八月卅一日(金)快晴。アタシが香港で今、一番好きな随筆は畏友William鄧達智君によるもの。昨日の蘋果日報の「台北」と題した文章。
執筆忘記怎麼樣開始。五年沒來台北,一下間眼前景物以舊還新,欲説
無語;當然,來,是為公幹,才着地還是堤電話給老朋友,嗨!我來了。「我來了」其實沒甚麼意思。你來了如何? 生活還不一樣過,以為你自己是一道魔法?
時間將一切清洗,有首又甜又軟又不失感傷不算很老的老歌叫「冬季來台北看雨」,這種情懷莫以為只有台灣人有,但就是台灣人唱了,做了,就是你跟着他們一起
非情才不會覺的肉麻。在香港,我們只能說冬季來香港看珠三角毒霧。朋友說台北還是老樣子啊,你不是愛夜逛台大校園,散步陽明山竹子林,到金山泡溫泉,看宜
蘭水鄉……到記得很清楚,這麼近那麼遠五年沒來過……
と、この筆致、声に出して読むとこれがさらに良い。夜に台湾大学のキャンパス、陽明山荘の竹子林の散歩、か。M君より「珍しいお茶が手に入ったので」と連
絡いただき早晩にQuarry
BayでM君と会い蜜香紅茶なる茶を分けて頂く。旭屋書店でアサヒカメラと日本カメラ受領。酒でも味噌でもそうだが二つ並べて嗜んでみてこそ違いがわかる
わけで雑誌も同じカメラ誌を並べて読むとそれぞれの個性あって面白い。アタシは子供の頃に父がアサヒカメラ愛読していたのでその頃から馴染んでしまうと自
然にアサヒカメラを手に取る。時刻表がJTB版なのか鉄道弘済会版なのかみたいなもの、といぜん書いた、がふとしたきっかけで日本カメラとお近づき?にな
り読んでみるとここ数ヶ月でいえば奇を衒わぬところとカメラ雑誌なのに写真の扱いが大袈裟ぢゃないところが気に入ってしまった。ジャスコで購入のCh
Peyre-Lebade
03年を少し飲む。先に葡萄酒を購い旭屋書店に寄ったのだがジャスコでお買い物のレシート見せると雑誌が1割引きの由。でカメラ雑誌も1割引き。円高で換
算が0.11だかになっていた。ということは1000円の雑誌がHK$110で1,631円也。これじゃ雑誌購入も躊躇しよう、というもの。
八月卅日(木)こんにちは、安倍晋三です、と木曜朝。
先月の参議院選挙の結果で示された、国民の厳しい声を真摯に受け止
め、美しい国づくり、新たな国づくり、そして改革を再スタートさせるため、今週、内閣改造を行いました。これまでの、閣僚による不適切な発言、政治資金の
問題、年金記録問題などによって失われた、政治や行政に対する国民のみなさんからの信頼を取り戻すため、新しい内閣のメンバーとともに全力を尽くす決意で
す。(略)今後、政治資金の問題が指摘されれば、閣僚には、国民に対してしっかりと説明をしてもらいたいと思いますし、十分な説明ができなければ内閣から
去っていただく。そうした覚悟で閣僚になってもらいました。(略)こうした反省の上に立ちながら、今後とも、改革は続けていかなければなりません。これ
は、決して変わることのない、私の信念です。私たちは、将来の世代に対して責任を持っています。人口が減少し、経済がグローバル化する中でも、日本が今後
とも発展を続けるためには、厳しくとも、今、改革を前進させなければなりません。戦後つくられた、憲法を頂点とする様々な仕組み、教育や公務員制度などに
ついて、時代の変化をしっかりとふまえ、原点にさかのぼって大胆に見直していくとの方針は、今も変わっていません。(略)参議院では与野党が逆転していま
すが、国民のためによりよい政策を実行していく、との思いは与野党を超えて共通のもの。野党のみなさんと堂々と議論し、理解を得るためのあらゆる努力を行
いながら、国づくりをしっかりと前に進めていきます。
……とまるで「わかっちゃいない」。参院選挙で示されたのはお題目ぢゃない実務的な経営を期待する国民の阿部政権の「美しい日本」だか何とかの意味不明の
「戦後の見直し」の大風呂敷に対する三行半。それでもまだ「頑張り鱒」と。本日、早晩に中環はQueen Victoria街の
集古齊に参る。此処で「當代扇骨雕刻藝術」と、ようは扇絵の掛け軸の展
覧即売会あり。先日、尖沙咀でライカレンズ修理の折、David
Chan氏に教えられたもの。会場にいる主催者ら関係者の会話がまぁ賑やかで閉口。ふとマン

ダリンオ
リエンタルホテルの
Chinnery Barに飲む。客は二
組で静寂が良かったがポロシャツに短パンの粗野な某国人二人が入ってきたらアメリカ訛りの英語の声はデカいし携帯は五月蝿い。ドライマティーニ飲む。「ジ
ンでございますか、ウオトカでございますか? ジンの銘柄のご指定は? オリーブはお入れしますか、添えますか? レモンピールは?」と注文は慇懃で細に
至るが、そのわりに酒の作り方は大まかすぎ。金鐘で来港中のT君とZ嬢と待ち合せバスでCaine Rdまでのぼり坂を少し下って墺太利料理屋
Mozart Stub'nに食す。七、八年ぶりか。T君の注文した
Wiener
Schnitzelがいくら薄く切った肉をさらにステーキハンマーで叩くとは申せ、ここまで平べったく、思わず料理で遊んでしまった。葡萄酒は墺太利の
Leo Zweigeltの05年。珍しく前菜、お肉にデザートで満腹。
▼マカオでの大型娯楽宿泊施設Venetian
Macaoの開業は宿泊がチェックインで2時間待たされただの、プールはシロナガスクジラ何十頭分だかの規模のはずが水深1.3mの小さなプール一つしか
出来上がっていないだの、と苦情も少なからず。ところで、このVenetian
Macaoのある埋立地、いつの間にかCotaiという地名まで地図にあり。なかなか響きはいい地名、と思い、音の響きはラテン語か?などとすら想像した
が、ふと思えば、Taipa島とColoane島の間の沼地にあるので、国分寺と立川の間で国立、大森と田町で大田区のように、どうでもいい安易な
Taipa+Coloane=Cotaiで漢字も氹仔+路環=路氹なのであった。
八月廿九日(水)母より九月二日の信州松本でのサイトウキネンオーケストラ(小澤征爾指揮)でプーシキン原作でチャイコフスキーのオペラ「スペードの女
王」の公演、母の知る方が急用あり参観出来ずSS席が一枚あり、と連絡あり。好事家には垂涎三尺。荷風散人も大正15年9月29日に帝劇で観たこのオペ
ラ、「この人ならご興味ありか?」と思って連絡さしあげた方のうちお二人が「昨日すでに観ました」と。さすが。アタシも、かつて大橘(十七代目羽左衛門)
の半世紀ぶり
の台湾は高雄公演に一泊で駆けつけた前歴はあるが、さすがに信州松本は週末に急には行けぬ。本日、晩に大會堂にて「
戯
以人傳 崑劇四大承傳大匯演」あり参観。崑劇は元末より明初に江蘇の崑山一帯にておきた戯曲劇にて崑山腔と呼ばれる独特に高音をいかしつつ低音ま
で音域の広い台詞まわしと歌唱に特色あり。明末清初に全盛を迎え、その後、清の時代は所謂、京劇に押され清中葉以降は徐々に衰退。但し廿世紀に地方劇の復
興あり。舞台装置はせいぜい小さな廟壇と机、椅子程度で演じ手の巧妙な会話と歌曲が主。音楽も絃や笛、琴の調べが優雅。いわゆる京劇の大掛かりな舞台やカ
ネや太鼓の鳴り物勇ましさ、軽業や剣劇的要素は皆無に近し。その崑劇がむしろ今ではその洗練ぶりに関心もたれ、普段の粤劇の公演など爺婆ばかりなのに比べ
今晩もアート系の若者まで客席にはちらほら。この関心は何よりも作家・白先勇が崑曲の復興に努め氏による復活で青春版「牡丹亭」が評判になったこともあろ
う

。今回の香港公演は、崑劇の、上海崑劇団、
北方崑曲劇院、江蘇省崑劇院、江蘇省蘇州崑劇院、浙江崑劇団、湖南省崑劇団の六劇団の混成部隊によるもの。アタシは中国の伝統戯劇については、まだイヤ
フォンガイドでもあればそれが要る程度の初心者で、当然、舞台袖の字幕の助け借りての鑑賞で劇の所作云々にコメントもなし。演目のみ綴っておけば「西遊記
より・胖姑學舌」「綵樓記より・拾柴」「雷峰塔より・断橋」「玉簪記より・琴桃」「單刀會より・刀會」と、「拾柴」「断橋」「琴桃」なんてお題はお能に詳
しい方ならこの題だけからも芝居が想像できるかしら。「胖姑學舌」は三蔵法師の天竺行きを長安で見送る者の立場より、その盛会ぶりを娘二人が祖父に面白可
笑しく語る話劇で、「拾柴」も貧者と寺僧の、いわば狂言。照明も明るい舞台なのに真っ暗な闇の中を表わしたりだの、観客としてインスピレーションが大切だ
から慣れぬとならぬ。「断橋」「琴桃」がまさに能。誰よりも「琴桃」で男役演じた
上
海崑劇団の岳美緹が見事。「刀會」だけがカネや太鼓も加わりの戦記だが、大将が率いる見方の兵の並び具合で船を現したり河から関への上陸など、道
具に頼らぬ様式美が興味深い。15分の休憩はさみ3時間10分の長丁場。一つ、崑劇に限らず京劇でも粤劇でも気になるのだが役者のワイヤレスマイク。拡声
された声がスピーカー通じて大音響で響く。アタシはもともと大音量が苦手で耳栓持ち歩くほど(ほとんど地下鉄などでの周囲の輩の大声や「猿の自慰の如き」
ゲーム機のピコピコ音対策だが)。この伝統劇でなぜマイクが必要なのか、歌舞伎でも能狂言でも地声でしょう、と思う。粤劇も地声で聴きたいもの。
八月廿八日(火)早晩に西湾河。小腹が空き太安
樓の基記水電工程の牛雑の串もの食べようと寄ったら夏は「牛
雑暫停」とあり食い逃し近くの屋台で魚蛋一串。Z嬢に会うといきなり「立食いしたでしょう?」と指摘されドキッとしたらシャツにタレの沁みあり。悪いこと
は出来ず。成安街の珍香園で肉饅と葱餅。明記甜品で緑豆沙加湯圓。安くて美味。香港電影資料館。島津保次郎監督
の『浅草の灯』(1937年・松竹)観
る。十二階が六区の歓楽街の向こうにょっきり、ばかりか鴬谷の鉄道の跨線橋からも遠くの夜景に、で1937年の映画でも場面は大正の浅草、と「懐かしい
ねぇ」。
で六区の浅草オペラの小屋を舞台に売り出し
中のアイドル=演技が下手、は当然で高峰三枝子と上原謙の主演。なにせ俳優役の(老け役になる以前の)笠智衆が渋い役どころ。カッコいい。この『浅草の
灯』で杉村春子がオペラ女優役で映画デビュー。築地小劇場の一女優であった杉村が、性格のきつい浅草オペラの座頭役……ってほとんどニンどころか地で出来
る役どころ。寧ろオペラを歌って踊る杉村春子に驚いたが考えてみれば広島から上京して東京音楽学校の声楽家受験したくらいなのだから歌えて当然どころか、
それなりに美声。むしろ、けして演技が上手いわけでもなく、あの「フンっ!」とした憎たらしい表情を生涯、演じ続け、昭和史に残る大女優となったのだか
ら、立派。で「民主主義に勝る権威と価値観を認めない」と文化勲章受賞断ったのは、さすが築地の出身、と最後は有終の美、か。あまりにも杉村春子の印象が
強過ぎるが、小津の映画ではお馴染の斎藤達雄や西村青児がワキを固め、とくに斎藤達雄のどこまでが脚本でどこからが即興なのかわからぬ、飄々とした様が実
にいい。でもね、アタシの贔屓は何といっても坪内美子(改め、坪内美詠子)。小石川の生まれで銀座のカフェで女給していたのをスカウトされての松竹蒲田入
り、の美子ちゃんが浅草の歓楽街の射的屋に働く娘役なのだから、もう適役中の適役。ヒロインの高峰三枝子と別れざるを得ず失望のどん底の上原謙が関西で新
劇運動する笠智衆のもとを頼りに東都から落ち延びる時、この坪内美子が「あたしも連れて行っておくれよ」と、そりゃ上原謙じゃなくても「ついてきな」とそ
りゃ言ってしまうだろう。でこの映画、今どきの感覚からすると「えっ、こんな筋?」と言うくらい、筋は他愛ないというか、人物の描写など軽薄なのだが、で
も昭和10年くらいの映画、テレビの火曜サスペンス劇場以上の量産で消費娯楽なのだから、あまり細かい注文つけちゃいけない。この映画に出る役者がアトに
なって大スター、名優になったからこそ、こうして今でも香港ですら掛かる、というもの。それにしても坪内美子が銀座のカフェの女給姿、ってそりゃ見てみた
かった。で、まるで地味な邦画でブラック師匠のような映画三昧だが、油麻地のBroadway
Cinematiqueに急いで向う。映画館に着くなり大雨。国際短編映画祭の「三島先生、是你嗎? Is It You, Mr.
Mishima?」で中村幻児監督『巨根伝説
美しき謎』は三島由紀夫と盾の会の姿をパロディでホモ映画仕立て。大杉漣が主演で三谷麻起夫役。三谷麻起夫先生が『ツィゴイネルワイゼン』にでも
出てきそうな、あまりにもいわゆる文学者っぽい文学者で貧弱な身体なのが一瞬、三島由紀夫と似つかず違和感あるのだが、あくまでこれはフィクションです、
で盾の会の制服のデザインといいクーデター計画の内容といい(市ケ谷でなく桜田門)どこか外してある妙。昼は軍隊的な訓練(といっても幼稚)を続ける三谷
先生の私軍、それが一旦、夜になると隊員同士の乱交の凄まじさ、三谷先生も腹心の若者に「先生じゃなくて、麻起夫って呼んで!」「もっと突いてっ」と、い
ちおう、これでポルノ映画らしさ?か。三島由紀夫本人の死後とはいえ、それにしても失礼といえば失礼だが、あくまでフィクション(笑)。この私塾(いちお
う軍隊だが)に入りたての若者と、それの指導役の先輩との熱愛、がいちおう映画の基本の筋、でこの二人が(以下、映画の筋、オチまで……でもこの映画を今
後観る機会のある方も少なかろうし、敢えて書いてしまうが)三谷先生のクーデター=自害の当日の精鋭部隊に選ばれ、明日はその決行という晩に、三谷先生に
「明日はもう散る命、今晩は二人で……」と励まされ、先輩のアパートで最期のコトに及ぶのだが熱中しすぎて朝の決行の集合時間に寝坊して間に合わず、で三
谷先生のクーデターに参加できず「あ〜!どうしよう、死に損ねた」がオチ。本当にここのオチが描きたくて、この映画を作ったのだ、というようなオチ。個人
的に好きだね。だがアタシなら、寝坊して目覚まし時計の時間確認しようとして慌ててテレビつけると、そこで臨時ニュースで三谷先生の警視庁乱入クーデター
の実況中継、流したら良かった。「その二年後」の最後の場面が必要なのかどうか、疑問も残るが、死に損ねの二人の兵士がオカマバーで女装のママとチーマ
マ、というのは、ちょっと筋としてやりすぎのようでいて、だが終戦直後にノガミの山には西郷さんの銅像のまわりにも南方から戻った兵隊上りの男娼が着流し
で随分といたことなど思い出すと、この演出もありか、と思う。それにしても一晩で、なぜ香港でこんな稀な邦画が一晩で日本も観られるのかしら。幸せ。一時
間の映画が跳ねるとちょうど雨歇んだところ。廟街の昔っからある蠔餅を立食いする。脂っこいが年に一度くらい無性に食べたくなる。今日は阿部謹也『日本人
の歴史意識』読む。基本線は同著『「世間」とは何か』(講談社新書)で、それを歴史学者の目から、という感じ。明治に突然「個人」という言葉こそ輸入され
たが個人というもの実際には知らず「世間」という枠の中で窒息していることも知らず、と。御意。
▼エドワード=サイデンステッカー氏逝去。享年86歳。今年四月に散歩中に転倒し外傷性頭蓋骨内損傷で昏睡続けた由。その散歩が上野不忍池というのがサイ
デンステッカー氏らしさ。知己のJB君が十八、九年前だったか、興奮した口調で話してくれたのは、その不忍池湖畔にて氏と遭遇し先生の上野のお宅に招かれ
たこと。氏についてJB君から聞いた逸話も今となっては貴重な記憶。
八月廿七日(月)早晩、銅鑼湾。雲行き怪しく一
雨来そうで(あまり理由にならぬが)久々にバーBに寄る。ドライマティーニ二杯。ご亭主に勧められカナダのCrown
Royalのソーダ割一杯。晩に尖沙咀東。バンコクよりY氏来港。N君誘い日本料理の兎に角に食す。アタシも含め鉄ちゃんなので鉄道の話題で鼎談。帰りし
なN君と銅鑼湾でバーSに飲む。
▼安倍政権組閣。舛添要一先生、今月初旬に週刊文春だったか「参院選当日にまだ開票作業中に「続投」表明した安倍三世に「バカにつける薬はない」「決定的
に資質にかける」と言いたい放題」だったはず。それが厚生労働大臣に就任。厚生担当大臣として首相に投薬か……選ぶ方も選ぶ方なら選ばれる方も選ばれる
方。
▼陶傑氏蘋果日報の随筆で「神童」について。9歳で大学入学し数学専攻する少年の登場で、大学医学部入学の14歳の少女はもはや色あせた感あり。こうなる
と話題性として神童は年少化せざるを得ず、そのうち出生直後にかけ算九九が出来たとか、助産婦にGood
Morningと挨拶したとか、そういう神童でも現れるか、と揶揄。
▼数日前の信報に「許仕仁任澳門特首?」という文章あり。マカオの行政長官の何厚鏵君特区成立以来対岸の香港の董建華君に比べ治世手腕抜群と北京中央の覚
え目出度く安泰であったが、最近になり、側近の歐文龍が収賄で逮捕され、マカオのカジノブーム沸き立つ反面待遇悪しき工事現場の労働者のデモ激しく、デモ
鎮圧で警官の撃った空砲で市民が怪我をし、何厚鏵君がカジノ事業会社の約1割の株式保有が暴露されるなど、綻び目立つ。でそろそろ行政長官も引き際か、で
後任人事が話題となるが、マカオ政府や財界に何厚鏵君に匹敵すうりょうな人材乏し(何厚鏵君自身はマカオ牛耳る銀行の御曹司)。で下馬評にあがるのが香港
政府で「橋王」(世渡り上手)と称される許仕仁君。香港政府の高官で最近までSir Donald行政長官につきChief
Secretaryの要職にあり。とくに何もせぬのだが問題もなく無難に役職勤めては高職にありつく見事な芸風。で許仕仁君、実はマカオの有力家族の末裔
で香港に育ったがマカオに一定の人脈もあり、たかだか人口50万人の地方都市と思えば許仕仁君の行政手腕でやっていけるのでは?というのが中央の見立ての
由。これで本当に許仕仁君がマカオ行政長官になればまさに「世渡り上手」。
▼マカオといえば、明日、客室三千室のVenetian
Macao開業。必要従業員数1.5万人!でマカオの就労人口の5%に相当。観光カジノ業で人手足りぬマカオでこのホテル運営に充分な職員が確保できるか
どうか。中国本土との人の行き来は毎日27万人。香港などと結ぶフェリーも空港ももはや超過密で限界。昨年22百万人の来訪者が今年は26百万と予測され
るが、もはや出入境者の捌きが限界では次々誕生するVenetian Macaoの如き大型娯楽施設も経営に難あり。
八月廿六日。裏山を小一時間走り回り昼前にジ
ム。一時間の有酸素運動。午後按摩。帰宅。『対論 昭和天皇』再読、読了。示唆多し。着替えて晩にバスで佐敦。Z嬢と文化中心で慶祝香港回帰十周年暨中国人民解放軍建軍八十周年<長征組歌>大型合唱音楽会と
いう、もう文字通り中国の愛党愛国のナショナリズム音楽会あり「怖い物見たさ」で参観。でも怖いから三階席西扉の隅で、そっと。ま
さに革命プロパガンダそのもの。中國人民解放
軍進行曲で始まり革命歌目白押し。で、「もうちょっと食傷気味」のところで、いよいよ「長征組歌」となる。「這是革命的大合唱、是大合唱的革命!」 この
組歌、1965年に紅軍長征30周年記念に創作された由。2.5万キロに及ぶ中国共産党の長征の苦難、不屈の精神、困難に打ち勝つ勇姿。長征が、勿論それ
が実在したことは確かとしても、近年、共産党のプロパガンダ的な長征の「党史」の内容に虚実が含まれているとする論証など、いくつか「発掘」されてはい
る。しかし、なにせ長征は遵義会議など通じて毛沢東の指導権の確立された、中共革命史にとっては最も重要な「史実」であるから、党の公式な史実以外、存在
してはいけない。で物語はずっと声高らかに歌い続けられなければならないのだ。しかも語り続けるとフィクションを含む物語も(日本の明治二十年代からの国
史の如く)それがあたかも事実と信じられる不思議。そして更にそれに酔いしれる怖さ。この物語に身を委ねることでの恍惚。ナショナリズムとはこのスペクタ
クルそのもの(……と以上、実はこの音楽会参観の前に書いたのだが、大方、この通りで間違いないだろう)。……で実際、その通り。それくらいわかりやすく
なければナショナリズムは通用しない。この音楽会、演奏は北京軍区戦友文工団管弦楽団で合唱は同団合唱団。そこに地元香港の「愛国心と国家への忠誠の表
れ」として香港合唱団協会から長征組歌では合唱に総勢五百名!が舞台にあがる。北京軍区戦友文工団は当時の紅軍の軍装(やめてくれ〜)。何度も何度も、偉
大なる毛主席、偉大なる共産党……と、あまりシツコイと逆になんか胡散臭く聞こえるのはアタシだけ、か。だろうね。みんな客も終演では(かなり動員かけら
れた、っぽい老人会など散見されるが)晴れ晴れしい表情。このお年寄りたち、まだ十代、二十代の頃に、あの革命、あの共産党が怖くて香港に逃げて来た人も
いるのだろうに。「いやー、あそこまでテンションが高くなるものなんですねっ」と水野晴郎か、「凄いですね〜凄いですね〜凄いですね〜」と淀川長治になる
か、「ちょと!」とおすぎになるか、いずれにしても「アタシにはわからない」としか言いようがない、この愛国と党のプロパガンダのスペクタクル。少し音楽
的なことを綴っておくと、合唱曲で指揮した嚴良堃は1923年生まれ。子供の時から抗日活動で音楽隊に従事、八十四歳とは思える矍鑠ぶりで合唱指揮は見
事。ピアノ協奏曲「黄河」をピアノ独奏で聴かせた劉詩昆は1958年の第1回のチャイコフスキー=コンクールのピアノ部門で第2位。中国ではピアノ大師と
言われる由。でももしキョービのチャイコフスキー=コンクールに出場したら?……。ちなみにこの1958年の第1回のピアノ部門の第1位がヴァン=クライ
バーンで、米国から参加のヴァン=クライバーンがソ連のこのコンクールで優勝し帰米後にどうなったか、は中村紘子が『チャイコフスキー・コンクール』に書
いている。
八月廿五日(土)好天。昼にかけて久々に裏山を
10kmほど走る。雲行き怪しくなり驟雨。落雷。雨を凌ぎ広
河隆一著『パレスチナ』(岩波新書)読む。地に足のついたジャーナリストの揺るぎなき視点。毎日のようにパレスチナや中近東の報道に接しても実は
何も知
ら
ずにいること痛感。岩波新書で中近東モノ読むのは卅年前に『アラビアのロレンス』を旧赤版で読んで以来かも。湾仔まで出て、そのあとZ嬢と柴湾で待ち合
せ。Z嬢が柴湾MTR站前の羅屋民俗館訪れたことがなかった、と言う。かつて中環のStanley街にあった神州書店が柴湾の工業ビルに移転したと知り訪
れるが午後五時でちょうど閉業時間。入れず。柴湾というところ、地下鉄開業前に工業団地が出来、その周辺にその後、公共団地が建ち始めた結果、工業団地に
接した地下鉄駅までどの団地からもかなり歩かねばならず。その駅前の工業団地とて史跡に指定されそうな、かなりの工場(こうば)が既に退去した柴湾工廠大
廈や、実質は倉庫街で、地下鉄駅の終点がなぜ此処になったのか、が不思議。周囲の団地に居住者多いが柴湾には「此処」という、地域の拠点がなく散漫とした
殺風景。この先には小西湾の団地があるが、そこの住人が柴湾に出て来ずバスで筲箕灣、太古城などに出てしまうのも首肯けるところ。この柴湾の宏徳居という
団地に眞好味焼臘店あり(創価学会東区文化会館のある建物の
G階)。ここの焼臘美味で客足絶えず。白切鶏と鶏腎購う。柴湾のとなりに杏花邨という50棟のマンション群あり。あまり通る機会もなく、杏花邨を唯一通る
85系統のバスにわざわざ乗車して社会科見学。50棟とはいえ、このマンション群のために地下鉄站があるのだから凄い。幹線道路に面しておらず海が一望の
静かな環境(かつては啓徳空港離着陸の飛行機の騒音に悩まされたのだが)。帰宅して白切鶏と鶏腎で夕食。美味。『パレスチナ』読了。晩に原武史・保坂正康
『対論 昭和天皇』(文春新書)半分ほど読む。
八月廿四日(金)久々の快晴。昼に金鐘の
Great Food Hallにて噂のTriple O'sのハ
ンバーガー食す。ファーストフードとしては確かに段違いに美味い。夕方、養和病院で目頭傷治療抜糸済ます。看護婦に「で、書籍の片づけは終わって古本屋に
本を売り払ったの?」と笑われる。傷口は偶然にも眉毛の中にちょうど隠れる筋で「接吻の至近距離」にでも来ない限り傷の在り処さへわからぬ。高座に上がる
噺家にとって顔もまた大切で、安堵。尖沙咀のDavid
Chan氏のカメラ店に寄る。店に入るなりご亭主、目敏く「その扇子、何処の?」と尋ねられる。「京都の宮脇はんどす」と答えると「柄もやけど、柄の竹の
反りといい細工といい、ええなぁ。今度、買うてきてもろてもよろし?」とさすが目利き。アタシの草臥れたパナマ帽もかなり興味もっていただく。高田馬場で
十七、八年前に買ったもの。老夫婦で営むその帽子店も今では店を畳んだのではないかしら。沈胴式のズミクロンの50mmレンズ、この店で購い多少動きが硬
く修理依頼したら今度は緩すぎて再修理請う。もうこれ以上直すとちょっとイカれてしまいそう。ご亭主に同じ50mmのズミクロンでも固定鏡胴式の、もう半
世紀近く前に製造されたレンズ見せられる。食指動くが値段がこのレンズの現行品の新品価格より1割安。古レンズの良さもあろうし、実際にR-D1sに装着
して撮ってみると(こういう時にデジカメは便利)ピントもばっちり、発色も柔らかい。でも中古市場でも垂涎の的というほど希少価値のあるレンズなら高値も
当然だが、ズミクロンの50mmという、ライカでは基本のき、みたいなレンズだと思うと鳥渡、値段で躊躇。思うところあり尖東の新冨山撮影器材公司
(New Francisco
Photo)へ……以下、略(笑)。帰宅途中に北角の十三座牛雑でホルモン串立食い。美味。帰宅してハッシュド=ビーフ。二更に出かけてBroadway
Cinematiqueにて野上正義監督の映画『愛
の処刑』観る。
三
島由紀夫が『アドニス』なる好事家雑誌に榊山保なる筆名で寄稿の小説を三島の死後(83年)に映画化。今夏で三度目の国際短編映画祭、この『愛の処刑』と、中村幻児監督が三島由紀夫と盾の会を
姿をパロディでホモ映画に仕立て大杉漣が主演の『巨根伝説』の二本上映あり。而もこの二本に「三島先生、是你嗎? Is
It You, Mr. Mishima?」つまり「これって三島先生ですか?」というタイトルをつける。絶妙。確かに『愛の処刑』は三島の匿名
小説(今では新潮社の三島由紀夫全集「補卷」にこの小説の収録あり)で、『巨根伝説』は三島死後のパロディ映画。ならばこのタイトルは文句のつけようがな
い傑作。『愛の処刑』は(以下、筋書き)中学校の体育教師が可愛がる教え子を雨の中に立たせて肺炎拗らせ死に至らしめ、それをもう一人の美少年に叱責さ
れ、その少年に促されるまま切腹し陶酔のうちに死に至る、という「もうとってもわかりやすい三島ワールド」で、辛く指摘すれば「他愛ない」筋。映画のほう
は誠実に映像化しての正味60分。原作では切腹後の多少グロテスクな臓物の写実と、この教師の恍惚から興奮に至び下帯うんぬんの表現があったと記憶するが
(この作品が三島由紀夫と証されてから何処だったかに再掲載されたもの、写しだか手許にあったはずだが見当たらず、詳細未確認)映画ではそういった部分を
かなり抑制したことで予想以上に淡々と。あらためて、この物語に登場する中学教師、二人の少年(一人は殺され、一人は教師に死を促し最後は自害)その三人
三様の全てが三島自身の自己の投影なのだ、と思う。三島の面白いところは、これがたんに小説家の理想型なら、そう評して済まされるのだが、本人が最終的
に、この物語と同じ死に際を体現してしまったのだから(しかもクーデターのオマケつき)。撮影も余計なものを全て削ぎ落とし、カラーの色調も、前衛的であ
りながら日本古来の楽器用いた音楽も良し。この映画、三島由紀夫自身が見たらどれだけ喜ぶか。巴里で上映などされていないのかしら。少なくとも大島渚『愛
のコリーダ』より、この野上正義監督の『愛の処刑』のほうがセンスがいい。それにしても日本でも観る機会など稀有のこの映画を香港で観られるとは感慨深い
ものあり。今日は村上陽一郎著『安全と安心の科学』読む。最近、新書ばかり読んでいるのは先日、書架整理で「こんなに読みかけの新書があったとは」と反
省、で順番に読んでいる為。でこの本、少なくとも、MBAだか経営学修士だかでワケのわからぬケーススタディだのチームワークとリーダーシップ養う為とか
の目的で下らないキャンプやホテルでの合宿などしているのなら、この村上先生の本で「リスクとは何か」「安全と安心はどう違うか」学んだほうがよろし。
▼香港で中国からの牛肉供給滞る。Happy
Valleyの肉屋にてハッシュド=ビーフのために豪州産スキヤキ用牛肉購おうとしたら、通常HK$88/磅くらいなのに今日はHK$128と高騰(なん
て高い、と驚きの日本の消費者の皆さん、1磅は453g、つまり100gが300円ですからすき焼用と思えば楽天最安値より安い)。
▼親中派御用政党・民建聯の馬力主席の通夜昨晩より営まれ本日、本葬。昼に荼毘に付される。地方自治体の一政党代表の身分ながら棺には五星紅旗かけられ北
京中央も哀惜の意を表す。馬力氏の生涯を一言でいえば「国家に死す」。果無し。死して尚、本人の蓄えと知人らの寄付により「馬力国民教育基金」創設の由。
なぜ教育基金でなく「国民」教育基金か。あの世に逝ったのだから、せめて国民やめればいいのに……。
▼昨晩、吉見『博覧会の』続き読んでいると、日本で博覧会の開催に熱心なのは百貨店、鉄道会社に続き新聞社が挙げられ、大正6年に上野公園で奠都五十記念
博覧会開催され読売新聞はこの博覧会に合わせ東海道駅伝競争実施とあり。こういった新聞社主催のスポーツ催事の先駆けして挙げられるのは日露戦争の頃の大
阪毎日新聞による鉄道マイル数競争や海上10マイル競泳の実施。それに続き大正初期の朝日新聞による全国中等学校野球大会が挙げられている。この野球大会
がone of
themといってしまえばそれまでだが、競泳や駅伝に比べ更にチーム競技であること、地元の多数の中からトーナメント制で選ばれ地元を代表して参加するこ
と、といった点で学生野球が(今日に至るまで)誰にも関心が持たれ共鳴をもたれる点で興味深いもの。
▼オリンピックも、実は近代オリンピック開催当時は万博のオマケ。運動能力の増進も、未開人の文明化と同じく社会進化論のイデオロギーと思うとわかり易
い。で第5回ストックホルム大会からオリンピックが万博から独立するが、これは、その場の参観者だけが洗脳される万博に対して、オリンピックはマスメディ
アを通して、その興奮が世界中に伝えられる波及効果の大きさが注目されたがため。で、聖火リレーや表彰台、壮大なオリンピックスタジアムの建造や式典の演
出など、今ではすっかりお馴染のこの光景が誕生し、その段階で完成していたのが、ヒトラーによる1936年の伯林オリンピックなのは周知の事実。帝国の神
聖化、が戦後も、来年の北京だって活用され続ける。万博という「産業技能から運動技能への焦点の移行は、近代のまなざしが、われわれの身体をより直接的に
捕捉するようになったことを示す」(吉見)。このスペクタル的な権力の展開は、万博やオリンピックなど国家レベルのものばかりでなし。日本「特有の」明治
以来の小学校の運動会とて、実は「根」は一緒。すべて、近代の国家の<まなざし>によるもの。
▼陶傑氏、今日の蘋果日報連載で「小神童」。待ってました、の9歳神童の数日前に「発見された」14歳の女の子について。この子、将来は医者になりたい、
と香港中文大学医学部への進学表明(中文大医学部といえば香港政府教育局局長から更迭された李國章の故郷)。これに対して陶傑氏曰く医科で学ぶは、単にラ
テン語で医学用語学ぶばかりでなく九旬の生死の際にある病人と語らいもあり。僅か14歳の少女に多少の人生経験積んだ程度でこれに能うか、と。御意。米国
を例にすれば医学を学ぶはたんに学士課程に非ず、まずは生物化学系の学位を取得し成績優秀で医学学びハーバードやプリンストンでは医科の1年次は21歳に
ならねばならず、たんに中学でAがいくつあろうがダメ。医学はたんに医療技術に非ず生死彷徨う患者との前線にあって医者は哲学者たらんとするもの。14歳
の神童?、笑わせるんじゃないよ、このテの世界、つまり哲学者、宗教家、裁判官、小説家……は神童はいらず、ただ老う毎に人生の性(さが)知る者にこそ、
の叡知(こんな話は家元=談志師匠も言っていたっけ)。ほんとうにこの少女が神童なら、マスコミの取材に対して「将来は医学の道に進みたい、と思います。
でもまず哲学と歴史を勉強したい。将来、医者になるには、それが役立つと思うんです。それに私はまだ14歳。少し静かにさせていてもらえますか。それに、
大学に入るのは、まだ早いと思います。だって、大学の寮は新入生歓迎でかなり性的なゲームもして騒ぐみたいだし(といっても楊枝を銜え輪ゴムを受け渡しす
る程度の幼稚なゲーム)、今、私が大学生になったら、大学1年と2年の間は、たとえボーイフレンドができてもセックスするのは非合法なんですよ、こんなの
あり?って思いませんか? まだ雛っ子ですから。いいですか、オジサン、オバサンたち、わかってくれますか?」くらい言ってほしい、と……神童なら。まさ
に。
▼独逸ハンブルグ大学の關愚謙先生が信報「愚公専欄」でチベット問題を語る。1950年代に北京中央でロシア語翻訳の専門職にあった關先生は中央政府の少
数民族政策など具体的に見聞していたが、それは確実なもので、少数民族の中に中央政府や毛沢東に対する信頼は大きなものであった。チベットと北京中央も当
時は蜜月。反右派闘争も運動は国家幹部に限定したもので少数民族に被害が及ばぬよう通達もなされていたはずだが、実際には青海省で筆者はイスラム寺院で右
派批判大会など開かれ、チベットに対する社会主義強要で1956年にはそれへの反発でチベット動乱となり翌57年にダライ=ラマはインドに亡命。この亡命
劇、当時の毛沢東の軍指導力を考えれば亡命を防ぐことは可能だったはずで、これはむしろ「逃がした」のではないか、と關先生。關愚謙自身、文革で被害を受
け亡命し独逸に旅居すること卅年以上だが、当時、苦学する自分に比べチベットからの亡命者は欧州でかなり歓待され「中国からの独立」が欧州の人々のかなり
同情を得たことを指摘。これの最高峰が、まさにダライ=ラマで、關先生はダライ=ラマの亡命当時、かなり同情的であったが、ダライ=ラマが反中国運動のプ
ロ化(關愚謙はこんな言い方はしておらぬが、簡単に言えばそういうこと)する中でかなりその姿勢を疑問視。だが、独逸で国際問題の専門家から「(世界的に
注目される平和主義者としての立場にある)ダライ=ラマを生んだは中国政府なのだ」と指摘されたと言う。ダライ=ラマの一挙手一動、その言動に中国政府が
かなり神経質に、過敏に反応する。すればするほどダライ=ラマに世界的に同情が集る。「ノーベル平和賞受賞できたことでダライ=ラマは中国政府に感謝すべ
きだ」というその独逸人の皮肉なコメント。こういう見方も可能ではあろう。だがアタシは個人的にはこういう見方はかなり屈折しているような気がするのだ
が、關愚謙ほどの碩学でも、中国人としてチベット問題となると、そう簡単にはリベラルに、中立的な立場では問題をとらえられぬのだ、と思わされる。
八月廿三日(木)曇。昨晩、吉見俊哉『博覧会の
政治学』(中公新書)読む。先日読了の『万博幻想』が日本の戦後と万博の具体的な分析なのに対して、こちらはより博覧会を「まなざし」からの分析。このテ
の新書本は序章にその思想の全てが語られていること屢々。簡便といえば簡便だが本章がその論証、詳細に位置づけられてしまい本章が物足りなくなる処もあ
り。で白眉の序章「博覧会という近代」より引用。
博覧会は、その成立の端緒から、国家や資本によって演出され、人々
の動員のされ方や受容のされ方が方向づけられた制度として存在したのだ。(略)人々はこのテクストに、自由にみずからの意識を投影する物語の作者として存
在しているわけではない(略)。このテクストは、すでに別種の書き手によって構造化され、その上演のされ方までもが条件づけられている。その書き手とは
(略)近代国家そのものなのだが、同時に多数の企業家や興行師たち、マスメディアや旅行代理店までを含み込んだ複合的な編成体なのである。しかも、博覧会
における経験の構造は、これらの演出家によって一方的に決められているわけでもない。博覧会という場にみずからの身体をもって参加する人々が、この経験の
最終的な演じ手としてやはり存在しているのである。しがたって、博覧会とは、書き手としての国家や資本、興行師たちの様々な演出のプロセスと、演じ手とし
ての入場者たちの様々なふるまいが複雑に交錯し、織りなされながら上演される多層的なテクストなのである。
……もう、これで充分というくらい。当然、フーコー的なまなざし。昨日は全国高校野球決勝戦あり。この吉見氏の一文はそのまま高校野球にも該当。全国的な
イベント。文部科学省(政府)、興行主としての高野連、朝日新聞。もちろん「甲子園の熱いドラマ」、今年はまさに決勝での八回裏奇跡の逆転満塁本塁打でメ
イク・ドラマ。「地道な努力」「やれば出来る」「地方の普通の公立高校生が」と、これで最近の言葉で言えば「元気をもらった」の人も多かろう。これは当然
「甲子園という場にみずからの身体をもって参加する人々が、この経験の最終的な演じ手としてやはり存在しているのである」し、球児ばかりか(球児というの
も奇妙な造語)応援する生徒から地元民、テレビの観衆まで、このドラマ(テクスト)に何からの思い入れだの。それはそれでいいのだが、今の日本において、
国民の関心が一つになる<場>として甲子園はかなり稀。興味深いテクスト。第1回全国中等学校優勝野球大会の開催は1915(大正4)年。明治20年代に
近代国家としての<日本>の構築後、全国規模でこの各都道府県の代表が一堂に会し何かを競技する、而も将来の国家を担う旧制中学の若者が、ということで、
他にこの全国中学野球大会に匹敵するイヴェントが他にあったかどうか、
或
いはこれより以前の有無。なぜ野球なのか。なぜ大阪朝日なのか、いろいろ考え&