十二月卅一日(日)快晴。朝八時半荃湾地鐵站にアルピニストO氏と待ち合せ。O氏は深圳の福永に住まわれるが朝の六時五十分にタクシーで皇崗、香港に入り
八時十分過ぎには荃湾に到着の由。交通方便まことに驚くばかり。二人でタクシーにて荃錦凹の峠。MacLehose
TrailのSection-9に入る。この最後の2段終えれば余がこの秋に始めたMacLehose
Trailの100kmを7回で踏破。但し本日のコース自称健脚二人組にとって延々続く混凝土道「つまらない」と元荃古道から圓墩郊遊徑に入る。見事な渓
流、群生する蝶、竹林は竹の香りも芳し。

三
時間余歩き深井に向うと深井の集落の山あいに突然「廃墟愛好家は垂涎であろう」宿舎のような大型建築も含む、どこか周囲から隔絶したような鄙びた「安部公
房が好きそうな」集落あり。地図で確かめると深井商業新村と云う。「なによ、その名前」と赤瀬川原平的に探険すると、その高層の建物は香港の紡績業をかつ
て代表した九龍紗廠(Kowloon
Textile)の職員宿舎(すでに閉鎖)で「商業新村」は香港に幾つもある郊外の密集型集落なのだが「商業」という名前が奇妙。九龍紗廠の宿舎はあれ
ば、深井といえばかつてはサンミゲルの香港麦酒工場もあり、嘉頓麵包の製パン工場もあると思えば従業員の住み着いた新村なのかも




(香
港島で薄扶林村がDaily Farmの従業員の住み着きのように)。
裕記
焼鵝飯店。焼鵝、鵝腎に皮蛋、という「成人病コース」堪能しながら故きを温ね、でサンミゲル大いに飲む。佐敦まで赤ミニ爆走二十分。ジムで
一浴して帰宅。Z嬢と西湾河の
蛇王福で蛇羹と糯米飯。大晦日
に長寿願い蕎麦を喰うなら蛇も一緒か、と笑う。
明記糖水で緑
豆沙。昨日に続き電影資料館でムルナウの『サンライズ』観る。去年だったかこの電影資料館でムルナウ特集ありさんざんムルナウの今でいえばカルトっぽい作
品を何本か看たが独逸から米国に渡ったムルナウがハリウッドで製作し1927年のアカデミー主演女優賞、撮影賞受賞の映画。昔から「看たい」と思って機会
なく今日に至る。ストーリー的には陳腐でもあるが米国で勃興の映画「産業」に聖林という場所でムルナウが「モーションピクチャーとはこういうもの」と教え
た、と思えばいいか。有名な、遊園地でのシーンは確かに圧巻。遠方の壁の三階にいる人たちまでがそれぞれ演技してキャメラの精巧なレンズがそれを写し出
す。帰宅途中に太古城に開店した無印良品で引き出しの整理用ケースなど購い帰宅して突然、引き出しの中など片づける。ついでに本を積みすぎて本の落ちてき
た書架も少し整理、のうちに年を越す。ところでNHKの紅白の冒頭を看たZ嬢の話では「今年の紅白は<家族の絆>を」云々と宣ったそうな。本来、世界中、
どこでも「当たり前」にある家族の絆などというものを、いちいち首相だの国会だの政府が口にしてマスコミが囃し立てなければならぬ悲劇的現状。本来そうい
うものぢゃないことすら認識できず「そう、家族が大切」とイメージ的にだけ共鳴。純朴さ。マスコミが語る話ではなかろう。で紅白を家族揃って看ているのか
しら。家族でみんなバラバラだったり。ふと、子どもの頃に大晦日にふだんにも増して忙しく仕事終えて帰ってきた父母、紅白ももう途中から、で、余が「なぜ
紅白を看なければならない?」と看ずにいたらふだんは怒ったことのない父がとても怒ったことを思い出す。父も当然ながら「なぜ紅白を看なければならない
か?」ということに正しい答えなどない。今にして思えば父にとって晦日ならではの一家団欒の時であり、それを息子に拒否されたことがどれだけ不快であった
か、自らの自我的判断は別にして付き合うのが大人だろう、と思うが当時は多感な少年時代。どうであれ年末のテレビ番組で「私たちのとって一番大切なのは家
族、その絆を」なんて宣われ人々が「ほんとそうよね」なんて看ているのは世界中で日本だけのはず。この「気持ち悪さ」「精神病理的状況」はほのぼの「ほん
とそうよね」している場合ぢゃない。教育基本法も改定し次は憲法。戦後の古き良きものが悉く蔑ろにされてゆくのだから紅白歌合戦もやめていいのでは? こ
れは存続が必須なのは、紅白に期待されるものが「国民の統合」であり「家族の団欒、絆」だからなのかしら。一昨日だったか洪清田氏が信報で「現代政府/国
家的経済角色」という一文を寄せて語るに、社会発展モデル的にみれば、経済が宗教や軍事政治を超え社会変革の最も重要な要素となり、それにより社会は小農
社会から市場経済型の資本主義になってきたのだが、と(社会経済学的には常識的な)概念を紹介し、西方社会では、この経済発展に科学、民主、法治などが連
動して発展したのだが、目をアジアに転じると、として、主題は中国がいかに小農社会から市場経済型の社会に変化するか、なのだが、その考察の中で、世界の
主要経済大国のなかで英国、仏蘭西、独逸などに続き資本主義化を第一次世界大戦後に迎えた日本は本来、解消されるべき小農集落社会を発展的解消することも
ないままに経済成長を続け、その結果、未だに「日本のアイデンティティ」などに拘っている、と指摘あり。御意。余は幼き頃から何より納得がいかぬのは、何
も解決どころか考察すらせぬままに、とにかく年末になれば「今年もいろいろありましたが新しい年は」と伊勢神宮の遷宮の如く勝手に御破算してしまい年があ
ければ、さも何もかも新しい門出、と気分一新してしまう、この甘さ。しかも明治でさっさと太陽暦でそれをやってみせた優柔不断。<家族の絆>のために何が
必要なのか、敢えて言うとするならばだ、必要なのは<個人の自立>だろう。個人の自立なくて近代の家族の絆などある保てる筈もなし。全く以て個人が自立も
しておらぬ「集落」が、現代のこの社会で家族の絆など保てたら、ちゃんちゃらをかしくてヘソが茶を沸かさぁ。
十二月卅日(土)快晴。ネットの香港から日米への不通もここまで長引くともう慣れてくるから不思議。見るものを見れない、という不便はあるが死活ほどの問
題でもなし。寧ろ年末にたまった雑誌など読むのはちょうどいい機会かも。EpsonのR-D1sで唯一の問題は電池消耗。ライカのレンズと一緒にいい仕事
をするのだから電池の消耗が著しいことも納得できるが(理由になっていないか……)満タンに充電した電池でもちょこちょこと一時間も撮っていると(撮影し
た画像の再生を何度もしているからだろうし、電源のオンオフの所為もあり)電池のインジケーターの針が振れ始める。ずっと撮影を続けていたら半日保つかど
うか。でEpsonのサービスセンターに電話すると充電電池の在庫がある、というので早速、九龍バスの誇る102路線のバスにのり九龍湾に向う。土曜日の
昼前にのんびりと暑いくらいの青空で風景眺めながら新聞など熟読もしつつ小一時間のバスの旅。充電電池を入手。バスで深水埗の欽州街。ずいぶん久しぶりに
鴨寮街を歩く。





旺角を香港のアキバと言う人もいるが深水埗鴨
寮街こそ秋葉原。電気関係のパーツと中古オーディオやガラクタなどが路上と軒を連ねた店々に並ぶ。拙宅のウォシュレットの変圧器(銅製品は日本製で
100Vのため代理店から変圧器共々購入)が時々唸るので開けてみると変圧器の変圧コイル部分固定するネジが一つ外れており(たぶん最初から付いておら
ず)その、かなり短くて細いネジと留め金を探すとネジのサイズでM8というものであった。ついでに変圧器の電源部分のスイッチ部品も購入。オーディオでは
真空管のアンプが欲しいところだが「ライカ散財」で音響どころに非ず。医局街から太子(Prince
Edward)に向い歩く。深水埗に南昌街というとても道幅の広い通りあり。今では遊歩道と公園になっている通りの中央分離帯は十年くらい前までだったか
臨時市場あり。しばらく前の蘋果日報で南昌街の歴史の謂われ紹介の記事あり。





陳
南昌(1900〜1971年)という人あり。広東省新會の人。十余歳で父に従い渡豪。新會は江門、開平に近く広東省では海外移民が盛んな地なのだ。豪州で
建築を学び三十年代に香港に戻り外資系の建築会社で建物測量師として働く。1933年には現在の深水埗付近で不動産に手を広げ1940年に羅桂祥という人
と合弁で維他奶(Vitasoy)創設。英語が流暢に話せる陳南昌は自らが土地を獲得していた深水埗地区で地元民の福利に積極的に援助の手を差し伸べ地域
の有力者となり、戦後、大きな運河のような用水路を埋め立てた大通りに南昌街という名前が付けられる。地図で南昌街を見ると深水埗から石硤尾の公団住宅街
を通り抜けぐるりと西にまわりこみ大窩坪、獅子山の麓まで南昌街が延びる。これがこの巨大な用水路の跡地であることは明白。1930年代当時、なぜこのよ
うな一人の若者が深水埗の広大な土地を買収できたのか、は地図を見たり歩いたりすれば一目瞭然で、ここはBoundary
Street(界限街)の外側。英国にとっては租借地。で散歩は続きBoundary
Streetを九龍側に渡ると、ふと茘枝角道から楓樹街(Maple
St)というなかなか美しい名前の通りを入ると突然、広い幾何学的な通りの両側にほぼ同じ高さのモダンな集合住宅が並ぶ一角があり。なんじゃこれは?と驚
くほど五十年代的な現代建築。初めて歩いた、このSycamore Stは詩歌舞街と名前はずいぶんと楽しそう。地図で見るとBoundary
Street(界限街)、茘枝角道、塘尾道、通州街、大角咀道に囲まれた亀甲のような一角は明らかに都市整備計画に基づいた集合住宅地の建設で、それが
Boundary
Street(界限街)の境界に沿ってあるところがニクい。当時、旺角には花園街だの西洋菜街、通菜街という名前が残るように、歴史家の高添勉君の話で
は、かなり緑地の多い一帯だったそうで、この住宅地も英国の田園都市のような発想の流れを汲む高層団地計画だった?などと想像しながら散歩は続く(実際、
帰宅してから五十年代の市街地図で確かめると五十年代、まさにその一角(角が削られておらず当時は見事な大三角形)が開発中で道路に名前もついておら
ず)。太子(Prince
Edward)に入る。戦前から上海にあり戦後、香港に出てきた浴徳池という古い風呂屋も十一月初めだったか、で閉業。建物取り壊す寸前で内部の解体が始
まっており、ちょいと闖入して工事作業中のオヤジに怒られながら写真撮影(このへんの写真は日剰には上網しておらず。
Flickr!の写真集をご覧あ
れ)。昼もだいぶ遅くなったが、
永合隆飯店で叉焼焼鴨飯。美
味至極。この店、豚、鵝鴨、鶏まで見事に焼臘物を供するが青物など油菜も何もないのが香港でも珍しい。それでも酒は出す。オヤジたちが昼間から乳豚の皮肉
だのを肴に酒をひっかけているのがいい。帰宅してウォシュレットの変圧器の修理。代理店を含め他人に頼むより(冷房と瓦斯、水まわりを覗けば)簡単な電気
関係の修理など自分でやったほうがよっぽどマシな場合多し。香港電影資料館でZ嬢と待ち合せ早晩に
ト
ム=ハンクス主演のThe Terminal(2004年)を見る。電影資料館では今月から来月にかけて
移
動空間(Moving Spaces)と題して、

映
画撮影のセットや空間美術で魅力ある映画ばかりを集め放映中。かなり面白い企画。

紐
育のJFK空港舞台にしたThe Terminalも当然、その内の一作。展覧スペースでは映画セットに関する展示もありThe
Terminalのセット模型も現物あり。見事。近くのコンビニで焼き立てのガーリックトーストと180mlの赤ワイン購い空腹を満たし、続けて香港B級
コメディ映画の傑作「
92
黒玫瑰対黒玫瑰」を見る。SARSの最中の香港映画祭(2003年)でマスクした観客わずか七、八名で見て以来。梁家輝(トニー=レオン)のカ
ルト的な演技秀逸。かつての香港のB級アクション映画へのオマージュ。「くだらない」ということに徹した傑作。西湾河の太安樓G階商場にある
泰式小食館でタイ式海鮮河粉湯、食す。ほんとにバンコクの市場にいるの
では?と錯覚するような空間。それにしても太安樓、夜遅くなってからの屋台の食べ物屋の賑わいは香港でもガサツさで特筆すべきものあり。いつまで「放置」
されるのか期待。帰宅してPowerBookを立ち上げると我がヱブや米国のサーバーに接続可。ちょっと接続の速度は遅いのでどうにか迂回路でも出来たの
か。「はてな」は読めるが更新はできず。慌てて26日からの日剰と画像を上網、深夜に至る。
十二月廿九日(金)安倍内閣メールマガジンの号外「編集部からのお知らせ」届き
安倍内閣メールマガジンの次号配信は1月11日の予定です。1月4
日は休刊とさせていただきます。
とだけ告げる。「号外」どころか単に次号予告に過ぎず。あれ、さういへば毎週木曜朝の配信のはずが昨朝は届いていない? タイミングとしては行改相辞任
で、その「釈明」のいい機会であったが、前二週はタウンミーティング「やらせ」について何の言及もなく、今回もこの逃げ。夢だの希望、いいこと尽くしなら
メールマガジンなど不要。タイミングよく自らの生の声で不祥事についても言及できるはず。年が明けて一月十一日になって「国民の皆さん、明けましておめで
とうございます。安倍晋三です」では興ざめ。小泉さんなら言い訳であれメールマガジンで何らかの釈明に徹したであろうし一月四日に「今日から仕事始め」な
んて配信をしていたかしら。かなりたまっている新聞や雑誌の切り抜きや定期購読しているものの八月以降たまってしまった雑誌を読んで整理しよう、と
香港大学の図書館へ。自宅よりやはり図書館のブース机のほうが集中するのは確か。た
だこの図書館の書架には日本文学の古典から三島、大江くらいまで、多くの本がまだ誰も頁を開いた形跡もなく所蔵されているから鏡花全集など眺め書架の間を
歩くだけで垂涎。気が散って持参の資料に集中できぬ嫌いあり。3時間ほどかけて新聞雑誌の切り抜きの整理で雑誌まで目を通せずに終わる。香港大学の図書売
店で2007年版の香港街道地方指南を購う。これを入手すると年の瀬。これほど毎年進化する地図帳は他になし。午後になりBonham
Roadの
馬来亜餐庁で遅めの昼食。蝦のラクサ。





美
味。西營盤に下り
甘味の源記で蓮子緑豆沙を頬張る。西營盤で
煲仔飯の美味い
坤記という食肆はお世辞にもキレイとはとても
言えぬ、小汚い肆で路上に
卓を並べ賑わっていたが、二年ほど来ておらぬ間に近隣に間口五間ほどの肆を構えるほどになり驚く。劉健威兄が西營盤に煲仔飯の美味い食肆が出来て二晩も続
けて食べた、と書かれたのが七、八年前のこと。飲食店が繁盛して店を拡張してキレイになると味が落ちる、という場合も少なくないが此処はどうかしら。






皇
后大道西から乾物商の並ぶ高陞街、珍しく
骨董品のCat Streetを抜ける。Hollywood Rdに
中国
書局という百年一日の如く古びた文房具店あり。何年も前から四半世紀前のものか、パーカーやクロスのデッドストックっぽいペンが店頭に並
ぶ。ふと気になって「ぺんてるのP207」があるかも?と店を覗くと同じシリーズのP203とP209(0.3mmと0.9mm)はこの店の大変に乏しい
陳列商品の中にあり。0.7mmはない?と主人に尋ねると「確か、あったような……」と戸棚からP207が1ダース箱で出てくる。思わず1打買い占めよう
か?と思ったが「まだ製造は中止になっていない」という主人の言葉を信じて4本だけ購入。それでも「なんでそんなに買うんだ?」と主人は怪訝な表情。旧中
央警察署の向い側を歩いていたらVogueという洒落た名前のオフィスビルの看板に警察署の洋館が面白く映るので写真を撮ろうと思ったら守衛が出てきて
「写真を撮るな」と言われるのか、と思ったら「ライカか?」と。「レンズはね」と答えると守衛のオジサンは写真撮影が趣味でカメラはライカのM4-2でレ
ンズはアダプター噛ませてキャノンのレンズを使っている、と言う。いろいろな組み合わせがあるものだ。オフィルビルの看板とって何が面白いんだ?と言うの
で、いや、ね、



反射で映っている警察の建物が面白い、と、
路上でありがちなオヤジどうしの写真談義。これも「ライカですね」ならでは、の世界。FCCでハイボール一杯。中環のHanart TZ
GalleryでDüsseldorf School of
Photographyの写真家の写真展示あり、と知って出向いてみる。が写真は三点、どれもピンとこなかったがAndy
Warholの「毛沢東」や魅了されるAlfred Siu(1982年)などあり、Tony
Bevanという画家の絵がやけに印象に残る。市大会堂で一月の芝居のチケットなど購入し無印良品で雑貨購い帰宅。お好み焼き。NHKで日本より二時間遅
れだかで今年の大相撲振り返る対談番組の放映ありデーモン小暮閣下の相撲評を聞き入る。
▼五年に一度の新聞マスコミ従事者の評価に基づく新聞マスコミの公信力評価結果発表される。一位は96年より三年連続で信報。二位がSCPM紙。三位以
下、経済日報、明報、HK
Standard、星島日報、蘋果日報(前回12位⇨7位)と続き、以下、無料タブロイドの都市日報、AM730、で経営破綻と噂される成報、親中紙では
まだ真っ当な文匯報、無料タブロイドの頭條新聞、親共の香港商報、大公報、でブービーが新報で最低評価が東方日報系の太陽報という結果。蘋果日報が予想以
上に公信力ありと評価され、信報は堂々の一位だが前回5年前の調査では10点満点で7.63であったのが今年は7.10と、90年の第1回調査での同紙2
位での7.42(90年はSCMP紙が1位)より低いことは着目すべき。
▼イラクで死刑確定のフセイン元大統領。イラク国民に対して「私の身を犠牲として捧げる。神が望むなら、私は真実の人間、殉教者として、列せられるだろ
う」と述べ、国民に団結求め「敵」に立ち向かうよう呼びかけ。フセイン氏に罪がないとは断じて言わぬが、百数十人の虐殺の罪が問われ、一方で他国侵略し数
千名の命を奪った国の大統領は「正義」だの「自由」だのと嘯けるのは不公平。
▼信報に創刊以来頻繁に記事を寄せる關愚謙氏が手記で信報副刊で古典音楽評を寄せる孔在齊という人についてずっといったい誰なのか知らずに読んでいたが信
報の元編集長の(現在は月刊信報に毎月のように旅行記など寄せる)の沈鑒治氏に孔在齊の音楽評あつめた新刊書を贈られ、孔在齊が誰だか關氏とは知己である
關愚謙が初めてわかった、と。先日綴った加藤周一から吉田秀和への密かなエールといい、この話といい、年寄りが断然素敵に思えてならず。
十二月廿八日(木)通信不通依然続く。香港では死活問題的に通信混乱報じるが日本では「東南アジアで海底ケーブル断線による通信不通が」的見方で「中国株
取引など停滞」「台湾などへ旅行の際にはローミングが使えないなど不都合があるので注意が必要」と彼岸の火事の如し。今朝の朝日にはこの通信不通について
記事もなし。日本ではよっぽど中国株の売買であるとか香港のバンキング活用でもしておる方除けば日本〜アジアへの通信線が断絶しようとほとんど支障なし。
アジアにあって、のはずの日本の環境が顕わになる。通信などもいかに国内に閉じた世界か、の証左。これで日本が宗主国たる米国との生命線である日米線が不
通になった場合はどの程度の騒ぎと混乱になろうか。
安藤更生著『銀
座細見』読む。

昭
和6年、当時『東洋美術』創刊し編集長で
あった安藤更生が春陽堂より刊行しベストセラー。昭和52年に出た中公文庫版を暫く前に入手(絶版)。初版当時、著者はまだ32歳。『柳橋新誌』の柳北ほ
どぢゃないが、大正4年、16歳で初めて夜の銀座を散歩してカフェプランタンに入った更生は32歳で「銀座の灯は今でも僕の心を誘って止まない」としつつ
「だが、もうオサラバだ。銀座よ、僕は忙しいんだ。(略)僕にとっては懐かしいあの自由主義的な古い銀座の面影は消えてしまった」と、この『銀座細見』を
綴る。当時の銀座はまだ若者の街と言う。戦前まで銀座の他に浅草、御徒町、神田、日本橋と賑やかなのは想像に易いが神楽坂が「東京でも有数の」繁華街だっ
た、というのがどうも戦後生まれのアタクシには想像つかぬ。更生も荷風散人と同じく震災で古き良き銀座の全てが失われた、と思う。時代が進むにつれ銀座な
ら銀座がどんどん賑やかになる、と思ったら間違い。震災前の銀座で市電が止まるのは午前二時。震災後、風紀取締りなど厳しくなりカフェなどが深夜零時の閉
店余儀なくされ銀座の夜は早まる。この『銀座細見』は何といって「カフェ細見」が圧巻。ライオン、タイガア、プランタン、サイセリヤなど一軒ずつ、人気の
女給の風評、当然、荷風先生ら銀座に遊ぶ文人たちの逸話など興味深い。デパートは震災後、銀座に進出する。三越は国光生命、震災で今川橋の店を焼かれた松
屋は徴兵生命の会社家屋の賃貸。キリンビールが明治屋資本、とあり。晩に夕飯済ませてから遅くに自宅近所の映画館で独り、
007、ジェームス=ボンド物の新作『カジノロワイヤル』観
る。ロードショー公開映画殆ど観ぬがアクション物は好き。それでも007など二十年くらい観ておらず、だったが、ふと父に連れられ七歳の頃だったか学校
帰ってくると「映画見に行くぞ」と連れて行かれたのが007で、映画など東映マンガ祭りなど除けば幼稚園の時にザ・タイガースのファンでザ・タイガース主
演のアイドル映画を見に若い叔母に連れて行ってもらったくらい、それが父に突然、映画に連れて行かれ、子どもながらにジェームス=ボンドとボンドガールの
濡場に目の置き場に困りながら「これは大人の映画、だが面白い」と手に汗握り見た記憶あり。映画跳ねてから近所の、父の馴染みの焼鳥屋に連れて行かれ「も
う十時……」と翌朝、学校に果たして起きられるか、と気になった記憶、鮮烈にあり。あの007はゴールドフィンガーだったかしら。で突然、父と一生で唯一
一緒に見に行った映画の記憶から007の映画が見たくなった次第。(以下、映画の感想につき注意)007、確かDr
Noであるとか世界征服を企む悪の集団との戦い、冷戦下でのソ連という悪の枢軸、でだんだんとエキサイトして確かスペースシャトルで宇宙にまで飛び出し
た、と記憶するが今回は「カジノロワイヤル」という原点回帰で、ウガンダの革命組織やテロ組織から資金調達し、飛行機処女飛行の飛行機爆破して航空会社破
産させ航空会社株持つ大口投資家に損させたりモンテネグロのカジノで豪遊する相手が「敵」なのだから、話はこぢんまり。で、その「敵」を倒されたまま終
わってしまいそうで一瞬、???であるが、真の敵がテロリストではなく実は「投資家」である、という、投資家ほど怖いものない、世界は投資家のために回っ
ている、という教訓を与える点で面白い。帰宅してウオツカマティーニ飲む。
▼行革相の辞任で後任に選ばれた渡辺喜美君。名前もオバサンっぽいがあのまま喜劇の舞台でオバサン役やらせたら背丈といい体格といい、頸から頭が前に一つ
出ている姿勢といい、ミッチーゆずりの訛りでぶつぶつと文句言わせたら適役。安倍三世からの大臣昇格の知らせは深夜だったそうで翌朝になってその安倍三世
からの電話について「熟睡体制でしたからあまり記憶にない」と。熟睡体制?
▼数日前の新聞読み返していたら朝日で論説主幹若宮啓文君が連載の「風考計」という月イチの連載が終わる、とあり「マスコミ言論はナショナリズムの道具で
はない」と述べる。言いたいことはわかるが
「キミには愛国心がないね」 学校の先生にそうしかられて、落第する夢を見た。
なんてフレーズが同じ「こんな夢を見た」でも御大・加藤周一と比べてしまうとまだまだ。「君が代」に民主的な二番の歌詞を、など四十回に及ぶ連載では珍説
も少なからず。どこかマスコミ志望の大学生が書いた「論説委員の随筆」的な青さがこの人らしさ、か。この人だから読売のナベツネさんが朝日の『論座』で対
談に応じた、という風説もあり。
▼今日になってNTTコミュニケーションズ(株)が「26日21時30分ごろに台湾南西沖の海底を震源として発生した地震の影響により、台湾南西部の広範
囲で多数の国際通信用海底ケーブル群が損傷し、ユーザーの通信サービスが利用できなくなっている」と発表。そんなこともう旧知の事実だろうに何を今更、の
NTTは大丈夫かしら。
十二月廿七日(水)昨晩台湾で大地震あった由。海底通信ケーブルの断線による不通で香港から台湾経由の日本、米国などネットは終日一切つながらず。一時は
国際電話も繋がりづらかったそうな。復旧の見込みたたず。メールが送れるのだけは幸い。某銀行の知人の話では海外決済不能に陥り年末のこの時期に打撃大き
く天手古舞。ネットつかった貿易会社や株だの先物取引だのもかなり影響あり。旧約聖書のバベルの塔の逸話の如くネットに驕れる人間に神の仕打ちか、とM
君。御意。慌ただしい世の中ふと反思するにはよい機会かも。昼にHappy Valleyの
寿司澄。ことに赤貝とヒモの握り格別。中トロのヅケも握りで。そういえ
ば昨日綴り洩らしたが午後にキャセイパシフィック航空から廿八日の搭乗案内と当日のバンコクの天気は……とメールが届く。一瞬、顔面蒼白。慌てて確認する
と八月にバンコクから香港経由で東京まで購入のチケットのうち最後の香港〜バンコク間の予約が廿八日になっていた由。これはダミー。実際に渡泰の予定もな
くバンコクの代理店のI氏に電話して予約を先延ばしする。メールが届いたからよかったが気づかずにいたら危なく香港〜バンコク間のフライトをなくすとこ
ろ。
十二月廿六日。聖誕節翌日(Boxing Day)休日。毎年恒例でピークのキャメロン山の中腹を回る4kmの
Boxing Day
Runあり参加。仮装の


ラ
ンナー多きFun
Runで気軽に4kmジョギングしてお終い。応援に来たZ嬢とStubbs
Rdを下りピーク中腹の大陸からの観光客が朝夕多い見晴し台に寄る。もっと景観期待したが「大したことない」眺め。チープな香港土産売る屋台が数軒。昼前
に銅鑼湾に下りCitysuperの
元八らーめんに食す。香
港の日系フランチャイズらーめん屋の中ではここが美味。帰宅して年末の大掃除。普段からかなり几帳面に片づけているつもりではあるが荷物がたまる。所帯じ
みた生活臭さのない環境が理想的。早晩にランニングクラブ会長のK氏とN君夫妻来宅。酒をかなりご持参あり。冒頭からペニンスラホテルのオリジナルと
Moet & Chandonの三鞭酒二本空けてZ嬢の酒肴を合わせにごり酒五合瓶、でニッカの「鶴」とかなり飲む。
▼昨晩の朝日で加藤周一先生が夕陽妄語の連載でバルバラ=吉田=クラフト女史(1927〜2003)について書いていることを久が原のT君がメールで教え
てくれる。香港の衛星版だと今日の掲載なので楽しみに待つ。確かに加藤周一はバルバラさんが吉田秀和先生の夫人であることを一切言わない。わかる人だけが
わかればいい。ただ今年、バルバラさんの『日本文学の光と影』の日本語訳が出版され、その編・訳で吉田秀和という名前の紹介だけあり。しかし、なぜ加藤周
一がバルバラさんによる往年の日本文学のドイツ語訳の作業を書いたかといえば、周一先生から、同じ朝日で(バルバラ夫人逝去から中断していた)音楽展望の
連載を再開した秀和先生への密かなエールかしら。なんてこった。羨ましいこの世界。バルバラさんによる独逸語訳の話は川端から鷗外漁史、鷗外の渋江抽斎な
ど史伝に目を当てた夷斎先生、そして荷風散人へと話が進む(バルバラさんには『濹東綺譚』と団長亭日剰(1937年部分の抄訳)あり)。加藤周一が文学作
品を語る時は怏々にして政治への隠喩であったりするもの。1937年に中国侵略戦争への反対意見を公式に発表はできずとも、散人がせめて権力に媚びる態度
だけはとらなかったこと、を周一先生は指摘(乎、なんて「羊の歌」と思うのだけど)。T君は「而して文学世界が現実世界と対蹠的な精神の自由の牙城となる
べき時代の不安」とメールを結んでいたが、まさに。加藤周一先生が一つだけ、と断って引用の、バルバラさんの記述。
荷風の耽美主義は、一貫してまずその文章スタイルに表れてい
る。……他の人の作品ではほとんどの場合、中国風の言い回しが、日本語の文章の中にぎこちない形で残っている。これに反し、荷風の筆にかかると、日本語
が、中国風の表現を通じて一種独特の深味を明るさを与えられ、まるで、文章に宝石が鏤められているかのようになってくる。
十二月廿五日(月)聖誕節休日。快晴だが何かと机まわりの雑事片づけカメラの手入れなどして、ふとライカのレンズにフィルターをきちんとつけていない、


と
いうことが気になる。で木村伊兵衛はどうだった?と気になり朝から月刊太陽の『木村伊兵衛の目』(1999年7月号)や94年5月号の『土門拳の日本』な
んて読む。そういえば赤瀬川原平が香港を撮影しまくった芸術新潮があった、植草甚一翁の愛用したカメラは?などと気になり、いろいろ雑誌など捲っていると
いけない。あっという間に昼になってしまう。最近は
銀座菊水オリジナル
のパイプを愛用していたが掃除しようとすると中の真鍮のフィルタの破損に気づく。次に銀座に行くのは来春になろうし久しく使っていなかった
Stanwellのパイプを出して磨く。吸い口がエボナイトなのでエボナイト
というのは万年筆でもそうだが使って手脂がついていないと早く傷む。

応
急措置で「そんなのあり?」でサンダルウッド樹脂で磨いてみる。エボナイトはもともとは確かゴムに硫黄を混ぜるかしてできた素材なので「こんなのもあり」
と勝手に決めつける。パイプを磨いたところで愛煙家の多いFCCですら禁煙条例発令に合わせ今月末で館内全面禁煙。公園もほとんど禁煙になるのでパイプを
ゆっくり吸える場所など本格的なバーくらいになる。昼過ぎに湾仔。
永華麺家で
薑葱撈麺。美味。Protrek野外運動用品店冷やかして湾仔の市街をふらふら。



銅
鑼湾。GRデジタルの専用の皮カバーは上品でいいのだが山へ持って行くにはHeavy
Dutyには合わぬので山にデジカメ持参する時のためのカバーが欲しいのだがProtrekにもないから銅鑼湾の山屋へ行っても置いておらず旺角花園街の
アウトドア屋へ。沢山種類ある。最初から旺角に来れば良かった。尖沙咀。香檳大廈のカメラ屋は祝日で休みか?と心配だったが間口一間の数件除き大方が営
業。朝のカメラ話に戻るがレンズにフィルターを結局付ける結論に達して、ただズミルックス50mm用の43mm、それにズミクロン50mmとエルマー
90mmのための39mmのフィルターなんてそこいらぢゃ売っておらぬので香檳大廈に寄った次第。陳烘相機公司(David Chan
Company)で安物がないか?と物色したが女将に「ライカなら純正があるから、安くするからちゃんとしたの使いなさいよ」と発破をかけられ上品の中古
2枚(新品だと言われたら信じるだろう)と新品1枚を入手。中環。中環はちょうど午後三時くらいで、この時季だと陽光が信じられないくらい面白い角度から
さすのがいい。





普
段見慣れた中環の風景が全く別の次元の光空間と化す。ただしそれも三時半くらい迄。もう太陽は大廈の背後にすっかり隠れてしまい写真撮影はお終い。中環の
カメラ店何軒か冷やかしてFCCに寄る。『外交フォーラム』を半年分もためていたので通して読む。ハイボール三杯。早晩にZ嬢FCCに来て軽く夕餉済ま
す。聖誕節にはしゃぐ人々多く満載のスターフェリーで尖沙咀。香港文化中心にて主に瑞西人の演奏家によるピアノ七重奏の演奏会(
こ
ちら)あり参観。この演
奏会の切符発売の告知を見たのがちょうどマーシャ=アルゲリッチら世界的な十人のピアニストによる

The
Verbier Festival & Academy 10th Anniversary Piano
ExtravaganzaをDVDで見てしまった直後だけに今回の七重奏の曲目すら注意することなくチケット求めたのだが後になって気づいたのはチケット
のMagical Christmas with Piano Sevenという題目。聖誕祝う曲のオンパレードか、


と
覚悟して会場に赴けば会場には案の定、クリスマス気分の子連れ家族や若いアベック多し。……で演奏始まると「会場の誰もが、えっ、と驚いた」「これって城
達也のジェットストリーム?」な感じのクロスオーバーなイージーリスニングな環境音楽っぽい曲が延々と続く。確かにピアノは七重奏なのだがバイオリンとビ
オラに打楽器が入り曲が変わっても「まだ続いてる」というくらいクロスオーバーなイージーリスニングな環境音楽が続く。会場の観衆の多くがクリスマスな気
分に浸るはずが「こんなはずじゃなかった」と思いつつ所詮イージリスニングなので拒否までもせず楽しんだかしら。あたくしは個人的に全くダメ。帰宅して今
日の写真だけ整理して中井英夫の短編を少し読んで寝る。
▼月刊『
外交フォーラム』につい
て。外交や国際関係論の専門家相手の硬い雑誌という印象強いが7月号の中東情勢特集など素人が読んでもわかる平易さでかつ専門的に気鋭の
酒
井啓子や
鈴木均(アジ研)な
んて研究者が書いている横で
サラーム海上なんて人が中東音楽を語っ
ている。9月号だったかではサンクトペテルブルクでのサミットが数頁にじつにコンパクトに内容まとめられており薮中三十二がサミット舞台裏を語る。11月
号の伊那久喜(日経論説副主幹)による小泉外交の総括も一読に値する。かなり面白い専門誌、と認識。これを出しているのが都市出版。月刊『東京人』も同
じ。この『東京人』は3年くらい前に特集がマンネリ化している気がして松葉一清の巻頭言が終わったのを機会に購読を止めた。『外交フォーラム』に『東京
人』の広告が出ているのだが06年9月号なんて特集「占領下の東京」は半藤一利、井上ひさしに五百旗頭真の鼎談、映画『太陽』をめぐりソクーロフ監督が篠
田正浩相手に語り、文楽特集もあり面白そう。でもまだ年に一回は中央線特集もあり。
十二月廿四日(日)朝日一面にディープインパクト引退の今日の有馬記念の記事。競馬にとっては話題だろうが、昨日の天皇誕生日については一般参賀を社会面
ベタ記事の扱い。




朝
八時半に荃湾に七名で集合しタクシーで城門ダム。針山に一気に登り草山から鉛鉱峠(Lead Mine Pass)に下りMcLehose
Trailは此処まででWilson
Trailを大埔に下る予定が咄嗟の判断で郊外地図の破線の道を下ることにしたら珍しく薮漕ぎになってしまい難儀して打鐵屻という廃村の観音宮に出る。約
15kmを3時間四十五分。新屋家という分譲地に下ったところで23Kのミニバスがちょうど始発で大埔墟まで下る。香港バブルの象徴の歴史的遺物の如き大
埔総合大樓にある街市の熱食中心(確か
東興という食肆)にて
遅めの昼飯で麦酒大いに飲む。麦酒大7瓶に料理が6皿でHK$258、1人HK$35じゃ500円也。KCRで紅磡。香港島に渡る隧道巴士(海底バス)に
乗ってふと思ったのだが

「ど
うみても淫売婦」なご婦人多し。日曜日の午後に何事か、と思ったが、思えば深圳から香港に入った彼女らにとって働き場といえば旺角か北角。案の定、北角で
皆さん下車。聞くところでは北角の新都城大廈には鳳凰樓(私娼宿)多い由。帰宅してビデオ録画で男子の全国高校駅伝と有馬記念見る。高校駅伝のスタートは
アフリカ駅伝の如し。有馬記念。パドックでせっかくパドック内に招かれた紳士淑女の皆さま、お願いだから携帯でディープや武豊の写真はしゃいで撮るのは止
めて。下品。ディープインパクト軸でダイワメジャーでペリエ絡めて三連単、三連複なんて思っていたら、的中……だが馬券買っておらず。街中こっちもそっち
も聖誕節の連休で異教徒らはしゃぎ凄い人出の賑わい。出かけぬにこしたことなし。三更に近くの新教徒の教会前で信者らの賛美歌の合唱あり。午後十一時半で
あるが賛美歌合唱が流れてくるのを聞いて「ロマンチックなクリスマスね」なんて慰撫されていてる異教徒多いからキリスト教徒も「異教徒らには迷惑」などと
は