の歌舞伎座 で群鶏の一鶴は京屋の「豊後道成寺」。ジャッキー(雀右衛 門)の静かに競り上がった姿の美しさ。古蒔絵の硯箱の如く、所々に残った螺鈿の輝きは今時の細工ではなく、それはもう豪奢、とT君。十数年前より形の美し さは強く輝かしく。この京屋の進化が、次第に植物化し形而上化(実際こう評するしかございますまい)した故人・大成駒の晩年とは、そこが相違は「やはり ね、藝はね、心でございますよ。」と語るのが大成駒なら、ジャッキーは南洋戦場の地獄を見た男である。舞台で披瀝するのは、徹頭徹尾、現世の美=肉体の 「形」の美。そこに、終生越えられない歌右衛門生前には思いもかけなかった、雀右衛門ならではの「心」が静かに燃え盛っている壮観。僅々20分が、まさに 黄金の時。とT君絶賛の、藝を紡ぎ尽くす京屋の練れた境涯。小生にT君が一言「お見せしたい」と。ジャッキーは90年だつたかの歌舞伎座での「雀右衛門の 会」が確か余が実際に見た最後の舞台。あれから15年である。当時はまだ、この境地に至前の「筋力があり余つて持て余していた」ジャッキーがついにこの境 地まで辿り着いているとは……。で記憶は80年代末のあの時代へと向かふ。昨日綴った「敗北を抱きしめて」も1989年が鍵。唐突だ が
あかげらの叩く音するあさまだき音たえてさびしうつりしならむ
昭和63年9月、御年88歳。先帝陛下の現在発表されている中では最後の御製。T君より教えられる。この陛下の絶唱の中の寂しさ。皆が死にゆき残されたも のの孤独。だがその那須の御用邸での叫びも巷では余は知らず。医師N兄の紹介でT君と出会つた月。新宿の飲み屋。みんな(といつても我々だけ)一世一代絶 世の大成駒の八ツ橋に夢中。あの時の籠釣瓶は佐野次郎左衛門が高麗屋だつたかしら。あの人の芸風が苦手であるからこそ記憶にあり。テレビつければ中央 電視台第4台の「抗日・反ファシズム戦争勝利60周年記念」の人民大会堂でのショーパフォーマンス。確か9月4日の抗日戦争勝利記念日に行われたもので党 のお歴々、抗日戦争で活躍の老兵らを前に抗日戦争をモチーフにした歌や部隊が続く。今日は中秋であると同時に918で柳条湖事件(満州事変)記念日。当然 それを意識しての再放送であらう。日本の中国侵略、中国人の多くの犠牲、抗日戦争の勝利……その全て事実であるし日本の謝罪は続く。がその事実と日本の罪 は別として抗日が愛国主義発揚に用いられる意図がどうしても納得できず。抗日を用いて現政権の正統性が証明され、それへの忠誠と愛国心。嗚呼。この共産党 政府の絶唱、上述の白楽天の末裔とはとても思えぬ大騒ぎなり。
▼自民党の河野三世(太郎君)の「ごまめの歯ぎしり」なるメールマガジンが不定期に届くが今日のメールは冒頭から「前畑がんばれ!じゃなかった、前原がん ばれ!」である。やはり前原君は自民党に移るべき。河野家は二世は民主党が似合うが三世は、三世となるとどこの政治家(政治「家」といふのもこうして見る と面白い言葉。政治を家業とする家を「政治家」と呼んでいいかも)も何を考えているのかよくわからず。法律で、いやどうせ改憲するなら憲法で国会議員の世 襲は「せめて」二代まで、とするくらいしたほうがいい。でこの「ごまめの歯ぎしり」だが、例えば本日の
ホリエモンと静香ちゃんが熱戦をくりひろげていた広島某区の民主党 前職に熱い視線を注いでいた男が我が家にいる。ペシ坊である。高輪宿舎の同じフロアのご近所に、ペシ坊と歳があまり変わらない赤ちゃんがいた。ペシ坊は、 その子のことをベベちゃんとよび、密かに仲間意識を持っていたのだ。ある日、我が家のテレビにホリエモンと静香ちゃんに次いでベベちゃんのパパが映った。 それ以来、ベベパパは、我が家で熱烈な支持者を獲得したのだった。
……といふ日記を読んで、何が何だかわからぬのが尋常。ベシ坊といふのは河野三世の息子、つまり将来的には河野四世。それは余もこのメールマガジン読んで いるからわかるのだが広島の亀井先生の民主党前職が誰なのか、でこの話は何が主題なのか、余には皆目見当もつかず。個人のメールマガジンとはいへ総選挙後 の初めてのメールでこのお気楽さ。自民党の議員がどれだけ今太閤か、よくわかる。これに続けて河野三世が書いている話はもつと自民党のキョービの現状をよ く表している。
特別国会を控えて、党の会議で議運の理事から日程説明。「初日は議 長選挙と副議長選挙、その他があります」その他って、首班指名じゃないのって、突っ込まれていた。みんな、今度は、副議長選挙に河野太郎って書かないよう に!(河野太郎に1票入れたのが、石井一代議士だったという噂が本当なら、河野太郎は無いはずだが。)どうせ入れるなら首班指名で入れとくれ。
自民党もあれだけ議席を得てしまふと国会も首班指名など小泉続投が当然であるから議案の説明すら「その他」で済ませてしまふ。ノーテンキ。このような恥ず かしいが事実なのも恐いが河野三世が面白可笑しく公開できてしまふくらい
自民党は末世的ノーテン キ。このくらい今の自民党は箍が外れているのである。それに誰も苦言もできず。本来であれば中曽根大勲位が一言、喝を入れるべきだが、もはや小僧ばかりの 自民党は大勲位とて誰も恐いなどと思つておらず。本来であれば1989年で終わつているはずの党。だが今回の選挙で国民の親任を得たと思ふと全て終わつて しまつている。南無阿弥。
▼陶傑といふ人の思考回路は極論だが、かなりおもしろい。今日の蘋果日報の陶傑氏が日曜日に担当する「星期天休息」といふ論評は(これはかなり面白いが) 今日は「今年は第二次世界大戦勝利六十周年」だが、それと同時に日露戦争での日本勝利百周年でもある、として(この事実、私は知らなかった)、ロシアに東 洋の小国・日本が勝利したことはアジア・アフリカ諸国に対して衝撃的は励ましとなり日本が西洋列強に対してアジア解放の先頭に立つ勢力となることも期待さ れたが現実はそう易からず。結果、日本がロシアに勝利したことでロシアでは十月革命おきて共産主義政権が誕生し日本は三十年後に対中侵略戦争おこし国民党 軍が軍力を減らす中、それに乗じて共産軍が勢力伸ばし結果的に共産党が国民党から「暴力奪権」したことで中国人の運命は「毛沢東的魔手」の中に落ちる。ロ シアと中国の百年の苦難は日本の責任。日本がキョービ、世界で強国としてあるのはロシアと中国の人々の犠牲の上にある、と。勿論、ではロシアで帝政が続い たら、中国で軍閥が群雄割拠していたら、といふ歴史のifもできるが。陶傑氏の論評はいろいろ続くのだが、最後に、世の中は争いこと消えることもなく、や はり香港人の「自求多福」に一理あり、と。自求多福……自分勝手であるが乱世、これしかないのかも。

九月十七日(土)昼まで快晴ながら午後天気予報通りかなりの驟雨。昨日の「キャンディキャンディ」の歌詞が完成。
誹謗なんて、気にしないわ〜、コスプレだってだってだってお気に入り、遺書 の偽造もへーっちゃら、殺人疑惑もなーんのその、私は私は私は小甜甜(シュウティンティン)、一人ぼっちでいてもとっても楽しい、そんな時こう言うの株価 を眺めて、笑って、笑って、笑って小甜甜、弁護士費用もへっちゃら、ね、小、甜
甜〜
夕方には落雷あり。中環。三聯書店。今日の信報の文化欄に紹介されていた『香港建築百年』といふ書籍購入。ここ数年、香港のこのテの出版の充実はかなり。 Z嬢とFCCで待ち合せ。Z嬢より民主党の代表選挙僅差にて前原君の勝ちと聞く。前原君にしていれば自民党に残つておれば未だ門前の小僧扱いが民主党の棚 牡丹で棚どころか二階から牡丹餅落ちてきたようなもの。一 つ提案したきことは自民と民主の両党で合同議員総会開催し、どうせなら公明、共産を除く議員は全員集まり、改めて保守党と民主党に議員を分けては如何だろ うか。民主党のうち松下政経塾生、旧民主党(まだ若干名いるはず)、自民党タカ派も真っ青の右翼(都議か、まだ)は保守党に移り、反対に自民党からは旧宏 池会、河野衆議院議長ら旧新自由クラブ、後藤田・亀井派、中曽根Jr、親中派の加藤紘一君らは民主党に移る。社民党も新党日本も民主党に入るであろうし。 それでだいぶすつきりする気がするのだが。FCCでZ嬢と前原君の経歴など話しながら早めの晩餐。ハイボール2杯。菅直人君が76年総選挙に当時の東京7 区から無所属で立候補しオバチャン自転車で選挙運動していたのを見ているZ嬢。晩にCity Hallの音楽廳にて第1回香港国際ピアノコンクールの決勝第 3日目を聴く。香港ショパンソサエティといふ団体の主催 で審査委員長がアシュケナージ先生、審査員には李名強先生も。李名強(Li Mingqiang)は日本ではあまり知られておらぬが1936年上海に生まれ、レニングラード音楽院にピアノを学び60年にワルシャワのショパンコン クールで4位になるまで脚光浴びるが文革でブルジョワ音楽の演奏家が敵視されぬ筈もなく確か右手だか痛められピアニストとしての将来は断念。ピアノ教授に 専念し名誉回復後は1984年から上海音楽院院長。香港でもピアノ指導にあたり香港バプティスト大学の客員教授で現在は上海と香港往来し後進の指導にあた る。このコンクール4日から始まり23人の参加者が6名まで絞られ三日にわけ2名ずつの決勝演奏。で本日が最終日。つまりアシュケナージ先生は二週間香港 に滞在。秋のシーズン前にN響のほうはいいのだろうか。気になつて調べるとN響も当然の夏休みで(団員にとつては8月は夏季講習の講師だの稼ぎ時である) 来週の24日(土)がNHKホールで第1550回!定期公演。指揮はアシュケナージ先生でドビュッシーのバレエ音楽「遊戯」(知らぬ)やラヴェルの「ダフ ニスとクロエ」組曲第2番の演奏。恐らく明日日本に戻り月曜からリハだろうか。Z嬢は4日の予選から殆ど全て参観続けており一度くらいと勧められての今晩 のコンクール。課題曲がモーツァルトのピアノ協奏曲から1曲と自由選択曲。上海出身のShen Wen-yuなる青年はモーツァルトのピアノ協奏曲20番(K466)とラフマニノフのピアノ協奏曲3番。モーツァルトではとてもぎこちない演奏で、正直 この難易度の低い曲でこれではラフマニノフの3番はどうなるのだろう?と思つたが予選から見ているZ嬢はこのShen君はやわらかい曲が得意なのでラフマ ニノフは巧みにこなすのでは?といふ予感的中して確かに見事にラフマニノフの3番を聞かせてくれた。競馬もこれくらい予想が当たると嬉しいのだが本日も悪 天候もあるが少し賭けて全くダメであつたのだ。途中30分の休憩に皇后波止場でビール1缶。続いて登場は韓国の百貫キムと我は綽名をつけたくらい太っちょ のKim Sung Hoon君。こちらはモーツァルトはピアノ協奏曲の24番(K491)とチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番。ミスタッチが多いが指揮者ともいい具合にオ ケも自由にあやつるようにモーツァルトを面白そうに(モーツァルトといふよりシューマンの曲のように)奏でる。オケは倫敦チェムバーオーケストラの来港(指揮はChristopher Warren-Green)なのだからアシュケナージ先生だし香港のこのコンテスト、けっこうマジである。上海や、殊に中国のタングルウッド目指す広州の CISMA(Canton Int'l Summer Music Academy)こちらはデュトワ先生が音楽監督、などの存在で香港もこのままでは音楽分野で遅れるといふ焦りもあらう。で決勝戦はこの倫敦チェムバーで モーツァルトの課題曲を演奏し二曲目の自由選択曲ではこれに香港シン フォニエッタ(香港小交響楽団)の演奏家が加わりフルオーケストラを編成。
ショパンソサエティ主催のコンクールなのに なぜかファイナルは交響楽団との演奏だけで今日に限らずショパンのピアノ曲がない。で百貫キム君のチャイコフスキーの1番は 「おそらくかなり違うのでは?」と彼のモーツァルト聴いて想像したが予感的中。とくに第二楽章など全く違う曲か?といふくらい彼の解釈で、解釈もあるがミ スタッチのごまかしでもあり。だが小錦みたいな身体でかなりアップテンポにこの曲を弾いてしまふから第三楽章などもう客席も楽しさ満点。ガーシュインなど 弾かせたらかなり楽しいはず。下手すると1時間後くらいになる最終審査発表待たずに帰宅。
民主党の代表選びは小沢一郎君の出馬断念で前代表の菅直人 君と若手前原誠治君の一騎打ち。朝日新聞に二人の「好きなもの」一覧が出ているが結果的に言うと「どちらも魅力に欠ける」で「これで次の総選挙戦えばまた 負ける」であらう。まず前原君だが「立てても横にしても逆さまにして振ってみても松下政経塾以外の何ものでもない」個性の欠如。ファミレスじゃないのだか ら個人の個性が欲しいところ。前原坊やの愛読書は司馬遼太郎(坂の上の雲)と城山三郎(落日燃ゆ)、カラオケは谷村新司の「群青」、座右の銘は「至誠」と 「天命に生きる」で尊敬する人が松下幸之助と高坂正尭。……これぢゃ松下政経塾生の好きそうなもの、を「ありがち、で列挙してみた」そのもの。これが政経 塾の卒業間際の試験の問題でかう答えたら「落第」とされるべき個性のなさ。松下政経塾が勿論、個性ある人材の育成など出来ぬのは当然だが、それにしてもつ まらぬ人材育んだもの。もう少しキラリと光る何かが欲しい。愛読書で松下政経塾生にとっては「新鮮な」丸山真男であるとか河上肇あたり挙げると「お、こい つは」と思えるが司馬遼と城山では……。谷村新司も松下政経塾でライブ、といえばすっ飛んで来てくれる芸人。尊敬する人も本田宗一郎あたり挙げると面白い のだが。ところで家族構成で「母、妻」と書くのは「妻、母」のほうが自然な気がするのだが如何であらう。母が妻より勝るのは儒教的なのかマザコンか。結果 的に前原君に松下政経塾出身のエリート=つまらない、といふ印象拭えず。松下政経塾に入れば政治家になれる、といふのは吉野家にバイトで入つて店長になる より簡単かもしれぬ。で対抗馬の菅直人君であるが結論を先にいえば「勝てない」運命にあり。趣味は囲碁とスキューバダイビング。囲碁も内向的であるし潜水 も。将棋とハングライダーとか言わないと勝ち目がない。カラオケはチェッカーズの「ギザギザハートの子守歌」は一瞬「へぇ」とウケるかも知れぬが「わかっ てくれとは言わないが、そんなに俺が悪いのか〜」はあまりに笑えぬ本音であるし、映画は「七人の侍」で尊敬する人は高杉晋作。どちらも理想的ではあるが天 下取りはできず。座右の銘は「人生ただ一度」だが市民運動から今まで何度やり直ししているか。民主党の「何度でもスタートラインに立てる社会」とは矛盾。 で愛読書はハックスリーの『すばらしい新世界』なのだが実は余はこの本を菅君に個人的に勧めた人を知つている。菅君が年金問題で党首辞任し四国でお遍路し ていた最中のこと。紹介した本人から直接メールで聞いた話だがこれ以上書きたいが書けない。余の日剰にも二月初旬にフィリピンのセブ島で突然『すばらしき 新世界』読了、とあるのは、その人からこの本の話が出て突然また読んでみよう、と思つた次第。で、日本がこのままいけばどうなるのか?の啓示として勝ち組 と負け組の分層化と生産の効率化考えると『すばらしい新世界』は読むに値するがポジティブでない話。まだハインラインの『月は無慈悲な夜の女王』のほうが 月の弱者たちが地球に向かい独立戦争を挑む積極性あり。民主党の党首で理想的なのは趣味は都市の散歩、愛読書は「あらためて」丸山真男と作家では井上ひさ し、カラオケは西田佐和子の「アカシアの雨がやむ時」と井上陽水、家族構成は妻と母、好きな映画はトルコ映画の「路」と「みつばちのささやき」、座右の銘 は「民主主義」で尊敬する人は石橋湛山……くらいなら面白いと思うのだが。ところでセブ島で読了の『すばらしい新世界』はそのままホテルに置いてきたの で、もしかするとセブ島のどこかにホコリを被っているかもしれない。もしその本に遭遇の方がいれば「民主党菅直人推薦」と書いていただきたいところ。

九月十六日(金)快晴。熱は下がるが昨夕から何合ほどかの汗をかき体力の消耗著しく終日養生。熱がかうも下がり咳や鼻水など風邪の症状も出ず確かに風邪に 非ずC医師の診断通り。今朝までに体力かなり消耗しており本日養生を決め込む。が 昼前に粥をば購ひ出たついでにデジタルカメラマガジンの『Nikon D70s 完全ガイド』といふムック本を購入(ムック本といふ音の響きがどうも「ぞっき本」を想像してしまふ)。子どもの頃に「ぞっき本」とカストリ雑誌をいずれも エロ本の類だと思つていた。ぞっき本は「のぞく」の語意感からの誤解だろうが「カストリ」がなぜエロと思つたのか今もつて不明。恥垢除去だろうか。寝てい えれば読書が進むといふものでもない。だがどうにかジョン=ダワーの『敗北を抱きしめて』の下巻読了。ボンヤリとテレビ見ていると「最も進んだお笑い番 組」NHKの海外安全情報で、今度のお笑いはメルボルン編でアルカイーダが襲撃仄めかしており「テロの標的になるような場所に近づかない」「人ごみでは周 囲の人に不審者がいないかどうか注意」「テロに襲撃された場合の避難経路などを考える」「新聞やテレビで情報を収集する」の4つを挙げる。真剣に考えてこ の文案を作つているのだろうか。どこが標的になるか、誰が不審者か、全く予知の余地がないからテロなのであり、テロの標的となる場所、実行犯がわかれば新 聞やテレビの情報として流れる前に実行が中止されているわけで何事もおきぬ。その実行に至らぬ事例は我らが知らぬだけで数千とかあるのだろうし、数千分の 一の確率で自爆テロなどが発生しているにすぎぬ。未だに「紐育の中央公園でビルからの無差別銃撃があるので公園を歩く際は狙撃手の標的とならぬようジグザ グに歩く」といふ史上最高のバカな安全情報に勝る情報はないが、いずれにせよ「訳に立たない」どころか「信じてやってたら、おバカ」な内容ばかり。朝日の 『アエラ』くらいに意味がない。晩に一昨晩に一席設けたバンコクのY氏、福岡からのH君に加え蘇州からI君とひょんなことから台北よりY氏も来港で香港在 住の旧友らと宴会あり。さすがに高熱のあとで酒を飲む体力もなく辞退。台北のY氏は当然招いておかしくない人物だが流石に一晩の宴会に台北から来てくださ い、とお願いするのも辞していたが(他の三名は仕事絡みで来港)、偶然に余がY氏に間違えて全く関係のない業務上のメールを送り、それに誤信と返事を頂い たことが切掛で今回「それなら」との来港。それほど勢いのある飲み会に参加できず申し訳なし。結果的に二晩休肝日となる。今晩は十三夜。白光の美しき月で あるが昼間の雲一つない晴天に比べ晩は流れる雲多く月も隠れるばかり。
▼ジョン=ダワーの『敗北を抱きしめて』について。もう三年 も前に旧版が出て大佛次郎賞など受賞の評判で当時読むべき。これを読んで歌舞伎をしていた団十郎丈は偉いと思ふ。下巻の天皇制民主主義と憲法草案づくりの 二つの柱がこの本の山場。最後は日本論になるのだが、読みながら八十年代初めに『ジャパン・アズ・ナンバーワン』やライシャワー『ザ・ジャパニーズ』が売 れた頃に何故この本が書かれたなつたのか、あの当時に日本が一番などと浮れておらずに冷静に戦後史を見つめ直せば、と感じる。この本の最後で「まとめ」と して書かれる日本人の特徴は「ぼんやり」。昭和の15年戦争に突入した時も、それから這い出た時も「ぼんやり」としており、対米戦争開始の時点で当時の米 国の国力や工業生産力、衝突がどのような道筋を辿るかも真剣に長期的予測が立てられず(ダワーは言及しておらぬが対支侵略も同じ)、東条英機が結局は「清 水の舞台から飛び降りるしかないこともある」との発言。敗戦後も戦争経済から平時経済への移行について官僚も財界のエリートも「ぼんやり」で清水の舞台に 映画フィルムの逆まわしの如く飛び上がつてやり直せばうまく行くのでは?程度の安易さ。これは東大法学部も市民も全く同じこと。ダワーにしてみれば一九二 〇年代に第一次世界大戦での幸運で日本が世界の舞台に上がつてから一九八九年まで(昭和天皇崩御でありバブル崩壊の年)が一つの時代であり昭和帝がいみじ くも1975年の訪米前の記者会見で記者の質問に戦前から戦後に価値観の変化はあつたか?といふ質問に「戦争が終わってから、国民はいろいろな意見を述べ てきました。しかし広い視野からみれば、戦前と戦後で変化があったとは私は思いません」と述べているが、この言葉に集約されやう。この時代の中で戦後は日 本は「脆弱であるという絶え間ない恐怖感」をもち「最大の経済成長を遂げるためには国家の上層部による計画と保護が不可欠」といふ認識で経済成長を続けた が(まさに自民党主流派の宏池会的だが(いまEGBridgeのワープロ変換で「宏池会」が変換できず……それくらい時代が変つたのか)問題は、このリス クの少ない環境を日本はバブルでの勢いか昭和との決別か、で決別したこと。で今日に至るのだがダワーが憂慮するのは(ここが「この本も岩波が出した本らし いよな」で済まされそうだが)戦後システムのうち当然崩壊してゆくべき部分(官僚主導の保護経済など)とともに非軍事化と民主主義といふ戦後日本の二つの 柱までが消去されやうとしていること。まさにキョービの小泉政治を見れば「清水の舞台から飛び降りる」郵政民営化と改革。具体的な点を尋ねても「やるっ きゃない」でまさに清水舞台の小泉劇場。自衛隊のイラクでの参戦も今回の国会運営の身勝手さも、而も国民がこれに応じた民度の低さも、ダワーの憂慮の通 り。日本は近代を分ければ、1920年代までの時代(明治20年代から国家主義となるが少なくとも江戸趣味の残る荷風が懐かしんだ時代、第一次世界大戦と 関東大震災で終わる時代)、1920年代から1989年までの昭和天皇の時代(昭和帝が大正期に摂政になつた時からこの時代が始まつていることはダワーは 指摘しておらぬが明らかなこと)、そして89年から現在に至る時代となるのだらう。89年以降の時代は興味深いのは今上天皇が時代の逆コースの歯止めのよ うにお言葉の節々に政治的介入していること。結局、明治の大日本帝国憲法からの天皇制立憲主義としては何も変つておらず。
▼数日前の信報を読んでいて「茘園」といふ長い随筆を読む。 MTRの停車場でいへば美孚。KCR西鉄の美孚站から眺めれば美孚の公営ピールの山側、盈暉臺といふ長江実業のマンションが、かつての茘園遊樂場の入り 口。戦後の混乱期に上海から逃れた商人二人が事業興し開園。戦前の上海の遊園地を知れば戦後の香港の人口増加で遊園地は必須。戦後かなり賑わい故・アニタ 梅艶芳が四、五歳でこの遊園地で立ちん坊で歌つていたことは伝説化。八十年代には遊園地の老朽化や海洋公園など大型新興遊園地に客を奪われ「宋城」なる中 国歴史テーマパークなど造るが客足戻らず。香港街道地方指南を見返せば、95年版にはまだ寶麗宮と百麗宮なる二つの映画館も併設されているが96年版では 二つの映画館は閉業。97年版を最後に「茘園遊樂場」の名前は消え(確か同年3月末だかに香港の中国回帰を待たず閉鎖)敷地は整地され四年後かに現在のマ ンションが建設される。この茘園を回顧する随筆がいま書かれたのも当然、香港鼠楽園の開園によるものなのだが(茘園は浅草のはなやしきのようなもの)鼠楽 園といへば開園後暫くの狭いだのつまらない、だののネガティブな報道数日続いたがその後ぷっつり。これを鼠楽園側の報道規制、と考える必要はなく、単に、 これ以上ネガティブな報道してもニュースにもならず寧ろ、さすがに香港鼠楽園への来訪者減つては困る、といふマスコミ側の判断もあるのではなかろうか。現 在は毎日三万人だかの前売り入場券の完売が続いているが開園前後からの否定的報道で潜在的な来訪者に来園躊躇させる印象あり。
▼映画“Sound of Music”などのRobert Wise監 督逝去(1914-2005)。小学生の頃に見せられた「サウンド・オブ・ミュージック」が実はオーストリアのナチス協力の事実を隠蔽する意図があつた作 品で、といふ話を高校の時に社会科の左翼教師から教えられ(この偏向教育が大切、教科書には書いてないのだから) 「ドはドイツのド、レはレニ=リーフェンシュタールのレ、ミは(失念) ファはファシズムのファー……」などと替え歌をつくり歌つていた。高校生でレニが 当時、連想できたのが「とんがりキッズ」っぽいがパルコ出版から「ヌヴァ」の写真集が出てレニが八十だかで復活した頃で渋谷パルコの書店であるとか青山の オン・サンデーズとかに行くと『ヌヴァ』が並んでいた時代であつた。
“I think I may need a bathroom break?” ご覧になつた方も多かろうが国連首相会議。米国総統が国務次官に会議中にメモを渡せば当然、その一枚の紙に書かれた内容 が世界の政治に及ぼすかなり大きな影響のある一言である、と誰もが思うが、カメラがとらえたブッシュメモの内容がこの “I think I may need a bathroom break?”であつた。ほとんど幼稚園生が先生に尋ねるようなレベルなのがブッシュらしい。報道では “I think I may need a bathroom break?  Is this possible?”となつている。がこれは勝手な読み方で実際にメモを写真で見ると“I think I may need a bathroom break?  Is this possible...”であり“Is this possible?”と終わっておらずブッシュは何か書き続けているのである。であるから、もしかすると聡明なる大統領は「トイレ休憩ということを利用し て中国に対して対北朝鮮協議での……」であるとか具体的な策略をライス国務次官に提案している可能性もある。……としておかぬと米国総統の立場もなかろ う。だが実は“Is this possible to ask the chairman?”である可能性も高いのだが。
終審法院五位法官一致裁定,華懋集團主席龔如心與家翁王廷歆的爭產案,龔 如心上訴得直,並撤銷高等法院及上訴庭的所有命令,裁定王德輝在90年所立的遺囑,是生前的最後遺囑。華懋集團の龔如心が90年に誘拐され行方不明となつた夫・王德 輝(すでに裁判所も死亡と認定)のHK$400億(US$50億)の財産相続につき夫の父である王廷歆が息子の遺書は偽造であり龔如心による相続は不当と 訴えた裁判で八年の係争の末、高裁の遺書偽造判決(01年)、龔如心が判決不服での上訴審の原判支持(03年)を覆し香港最高裁は遺書が「王德輝の生前の 最後の遺書」であること認め龔如心の相続権認める判決。この裁判を知る者が 裁判の当事者も含め恐らく100名中120名が「龔如心は怪しい」と思つているが無罪。龔如心が率いる華懋集團は香港を代表するデベロッ パーの一つで97年にはForbes誌で世界の富豪33位にランキングされアジアで最も裕福な女性と世界でも一躍有名。金持ちであるだけでなく奇抜さも、写真は95年のForbes誌だが漫画キャンディキャンディ好きで自ら「小甜 甜」と名乗る通りの、この様。これが59歳であると思うと「可愛い」どころか妖怪。この話、全てが「怪しい」のである。龔如心は1937年に中国浙江省温 州の生まれ。父が上海で英国資本の塗料会社の職員で1911年生まれの王廷歆も父の染料業を継承し龔家と王家は懇意。家族ぐるみのつき合いで龔如心と王德 輝は幼なじみ。王廷歆は日本の上海占領時に華懋集團を設立するが終戦で香港に移り国共内戦と朝鮮戦争で国内の商売に見切りつけ息子の德輝も香港に連れ出し 香港で商売も順風。龔如心は55年に王家の「引き」で大陸から脱出し香港の王家に寄寓し同年、德輝と結婚。若干17歳。60年代に德輝の示唆で華懋集團は 不動産事業に乗り出し65年に王廷歆は引退。香港の不動産景気に煽られ会社は大きくなるが68年に德輝と龔如心の夫婦不和となり別居。夫婦でお互い不倫の 噂あり。会社の経営は実質的に龔如心に移る。ここまではまだ家族経営会社のよくある話、でいいが83年に王德輝が誘拐され身代金US$1100万で德輝は 救命されるが90年に再び誘拐される。龔如心は警察に告げぬまま「犯人」との交渉続けるが身代金US$6500万の要求に龔如心の香港と台湾の銀行口座で 巨額の資金移動があつたことで銀行が不審に思い警察が動き事件発覚。巨額の身代金が払われるが王德輝の行方知れず。華懋集團は龔如心の経営で順調に規模拡 大し、その結果が前述のアジア一富豪女性。裁判所は王德輝の死亡認定するが許せぬのは隠居していた老父の王廷歆。息子は二度目の誘拐で行方不明で死亡認 定、会社は息嫁に分捕られ……で何より怪しいのは(本当は何より怪しいのは龔如心だが……笑)王德輝の遺したといふ遺書。90年に王德輝が乗馬中に落馬し て病身で書いたとされる財産を妻である龔如心が相続することの依嘱であるが、これが書かれた直後に誘拐され、しかも億万長者の遺書にしてはかなり拙い形式 と文面で表書きと本文二頁、最後に“One Life One Love”と書かれたメモがつき表書きと本文の書き手(手書き)が異なり本人の署名とされるそれぞれの頁の「王德輝」の署名が本人のものか信憑性が低く最 後の“One Life One Love”に至つては(王德輝の署名も可能性として)龔如心が書いたものではないか?とすら噂される。この遺書の作成に立ち会ったとされる謝炳炎なる人の 法定での証言が信憑性が高い、といふもの(この人もすでに死亡)。で王廷歆が老身をおしての民事訴訟。上述の如く下級審では二回ともこの遺書に信用性が乏 しく龔如心の財産相続に有効性がないと指摘される。当然のような裁決。四面楚歌の龔如心、02年には遺言偽造の刑事の面で警察に捜査協力で連行されUS $40万で釈放。キャンディキャンディの如き髪形と服装も「オノヨーコの如く地味」にして公衆の面前に出ることは星島日報社主の胡仙女史の如く殆どなくな り今日に至る(胡仙女史の場合は新聞発行部数の虚偽で広告主騙した罪を董建華と梁愛詩の超法規的措置にて放免以後一切隠遁)。今回の最終審も恐らくは一 審、二審の裁決の追認と思われていたが一転しての龔如心無罪判決。判決の核心は王德輝の遺書の真偽につき謝炳炎の証言は信憑性が高く、それに対して偽物と 疑われる点は多いが偽物と断定する証拠に乏しい、といふ「あやしきものは罰せず」。刑事訴訟ではまだ遺書偽造について検察の提訴があり来月から地方裁で審 議始まるが律政司(司法長官が梁愛詩……じゃもうダメ)は今回の民事裁判での判決文を検討し刑事裁判ての提訴について検討、とコメント。最近の大型の話題 性の高い裁判(マイケル=ジャクソンさんと同じだが)犯人側(と断定すると名誉棄損)はまず優秀なる弁護団を組織すること。これだけ。マイケルさんの場合 は米国らしい陪審員のファーストフードなみの裁決であつたが、今回の裁判は初審から八年。日本ではぜんぜん不思議でない審議期間だが今回のケースでは巨大 な会社と資金を背景にする龔如心に対して老父・王廷歆が91歳で病身で最終審では法廷にすら姿見せられぬほどで孤立無援。王廷歆側の弁護士団も長期戦に 「かりに敗訴してもそれ以降の弁護には応じられない」ようなコメントすらあり(弁護士費用の0がひとつ多ければ受諾だろうが)。裁判官とて「遺書は偽造」 と断定してしまうことでの根拠づけなど考えれば「面倒くさい」話。で結果的にOJシンプソンさんやマイケル=ジャクソンさんと同じく龔如心さんも無 罪。……とここまで長々と経緯書いたが、書きたいことは、なぜか? 収監するよか、「まなざし」的に、外にいてくれて今後もいろいろ邪推するほうが面白 い、からである。Showbiz的にはそうである。龔如心さんはまだ67歳。九龍Tsuen Wanには華懋集團のNina Tower(Nina は龔如心さんの英語名)319m79階建が今年完成。本来はこの建物100階建以上の構想あり世界一狙つたがこの財産醜聞が実の理由で規模縮小。鬼女(あ るいは奇女)の活躍が面白い。奇人首相に国の将来託すのと同じ。バカが本当に大統領をできるのか?といふ京大霊長類研究所の研究の如き米国政治。全て見せ 物小屋としての世界。龔如心さん、祝勝訴、おめでとう。刑事裁判もきつと取り消し。キャンディキャンディの主題歌が「そばかすなんて気にしないわ〜」なら 替え歌は「「あやしい」なんて、気にしないわ〜、コスプレだってだってだっ てお気に入り、遺書の偽造もへーっちゃら、殺人疑惑もなーんのその、私は私は私は小甜甜(シュウティンティン)」だろう。この替え歌で名誉 棄損で賠償金がUS$3000万くらいだろうか。

九月十五日(木)晴。昨日眩暈あり電脳の画面など上下に波打つが晩に飲酒の頃にはすつかり忘れし症状が今朝再発。昼前に悪寒があり午後に検温せば摂氏38 度を越え身体も震え止まず。「もうあかん」と覚悟し午後遅く粥麺家に皮蛋痩肉粥と清粥の二碗購ひ掛りつけのC医師の診断所に参る。
熱 は39.2度まで上がる。風邪に非ず何かウイルスと診断されC医師のところ通い三年目で初めて注射される。香 港で抗生物質はかなり投与されるが注射は珍しい。老人の高熱は命に拘る。食事はお粥、柔らかいパンなどだけに、との指示に「お 粥はもう買つて参りました」と答えてウケる。39度の熱で医者に笑いをとつて何になるのか。帰宅。注射と解熱剤で熱は晩には平熱に下がるが無理に下げたの であらう、体力の消耗激しく発汗止まず。時々起きては新聞、雑誌など読む。本当は今晩はひとりで外食の予定で早晩に寿司加藤に参り赤貝でもつまみに晩酌し 寿司を二、三貫つまみ他の客が入り始めた頃に「それじゃ」と辞してバーSの開いた頃に寄つて半時間。九時には帰宅して……などと目算であつたが世の中なか なかうまくいかぬ。
▼インターネットのプロバイダーNetvigatorから請求書届けばHK$1,288との請求に何かと思えば八月の日本でのローミングでHK$900余 も。自宅にてモデムであつたこともあるが、つい「つなぎっ放し」がいけない。
▼11月13日と14日にベルリンフィルが初めての来港。指揮はSimon Rattleなり。これに続き日本公演(こちら)で演目は一緒。サントリーホールでのS席 36,000円は今更驚かぬが香港の文化中心でS席HK$2,500は記録的な高値。慌てて電話で尋ねるが切符はS席からB席HK$1,600までがわず かに残りHK$1,200のC席以下は売り切れ。B席で3階の後ろ数列。音響の悪さと値段がつり合わず、で断念。香港の通常の世界的なオケより千ドル高く アイーダなどのオペラよりも高い。ベルリンフィルであつても、これで売れてしまふと「なんだこの値段でも売れるのね」で政府やジョッキークラブの援助が減 ることが心配。

九月十四日(水)蘋果日報が一面で伝えしは英国衛報(The Guardian)が13日に報道(こちら) の中国の死刑囚の遺体からコラーゲン摘出され(これも献体か)美容産品の生産に流用。記者が香港のビジネスマンと偽り中国北方の化粧品会社のマネージャー に接触しての取材。昨年全世界で約5,400名の死刑執行ありその9割が中国。早晩にジムに行きたいが本日眩暈あり。早晩に銅鑼湾で雑事いくつか済ませ る。晩に「いろり」にバンコクから来港中のY氏、O君とここ まではいつものメンツだが福岡からH君(昨年まで香港在住)も来港、で食す。今年が第1回だそうな香港ピアノコンペティション(アシュケナージも審査員で 先週からずっと滞在)を見た帰りのZ嬢も合流。バーYに流れ 最近珍しいことだが深夜12時を過ぎる、がMTRの終電には余裕で間に合う時間にはお開き。日本の消費税といふのは不思議な話を聞く。外国からの商品輸入 の場合も消費税がかかり小売りの場合は消費税が外税の場合は年間売上げが1,000万円以下の場合だと消費税の納税は不要、だったか(酔っておりあまりよ く覚えていない)。飛行機好きのY氏に月刊エアラインを見せてもらふと日本の政府専用 機(B747-400)のかなり詳細にわたる特集あり。興味深いが座席レイアウトまで描かれていても肝心の賢所の御座?(機体先頭、陛下だの首相 のための空間、首相などの場合は「執務室」と呼んでいる)はレイアウトも当然のように写真もなし。御料車やかつ てのお 召し列車など乗車するのが陛下か国賓か、などで菊の紋章の掲出までかなり細かい規定あつたわけだが飛行機の座席の場合、陛下の坐る場合と首相や外 相の場合でカバーであるとか何か異なるものだろか。Y氏がバンコク在住なので思い出したが今日の蘋果日報の連載で陶傑氏が第二次世界大戦でのタイ王国の興 味深き動きについて書いている。タイは日本の東南アジア侵攻のなかで微妙な対日外交政策で日本軍による占領を躱したのだが対米英に対して宣戦布告もしてい る。だが米英寄りの救国民族運動などもあり。非常に巧みであるが(こちら)陶傑氏の文章によればタイの対米宣戦布告は当時の米国駐タイ大使が握り潰し本国 に打電せず。結果的にタイは米軍が攻めることもなく戦争終結を迎え宣戦布告は取り消される。直接関係のない話だが8月にバンコクでホテルから眺めていると かなり鬱蒼と緑の繁る森が市街にあり。セントラル百貨店から日本大使館のほうに南下するあたり。調べてみると米国大使公邸。世界中どこでも米国の在外公館 が別格扱いなのはわかるが英国大使公邸よりもかなり広い。これが不思議であつた。東京で英国大使館は半蔵門の皇居のお堀端にあるが君主制国家で日本の皇室 と関係が深い場合の扱いは別格。タイも今は品川の上大崎に大使館があるが戦前は赤坂(確か山王下のあたり)の一等地にシャム王国の大使館あり。米国の覇権 は第二次世界大戦後のことでタイの場合、日本や韓国、フィリピンほど追米主義に非ぬのに米国大使公邸の規模に「なぜ?」と思つたが陶傑氏の綴るこの逸話読 めば納得するところもあり。
▼信州長野県知事田中康夫君本日より18日迄香港広州に参られる。香港と広州でそれぞれ信州・長野県の観光説明会開催。13日の知事記者会見によれば「今 週の頭に香港のディズニーランドがオープンするということで業者の方々がむしろその前よりは後にしていただいたほうが、グランドオープン前はプレスあるは そういうトラベルプランナーやエージョントの方々の招待日等もあるという形の中でこの14日から17日の日程でございます。香港と広州でそれぞれ私ども信 州・長野県の観光説明会をし、中国南方航空でありましたり、あるは既にチャーターフライトを2回飛ばしておりますドラゴン航空、そしてまた広東省の担当 者、広東省庁にも伺うという形であります。また、広州にジャスコをはじめとする企業が進出しておりますのでそうしたところを視察する形であります」。かつ て何度かお手紙差し上げ、その当時は毎年きちんと手書き部分も多き年賀状などいただいていたこともあり。香港には知事就任以前はアルマーニのスーツ仕立て に来港し仮縫い終わればまた来港して受取りなどペログリ日記で知る。
▼香港鼠楽園で(と連日この話も恐縮だが)正式開園前に食中毒騒ぎあり食環署の職員立ち入り検査に臨んだところ鼠楽園側の外国籍(おそらく米国人だが)幹 部職員に園内では食環署の帽子脱ぎ制服の肩章外すよう指示され、鼠楽園側も鼠楽園だが従つた食環署の職員も職員。これについて畏友O氏が、この「外国籍社 員」が仮に「日本人だったら」どなつていたか、と書いている(こち ら)。反日感情高揚は避けられず。この温度差。魯迅なら許さずねちねちと書くであろう植民地精神といふやつか。……といつても日本でも対中蔑視に 比べ米国追従は同じことなのだが。
▼某通信社の記者S氏から電話で在外選挙権の制限(地方区は投票できず比例のみ)は「違憲」と最高裁判決が出たことを知る(朝 日)。もう少し判決早ければ(笑)。違憲判決にはいろいろな意味で慎重な最高裁。02年の郵便法違憲判決(詳細は知らぬ)以来。本当に必要な判断 では違憲審査せず正直言つて判決により不利益被る人が少ないと司法判断も易し。今回の違憲は「立法不作為(怠慢)」といふのださうな。ハンセン病訴訟の熊 本地裁判決(確定)など事例はあるが下級審で僅かで最高裁では初めて。それにしても原告(計13名)に対して国家賠償法に基づき1人あたり5千円の慰謝料 支払いは必要か。慰謝料については最高裁でも14名の裁判官のうち3名が反対。当然であろう。告訴したら5千円は報償金ぢゃあるまいし。海外在住の70万 人に5千円ずつなら35億円。選挙好きにはありがたい話。香港と日本の両方で立法議員選挙で投票できるのも面白い。が現実問題として比例区なら政党で選べ るが海外在住長くなると地方区の立候補者はみな詳細不明。せいぜい二世議員で「梶山弘志ってのは静六の倅け? 静六も県議会の議長さなっただけでも驚いて たのが、自民党幹事長だっぺよ」だの「赤城徳彦ってのは宗徳さんの? 坊ちゃんのわりには少しは代議士らしくなっても宗徳さんの器に比べたら小さいっぺ よ」だのムショ帰りの中村喜四郎君なら、まだわかるが松下政経塾出身の若造など誰だか素性もわからず結局は政党名で選ぶしかない話。ましてや極端な話、国 内で転居し埼玉県さいたま市に住んで数週間で海外転勤となつたら全く何もしらぬ埼玉地方区で投票となる。

九月十三日(火)実は我自身、関心の度合いからして香港鼠楽園の隠れファンかも知れぬ。香港大学地理学科の詹志勇教授の計算によると(地上四千呎から撮影 の航空写真をもとにした八千分の一の鳥瞰図からの計算)鼠楽園側と香港政府が公開を拒否したままの香港鼠楽園の面積(未開園部分も含め「園内の周遊列車に て一周できる」範囲)は15.21ヘクタール。この面積は鼠楽園に隣接の2つのホテルのそれぞれの敷地より狭く、香港銅鑼湾のヴィクトリア公園が17ヘク タールでカリフォルニア鼠楽園(34ヘクタール)とは比べ物にならず。第一期の拡張部分(未着工)完成しても東京と巴里の鼠楽園よりまだ小さい。香港の納 税者一人あたり平均HK$3,000捻出しての鼠楽園、これでは今後来園者が維持できるのか?と早くも不安材料。さすがにのーてんきな香港政府も営業成績 が安定し利潤生んでからの第二期拡張工事については埋立工事のみの公費流用としており、これも中国本土に鼠楽園建設の有無で微妙なところ。結局、香港の鼠 楽園は米国鼠本社の中国進出の実験材料、といふのが確かなところ。上海鼠楽園ばかりか早くも複数の開園すら取り沙汰されるのだが信報の社説曰く中国の人口 13億人とて一人当たりのGDPと中産階級の人口から見れば鼠楽園で消費活動に勤しめるのは月収2,000元以上で全国で2億人に満たず日本の人口と消費 力と比べても中国に一つの鼠楽園が限界。鼠本社がなぜそれ程までに中国国内での鼠楽園開園に凝るかといへば鼠楽園の経営状態はけして悪くないが遊園地施設 での収益は僅か7%増に留まつておりテーマパークといふ五十年代に勃興の娯楽施設(日本でも後楽園、豊島遊園地、横浜ドリームランドなど遊園地ブームは米 国に遅れとらず同時期)はもはや経済開放から20年余の中国ぐらいでしか展開期待できず。非常に理不尽な話なのは私企業が投資して(その資金来源は本来、 株式などでの増資によるべきものだが)事業拡張は勝手だが鼠楽園の場合、香港政府は土地造成やインフラ整備を負担し香港鼠楽園の資本金にHK$32億を投 資し株の57%を確保。鼠楽園側は43%をシェアするのだが、かなりの低金利で香港政府よりHK$56億の融資を受け10年で返済。つまり鼠楽園側にはほ とんどリスクのない遊園地経営。ちなみに巴里の欧州鼠楽園は仏蘭西が80年代の不況打開の一環として鼠誘致決め敷地はかなりの低価で農地売却、鼠楽園側へ のUS$10億の低金利融資(10年)に仏政府が応じ鼠側の初期投資はUS$2.5億で株式の49%を確保。鼠禍以外の何物でもなし。
▼小泉自民党圧勝につきIHT紙ではPhilip Bowring氏がアジアで明確な政策で指導力発揮する日本の復活にアジアの他の国がそれを歓迎せぬ理由はない、と自民党圧勝にそれなりの期待。だが小泉 三世に外交や国際経済など期待できず、ではポスト小泉がそれを担うのかどうか。これについては東京大学の蒲島郁夫教授(熊本で高卒後に農協勤務、農業研修で渡米し てネバラスカ大学農学部からハーバード大学で政治経済学博士、帰国して筑波大講師になり東大法学部教授といふ異色の先生。かなり面白い)が紐育時報に “The LDP will have to keep attracting voters from urban sectors, and the only way it can do that is by choosing someone like Koizumi”と指摘。自民党が今後、党勢維持する場合に小泉型でないと都市部の(つまり無党派で勝谷氏らが指摘する浮遊層)票を確保できず、つまり常 識的な領袖の人選が今後、自民党では不可能、といふこと。福田先生ではあの理知的なところが「鼻につく」と嫌われる、安倍晋三君ではオバサンのウケはよか ろうが浮遊層がどこまで支持できるか、……と考えると小泉型の首相候補などいくら大所帯とはいへ、そう容易にはおらぬわけで(小泉三世ほどの変人がそう多 かつら寧ろ困るのだが)、結局の結論はポスト小泉で現状の強い自民党を維持することの無理。そうなると小泉続投が最も容易で安易な選択だが郵政民営化法案 は済し崩し的に国会通しても郵政国会終わつたあとに年金、税金、外交などの問題累積でそれに小泉内閣が何を出来るのか。ご本人はそれがわかつているから来 年九月での退任に固執。そのあとの自民党のことなど小泉三世には一切興味もない。最も困るのは今回の選挙で大勝してしまつた自民党自身か。勝ちすぎといふ のも、その後は難儀。栄光の不滅のはずの読売巨人軍の如し。

九月十二日(月)あゝ今日から新しい日本が始まるのだ、といふ期待感が朝の目覚めを……ぢゃ『近代の超克』だが同じような空気なのは確か。新聞を見れば朝 日新聞は政治部長の署名記事で「郵政以外を明確に語れ」と小泉三世に求めるが「語れるわけがない」事実。何を言われても「今後、活発な議論。検討していき たい」が全て。大平正芳君が「あー、うー」と言いつつ頭の中ではさまざまなこと考え竹下登君が後藤田君から「もう少し本を読め」と言われてもゴルフばかり していたが竹下君には当時の田中派の有能な老中、若年寄級の側近がおり、森喜朗さんも明確に失言繰り返しただけ攻撃の矢面に立たされ「何も考えず答えぬ」 小泉三世よりよつぽどマシ。選挙結果をよく見れば得票数では自民は民主の1.3倍なのに議席は4倍。小選挙区制の賜物。朝日新聞の天声人語の「呆れぶり」 の小泉閣下への手紙(こちら) よりも産経新聞の産経抄のほうが政局をきちんと理解(こちら)。 どうであれ民主的な選挙での「国民の大多数の選択」の結果。香港の「掃把頭」こと元・保安局長葉劉淑儀の「ヒトラーとて民主的に選ばれた」といふ一言がふ と思い出される。平和に見えるところはワイマール期のドイツの如き日本。反対派の粛清は文革の中国のようでもあり。月本さんが日記に書いているが世の中こ うなると自己の修養と鍛練以外にもう術もなし。新しい日本への第一歩なのか、終わりの始まりなのか。最後の手段はこちら(法務省外務省)。申請さえする気 があれば香港の永久居民としてこちらもあり(香港)。本日、香港鼠楽園開園。HK$200億ドルの公的資金投入(今後40年間で 1,485億ドルだかの収益期待だそうである)。大陸からの鼠楽園参観者少なからず政府の入境事務處は大陸とのborderの出入担当官の増員検討の要あ りと 鼠楽園側に大陸での前売入場券の発売数を照会するが(現状では当日券はなし)鼠楽園側は照会にも応じず実際の開園部分の敷地面積すら企業秘密。実際には外 周は歩いて20分もかからぬとか。ちなみに米国の鼠本社の社長、明日は上海訪問。上海鼠楽園の設営も期待なのだうが中国にて鼠文化産業拡大のためには鼠や 家鴨のキャラクターをばもつと中国の田舎者にまで浸透させる必要あり。そのためには当然の如く鼠アニメの放映(テレビ放送普及まではドナルド鴨が中南米で 「悪い共産主義者たちをばコテンコテンにやっつける」鼠コミックスであつた)が最も効果的なのであるがテレビラジオなどメディアが中共一党支配の中国にあ つて鼠楽園がアニメチャンネルの開設など難しい点あり。この問題解消が鼠楽園にとつて中国国内での商業活動の焦点といふ。本日の開園祝賀に国家副主席の曽 慶紅君来港。宿泊は国家領袖はみなホンハムのハーバープラザホテルなのは97年香港本土回帰での江沢民君から変らぬが昨朝はホテルのオーナーである李嘉誠 が長男連れて投宿中の曽国家副主席と朝食会談。北京政府にしてみれば香港地方政府のSir Donaldであるとか所詮、地方の小役人であり末端業務遂行すればそれでよし。中国経済の投資者としての李嘉誠こそ会見すべき相手。中環を夕方歩けば HSBCの香港総行ビルから参観者らしき団体一気に吐き出され外に出るなり煙草に火をつける輩多く一見して曽慶紅君来港に伴う大陸からの視察団とお見受 け。英国植民地時代に祖国の金融先鋒として中環に君臨の中国銀行旧香港支店のビルを誇らしげに眺めている。本日大気汚染甚だし。スターフェリーで尖沙咀に 渡れば天気はよいが香港島は黄色く霞む。香 港鼠楽園の連日の晩の花火も悪影響とか。尖沙咀のLane Crawford百貨店のTUMI売り場にTUMIのキャリングに付随の数字鍵が壊れたので持参。店員それ一見して「これは直せない」と言ふが「TUMI のサイトで尋ねたら近くの販売店に持参せよ、と言われた」とデマカセ言ふと「直せるかどうか確認します」と。世の中押し並べてこのやうな事情。晩遅く文芸 春秋十月号読む。特集は衆院選挙で選挙後に読むには遅い話だが興味ある事実は週刊文春もそうだが文芸春秋が小泉改革に対して訝しげ。保守の旧守派であるか ら、といへばそれまでだが。かつて良くも悪くも日本を代表するマスメディアが、である。キョービの政治の流れに少なくとも私の知る人はサイトなどで見るか ぎり、みんな憂慮。彼らがみんな(我自身も含めだが)「偏っている」と一瞬思つたりもするが文芸春秋も小泉改革を憂慮。右翼から共産党まで憂慮。つまり今 まで世論を動かしていたような、そういうところが全てキョービの流れを憂慮して、その逆にある、全く違うところが「改革の原動力」になつている。小泉三世 に8割の支持を与え真紀子大臣解任の時は支持を急落させ、また今回の選挙で押し上げた、3割から4割のその人たち。そして勝谷氏の注目する20〜30代の 社会的には目立たぬ、これまでなら選挙など一切行かなかつた無党派の男たち。この人たちの文芸春秋から共産党までが全くつかめなかつた鬱憤のやうなものが 小泉三世の「郵政民営化にYesかNoか?」にYesと答える。この人たちがわが国を動かす原動力となるのか、実はこの人たちこそ増税、福祉見直し、所得 格差拡大の負け組で切り捨てられてゆくのか。何紙かの新聞読むが小泉圧勝は「わかつていたこと」であまり動揺なし。ただIHT紙の一面トップに小泉三世の “huge personal victory”(自民党圧勝でなく小泉圧勝であること)で郵政民営化とは“the world's largest financial institution with $3 trillion in assets”の資金が市場に放出されることであると思ふと、而もその恩恵を授かるのが米国であるのだから、それだけの上納金をば差し出せば小泉三世もご 褒美として選挙圧勝といふ首相としての花道が授けられても全く不思議な話ではない。結局、それに幼稚な人たち、が利用されただけ、で終わつてしまふのだら う、きつと。深更に寝台に伏せてまで新聞読む己の姿からふと米国漫画『ブロンディ』思い出し可笑しくなる。幼き頃に『ブロンディ』の漫画を読み「大人はな ぜ夜遅くベッドに入ってからも新聞を読んでいるのだろう?」と不思議がつたもの。少なくとも夜中に空腹で台所にて巨大はサンドイッチ作り頬張らぬだけマシ かもしれない。
▼シャープのモバイルNotebook MM-1の不具合に つき日本でシャープに修理見積り依頼せばHDDとマザーボードの要交換で6万円。10万円だかで購入し2年半酷使の愛機で6万円かけて修理する気になれ ず。理想的な軽さ追求のノートブックであつたが薄さゆへ日常の打鍵ですら負荷が鍵盤下の本体部分にかなりかかるのは素人にも明らかで放熱にも問題ありかな りHDDに負担あつたとはず。この薄型軽量機種の後続機ないのも納得。昨年より使用中に電源突然切れること頻繁で今年になり症状悪化。七月に数年ぶりに Macに戻りPowerBook G4入手しMM-1も必要なファイルなど取り出しておいたが八月に電源OnしてもHDDすら動かず。今になつて思えば一昨年SARS疫禍の直前に病身なが ら父が母と来港。これが最後の来港になつたが思いのほか歩く姿も元気で、日本酒などと一緒に日本で購入のこのノートブック持参してくれたもの。資源再利用 の下取りで3050円だかになるそうだが父の想い出などもあり手放さぬ気になる。

九月十一日(日)晴。衆院選挙。長野県須坂市・岩波書店共催の「信州岩波講座」(信州須坂は岩波書店創設の岩波茂雄氏の出身地)で北大の山口二郎教授がは つきりと指摘しているが小泉政権は「政治の幼稚化」である、と(日刊ベリタ)。 これほど言い当てた表現はあるまひ。であるから幼稚な人がそれを支持する。本日。朝八時に中環の波止場にO氏とO君と待ち合せ三人でフェリーで梅窩。鹿地 塘の村落から南山古道を上りLantau Trailに入り海抜0mから一気に標高858mのSunset Peakまで上り伯公峠に下る。三 時間余。画像の石造りの廃虚は梅窩の村外れ。背景にある山がSunset Peakでそれに登る。昼すぎバスで梅窩に戻る。波止場の順景という名であつたかいつも寄る海沿いのアウトドアの料理屋でビールで咽喉潤し浅蜊や烏賊など 食す。フェリーで中環に戻る。月餅のうち毎年一つ二つだけ食したいのは大斑の冰皮のもので幾つか購い自宅近くのジムに一浴し帰宅。午睡。大河ドラマ「義 経」も一時間早まり日本時間午後八時よりNHKの開票速報始まるなり自民党300議席見込みと予想通り。中曽根大勲位の時の300議席とは全く異なる。当 時のハト派からタカ派の自民党に非ず。歴史の終わり。郵政民営化ばかりか戦後60年の体制を大きく変える第一歩。270兆円が米国に、北朝鮮との国交回復 (現体制支持)、サラリーマン増税、年収300万円生活、教育基本法改定での愛国教育徹底、改憲。アジアの隣人からの乖離。小泉三世支持しパンドラの匣を ば開けた人たち。幼稚な人たちが幼稚な小泉三世を選ぶ。で、次は「強い日本」目指して安倍晋三君か……ともなれば東アジア反日非武装戦線(The Demilitarized Front in East Asia against Japan)でも結成されなければならぬが「反日」といふと誤解もあり現実には「無教養と愛国主義、一党独裁に抗する東アジア非武装戦線(The Demilitarized Front in East Asia against Ignorance, Patriotism & One-Party Rule)」のほうが正しいはずで略称は「東アジア非武装戦線(DFEA)」とか。いずれにせよ選挙後の唯一の期待は「小泉さんに勝たせてもらって」で自 民党内での反小泉クーデター
(まさか)、公明党のせめて与党内部での憲法、教育基本法改正と靖国で の抵抗くらい。開票速報番組に、自民党の幹事長武部君は画面に映るなり「いろいろお世話になりありがとうございました」と勘違いの挨拶。NHKのアナウン サー答える言葉失う。亀井静香君は自民党圧勝に「日本は子どもを育てられない社会になる」「国政は郵政民営化だけではない。外 交、憲法、税金や福祉など問題多いなか国民が目覚めなければない」と指摘。亀井先生は「NHKを含めマスメディアの悪影響。 One phrase politicsに乗ってしまっている。国民がマインドコントロールされている」と指摘しNHKの司会者二人して「ありがとうございました」と宣い亀井先 生のコメントを遮断。小泉三世の党首会見。選挙終わっても「郵政民営化に対する国民の支持」しか語れぬ首相。他の問題いくら問われても「適切に判断してま いります」ばかり。これに国政委ねてしまふのだから愚衆政治と以外言いようがなし。新聞の片隅のベタ記事に天皇皇后両陛下昨日紀尾井ホールにて新内浄瑠璃 の一谷嫩軍記を鑑賞、とあり。熊谷直実と平敦盛の一戦から選挙の前日に何を感じられたか。攻める源氏が民主党、一の谷に守備の平家が自民党だが今日の選挙 結果では熊谷方は攻めきれず敦盛助かり(岡田)直実が出家でチョン。明日は香港鼠楽園開園。世の中、馬鹿馬鹿しきことばかり続く。

九月十日(土)晴。豪州在住の作家森巣博氏が朝日新聞に書いている。国の借金が780兆円で地方の長期債務が200兆円。特殊法人の隠れ債務加えれば軽く 1000兆円。自衛隊のイラク派遣も明らかな参戦(日本ではそう思われていないが海外では常識的にそう認識されてている)。借金をどう返済するか、戦争に 参加していいのか、素朴な疑問を発しようとせず、自分自身の問題として考えぬ思考の停止。無知な多重債務者の奈落への行進。「無知とは、知識がないことで はない。誰だってほとんどの局面では無知である。そうではなく無知とは、問いを発することができない状態を指す」といふ森巣氏の金言。無知なくせに変に 悟ったふりをしてニヒリズムに逃避する連中が一番タチが悪い、と。……と森巣氏が論じても「海外で好きに暮らしていたら言いたいこと言うのも楽だよな」と 一笑に付されて終わり鴨。週末ずつと天気芳しからず。天気予報は今日も曇り一時雨のはずがそれなりに晴れてかな久々に山に入り大潭をMt.Parker Rdの上り30分、大潭の下り一時間走る。月〜木はジムのトレッドミルであつたが今日で今週は50km走つたことになるはず。中秋までもうあと七、八日と なり日差しもきつからず風も心地よく今年は夏の雨に木立の緑の繁りも勢いよく日陰も多し。島南の海岸に至り司馬遼太郎の『街道をゆく』の丹後日田街道、西 吉野街道と種子島みちを読む。結局この本は熊野古座街道からずつと若衆宿に司馬先生は関心抱くのだが辿り着けぬのか敢えて書かぬのか、『街道をゆく』の評 価されるところは、といふか司馬遼太郎の人気の秘密はこの、敢えて書かぬ部分あるゆへ自民党から共産党まで、老若男女に好まれる所以かも。計算高いのか、 或る面では狡い。
炎天下というにはいささか弱い陽光の下『街道をゆく』を続けて読む。浜 辺は立っているとわからないが寝そべってみると、砂浜から数センチの高さを無数の浜蝿が飛んでいる。本当は何という名前の昆虫なのか、その分野には詳しく ないので知らない。だが私は浜蝿と呼ぶことにしよう。浜蝿はひっきりなしに飛んでいるかと思うと砂の上に降りて無数の穴の中に姿を隠す。巣だろうか。一匹 の浜蝿が隠れた穴にもう一匹の、少し身体の大きなのが飛び降りた。雌だろうか。穴に向かって尻を向ける。そうか、交尾か、と思ったのだが、少し身体の大き な浜蝿はその穴を、後ろ足で砂をかけて埋没させてしまう。これじゃ先に穴に隠れた浜蝿が窒息死してしまう。いったい何の意味があるのだろうか。昆虫の知識 がないから私にはわからない。
……とか司馬先生なら描写するのだろうか。読了。続けて明日の衆院選挙控え開票結果に動ぜぬやう鴨長明『方丈記』読む。有名な方丈記の冒頭の文句も今日な ら
小泉の公約は絶えずして、しかももとの言にあらず。よどみにうかぶ軽口 はかつきえかつむすびて久しくとどまる事なし。
だろうか。方丈記読み進めば
いきほひある物は貪慾ふかく、獨身なる物は人にかろめらる。財あれば、 おそれおほく、貧ければ、うらみ切なり。人をたのめば、身他の有なり。人をはぐゝめば、心恩愛につかはる。世にしたがへば、身くるし。したがはねば、狂せ るにゝたり。いづれの所をしめて、いかなるわざをしてか、しばしも此の身をやどし、たまゆらも、こゝろをやすむべき。
など長明の一言一言がただただ心に沁みる。が、昭和3年初版のこの岩波文庫で山田孝雄が綴る解題に一読の価値あり。
按ずるに作者の時代は天災地變ついで至りし時なるのみならず、歴史上の 大轉換囘期にあたりたれば、社會上に種々の缺陷を生じ、人事の轉變また甚しきものありしなり。されば世の無常を觀じ厭世主義に傾く者の生じ易きはいふを待 たず。而して作者はその社會に於いて輕き意味にての敗者としての境遇に立てりしものと認めらる。かくの如き内外の種々の事情は作者をして世を遁るゝに至ら しめしならむ。
と語られる解題読むに「まことに今の世も同じならむ」と感じ入るが、大切なことは山田孝雄がそれに続けて綴る一文で
作者は佛教の思想に基づきて、無常を觀じ、世を遁れたるものなれど、天 を怨むるにもあらず、世を詛ふにもあらず、淡泊に世を離れて閑居し、消極的ながら自己の境地に一種の安慰を見出せり。そればその無常觀も厭世主義も共に徹 底せざる觀あり。これ或は日本人が根柢に於いて樂天的なるのいたす處か。要するに本書によりて日本人の性格の消極的方面は或はあらはれたりとすとも積極的 方面は恐らくは認め難き所ならむ。
これを読み前述の森巣氏の言わむとするところと誠に同じ。帰途のミニバスのなか方丈記読了。高校の古典の授業などで格闘し全く解せずの古文も今では些か小 さき字は朧なるも文意とくに気にもせず読めるも齢ゆへか。哀しいやら嬉しいやら。ジムに一浴し帰宅。昏時尖沙咀。ゆつくりとした土曜の晩に気分は独り「尖 沙咀の」Jimmy's Kitchenにでも参り荷風散人か池波先生の気分で洋食とでもしたきところ、酒場めぐりの算段あり、ふらりと元八らーめん。店員の真摯な態度にいつも敬服するばかり。昨日あまりの 賑やかに入らず仕舞ひのバーIに寄る。開店間際でご亭主おら ず。地場のスタッフも突然ふらりと現れドライマティーニ一杯飲み店を辞す客は扱いづらからう。銅鑼湾。バーY。この店も開店間際だがすでに粋な女性客一人あり。その女性と若 きバーテンダーT君と鼎談笑話。濃いめのハイボール二杯。未だ八時すぎでバー Sのそろそろ開店でふらりと寄る。こちらも当然この時間では口開け。Ardbegの17年を二杯いただく。Ardbergといへば Islay島のもっともIslayらしいピートの強さが個性。かういふ言い方はとても下品だが「歯医者臭い」と十数年前にマンダリンオリエンタルホテルの 酒場で最初に飲んで感じたのはそれだつたが17年物は実に上品。逆にいふとIslay臭さもないのだが。深酒はせぬ信条。午後十時に帰宅。
▼香港鼠楽園にて園内の飲食施設での食中毒の訴え受けた食品衛生署の監察官八月三十日に鼠楽園内での現場検査に訪れたところ外国籍(って米国に決つている が)職員から園内では遊客を不安に陥れぬため監察官の制服のうち帽子を脱ぎシャツの肩章も外すよう言われ監察官に命令する職員も職員だが、それに従つた衛 生署職員の植民地根性も凄まじきものあり。香港政府側はこれに遺憾を表明し鼠楽園側も誤解があつたと陳謝、だが香港鼠楽園が治外法権である事実。ところで 香港鼠楽園は当初この開園に含まれていた第一期工区の全ての完成は08年までかかるそうで第二区は2020年が完成目標。で実は上海鼠楽園も鼠本部と中国 側との折衝続き早ければ2010年には上海に鼠楽園完成。

九月九日(金)昏時中環City HallにてHedda Morrisonの1946年撮影の香港写真につき Edward Stokes氏の講演あり。開演15分前まで北角Braemar Hillにいたが見事な運転のタクシーに運良く乗車し金曜日午後六時の厳しい時間を12分にてCity Hallに到着。Hedda Morrisonは1908年生まれのドイツ人写真家にて1933年から1946年まで抗日戦争に騒然とする北京に滞在し1946年帰欧の途、香港に数ヶ 月滞在し写真撮影。こ の時期に英国の記者の報道写真除けば本格的な香港の風景や民衆の写真かなり貴重。Hedda Morrisonの写真とフィルムはハーバード大学のHarvard-Yenching(燕京)図書館(こちら)に保存されており(こ ちら)Edward Stokes氏が香港大学の協力を得てこのコレクションから1946年の香港写真をまとめ再プリントし“Hedda Morrison's Hong Kong”といふ歴史写真集を上梓。現在、香港大学博物館にて写真展も開催中。香港の植民地情緒のセピア色の写真はいくらでもあり今更驚きもせぬが Hedda Morrisonの写真はその構図の見事さ、そしてHedda Morrison以外に誰も撮影しておらぬ場所、アングルからの香港の風景と民衆の心理まで描写する視線の見事さ。開発される前の九龍東や新界など今でこ そトレイルコースの山中を戦争終わつた翌年によくぞ此処まで分け入つてといふ場所からの鳥瞰撮影。今晩の講義には「まるで倫敦」の如く英国人やドイツ人中 心に百名以上の聴講あり、Royal Asiatic Societyの主催であるから香港の古い写真など見慣れた者ばかりのはずが写真一枚スクリーンに映るごとに感嘆の声や溜息も聞こえるほど。それほど人を 圧倒させるHedda Morrisonの1946年の香港写真。これは香港大学美術館参観か是非この写真集購入を、と人には勧めたいところだがEdward Stokes氏のまとめたHP(こちら)も、これもまた精緻 なこと言葉もなし。写真集を出版するのなら本の売上げだの版権で通常はここまでしないのが普通。だがEdward Stokes氏らはHedda Morrisonの貴重な歴史写真が多くの人の間でいい意味でshareされることに期待してのこのHPでの全写真の公開。天晴れ。知識であるとか歴史の 物語のネットワークがどのように広がるべきか、の手本の如き仕事。ただただ敬服するのみ。フェリーで尖沙咀。百年ぶりにマクド食す。尖沙咀の一等地に晩飯 時でけして列ができるほど集客もなく日本に比べかなり安い価格体系でどうして利益出て東京よりずつと高い賃貸料も払えるのか……と疑問に思いつつハンバー ガーをDiet Cokeで流し込みながら考えるが答えは人件費の安さ、以外何もないはず。時給12ドルだったか13ドルだったか、で抑えるからの商法。だとすれば深セン など香港に比べ長蛇の列のマクドで価格も香港とほぼ同価格で人件費や賃貸などもつと安いのだから相当の利益出ているはず。午後八時に滑り込みでHK Culture Centreで城市当代舞踏団CCDCの舞踏「創世記」をZ嬢と一緒に観る。Helen Laiの当たり狂言、でなく当たり舞踏といふのだろうか、の一つで98年だかの公演見逃し、の再演。少し科白に依存する嫌いあるが充実した精一杯の舞踏。 CCDCは女性の踊り手の群舞、とくに早いリズムに乗せた足や手を使ったパフォーマンスが殊に上手。それに比べ男性の踊り手は独舞には秀でる好対照。 CCDCを最近続けて観ているが舞踏のレベルはそれなりに高いが演出が土臭い、それはそれでいいが、台湾の雲門集団など見て「うっとり」とさせる演出もあ つてもいいと思ふ。舞踏跳ね尖沙咀広東道のバーIに向かふ。 ずいぶん前に銅鑼湾のバーSのM氏に紹介され昨晩M氏に電話で場所まで聞き訪れてみたわけだがビルの10階に昇降機で降り立つなり盛況のやうで店内からか なり歓声聞こえZ嬢と「また今度にしよか」と帰途につく。
▼勝谷氏が明後日の選挙について書いている。今回の選挙の特徴は「都市部における20代30代と40代50代の意識の乖離だ」とした上で「今回の自民党に 吹いている「風」は前者の「恐るべき子どもたち」による。「投票にいこーぜ」ではなくて最初から「小泉いいじゃん」と投票所に行くらしい。年収100万以 下の連中が安定身分の公務員を切るという小泉さんへの共感とエセエリート臭紛々の松下政経塾上がりの民主党若手候補への反感から動いているのだ。ニートも 引きこもりもその巣から出て投票に行くのだろう。税金も年金も払っていない非納税者が有権者としてこの国の運命を決める。」と指摘。村上龍的には、この若 者の群れの中から彗星の如く英雄が現れるはずだつたのだろうが突然「ヘンなおじさん」が彼らの英雄になつてしまふ平成の世、といふことか。靖国に「なにか 日本の大切なものを感じてしまう」と参拝する若者。同じ日に偶然参拝に来た「海外から見るととても変な」都知事に「石原ーっ!」と声をかける。礼儀を重ん じる筈の右翼であれば「年上に呼び捨てとは何事だ!」と怒るはずが若者の声援あびて都知事はまんざら悪い気もせぬ。大人たちから観たら「変だよな」と映る だけの若者たちが「変人」首相に共鳴し「変なおじさん」と「変な若者」、そうそう、それに「純ちゃーん!」と黄色い声上げる専業主婦の、これもやはり所得 税は払つていない「変なおばさん」たちの結びつきで日本の将来が決る。すごすぎ。

九月八日(木)曇。小泉自民党の歴史的勝利まであと3日。IHT紙に情報公開クリアリングハウスなる組織の ミキユキコなる方が指摘しているのは“Ordinary Japanese feel little country's democracy”であり“Japanese citizens are ultimate free riders. Support from citizens is necessary to form a base for democracy, but Japanese people don't seem to feel they are the ones who should support civil society”といふこと。だが同じIHT紙の記事にはソウル国立大学で日本政治を専門にするPark Cheol Hee教授が“This is the last stage of one-party rule. I don't think the LDP will rule for another 50 years - possibly another 5 or 10. The Democratic Party might fail this time, but they will try again. This will eventually produce a competitive, two party system and lead Japan to a true democracy”と述べるが、さう楽観視してよいのだろうか。今にして思えば例えば社会党の甘さ、そして何よりも細川・青島・巨泉といつた人気とりで 期待集め何もせずに匙放り出し逃げた輩の無責任。これに比べれば石原慎太郎のほうがどれだけマシか。小沢一郎から国民新党は所詮「自民党補完装置」なだ け。有権者のすべての期待など、ただ彼らに無碍にされ、で今度は近い将来を「同じスタートラインから何度でもチャレンジできる」民主党に託せるかどうか。 自民党の恒久が続くのかも。もはやフランシス=フクヤマ的な「歴史の終わり」。あのフクヤマ氏の「歴史の終わり」発表された当時、内容一瞥し嗤つていたが まさか現実になろうとは。韓国は北朝鮮含みでまだわからぬが日本自民党、中国共産党に台湾国民党(次期政権から)でシンガポールの人民行動党までアジア型 政治体制の完成かも。早晩にジム。トレッドミルで走る。四日目。帰宅してズブロッカ飲むが二杯と言いたいが一杯目注げば瓶は空になる。ぐいぐいと毎晩二杯 ずつ飲めば当然。宮崎出身の知人にいただいた「冷や汁」など食す。NHKでNHK山梨局制作の甲府空襲の特集番組を見る。甲府空襲で両親失ったM氏が甲府 空襲に参加の当時の米空軍兵と当時のことメールでやりとりなどする。この夏、戦後60周年で沖縄だの甲府だのこうして戦争の惨禍の被害地に生きる人々の話 いくつか見たが、これはこれでいいが、では逆に日本軍の中国侵略で両親失った地元民と旧日本軍兵との同じようなやりとりを番組で見たかどうか。現実に中国 訪れ謝罪の旅を続ける旧日本兵の老人もいる。被害者と加害者の立場での歴史を同等に見ることで歴史から真実を考える機会になると思うのだが。ところでこの NHK山梨の番組の中でM氏(日本航空の旅客機パイロットで今は定年退職で隠居の身)が郷里を訪れる場面あり。これまで同窓会などで甲府に戻つてもけして 両親と暮らした家のあたり訪れることがなかつたM氏が戦後初めて訪れる。その時に偶然に路傍に佇む男性が「あれ、Mさんでしょう、日本航空で出世したっ て。当時の面影がありますわ」と声をかける。フジテレビの朝の番組で「やらせ」問題になつているが、これも「やらせ」ではないだろうか。芸術新潮の八月号 ドイツ旅行特集を読む。
▼晩のNHKニュースでタイ南部の小学校教師の拳銃訓練の様子。タイ南部でタイからの分離独立を主張するイスラム教過激派が「テロ」頻発。でニュースはこ のタイ南部でテロの標的とされる公立学校の小学校教師による拳銃の携帯と防御・射撃訓練の様子。マレーシアとの国境で住民の9割がイスラム教徒だが地域の 学校教師のほとんどが中央から派遣された仏教徒。で学校の教師がテロ襲撃の標的となり何人もが殉死。で教師らが政府に対して護身用の拳銃の携帯を求め実際 に銃の訓練。地元には地元でイスラム教徒の教師を配置せば問題はない。平和裡な環境で子どもの教育を考えれば、それが真っ当。だが敢えて仏教徒の教師をば 派遣するのは「国家による」義務教育の本当の主眼が「国民養成の教育」であるがゆへ。仏教を国教とするタイであるからイスラム教徒にも間接的にであるが仏 教的世界の強要が小学校の現場。アイヌの子どもへの明治政府の初等教育の実施であるとか台湾の「蕃族」教育であるとか「未開」の民の文明化はかうして行わ れる。が、それが現代でもイラクでの民族対立のなかで教育介入もあり。タイで教師が拳銃で護身がどれだけ異常なことか。慈悲の仏教であるとか微笑みの国な どといいながら近代国家の恐さ。教育、子ども、イラクで思い出したが(朝日新聞で紹介)バフマン・ゴバディ監督の映画『亀も空を飛ぶ』(Turtles can fly)が17日(土)から東京岩波ホールで上映始まる。今年の香港映画祭で見たが、これは必見。
▼朝日新聞の箱島前社長が新聞協会会長と朝日新聞取締役相談役を辞任。田中康夫&亀井静香会合の虚実報道の引責。記者会見もあつたが朝日新聞は「リリー フ」秋山社長の謝罪記者会見はあつても箱ジョンイル氏自身の会見での写真は掲載せず。NHKの海老ジョンイル、日経の鶴ジョンイルと並ぶ箱ジョンイルで 鶴、海老、箱の順で辞任。ちなみに鶴・海老は茨城出身。

農暦八月七日。白露。光化学スモッグ的に不透明な大気がチラチラと光る。新 聞の広告で女性誌LEE10月号の特集が「上品マダム派北澤恵理さんvs.華カジュアル派五明祐子さん「三種の神器服」で秋服シフトは成功する」と意味不 明の特集(こ ちら)。八咫鏡(やたのかみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)をどう夏服から秋服への季節の着替えのなかに用い るの か、と思つたが単に「ジャケット、トップス、ボトム」を三種の神器と宣ふ。畏れ多くも皇位継承の徴したる三種の神器。集英社の不敬甚し。ドラマ「義経」に て松坂慶子が「帝と三種の神器をこの平家が絶対にお守りするのです……」と下手な演技していたが「絶対に必要なアイテム」でファッションに転用か(嗤)。 「郵政改革、公明党、北朝鮮」なら小泉三世の三種の神器(靖国、は違ふ)。公明党といへば「このまま何事もなく小泉自民党圧勝か」の衆院選挙。マスコミの 「自民党圧勝」予測を寧ろ無党派層の票が流れると戦々恐々の自民党執行部。各地では公明党の選挙協力得られぬと自民党候補が友党の態度解消の動きも少なか らず。公明党にしてみれば創価学会票だけではこれ以上の票獲得がもはや限界で公明党自身では非創価学会票得ることに難ありでの自民党との協力だが自民党内 部にはもともと友党意識もなし。選挙前数日の話題が自公の選挙協力の縺れ程度とは。昼に銅鑼湾。大気汚染ばかりか空気の流れといふものがなく酸素欠乏で呼 吸も能わざるが如し。六、七年前の香港マラソン当日の朝にこのやうな天気ありスタート直後に倒れるランナー続出思い出す。早晩にジムで小一時間走る。三日 目。偶然今日電話で数年ぶりに話した女性に、社交的ではない単調な生活でランニングしているのは「村上春樹みたいね」と言われる。村上春樹は個人的に「好 きとは言いたくない」が、かつての不健康な生活が一転してのランニングに「寛平ちゃんみたい」とよく言われるので、それよりはまだマシかも。ランニング中 に眺める晩のニュースでは今日も香港鼠楽園なのだが四日のコミュニティチェスト対象の公開日での参観者の不満が高まれば提灯報道は一転して香港鼠楽園の狭 さなど酷評。開幕するのはメインストリートの「美国小鎮大街」と「明日世界」に「幻想世界」だけで第一期工区のうち「探検世界」は未完成。乗り物などアト ラクションは廿数個で他の世界各地の鼠楽園に比べると遊技施設が他は80〜100で敷地面積も東京は香港の10倍とか。香港のこの規模で3萬人詰め込んで は同じ「2時間待ち」でも利用者の心理状態も違うもの。政府が土地造成し提供した第二工区は未着工で鼠楽園側は具体的な展開を明示しておらず。マカオのカ ジノ王スタンレー・ホー君も「一度行けばもういいよ、ありゃ」と発言。三日に訪れた北角在住のA奥様も一言「あかん」と。コミュニティチェストの公開日に 欣喜雀躍で訪れたはずの子どもが「もうおうちにかえる〜!」と親にせがむ姿。公金投入の無駄。帰宅してズブロッカ二杯。カレーライス。競馬はハッピーバ レーの開幕日。多少の荒れを予測して賭けるがちっとも当たらず。競馬がてら溜まつた雑誌いくつも読む。芸術新潮は三ヶ月も前のもの。三更に大雨落雷。司馬 遼太郎『街道をゆく』の古座街道を読了。
▼米国の中国論評サイトに記事投稿せし中国国内在住のジャーナリストが国家機密漏洩罪で懲役10年の判決。これぢたいは驚かぬが匿名記事でなぜ書き手が判 明かといへばYahoo!メール利用しての登校で中国のYahoo!サイト運営する香港雅虎(HK Yahoo!)が中国当局に対して、このメールのIPアドレスなど提供し当局は発信元が湖南省の「当代商報」紙の編集部であることから、この記者を特定し 逮捕。国境なき記者団による記事はこちら。物言えば唇寒し 夜風(やふう)かな。

九月六日(火)晴。午後驟雨あり雨のあとかなり蒸す。早晩にジムで小一時間 トレッドミルで走る。二日目。てれてれと走りながらテレビモニタで晩のニュース見る。米国南部の水害では溺死死体を野犬が喰ふ絵図。中国で事故の際に死体 の扱いが野蛮と非難されるが(十数年前に広東省の従化温泉のダム湖にて観光用の吊り橋から転落し溺死の死体が首に縄をつけてボートに引かれていた時は余も その従化温泉に二週間前だか湯治していたためゾッとしたものだが)中国も流石に事故から一週間で野原に死体放置されず。昨年末の東南アジアの津波でもこん な光景なし。日本の台風。なぜ暴風雨の中、傘さしているのだろう。危険。風におらおら〜っと煽られ非難もままならず。破れた傘も桟だけなのにさして。強風 で前も見ずに。あれぢゃ槍をもつた突撃隊。香港でもちよつとした雨でも日本人は雨に濡れないように、と気づかふ人が多い(……こういう言い回しが昨日非難 した比較文化論か……笑)。どうせ汗だけでも「ぐっしょり」なのだから雨で濡れることくらい気にせぬべき。気温が下がればレインコートだのおしゃれも出来 ようもの。帰宅してズブロッカ二杯。二日目(笑)。食後睡魔のなか岩波の『世界』九月号読了。
特集は「小泉政権とは何だったのだろうか」と総括してしまつているが選挙結果では本人 は選挙前に否定してみせたが世論の押しで来年九月以降の続投もじゅうぶんにあり。「小泉政権とは何だったのだろうか」などと総括してみせてしまふところが リベラル左翼的な弱さ、脇の甘さ、か「打倒、小泉政権」くらいの特集組んでおれば面白いが、これをしたら小泉自民党圧勝で雑誌存続の危機になつていたか も。午後十時すぎに就寝。これは四日目か。さういへば今朝は未明に週末の衆院選挙で翌朝の新聞に「小泉自民圧勝」と見出し踊る夢を見る。正夢になるであら う。それが国民の選択。余はただ荷風散人の如く余生いきるのみ鴨。
▼歌舞伎が当世の話題を芝居に盛り込むのはけして珍しくないが今月の歌舞伎座では松竹曰く「見所満載の話題の舞台」。東海道中膝栗毛で中村屋(富十郎)と 播磨屋(吉右衛門)の弥次喜多が「愛知万博会場にたどり着くお話。人気キャラクターの登場もあり楽しく大いに笑えて、幸せな気分にさせてくれる歌舞伎喜 劇」で夜の部は「平家蟹」で芝翫が玉蟲を演じるが「白石加代子さんの語りとスライドの新演出」とは……。これで一万円以上の席を売ろうというのだから。中 村屋(勘三郎)で今年は八月まで売上げ目標達成だし。
▼劉健威兄が信報の連載で「ディズニーが来たぞ」と。香港鼠楽園開幕で「ローカル文化衰退の恐れ、と学者」といふ某新聞の見出しを嗤ふ。だいたい「学者曰 く」使ふのはマスコミの常套手段だが、この「ディズニー文化研究する」学者曰く「鼠楽園は企業によるテーマパーク開発と観光振興で、これにより香港の地元 文化の特色が削られ、来港者の香港に対する印象に大きく影響する」と述べる。なぜなら「大陸からの旅客は数日香港に滞在するだけで鼠楽園に一日費やせば香 港の印象=鼠楽園となる」ためだそうな(笑)。健威兄「それじゃカリフォルニア、巴里、東京が地元文化に影響受けているか」と。鼠楽園は鼠楽園。たかだか 清涼飲料水も普通の人には何でもないが糖尿患っておればジュース1缶見ただけで「ぞっとする」ようなもの。鼠文化をどう語るかは自由だが、鼠来襲だけで香 港の地元文化の盛衰うんぬん語ることの胡散臭さ。御意。

九月五日(月)快晴。昨日の陰鬱なる雨空一転し雲一つなき快晴。気温摂氏三 十度ながら湿度低く甚だ快適。早晩にジムで一時間約10kmトレッドミルにて走る。要減量、なら運動ばかりか生活すべて節制すべきところ帰宅してズブロッ カをロックでさつと二杯飲んでは元も子もない。ジムでテレビモニタに報道番組映り携帯のラジオにて音声聴取可。三十分の報道のうち十分を香港鼠楽園に当て る。米国のNew Orleansの惨状、米国が民主と平等社会に非ず貧困なる差別社会であると市民泣いて訴える。晩のNHKのニュース10にて今井環は「なぜアメリカのよ うな豊かな国で?」と疑問提示していたが『マルコムX伝』であるとか本多勝一の『アメリカ合州国』を高校生の頃に読み「現実はこんなものか」と思わされた が当時から根本的に何も変つておらず。
▼衆院選挙。民主党はもつた簡単に「政権交替してみませんか?」と訴えるだけでよし。小泉賛成は郵政民営化について郵便貯金37兆円については触れるのを 避け「33万人の公務員が削減できるのです!」とわかり易い説得。一国の首相としてレベルの低いこの演説にレベルの低いワイドショー以外関心のないオバサ ンが「純ちゃーん、頑張ってー!」と声援。普段あまり人に相手にされていない人にとつて「ずっと人にあまり相手にされてこなかった」小泉三世が頑張ってい る姿は自己の投影。小泉自民党圧勝は濃厚。これまで自民党に投票してこなかつた、この人たちが政局動かす。小泉三世は己れが首相として有終の美を飾るため 郵便事業に携わる33万人をまるで諸悪の根源、邪魔者の如き扱い。33万人全員が小泉自民党に烽火をあげるだけで多少は政局も流動か。「私が首相になれば 郵政民営化はやる、とわかっていて私を自民党は総裁、首相にした。それなのにいざ私が郵政民営化しようとすると反対する、これは……」と小泉三世訴えるが 問題は郵政民営化の是非だけに非ず小泉三世の暴走に対する党内の反発。それが、反発派は旧来の自民党の体質、の象徴となり小泉三世はそれを変えるために自 民党が割れる危険犯してまで党内改革に挑んでいる、となる。あまりの弁舌に自分で酔つたか小泉三世、郵政民営化の実現に向け「堪え難きを堪え……」と口に したが、さすがに「忍び難きを忍び」とまで言つてはまずいか、と躊躇し「堪え難きを堪え……これまで郵政民営化の実現に向けて」と演説。何でも口にできる 人。「本来、郵政改革は民主党が言うべき」「なぜそれを自民党が」「なぜ小泉が」と民主党に流れる票も取り込み。間違いない小泉圧勝であらう。
▼比較文化論。海外にいる日本人の高校生とか大学の専攻に「比較文化論とかがいいと思って」といふ学生少なくなし。少なくない、どころか多い。海外に生活 することで日本と海外の文化を比較研究できる、といふ安易な考え。同じ環境でも日本と海外の政治、法体系でなく文化というのが「そのへんにある」から手っ 取り早い。で発想が安易であるし、うまくいつてテレビの評論家か随筆家にでもなれればいいが「使い物にならない」のが事実なので「やめたほうがいい」と言 つてきた。朝日新聞に比較文化論では有名な法政大学の王敏教授の「日本の秘められた文化力」といふ文章あり。王教授の結論にある、日本文化の「こぢんまり とまとまろうとする美意識の中に、しとしとと降る小雨のようなパワーが秘められている」のであり「政治や外交できしみ合ったり、歴史を教訓にできない愚行 を繰り返している今の世の中では、決して背伸びしない文化力こそ、平和のキーワードになるのではないだろうか」と、その結論に異論はない。しかし気になる のは比較文化でよく取り上げられる「一例」である。一例を見て「日本では」とか「中国では」と論じることの危なさ。例に挙げられる事象、行為の多くが、一 般的でなく珍しいから観察者の目に留まった、実は「異例」であつたり、一般的な事象や行為でも観察者の「思い込み」や誤解で分析されることも屡々。この王 敏女史の文章にも、日本人が中国で皿に盛られたアヒル料理が供されると「自然なしぐさでティッシュペーパーをポケットから取り出し、アヒルの顔の部分に そっとかぶせた」行為を取り上げ王敏女史は、それを「日本人の生き物に対する優しさの表れかしら」と述べる(笑)。このアヒルの顔に葬儀じゃあるまいし白 いティッシュかぶせる行為など異例も異例。私は見たこともない。寧ろ「やだー、恐い〜!」とか宣ふ者もいるが、アヒルの頭を齧ってみたり口にくわえて「グ ワッ、グワッ」と啼いてみせたりする輩もあり。かういふ「野蛮」な日本人も少なくない。偶然に遭遇のアヒルの頭に白いティッシュかぶせた日本人で日本人の 文化、思考全体に拡大解釈してしまふ、それが比較文化論の恐さ。このアヒルの頭にティッシュは本来、たんに「日本人にも変な人がいる」だけの話で推論も 「この人は魚の活作りを食べる時はどうするのでしょう?」と展開すれば面白いだけの話。また日本を訪れる中国人観光客に日本の第一印象を聞くと「日本では 道路でも室内でも、生活の音がすべて小さい。会話の日本語もささやきみたいに聞こえる」と言ふ。だが香港で旅行する日本人の観光客の声もデカいし日本に帰 ると新宿駅前のあのスピーカーから流れる音声広告の騒音や列車の中での車掌らのアナウンスの量に呆れる。飲み屋の酔つた客の大声など指摘する必要もあるま い。私自身、比較文化論の先生に延々とステレオタイプ化された日本社会について、それも楢山節考から、で話され閉口したことあり。比較文化論の恐さ。
▼最近あまり引用もせぬ信報の林行止専欄だが(八月の多くは休暇中で書き溜めの文章など多く、それも「便所」や経済学理論など林氏の個人的関心強き事項多 し)スクラップ読んでおれば八月廿九日の専欄に「派米」についての文章あり。派米は「平安米」の施し。平安米は毎年、夏の終わりの盂蘭盆の季節に慈善団体 が言わば義援米を老人家に配る習わし。昔からあるが「気持ち程度」の施しがここ数年規模拡大し給付の米の量も5kgや10kgまで多くなり老人とはいつて も気力体力ある老人らいくつもの義援場所周つての平安米収穫がエキサイト。数時間並んでの平安米の配給開始で怪我人どころか、ついに心臓発作だかで死者ま で出る始末。この死し老女が倒れた現場をテレビカメラがとらえていたが長蛇の列に並ぶ者が一瞥しただけで助けもせず。驚き。それにしても貧困ならまだしも 「家族からは要らない」と言われていても平安米を数時間並んで得る事実。派米が老人をなぜここまで興奮させるのか。自宅からの交通費、待ち時間など考えれ ば数kgの米を得てもお得とは思えぬ、といふのが一般的な見方だが、と林止行氏は述べて「だが、実は経済学的に「総価値」で考えれば、けして理解しえない わけでもない」と。面白い。米ぢたいは僅か数キロであるが、この派米に参加する老人らのために派米の福利団体が提供する(米の準備のための支出以外の) サーヴィス、また警察が警官を派遣し現場の整理にあたり、負傷者が出ること消防署が救急車を動かし医療機関も負傷者の介護に当たる事実、などなど派米に関 わる様々なコストを総計すると、数kgの米の総価値はかなり上昇し、それが老人らが交通費と数時間並ぶ苦行経て得る価値に相応するもの、と。学問をこう面 白く流用するのが(前述の比較文化論の怪しさとは異なり)林行止の筆致といふもの。

陰暦八月朔日。雨音に目覚める。競馬今季開幕の出足挫く雨。「自民優勢過半 数の勢い」と朝日の見出し踊る。最低でも234議席は反小泉勢の離党後の公示前212議席からすれば大勝。公明党と組み安定多数確実。築地のH君は不在者 投票済ませ仏蘭西から西班牙を旅して葡萄牙まで三週間の旅。自民圧勝の選挙結果を生で見なくて済むのは不幸中の幸いか、とH君。雨空眺めつつ新聞読む。競 馬予想。
6月に競馬終わつてから地味に蹴球で鹿島アントラーズに時々賭けてはいたがジョッキー倶楽部の口座開けてみると6月の 残高がほぼ倍になつていて驚く。鹿島神宮の御利益か。昼に空もどうにか大雨の気配なく旺角。楽園牛丸大王にて牛丸河粉食す。花園街の藝達デジタル機材公司。鹿島の 配当の一部でNikkor AF70-300mm f4-5.6G(こ ちら)のズームレンズ購入。本当ならAI AF ED70-300mm f4-5.6D(こ ちら)が欲しいところだが先考の遺せしAF70-210mm f4が十分にデジタル一眼でも使える高級レンズ。あくまで気軽な持ち歩きに廉価なるGレンズ購入した次第。競馬。行政長官盃は雨の悪馬場でWhyte君騎 乗の水星(Figure)を軸に芙蓉鎮、星運爵士(The Duke)に流すがMoore厩舎の歩歩勇(Able Prince)まさかの一着でMoore調教師絶好調で本日9レース中4勝で騎手のRodd騎手も本日7戦3勝(すべてMoore厩舎馬)1亜1季2負。 第4レースで1〜3着的中で本日の投資分は回収。本 日のTriple Trioは第4レースで3頭的中で残り2レースも2頭ずつ当たつてはいるが9頭中7頭当たり「なぜあと2頭」が当たらぬ。もう三度目か。一点買いで7頭当 たるだけ一銭の配当にもならず。早晩にFCCのバーで最終2レース眺めフィリピン産のサンミゲル(瓶入り)1本とウイスキーソーダ2杯。お出かけから帰り のZ嬢も来て一憩。Oliver'sに食材購い帰宅。夕餉。NHKの「義経」見る。壇ノ浦は金粉ショウで義経が船から船へ飛び渡る曲芸。歌舞伎なら大物浦 で碇知盛の大詰めだが、いやはや平家の女方らの入水など見たくもない実写見せるばかりで何ともお粗末。
▼八月末からのあちこちの自然災害だの惨劇つづき詠む。
虫も啼かず ひと哭くばかりか葉月
▼香港芸術発展局の資金提供にて香港での舞台芸術のサイト出来上がるが写真の良さが評判(こちら)。

九月初三。土。曇。朝寝貪り八時頃に起きてぼんやりと朝食済ませ新聞読んで おれば午前九時より北京にて抗日戦勝利六十周年記念。テレビ放送の現場中継。天安門広場にて人民英雄記念碑に献花式典あり。それを眺む。旧暦は七月も晦かの今日。北京は天高く青空に軍の放つ祝砲が、祝砲ながら救国の戦さに命なくした兵を讚へての数十 発の砲音。静かな北京の空に響く。国家首脳に続き多くの抗日戦のヴェテランの老兵が天安門広場に集ふ。彼ら老兵は抗日戦に戦ひ救国のあと人民共和国の建国 後に反右派闘争、文革にて言葉にならぬ苦労もありなむ(このへんをバカつやな評論家が論はぬこと願ふばかり)。祝勝記念日に敢へてそれを語らぬ。が二十歳 の頃に抗日戦で五旬の齢ひまで<国家>に弄ばれし半生を、この北京の青空に老兵何を反思するか。英雄記念碑での献花に続き人民大会堂にて「抗日戦争・世界 反ファシズム戦争勝利60周年」記念式典開催される。胡錦涛国家主席が共産党主導による抗日戦に不屈に戦つた中国人民の勇志讚へ日本の靖国神社のA級戦犯 合祀に苦言。日がな土曜。昼まで拙宅にて机まわり片づけ普段厭ふ掃除など。昼に出街。湾仔。三聯書店。中国旅行社に寄る。永華麺家に牛南麺食す。金鐘で午後遅く会合。一瞬FCC にて一飲と思つたが三夕も続けては、と断じ帰途につく。朝鮮食材の店に生菜、紫蘇など購ひ自宅に先日北角在住のA奥様より頂戴せし仙台の牛舌など焼いて食 す。麒麟麦酒ラガー1缶。眞露二合。NHK特集にて「沖縄、よみがえる戦場」観る。この番組が中国での抗日勝利六十周年の晩に放映されしことも「バカつ や」な評論家が非難せぬこと祈るが。集団自決。一瞬、なぜレジスタンスせぬのか?と思ふが、その発想こそ愚の骨頂。仏蘭西なら敵はナチスとナチス傀儡の自 国政権「だけ」乍ら沖縄にては敵は米国とそして皇軍の両者。とても抵抗など出来ぬまひ。驚くのは自決が敵に辱められるのなら、と天皇陛下のためと自決す る、その意思をば育みし教育。明治の二十年代に、幕末からの薩長の田舎侍の尊攘とは一線画す国家主義現れ沖縄にてのこの国家主義教育の徹底は果たしていつ 頃からか。少なくとも半世紀にも満たぬ数十年にて「陛下のため」と死ねる覚悟まで育めし精神が<教育>により培われたりと思へば国家による教育の威力のそ ら恐ろしさ。それゆへ「つくる会」の教科書など断固否定すべき。来春の採用を10%期待のつくる会もつくる会だが反対勢力が「つくる会」の教科書採用が 0.4%だかに納まりしこと「良識」などと糠喜びも呆れるばかり。右翼の皇國主義私立や石原慎太郎の都立中高一貫校ならまだしも栃木の在郷ばかりか東都杉 並区でまで採用の事実を深刻に受け止めるべき。番組に沖縄は読谷村にて4歳にて終戦迎えし女性現れる。米軍上陸に脅え洞窟に隠れるが米軍の捕虜となり集団 自決する皇民のなか彼女ら家族は米軍に捕らえられ鬼畜生の米軍に食料与えられ餓え凌ぐ。が不幸はここから、にて米軍に手懐けられし蕃民が米軍のスパイとな ること恐れたる山中に潜む皇軍は無残にも天皇陛下の赤子たる沖縄のこの集落の皇民をば三十数名殺害。この女性の父は咽喉に刃物刺された上に両膝の裏側に 「日の丸だ」と刃物で丸く刳り貫かれた、と。これを見た、この女性の四歳上の当時八歳の兄は衝撃に精神錯乱に陥り戦後六十年、施設にて療養の日々。この自 国民殺害の兵も戦の悲劇の被害者か。その殺害の事実をば手記に残せし老兵の自筆の原稿用紙が画面に映る。もう彼の兵隊は憎むまひ。だが、彼らをば国家主義 の似非神道にて英霊と祀られし「神社」は恒久の平和願ふ処か。これには「否!」と敢えて断言すべき。「日の丸」もこの読谷村の男性の膝の裏側に皇國兵士に より刃物で丸く抉られし深紅の窩が「日の丸」かと思へば我が国の国旗と誇りなど持てようものか。「国歌斉唱、ご起立願います」の際に(といいつつ学校で は、この国旗国歌の「強制」避けるため、入学式だの卒業式では児童生徒入場の際に保護者来賓に「ご起立願います」とやつて児童生徒入場せば全員起立のまま 済し崩し的に、だが)起立して、その壇上の「日の丸」を崇め「君が代」歌ふ際に、己の両膝の裏にぐつさりとこの刃物で丸く抉られし深紅の窩を痛みいるべ き。日の丸になほも哀しき涙あり。「日の丸」を否定するか(つまり革命)、もしくは敢えて自国民の、それも敵国の侵略に抗戦し命落とせし民どころか自軍の 兵に殺害されし民あり、といふ最大なる悲劇に「日の丸」をば敢えて掲げ、それが平和なり自由なり平等なりの旗となるべく自慮努力するか(これも亦た革命) 何れかしかあるまひが、いずれをも知らぬふりの戦後六十年が今日の日本の姿。この秀逸なるNHK特集(受信料であるとか余の場合、月に七千円程NHK視聴 のために払うが、その価値もあり。このテレビ局が自民党だの似非保守右翼の政治力にて偏向せぬこと祈るばかり)のあと「とっさのひとこと」なる英会話の短 い番組あり。米国のスーパーマーケットにて割引のクーポンが使えますか?と“Do you accept this coupon?”の1フレーズが今晩の学習。沖縄にて昭和二十年に、明治二十年以降の国家主義にて「陛下のために」と命落とす国民をば養成に成功し、戦後 も六十年で国旗に頭べを垂れ国歌斉唱を何ら疑問なきものにせし教育が、実は就学率ほぼ100%の義務教育どころか世界でも有数の大学進学率誇りながら “Do you accept this coupon?”すら今さらテレビで教えねばならぬ現状。愛国心よりも何が実際に教育に必要なのか?を真摯に考えるべき。モルト酒 Bowmore12年を二杯飲む。

九月初二。金。薄曇。バグダッドでの米軍統治下での数千人死亡の惨禍に続き 米国はニューオリンズがハリケーンの二次災害での洪水で数千人が命落とし(あのニューオリンズの救援の貧しさは何なのだろう。イラク侵略統治など止めて国 内の災害救援でもすればいいのに)、台湾は記録的な大型台風が襲い香港は家禽ウイルス、豚の連鎖球菌に鰻や淡水魚に発癌性物質、今朝の新聞にはメリルリン チ証券で年収数億円のユダヤ系米国人投資銀行家が03年11月に陽明山荘の自宅にて殺害された事件で妻が終身刑の判決、先週だか新界で7歳の塾帰りの少年 が賊二人に刃物で腕切断されかけ重傷は、この子の父親の浮気に嫉妬の義母(この少年の生母と父は離婚)が大陸の殺人請負業への委託。空恐ろしい話ばかりの 世の中なり。ハッピーヴァレイにて文房具屋に寄ろうと思へば隣の診療所の前で電話工事で水道管砕いたらしく噴水甚だし。文 房具屋シャッター卸しとても近づけず。Nikonの香港事務所にてデジカメD70sの取扱マニュアルを英語から日本語に交換。さすがに写真撮影などになる と日本語が、と思つたが外来語多く余計にわからぬ点も少なからず。マニュアルの他言語への交換、新規購入に融通きくのはさすがニコン社。Filofaxの 06年のリフィール出ており購入するともう気分は初秋。週末の競馬の予想紙並ぶ。季節到来。開幕日の香港特区行政長官盃は芙蓉鎮(Town of Fionn)、星運爵士(The Duke)に水星(Figures)と予想したい。The Dukeはあまり好きではないが行政長官盃といふことでSir Donald(厳密には彼はKnightであるが)は恐らく競馬場には来ぬだろうが爵士といふことで。衆院選挙。香港総領事館にて投票。早晩にFCCに憩 いハイボール二杯。酒を飲みながらのんびりと余の日剰の或る読み手の方からの優しいメールに返事書いて送信せばYahoo!メールの広告にデカデカと
同じスタートラインから何度でもチャレンジできる社会。民主党
と宣伝が。国政で政権狙う政党は「同じスタートラインから何度でもチャレンジできる」と思つていたら社会党と同じ轍を踏むことがわかつているのか民主党。 帰宅途中にジャスコで菊正宗、いいちこ、サントリー白角淡麗の三本購入。サントリーの黄角が香港に卸されてないのが残念。晩飯にNHKの9時のニュース見 ていれば「最近、バンコクで日本人の女性を狙った犯罪が増加しています」と。またロクでもないニュースと期待。昨年一年で90件以上。案の定、女性が若い 男性数名に誘われディスコなどに軟禁されクレジットカードでの買い物を強要され……と。誘拐であるとか強制連行ならともかく「誘われるほうがバカ」の類の 話、がアスペスト関連の法基準制定のニュースより先になる不思議。数日分の新聞読みNikonのD70sのマニュアルも読む。
▼信報月刊に八月に米国から帰省中の元保安局長葉劉淑儀のインタビューあり。基本法23条立法に失敗し世論の反発くらい辞職の横柄なゲシュタボ局長も政治 から離れだいぶ険がなくなり尼僧の如く表情も和らぎ掃把頭(菷頭)と笑われた髪形もイメチェンして「きれいで知的な中年女性」と化す。当時「ヒットラーも 市民の直接選挙で選ばれた」だの「23条に関心のある市民などいない」といつた世論無視の言動が失策であつた、と認めつつ、言葉も和らぎ23条立法は当時 の行政会議で立法日程が立案されたもので自分一人が立法急いだのではなく保安局長という立法に直接責任のある立場で政府高官の問責性に則り立法推進したも の。だが実際には自分と法務長官の梁愛詩、政府の法律政策専門官の区義国と掃把頭子飼いの湯顕明(現在、税関長)の4名が奮闘しただけで他の問責局官員は 退いてしまつていた。自分はこの法制化のメッセンジャーでありメッセンジャー一人撃つても事は解決せず。ブッシュがイラク政策の失敗でも引責辞任せぬの に、と自分が世論とメディアの攻撃の矢面に立たされ一人引責、と回顧。香港の政治行政について政務官(上級公務員)はわずか数百人で香港の目前の複雑な局 面で政務官に任される任務は大きいが行政に政治的要素や法律など専門性が加わることの難儀を指摘。だいぶ「角もとれた」掃把頭であるがやはり許せぬ敵は許 せぬわけで立法会で「三無局長」「騙子」と罵られた東亜銀行頭取李Baby國寶や民主党の涂謹申議員(最近、議員事務所経費醜聞で立場なし)に厳しい苦 言。で最近は九月からスタンフォード大学の博士課程で中国歴史と文学を研究だそうな。
▼中環のMTR站にあるGiordanoの店は香港鼠楽園開園で「二匹目のネズミ」狙いで米奇ネズミや白雪姫キャラのTシャツ一色。香港天文台までが香港 各地の気象データ見せるサイトでなぜかランタオ島に近い坪洲のみカメラ具え(ヴィクトリアピークにすらないのに!)24時間、坪洲からディズニーランドが 眺められるサービス開始(こ ちら)。昨年のGreenpower香港トレイル50kmが香港鼠楽園がスポンサーとなり「敢えてスヌーピーのTシャツ」で参加し抵抗示したが香 港鼠楽園には行く気もせぬが帽子からTシャツ、靴までPeanutsで訪れると入場阻止されるのだろうか。
▼『コンセルジュ香港』誌の巻末にフーディ=ウィリーといふ人の「今月のうまいもん」といふレストラン紹介の頁あり。フーディ=ウィリーといふ人、本人の 写真なければ誰だか見当もつかぬが、これが唯霊氏。40回の連載になるが不思議なこと一つあり。あちこちのレストラン紹介するが唯霊氏の信報の連載と「か ぶる」のは余の印象に残るのは中環の京味居など幾つかのみ。あとはこのコンセルジュでの連載は信報の連載を読む者としては「唯霊氏らしくない」店の紹介が 多い。当然、食して評価できる店を紹介しているのだろうが信報の連載のなかだけでも唯霊氏の週の半分近くの食生活は見えるわけで、行きつけの店がかなり多 く、そのなかでどうやつてコンセルジュに紹介している店に訪れるのか、と思ふ。而も信報の連載にコンセルジュで紹介の店が紹介されることなど余の知る限り 皆無に近い。コンセルジュで紹介する店は新しい店が多いことが気になる。おそらく、であるが唯霊氏は食道楽の評論家であるだけでなく香港飲食店経営者協会 の代表者である、と書くとあまりピンとこないが英語名はFederation of HK Restaurant Owners Ltd.=私営企業でこの代表である。香港の飲食業発展に寄与しているといえばその通りだが当然、唯霊氏に評価され=宣伝されること期する経営者にとつて 大切な組織で、唯霊氏の立場はたんに食通の随筆家にあらずプロモーター。コンセルジュで紹介される、唯霊氏がそれほど頻繁に訪れているとは思えないレスト ラン。ゆへにフーディ=ウィリーは唯霊氏とは別、と思つていたい。それにしても、蔡瀾が美食坊なるテーマーパーク的な飲食施設を香港ばかりかマカオにまで 作り(東京進出も必至であろうが)単なる美食家でないように唯霊氏も評論家でありながら飲食店経営者協会の代表といふのも「むしのよすぎる」話。
▼今月下旬に予定される立法会議員の広東省視察で注目される「長毛」梁国雄君の言動。本人もこれまでの反中央の立場でどうするか悩むところであろうが陶傑 氏が今日の蘋果日報の論壇で「毛沢東とて蒋介石との国共合作図るため延安から重慶談判に飛び蒋介石と面会した際に「打倒国民党!」「このハゲ頭!」と叫ん だか」と。叫ぶはずもなく蒋介石と杯を交わし最後には蒋介石委員長万歳とまで宣ふ。梁国雄君も広東省の珠江デルタの経済発展の視察なら香港資本の工場で労 工が心血注ぎどう働いているのか、湖南省出身の作業員と一緒に食堂で飯を食い日当がいくらかのか尋ね中国の現実を見ればよい、と。
▼昨日の信報に郁慕湛といふ人の上海が国際金融中心に成り得るか如何の論文あり結論先に述べれば、否定。上海すでに国内の金融中心と成り得たが、国際金融 中心と成るに難き理由のまず一つが「首都にあらぬ」こと。中国の経済金融の監管部門が北京にあり中国の四大商業銀行の本店も中国人壽など三大保険会社も証 券会社から国債ま迄全て、更に国際企業の中国の本社の多くも北京にあり。紐育は首都に非ずとも国際金融の中心であるが少なくとも米国の金融が紐育にて動く のに対して(華盛頓の政治と紐育の政経分離)上海が担う金融は北京の匙加減一つで如何様にも動くもの。さらに国際金融都市になるには人民幣の自由兌換含む 金融自由化、健全に金融市場を護る法律体系が必要だがこれが備わらず上海自身が自主的に経済政策決定できぬ状況で国際金融センターに如何になろうか、と。 確かに。だがそれでも投資のために国際金融センターらしく見せることは難易ならず。法体系が整備されるのと儲かるのと、どちらが大切かといへば投資社会で は後者。国際金融中心の環境整備された香港と環境整備はひどいものだが儲かる上海のいずれがお得かは明らか。

九月朔日(木)巴里のオペラ座より初秋からのオペラの季節開幕で案内のメー ル届く。初秋の巴里の空を思えば、ため息。本日、毎年恒例の学校始業の日。通学バスの渋滞混雑予想されバスの中で新聞数紙読了の心意気、iPodで Rubinsteinを堪能のつもりで、バス渋滞での大気汚染にマスクまで携え完ぺきな準備。北角波止場前のバス停で運輸署の小役人が現場視察でテレビ ニュースなどの取材でも受けているか、と思ひデジカメもすぐに撮影できるように準備して……が何もなく道路の渋滞混雑も予想の範囲。聞けば今日の混乱予想 し通学時間遅らせた学校や明日は金曜日で始業を来週月曜日とした学校もありとか。老ひの所為か冷房の寒さ堪えるが半袖の人ばかりのなかカーディガンなど纏 ふも恥ずかしく、室内の冷房気温上げれば他者から「暑い」と苦情必至。日 本では室内気温は摂氏28度奨励でかなり暑いと感じたが香港ではこの部屋も先日購入の温度計では25度だが場所によりかなり寒い。香港で日本人が「冷房が 寒い、寒い」と苦言するが、その多くが職場で中間管理職。つまりオフィスの窓や壁を背にして(窓際族かも知れぬが)坐り、実はこの場所といふのが冷房の風 向きはオフィスであると意外と直接、人に当たらぬようにと風向きが上向きになつているケース多く、すると天井近くを走る冷気が壁や窓に当たり下向きに折れ るわけで、この場合、冷気の直撃受けるのが窓や壁を背にする人、となる。で防寒で何が出来るかといへば「せいぜい風向きを変えること」くらいで送風口を、 まず風向きを下にして風が窓や壁に当たらぬようにすること、そして自分の方向に向く風を一部遮断したり「とくに暑がる人」のほうに向けること。これだけで 同じ室温でも自分の居場所の体感気温はかなり下がる。早晩に中環に赴き諸用済ませMandarin Oriental Landmark通つたので試し に噂のMO Barで一飲と思つたがご盛況で満席。FCCに一憩しハイボール二杯。新聞読み。昨晩和仁廉夫氏来港で聯絡い ただき晩に中環の蓮香樓。某通信社の特派員S氏、フリーライ ターのK氏らと食し歓談。帰宅のつもりでMTRに乗つたがふと銅鑼湾で降車しバー Sにより駆けつけでハイボール(氷なしがお好き)一杯と「あとを惹かぬように」スプリングバンクを水割り(水1に対してモルト9を注ぐテイ スティングの基本)で一杯。ご亭主と必要なだけ手短に雑談して三、四十分で暇する。
▼勝谷誠彦氏が衆院選挙公示日の各党党首らの選挙演説を見るにつけ有権者が携帯を掲げ写真撮ることに熱中すること「かつてドイツでは人々は右手を掲げて 踊った。今この国でも愚民は右手を挙げて殺到する。しかしその手にはこの国が生み出した馬鹿生産のためのオモチャが握られている。この光景の映画的悲喜劇 の面白さを何故誰も指摘しないのだろう」と苦言。確かに不思議な光景。先のローマ法王の葬儀の際もバチカン訪れた信者らが多くが携帯を掲げて葬儀の儀式を ば撮影しているのを見て法皇の葬儀に参加してもつと厳粛な気持ちにならぬものなのだろうか?と疑問に思えた。そもそも携帯にデジカメ付帯したのは、携帯で 電話の際にその場の光景など便宜的に撮影して相手に見せるだめ、であつた筈。今ではすつかり画質も向上しているが個人的にはあの携帯で撮影する姿勢が恥ず かしく(モニタ画面眺める表情がとても間抜け)携帯はデジカメ機能のないものを用いるがデジカメ機能のない携帯捜すほうが困難で香港のCSLには Nokiaの比較的古い機種が残るが、それでも残る理由はやはりユーザーのなかに「デジカメは不要」といふ者少なからず、のためらしい。やはりそうであろ う、良識ある人はいるのだ、と思つたが「ですが年配の方ですね」と職員。デジカメもモニタ画面眺める表情が間抜けに思えるのは携帯でのデジカメ使用時も同 じであるから(一眼レフのデジカメであれば別だが)普段はContaxのU4Rを持ち歩く。余は「低いアングルの写真が好き」と思われているが、そうでは なくデジカメで撮影している、と思われるのがイヤなのでU4Rならできるヘソくらいの位置で撮影するため必然的に「低いアングル」になる。
▼IHT紙のビジネス面(Bloomberg)の署名記事で小泉三世を「改革、改革といふが小泉改革はゴルバチョフ型の撹乱ばかりで国営企業民営化もサッ チャー型の建設がない」と酷評。郵政民営化も郵便局の運営組織改革は別として、国債絡みで郵便貯金の資金の市場流出についても懐疑的。
▼昨晩のニュースで見たイラク首都バグダッドでのスラム教シーア派教徒数百人の死亡。イラクでのイスラム教内部での宗派対立が原因といふがチトーのユーゴ スラビアが自由になつたらのあの内戦を思い出すばかりかフセインといふ独裁者の排除はイラクのためのはずが結果的に一人の統治者が消えたらのこの内乱ぶ り。宗派対立も結局は米国によるイラク征伐と占領に諸悪の根源あり。その米国の野蛮行為を支持した英国や日本の首相の責任は大きいわけで本来、今回の衆院 選挙でもその点が問われるべきであるのだが。昨晩のNHKのニュースではバグダッドでこの惨禍に遭遇した市民が「橋のむこうのゲートを米軍兵が閉めたこと が被害を大きくした」と指摘していたが今日の朝刊各紙ではこの点は見当たらず。
▼香港養和医院の李樹培院長逝去。享年102歳。生涯現役で特約門診部にて診察続けの大往生。
▼太古坊の同楽軒は5月、Champion Mileに来港の競馬の入江さんの所望で斎藤さんと食す。美味秀逸。で昨日の信報に唯霊氏がこの同楽軒のことを綴る。日曜の晩に予約なしでふらりと訪れた 唯霊氏。案内嬢に「お名前は?」と笑顔で尋ねられたのもご愛嬌だが(香港で唯霊氏の顔を知らぬとは……北娘か?)上客相手のこの店で日曜晩に待たされたも 驚きの唯霊氏に支配人から賃貸の契約更改終わつた話聞かされ、今どき美談、と唯霊氏驚いたのは家主であるSwire集団は好景気にもかかわらず家賃値上げせず、と。家賃高騰でいくつもの 老舗の飲食店が閉業するなかでの、この善意。同楽軒など景気の浪もろに被るバブリーな客多き料理屋で不景気のなか営業は身を削る思いで支配人曰く「最低消 費」など限度額撤廃し鮑魚、魚翅、燕窩に執着せずさまざまな料理のバラエティ広げ今日まで生き延びてきた、と。唯霊氏といへば先週だかに月餅のこと書い て、この同楽軒の月餅が香港では古法に則り美味と讃める。

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