乾 坤容我静 名利任人忙
(旧)教育基本法(1947〜2006) 改正に反対した文化人129 名の声明 憲法改正反対(九 条の会こちら)          

また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。
ヨ ハネによる福音書8章32節)

メディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味で はコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意 識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディ アの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。(佐藤卓己)

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■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日記を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。

2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

五月卅一日(木)余は公式見解として煙草は吸わぬことになっているのだが、たとえば『演劇界』増刊の『役者名 鑑』とかの役者プロフィールとかだと「煙草」という項目あり(今はどうか知らぬ)。禁煙が趨勢の世、これに市川海老蔵の項にマールボーロメンソールライト とか出るかどうか。團十郎はたしかマイルドセブンライトだったが病ひでさすがに禁煙した、と思う。この「煙草」の項にさすがに大部屋の女形が「ハイライト 日に二箱」なんて書けないので「嗜み程度」って言葉がいい。お酒も「おつき合い程度」で。であたくしの場合、煙草を吸わない、と思ってもライターだけは愛 用の品ってのがあって傍に置いてあるから、今では 焼香の時くらいしか使わないのだが、愛着あるライター、がロンソンのVaraflameで、 これが着火石がチビて最後ほんの微かになっていたのが着火石をいれる細い管の中でどうしたことか転んで杭のように嵌ってしまい、さぁ大変。どうにかそれを 取り除こうとしているうちにライターが分解されてしまい、さらに大変。1947年に登場のこのライター、仕組みは簡単だが歯車のちょっとした調整が大切、 でどうにも復元できず。でロンソン社のサイトを見ると「愛用のライターを修理いたします」と、さすがZippoのように素敵だが、1990年以前の製品は 修理承れません、の一言。困った。あたしのは80年代にアメ横で購ったもの。で途方に暮れたが、さすがノガミだねぇ、ってなわけで上野にはちゃんと(株) インポートフジイの修理工房なんてのがあって古いライターの修理を引き受けてくれる。当然、完ぺきにガス抜きしてこの修理工房に送る。舶来のライターだっ てのにこうして伝統として息づく、こういうところが「美しい日本」かしら。英国にもライター修理の職人はいるのだが連絡先がわかったくらいで、上野の修理 工房のようにネットで情報提供し「とにかく送ってください。診断します」までのサービスはない。日本語が読めないと、この幸運もない。本日まだ胃痛あり。 また養和病院で医師の診断請う。何か食べると食道の最後から胃の入口あたりが傷むので食べるのもついつい億劫になりオートミールなど糊状のもの舐める程 度。しかも熱いものは激痛するので冷ましてから、では味もない。昨晩もあまり食せず、困ったもの。今晩は灣仔の泉記で紫菜四寶河粉。胃痛でも美味いものは美味い。諸事忙殺され晩遅く 帰宅して「のだめ」のコミックス6〜9巻通読。
▼安倍三世、松岡農林水産大臣逝去につきメールマガジンで曰く
私は今、内閣を率いる立場としての責任の重さを改めて噛みしめつ つ、しかし、この深い悲しみを乗り越え、内閣をあげて、全力で国政に取り組む決意を新たにしています。
文中の「しかし」の意味解せず。「内閣を率いる立場としての責任の重さを改めて噛みしめつつ、この深い悲しみを乗り越え」が自然だと思うが。「しかし」が 入るとどうも弁明っぽいというか何というか「この深い悲しみを乗り越え」を通り過ぎて「首相としての今回の件に関する責任はある」がしかし「今後も首相と してやってきますからね」と聞こえてしまうのはあたしだけかしら。
▼政治的言動では完ぺきに抑えられた中国だが民衆は土地とカネ、つまり資産についてだけは当局の言いなりにはならぬようで土地については華南中心に政府に よる土地の強制接収などにつき警察と血を流す抗議抗争もあり、カネについては暴騰する、バブルな上海株式市場だが政府が京滬(北京と上海)につき株式売買 での印紙税を0.1%から0.3%にする発表で昨日は上海市場が6%暴落し股民(株式投資者)が政府財政部のHPへ攻撃や財政部へのデモにまで発展の由。 中国が政 治運動でなく「資本家としての民衆」による蜂起で国家が不安定な状況になるとしたら、これは歴史的に面白い鴨。まるで英国の産業革命後の市民革命を見るが 如し。

五月卅日(水)客人あり晩に尖沙咀東の小南国。末席を汚す。 食事の内容はまぁそつなく無難、個室の給仕がじつ に愛想よく真摯な態度。驚いたのは個室などで宴会の際にどの店でも必ず「お会計になると現われる黒服」の慇懃無礼さ。だいたい自分は何もしないでいて埋單 (お勘定)の時だけニヤニヤ揉み手して現われる黒服ほどあたしゃ嫌いな輩はおらぬ。今 晩も現われたが勘定の合計にほんの数ドルの端数切り上げクレジットカード切ったのがカンに障ったのか無愛想。じつはあたしはこの黒服にチップあげるのが不 愉快で(本当に給仕したスタッフに渡るかも心配)今晩も実は部屋付きの女給さんにはそれなりのチップを、それもその娘がどこまでわかってくれるかは知らぬ が「日本橋ははいばらの版画刷りポチ袋」 に入れて「今日はお世話様ね」と渡している。黒服はそれも知らぬのか、あるいは自分にチップを渡さなかったことが不愉快なのか、もともとホスピタリティに 欠ける性格なのか、いずれにせよ不愉快な輩。本来、真っ当な黒服であれば、例えば尖沙咀星光行の金島燕窩海鮮であるとか老上海飯店(旧・老正興)あたりだ と黒服自らが慇懃に給仕して、その上で勘定に現われるし、雪園飯店も黒服は何度か個室を覗いては食事の流れに気を使う。で領収証が要る、と言えばちゃんと 渡したチップ分も加味して領収証に金額を認める。小南国、上海で成功し香港でも人気だからといって油断するなよ、味はソコソコなんだし。久々に尖沙咀に飲 み地下鉄ある時間に香港島に戻ったが、ふらりとバーSに寄 り、まだ胃痛も治まらず薬酒を一酌。

五月廿九日(火)胃痛ひどく夜中に何度か目も覚める。香港はここ数日の雨で緑がぐっと繁る。いきなり夏。快楽 亭ブラック師匠のブログ で雑誌『演劇界』休刊と知る。版元のHPには今夏「100周年記念新創刊」のための三ヶ月休刊とあるが。香港でかつて定期購読していたのもあたくしくら い。『演劇界』は正直言って中途半端なスタンス。ヅカ雑誌ほどこてこてのファン誌でもなく競馬ブックのような情報誌でもなく地味な徹底した評論誌でもな い。そういう意味では往年の『演藝画報』は見事。この『画報』の創刊が1907年で、それで『演劇界』が創刊100周年と宣うのだが……。あたしは当然 『画報』オンタイムで読んではおらぬが松竹本社にある図書館に20年くらい前に暇を持て余し通ってざっと読み通したことがある。当時の役者のグラビア写真 を見続けたおかげで、九代目團十郎、十六代目(羽左衛門)、弁慶役者の七代目幸四郎、五世歌右衛門、勘弥、二代目左團次……といった花形役者の姿が今でも 浮かんでくる。芝居評も遠慮がなく、それも著名な評論家ばかりか、人形町の商家の旦那が芝居好きで評論までしてしまう。今のようにネットなどで演劇情報が 流れる時代でなく、この『画報』一冊で前月の各座の芝居への痛烈なる批評、今月の芝居や役者の紹介、今後の芝居日程などが見事に収まり、見ていてほんと楽 しい雑誌なのだった。であるから歌舞伎座にかかった芝居、役者へヨイショはできるが評論など能わぬ『演劇界』が『影藝画報』を前身といい百周年ということ に戸惑いを覚えるのだ。早晩にジム。一時間の筋力運動。筋力運動などしているほうが胃痛など気にならず。帰宅。禁酒二日目。炊き込みご飯。「のだめ」のテ レビドラマ続き(第6話?)見る。酒に酔っておらずやけにアタマが冴えており、ふと文春文庫の『民族の世界地図』という新書が途中で読み残しになっていた のに気づき読了。21世紀研究会という9名の専門家による共著だが、あらためて読むと民族問題や国際紛争などじつに客観的な立場で分析しており手軽にリ ファレンス本とできる内容であった。

五月廿八日(月)昨朝は夜半の雷鳴にまんじりともせず朝を迎え今朝は昨日からの胸の痛みに唸りながら朝とな る。最悪。あたしに何のストレスがあるのか?と自問自答。せいぜい「安倍内閣」くらいか(嗤)。養和病院のC医師の診断を請う。肺だの心臓だの、と言うと 宮内庁病院での皇族のごとき精密検査になるので、多分、ストレスや緊張感によるもので、ここまで強い痛みも二、三度人生で経験あること伝える。普通なら神 経性胃炎となるのだろうが、ちょうど食道と胃の間くらいの痛み。痛み止め二種、かなり弱めの精神安定剤を出される。診察待ちの時にテレビニュース見ていた ら安倍内閣支持率低下、と産経の調査で36%だったか、と報道。国民の三分の一の支持の首相の内閣で憲法改正推進していただきたくないもの。それにしても 北朝鮮の拉致被害者問題で男を上げ(たように見せ)た安倍三世の首相就任で「若い首相の登場に期待」と支持した人たちの存在の怖さ。今でも頑固に安倍首相 支持ならいい。この流動的な、おそらく日本の政治がバカになった日本新党あたりの頃から細川、村山、小泉、安倍……と節操もなく支持してきた、都民であれ ば青島にも投票したが今は石原、という、この「世論を動かす」人たちがいったい何を考えているのか。何も考えておらぬから怖いのだが。……と思うと胃も痛 むが午後になり安倍内閣の農相自殺。終日、この胃の痛み続くがじっとしていても動いていても一緒なので早晩にジムで一時間の有酸素運動。今晩と明日は禁酒 せねばらなぬ。年に何度あるのかしら、の休刊日。雑煮を少し食べて「のだめ」のテレビドラマ第4〜5話だったか、を見る。田中長徳先生の『GRデジタル  ラークショップ』を読む。えい出版のムック本の上手いところはGRの使い方本、を出すのに田中長徳に「GRデジタルは小型のライカM型だ」と語らせるとこ ろ。あたしもそれに乗せられこの本を入手した一人(1500円の本に975円も余計に払うのだ、香港で旭屋だと)。やっぱり上手いね、長徳先生。
あれは、たしかフルヤ製菓と言ったと思う。ウインターキャラメルと かいうのがあって、そのパッケージいんは四角い窓があって、そこに長い紙芝居状の絵が稚拙なクランクで巻き取れるようになっていた。そんなおまけ付き景品 のキャラメルを当時はそれを「テレビジョンセット」と称していたのではなかったか。少年の時代になにか変であるな、と思っていた第六感は今にして正しかっ たわけだ。あれはテレビなどではなかった。あれから半世紀後の今になって、あのキャラメルの箱に仕込まれた「疑画像が登場する機構」とは、今のデジタルカ メラの液晶モニターの未来予測形であったわけだ。
……と。上手い。ISO感度の話にしても感度が800とか1600とか画質が粗くはなるが、としつつ粗さも銀塩時代の名残であり
だからモノクロモード・感度1600で撮影すると、その画面は「森 山大道さん全盛時代のプロボーグ」とでも言いたい暴力的映像世界が出現する。無論、転載森山は一人で充分だから、これは「森山大道風」なのである。あるい は名作“NEW YORK”を世に放った当時の、奇才ウイリアム=クラインと言い直しても良い。
と、こんな筆致は通常のデジカメのムック本にはない。それが出来るのがGRだから、なのだろうけど。長徳先生に感化され、本日の日剰も画像はGR Digitalで接写の妙。カメラといえば一昨日、David Chan氏の店でエルマーの50mm/f3.5をお買上げの御仁、後日談あり、このエルマー入手し店を出るとショーウインドーからピエール=アンジェ ニューの35mmレンズが自分のほうを見ていた由。アンジェニューのエキザクタマウントをニコンのFマウントに改造したもの。氏はこのうっとりするくらい お洒落なインクブルー色の鏡胴の「街撮りにちょうど欲しかったフランス玉の35mm」をエルマーを返品して獲得。だがアタシも不思議なのは確かニコンの一 眼を氏がお持ちだったのか?ということ。だがなんと氏はDavid Chan氏の店であるから、この仏蘭西娘のためにNikonのFM (黒)を「オマケでつけてもらい」ついでに、ニッコールオートズームの43〜86mm/f3.5まで「オトナ買い」してしまったそうな。つける薬のない重 傷。
▼第60回のカンヌ映画祭。いいねぇ地味な結果。パルムドールのルーマニア映画からグランプリの河瀬直美『 殯の森』、主演男優賞・女優賞、『潜水服と蝶』で監督賞はジュリアン・シュナーベル、60周年記念賞の“Paranoid Park”も見てみたい。世界中から、というかアジアから大挙してカンヌに集まった芸人や監督、映画関係者ら。「キミたちはアホである」というカンヌから のメッセージがこの選考に見えないか。こんなところで大家ぶってる場合か?の王家衛(夫人はカンヌは似合わない)、張藝謀と巨乳が売り?の鞏俐、香港の映 画出演のギャラが高いだけで世界的には全く無名に近い女優たち、「歴史的任務を終えた」と言われているのに香港映画の巨匠!たちが同窓会の如くカンヌに結 集(香港の西貢の海鮮料理屋で良しっ!)。それに冷や水を浴びせた感あり。

五月廿七日(日)夜半に雷雨あり。昼にZ嬢と銅鑼湾。Cafe Eosに食す。午後、顏を出せねばならぬ会合あり金 鐘。落雷豪雨あり。室内に居り気づかず。本日、天安門事件「六四」18周年の集会ヴィクトリア公園にて開催され夕方、デモ行進、銅 鑼湾より中環の政府本部に向 う由。親中御用政党・民建聯にとっては党代表・馬力の「天安門事件虐殺なかった発言」でかなり非難受け、この雨はデモ参加者減らす恵みの雨かしら。夕方、 金鐘でまだデモは参らずトラムに乗ると灣仔に入りかけでデモに遭遇。帰宅して枝豆と麦酒。雨上がりの紫色に染まる夕焼け見惚れるばかり。晩飯済ませデザー トはインディアンマンゴー。噂には甘ったるいだけの普通のマンゴーより小振りのこのインディアンマンゴーが格別に美味いと聞いてはいたが香港に入荷の時期 が限られ何処に売られているのか、あたしは見当もつかず。Z 嬢が灣仔鵝頸橋の印度人経営の食料雑貨屋で入手。普通のマンゴーの値段は3倍くらい。5月に何度か入荷の由。甘みの抑えられた、ただ香りだけは豊かなマン ゴーに檸檬のような柑橘系の酸っぱさが含まれ、それが甘みを引き立てる。自然の妙味。遅晩に『有吉佐和子の中国レポート』読む。本当に元気なオバサンで北 京でも朝のジョギングをかかさず、まさか6年後に急性心不全で53歳の若さで亡くなろうとは……。「文革と四人組のあとの中国で、このアタシが人民公社を 体験してくる」と息巻き、訪れた郊外の小役人の人民公社の組織形態など説明がちょっと十分じゃないと怒り、地場の農民の説明にちょっと数字の矛盾などある と「農民だからきちんと説明できない」と文句を綴る有吉佐和子につい て悪く言うことも可能だが60年代から日中友好に文化人レベルで寄与し漸く中国訪問で言いたいことが言えるようになった事への著者の喜びは読み手も酌まな ければいけないのだろう。晩に胸がきゅっと痛み始め痛み徐々に増す。ストレスだの神経性のもの、とわかるのは初めてのこの痛み感じたのが23年前のあたく しの初めての訪中ひとり旅で深圳から広州について余りの都市の大きさと共産中国の濃さに重いリュック背負って歩き続けた結果、市内の珠江岸に辿り着き 「いったいどうなるのかしら、これから」と思った瞬間に、この胸の痛み走りフラフラの体で安宿探しあてベッドに倒れ込んだ時がこの痛み。あたしの今の生活 でどこにストレスだの神経疾患があるの?と言われればそれまで、だが。
▼中国共産党の元朗の一人、葉剣英がピアノ演奏に長け「東方紅」もピアノでの初演は葉剣英によるもの、と秋吉佐和子の話にあり。葉剣英といえば19席末に 広東省梅県雁洋堡下虎形村の客家の豪商の家に生まれ、黄埔軍官学校で教官となり、此処で周恩来と出会う。南昌起義での敗北後、香港経て莫斯科に軍事科学学 びつつ独仏で演劇まで学んだ由。黄埔士官学校では周恩来と京劇でもやっていたのかしら。

五月廿六日(土)曇。気温摂氏32.5度。無風。不快極まりなき猛暑。自宅にて雑用済ますうちに昼となる。昼 に素麺。さすがに食欲も失せる暑さ哉。午後、九龍でM君と会い茶を喫す。M君、今月初旬にご尊父急逝、明日が火葬、葬儀で今日から福建の親戚などの世話な ど忙しい由。労ひ。九龍で用事済ませ燈刻、尖沙咀。ライカM用の接眼視度補正レンズの購入。利き目の右目は−4.5くらいなのだが左目は極度の乱視で最近 は老眼もあり眼鏡の視力を0.8くらいに抑え日常生活には不自由もないが(何か遠くを見る時のためにはEschenbachの一眼鏡など携帯)、さすがに 写真を撮る時に、殊にライカの小さなファインダー覗く際には眼鏡も煩わし。本来なら−4.0くらい欲しいところ−3.0が最大。で久々にDavid Chan氏の店を訪れる。さすがに新品屋でも正規代理店でもないので補正レンズはなく懇意の同業者にすぐ尋ねてくれるが−2.0しか現品なし。これじゃ眼 鏡つけたままでもあまり補正効果なし。David 氏に「この人も日本人よ」とレンズ吟味中の方を紹介される。渋い。眺めているのがライカでもLマウントのエルマー50mm/f3.5なんてレンズなどご覧 になっている。あたしの補正レンズ届くまでちょっと雑談。ライカにはミノルタCLから入られM4をずっと愛用された由。旅行などの際にぶつけても気になら ないM4の頑丈さ、と。御意。M6ですか、とあっしのライカを覗かれる。レンズはズミクロンの50mmととても初心者な組み合わせ。恥ずかしいが仕方がな い。実はEpsonのR-D1sのデジタルからMマウントのレンズに入りライカMに辿り着いたのです、と告白すると「そういう入り方もあるんですねぇ」と 驚かれる。そうだろう。この方もライカのウイルスに罹られ重傷っぽい。マカオで仕事されている建築家。それでライカでもバルナック型なんて使われるとした ら格好いい。カメラ屋で客どおしがライカ談義という、たいへんオヤジ的な時間を過している場合ではなかった。補正レンズ、だ。でライカの正規代理店である 天祥撮影器材に向う。が補正レンズは在庫なし。で最終的に尖東のフランシスコ撮影器材へ。ここには補正レンズの在庫あることは先日、確認済みなのだが、香 港でおそらく最強のライカ取揃店だがどうもあたしゃこの店との相性悪い。店主が無愛想に思える。さきほどお会いした建築家氏も同感であった。だが背に腹は かえられぬ。相性の悪い店の暖簾くぐるのが云々などと言っていては補正レンズ一つ入手できぬ。で−3.0を当ててみるが−3.0でも裸眼では微かに不鮮明 だがピントが合わせられぬ事はなく眼鏡通して見れば格段の鮮明さ。でこれを入手。御店主は相変わらず無愛想なようで休日の営業時間を尋ねるとようやく ちょっと微笑んだ。実際、さきほどDavid Chan氏の店での言い値よかフランシスコのほうが安値。そりゃ近隣の店からの現品調達と正規代理店の違いで比べようもないのだが。ところでDavid Chanの店でちょうどM6に先日この店で購入のズミクロンの50mm(正確にはあたしの同レンズの所持品を買い取ってもらい差額補填し上品入手)が ちょっとピント合わせのリングの回りが悪い。でDavid Chan氏にそれを告げると勿論、修理屋に出す、と言われる。一週間かかるから置いていきなさいよ、と。で「その間、代替のレンズ要る?」とご亭主。車検 している間の代車じゃないんだから(笑)。売り物のレンズ借りて下手にキズでもつけようものなら買い取りか、と思うとぞっとする(一ヶ月の小遣いでも賄え ぬのだ)。で無事、補正レンズ入手して帰宅。夕食で智利のBaron Philippe de RothschaildのEscudo Rojo(03年)を飲む。ユニーでも売ってる、香港で100ドル台の葡萄酒としてはあたしゃ満足。晩8時よりRTHKの4チャンネル(FM)で昨晩の香 港シンフォニエッタの録音放送あり。このシンフォニエッタの音楽監督で指揮者の葉詠詩という人指揮者ではあるが、プロデューサーとして今後かなり期待でき るのではないか、と思う。いい意味で常識的でありバランスのとれる人なのだから。Cédric Tiberghien(セドリック= ティベルギアン)君のドビッシーのアンコール2曲も流れる。「花火」はドビッシーが1900年の巴里万博での花火のドーンと上がって満開から得た印象とい う話も聞く。セーヌ川がさしずめ江戸の大川のような感じか。だと思えば次々上がる花火の印象なら、あのテンポも理解できるかも。それにしてもドビッシーと いう人、土人の少年の踊り、とか巴里万博でいったい何曲作っているのかしら。アンコール2曲目は曲紹介でやはり「映像」の第2集から、で「荒れた寺にかか る月」であった。セザール・フランクの交響曲ニ短調は好きな曲でもないし(これをベルリオーズの幻想交響曲と並び仏蘭西的な交響曲とする見方もあるがあっ しにはわからねぇ)昨晩も聴かなかった判断はそれはそれで正しかった、と録音を聴いて思う。芸術家と常識、で突然思い出したが有吉佐和子の『中国レポー ト』という紀行文集で1978年の四人組逮捕直後の北京での話なのだが偶然に小澤征爾と会った話。中国中央楽団を振る小澤征爾との晩餐で、有吉佐和子は 「郭沫若逝去」という、まだ報道前の特ダネを得ていたのだが小澤征爾は「誰、その人。どういう人? 偉い人?」で小澤征爾に同行していた母親のほうがよっ ぽど興味を示し、小澤征爾は自分の振るブラームスの二番が文革を経たこのオケにとって初めてのブラームスとの出会いでありブラームスについて何の音楽的知 識もない楽団にどうブラームスを演奏させるか、が目下の重大事。それで当然。長嶋茂雄もおそらく郭沫若は知らない。

五月廿五日(金)先考の生きておれば75歳の誕生日。朝、新聞を眺めているとSCMP紙に今晩の香港シンフォ ニエッタのコンサートがピアノがJean-Claude Pennetier(ジャン=クロード=ペネティエ)急病で来港能わずCédric Tiberghienセドリック= ティベルギアン)なる若手に交代と知る。ペネティエでサンサーンスのピアノ協奏曲2番を聴こうと思った香港シンフォニエッタの演奏会なので残念で はあるが、このセドリック=ティベルギアンなる30歳のピアニストが1998年のLong-Thibaud(ロン=ティボー)国際コンクールで優勝し彗星 の如く登場のけっこうな腕前と知り(耳学問ならるネット学問だが)期待できる鴨。ちょうど20日に北京でロン=ティボーのギャラコンサートがあり、それを 済ませての来港か。北京でロン=ティボーのギャラというのは差し詰め、ピアノの国際コンクールといえば中国からの参加者増こそ「狙い目」で、そのマーケ ティングとしてのギャラコンサートかしら。早晩に中環。いくつか用事済ませ(って場外でMark 6の30回連続の籤を買ったりするだけなのだが)久々にFCCで一飲。此 処のバーのウヰスキソーダは黙っているとFamous Gooseなのだが唯靈氏が信報の随筆で氏がカティーサークという題でウヰスキーについて語り若い頃はカティーサークかなり飲んだが(飲んだ場所がGo Downという、60年代から90年代初頭まで、その後、一瞬、10年ほど前にCitibank Plazaに再開し数年で閉業、Go Downというのが当時知る者には懐かしい食肆なのだが)今でも好きなのはJ&Bである、と書いていたのを思いだし(カティーサークといえばやは り桃井かおりだよな、なんて懐かしいが)J&Bなんて何十年ぶりかしら、でウヰスキーソーダ(氷なし)で頼んでみたがあたしはあまり好きではな い。で二杯目はBloody Maryの氷なし。何を頼むのも「氷なし」なので(冷えるのだが、身体が)給仕がすっかり覚えてくれたのが安心。Z嬢来て軽く夕食。食欲がない時のあたし の好物のアイリッシュ=シチュー。市大会堂。で香港シンフォニエッタの音楽会。音楽監督で指揮者の葉詠詩が演奏前に語るにはペネティエが手の神経痛?で休 演決まったのがわずか三日前。で今宵の開演まで奮迅のスタッフ、楽団員に葉女史が敬意評したのも納得。セドリック=ティベルギアンに白羽の矢が立ちペネ ティエが演奏するはずであったサンサーンスのピアノ協奏曲2番が、セドリック=ティベルギアンの出演で急遽差し替えとなった曲がプロコフィエフのピアノ協 奏曲3番。そ りゃ一日、二日ではかなり難儀もしたであろう。で今晩の一曲目はLam Fungという1979年生まれの香港出身の若手作曲家の“Illumination”なる曲。まるで聲明の如き曲だが寝てしまう。セドリック=ティベル ギアン君登場し(ホロヴィッツの如き長身と大きな手)プロコフィエフのピアノ協奏曲3番が始まる。それにしてもなぜプロコフィエフの3番なのかしら。突然 のピアニストの抜擢で合わせる時間も極端に限られ、しかも失礼な言い方だが一流のオケだって難儀なところをシンフォニエッタの限られた条件で、なのだ。第 一楽章の、あの舞台を引っ繰り返すが如き展開は怒濤の如く過ぎゆく。ティベルギアン君が強引に引っ張った感じ。葉詠詩という指揮者はソリストにうまくオケ を合わせることは巧妙。たださすがに第二楽章“Tema con variazioni”(テーマと変奏)は合わせてせいぜい二日(だろう)のリハではこのオケには難度Cであろうし金管が弱いところが露骨に出た感もあ る。最終の第三楽章はもう、この突然のティベルギアン君とシンフォニエッタのプロコフィエフの3番の共演が大団円的に収まった感あり。客もかなり拍手喝采 でティベルギアン君はアンコールの声に応え仏語でさらさら、と何を言ったのかわからぬが辛うじて英語で“FIre Works”と聞き取れドビッシーの2つの前奏曲集から「花火」(...feux d'artifice)を披露。とても早い第一主題。さらに喝采がおきてアンコール2曲目で弾き始めた曲はやはりコテコテのドビッシーだとはあたしにもわ かったが、香港では演奏後ロビーにアンコール曲の曲名速報なんて出ないから「あの曲は何だっけ?」で溜飲下がらぬこと多く、その「ドビッシーの何か?」は 今晩の一曲目の“Illumination”よりさらに宗教的に黄泉の国の如き境地の曲。Z嬢が確かドビッシーの「塔」か曲集「映像」の一曲か、と指摘し ていたが帰宅して調べるとご名答でドビッシーの「映像」から「荒れた寺にかかる月」(Et la lune descend sur le temple qui fut)であった(たぶん間違いない)。休憩はさみ後半はセザール=フランクの交響曲ニ短調だったのだが、ちょっと今晩はこのプロコフィエフの3番とティ ベルギアン君のアンコールでのソロのドビッシーの2曲で終わりにしたい、とZ嬢と意見まとまり会場を後にしてしまう。
▼信報の随筆で黄珍妮という書き手がDVDで見たという小津の「秋刀魚の味」について語っていた。
元来、日本のその頃の映画では「簡略」の手法が多く見られ物語は明らかに婚礼についてなのだが、話は婚礼の前の、娘が嫁にゆく前の賑やかな状況から一転し て婚礼のあとに父親が自分の同窓生を連れ家で酒を酌み交わす状況へと飛ぶ。
なんてそれなりの書き出しなのだが、驚いたのは、
父親役の老人は演技がコチコチのアマチュア俳優のようで、どうにか 一つの表情をつくるにも難儀。セリフも覚えきれてないのか一つ一つの言葉がどうにか思い出したように出てくる感じなのだ。私のまわりにもいる、こうした老 人は何か尋ねても言葉がかえってくるには数十秒かかり空気は死んだようで忍び難い。だが「秋刀魚の味」のこの老人は、表情に欠けセリフの口跡が悪くても、 人を感動させ、まるで自分の父親を見ているようで……
って、これって笠智衆のことか。結果的にこの書き手が感動してくれたのは小津の目算通り、か、老け役なのだから笠智衆(当時、58歳)の演技がこう「否定 的に評価」されるのもいいことなのかも。

農歴四月初八。佛誕。昼まで寄席で高座に上がる。昼に旺角。昼に何か食そうと思い花園街の樂園牛肉丸大王に向っている自分に気付く。旺角で一人で気軽な食肆を本 当に此処しか知らず。困ったもの。でカメラ店覗いた道すがら通菜街の香格里 拉という雲南米線店に食す。ファーストフード的だがそれなりに美味。香港だから「これで並」だが東京にでも店を出したら行列が出来る、だろ う。ジムで筋力運動と有酸素運動各一時間。夕方、佐敦を散策。本日は沙田競馬場で重賞(地場G3)で沙田ヴァース(芝1,200m)あり。デビューから負けなし五連勝のSACRED KINGDOMが圧倒的人気(1.6倍)。これに対抗できるのはMEDIC POWERくらいかしら、で2.6倍。久々にじっくり予想してこのSACRED KINGDOMを軸に三連複で脚に4頭選ぶ。結果、MEDIC POWERが1分7秒7の沙田の1200mの新記録で一着。なんと単勝99倍(以上)の最低人気のMY CHOICEが三着に食い込み、あたしはこれをなんと脚の4頭に入れている! で、5頭選んで1〜4着見事に的中、「久々に高額配当いただいた!」と喜び も束の間、おいおい、軸にしたSACRED KINGDOMが四着だ。最低。三連複で5頭のボックス買いならHK$100で一頭軸馬にしたところでHK$60だから、わずかHK$40の節約しても、 と結果ではそう思うがSACRED KINGDOMが三着入賞せぬ、とは思いもせず……。最低人気のMY CHOICEを調教の時計だけを根拠に選んでいただけに悔しい思い。三連複でHK$4,237もついてるじゃないの。それにしてもSACRED KINGDOMとMEDIC POWERの二頭は久々に楽しみなライバル戦にしばらく期待できそう。オリエンタルエクスプレスに告魯夫とか、靚蝦王(Fairy King Prawn)すら脅かす存在となり得たKingston Treasure(京城之寶)など往年のライバル馬のこと彷彿。帰宅して晩に豚肉と韮の鍋。Z嬢知人より借りた「のだめカンタービレ」テレビドラマを VCDで見る。ドラマ化しても筋どころかセリフ、展開の一つ一つまで原作の漫画と同じで驚くほど。昨年10〜12月のフジテレビ製作のドラマをそのまま録 画してCMだけ省いた完ぺきな海賊版(中国語字幕入り)。ヒロインの「のだめ」役の上野樹里嬢は適役だが千秋先輩役の玉木宏君は如何なものか。ありがちな 話だが千秋青年の幼き頃演じる子役(藤田玲央)があまりにクラシック少年らしく玉木氏を喰ってしまった感あり(このテの子役の上出来は映画でいれば『ラス トエンペラー』とか『霸王別姫』とか少なくないのは何故かしら)。
▼「のだめ」の漫画など読み(のだめ、は作者のデッサン力で手足の指先までの線の美しさがいい)ふと思い出したが吉田秋生先生の新作「蝉時雨のやむ頃」上 梓の由。吉田秋生というとあたしの場合『バナナフィッシュ』で頂点迎えてしまっていたが、この「蝉時雨」もかなりのものらしい。『バナナ』は毛色が違うと しても、こういった日本の市井の若者の暮し描いたことでは、吉田秋生ではあたしの場合『河よりも長くゆるやかに』で終ってしまっていたが。『バナナフィッ シュ』といえば、80年代後半から90年代にかけての連載当時はピンとこなかったが、今にして思えばアッシュという魅惑的な主人公の存在は当然として、そ の対に日本人青年(奥村英二)を置いた、置けてしまったことがとても80年代後半のバブル的状況の象徴であったのではないか、と。奥村英二が作中でトリッ クスターであるだけならまだしも、主人公たる気難しいアッシュが好感すら抱いてしまうわけで、なぜそれほど奥村青年に魅力があるのかアタシにはわからない が、わからないからこそ(橋本治的なまとめ方になってしまうが)それが強引に出来たのが80年代後半のバブル的状況なのだ、と思った次第。
▼安倍三世がメールマガジンで「教育は人なり」と宣う。当然の如く教育関連法案の改定成就について。
子どもたちのモラルや学ぶ意欲の低下が指摘され、いじめや未履修問 題が表面化する中で、これらの問題に対し、学校や教育委員会が適切に対応できなかったことは、子どもの命や安全、教育を受ける権利の侵害について責任をも つ国として反省しなければなりません。
で「教育は人なり」で、「すばらしい先生にめぐりあえるかどうか」が大切なのだが
今もいい先生が大勢がんばっています。しかし、中には、人を教える ことに向かない、能力が及ばない先生がいることも事実です。時代の変化、技術の進歩が著しい今、一旦教員になったら生涯身分が保障され、各人の適性にかか わらず先生を続けるというやり方で果たしていいのでしょうか。
と、これは正論だが当世の日本の風潮で「排除される」のはいったいどんな教師か。安倍三世は吉田松陰の「人々貴き物の己に存在するを認めんことを要す」な ど例に出すが、只単に時の政府の(それも、おかしな)方針に従えぬのなら「辞めてください」。これでいいのかしら。あ、いやだ、いやだ。

五月廿三日(火)昨晩通読の「のだめカンタービレ」でのだめ憧れの千秋先輩が大学のオケでミルヒー先生に突然 指名を受け大学のオケ相手に弾き絶讃を浴びる曲がラフマニノフのピアノ協奏曲2番。今朝起きてCDラックで確認すると我が家にはラフマニノフ本人のピアノ でストコフスキー指揮、フィアデルフィア管弦楽団の1929年の演奏、ツィメルマンと小澤でボストン、それにアシュケナージでモスクワフィルの3枚があり ツィメルマン&小澤を目覚めに聴く。右目まで炎症に罹り通院の医者を変えたところでどうなるものでもないか、と思ったが養和病院眼科は前回左目が少し治 まった時に一応再診なしとしていたので銅鑼湾のそごう(開店22周年の由)と同じビルにある眼科の専門医の診断請う。実に誠実な若い医者で懇切丁寧に診断 の結果はTracomaで私らが子どもの頃はトラホームと呼んだが今はトラコーマなのね。昔は頻繁に子どもなど罹った気がするがC医師の話では70年代く らいから少なくなっていたが最近また流行りの由。晩に尖沙咀。天祥カメラ店覗くと珍しくライカM型のコーナーに客がありトリエルマー28〜50mmのレン ズ購入の示談中。ライカのオリジナルのレンズフィルターだけでHK$1.2千なんて話してるのだから困ったものだがフードも合わせた価格は計算機覗き込む とHK$21,800也。掌に乗るレンズ1本で33万円……ライカはオジサンたちにとって困った玩具。レンズも羨ましいが流石、ライカ特約店だけあってレ ンズ購入のオマケにライカ社の写真集だの見事な装丁のメモ帳、ライカマークのマウスパッドなど特典も多し。羨ましい。Z嬢と待ち合せAshley街のEbeneezersという店でケバブ食す。市中の繁華街で連鎖店のケ バブ屋だが美味。ファーストフードもこれならいい。文化中心。先週、リール国立管弦楽団のコンサートであたしらの前列に坐ったかなり年配の老人、ボレロの 時に乗って軽く指揮する姿がなかなかだったが今日も文化中心の館内をふらふら徘徊。考えてみればチケット売り場とかでよく見る顏。も しかしたら文化中心では有名な老人、鴨。客の入り悪しき音楽会などだと「ちょっと入ってよ」なんて館員に請われコンサート鑑賞でかなり耳が肥えた「大向 う」さんだったり。で今晩はLe French Mayの続きで Thierry Malandain振付のBallet Biarritzのバレエ公演ご鑑賞。演目の“The Creatures”は曲が、一瞬、モーツァルトか、とあたしは思ったが、これがベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」、でバレエのタイトルも「創造 物」なのか、と開演後に合点。この「プロメテウスの創造物」は1801年に維納に君臨したバレエのお師匠さんサルヴァトーレ=ヴィガノのご指名でベートー ヴェンが作曲したもの。この曲をこうして聴くのは今晩があたしにとってはお初かも。何もない舞台空間でただ舞者がバレエというより「体操と舞踏きわどいと ころ」踊る。すっかり端正で見事。舞者もけして古典的なバレエ団の踊り手とは違い、不均衡な体形でけして美貌から程遠いバレリーナもいれば、ひょろひょろ もいれば筋肉質のダンサーもいて、ただ身体表現が本当に巧み、の一言に尽きる。Thierry Malandainの演出の美しさ。ただどうもこのバレエ曲だけはモーツァルトと同じであたしは生理的に好きになれず。舞台が跳ねて香港大学のT姐さんと 邂逅。このバレエ、ちょっとすごい良かったじゃないの、と感激も投合。あとちょっと演出しすぎたら諄過ぎる、逆にあとちょっとセンスが足りなかったら NHKテレビ体操の日本女子体育大学っぽい<体操>になっちまう、その見事な「おとしどころ」がThierry Malandainという人の凄さか。帰宅してラフマニノフ師匠本人の奏でる3番を聴きながら久が原のT君とメール。今日、時鳥の初音を聴いた、とT君が 言うので、あたしは流行りもので目をやられたので「目を病めば 耳傾けて 時鳥」と詠んで送ると、さっと返歌あり。
目を病めば 耳傾けて 時鳥 闇の深さを聽き定めけり
ところで大岡信の「折々のうた」に対してパロディで短歌評「澱々のうた」ってどうかしら。面白そう。

五月廿二日(火)中村屋の脱税、ありゃ何だろうね、まったく。快楽亭ブラック師匠の借金や故・勝新太郎の大麻 などなら「芸人だから」「常識がない」「芸の肥やし」で済ませようものの(先代勘三郎も「もしほ」時代にいろいろあったようだが)、架空の人件費計上だと か芝居の切符売上げの手数料未計上とか、それがホントなら立派な犯罪だよ、それも家族ぐるみ、で。はしたない。晩に香港日本人倶楽部で寄合いあり末席を汚 す。麦とろ飯いただく。可愛くウーロンハイを一杯。ブラック師匠がよく飲むので、ついどんなものだったか飲んでみたくなったが、ありゃただガブガブ飲んで 気がついたら酔ってるだけの酒だね。美味い鉄観音でも煎れて、いい焼酎で割ったら別モノだろうけど。寝際に突然、Z嬢が知人より借りていた漫画「のだめカ ンタービレ」読み始めてしまい1〜5巻通読。漫画はダメだね、ついつい読み止められず宵っ張り、で気づいたら午前二時半。
▼The Economist誌が“America's fear of China”の特集。読めば読むほど確かなことは、昨日の朝日ヘラルドのビル=エルモット氏の指摘にもあったが、日米関係は経済問題の余波が政治対立に向 わず寧ろ調整指向で確固たる?日米同盟の強化に至ったのに対して、中国の経済成長は中国の覇権主義で対米対立を煽る、との指摘。小学生の頃に母が「あんた の大きくなる事には中国がすごい大きな国になって、日本なんて中国なしでは商売もなくて大変なことになっちゃうんだから」と言われたのが中国を「ゴジラの 映画に出てくる北京放送局からの中継」の場面以外で初めて中国を意識した時か