乾 坤容我静 名利任人忙
(旧)教育基本法(1947〜2006) 改正に反対した文化人129 名の声明 憲法改正反対(九 条の会こちら

また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。ヨ ハネによる福音書8章32節)

メ ディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味で はコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意 識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディ アの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。(佐藤卓己)

■ 富柏村の一連の写真画像はこちらで ご覧になれます。
■ 「はてな」の富柏村日剰・香港日記(テキストのみ)はこ ちらを ご覧 ください。
■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日記を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。
■香港の高級紙「蘋果日報」からの紙面、寫眞の無斷借用多し。同紙社主・黎智英氏自ら同紙の無斷借用轉用大歡迎と公言ゆゑ、それに甘えてをります。
 2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。


十二月卅一日(水)曇。新暦大晦日。仕事片づかず独り黙々とご執務。香港ゆゑ単に新暦の晦日に過ぎずメールや電話で普段と何変らずお仕事の御仁少なから ず。午後遅く用足しに中環。野暮用幾つか済ましFCCのバーに赤葡萄酒二杯飲めば酒 場も晩から大晦りの大宴会の準備に慌ただし。アタシも幼き頃郷里の商店街は年の瀬末日の慌ただしさといへばそりや賑やか。家業手伝ひ、すわ集金だ、すわお 届けだ、「おい/\、年越しの蕎麦は頼んだか」「注連縄は買つたか」、水雷様へのお参りは済んだか、と。何かと家の手伝ひでお遣ひに出掛ければ「鳥渡早い がお年玉かはりの駄賃だ」と近所の商店主だの銀行の支店長だのから祝儀少なからず。祖母らが御節料理を作れば正月だつて忙しいから、と年の瀬のうちの食卓 に年越し蕎麦に並び金団や煮物など皿に並んでしまひ家の仕舞ひのうちに父母は茶の間に坐るどころか仕事も終はらぬ内に紅白は始まり気がつけば除夜の鐘…… もう数十年も昔のこと。今日は兎に角アタシも仕事納めと思つたが続けて五時間も机に凭ればぎつくり腰の痛みも複り脂汗。どうにか仕事済ませ「さて帰宅」と 自動車雇へば秘密基地の正面玄関の大扉外れ慌てて職人呼ぶ始末。昏時帰宅。Z嬢と貰ひ物の仏産の発泡酒飲む。紅白歌合戦を他に観るテレビ番組もなし少し眺 むる。審査員席には本木雅弘氏、並ぶ播磨屋など及びもせぬ華あり。審査員としての姜尚中教授の臨席に驚くばかり。姜教授、審査員などどうでも良いコメント だけ求めさつさと画面切り替はらふとする中「歌の力で仕事から溢れてゐる人や生活に困つてゐる人が少しでも元気になつてくれれば良いと思ひます」だかとコ メント。さすがの人格。「次は」とステージで紹介あり「えんやさんです!」と。噺家の円弥師匠はとうに亡くなつて澤瀉屋の猿弥が紅白?と思へば司会のアク セントが変なだけで愛蘭からEnya(笑)の出演はヒット曲「オリノコ=フロウ」で鳥渡、その室内楽でこの演奏は出来ないでせう、の80年代後半のCDの 演奏そのまゝ=つまり口パクと思はざるを得ぬもの。すぐに続いた二曲目では「さつきチョロ弾いてたオネーチャンが後ろで踊つてるよ」とZ嬢大笑ひ。それに どうしやうもないがゲストで出るお笑ひ芸人の「扱ひの」拙さ。昔なら三波伸介だのもつと扱ひが良かつたが兎に角、チョイ役の出番でオチもない。放送作家の 技量の低落ゆゑ。やつぱり馬鹿/\しひので(と言つて毎年少し見るみだのが)テレビを消す。Z嬢の栗金団だの煮物や煮豆などよくもこんな薄味で見事に素材 活かし大したもの。それを肴に晩酌続く。自家製のプリン格別。ブランデー飲む。半夜三更ヴィクトリアハーバーの汽船が一斉に汽笛鳴らすのを聴くも半ば白河 夜船。
▼朝日新聞で見田宗介氏の「リアリティーに餓える人々」読む。1968年永山某による連続射殺事件と今年の秋葉原の連続差別殺傷を前者は「未来への憧れ」 の時代の希望と遮断、後者は希望なき時代、この二つの時代の「まなざし」の違ひなど比較するのは勝手だが、この両事件の加害者が「本州最北端の青森県出身 が、東京で事件を起した」といふだけで結びつけてみせた! アタシにとつてはかつての朝日新聞の論壇時評で法大の社会学の若き碩学。「戦後日本の人々の欲 望や社会の変化を広い目でとらへてきた日本を代表する社会学者」(朝日の紹介)見田先生にアタシも若い頃はかなり学んだが。社会学者ともあらふものが、こ んな、青森といふ「偶然の一致」で語らふとは。もし秋葉原の加害者が銀座の天ぷら屋・天金の息子であつたら、それだけで見田宗介のネタは崩れちまふ朧げな さ。或いは本州最北端の田舎者と銀座の都会つ子が同じく心が蝕まれ、と論じてみせるのかしら。大晦日にまつたく不愉快なものを読んぢまつた。
▼トーマス=シーファー駐日米国大使が朝日新聞に「児童ポルノ 日本は単独所持禁止を」と寄稿。これを読んで「さういふものか」と思つたのは子どもの性的虐待の是非はそりや非はともかく、プラトン、良寛さん、乱歩さん の昔やアーサー=C=クラーク先生も覚え目出度く、とにかく大人による勝手な若い人への「嗜み」は古今東西あつたわけで、その「被害」にあつた青少年も辛 からうが世に育まれ、あるいはその加害者の薫陶!を得て大成する者すらあり。で何故それがここにきて大問題となつたのか、はシーファー大使の指摘する点 で、まさに言はれてみればその通り、の「インターネットの普及」で児童ポルノが「数十億ドル規模のビジネス」と化したこと。さうした被-虐待は少なくても 過去の時代では『バナナフィッシュ』のアッシュ少年のやうに自らと、それを知る少数の世界でどうにか消化なり克服、否定、あるいは復讐で対処できたもの。 それがネットといふ媒体の登場で、もはや個人レベルではどう太刀打ちも出来ず、自らのさうゐた被害が世界中に永遠に!流布される、と思へば、これは確かに 良寛さん、乱歩さんの時代とは違ふ。ほんとさういふ意味でネットの登場と普及がいかに世界を変へちまつたか。
▼陶傑さんが蘋果日報で「飯 島遺愛」と続き。埋立だけ済ませいつたいどんな文化施設造るか?が全くアイデア空つぽの「西九龍」にどうせなら飯島愛博物館 を!と。日本にまだ飯島愛記念館がないのだから香港に造つて彼女の生前のAV作品上映し直筆の手紙やネグリジェ、枕カバーから飯島愛に関する全てを展示す るのは、ブルース=リー記念館がユーゴスラビアにあるのだから(正確にはボスニアのモスタルに銅像?)香港に飯島愛博物館があつてもいいぢやないか、と。 さらに香港大学ては教養課程で「飯島愛通論」を、と。
▼IHT紙でPhilip Bowring氏の“A close-up on Japan's 'lost decade'”が不景気な年の瀬にはしみじみ。紐育時報は東京タワーのお話で“Beacon of Japan’s Future, Sparkling With Nostalgia” by Martin Facklerもしみじみ。

十二月卅日(火)小雨。湾仔の淺井先生の鍼灸院に通院二日目。昨日午後は言付け守れず安静にできず、然れど今朝はかなり動きも楽。今日も鍼とエレキ治療。 昼前に銅鑼湾I氏の理髪室で散髪済ます。若い友人N君にずつと前に紹介いただいてゐたシャツ の仕立屋にやうやく寄り白の綿のシャツ二枚誂へる。一枚は普通のYシャツだがもう一枚を半袖の開襟シャツで、と注文せば店の主人に「今どき開襟なんて作ら れる方をりませんですよ」と驚かれる。昔は東京なら丸善でも三越でも、無印にだつてあつたのだが。パナマ帽に開襟シャツは夏の定番なのに。今回は綿だけど 出来上がりが良ければぜひ麻で。これで夏まで生きる楽しみあり。中環。母来港の時の写真現像受け取り。午後、FCCのバーで冷たい白ワインで喉を潤しつゝ 何気にiPodでメール見たら久が原のT君から「鍼のあとはあまり飲んぢやいけません」と忠告あり(笑)。銀行やいろ/\支払ひなど年末の雑事済ませ帰 宅。水炊きを食す。近藤紘一著『サイゴンのいちばん長い日』文春文庫で二十年ぶりか、の再読。
▼蘋果日報で陶傑さんが「飯 悼愛」と題して飯島愛急逝を嘆く。
四十歳以下の香港の男たちは飯島愛のAV見て、成長。愛ちやんは香港の男に性教育を施しただけでなく、彼らはみづからの妻や恋人、妓女らに愛ちやんがAV で見せた姿格好をさせたゆゑ、つまり彼女は香港の女性も体位や品味に関して愛ちやんの影響を受けたのだ。香港人の「集団回憶」とセクシュアル・アイデン ティティが飯島愛の死によつて崩れたのだから彼女の死は「港喪」なのだ。香港の日本総領事館に祭壇を設けて記帳を受け付けたら訪れる者の列は金鐘(中環の 間違ひ)から北角にまで到るであらう、と。
▼ミシュランの香港・マカオ版が「地元無視」でかなり話題になり劉健威兄などもまだ信報の連載でミシュラン論続けてゐるが健兄も引用したのがFT紙の十二 月十三日週末号に掲載された“China‘s first Michelin star”なる記事で、書き手は中国料理については見識あるFuchsia Dunlop女史で健兄はこの食家とは懇意であり評価するから余計に論に熱が入る。ただミシュランの輩が言ふ“We offer a selection of restaurants, not the selection, and there will always be other opinions.”といふ言葉で「はい、それま〜でよ」だらう。たかだかレストラン格付けの「一つ」に過ぎぬのだから。

十二月廿九日(月)曇。腰の具合依然芳しからず。湾仔にて鍼灸院開かれる日本人の淺井醫師。Z嬢の紹介にて早朝に電話せば早速午前十時過ぎの診断お受けい ただく。タクシーの揺れに油汗で湾仔。六國酒店前に下車。狭い診療所の机上に積まれた中醫の書の数々。丁寧な対応に生まれて初めての鍼治療も信じ ようか、と思はされる。間髪おかずいきなりの鍼治療。電気治療の同期がピンクフロイドの音楽に聞こえる。午後は必ず安静に、と念押しされるが午後は「これ でもか」といふ程に年末の忙しさ。打合せで港九走る。それにしても鍼治療が効果覿面でかなり楽。素晴らしい。ただ訪れた某銀行のGM応接室の高級なソファ ほど腰に負担多き物なし。が同行のI氏のレクサスはさすが同じトヨタでもタクシー仕様のクラウンとはこゝまで違ふか、の心地よさ。ご親切で運転手に命じ自 宅まで送つていただき感謝。昨晩は珍しく酒を飲みたいとも思はなかつたが今日は鍼治療の効果か久々に心地よくドライマティーニ二杯。昼間の電気治療の同期 で思ひ出したピンクフロイドを聴く。香港のジャスコで売り出した小江戸 麦酒の「漆黒」を前菜の温野菜と合はせて飲む。コロッケ、お好み焼きに続き、なんか子どもの大好きな料理のオンパレードだが今晩はカレーライス。 カレーライスはバーボンのソーダ割が当家の仕来り。週刊文春の新年特大号は創刊50周年を読む。文春が好き嫌ひは別にして確かに読み応へあり。氏家幹人氏 が「江戸の悪知恵」なんて連載(今回で第10回)をされてゐることに気づく。
▼週刊文春の復刊書特集「英知は復刊にあり」で村上春樹が海外小説の翻訳の新訳についてかう語る。
言葉って古びていくものだから、これから読む若い読者のためには、 新訳はどうしても必要になります。逆に言えば、これから五十年先のことを考えて翻訳しなくちゃいけないということですね。
サリンジャーの『ライ麦』やフィッツジェラルドの『ギャツビー』についてのコメント。次の頁では柴田元幸もサリンジャーの『九つの物語』を今回、新訳した ことについて
僕の『ナイン・ストーリーズ』の新訳には、2008年の刻印がしっ かりと打たれていると思います。だから、野崎孝さんのサリンジャーの訳が会話文から古びていったように、僕の訳もすぐに古びるんじゃないかな。
と。誰かが新訳を出すのは勝手だが、なぜ米国の戦後の小説に限つてかうも頻繁に今の時代に合はせて日本語がアップデートされないといけないのか?がさつぱ りわからない。ディケンズとかゾラとか、しないでせう。『ライ麦』も確かに野崎訳の「奴さん」なんて言ひ方、誰も今の若者は使はないが、それはそれでイカ してる。……とは言ひつつ気になるから春樹訳の『キャッチャー・イン・ザ・ライ』も読んだし野崎訳で「九つの物語」を読んだアタシはやつぱり今回の柴田訳 の『ナイン・ストーリーズ』が掲載された『モンキービジネス』08年秋号も注文。だがアタシは刷り込みかもしれないが野崎訳の「ライ麦」が好き。サリン ジャーの原作よりしつくりきちまふほどなのだ。……とここでコメント終へるとTyler Brûléで「だから何なのよ?」と言はれさうだが(笑)。
▼昨日この日剰に吉田の健坊の稲子さんと彌三郎さんとの鼎談のこと書けば空かさず久が原のT君が、あれざんしよ、天金さん曰く、と「安政の大地震の時それ で梁に挟まれ動けなくつて亡くなつた先祖がゐたから、うちぢや洗ひ髪のまま床に就くのは禁じものなんですよ」つてやつ、と。その通り。ちなみに天金は池田 彌三郎教授の生家、銀座の天ぷら屋。一昔前は天ぷらといへば新橋の橋膳、銀座が天金で浅草が中清であつた。亦たもう一つ、銀座で金太郎といへば天金の主が 着たらうさんで、服部時計店の服部金太郎とアタシも大好きだつたオモチャのキンタロウ。T君の話に思はず昔を思ひ出すが、そんなこと今更誰も聞いて「あ つ、さう」で終はつてしまふ話かしら。その天金さん(彌三郎教授)の話は本から引けば
安政の大地震の時に、洗ひ髪で寝た者が、落ちてきた梁に洗ひ髪をは さまれて、それで焼け死んだといふんですよ。だいたいあたしのうちは女が多かつたですから、洗ひ髪で寝るととても叱られるんです。つまり地震でつぶされる ことまで考へるんですね(笑)。女のたしなみだつて言つてました。
といふ節。この鼎談を読み返せば三人とも十五代目(羽左衛門)の勧進帳に惚れ惚れ、が十五代目を知らぬアタシらの世代には羨ましく、新派といへば八重子、 と昨日は書いたが天金さんが新派といふのは「喜多村(緑郎)と河合(武雄)」であつて「水谷八重子が出てきてから変つたんです。これが新生新派です」と言 ひ切られてしまふと、八重子以前を知らないアタシは返す言葉もなし。がかうして活字に残つてゐるから八重子以前の新派の話を知れるワケでありがひ限り。序 でに綴れば女性の髪形の「二百三高地」なんて今じゃ死語だねぇ。

十二月廿八日(日)曇。昨晩は腰痛がかなりひどく寝返りも打てず。鎮痛剤飲んでどうにか眠りを招く。朝起きて立ち上がるも難儀しつゝ自動車を雇ひ養和病院 へ。乗り降りでは「慢慢的lah〜」と親切な運転手だが一旦走り出すと運転は人柄が変りお世辞にも腰に優しいとはいへず。唸りつゝ病院につけば日曜朝は幸 ひにもインフルエンザの流行もないからか閑散。当直医の診断受け鎮痛剤を注射、飲み薬を処方され帰宅。机に坐るのが何よりもつらいが寝床にクッション置い て寝そべり膝を立ててノートブックを置けばWi-Fiは繋がつてゐるし音楽はAirportでBoseのHi-Fiから流れるし世の中は「個人の空間のレ ベルでは」快適に便利になつたもの。昨晩は自家製コロッケで今晩はお好み焼き。大河ドラマ『篤姫』総集編続き見る。幕末の徳川の家を結びつけるものが「家 族の絆」といふのがなんとも「今、日本人が求めてゐる大切さ」そのもの。ぎつくり腰の所為で三日も家にゐたので机まわりかなり片づく。
▼昨晩読了の吉田健一対談集成。河上徹太郎との対談が主だが「東京の昔」といふ佐多稲子と池田彌三郎との鼎談(中央公論誌1974年8月)で健坊が矢田挿 雲の『江戸から東京へ』の話を持ち出すが今から35年近くも前の、この江戸東京を代表するやうな人物たちにですら挿雲の書く江戸東京の話がもう昔のことだ つたのか、と思はされる。更に健坊が「新派つてまだあるんですか?」と一言。1974年といへばアタシにはまだ八重子(先代)の全盛で演舞場だかで見てき た祖母の話を聞いてゐたものだが。だが彌三郎さんが髪を解いて舞台で自分で結ひ上げてみせる花柳章太郎を讃めてゐるが、章太郎はアタシも見てゐない。もう一つ面白い話。彌 三郎さんが生家で、銀座の其処は当時出入りの職人が澤山ゐて、昼間は家のお仕着せの揃ひの半纏なんか着てをり、汚れて裏口から出入りしてゐるのだが、その 職人らが仕事が終はつて一旦帰り鳥渡お湯に入つてこざつぱりした着物に着替へ羽織を着て出直してくると、今度は家の玄関から入つてくる。昼は出入りの職人 でも夕方になれば彌三郎さんの姉やなんかのお茶や華道の師匠なのだ。で今度は正面から入つてくると彌三郎の父もその師匠らを上座に坐らせ自分らは下座へ。 健坊がその話を「文明」と呼ぶ。英国でもホテルの給仕が食堂では慇懃に客に諂ふがホテルを出て非番になれば酒場で会はうものなら客に「やぁ」と気軽に接 す。本質的に人間に上下はないが立場と場合によつて上下に入れ替はる。それが文明社会だ、と。そんなものがなくなつて久しき、と昭和49年の話。
▼昨日の続きになるがTyler Brûlé氏のMonocleが 今日から週刊でネット放送配信開始。倫敦を基点にユニクロとか「東京で創刊された雑誌POPEYE OilyBoyが」がとか話題にしてゐるのも可笑しい。なにせ話題の雑誌が日本語媒体ぢやどうしやうもあるまい……と思ひつゝ日本でだつて読めなくても英 米仏の雑誌がヴィジュアル性と印象で売れるのだから同じことか。でも結局、Monocleとか読んでゐて思ふのは世界のTravel Top 50 2008/9なんて大それた企画でも「ANAのインフライトのパジャマが良い、ファーストクラスのチキンカレーが美味い」などと日本の80年代のやうにカ タログ的で、FT紙での好評連載(Fast Lane)も結局は「アムステルダムのホテルオークラのクラ ブハウスサンドヰチが貧弱である」(こ ちら)、と私にはただそれだけの意見感想としか読めず、そこに田中康夫的な批評性であるとか思想が見えないところが物足りない。ネット発信の音声 による番組もかつてのBBCのWorld Serviceや日本でいへば確か70年代後半にTBSで萩元晴彦の深夜のインタビュー番組、もつとメジャーどころでは永六輔のラジオ番組の果敢なところ を知るゆゑ、このMonocleの発信がどこまで出来るか、と思へてならず。

十二月廿七日(土)曇。終日在宅。坐つてゐるのが最も辛く寝床に臥してゐても辛い。立つてゐるのがいちばん楽、といふこの「ぎつくり腰」。書室で棚に高さ 合はせたノートブックを置き、企つたまゝ日剰を書いたりネットを見たりしてゐるのも我ながら気の毒。中環のArt Statements Galleryで和蘭のErwin Olafの個展が今日で千秋楽。見逃すのが残念だが仕方な い。晩に普段は見ぬ大河ドラマだが『篤姫』総集編を見る。なんとも都合の良い幕末の歴史上の人物の総出演。沢田研二の還暦祝ひの『ジュリー祭り』から「サ ラリーマンネオ」年末特番まで見る。腰が痛いからテレビを見てゐるくらゐしかすることなし。少なくとも年末年始でNW9の不愉快なキャスターの尊顔拝しつ まらないコメント聞かなくて良いだけ幸ひ。と言ひつつ新聞や雑誌も沢山読む。タイラー=ブリュレの Monocle誌もやうやくぢつくりと読む。マガジンハウスの『ブルータス』を英語にしただけ、といふ感じがしないでもなし。が少し政治的にするところが ミソなのか。経済的には不干渉の自由市場にあり、政治的には個人の意志の独立と自由に選択できる個人主義……といふ信報でありFT紙であり田中康夫であ り、同じ世界。晩にかなり腰痛がひどくなる。
▼信報財経月刊12月号。特集「改革開放三十年的中國巨變」は内容充実。殊に北京で数年拘束され今年釈放された海峡時報記者・程翔の「建国六十周年及び改 革開放三十周年的反思」がよくまとめられてゐる。今年が改革開放三十年なら同時に北京西単の「民主の壁」からも三十年。来年は建国六十周年と同時に五四運 動九十周年。西単の民主の壁での鄧小平への民望なければ鄧小平の復活はなかつたのに鄧小平は復活後にこの壁新聞取り締まり魏京生は十数年獄中にあり。五四 運動の徳先生=democracy(陳独秀による)あつての中国共産党なのに中共がこの徳先生に警戒する。……と論を展開するが腰が痛いので要点をこれ以 上ここに綴らず。この程翔氏も指摘してゐるが同じく郭益耀も「不可忘記毛沢東」で指摘してゐるのは1978年までの三十年=毛沢東の時代を混乱、迷走と語 つて済ますのは簡単だが1978年からの急速な経済成長を可能にしたのは毛沢東時代のインフラ整備があつたからこそ、であり大躍進や文革など政治的混乱の 中で当時の貧困なる中国がインフラ整備できたことを再評価すべき、と。

十二月廿六日(金)快晴。Boxing Dayの休日。朝、書室にて机に凭り何をしてゐたのか、記憶にあるのは下腹部がまた痛み、昨晩より胃痛もあり、なんだかその二つが気になりつゝ背後の書棚 から何か取らうと身体を捻つたところで鼻がむず/\してハクションッ!と嚏みした、らHexenschussである。ぎつくり腰。いつかアタシもこれに襲 はれる、とは思つてゐたが、幼い頃にこれに悩む母を見て、身近でぎつくり腰に泣く人を見て、いつたいどんな痛みなのか、すら想像するばかりだつたが、まさ か疲労のうへに下腹部がちくちく痛む、なんて時の年末にぎつくり腰とは情けない。昼過ぎまで寝床に過ごし、どうしても済ませなければならぬ仕事一つあり出 掛けたが立つてゐるのは楽だが椅子に坐ると腰の負担大きく自動車の座席に坐るのがなんと辛いことか。路線バスで立つてゐたはうがマシ。帰宅して臥床。安静 に養生するしかないか。晩に居間のソファに臥してNHKで大河ドラマ「篤姫」の総集編第1話眺める。夕食で酒棚から取り出した焼酎が薩摩無双の篤姫に乗じ た品柄の芋焼酎(誰から貰つたか……)なのは偶然。寝てゐるしかないから新聞や雑誌などかなり読む。
▼香港政府のエリート官僚ながら局長の問責制導入でさすがに資質問はれ教育統籌局のトップをアーサー王(李國章)に譲り同局常任秘書長に落ち着いたが度重 なる暴言など続き、行政長官文革曽によりコトもあらうに廉政公署の署長に抜擢されたが香港教育学院への政治的人事介入の廉で辞職、で万事休すか、と思へば 全人代の香港代表に食指延ばし権力への怨念の強さマジマジと見せる羅范椒芬女史が今度は東華三院のトップに就任の由。東華三院といへば香港で最も歴史のある慈 善機構で社会的影響力は大なり。
▼久が原のT君が飯島愛嬢の訃報伝へる蘋果日報の記事を見て「陳屍香閨」といふ漢語の力に驚くばかり、「香閨に陳屍たり」なのか「陳屍、閨に香る」なの か、後者ぢや鳥渡可哀想、と。閨、香閨は女性の寝室の意。
▼オバマ支持率81%ださうな。Paul Krugman教授ももつぱらオバマに期待は過度(今日の紐育時報“Obama be good”)。細川の殿様、小泉三世を彷彿する迄もなく高支持率でロクなことはない。Obama spent only 10 years of his adult life in the split world of the cold war, double that in a post-Berlin Wall world of growing interconnectedness. MAC — mutually assured connectivity - has replaced the MAD - mutually assured destruction - of cold-war days. - Roger Cohen といつた楽観的な状況判断でオバマ氏に期待をかけて良いものか。
▼ハーヴァード大学の経済学の碩学 Niall Ferguson教授の“The age of obligation”は必読。この経済混乱の中で我々に出来ることは債務帳消し、倒産放置、インフレか「容赦」しかないのだ、 と。
▼中国の改革開放経済30周年で江澤民の「三個代表」の評価が興味深い(15日のSCMP紙“Redefining Soclialism”- Ting Shi)。中国科技研究院の胡星斗といふ研究者が鄧小平の「中国の特色ある社会主義」なるプラグマティックな理念は「何でもそこに放り込むことの出来る巨 大なバスケット」と表す。筆者はその中国の特色ある社会主義の中で江澤民が資本家を中共に党員として取り込んだことの成果を指摘。1978年に革命階級と しての労働者や農民を中心に36百万人だつた党員が昨年末は74.2百万人と倍増し内4百万人は資本家すら含む民間人。経済成長下でのこの中核層の党への 取り込みこそ「現状での」社会安定に繋がつてゐるのだ、と(今後のことはサテ置いて)。MITのHuang Yasheng教授は(17日のFT紙“Unmade in China”)この30年で国家統制から資本主義化が順調に行つたか、といへば80年代こそ農村での起業を促すなど企業化が積極的だつたが 90年代になると政府は私企業に対する統制を強め国家資本の誘導による投資が目立つた。企業は現代化するに充分な資本がなく、中国は国家引導の資本主義社 会のまゝ。そこで未熟な政治指導下で組織的な贈賄が蔓延るなど一部の既得権者による資本主義「らしきもの」が行はれてゐるにすぎぬ。生産性の下落が将来の 成長に大きな負因となることは明らか、と手厳しい。処方箋は何よりも政府管轄嫌ひ地下に潜つてゐる貯蓄を、地下銀行の合法化で引き出すこと、と。
▼マカオのカジノ経済の墜落(本日のIHT紙より)。マカオ最大のカジノ・The Venetianでは名物の屋内 Grand Canal を巡るゴンドラが51艘のうち2艘あれば充分なほどの閑古鳥。一人の米国人のゴンドラ漕ぎは匿名で「2日の猶予だけで国に帰る飛行機のチケット渡されて終 はり」と明かす。この賭場の経営元であるラスベガスのSandsも経営が火の車。地元では500人解雇し1000人の従業員の就労時間短縮措置。マカオ特 区の賭場からの税収は今年上期前年比45%増であつたが下期の落ち込みで2008年通期では昨年(US$10.4億)並。当然09年はかなり悪化。マカオ の6つの賭場の株価は年で8割下落。Sandsの大株主の一人 Sheldon Adelsonの同社所有総額は95%も失ふ結果に。マカオのコタイ地区のSandsやシャングリラ、St.Regis、シャラトンといつた巨大カジノホ テル建築は中断、1.1万人の建築作業員が解雇されコタイはゴーストタウン化する怖れすらあり。マカオで遊ぶ賭客の2/3は大陸から。で賭客ではVIP ルームが賭客全体の7割を稼ぐ。中国政府のマカオ渡航規制でこのVIP客が激減。賭客のVIPルームは実はカジノ企業じたいの営業でなく、個人の経営契約 者がカジノからVIPルーム借り受け、さらにそれに雇はれた Junket Operator がネットワークで大陸からVIPに相応しい客を集め賭場を開く、といふ仕組み。孰客に賭場ではまづ客に有利なレートで主にバカラの賭けが始まり……ここか らは賭場の常だが客の負けが込むと信用貸しで……で大損こいた客の前には金貸しが現れ、と。いづれにせよ、そのマカオ潤した孰客らが来れないのだから致し 方なし。

十二月廿五日(木)快晴。昨晩も異教徒の蛮族がクリスマスイヴ祝ひ香港は蘭桂坊や尖沙咀などかなりの人出の由。本日聖誕祭で祝日。Z嬢とバスで香港仔。久 々に山嶐謝記に魚蛋河粉食す。休日の午前十一時台もまだ前 半なら席もあり。艀で鴨脷洲に渡る。散歩。また艀で香港仔に渡り路線バスで華富団地乗り換へで薄扶林。古蹟保存への関心から取り壊しがぎり/\寸前で保留 となつたJessvilleを外から眺め る。香港の前首席大法官楊鐵樑爵士の岳父譚雅士が1931年に建立の邸宅でJessは譚雅士の愛妻の名の由。一見 は豪華だが大理石など使はれてゐるやうで混凝土が主。保存かどうか難しいところかしら。まぁ商業的には西洋料理屋か結婚式場だらう。路線バスで湾仔経由で 帰宅。夕方、机周りの片づけ。雑誌や新聞恐ろしく溜まる。昨晩の残り物で夕食。米国加州のDelicatoワイナリーのCab Sau 06年飲む。深夜まで新聞読み。
▼信報林行止専欄のR. Highfield著“The Physics of Christmas”からの孫引きになるが聖誕老人(サンタクロース)は世界中の八歳以下の子どもたち21億人に、もはやクリスマスプレゼントは非宗教的 な慈善性質であるため基督教徒か異教徒かの区別なく全ての子どもにプレゼントを配るとすると一世帯2.5人の子どもがゐるとして8.42億世帯に届け物。 地球の陸地面積から算出すると家屋は260m毎に一軒となるが煙突から、がサンタの基本だが香港のやうにマンションばかりでは、それも大変だが12月24 日からの1日で世界中を回るとすると、ただ時差もあるので最大24時間は聖誕老人に活動時間を与へたとして、この24時間で8.42億世帯を回ると1軒あ たりの滞在時間は0.0002秒で老人の乗る馴鹿の橇は秒速1279kmであり、これはマッハ6395の超音速。引力など考へると現実的にこのマッハ 6.4千は無理ださうな。
▼対米輸出を基調として経済成長続けた中国が今後どうなるか。22日のIHT紙でThomas L. Friedmanが“China to the rescue”で指摘するのはかくの如し。
深圳郊外の大鵬村は世界の名画の複製で有名だが、この複製画の最大 の顧客は米国。米国の家屋の居間や寝室、ホテルの客室に飾られる名画の多くがこの大鵬産。米国の不況で一気にこの需要が低落したのは中米経済関係を象徴す る。中国は単純に考へれば輸出型経済を内需拡大すれば良い。が輸出向けの高級運動靴が中国国内でどれだけ売れようか。また社会不安や福祉、保険や年金など の未整備(或いは整備されてはゐるがインフレに追ひつかぬ現実)など消費より貯蓄指向が圧倒的に強いことも重要。それでも中国は国内の経済安定が需要であ り、米国も輸入に頼らぬ国内生産力の強化が必要なのだ、と。
またGideon Rachmanの“China's economy hits the wall”(FT紙、16日)は
2027年には米国を抜きGDP世界一にならうといはれる中国経 済。今年下半期は輸出型製造業のとくに華南での相次ぐ倒産。経済成長8%の維持が社会安定の条件なのは来春、学校を卒業する就労人口が100万人といふ規 模であることでも納得するしかないが2009年は中国にとつて困難に直面は明らか。これまでも中国経済の弱点はいくつも指摘されてきた。中国の銀行システ ムの脆弱さ、環境問題、資源や電気、水の供給不足、社会的格差等々。が中国は強力に経済成長を遂げた。1989年の天安門事件に象徴される政治的問題も一 掃し世界的な共産主義の崩壊にも耐へた中国共産党だが2009年にあるであらう資本主義の発作(或いは痙攣、the convulsions of capitalism)こそ中共にとつて歴史上大きな試練にならう。
と指摘する。

十二月廿四日(水) もうクリスマスから新年の休暇かしら金鐘や中環もどこか人が少なげ。昼に金鐘のデリ仏蘭西に食さうと思へば空席あり。本日も終日慌ただしく仕事続く。クリ スマスイヴなので(笑)昼に出かけた折に鏞記で購ひし焼鵝と油鶏など晩に自宅で食す。葡 萄酒はCh. de La Dauphine Fronsacの2001年。NW9眺めてゐたらキャスター田口某の相変はらず「自らの言葉どころか台詞にすらならぬ」どーでも良いコメントも飽き/\だ が麻生首相が「異常な経済には異常な対応を」と述べた、と女性キャスター。異常な首相のコメントに思はず笑つたが、田口某の隣で読み間違ひや言葉噛むこと の多いこのキャスターの、これも「異常な経済には異例な対応を」の間違ひ。いづれにせよ自民党が最後の最後でこの人を首相に担いだことが異例?異常?な判 断なのだが。民主党が衆院で提出の国会解散決議案に自民党の渡辺喜美君が賛成。自民党執行部は渡辺君にたゞの戒告処分とは情けない。いづれにせよ自民党と 民主党は早くガラ/\ポンすべき。晩遅くマンションの下で近くの基督教会信者が鳩つて賛美歌の合唱するが聞こえる。冬の風物詩の如く誰もあの賛美歌合唱に 「うるさい」とは抗議もせぬが、はたしてイスラム教徒が同じやうに集団でメッカに向ひコーランの祈りを捧げてゐたら、どうかしら。世の中は不平等であるし 偏見もあり。
▼天主教香港区主教の陳日君枢機卿が金融混乱の源泉は「貪心無厭賺快錢」あdとして過度な消費や投機に走る社会に警告発し「節約が美徳」と説く。折りから 香港政府は天主教徒の文革曽行政長官らが香港経済刺激がため消費促進など呼びかけに躍起。冷や水浴びせた感あり。
▼日本カメラ誌の金村修の連載が俄然面白いが先月号で「価値といふ暴力のもとで写真は平等に解体される」といふ文章なんて凄い。久々にポスト構造主義とか ディコンストラクシオン(脱構築)みたい。
▼昨日の朝日新聞でジョン=ダワー氏の田母神論文につき「「国を常に支持」が愛国か」読む。真珠湾攻撃や日米戦争の真相はアタシも全くわからぬしダワー氏 の説明で納得もできない。が
国を愛するといふことが、人々の犠牲に思ひをいたすのではなく、な ぜ、いつでも国家の行為を支持する側につくこを求められるのか。
とダワー氏。
▼フィリピンで親(殊に母親)の海外出稼ぎで単身で育つ子どもの数、実に600万人(本日のIHT紙“A Filipino generation left behind”)。

十二月廿三日(火)朝の気温摂氏11.5度と今冬最低。天皇陛下御生誕日。祝して休みたいところだが本日もご執務。世の中だん/\と年末のお休みモードの 人多し。ネットで音楽聞きながら仕事続けてゐたらショスタコーヴィッチのプレリュードとフーガ4番が、なんてキース=ジャレットみたいな音なのだらう、と 思つたらホントに彼であつた。三ヶ月に一度の献血も先月下旬には出来たものを、それすら忘失してゐたので本日、早晩に献血。香港で41回目。帰宅途中にふ と「牛雑」食すを欲し北角の十三座牛雑で購ふ。帰宅して「おでん」食す。さすがに昨晩といふか今朝の睡眠不足で早々に就床。
▼英国のブックメーカーWilliam Hillよりメールあり香港の顧客については早々に口座残額を引き出すやう指示あり。
This decision has been taken for legal reasons beyond our control.
ださうな。香港競馬を扱ふことでの圧力だらう。アタシはもともとドバイ開催の競馬のために開設した口座だが蹴球の世界杯でブラジル、伊太利と2大会連続で 優勝チーム当て次回は葡萄牙(26倍)とアルゼンチン(6倍)をすでに購入済み。すでに賭けたものは取消しはできぬし、するつもりもないが。
▼今日の信報の林行止専欄は「權錢一把抓 政改甚渺茫」と題して述べるは下述の如し。
中共総書記胡錦濤が十八日に中共十一回三中全会の席上、改革開放三十年を祝し二万字の講話を発表。強調したのは「三十年来の改革の路線、方針と政策は完全 に正確であることを証明した」といふ点で「中国は改革開放を不断拡大し封閉半封閉から全方位に向けて開放の歴史へと舵を切つた」こと。「中国共産党の成立 から百年で十数億の人口が高水準の小康を得られる社会を実現し、新中国成立百年(2049年)には現代化を成し遂げ民主文明と和諧した社会での社会主義現 代化社会を建設するのだ」と夢は広がる。が「党と軍による絶対的な指導を堅持し、党が党を監督し指導力と執政能力の水準を高く保ち、腐敗を排除し……」と 要するに中共が一党独裁の専政地位は揺るぎないもので、つまり「富強民主文明和諧社会」は一等専政の下で実現させるのだ、といふこと。奇しくも12月10 日の世界人権デーに中国の三百余名の学者や弁護士、人権運動家が「08憲章」を発表し公民運動で中国を変革し自由、民主、憲政国家を実現しよう」と呼びか けたが、胡錦濤の講話はまさにこれに対する党政府の真つ向からの回答なのだ。事実上、30年のこの改革開放の最大の受益者は中共であり、経済発展を強固な ものにすることで中共は権力を掌握でき、まさに経済改革こそ中共の続命丹(延命丸)なのだ、と。

十二月廿二日(月)快晴。ご執務が晩十時に到り夕食すら逸したるまゝ銅鑼灣で久々にバーS。今月初頭日本に歸國のA氏お殘しになつたストラスアイラの 1963年物を飮み干させていたゞく。つい深酒となりバーSのM氏とバーYに飲めば深更に到る。銅鑼灣に人影すらなき他人樣に言ふも恥づかしき早朝に歸 宅。

農歴十一月廿四日。冬至。だけど気温は摂氏廿四度。強烈な陽射しに汗ばむほど。第14回目のKadoorie Brothers Memorial Raceありバス、電車、タクシー乗り継いで朝九時すぎに新界の嘉道理農場。夏以降の完ぺきな 運動不足で、いきなりこれに参加とは我ながら無謀。昨年も参加のZ嬢は今年は余の応援に同行。ゴールは観音山。一昨年の同大会でご一緒したO氏は翌年の春 にランニング中に心臓発作で急逝された。標高80mくらゐから580mまで6kmで走りのぼるのだから過酷。といつてもかなり歩くが。で51分で到着。 まぁ夏のやうな陽気。Z嬢と毎年のやうに農園の急坂を下り麓へ。上りと下りで先に来た路線バスが元朗行きだつたので元朗へ。冬至が日曜日に重なり元朗は芋 を洗ふやうな賑はひ。午後1時開店の紐育グリル、準備中なので様子伺ふとすでに爆満で待ちようなし。大栄華なんかも平日だつて冬至ぢや大忙しなのだから。 で大橋近くのそのへんの茶餐庁で昼を済ます。天后行きのバスに乗り込んだら寝入つてしまひあッといふ間に銅鑼湾。そごう百貨店の旭屋書店でカメラ雑誌受け 取り。按摩。按摩屋で冬至のスープのお振舞ひあり。帰宅して晩に揖保の糸茹でて食す。冬至なので南瓜も。湯圓を買つてくるのを忘れた、と今更思ひ出しても 万事休す。カメラ雑誌や国際文化会館の会報など読む。この会報で同会館で開催された黒澤映画の座談会の記録があり、そりやバーナード=リーチ氏による黒澤 明と日本の発表は面白い。クロサワの指向は戦後の自由な日本と個人主義。日本社会は当時、真にそれを受け入れ出来ず(が興業成績)。だが海外で評価受け逆 輸入したが、その後、黒澤明が映画制作費の捻出すら困難極めたのが日本であり「世界のクロサワ」と賞する割に体感できてをらず、死後になつて崇め奉る風 潮、と。御意。
▼若冲が晩年に描いたとみられる屏風が北陸地方の旧家で見つかつた由(朝日 新聞)。なんとも見事で大胆な発想と構図で若冲らしさ。……が香港の美術界の畏友A君が「Mihoの鑑定をさう易々と信じてよいか?」と。うー ん。これが若冲なら日本のイメージ画が宮崎駿のアニメーションにつながることを認識するべき。それにしても(くどいけどこれが本物なら)今更この大屏風が 出てくる、つてんだから福井つてのは大したところ。
▼すつかり神通力も失せ「中国の竹村健一」と化した観あり、の常五常教授、信報での論調もさつと粗読で済ませちまふのだが19日の文章「何日君再来?」で 最近、大都市からの回郷客が「搬家式」つまり家財道具一式抱へ郷里に戻るパターンが目につく、と。五常教授の文章からの孫引きになるが12日の広州・南方 都市報も東莞の鉄道関係者の話として乗降客の数は目立つて増加はないが例年と違ふのは搬家式の客が多いこと、と。站舎の待合所は家財道具溢れ身動きとれ ず、と。鉄道の客車でそれでなくとも混むのに冷蔵庫、テレビに家具まで携帯の由。

十二月廿日(土)外に遊びたい青空。だがご執務。週末だと外からの電話もメールもないので仕事捗るのだが。それにしても我ながら不憫。いろ/\心労もあり 塞ぐ気持ちを唯一和ませてくれるのは昨日どさくさで所謂「大人買ひ」したダンヒルの鞄。ライカ仕 舞つても余裕。遅い午後に湾仔。春園街に入り何ともいえぬ午後の柔らかい陽射しに慌てて車を降りて引き返したら、もう日陰げ。折角のシャッターチャンス逃 す。冬は光の動きが速い。せつかくカメラ持つてゐたのに。写真といへば某D.A.の事務所の社長の畏友K君がフォトテクニックデジタル誌の公募で佳作入選 した由。ちやんと写真家に師事して修業してゐたとは。敬服。と、ふと日本カメラと朝日カメラの12月号、まだ書店で受け取つてないことに気づく。もう1月 号発売も間近。そんなこと忘れるほど多忙だつたか。湾仔に遊び晩に中環。味付けがいかにも美心チェーンらしい湖南料理の某店。ランニングクラブのA氏送別 会で末席を汚す。この食肆、開業当時U嬢に誘はれて来て以来。Z嬢と指折り数へれば16年前のこと。当時はこの窓からヴィクトリアハーバー一望で尖沙咀ま で見渡せたもの。Amexのカードで25%割引になることに気づいたが「冬至から年末年始の繁忙期」で割引なしの由。二次会に誘はれたが昨晩から節制で後 ろ髪引かれつゝ帰宅。
▼新聞にMark Felt, 'Deep Throat' of Watergate era, dies at 95と訃報あり。米国の水門事件も忘却の彼方だがDeep Throatと云はれると老いてもどうも小沢昭一的に「あちらの方」想像しちまふのはアタシも好事家ゆゑか。当時、ディープスロートと書かれてゐてサッパ リ意味がわからずスロートがthroatと判りなるほどと合点したもの。米国の経典的作品も今にして思へば女優の秀でた芸あつてのもの。
▼かつての日本社会党の論客、上田哲氏逝去。享年八十歳。矢田部理らと並び党内左派、護憲派の雄。参院議員を2期務め衆院に転じ旧東京2区で5期連続当選 が1993年に社会党の不人気で落選。小選挙区比例代表制の導入に反対し社会党離党し護憲新党あかつき結成し護憲勢力の結集模索しつゝ国政選挙に立候補続 けたが落選のまゝ。今にしても思へば小選挙区比例代表制の導入こそ、本来臨終も近かつたはずの自民党を蘇生させ小泉改革を成功させた装置だと思へば細川内 閣の意味不明な政治改革で、連立与党の立場ながらこの選挙制度に反対して造反した上田哲氏らの判断がいかに正しかつたか。

十二月十九日(金)バタ/\と忙しいが下腹部左の痛みが日に日に頻繁。昼過ぎに時間を割いて養和病院で診断を請ふ。触診では異常見られずX線も撮ると異常 なし。念のため血液検査となるが「保険は入つてゐる?」と医師。診断より医療費確認が大事。鎮痛剤の注射受け数日間服薬で様子見。病院はクリスマス気分で 外来の部署は職員でパーティの大騒ぎ。年の瀬の金曜日で市街渋滞。忘年会の招飲あれど体調庇ひ辞して帰宅。うどんを煮て食す。
▼香港政府には英国統治下での政庁時代から「摩訶不思議」な官公庁いくつかあり。その一つが投資推拡署で香港への外国企業の 誘致、投資拡大推進が業務。で此処の代表が英国人のMike Rowse(廬維思)なるオッサンで、この廬維思は「ゐるだけで税金の無駄」の典型のやうな御仁だが彼を最も有名にしたのは2003年のSARS疫禍後の HarbourFestなるガイタレ集めたイベントへの投資。こんな催事に数億のカネを注ぎ込みSARSで疲弊した香港の復活を世界にアッピールと馬鹿の ほど/\にしてほしい。このHarbourFestへの投資は非難轟々で政府も重い腰を上げ独立の調査委に調べさせたが結果、疑問点は残るが、とお茶を濁 す程度の結果報告で幕引き、業務上過失で民事で訴へられた裁判も高裁が無罪と判決。でやうやく定年で(当然、未消化の休暇がたんまりと有給でつくのだが) 定年を前に記者会見で、このオッサン、今年も香港に257企業が開業し(そのうち内地が50企業)投資総額は46億ドル、7,800人の市民に就業の機会 を提供、と胸を張るが、べつにこのオッサンがこの役所の署長であつてもなくても結果は変らぬこと。しかも香港での28年の公務員生活での功績として 「HarbourFest」「ディズニーランド誘致」「Asia Expo(空港に隣接のコンベンションセンター)完成」を列挙。呆れてモノも言へず。こりや香港の三大無駄投資そのもの。こんなオッサン、退職金は全額返 納でしかも損害賠償で資産全てを押収すべき。
▼昨日の信報で林行止専欄が「漁火偷渡客 江上數峰青」と題して中国開放政策30周年で、筆者ご自身の50年前の香港密航の出来事について語る(必読)。行止氏曰く、密航の小船で船底に隠れ厚い シート被せられ船酔ひで寄つた輩の吐瀉物の悪臭に耐へ、すわ上陸かと思へば水上警察に拿捕され、水警に脅えたが「皇家」Royalの彼らの同情的な対応に 好印象。尖沙咀の収容所に収監され筆者は先に香港に居住の母の慰問を受けたが有力者の介在なしにさう易々と釈放もされず数日後、不法移民の一団は彼らが密 航船に乗り込んだマカオ(当時、マカオはすでに中国からは気軽に入れる都市であつた由)に強制送還されることに。それでも最後に叉焼飯が供されるなど香港 官憲は密航者に親切。マカオでは客桟に収容されたが出入り自由、看守に5ドル渡されたのは、後にこれが母からの差し入れであつたと知つたが、母の「到家以 後必須帰還」の言葉に叛き数日後にまた香港密航を企てた筆者。無事登陸に成功し、そして苦学の末に……は何れもが知る香江第一健筆と賞される筆者の半生な り。ちなみに当時は密入国で拿捕されても記録が法的に残らず、それゆゑに後日、香港で居留権と身分証申請の際も前科は認められず、と。

十二月十八日(木)早朝に母たちをホテルにて見送り。秘密基地に戻れば一日半の不在で「これほど溜まるか」のお仕事の数々。黙々と日暮れまでこなせるだけ こなす。真つ当な時間に帰宅。ドライマティーニ二杯。十日ぶりか、で自宅で夕食。今月二度目かも。
▼中国が経済開放政策に舵を切る切掛けとなつた三中全会から30周年。昨日訪れた深圳の華僑城などまさにこの30年の経済成長の賜物か。1970年代、毎 晩、北京放送(日本語)を聴くのが楽しみだつたアタシは文革の晩期から周恩来、毛沢東逝去、四人組逮捕、でこの鄧小平の復活でアタシの北京放送聴取が終は つた感じ。1980年代の初め、勇んで独りバックパッカーで大陸を旅した際に北京の天安門の歴史博物館が現代史が最後、この三中全会の開催で終はつてゐた ことが今も印象に強く残る。今日のIHT紙に“Milestone and crisis collide in China”といふ記事あり。30年の経済成長の成果讃えつゝ世界的な経済混乱の中で経済成長が減速し頼みの対米輸出が振わず11月には広東省での製造業 倒産による失業が50万人に上り企業の減産、休業で500万人がすでに旧正月を待たず帰省と報じる。この記事の中で興味深いコメントがいくつかあり。一つ は潘岳(中国政府環境保護部副部長=副大臣)の
China's reform and opening has achieved in 30 years the economic gains of more than 100 years in the West - yet more than 100 years of environmental pollution in the West have materialized in 30 years in China.
は確かに面白い論法だが果たして欧米が産業革命から100年撒き散らした大気汚染と中国のこの30年のものの、いつたいどちらが地球に過酷か。素人ながら アタシは後者だと思ふのだが。そしてもう一つは論客として著名な俞可平の
We need to promote democratization in China. On the other hand, we need to promote social stability. If we had an election right now, we might end up like Thailand.
と。民主主義も大切だが社会の安定が先決、といふのは中国では珍しくもない(ある面、正確な)論調だが、問題は後半で「中国でいま(民主的な)選挙導入し たらタイのやうになつてしまふ」つて、タイよりもつと社会混乱巻き起こすのは必至。この俞可平の社会安定論は昨年の週刊亜州の「民主是个好东西」がわかりやすい。
▼タイといへばThe Economist(12月6日号)の特集 The King and them は読み応へ充分。巻頭のLeadersにある“The untold story of the palace’s role behind the collapse of Thai democracy”が 秀逸。タイの王室派はまるでブータンの王様のやうなご加護での政治的安定を期待してゐるがタイのそれは下手するとネパールの政変のやうになる、と指摘した 上で
As The Economist went to press, on the eve of the king's birthday, he was reported to be unwell, and unable to deliver his usual annual speech to the nation. So he had still not repudiated the yellow-shirts' claims to be acting in his name. His long silence has done great damage to the rule of law in Thailand. He could still help, by demanding, as no one else can, the abolition of the archaic lèse-majesté law and the language in the current charter that supports it, and so enable Thais to have a proper debate about their future. He made a half-hearted stab at this in 2005, saying he should not be above criticism. But nothing short of the law’s complete repeal will do. Thailand’s friends should tell it so.
と言ひ切る。プミポン国王陛下にはさぞやタイの状況に対する憂ひがおありあそばされる。自らがお出ましになれば政変など片づく。がこれまで数十年間それを することで結局、政変の繰り返し。もはや老い先長くはない、と達観の陛下がこれを最後に、とここぞの我慢。我が身なき後は民自らが覚悟せよ、と。

十二月十七日(水)晴。早朝に中環。マンダリンオリエンタルホテル。母とM夫妻と一緒に湾仔。龍門大酒樓に早茶。點心いくつか頬張る。湾仔碼頭のバス乗り場か ら皇崗行きのバスで一路、深圳へ。落馬州(香港)に対しての車両の「皇崗」と鉄道の「福田口岸」のあの距離感はどうにかならぬものか。皇崗から深圳地下鉄 に乗るため福田口岸まで歩けぬ距離ではないが歩く気にもなれず。64系統だかのバスはいつ出発するか皆目見当もつかずタクシーで錦繍中華。2003年に SARS疫禍の直前、父母と恩師のK先生夫妻をお連れしたこと彷彿。母にとつてはつまり5年で再訪で面白くないか、とも鳥渡思つたが中国各地の景観模造の 主題公園は造園も模造もかなり拡充してをり驚き。殊に圓明園の模造は質、規模的にも見事。周辺に林立のマンションの多さもさることながら都市化の著しさ。 昼に食事しようと地下鉄の站を潜り華僑城。此処はいつたい何処?と思ふばかりの喧騒や自動車の渋滞からも隔絶された現代都市。漁舟暢碗酒樓なる食肆に川菜を主に軽く食す。地下鉄に揺られ羅湖。商業 城ご視察。この世界を見慣れぬ人にはただ/\人間の業や欲といつたものの展示場かしら。香港に戻り鉄道で尖沙咀。夕方のヴィクトリアハーバー沿ひをお散 歩。天星小輪で中環に渡り超級市場でお土産物調味料など購ふ。ホテルに戻り暫しご休息。母の部屋にて風呂をいただく。けつこうな風呂場。晩に母らと地下鉄 で油塘。Z嬢と落ち合ふ。鯉魚門。海鮮料理屋の並ぶ路地を漫ろ歩く。漢記にしようか龍門だかにしようか、快樂海鮮酒家が最近評判らしい、と思つて歩いてゆ くと結局、外れまで歩い着いてしまひ南大門といふ料理屋。か つての大佛口。近くの魚屋で魚介類仕入れ食す。葡萄酒は豪州のRichard Hamiltonのシャルドネ04年とTorbreckのWoodcutter'sシラーズ07年。食後も歓談款語済まず二更に至る。歩いて油塘まで戻り 地下鉄。母らをホテルにも送らず北角でお別れして帰宅。

十二月十六日(火)晴。午前中に紅磡で打合せ一つ済ませ尖沙咀。広東道の星巴珈琲でご執務。世の中早くも冬休みの観光客多し。昼にペニンスラホテル。母ら と待ち合はせホテル内のガディス料理店に昼を食す。今回は酒 飲みの食べ好きばかりで気楽だが酒飲みは酒のみでつらいのは「お昼だから葡萄酒は一本にしませうね」で今日はお肉系にまとまり豪州のStonierつて確 か白がポピュラーなはずだが、そこのCab Sauv(01年)を飲む。ゆつくりと二時間のお昼。我が儘言ふけど、と給仕長に「ノートブック、充電してくれても良いかしら?」と乞へば「はい、勿 論」、でノートブック渡すとデザートのあとに給仕に、さすがにお盆には載せないまでも丁重にノートブック運んでこられて恐縮。食後にホテル内のアーケード 冷やかして少しお買ひ物済ませてバスで旺角。女人街見物。地下鉄で金鐘。太古広場をブラ/\。歩いてホテルに戻り暫しご休憩。日暮れてトラムで銅鑼湾。Z 嬢交はり利園の西苑酒家に食す。タクシーで山頂。夜景望む。 路線バスでジェットコースター気分で中環。母ら部屋で寛ぐあいだM氏とホテルのバーThe Chinneryに一飲。マッカランの25年。

十二月十五日(月)晴。連日かなりバタ/\してゐるが午前中にかなりのペースで仕事済ませて午後に香港空港。母が1年ぶりに来港。懇親なるM夫妻とご一 緒。旅 行社手配の自動車で中環。マンダリンオリエンタルホテルに投宿。2年前だかの大改装後初めて客室に入る。スタンダードにしては確かに充分に広い快適さ。母 とホテル内のブティックなど少し歩き母と別れ金鐘。アイランドシャングリラホテルで日頃敬愛する御門のお誕生日の祝賀会あり恐れ多くもお招き受け末席を汚 す。途中で場を辞し中環に戻る。ヴーヴクリコの三鞭酒を購ひ鏞記酒家。 母とM夫妻を連れてZ嬢が先に到着済み。最近は鏞記ほどの店でも給仕が紹興酒で加飯と花彫の違ひも知らぬ事が殆ど。加飯酒が好きであるから加飯頼んでゐる のに花彫酒を持つてきて「加飯ぢやないよ」と指摘してもキヨトンとされちまふ。酒飲みにとつては純米酒が飲みたいのに大吟醸供されるくらゐショックなのだ が。
▼東京在住の敬愛する知人に詰らない事だが鳥渡した不祥事あり。暫くはいろ/\差し障りも多からうが怪我勝ちといふ言葉もあり。近い将来の再起願ふばか り。
▼ブッシュがイラクで靴を投げられる椿事あり。

十二月十四日(日)曇。香港国際競馬の開催日だつていふのに終日ご執務。Z嬢に頼み香港ヴァースは日本馬のジャガーメール、スプリントはEnthused (港)、哩競走はEgyptian Ra(港)、香港カップはイーグルマウンテン(南ア)、ヴィヴァパタカ(港)とEstejo(伊)の連複、三連単は馬券購入。晩に湾仔のワイン屋で入江さ んや長野のTさんらと待ち合はせ。ヴァースはドクターディーノ(港)、スプリントは67倍!のインスピレーションといふ香港馬が大番狂はせ、マイルはグッ ドババが1.32.7だかのコースレコード出し香港カップは1.4倍だかのヴィヴァパタカが苦戦して四着、シークモハメドビンカリファアルマクトム様の米 国Breeders' Cupで二着のイーグルマウンテン、バリウス(仏)、リンガリ(英)と外国馬が1〜3位独占。入江さんが香港スプリントの三連単見事的中の由。インスピ レーションなんて馬が来たことで2,460倍だかの大変な馬券になつたが、なぜこんな予想が出来たか、と言へば1番人気のアパッチキャット(結果3着)を 軸にインスピレーション含む香港馬5頭のコンビネーション選ばれたから。実にお見事。かういふ馬券はなか/\さう簡単に購入できるものぢやない。しかもそ の香港馬の中では最も期待薄の馬が勝つとは。で今晩の葡萄酒は入江さんからのお振る舞ひ、で斉藤さんら日本からの遠征組、それに地場のO君とZ嬢で湾仔の益新美食館に食す。グリーンポイント・ブリュットNV。マーガレットリ ヴァーのClairaultなるワイナリーのシャルドネ05。ロスヴァスコス・カベルネソーヴィニヨン・グランレゼルヴ06。新西蘭ののセントラルオタゴ といふところのクォーツリーフ・ピノノワール06。バローロ&バルバレスコの作り手として有名らしいチェレットCERETTOのバルベーラダルバ06。 ピーターレーマン・メントー04。以上、斉藤さんの覚え書きより。斉藤さんの話では円換算すると円高もあつて香港で買ふワインがめちやめちや、楽天最安値 より安い由。お食事ご一緒したシンガポール在住の馬主O氏に御馳走になる。斉藤さん、馬主O氏、O君とZ嬢の四人で昨晩に続きFCCへ。サンジュリアンの シャトー・オー・ベイシュヴェル・グロリア01を飲む。ピーターレーマンのメントーのあとでは負けてしまつてゐた。

十二月十三日(土)揚子江以南も冬は寒いのだが暖房がないのが辛い。ホテルの客室はまづ冷房を消し風呂に熱湯を溜めせめてもの湯気で加湿し、寝台には薄い 毛布一枚で、ツインの部屋に一人なのでもう片方の毛布を取つて重ね、タオル地のバスローブを縕袍のやうに被りタオルを首に巻き喉対策でマスクをして……と 情けない姿。窓 際にパネルヒーターでもあつて少し開けた窓からの冷風が心地よく暖まり適度な湿度とともに部屋を暖める北方が恋しい。そんな体勢でどうにか久しぶりの熟睡 七時間。朝、夜明けを待つと気持ちも塞ぐどんよりとした曇空。客室で机に凭り香港より持込みの諸事いくつかお片づけ。ついでに一週間ほどの新聞片つ端から 読む。少し晴れる。退房してタクシーで広州東站。深圳行きの和諧号の二十分後の出発待つ間に站構内の李先生加州牛肉麺を食す。最近こればつかり。こ のたかだか15元の麺一杯でそこまで客に媚び諂う勿れ、と言いたいほどの慇懃なる接客態度のチェーン店もさうだが、美容室まで店の外、路上で朝の挨拶と点 呼、営業目標の達成に向けての訓話までする光景少なからず。労務管理の徹底はさすが元々社会主義でのお国柄なのかしら。深圳に向う車中、iPodで小林秀 雄の講演聞く。まるで三木助の落語を聞いてゐるやう。最近は耳にすることも少ない江戸言葉。確か秀雄さんは神田の生まれ。口跡は三木助だがアンリ=ベルク ソンなどについて語る話の論理的展開は談志師匠(笑)。説得力があるやうで、よく/\考へて聞いてゐると辻褄が合はないやうなことを言つてゐる。あれが小 林秀雄ぢやなければ「何をワケのわかんねぇこと言つてやがるんだ」で一笑に付されよう。だが小林秀雄だから貴重な講演録、となる。さういふ評価の価値観と は何か? 何に価値があるか、我々文明人は客観的なんてことを言ふ。土人はどうだ?土人には我々文明人みたいな客観性なんてことはないが奴らには主観でも 実に面白いところがあつて、ベルクソンつて人はそれを……とさういふ語りになる。深圳で知る家に按摩。不景気なこと深圳の按摩業界も直撃の由。客も減れば 客の祝儀も落ち込み。普段は強請ることなどなき按摩師も、年の瀬で物入りだから少し祝儀弾んでおくれよ、ッてな具合で濹東綺譚だね、これぢや。この広州行 きでも持参した某社製のキャリングケース。2003年に購入でもうボロ/\。一流メーカーのはずがジッパーが当初から緩い。昨晩O君に「贋物の国では贋物 を使ふと開き直つても良いのでは?」と言はれた言葉が耳に残り、帰り際に禁断の園の深圳商業城にお立ち寄り。贋物購入は良くない事。本物に限りなく酷使し たのが贋物なら、その贋物と質的には同等のノーブランドの3rd party物を入手。値段的には本物の10分の1。香港に戻り湾仔。湾仔の某ホテルで明日の香港国際レースで来港中の入江さんと斉藤さんに再会。荷物を客 室に置かしてもらひT氏ら同じくご来港中の競馬仲間5名で歩いて湾仔の杭州 酒家。持込みのワインは発泡酒から赤まで5本。ちなみに葡萄酒は斉藤さんの記録によればMARC CHAUVETというシャンパーニュの作り手と提携してるらしいニュージーランドのクォーツリーフQUARTZ REEF・ショーヴェChauvet・メトードトラディショネルNV。一応シャンパーニュの香りはする。チリの大手、モンテス・アルファ・シャルドネ 06。ちょっといまいち。アルゼンチンでアラモス・セレクション・ピノノワール06。ピノのくせに濃い。モンテス・アルファ・メルロー06。AOCララン ド・ド・ポムロールのシャトー・ラ・フルール・ド・ブアール02。店内が猛烈な臭豆腐の芳香?で居ても立つても居られず「同じ物を食べるが得策」と臭豆 腐。日本語のメニューに「中国臭い豆腐の揚げ物」とあり。臭いのは事実だが「中国臭い豆腐」と言つたところが自虐的。食事するにも飲むにも本当に楽しい面 子。ちよつと葡萄酒が飲み足りない、とFCCまで遠征して更に一本。イタリアはヴェネト州のトッマーゾ・ブッソーラという作り手のカデルライト・リパッソ Cadel Laito Ripasso・ヴァルポリチェッラ03。よく飲むのぉ、と我ながら感心。
▼二日の信報で唯霊さんが燒鴨頸尾叉燒嘴と題して湾仔鵝頸橋界隈のイスラム食文化を語る。
老香港都知道鵝頸是個穆斯林區,不但有華人回教堂,也曾有過教門茶 居、食肆和以燒鴨、咖喱羊馳譽的大牌檔。
幾十年過去了,滄海桑田,堅拿道的運河水道Canal也被掩蓋架建 天橋,當年名店如大三元、北極、茗園都一一消失。區區在六十年代已經光顧的清真大牌檔惠記卻遷入街市,撑持至今為鵝頸的穆斯林文化歷史作見證。
最近老友帶去鵝頸街市吃燒鴨,才發覺多了一家海記也是順德鄉親經 營,而且菜肴更多花樣,燒味滷味、咖喱羊之外更還有蒸魚雲、魚腩等家鄉風味小菜。順德鄉親為老友特別弄了個「私伙菜」魚泡蒸鯇魚頭,雖無「江南正菜」換了 梅菜心也亦十分可口,遺憾的是沒有「威梳」佐之。
と焼鵝で馳名の恵記に加へ海記を紹介。
一條灣仔道東西兩端保留着濃厚的舊香港風貌,西面的灣仔街市,東邊 的鵝頸街市一帶的市集風情,仍可教我們大發思古幽情緬懷一些想當年的滋味。

十二月十二日(金)昨日までの秋空が今日はすつかり曇り空。広州郊外の某所で終日ご会合で末席を汚す。昏時に広州市街に戻る幹線道路は渋滞で霧なのか大気 汚染なのか視界まで朦朧。広州市街に入つてもかつてのバンコクのやうな渋滞だが「今日はこれでも市街に入れたのだから金曜晩にしたらまだマシ」と同行の 方。晩に天河は体育東路に面した広州酒家(天河店)と同じ大廈にある采苑酒 家で夕食会。風邪はほとんど治癒し咳もだいぶ収まつたが体調が今二つでぜんぜん 食欲なし。ここ数日、時々左下腹部に周期的な痛みあり。陛下ばかりか皇太子殿下も心労で十二指腸に人さし指先の大きさのポリープがあつた由。ホテルに送ら れ普通なら「それぢやあと一杯」と思ふのだらうが胃腸の痛みありホテル近くのPharmacyで征露丸購ふ。小雨。重い雲の絶え間にほんの瞬間、満月の月 を愛でる。涼茶屋に廿四味茶飲みホテルに戻り臥床。
▼十一月五日のAndsnesの香港でのピアノ独奏会で空席が目立つた事をアタシも「ユンディ=リとランラン以外はピアニストに非ず」の香港だから今晩も 客の入りは五分程度、と当日綴つてゐるが信報でこの不入りを麥華嵩氏が「もしこの演奏会が倫敦や紐育でならすぐにチケット売り切れ」と書いたことについて 三日の(つてアタシも何日前の新聞を読んでゐることか)信報で紀庸なる書き手がこの「倫敦や紐育では」の常套句に言及。実際に、と紀庸氏は来年2月に紐育 のカーネギーホールでAndsnesがチェロのTelzlaffとする演奏会のチケットはすでに売り出されてゐるが最も廉価の席がやうやく8割埋まつてゐ る程度で、倫敦でも紐育でも、それがアンスネスばかりかシフでもツィメルマンでもポリーニでも演奏会で空席はあるのであり、また満席といつてもカーネギー なら二千八百人収容のStern Auditoriumから六百人のZankel Hallまであるしアンスネスも香港での演奏会に先立つ東京だつて王子ホールは三百人サイズ。それに対して香港が香港文化中心のコンサートホールでは空席 が出ても致し方あるまい、と。香港の音楽文化の貧困さを嘆くのは易しいし西九龍の開発計画の発送の乏しさも辛いところだが、客観的な理解ないまゝに「倫敦 や紐育でなら」と言ふのは安易、と。御意。

十二月十一日(木)晴。午前中バタバタとご公務済ませ昼に紅磡火車站。午後イチの跨境特急列車で一路、広州。雑誌で即食(ファーストフード)の珈琲飲み比 べといふ記事あり、珈琲専門家が意外にも?星巴など珈琲専門店でなくMcCafeのブレンドを最良と評価。ふだん麥奴など食はぬが試しに紅磡站の McCafeの珈琲飲んでみると確かに美味。車中も昼寝貪る暇もなくご執務。広州に着く迄に文書を一つ仕上げねばならぬ。週末は香港国際競馬だが今週、来 週の日程考へると、その競馬開催の日曜くらゐしか終日ご公務の時間とれず競馬観戦は困難。とほゝ。せつかく特等車に乗つても喚き声五月蝿いと思へば乗務員 連中。広州東站着。温かい。タクシーに乗つたところで渋滞と思ひホテルの、列車の全ての乗客が出て来るのを待つ送迎バスの遅い出発を待ち花園酒店に投宿。 客室で夕方のご執務。文書を一本メールで送り、燈刻、路線バスで天河。散策。十四夜の明月を愛でる。晩に天河北路の日本料理武蔵。広州在住のO君と食す。 天河の和葉葉に焼酎を飲 む……と最近お決まりの流れ。先々週この店に忘れた帽子受け取る。ホテルに戻りバーで葉巻一服。O君帰宅。
▼先週末のIHT紙に“Chinese contemporary art suffers end of 4-years boom”といふ記事あり。なんだか泣いてゐるんだか笑つてゐるんだかわらねぇ顔ばかりで興醒めの現代中国アートが持て囃され、大家Yue Minjunの作品など競売でUS$6Mで落札されたり。が先月末のSotheby'sの香港での現代中国アートの競売では32作品中18しか購買され ず。アタシには直接関係ない話なのだが何処か溜飲下がる思ひ。
▼昨日はIHTもFTも朝日も一面トップにソニーのリストラ大きく報じられる。正社員だけでも8千人といふ規模が凄いがこの人員削減で100億円の歳出 減、つて誰でも計算してるだらうが平均年収1,250万円でさすがソニー、と。

十二月十日(水)朝七時半過ぎに自動車でStubbs Rdを抜けようとしたら目前で道路の高架下から猛煙。路線バスが故障で火を吹いた由。小一時間後には湾仔でも路線バスが自焚。幸ひ死傷者なし。同時多発テ ロか?といふバカな報道もなし。恐ろしく忙しい日だつたが夕方かなり久々に中環に出る。靴磨きにずつとKIWIの靴クリームと靴墨(ポリッシュ)愛用して ゐるが最近、靴墨はあるが靴クリームのはうが見当たらない。靴墨は見た目ピカ/\だが靴皮には優しからず靴墨で保養してやることが大切。いつも自分で靴を 磨くが珍しく戯院里の横丁の路上で靴を磨いてもらつたが此処も三人の靴磨きはみんな靴墨しか使つてをらぬ。上海灘の横の路地に並ぶ靴修理の屋台店で何軒か 尋ねると何処も靴墨ばかり。靴墨はみんなKIWIなのだが。やうやく一軒だけ靴クリームの在庫ある店あり。それも棚の奥からやうやく見つけ出して別メー カーの黒色の靴クリームを入手。後でKIWIのサイトで見たがKIWIの商品から靴クリームが消えてゐた。靴墨で靴をピカ/\に見せるのは簡単で靴クリー ムを少し塗つただけで布で見事に磨き上げるのがプロの靴磨きだし本当に手入れの行き届いた丁寧に扱はれる靴なのだが。ラルフローレン洋服店訪れるが冬の バーゲンでもうすつかり適当なサイズは売り切れ。普段着のズボン2本購ふ。マンダリンオリエンタルの餅店。オリヴァーズで葡萄酒など購ふ。晩に帰宅して FCCでテイクアウトの印度カレーとタイカレー食す。昨晩の残りの葡萄酒。久々に入手の靴クリームで靴磨き。まだ咳が残る。
▼冬になると日本の、あのもわーつと暖気が停滞した暖房も気持ち悪いが香港で冬になつても冷房つけつ放しも困つたもの。香港大学を出て某大学院でMBAま でとつた方が(つて高学歴=常識的とは言へないが)冷房をつけるので寒くない?と言つたら「新鮮な酸素が……」と(笑)。冷房は空気清浄機ではないし、ま してや酸素提供などないのだが……。寧ろ汚れたフィルター通した空気が循環してゐるのに。それと電子レンジへの過信も凄い。弁当を「強」で10分くらゐ暖 める。当然お弁当の食事は乾燥してカサ/\になつてしまひ不味くなる。が唐土では「冷や飯を食ふ」を嫌ふばかりか調理済み弁当は電子レンジで「暖める」だ けではなく「煮沸での殺菌効果」が期待されてゐるらしい。調理の段階できちんと火が通つてゐればいくら香港が高温多湿でも室内の冷所(実際に冷房で寒い) になら数時間放置したくらいで腐るはずないのだが。だから日本人が冷や飯の弁当を暖めもせずに美味さうに食べてゐることがかなり不思議と見える。……とな んだか来港一年生の観察日記のやうなことを綴つてしまつた。(笑)

十二月九日(火)2003年以来初めて香港で家禽流感発生。元朗の養鶏場で二百羽だかの鶏が亡くなり香港政府は即決で香港の九万羽だかの鶏を処分。南無阿 弥。「冬至に鶏が食へない」と蘋果日報(翌朝の一面トップ)。一昨晩に鳥肉で水炊きしておいて良かつた。せ めて二日でも静養すれば癒えさうな風邪が咳は依然歇まづふら/\。マスクしてせめて他人に轉さぬやうにとご公務。ご公務といへば陛下もストレス性で胃を患 はれる由。陛下ともなれば周囲の民に気を遣ふ激務の上に国の悲しき現実と行く末を憂ひどれほどご心労多かりしことか。晩に帰宅して野菜多き夕餉。かなり久 々に葡萄酒を抜栓。豪州のPenfoldsの407、Cab Sauの04年。晩十時には就寝。吉田健一と河上徹太郎の昭和47年の対談「世紀末を語る」を読む。もうぐちや/\な御両人。だが日本の政治とマスコミと ジャーナリズムの一緒くたを嘆き、他の国にあつて日本にないのは民衆の抵抗、と指摘したのがもう35年前。当時でさうなら今はもつとひどいか。

十二月八日(月)咳がまだ歇まづ。つらいが休んではおれぬ忙しさ。週末はメールの返事も怠つてゐるので月曜日は返信など雑事済まるだけで昼になつちまふ。 早晩に湾仔の泉記で紫菜四寶河粉頬張り二更まで仕事。今日から一ヶ月は鳥渡緊張してをらねばならぬ状況にあり。
▼陳凱歌監督の映画『梅蘭芳』(主演:黎明)の公開控へ六日の蘋果日報に章詒和氏「戲 子生涯君子人格」と題する長文の梅蘭芳論掲載あり。興味深く読む。梅蘭芳(1894〜1961)について今更何を語ることがあらうか、といふほど 京劇を知らぬ者にも梅蘭芳は著名だが江蘇泰州人で本名瀾、又名鶴鳴、小名裙子、群子、號畹華、別署綴玉軒……と章詒和の紹介するこの梅蘭芳の名前を読むだ けで好事家の琴線に触れるところありやなしや。で筆者は梅蘭芳の出自から説くのだが、その出自について様々な説があるが中国戯曲の歴史や当時の清末の社会 状況を知らぬと誤解するところあり、と。清末には商人や文人、完了といつた中上層階級にとつての娯楽といへば「戲園子」と「堂子」。嘉慶から光緒まで約百 年盛んであつた堂子とは「下處」とも云はれ、子どもらを集め芸を修業させ売りに出す宿舎学校(注)に置かれた若衆らのこと。
以下、章詒和の文章が艶つぽいのでそのまま引用。
逛堂子叫打茶圍,從事打茶圍行業的伶人叫相公。相公從事的是「以歌 侑酒」「以曲伺人」的服務。所以他們又叫歌郎。「打茶圍」是歌舞表演的配套服務,伶人演完戲,也在這服務,額外掙一份錢。臺上看戲,臺下看人,男人們就樂 此不疲了。由於歌郎是陪酒,陪聊,陪笑,也就善歌,善酒,善談。他們特別能體味男人的心理,迎合男人愛好,多有女性化傾向。歌郎必須習藝,有色,有藝,還 有一副好性情,包括談吐,走路,笑容,眼神等等。既學會應付顧客不同的需求,還要不忘保護自己,這一套本事真可謂嚴酷。由於堂子業必須要有好歌郎,所以, 很多是由名伶兼營。
……と。ようするに日本の若衆歌舞伎のやうに陰間的なもの(筆者は厳密に筆者は「堂子」と「妓院」を同一視することを諌めるが)。それにしても「以歌侑 酒」「以曲伺人」だの「臺上看戲,臺下看人」などといふ漢語は何とも面白いが。といふやうな時代が段々と舞台の演劇の技量を重視する時代となり「堂子」と 呼ばれた若衆は、まさに<近代>に陰間が廃れる中で京劇の女形の役者に成長してゆく。雲和堂で就業し「梅郎」と呼ばれた梅蘭芳はその筆頭格で成功してゆく のだが、梅蘭芳にとつて幼い頃からの堂子としての半生はその後の梅蘭芳の略歴からは削除される。筆者の著述の中でもう一つ興味深いのが「梅党」について。 梅蘭芳ともなれば各界のご贔屓衆がづらりと並ぶ。ご贔屓衆といつても当時の彼らはその教養、智慧でもつて京劇にも殊更造詣深く梅蘭芳を一大女形に成長させ ようと心血注ぐ。「霸王別姫」は梅蘭芳の代表的な演目だが、これも梅党の中でも梅蘭芳に入れ込んだ中国銀行の南京総行の総経理までした銀行家が「楚漢爭」 なる原題の演目を梅蘭芳のため齊如山に書き直させたもので、その初稿を更に吳震修が改修して霸王別姫の脚本を完成させたもの。梅党の筆頭の人物といへば馮 耿光。通称、馮六爺。日本の陸軍士官学校を卒業した軍人で経済にも明るく中国銀行の董事長。梅蘭芳が14歳の頃からパトロンとして生活の面倒をみる。梅蘭 芳の17歳での初婚から全て馮六爺の仕込み。梅蘭芳といふ不世出の女形も「役者バカ」で芝居以外何も知らぬ、出来ぬ少年を馮六爺が徹底して面倒を見て育て 上げた、といふ話。……以下、梅蘭芳の三度の婚姻のこと、更に<中華民国>といふ時代、近代にとつての梅蘭芳論が続くのだが茲に書ききれず。
(注)映画『霸王別姫』の冒頭で京劇の子役らが寝食を伴にして芸を仕込まれる演芸学校を思ひ浮かべればよい鴨

農暦十一月初十。大雪。日曜だと言ふのに朝の白む頃から日暮れまでご公務あり。なんとなくずつと居なければならない仕事つてのが一番疲れる。帰宅して北角 街市の嘉美鶏使つた水炊き。北角街市で買物中のZ嬢は「指差し広東語」とか使つて街市でお買ひ物の実践中らしい日本人駐在員妻グループに遭遇。「このへん の店の人たちつて年寄りは話せても読んだり書いたりは出来ない人がゐるから」と指南役の言葉。Z嬢は「あの婆さんたちだつて青菜の名前や値札書いたりフィ リピン人と片言の英語で会話だつてしてるのに」と感想。風邪が治りきらず。起きてゐるのがつらい。
▼朝日新聞の書評欄に佐藤卓己著『テレビ的教養 - 一億総博知化の系譜』紹介あり。「一億総博知」とは佐藤先生も皮肉たつぷり、と思つたら書評(西秀治)を読むと
評論家の大宅壮一はテレビを「家庭の茶の間に氾濫しては一億総白痴 化になる」と言って流行語にもなったが、『テレビ的教養』の著者は「一億総博知化」のメディアと読み替えた。テレビ史を教育や教養の観点から見ることで、 戦後にテレビが果たしてきた役割が分かる。末尾では「テレビをよく読み、よく批判しなければならない」と説く。
ださうで、なるほど真つ当。(原著を読まずに言ふのもなんだが)読売テレビのドキュメンタリーであるとかTBSの報道とかNHKの教養番組とか、そりや戦 後、大切なテレビ番組があつたのは事実。だが「テレビをよく読み、よく批判」できる人なんてのはテレビがあらうがなからうが判断力のある教養人なわけで、 むしろそんな素養のない人たちこそテレビがなければ生きていけない、と思ふとやつぱりマズゐんぢやないか、と思ふ。
▼加藤周一さんの訃報記事。さすが朝日新聞は一面、天声人語、文化面で追悼文は大江健三郎、井上ひさし談に社会面は浅田彰談含むと大盛り。それにしても大 江先生の文章の弱さうな強さ、強さうな弱さがなんとも……。
真の大知識人加藤周一の広さ深さをひとりで継ぐことはできないが、 あの人の微笑とまなざしに引き寄せられた者らいちいちの仕方で、その志を継ぎ、みんなで統合することはできるだろう。
つて確かにさうなのだが、1960〜70年代ぢやないから、それに引き寄せられた者も圧倒的に少ないし、ましてや大江先生の呼びかけに共鳴する人となると 更に少ないわけで、そこで大きな流れには絶対にならないのだらう。

十二月六日(土)風邪薬の強引な内服で熱も下がり咳や痰も収まつてはゐる。が発熱は体内の悪い菌を殺すためと思へば強引に熱を下げてしまふことはけして良 事に非ず。ゆつくりと養生したいところだがそれも能はず。ふら/\してゐるが散髪に参り昼に湾仔のグ ランドハイアット。A氏送迎でホテルには数十人の送り手。自動車で香港空港にA氏見送り。空港にも多数の方聚る。自動車で陋宅に戻り夜まで臥床。うどんを 煮て食す。気温は摂氏15度。我が書室は深々と冷え始め毛布膝に掛け机に凭り夜業。
▼加藤周一氏逝去。享年八十九歳。戦後の日本のリベラルな教養。よくぞ一貫した立場で頑張つた。が「羊の歌」を読んだ若かつた頃のアタシは「戦時中に知識 人の立場で軽井沢に隠遁してゐて、なにが戦後だ?」と疑問に思つた。氏のリベラリズムに共鳴する人がゐて、おそらく日本の人口の二、三割のところで戦後日 本の舵をぎり/\のところで右旋回を中道に戻す役割してきたのだらう。が本来であれば戦後の日本の国の形(constitution)となるべき周一さん の思想が具体的に戦後の日本にどれほど根づいてゐたか?を思ふ。残念なことに彼や丸山眞男らの思想が「かつての戦後思想」として片づけられてしまふやうな 時代に已になつてゐるのではないかしら。それも全ては周一さんも含めレジスタンスや市民革命を経てをらぬ思想
は悲しくconstitutionとしてつひぞ建立されず。それが戦後日本の脆弱さそのものなの鴨。

十二月五日(金)夜中に咳と痰で何度も目覚める。ふら/\するがご公務。香港墳場にかつての在留邦人の墓あり。掃墓。御父母、弟君がこの墓に眠るO氏より いくつか話を聞く。氏がどうして子どもの頃にこの墓地になかつた萬霊塔がその後に据ゑられ、しかも大正八年とあるのかかねがね疑問がアタシの拙話から解け た、と言はれこそばゆい。萬霊塔は大正当時、大谷光瑞師来 港の際の寄進を元に日本人慈善会が建立。揮毫は光瑞師による見事なもの。それが当時の日本人火葬場(掃捍埔)にあり。昭和に入り掃捍埔の開発でこの火葬場 は廃されたが万霊塔のみ残り、戦後この墓地に移送されたもの。アタシもそれがいつなのか知らぬまゝだがO氏が弟の墓参に来られた頃はなかつた、といふ話か ら萬霊塔は1970年代くらゐに移されたのでは?と察す。墓地近くの養和病院に参り診察を請ふ。ちよつと頼りない若い医者に抗生物質など供されたが暫くし て熱も出始め、こりやアカン、と帰宅して臥床。午後遅く熱が38.2度まで上がり陋宅近隣のC医師の診療所。解熱の注射を受ける。晩にどうしても外せぬ、 お世話になつた方の送別会ありハッピーヴァレイの寿司澄。途中一瞬貧血のやうになつたがどうにか回復。C医師の配薬が見事でどうにか場をこなす。が薬での こんな強引なことは身体に負担がかかるばかり。本来はきちんと休養すべきなのだらう。宴会後帰宅して倒れるやうに眠る。
▼香港の二大テレビ網のうちの「地味な方」として確固たる?地位にある亜州電視(ATV)は累積赤字HK$50億と瀕死の状態だが建て直しに張永霖を会長 に、王維基をCEOに抜擢。親中派資本などいくつかが株の持ち合ひの膠着状態の中で誰がATVの舵取り役になつても立場脆くならうところ。Cathay PacificからPCCWの経営などで謂わば八方美人の、笑つてゐれば良いことがニンの張永霖は2004年にPCCWから放り出された後は骨董品蒐集な ど細川護熙的に風流人気分。その彼を今更、現役に復帰でトップに据ゑたのは寧ろ無難なところか。で城市電訊(City Telecom)を立ち上げ成功させた王維基に経営全般任せるのは妥当なところだらう。だが広東省の不法視聴者こそあれ視聴者が千数百万人規模の市場で今 更、何がテレビなのか?といふ気がするが。

十二月四日(木)秋の好天続きも午後、新界に参れば愚図ついて雨空。鳥渡時間があつたので久しぶりに上水の廣成冰室に名物の紅豆冰頬張らうと立ち寄れば運 悪く逢星期 四が休み。午後遅く香港新界東北端、沙頭角近くに所用あり。さすがに体力消耗し果てたか咳が出始め風邪気味。数週間ぶりに全うな時間に帰宅。煮たおでん食 す。咳がひどく早寝。
▼紐育のメトロポリタンオペラで明晩、長く待たれたダニエル=バレンボイムの同劇場での初演、とIHT紙に記事あり。演目は「トリスタンとイゾルデ」。

十二月三日(水)少し曇る。晩にZ嬢との約束より十数分遅れで太古城の西苑。 映画見る前のやつつけ飯だが食のツンドラ地帯の太古坊で数少ない「食べられるレベル」。叉焼、菜心、例湯に揚州炒飯。食後に少し時間あり太平洋珈琲に寛ぐ。最近 こんな時間潰しも稀、とZ嬢と嘆く。台湾で「空前のヒット」の映画「海 角七號」Cape No.7 を見る。香港でも先月廿日に鳴り物入りで公開、だが不評で閑古鳥。上映もあと数日だらう、とZ嬢と慌てて今晩見る次第。今晩も観客は数名。台湾以外での映 画の不人気に比べ中国での上映不許可が話題に。映画は閩南語(台語)、客家語、日本語などが主で字幕が繁体字の中文のみで大陸用に簡体字字幕がないので不 便といふ「技術的な問題」とするが、本音は映画の「親日的な点」が槍玉に挙り映画のヒットが皇民化が繋がる、といふわけ。劉健威兄は台湾で大人気の映画が 香港で興業的にダメなのは台湾には「日本情」があるから、と指摘。William鄧達智君は「国境之南」といふニュアンスが日本から見て其処(台湾)が国 境の南なのか、国土としての南端なのかが微妙、とか書いてゐた。面白い。が、この映画にそれほど日本情があるか、アタシには疑問。、日本へのオマージュな ら侯孝賢監督の「非情城市」だとか、近年の日本感覚大好きなど同監督の「珈琲時光」なんかの方がベタ/\。二時間以上見てゐて「なぜこれが台湾で空前の ヒット?」と思ひ続ける。レベルとしてはベタな作品。確かに台湾語の、とくに中年以上のオヤヂたちの台湾語の掛け合ひこそ面白いが、それ以外は特筆するこ ともなし。何が台湾の観衆の琴線に触れたのか?と考へた時に、それを「日本情」と思つたら間違ひだらう(といふ意味で中国当局も誤謬あり)。あまり説得力 ない指摘になつてしまふが、敢へて言へば「映画に出てくる台湾人がみんな善良」といふことぢやないかしら。強面の親分からチンピラ、主人公の友だちも小米 酒のセールスする青年も、みんな市井の何処にでもゐさうな、ちよつとピントがズレてはゐるが良人ばかり。で、台南のこの映画の舞台となる小巷は桃源郷。日 本はそのモチーフとして良い役柄が与へられる。台湾人にとつてこのフェルモサが、其処の人々が我彼も含めなんて愛をしいか、と安らぎを与へてくれること。 さういふ意味では日本人にとつての「男はつらいよ」に近い世界。台北での夢が破れ地元に南下したロッカーの阿嘉(范逸臣飾)と最後に結ばれる音楽事務所の 友子(田中千絵飾)で続作、続々作となるのかしら。台湾の人々に安らぎを与へてくれた、といふことが全島挙げてのこの海角七號ブームなのだ、と理解した い。が、最後にもう一度言ふが映画としては平凡な出来、で大したことはない。
▼ブッシュ総統が大統領としての最大の痛恨事はイラクの大量破壊兵器所有に関する情報の誤りであつた、と発言。今更何を、と呆れるばかり。サダム=フセイ ン氏に倣ひ、この人も軍事法廷で裁かれるべきでは? 本来の通行時は誤つた情報ではなく、その情報に則り自らがイラク征伐を実行してしまつた事であり、更 に敢へて言へば米国がデマ情報を意図的に流し多くの人命を断つたことであるはず。でその情報を流用した小泉三世の責任は?

十二月二日(火)快晴。築地のH君に買つてもらつた月刊「新潮」十二月号の特別付録、小林秀雄の講演CDをiPodに落とす。いつ聴けるのかわからぬが。 忙しい時にかぎつてメールソフト(マイクロソフト社のEntourage)が朝から不調。昼過ぎにデータベースが毀れてゐます、とメッセージあり。一瞬 ぞッとしたが20分ほどで修復完了。メールソフトが毀れたらご公務上大変なことになる、と思ひつゝアップル社のTime Capsuleが刻々とバックアップしてゐる、と思へば鳥渡安心なのだが。……と近くにいらしたA氏に自慢したら「悪いことやつてバレて証拠隠滅しよう、 と思つた奴なんて、これ押収されたら一発でお縄だわな」と言はれる。然り。また、ワイヤレス上のセキュリティがいかに万全でも本体のリセットボタンを5秒 だか押したまゝにされたら設定が毀れてしまふのだから脆いもの。諸事に忙殺されふら/\だつたが晩に招飲ありハッピーヴァレイの寿司澄。生牡蛎、刺身に続き金目鯛と白身の鯛それぞれのお頭が煮付けで 供される。寿司を少しつまむ。午後になると視力がぐつと落ち眼精疲労やひどい肩凝りなど当たり前の今日この頃、それでも酒を、殊に日本酒や葡萄酒など醸造 酒が良いのだが、を一口飲むと途端に視力向上し肩や頚の痛みも和らぐから。オヤヂの酒飲みは意外とさういつた症状からの回避も飲む一つの理由なの鴨。仝行 のお二人から70年代の香港の日本人絡みの飲食事情拝聴。尖沙咀にはミラマホテルの金田中、インペリアルホテルの東京レストランはアタシも知つてゐるが酒 場はクラブ黄昏やコパカパーナ。銅鑼湾にはクラブ大一など。興じて彼我で銅鑼湾のバーSに一飲。某氏が酔狂に「マニラ経由で帰らう」と提議あり。三更のお 転婆となるが翌日が怖いのでバーSからほとんどアルコールを口服せず。フィリピン人の女給が余の唄う下手なカラオケに合わせフォークルの「悲しくてやりき れない」口遊むのもまた妙味。
▼「麻生首相では戦へない」党内懸念、政権二ヶ月で失速状態、と(朝日)。最初からこの人での脆弱さなどわかつてゐて、の自民党の総裁選定。安倍某の時と 一緒。麻生先生云々よりやはり麻生担ぎで乗り切らうとゐた自民党じたいが一旦野に下り雑巾掛けして汗をかくべき。だがそれ以上にかういつた政権党に戦後を 託したまゝで過ごしてきてしまつた国民にこそ今になつて大きなツケが到来か。

十二月朔日(月)快晴。秋の香港は涼しく青い空が広がるものだが今年は格別。経済混乱で珠江デルタの工場減産との関係は有りや無し哉。晩飯がコンビニでパ ン一個をRed Bullで流し込むのは寂し いもの。東空に下弦の月、今晩は二十年に一度、下弦の月の上方に右に木星、左に金星が浮かぶ「月亮笑哈哈」なり。
▼北京の全聚德の香港湾仔の店が廃業の由(蘋 果日報)。経営者側(新光集団)は賃貸契約満了で家主の華潤集団が他の用途に改装で金融海嘯とは無関係と述べる。が新光も 華潤も北京中央直属の企業と思へば北京の老舗の香港支店はさう易々とは廃業しまい。
▼航空自衛隊前幕僚長の田母神氏の論文、懸賞論文審査で主催のアパ代表のみ最高点。審査員の数名が選定に疑問呈すが審査委員長の渡部昇一先生は「審査はス ムーズだつたので特に記憶に残つてゐません。(略)他の方の記憶と違つてゐるかもしれませんが、それはその方の記憶です」と宣はれる(朝日)。「他の方の 記憶との違ひ」こそ渡部先生の歴史観そのものか(嗤)。
▼麻生首相動静(三十日)。14:37に帝国ホテル。ホテル内の一室で書類整理……つて日曜日にわざ/\豪邸と官邸を出てホテルの一室で書類整理するか ね。誰かとの密談か、にしても目立ちたいのかしら。で17:41に八重洲ブツクセンターに出現。つてことは3時間近くホテルにゐたのね。で書店では日下公 人・竹村健一・渡部昇一共著『強い日本への発想』や日下公人の『日本はどれほどいい国か』購はれる。言葉もなし。
▼「いい国」と言へば朝日で若宮啓文氏が「自衛隊の君へ 守るべき「いい国」とは何か」。若宮氏らしい、筋は正しからうが読んでゐて当方が赤面しさうな「青さ」。同じ朝日に市川速水氏が「胡耀邦氏がまいた友好の 種」。市川氏の若い頃からの市川氏らしひ「平易な日本語」の文章は見事。もはや筆致の藝の域。
▼武漢で共産中国初の本格的な競馬開催(廿九日)。これまで北京や深圳など「スポーツとして」の競馬はあつたがギャンブル性ありの商業競馬は初の由。市井 の民のガス抜きの一環かしら。
▼文化人類学者のClaude Lévi-Strauss先生が生誕百年。IHT紙の“A party fit for a 100-year-old anthropologist”を読んで知る。アタシが若い頃に拝読の頃に「すでに亡くなつてゐ る」と思つてゐたほど。『悲しき熱帯』読んでも“who altered the way Westerners look at other civilizations”といふほどの衝撃もなかつたのはアタシが在アジアだからなのかしら。

日記インデックスに<戻る>