乾 坤容我静 名利任人忙
(旧)教育基本法(1947〜2006) 改正に反対した文化人129 名の声明 憲法改正反対(九 条の会こちら

また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。ヨ ハネによる福音書8章32節)

メ ディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味で はコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意 識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディ アの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。(佐藤卓己)

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讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。

2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

七月卅一日(火)目覚めると朝の四時半。まだ空は真っ暗。氏家さんの『大江戸死体考』を読む。朝から、ってまだ草木も眠る、と思えば江戸は大川には溺死、 路上には行倒れと死体累々、千住は小塚原の処刑場、死体でもって将軍家や大名の刀剣の試し斬りするを代々の家業とし「生胆」を生薬として捌くことで財をな した人斬り浅右衛門の話。氏家氏の筆致。面白い。氏家氏はもう書物を通して江戸の人であるから自身には死体ゴロゴロの江戸は別に不思議じゃない、というと ころが氏家氏の奇人たる由縁。試し斬りも「あくまで武芸修行の一環として行われたもので、猟奇趣味や死体に対する変質者的嗜好とはまったく次元を異にする 行為」であり「この点くれぐれも誤解なさらないように」と書くのだが果たしてどれほどの数の読者が氏家氏に賛同するかしら。武芸修行とはいえ猟奇的趣味が 少なからずあるのでは?とアタシは思うのだが。この本で一つ勉強になったのは江戸時代、数は少ないが「切腹」の場合、自害は天晴れで埋葬が許され、最も罪 の重い「死罪」の場合は死骸は埋葬もされず試し斬りの「様物」(ためしもの)にされ、「下手人」は埋葬は許されない(死骸取捨)が様物にはされぬ、という ランクがあったこと。ただ、この本の内容で一つ気になったのは19世紀後半に巴里で出版されしレオン=パジェスの『日本切支丹宗門史』のなかから殉教に纏 る話を氏家氏は引いて1624年、天草にてルイス六右衛門が「イキダメシ」で殉教した話取り上げイキダメシは武士による伴天連殺害は「意気試し」ではなく 「生き試し」で「生きながら試し斬りする(される)」意味ではないか、とするが、これはどうか。日本語の動詞用いた熟語は例えば「試し斬り」は「試すため に」切る(目的)だし、「押し問答」は問答の状態の形容。イキダメシが「生き試し」だとすると極端な話、「行倒れをを生きているかどうか試すのに刃で刺し てみる」ような行為をアタシは想像しちまう。が、これも不自然。「生殺し」という言葉も言葉は生々しく見事なのだが。なぜか、というと「試し切り」は「試 す」も「切る」も他動詞で行為者は同一。「押し問答」も「押したり引いたり」の話者が問答する。これに対して「生き殺し」は「生きる」を「殺す」だから不 自然なのか。「踊り食い」という言葉も確かにあるのだが。ところで「首切り浅右衛門」の試し斬りのための「胴」や脳味噌、「胆」を貯蔵していたという屋敷 は江戸城にも近い平河町にかつてあり。著者がこの地を訪れると山田浅右衛門の代々の屋敷跡と思われる場所の近くには瀟洒な伊太利料理屋がある由。首切り浅 右衛門の屋敷跡の近所で何も知らぬ当世の者どもが「トマトソースをたっぷりかけたパスタや内臓料理に舌鼓を打つ」と氏家氏。可笑しい。この『死体考』読了 の頃ようやく空も白む。部屋の前の中庭のタマリンドの巨木に夜明け前より鳥多く鳩まり賑やか。ホテルのダインで朝食軽く済ませる。暫し部屋で寛ぐ。世界中 で衛星放送で「みんなの体操」なんて流すのはNHKくらいであろう。「みんなの体操」はもともとの発想が19世紀的な「健康的な国民の育成」にあるとすれ ば衛星放送用いてまで海外の邦人に体操強いる点で国策的意味がない、とは言えぬの鴨。「海外安全情報」も全く意味がないが。ホテルを出て旧市街を西に歩きワットチェディルアン参拝。仏塔修 復に寄進。ワットプラシン更に西に向 い運河渡りワットウモーンまで歩く。1時間余で着く筈が途 中、Tonpayam市場に寄り、寺近くで裏道で道に迷いチ エンマイ西の山の手の高級住宅地に「非常に戦後のモダンな」住宅建築多く原型残すことを知る。2時間近く歩いてようやく到着したウモーン寺院はメンラーイ 王により14世紀建立の、鑽岩の細い窩廊に仏像安置され落ち着いた佇まい。但し北朝鮮国営放送の如く敷地内に延々とスピーカーから流れる説法五月蝿い。こ の寺で精進の、若くして悪さに明け暮れたか修行僧にしては人相のまだけして良からぬ、背中や腕に紋も見事な憎相の僧多し。寺を出て市街に向け復た歩き、途 中、ニマンヘミン通りに入りKhun Morというチェンマ イでも人気の麺屋に昼を食す。Z嬢曰く「普通に美味い」。御意。午後雲行き怪しくトゥクトゥクに乗るやいなやの大雨。トーぺー門(旧市街の東大門なり)に 至り、なかなかセンスはいいのだが通りかかると二度も店の終まったあとの銀のアクセサリー屋。Z嬢が宝飾品選ぶ間にカメラ出して街頭で雨に洗われる市街の 様子写真に撮っておれば店内ではZ嬢にこの店の女将が「うちの亭主も古いライカが好きで蒐集するばかりか最近はライカの売買もしているんだけど、興味が あったら見る?」と語った由。Z嬢は余を指して「見せたら何でも買っちゃうから」と答えると「そう、うちのも、もう見れば買う、見れば買う、ででも本当に 自分が好きなカメラとレンズは絶対にヒトには売らない」と。そうだろう。店に戻りその話聞いたがアタシもその店の奥にいる亭主のライカコレク ションを見た くもあり見ると怖いものありタイであるから「あまり珠玉はないのじゃないか」という消極的な憶測もあれば「プミポン国王からしてカメラ好きでM型ライカも ご愛用」であるから「ひょっとして」の期待もあり。いずれにせよ「見たら買っちゃう」のが怖いので見ず仕舞い。雨のなかターぺー門潜りホテルに戻る。夕方 になり雨、歇む。市の東北に位置する中華街、Warorot市場の ほうに散歩する。このチエンマイなる都市、タイの東北第一の都市だが、主なる産業は観光。外国からの観光客が多くカネを落としてゆくが、消費も下手すると 7割くらいが外国人なのではないか?というくらいに市内で(外国人相手の観光ズレした繁華街を除いても)チエンマイの住民の商行為、売買、消費がほんとう に乏しいと感じる。カネは落ちているわけであるから堅実に貯めているのか、実は観光都市にありがちな、誰 もけして利潤を得るほどには儲けておらずまぁまぁ 暮せる程度なのか、よくわからず。今度は強烈な陽射し。ホテルに戻る途中、食料雑貨屋でタイ産ワインを三本購入。部屋で飲んでみることに。部屋に戻り洗面 台で氷で速攻で冷やした白ワイン。The United Products Co.,Ltd.なる会社のThai White Wineなる商標の白ワイン。料理用ワインだ、と思えばまだ納得できるかも知れぬがワインビネガーのような酸っぱさ。申し訳ないが飲めず。もう一本は「ま だマシ」な名前失念の白。これもお世辞にも美味いとは言えぬ、まるで「ターメリックを保存していた樽にでも醸造したような味」(Z嬢)だが、これは飲めな いわけではない、多少我慢すれば。で赤も一瓶ありPB ValleyのKhao Yai Wineryの産品であるSawasdee Shiraz 2005はバンコクまで持ち帰ることに。晩は何を食そうか、と三度びThe Wokへ。タイ料理は店によってそれほど格別があるわけでもな し極端に刺激的な辛さも好まず、なら周知の気に入りの店で食すほうがずっと良い。今晩も盛況。屋外で12卓あるが満席の上、卓によっては三回転。大したも の。ホテルに戻り内田樹『街場の現代思想』少し読む。
▼安倍三世本日閣議後の閣僚懇談会で各閣僚に対して曰く「選挙は厳しい結果だったが、政治の空白、行政の停滞は許されない。一層緊張感を持ってあたってほ しい」。閣僚内心「参院選大敗はアンタの所為だろーが」と忸怩たる思いか閣議後の記者会見では各閣僚から選挙結果を厳しく受け止める声が相次いだ由。もは や内閣実質的崩壊。
▼築地のH君(のこの日剰への登場はかなり久々か)との民主党による社民、国民新党や新党日本との連立内閣。自民党から加藤紘一さん、亀井さんや山崎さん といった良識派が離脱し自民新党結成し、民主党との連立に参画がミソ。小沢一郎君は首相を菅君に譲るが党首のままでゴッドファーザー気取り。
総理   菅直人(民主)
官房長官 枝野幸男(民主)
外務   加藤紘一(自民新党)
財務   岡田克也(民主)  
経済産業 亀井静香(国民新党)
厚生労働 長妻昭(民主)
法務   福島瑞穂(社民)
総務   田中康夫(新党日本)
防衛   山崎拓(自民新党)
文部科学 内田樹(民間)
農林水産 山田正彦(民主)
国土交通 田中真紀子(無所属)
環境   *公明党が無節操に民主党政権でも与党ならこのポスト(笑)
国家公安 河村たかし(民主)
沖縄北方 糸数慶子(無所属)
金融担当 榊原英資(民間)
女性担当 小宮山洋子(民主)

七月卅日(月)風邪の諸症状甚し。シーツが濡れるほど汗をかき眠る。朝七時に起きて眩暈するなか荷物まとめてピン川の畔で朝食。宿 をチェックアウトし荷物預け歩いてピン川とちょうど宿の対岸にあるバス停に歩く。八時半のLampang行きのオンボロバスに乗りLamphunを経由し 1時間40分で国立のタイ象保護センター。一年半前に続き二 度目の参観。芸達者な象のショウだの子象センター、象の病院など見ているうちにあっという間に昼過ぎ。チエンマイに戻るバスに乗ると間一髪でスコール。チ エンマイの東バスターミナル着。食堂で麺を軽く食しトゥクトゥクで宿に戻り荷物ピックアップして市街のTamarind Villageに投 宿。ここは前回、チエンマイ初めて訪れし時に「次は是非」と思った瀟洒な都市型リゾートホテル。夕方、部屋で広い風呂に一浴し寛ぐ。氏家幹人さんの『江戸 奇人傳』読了。奇人は変人に非ず。この本は幕末の旗本、川路左衛門尉聖謨という奈良奉行から大阪奉行、勘定奉行に出世する幕府の官僚の日記に語られる川路 家の痛快なまでに面白い人たち、それをこの几帳面な性格の旗本が驚異的な筆まめさをもって綴ったもの。奇人とは、荘 子の言を借りれば、人間社会の中では変人扱いされるが実は天の理に叶った往き方をしている人のこと。日暮れにプールサイドで冷えたワインでも飲もうか、と 思ったら今日は仏教の祝日でお酒は供しません、と。このホテルなかなか真面目。晩にプラシン寺院に賽す。プラシン寺院の近くにRachamankhaというホテルあり。ここも部屋数少なき都市型リ ゾート。ここの料理が美味いと耳にして、Tamarindに宿泊してRachamankhaに食事に行くのは、まるで京都で俵屋に泊まり柊屋に晩飯に行く ようなものだがRachamankhaの偵察も兼ねて。でお食事は、というと一言でいって「美味くな い」。奇を衒うばかりで味付けが「ない」。前菜、サラダ、主菜と頼み三皿を順番も関係なく供されるだけでも閉口。マネージャー不在で慣れない給仕が素人仕 事。新派のレストランに「ありがち」な環境。これで評判とは! だがこのホテルは今晩も酒を供す。市街歩くと店先などで酒を飲む者(祝日だからか)普段よ り多し。サラダは食べたが前菜と主のビーフシチュー(という名の水牛の肉とトマトのスープ)は半分以上残してしまい(三皿ともいつものようにZ嬢とシェ ア)さすがにこれじゃ精神的にも「食べたりない」、と満月の朧ろ月愛でながらThe Wokに寄りカオソーイとバナナケーキ。レモングラスのジュース。宿に戻り氏家幹人『江戸死体考』読み始める。
▼参院選の結果。自民党がまさか40議席を下回るとは思いもせず。週刊現代だったか公明党が10議席も危ないと書いていたが、まさかそれも現実になろうと は。公明党支持者の中で「ただただ与党」で自民党に与するだけの党に三行半もありか。

七月廿九日(日)昨晩は通り雨かと思った雷雨が長雨。夜半まで歇ず。雨も降らぬ香港より参ると雨音もまた好し。小雨のなか宿のピン 川眺めるオープンダインにて朝食。宿は夏は閑散期だが、それにしても泊まる客の朝はゆっくりで七時すぎに朝食など我らのみ。市街を囲む運河の北に位置する チャンプアク門(白象門)まで市街を歩く。朝の雨が一転して陽射し強し。市街の北西の山並みより市街一望するドイステープ方面行きのソンテウ(乗合自動 車)に乗りチエンマイ動物園。私らは観光など殆どせぬが動物 園だけは何処へ行っても必ず訪れる。強烈な暑さだが少し山あいゆゑ木陰の涼風心地よし。中国より貸し出し中のパンダ一対だのペンギンは摂氏20度ほどの冷 房室にお住まい。昼までじっくりと動物園を周遊。この動物園、参観者が自らの自動車で園内一週できるのは如何なものか、と疑問だが歩行者はトレッキングのように樹木の間を登ったり 下ったりの遊歩道整備され、下手な観光トレッキングコースよかこちらのほうがよっぽど良い。乗合ソンテウで市街に向い途中のリンカムで下車。アマリ・リン カム・ホテルのLa Grittaなる「伊太利料理屋でタイ 料理の」ビュッフェで昼食。それにしても、なぜタイには伊太利料理屋が多いのかしら。ニマンヘミン街のお洒落な、観光客相手のブティックや家具屋冷やか し、Mandha Kwangなる肆で夏物の綿のシャツ購 う。閑静な住宅地のなかを歩きソンテウを雇い宿に戻る。午後三時。午睡。転た寝に冷房が当たり目覚めるとすっかり風の初期症状。失敗。早晩にターぺー通り を歩き日曜市など冷やかし宿に近いチャルン=プラテート通りのロットヌンな る食堂でいわゆる魚蛋米粉食す。宿に戻りネット立ち上げれば参院選は民主好調で50議席台。自民は40議席割れ危ぶまれ与野党逆転。四国など4県とも一人 区で民主が制覇。安倍批判で生き残りかけた高地の田村公平君落選。父・田村良平君からの地盤で安倍批判してもこの態。岡山でも自民党の有力参議片山虎之助 落選。この為体に安倍三世「私は総理に就任して改革を続行している。新しい国造りを進めていくと約束した。その約束を果たしていくことが私の責任だと思 う。決意している」と続投表明。この度の参院選での与野党逆転の良否を問えば「良い」が結局、この自民党にノーの有権者こそ実は小泉改革支持し郵政選挙で 自民党に歴史的勝利を与え安倍三世への政権禅譲に安倍支持した「ブレる国民」。実はこの雰囲気でどうにでも靡く国民こそ怖い存在。与野党逆転させ、もしか すると日本に戦後初の二大政党制を誕生させ、だが場合によっては大政翼賛会に化けるも可。自民大敗などと喜んではおれず。本日は氏家幹人さんの『江戸奇人 傳』(平凡社新書)読む。氏家さんからかつて頂いた葉書でご自身が史書派で「書かれていること」読む作業に没頭するタイプで絵図の見た目やインスピレー ションなどとても弱いと書かれていたが、この「江戸奇人傳」など読むとその想像力旺盛に敬服。
▼昨日、香港とバンコクの空港で思ったのだが空港の手荷物、所持品検査の係員。政府の立派な公務員であるがあの週日の御座なりの単純作業。テロを最前線で 未然に防ぐ、と言えば聞こえも良いが、税関なども含め「マクドナルドのバイト」と比べ、実態はどれほどの技能職か。マクドナルドなら香港で時給十数ドルの 工員哀史。空港は恩給までつく公務員。空港はテロさまさま、か。
▼プロレスの神様”、カール・ゴッチ氏逝去。享年82歳。

七月廿八日(土)Z嬢と朝七時に空港。キャセイパシフィック航空の網上での登機手続き済ませておけば預け荷物あっても出発時間のわ ずか45分前!に空港にお越しください、の簡便さ。空港ではマルコポーロクラブのカードで発券は数秒。見事。空港のラウンジで朝食済ませバンコク行きの CX713便に搭乗。飛行機が飛び立つまでに朝から朝日、SCMP、信報、蘋果日報、IHT、FT紙まで読めてしまうのだから旅は楽し。江戸川乱歩随筆選 (ちくま文庫)再読。バンコク到着。3月に開港のท่าอากาศยานสุวรรณภูม(スワンナプーム国際空港)は建物外装は見事だが内装お粗末。 慣れておらぬと乗り場わからぬ公共タクシー。バンコクでありながらメーター料金でなく定額制は如何なものか?と思ったが国内線専用空港となったドンムアン 空港まで定額料金は500バーツ。一瞬「高くない?」と思ったが一旦ほぼバンコク市街に入り<の字に旧空港に向うので距離はかつてのドンムアンから市内、 許容範囲か。渋滞などしたらメーター制よか割安かも。ただ空港のタクシー乗り場で係員に「高速料金など一切含め500バーツ」と言われたのにタクシーの運 転手は「高速で行くか?」と我に質し高速料金は客持ちと宣う。「冗談はいい加減におよしよ」と澤村貞子っぽいく運転手に告げる。高速料金は新空港から市 街、市街からドンムアンと2回でおよそ50バーツ。運転手にしてみれば運賃収入が1割増しになるかどうか、で客を引っ掛ける。まぁ5割の確率で客は(とく にヒトのいい日本人など特に)言いなりかしら。空港間の移動は約45分。晝すぎにドンムアン空港に着いたはいいがเมืองเชียงใหม่(チエンマ イ)へのフライトは15時。とりあえずタイ航空直営の空港で晝を軽く食す。ラウンジもなければ足マッサージもない。14時半の搭乗まで待合で川添裕の『江 戸の見世物』(岩波新書)読む。ザ・ドリフターズの「8時だョ!全員集合」でセットの建物が丸ごと壊れる「屋体崩し」は株式会社金井大道具という会社の製 作だったそうだが、実はこの金井大道具が江戸の見世物の仕掛道具師・長谷川勘兵衛の流れだそうな。1時間要せずチエンマイに到着。メータータクシーで市街 へ。チエンマイの鴨川(まさに地理的にはそうなのだ)ピン川に面したGalare Guest Houseに投宿す。部屋数廿ほどの欧州人多き宿。質素で快適。早晩に散歩しながら繁華街へ。なんかチエンマイでの「お決まり」でThe Wokで晩飯。とてもあっさりとしたトムヤンクンも美味だが、 この食肆の牛肉のスパイシーサラダがアタシの好物。これでタイの地場麦酒をぐいぐい、と。それにしても、とZ嬢と語るは、チエンマイがなぜこれほど欧州人 を惹きつけるのか、と。独逸から十数時間かけて来るなら、アタシなら海のあるプーケットだのクラビを選ぶが。この海もない山も中途半端のタイ北部の田舎都 市。落ち着くといえば落ち着くかも知れぬが観光ズレした市街、自動車の排気ガス……とてもパラダイスとは言い難し。不思議。と言いつつアタシらも来ている のだが。十三夜の月愛でつつ宿に戻ると降雨。落雷。甘いメコンウヰスキー舐める。新聞を七紙も読み(ドンムアン空港でタイの英字紙も読んだので……そう、 今日はタイ王国の皇太子殿下の誕生日だそうな)文庫本と新書各1冊が読めるのだから旅は楽し。読了の本は宿の書架に残す。
▼乱歩。推理小説家だがアタシはこの人の随筆のほうがずっと好き。カタルシスという言葉に「瀉泄」という漢語を当てるこのセンス。カタルシスについて「肉 体の健康を保つ為には無用の体液の瀉泄を行わなければならぬ」と。素敵。
▼地下鉄だの飛行機だのでピコピコピコピコとゲームする輩。ガキならまだしも、いい年した連中がピコピコピコ。自慰に耽る猿の如し。耳障りな電子音。だが あの百害あって一利なしの馬鹿なゲーム機開発はソニーだの任天堂で我が国の所為。それに遊び耽る輩は或る面では呆けた被害者。南無阿弥。
▼明日は参院選挙。朝日は安倍三世が憲法改正だの「美しい日本」では票が取れぬと覚悟したか、もはやただただ候補者名連呼、と報ず(笑)。自民党が下野せ ば景気後退、喜ぶのは北朝鮮、と形振り構わず。“Candidates keep distance from Abe”と一面でIHT紙が語るに、高知選挙区では田村公平君が「美しい日本、よか我々に大切は明日どうやって食ってゆくか」であると指摘し安倍三世に対 して“I feel he's making fools of us”と(勿論、日本語で、であるが)と安倍批判で票獲得に走るほど、と(特派員Norimitsu Onishi君による)。FT紙の参院選挙報道を読んでいて思ったのだが、参院というと日本では「参院無用論」すら語られるが、参議院とはUpper House(上院)であり参院議員はSenateなのだ、と改めて思い知らされる。ところで自民党が大敗きした場合、連立与党の公明党はどうするのかし ら。一緒に下野か。だが公明党にとって大切なことは「与党であること」。細川内閣の頃に味を占めたのだろうが、公明党にとって与党であることの大事。なぜ か。アタシにはわかるのだが「外交」なのだ。国政など与党でも野党でも「公明党にとっては」どちらでも良い。が「外交」は与党でないと。あまり深いことは 言及せぬが、そういうことなのだ。

七月廿七日(金)週末の衆院選挙前に手持ちの円を売る。六月中旬に123円で買い124円が最安値。本日119円となり「まだ下がる」という見込みもあろ うが今回は「衆院選挙まで」と決めていたので期待は115円であったからちょうど半分の利鞘で終わったが賭博でも何でも目標なり期限を決め到達したら欲を 出さずにさっと撤収すべき。それにしても先月の26日だったか124円の時に「今が最安値でしょうからもう少し円を買い足しません?」と言ってきた銀行は (結果論だが)よく見ていた、と感心。衆院選挙で自民大敗なら円安、という見方もあり、さらに安倍内閣総辞職なんてことで更に円脆弱に、と言う観測もあ り。だが実際に日本の政局=「たかがそれしきのもの」が円の動きにどれだけ影響与えるか。で円高はまだ多少続く、の鴨。本日、晝に三、四ヶ月ぶりに跑馬地 の寿司澄に食す。寿司屋でランチに出るお通し、小鉢サラダ、茶碗蒸し、味噌汁、食後のアイスクリームや珈琲など一切お断り。こういった+αのサーヴィスは 外地ならではか、と思っていたが築地の寿司屋でも味噌汁があり驚き「寿司屋では寿司以外食べない運動」を一人で展開中。賛同者乞う。早晩に按摩。晩に金鐘 で宴会あり泰式料理屋で末席を汚す。銅鑼湾に寄りバーSに一飲。帰宅して齋藤秀雄傳記『嬉遊曲、鳴りやまず』読む。読了。文庫本など十二の頃は横溝正史の 推理小説など上下巻七、八百頁を休みの一日で読んでしまったり高校生くらいまでは文庫本の三百頁くらいなら喫茶店で読み終わるまで長居できた集中力も老い ると一冊の本の読了に数日要すのだから。だから若いうちにうんと本は読んでおくべき、と思う。

七月廿六日(木)九龍皇帝曾灶財翁今月十五日に病逝。享年八十六歳。過去半世紀九龍新界の街頭にて郵便ポスト、燈柱、電話会社の変電板、高架道の橋桁等 々、公共物に「九龍皇帝」たる自らの歴史、
家族故事など認ため続け警察に軽犯罪法違反で取締られるこ と少なからず家族も自称「九龍皇帝」の彼とは疎遠に。皇帝御自ら綴られし故事に着目のWilliam鄧達智君が1997年にそ れをプリントしてファッションショーで披露したあたりから皇帝の存在が<芸術>として認識され劉健威兄もさかんに評価し支援。アタシは「なんかちょっと違 うんじゃない?」という感もあり。広東省肇慶に生まれ農夫、来港後は紗廠などに働きゴミ収積処で働いた際に巨大なゴミ処理器倒れ両足下敷きとなり、以来、 足が不自由。で松葉杖で都市中を彷徨いつつ公共物への故事書きまくり。高齢での疾病の上に近年、痴呆もひどく老人院に住まい十五日の病逝。皇帝は身内のみ で葬られマスコミに報じられず。が養老院の職員が某ブログに書き込んだことで下々の者知るところとなり。本日の蘋果日報は「皇帝駕崩」と報ず。「曾灶財と ゴッホ」という評論すらあり(言い過ぎ)。で本日早晩に久々にFCCに食す。メニューに「カツ丼」と「日式弁当」あり。カツ丼は日本食で定番メニューだが 意外と手間もかかりレシピは「わからない人にはわからい」から鳥渡「怖い物見たさ」もあり。で暫し待てば出てきたお重。一瞬、感心するが蓋を開けると、一 見して「こりゃイケない」。豚カツには程遠い、小麦粉も溶き卵の下拵えもなく、ただパン粉だけまぶして揚げた豚肉。しかもサラダオイルがぎとぎと。でその 豚肉の下にタマネギが敷いてあるのだが、これをちょっと食してみると、タマネギを炒めて砂糖を塗しただけ。当然、出汁のしみた玉子とじになっておらず。た だ「こんなもの豚カツぢゃないっ!」ようなことは日式ではよくある話。せめて「ヘンだけど食べられる」ならいいのだが、この揚げた豚肉と甘いタマネギでな んの味もついていないのだから、ただ「不味い」。一口で残さざるを得ず。ウェイターが「これ、ダメ?」と心配顏なので「カツ丼じゃない、とかじゃないく て、味がついていない」と告げる。鳥肉のパイを食す。赤葡萄酒二杯。尖沙咀でKCRに乗り換え旺角。KCRの旺角站で乗り降りは十数年ぶり。Z嬢と待ち合 せ本日初日の映画「フラガール」見るのに嘉禾の 映画館。こ の映画館が新世紀広場というSCにあり、ショッピングセンター嫌いのアタシは此処も始めてで、よくもこれだけ同じようなSCが香港中あちこちにあるもの だ、と感心。で「フラガール」の映画。アタクシにとっては幼き頃のレジャー原体験としての常磐ハワイアンセンター(現スパリゾートハワイアンズ)。当時まだ常磐自動車道など当然まだ青写 真のみ。マイカーで国道6号線を北上し目指すは楽し「東洋のハワイ」。幼き子供には「迷ったらもう親と遭遇できない」と観念するほどの館内の大盛況。宮崎 駿の「千と千尋」に登場の湯治場「油屋」の如し。で館内はアロハシャツと浴衣で「ここはハワイじゃなくて全くもって日本」の奇景。日に何度と繰り返し上演 される大目玉のフラダンスショーの舞台に上がった子供には芸をした猿の如くご褒美にバナナ配られ、バナナ輸入自由化以前はバナナほしさに舞台に上がる子も 多し(アタシは恥ずかしくて)。アロハ姿の酔ったオッサンが舞台でクネクネと踊り客の笑いを引き……嗚呼、想像したくない世界。あの館内、今になってあの 場を想像するに、幼き子の眼には写らぬ、もし今あの場にいたら何かと綺譚ありやなしや。ふとアタシが幼き頃の遊園地(今ならテーマパークか)を思い出す。 家から歩いていけたのが柳町光男監督の『さらば愛しき大地』で根津甚八と秋吉久美子の夫婦が子連れで遊ぶ偕楽園レイクランド。日立のかみね公園遊園地。で 常磐ハワイアンセンター。筑波のゆう・もあ村。船橋ヘルスセンター(現在、ららぽーと)など戦後そのもの。で「フラガール」の映画には思い入れもあり、 すっかり愉しむ。映画の中に出てくる常磐炭鉱があまりに殺伐たる荒野の中にあり。浜通りの磐城にしては「あ〜んなしゃべりっ方、してっけぇ〜?」と当地の 方が聞けば不愉快になるかも知れぬ会話。だが蒼井優始め女優のキャスティングの良さ。そして笑いあり涙あり人情あり、でいながら、この映画の最も秀逸なる ところは、閉鎖も近い不況のどん底の炭坑に生まれ育った娘らが、どうフラダンスのダンサーになるか、常磐ハワイアンセンター建設をこの炭坑がどう受け止め たか、の2つに話を徹底したこと。年頃の若い娘らを主人公とするのだから、男友だちとの色恋、もあろうし、それを加味せば脚本も容易だろうに。だが娘らは 宝塚の如くダンサーの如く舞台に夢中でBFのBの字も眼中になし。この設定が秀逸。それにしても上映初日から閑古鳥。隣の小屋ではハリー=ポッターだのト ランスフォーマー?だの満席の映画が並ぶ中、この「フラダンサー」は百数十人収容の小屋で客は十数名のみ。この週末で終演か……と実はそれが心配で今晩の 鑑賞。

七月廿五日(水)夕方、湾仔。皇后大道東でのビルの中に収まった公共市場建設で交加街の路上街市は撤収される由。バウハウス建築といえる湾仔街市の建物は 取り壊される可能性大。ですでにGreeting Cardや利是袋の印刷屋並ぶ利東街は政府に撤収され「再開発」待つばかり。この一帯のこの急変に湾仔市集關注組な る市民団体組織され交加街の路上と近所の画廊にて活動展開中。「集団記憶」の保存でなく生活の場としての路上街市を残せ、と。御意。路上で青果、雑貨など 扱う小賣店など、公共ビルの中のブースなどに店を構えても路上の「ちょい客」あってこその商売、家賃払ってまで営める筈もなし。湾仔の路上街市写した絵葉 書購い募金に協す。永樂麺家に姜葱撈麺を食す。尖沙咀。香港 美術館。先週の「清明上河圖」に続き数日前より明代の画家・仇英の款のある「臨清明上河圖」を展示中。さすがに「清明上河圖」に比べ参観者減り当日券もあ り15分待ちで参観可。色彩も見事で精緻であるが、それ以上の感慨もなし。むしろ「臨」行列で参観の後、閑散とした次会場で東晉の王珣による行書「伯遠 帖」巻、唐代の閻立本「歩輦図巻」、北宋の李公麟「維魔演教圖巻」などゆっくりと眺め南宋の李嵩「骷髏幻戯圖」や陳容「墨龍圖巻」など眺めるは余、独り。 暇な監視員の雑談には甚だ閉口。王珣の「伯遠帖」といえば王羲之「快雪時晴帖」、王獻之「中秋帖」と並び清の乾隆帝が書斎「三希堂」で眺めたという傑作 の、その図巻。故宮美術館よりゆっくり鑑賞できるのは至福。建物としては全く面白みない芸術館。ペニンスラホテルにしてみればこの芸術館の存在がヴィクト リア港の景色遮断の悪夢。で港島側の眺め愉しめる点だけはこの芸術館の特典。殊 に楼上の窓はフィルターがかり独特の色合いで夕方、西陽浴びた港島側のビルはこのフィルター越しに独特の輝き。続いてこれも先週に引き続き隣の太空館にて 周凡天氏による「解剖世界名曲進入音楽世界」の講座拝聴。今週(四回目)はシューベルトのピアノ五重奏曲「鱒」をテクストにしての「変奏曲」について。実 際の演奏はEmanuel Axと馬友友によるquintetと Caspar da Salo Quintetの聴き比べ。講義内容は平易。帰宅して齋藤秀雄伝記の続き読む。
▼信報の曹仁超「投資者日記」より。ドバイについて。ドバイに建築中の超高層ビル Burj Dubai の高さが2,275フィートに至る。グラフにて原油価格の高騰示すかのようにビルも高くなる。80年代にUAE政府は石油資源枯渇前にドバイを中東のビジ ネスセンター、レジャーの中心にすべく計画立ち上げ2千億ドル投資。1989年のゴルフ場完成皮切りに海底ホテルだの大型ショッピングセンターだの建造続 け、石油価格がHK$10からHK$80に高騰するのに合わせ都市開発も好調。2005年にはドバイの株式低迷始めたが建築ラッシュ続き。ドバイのビジネ ス投資分析の専門家によればUREのGDPは毎年11%の上昇続け2015年には1080億ドルに達する、という。石油依存どころか、すでにUAEの GDPの74%は不動産、観光、小売業によるもの。石油は2000年にすでにGDPの10%にしか過ぎず2006年には僅か4〜5%という。ドバイの人口 はわずか150万人ながらドバイの東西に広がるアラブ社会、人口15億人!の中心都市としての存在。2015年に向け更に都市発展が成功するか、バブル崩 壊となるのか、と。
▼同じ信報に左丁山氏がマードックによるダウ=ジョーンズ買収ついて書いている。廿日のFT紙にDJ社株7%も有する家族のO氏が実名でマードック氏によ るDJ買収がため高値での株買収について憂慮語っていた由。マードック氏がまだメディア戦略というタテマエあるだけ、米国の投資会社によるブルドックソー ス買収劇よか、まだマシかもしらぬが、資金さえあれば、のこの風潮。でFT紙も一ヶ月前だか論評で「立場こそ違えど世界で重要な信頼のおける経済紙」とし てFTと対峙するDJ傘下のWSJ紙がもし編集方針が変れば世界のビジネス界にとって損失、と(FT紙は具体的にマードック資本による買収で紙面変質とは 言及せず)。で左丁山氏曰く、WSJ紙といえば自由主義経済で保守派を代表し選挙では共和党支持。マードック氏によるDJ社買収に政治的背景があるかどう かは別としてもマードック氏といえば最近「左傾」傾向にありヒラリー夫人とも昵懇。来年の大統領選挙時にWSJ紙がヒラリー候補応援となれば、NYT紙が 伝統的に永遠に民主党支持なのだから、(影響力のある新聞の政治的傾向がリベラルとなれば)誰がホワイトハウス入り果たすかも明らかでしょう、と左氏。
▼信報からの引用ばかり続くが(どうせあまり読んでいる人も少なかろうし日本語での紹介などアタシのほかないだろうから)、香港特区成立10周年でマスコ ミでコメント目立ったのが董建華と並んで財政司から失脚の梁錦松君。失脚は具体的には税制改正での自動車税増の直前に自家用車購入が世論の批判受けて、で あったが、本人今になって「暴露」したのは、実は02年に香港が不況の極みであった時に董建華に対して梁君、香港ドルのPEG制度放棄を提案。これが北京 中央の反対に遭い梁錦松君解任、と。信報のこの論文の書き手(名前失念)は、一国両制というが、中央と香港の利益が衝突した場合に香港の利益が犠牲となる ことは明らかで、董建華が北京の傀儡として香港を売ったようなもの、と手厳しい。が、確かに梁錦松のこの暴露を知ってふと思うのは、PEG制の導入が 1983年で、ちょうど中英交渉の最中(翌84年に合意)。PEG制導入は明らかに中国に返還される香港の経済的安定保障するための創造物。だがよく考え てみれば実は香港ドルの保障でなく人民元安定が背景にあるわけで、たかだか「地方自治体の出納長」が国家経済の通過基盤にかかわるPEG制の継続の云々に 口出し、は即刻、更迭、も当然か。だが梁錦松君、失脚でもちゃんと中国のオリンピック飛び込みの国寶、伏明霞嬢を妻に娶ったのだから金メダル。

七月廿四日(火)今月四日の中国愛樂樂団(中国フィルハーモニックオーケストラ)の香港での演奏会。郎朗がピアノ共演で爆満のところ急きょ郎朗の出演中止 で殷承宗(http://zh.wikipedia.org/wiki/殷承宗)が代演。この演奏の模様が先週土曜日にテレビ放映され録画したものを昨晩 遅くに見る。ピアノ協奏曲「黄河」、殷承宗のピアノ演奏、もう「革命的」としか表現できず。音は大きく外すし奏法も素人目にも「えっ」と驚く鷹揚さ。だが 文革も生き抜いた革命家としてのピアノ奏者であるから「これでいいのだ」なのだ。曲も革命賛歌の「黄河」を上品に弾いても仕方なかろうし。それにしてもこ の協奏曲「黄河」あらためて聴くと、かなりラフマニノフ的なフレーズや展開多し。この殷承宗がリストの超技法とか弾いたらどんなことになろうか、と想像す ると背筋ゾクゾク。で本日、早晩に中環のColorsixにて写真現像受け取り。いつもならFCCで一飲だが猛暑にFCCまで歩くも厭い早々に帰宅。ドラ イマティーニ一飲。The Economistだの新聞の切り抜き読む。Z嬢に借りた中村美繪『嬉遊曲、鳴りやまず』を少し読む。斎藤秀雄傳。
▼齋藤秀雄が留学した1920年代の伯林は伯林フィルにフルトヴェングラーが登場し州立オペラはブルーノ=ワルター、で国立歌劇場にエーリッヒ=クライ バーという全盛期。齋藤はチェロをライプツィヒ王立音楽学校教授でゲヴァントハウス管弦楽団の首席チェリスト、ユリウス=クレンゲルに学ぶ。このクレンゲ ルについて齋藤秀雄は後世、たった一度だけ師匠の思い出を認めた、という。バッハの無伴奏チェロ組曲を習う時に、齋藤は当然、クレンゲル先生が指使い書い て出版した楽譜を使ったのだが先生は「この指使いはパブロ=カザルスの方がずっと好い」といって自分の指使いを消してカザルスのを書き込んだ、そうな。齋 藤はこの「先生のこの己を空しうする態度」に感じ入った、と音楽雑誌「フィルハーモニー」1929年3月号に書いた由。ところで余は個人的にこのバッハの 曲を「無伴奏チェロ組曲」というのが厭なのだが斎藤秀雄はこれを「バッハの六番の組曲」と呼んでいたのを知る。この呼び方は後世残っておらぬようなのだが 「バッハの六番の組曲」は余は個人的に好む。
▼星巴珈琲についてWilliam鄧達智君が信報の随筆に書いている。星巴珈琲を仏蘭西、伊太利では「あんなもの」と嗤われるがWilliam君は十数年 前にカリフォルニアで始めて星巴珈琲店に入った時の快適さの衝撃、そして北京首都空港で飛行機待つ間に空港内に星巴珈琲があることが首都空港のかつての劣 悪な環境考えればいかに幸せなことか、と論ず。御意。「珈琲があれだけの値段するのだから快適な環境など当然」と言えばそれまで、だが、首都空港の搭乗待 合場所が薄汚いばかりか不潔で、さらに殊更不味い珈琲や菓子が何十元とスタバどころぢゃない高値で売られていたこと考えれば、今のスタバのほうがずっとマ シなのは確か。
▼The Economist誌に“Longing for Lionheart”という記事あり“Political nostalgia for the Koizumi era, but is it really over?”と今週末の参院選挙で自民大敗、安倍失脚の場合に小泉三世復位ありやなしや、と。安倍の右寄り姿勢に世論反発あった場合に(ポスト安倍狙う麻 生君は「右」であることで今回は外れ)「自民党か中国共産党か」のお家芸で中道への軌道修正図り福田康夫君首班指名ということもあり得るが(あくまで中和 作用のリリーフとして)、隠居のように静かにすればするほど小泉三世の存在感が注目され、この記事の最後は猪口邦子の小泉の「自民党内の影響力は日増しに 強まっている」というコメントで結ばれてる。この「小泉さんなら」も安易なら「岸のあとの池田」「金権政治のあとのクリーン三木」と同じ「所詮リリーフ」 での福田首班もあんまり。この自民党体質の改善のためには民主党政権もあり、か。だが個人的には、もしかすると自民党以上に烏合の衆たる民主党の体質=極 右から旧社会党左派まで、に疑問かなりあり。結局、自民党の旧宏池会的なところにお願いしておくのが無難、となるのが余の「あまりにも日本的な」結論なの かしら。
▼このThe Economist誌に“Accounting for good people”という記事あり興味深く読む。余にとって、大学のMBA(経営学修士課程)と比較文化論講座とならび「お世の中でよく理解できないもの3 つ」の一つが公認会計士の横行跋扈。ことにBig 4といわれるDeloitte Touche Tohmatsu、Ernst & Young、KPMGとPricewaterhouseCoopersについて。この4社で世界中で50万人を雇用。世界を跨ぐ大企業は多いが、他の業種 と異なるのは会計会社の場合、まさに人材が最大の会社の資産であること、と。それは確か。だがアタクシが最も不思議なのが監査費用が当たり前のように毎年 高騰してゆくのだが、香港であれば「中国での会計監査需要の高まり」による人材不足だの「国際会計基準の導入」といった名目で、否応なし。何処まで何が本 当なのか。懐疑。だが記事によればDeloitteを例にすれば現在8.5千人配置する中国地区(台湾、香港を含む)を2015年には20千人体制に規模 拡大の予定。と言われれば成程、人材不足は深刻か、と思うのだが、四大監査法人の利益率が収入の15〜20%と聞けば(通常の企業のそれを5%とするな ら)「やはり監査報酬が高過ぎる」という結論に至る。

農暦六月十日。大暑。新界西貢のゴルフ場にてキャディー熱中症で死亡の由。当地の気温摂氏35.5度。朝日新聞で加藤周一氏の夕陽妄語は「真夏の夜の 夢」。もうこの夏恒例の題で何度=何年読み続けているのかしら。今夏は教育について。「ゆとり教育」と称して、ただ教科書を薄くし事業時間を短くしても、 教科書の文章が濃縮され同じ内容の記載が短くなれば、子供はそれを理解するのがより困難になり理解度が落ちる、と。御意。その夕陽妄語の隣に梅原猛氏によ る河合隼雄の追悼文あり。これが良い。40年程前に小料理屋で一人、酒を飲んでいた梅原猛に中居が「二階のお客さんから」と手紙を届ける。表に「怨霊様 へ」とあり、裏には「丹波の土蜘蛛兄弟より」とある。この丹波の土蜘蛛兄弟が丹波篠山出身のサル学者の河合雅雄と隼雄の兄弟である、と梅原先生は合点。い い話。いい話といえば、母よりのメールに、暑い最中、浅草の天麩羅や「まさる」訪れた母。ところが「まさる」は「本日近海もの入荷なし本日休業」の張り 紙。ウチは東京湾でとれた近海ものしか揚げないよ」ってか。「まさる」はアタシは「タレ」が多いのがちょっと閉口したが、さすが江戸前。もう一つ、母より 奈良斑鳩の懇意にさせていただくお寺の住職さんからのメールを転送される。「千の風になって」という曲、つい最近になり新井満氏が作者不明の 英詩から訳し曲がつけられ、という曲の出自を知る。「死者が風に、光に、雪に鳥になってあの大空の中に生者と共にある」というのは「美しい詩」でしょう し、あの惨禍の被害者云々となると、もはや「何も言えない」。が奈良は斑鳩のある寺のご住職が敢えて、この曲について書いていらっしゃるのを母より送られ る。ご住職曰く、
美しい発想ではあるが、親しい方を失われた方が心の整理もつかない中に「私のお墓の前で 泣かないで下さい そこに私はいません 眠って なんかいません 千の風に 千の風になって あの大きな空を吹き渡っています」という歌を受け入れることが出来ましょうか。(先日、妻をなくされた)一年 間家事一切についても妻から教育されたと言われる方にとって、家の何処かに、少なくとも自分の手が届き得る世界にいてくれているという認識以外の何物でも ないと思います。何年か経ちますとこの詩の中に亡き人を生かし得ても、それまでは「お墓の中に」「お仏壇の中に」と身近に共に生きているのだという意識に 支えられて生きておられるのだと思います。柳田国男さんが「祖霊は子孫の田畑の見える山の上におられる」と言われるように、世の中が時代と共に変化の部分 が多くあっても亡くなった方への想いは変わらないのではと思います。「千の風」はややもすれば、忘れがちな祖先を想い出すために吹いている風と思ってお盆 をお迎え下さい。

と。ヒトの逝去といえば、新潟の地震で10人目だか11人目だかの、地震が原因で亡くなった方が出る。被災地や甲子園の予選でも黙祷。亡くなった方は不憫 だが、なぜこうも「祀られる」或いはマスコミに取り上げられるのか、とふと思う。生前はこういう方でした、と。同じヒトの死でも交通事故の場合「亡くなっ たのは神奈川県相模原市の56歳の会社員で」と済まされる場合も数知れず。同じ一人のヒトの死がなぜ扱いがこうも違うのか。ふと「加害者の存在の有無」が 気になる。この新潟の地震といえば柏崎の原発での事故について。これも不思議。もし地震など天災が影響で同じ原発での事故が「中国や北朝鮮の原発で起き た」場合、柏崎での事故でのマスコミの「冷静さ」に比べ、マスコミはどれだけ大騒ぎするか。Z嬢曰く、鳥インフルエンザでも韓国の養鶏場で鳥インフルエン ザが発生した時に韓国から成田に到着の飛行機のシートを消毒していたが、それじゃ茨城の養鶏場で鳥インフルエンザの時に「上野駅で特急スーパーひたちの座 席を消毒したか」と。御意。所詮、悲しみ、とか、危機管理であるとか安全の認知などこの程度のもの。
▼香港身分証。IC身分証への交換が大々的に行われてから三、四年。ですでに合金の勤続チップ表面にサビが生じてデータ認識不能のカード現われる(笑)。 粗忽。マイクロチップも香港で開発され世界中の交通機関で利用され大成功のオクトパスであるとか、実は十年有効の薄型電池まで内装されていると噂される日 本国旅券であるとか、マイクロチップは「見えない」ことで摩耗や金属疲労といった物理的な劣化が防げているのだが、香港のIC身分証は金属面の露出で、こ れは登場当初より指摘された問題。それが現実に。

七月廿二日(日)旅先に目覚し時計もつけずとも朝六時過ぎには目覚め七時過ぎホテルの餐庁にてクロワッサンと珈琲で軽く朝食済ます。雲一つなき快晴。猛暑 猛々し。居室にて晝近くまで寛ぐ。孫文「三民主義」続き読む。NHKの衛星放送で「熱中時間」なる番組眺める。日本全国の標高50mくらいの低山登山に熱 中する加藤浩二なる登山家氏登場。アタシらのいま居る、この望廈山が標高60m、マカオにはコロアネ島にしろタイパ島にしろ、このような50m級の山いく つもあり。チェックアウトし手荷物一つ預け出街。猛暑の下、望廈墳墓。19世紀中葉の西洋人の墳墓少なからず。瑞典、独逸、和蘭といった国々の墳ばかりで プロテスタントかしら。炎天下。地 場の中国式の墓石を眺め歩く。墓石に埋め込まれた顏写真、若い人の死にはどうしても目がいくが、同じような墓石で三人の若い男性の墓が三基並ぶ。1966 年の「一二・三事件殉死者、とあり。1966年という年から文革の影響での左派「暴動」か、と察す。後ほど調べてみるとその通りで日本語ではさすが和仁廉 夫さんがこれについて記述あり(こちら)。 Ave De Sidonio Paisの通りに出る。晝をいぜんから一度食したいと思ったのがマカオにて「土生餐」=地場料理と名乗るRiquexó(利多自助餐)なる食肆。こ の通りにあるが場所柄これまで来る機会を逸す。今回は望廈に投宿し至便。晝の開店までまだ少し時間ありRiquexóの筋向かいにある mercado superに入る。ここが市街中心部のPavilionなどよか葡萄牙食材など充実。Riquexóに晝を食す。古めかしい雑居ビルの奥、 何の飾り気もない鄙びたセルフサーヴィスの食堂。客もマカオ土着の中葡混血の、老人、それも日曜の晝だというのに独り者少なからず。鴨飯、豚肉そぼろ、カ ルドヴェルデのスープ……簡素ながら美味なるマカオ風の葡混血料理は秀逸。炎天下、市街を繁華街に向け散歩。国父記念館の前を通る。庭に孫中山博士の銅像 あり。孫文の「三民主義」読んでいたのも偶然なのだが。市街の荷蘭園大馬路(Ave do Conselheine Ferreira do Amaro)は三車線ほどの東北に向いた一方通行の通りだが基幹道路。それが坪石総合体育館前広場の拡張で道路遮断され迂回になっていて昨日かなり驚く。 それでなくとも道路事情の悪いマカオでこの基幹路遮断とは……。それが今日、そこを歩くとなんと広場を潜る、それもわずか300mほどの距離に地下道路建 設しており今日がその開通。いやはや。禮記で小豆の凍菓子を 頬張り涼を得る。市街中心部(Centro)の恐ろしい数の観光客の間を縫って澳門珈琲に辿り着きエスプレッソ喫す。Centroの路地の美味な珈琲 供す店 ながら日曜の午後だというのに閑散。それに比べCentroの星巴珈琲の混雑。奇 を衒った珈琲が人気、ということ。關前正街の路地など少し歩き、Pavilionスーパーで食材買物(晝にRiquexóの近くで見つけた スーパーには寄れず)。ホテルに戻ろうと8系統の路線バスに乗ればマカオらしく市内ぐるぐると、海軍倶楽部の前は三度も抜けて!ホテル近くへ。荷物受け取 りフェリー乗り場行きのバスが通るバス停へ。ここに普濟禅院(観音堂)あ り参拝。また市内をぐるりと周遊しフェリー乗り場へ。香港へのフェリー、余は予め前売り券購入していたが、当日券は増便があっても90分後という混みよ う。17時45分発のフェリーに乗ると素晴らしい快晴で大気も澄み渡り東の水平線に香港のランタオ島がくっくりと眺められる。フェリー出てしばらくすると 今度は屯門市街の高層マンションまで一望。驚愕。ランタオ島の山々の勇姿間近に眺めながら香港に戻る。
▼米国政府がライターは航空機でのテロ行為に直接の危険性が見られないとして飛行機登場の際のライター持込み禁止を緩和。日に処分されるライターの数が (米国だけ?で)22千個、その処理利用に(年間だろうか?)四千万米ドルかかるとうな(風呂に入りながらニュース聞いていたので数字曖昧)。テロ、テロ と馬鹿騒ぎ。

七月廿一日(土)快晴。猛暑至極。Z嬢とマカオに遊ぶ。午前十時フェリーで澳門着。タクシーで宿泊先のPousada de Mong Ha(望 廈賓館)に向う。Pousada de Mong Haは珠海とのPortas do Cerco(關閘、関門)に近き澳門市街北にある小高き望廈山(標高60m)の中腹に位置す澳門旅游學院が学生の服務研修用に営 む宿泊施設にて澳門では意外と人気でこれまで二度満室で予約出来ず今回初めて投宿。今 回宿泊のSuiteは居間と寝室の他に部屋に入るとまず次の間ありの三室。部屋は簡素なれど充分な50平米ほどの広さ。荷物置き猛暑の中、出街。望廈山の 麓の観音古廟に賽す。肌を炒る陽射し恐れ日傘に隠れ隠れ紅街市(Edifício do Mercado Vermelho)。澳門有数の歴史ある街市にて1936年建造のモダンな煉瓦作りの紅色に塗装された建物ゆゑ「紅街市」と云はれる。何ともいえぬ活気あ り浅草紅鯨団ならぬ澳門紅街市。26系統の路線バスで一路、コロアネ島目指す。Taipa過ぎ砂塵舞ふ殺伐とせしコタイ(路氹)の埋立地に建造中の数々の リゾートカジノの威容、異様。大陸の民を誘いカジノでの一獲千金の夢に巻き込み身ぐるみ剥いで銭を巻上げるラスベガス資本の賭場、賭場、賭場。 かつての海鳥の遊ぶコタイの泥地を彷彿す。コロアネ島の路環にてRestaurante Espaço Lisboaに昼を食す。ご亭主、宿酔か気分優れぬ表情。浅蜊のソテー、蛸のサラダ、葡萄牙風のビフテ キ。……全てZ嬢と半分ずつ。葡萄牙はDouroの白、Planaltoの05年と名前知らずで赤葡萄酒をグラスで一杯。 路環のLord Stow's ベーカリーが営むカフェでエッグタルトとエス プレッソ。25系統のバスで微睡みつつ市街に戻り培生中學の辺りでバス降りて炎天下ホテルに戻る。午睡。午後五時過ぎ市街に漸く日陰も出来ようかという頃 に再び出街。タクシーでマカオ 芸術博物館。余の敬愛するRobert Doisneau写 真展開催中。而も!今月八日の日剰に綴りしマカオ在住のロシア人画家Konstantin Bessmertnyの作品展 Edictus Ridiculum - As Mais Recentes Criações de Konstantin Bessmertnyは11日で終了のはずが展示延長の幸い。一つの美術館でRobert Doisneauとマカオのワケのわからぬロシア人画家の作品が見られるなんて。巴里に遊ぶ谷譲次の如く心、踊る。マカオ芸術博物館、こ のところ訪澳の度に堪能。日暮れ。晩の、芸術博物館に隣接のCentro Cultural de Macauでの音楽会開演迄の間に「軽く何か食そう」と区画整然たる埋立地の一角で一瞬、路頭に迷う。がZ嬢が「餃子屋でもあればねぇ」と呟く。マカオと いえばアタシらにとって北方餃子であったが、かつて贔屓の「北京水餃」はもうすっかりダメ。でとぼとぼと歩き出すと区画整備された地区に松花江水餃という看板あり晩六時過ぎとまだ早い時間に客が数組入るを見 て「まんざらでもなし」とこの食肆に食す。白菜だが「虎の如く凄まじき辛さ」の老虎菜と木耳の酢合えを前菜に澳門麦酒飲む。辛いのはいいがアタシらには鹹 すぎ。店員も客もR化せし口音の北方系ばかり。韮菜水餃は美味いのだろうがMSG強烈。個人的にはダメ。嗚呼、今晩も夜中に喉が渇くのか、と憂鬱。冷麺。 Centro Cultural de Macauに戻り上海出身のバイオリン奏者、黄蒙拉(Huang Mengla)の演奏会。2002年のパガニーニ 国際ヴァイオリン・コンクールで優勝。合奏のピアノはJeremy Youngなる英国の奏者(これがなかなか)。曲はサン=サーンスのヴァイオリン・ソナタ第1番ニ短調、ブラームスのピアノとヴァイオリンの為のスケル ツォ・ハ短調、中入り後にプロコフィエフの「三つのオレンジへの恋」より行進曲、パガニーニの「わが心は最早、虚ろになりて」による変奏曲、と「24の奇 想曲」より(余はどれかわからぬが)一曲、サンサーンスの序奏とロンド・カプリチオーソ・イ短調作品28、で最後がサラサーテのカルメン。黄蒙拉というこ の若干27歳のバイオリン奏者、超技法。アンコールに「24の奇想曲」より一曲と更に客の拍手喝采に応えプロコフィエフの「三つのオレンジへの恋」より行 進曲を一曲。演奏会終わり8系統のバスに乗る。ホテルの方へ真直ぐ向うのかと思えばさにあらず。旧市街を古き良き時代の映画館の佇まい残す永樂戯院から渡 船街(Dua Da Barca)を抜ける。この周辺、細い通りに小さな広場いくつかあり金曜日の遅晩に老若男女、街頭に繰り出し路地に遊ぶ態、中上健次の路地の世界の賑わ い。香港にも今は見るも稀な光景。ホテル近くでバス降りて望廈の小高き丘をホテルに坂道上る。汗でぐっしょりだが望廈山の頂上には砲台あり「どうせだか ら」とホテル通りすぎ公園の中を頂に登る。標高60mとはいえマカオでは周囲一望の高台。夜風心地良し。暗闇の砲台には十代の若者ら数組が遊ぶ。眼下に競 狗場でドッグレース開催中。客あまりに閑散。半輪の月も見事。ホテルに戻りフェリーの中で読み出した孫文の『三民主義』続き読む。
▼香港で歴史的な豚肉価格高騰。中国よりの供給不足。街市にて生鮮豚肉扱う肉屋の店先に必ず「五豐行」の商標板掲げられる。「五豐行」は香港にて1951 年より中国産豚肉輸入業務を独占の中共系企業。中国政府外経貿部より認可受け内地からの食品輸入一手に扱い、且つ中国糧油食品輸出入公司の香港の総代理 店。豚肉は100%の独占。現在は上場会社・華潤創業に属す。今回の豚肉価格高騰に合わせたかのように、香港政府が広東省政府系の廣南行と地場会社の豚肉 卸業参入認め独占崩れる。豚肉価格は下落する見込みの由。

七月二十日(金)諸事忙殺されるが強制終了し早晩に天后廟に賽す。ヴィクトリア公園に遊ぶ。涼風心地良し。木陰のベンチにて新聞読む。中学の時の恩師K先 生より突然、携帯に電話頂きK先生は余の胃の具合心配される。母が今晩K先生宅に招かれK先生自慢の鰹のなめろう頂いているの由。公園のプールに泳ぐ。見 事な夕暮れ。帰宅して비빔밥食す。

七月十九日(木)日本共産党の宮本顕治元議長逝去。享年九十八歳。天寿全う。余が幼き頃より共産党の指導者であったが図書館で宮本百合子との獄中書簡を読 み文人としての宮本顕治の存在に驚いた、それがいつだったか、高校の頃かしら。啄木の「ココアのひと匙」で
われは知るテロリストの かなしき心を……
を読んだ前後だけ記憶に残る。幼き余の身近には国文学者にして左翼のような人少なからず、であった昭和の時代。本日、諸事忙殺され晩に至る。帰途N氏とご 一緒したが車がQuarry Bayの悪所近く通り抜け半ば軽口でハッピーアワーお誘いするとN氏も応じられEast Endに結局エールを3杯ずつ。N氏ご自宅に電話して奥様への「だいたい、すぐ帰る」の一言が妙に可笑し。「だいたい、すぐ帰る」は帰宅途中にちょいと一 杯の、オヤジの非常に微妙な心理を言い得て、妙。N氏から河合隼雄氏逝去を聞き突然、心理学の話となり河合先生のユングでもなくフロイトでもなく岸田秀の 『ものぐさ精神分析』に青春時代のノイローゼ気味の時に救われたことあり、という話するとN氏も『ものぐさ』の愛読者でその話から盛り上がり、あっという 間に3パイント。帰宅してパスタ食す。
▼昨日読んだ信報月刊7月号掲載の柯小衛氏による 父・柯在鑠(中共の外交家、中英合同連絡委員会の中国側首席代表)追悼記より「ちょっといい話」一つ。1984年の中英合意で中国外交部の香港マカオ弁公 室の代表となり英葡両政府相手に返還問題の談判に当たる柯在鑠氏。1988年というから柯氏60代前半か、中国から香港訪れた息子(柯小衛氏、も30代後 半か40代であろう)を忙殺される仕事の合間に連れて出かけた先が海洋公園。香港らしい海と山のその娯楽施設を息子に楽しげに案内する中国政府の香港マカ オ弁公室室長。許家屯氏もそうであるが89年天安門前の印象。柯小衛氏は香港の清潔さと社会的秩序に深刻な影響受けた由。
▼ダウジョーンズ株のインサイダー取引で李國寶君が米国当局からの提訴ありや、なしや。本人は当然、インサイダー情報提供は否定。だが本人がダウジョーン ズの非執行役員で、香港の親しい財界人が1.5千万米ドル投資でダ社株41.5万株買い数週間の間にマードック君によるダ社買収発表されるとその財界人、 ダ社株を2.3千万ドルで売却し800万ドルの売却益せしめているのだから、誰が見てもクロ。だが香港代表する財界人が米国で有罪判決で収監とはまるで思 えぬが。それにしても李兄弟、弟は教育統籌局局長より事実上更迭され(辞任後は旅行中だかで香港ですっかり姿見せず)兄は兄でこの態。
▼外相麻生太郎君の選挙応援演説から。
自民党というといろいろ言われていますが、しょせん自民党だって人間がやっているんだから、完璧なことはないんですよ。奥さん、亭主を思い出してみて。 まったく欠点がない、100点満点と本当に思っている人?いたらよほど運がいいか騙されているかどっちか。だから安倍晋三の欠点をあげればいくらだってあ るよ。だけど良いところ見てもらえれば。9ヶ月で、小泉純一郎もできなかった教育基本法が通ったのよ。
……と。呆れて言葉もなし。

七月十八日(水)松井今朝子女史直木賞受賞。女史の時代物未だ読んだことなし。ただ歌舞伎のその筋では作家になる前からよく知られた方。ブログだけは丹念に読み続け、どうしても二つだけピンとこないのが京は祇園の「川 上」のお嬢様の印象強い女史が家での食事を「QPで見た料理」でささっと済ます、祇園とQPのギャップ、それにあの細身で趣味が乗馬。失礼ながら騎乗の姿 がピンと来ず。それにしても女史の昨日のブログ読めば、東京會舘の記者会見場へ直行、その後(文藝春秋の関係者に)いわゆる文壇バーに連れていかれ(築地 の新喜楽からバーに河岸をかえた)選考委員のWJ氏、KK氏、AT氏、AJ氏にお目にかかってシャンパンで乾杯し、すぐにそこを出て麻布のバーで各社の担 当編集者の方々と……ってのが、いかにも文壇。文壇というと聞こえがいいが、たんに文学者の政界、か。本日、早晩にペニンスラホテルのバーに往く。香港美 術館に参る前に暫く前の信報に張圖という人が綴りし「汴京的哪個角落」と信報月刊今月号の「《清明上河圖》寫一個繁華夢」を読むため。ドライマティーニ。 久しぶりだがバーカウンターに坐るなりサブのバーテンダー氏が“Gin martini with lemon peel twist, right sir?”と。嬉しいねぇ。宋は徽宗の大観年間(1101〜1110)に張擇端という画家により描かれたと云う清明上河圖(http: //zh.wikipedia.org/wiki/清明上河圖)は北京故宮博物院所蔵の国宝 (中共では党宝か……)で通常は門外不出。今回、香港特区十周年にて清明上河圖など数十点が<國 之重寶>として香港にて展示さるる。北宋の都、汴京(現在の河南省開封)を流れる汴河の両岸と城門内外の生活風景を描いた図巻。描かれた当初は宮 廷に献上されたが元の頃から巷に流出し様々な人の手を経て(よくぞ行方不明にならず)明代に宮廷に戻され清末には愛新覚羅溥儀により「満州国」に持ち出さ れる。戦争の混乱で一旦は行方不明になったものが1950年に東北博物館で発見され北京故宮博物館に収まる。汴河に架る虹橋が両岸の都市の境界で市場が建 ち、詳細に見ると生活区と倉庫や運輸の並ぶ地区と中世都市の区界が見え社会史的にも面白いもの、と学ぶ。この二編と信報月刊の先月号に続く柯小衛氏による 父・柯在鑠(中共の外交家、中英合同連絡委員会の中国側首席代表)追悼記を読む。そろそろ丁度いい時間か、というのはその香港でのこの清明上河圖が香港美 術館で公開展示中。七月と八月上旬までの40日のうち前半は張擇端のこれ、後半(七月下旬から)は仇英款の臨清明上河圖が特別展。で今日は前者だが入場者 殺到=盗難?恐れられ一時間に250人の入場制限で予め時間指定の入場券購わねば当日券はもはや前半の展示は売り切れ。で午後六時の入場で「そろそろ丁度 いい時間か」とペニンスラのバーを出ようとするとバーテンダーもなかなか狡いもので「もう一杯如何?」と勧められる。勧められると断れぬのが酒飲みの性で 「それじゃもう一杯」と二杯目のドライマティーニ。まぁ六時丁度に出向いてもどうせまだ五時台の客が見終わらずか、と思ったが酒飲みの酔った直感は馬鹿に 出来ぬもので六時廿分位に美術館に入れば清明上河圖の特別展示会場は長蛇の列。で結局、清明上河圖の実物拝むまでに小一時間。作品や作者の簡介だの各段の 解説展示など読みつつ清明上河圖が絹絵の部分よりなんと関係者による跋(題記、前書き)の多きことか!と勉強。で漸く清明上河圖に近づけば、なるほど廿人 が一組に束ねられ参観時間は5分限定で「立ち止まらないでください」は日中国交回復での上野公演のパンダ見物の如し。五分の間に清明上河圖の虹橋までの前 半部を急いで見て、見終わるとまたその廿人の列の最後に並び直しのぐるぐる巡りで五分などあっという間で追い出される。なんだかよくわからぬまま。ただ、 清明上河圖が現物は予想以上に絹地が黒ばみ、而も作品保護のため証明もかなり落としてあるので、目を凝らしても不鮮明な世界。精緻なのだが個々の民衆に、 たとえば広重のような人の躍動感や、安藤光雅の「旅の絵本」のような各所の物語性も乏し。そういった事を実感できただけ一時間並んで五分見ただけの甲斐も あった、と思う。この清明上河圖、北宋の汴京の賑わい、といわれるし、宋の時代に清盛の日宋貿易のように商業勃興とは歴史に習へど、この図巻の動きの無 さ、ふと、これは汴京でなく「こうあるべき」の象徴画ではないか?とすら訝しく思う。清明上河圖を見終わり本来なら、寧ろ清明上河圖の他に北京より運ばれ たる国宝級絵画や書の数々をゆっくりと鑑賞したい、と思ったのだが清明上河圖に一時間以上要し、午後七時半より美術館隣の太空館にて周凡天氏の古典音楽鑑 賞講座あり、後ろ髪ひかれる思いで清明上河圖以外の作品はほぼ素通り。隋の佚名の書「章草出師頌卷」から唐の崔白「寒雀圖卷」、元の倪瓚「竹枝圖卷」など ゆっくり眺めたくも清明上河圖の入場制限ほどぢゃないが各の図絵に十数人ずつ順番待ちでとても待っておれず断念。残念。で太空館の周凡天氏による「解剖世 界名曲進入音楽世界」の講座拝聴。先週は招飲の約あり一週欠席での今晩が三回目はチャイコフスキーのピアノ曲集「四季」より「舟歌」とショパンの英雄ポロ ネーズの二曲を紹介しながらの「複雑の開始」と題してのA-B-A、或いはaa'-bb'-aa'という一つの楽曲内での展開の複雑性を周凡天氏が語りた るが90分をこの舟歌と英雄ポロネーズの二曲で複雑性語るには鳥渡、話がもたぬ点も正直なところ、あり。ポーランドで生まれ巴里に旅居のショパンが愛国心 で云々、といった話はわざわざ周凡天氏の「古典音楽解剖」で聴く筋に非ず。帰途、ジムに一浴。

七月十七日(火)早晩に太古城に往きZ嬢と映画見る。我ながら“Harry Potter and the Order of the Phoenix”(邦題:ハリー=ポッターと不死鳥の騎士団)見ることになろうとは。カード会社よりUA映画館お二人様無料券貰ひ、まさか「ドラえもん」 だの「ケロロ軍曹」見れもせずハリー=ポッターかDie Hardしか選択肢なし。ロードショー公開の商業映画など年に一、二本見る程度だがアクション映画なら最近でもMission Impossibleであるとか007を暇に任せて見たこともあり、その意味ではDie Hardか。だがZ嬢と「ハリー=ポッターなどこの機会逃せば一生見る機会逸するのでは?」と案じ「ハリー=ポッターと不死鳥の騎士団」見ることになる。 コーラとポップコーンで雰囲気盛り上げハリー=ポッターみたが見たが「何が何だかさっぱりわからぬ」うちに二時間余、で「さっぱり面白くもない」まま終わ る。前 数作からの物語の筋知らぬ所為もあろうが、すっかり薹の立った主人公も精彩欠きファンタジーと言われてもアタシにとっては幼き頃にみた「チキチキバンバ ン」、と書くと「気違いになったばんばひろふみ」のようだがChitty Chitty Bang Bangというファンタジーの名作あり。余はこのChitty Chitty Bang Bangのミニカーなど有し、他にもサンダーバードのペネロープ号だの恐れ多くも先帝がお乗りの日産プリンスロイヤルだの「そのへんのガキがけして持って おらぬ」稀有のミニカー数台有せしミニカー富豪なり。でChitty Chitty Bang Bangに胸躍らせ「王子と乞食」に今思えばSM的官能感じた余にハリー=ポッターは「たんなるCG使いすぎ」で鳥渡も面白くなし。終わって寿司亭に回転 寿司食す。
▼話は旧聞に属すが華懋集團の総帥、キャンディ=キャンディの異名とる龔如心女史の逝去につき億か兆の財産相続に龔如心は謎の風水師を遺言状で遺産相続人 に指す。この風水師、親族、華懋集團財団の三つ巴で遺産争いとなろうか、というところ龔如心の実弟の開業医、裕福なはずがその自宅が香港大学に近きマン ションの、而も公道下の不法建築部分に住まう、と報じられる(十五日)。而も85平米と「医者にしては苫屋」で公道下で窓なしの暗室。かなりの偏屈者か、 いずれにせよ不法建築部分で地税など納入の記録もなし。奇人の部類か。
▼米国にてドッグフードから食品まで中国産品での化合物添加への不安から“China Free”なる、中国関連無添加の商品出回り始める。かつて日本製品も米国席捲のことありしがデトロイトにて日本車壊す抗議こそあれ「ジャパンフリー」の 不買には至らず。北京政府は国家質検総局局長がこのチャイナフリーにつき「過剰反応。ひとつの不合格品見つかると全部がダメといい民間企業の製品問題を政 治問題化している」と批判。今日の信報は社説で、この局長発言認めつつ北京政府が反応鈍るとチャイナフリーが中国の輸出大国地位脅かすこともある、と指摘 (信報が輸出「大国」という表現使うことも驚いたが)。この社説に拠れば前述の質検総局の調べで国内消費材品目の実に五分の一が不合格で殊に食品は厳重。 食品産業は企業数多く企業の規模小さく、国内に44.8万社ある食品生産会社のうち78.8%が従業員数十人未満の零細企業。とても管理当局の手がまわら ず、と。しかも農業製品の審査は政府の農業省、飲食店の衛生は衛生省、工商総局は食品の流通を監督し、質検総局は食品の生産、加工と輸出を管轄と役所もそ れぞれの基準設け、何より食品安全法が今日まで制定されておらぬ事実。今日の、この社説は「從中國製造至「無中国」化」と題しているが、実はこれは六日の 林行止専欄「没有「中國製造」美人活不下去!」(メイド・イン・チャイナなしでアメリカ人は生きていけるか!)を受けたもの。この専欄で林行止氏の指摘の 要旨以下の通り。
中国の経済成長と輸出大国化で中国脅威論すら叫ばれる。米国の貿易 関係業界紙の記者Sara Bongiorni記者がが“A year without Made in China”なる記録発表しており、2004年の聖誕節に贈物のかなりが「中国製」であったことに着目し、もし1年、中国製品なしで暮したらどうなるか? と発案。まず聖誕節の贈物のうち中国製は25品に対して米国含む非中国製が14品。この「不買」が中国の非民主制や人権蹂躙に対する抗議でもあり。だが、 この記者のこの本の前書きで経済学者のJ. Naroffが指摘するのは実は米国の輸入(昨年1.7兆米ドル)のうち中国は15%余に過ぎず。他の先進国や日本から耐久財を輸入し、中国からは日常消 耗品が殆ど。そういう意味では中国は廉価なる消費品の提供で米国家庭の家計を扶けているのも事実。前述の記者が05年の聖誕節では中国製品買わぬために、 と自宅で贈物のハンドメイドに挑んだが布や針まで中国製が現実、と。米国がいつの日か中国製の抗生物質だの自動車、飛行機を購入する日が来ることを待とう ではないか、その時で遅くもなし。
林行止氏にしては珍しく民枠的な対米不愉快。実はこの林行止氏の専欄の主張も前談あり。それが前日(五日)の關愚謙博士(ハンブルク大学)による愚公専欄 の「皇帝不急「太監」急」を受けたもの。(アタシも暇人なので新聞を二週も前まで遡れるのだが)關愚謙博士、独逸に三十年以上住まわれつつ中国政治に対す る的確な観察は見事。この随筆で語るは下記の通り。
今年、中国の党中央は第17回全国代表大会開催で来年が北京五輪。 社会の安定、殊に世論(言論)の穏定が狙い目。關博士がある原稿で米国を「超級大国」と称しただけで政治的敏感として編集者がこの四文字削る、と關氏は嗤 う。中国脅威論が高まるなか中国は外貨備蓄の削減に海外投資熱も盛ん。だが關氏曰く、貿易黒字という国家純利を海外投資にまわすリスク高し。關氏の知己た る西ドイツのシュミット元首相もこれを憂慮、と。目前の中国は、カネ、カネ、カネと拝金主義の横行。だが「戒急用忍」が肝心。経済成長のなか学ぶべきは欧 州のルネッサンスから産業革命、民主主義熟成への経験であり、その彼らの礼儀と羞恥心こそ中国が見習うべきこと。学ぶべきものは米国の暴力と色情に非ず。
……と關博士。御意。話が長くなるが(というか最早、この一文の書き出しからは到底遠方に来たれども)この關愚謙氏の専欄のこの五日の題名が「皇帝不急、 「太監」急」。中国の拝金主義と海外投資などの勢いを皇帝(中共)と太監(本来は宦官の最高位、明の時代の鄭和もこれ、ここでは「民衆」の意)に喩えたも の。但しその翌日の林行止氏はこの「皇帝不急、太監急」に対して「皇帝だってすでに充分急いでいる」と反論。中国政府じたいのバブルを指摘。この新聞の活 性ぶりを日本の新聞にも期待したいのだが……。

七月十六日(月)早晩に銅鑼湾のTimes Squareに往く。商場内にて黃永玉(1924〜)8月24日—)の作品展あり参観。二年前だか香港藝術館にて黃永玉の傘寿祝う回顧展あり。今 回は商場のl'espace publicにて無料、観る者拒まずの大胆。黃永玉は湖南省常徳県生まれの画家。幼き頃に湘西の鳳凰に移り住み絵画の才覚現す。鳳凰といえば作家の沈從 文。沈從文の知遇を得、彼を表叔とし(なるほどねぇ、と納得)沈從文の建議に従い永裕という名を永玉と改す。廈門に絵画を学び1940年代は香港にも旅 居。でTimes Squareの建物吹き抜け中央での絵画展示会場はデジカメ撮影大会の如し。公開展示であるから致し方あるまいが、作者簡介もなく訝しむ。がエスカレータ にて広場正面に下れば更に大胆にも屋外に黃永玉の塑像いくつも展示あり黃永玉の紹介、年譜などきちんと展示あり。中国代表する画家を紹介する様式として、 これはこれで見事。参観後、夕方の活気溢れる鵝頸橋街市抜けてMorrison Hillの公営プールに往き水泳に勤しむ。七往復で700mは健常者には驚くに値せぬ遊泳距離なれどご幼少の砌より元来金槌の余にとってはかつて命懸けの 水泳で50mプール七往復とは当世の日本語なら差し詰め「自分を誉めてあげたい」距離なり。帰宅してテレビつければ新潟で大地震と知る。90分に時間延長 のNW9、地震関連といいつつ「報道」は何度の繰り返し。信越本線青海川駅が「地震で地崩れで線路が土砂に埋まり信越本線が運行止め」という事実としては 最初の現場中継だけでいいのに番組中に昼の映像に加え現地から二度も中継あり。すっかり「信越本線青海川駅」の名を覚えたり。気象情報では「地震で外れか けた看板が突風で落ちる可能性もあります。注意してください」だの「危険な建物には近づかないように」だのと宣う。地震では火を消す、とか、津波の怖れが あるので海には近づかない、とか日本では常識の範疇のこといちいちマスコミが言う非常識甚だし。で地震以外のニュースは90分で一切ないのに「スポーツ」 だけは野球から相撲まで盛り沢山。一億総白痴とは大宅壮一の明言。90分の地震関連の報道で何が一番凄かったか、といえば女性アナウンサーの被害地の住民 に対する「最新の地震情報を得て、自分の身は自分で守ってください」の一言。神戸の地震で筑紫哲也の「温泉町の湯煙り」発言(こちら)も凄かったが「自分の身は自 分で守れ」も凄ご過ぎ。所詮、テレビの感覚などこの程度。座敷から庭の雪見るが如し。
▼早晩に偶然乗り合わせたミニバスの、運転手の傍らに粗末な物入れ。切り込みなど粗雑さ印象的。かなり愛着あるらしく手を入れて長年の愛用か。子どもがく れたものか孫の作品か。他人なら一目で捨てよう物が当人には大切なる宝物。
▼香港の貧富の格差につき政府財経事務及庫務局(新任)局長陳家強君の発表に拠れば明らかな格差拡大。以下の数字は前者が1996年、後者が2006年。
月収入四千ドル以下の世帯数  124千 206千 66%増
 その世帯の成員数平均    1.7名 1.7名 独居者の貧困
 その世帯の就業者数平均   0.2名 0.1名 つまり貧困世帯の9割は就労収入なし
 そのうち老人世帯数     62千 99千 約半数が老人世帯
月収入が四万ドル以上の世帯数 279千 378千 35%増
 その世帯の成員数平均    3.9名 3.5名
 その世帯の就業者数平均   2.5名 2.3名
 大学卒業者割合       37.4% 46.7%
 家族成員1人の月収平均   27.5千ドル 28.8千ドル
貧困世帯の激増、而も老人世帯や独居。富裕層も増加で貧富の差の拡大明らか。
▼耶蘇の米国羅府大司教区、聖職者による幼き信者への性的虐待めぐる賠償訴訟で6.6億ドル(約800億円)の和解金支払いに同意。過去70年に性的虐待 受けたとする570人が被害賠償求めたもの。「最も崇高であるべき清らかな世界」と思われるから「こそ」の権威者による性的悪戯はまさにフーコー的世界。
▼北京故宮より星巴珈琲撤退。故宮紫禁城に米国連鎖珈琲店あることが中国伝統文化の侮辱か。いぜんもこの日剰に認ためし事は清朝という満族王朝の建立によ る故宮紫禁城はシナ的なる意味での中国伝統とはもともと異質の世界。異質なる場所に異質なる珈琲店の存在はけして奇怪に非ず。ところで今年三月の全人代に 「スタバは即刻、故宮より撤退すべきこと」議案として俎上に上げし議員が「黒竜江省代表の者であった」ことは満族的な意味で納得。星巴珈琲、仏蘭西でも苦 戦の由。さもありなむ。

七月十五日(日)連日の酷暑。海まで一途に走り木陰にてヘミングウェイ読みつつシュガーレスのフローズンダイキリでも飲めば心地よき日、常磐津の発表会あ り朝から夕刻迄会場に詰める。一年ぶりに再会の社中の方々余を見るなり開口一番「痩せたねぇ」と驚かれる。胃を病んでと申せど当世「いかに痩せるか」だけ に関心あり余に労りの言葉もなし。減量ブームの香港で胃潰瘍ダイエットで一旗揚げようか。夕方ジムに一浴し帰宅。更に仕事済ませ八時過ぎに至る。野菜とほ んの少しの豚肉を鉄板に油もほとんど使わず焼きポン酢で食す。多忙続きロクに読書もせぬ日続く。
▼香港特区成立10年で最近報道媒体に積極的に語り始めたる香港マカオ弁公室前主任・魯平氏のテレビ取材に応じての発言、先週末の新聞に掲載あり。十年前 に魯氏、中英合意「反古にせしめ」香港の政治民主化進めし末代総督パッテンを「千古罪人」と罵りたり。十年後の今日、魯氏、パッテン当時が所作所為その全 てがパ氏個人発案の因素に非ず(当時の対中政策の一環に因る、の意)パ氏を頗る高明なる政治家、と賞讃す。魯氏続けて語るに当時すでにパ氏前任のウィルソ ン総督により1270億香港ドルの香港開発投資計画(玫瑰園計劃)ありき。新空港建設など香港の将来に対するインフラ整備と言えば聞こえ良し。裏を返せば 「中国には英国の在港資金は一銭も渡さぬ」の仕打ち。英国は中国政府にこの投資計画事前に一切説明もせず。魯氏憶述するに、当時、この巨額投資の融資銀行 たるHSBCだのシティバンクよりこの大型インフラ投資につき「97年以降の特区政府に返済能力ありや?、担保は如何にせむ?」と問はれたる中国政府、投 資内容、資金源など詳細知らぬままで担保保証どころの話でなし、であった、と。初代行政長官に董建華君選出についても魯氏語る。北京政府が董君推挙に暗躍 は全くなし。董建華の得票率の高さに寧ろ魯氏も驚いた、と言う。董建華なる人については魯氏評するに「正直で責任感はあるが政治家としては力量不足」。御 意。

農歴六月初一。快晴。気温摂氏34.4度に至る。朝に雑用諸事済ませ九龍に渡り観塘の水泳場に昼まで泳ぐ。水遊びに涼どころかプールの水も温泉の如き熱 さ。昼に崇仁街の雲南風味に食す。排 骨米線と紅油炒手。辛味厭う余もこの食肆の紅油炒手美味なれば食指延つ。午後の薮用まで未だ二時間あり十年ぶりかで九龍仔の水泳場で更に一泳。場所も不便 にて土曜午後も利用者疎ら。かつて啓徳空港に着陸の飛行機の轟音直下の此処も今では閑静頗る快適なり。50mのメインプール深さも3.7mあり幼き子少な し。なぜかL字型にて水遊びには最適。午後の薮用済ませジムに一浴し一旦帰宅。晩に所属のランニングクラブにて蛍狩りの余興ありZ嬢と赴く。太古のMTR 站に幼き者含む総勢三十余名集いパーカー山の懐奥深くに入る。日暮れHon Pak Country Trailの小徑沿いの幾筋もの湧き水に棲む蛍を愛でる。蟲語喞々とし新月の空に夏の香港に珍しく星の数々。昼の暑さも忘る如き山風に暫し涼感に耽る。な れど新月の晩に懐中電灯点さずも郊外の小徑歩くも容易なら周囲の山々の樹木の影まで鮮かとは如何に市街照明の強さ山あいに至るかの証左。山下り二更に Quarry Bayの彩雲軒なる食肆にランニングクラブの 連中十八名ほどにて定例会。末席を汚す。冷凍庫の如き寒さの個室に冷房一旦止めれば隙を見て冷房つけむと図る女給との鼬ごっこ。女給が黒服に「この連中、 冷房消しちまうんだから、まったく」と宣うを余の背後に聞き「どっちが客か……」と女給に一喝せば黒服が「まぁまぁお客さん」と仲に割って入りたる始末な り。

七月十三日(金)総領事館に参り参院選在外投票済す。香港では本日より投票開始。十日間だかの投票期間中に二三百人投票の由。在港邦人数二万人として投票 率僅か1%なり。本日投票初日。閑散、否、厳かなる投票場。比例代表制の立候補者名眺むれば吉本か浅草演芸場の色物芸人の如き悪戯た名前並ぶ。比例では期 待のA氏に一票を投ず。余の郷里たる地方区今回改選は二議席。其処は田中真紀子に自民党総裁選で「凡人、軍人、変人」のうち軍人と称されし梶山静六が地盤 と聞けば自民議席独占の土俗的なる自民王国かというとさに非ず。保守的なれど参院地方区は社会党左派の矢田部理君四期廿四年に亙り自民党と議席分つ。保守 も梶山君とて先の大戦の悲惨さを心中深く刻めば、の本来の国士。安倍晋三君の如き若造が集団的自衛権などと宣はれるのとは大違ひ。で今回選挙も自民1、民 主1で分け合い確実。そこで日本革命党の候補に一票投ず。ふと気づけば平成十二年衆院選挙から在外投票既に六回。在外選挙人証に選挙投票記載欄七回分の み。あと一回で再交付どうすればよいか?と地元の田舎選挙管理委員会に電話で問う。故里の訛り懐かし(くもないが)職員が「名前教えてくれますか?、申請 用紙送りますから」と。苗字のみ伝えれば「わかりました」と人口26万人だかでいったい何人が在外登録か。晩に銅鑼湾。某待合にて寄合あり末席を汚す。帰 途バーSに独り飲む。ヰルキンソンソーダでハイボール。M君現われたり。M君よりの招飲の約に目を病みと断りしは四月末。爾来の欠礼詫びる。金融投資生業 とせむM君前にストレスで胃に潰瘍がと余が語るも恥かし。ライカレンズの話など。M君待ち合せの友人参られ余は早々に席を辞し帰宅。

七月十二日(木)安倍三世メールで曰く
大リーグ・オールスター戦で、イチロー選手がMVPに輝きました。 果敢に本塁へと飛び込んだランニングホームランには、スタジアムの中だけでなく、テレビで見ていたすべての人が、魅了されたに違いありません。イチロー選 手は、前日の会見で、「見ている人に楽しんでもらえることが、僕にとって一番大事なこと」と語っていたそうです。高いプロ意識を感じさせる言葉ですが、あ のプレーは、まさにその言葉どおりのものでした。どんな状況にあろうとも、自らのなすべきことを見失うことなく、そして、それを必ず成し遂げる。イチロー 選手のプロ意識に、身の引き締まる思いでした。
小泉内閣時代には北朝鮮で欣喜雀躍が安倍三世。彼の首相就任イチローの如く注目集めヤンヤの喝采浴びたかろうに。「どんな状況にあろうとも、自らのなすべ きことを見失うことなく、そして、それを必ず成し遂げる」なる首相の決意寂しく響きたる参院選公示の本日。昨晩の痛飲でさすがに宿酔。湾仔にて「やっつ け」で晩飯済ます際に食す茶餐庁その一角の再開発で数軒まとめて閉業。薄汚き食肆追い出し集客力ある洒落た飲食店街に変貌か。湾仔の三里屯など飲食店並べ ども何処も盛況とは言い難し。遅晩帰宅後も何かと雑事あり多忙甚し。
香港社區組織協會。公共団地等の住民対象の民生 団体。本来は民生改善が事業なれど昨今の公共団地「再開発」の煽り受け戦後の難民 アパート自り公共団地に至る「我々の記憶留め置く」活動盛ん。数ヶ月前九龍石硤尾邨が公共団地解体に合わせ「活在西九」なるワークショップ開催。掲載の画 像、石硤尾の団地での撮影か住民の中にこの活動に積極的に携われる畏友・歐陽應霽君の姿あり。更に気づきし事は写真右端欄干に掛るVIVREと読めるであ ろうビニール袋。明らかにマイカル系ファッションビル「ビブレ」 のロゴ。香港にヴィブレ不在ず。住民が横浜か京都河原町か福岡天神か何処かビブレで買物かと察す。それだけ、と言えばそれだけの事なれど石硤尾が団地建立 の頃に住民が海外旅行でショッピングなど甚だ難き事にて幾歳月経て「石硤尾が団地にビブレの袋」もまた感慨深き事なり。余も若かりし頃頻りにヴィブレ訪れ し頃のことふと彷彿す。

七月十一日(水)快晴。ここ2週間ほどライカで撮った写真を眺める(こ ちら)。やはり50mmが基本、とM6にズミクロンの50mmだけつけて歩いていた。広 角で景色を、望遠で人の表情を撮るのは容易だが、50mmで広い景色をどう切り取るか、他人のアップを撮るのに至近距離に近づく勇気。だが予想以上にカメ ラを向けられても人がカメラを意識せず、撮られること厭がらず、かといってカメラ目線にもならず、の不思議な世界のレンジファインダー。本日、早晩に深圳 は福永在住のO氏と湾仔で待ち合せ。O氏のトレイルシューズ購入にProtrek商店へ。2,000ドル以上購入すると店のマスコットペンギンの縫いぐる み(定価HK$199)をHK$10でゲット可とあったが顔見知りでO氏のシューズ購入は600ドルちょっとだったがペンギンをゲット。 Delaney'sでギネス麦酒一飲。地下鉄で北角。かなり久々に寿司加藤。Z嬢とY氏と四人で芋焼酎の黒白波飲み刺身など食す。バーYでお誕生月優待 だったかがあったのでY氏とO氏とバーYへ。さらに一人でバーSに寄り夏らしくモヒート飲む。ここまでゆくととてもリハビリとはいえず。

七月十日(火)連日の快晴。明後日が参院選公示だが、この日剰だと明日の日記が出る時にはすでに公示後なので今日の内に言っておくがアタシは参院選挙では 「9条ネット」の天木直人氏に投票しよう、と決めている。レバノン大使でありながら小泉三 世のイラク派兵に反対の声を上げた勇気。集団的自衛権については政府自民党が有識者集め(どこが有識者だか疑いたいが)柳井俊二なる前駐米大使を頭に従米 奴隷根性丸出しで集団的自衛権の認定などしているが、そういう危険な世の中であるからこそ、せめて「良識の府」として参院には良識ある人を送り出したい、 と思う。本日、早晩に九龍塘。政府のハイテク香港計画で出来た「ただの器」の Inno Centre(創新中心)なる場所で香港回帰十年記念の写真展あり。それが明後日までなのでわざわざ見に行ったが写真パネル、スクリーンのレイアウトは面 白いが大したことない。午後六時前後で客はアタシだけ。客がいないのでレセプションも職員不在。おかげで勝手し放題。ショッピングセンター嫌いのあたしが 珍しくフェスティバルウォーク(又一城)徘徊。Page One書店でHenri Cartier-Bressonの写真集眺める。写真集も欲しいが写真集にHK$1,200とか安いのでHK$600とか使うならアタシならカメラのレン ズとまでいかなくてもカメラのアクセサリーを買うだろう。帰宅して晩飯。薩摩の名前失念の芋焼酎飲む。文藝春秋八月号で永六輔「テレビが王様 恥ずかしい 国点日本」を読む。文藝春秋は、いかにも文春っぽい文化人が書いているものはつまらないが、本来であれば反文春的な、井上ひさしとか永六輔が出て来て語る 時が面白い。永六輔曰く
テレビのワイドショーに出る政治家たちの売名行為。何の芸もないの に偉そうなコメンテーター。裁判所のようなスタジオ。事故あらば目撃者としてテレビに出たい一般市民。永六輔自身テレビ黎明の頃は「テレビなんかに出て」 と言われた、その含羞。人前でモノを食べることの恥ずかしさ。それがグルメとか食べるシーンだけの番組ばかりの世の中。露出狂の世の中。永六輔は「寅さん から日本はおかしくなった」と言う。表と裏のあった時代。それが寅さんが市民権を得たあたりから奇妙になった、と。恥ずかしい、という感覚の欠如。「美し い国、日本」なんて言うことが恥ずかしさのない証左。
その通り。寅さんの「男はつらいよ」も森川信の出ていた8作目くらいまでが裏街道の寅。京都でラブホテルの女社長する寅次郎の実母(ミヤコ蝶々)が排除さ れたところで、この映画はもはや毒にもクスリにもならなくなった、とアタシは思う。永六輔の語る話で澤村貞子の逸話がいい。まだ幼かった永六輔が浅草の街 角で澤村貞子に出くわし、つい大人の真似をして「どちらへ?」と尋ねたら澤村貞子はえらい剣幕で「余計なお世話だ。どこへ行こうが勝手じゃないか。お前さ んが言えるのは「行ってらっしゃい」だけだよ」と仰った、と。さすが。
▼昨晩、政府廣播處處長(Director of Broadcasting)朱培慶君、先週末の水商売の女性との情けない醜聞にケジメつけて、辞職(蘋 果日報)。米国総統は白宮の中での「具体的な」情事も許されるが、さすが我らが儒教社会、か。銅鑼湾の会員制クラブでプライベートなパーティに参 加だそうで、いったいどういった性格のパーティで(場合によっては贈収賄の可能性もあり、と憶測もあり)、何の目的でのこのホステスとの外出か、それには 本人も一切触れず。辞職記者会見の間ご本人は終始笑顔で“The only comment I would make is that alcohol is not very conducive to good behaviour. So my advice has been drink less”と締めくくる。意外といい演出(今後この人、ラジオとかコメンテーターで活躍であろう)。香港電台の今以てゴッド姉ちゃんたる張敏儀は文書で香 港電台の後輩たちに、朱培慶君の失態は失態として彼のこれまでの功績と醜聞後の毅然とした態度を誉め、香港電台が今後も士気気高かれ、と声援。それにして も気になるのは今回の醜聞が朱培慶君狙った仕組まれたスキャンダルじゃないのか、という事。朱培慶君は立場は政府で香港電台を指導監督する廣播處のトッ プ。日本でいえば総務省情報通信政策局の局長クラス。日本でも公共放送としてのNHKと政府与党の政治的介入が問題になるが、これは香港も同じ。だが香港 の廣播處と香港電台の関係が面白いのは廣播處のトップに香港電台の生え抜きが就任していることで(これは張敏儀女史も同じ)、香港電台のスタッフが政府の 政治的介入反対訴える活動(Save RTHK)に朱培慶君もこの5月に参加して「撐!」と訴えていた由。日本で総務省情報通信政策局の局長が「NHKの公共放送としての独自性」なんて言及し たら、すぐに麻生太郎君あたりに呼び出され叱られるはず。今回のこの醜聞が実は香港電台潰しの一環だと興味深いのだが。
▼「撐」は広東語。北京語ならさしづめ「扛」で「担ぐ」「担う」の意。
▼香港が特区成立十周年と胡錦涛首席迎え香港や大陸の芸人ら多数出演し大宴会にうかれてた六月三十日の晩、英国のオックスフォード大学のBalliol Collegeではクリス=パッテン卿の主宰で晩 宴催されたり。オックスブリッジの伝統に則りブラックタイで正装の賓客らも百四十余名が背凭れもない長椅子に腰掛けての晩餐。パッテン卿の畏友で十年前の 香港返還の直前に首相離職のJohn Major君筆頭にGeoffrery Howe君、Douglas Hurd君といった外相経験者や北京で客死のヨード元総督の夫人、Anson陳方安生女史の前任の布政司Ford君や勿論、英国で香港といえばこの女性あ り、で鄧蓮如女男爵も出席。ドキュメンタリー「最後の総督」製作のJonathan Dimblebyや中英交渉時の英国註北京大使Robin McLaren君なども参加。でテーブル毎に当時の逸話など語りながらの大学問、とこの晩餐の様子を伝えたのは、その会に香港より参加の張敏儀女史(六日 の信報に一頁大の手記掲載)。さすが。オックスフォードのOBで現在、校監務めるパッテン卿はBalliol Collegeの院長に、この晩餐会開催できたこと謝辞。このカレッジより歴代の三人の総督が出た由。その中で最も長く総督の任にあり功績も偉大なのが 「待ってました」のMacLehose卿。パッテン卿は末代の総督就任の当時を振り返り、自分にとって最大の遺憾は知己の中国人が非常に少なかったこと、 而も彼らの中には実に巧みに英語を解す者がいたのに、と後悔。また香港で政治を担うリーダーたちの中で倫敦の英国議会の「ウェストミンスター的な思惟と言 語」で思考できる者が少なく、行政局や立法局の議員の中でThe Economistすら読んでいる者が少ないことに驚いた、と語ったことも興味深い。パ卿は、この晩餐会当日のフィナンシャルタイムス、デイリーテレグラ フといった新聞の論調が香港のこの十年の経済的繁栄には言及するが普通選挙などに指摘及ばぬ点を指摘、香港が民主化されることを望む、と述べる。この晩餐 会の最後に、映像メディア界に従事している、パッテン卿の娘Alice嬢製作による十数分モノの十年前のビデオが流されたそうな。最後は「私は香港人がい つか香港を自治する日が来ることを信じる」という言葉で結ばれたそうな。あー、めでたし、めでたし、としかアタシは言葉がない。中英は永遠に共通認識で合 意なんて出来るはずもなし(実際にもう必要ないのだが)。だが同じ日の晩に湾仔のコンベンションセンターで開催された下品な歌舞音曲のショーと、オックス フォードの地味な大学問の晩餐会の、どちらにアナタは参加するか?と言われたら、あたしは後者を選ぶ。

七月九日(月)気温摂氏33.4度。だが内陸の広州であるとか重慶、北京なんかの暑さに比べれば海沿いで而も南洋独特のアーケード建築や 高層ビルの日陰多く「歩く距離がとても短い」交通の至便性考えれば、まだマシかも。それにあたくしも最近は堂々と炎天下を雨傘さして歩いている。久々に早 晩にジムで一時間の有酸素運動。竹馬の友よりのメールでI君もJ君も病気の総合商社みたいな状況であること語られトラホームに胃潰瘍と立て続けに来たよう な不調がアタシだけじゃない、と思い知る。あたくしもこれで運動していなかったら完ぺきに終わっているだろう。帰宅してドライマティーニ。ジャックダニエ ルがショットで二杯分くらい残っていたので「気が抜けちゃう前に」と飲み干す。気がつくとスミノフのウオトカも一杯分あり。それも飲む。夕食。ふとビート ルズの赤盤、Help!で始まる二枚目を聞く。You've got to hide your love away が聞きたくなったのだ。ここ十日ほどの新聞の切り抜きを一つ一つ読む。返還十周年で記事多し。先週土曜日の宴会で話題となったのだが十年だから偶然十年が 話題にのぼるわけで(かりに九進法だったら9年目が話題になっていたのだ)、寧ろ鄧小平の経済改革で三中全会から三十周年の来年のほうが中国の経済改革が 右往左往しながらも三十年も続いたことで注目に値する、という話となったもの。東京大学のK氏の論文にも学ぶべきところ多いが、アタシが思うに、一国両制 とか言うが、つまるところ、中国にとって資本主義の香港を懐に入れることがいかに実益があるか、ということを考えると英国からの香港の取り戻しというのは 単に植民地という屈辱的なものの奪回だけではなく、寧ろ香港を取り込むことで共産主義国家でありながら堂々と資本主義が国内で実施できることの実利こそ鄧 小平的には魅力であったのではないか、とふと思う。
▼恩師・謝劍先生が信報に「七七事変七十周年」と日本の戦争責任について言及。単なる反日ではないし我々は寛大であるべき。ただ歴史の事実は忘れぬ…… と。なんでこの先生の書くもの読むと、いつも溜め息なのかしら。
▼英国前首相のブレア君の報道担当官が手記“The Blair Years”の中で、ブレア君がイラク戦争発動の一年前に支持率低落のため一旦は首相辞任と続投断念も検討したこと、と暴露。米国が対イラク戦争を近い将 来起し、それを英国が支援という「反テロの作法」がまさか続投決意の段階で決まっていたとは思わぬが、結果的には「反テロ」で十年も政権保たせたのだから ブレア君にとって「テロさまさま」であろうことだけは確か。
▼親中派御用政党・民建聯が昨日、党創立15周年記念パーティ開催(蘋 果日報)。政府からは財政司の曽俊華が出席し「民建聯は親密な戦友」とまで 宣う破廉恥ぶり。曽俊華は「自称政治家」Sir Donaldの子飼いであるから曽俊華の参加は実質的に行政長官が御用政党の祝賀に訪れたようなもの。「天安門事件の虐殺はなかった」発言ですっかり男を 上げた党主席の馬力は「広州での抗癌治療のため」党の周年行事でありながら欠席。録画ビデオで挨拶。かなりの憔悴ぶり。呆れたのは前主席の曽鈺成。自らが 03年に23条立法での失言と区議会選挙での民建聯の大幅な議席喪失の責任取り主席辞任の前歴も忘れたかノーテンキに週末の播處處長の醜聞をネタにしての トーク演じて楽しそう。民建聯、所詮は北京中央のバックアップあってのキョービの存在。みずから民意で推挙され議員になったでもなく日本の自民党的に地 盤、カバン、看板でドロドロの選挙戦い抜き議員になったわけでもなし。それでこのノーテンキ。程介南、曽鈺成、馬力と主席三人が相次ぐ失言や脇の甘さで民 意の反発買い、実は北京中央にしてみても「オマエらがもっとしっかりしていれば07年の普通選挙かて実施てきたものを!」と忸怩たる憤慨あろうことも、民 建聯の諸君らは全く理解しておらず。情けない。
▼信報が先日の「自称政治家」Sir Donaldによる組閣で公務員からの抜擢での現状分析し政務官(公務員上級職)の人材不足を指摘。若手登用と言えば聞こえが良いが首長級(D8)にD6 級からの昇格(税関長から廉政専員へ抜擢の湯顕明など)や邱騰華など政府新聞処の処長(D4)から環境局局長に出世。経験不足懸念。ところで、「はっ、と 思い出した」のが林煥光君のこと。先週木曜日に中国銀行のエレベータでやたら愛想のいい政府関係者と遭遇し「中国銀行のビルに用事とは梁愛詩女史の事務所 にでも顏を出したか」と勘ぐりながら「この人は誰だったか」と思い出せずにいたが、この人材不足記事で若手登用の前例として40代前半で公務員事務局局長 に抜擢、と林煥光君のこと言及あり。董建華の行政長官辦公室主任にまで出世したが2005年に愛人との東京蜜月旅行を雑誌にスクープされ辞職。だが、その ホトボリも冷めぬうちに08年の北京オリムピックの香港での馬術競技開催でその準備団体のトップに就任。かなりの女たらしで牝馬の扱いは巧みか、と嗤われ る。

七月八日(日)快晴。朝から夕方まで習い手の舞踊おさらい会あり。検番役で夕方まで番所に詰める。合間を縫って珍しく日本の某雑誌からの注文で原稿を書 く。夕方、按摩。帰宅して麦酒と枝豆。夕食に雑煮。夏の雑煮もヘンだが3日(月)〜20(金)まで週末も何かと薮用あり休みなしの稼業で雑煮でも食べて力 つけぬと。睡魔に襲われつつ日本カメラ七月号読む。銀塩カメラ特集。
▼何が残念か、ってマカオ在住のロシア人画家、Konstantin Bessmertnyの作品展 Edictus Ridiculum - As Mais Recentes Criações de Konstantin Bessmertnyマ カオ芸術博物館)が明後日まで。見逃し確定。マカオ在住の画家としては19世紀前半の英国人画家、Chinnery以来の出色、と評価されていた (数日前の信報文化欄)このKonstantin Bessmertnyは1964年生まれで1993年だったかに香港と澳門でロシア現代美術展あり、それ以来マカオに住着き創作活動という奇特な方。ここ に紹介の絵画は「賭博系列之野餐」。

七月七日(土)気温摂氏33度で今年一番の暑さ。眩暈するほどの快晴。昼前に一昨晩バーSで一緒になったN君とF君と待ち合せN君
のパイプ煙草一式購入のためTabaqueria Filipina(福和煙草香港有限公司)に案 内。パイプ煙草の基本の「き」から一通りお教えしてN君一式購入。最初からなかなかパイプ姿も堂に入ったもの。二人をFCCにお連れして昼食。ステラ一杯飲む。二人と別れColorsix 現像所で写真ベタ焼き受領。やっぱり基本は50mm、撮って楽しいのも実は50mmと痛感。午後、九龍で用事済ませ早晩に銅鑼湾。四川料理の満江紅。東京大学の研究者K氏夫妻来港でM君に招かれZ嬢と末席を汚 す。在港の関係者ら計9名で会食。昨今の香港の政治問題だの俎上にのぼるがK氏の絶妙な弁舌に久々にかなり笑う。
▼中立的な立場の公共放送としての香港電台(RTHK)。その姿勢に親中派などから攻撃受け「政府援助受け政府批判か」と針の筵。その香港電台の監督官庁 たる香港政府廣播處處長が一昨晩、艶っぽい女性と逢引きか、その現場をマスコミにつかまり狼狽して逃げ回る姿が本日の蘋果日報一面トップに(こちら)。仮 装パーティ用の鬘か、を手に、その逢引の相手たる水商売っぽい女性の影に隠れる姿も憐れならマスコミに追われ周辺のバーだの飲食店の表から裏口、裏口から 表と逃げ回る姿の醜悪さ。来年定年退職の59歳の既婚の政府高官ではマスコミの餌食は当然かも。だが三十数年間、香港電台の行政職一筋で、廣播處では前任 の處長がリベラル的な姿勢で事実上その職から更迭された張敏儀女史(駐東京の香港特別行政区経済貿易代表部主席代表)の後を襲ってのトップに。かなり政治 的にも敏感な職位にあり、その人がこの醜聞。しかも一昨晩はその時間、某芸人が銅鑼湾エリザベス大廈G階の飲み屋でミニコンサート開催し路上にてファンに 囲まれ芸能マスコミに取材受けていた由。そこにこの處長が艶っぽい女性と腕を組みこの大廈の階上から降りて来た。マスコミはそのカップルの男性がこの處長 だと気付き、逃げ回る處長追いかけての騒ぎ。偶然といえば偶然だが狼狽する處長に比べ、この女性の落ち着いた仕草と意味深な微笑み。単なる處長の女癖の悪 さか、はたまた香港電台の偏向是正望む勢力が大陸の女性工作員使って處長を誘惑、まんまと鼻の下長くして逢引に耽った處長、その大廈の路上では「あまり売 れてもおらぬ」芸人の飲み屋でコンサート&路上での取材が仕組まれ、ちょうどばっちりのタイミングで階上から處長が女連れで降りて来る、という三流スパイ 小説かテレビのサスペンスドラマのような展開だったりして。いずれにせよ廣播處處長は昨日午後より週明けまで休暇で隠遁の由。

七月六日(金)久々に晴れる。とらやの羊羹のような小包届き何かと思えば座間のS嬢より日本カメラ近刊3号。忝なし。記事が良い。六 月号のリコーGX100×GRデジタルの比較やローライフィルム。七月号は人気銀塩カメラ特集。何よりも読ませる記事が多くフォントの小ささ が教養か(活字が大きくなるに従い内容が浅くなった新聞は猛省すべき)。諸事忙殺される。その合間にEpsonのプリンタ Stylus Photo R2400 を開梱。セッティング。日本で言うところのPX-5500なのだ。試しに一昨晩の尖沙咀防海道街市の写真を印刷……いやはや言葉もない鮮明さ。晩に帰宅し てドライマティーニ一杯とパイプ一服。晩飯に赤と黄色のピーマンと豚肉の冷菜をポン酢で。美味。紹興酒を冷で一杯。睡魔に犯されながら、ほんと北京の中央 電視台も真っ青の政府提灯報道番組と化したNW9を眺める。今となってはNews10の今井環君が、このNW9の何らマトモなコメントすらできぬ(名前を 出すのもオコガマシイ)会津の男に比べ、いかにまだ真っ当だったか、と省みる。それにしても報道番組でありながら社会面的憤りは言えてもマスコミとしての 輿論や懐疑、皮肉すら言えず。情けない限り。日本カメラ六月号を三分の一ほど読む。リコーのGX100のほうが性能的にはGRデジタルを凌駕、とあり。デ ジタルであるから最新機種が優秀なのはそうだろう、が記事にもあるが「単焦点であること」がGRの魅力でありGX100が「CAPLIOであること」が GX100の見た目的魅力を半減させていると思う。午後十時半臥床。

七月五日(木)昨晩尖沙咀太空館にて周凡天氏の音楽講座拝聴の際に太空館隣香港文化中心では中国愛樂樂団(中国フィルハーモニックオーケストラ)演奏会あ り。郎朗がピアノ共演で爆満のところ急きょ郎朗の出演中止(六月末日だったか胡錦涛主席も臨席の香港回帰祖国10周年文藝晩会には郎朗も出席し演奏披露し たはず)。で代演は殷承宗(http://zh.wikipedia.org/wiki/殷承宗)。今でこそ李雲迪だ郎朗だの人気だが殷承宗は文革期も活 躍のピアニストで革命京劇でのピアノ伴奏や黄河協奏曲などで著名。最初から殷承宗であれば「アタシにとってはこれが最初で最後」で関心あり参観していたの に。それにしても今回のコンサートがこの十周年の祝賀音楽会であったと思うと革命ピアニストの殷承宗の代演があまりに嵌っていて……。本日、日に幾度も驟 雨あり。豪雨の雲の絶え間に強烈なる陽光、でまた黒雲が天を覆い雨、と朝から晩遅くまで。諸事忙殺され晩遅く久々にバーSに寄る。独り一酌のつもりが後輩のF君が友だち連れで飲んでおり 鼎談三更に至る。ウヰスキーにヰルキンソンソーダ2本。F君の連れのN君が若いのに余のパイプ煙草にかなり興味示される。余も煙斗はや17年、でパイプに 多少の興味関心示す御仁あっても実際に自分も吸いたいとおっしゃる方は皆無で今日に至りN君が初めて。あたくし自身も17年前、当時「長銀」の駐在でいら しらN氏のパイプ煙草の嗜みに見惚れての修業。N氏には「自分も先輩に言われたことだけど(アナタはまだ若いし)10年は人様の前で吸わないこと。10年 もすればパイプの扱いも慣れて馴染むし年相応で……」とお聞きし「いやはや先の長い話」と思ったが、あっという間に年をとりパイプ吸うのも恥ずかしくもな い齢に。17年前、今は中環の事務所での細々とした家業だけとなった福和煙草が中環のアレキサンドラハウス!や尖沙咀、湾仔のコンヴェンションセンターな どに店あり。尖沙咀の店はMody Rdの、ちょうど「ボトムエンドの居酒屋」銀座太郎の近く。あたしは当時、紙巻きでハイライト吸っており、香港で なぜか八百半の沙田店のカスタマーカウンターの煙草売り場にハイライトあり(八百半の社員でハイライト党がいたから、という当時の噂、というかアタシの勝 手な憶測か)。ハイライトあるのは嬉しかったが実はゴロワーズか、或いはジタン、この仏蘭西銘柄が実はお気に入りだが香港で見当たらず。で尖沙咀の福和煙 草にふらりと入るとジタンあり。で時々訪れるうちに店の老店員と馴染み、パイプは見た目と値段で購えるが、煙草の銘柄何もわからず店員の勧めに従い Kentucky Birdという煙草勧められ見よう見真似でパイプ吸い始めたもの。
▼ふと思ったのだが、教育関係者とかで手許に「教育小六法」とかあれば(学陽書房のが普及か)それが平成18年度版以前のであれば「永久保存」の希少価値 であろう。教育基本法改定ですでに既刊の平成19年度版は新教基法。今年、教育関連法案が安倍短命内閣の置き土産で改定されると思えば平成20年度版は更 に改悪。で改憲。となると平成18年度版(或いは以前のもの)は「過去の素晴らしい遺産」なのだ。要保存。

七月四日(水)昨晩遅くThe Economist誌の十数頁の香 港特集をようやくじっくりと読む。何がさすがThe Economistがセンスが良いか、っ て特集頁の表紙の頁大の写真は沙田のダートコース、五星紅旗の勝負服の騎手が騎乗のサラブレッドがたった一頭、走る。早朝の走り込みか、でタイトルが “One-horse race”である。いいねぇ、このセンス。特集の論調は総じて言えば“in the round a good deal better than a lot of people expected”でありインタビューに応じた蘋果日報社主のJimmy黎智英氏が「自分は間違ってた」とインタビューで「まさか新聞の自由があるなんて 想像もしなかった」と最大の皮肉と賛辞を述べた、この言葉に尽きよう。でThe Economistのネット版に97年7月3日の同誌記事“Next steps in Hong Kong”という記事があり、これを一読して同誌の卓見にまさに驚いたのだが97年のこの返還の浮れムードの中で同誌は董建華氏に対して国家安寧(アタシ はどうもNational Securityを訳す言葉で国家安寧以外ピンとくる言葉がない)どーのこーのより、返還後、董建華が直面する深刻な問題として住宅不足と不動産高騰、そ れに内地からの移民問題を挙げてみせた。周知のように、住宅問題は毎年85,000戸の公共住宅提供という董建華の施政案が「実はあれはもう廃案になって いた」発言で董建華の不信任が一気に高まり、移民問題は香港司法と全人代常委の「法解釈」を引き起こす。この2つの問題を挙げていたとは本当に凄い見識と しか言いようがない。本日、朝起きて新聞読めば蘋果日報は防衛大臣久間君辞任を小池女史が襲ったことに「日本破天荒」と。御意。ここ数日数年前のデジタル 画像整理。昨日綴った通り実際にプロバイダーの容量激増でダイエットの必要なかったのだが今になって思うとお見せするのも恥ずかしい雑多な画像多く思い きって「今となっては見るにもあまり値せぬ」と思えた画像はサイズを極端に小さくし「残しておこう」と思った画像のみFlickrに貯蔵。それにしても 2004年当時は一発着色という今では考えられぬ加工施した画像が殆どで恥ずかしいかぎり。スナップ写真というのはやはり最も難しい部類。何気ない写真だ がじっくり見るだけのディテールがないといけない。そこで意味のないのが風景写真だの食卓に並んだ料理の写真など。その時は「美しい」「美味しそう」と 思ってもアトになると無味乾燥。やはり見返すと最近の撮影した写真のほうが素人写真ながらに面白く思えるのはカメラとレンズの所為か。いずれにせよここ数 年の「重い日剰」が軽くなったことは安堵。このサイト全体で161MBしかないのだ。アタシのこの7年くらいの人生が161MBだと思うと1日は63KB か。切ないと思うか、寧ろいつ死んでも7年ぶんの膨大な記録は残ると思うとピンクフロイド的な時間の流れに身を委ねた感じ(……と大層なことを思う)。晩 に尖沙咀。海坊道街市の徳發で牛腩麺。若 い頃はこの冷房もない場所で熱い麺を食すなど清明節から中秋までは「とても勘弁」であったが、今はすっかり平気。やだね、年寄りは。香港太空館の講演廳で音楽評論家・周凡天氏による「解剖世界名曲進入音楽世界」という講座・ 初級編(逢水曜連続五回)が始まり拝聴。「それぞれの曲がどう美しい」みたいな講義でないことは「解剖」というタイトルで期待したが実際その通り。今回は 「韓徳爾:大合唱<哈利路亜>」と題して単音(Monophony)、複音(Polyphony)と主音(Homophony)について。音楽を専門に勉 強された方には常識的な基礎の基礎だろうがグレゴリオ聖歌の単音調をまず聴かせ、それに続いてポリフォニーについて説明したあとに初級だから当然でパッヘ ルベルのカノンを聴かせる(どうしてもアタシの世代だとこの曲は戸川純のボーカルが聞こえてきてしまう)。それも本来の複音の演奏として英国の古楽器の楽 団を聴かせた後にボストンポップスシンフォニーの今様な演奏を対比させる。これにより複音のハーモニーがホモフォニーに変化する過程を「予測」可という周 凡天氏の緻密さ。でホモフォニーの話で曲はベートーヴェンの「英雄」の第一楽章の主題。これも古楽器の演奏(Gardiner指揮のOrchestre Revolutionnaire et Romantique)とアバド指揮の維納を比べて聴かせてホモフォニーもいかに時代とともに主旋律の扱いが変わるか、を説明。で最後にヘンデルの「ハレ ルヤ」で、この誰もが知る短い曲の中に管弦楽の演奏と合唱でモノフォニー、ポリフォニーとホモフォニーがどう幕の内弁当のように組み込まれているか、を説 明して90分の第1講が終わる。周凡天氏、見た目は地味なオジサンで声は往年のケーシー高峰の如き濁声。で音楽を語るとさすが30年のキャリアで秀逸。聴 衆はアタシが若いくらい壮年、老年ばかり。何十年と周凡天氏の解説で香港電台第4台でクラシックを聴いてきた方たち、とお見受けする。5回の連続講義のう ち3回しか参加できぬのが残念。
▼昨日の信報で社主・林行止氏がこの十年を回顧する大型インタビュー掲載、と先週から宣伝あり早速読んだが期待外れ。インタビューアーが社内で誰だか知ら ぬが突っ込みきれず。林行止曰く文革が一段落した75年から84年までは自らの論説も英国の「新界租借期限の満了にどう対処するか」であったのが84年の 中英合意で「97年後も香港の社会が変わらずにあるためにどうすべきか?」に移り89年以降は天安門事件で徹底的に墜落した北京中央への信用と反面の懐疑 へと移り……とその3つの過程の区切りということに言及したのみ。
▼香港返還10周年に合わせ米国で「休暇」中の新華社香港分社元社長の許家屯氏(94歳)が久々に元気な姿を取材に見せる。89年の天安門事件で香港に中 国による香港接受への不安と動揺広がった時に船運王・包玉剛の女婿の蘇海文が香港の財界で100億元を集め北京に対して香港を10年間賃貸し主権移交遅ら せるような案のあったことなど回顧。自らが退いた北京中央に対しては天安門事件での香港市民の許家屯氏が説くと江沢民もそれに耳を傾けたが北京中央の香港 澳門弁公室主任の魯平が「有人売国」と暗に許家屯を非難したことや後任の新華社香港分社社長周南による許家屯には妾がいて云々といった醜聞にも言及し民事 訴訟ものだと発奮し九旬ながら元気な姿。1984年に確か香港の社長に赴任し中英合意のあと、あれはWilliam鄧達智君の、だったのかファッション ショーにオシャレな人民服姿で出てみせたり、85年から88年くらいまでが香港にとって返還前の最も明るい時期であった。
▼公民党にDavid鄧永鏘氏が入党、の話を先月末に綴り次は白花油王子の顏福偉君か、と冗談で書いたが実は顏福偉君は財界の中でも数少ないリベラル派で 7月1日のデモにも500個の白花油持参で参加の由。行政長官選挙が箱庭選挙であることに不満あり今年初めてデモに参加と言う。
▼昨日の信報に七月朔日の公式式典関係での笑い話いくつかあり。SIr Donald君の行政長官就任式では司会務めた劉焱・食物環境衛生署副署長は確かに惚れ惚れするほど国語が流暢だったが流暢過ぎて就任者紹介の時に「香港 特別行政区行政長官董……曽蔭權」と思わず董建華の名前紹介しそうになり、また唐英年が代表しての政府官僚の就任宣誓の際に宣誓文は唐君のあとに続き同じ 文句でいいのだが最後に「本人、○○○謹此宣誓」と言うべきところも唐君と一緒に「本人、唐英年、謹此宣誓」と諳んじてしまった者も少なからず。Sir Donaldも粗忽で致辞の際に「尊敬的胡主席」と普通話で胡(Hu)と言うべきところ広東語で胡(Wu)と呼んでしまったそうな。

七月三日(火)確か先週の火曜日であったか取引先の銀行より電話あり「最近、日本円口座を開いたようですが円安での円買いならもう少し買い増ししては如何 ですか?」と。手持ち資金も限度というものがあるし投機の相場師でもあるまいし何より多忙極まりない時で「あとでまた電話して」と切ったら電話かかって来 ず。そのままになっていたがアトになって思うと丁度124円近い最安値の時の電話で銀行も「これが最安値で買い時」と狙ってのオファーだったのか。残念な ことをした、と122円台で値動き続く今になって思う。銀行といえば本日、中国銀行のクレジットカード受領。特段欲しいと思うカードでなかったが中国国内 は深圳でも香港のAmexであるとかStandard Charteredのクレジットカード出すと「国内発行のカード以外はダメ」と断れるケース多発し「香港だって国内だろうが、一国両制!」と叫んだところ で相手にされず中国国内での利用のためだけ、に中国銀行のカード申請。中国銀行は勿論、香港の中国銀行発行でも「国内発行のカード」として認知の由。申請 してから二ヶ月余。話によれば人民元の為替レートが香港ドル上回ったことで香港でも人民元建てで人民元のクレジットカード使うほうが割安感あり、で中国銀 行でのカード申請に殺到とか。「他はみんなプラチナだよ」と威勢張ってはみたが口座も取引もなきゴロツキの客として普通カード発給受ける。ところで、この 日剰、文章も多いが画像多く所蔵してきた結果、一時はサイト全体で250MBを超え米国のTripodというこの供給元のパッケージの最大は150MBで 50MBずつ2回も増量していたので「こりゃたまらん」と最近の画像をFlickrに移し230MBくらいまで減量し時間を見つけてはせこせこと過去の画 像の整理など続けてはいたが、ふと今日気づけば使用容量240MBだかに対して残り容量が249,760MBだかと表示があり、一瞬「ん?」何かの間違い か、と思ったが……確かにその通り。げげげっ……なんと昨今のGoogleだのMacだのの容量無料提供の勃興に抗してか恐らくここ半年の間に150MB が10GBとなり!而も7.5MBを2つ、の計15MBを借り足し25GBも有していたのだ。毎月US$29.95もかけ日剰を公開しているとは愚の骨頂 かも知れぬが、所謂ブログ系に反発し広告ありを嫌い、で致し方ないか、と思っていたら、この始末。無料で容量お貸しします、が普及しコンテンツも画像だの 音楽になると、もうギガがないと役立たずの時代になっていたとは……文章とせいぜい静止画像だけのアタシはかなり古典派か。いずれにせよ慌てて契約のダウ ングレード。本当は1GBもあれば充分なのだがドメインネーム維持のため3GBで契約。それでも月額US$8.95でかなり負担減。数年前からの写真整理 し続けてデジカメ遍歴思い起こせば、このサイト誕生の2000年当時はオリンパスのC-900ズーム(香港写真の画像がこれ)。そ れからSonyのサイバー ショットU30となり(確か03年、SARSの年の初夏)、それをランニング中に紛失しContaxのU4Rとなり(現役)、G1とT2とすっか りContax党であったが京セラのカメラ事業撤退(05年9月)で将来的に路頭に迷うと困った頃に(ニコン党であった父の逝去もあり)ニコンのD70s となる(05年初夏)。しかしこの頃には一眼デジカメの普及著しく「誰が撮っても上手に写る」ことの面白みの無さ感じEpsonのR-D1sに辿り着いた のが昨06年の秋。「ライカのMマウントのレンズが必要」で「だが時期尚早」のはずが意外と清水の舞台から一度飛び降りると二度、三度、投身も要領を得る ものでレンズの数も気がつくと増殖しておりサンタクロースがライカM6を届けてくださったりコンパクトもリコーのGR Digitalが手許にあったり……で現在に至る。ところで香檳大廈に潜入したのが昨年の一月が始めてであったことには驚いた。
「やはり薄汚いビルの中」とふらりと入った ビルは階段を上がると突然、ジャズが聞こえてきて数軒の中古カメラ屋が並ぶ。「えっ?」と狸に騙されたような空間が広がり中古カメラ屋の何軒も並ぶ中に骨 董の時計屋や翡翠扱う店など。(略)カメラ屋 を見てまわる。これでもか、というニコンやキャノン、ライカなど往年の銘記が並び圧倒される。いくつも本格的な店、頑固そうなオヤジと友人なのか客なのか わからぬ店に集う 男たち、ニコンがフィルムカメラから撤退という決定があったばかりで余計にいろいろ感じ入る。店の名前が「相機維修中心」というのもあり。修理現場では職 員二人がカメラやレンズの修理、調整に余念がない。此処ならニコンのサービスセンターで拒否されたNikomat ELのファインダーのクリーニングもしてくれそう。
と書いているが、まさか翌年にはアタシ自身がこの「頑固そうなオヤジと友人なのか客なのかわからぬ店に集う男たち」の一人になっていようとは……。アサヒ カメラ七月号で赤城耕一氏が「ワタクシ的名機」のシリーズでツァイスイコンSWを取り上げ、その中でライカM8を取り上げ赤城氏にとってデジタルカメラは あくまで仕事用なのでオフタイムにデジカメと戯れようとは思わないし仕事的にはライカM8よりキャノンEOS-1Dのほうが効率が上がる、と割り切ってみ せた上で
M8でもう一つ問題なのは、レンジファインダーカメラの最大の特性 ともいえる不確実性が失われたことだ。撮影後にモニターによって画質を即刻確認できる利便性に撮影者は甘えてしまい、一期一会の瞬間を軽視し、ダメなら取 り直すという未練がましい行為に走ったりする。レンジファインダーの不確実性により撮影者の想像力が培われ、目が鍛えられ、撮影後に撮影コマを選択する行 為や暗室作業のプロセスが第二の行為になる。これがライカを使う大きな魅力なのだ。このきわめてクリエーティブな作業が理解されていないのは残念なこと だ。
と赤城氏。そこれ氏は最近その不確実性を求めてツァイスイコンSWをお使いの由。御意。「せめてもの」でEpsonのR-D1sのモニタを仕舞う。晩にチ キンのマリネを焼いたりアボガドのペーストでナチョス。トスカーナはMontalcino地区Col D'orciaなる醸造所のSant'Antimo(06年、Pinot Grigio)を飲む。料理にしっかりと合った。
▼久間防衛大臣の「原爆容認発言」について。アタシにはあの発言が「不適切だ」とは思えても、あれが本当に原爆容認発言だった、とはわからぬ。原爆投下が あったことでもっと延びる可能性のあった対米戦争がいっきに終戦へと動いた、そういう意味では原爆は人類にとって最も惨い惨禍であるが結果的に戦争終結を 早めた、という米国が主張する見解とあまり変わらないようだが「容認」とは「それでよいとして、認めること」(岩波国語辞典)や「よいとみとめて、ゆるす こと」(広辞苑)なら、久間氏の発言は「しょうがない」で、これはが原爆投下を「良い」とまでは言って認めておらず、ただ「仕様がない」、は岩波国語で 「しかた。する方法」が無い、で「特に作るものに関し要求する」方法がない、としたら日本が米国に対して原爆はまさに「仕様がない」もの。久間氏を与党内 部でも批判するが本当に自民党政府が米国に対して核廃絶などアッピールを言葉でするだけでなく本当に核廃絶にするよう働きかけ、米国の原爆投下をどこかで 糾弾したかどうか。広辞苑では「しょうがない」は「施すべき手がない。始末におえない」とあり。これはまさに中国語なら「沒有辦法」で喜怒哀楽の感情を越 えての「致し方ない」もの。という意味では原爆で数十万人が亡くなっても「日本人自身が終えることのできなかった」戦争が終り米軍の進駐を受け入れ米国指 導下で戦後が始まったことのは事実。「尊い犠牲」などという美辞麗句は不要。実際には米国を糾弾もできず寧ろ隷属国として米軍の武力侵攻に加担が現実だろ うに、で「尊い犠牲の上に戦後の平和が」などとは言えず。あの久間という代議士の発言から「原爆容認」で「許し難い」となる短絡的な、ファッショ的な発想 のほうがアタシにはずっと怖い。所詮、すべては選挙。野党は「ここぞ」とばかりに糾弾し、安倍政権に無条件服従のような公明党もさすがにこの原爆「容認」 は受け入れられず、自民党も参院選挙前にこの大臣をスケープゴートにするのがせめてもの火の粉祓いか。結局は議席。この貧困なる現状こそ「しょうがない」 とは言いたくない。

七月二日(月)昨日の特区成立記念日の代休。雨の予報なのに快晴。Z嬢に誘なわれ朝9時過ぎに銅鑼湾の摩頓台のバスターミナルより 962系統のバスで一時間余で屯門。黄金海岸のあたりにリゾート風マンションかなり建ち風景一変。屯門から大嶼山の東涌に渡り空港と大嶼山の海峡を抜け沙 螺湾から大澳まで走る(名前は豪華だがちっぽけな)富裕小輪が 運行。東涌から先日ケーブルカー落下事故で無期限運行中止の昴平360のケーブルカーの残骸眺める。屯門から大澳までけっこうな距離だが50分で快速なる 船艇。大澳に着けば絶好調な快晴のお昼。大澳の街が白日夢の如く白んで見える。蓮香酒家に昼を食す。墨魚餅と炸餃子、海蜇の盛り合わせ、白魚の揚物、 韮菜の炒め物。カルスバーグ大瓶二本。大澳のなかをぶらぶらと歩く。あちこちの水上住宅に五星紅旗と香港特区旗。特区成立祝賀の幢や幕が風に 踊る。親中派の親睦団体の仕業か。十数年前ならGauguinが描きそうな娘だった(であろう)オバサンが鹹魚を売っているかと思えば、路地の向こうから 中上健次が描き出しそうな健やかな体躯の若者が現れる。漁村や路地の物語は完結していることが条件。東京など都会に出ることはあっても所詮還ってくること での完結。モデルになりそうな輩が此処に在ることの、都会的な視野から見たらエゴであるが未完の、美しさなのだ。バスで東澳。空港から来るバスに乗り換え 銅鑼湾。風邪薬飲んで爆睡で40分+50分であっという間に銅鑼湾。ジムに一浴し太古ジャスコの旭屋書店でアサヒカメラ七月号受け取り帰宅。銅鑼湾そごう の旭屋は注文で取り置きの書籍受け取りも難儀するがジャスコの店はカウンターで顏を見れば「はい」と取り置き出て来る簡便さ。本日の競馬。帰宅してから ニュース見れば競馬場にて歴代馬王並ぶミニチュア模型を入場者に配布された由。一人でいくつもゲットせむと職員に牙剥いて襲いかかる者や配布緊急中止に憤 り発狂する者など暴徒と化し怪我人出る騒ぎ。貪ずる態甚だし。第9レース香港特区成立十周年記念杯(芝1600m)は「御祝儀」で1番人気のSurvey Surveyは外して2番人気のEgyptian RAの単勝、それにGoodyが前晩オッズ単勝17倍で「これは魅力的」とこの複勝、でこの2頭で連複。で見事的中。Egyptian RAの単勝HK$44、Goodyの複勝HK$39、QuinellaがHK$385.5と嬉しいかぎり。あと0をひとつ足していればノクチルックスが買 えていた(……と結果論)。早晩に玉蜀黍を頬張る。素麺は揖保の白糸。アサヒカメラ読む。ヌード特集もいいけど女体の美しさ、といえばそれまでだが表紙か らして「男の視線」。女性の読者がこれをただ同性として「美しい」とだけ思うかどうか。あまりにも「見られる」対象としての女性、であることが男の視線。 女性の裸でも、映画だが河瀬直美監督的な視線があればヌード特集もいいのだが。そう思えばヌード特集で対象としての裸体は100%女性であった。
▼英国で連続テロの脅威とダイアナ妃逝去十年忌で華々しくチャリティコンサート開催あり。市街に監視カメラ何千台だか萬の単位か、あっても犯人逮捕には役 立っても事前にテロリスト逮捕には役立たぬこと英国政府は思い知るべき。NHKでは「犯人グループに医師が2名も加わっていたことに、社会的な地位のある 医師がこのようなテロへの関わりについて戸惑いが……」なんて勝手なコメントつけていたが辛亥「革命」の孫文も医者だし共産主義革命にどれだけの学者など 社会的地位のある革命分子がいたことか! かたやテロ警戒のなかダイアナ妃追悼の慈善コンサート。故妃は立派な方でおわしたのかも知れぬがアラブの金持ち と浮き名、で真相不明の巴里の深夜の交通事故での逝去……を永遠のヒロインと持ち上げ息子の王子二人まで民衆の前で母の偉業讃えられるとは……あたしには わからぬ。いずれにせよさすが資本主義高度先進国の英国。ジョージ=オーウェルもテロの脅威で社会統合までは予測できたが疑惑のまま亡くなった妃殿下まで 歴史の中でdouble think(二重思考)できる対象にあろうとは。現代の倫敦はまさに「自由は屈従」であり「不倫は正義」か。その倫敦のテロ(しかも本当に今後拡大するの かどうかも未知数のテロ!)をまるで我が事の如く「テロの脅威」と不安煽るNHKなどマスコミのバカさ加減。それをみて「まぁロンドンは怖いわねぇ」と本 来は自分に何の関係もないのだが夕餉の残りの茄子の漬物頬張りながら茶を飲む視聴者。ジョージ=オーウェルもここまでは想像もできなかったか。

七月朔日(日)雨。昨晩満月が雨空で早朝も起きてはみたが月を愛でず。香港特区成立十周年を拗らせたようで風邪をひく。朝から国旗掲揚式、自称政治家 Sir Donaldの第3回特区行政長官就任式、ハッピーヴァレイ競馬場での人民解放軍の落下傘部隊の表演
など一連の行事を新聞読みながら風邪でぼーっとした頭でテ レビ画面眺める。昨日は昨晩の宴会で「いかなる宗教や主義を持つ市民も団結し香港の繁栄と安定を守るべきだ」と異見分子に忠告し「青少年は香港の未来であ り希望である。青少年に対しての愛国愛港の国民教育の重視が必要」と宣われた胡錦涛君は祝辞で「一国がなければ両制はない」「両制がなければ一国がない」 とまるで禅問答。昨晩読んだThe Economistは香港特集で香港にとって祝賀すべきは今日の特区成立十周年よりも来年の鄧小平の改革三十周年なのだろう、という指摘を読み三中全会か らもう30年なのか、と驚く。Fortune誌は12年前に“The Death of Hong Kong”と宣ったことを回顧して今年は“Oops! Hong Kong is hardly dead”と香港を煽てていた。どうであれ天気は不安定。昼前に近所のかかりつけC氏の診断請う。銅鑼 湾。香港特区成立記念日に市民デモ定着。こうなったのも中国の政治問題を除けば香港での「計算違い」は董建華の愚政と親中派御用政党・民建聯の失態続きゆ ゑ。董 建華は去り民建聯は党代表の馬力の失言で今回はだんまりを決め込み行政長官「自称政治家」SIr Donaldには可もなく不可もなく今年のデモは特区成立十周年で「けじめ」という以外はとくに焦点に欠ける鴨。それでも銅鑼湾は異様な熱気。MTR出口 にまず梁國雄君。隣に「前線」のEmily Lau女史。ヴィクトリア公園に入ると司徒華先生が後輩議員応援でTシャツに揮毫。それに数十人の列。李卓人議員。民主党は楊森議員。錚々たる顔ぶれ。公 園中央で人がざわっと動く気配に何かと思えば陳日君枢機卿現われる。李銘柱議員と蘋果日報社主の黎智英氏も枢機卿に同行。陳方安生女史もデモに参加。主 催者側発表は六万八千人参加(警察発表は二万人)。銅鑼湾でデモの流れを眺めMTRで中環。商務印書館で『香港植民建築』『THE逼CITY』なる前者は 戦前までのコロニアル建築、後者は戦後の都市雑居建築。それに啓功の書法本が和綴じ(というと中国に失礼だが)で出ておりこれを購う。啓功は愛新覚羅啓功 (1912~2005)。北京人。字は玄白。中国書法家協会主席。清朝雍正帝の九代目子孫だが生涯敢えて愛新覚羅の姓を名乗らなかった由。まことに品の 良い行書。こういう字が書けたら、とせめて勉強。FCCでステラアルトワをくーっと一杯。テレビモニタに流れる有線電視のニュースはデモの中継だが字幕 ニュースで台湾の映画監督・楊徳昌(エドワード=ヤン)氏が米国で病逝と出る。享年五十九歳。この七年ほど抗癌の闘病生活続けていた由。何といっても 1991年の『牯嶺街少年殺人事件』の強い印象。60年代の台北の「政府筋の一帯」舞台に見事な環境設定。当時13歳の張震が主人公・小四演じたデビュー 作。寡作な人で94年の『独立時代』、96年の『麻將』に2000年の『一一(Yi Yi)』と余は全てオンタイムで見たいたと今になって気づく。この弔報に接し直感的に思ったことはこの楊徳昌という人は、蔡明亮が李康生という青年を街で スカウトして自分の映画ほぼ全てで主演を演じさせ、もはや李康生が蔡明亮と一心同体の如く而も映画制作まで関わるようになったのに比べ、楊徳昌は秘蔵っ子 の張震に同じような夢と理想を託したのではないか、ということ。だが張震は巣立ち楊徳昌が残った、と。出来過ぎかも知れないがシュトラウスの『薔薇の騎 士』の公爵夫人のような心境で。サンミゲル(フィリピンの瓶入り)飲んでいるとZ嬢現われFCCでそのまま軽く夕食。サラダとナシゴレンをシェア。葡萄酒 はトスカーナのLe Volteの04年と南豪のKilikanoonワ イナリーのKillerman's RunのCabernet Sauvignon(03年)グラスで一杯ずつ飲む。個人的にはLe VolteがいいがKillerman's Ranも最初甘さに閉口したが暫くすると実に落ち着く。なんか最近、葡萄酒が美味い。中環の裏通り散歩。湾仔では特区成立記念日の花火、銅鑼湾の香港スタ ジアムでは中田英壽君も招聘され親善サッカー開催されている由。交通渋滞らしくMTRで早々に帰宅。読書。

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