乾 坤容我静 名利任人忙
(旧)教育基本法(1947〜2006) 改正に反対した文化人129 名の声明 憲法改正反対(九 条の会こちら

また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。ヨ ハネによる福音書8章32節)

メ ディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味で はコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意 識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディ アの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。(佐藤卓己)

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■ 「はてな」の富柏村日剰・香港日記(テキストのみ)はこ ちらを ご覧 ください。

■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日記を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。
■香港の高級紙「蘋果日報」からの紙面、寫眞の無斷借用多し。同紙社主・黎智英氏自ら同紙の無斷借用轉用大歡迎と公言ゆゑ、それに甘えてをります。
2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

十二月卅一日(月)朝九時から湾仔のImmigration Deptで香港身分証の再申請。九時に行つては爆満と聞けば用心して八時に赴けば果たせるかな開門前の長蛇の列は既にGloucester Rd越えつゝあり。待ちが長からうと創元推理文庫の日本探偵小説全集6巻小栗虫太郎集持参は正解。『完全犯罪』なる短編読む。で香港身分証申請は早い開門 で建物の中にこそ入れはして八階だかのフロアに辿着いたが長蛇は相変はらずで、ふと後ろ振り向くと三、四十人しか尻尾はをらず。どうやら後続は折角朝早く 来ても本日満額で追ひ払はれた由。で、本 日の整理券配付となるがアタシに渡された整理券は、なんと正月三日の午後二時。べつに当然だがこれから53時間並ぶ必要も当然なく、先日の電話予約では一 月十四日だつたのだから三日の整理券頂戴できただけでも御の字。バスで半山區。オリンピアグレコ珈琲店に珈琲豆購はむとすれば老店主は朝寝坊か近くの星巴 珈琲に小一時間寛ぎ無事、珈琲豆ゲット。ふらふらと坂を下り数年ぶりに散髪……つてルンペンに非ず、自分で剪髪するやうになり十数年だからなのだが最近ま た少し髪を伸ばし始め、で数年ぶりにかつて贔屓の上海理髪店に寄り散髪。理容師もかなり高齢で後継者一人もをらず、は相変はらず。丁寧に髪を刈つてもら ふ。手帳を無くし手帳も購入しないいけないが、ここ数週間の予定が朧げな記憶だけなのも怖いところ、もう二十年以上愛用したFilofaxか何度か浮気し た倫敦のSmythsonか悩んだ結果、買つたのは地場のわづか8ドルの手帳。一ヶ月が見開き型。意外とこれでイケさうな予感。今回の遺失のなかで唯一、 元手のかかる買物になつてしまふDunhillで財布購入。無印で小銭入れなど買ひ帰宅。明日の競馬の予想したりカメラの手入れしたり。夕方、近くの場外 馬券場まで散歩。晩にモツのキムチ鍋、を頬張りながら焼酎のお湯割り飲みながらテレビで紅白ぢや、まるで日暮里の安酒場で、大晦日も故郷に帰れぬやう。こ のモツのキムチ鍋を日暮里鍋と名付ける。敢へて大晦日の晩はAram Il'ich Khachaturian(カナ書きだとアラム=イリイチ=ハチャトゥリアンか)が1936年、33才の時に作曲のピアノ協奏曲変ニ長調を聴く。ソヴィエ ト国立交響楽団をエミン=ハチャトゥリアン(作曲者の甥)が指揮してピアノはミハーリ=ヴォストレセンスキーといふ超重量級の、とてもとてもソ連らしひ曲 と演奏。小栗『完全犯罪』読み終はりかけた頃に近所から若者らの歓声に年が明けたことを知る。読了。昭和8年に三十余歳の若き小栗の名を一躍有名にした短 編。博覧強記ぶりの片鱗見せる。がアタシは推理小説で謎解き者が薬材や化学、病理学などに詳しく犯罪の要因にそれが関はつてをり!その知識ひけらかしなが ら謎を暴くのはアタシは安易過ぎて好きぢやないし、筋としてちよつと無理ばかり。
▼香港での普選遅滞に対して民主党の元党首・李柱銘さんは週末に抗議の絶食一日。普通実現、ふと思つたが明治の日本の普選要求と今回の香港には同じ普選要 求でも大きな違ひあり。日本など選挙権が富裕層の男性に限られてゐたものを男性全般とし、さらに婦人参政権へとつながるのがかつての普選要求。香港の場 合、すでに参政権はあるが(といつても選挙権登録してをらぬ市民のはうが過半数)全面直接選挙求める運動であり、問題は立法会の職業枠と行政長官の選挙人 選抜が親中派で多く占められること。さう考へると2012年の普選実施要求も良いが、泛民主派は現実的には少なくとも立法会の職業枠での議席獲得と行政長 官選挙の選挙人の中でのリベラル派増加に知恵を絞るべきではないかしら。蘋果日報の尊子さんの一コマ漫画も香港市民の普選要求が便所で糞尿と一緒くたに流 される、ではちよつと……。ここまで書かれても「放つておく」措置とられるだけ一国両制は機能しているの鴨。
▼少林寺のある登封市の人民政府が少林寺を観光企業体として香港での株式上場計画中の由(SCMP紙)。資金調達で少林寺の寺院施設、周辺観光施設の充実 を、と。福田康夫君訪れた曲阜もこれに倣ひ上場かしら。福田君といへば曲阜にて「温故創新」と揮毫してみせたが温家宝君も(日本ではあまり報道されてゐな いやうだが)首脳朝食会で
常憶融冰旅 梅花瑞雪兆新歲 明年春更好
と俳句に似せた語呂で漢詩を詠んで披露。キャッチボールよりやはりこれ。

十二月卅日(日)昨晩はさすがに疲れて熟睡のはずが午前四時頃に目覚めてしまひ週刊文春など読んでゐるうちに朝刊配達され(朝日新聞の衛星版の配達は五時 すぎ)朝となる。外出するとロクなことがない気がし、香港IDもないし、で本日は蟄居の身。自室でいろいろ済ますがyoutubeで枝雀師匠や中島らもさ んの落語など見始めたら、あつといふ間に燈刻。毎週日曜晩は香港電台製作(翡翠台で放送)の傑出華人系列をやつてゐるが今晩は香港大学学長の徐立之教授。 遺伝子疫学の権威でトロント大学教授からの転任。1950年の上海生まれ、で香港に渡り何文田官立中学から中文大学に進み生物学専攻。その後、遺伝性疾患 の研究と治療ではカナダでかなり著名、と確かに傑出した人物。ただ李嘉誠、画家の朱徳群に続くと、ちよつと徐立之教授は……といふ感じもあり。徐立之とい へば香港大学で李嘉誠の億単位での医学部への寄付に対して医学院の院名に「李嘉誠」と冠をつけることに医学部関係者らが猛烈に反対。徐立之と対峙。韮と豚 肉の鍋。
▼全人代常委が昨日「2017年の行政長官選、それ以降の立法会選で全面的な普通選挙実施」と決定。自称政治家・文革曽(行政長官)はこれを受け2017 年の長官選挙、立法会の普選実施は2020年を目指すと表明。基本法に当初謳はれし2007年が過ぎ2012年の実施目指した民主派の反発は必至。この 「遅滞」、なぜに生じたかと言へば天安門事件を基因とする香港の反政府感も当初の青写真では香港が経済的安定持続できれば返還後10年もすれば反感も多少 解消するはずが建華九年の治世は民心が乖離し更に親中派御用政党民建聯の腑甲斐のなさで政治的不安定続く。「香港的には」普通選挙実施がいつたい何がいけ ないのか「わかんなーゐ!」のは民主派ばかりか實は親中派とて本音は一緒。ただ「北京的には」現状で香港といふ「一地方自治体」での民主派の躍進が国内で (多少なりとも)政府に対し土地徴用や役人の腐敗などに対して「物申す」市民を勢ひづけることになつては面倒。北京中央にしてみれば江澤民の云ふところの naiveな民主派、そして独り立ちできぬ民建聯ら御用政党、そのいづれもへの苛立ち。今回のこの全人代常委の普選遅延決定も「反民主的」と云へばそれま で、だがその決定の当日に北京から全人代常委副秘書長・喬暁陽(港澳特別行政区基本法委員会主任)らが香港に遣られ中央政府の決定を紹介し理解求めただけ でも「一党独裁国家の政府が」と思へば、大阪程度の規模の一地方自治体の「自治」について弁へてゐるか、の表れ鴨。それにしても、この普選遅延の措置が董 建華に非ず「所詮リリーフ」のはずの文革曽のもとで確定とは……自称政治家の小役人のはずが、まさに政治家か。

十二月廿九日(土)荷風さんが三菱銀行の通帳だの印鑑の入つた愛用の手提げ鞄を電車に置き忘れは確か昭和廿九年の春だつたかしら、当時の額面二千万円だか は今なら億の単位。その日の晩の散人はいつたいどういふ心境だつたか、それに比べればアタシの遺失物などかはいいものか、否、荷風散人の場合は無事発見さ れたのだから、などと臥床してもいろいろ考へが脳裏を巡り忸怩たる思ひでまんじりともせぬまま空も白む。遺失の手提げに大杉栄の『自叙伝・日本脱出』(岩 波文庫)あり。自叙伝の方読み終はりかけ「日本脱出」読むのが楽しみだつたのが残念。朝。……とにかく何がなくても香港で要りやうはオクトパス。深更に既 存のパスを止めてはゐるが(アタシのオクトパスは残額不足となると銀行からの自動振替だから無くすと怖い)急場凌ぎで地下鉄站でオクトパス購入。銀行の支 店に行くと本人確認でHKIDがないと銀行カードの再発行できぬと言はれ、御行のクレジットカード部門は電話一本で再発行に応じてくれたし旅券持参なのだ から、と請ふが慇懃無礼で首を縦に振らず。で湾仔のイミグレ。HKIDの申請など当日の飛び込みは朝の開門で本日満額。月曜日に出直せと言はれる。中環。 携帯電話はその場でSIMカード無料再発行。携帯電話機も新しいのをお買上げ、が先方の商売だが幸ひ当方に代機あり急場凌ぐ。駄目元で銀行の本店に行くと 警察への遺失紛失証明で難なく銀行カードも再発行可。午後にかけ更にいくつかカード再発行行脚。オクトパスカードも月曜日に再発行可と電話あり。かうして 考へるとほんとカード=人格か。それにしても香港のかうした手続きの簡便さ、有難し。警察だけは一つ粗忽あり、遺失証明の書類に印刷されたお問合せ電話番 号に通じず、所用済ませ早晩、警察署訪れると電話番号は数年前のもの。遺失証明といふ急を要する書類で誰か気づかないのかしら。已然、遺失品は見つから ず。そろそろ断念も覚悟。今年はトラホームに胃潰瘍、夏には書棚整理中に転倒し眉間が割け、年末にこれぢやほんと厄年。厄年はとうに終はつたのに。帰宅し てウォッカきゆつと引つ掛け多少気も楽、はただのアル中。力うどん。NHKで「大相撲とことん言ひます2007」を見る。とにかく総括のやくみつる、年々 真面目さばかり目立つ閣下、に比べ藤井アナ、舞の海、にアタシが子どもの頃、贔屓にした御大北の富士のトリオのはうが華がありすぎ。藤井アナは有馬記念で もマツリダゴッホーッ!と連呼。ふと、今回の遺失も「年末に有馬記念に大金投じてマツリダゴッホにしてやられた」と思へばいいか、とワケのわからぬ解釈。 で少しでも回収を、と元旦の日の競馬出走表見る自分が情けない。
▼アタシの日剰でも話題にすらすつかりない福田康夫君の訪中。温家宝君との交流がキャッチボールとは如何なものか。ブッシュ&小泉ぢやあるまいし、なぜ日 中の両国が米国の球技で交はるか、情けない。卓球でもすべし。

十二月廿八日(金)昨晩、薄田泣菫の『茶話』読まうとしたが「まだ」アタシにはダメ。谷澤永一さんが冨山房百科文庫で「完本」三巻を編んだ泣菫のこの短編 随筆集は、内容の平易さ、が逆に「本当にヒマ」ぢやないと読めない。これを若いのに読んだのが坪内祐三さんで「さすが」である(ちなみに岩波文庫版の『茶 話』のあ とがきは坪内氏)。更に年老いてからの愉しみに書棚に茶話を仕舞ふ。ところで朝日新聞社の小学生向け社会科『週刊しやかぽん』12 月30日号「世界びつくり新聞」の「1940年 チベット ダライラマ14世即位」が不肖富柏村の執筆。本日、晩にFCCのダイニングルームでフォンデュディナー。といふ趣向は、アタシがトレイルにご一緒いただく アルピニストO氏は仏蘭西のChamonixでMont Blancをぐるりと一周、毎年開催されるUltra Trail Tour du Mont Blancにも参加経験豊富で、Y嬢が同僚の青年B君が次回のそれに参加のためO氏より情報聞きたいと、その仲介。数日後に帰国のN君 夫妻も登山家カップルでChamonixのこれにも昨年出場してをり、それぢや経験者一同集り、で、どうせだから昨晩と今晩はFCCでdî ner de fondue dans la saison d'hiverも開催されてゐるので、ここでfondue食しながら大いに白葡萄酒堪能しませう、とZ嬢も一緒に6名集りMarlboroughの Hunter's Sauv Bl. 05年、Shaw & Smithのunoaked Chard、もう一度新西蘭に戻りCloudy Bayで最後は仏蘭西の名前失念の白、よく食べるのは飲むは、でfondueと白葡萄酒満喫。で帰途、一生の不覚でタクシーに貴重品入つた手提げ忘れる失 態。一瞬茫然。近隣の警察署に行き紛失届出して帰宅。深更に銀行だのクレジットカード会社だの携帯電話会社などに通報。夜中でもオクトパスカードが自動録 音なのを除けば深夜勤務の方々に深謝。一番の驚きはさすがAmexで月曜日朝にカードを直接お届けいたします、と。Standard Chartered Bankはクレジットカードはこの電話で新しいカード数日で郵送いたします、だが銀行カードのはうは銀行窓口で再発行手続きしてください、と便宜格差…… クレジットカードも銀行カード兼用なのに。総じて手続きの簡便さに驚くばかり。

十二月廿七日(木)所用で出かけるのに山越えで走る。快晴。気温は摂氏十七度。走つて汗をかいてもシャツの着替へがあれば良い。水も少なめ。晩に忙しく 「食の孤島」太古城のCityplazaの所謂Food Courtでオリエンタルカレーでも食べようか、と思つたらオリエンタルカレー供すカレー屋は閉ぢられ近日中に印度カリーの店が開業、と張り紙あり。香港 では、あの「いかにも即席カレー」のコクの無さ、は人気出ず、かしら。旭屋書店でアサヒと日本のカメラ雑誌二冊購ひ帰宅。夜遅くまでジャックダニエル飲み ながら熟読。といつても、同紙ともEOS-1DsMark IIIとD3取り上げ「ニコンらしさ、キャノンらしさとは何か?」とか「究極の高画質デジイチ、その凄み」なんて記事がメインで、アタシ的にはRicoh GR Digital IIやライカズマリットMレンズの特集とかも嬉しくはあるが(アサヒカメラがこの新ズマリットとフォクトレンダー(コシナ製)を比べ価格など考慮すると後 者がいかに互角に勝負してゐるか、を指摘してしまつたのも可笑しいが)、実は何の記事に最も関心がいつてしまつたか、といへば、まづ、新宿戸山で Contax専門に扱ふ極楽堂が開業5周年記念でアサヒに8頁、日本に4頁の全面広告掲載の天晴れ(先日もDavid Chan氏にGからMマウントの変換リングを見せられた時には昨年の秋にライカ化計画の中でContaxはG1やビオゴンのレンズ処分してしまつたことを 悔やんだ)であり、そして、四谷荒木町のアローカメラの買取り名人・野田父子の写真が、08年新年に当たつてか、これまでの左右並んで坐つてゐた写真か ら、父が椅子に坐り息子が背後に立つ、といふ「いかにも写真館での記念写真的な」父子像に変はつてゐたこと。その2つなのだ。実にこれが可笑しい。それに しても、この二誌はほんと並べて読んでみると誠に興味深い。アサヒカメラが大和屋、昨年正月の中村屋に続いてこの正月號では篠山紀信先生の成田屋の坊や。 デジイチと望遠レンズ駆使して、の海老蔵の舞台写真だが、これに対して日本カメラが土田ヒロミの、田楽か何か、土俗舞の装束を白を背景にした現場つて、た だの田舎か、の仮設スタジオ!でのポートレート撮影。完ぺきに後者の勝ち、だらう。
▼長實さん(李嘉誠)が1963年に65万ドル(今ならわづか1億円)で買ひ上げ43年住んだ79 Deep Water Bay Rdの家から引越し。新居は2003年に83百万ドルで梁 智鴻一族より購入の(つて03年=疫禍のこの価格は破格の底値、さすが李嘉誠だが)壽臣山(Shouson Hill)の敷地に長男宅を含む三家屋、床面積3000平米の邸宅を完成。何が強引、つてこの土地、もともとは壽臣山24號といふ住所だが、24は「易 死」と読める、といふわけでか、登記されてをらぬ22號を用ゐて三棟を22A、22B及び22Cとしたが、これも気に入らず邸宅の後門に入る路地(私家 路)を壽臣山徑(Shouson Hill Drive)と命名、で自宅住所はNo. 1-3 Shouson Hill Driveにしてしまふ荒技。これが邸宅の門柱に堂々と(まだ嘉誠道とか長實經にしなかつただけマシか)。地政總署(Land Dept)の担当者によれば敷地内に道路を造つた場合の命名権は土地所有者にあり、申請すれば政府は道路名称を官報に載せ正式な道路名称となる(元朗の錦 綉花園の錦綉大道などもその一例)。また申請せず官報に載せぬのも不法ではないが、それでその住所用ゐれば何かと不便もございませう、と。で、固定資産税 扱ふ差餉物業估價署は、この土地はあくまで登記上は壽山村道22A、22B及び22Cであり、門牌の住所表記は不正確であり所有者に正確な住所表記するや う書面で提示の予定、と言ふ。 また条例によれば土地所有者が正確な住所を門牌に提示せぬ場合、最高罰金HK$2千及び6ヶ月の禁固刑の由。ところで蘋果日報の地図で壽山村道51號厚園 が「政務司司長官邸」とあるが、これは「律政司司長官邸」の誤り(政務司司長官邸は山頂のBarker Rdの15番地 Victoria Houseなり)。

十二月廿六日(水)耶蘇節に続きBoxing Dayの休日。例年この日は港島のBlack's Linkで8kmほどのレースあるのだが今年は参加申込み逃す。Z嬢と大老山の隧道潜り廣源邨の団地から黄牛山(604m)のはうに入るはずが本来の石芽 背に向ふ登山口をほんの50mほど手前で断念してしまひ見つけられず(初歩的な地図の読み違ひ)手前の澤で薮漕ぎ続けること一時間半。昼近くになり観念し 梅子林を回らうか、といつたん車道に出て歩き初めて石芽背に向ふ登山口見つけ予定通り歩き始める。黄牛山の標高400mあたりでMcLehose Trailの#90左右のトレイルコースに出るのだが、ここから「大腦」に下る草原、孟宗竹の林は見事。「大腦」はすでに廃屋が草木に覆はれた部落。山深 きこの地にかつて四、五軒の集落が あり。なぜ「大脳」(Tai No)といふ奇妙な名なのか。1kmほどかつてかなり整備された石の敷かれた山道を下り(これだけでも大腦の部落はかなりの財力あり)界咸(Kai Ham)の集落に出、此処からちやうど来たミニバスで西貢。その道の途中、山中の掃墓の人に「昔の礦山の陥没窩に注意」といふ看板あり。ふと、大脳など、 この山深き部落の人々は礦業を生業にしたのでは?と思ふ。西貢で麦酒を飲むつもりがDuke of York酒場開いてをらず。英国流にBoxing Dayで休みかしら。林記小食で腸粉と炒麺で空腹癒しコンビ ニで購入の麦酒を波止場で魚介賣る近隣の漁師の小舟眺めつつ、飲む。帰りのミニバスの車窓から見るとDuke of Yorkが開いてゐる。ふだんなら昼から開いてゐる酒場は、どうやら昨晩の耶蘇の騒ぎで今日は遅めの開店だつたのかも。帰宅。早晩、印度に McDowell'sなるウヰスキーあり、これをロックで飲む。先日N君にこのMcDowell'sのSignatureといふのだから同社では優良銘柄 なのだらうがアタシは個人的にこの印度のウヰスキーは嫌ひぢやない。ラベルに Rare Whisky つてそりやレアだが(笑)。印度のモルトとスコッチをブレンドするのだと云ふ。N君がどうしてこんな酒を入手したのか、ラベルを読むと製造元がネパール で、登山家のN君夫妻のことだからカトマンズででも入手したものかしら。昨晩の酒の肴で夕食。もう1年以上、基本的には夕食で「ご飯」を食べず「おかずだ け」の野菜多めの食生活。中上健次「熊野集」読了し「火まつり」も読む。映画のための原作(書き下ろし)で当時、新刊で読んだ記憶(読んだ、といふだけの 記憶)があつたが、こんな説明のくどい作品だつたか。どうしても柳町光男が監督で、北大路欣也&太地喜和子の映画こそが印象も強い。それにしてもあの映 画、撮影は田村正毅、音楽は武満徹で、キャストも脇を固めるのが宮下順子、藤岡重慶、小林稔侍、菅井きん、高瀬春奈、三木のり平など実に印象的であつた。

十二月廿五日(火)異教徒の身で聖誕祭の公休なり。昼前に山に入り10kmほど走り、その足でジムに駈け入り小一時間の有酸素運動。来記に紫菜四 寶粉食し帰宅して午睡。晩に日頃御世話になる某夫妻とS女史を陋宅に招きそれなりの美酒にZ嬢の酒の肴。酒飲みの嗜みでさつと二更にお終ゐの潔さ。客人帰 られたあとの更に一杯の心地よさ、は江藤淳先生の気分。
▼唯靈さんが飲食男女といふ雑誌で紹介してゐたのが、先日アタシも食した鏞記の「清湯爽腩」。牛腩のうち痩肉のちかくの白身の部分だけを上等な清湯で煮た もので白腩の供給が少ないから数がとれず鏞記でも「售完即止」。普段なら牛腩などちよつと……といふ方でも、この清湯爽腩ならイケるかも。

十二月廿四日(月)朝、久々に裏山に入れば樹木の満開の花の地面に花弁落ちるさまから未明にそれなりの雨があつたことを知る。小 一時間走る。夕方、ミッドレベルをRobinson RdからHollywood Rdに下る。坂の古い街並みも再開発であとどれくらゐ残るのかしら。FCCに憩ひバーボンソーダ三杯。中上健次の熊野集から「葺き籠り」読む。交情の場面 の描写などさすが中上健次と唸らされる。Stanely街の鐘沛撮影材材行(Chung Pui Photo Supplies)にてカメラ、レンズの防湿庫(40ℓサイズ)購入。アタシの部屋はけして多湿ぢやないが、さすがに最近、カメラやレンズに黴でも生えた ら、と心配も多少。父の遺品となつたニコンF2やニコマートELも防湿庫できちんと保管されたまま主を失ひ、それを高温多湿のこの香港でなら「なほさら」 と。黴の除去の費用など考へれば防湿庫など安いかも。買つてからクリスマスイヴの人ごみにどうやつて帰るか、と恐ろしくなる。絶対にタクシー拾ひさうな客 のゐないQueen Victoria街の路地でちやうどタクシー来合はせ帰宅。尖沙咀や蘭桂坊など繁華街に聖誕祭祝ふ者溢れんばかり、勘違ひの異教徒多し、畏れて在宅に徹 す。二更に年末に帰国のN君夫妻が残つた酒や食材など届けてくれ、外に出ると見事な十六夜。近くのキリスト教会信者らが路上にて賛美歌唄ひ高らかな恍惚の 歓声。これがモスクの集会所から礼拝の時刻を告げる「アザーン」が流れてきたり真言の聲明でも聞こえてきたら「薄気味悪い」と嫌がられるのかしら。健次 「熊野集」続けて読む。
▼在港のジャーナリストでもないし随筆家でもない、敢へて「物書き」と呼ばせていただくがKevin Sinclair氏逝去。享年65歳。SCMP紙の往年の編集者でフリーになつてからも同紙に週一だかで随筆掲載。読み親しむ。酒焼けの赤ら顔、新界を愛 した老香港の英国人。つい先週、氏の新刊“Tell Me a Story: Forty Years of Newspapering in Hong Kong and China”上梓のパーティがFCCで開催されたのが水曜日。自称政治家“文革曽”もシンクレア氏のファンでパーティで新刊に署名もらふ姿など新聞に出て ゐたが肥満体のシンクレア氏がすつかり痩せ細る。一見して癌の病魔。それでも見た目は精悍な二枚目に映るのがさすが。会場では坐つたまま、だつたさうで、 この本が氏の遺作となることは本人や家族、親しい方にはわかりきつたことで敢へて、の新作発表とお別れのパーティだつたのだらうか。その十日目に逝去。

十二月廿三日(日)宿酔で午前中使ひものにならず、の陛下御生日。昨晩いただいたGX100のパーフェクトガイド(ソフトバンク刊)読む。メーカー側には 失礼だらうがCaplioのロゴを隠しGXとかRicolet(なぜよ?)といつたロゴに変へてしまふシールが付録なのは笑へた。アタシはこのカメラには 興味がないので、この本はGX100をお持ちのA氏にでも年 明けに差し上げよう、と思つた。昼すぎ今晩から久々に自宅での食事続くので街市に食材購ふ。来記にて海鮮の咖喱味「叻沙」食す。午後机まわりの雑用済ます。夕方、 R-D1sに昨日入手のズマロンのレンズ装着し散歩。鰂魚涌のすでに閉鎖となつた培志男童院の跡地など撮影してみる。曇り空の夕方に、とてもそれらしい色 合ひ。1955年に独逸で製造されたこのレンズが半世紀もの間いつたいどんな風景を写してきたのか、とピンクフロイド的に気になるところ。East End酒場にエール二杯。むかひ酒で気分回復とは我ながら情 けない。2年も前に発売のGR Digitalのパーフェクトガイド(ソフトバンク刊)書店で購入。有馬記念は予想もつかずロックドゥカンブの複勝のみ地味に購入してゐたが惜しくも4 着。優勝はマツリダゴッホ……オレハマッテルゼよりも更にアタシのセンスとして「絶対に買へない名前」。I君とメールのやりとりのなかで、いつのまにかマ ツリダバッハ、と書いてゐたが双方誤記にすら気付かず。晩は先日の鏞記の鹵水鴨舌や烟燻鴨のお持ち帰りなど食す。Ch Bellenfont Belcierの葡萄酒も。テレビジョン(翡翠台)の「傑出華人系列」で巴里在住の抽象画家・朱徳群の特集見て中上健次「熊野集」続き読む。
▼GR SNAPSを眺めると、写真はスナップであるから甲乙つけもできないが、それよりも手書きのコメントのみんな字が下手なこと。そのなかで、そえじまみちお氏の字が個性的で可愛 らしい。写真は糸崎公朗氏のが断然、良い。

農歴十一月十三。冬至。朝五時過ぎに目覚め新聞に目を通し朝から机上の整理。十二月号のカメラ雑誌、通し読みで済んでゐたもの、面白い記事切り取つてゐる と今年の「デジイチ」ブームのかげでライカやリコーの小型機の記事も少なからず。文藝春秋新年号読む。昼に至り久々にふらふらと出街。尖沙咀。陳烘相機 (David Chan Co.)に寄る。まづい。Lマウントのズマロン35mm F3.5のレンズと目が合つてしまつた。ちよつと古めの柔らかいレンズが欲しかつたので、値段もお手頃……つて「ライカのレンズにしては」の話で、これで GX100が買へてしまふが、今年は競馬も多少調子が良かつたし、あつ明日は有馬記念だが、どうしようか、と迷ふのも長徳先生がアサヒカメラで「降誕祭に ライカを買ふ」なんて書いてゐたからで、やはり1955年製造のレンズを半世紀も経つて使ふことがどれだけ楽しいか、なんて、レンズを手に惚れ惚れとしつ つ考へてゐると、突然、声をかけられドキツとしたら、知己の写真少年Y君がお父さんとご一緒。 学校も冬休みに入りお父様が息子にキャノンのA-1を買つてあげる、といふ、デジタルな今どき、なんて素晴らしい親子の姿。20年前の品とは思へぬ、かな りコンディションのいひA-1がDavid Chan氏から供される。カメラつてほんといいな、と、ついアタシもズマロン35mm F3.5を購入。つひにLマウントの更に深淵に嵌つてしまつた。当然、初めてのLマウントレンズなのでML変換のバヨネットリングも入手。天后。華姐清湯 腩は長蛇の列。隣の大利清湯腩のはうがすぐに入れさうで久々に大利で腩粉。北角で按摩。中上健次の熊野集読む。晩に銅鑼湾。I氏より招飲の約あり日本料理 「」。某精密機器・カメラメーカーの方々と歓談。GR SNAMPS(ぴあ出版)頂 戴する。で 今晩の酒の肴はGR Digital IIのはずだつたがY氏持参のGX100にアダプター噛ませて装着されたレンズ、に賞賛集る。GX100といへば19mm相当(35mm判カメラ換算)の ワイドコンバージョンレンズがあるが、今晩見せられた「これ」は某メーカーの発売間近の魚眼レンズの試作品。テーブルの上にカメラ天上に向けて置けば当然 のやうに卓を囲み、このレンズに見入る面々がすべて収まる面白さ。エプソンのR-D1については、なぜエプソンなのか?は、エプソンがプリンタのメーカー として最も美しい色の出せるデジタルのカメラを考へた際に、ライカのレンズだ、だがライカレンズ装着できるデジタルのレンジファインダー機が存在せず(当 時)、ならば自社で、となつたものぢやないかしら、と聞く。尤もな話。カメラ談義尽きずバーS。三更に到りI氏に誘はれるがまま尖沙咀に渡り十年ぶり?か で日系のHなるバーでカラオケ。
▼文藝春秋新年号で櫻井よしこが「渡辺恒雄氏と自民党の最後」なる、大連立仕掛けたナヴェツネへの強烈な非難。それは真つ当だが「なぜよしこさんがナヴェ ツネを非難?」と気になりながら読むと「やつぱり、これか」は今年八月の北京週報への恒雄さんの発言で
今後誰が首相になるかを問わず、いずれも靖国神社を参拝しないことを約束しなければならず、これは最も重要な原則である。安倍氏は参議院選挙の後に引き続 き首相でありつづけるが、私も彼に絶対に靖国神社に行ってはならない、と進言しなければならない。もしその他の人が首相になるなら、私もその人が靖国神社 を参拝しないと約束するよう求めなければならない。さもなければ、私は発行部数1000万部の『讀売新聞』の力でそれを倒す。
……と、これか(笑)。これがよしこさんの逆鱗に触れたのは確か。ところで当のナヴェツネさんはテレビ番組収録で「大連立持ち替へたのは小沢氏」と発言と か(朝 日)。それにしても大連立以前に「自民党の最後」は確かなのかもしれないのは町村官房長官や石破防衛相のUFO発言。石破さんは「UFOは外国の 航空機でもなく、領空侵犯(への対応は)は厳しい。攻撃を仕掛けてこなければ防衛出動にもならない」と自衛隊法ではUFO対応難しいと指摘し、この可否に つき個人的に検討に取り組むさうな。さらに「いろいろな攻撃を仕掛けるのなら防衛出動だが、『地球の皆さん仲良くしよう』と言へば急迫不正の武力攻撃では ない」「ゴジラがやつてきたら、(破壊行為をしても)天変地異のたぐひだから災害派遣だ。モスラも大体同様だ」と独自の見解を披露。共産国家が敵だつた時 代の懐かしさ。敵はテロから宇宙人へと妄想広がる。さらに航空幕僚長がUFOへの対処につき「これから検討することになるのではないか」「大臣が言つてゐ るから。的確な文民統制の下、粛々と活動したい」と述べ、空自機の緊急発進(スクランブル)でUFOを発見したことはなく、空自の対処能力について 「UFOの能力が分からないから、答へられないが、漫画に出てくるやうな飛び方をするなら、(対処は)難しいだらう」と。安保の時代なら「円谷プロ」の話 が半世紀後は政府、軍がまじまじと発言。嗤ふべきか、あるいは宗主国米国より政府・軍幹部に「なんらかの未確認情報」が届いてゐるのか(笑)。

十二月廿一日(金)母たちと朝、湾仔の龍華酒樓にて飲茶。母 が次に来た時にはもう路上には存在せぬであらう交加街の 街市ふらふら。ホテルに戻り母たちを見送る。フライトは午後3時だが5時間前に集合で尖沙咀は北京道のDFSに寄り道組み込まれてゐる由。それ、どこ?と 尋ねられ「むかしの三越」と答へる会話ももはや老香港。扉を閉められて出てこれない怪しげな土産屋に連行されるよか、DFSに寄るくらゐは、さすがJAL のツアーで良心的、か。晩に宴会あり湾仔に向ふが今日は道路が終日、大渋滞。ところでタクシーの運転手、最近、フロントに携帯電話3、4台並べ配車だの仲 間内との雑談など続ける者少なからず。携帯電話はハンドセット持つての片手運転だけが交通違反の対象でイヤフォンさへ使へば携帯を4台並べて配車業務すら お咎めなし。運転に集中してをらず、而も大声で通話続け五月蝿いこと甚だし。終日、車を運転することの憂鬱も理解できずが携帯での通話で脳に異常来してゐ るのかしら。あんな人たちに命を預けると思ふと怖い。湾仔の某居酒屋で の忘年会に招飲受け末席を汚す。午後6〜11時までHK$188(サ別)で食べ放題、飲み放題の由。但し食べ物は残すと100gあたりHK$25の罰金制 とか。これは良案。ホテルのなかにあり湾仔でも飲食店としてはロケーションがちと悪く、年末の終末にしては鳥渡、寂寥。純粋な日本料理屋に対して日本風を 「日式」と区別するが、今晩のこの店は経営は日系企業でローカライズされてゐる点では「日系料理屋」と呼べばいいかも。ずつと「日式」だと思つてゐた2つ の飲食店が、じつはこの日系企業傘下であつたと知る。日本料理の多様化といふべきかどうか。宴会終はり深みに入らず帰宅。ここ数日、11時には寝て朝の5 時には起きてゐる生活続く。
▼日本に戻つた母の話では香港で空港に行く途中、鼠楽園に寄り一組の客をバスがピックアップの由。連休以前の平日とはいへ、その閑散ぶりに母も「華がない ところ」と。那須塩原だかで無理矢理造つてしまつた遊園地の成れの果ての如し。
▼信報の練乙錚主筆による連載。開始よりまだ二十日ほどで評価は時期尚早かも知れぬが「つまらない」。十九日には前日の全人代に関する文章の訂正あり、全 人代常委の人数の間違ひは技術的なものとして(といひつつ常委の規模拡大も専門家としては常識であるべきだが)「中国の国家機構が一党専制であることさへ 考慮しなければ基本的には三権分立である」といふ文章も不正確だつた、と。「一党専制であること」を考慮しない、とすることがそもそも疑問だが、党、国 家、軍の代表によつて構成される全人代が、よく「国会」と言はれるが国家の「憲法上での」最高機関(つまり三権分立に非ず、だから香港の大陸生まれ子女の 居住権なども人民法廷でなく最終的な判断は全人代常委が担ふ)。さらに事実上は練乙錚が訂正したやうに全人代が党が管制する国務院や人民法廷に干渉はでき ない。この程度のことで誤認があつてはとても新聞の主筆は務まらず。
▼二十日の朝日衛星版で吉田秀和さんの「音楽展望」は今年の総括。通常なら「今年出たCDやDVD」であるべきところ「このところ折りにふれ、見たり聞い たりしてきたCDやDVDの話。発売は厳密に今年のものとばかり限らない」と広さが秀和さんらしさ。バレンボイムが秀和さんお気にのランランら気鋭の若手 ピアニスト相手にベートーヴェンのピアノソナタのレッスンをするDVD筆頭に面白さう。この音楽展望を読むと、これだけは「年の瀬」を感じ入る。

十二月二十日(木)母たちがホテル近くのオリヴァースサンドヰツチ店に て朝食。母と朝九時の予約で湾仔のImmigration Deptへ出向き母の香港身分証作成。朝九時が予約の先頭のはずなのに、すでに整理番号は100番。75分で終了。母とご一緒に来港のTさん、Sさんのお 二人はZ嬢が中環の街市界隈にご案内。中環のMark & Spencer商店で落ち合ふ。ご婦人方の買物のあひだ雑用済ませ、所用ありのZ嬢と別れ母たちを連れ6番バスでリパルスベイ。The Verandaにて昼食。朝からの強い風で一昨日からの靄がか つた曇天が一気に晴れる。レストランは窓を開け放ち涼風が吹き抜け極めて心地よい、がBGMがフュージョン音楽なのがアタシには理解不可能。咖喱味のポ タージュと海鮮のパスタ。Coteau du Tricastin “La Ciboise” Chapoutier 05年をグラスに一杯。Sさんが鴨料理を少し分けてくれたのでVilla ChioprisのCav Sau DOC 05年もグラスに一杯。デザートまでかなり満喫。延 々フュージョン聴かされたのが玉に瑕だが。バスでスタンレー。香港観光の「基本のき」のやうな定番コースなのはTさん、Sさんとも香港初めて、が為。ぶら ぶらと土産物屋冷やかし午後遅くのバスで湾仔。ホテルに戻らずフェリーで尖沙咀。ペニンスラホテルの商店街でご婦人方はお買ひ物。アタシは小一時間雑用済 ませ早晩に地下鉄で坑口。ミニバスで西貢。海傍街の奥まつた鄙びた海鮮料理屋に行くつもりが海傍街の入り口の生け簀のところに仁王立ちした、西貢の海鮮料 理屋の「勝ち組の代表格」通記の生け簀担当のオバチャンに拿捕され蝦蛄だの蝦だの魚介選んだ揚げ句、海鮮街入り口の通記まで連れ戻される。通記にて紹興酒のお燗で徳利も箸を使つてかうす れば瓶と一緒にお燗できる、と妙案を学ぶ。Z嬢も遅れて西貢へ。やつぱりあたしは奥まつた鄙びた店が好き。ミニバスで坑口経由で母らホテルに送る。
▼昨日の昼餉の最中、昔は年末がいかに慌ただしくも楽しい日だつたか、といふ話になる。地元の銀行に勤めたT女史曰く、大晦日は今は休みの銀行も当時は仕 事納めなどといふと聞こえがいいが、商家は年末の売上げを正月三が日に置いておきたくもないから年末の夜の七時、八時、下手すると紅白の始まつたあとにも 現金が持ち込まれ、それを勘定してゐると除夜の鐘。正月は二日からの営業で元旦は支店長宅だ、部長の家だ、と年始参りもあれば大晦日は順番に「ほら、某さ ん美容室に先に行つておいで」「着付けの準備は大丈夫?」と窓口業務の間に、さういつた準備もあり、そりや慌ただしかつたのなんの、と。でも、それも今に して聞けば、ほんたうに活気よき時代の話。母がなぜウチが商売を止めるに到つたか、の話。祖父はじつは父母が商売を継ぐ時にも「店を継ぐのか」と心配。と いふのは「かならず自分たちが働かないといけない時代が来るのだから」と。この感覚、「えつ、何よ、それ」だが、祖父の時代は商売屋の旦那といふのは番 頭、職人など雇ひ、自分は俳諧に絵画、芝居と道楽を愉しむ酔狂者で良かつた時代。もう、それが戦後の高度経済成長からは、時代が変はるとそんなこともして おれない、と。この、当時のその「いい加減さ」が地方の商売などダメにしたのかも知れぬが、今のシャッターの閉まつた、空家や駐車場ばかりの商店街を眺め ると、祖父の予言も正しかつたのか、と納得するところもあり。
▼数日前の新聞弔報で亜細亜大の学長であらした衛藤瀋吉氏の逝去知る。衛藤先生が亜大学長当時、中文大学に参られ、そこで一度お会ひしたことあり。当時、 70歳非常に気さくな方で末席の学生にまで気軽に声をかけ談笑される。名前の「瀋」の字も旧満州生まれゆゑ、か(満鉄奉天図書館長であつた衛藤利夫が 父)。奉天中学から旧制一高経て戦後すぐに東大法学部政治学科卒、で専門は中国中心とした東アジア国際関係(アタシにはこのテの、失礼だが大風呂敷な「学 問」がよく理解できず……橘樸(たちばらしらき)のやうな中国研究、評論としては理解できるのだが)で亜大の学長、とまるで「絵に書いたやうな」大陸づく し哉。

十二月十九日(水)朝七時半にホテル。母らとタクシーで上環。海安珈琲室に て朝食。九時のフェリー=冷凍船か、でマ カオ。入境手続きは午前十時のピークで20分以上並ぶ。昼すぎまでセナド広場から大三巴の在り来りな市内観光。それにしても人出甚だし。澳門陸軍倶楽部(Club Militar de Macau)にて昼 食。ヴィーノヴェルデはMuros Antigos Alvarinho 06年。グランドリスボアで小一時間の賭博。ご一緒のT女史がいきなりルーレットで単数当て36倍で勝ちを決めたのには驚いた。アタシはブラックジャック でいまいち。少し散歩でも、と思つたが眩暈がするほどの大気汚染に閉口。路線バスで波止場に戻り午後4時すぎのフェリーで香港に戻る。一旦ホテルに戻りZ 嬢合流。渋滞のなかタクシーでハッピーヴァレイの競馬場。満貫廳に 食し競馬観戦。今晩はC+3といふ、この競馬場で最も狭いコースで「内枠断然有利」のはずが蓋を開けてみれば(昼にあつたといふ零雨の影響かしら)マイル で12枠がきたり「おひおひ」な展開。擦るが配当にならず、の馬券下手。ジョッキー倶楽部が推奨の中からCh. Plassan PremiereのCôtes de Bordeaux 03年をグラスで飲んだが、葡萄酒までハズレ。かういふ日もあらう。

十二月十八日(火)