乾 坤容我静 名利任人忙
教育基本法(1947〜2006) 改正に反対した文化人129 名の声明 憲法改正反対(九 条の会こちら) 
米国の理性Barack Obama氏(民主党、上院議員)を米国総統に推しま せう。                     

また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。
ヨ ハネによる福音書8章32節)

わかりやすい言葉が跋扈 すると、みんな目をきらきらさせて連帯を始め、ボランティア精神が賞賛され、強要される。そしていつか来た道になる。(誰 かの言 葉

メディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味で はコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意 識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディ アの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。(佐藤卓己)

■ 「はてな」の富柏村日剰(テキストのみ)こちらを ご覧 ください。
■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日剩を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。

2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

十二月卅一日(日)快晴。朝八時半荃湾地鐵站にアルピニストO氏と待ち合せ。O氏は深圳の福永に住まわれるが朝の六時五十分にタクシーで皇崗、香港に入り 八時十分過ぎには荃湾に到着の由。交通方便まことに驚くばかり。二人でタクシーにて荃錦凹の峠。MacLehose TrailのSection-9に入る。この最後の2段終えれば余がこの秋に始めたMacLehose Trailの100kmを7回で踏破。但し本日のコース自称健脚二人組にとって延々続く混凝土道「つまらない」と元荃古道から圓墩郊遊徑に入る。見事な渓 流、群生する蝶、竹林は竹の香りも芳し。三 時間余歩き深井に向うと深井の集落の山あいに突然「廃墟愛好家は垂涎であろう」宿舎のような大型建築も含む、どこか周囲から隔絶したような鄙びた「安部公 房が好きそうな」集落あり。地図で確かめると深井商業新村と云う。「なによ、その名前」と赤瀬川原平的に探険すると、その高層の建物は香港の紡績業をかつ て代表した九龍紗廠(Kowloon Textile)の職員宿舎(すでに閉鎖)で「商業新村」は香港に幾つもある郊外の密集型集落なのだが「商業」という名前が奇妙。九龍紗廠の宿舎はあれ ば、深井といえばかつてはサンミゲルの香港麦酒工場もあり、嘉頓麵包の製パン工場もあると思えば従業員の住み着いた新村なのかも(香 港島で薄扶林村がDaily Farmの従業員の住み着きのように)。裕記 焼鵝飯店。焼鵝、鵝腎に皮蛋、という「成人病コース」堪能しながら故きを温ね、でサンミゲル大いに飲む。佐敦まで赤ミニ爆走二十分。ジムで 一浴して帰宅。Z嬢と西湾河の蛇王福で蛇羹と糯米飯。大晦日 に長寿願い蕎麦を喰うなら蛇も一緒か、と笑う。明記糖水で緑 豆沙。昨日に続き電影資料館でムルナウの『サンライズ』観る。去年だったかこの電影資料館でムルナウ特集ありさんざんムルナウの今でいえばカルトっぽい作 品を何本か看たが独逸から米国に渡ったムルナウがハリウッドで製作し1927年のアカデミー主演女優賞、撮影賞受賞の映画。昔から「看たい」と思って機会 なく今日に至る。ストーリー的には陳腐でもあるが米国で勃興の映画「産業」に聖林という場所でムルナウが「モーションピクチャーとはこういうもの」と教え た、と思えばいいか。有名な、遊園地でのシーンは確かに圧巻。遠方の壁の三階にいる人たちまでがそれぞれ演技してキャメラの精巧なレンズがそれを写し出 す。帰宅途中に太古城に開店した無印良品で引き出しの整理用ケースなど購い帰宅して突然、引き出しの中など片づける。ついでに本を積みすぎて本の落ちてき た書架も少し整理、のうちに年を越す。ところでNHKの紅白の冒頭を看たZ嬢の話では「今年の紅白は<家族の絆>を」云々と宣ったそうな。本来、世界中、 どこでも「当たり前」にある家族の絆などというものを、いちいち首相だの国会だの政府が口にしてマスコミが囃し立てなければならぬ悲劇的現状。本来そうい うものぢゃないことすら認識できず「そう、家族が大切」とイメージ的にだけ共鳴。純朴さ。マスコミが語る話ではなかろう。で紅白を家族揃って看ているのか しら。家族でみんなバラバラだったり。ふと、子どもの頃に大晦日にふだんにも増して忙しく仕事終えて帰ってきた父母、紅白ももう途中から、で、余が「なぜ 紅白を看なければならない?」と看ずにいたらふだんは怒ったことのない父がとても怒ったことを思い出す。父も当然ながら「なぜ紅白を看なければならない か?」ということに正しい答えなどない。今にして思えば父にとって晦日ならではの一家団欒の時であり、それを息子に拒否されたことがどれだけ不快であった か、自らの自我的判断は別にして付き合うのが大人だろう、と思うが当時は多感な少年時代。どうであれ年末のテレビ番組で「私たちのとって一番大切なのは家 族、その絆を」なんて宣われ人々が「ほんとそうよね」なんて看ているのは世界中で日本だけのはず。この「気持ち悪さ」「精神病理的状況」はほのぼの「ほん とそうよね」している場合ぢゃない。教育基本法も改定し次は憲法。戦後の古き良きものが悉く蔑ろにされてゆくのだから紅白歌合戦もやめていいのでは? こ れは存続が必須なのは、紅白に期待されるものが「国民の統合」であり「家族の団欒、絆」だからなのかしら。一昨日だったか洪清田氏が信報で「現代政府/国 家的経済角色」という一文を寄せて語るに、社会発展モデル的にみれば、経済が宗教や軍事政治を超え社会変革の最も重要な要素となり、それにより社会は小農 社会から市場経済型の資本主義になってきたのだが、と(社会経済学的には常識的な)概念を紹介し、西方社会では、この経済発展に科学、民主、法治などが連 動して発展したのだが、目をアジアに転じると、として、主題は中国がいかに小農社会から市場経済型の社会に変化するか、なのだが、その考察の中で、世界の 主要経済大国のなかで英国、仏蘭西、独逸などに続き資本主義化を第一次世界大戦後に迎えた日本は本来、解消されるべき小農集落社会を発展的解消することも ないままに経済成長を続け、その結果、未だに「日本のアイデンティティ」などに拘っている、と指摘あり。御意。余は幼き頃から何より納得がいかぬのは、何 も解決どころか考察すらせぬままに、とにかく年末になれば「今年もいろいろありましたが新しい年は」と伊勢神宮の遷宮の如く勝手に御破算してしまい年があ ければ、さも何もかも新しい門出、と気分一新してしまう、この甘さ。しかも明治でさっさと太陽暦でそれをやってみせた優柔不断。<家族の絆>のために何が 必要なのか、敢えて言うとするならばだ、必要なのは<個人の自立>だろう。個人の自立なくて近代の家族の絆などある保てる筈もなし。全く以て個人が自立も しておらぬ「集落」が、現代のこの社会で家族の絆など保てたら、ちゃんちゃらをかしくてヘソが茶を沸かさぁ。

十二月卅日(土)快晴。ネットの香港から日米への不通もここまで長引くともう慣れてくるから不思議。見るものを見れない、という不便はあるが死活ほどの問 題でもなし。寧ろ年末にたまった雑誌など読むのはちょうどいい機会かも。EpsonのR-D1sで唯一の問題は電池消耗。ライカのレンズと一緒にいい仕事 をするのだから電池の消耗が著しいことも納得できるが(理由になっていないか……)満タンに充電した電池でもちょこちょこと一時間も撮っていると(撮影し た画像の再生を何度もしているからだろうし、電源のオンオフの所為もあり)電池のインジケーターの針が振れ始める。ずっと撮影を続けていたら半日保つかど うか。でEpsonのサービスセンターに電話すると充電電池の在庫がある、というので早速、九龍バスの誇る102路線のバスにのり九龍湾に向う。土曜日の 昼前にのんびりと暑いくらいの青空で風景眺めながら新聞など熟読もしつつ小一時間のバスの旅。充電電池を入手。バスで深水埗の欽州街。ずいぶん久しぶりに 鴨寮街を歩く。旺角を香港のアキバと言う人もいるが深水埗鴨 寮街こそ秋葉原。電気関係のパーツと中古オーディオやガラクタなどが路上と軒を連ねた店々に並ぶ。拙宅のウォシュレットの変圧器(銅製品は日本製で 100Vのため代理店から変圧器共々購入)が時々唸るので開けてみると変圧器の変圧コイル部分固定するネジが一つ外れており(たぶん最初から付いておら ず)その、かなり短くて細いネジと留め金を探すとネジのサイズでM8というものであった。ついでに変圧器の電源部分のスイッチ部品も購入。オーディオでは 真空管のアンプが欲しいところだが「ライカ散財」で音響どころに非ず。医局街から太子(Prince Edward)に向い歩く。深水埗に南昌街というとても道幅の広い通りあり。今では遊歩道と公園になっている通りの中央分離帯は十年くらい前までだったか 臨時市場あり。しばらく前の蘋果日報で南昌街の歴史の謂われ紹介の記事あり。陳 南昌(1900〜1971年)という人あり。広東省新會の人。十余歳で父に従い渡豪。新會は江門、開平に近く広東省では海外移民が盛んな地なのだ。豪州で 建築を学び三十年代に香港に戻り外資系の建築会社で建物測量師として働く。1933年には現在の深水埗付近で不動産に手を広げ1940年に羅桂祥という人 と合弁で維他奶(Vitasoy)創設。英語が流暢に話せる陳南昌は自らが土地を獲得していた深水埗地区で地元民の福利に積極的に援助の手を差し伸べ地域 の有力者となり、戦後、大きな運河のような用水路を埋め立てた大通りに南昌街という名前が付けられる。地図で南昌街を見ると深水埗から石硤尾の公団住宅街 を通り抜けぐるりと西にまわりこみ大窩坪、獅子山の麓まで南昌街が延びる。これがこの巨大な用水路の跡地であることは明白。1930年代当時、なぜこのよ うな一人の若者が深水埗の広大な土地を買収できたのか、は地図を見たり歩いたりすれば一目瞭然で、ここはBoundary Street(界限街)の外側。英国にとっては租借地。で散歩は続きBoundary Streetを九龍側に渡ると、ふと茘枝角道から楓樹街(Maple St)というなかなか美しい名前の通りを入ると突然、広い幾何学的な通りの両側にほぼ同じ高さのモダンな集合住宅が並ぶ一角があり。なんじゃこれは?と驚 くほど五十年代的な現代建築。初めて歩いた、このSycamore Stは詩歌舞街と名前はずいぶんと楽しそう。地図で見るとBoundary Street(界限街)、茘枝角道、塘尾道、通州街、大角咀道に囲まれた亀甲のような一角は明らかに都市整備計画に基づいた集合住宅地の建設で、それが Boundary Street(界限街)の境界に沿ってあるところがニクい。当時、旺角には花園街だの西洋菜街、通菜街という名前が残るように、歴史家の高添勉君の話で は、かなり緑地の多い一帯だったそうで、この住宅地も英国の田園都市のような発想の流れを汲む高層団地計画だった?などと想像しながら散歩は続く(実際、 帰宅してから五十年代の市街地図で確かめると五十年代、まさにその一角(角が削られておらず当時は見事な大三角形)が開発中で道路に名前もついておら ず)。太子(Prince Edward)に入る。戦前から上海にあり戦後、香港に出てきた浴徳池という古い風呂屋も十一月初めだったか、で閉業。建物取り壊す寸前で内部の解体が始 まっており、ちょいと闖入して工事作業中のオヤジに怒られながら写真撮影(このへんの写真は日剰には上網しておらず。Flickr!の写真集をご覧あ れ)。昼もだいぶ遅くなったが、永合隆飯店で叉焼焼鴨飯。美 味至極。この店、豚、鵝鴨、鶏まで見事に焼臘物を供するが青物など油菜も何もないのが香港でも珍しい。それでも酒は出す。オヤジたちが昼間から乳豚の皮肉 だのを肴に酒をひっかけているのがいい。帰宅してウォシュレットの変圧器の修理。代理店を含め他人に頼むより(冷房と瓦斯、水まわりを覗けば)簡単な電気 関係の修理など自分でやったほうがよっぽどマシな場合多し。香港電影資料館でZ嬢と待ち合せ早晩にト ム=ハンクス主演のThe Terminal(2004年)を見る。電影資料館では今月から来月にかけて移 動空間(Moving Spaces)と題して、映 画撮影のセットや空間美術で魅力ある映画ばかりを集め放映中。かなり面白い企画。紐 育のJFK空港舞台にしたThe Terminalも当然、その内の一作。展覧スペースでは映画セットに関する展示もありThe Terminalのセット模型も現物あり。見事。近くのコンビニで焼き立てのガーリックトーストと180mlの赤ワイン購い空腹を満たし、続けて香港B級 コメディ映画の傑作「92  黒玫瑰対黒玫瑰」を見る。SARSの最中の香港映画祭(2003年)でマスクした観客わずか七、八名で見て以来。梁家輝(トニー=レオン)のカ ルト的な演技秀逸。かつての香港のB級アクション映画へのオマージュ。「くだらない」ということに徹した傑作。西湾河の太安樓G階商場にある泰式小食館でタイ式海鮮河粉湯、食す。ほんとにバンコクの市場にいるの では?と錯覚するような空間。それにしても太安樓、夜遅くなってからの屋台の食べ物屋の賑わいは香港でもガサツさで特筆すべきものあり。いつまで「放置」 されるのか期待。帰宅してPowerBookを立ち上げると我がヱブや米国のサーバーに接続可。ちょっと接続の速度は遅いのでどうにか迂回路でも出来たの か。「はてな」は読めるが更新はできず。慌てて26日からの日剰と画像を上網、深夜に至る。

十二月廿九日(金)安倍内閣メールマガジンの号外「編集部からのお知らせ」届き
安倍内閣メールマガジンの次号配信は1月11日の予定です。1月4 日は休刊とさせていただきます。
とだけ告げる。「号外」どころか単に次号予告に過ぎず。あれ、さういへば毎週木曜朝の配信のはずが昨朝は届いていない? タイミングとしては行改相辞任 で、その「釈明」のいい機会であったが、前二週はタウンミーティング「やらせ」について何の言及もなく、今回もこの逃げ。夢だの希望、いいこと尽くしなら メールマガジンなど不要。タイミングよく自らの生の声で不祥事についても言及できるはず。年が明けて一月十一日になって「国民の皆さん、明けましておめで とうございます。安倍晋三です」では興ざめ。小泉さんなら言い訳であれメールマガジンで何らかの釈明に徹したであろうし一月四日に「今日から仕事始め」な んて配信をしていたかしら。かなりたまっている新聞や雑誌の切り抜きや定期購読しているものの八月以降たまってしまった雑誌を読んで整理しよう、と香港大学の図書館へ。自宅よりやはり図書館のブース机のほうが集中するのは確か。た だこの図書館の書架には日本文学の古典から三島、大江くらいまで、多くの本がまだ誰も頁を開いた形跡もなく所蔵されているから鏡花全集など眺め書架の間を 歩くだけで垂涎。気が散って持参の資料に集中できぬ嫌いあり。3時間ほどかけて新聞雑誌の切り抜きの整理で雑誌まで目を通せずに終わる。香港大学の図書売 店で2007年版の香港街道地方指南を購う。これを入手すると年の瀬。これほど毎年進化する地図帳は他になし。午後になりBonham Roadの馬来亜餐庁で遅めの昼食。蝦のラクサ。美 味。西營盤に下り甘味の源記で蓮子緑豆沙を頬張る。西營盤で 煲仔飯の美味い坤記という食肆はお世辞にもキレイとはとても 言えぬ、小汚い肆で路上に 卓を並べ賑わっていたが、二年ほど来ておらぬ間に近隣に間口五間ほどの肆を構えるほどになり驚く。劉健威兄が西營盤に煲仔飯の美味い食肆が出来て二晩も続 けて食べた、と書かれたのが七、八年前のこと。飲食店が繁盛して店を拡張してキレイになると味が落ちる、という場合も少なくないが此処はどうかしら。皇 后大道西から乾物商の並ぶ高陞街、珍しく 骨董品のCat Streetを抜ける。Hollywood Rdに中国 書局という百年一日の如く古びた文房具店あり。何年も前から四半世紀前のものか、パーカーやクロスのデッドストックっぽいペンが店頭に並 ぶ。ふと気になって「ぺんてるのP207」があるかも?と店を覗くと同じシリーズのP203とP209(0.3mmと0.9mm)はこの店の大変に乏しい 陳列商品の中にあり。0.7mmはない?と主人に尋ねると「確か、あったような……」と戸棚からP207が1ダース箱で出てくる。思わず1打買い占めよう か?と思ったが「まだ製造は中止になっていない」という主人の言葉を信じて4本だけ購入。それでも「なんでそんなに買うんだ?」と主人は怪訝な表情。旧中 央警察署の向い側を歩いていたらVogueという洒落た名前のオフィスビルの看板に警察署の洋館が面白く映るので写真を撮ろうと思ったら守衛が出てきて 「写真を撮るな」と言われるのか、と思ったら「ライカか?」と。「レンズはね」と答えると守衛のオジサンは写真撮影が趣味でカメラはライカのM4-2でレ ンズはアダプター噛ませてキャノンのレンズを使っている、と言う。いろいろな組み合わせがあるものだ。オフィルビルの看板とって何が面白いんだ?と言うの で、いや、ね、反射で映っている警察の建物が面白い、と、 路上でありがちなオヤジどうしの写真談義。これも「ライカですね」ならでは、の世界。FCCでハイボール一杯。中環のHanart TZ GalleryでDüsseldorf School of Photographyの写真家の写真展示あり、と知って出向いてみる。が写真は三点、どれもピンとこなかったがAndy Warholの「毛沢東」や魅了されるAlfred Siu(1982年)などあり、Tony Bevanという画家の絵がやけに印象に残る。市大会堂で一月の芝居のチケットなど購入し無印良品で雑貨購い帰宅。お好み焼き。NHKで日本より二時間遅 れだかで今年の大相撲振り返る対談番組の放映ありデーモン小暮閣下の相撲評を聞き入る。
▼五年に一度の新聞マスコミ従事者の評価に基づく新聞マスコミの公信力評価結果発表される。一位は96年より三年連続で信報。二位がSCPM紙。三位以 下、経済日報、明報、HK Standard、星島日報、蘋果日報(前回12位⇨7位)と続き、以下、無料タブロイドの都市日報、AM730、で経営破綻と噂される成報、親中紙では まだ真っ当な文匯報、無料タブロイドの頭條新聞、親共の香港商報、大公報、でブービーが新報で最低評価が東方日報系の太陽報という結果。蘋果日報が予想以 上に公信力ありと評価され、信報は堂々の一位だが前回5年前の調査では10点満点で7.63であったのが今年は7.10と、90年の第1回調査での同紙2 位での7.42(90年はSCMP紙が1位)より低いことは着目すべき。
▼イラクで死刑確定のフセイン元大統領。イラク国民に対して「私の身を犠牲として捧げる。神が望むなら、私は真実の人間、殉教者として、列せられるだろ う」と述べ、国民に団結求め「敵」に立ち向かうよう呼びかけ。フセイン氏に罪がないとは断じて言わぬが、百数十人の虐殺の罪が問われ、一方で他国侵略し数 千名の命を奪った国の大統領は「正義」だの「自由」だのと嘯けるのは不公平。
▼信報に創刊以来頻繁に記事を寄せる關愚謙氏が手記で信報副刊で古典音楽評を寄せる孔在齊という人についてずっといったい誰なのか知らずに読んでいたが信 報の元編集長の(現在は月刊信報に毎月のように旅行記など寄せる)の沈鑒治氏に孔在齊の音楽評あつめた新刊書を贈られ、孔在齊が誰だか關氏とは知己である 關愚謙が初めてわかった、と。先日綴った加藤周一から吉田秀和への密かなエールといい、この話といい、年寄りが断然素敵に思えてならず。

十二月廿八日(木)通信不通依然続く。香港では死活問題的に通信混乱報じるが日本では「東南アジアで海底ケーブル断線による通信不通が」的見方で「中国株 取引など停滞」「台湾などへ旅行の際にはローミングが使えないなど不都合があるので注意が必要」と彼岸の火事の如し。今朝の朝日にはこの通信不通について 記事もなし。日本ではよっぽど中国株の売買であるとか香港のバンキング活用でもしておる方除けば日本〜アジアへの通信線が断絶しようとほとんど支障なし。 アジアにあって、のはずの日本の環境が顕わになる。通信などもいかに国内に閉じた世界か、の証左。これで日本が宗主国たる米国との生命線である日米線が不 通になった場合はどの程度の騒ぎと混乱になろうか。安藤更生著『銀 座細見』読む。昭 和6年、当時『東洋美術』創刊し編集長で あった安藤更生が春陽堂より刊行しベストセラー。昭和52年に出た中公文庫版を暫く前に入手(絶版)。初版当時、著者はまだ32歳。『柳橋新誌』の柳北ほ どぢゃないが、大正4年、16歳で初めて夜の銀座を散歩してカフェプランタンに入った更生は32歳で「銀座の灯は今でも僕の心を誘って止まない」としつつ 「だが、もうオサラバだ。銀座よ、僕は忙しいんだ。(略)僕にとっては懐かしいあの自由主義的な古い銀座の面影は消えてしまった」と、この『銀座細見』を 綴る。当時の銀座はまだ若者の街と言う。戦前まで銀座の他に浅草、御徒町、神田、日本橋と賑やかなのは想像に易いが神楽坂が「東京でも有数の」繁華街だっ た、というのがどうも戦後生まれのアタクシには想像つかぬ。更生も荷風散人と同じく震災で古き良き銀座の全てが失われた、と思う。時代が進むにつれ銀座な ら銀座がどんどん賑やかになる、と思ったら間違い。震災前の銀座で市電が止まるのは午前二時。震災後、風紀取締りなど厳しくなりカフェなどが深夜零時の閉 店余儀なくされ銀座の夜は早まる。この『銀座細見』は何といって「カフェ細見」が圧巻。ライオン、タイガア、プランタン、サイセリヤなど一軒ずつ、人気の 女給の風評、当然、荷風先生ら銀座に遊ぶ文人たちの逸話など興味深い。デパートは震災後、銀座に進出する。三越は国光生命、震災で今川橋の店を焼かれた松 屋は徴兵生命の会社家屋の賃貸。キリンビールが明治屋資本、とあり。晩に夕飯済ませてから遅くに自宅近所の映画館で独り、007、ジェームス=ボンド物の新作『カジノロワイヤル』観 る。ロードショー公開映画殆ど観ぬがアクション物は好き。それでも007など二十年くらい観ておらず、だったが、ふと父に連れられ七歳の頃だったか学校 帰ってくると「映画見に行くぞ」と連れて行かれたのが007で、映画など東映マンガ祭りなど除けば幼稚園の時にザ・タイガースのファンでザ・タイガース主 演のアイドル映画を見に若い叔母に連れて行ってもらったくらい、それが父に突然、映画に連れて行かれ、子どもながらにジェームス=ボンドとボンドガールの 濡場に目の置き場に困りながら「これは大人の映画、だが面白い」と手に汗握り見た記憶あり。映画跳ねてから近所の、父の馴染みの焼鳥屋に連れて行かれ「も う十時……」と翌朝、学校に果たして起きられるか、と気になった記憶、鮮烈にあり。あの007はゴールドフィンガーだったかしら。で突然、父と一生で唯一 一緒に見に行った映画の記憶から007の映画が見たくなった次第。(以下、映画の感想につき注意)007、確かDr Noであるとか世界征服を企む悪の集団との戦い、冷戦下でのソ連という悪の枢軸、でだんだんとエキサイトして確かスペースシャトルで宇宙にまで飛び出し た、と記憶するが今回は「カジノロワイヤル」という原点回帰で、ウガンダの革命組織やテロ組織から資金調達し、飛行機処女飛行の飛行機爆破して航空会社破 産させ航空会社株持つ大口投資家に損させたりモンテネグロのカジノで豪遊する相手が「敵」なのだから、話はこぢんまり。で、その「敵」を倒されたまま終 わってしまいそうで一瞬、???であるが、真の敵がテロリストではなく実は「投資家」である、という、投資家ほど怖いものない、世界は投資家のために回っ ている、という教訓を与える点で面白い。帰宅してウオツカマティーニ飲む。
▼行革相の辞任で後任に選ばれた渡辺喜美君。名前もオバサンっぽいがあのまま喜劇の舞台でオバサン役やらせたら背丈といい体格といい、頸から頭が前に一つ 出ている姿勢といい、ミッチーゆずりの訛りでぶつぶつと文句言わせたら適役。安倍三世からの大臣昇格の知らせは深夜だったそうで翌朝になってその安倍三世 からの電話について「熟睡体制でしたからあまり記憶にない」と。熟睡体制?
▼数日前の新聞読み返していたら朝日で論説主幹若宮啓文君が連載の「風考計」という月イチの連載が終わる、とあり「マスコミ言論はナショナリズムの道具で はない」と述べる。言いたいことはわかるが
「キミには愛国心がないね」 学校の先生にそうしかられて、落第する夢を見た。
なんてフレーズが同じ「こんな夢を見た」でも御大・加藤周一と比べてしまうとまだまだ。「君が代」に民主的な二番の歌詞を、など四十回に及ぶ連載では珍説 も少なからず。どこかマスコミ志望の大学生が書いた「論説委員の随筆」的な青さがこの人らしさ、か。この人だから読売のナベツネさんが朝日の『論座』で対 談に応じた、という風説もあり。
▼今日になってNTTコミュニケーションズ(株)が「26日21時30分ごろに台湾南西沖の海底を震源として発生した地震の影響により、台湾南西部の広範 囲で多数の国際通信用海底ケーブル群が損傷し、ユーザーの通信サービスが利用できなくなっている」と発表。そんなこともう旧知の事実だろうに何を今更、の NTTは大丈夫かしら。

十二月廿七日(水)昨晩台湾で大地震あった由。海底通信ケーブルの断線による不通で香港から台湾経由の日本、米国などネットは終日一切つながらず。一時は 国際電話も繋がりづらかったそうな。復旧の見込みたたず。メールが送れるのだけは幸い。某銀行の知人の話では海外決済不能に陥り年末のこの時期に打撃大き く天手古舞。ネットつかった貿易会社や株だの先物取引だのもかなり影響あり。旧約聖書のバベルの塔の逸話の如くネットに驕れる人間に神の仕打ちか、とM 君。御意。慌ただしい世の中ふと反思するにはよい機会かも。昼にHappy Valleyの寿司澄。ことに赤貝とヒモの握り格別。中トロのヅケも握りで。そういえ ば昨日綴り洩らしたが午後にキャセイパシフィック航空から廿八日の搭乗案内と当日のバンコクの天気は……とメールが届く。一瞬、顔面蒼白。慌てて確認する と八月にバンコクから香港経由で東京まで購入のチケットのうち最後の香港〜バンコク間の予約が廿八日になっていた由。これはダミー。実際に渡泰の予定もな くバンコクの代理店のI氏に電話して予約を先延ばしする。メールが届いたからよかったが気づかずにいたら危なく香港〜バンコク間のフライトをなくすとこ ろ。

十二月廿六日。聖誕節翌日(Boxing Day)休日。毎年恒例でピークのキャメロン山の中腹を回る4kmのBoxing Day Runあり参加。仮装のラ ンナー多きFun Runで気軽に4kmジョギングしてお終い。応援に来たZ嬢とStubbs Rdを下りピーク中腹の大陸からの観光客が朝夕多い見晴し台に寄る。もっと景観期待したが「大したことない」眺め。チープな香港土産売る屋台が数軒。昼前 に銅鑼湾に下りCitysuperの元八らーめんに食す。香 港の日系フランチャイズらーめん屋の中ではここが美味。帰宅して年末の大掃除。普段からかなり几帳面に片づけているつもりではあるが荷物がたまる。所帯じ みた生活臭さのない環境が理想的。早晩にランニングクラブ会長のK氏とN君夫妻来宅。酒をかなりご持参あり。冒頭からペニンスラホテルのオリジナルと Moet & Chandonの三鞭酒二本空けてZ嬢の酒肴を合わせにごり酒五合瓶、でニッカの「鶴」とかなり飲む。
▼昨晩の朝日で加藤周一先生が夕陽妄語の連載でバルバラ=吉田=クラフト女史(1927〜2003)について書いていることを久が原のT君がメールで教え てくれる。香港の衛星版だと今日の掲載なので楽しみに待つ。確かに加藤周一はバルバラさんが吉田秀和先生の夫人であることを一切言わない。わかる人だけが わかればいい。ただ今年、バルバラさんの『日本文学の光と影』の日本語訳が出版され、その編・訳で吉田秀和という名前の紹介だけあり。しかし、なぜ加藤周 一がバルバラさんによる往年の日本文学のドイツ語訳の作業を書いたかといえば、周一先生から、同じ朝日で(バルバラ夫人逝去から中断していた)音楽展望の 連載を再開した秀和先生への密かなエールかしら。なんてこった。羨ましいこの世界。バルバラさんによる独逸語訳の話は川端から鷗外漁史、鷗外の渋江抽斎な ど史伝に目を当てた夷斎先生、そして荷風散人へと話が進む(バルバラさんには『濹東綺譚』と団長亭日剰(1937年部分の抄訳)あり)。加藤周一が文学作 品を語る時は怏々にして政治への隠喩であったりするもの。1937年に中国侵略戦争への反対意見を公式に発表はできずとも、散人がせめて権力に媚びる態度 だけはとらなかったこと、を周一先生は指摘(乎、なんて「羊の歌」と思うのだけど)。T君は「而して文学世界が現実世界と対蹠的な精神の自由の牙城となる べき時代の不安」とメールを結んでいたが、まさに。加藤周一先生が一つだけ、と断って引用の、バルバラさんの記述。
荷風の耽美主義は、一貫してまずその文章スタイルに表れてい る。……他の人の作品ではほとんどの場合、中国風の言い回しが、日本語の文章の中にぎこちない形で残っている。これに反し、荷風の筆にかかると、日本語 が、中国風の表現を通じて一種独特の深味を明るさを与えられ、まるで、文章に宝石が鏤められているかのようになってくる。

十二月廿五日(月)聖誕節休日。快晴だが何かと机まわりの雑事片づけカメラの手入れなどして、ふとライカのレンズにフィルターをきちんとつけていない、と いうことが気になる。で木村伊兵衛はどうだった?と気になり朝から月刊太陽の『木村伊兵衛の目』(1999年7月号)や94年5月号の『土門拳の日本』な んて読む。そういえば赤瀬川原平が香港を撮影しまくった芸術新潮があった、植草甚一翁の愛用したカメラは?などと気になり、いろいろ雑誌など捲っていると いけない。あっという間に昼になってしまう。最近は銀座菊水オリジナル のパイプを愛用していたが掃除しようとすると中の真鍮のフィルタの破損に気づく。次に銀座に行くのは来春になろうし久しく使っていなかったStanwellのパイプを出して磨く。吸い口がエボナイトなのでエボナイト というのは万年筆でもそうだが使って手脂がついていないと早く傷む。応 急措置で「そんなのあり?」でサンダルウッド樹脂で磨いてみる。エボナイトはもともとは確かゴムに硫黄を混ぜるかしてできた素材なので「こんなのもあり」 と勝手に決めつける。パイプを磨いたところで愛煙家の多いFCCですら禁煙条例発令に合わせ今月末で館内全面禁煙。公園もほとんど禁煙になるのでパイプを ゆっくり吸える場所など本格的なバーくらいになる。昼過ぎに湾仔。永華麺家で 薑葱撈麺。美味。Protrek野外運動用品店冷やかして湾仔の市街をふらふら。銅 鑼湾。GRデジタルの専用の皮カバーは上品でいいのだが山へ持って行くにはHeavy Dutyには合わぬので山にデジカメ持参する時のためのカバーが欲しいのだがProtrekにもないから銅鑼湾の山屋へ行っても置いておらず旺角花園街の アウトドア屋へ。沢山種類ある。最初から旺角に来れば良かった。尖沙咀。香檳大廈のカメラ屋は祝日で休みか?と心配だったが間口一間の数件除き大方が営 業。朝のカメラ話に戻るがレンズにフィルターを結局付ける結論に達して、ただズミルックス50mm用の43mm、それにズミクロン50mmとエルマー 90mmのための39mmのフィルターなんてそこいらぢゃ売っておらぬので香檳大廈に寄った次第。陳烘相機公司(David Chan Company)で安物がないか?と物色したが女将に「ライカなら純正があるから、安くするからちゃんとしたの使いなさいよ」と発破をかけられ上品の中古 2枚(新品だと言われたら信じるだろう)と新品1枚を入手。中環。中環はちょうど午後三時くらいで、この時季だと陽光が信じられないくらい面白い角度から さすのがいい。普 段見慣れた中環の風景が全く別の次元の光空間と化す。ただしそれも三時半くらい迄。もう太陽は大廈の背後にすっかり隠れてしまい写真撮影はお終い。中環の カメラ店何軒か冷やかしてFCCに寄る。『外交フォーラム』を半年分もためていたので通して読む。ハイボール三杯。早晩にZ嬢FCCに来て軽く夕餉済ま す。聖誕節にはしゃぐ人々多く満載のスターフェリーで尖沙咀。香港文化中心にて主に瑞西人の演奏家によるピアノ七重奏の演奏会(こ ちら)あり参観。この演 奏会の切符発売の告知を見たのがちょうどマーシャ=アルゲリッチら世界的な十人のピアニストによるThe Verbier Festival & Academy 10th Anniversary Piano ExtravaganzaをDVDで見てしまった直後だけに今回の七重奏の曲目すら注意することなくチケット求めたのだが後になって気づいたのはチケット のMagical Christmas with Piano Sevenという題目。聖誕祝う曲のオンパレードか、と 覚悟して会場に赴けば会場には案の定、クリスマス気分の子連れ家族や若いアベック多し。……で演奏始まると「会場の誰もが、えっ、と驚いた」「これって城 達也のジェットストリーム?」な感じのクロスオーバーなイージーリスニングな環境音楽っぽい曲が延々と続く。確かにピアノは七重奏なのだがバイオリンとビ オラに打楽器が入り曲が変わっても「まだ続いてる」というくらいクロスオーバーなイージーリスニングな環境音楽が続く。会場の観衆の多くがクリスマスな気 分に浸るはずが「こんなはずじゃなかった」と思いつつ所詮イージリスニングなので拒否までもせず楽しんだかしら。あたくしは個人的に全くダメ。帰宅して今 日の写真だけ整理して中井英夫の短編を少し読んで寝る。
▼月刊『外交フォーラム』につい て。外交や国際関係論の専門家相手の硬い雑誌という印象強いが7月号の中東情勢特集など素人が読んでもわかる平易さでかつ専門的に気鋭の酒 井啓子鈴木均(アジ研)な んて研究者が書いている横でサラーム海上なんて人が中東音楽を語っ ている。9月号だったかではサンクトペテルブルクでのサミットが数頁にじつにコンパクトに内容まとめられており薮中三十二がサミット舞台裏を語る。11月 号の伊那久喜(日経論説副主幹)による小泉外交の総括も一読に値する。かなり面白い専門誌、と認識。これを出しているのが都市出版。月刊『東京人』も同 じ。この『東京人』は3年くらい前に特集がマンネリ化している気がして松葉一清の巻頭言が終わったのを機会に購読を止めた。『外交フォーラム』に『東京 人』の広告が出ているのだが06年9月号なんて特集「占領下の東京」は半藤一利、井上ひさしに五百旗頭真の鼎談、映画『太陽』をめぐりソクーロフ監督が篠 田正浩相手に語り、文楽特集もあり面白そう。でもまだ年に一回は中央線特集もあり。

十二月廿四日(日)朝日一面にディープインパクト引退の今日の有馬記念の記事。競馬にとっては話題だろうが、昨日の天皇誕生日については一般参賀を社会面 ベタ記事の扱い。朝 八時半に荃湾に七名で集合しタクシーで城門ダム。針山に一気に登り草山から鉛鉱峠(Lead Mine Pass)に下りMcLehose Trailは此処まででWilson Trailを大埔に下る予定が咄嗟の判断で郊外地図の破線の道を下ることにしたら珍しく薮漕ぎになってしまい難儀して打鐵屻という廃村の観音宮に出る。約 15kmを3時間四十五分。新屋家という分譲地に下ったところで23Kのミニバスがちょうど始発で大埔墟まで下る。香港バブルの象徴の歴史的遺物の如き大 埔総合大樓にある街市の熱食中心(確か東興という食肆)にて 遅めの昼飯で麦酒大いに飲む。麦酒大7瓶に料理が6皿でHK$258、1人HK$35じゃ500円也。KCRで紅磡。香港島に渡る隧道巴士(海底バス)に 乗ってふと思ったのだが「ど うみても淫売婦」なご婦人多し。日曜日の午後に何事か、と思ったが、思えば深圳から香港に入った彼女らにとって働き場といえば旺角か北角。案の定、北角で 皆さん下車。聞くところでは北角の新都城大廈には鳳凰樓(私娼宿)多い由。帰宅してビデオ録画で男子の全国高校駅伝と有馬記念見る。高校駅伝のスタートは アフリカ駅伝の如し。有馬記念。パドックでせっかくパドック内に招かれた紳士淑女の皆さま、お願いだから携帯でディープや武豊の写真はしゃいで撮るのは止 めて。下品。ディープインパクト軸でダイワメジャーでペリエ絡めて三連単、三連複なんて思っていたら、的中……だが馬券買っておらず。街中こっちもそっち も聖誕節の連休で異教徒らはしゃぎ凄い人出の賑わい。出かけぬにこしたことなし。三更に近くの新教徒の教会前で信者らの賛美歌の合唱あり。午後十一時半で あるが賛美歌合唱が流れてくるのを聞いて「ロマンチックなクリスマスね」なんて慰撫されていてる異教徒多いからキリスト教徒も「異教徒らには迷惑」などと は考えぬ。これがイスラム圏外でコーラン朗唱でも聞こえてきようものなら、どれだけテロの恐怖などと怖がられるだけかしら。

十二月廿三日(土)今上陛下生日。最近土曜日の午前中は机まわりの雑事片づけで終わる。午後に九龍に用事あり昼すぎに九龍湾。数年ぶりに淘大花園 (Amoy Garden)近くの行列のできる富記車仔麺に 食す。幼 麺に牛小腸、大根、油揚、芥蘭という組み合わせ。さっぱりした味つけで実に美味い。天気がいいので写真何枚か撮る。Summilux 50mmで絞り開放、1段アンダーで、なんてことが九龍湾の午後、無性に楽しい。ちょっと風邪気味。星巴でホットチョコレートなんて飲む。休刊日。豚肉と 韮の鍋。早めに臥床。

農暦十一月初三。冬至。夕方の陽射しがことのほか美しい。鮮烈な夕陽に消火栓ひとつさへも冴える。車に乗っていてはシャッターチャンス逸す。年の瀬でクリ スマス連休前の週末とあって基督者でもなき我も諸事忙殺されメールだけで40通ほど。気 が狂いそう。米国のバラック=オバマ氏よりグリーティングカード届く。さすがオバマ氏だけあってカードはMerry Christmasなどと宣わずHappy Holidaysとだけ。晩に銅鑼湾の楽宴なる琉球料理の店で宴会あり末席を汚す。泡盛かなり飲む。帰りがけ にバーS

十二月廿一日(木)安倍内閣メールマガジンで(当然、依然としてタウンミーティングの「やらせ」については一言の詫びもなし)安倍三世曰く「19日、総理 大臣となって初めて臨んだ国会は、85日の会期を閉じました。教育基本法や防衛庁を省へ移行する法律、地方分権改革推進法など多くの重要法案が成立しまし た。真摯な審議をしていただいた両院のみなさま、そして、何よりも、ご理解とご支持をくださった国民のみなさまに感謝いたします」。政治家としての経験も 浅い安倍三世が時流に乗って首相となり初めて臨んだ国会で教育基本法改定や防衛「省」格上げ、地方分権改革推進など戦後の根幹大きく関わる物事がことも簡 単に変えられてしまうこと。亀田兄弟のデビューからの祝勝とはワケが違うと思うのだが。
戦後教育は、教育水準を向上させましたが、自律の精神や公共の精 神、自分が生まれ育った地域や伝統に対する愛情、といった日本本来の価値観を置き去りにしたように思えてなりません。まずは、こうした価値観を、私たち大 人が、子供たちに語り、教えていかなければなりません。
なんて言葉に誰が「そうですね」と賛同できようか。自律の精神や公共の精神、自分が生まれ育った地域や伝統に対する愛情、なんてものを「日本本来の価値 観」なんてよくも言えたもの。本来、憲法の謳う人類普遍の原理みたいな美徳もすべて「日本人ならでは」などと言い換えも可なのかしら。これが陳腐なるナ ショナリズムの怖さ。
▼青島幸男氏逝去。享年74歳。「シャボン玉ホリデー」も「意地悪ばあさん」もはたして「どこが面白いのか」と幼いながら余にはわからず。小学校の児童会 選挙で一生懸命選挙運動していて彼の参議院選挙での「選挙運動なし」には「別に選挙運動していることが悪いわけじゃない」と思う。選挙ポスターの写真がと ても冷徹な印象あり「意地悪ばあさん、でいいのにね、ポスターも」と級友と話した記憶あり。そのころ彼の翻訳したという『ニワトリのジョナサン』(当時ベ ストセラーの『かもめのジョナサン』のパロディ)もどこが面白いのかさっぱりわからず。わからないまま、の青島だったが都知事の当選も、今にして思えばコ イズミ郵政選挙と同じで都市博中止だけが争点の甘さ。結局、この人の失態が石原慎太郎を都知事に誘導したようなもの。国政における細川護熈も同じようなマ イナスの役割であったが。首相佐藤栄作君を「財界の男妾」と呼び喝采を得たが佐藤栄作がたんに「財界の男妾」だったかと言えば、政界での功績は青島君とは 比べものにならず。68年の参議院選挙(当時の全国区)で青島君が二位当選の時のトップ当選であった石原慎太郎君が青島君逝去にあたり「95年の都知事選 で僕は青島君に一票入れたんだ。もうちょっと何か奇想天外なことをしてくれると思ったんだがなぁ」と逸話を語る。御意。この青島、石原と本来は全く政治的 姿勢が異なるはずの二人に投票するのが「無党派」の節操なきところ。都庁職員は青島君の都政が「都市博中止」以外に何も公約も具体的政策もないことに慌て 「羽田空港国際化」や「都心の活性化」を準備したが青島都知事は何ら異論も唱えず、で都知事が石原君となると今度は提言実行に意欲的な都知事に「羽田空港 国際化」や「都心の活性化」など職員があたふたと忙殺される、とは皮肉。井上ひさし氏は青島氏の弔報に青島君を「一言でいえば永遠の若旦那」と呼び
日本が経済成長に差し掛かる時代に「無責任」という言葉で日本人の 本質をずばり見抜き(略)町内の人々に届く声で表現したのは、時代の先取りだった。我が身がかわいい、大事なことに責任を取らないということは、いまの日 本にも通じる問題です。その本質をだれよりも早く発見した。その功績は見事なものだと思います。
と故人に温かい言葉。だが、我が身がかわいい、大事なことに責任を取らない、の無責任を実はもっとも体現した人こそ青島幸男本人であったのは悲しくも事 実。
▼岸田今日子さん逝去。享年76歳。幼き頃に日曜日午後だったかテレビで地味な映画番組あり勅使河原宏監督の「砂の女」で岸田今日子の演技というか存在に 強烈な印象受け、母に「ムーミンの声はこの人よ」と言われ更に強烈な衝撃受ける。友だちと「ムーミンごっこ」をする時にいつも決まってスナフキンさん役を 選んだアタシは岸田今日子を「この人なら「ムーミン」に、この人のキャラでそのまま出て来てもちっともおかしくない」と確信したもの。日本をずいぶん昔に 離れた余にとってはとんねるずの番組で保毛尾田保毛男の母親役が岸田今日子の最後の面影になってしまった。合掌。

陰暦十一月一日。早晩に北角街市。一週間ぶりに自宅で夕飯のため買い物。この季節、街市の肉屋には暖をとる羊肉煲のために黒草羊の骨肉が並ぶのだが羊頭 狗肉の故事もあるが実際に羊の頭が肉屋の軒先に掛けられていると、やはりちょっと……気弱で写真もブレる(画像はリンクしておらず。大きめで画像ご覧にな りたい方だけはこち ら)。上 環や九龍城などと並び例えば米商の徳利隆など香港でも有名な食材屋あるのは北角ならでは。帰宅してドライマティーニ。温野菜、チーズと明太子のパスタ。葡 萄酒はボルドーのLa Croix 03年。なんだか今月はかなり葡萄酒飲む。夜景をSummilux 50mm F1.4で試し撮り。新 聞夜遅くまで読む。朝日の「ひと」に1992年は『歴史の終わり』だったフランシス=フクヤマ氏が『アメリカの終わり』上梓で登場。ブッシュ政権支えたネ オコンの第一人者がイラク政策は誤りとネオコンに別れを告げた、と。美談かもしれぬ、がそもそも「イラク政策は誤り」ということが最初からわからなかった のか。「歴史と向き合う」の特集に登場のワイツゼッカー独逸元大統領は「歴史の加害者として反省してきたドイツで最近、空襲や戦後の(ポーランドなどで の)ドイツ系住民に対する強制移住など歴史の「被害」の経験に光が当てられる」風潮に対して曰く
(歴史的な)「被害」とは、個人的な体験で、それ自体は尊重される べきことです。ドイツの都市ドレスデンは、連合軍の空襲で破壊しつくされました。空襲で家族を失った母親は、自分の運命を納得することはできないでしょ う。しかし、そうした個人の被害者としての苦悩をドイツが政治的に利用することは許されないと思います。私たちが侵略を始めたことは明白だからです。ユダ ヤ人を虐殺したホロコーストなどドイツが行ったことを考えると、ドイツ系住民が追放された「被害」を取り上げて、ドイツが(国家として)行った「加害」と 比較すべきではありません。

十二月十九日(火)旺角の萬成カメラ店の面積二倍への拡張を余は勝手に「ニコンのデジカメで大儲け」によるものと確信しているがニコンが今日の蘋果日報 28頁だての第一折、全面で7面のDシリーズの広告掲載。圧巻。……個人的にはユーザーぢゃないので気にならないが凄い勢い。早晩、昨日に続き尖東の新フ ランシスコカメラ店。中古のSummilux 50mmF1.4 は204万番台。もう10年以上、店のショウヰンドウに飾ってあった、という。香檳大廈のカメラ小物店に寄りレンズのキャップなど購入。晩にFCCにU嬢 とO君招く。ステラアルトワ麦酒一杯、ハイボール一杯。夕食は余はラスクチーズと馬鈴薯など。新西蘭のHunter'sなるソーヴィニヨン(05年)。お 二人とも90年に余が香港に来た時の同期。O君はずっと香港離れており、この夏に香港駐在となり連絡いただいたが余の怠惰で再会が今頃になる。U嬢とバン コクでの成人病検診など話題となり「つくづく年をとった」と笑う。銅鑼湾のバーSに寄り独りドライマティーニ一杯だけ飲んでさっと帰宅。今日の朝日に大江 健三郎君が連載「定義集」のなかで教育基本法について書いている。相変わらず「まわりくどい」が、教育基本法の改定にあたり、ついに失われてしまう現行の 同法の小冊子を作り新しく教師になる人、若い親たちが胸ポケットにいれておきましょう、そしてそれを記憶し頼りにすることを期待、と。
まさに「作品」と呼ぶにあたいする文体をそなえた教育基本法には、 大きい戦争を経て、誰もが犠牲をはらい、貧困を共有して、先の見通しは難しい窮境にいながら、近い未来への期待を子供らに語りかける声が聞こえます。あの 「作品」を積極的に受けとめた日本人には、その文体につながる「気風」があったのです。それを忘れずにいましょう。そして幼児ととみに、目に見える・見え ない抵抗に出会う時、若い母親が開いてみる本にしましょう。
と、この気弱な、ささやかな(それを文学では「強い」と言うのだが)抵抗。わたくしもサイト内に現行の教育基本法を永久保存しているのだから、意図すると ころは大江君と同じなのだが。その気風があったことを忘れずにいましょう、と言っても、その気風を失うことになんら躊躇も後悔もないのが当世の世情だとす れば、忘れずにいたところでなんら「世の中はよくならない」のかしら。
▼前述の大江健三郎君が日本弁護士連合会の教育基本法改定反対の「意見」(こち ら)について言及。とくに大江君は「改定を進める政府が世間の関心の高まりと同調させようとした」改訂案の10条(家庭教育)と11条(幼児期の 教育)の両項に同弁護士会の批判の焦点が絞られていることに共感した、と言う。改定法で、国及び地方公共団体は「家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に 対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するため」働け、と言い、「幼児の健やかな成長に資する良好な環境の整備その他適当な方法によっ て」働け、と。この「その他の」や「その他適当な方法によって」が曲者だ、と大江先生。御意。改定法のいう「教育の目標」や「徳目」が国や地方公共団体に よって一義的に決められることへの危惧。教育基本法で書かれているから、と政府や公共団体が(これまで教育基本法など見て見ぬふりしていたくせに)「その 他」の部分で拡大解釈で介入すると思うと怖い。
▼ブータンのジグミ=シンゲ=ワンチュク国王陛下が51歳の若さで退位しジグミ=ケサル=ナムゲル=ワンチュク皇太子に譲位。ブータンの国王といえば日本 での鮮烈な印象は先帝陛下大喪の礼に参列の民族衣裳「ゴ」姿。英国留学の啓明なる国王として知られる。国民総生産にかわる「国民総幸福量」(GNH)なる 概念の提唱。国王親政からの改革で国王の定年制、「国家主席」の地位返上、国民議会には国王不信任決議の権利付与し、閣僚任命権放棄(国会議員による無記 名信任投票)。国王に就任の26歳の若君もマサチューセッツのWheaton Collegeからオックスフォード大学に外交学を学び政治学修士。今年、タイのプミポン国王の在位六十周年の祝賀に父君の名代として参列し外交デビュー 飾る。

十二月十八日(月)晴。倫敦にいたらなぁ……とため息、なのがSerpentine Galleryでの、In the darkest hour there may be lightという展覧会。SCMP紙に紹介記事があったがBanskyとあるのは Banksyの間違いでしょうが、Banksyが一枚、欲しい。早晩に尖沙咀東の永安プラザにある新富山撮影器材公司(New Francisco Photo Co.)。かつて尖沙咀のハイアットリージェンシーホ テルG階アーケードLock Rd側にライカ専門店の富山撮影器材公司(Francisco Photo Co)あり。ライカなど高嶺の花で、眺めるのはタダでも「敷居が高くてとても入れない」状況が十数年続く。Lock Rdにはスヰンドン書店あり時々通るのだが「ライカをただショーウィンドウで眺める」のが辛い。でいつもスヰンドン書店側の歩道を歩き「フランシスコには 近づかない」ようにしていたが数ヶ月前にこのホテルの廃業と建物取り壊しでフランシスコの移転先の掲示もあったが「敢えて見ない」でいた。がこの一ヶ月の 今太閤か紀文のノリでライカのカメラ本体こそ得ぬがR-D1sにライカレンズ装備することで「一応、ライカのユーザー」となったことで「フランシスコが何 処に移転したのか」が気になり「永安プラザに新フランシスコがある」と知ったが今度は今度で散財が怖くて近づかずにいたが(前置きが長いが)ついふらっと 寄ってしまう。但しライカ扱う店にふらっと寄っても「どうせ冷やかし」と思われるのがオチで、ちょうど競馬で永年愛用するライカの双眼鏡Ultravid 8x20の皮ケースを買おう買おうと思っていたので「8x20の皮ケースを買いに来た」と店に入りさっさと買い物済ませ店内にずらりと並ぶライカのカメラ や珠玉のレンズたちを惚れ惚れと眺めていると主人に「何かお探しもので?」と声をかけられ暫しレンズ談義。ライカレンズが今では安くない香港で Summilux 50mm f1.4が尖沙咀の某ライカ取扱店に比べ数千ドル安値。中古でも80年代のかなりコンディションのいいレンズあり。「カメラ持参でまた来るから」と店を出 る。ライカ扱う店にいちおうユーザーとして入れるだけ我ながら「オヤジになったなぁ」と感慨深いものあり。中環に戻り晩にExchange Squareの最上階にある香港美国會所(香 港アメリカン倶楽部)。ブッシュ以降、米国には一切足を踏み入れておらずアメリカンクラブへの進入も個人的にはPolitically IncorrectなのだがI氏のお招き受ける。バーでドライマティーニ一杯。館内のレストランThe Clipperにて赤葡萄酒飲みながら極上の米国産牛肉で8ozの紐育カットをレアで食す。美味至極。御仏に仕える身でありながら二日続け てビフテキなど 食してしまった。肉の種類でサーロインだのテンダーロインだのあり、焼き具合は常識だが脂身の多少で脂身の少ないangusだのprime、dry agedなどあることを初めて知る。
▼スターフェリーの中環側の波止場の移転により旧来の波止場建物取り壊し工事始まり反対運動だの立法会での旧波止場取り壊しに関しての討議などあり。週末 にこの波止場建物の象徴的なる時計台が解体され、それに抗議する反対派市民らが抗議行動。政府の「抜き打ち」の解体工事と非難されるが政府側はビクトリア ハーバーの埋立てについて世論も懐疑的であること承知としつつ七年前だったか立法会にスターフェリー波止場の移転含む中環港岸の埋立てについて発案し具体 的な反対審議もせぬまま謂わば黙認か無関心で今日に至り既に新しい波止場が使用開始された今になって猛烈反対は理不尽と反論。信報社説も香港の象徴的な建 物の一つの解体とはいえ今になって反対しても遅すぎる、と指摘。

十二月十七日(日)摂氏13度と厳寒極まりなし。年末恒例で第12回目のThe Kadoorie Brothers Memorial Raceあり朝からZ嬢と新界のKadoorie農場標 高80mくらいにある農場の入り口から農園敷地内にある!標高650mだかの通称、観音山に向い走って登るレースで走っていると動悸の激しさで心臓が口か ら飛び出るほど。実際に時計の心拍数は168くらいに。5kmのレースということは1kmで100m登るのだから冗談ぢゃない。がえっちらこっちら「歩い て」登っていると(実際、この急坂だと走る=身体を宙に浮かす、より地道に早歩きのほうが速い)ずいぶん登ったところで中間地点の表示。そんなはず ぢゃ……何かおかしい、と思ったらゴールが観音山でなく標高690mほどの名前知らずの峰の由。距 離も6.5kmであった。48分台で97位。ゴールしてから応援者用バスで先に頂上に待機していたZ嬢に聞くと昨年もこのコースだったそうな(昨年は香港 国際競馬と重なり余は参加せず)。観音山を見下ろす絶景。レース終わってZ嬢と農園内の遊歩道の山道を花や木漏れ日を愛でながらゆっくりと山下り。今日は エプソンR-D1sにズミクロン50mm f2を装備して写真撮影。このレンズはレンズ球面にかなり摩耗あり、擺花街の懇意のカメラ店の主人にも「晴れた日には難もあろうが夕方や雨空の撮影なら問 題ないだろう」と言われており、カメラの皮製の「カバーをするため」だからいいか、と思っていたが、それが快晴の今日、撮影してみると全然問題なし。デジ タルであるから撮影後に色度調整した?と思われそうだが撮影したものをjpeg保存して何ら手を加えていないのに、この美しい色が出てしまった。ライカ の、とても幸せな気分。バスで昼過ぎの元朗。畏友William鄧達智君ら香港の食家の間で評判のNew York Cafe & Barという小さな食肆が元 朗にあり場所もうる覚えだったが「食の本能」で確か大馬路の南で東の外れ……と意外と迷わずに場所探し当てZ嬢に感心されながら、遅めのランチ。羊肉の バーガーとサーロインステーキを二人でシェア。羊肉はミンチぢゃなくて薄切りヒレ肉、サーロインステーキは4ozは48ドルで、つまり1ozが12ドルと 良心的。しかも確かにWilliam君の話では5ツ星ホテル並み、と賞する美味な、上 質のステーキがこの値段で元朗で供される不思議。なんでも若いオーナーシェフはもともと元朗の土産だが北米に暮らし料理の腕を鍛えたが香港に戻りホテルか らの誘いも断り生まれ故郷で庶民的な店を開いた由。若い方はご存知なかろうが山本嘉次郎監督が喜びそうな洋食屋である。香港では洋食屋の定番のボルシチの スープにこのメイン料理、それに自家製アイスクリームと珈琲がついて65ドル。お見事。陽がさせばバカ陽気の午後、元朗から天后までの長距離バスに1時間 揺られ爆睡しながら香港島に戻る。晩にHappy Valleyの大坑道にお住まいのT氏宅で聖誕祭のパーティあり。御仏に仕える身、余は聖誕祭祝う習慣ないが実質は忘年会で毎年お招きいただき参加したこ ともなく葡萄酒持参でZ嬢とちょっとお寄りして旧知の方と暫し歓談。晩に尖沙咀のラーメンさんぱちで味噌らーめん。薄味で、とお願いしたがそれでも減塩 にすっかり慣れたアタシは閉口。香港粛邦社主催のピアノコンサートで三晩続けてで今晩は大好きなPascal Rogeの演奏会。いつもサティやドビッシーなどフラン スのピアノ曲ばかりのロジェ氏が今晩はLCO(倫敦室内楽団)のメンバーとモーツァルトのピアノ四重奏曲第1番ト短調K478が幕開け。モーツァルトのピ アノ四重奏曲がわずか2曲だけ、と初めて知る。モーツァルトもやっぱりロジェ風。続く曲もまた独逸でマックス=ブルッフのピアノ、クラリネットとビオラの ための三重奏曲。三 晩連続で聴くLCOのJoel Hunterというヴィオラ奏者の演歌調なヴィオラがいい。後半はセザール=フランクのピアノ五重奏曲ヘ短調。初めて聴いたフランクは「フランス市民革命 後らしいベートーヴェン風」とでも形容すればいいかしら。会場で香港粛邦社Freris博士と語る後ろ姿の御仁がGary Graffman氏。この 香港粛邦社主催のピアノコンサートは確か水曜日まで続き千秋楽はIlya Rashkovskiy君がLCOとシューベルトの「鱒」の由。

十二十六日(土)教育基本法改正。万歳。嗚嗟、晴れ晴れしき氣持ち。つひに國民が切望したる此の改正が相成つた。祖國日本の爲に戰後の暗雲を晴らすべく、 此の改正に盡力したる自民黨と公明黨に敬意を評しやう。今日から、此の基本法に則つて新しき日本を創建しやう。教育の荒廢もいぢめもなき幸せな明日 を。……なんてね。戦後がまた一つ終わる。この教育基本法について制定にあたった南原繁・東京帝大総長は「今後、いかなる反動の時代が訪れやうとも、何人 も教育基本法の精神を根本的に書き換へることはできないであらう。なぜならば、それは眞理であり、これを否定するのは歴史の流れをせき止めやうとするに等 しい」と語ったが、自民党は憲法改正とならぶ党是であるにせよ、それに加担した公明党の責任は大。教育基本法「改正」しか念頭にない人たちと、「改正で教 育も良くなるんじゃないか」と誤解する人たち、なにも自分には関係ないと考える大多数の国民の総意。朝日は社説
戦後60年近く、一字も変えられることのなかった教育基本法の改正 に踏み切った安倍首相の視線の先には、憲法の改正がある。この臨時国会が、戦後日本が変わる転換点だった。後悔とともに、そう振り返ることにならなければ いいのだが。
とただ杞憂のみ。境域基本法改正に反対、と言えず。産経に期待したのだが社 説の題こそ「教育基本法改正 「脱戦後」へ大きな一歩だ」としつつも、この人たちは「占領の屈地」以外何ら思考力は持ち合わせておらず。
一部のマスコミや野党は愛国心が押しつけられはしないかと心配する が、愛国心というものは、押しつけられて身につくものではない。日本の歴史を学び、伝統文化に接することにより、自然に養われるのである。学習指導要領に も「歴史に対する愛情」や「国を愛する心情」がうたわれている。子供たちが日本に生まれたことを誇りに思い、外国の歴史と文化にも理解を示すような豊かな 心を培う教育が、ますます必要になる。形骸化が指摘されている道徳の時間も、本来の規範意識をはぐくむ徳育の授業として充実させるべきだろう。(略)教育 行政について「不当な支配に服することなく」との文言は残ったが、教職員らに法を守ることを求める規定が追加された。国旗国歌法や指導要領などを無視した 一部の過激な教師らによる違法行為が許されないことは、改めて言うまでもない。(略)安倍晋三首相は、日本人が自信と誇りをもてる「美しい国」を目指して いる。国づくりの基本は教育である。政府の教育再生会議で、新しい教育基本法の理念を踏まえ、戦後教育の歪みを正し、健全な国家意識をはぐくむための思い 切った改革を期待する。
と宣う。結局この新聞が生まれた背景にある「祖国の崩壊を企図する革命的共産勢力の排除」以外なにも考えられず。そもそも法律で規定しなければ育まれぬよ うな愛国心なんて所詮、嘘っぱち、なのだが、産経は「それで禄を喰らう」のだから致し方なし、か。で傑作は読売新聞。読売の読者のどれだけが社説な んて読んでいるのかしら。冒頭から
教育基本法が一新された。1947年(昭和22年)の制定から60 年、初めての改正だ。
と、まるで長嶋茂雄の「初めての還暦を迎え」的なこの晴れがましいノリ。
見直しの必要性を説く声は制定の直後からあった。そのたびに左派勢 力の「教育勅語、軍国主義の復活だ」といった中傷にさらされ、議論すらタブー視される不幸な時代が長く続いた。流れを変えた要因の一つは、近年の教育の荒 廃だった。いじめや校内暴力で学校が荒れ、子どもたちが学ぶ意欲を失いかけている。地域や家庭の教育力も低下している。現行基本法が個人・個性重視に偏り すぎているため、「公共の精神」や「規律」「道徳心」が軽視されて自己中心的な考え方が広まったのではないか。新たに家庭教育や幼児期教育、生涯教育など について時代に合った理念を条文に盛り込む必要があるのではないか。そうした指摘が説得力を持つようになってきた。この6年、基本法改正については様々な 角度から検討され、十分な論議が続けられてきたと言っていいだろう。その中には「愛国心」をめぐる、不毛な論争もあった。条文に愛国心を盛り込むことに、 左派勢力は「愛国心の強制につながり、戦争をする国を支える日本人をつくる」などと反対してきた。平和国家を築き上げた今の日本で、自分たちが住む国を愛 し、大切に思う気持ちが、どうして他国と戦争するというゆがんだ発想になるのだろう。基本法の改正を「改悪」と罵り、阻止するための道具に使ったにすぎな い。
と産経もタジタジの勢い余った論調。基本法の改正による教育の再建より反対勢力への罵声ばかり。で本日、机まわり雑多に散らかしたものを一つ一つ片づける うちに昼過ぎる。新 聞雑誌の類ひかなり整理して靴磨きまで済ませ午後、九龍に所用済ませ早晩に尖沙咀。ペニンスラホテルのバーに独り飲む。ドライマティーニ二杯。バー であるのに子どもが駆けずり回り保育園の如し。旧知の女給に「子どもが入れるの?」と尋ねると一応午後6時まではお子さんも入れますけど普通は連れて来な いですよね、と呆れ顔。この子ども四人も連れてバーで粗野なるソーセージ料理など食す母親二人が何人かは下品な英語で一聞瞭然。子どもがいようがバーであ るからパイプをモクモクと吸い野蛮人にせめてもの抵抗。但し一月からは昼でも十八歳以下は入場させぬ由。件の禁煙条例発効でバーを喫煙可で延命するための 措置。日本料理・京笹。Z嬢と会う。いい意味で普通の居酒屋 の京笹も「マグロ、アボガドと山芋もカルパッチョ」なるものをフュージョンっぽい盛りつけで供すのが可笑しい。この食肆、お通しだけでも白飯が喰えそうな くらい肴が美味い。いつもコンサートや映画前なので長居したことないが七時半くらいには満席の繁盛。隣席に彼女連れのオニーチャンが吸えもせぬ煙草を蒸か して灰皿に煙草を置きっぱなしにするから煙くて仕方がない。煙草を吸うなら吸うでいいからきちんと吸っていただきたい、と思う。
十六歳 煙そうに吸う ハイライト 見よう見真似の 寺山修司
である。あと二週間の我慢。今晩は昨晩に続き香港粛邦社主催のコンサートでGary Graffmanのピアノ 演奏拝聴。 Gary Graffmanは若くしてホロヴィッツやゼルキンに学び1928年生まれであるから78歳。30年近く前に右手が事故でピアノ演奏できなくなり、その 後、後進の指導にあたりつつ左手のみで演奏活動。今晩はブラームスによる左手のための編曲によるバッハのシャコンヌ。そして昨晩と同じLCOからバイオリ ン、チェロを招いてエリック=コーンゴールドの Suite for two violins, cello and piano left hand 作品23は戦争で右手を失ったパウル=ヴィトゲンシュタインが沢山の作曲家に依頼した左手のための楽曲の一つの由。休憩はさみスクリャービンの前奏曲1番 作品9、夜想曲2番作品2。続いてホロヴィッツのお師匠さんだそうなフェリックス・M・ブリューメンフェルド(1863~1931)のエチュード、マックス=レーガー(1873-1916)のエチュード、レオポルド=ゴド フスキーの左手のための編曲によるショパンのエチュード。左手ためのピアノ曲でも、例えばプロコフィエフのピアノ協奏曲第4番であるとかラベルの左手のた めのピアノ協奏曲なら聴いたことあるがバッハのシャコンヌとショパンのエチュード除いて左手どころか曲としても初めて聴く曲ばかり。日本でなら館野泉さん がシャコンヌやスクリャービンの曲を演奏しているはず。でグラフマン先生のピアノ、左手だけで本当にここまでメロディーのフレーズと伴奏を見事に明確に音 質までかえて弾きこなす器量。舞台近くで拝聴したが左手の薬指がどう主旋律を奏でているのか、複雑な手の動きの中で見当もつかず。

十二月十五日(金)寒々しく雨つづく。某通信社の香港特派員S氏より電話あり。明日帰国の由。数回お会いしただけに終わったがいつだったか多維新聞網を教 えてくれたのはS氏で「まず蘋果日報で絵面として或るニュースを「こんなことが起きたか」と見て何紙か読んだ上で結局いま一つ背景までは何だかわからず最 終的に信報の小さな記事読んで「こういうことか」と頭の中を整理する」と香港のニュースお読み方で意見が一致して笑ったのも懐かしい。もう一年どころか長 い間、お会いしていなかったが律義にも帰国前日の忙しい最中に電話いただいただけでも幸甚。早晩に独りFCCに飲む。ハイボール二杯。トマトのパスタ。晩 に文化中心の音楽廳にてVladimir Krainovのピアノコンサートあり観賞。先日、この日剰にも綴った香港粛邦社主催で月曜から十日連続の企画。規模的には市大会堂で十分だと思うが本日 から週末の開催は文化中心。さすがに集客に難あり。ここまで強気なのもKadoorie財閥のKadoorie夫人がスポンサーゆゑ。で月曜のIlya Rashkovskiy君の師匠にあたるVladimir Krainov先生の今晩の演目はブラームスの2つのラプソディから始まる。演奏会のピアニストとしてより指導者として功績のあるクライネフ先 生、まさに風格、これくらい解釈させてもらってもいいでしょう、の堂々の演奏。続いてクラリネットとチェロとピアノのための三重奏曲イ短調作品114の演 奏はLondon Chamber Orchestra(LCO)のクラリネットとチェロの奏者なのだがLCO in Residence in Hong Kongという紹介は一瞬「香港に住んでいるメンバー?、ってことは現役とか一軍ぢゃないのかしら」と思ったのだが、これは昨年の香港国際ピアノコンクー ル開催にあたり室内楽団が必要でアシュケナージ先生がLCOから何名か招聘し、その際に香港ショパンソサエティと意気投合し、これから毎年一定期間香港に 滞在し演奏活動しよう、となってうまれた集団の由(こ ちら)。休憩でZ嬢と会う。後半はショスタコーヴィチピアノ五重奏曲ト短調作品57ひとつ。ショスタコーヴィチの有名な室内楽曲なのだがお恥ずか しながら初聴。1940年の初演はモスクワでピアノはショスタコーヴィチご本人。翌年(独逸のソ連侵攻の年)にスターリン賞受賞。LCOから二人のヴァイ オリン、ヴィオラとチェロの奏者が演奏したがヴィオラのJoel Hunterという人が秀逸。五楽章編成だが第一楽章(Prelude, Lento)と第二楽章(Fugue, Adagio)はほとんど一つの章に聴こえ、クライネフ先生の真骨頂はまるでジャズピアノの如き第三楽章(Scherzo, Allegretto)で、これには客席の並びに座したIlya Rashkovskiy君もさすがに「あっしもまだまだ師匠のコレにはかなわねぇや」と祈るような表情で聴入るのが印象的。この曲、ほとんど良い意味で精 神分裂(スキゾ、なんて言葉は八十年代っぽいが)。ソ連にとっては第二次世界大戦下、三十年代のスターリンの大粛清の頃では考えられぬ戦時下の自由?、こ の曲の、確かに第四楽章(Intermezzo, Lento)と第五楽章(Finale, Allegretto)は未来の社会主義社会建設への意欲?とか取れるのかアタシにはわからない、が、どこに社会主義「リアリズム」のあるのかしら?、と 思う。アンコールで第三楽章(Scherzo, Allegretto)再演。秀逸。帰宅してDVDでピンクフロイドのPulseをDVDで観る。

十二月十四日(木)安倍内閣メールマガジンは
今年を象徴する一文字として、「命」が選ばれたそうです。秋篠宮悠 仁親王殿下のご誕生により、新しい命がいかに私たちに明るさと希望を与えてくれるかを知り、命の尊さ、素晴らしさを改めて実感させられた一方で、そのよう に周囲から喜ばれ祝福されて生まれてきた命を、いじめの問題で、子供たちが自ら絶つという悲しい出来事もありました。
とさすが、この首相にとって2006年は、まず「男子皇族のご誕生」なのはわかりやすい鴨。で、タウンミーティング「やらせ」問題について今朝のメールマ ガジンでは一言でも国民へのお詫びがあろうかと思ったが、驚くなかれ「40年ぶりの給食」などとどーでもいい話題でお茶を濁す。「やらせ」当時の官房長官 として首相退任、教育基本法改正撤回くらい道義的責任とっていただきたいものだが……。これが小泉三世だったなら
県知事もいろいろ、タウンミーティングもいろいろ
くらい物議醸す発言していたのだろうか。昨晩よりの雨。寒波到来。気温摂氏十五度に下がる。雨雲の絶え間に九龍を眺める夜景ことのほか冴える。星巴珈琲で チョコレートラミントン2個頬張り夕食がわり諸事忙殺され深晩に至る。日剰に綴りたきこと多かれど一週間も前の新聞読んでいるようでは時流にも乗れず。こ のサイトの画像十月まで遡りflickrに移す。二ヶ月半分ほどで10MBも減量。プロバイダーへの月々の支払いがUS$10減額。あと40MBの減量が 目標。

十二月十三日(水)通りがかりでJardine's Lookout(渣甸山)の居民協会の建物内に近々開店の益新美食館の新店を眺める。此処は翠亨村茶寮という料理屋のあったところ。「高 官飯店」と呼ばれるほど渣甸山付近に住まう政府高官などがこの食肆贔屓にしたが旧態依然ぶりに客足も遠のき九月に突然の閉業。尖沙咀のミラマにある翠亨邨 茶寮と同じ経営なのだろうか、きっと。そこに益新飯店が出来るとは。かつて九十年代にLockhart Rdの鴨頸橋から利舞台に移る頃の益新を贔屓にした者の一人として、Happy Valleyに小食館復活しただけでも嬉しかったものだから、この拡充で、あの焼鴨がまた食せる日が楽しみ。二日続けて晩飯逸したが今晩は自宅でカレーラ イス。トリスウイスキーのハイボール。ついつい見てしまったNW9、小泉之御世のタウンミーティングやらせ問題で「当時の官房長官だった安倍首相は」と画 像流れたあとでキャスター柳澤秀夫は、いつも飲酒運転や公害など所謂「社会悪」に対しては強い憤り見せるくせに政治絡みとなると「会津の男」らしからぬ腰 砕けで今晩もこの「やらせ」が時の与党政府によるものだからこそ徹底的に罵倒すべきところ、画像流れたあとでキャスター柳澤秀夫は「で、安倍首相の反省 は?」と担当記者に穏便に尋ねただけで記者も記者で「ええ、安倍首相はかなり反省しているようで」と、まぁ対安倍となるとこの弱腰。かつてのNews10 の今井環さんのほうがまだマシ。
▼昨日の蘋果日報は「泛民大勝」と大見出しは、日曜日に「香港特区行政長官選挙で投票権ある選挙人を選出するための選挙」があり、一定の条件で投票権得た 市民の各業種別の投票により計800人が選出されるが、民主派推薦の137名のうち114名が当選し、これに18名の立法会民主派議員も加わると民主派で 132票となり、行政長官選挙の立候補者を出すに必要な100名を大きく上回る結果、となる。民主派統一候補は公民党所属の立法会議員・梁家傑氏。民主派 の選挙人100名当選も微妙と思われていたが、法曹、高等教育、教育、IT、エンジニアリング、会計、衛生医療の各業界では民主派候補が全員当選果たす (法曹界では民主派が独占)。この結果で「中国側震怒、新華社は選挙結果報道せず」(蘋果日報)という見方もあれば「民主派内での民主党の弱体化と中道左 派的な公民党の弁護士の登場に中国側は楽観視」(14日信報)という見方もあり。実際の行政長官選挙は現職の「自称政治家」Sir Donald君の当選が固いが800人の選挙人の投票の行方は、まさか董建華選出の時のような茶番にはならず、民主派のほか一定の票が梁家傑に流れるかし ら。いずれにせよ北京中央にとっては悪い状況に非ず。ところで前述の業界別選挙で民主派が法曹や教育で好成績だったのに比べ観光業界が5名立候補して全員 落選、体育演芸文化でも1名擁立して落選、という結果も興味深い。観光業界がいかに中国旅行社など大陸系で押えられているか、また体育演芸が組織としてい かに体制的か、の証左。
▼松竹会長で歌舞伎界の首領、永山武臣男爵逝去。享年八十一歳。薩摩人。祖父は第二代北海道長官の永山武四郎(陸軍中将)。高等科まで学習院で三島由紀夫 も旧知の間柄。香港で十年以上前の橘屋の歌舞伎公演の際、播磨屋との鳴神であったか、橘屋さんの計らいで通し稽古見せていただく機会あり。客席に武臣会長 の姿あり。あの播磨屋が会長のダメ出しに「はい、はい」と恐縮して聞き入る姿に驚く。歌舞伎でいつも変だと思うのは襲名披露の口上で「高いところから失礼 いたします」と言いつつ役者らが、まずは襲名で「このたびは松竹、永山会長のご推挙を得まして」などと自らが属する芝居小屋の胴元にまずはお礼申し上げる ケッタイぶり。まずは贔屓にしてくれる客であろう、礼を言う相手は!、と思うのだが、そういう常識すら通じぬほど松竹の歌舞伎というものが永山男爵一人の 天下であったこと。智利のピノチェト将軍も逝去。ピノチェトによる智利の自由主義改革に協力したFriedman逝去の直後とは。

十二月十二日(火)晴れがましい場かなり苦手だが今晩、日頃敬愛する方の誕生日パーティあり。がそんな日にかぎって万年筆のインクでシャツの袖を汚し慌て て染み抜き試みるが当然ブルーブラックのインキはうっすらと青痣の如く残り背広の袖で隠れはしてもパーティで杯をもてば白のシャツで目出つ場所。誕生日の お祝いに汚れたワイシャツは失礼で帰宅して着替える暇もなく諸用で外出の折にちょうどシャツ屋を 通りかかり思わずシャツ一枚お買い上げ。そういえば先考の形見がカフス鈕、机中にあった、とこれも親の供養と(じつに勝手)。で、ご招待いただきアイラン ドシャングリラホテルでの宴会の末席を汚す。お誕生日なのだからお誕生のその方の功徳など多少は話題になるかと思ったが誰彼全くそれに言及せず。思いがけ ず旧知の方々数多くに再会は感激も一入なり。中文大学のM教授と「李嘉誠の次男」改めRichard李澤楷氏の今後の戦略は何か?と語る。独りバーSに口開けで一飲。Auchroiskの10年物をクラッシュアイ スで一杯。それにMilroyなる瓶詰屋によるマッカラン25年物を一杯。帰宅。本日、富柏村サイトが過去の出稿記事のjpgファイルと日剰の無駄なほど 多い画像の累積で容量が250MBを超えサイト運営費も一年で考えると「こりゃたまらん」状態で画像をflickrにとりあえず今月分だけ移してみる。そ れだけで3MBも稼ぎ、しばらく時間は要しようが画像移すことでどうにか150MBまでダイエットしようと考える。Dalmoreを飲みながら高田竹山の 五體字類をパラパラと眺める。大 槻文彦博士の序文があることに初めて気づく。その祖父の遺した五體字類の頁間にメモ数葉挟まっている。大正五年初版のこの字典の昭和十一年・第十一版だが メモは昭和二十五年の東部瓦斯の請求書の裏書で「壽康子孫」という四字が鉛筆で書かれ、篆刻で「康」の字をどう描くか、の発案中のメモ書きであった。子ど もの頃に幅五尺ほどの見事な、初世中村蘭臺による篆刻の「壽康子孫」の四文字を見上げていたこと思い出す。大槻博士の「序」が面白かったので冨山房の「大 言海」の大槻文彦博士 の「本書編纂に當りて」の長文の序も読む。まことに面白い。通常の刊行に際しての序文の常識を越えて大槻博士の言葉談義の妙。例えば「イチョウ」について 記述あり。イチョウは銀杏、公孫樹と書くが支那で「やちやお」とそれを呼んだのを聞いたのは漢字で「鴨脚」ya jiao がそれ。日本のイチョウの樹が古くても樹齢七百年代なのは鎌倉の頃に日本に大陸から運ばれたからで、「鴨脚」当時の宋音では「いちょう」で、これが日本語 になったもの、と(宋音も臨済宗と曹洞宗では発音が違うという)。そのイチョウの実を銀杏というが、これも「銀杏」を宋音で読めば「ぎんあん」で音便で 「ぎんなん」。つまり「イチョウ」というのは樹木の名、その実が「ぎんなん」で、その漢字の「銀杏」を「イチョウ」の字に当てた、とはなるほど面白い。


十二月十一日(月)諸事忙殺され晩に至りさすがにふだんあまり量は飲まぬ葡萄酒を二日間たっぷりといただき流石に今晩は休刊日と決め更に週末たらふく食べ て夕食すら要らぬかと思っていたところにバーSの亭主M氏よ り携帯に伝言ありちょっとお願いがあるので電話いただきたい、と。で電話するのも野暮とバー S。空っぽの胃にドライマティーニとハイランドモルトのAberlour 15年が染み渡る。今晩、Z嬢は香港粛邦社(HK Chopin Society)催の Ilya Rashkovskiy君のピアノコンサート観賞。最近の香港の音楽会の癌は学校の芸術の教科での課題なのか「音楽会観賞しレポート書く」ために音楽会に 来る子どもら。子どもらが好きで音楽鑑賞は良いが所詮、音楽など興味もないガキが集団で教員の同伴もなく音楽会に来るから始末におえず。ガサガサ、ひそひ そと五月蝿く運悪く隣席にガキども陣取られたZ嬢が注意するが所詮バカなガキらは聞く耳もたず。周囲の客に舌打ちなどされても屁の河童。そこで登場が香港 ショパンソサエティ主席であるAndrew F. Freris博士。昨年この団体が主催した第1回香港ピアノ国際コンクールで、このFreis博士、とにかく舞台で口上が長い(笑)。今晩も Ilya Rashkovskiy君演奏前に曲目の聞き所などかなり講釈たれた由。ちょっとそれも客として迷惑な時もあるが今晩はFreis博士、休憩になるとこの ガキらのところに現われ「音楽を聴くが、さもなくばこの会場から外に出るか、いずれかにしたまえ!」と一喝。「音楽を聴く前にマナーを学ばねばならない」 と。御意。さすがにガキどもこのFreis博士の指導にたじたじで静かにしていた、とZ嬢。美談。大人はこうでなければならない。で香港ショパンソサエ ティの主席で生計立てている筈もなく調べてみればFreis博士、BNP Paribas(仏国巴黎銀行)のアジア太平洋地区の首席エコノミストの要職の由。BNP Paribasといえば香港の店はExchange Square Tower-1の在香港日本国総領事館が46、47階にあるが、その楼上のトップフロアにあるほどの店構え。
▼先週土曜の信報の文化欄に「書肆尋幽行」という記事あり。香港の個性的な小書店、通常、店舗が二階にあるため二楼書店と呼ばれるのだが、香港バブルの崩 壊で貸店舗の賃貸価格下がり二楼書店もかなり出来たが復た賃貸料高騰で五十年の歴史あるような老舗書店も経営困難。この記事によれば旺角の新亜書店(洗衣 街、中旅近く)こそ変わらぬがNelson街の精神書店は家賃が月HK$14千が一挙にHK$14万要求され(出ていけ通告)西環に移ったそうで(調べて みると西環屈地街28號、他に北角Java Rd24號建築大廈G階にも分店あり)、中環の陸羽茶室の並びにあった神州書店は古書よか文房四宝で有名であったが、この書店も半年ほど前に失せたが擺花 街の雑居ビルに移転した由。いずれも個性的な趣味人の書店ながら当然、経営は厳しく湾仔の青文書店も昨年だったか惜しまれつつなくなる。
▼加藤周一先生が十一月廿八日の朝日新聞「夕陽妄語」に愛国心についてハイネの「むかし僕には美しい祖国があった」という言葉を引いて
われわれも安倍首相と共に「美しい国」をつくろう。信州のカラ松林 と、京都の古い町並みを保存し、人麻呂や芭蕉が残した日本語を美しく磨こう。そのとき愛はおのずから起こるだろう。そして尊大な、誇大妄想的な、殺伐で同 時に卑屈なナショナリズムを捨てればよい。そうすれば憲法を改める必要もなくなるだろう。
と書いている。安倍三世の「美しい国」への皮肉、本来は自然であるはずの「愛」はその通りだが、「殺伐で同時に卑屈なナショナリズムを捨てれば」憲法を改 める必要もなくなる、と悠長なことを言ってはおれまいに。大江健三郎氏もその数日前の同じ朝日に「日本人が議論するということ 忘却とそれに抗する意識」 という文を寄せ、<核武装>が政治の俎上に載ろうものなら
日本人の意識に底流していた広島・長崎の経験が一挙に表層に出て、 めざましい反撃をなしうることを信じている。被爆者たちは無私の大きい努力を重ねてきたんだから。それは日本人が忘れることじゃない。(改行)あなたは、 憂い顔でいながら、楽観的ですね、という青年に私は答えました。エドワード=サイードの、「意識的な楽観主義」という晩年の信条に、学ぼうとしているんで すよ。
と書いている。もし<核>に対して日本人が心底、絶対にダメなものはダメ、という認識があったら外相麻生某らの核武装「議論」とて許されぬはず。しかし核 武装「議論」に積極的な自民党のセンセイたちが議員していられるのだってセンセイたちを皆で支持しているからでしょう。わたしは、広島・長崎の被爆を憎む 人々の存在と、自民党のそういったタカ派の代議士に投票する人たちが、けして別々であるとは、どうも最近おもえないのです。同じ一人の<個>がその核廃絶 とタカ派議員への投票をしているのではないか。その大きな矛盾に<日本>があるのではないか、と思えてなりません(……あ、文体が大江健三郎になりそ う)。だから大江先生ほどのアタシは被爆の経験のめざましい反撃、なんてものは期待できぬ。その上でそんな楽観主義なんて。皮肉っぽく言えば大江先生が悲 観的でも楽観的でも戦後の結果はこのようにしかならかなった。それなら楽観的でいいのではないか、ってことか。
▼先週のいつだったかの信報に1971年の公立病院の看護婦らによる待遇是正要求のデモについての記述あり。当 時、男性の看護士と給与格差あり当時の総督府目指す行列。これが香港で公務員による初のデモ行為だそうだが興味深いのはGarden Roadの坂を進む行列の写真。背景の建物は米国総領事館。よく見ると当時の建物は各階とも廊下は屋外で廊下に側して各部屋が並ぶ、香港の戦後代表するよ うな近代建築。今ではこの様式は古い学校くらいにしか残っておらず。強い雨風だと廊下歩くのも厭うし湿っぽい香港では廊下がいつも濡れ室内の床も汚れる、 といった不具合もあろうが、必要以上に冷房=電力消費もなし。今では城塞の如く「テロ」対策に厳重な米国総領事館であるが当時は米ソ対立の冷戦、しかもベ トナム戦争の最中だというのにGarden Rdから眺めれば館員の各部屋への出入りまで手に取るようにわかったとは、のんびりした時代。というか何も変わっていないのだろう、ただ今は「テロの恐 怖」なんて言葉が跋扈しているだけなの鴨。

十二月十日(日)気温も摂氏二十度下回り薄曇りの競馬日和。広州のO君家族が来港中で預かり物幾つかありHung Homのホテルに届け朝食ご馳走になる。尖 沙咀の星巴珈琲で書くもの書き読むもの読む。昼すぎ沙田競馬場。年 に一度の香港国際競馬開催日。ヴァースの2400m芝はOuija Board(十一月のBreeders' Cup一着、ジャパンカップ三着)が欠場。元香港ジョッキー倶楽部主席李福深氏の愛馬Saturn(土星)に賭けるが思いっきり最尾で優勝は英国馬 Collier Hill(D McKeown騎手)。香港スプリント(芝1000m)は馬主W氏の新力升(Sunny Sing)が3.2倍の一番人気。単勝に思いっきりかけるが投票後に遭ったW夫人「せめて複勝に入ってくれれば」と言う。おいおい……馬主が複勝というの だから更に期待薄か……国際G1に参戦するだけでも立派、とフォロー。結果、5着で登り調子とは言え国際G1で優勝とはちょっと破格な香港馬 Absolute Championが優勝。場内で香港の90年代に期待された見習い騎手・銭健明君をお見かけする。独逸中心に活躍していたが今も現役なのかしら。香港マイ ルはSize厩舎のArmada(Whyte騎手)が一番人気。The Duke(星運爵士)が18倍と期待薄だが絡んでくることは必至、と複勝でかなり買ったのだが、まさかのThe Dukeの一着とは……。三連単は1着(The Duke)、Armadaの2着までは良かったが6月の安田記念馬Bullish Luckが4着で3着には伊太利馬Romotiが入ってしまい、ありがちな1、2、4着。で香港カップ(芝2000m)。Stanley Ho氏の持ち馬Viva Patacaがパドックでやけに元気。これに賭けようと覚悟決めたが武豊騎手のアドマイヤムーンもけっこうな仕上がりで、この2頭に一番人気のPride (C Lemaire騎手、今年の凱旋門賞2着)で三連単。ちょっと自信あり。結果、Prideが一着でアドマイヤムーンが首差で二着、Viva Patacaは四着で、またしても1、2、4着と不運。3着には昨年の香港カップ優勝のVengeance of Rainが食い込む。武豊はLemaireに負ける。尖沙咀のジムのラウンジで書くもの書く。晩に中環の鏞記で昨晩の10名に更に2名が加わり12名で一卓を囲む。葡萄酒7本 は壮観。鏞記は「何を今さら」の日本人観光客に有名な食肆で、だがかなり料理も厳選だったが、予め注文の際に「ちょっと珍しいものを」と頼んだものだから 鏞記らしい「半年後には消滅しているであろう」創作料理を二皿供され、さすがに「いただけない」。かなり皆さん美食家なので羊肉煲など定番の冬の料理を加 えるべきであったと反省。最 後に腹をおちつけようと食した糯米飯に加え雲呑麺供される。鏞記で雲呑麺?と驚くがもともと路傍の大排档であった店であるから雲呑麺など定番であったはず で「さすがお見逸れしました」の雲呑麺。斉藤さんに聞いたプレスの発表によると武豊君が水曜日のHappy Valleyでの審議となり6日間の騎乗停止の由。但し騎乗停止は12月25日からで全日の有馬記念でのディープインパクト引退には騎乗可とか。ところで 沙田の競馬場で昼間っから赤ら顔に大きな帽子かぶり葉巻くわえて年代物のライカを腹に載せたディープインパクトな印象の御仁あり。成沢さんやSさんらによ るとJMという英国の競馬ライターだそうで国際レース取材では有名人だとか。そんな話題もこの競馬仲間の間では当たり前のように「何でも尋ねて」だから面 白い。鏞記の皮蛋がかなり皆さんにウケてお土産で半ダース単位で求められるが皮蛋は検疫は必要? 昨晩に続き二更にFCCのバーで今晩は8名で葡萄酒2本、といっても余は睡魔に犯されほ とんど寝てしまう。葡萄酒を飲むとなぜ眠くなるのかしら。

十二月九日(土)カメラの手入れ。ズミクロンの50mm、レンズの摩耗気になったが写してみると問題なし。むしろぼんやりといい味出しているぢゃないか。い ろいろ雑事片づけ昼近くとなり湾仔で昨晩来港の入江たのし氏と待ち合せ六國酒店の 粤軒に食す。昼過ぎ入江さんに頼まれた用事で旺角。萬成カメラ店に寄ると店舗が倍の広さに拡張されている。ニコンのデジタル一眼でいったいいくら儲けたの か。GRデジタルの本革ケース購入。午後遅く迄薮用。早晩に中環。中環の場外で明日の競馬のレープロ買おうと思ったら馬券場の手前の撮影科学(Photo Scientific)カメラ店の店頭にエルマーの沈胴式90mmのレンズあり。沈胴式であるから50年代の第一世代の年季入ったレンズであるが信じられ ぬ安値に思わず店主に尋ねれば、どうも店主自身か知人からの委託品らしく「買う人がいれば譲る」との由。思わず商談成立。もはや余の貯えは底を突くがエル マーの90mmでしかも沈胴式である。FCCのバーでドライマティーニとハイボール一杯ずつ。晩にMTRの炮台山站で入江さん、斉藤さん成沢さんらいつもの面々Z嬢の十名で北角の雪園飯店に食す。美 味なのは当然として雪園の料理が全般的に塩辛いと思うのだが上海料理がこんなものなのか余の舌が塩に敏感になっているのか。炮台山の場外の街頭の大きな看 板に力士の姿。ついに大相撲も香港で賭けができる? いや、競馬の看板に並ぶので明日の競馬に日本から有力馬参戦か、と一瞬思うが、よく見ると浦和紅鑽、 大阪飛脚、川崎前鋒のチーム名でサッカー賭博だとわかる。ややこしい。晩遅く斉藤さん、成沢さんとTさん、それにZ嬢でFCCに参りワイン三本も飲んで款 語尽きず深更に至る。

十二月八日(金)十二月とは思えぬ強い陽射し、暑さ。快晴。立法会議事堂の傍ら通り抜けると「これでもか」と並ぶ議員らの自動車の一台のベンツに今もまだ 「臨時立法会」の議員車章。現 行の「立」の車章と並べることで「自分は1997年からずっと議員ですよ」と誇示したいのだろうが議員車章はあくまで現行の議員特権の一つなわけで(自動 車乗り入れ禁止域への乗り入れや公共駐車場での無料駐車など特権あり)すでに解散された臨時立法会の議員車章をいつまでも「記念品」で装着していることは 果たして許されるのか。臨時立法会は返還前の96年だったか英国植民地政府による直接選挙枠増の選挙改革に反対した中国政府がこの返還前の選挙で成立した 立法会無効とし解散、無理矢理拵えたのが公選ではないこの臨時立法会で民主派議員ら当然選ばれず98年だったかの返還後の立法会選挙まで「臨時」で存在の 御用議会。中環のダンヒルでDRデジタル用に革製のハンドストラップ購う。DRデジタルに付属のストラップはちょっと貧弱すぎ。早晩に湾仔で恐らく取り壊 されるであろう湾仔街市の建物を眺める。1937 年だったか建造の一応はバウハウススタイルの流れにあり。ようやく二週間くらい溜まっていた読み終わらぬ新聞の頁を読み終える。いつも読み終わらぬとざっ と目を通しきちんと読みたい論評などある頁のみ切り取り、持ち歩いているのだが溜まるばかり。家だと何かと他の雑事だの思いついて新聞も集中して読めぬの で星巴珈琲で腰をおちつけて読む。印度の舞踏家Astad Debooの舞台が六日にあったこと、九龍で開催の牛棚書店(1〜4日)に畏友H君までフォーラムに出演していたことなど今になって知っても遅す ぎ。十一月卅日の信報の文化欄に陳雲氏が「變化」という文章あり。子どもの頃に本の虫であったという陳雲氏は年老いて復た子どもの頃に読んだ陶淵明『桃花 源記』や『歸去来辭』、『五柳先生傳』など読み感慨に耽る。その中の一句が
閑静少言、不慕栄利。好読書、不求甚解。毎有會意、欣然忘食。
四言の言葉が並ぶ中で、ふっと一つ音が抜ける、そこに「好読書」の三文字を置いてみせた陶淵明(なんてね)。この陳雲氏の文章の小見出しに「買書延壽」っ て言葉もあり、これもいい。「読書延壽」じゃなくて「買書」だもの。今日もバルトの『ラシーヌ論』なんて注文してしまったので「読書延壽」だとありがた い。読書といえば三日の朝日の読書欄に夷齋先生の『至福千年』という小説紹介あり(評者は黒田恭一)、石川淳というと夷齋筆談など随筆はほんの幾冊か読ん だだけで小説はとんと知らず。さっそく久が原のT君にメールで尋ねる。傑作の部類、とT君。だがこの岩波文庫版は83年ですでに絶版。手に入らぬと思うと 余計に読みたくなる。話は夷齋先生の作品には鷗外風の史伝物が不思議と無い、とT君の指摘。それでも岩波の鷗外全集月報に連載で纏まった『前賢餘香』は夷 齋先生流の史伝と言うに足るもので掛値無しの逸品、という。戦前に鷗外の史伝について評論した名著『森鴎外』にこの『前賢餘香』が合わさったものが岩波書 店の石川淳選集の一冊にある由。実は今晩、T君は久しぶりに新潮日本文学アルバムで『石川淳』眺めていたらちょうど余の、その夷齋先生に関する余のメール 受け取ったそうな。
▼信報で林行止専欄で六回も続いたフリードマン追悼の長編論評も十二月一日に終わっていたのを今頃になって読む。フリードマンは経済学者としては一流なの は当然としても問題は彼が自らの経済理論の実践という意欲があったにせよ智利のピノチェト政権であるとか米国でのレーガン政権での経済政策への加担は学者 の域を越えてマイナスの評価もあり。
▼リチャード李澤楷君みずからのHP(こちら) にて「香港の未来の成功は不断の創造、自由市場、新聞の自由にあり民主拡大を」と主張。ひょっとしたらリベラル派に参与し未来の行政長官への道を探るの か。信報の彼による買収は李嘉誠財閥のマスコミ支配への第一歩か、と覚悟したがひょっとすると彼自身が信報のスタンスに共鳴してのものか、とすら推察も 可。
▼15歳の少年が55歳の父親に性的虐待されたとして訴えたが第一審は息子が父を陥れるための狂言と認知し父親に無罪判決(六日)。親による子のセクハラ に社会がどれだけ敏感かを知っての狂言なら恐ろしいかぎり。
▼大陸から来港し香港で子を出産する母親の数、今年は十月までで実に1.3万人(01年の19倍)。子が香港の居住権有することで将来の香港居住願う一策 か病院は大陸妊婦の数の多さに香港市民の出産に支障すら現われ香港基本法に則した居住権の従地主義ながら香港政府は大陸妊婦の在港出産について何らかの対 策講じる必要性まで検討。香港の少子化に一定の効果こそあれ病院側の受け入れの困難は深刻。私立病院はすでに産前検査受けず飛び込みの産婦は拒絶か出産費 用の追加徴収、産み逃げ対策で出産費用の事前支払い等で対応の由。これについて昨日の信報林行止専欄は香港が五十、六十年代に大陸からの非合法な経済難民 受け入れたことが、彼らが廉価な労働力を提供したことが香港の飛躍的な経済成長に寄与し、貯蓄に励み(大陸への仕送りも含め)、香港が世界でも有数な経済 圏となったこと。香港が現状では深刻な少子化にあり、将来的な人材の確保を見込めるのなら香港で出産し香港居住権得る子どもの存在は香港にとって貴重な財 産、と。ところでこの専欄によれば深圳の旅行代理店には「香港十天収費一万八千人民幣的産子旅行套餐」と出産旅行パッケージまで出現。「一生の宝となる香 港永住権を赤ちゃんに!」と謳う由。
▼新嘉坡への渡航者数が本年度九百万人に達するそうで人口の三倍かと驚いたがマカオはカジノ乱立が功を奏し今年は二千万人に達する由。確か人口五十万人。 人口の四十倍の来客とは笑いが止まるまい。で香港は昨年の来港が二千三百万人で今年は昨年より不調だそう。来年はマカオが香港を抜くことは必至。カジノ売 上げもマカオは本場ラスベガス抜く勢い。中国からの賭博客、いったい何割が自腹きっての賭博か……接待程度ならまだマシで公金流用などあっても不思議ぢゃ ない。で東南アジアのその観光立国ぶりに対して我が国は情けない……わずか六百七十三万人。首相が「美しい国、日本」とかワケのわからぬコト言って富士山 でも眺めながら酔っている場合ぢゃなかろうに。しかも本日は、最高裁で国外退去処分確定の群馬県高崎市在住イラン人、アミネ=カリル氏の家族、強制退去猶 予の仮放免期限が本日のため東京入管に出頭すると入管側は在留特別許可認めぬと通告。旅券やイランへの航空券用意し一ヶ月後に出頭指示。日本で育った高校 3年と小学4年の娘は日本語堪能でペルシャ語は話せずイランで生活は困難。長女はすでに大学合格。こんな聡明な少女に将来の夢すら与えぬ、それのどこが 「美しい国、日本」か、ちゃんちゃらおかしく涙が出そう。ところでNHKのNW9のキャスター、柳澤秀夫、飲酒運転とかのニュースでは加害者の極悪非道を 言葉厳しく叱責するのは得意だが、それならこの国外退去処分とて「国の冷酷無惨な措置」に会津の男なら厳しく糾弾すべきところ、このニュースでも途端に腰 が退けてしまいボソボソと「カリル氏の弁護団は再審要求など検討するとのことです」だかと言葉濁して終わり。情けない。

十二月七日(木)言葉というのは面白い。「言った者勝ち」で読み手(聞き手)は言葉にまんまと騙される。今朝の安倍三世のメールマガジンも
半世紀にわたって誰も手をつけなかった大改革に挑戦しています。安 倍内閣は、国民の視点で考える、国民本位内閣です。様々な意見の方がいますが、国民のための改革は、是非やり遂げたいと思います。どうか応援して下さい。
と安倍三世宣う。「そうか安倍さんは国民のためにそんな挑戦をしているんだ」などと実は昨今の自民党の「改革」で実質的な被害こうむる人にかぎって応援し てしまったりする。この正直さが戦後の自民党政治を支えてきたのだが。では実際、半世紀の間に誰も大改革に挑戦しなかったのか? 違うだろう。これまでの 内閣は国民本位じゃなかったのか。池田勇人も田中角栄も政策は当時の国民にとって最も期待されたもの。であるからべつに安倍三世になったから大改革と国民 本位が始まったのじゃないことだけは確か。さらに「様々な意見の方がいますが、国民のための改革は、是非やり遂げたいと思います」と全く理路整然とせぬ言 い回し、こりゃ何だろうか。自らの理念である(具体的には何だか全く不明だが)国民のための改革だけが正しく、それに否定的な者の意見は聞かぬ、というこ とか。首相がこんな姿勢であるのだから子どもらに「素直になれ」「人と語れ」とイジメだの自殺せぬよう呼びかけることは所詮、無理。教育基本法改正より首 相が「素直に人の話を聞ける」ことがよっぽど社会を是正するのではないかしら。
▼東京ファシス都知事石原君の04年スイスはダボスでの世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)出張について。今になって石原四男……ちょうど40歳だ が「石原四男」じゃなくて石原延啓という、親が「断っておきますけど、うちの息子は立派な絵描きですよ」と言うのだから画家(作品はこちら)、その四男氏の 渡航経費を公費から支払い、それについて父=知事は会議でのアートパフォーマンスを息子らに「タダでやってもらって、旅費も(自分で)払ってなんて言えな い。当たり前のことじゃないですか。違法性があるなら指摘してもらいたい」と憮然としているが、問題は「公費による渡航費用の支出内容書かれたされた契約 書には石原四男の名前記載なし」(朝 日)、つまり隠蔽しようとした形跡のあること。それなのに都知事の反論が「ちゃんとした画家で、働いてもらったんだからいいだろう」だ。こういう のを世間では「ケツをまくる」と言う。この都知事は結局この程度の虚勢でしか存在しておらず。この石原都知事の姿勢について今週の英国Economist 誌のニュースレターは東京版で“Governor gripes” と題し
A scandal over foreign travel and an offensive gaffe have left Shintaro Ishihara, Tokyo’s right-wing governor, fielding an unprecedented slew of complaints. The loud-spoken governor with a penchant for controversy (he once claimed that French was “a language which cannot count numbers”) will seek a third term in the spring—a bid that many had presumed would be successful. But his reputation has suffered a blow from revelations that his last 15 trips abroad cost Tokyo taxpayers ¥243m ($2.1m). In some cases the governor stayed at hotels that were more than three times costlier than the maximum permitted under administrative rules.
Mr Ishihara’s impropriety came to light days after he blundered into the fraught issue of school bullying. He told victims on November 10th, “If you don’t have a fighting spirit, you’ll probably get bullied wherever you go.” The Tokyo Metropolitan Government has been flooded with complaints from locals demanding apologies for these remarks, as well as a complete explanation of the governor's lavish travel arrangements.
<For classroom and country>
Scandals and gaffes aside, Mr Ishihara’s efforts to make schools more patriotic seem to be paying off. Tokyo was among the first educational districts in Japan formally to punish teachers who failed to stand and sing the national anthem at school events. This aggressive take on national pride is now poised to spread beyond the capital.
Japan's new prime minister, Shinzo Abe, has made education reform a top priority in his efforts to “create a country with dignity”. His revisions to laws governing schools would require them to “evaluate students’ willingness to learn about and study traditional culture”. This would effectively grade children for their patriotism, and, say the law’s many critics, take Japan back to the pre-war era of indoctrination. Until redrafted by the Americans in 1947, the Imperial Rescript on Education forced teachers to instil a love of emperor and country in young Japanese children. Mr Abe is pushing hard to have the revisions passed during the current session of the Diet, Japan's legislature, which ends in mid-December.
と指摘。常識的な正論であろう。過去15回の海外出張の総経費が2.4億円……贅を尽くした海外旅行で各地で東京都知事とちやほやされてご満悦か。

十二月六日(水)いつもメモ書きに愛用のぺんてるの0.7mmのシャープペンシル(製品番号P207)はもう二十年くらい「こればかり」で手の届くとこ ろ、あ ちこちに置いてあるのだが、そのうちの一本が突然、不調来たし分解してみると驚くなかれ最も大切な芯の送り出し部分の芯を押える部分が摩耗して芯押え切れ ぬ状態に。この一本も十数年使っているはず。捨てるにも捨て切れず埋葬したいくらい。でせめて記念に、とリコーGRデジタルで接写してあまりの解析度に驚 愕。このぺんてるの単純高性能のシャープペン、Pの200番シリーズは(十数年前にぺんてるの香港駐在の方もぺんてるが誇れる筆記具とおっしゃっていた) ぺんてるのサイトで見ると商品ラインナップに存在せず。生産中止か?と焦ったが海外輸出アイテムとしては残っている由(こちら)。見つけたらダース単位で買いだめせねば。早 晩に薮用あり香港大学。同大の博物美術館で「心羅萬象 饒宗頤丙戌書畫展」を 見る。香 港大学でかつて教鞭もとった国学大家で自ら文画にも達筆な饒宗頤教授の卒寿祝う文人画展。しかも全ての文画が今年 九十歳で描いたものだというから敬服するばかり。同博物館のY総館長にご挨拶。「列仙酒牌」と題した清朝の画家、任熊の画集二巻いただく。任熊は浙江省紹 興蕭山の人。1857年に肺を病み35歳で逝去したが海上派の開祖として近代の中国国画に大きな影響与えたという。今回の展示は香港の中国美術コレクター として著名な葉承耀医師(攻玉山房主人)所蔵のもの。FCCのバーでハイボール二杯。晩にHappy Valley競馬場にてInt'l Jockeys' Championshipあり武豊騎手は対象の3レースで4着、4着、2着と唯一3レースとも入賞し12ポイント獲得したが1着(12得点)に加え5着入 賞で2点獲得したペリエ騎手が総合優勝。武騎手は他2レースでの1着騎手と同点で2位の結果。
▼NHKのNW9で来年春に巴里オペラ座公演控えた市川海老蔵君にインタビューあり。どうしても、ふと「パリジェンヌ手籠めに」とか想像してしまうがすで に前回の巴里公演ですっかり済んでおり実は堀越アントワーヌ君なんてのが巴里にいて十四代目は青い目の團十郎なんてことに……はならぬか。
▼「ほおずき」「巾着」に加え久が原のT君は「茶巾寿司」だった由。廉くて京樽、中級で八竹、奮発すれば宮内庁御用達「神楽坂・大〆」、なんて一席ぶてる 善き時代も遠い昔となりに鳧、とT君。男子の場合、茶巾寿司に対して「海苔巻き」でもあったか。「手巻き」だとどこか風俗関係の俗語のようで、そうそう 「昆布巻き」と申しましたら正月の「出の着物」の芸者を、あれですな、おめでたいところで背後から着衣のままで……なんて話は小沢昭一か。
▼昨日の蘋果日報が一面で「李澤楷我要真民主」と報じる。余は「李嘉誠の次男」と揶揄していたが李嘉誠ファミリーに於いて云わば鬼っ子的存在と化したリ チャード君。父への不振は90年だったかの実母の死に際して父との確執が始まりと言われるが先日のPCCW巡る買収劇では父ばかりか北京中央も眉顰める。 この「我要真民主」は来年の行政長官選挙においてリチャード君は投票権有する八百人の選挙人のうちIT業界の者に対してDMで“Your vote is crucial to achive real democracy”と語りかけ香港の民主発展への寄与呼びかけたもの。香港の財界人が内心は知らぬが親中的なのは当然でリチャード君がどういう覚悟か (何も考えていない、という推測も依然、あるが)かなりリスク高き主張。兄が父の訓え授かり確実に地味に後継者として振る舞うのに対して、この次男坊の反 逆、端から見ていて面白い。

十二月五日(火)最近のカメラづいた日々。とある経緯から本日、RicohのGR digital入手。GRレ ンズが見事なのは言うまでもないが手に収まるほど小さなボディに絞りからシャッタースビード、露出補正、ホワイトバランスからオートブランケット等々必要 な機能だけが実に見事に使い勝手もよく装備されており脱帽。それとは別にEPSONのR-D1sは昨日、専用の革カバーを得たがElmarit 28mmのレンズ装着したままだとカバーできないわけで「カバーをするため」にSummicron 50mm f2のレンズも入手なんて言うとズミクロンに失礼だがレンズ表面にかなり摩耗の傷あり、で超廉価の沈胴式(1954年から製造の第1世 代)。試しに撮影してみると妙なボケ具合も(本来なら調整必要なのだろうが)それはそれで愉しい(画像右)。そ れともう一つ、最近、かなりいいコンディションの殆ど未使用に近い中古でNikonのニッ コールED 180mm f2.8という望遠レンズも入手。もうニコンの一眼レフから離れた、ようなつもりでいたが実はデジタルでの話でして手許 にはまだニコンF2と黒胴のニコマートELがあり(ほとんど飾り物と化しているのが残念だが)この望遠はそれように(いったいいつ使うのか)。ニコンにつ いてはすべて亡父に感謝せねば。晩にカメラいじりながらドライマティーニ飲む。至福の時か。晩に鮭の炊込みご飯。菊正宗。ライカレンズの本や父の残した八 十年代のカメラ雑誌のニコマートレンズの特集号など読む。K氏にいただいた門司の梅園の河豚最中頬張る。いじめ、いじめ と連日の日本のニュース。昔もかなりひどいイジメがあったよねぇとZ嬢と話す。女の子のスカートをまくり上げ頭の上で縛ってしまうのようなイジメが中学の 時にあった、と先日K嬢と話題になったが、それを余は「ほおずき(酸漿)」と呼んでいたがZ嬢は「巾着」だった、と。やられた方は冗談じゃなかろうが当時 はそれほどそれが当たり前だったのか。その子が自殺してしまうなんて誰も想像もせず。
▼西武鉄道グループで堤清二ら創業者康次郎氏の子や孫らが堤義明氏らを相手に違法なコンツェルン再編で株価下落し損害被ったとして提訴。『オール読物』と かの三流社会派小説みたいな話。義明氏は或る面とてもわかりやすい経営者だが堤清二という人は会社経営では結果的に失敗、リベラル派財界人の面持ちもあれ ば作家だか詩人だか知らぬが、いつも被害者ぶるところばかり目立つ。結局、この人な何ぞや? ところで突然、西武百貨店の水野誠一氏のことを思いだし、参 議院議員のあとはいったい今は何をしているのかしら?と思ったら、何だか21世紀になっても、まだたった一人で「おいしい生活」な実体のないプレゼンテー ション(©田中康夫)しているのね、と納得(こ ちら)。
▼米国のボルトン国連代表大使辞任。先の中間選挙での民主党勝利受けての由。ラムズ某国防長官といい米国の政治はわかりやすいし選挙での民意の反映ぶりと いう意味では民主主義の国か。それでもこの<学習>のためにいったい何千人、何万人が犠牲となっているのかしら。オバマ上院議員は先週だったかスピーチで
the American people have sent a clear message that the days of using the war on terror as a political football are over.
と述べる。事実だがこれに気づくための911からの日は余りに惨い。
▼朝日新聞にヘルムート=シュミット元独逸首相のインタビューあり。首相辞任後の今は独逸の高級週刊評論誌Die Zeitの発行、経営に従事。日本でいえば宮沢喜一が首相退任後に「週刊エコノミスト」の編集人になるようなもの、或いは中曽根大勲位が文藝春秋発行人と か……有り得ないが。小泉三世が青春出版社の月刊 ビッグトゥモロウ(まだ存続していたことに驚いたが)の編集長とかお似合いではないか? でシュミット氏、相変わらず知的で素敵。
政治家は自国の歴史を語らなければならない。同時に安倍首相は日本 の国民に対しても、自国や他国の歴史についてもっとよく知ってほしい、と言うべきだろう。例えば、漢字や儒教、禅宗といった精神文化が古代の中国から、あ るいは朝鮮半島を通して日本に伝来したことさえ知らない日本人が少なくない。中国や韓国の対日不信の根源が、19世紀後半から20世紀にかけての日本の行 動にあったことを学んでいない。
と語る。さすがに「漢字や儒教、禅宗といった精神文化が古代の中国から、あるいは朝鮮半島を通して日本に伝来したことさえ知らない日本人が少なくない」は ちょっと言い過ぎかも知れぬが(実際にそうだったりして……)これは「そういった日本のアイデンティティにおける大陸的なものを認めない人がいる」とでも とるべきで、安倍三世は「日本の国民に対しても、自国や他国の歴史についてもっとよく知ってほしい、と言うべき」どころか実は安倍三世本人が「もっと知る べき」。ところでこの取材、朝日のヨーロッパ総局長がしているのだが、
週刊誌「ディー・ツァイト」本社の彼の執務室にはテレビがない。流 暢な英語で1時間半語り続けた間、たばことライターを片時も手放さなかった。
って、独逸を代表する政治言論人相手に「流暢な英語で」なんて書くとは……情けない。大新聞のヨーロッパ総局長でも「英語が上手かどうか」なんてことが気 になる程度なのか。編集担当デスクもこんな陳腐な表現削ればいいのに。

十二月四日(月)税金支払ふ。期限こそ來年一月と四月の二回なれど、どうも請求された状態にあることが嫌。いつも背後から私服警官に尾行されてゐるが如 し。早期支払ひなら一割引でもしれくれゝばいゝが、せめてもの利益還元でクレジットカードで支払いマイレージポイント得る魂胆。日本は廿二世紀くらゐにな つたらクレジットカードで納税可、かしら。ずつと前から気になつてゐたことの一つに香港の日本人墓地の変遷、あり。Happy Valleyの香港(紅毛)墳場(HK Cemetary)の高台の一角が通称「日本人墓地」と言はれてゐるが元々の日本人墓地は銅鑼湾の掃桿埔、今のラグビーセブンスなどでお馴染の香港スタジ アムの近くにあり。1910年に当時の日本の在香港領事から香港植民地政府に日本人のための火葬場と墓地建設の要望が出され(余は香港歴史アーカイヴの資 料で検証済み)1910年代といふ日英の蜜月期、英 国側の便宜供与受け掃桿埔に火葬場と墓地が設けられる。香港の法事は明治から淨土真宗が取り仕切り、大谷光瑞師が訪港の際に寄付金を頂き萬霊塔建てたのも この地。その掃桿埔の一帯が医療施設など建設されることゝなり日本人墓地は現在のHappy Valleyの墓地の一角に移転させられるのだが、それがいつたい何時だつたのか不明。いろいろ資料も探したが検討つかず。今日、ふと、その掃桿埔の地に ある東華東院に少なくとも病院設立の年月がわかるかと思ひ尋ねてみると、すんなりと七十五年前、と電話に出た職員の答へ。今年が偶然に創立七十五周年の 由。といふことは開院は1930年代初頭。香港の歴史家・高添強君から頂いた写真に湾仔で雜貨商営んでゐた日本人三浦某氏の葬儀の記念写真こそ、この掃桿 埔の火葬場が写った(おそらく現存するたつた一枚の)写真。そこに大谷光瑞揮毫の萬靈塔も写る(現在はその塔はHappy Valleyの墓地にあり)。高君はこの葬式の写真を1930年頃、と推測したが、この三浦氏の葬儀の一、二年以内に墓地移転となつた、といふこと。墓地 は1912年くらゐから廿年間、掃桿埔に存在した、と思はれる。晩、帰宅の折に十四夜の月を愛でる。帰宅してライム一つ搾つてウオツカライム飮む。すでに 愛機となつたエプソンのR-D1s 用の革カバー、Epson直営のオンライン販売に注文し実家に届き母が送つてくれる。ますますR-D1sが好きになる。晩飯は出し汁に大根おろし 加へ韮と豚肉を鍋する。菊正宗一合半。アサヒカメラ12月号読む。特集はつひに「M8から始めるライカの世界」。ライカはやっぱり銀塩でせう。富士フィル ムがデジカメの時代に敢へてKlasseと いふフィルムカメラ発売。一見いわゆるバカチョン機だがシャッタースピードから露出補正まで装備して95,000円とお値段もなかんか。明らかに60歳定 年迎へる団塊の世代狙つたカメラ機か。
▼米国の先の中間選挙でイスラム教徒として連邦議会で初めて下院に当選した議員が議員就任をイスラム教のコーランでするとして反発招く。米国は憲法で信教 の自由保障するが議員などの宣誓はキリスト教で聖書に手をのせるのが慣例。保守系の言論人が「米国の文化を壊す」だの「下院議員を辞すべき」と発言。米国 はキリスト教の理想実現の国か。
▼住基ネットで意見判決だした大阪高裁判事が判決から三日後に自殺。神戸地裁判事であつた六年前には尼崎公害訴訟でも患者の訴へ認めた、所謂「市民派」判 事。まさかロシア人諜報員の如く毒殺ではあるまいが……。

十二月三日(日)マカオマラソン当日だが諸用あり不参加。終日、九龍塘。ご一緒の旧知の面々に昼食に誘われるが巨大ショッピングセンター (Festival Walk)での日曜日の昼食なんでぞっとして遠慮。晴天ののんびりした晝、高級低層集合住宅が並ぶ又一村の静かな緑地帯を抜け南山邨の団地。窗 から物干しが伸びて洗濯物が泳ぐ風景もあとどれくらい香港の風物詩であるのかしら。団地から眺める獅子山こそ香港の原体験。数年ぶりにこの団地の街市にあ る嘉湖に雪菜雲呑幼麺を食す。1949年開業の上海流れの食 堂。端午の粽が馳名。南山邨の団地は何軒もの安食堂の充実は香港でも屈指。昔いろいろお世話になった香港中文大学の余均灼先生が上梓された『現代日語語法 詳解』読む。早晩にFestival WalkのTasteなる食料品スーパーでフランスパン、チーズとライム購い帰宅。晩に野菜中心の前菜で豪州 Penfolds Rawson's Retreatのシャルドネ(02年)飲んでトリュフオイル(トリュフぢたいに非ず)で鳥肉のパスタ食す。
▼NHKのドキュメンタリーで医療保険料未払いで保険使えず疾病に悩む人たちの話あり。保険料未払の場合に健康保険証支給の代りに資格証明書支給され本人 が10割負担して保険料納入すると初めて保険金支給ある、のが制度。負担の公平性のため、という。貧困で未払いの場合は通院できぬのなら「死ね」と言うよ うなもの。日本全国で32万人。香港の場合、公共の医療保険制度はない。が、まず公立病院の診察料、医療費はとても安く抑えているため、最低限の医療費さ え払えば医者の診断と治療を得られる。ここで貧困層の医療問題はまず軽減される。更に治療を受けて医療費が払えなくても「貧乏だから死ね」とはいわず継続 治療も可。勿論、そこで未払いが起こり医療費の所謂「売り掛け」が増大する問題はある。が非常に大陸的なのは「金持ちが多く負担する」ことで「貧乏人は 養ってもらう」のを富裕層は尊大に優越感を覚え貧乏人も阿Q的?にそれに甘んじる関係が成り立っていること。で日本の国保のような悲しい問題が累積しな い。それにしても不思議なのは、そういった保険料未払いで持病の治療すら受けられぬ人たちがなぜ叛乱を起こさないのか?ということ。国民の医療負担増は中 曽根行革に始まり小泉三世の税制改革で徹底的に負担が高まる。それなのにテレビ見て小泉さんに親近感覚え郵政選挙で自民党に一票いれていないかどうか。 32万人が医療費の問題で政府与党に反発し比例代表制で共産党支持でもしたかどうか。政治とはそういう力で動かせるはずなのだが苦労して働き年老いて福祉 すらまともに受けられず、の人たちが泣き寝入りになってしまう。
▼北京飯店がラッフルズホテルと提携し長安街に面した旧館大規模改造して広さ九百平米、一泊8萬元の総統房(Presidential Suite)など北京五輪に向け拡充の由。最高の部屋なら毛沢東房とか主席房にすべきだが……。また北京やこのホテルに因む文化人や政治家などの名前つけ たSuiteもあり。郭沫若先生などの名前も用いられるがさすがに「蒋介石の間」はない。

十二月二日(土)また慌ただしき一週間の末に今朝は昼近くまで机上諸事片づけ昼頃に中環に出る。Stanley街の写真機材屋何軒か冷やかし久々に陳成記にて牛腩伊麺食す。美 味。二人ほど人雇うが主人がちょっと手が空くと人任せにせず雲呑自ら包むのは昔から変わらず。中環のこのあたり絵になる風景多し。尖沙咀に渡り香檳大廈の 中古カメラ屋何軒か覗く。ライカMについては最も品揃えのいい「大家好」でSummiluxの35mm f1.4であるとかNoctiluxの50mm f1であるとか東京よか高い上に在庫すら見せてくれず(おそらく買う者がいればコレクターが放出しますよ、の委託か)。他の店では埃かぶった骨董品屋の如 し、でレンズの扱いなどかなり劣悪でとても買う気にはなれぬ。午後九龍で薮用済ませ、黄昏時に石硤尾の集合団地を復び徘徊。十月の中旬に訪れた時は立ち退 き直前であったが今は古い公共団地の建物はすっかり鉄網の囲いに覆われ取り壊し待つばかり。殺 風景とはまさにこのこと。この時刻ともなると店々に近所の馴染客集まり四方山話に花が咲き、と下町の光景あちこちに。深水埗では安物の衣料品屋が少し肌寒 くなったことで冬物の衣料品並べて商売繁盛。ふと香港のウール衣料品の老舗利 工民で数十年間デザインが変わらぬのであろうウールの薄手のセーター購う。ダサいといえばかなりダサいがどう着こなすか、がポイント。深水埗は可 笑しな街。なぜか公衆電話は近所のジュース屋の砂 糖黍置き場と化し地下鉄站入り口付近に十月には確かにあった「性病蔓延」の警告のネオン看板は撤去済み。「リスク高し、性病は此処から起こる」じゃ深水埗 の印象も悪かろうし「買春の街、深水埗へようこそ!」とすら読める、と判断されたか。Z 嬢と銅鑼湾で待ち合せJaffee RdのTAIというオー ガニック野菜のビュッフェ式料理屋に食す。晩でも1人HK$60(+サ税)で良心的。英国ですでに10軒だか展開する新機軸の自然食の由。それなりに評判 だが「何かビジネスが始めたくてお父さんに始動資金出してもらいました」という感じの若い経営者が店の中をひたすら客に愛想うって懸命なのも、きっとこの 自然食チェーンの香港での営業権を得た見返りのフランチャイズ料と高い家賃払うと、かなり商売も厳しいからか、と思えてならぬ。このテの店は客層も限られ るわけで評判ならビルの2、3階でもいいはず。果たして銅鑼湾の一等地、繁華街の通りに面したG階で見栄張って営業する必要があるかどうか疑問。而も飲食 店の「居抜き」賃貸で店の設計もビュッフェには使いづらくもある。皇室映画館で譚家明監督、郭富城主演の映画『父子』After this, Our exile 観る(映画内容については下述)。譚 監督本人が先月卅日の信報のインタビューにて120分に短縮された劇場公開版に対して160分のオリジナル版を「それこそ譚家明の本当の作品。一コマとて 無駄がなく全てのシーンに意味がある」と言うのでオリジナル版を観ることにすると上映は香港でたった一ヶ所、皇室映画館のPalace劇場のみ。HK $95もかけて(って日本で言えば1,500円だが)2-2-2配列のわずか36席の飛行機でいえばビジネスどころかファーストクラス並のシートでご観 賞。この映画、今年の東京国際映画祭で最優秀アジア映画賞と最優秀芸術貢献賞だか受賞。譚家明といえば寡作で17年ぶりの監督作品。レスリー張國榮の『烈 火青春』の監督と言われても「うーん……」で終わってしまうが「香港ヌーベルバーグの旗手」だったそうで1987年の極道物『最後の勝利』では王家衛が編 集に加わり、譚家明は自身が監督としてよりも王家衛の師匠として評価されてみたり王家衛の傑作『旺角カルメン』では譚家明が編集。その後、マレーシアの映 画学校で講師、この五、六年は香港城市大学で助教授として映像学の教鞭をとっているそうな。「香港の柳町光男」である。で物語は(以下、この映画ご覧にな る方は読まぬよう)安食堂の料理人(郭富城)は家庭を顧みぬ博打好き、暴力団に借金拵え、内縁の妻(楊采妮 Charlie Yeung)は ナイトクラブのホステスをして家庭を維持するが夫に愛想尽かし実業家の男の許へと逃げて結婚。で取り残された息子はどうしようもない父を健気に支えるのだ が父は職を失い金策の手だても尽きると息子に空き巣まで強要。で家を追われ父と子のその日暮らしの宿無し暮らしが続き、どんどん落ちぶれてゆく、所謂「ど ん底もの」という意味では珍しくもないが、マレーシアのペナンかどこかの鄙びたチャイナタウン、ちょっとレトロ調(それだけで映画祭で最優秀芸術貢献賞だ ろうが)。郭富城もかつてのアイドルが市井のどうしようもないどん底親父を熱演するものの何といっても息子役の吳景濤(誰だったかモデル出身女優の実子) が所謂、天才子役で好演。一つ決定的に欠けているのは、息子が殴られても泥棒までさせられても離れたくない、と思う父なのだが、その父に息子をそこまで思 わせる魅力が足りぬ。郭富城の演技力不足ではなく、そもそもこの父親像にそこまでのものがない。そうなると父を支える息子があまりに美化されてしまい「不 幸せな子ども」の話で終わってしまいやせぬか。それにしても革張りリクライニングの高級シートで映画見てると160分なんてぜんぜん疲れもせず、HK $95はお得。

十二月朔日(金)Z嬢が九龍で建築中のビルの火災をR-D1sで撮影。写真撮影はもう数十年自動焦点であるから、まさかZ嬢思いっきりピ ント外すがエルマリートとR-D1sはピンボケ写真も味があり(ジオラマ撮影風に画像処理)。早晩に按摩。まだ半袖Tシャツの人も街中に多いが十二月とな り少し涼しく日が暮れるのも早い。この季節初めて焼き栗を路上で購う。帰宅して久々にドライマティーニ飲む。ドライマティーニに一つ、二つ焼き栗もまた好 し。
▼余には何等関係もない話だが香港の通信寡占企業PCCW売却巡り新嘉坡上場の親会社PCRDが保有するPCCW株を同社会長の「李嘉誠の次男」 Richard坊やに売却の可否問う株主投票が昨日実施され末端株主の76%だかが反対票投じ売却否決。半年ほど前に「李嘉誠の次男」所有するPCCW株 を投資家梁伯韜のファンドに売却する話が顕になり、梁伯韜はファンドに李嘉誠参加の基金が加わっていることを公言。Richard坊や日頃確執が噂される 父・李嘉誠の算入に不快の由。で豪州の銀行や米国投資会社などもPCCW買収に名乗り上げ、PCCWの株の四分の一だか所有する中国網通も売却に積極的 だったというが先月廿九日の英Financial Timesがトップ記事でChinese official scuppered PCCW asset saleと見出しで「PCCW売却につき国務院香港マカオ弁公室主任の廖暉氏が動き売却阻止」を伝える。そ の翌卅日(昨日)にこの「顔の見えぬ」末端株主の売却否決。余は背景はわからぬがキナ臭きことだけは確か。ところで従来こういう政治絡みの経済画策あらば 信報読めばかなり確かなことつかめたものが今ではこの李嘉誠の次男に買収された信報は今朝の紙面でも二面に「Richard Liが再び経営権掌握」と情けない提灯記事モード。また有料テレビ網now所有のRichard Liが信報買収したことが香港ではメディア寡占でメディア監視条例だかに抵触のはずが政府側の「見て見ぬふり」だとか。
▼中国政府は国内で個人がブログ開設する際に実名での登録を義務づける措置を近く実施との由。メディアなど言論締め付け強化の中で「登録者急増するブログ での匿名発信を禁じることで市民の情報発信についても規制を強める狙い」(朝日)の由。御用団体の中国インターネット協会の理事長は実名制導入の理由とし て「個人のプライバシーと公共、国家の利益のバランスをとるため」と説明。ブログに書き込まれた虚偽の情報などにより、個人の権利が侵害されることを防 ぐ、とは笑止千萬。「ブログに書き込まれた真実の情報などにより国家の権力が侵害されることを防ぐ」のが実際だろうに。ネット上で実施の世論調査では回答 者の7割以上が実名制に反対。「少数の人間の犯罪行為のために多数のネット利用者に影響を与えるべきではない」という意見は真っ当。ちなみに中国のブログ 登録者は昨年末の1.6千万人から年内に6千万人を突破し来年は1億人!に近づくという。
▼劇作家の木下順二氏逝去(十月卅日)。まさに戦後民主主義の終焉の時代に相応しい大御所の他界か。順二の「夕鶴」などかつては戦後の良心の象徴であった ものが偽善的に見られるのは例えば非核三原則が保守から左翼まで「前提としての通念」だったものが壊れるのと同じ。

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