乾 坤容我静 名利任人忙
(旧)教育基本法(1947〜2006) 改正に反対した文化人129 名の声明 憲法改正反対(九 条の会こちら

また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。ヨ ハネによる福音書8章32節)

メ ディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味で はコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意 識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディ アの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。(佐藤卓己)

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■ 「はてな」の富柏村日剰・香港日記(テキストのみ)はこ ちらを ご覧 ください。

■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日記を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。
■香港の高級紙「蘋果日報」からの紙面、寫眞の無斷借用多し。同紙社主・黎智英氏自ら同紙の無斷借用轉用大歡迎と公言ゆゑ、それに甘えてをります。
2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

*掲示板(富柏村絡みの世界)はプロバイダーで海外からの利用に多少 の難あり。現在、暫定停止中です。あしからず。

二月廿九日(金)曇。新界に行く用あり昼に大埔墟の和暢粥麵專家に食す。看板は粥、麺だが客家系の料理供し評判。武術の教頭が弟子に職を与へるため始めた 食肆といふ話もあり。美味。晩に香港演藝学院。北京京劇院の公演(こちら)。丑 角(道化役)の第一人者であつた蕭長華(1878-1967、写真)讃へ丑角にはベテランの鄭岩(1941〜)招聘の、北京京劇のうち「譚派」の公演。譚 家は譚鑫培(1847-1917)、四大須生の一人と称された譚富英(1906-1977)、富英の子の五代・譚元壽などアタシでも知る名優を排し、今回 の譚派はこの元壽の子六代目・譚孝曾が率ゐる。演目は緑牡丹全伝よりの「龍潭鮑駱」の「嘉興府」と「巴駱和」の二つと「烏盆記」。劇場入り口で香港政府某 署のT署長居られご挨拶。香港で京劇通として著名なT氏だが今日はいつも以上にご機嫌。あとでパンフレット見たら「小花瞼藝術 記一代宗師蕭長華」なる小論を書かれてゐる。二階最前列最中央の上席に坐す。「龍潭鮑駱」は義士・鮑賜安(演ずるは韓巨明)に纏る話。忠臣蔵のうち二幕の 上演のやうなもので登場人物多く筋解すのに難儀。駱広勛役の譚正岩は若い頃の松島屋彷彿させる二枚目の若手。六代目の嫡男。京劇界の覇権に食指動かす大和 屋がこの七代目と親しくする由。舞台大道具など最小限度に削り簡素ながら興味深い演出。中入後は烏盆記。烏盆は文字通り黒色の鉢。宋の頃に絹織物商人の劉 世昌(譚孝曾演ず)と云ふ者あり。付人の劉升と行商終へ商家に戻る途中、定遠県東大窪村で大雨に遭ひ一宿請ふたのが趙大なる者の家。趙大は劉世昌の抱く金 子に目がくらみ劉世昌と劉升の夕食に毒を盛り殺害。二人の死体焼き黒い鉢を作る、と猟奇的。怨念込めての譚孝曾の歌唱は絶品。舞台が暗転のあと客間の額か ら抜け出した怨霊(李揚)が舞ふ態はまるで往年の沢瀉屋のやう。で場面は一転、客の喝采のなか登場したのが丑角・張別古役の鄭岩。歌舞伎なら勘三 郎にニンのある役どころ。草鞋づくりで糊口凌ぐこの老人、趙家に昔の借金取り立てに参れば劉世昌殺害で富を成した趙大、烏盆の鉢を見せ、これで借金を帳消 しに、と。張別古はその鉢を受取り家に帰る途中に劉世昌の霊が現はれ無念の死の復讐を請ふ。品のよゐ譚孝曾の口跡の佳さと鄭岩の丑角役の上手さの掛け合ひ がお見事。十五分の中入りはさみ芝居は三時間半に及ぶ。「北京」に託つけたわけぢやないが晩飯逃したままゆゑ湾仔の北京餃子皇に参れば店仕舞ひの最中。近 隣のサブヱイでサンドヰツチ食 し半夜三更に帰宅。

二月廿八日(木)早晩に連日の銅鑼湾。何洪記で咖喱牛腩飯喰らつてゐるとテレビ局の取材中。この店の名物で香港でも極高カロリーな「干 炒牛河」など取り上げる。まづ物撮りで、暫くして男女レポーターが食して「美味い」連発するのだが、物撮りから10分くらゐ放置されすつかり冷えて河粉も 伸び切つたであらう料理を美味さうに食つてみせるのだから芸人は大したもの。所用済ませ二更に閉店間際のアピタ(旧ジャスコ)に寄り日本食フェア覗くが食 指動かず、Ritter Sportのチョコなど購ふ。JCHECA*Fブログで読み(こ ちら)無性にこのチョコに関心が。帰宅してジャック=ダニエルのアテに頬張つたが確かに美味。ウオフ『国民の天皇』少し読む。
▼用事の合間にふと近くに張五常教授の経済解釈巻 三『制度的選擇』なる経済理論書あり少し読む。近代経済学など門外漢のアタシは中国人初のノーベル経済学賞候補だつた、米国での脱税容疑でインターポール に追はれる張教授の著作をきちんと読んだこともないが(それに教授の看板である佃 農理論もけして画期的な発見とは思へないが)この人の著述に「華がある」のは経済理論書を数頁読んだだけでも納得。
▼香港といふと過密都市の印象強いが実は香港全域の7割が自然公園。淡路島全体の3割に700万人以上が住んでゐると思ふと過密だが。で香港島も意外と緑 に覆はれてゐるが実はこれも戦後40年ほどでの繁殖の結果で植物に詳しい人が見ると岩肌にコケが生すやうに自然には共存する筈のない世界各地の様々な植物 が繁る奇景の由。そのなかでも香港島で鬱蒼と目を引くのが印度ゴムの木。英領印度より香港に主に日よけ用の観賞樹として運ばれたのはいひが迷惑なくらいの 繁殖。で香港大学の学長公邸。学長に邸宅に招かれた左丁山が「本来であれば住宅周辺に植ゑてはいけない木なのに」とその浸蝕の凄さを暫く前に書いてゐたが (蘋果連載)今日の蘋果日報にその報道あり(こ ちら)。こりや凄すぎ。香港大学はこのゴムの木を伐採したいが香港で樹木伐採は地政署の批准が必要。で批准許可されず。ちなみにこの学長大学、築 60年の香港では貴重なアールデコ建築の洋館。
▼香港での葡萄酒と麦酒の酒税撤廃。現実にどの程度か、といふと、香港の酒税はこれまで葡萄酒は40%、麦酒20%でハードリカーは100%(これが高す ぎ、今回も税率維持)。昨日の酒税撤廃受けスーパーは一触即発、葡萄酒を一律28%価格下げ、ちなみに某葡萄酒商では1986年のCh. Lafite RothschildはHK$15,633が発表と同時にHK$11,515に値下げ。小売り単価の小さい麦酒の場合は缶ビールで1缶あたり30セント 安。この手つ取り早さは香港の真骨頂。日本なら酒税改正でいつたいどれだけの労力を浪費するか。電力料金の世帯あたり1,800ドルの政府援助も日本なら 電力各社との調整で数年は要しようか、といふもの。
▼紐育フィル後日談その2。信報(26日の記事)によると北京では(香港との演目の違ひは)チャイコフスキーの「悲愴」。五輪開催で沸き立つ北京で「悲 愴」とは失礼(笑)。ところで香港でのアタシも見た三日目の公演、香港政府政務司・唐英年様ご臨席。でバルコニー席の最前列にご着席。このバルコニー最前 列、落下防止のため欄干に物を置かないでください、が規則でパンフレットでも置かうものなら係員すつ飛んで来るのだが政府ナンバー2の唐英年が着席し徐ろ に欄干にパンフレット置いたが注意受けず、の不公平。で旁人虎假虎威でその一列、みんながパンフレット欄干に置いてゐた由。別な記事によれば香港フィルの 音楽監督・江戸出悪人(Edo de Waart)はんが今度はミルウォーキー交響楽団の 音楽監督に就任。今のところまだ本妻は香港フィルだらうが気持ちは何処に。

二月廿七日(水)本日、香港政府財務司による政府新年度予算発表=決定。香港政府の優秀さについてアタシもこれまでこの日剰でかねがね言及続けてゐたが、 財務司(曽俊華さん)は財政黒字(今年度HK$1156億)を背景に所得税減税(税金還付
が昨 年の所得税の75%!で最高25千ドル)、麦酒と葡萄酒の酒税撤廃など市民に至れり尽くせりの大盤振る舞ひ。私らは香港市民であることがなんと幸せなこと か、と思はず感涙に咽ぶ。税金還付で中古のライカレンズ購入して葡萄酒でお祝ひしないと……。それにしても、 ホテル宿泊税3%撤廃、北京五輪祝賀で7〜9月の公共娯楽施設使用料全面無料措置、低所得者の遠距離通勤補助、電気料金値上げに対しての家庭毎の補填、固 定資産税の1年免税、所得税基本控除拡大(年収が単身者で11万ドル、既婚者で22万ドル以下はつまり無税)、月収1万ドル以下の市民に6千ドル即金で年 金口座にボーナス支給……「多かれ少なかれ家計はゆとりが生まれ貯蓄なり消費をしてください」と。まぁ「ここまでやつていいの?」と驚 くが、実際、09年度は一転して75億ドルの赤字ださうで大盤振る舞ひも安易といへば安易。曽俊華が将来の行政長官のポスト狙ひといふ揶揄もあり。早晩に 銅鑼湾。ここ数日なんだかんだと嫌ひなはずの銅鑼湾に日参。通りがかりでWatson's葡萄酒商店に寄る。酒税撤廃は即刻発効だが小売店が追ひつくはず もなし。それでも安売りの銘柄あり祝儀に数本購ふ。今日、葡萄酒携へて歩くは道楽者。「そごう」の旭屋書店。カメラ雑誌二誌受領。帰宅してミントの葉をい れてホワイトラム飲み洋琴稽古。クラウ ィオ=アラウ先生のリストのソナタ聴く。夕食後に『日本カメラ』と『アサヒカメラ』読む。とくに後者は「桜、桜」 といつたい何頁をバカの一つ覚えの如く桜に費やせば気が済むのか。前者のはうが同じ桜の撮影でもアタシ好み。ずつと子どもの頃から父の影響で『アサヒカメ ラ』ばかり馴染み、最近また自然とこれを定期購読してゐたが、ふとしたことで『日本カメラ』の方とお知り合ひになり、それがきつかけでこれも読み始める。 いぜん書いたが時刻表みたいなものでJTBの時刻表に慣れてゐると鉄道弘済会のがどうも使ひづらいやうなもので(車はスバルだとずつとスバルみたいなも の)『日本カメラ』はどうも……と敬遠してゐたが読み出すと、とにかくデジイチ、デジイチで時流とはいへ愚の骨頂でデジイチばかり大きく取り上げられるな か『日本カメラ』の地味な「オールドカメラ天国」とかが心のオアシス。四月号もドイツ中古カメラ紀行なんて地味な特集あり。両誌の読者投稿の素人フォトコ ンテストとかでも『日本』のはうが燻し銀のやうなな地味な写真多し(撮影者の年齢も少し高め?)。でこつちのはうがずつと熟読気味。吉田秀和『音楽展望』 1977年のを少し読む。
▼写真家・金村修氏の説得力ある筆致。アサヒカメラで 「金村修に叱られたい!」といふ連載から、今度は『日本カメラ』で「金村修の作家になりたきゃなればいい」が毎回面白い。実に面白い。多少長くなるが引用
キャノンのカメラは良かった。カメラフェチにならない程度のボディ の感じが好きだった。大量生産でたくさん作っている工業製品みたいなところも良かったし、ライカみたいなワン・アンド・オンリーっていうよりも、壊れたら 代替品はたくさんあるって感じで、カメラのことなんかよく分からない人間にはピッタリだった。いまもライカなんてあんまり好きじゃない。ピントは合わせに くいし、カメラは重いし、ファインダーが明るく見え過ぎるというか、なんでも美しく見える。それに『サライ』にでも紹介されそうな、粋なカメラみたいなイ メージもあるし。レンズのボケ具合がいいっていっても、そんなものでB/Wの写真をやったら中国の墨絵みたいな感じで、もっとコントラストがあがり気味で ピントがキッチリくる写真のほうが好きだった。着物のたもとの中にライカを入れて、正面やシャッターチャンスを意識的にはずす撮影方法がスカしてるみたい な感じで嫌いだ。なんであんなに斜めにものを見ているのか。そういうとり方が東京的というか、都市的な照れというのか、多分田舎からみた都会の粋というも のなんだろうけど、撮影はモノを斜めにみたり、意識的に何かをはずす行為なんかじゃない。撮りたい時に正面から堂々と撮るべきだ。だからやっぱり土門拳は 偉いと思う。
実に説得力あり。名文。だが「着物のたもとの中にライカを入れて、正面やシャッターチャンスを意識的にはづす撮影方法」なんて器用なこと誰がするか。がい かにもさういふ酔狂な和服姿のオヤヂがゐさうだから可笑しい……まさに銀座の「くのや」の前で、と『サライ』的な世界だが。
▼紐育愛樂樂團(NYPO)の平壌初演。報道多いが演奏曲目が(さういふサイトに行けば情報もあらうが)一般紙でアンコール含む全曲の演奏曲目リスト掲載 は経済紙の信報。さすが。ちなみに曲目は、さもありなむ、か「ここまでやるか」の
1 朝鮮民主主義人民共和国国家「愛国歌」朝は輝け (아침은 빛나라)
2 米国国歌 The Star-Spangled Banner
3 ドヴォルザーク 交響曲第9番 新世界より
4 ガーシュイン 巴里のアメリカ人
5 ワーグナー ローエングリン 第3幕への前奏曲
アンコール ・ビゼー アルルの女 第2組曲より ファランドール
      ・バーンスタイン キャンディード 序曲
      ・アリラン
全てが「意味深」な曲がづらり。ドヴォルザークの新世界が米国謳ひ上げる交響曲なら、ガーシュインは「米国の快楽」の象徴、でワーグナーの「ローエングリ ン」といへば云はずもがなヒトラーの愛した曲で、それの平壌での演奏は皮肉か、だが劇中のハインリヒ王による「ドイツの国土のためにドイツの剣をとれ!」 との演説も平壌だとハインリヒ王が将軍様に思へなくもなし。アンコールも「アルルの女」と聞くと小学生必聴のやうだが「ファランドール」は主人公のフレデ リが狂つて自ら命を絶つ壮絶な場面の狂騒曲。バーンスタインのキャンディードもこの音楽劇の主人公「カンディード」は「天真爛漫」の意、誰を指すのかし ら。さういへば「ローエングリン」の日本初演は戦局険しい1942年11月に歌舞伎座で藤原歌劇団。藤原義江のローエングリン。調べてみると演奏は東京交 響楽団(現在の東京フィルハーモニー交響楽団)で指揮はマンフレート=グルリット。

二月廿六日(火)晩に中環。中國會にて宴会あり末席を汚す。1920年代の上海モダ ンは良いがオーナーの嗜好での上海灘テ イストとのミスマッチの悪趣味がアタシは苦手。慇懃無礼、とはまさにこのこと、の 給仕らの丁重なやうで客を小馬鹿にしたいい加減な仕事ぶり。
苦言 少々。“One more ビール?” などと街市の熱食中心ぢやありまいし、英語なら英語で “One more beer?” か日本語で「ビール、もう一杯?」と言ふか、あるいは広東語でもいいから、あの“One more ビール?”やエビ?、蟹?は大嫌い。ジャズバンドの演奏ありぃの、曲芸の如く茶を注いでみせる見世物や、拉麺手打ちなどあり、あらためて思ふに、会員制の 倶楽部で客も「美味いものを喰はう」と本気な食欲の客もをらず、だから給仕も料理人も客との切磋琢磨もなし。西洋人客多し。言はずもがな大部分が○人 (笑)。エンターテイメントとアミューズメント性が幼稚なに受 けるのは当然。オーナーのDavid Tang(鄧永鏘)氏は長年のチャリティ事業賞され祖父の故・鄧肇堅に倣ひ先日、英国女王よりKnightの称号得、Sir Davidになつた由。

二月廿五日(月)某所にて師匠より洋琴稽古授かる。終はつて晩にZ嬢と銅鑼湾の天麩 羅「岩波」に食す。年中無休の日本料理屋でありがちな月曜は親方非番か、地場の若い板前に向ひカウンター席。天麩羅屋で刺身を供すのは魚屋系なら珍しくな いが(つな八など)、この店は寿司も握るのは百歩譲るとしてメニューは寿司がメインで天麩羅の扱ひがおまけのやうに小さいのには出鼻挫かれた感じ。親方の をらぬ日の地場の、健気な若衆の仕事ぶりはなかなか。赤貝と平目のお造り食す間に揚げ方の板前が揚げる具の下拵へするが丁寧な仕事ぶり。アタシが天つゆは たくさん要らない、天麩羅も天つゆにぢやぼんと浸けず、天つゆの大根おろしをすこし天ぷらに載せて食べる流儀なのも板前君はちやんと観察、で給仕がアタシ の天つゆを足さうとすると「天つゆはほんの少し。それと大根おろし、おかはり」とか機転がきいて立派。天麩羅もけして日本橋の「みかわ」だ「はやし」だ、 ヒルトップホテルの「山の上」だ、つて話をしてるんぢやないんだから、香港ではぢゆぶうんに美味い天麩羅を供される。揚げ方の板前君がいい奴で、一見の客 である私らなのに追加で注文の(ふつうは天麩羅のコースだと含まれてゐるが、この店は違ふ)掻き揚げと「食べますか?」と向かうから聞いてきたゴーヤの天 ぷらはチャージされてをらず。敢へていへば、揚げた天麩羅の油をきるのに、やたら必要以上に箸でつまんだ天麩羅を振るから(⇦今まで見たことない)せつか くのあつあつが冷えてしまふこと。そして天つゆの鰹の出汁の強さは(蕎麦汁みたいで)ちよつと閉口(湯気がたつほど熱い天つゆで供されたので余計に鰹の臭 ひがきつかつたのだが)。麦酒の後に、初めての店ではよくやることだが銘柄指定せず、ただ「熱燗」と頼み、出てきた熱い酒が芳香豊かな大吟醸。しかも天麩 羅で、である。安つぽい純米酒で十分なのだが。食し終はり板前君が丁寧に「如何でした?」と尋ねるので酒の銘柄を質すと給仕が答へるに「出羽桜」と。なる ほど。板前君が「お酒はどうですか?」とちよつと心配さうな表情するので「個人的には、こんな日本酒のなかでも特有のフルーティーな酒は、天麩羅で、しか も熱燗には絶対に向かないと思ひます」と告げる。板前君、見上げたもので「わかりました。ありがたうございます」と(以上、全て日本語)。礼儀正しさに甚 だ敬服。今度、是非、親方の番の日にも食してみよう、と思ふ。余談だが食事中のBGMで「蛍の光」が流れ、どうも日本人にだけは、あの曲が流れると「店は 終はりです。お帰りください」に聞こえるから可笑しい。帰宅して寝る前に吉田秀和さんの「音楽展望」1977年だつたか、宝塚歌劇について、を読む。初め てヅカを観た秀和さんの素晴らしい宝塚評。
▼香港芸人の「淫照門」猥淫画像網上流出騒動の顛末。妻が(結婚前とはいへ)男芸人陳某のカメラ前に醜態曝したこと暴露され、妻とともに醜聞からずつと隠 遁続けてゐた芸人のN某君が内地での仕事に出向くため数週間ぶりに姿を現せば憔悴隠しきれず。河北省でのスポーツブランド「特歩」の宣伝活動。この「特歩」のイメージキャラの芸人がこのN某 君と女性デュオT。このデュオTの片割も「淫照門」の悲劇のヒロインの一人。そのデュオTもN某君と一緒にこの宣伝活動に堂々の参加。いやはや「芸人根 性」とはまさに見上げたもの。「見られてなんぼ」の芸人はどんな恥辱に曝されようと所詮「見られなければ」商売あがつたり……どころかアイデンティティの 危機もあるかしら、でスポットライト浴び(ふと、ちあきなほみの「喝采」を彷彿)、イメージキャラに使ふ側の企業も企業で「若いスターたちに再起の場を」 といふと聞こえはいいが「あんたらになんぼギャラ払つたかわかつてるんか、こらぁ!」で働くだけは働いてもらひまひよ、のこの宣伝活動は醜聞のおかげで宣 伝費の数十倍の効果でマスコミが取り上げる。芸能も資本主義もまさに文字通り「極道」「無間道」の世界なり。

二月廿四日(日)気温摂氏14度で小雨、と寒々しい日曜日。昼前に洋琴稽古。昼から Z嬢と香港電影資料館にて映画『黒 玫瑰與黒玫瑰』看る。1965年の『黒 玫瑰』(今月三日に看る)が好評で翌66年の続編。南紅と陳寶珠が演じる「黒玫瑰」姉妹、今度は悪の軍団に捕まつた謝賢を助けようと敵の本拠地に 乗り込み大活躍、前作の白黒が総天然色となりアクション巨編、といひたいが「いい意味で」B級映 画で今となつて
は笑 へるシーン連続。今回はスタジオ撮影ばかりなのが残念。携帯にジャスコ太古店の旭屋書店より今月いつぱいで閉店と連絡あり。今後の雑誌定期購読は「そご ふ」の店でお願ひします、と。銅鑼湾に出向くのを避けたくジャスコの店にしたのに……。といひつつ珍しくZ嬢のお買ひ物に付き合ひ珍しく日曜午後の、避け たい銅鑼湾。人出多し。「先週も銅鑼湾に来てたぢやない」とZ嬢に言はれ「えつ?」と思つたが、確かに言はれてみれば、この人混みのなかフルマラソンの ゴール目ざして「そごう」横を走り抜けたのだつた。思ひ出すだけで恥づかしい。夕方帰宅して洋琴稽古。ポルトガル産の白葡萄酒 Carm Douro レゼルヴァの03年とパスタ。昨晩に続きDVDで「のだめ in ヨーロッパ」看る。バブルな80年代後半ならまだしも、よくもまぁロケしたよな、と感心。オタクな話だがヒャルト=シュトラウスの交響詩「ティル=オイレ ンシュピーゲルの愉快ないたづら」が流れれば、のだめの「変態の森」に千秋先輩が辿りつく時はきつと「ツァラトゥストラはかく語りき」が流れるか、と思へ ば外れ、のだめが巴里について最初に演奏しリサイタルの最後を締めくくる曲も原作のラヴェルのピアノ曲「水の戯れ」期待したらドラマでは「鏡」であつ た……どうでもいい話だが。ケネフ=ウオフ『国民の天皇〜戦後日本の民主主義と天皇制』(共同通信社)、長い「はしがき」と第1章読む。原題は “The People's Emperor” で the people が「国民」と訳されたのが気になつたが、これは憲法学の基本の「き」で、日本国憲法で英文(原文?)では the people が日本語(訳?)では注意深く「国民」と訳されたことに基づくものか。日本語では通常、例へばリンカーンの有名な演説も "Government of the people, by the people, for the people" も the people は「人民」と訳されるのだが、憲法で the people を「人民」としてしまふことに当時の関係者は赤化でも怖れたか。アタシは個人的には日本国憲法の普遍法としての性格からすると「人民」と訳すはうが好きだ が。
▼昨日の信報をバスの中で読んでゐて陳雲氏による「華志羅憶」を読み不覚にも涙。湾仔にあつた青文書店の店主・華志羅さんが年廿八(二月四日)に経営する 出版社の倉庫で図書整理中に倒れ書籍の箱に埋もれ圧死。死後十四日(二月十八日)に近隣の住人が発見の由。湾仔の青文書店を閉め早幾年か。細々と図書出版 続けたが金策に追はれたことは想像に易く陳雲氏の文章読むと現実にはかなり切実。老読書人が書に埋もれて亡くなるのは本望といへば本望か、だが独り書庫 で、あまりにも惨し。

二月廿三日(土)3月下旬からの香港国際映画祭の チケットが今日からネットで発 売。毎年通し券購ひひどい年には日に6本、全部で50本も映画看たこともあつたが寄る年波にも勝てず面白さうな映画も見当たらず今年は20数本で、ぎりぎ り通し券
(HK $1500)よか25枚以上で1割引きのはうが少しお得。香港は映画料金が安い、安いと思つてゐたが今年の映画祭は1本60ドル。かなり高い。チ ケットのネット発売、さすがにサーバー混み合つて、か反応鈍く一時間かけて全ての切符手配。今年面倒なのは全般的にはURBTIXで チケット発売のところ開幕上映・山田洋次『母べえ』や周防正行監督『それでもボクはやつてない』、浅野忠信主演の『モンゴル』など香港会議展覧中心での上 映分だけはチケット発売がHK Ticketingであ ること。午後所用で出かける頃に小雨。早晩に帰宅するころ本降りとなる。近所のスーパーで福岡の莓「あまおう」が2パックでHK$148(2千円以上!) が熟れてしまつてHK$60でお買ひ得をゲット。水団食し「あまおう」頬張りながらDVDで「のだめ in ヨーロッパ」前半看る。
▼香港で英文中学復活。香港政府教育局が母語教育の推進のため中学での指導言語を中文とする政策を導入から十年で転換、学校裁量で英語か中国語かを選択 可。英国統治時代に英文中学が主流であつたが政府が母語重視でかなりの数の英文中学を中文中学としたが結果的に伝統的な英文中学に人気集り、英語力の低 下、母語教育で教科・単元の理解力が具体的に伸びる成果に乏し。多くの中文中学が英文に戻るのは確実。
▼中環のWyndham街にSushi Qubeなる寿司屋あり。文字通り銀座の「久兵衛」のパクリ。湾仔の鵝頸橋に「二郎」なる寿司屋は、ない。

二月廿二日(金)春の雨。寒流洶湧冷雨霖霖。晩に独り北角寿司加藤に食す。バーSに 寄り二更に帰宅。
▼今年秋の香港立法会選挙。港島区が俄然、面白い。現状は民主派4、民建聯1、無所属1の6議席。民建聯は馬力議員逝去で失つた1議席奪回で2議席確保し たいが現職の福建女皇・蔡素玉が不人気で(前回選挙は民主派票が割れての棚ぼたで当選)党としては蔡素玉外し中間票まで獲れる候補で行政長官・文革曽の特 別秘書官・陳克勤など推したいが蔡素玉は断固立候補の意志堅し。立法会議長の范徐麗泰引退を襲ふのは葉劉淑儀が確実か、と思はれたが自由党も党ナンバー2 の周梁淑怡を立て港島区での議席奪回目指す。民主派は陳方安生の当選は確実で公民党が党魁・余若薇に加へ前回区議会選挙で自由党の基盤・山頂区で当選のヒ ロイン・陳淑荘で2議席欲せば民主党はいつまでも李柱銘と楊森のコンビで2議席確保も飽きられ気味で、かといつて有力な若手不在。アタシの予想では親中御 用政党から順に陳克勤(民建聯)、葉劉淑儀、周梁淑怡(自由党)、陳方安生、余若薇(公民党)、李柱銘(民主党)か。

農暦正月初十五。元宵。昼は晴れ気温摂氏廿度に到る。
▼香港芸人の「艶照門」で淫猥画像撮影の主と云は れる芸人陳某香港に戻り九龍灣の展覧会場にて記者会見。流出の数百枚の画像の「大部分は自らが撮影」と認め(つまり情事現場に撮影の他者がゐたケースもあ りか?とすぐ勘繰るが)、これは文字通り「赤裸々な」自白のやうでゐて裏返せば「画像の所有権は自らにある」と主張したことになり今後、猥褻だらうが着衣 だらうがこの私事画像は彼のものでネット上で勝手に流すこともマスコミが掲載することも制限される、といふ恥を忍んでの業。虎穴に入らづんば虎子を得ず。 この芸人の表情、まさに「憔悴」とはこれ。本人には甚だ失礼だが彼のどの映画の演技よりも「絵になる」姿。さすが芸人、翌日の新聞は「好戯」と称讃。また この「艶照門」で恥をはいた女性デュオアイドルの片割や肥肥の娘さんと同じく、芸人つてのは大したもの、とアタシもつくづく感じ入る。香港で芸能活動から 撤退の意思表明。三田佳子もさうだし、海老蔵も新之助の頃の隠し子騒動で「おなかに子供がゐて(彼女が)生みたいといふので、どうぞと言ひました。私は結 婚を考へてゐませんが、それでもいいですかといふと、いいですと言はれました」の台詞も(富柏村日剰03年2月13日に 記述あり)みんな実に見事。芸道。それにしても「いま話題の」香港警察。今日はこの芸人陳某君の空港から会見場所、自宅での家宅捜索協力、仮住まひのホテ ルまで国家元首並みの警護。やりすぎ。警察は今回、全てにわたり何か勘違ひ。平和ボケかしら。

二月二十日(水)本日より松屋銀座恒例の中古カメラ市、と人形町のS嬢より便りあ り。S嬢の仰有るとほり写真機愛好家の春の季語の如き催し。これが夏の季語なら
カメラ市 松屋銀座に 来夏かな
と一句詠めたんだが。今回の目玉は、さもあらむ、でコ シナのフォクトレンダー・ノクトン(Mマウント)が限定百本の由。シグマのDP1も発売。この春の東京は足を踏み入れるには危険 (笑)。昨両日は足腰の肉体的な痛みが今日になつて倦怠感甚だし。フルマラソンが余の如き基礎体力なき者にいかに苛酷かあらためて痛感。風邪気味。悪寒。 早晩に帰宅しアラウさん演奏のリスト「超絶技巧」聴きながら山崎のお湯割り。Kadoorie農場の鶏肉で親子丼。雑誌『文學界』三月号読了。小林秀雄没 後四半世紀の特集で橋本治&茂木健一郎の対談読むため、であつたが、文芸誌の頁捲りながらあらためて自分が小説読みが苦手と実感。バーンスタイン先生指揮 の紐育フィルでベートーヴェンの5番と9番を聴く。74年くらゐの吉田秀和さんの『音楽展望』読んでゐて無性に聴きたくなつたのだが第5も第9も、第5は 第1楽章のあの「ジャジャジャ、ジャーン!」、第9は「合唱」が「聴くのが恥づかしくて」それでほとんど聴かずにゐたが、ふと第5は第2楽章から、第9な ら第3楽章まで聴くと安心して聴ける大発見。
▼雑誌『文學界』三月号の書評で『エドワード・ヤン』(ジョン=アンダーソン著、篠儀直子訳・青土社)といふ、先頃亡くなつた台湾の映画監督・楊徳昌につ いての映画論の出版を知る。興味あるが評者(中原昌也)曰く「偉大なる才能の喪失」。寡作は寡作でいいのだが遺作となつた『一一』(邦題:ヤンヤン 夏の想ひ出)も含め個性的な作品こそ残したが申し訳ないが楊徳昌が映画監督として「偉大なる才能」とまで絶讃されるだけの作品を遺したかアタシは正直言つ て疑問。
▼昨日逝去の芸人沈殿霞の一人娘鄭欣宜が記者会見。健気に微笑み語り始めても懸命に抗病の母の姿から「自己會爭氣、會乖,I'll try my best to learn to be a responsible woman.(盡我所能做一個有承擔的人) 我知道我媽咪只想我咁樣。Thank you」と語るとさすがに涙止まらず。タレントの記者会見といへば先日の「艶照門」芸人淫猥画像での半ば開き直つた「無涙」の会見彷彿。一般的には「あれ に比べ、この母を亡くした欣宜さんの涙は……」と人々の共感あつめるだらうが、ただ一つ確かなことは、あの淫猥画像でもこの健気な欣宜でも「記者会見とい ふ「まなざし」の場での芸人の振る舞ひ」といふ点では等価であること。それを「どう解釈するか」が異なり正悪まで判断されるが、いづれも「さすが芸人」と いふ点ではまさに「藝字是一門專業」なり。
▼海上自衛隊艦船が漁船に衝突の事故につき野党各党が批判、民主党鳩山幹事長が防衛相辞任求める。制服組責任者の職責問ふならまだしも大臣更迭したところ で事故再発防止にならず。単なる野党の政策なき与党攻撃。だいいち石破先生のやうな希有の軍事オタクの他に誰が防相、他に誰が適材か。

農暦一月十三日。雨水。朝起きてやうやく電熱器つけず。早晩にFCCで先週末から抱 へて歩いた新聞一気読み。HMWでクラウディオ=アラウのリスト・ピアノ曲集(ピアノソナタ・ロ短調、「詩的で宗教的な調べ」第3曲~孤独のなかの神の祝 福など)、それにツィメルマンが小澤&ボストンでの同じくリストのピアノ協奏曲1、2番などCD購入。九龍に渡り尖沙咀。バンコクからY氏来港で映画評論 などよくされるS女史、その友人のU女史とZ嬢で居酒屋「京笹」にて飲食。京笹もすつかり老舗の風情あり。1990年頃にこの店があつたか?といふ話題に なり店のご主人に尋ねれば(この方は何代目か、だが)来年で20周年の由。京笹の前はカラオケ「京子」と教へられ「あ、あつた、あつた。それに来る人、来 る夢と書いて〜♪の来夢来人」と私らの記憶呼び戻される。三更半夜雲一つなき天上の見事な十三夜の月を愛でる。
▼香港で李嘉誠ファミリーに次ぐ百億富豪の新鴻基地產、その三兄弟の長男・郭炳湘が弟二人と袂分かち突然の役職退任。三兄弟の父、郭得勝(原籍広東省中 山)戦後香港に移居、1952年に鴻昌進出口公司設立しYKKの代理商として香港の繊維業発展とともに事業拡大。60年代に馮景禧、李兆基とともに新鴻基 企業有限公司を興し地産業に進出。郭得勝は1990年に亡くなつたが「リア王」の如く三人の息子に事業託し二代目社長は凡そダメ者多いなか三兄弟協力し見 事に事業発展続けたり。が長男氏、97年9月に誘拐され(その主犯は渾名「大富豪」張子強(1998年中国で死刑)と云はれる)、妻が7億ドルの身代金払 ふ直談判して釈放されたが、その後、事業全般は弟二人の主導。だが長男氏を名誉職に据ゑることに何ら問題もないはずで、実は長男氏と懇意にて、この財閥に 侵蝕企てる某女性の存在あり。それ食止めるための長男氏更迭の由。
▼芸人エディソン某君絡みの芸人淫猥画像流出(信報の練乙錚主筆がこの騒動「艶照門」と題す)、マカオ賭場王スタンレー=ホー氏曰く
the "naughtiest" thing was for a man to have sex, then tell. Men can be playful but they cannot spread these things around.
と。さすが。この艶照門につき信報・林行止専欄もつひに語る(二月十八日)「難為家長的網上大千房中秘」。当該芸人も災難だが「悪意ある捏造画像」と警察 に届けことが虚報で、それが刑法に触れるのは当然で、これはこれできちんと対処すべき。財閥御曹司のスピード違反や財閥系芸能事務所へは甘く、猥褻画像 ネットに流した愉快者や民主電台(自主放送)には厳しく、と香港警察に「確実存在厚此薄彼不公平的事実」で香港の法治が危ぶまれる、と。
▼雲南省の昆明日報が昆明の市党政府の市党委書記、市長ら含む官員電話番号一挙掲載。地方自治体の党政府の透明度増すこと期待しての動き。だが党政府要職 者宛に電話しても応答なし。党政府幹部の電話番号は機密事項が取り扱ひ注意、か。香港などネットで用意に末端の事務職まで検索可(こちら)。
▼香港の戦後の芸能界で大活躍の、先日見た1969年の映画『花月爭輝』に呂奇の気さくで陽気な妹役で出演の「肥肥」こと沈殿霞女史逝去(60歳)。肥満 体で愛想あり。

二月十八日(月)フルマラソンを走った日の晩は、膝や大腿に痛みがあっても走り切っ た興奮からか、あまり気にならない。僕の大好きなサミュエル=アダムスのビールを飲んで酔っぱらっている。だけど翌朝、目覚めた時は、いつもと違う身体の あちこちの痛みに、僕は42キロ走ったことをあらためて認識する。ランニングブルー(僕がつくった言葉)になる時もあるし、気持ち良く完走した翌朝は、次 はいつ走れるかな?と、やたらハイになっている。今日の僕は昨日のフルの後半の伸びで、やたらハイだ。だから朝のコーヒーを飲みながら、「あれっ?、今年 はもう出られるかな?」とニューヨークシティマラソンのウェブサイトを見た。今年の申込みは2月25日だ。「ちょうど1週間前に気づいた!」ってことも、 なんか僕はツイている。だけど「あれっ?」と気になって確認したら、今のアメリカの大統領の任期は来年1月まで……。民主党の候補者選びが、なんかもう終 盤戦みたいな勢いだから、僕はてっきり、今年のニューヨークシティマラソンのある秋には、違う人が大統領になっている、って早合点。また1年伸びちまっ た。僕はランニングを始めてしばらくした頃、10キロはどうにか走れる自信がついた時、僕の遠い、遠い目標をフルマラソンで、大好きなニューヨークのシ ティマラソンに決めた。深秋のニューヨークで、サイモン&ガーファンクルの歌声が僕の頭のなかを流れるなか、セントラルパークのゴールに走り込む。それが 僕のランニングの目標だったわけだ。だけど、その時には、もう現職のあの人が大統領になっていた。だから、僕なりの些細な政治的主張として「あの人が大統 領をやっているあいだはアメリカの土は踏まない」と決めた。僕の身体がフルマラソンに耐えるようになるには、まだ数年かかるし、僕のコンディションが整う ころには大統領もかわってるだろう(たぶん)という、ボストンの若い精神科医のような、淡い期待があった。それが、多言はいらない……9・11のあの出来 事、イラク戦争、テロとの戦い(見えないヴァーチャルな仮想敵)とか今までずっと続いて、僕の好きだったアメリカは、なんか僕の期待を裏切り続け、それで 僕は目標だったニューヨークシティマラソンへの参加ができないまま、2005年に香港でマラソンデビューしてしまった。そして今年が4回目。来年もたぶん 香港マラソンで走るだろう。大統領は確実に別の人になっている。そのマラソンが終わった時、僕はニューヨークシティマラソンに応募する政治的な資格を得 る。今年は香港と同日開催となった東京マラソンも同じようなもの。神宮外苑で走り始めた僕にとって、東京マラソンこそホームグラウンドのレースだ。だけ ど、僕にとって苦手な人が都知事だから東京マラソンにはちょっと出たくない。……でも都知事が違う人だったら東京マラソンこそ開催なんてなかっただろう な。都知事は昨日、「ますます東京が一つになった感じがした」って言ったらしい。僕の気持ちは一つになるどころか、東京からちょっと離れてしまっているの に。
……と以上、村上春樹風に書くとアタシの今日の気分はこんな感じ。あーあ(笑)。でもやつぱり村上春樹、凄いのは
川のことを考えようと思う。雲のことを考えようと思う。しかし本質 的なところでは、なんにも考えてはいない。僕はホームメイドのこじんまりした空白の中を懐かしい沈黙の中をただ走り続けている。それはなかなか素敵なこと なのだ。誰がなんと言おうと。(村上春樹『走ることについて語るときに僕の語る事』より)
つて、こんな文章が続く。すごすぎ。ただジョギングしてマラソンしてるだけだが、ここまで書けるところがさすが小説家。以上。で本日、早晩に上環の文華里 で印鑑誂へる。久が原のT君に彼の席号「朗然亭」の印恵贈。赤茶の瑪瑙。予めT君に刻字は何が宜しいか尋ねると、畏友に印鑑を贈る話で思ひ出したのは、と T君が語るは、荷風散人が愛玩し終生座右に置いた印鑑「断腸亭印」は昭和廿年三月十日の東京大空襲で麻布偏奇館炎上、その焼け跡の灰の中から奇跡的に獲た もので、そもそもは谷崎大人恵贈、の故事。相手がアタシぢや不相応だが。荷風の養子・永光氏の回想録(父荷風)によれば岩波の荷風全集の奥付の検印もこの 印によるものの由。で書棚から荷風全集取り出し確かめると、それ。で印鑑注文し、その足で尖沙咀。ホリデイインゴールデンマイルホテル地下のドイツ風デリ カテッセン。ワルシュタイナー麦酒注文しぐいつと飲むと普段なら爽快なのに今日はどかんと疲労感と倦怠感。マラソンの疲れまじまじと感じる。Z嬢来てサラ ダとソーセージで軽く夕食。このホテルに限らぬが香港のホテルの従業員の質の低下は明らか。経験浅き給仕、女給ばかりでも黒服さえしつかりしてゐれば指 導、統率できるはずが、黒服の不在。香港で月給12千ドルの黒服君がサービス業人材不足のマカオでは20千ドルに宿舎提供、月1度の香港帰省手当付きで優 遇の由。これぢや誰だつて行つちまふ。マナーも(つて店員の)悪ければ、アタシの隣卓の客が麦酒の種類を尋ねてゐるのにさつぱり答へにもならず(だいたい 本人が麦酒なんて飲むことに関心なし)、おまけにアタシもお勘定したらクレジットカードがいつになつても戻つて来ず、帳場に出向いて尋ねたらアタシの勘定 はてつきり済んだと思はれたらしくアタシのク レジットカードは勘定書きのホルダーに挟まれたまま無造作に積まれた中に紛れ込んでゐる始末。呆れて言葉もなし(つてつらつら綴つてゐるが)。ちなみにこ の店、テイクアウト充実で店で注文すると108ドルのウインナーソーセージ2本がテイクアウトなら28ドル。自宅で食べたはうがずつとマシ。香港文化中 心。紐育フィルハーモニックの演奏会。指揮は当然、ローリン=マーツェル氏、御歳 77歳だが最初の演目、モーツァルトの「フィガロの結婚序曲」とシュトラウスのオーボエ協奏曲ニ長調作品144は張 弦といふこの楽団の若い副指揮者で、オーボエの独奏は王 亮といふこの楽団の首席オーボエ奏者。この2曲のこぢんまりした編成はアジア系団員多し。完ぺきにどさ回り(台湾〜香港〜上海〜北京〜韓国)のご当地向け。中国は遼寧省 丹東(北朝鮮との国境の街、1984年にアタシは遊ぶ)出身の張弦といふ指揮者の未熟とはいへ必要以上に大振りな指揮。よくあのテンポが走る指揮に団員が 乗らないもの、と感心(指揮を見てゐないから、か)。この指揮者は20歳で北京中央歌劇院を振りデビューの由。でその時の曲がこの「フィガロ」とはわかり 易い。シュトラウスのオーボエ曲も申し訳ないがアタシは居眠り。で中入後、御大ローリン=マーツェル氏登場。ブラームスの4番が流れ始める。ア タシは思はず「待つてました〜つ!」と大向かうから声をかけさう。紐育フィル、実際に生で聴くのは初めて。だがこの楽団ほど楽団の物語をアタシなりに知つ てゐて、いろんな時代のいろんな指揮者の演奏をLPやCD、雑誌の記事などで読んだのも珍しい。フルトヴェングラーによるストラヴィンスキー「春の祭典」 のアメリカ初演。トスカニーニとメンゲルベルクの時代。ナチスの迫害逃れたユダヤ人奏者の多い時代。バーンスタイン先生のブルーノ=ワルター代役としての デビュー。戦後のバーンスタインの時代。あのマーラーの全曲集。バーンスタイン先生の死。そして伯林を棒に振つたマーツェル氏の音楽監督就任……。この今 晩の演奏について書き出したら、アタシの音楽に対する文字での表現力ではまつたく用をなさない。ブラームスの四番は、確か坂本龍一先生だつたかが「戦メ リ」大好評のあとだつたかに今後の作曲活動でブラームスの四番のやうな「いかにも交響曲つて感じの曲」を書きたいといふやうな話をしてゐたこと、ふと思ひ 出す(曖昧な記憶)。この曲はほんとその通り「交響曲つていへばこれ」みたいな、地方オケが定期演奏会で定番になつてさうな、だからクライバー指揮の維納 フィルのCDがあつても今更あまり聴かうと思はず、小澤&サイトウキネンもいいが、アタシは今晩のブラームスの四番は生涯、忘れまい。Z嬢が演奏後に曰く ロリン=マゼールは「このじやじや馬の演奏家たちをよくぞ馴らして、まとめたもんだ」。そのコメントで十分。拝みたいほどのマーツェル氏の指揮はアタシに とつてはこれが最初で最後。しつかりと目に焼けつける。来年秋よりアラン=ギルバート君が音楽監督の由。帰宅して春樹『僕が語るときに走ることについて語 ること』(僕が改題した)読了。

二月十七日(日)昨晩は綺堂劇評『ランプのもとで』のうち岡本経一による補遺読了 (完)。経一氏による補遺は文士劇に関する記述など面白い。綺堂の著作出版のための青蛙房の、きちんとした装丁も見事。奥付の著者の検印も今では見られぬ 作法。昨晩早寝のはずが眠れませんモードに入つてしまひ脂汗でびつしよりになりまんじりともせぬまま朝の五時すぎ。大丈夫かしら。少し暖かに感じる気温摂 氏13度。昨年の香港マラソンが気温摂氏24度、湿度95%の悪条件と思へば幸ひ。地下鉄で尖沙咀に向へばすでにレース終へた10Kのランナーたちが天后 で少なからず乗車。七時前に尖沙咀。インターコンチネンタルホテルにお泊まりのT君夫妻応 援に来てくれる。07:45にフルマラソン開始。10kmくらひまではまぁ大丈夫だつたが睡眠不足がたたり身体が凍えたまま7分/kmで青馬大橋。汀九橋 の折り返しで「もう止めようか」と思つたが幸ひ陽がさして身体も温まり多くのランナーが復路で暑さと疲労でペースダウンするなかアタシは寧ろ6分/kmと アタシにしては快調で着々と(ほんとはそんな「はしたない」ことはしたくなかつたが)前走者を抜き始め、で結果、復路でなんと760人も抜いて(いちいち 3人抜いた、1人に抜かされた、と数へてゐるだけ余 裕があるなら、もつと早く走れ、と言はれさうだが)手許の時計で4時間44分で完走。ここ2年、5時間台であつたが、父の余命幾許かと心配しながら走つた 3年前の初マラソンとほぼ同タイム。アタシのやうな「小学校から中学まで体育は5段階評価で万年2」にしては立派なもの。ゴールが今年は銅鑼湾の Lockhart Roadを走り抜けてヴィクトリア公園。何人か知人の応援受けこそばゆい思ひ。按摩に寄り帰宅。滋養のためブランデー数杯。無理して走 つた結果(本番前の走り込みが足りないのだから当然だが)疲労が腰にきてしまひ杖をついて早晩に銅鑼湾鵝頸橋の韓国料理「郷村」。所属するランニングクラ ブの香港マラソン打ち上げで末席を汚す(フルに16名、ハーフに6名、10Kに2名が同会より出場と盛況)。足腰も痛むが疲れで悪寒甚だし。湯たんぽ用意 して午後九時に臥寝。Y嬢より借りた村上春樹『走ることについて語るときに僕の語る事』少し読む。
▼ダウジョーンズ株のインサイダー取引きの廉で米国当局と約10億円の示談で片づけた李Baby國寶・東亜銀行主席(旭日中綬章受賞者)が香港政府行政会 議の職を辞任(立法会議員職(銀行界)は続任の意向)。祖籍は広東省鶴山。祖父の李冠春が東亜銀行創設、父・李福善は英国領香港での行政局、立法曲議員。 叔父には李福善(香港司法重鎮)、李福兆(香港証券取引所の元主席)、李福深(香港ジョッキークラブ初の華人主席)がをり甥の李國能は香港特区最終裁裁判 長(現任)。香港金融界の大立者、とんだ汚点だが、02年には廖創興銀行の社主・廖ファミリーのお嬢様と巴里で浮気現場をスクープされ六旬でまだまだお盛 んなところ見せる。弟の李國章は香港中文大学の医学部部長から学長、で香港政府の教育統籌局長に抜擢されたが教育改革での強引さが祟り実質的な更迭が昨年 の話。兄弟して災難だが身から出た錆。

二月十六日(土)昼前に上環文華里で印鑑受取り。昼に湾仔。六國ホテルの粤軒にて四 月東京へ一年語学留学するA君、C嬢と昼食。お二人の奨学金申請で推薦人に請はれ一筆認めお渡しする。早晩まで薮用済ませて佐敦。北 京酒樓。Z嬢がT君夫妻連れて来店。尖沙咀の鹿鳴春は二週間先まで予約で満席と言はれたが、この店も六時過ぎで爆満。今年は北京五輪で北京料理が流行り か……まさか。北京ダッグ包む荷葉餅ぢやカーボローディングにはならぬか、と思案しつつ気がつけば明日がフルマラソン。食後、裕華百貨。かつては「中国国 貨らしい」と思つたが今ぢやこんなダサい百貨店、国内ぢや潰れちまふか。「なんか北朝鮮のデパートみたい」とT君。強ち否定できず。カシミアのセーターも 茅台酒も驚くほど高値。中国の物価高。帰宅して明日の準備して早寝。

二月十五日(金)晴。千葉は銚子より来港のH氏に昨日いただいた秋刀魚の開き朝に食す。美味。昼はほんの少し暖かく摂氏十三度。小学の時の同級生で昨年、 実に何十年ぶりに再会のT君夫妻ご来港。T君は某電力会社の研究員で発電の水の流速の測定を超音波でナントカかんとか、余にはさつぱりわからないが要する に発電が効率良くなるやう、大切な研究をされてゐる。早晩にT君夫妻を上環文華里にお連れして印鑑づくり。同伴の余も富柏村印と蔵書印誂へる。 Bonham Strand Eastにある尭陽茶行に鉄観音茶購ふ。路上の街市抜けて粗呆区のWatson'sにて葡萄酒購ひFCCに麦酒一飲。鏞記酒家にて晩餐。Z嬢来。この食肆 では何かと気遣ひいただく旧知の副経理J嬢、経理のT氏らに利是差し上げてゐると突然、何処からともなく一人の女給現れ利是強請られ祝儀でやつたものの我 らが卓に給仕するでもなく、その後は一向に姿も見せず。ありや誰だ?といふ話になり店員に扮した利是詐欺か、将又、実は十数年前に一時働いてゐた女給が退 職後不幸続きで亡くなつたのが正月になると賑やかさ恋しく店に現れ客の間を回るが同僚の職員には姿が全く見えず、の幽霊話か、と笑ふ。葡萄酒は豪州産で白 はDog PointのSau Blanc 06年、赤はHenry's DriveのCab Sau 04年。鏞記といふのは大したもので当方が葡萄酒を白、赤一本づつ持ち込んだ、とわかれば料理もちやんと供す順番まで気遣ひ、酒の飲み具合で料理が運ば れ、さすが。満腹で腹ごなしに歩いてからピークトラムで山頂へ。さすがに寒い。ミニバスで中環に下り尖沙咀に渡るT君夫妻と別れ帰宅。綺堂劇談補遺少し読 む。今日は竹内好『日本とアジア』から1948年の「中国の近代と日本の近代」を読む。竹内好が今日もクローズアップされてゐるが余には「なぜ今になつて 竹内なのか」よくわからぬ。1948年で戦争への反省も「通り越して」(戦争反省が「ない」のではない。戦争体験を反芻、と言へば聞こえがいいが、それを 超越してしまつてゐるところが竹内好)、日本は立派な民族、国家だから、と論を進める、このオトーサンがゐて、それが21世紀になつてもまだ再評価とかさ れてしまつて持ち上げるのが、どこか気持ち悪い。「竹内好を21世紀に必要とする日本人とはなにか?」が気になるのは、今日、T君にお強請りして雑誌・文 學界三月号を買つて来てもらひ小林秀雄没後四半世紀で橋本治と茂木賢一郎の対談を少し読み二人の話が治ちやんの近著『小林秀雄の恵み』が実は橋本治が 『「三島由紀夫」とはなにものだつたのか』で第1回小林秀雄賞を受賞された時に記者会見で「私は別に、小林秀雄がなにものであるかということへの関心はな いんです。“小林秀雄を必要とした日本人”とはなにものだったのかということへの関心があるだけです」と語つたことが切掛といふ話から始まつたからで、こ れを読み竹内好もさういふ意味で気になつた次第。
▼久が原のT君より陶傑さんの「藝字是一門專業」のこの言葉、まるで禅の公案、円覚寺僧堂の老師に一行物に揮毫して貰ひ床に掛けておきたい、と。ところで 香港開闢以来の芸能界のこの椿事、政府淫褻物品審裁處がネット上に流れし画像は「不雅だが猥褻に非ず」(indecent but not obscene)と評価。猥褻物流布罪で警察が捕まへた青年は無罪釈放。淫審處の主任裁判官曰く「もしこれが特定の芸人の私事画像だとした場合、その本人 の損害は大きく、それをネットに流すことが欠徳行為だとしても」淫審處はあくまで対象物が猥褻かどうか審議、と。これぞ法治。メンツがないのは警察当局。 旧正月前に愉快「犯」数名捕まへ一件落着と見栄をきつた警察副署長黄福全は今日の記者会見でも釈明は講多錯多の一派胡言(新聞は翌朝のもの)。
▼マカオの賭場の興隆について。マカオの賭場、グランドリスボアの入場者数は昨年、1千万人。香港の鼠楽園と海洋公園足したより多し。このグランドリスボ アだけで今月の初日から十日(旧正月初四)までの売上げは7千億香港ドル。今年旧正月のマカオの賭場全体の収入は21億香港ドル(300億円)。うちヴェ ネツィアンマカオとSands Casinoがそれぞれ5億の由。

二月十四日(木)母より航空便で荷物届く。薩摩柘植の紳士用の櫛と先考の冬用の肌着 一枚。櫛は香港で探したがプラスチックの廉価品すら見つからず。圭一郎、旭の時代なら胸ポケットに櫛は当たり前だつたが。でネットで探すと、いきなり薩摩柘植。櫛の 歯の部分と軸が微妙に異なる硬度の柘植が組まれ、それにより耐久性も向上。きちんと手入れして(なくさなければ!)ずつと使へる。早晩に天后の華姐清湯腩 で牛腩河粉食す。寒いといつそう美味。巷は「情人節」ださうで、幸せさうに「ひつついた」若者男女石を投げれば当たるほど数数多。ハロウィン、クリスマ ス、年末年始、旧正月、バレンタインと消費、消費、消費。次から次へと消費活動が推奨されロマンチックな演出の中、それに躍らされての快楽と幸福。どうぞ お幸せに。諸事に忙殺され二更に帰宅して残りものの葡萄酒飲む(Ch. Canteloup)。綺堂劇談補遺少し読む。
▼陶傑氏が芸人淫写流出について蘋果日報連載で「粗劣是罪」と題して述べる。芸人が性交場面を撮影しようが外部に漏れようが大した問題ぢやない。ただ「撮 影があまりの粗雑なことが罪」と(笑)。写真撮影がまだ高価であつた時代、映画「タイタニック号」でレオナルド=ディカプリオ扮する画家志望の青年は出会 つた少女(ケイト=ウィンスレット)が寝台に優雅に横たはる裸体を写生したではないか。その芸術性に比べ、今回の醜聞の画像は見ての通り女性スターたちは 手で乳を揉み大股を開き露骨に口交してみせ、しかも淫事の室内(Edison某の部屋)はチープなガラクタだの散らばり、撮影の水準も劣り、これぢや油麻 地や旺角をふらふら徘徊してる、そのへんのニーチャンでも撮れる水準、と陶傑先生。たかだかニャンニャン写真といへばそれまでだが芸人なのだ、「「藝」 字、是一門專業」なわけでプライベートのベッドシーン撮影でも水準を考へるべき、と。御意。
▼九月の香港立法会選挙。激戦となる港島區。もともとリベラル派強く、そこにアンソン陳方安生も加はり中間票狙ひ土共とは距離を置く保守派の葉劉淑儀も当 選確実。親中御用政党民建聯は馬力氏逝去で1議席失ひ「福建女皇」蔡素玉だけでは頼もしからず重量級候補が欲しいところ。知名度では曽鈺成だが土共でも筋 金入りの左派で港島區での好感度低し。で民建聯がラブコール送るは行政長官特別秘書のGary Chan Hak-kanの由。昨年七月に五年契約、で常識的には鞍替へせぬが本人は「民建聯の決定次第」とやる気満々。議院内閣制なら議員秘書での雑巾がけこと代 議士先生への第一歩だが。行政長官は小役人上がりであるが秘書官が民建聯とべつたりぢや、さすが「文革曽」と呆れるばかり。
▼1973年に行はれた毛沢東主席とヘンリー=キッシンジャー米大統領補佐官(当時)の会談で毛主席が「中国は貧しい国で女性が余つてゐる。米国に 1000万人を送つてもいい」と語つたことが米国の外交文書で明らかに(AFP)。半 ば冗談とはいへキッシンジャーも返答に窮し会談に同席の中国外交部首脳が議事録からの廃棄提案し双方が同意。「女なら余つてる。なんぼでも、やるよ」のこ の超オヤヂ感覚のどこが人民の共産主義か、今更呆れてもしやうがないが。だがこの主席が今ではまるで土神の如く民家の神棚に祀られタクシーには交通安全の お札宜しく貼られてゐる現実。

二月十三日(水)数年前から果たして何処に仕舞つたか、と気にしてゐた、我が祖父篆 刻の印鑑が引き出しの奥から見つかる。「竹居」(ちっきょ)は亡き祖父の俳号なり。早晩寒風吹くヴィクトリア公園。週 末の香港マラソン、ゼッケンなど受け取り。1997年の第1回はマラソンにわづか313人、ハーフに763人の参加。翌98年の第2回に10キロが始まり (ハーフ取り消し)アタシはこれに初参加してから昨年まで10キロ2年、ハーフ5年、フル3年と10年連続参加。練習不足で制限時間内に完走するんだから (フルは5時間30分、ちなみに東京マラソンは7時間)我ながら天晴れ。世界の一流選手の倍の時間を走り続けるのだから、並の体力ぢやかうはいかず。今年 は10キロに3.2万人、ハーフに1.15万人、フルに6千余が参加で大会全体としては5万人規模。昨年つひに朝5時台にスタートの10キロの後尻組と ハーフが西海底トンネルで大渋滞起し今年は10キロは東區走廊で開催と分離。ゴールももはや湾仔の「出べそ」では収拾つかずヴィクトリア公園に。当日の朝 は午前3時から公共交通機関動く由。でそれだけの規模のゼッケン受取りが地場の者は今日と明日、二日間の燈刻、3時間づつ、つてんだから。ヴィクトリア公 園のサッカー場、すでに10キロの部は長蛇の列、カウンターがハーフが同数で1時間待ちは必至。アタシは蘇州のI君のハーフのゼッケン受取りも代理で引き 受け(本当は明日が指定日なのだが)まづハーフに並ぶこと約20分。終はつてアタシのフルに並び直すつもりがハーフのカウンターの青年がいい奴で「ここで フルも一緒にやつてあげる」と。帰宅して洋琴手習ひ。ドビッシーのEn Bateau(小舟にて)といふ連弾の小曲を練習中なので井上直幸先生の「ピアノ奏法」のDVDでドビッシーの巻を見る。ぢつにいひねぇ。遅晩に走るつも りだつたが晩飯が「おでん」ぢや熱燗がお決まり。これぢや走れない。おでんの残り汁でうどん煮る。うどん啜りながら井上先生のシューマンの演奏を見ては井 上先生に失礼といふもの。綺堂劇談本編読了。明治の劇談といひつつ明治37年の初代左團次の逝去をもつて敢へて終談なのは明治の歌舞伎が「團菊左」なら当 然といへば当然。それにしても九代目(團十郎)や五代目菊五郎の芝居はどれほど素晴らしかつたのかしら、綺堂居士の云ふ、残念ながら見た者ぢやないと解つ たものぢやない、といふ言葉に溜め息。すると丁度、歌舞伎座で先代幸四郎追善(廿七回忌)の「関扉」「七段目」看た久が原のT君より便りあり。いづれの芝 居も「昔はこんな軽い出し物ぢやなかつた」と。T君曰く綺堂先生の「残念ながら見た者ぢやないと解つたものぢやない」に後進の好劇家は切歯扼腕したはず。 だが昭和58年11月の歌右衛門、勘三郎と松緑の「関扉」こそ「見た者ぢやないと」に値する、と。本来なら今月の関扉とて「これが平成の」となるべきだ が……。
▼SCMP紙読んでゐたら“Obama, Japan, roots for accidental namesake”なんて記事あり(AFP配信)。次第に民主党で優勢の「オバマ氏に小浜市から応援の声=「勝手連」も結成」(時事)。 2004年の上院議員選挙(イリノイ州)で小浜候補にカンパまでして応援し、過去の日剰紐解けば一昨年の1月に「バラック小浜」と書いてゐたアタシとして は「オバマ=小浜」の普及に感慨深いものあり。でも「小浜馬楽」の当て字はまだまだ。馬楽といふと噺家だが、「小浜」から上方漫才の海原お浜・小浜(海原 千里・万里の師匠)想像する方も今ぢや少ないか。仏蘭西の「志らく」大統領もいいネーミング、と思つたのだが流行らず。
▼国連安保理事会によるダルフール虐殺での対スーダン経済制裁決議、中国が受入れず。それに抗議しスティーブン=スピルバーグ監督が北京五輪開閉幕式での 芸術顧問を辞任の由。北京の御用知識人は「平和の祭典を政治的に利用されるのが悲しい」と。五輪を政治的利用してゐるのは何処の誰よ、と呆れるばかり。豪 州政府は過去の土着民への差別、蔑視政策を公式に謝罪。アタシらが子どもの頃、地理の教科書に豪州の「白豪主義」の記述あり。黄禍思想の苛しさ、と思つた が日本での「朝鮮人」「支那人」差別こそ現実であつたはずなのにねぇ、外ばかり見て、教へられて。

二月十二日(火)寒がりで厚着のアタシはいつも冬に上着の下にチョッキ着てゐるだけ 「熱くない?」と笑はれるのが今年は冬物の厚手の背広にチョッキ、更にコートで冬物のボルサリーノの帽子まで、香港ではなかなか出来ぬ冬の装ひ、が寒いが 愉快。本当は亡父の厚手の羊毛のコート着たいのだが、さすがに、と躊躇。だが日頃お洒落だ、と敬服する某組織のF氏は(夏でもジャケットきちんと着こなし 而も汗ひとつかかずさつぱりとした表情で粋だが)先日お会ひしたら徳利セーターに厚手の上着、毛糸のマフラーに冬物のコート着こなし手袋まで嵌めて、まる で駒形茂兵衛役。見上げたもの。で本日は晩に仏蘭西の馬戯団 Zingaro の公演参観。初 三9日より3月23日までの香港公演。ハナの三日は馬場も馴染まぬでしやうから四日目で、の算段。斎藤さんが東京公演を見て「馬と人間がコミュニケーショ ンしてどれほどすごいことをやってるのかおそらくわからない方が少なくないと思う」と書いてゐたが(こ ちら)確かに斎藤さんの言ふ「事前にまわりからすごい、すばらしいと聞いていたので期待が膨らみすぎてしまったかなという、ナイアガラの滝を見た ときと同じような感じ」といふのは言ひ得て妙か。先日、面白いな、と思つたのは「サーカス」は中国語だと(日本人が想像するのはさしづめ「雑技団」だらう が、あれは曲芸で)実は「馬戯団」。実際に現代サーカスでは馬芸の要素は小さくなつてゐるが元来「馬戯」がサーカスの基本であつたやうに(斎藤さんの話に 戻るが)つまりヒトと馬とのかかはりがいかに密着か、といふこと。日本にも例へば厩が続く南部曲り家のやうに馬が大切にされた風土もあらうが、農耕馬以上 に到つてをらぬやうで、さういへば「馬芸」といふのは芸でも聞いたこともない、とgoogleしても「三遊亭金馬・芸歴」を漁つちまふほど。まぁさういふ わけで、あまり大袈裟なこと期待せず、馬とヒトが戯れてゐる、その「安寧ぶり」を愉しむかとが大切なのか、と思ふ……(以上、観戯前の妄語)。といふわけ で早晩。Z嬢との待ち合はせにちよいと時間あり。Java Rdの通りがかりの上海理髪店で理髪師が暇さうに居眠り(正月は確か初十五まで散髪は忌だつたか)、で柳家金語楼似の師傳がアタシの見て呉れに合はせ?調 髪。老齢の理髪師になると客の帽子の扱ひとか、実に佳し。思ひつきり古風な七三!になつちまつた。北角の「札幌」らーめん店。Z嬢とラーメン啜る。身体温 め19時23分の紅磡行き最終フェリーで紅磡。特設テントの発泡酒やサンドヰツチはとても期待できまい。でもやはり札幌ラーメンぢやミスマッチか、きつと 馬が輓馬に見える鴨。紅磡埠頭近くに特設天幕。最上席の2列目中央(最前列は砂かぶり過ぎでB席扱ひ)でご観賞。入場すると暗闇のなか円形の狭い馬場に天 幕の天上から水柱、その周りには静かに佇む馬たち。厳かに馬戯が始まつたが一旦始まれば「なにが安寧ぶり」か、まぁ勢ひのいい馬戯が続く、続く、であつと ひふ間の80分。ライカでカラーに撮りたい世界。これでもか、これでもか、と直径30mほどの、つまり一周わづか95mほどの馬場を馬が襲歩、で騎馬師が 曲芸。敢へて言へば、馬場を回る演出ばかりで、例へば数頭が馬脚揃へてタップダンスするとか最後に大喜利をするとか、さういふものがあつてもいいのでは? と一瞬思ふ。が、あくまで馬は襲歩する、といふ基本で抑へてゐるところがZingaroの妙か。ふと、このZingaroの主催者バルタバス師とデットー リ騎手、それにジョン=サイズ調教師といふ「馬と人間がどれほどすごいことをやつてゐるのかわかる」三奇人が一緒に何かしたらどうなるか?と想像する…… たぶんヒトとの協調が出来ずに終はる、か。公演終はつて主催者側誂へのシャトルバスで紅磡站。隧道バスで帰宅。文藝春秋三月号読む。石原慎太郎はアタシは 個人的には厭ふが、芥川賞の選評だけはこの人の意見にいつも最も共鳴。芥川賞受賞の川上未映子『乳と卵』読む。久々に読み切れた芥川賞作。映画にしたら、 河瀬直美とATG映画の東陽一作品を足して2で割つたやうな感じ。「一葉へのオマージュ」といふが、この作品、果たしてこの「長つたらしい文体」(これが 一葉風?と云ふのかしら)がなければ、果たしてどうだつたか、アタシには不明。

二月十一日(月)寒烈甚し。晩に帰宅して洋琴手習ひ。食後ジムで走るつもりが自家製 コロッケ食ひすぎ(といつても米飯なし、でキャベツの「あて」にコロッケ食べてる感じだが)。凍えて熱爐前に綺堂劇談読む。
▼芸能人淫乱画像流出醜聞で淫らな姿公開された女性デュオTwinsの鐘某女が事件後初めて公衆の面前へ。合ひ方と一緒に正月のファンの集ひに姿見せて、 「一定永遠支持Twins」などプラカード掲げた熱心な、半ば事務所誂へのファンを前に「我承認、以前係……係好天真同埋好傻、但係家已經長大喇」(我承 認、以前是……是好天真和很傻、但是現在已經長大了)と約一分、心境吐露し謝罪。取材の芸能マスコミからの質問等は一切受け付けず、事務所側は今日のこの 謝罪会見後は本人も事務所もこの醜聞については一切発言はしませんよ、と釘を刺す。恥も吹つ切れたか、さすが芸人、と思はせる会見ぶり(に翌日の蘋果日報 は「無涙」と)。ふと同じやうな手打ちは何年も前に香港代表する国際的アクション映画俳優・成某男の不倫&隠し子醜聞、マスコミの追撃逃れ海外より戻つて の記者会見も同じ、でその後一切不問。これが市井なら猥褻醜聞ぢや「お終ゐ」だが、さすが芸能の世界は別。ふと「政界も一緒か」と思つたのは米国前総統の 白宮「葉巻でお玩び」醜聞も現職総統が弾劾か?が不問とされ「悔い改めた」姿勢で好感度すら増し、屈辱的な立場にあつた夫人が今では大統領選に出馬か、の 勢ひ。さう思ふと芸事と政事は似たもの。ところで、この芸人の本日の記者会見で流出画像が本人のものであること「前提」や「黙認」だが、事務所側は当初 「悪意ある偽造、コラージュ写真」として警察に通報につき、事務所のそれは意図的な虚偽通報でないか、といふ指摘もあり(警察への虚偽通報は最高半年の懲 役刑)。だが警察も証拠画像見て「これモノホンだよ」と一目瞭然、まさか今更この事務所を訴へもしまいが。
▼ソウルの南大門(崇禮門)も全焼なら台湾では雲門舞集の練習場も焼け落ちる。現役の舞踏団ゆゑ建造物や美術品の如く無に帰したわけぢやないが舞台音楽資 料など焼失 で主宰の林懐民氏の落胆ぶりテレビに映る。
▼香港政府教育局の小役人曰く「北京五輪への認識深めることで国民意識の高揚を」と。何をか言はん哉と思ひつつ近代五輪など近代国家主義高揚が為に始まつ たもの、と思へば道理。愛国、愛国と他に啼く音も知らず。愛国といへば突然思ひ出したが旧正月前の信報が、中国政府は次期行政長官候補として梁振英に焦点絞り 接近、と報道。梁振英は不動産鑑定士で若くして英国系某大手より若くして独立し保守派として香港政府行政会議の非官員メンバーに選ばれ土共親中派では番長 級。だが「多数から人望厚い」といふタイプに非ず組織管理力、指導性は未知数。

二月十日(日)寒さ続く曇天。朝七時半のバスで馬鞍山運動場(恒安)。九時より馬鞍 山8kmのレースあり参加。キロ6分の予定がけつこう いいペースで予定より2分早く46分でゴール。葉伯お元気で80分はキロ10分であるから時速6kmで早歩きぐらゐだが85歳である、敬服。O氏が年代別 で3位入賞。表彰式用に、とオリジナルの法被まで、用意周到。O氏と車公廟に賽す。初三の昨日は入場制限で長蛇の列が大圍の鉄道站に到つた由。今日は賑や かだが歩けぬほどでなし。O氏と別れ香港文化博物館。畏友鄧達智君らの作品が並ぶ“Fashion Attitude – Hong Kong Fashion Design”なる戦後の香港ファッション史の展示見ようと寄つたが圧巻はもう一つの特別展「歌潮・汐韻-香港粵語流行曲的發展」。戦後の広東ポップスの 集大成。許冠傑の『半斤八両』はアタシにとつての香港の原体験。梅艶芳、陳百強など懐かしい映像眺める。それにしても唖然とするほど「もう芸能界」なのは 故・羅文の衣裳の数々。孔雀の羽のドレスなど
美川 憲一先生的な世界。港島に戻りバスでちやうど昼にQuarry Bay通りかかり、さういへば昨日、ラーメン屋「函館」が九日(土)まで連休と張り紙あり、今日は営業か、と立ち寄れば日曜で定休日。それなら十日(日) まで連休と貼り出すべき。向ひの泰國人海南鶏にて海南 鶏飯食す。香港仔崇文街に本店ある此の食肆、あつといふ間にフランチャイズで十数店舗あり。ジムに一浴し帰宅。小一時間昼寝。洋琴手習ひ。Z嬢と早晩に西 湾河の電影資料館。喜戲獻新春と題した正月の喜劇特集で映画『花 月爭輝』(監督は黃堯、1969年)看る。主演は蕭芳芳に呂奇。富豪の息子(呂奇)と良家の才媛(蕭芳芳)のラブコメディ。蕭芳芳のまぁ綺麗なこ と。蕭芳芳の妹役で薛家燕(蕭芳芳との年齢差では薛家燕のはうがずつと上だと思つてゐたが)、ここ半年ほど肝臓だか腎臓病み容体悪化の沈殿霞(肥姐)は呂 奇の妹役で、その末妹役の子役が誰か、がアタシはわからなかつた(鍾叮噹、改め鍾麗裳)。踊つて歌つて、良家の豪邸の舞台セットだけで観衆が惚れ惚れと眺 めた映画の楽しかつた時代。二記海鮮酒家に魚香茄子煲など食す。岡本綺堂『ランプの下にて』続き読む。父親が芝居好きで幼いうちに九代目(團十郎)の知遇 を得、九代目の楽屋で福地桜痴に紹介され若干17歳で東京日日新聞で劇評書く……と綺堂らしい話が続く。

戊子 年正月初三。布団の温もりの気持ち良さに朝寝貪る、といつても七時過ぎ起 床。気温摂氏八度。極寒。久々の快晴。机に凭り諸用済ませ
昼に Z嬢と北角。飲食店は正月で茶餐廳とマクド以外壊滅状態。北角MTR站傍の強記なる茶餐廳で臘味飯と鹹魚鶏粒炒飯、五蛇羹。茶餐廳も正月でサービス料1割 もご祝儀。41Aの路線バスで大 坑。大坑道から掃捍埔の香港スタジアムにかけての崖は、かつては衛斯理村があり崖に張付くやうに正民村のバラック住宅が文字通り繁つてゐたが10数年前香 港スタジアムの建設の頃にバラック一掃され衛斯理村も住民撤去させられ大坑道にはずつとフェンス敷かれ崖に降りる小徑は鉄扉で施錠される。衛斯理村には小 さな教会あり遠くからも眺められたが今では鬱蒼とした樹木に覆はれ姿も見えず。かねがねZ嬢と探検を、と話し漸く今日出かけたが大坑道からの崖は完ぺきに フェンスに覆はれ、小徑も途中で鉄扉で入れもせず。バラックに住まひし住民強制退去させた結果、政府はまた住まはれ既得の居住権など主張されてはたまつた ものぢやなし、と断固として立ち入り禁止の措置。ミニバスで銅鑼湾に下り、銅鑼湾では嘘のやうに閑静な掃捍埔散歩して香港スタジアムより崖の階段登り 1918年の競馬場大火の死者慰霊碑へ。掃捍埔は単に慰霊碑があるばかりではなく、1918年のこの惨事で590人亡くなり、その多くが埋葬された場所。 大正時代に日本人墓地と火葬場建立されたのも此の地。正民村のバラックも一掃され香港スタジアム建設され当時の面影もなく崖に競馬場火災の死者慰霊碑のみ ひつそりと佇む。歩いて大坑に到る。何故か自動車修理工場多い大坑の市街地は旧正月で静か。最近は小洒落た飲食店多く蓮花宮参拝の者も少なからず。トラム でQuarry Bayに到り夕方のEast End酒場に一憩。N氏とまるで待ち合はせたが如くばつたり。地場のaleと白耳義のChimay麦酒飲む。帰宅。洋琴手習ひ。ドライマティーニ二杯。晩 にモツ煮うどん。

戊子 年正月初二。
気温摂氏九度。極寒。Z嬢と港島東區より新界西貢は黄石碼頭行きのバスで遠出しようか、となつたがさすがにこの週末祝日運行の 行楽バスも正月三が日は運休。坑口まで地下鉄。黄大仙から戻りの参拝客少なからず。西貢までミニバスはさすがに閑散。西貢より黄石碼頭行きのバスがちやう ど出てしまひタクシーで追ひかけ黄石。ちやうど、このバスの到着に合はせた10:35発の連絡船が出るのに間に合ひ、塔門島から高流湾に行く船にはさすが に乗客もゐたが赤柱(Chek Kung)行 きの船は定員60名余にZ嬢と余の二人だけ。歩いても2.5kmほどだが船では東心淇の岬を越え僅かに10分で赤柱。波止場に着き船が去れば静寂の世界。 薪木の焼臭からキャンプ場で正月を野営で過ごす数組あるのを知る。この赤柱より山中の鹿湖に向ふ算段。野営場のすつかり牛が雑草食ひ尽くした芝生のなかを 歩み山道に入るつもりが林中で右往左往し諦めていつたん海辺に戻り赤柱の廃村よりの経路で再び山道へ。山岳マラソンKOTHの路線札あり(昨年11月25日開催)。約2kmで標高 200mほど登り昼。鹿湖郊遊徑に入り今日初めてハイカーに出会ふ。黒狗連れの日本人の男女。正月二日に山に入るのなんて中国人のわけないですね、と笑 ふ。0.5kmほど山中下り鹿湖。香港の近郊ハイキングでは景勝地ながら我々二組と狗一匹のみ。鹿湖郊遊徑を約5km歩き北潭道に出る。約8km、4時 間。牌額山(452m)の袖、0.5kmで120mの登りは驚いたが西貢の今朝、船を降りた赤柱の波止場から東は大浪湾まで一望は見事。通りがかりのミニ バスで西貢。正月でThe Duke酒場休み。Z嬢がパン屋に寄る間にコンビニで200mlの赤葡萄酒の小瓶購ひ立ち飲み。午後遅くで小腹空いたが龍記桂林米粉は正月休みで松記車仔 麺は長蛇の列。林記小食で炒麺と腸粉食す。ジムで一浴し帰宅。対日本のご公務済ませ洋琴手習ひ。晩にケーブルテレビで1988年の映画『ワンダとダイヤと 優しい奴ら』放映あり思はず見入つてしまふ。当時、カウリスマキ監督の“I Hired a Contract Killer”(主演はトリュフォー監督「大人は判つてくれない」でデビューのJean-Pierre Léaud)とか、“Coffee and Cigarette”とかと並んで好きな映画でZ嬢と渋谷中心に屢々映画見ては飲み歩き、と、あれからもう20年……と感慨深きものあり。『ワンダとダイ ヤと優しい奴ら』は当時もとても可笑しかつたが今になつてきちんと英語だけで
見て みると英国の人々の振舞ひの可笑しさやブリティッシュな英語での言ひ回しの妙など、それが実に抱腹で笑へる。だがこの話はワンダといふ泥棒女が、ダイヤモ ンド独り占めするがためにワンダに恋する男たちの間を巧みに泳ぐ、まさに原題の“A Fish called Wanda”そのものが魅力的で、それに一流のコメディが加はつたところが素晴らしさ、と納得。
▼英エコノミスト誌が中国の寒禍の特集記事、見出しは Frozen assets と題す。「資産凍結」か、ほんたうに見出しだけでも感心。
▼昨日(正月初一)の蘋果日報で蔡瀾氏の随筆再開。但し「查租界」と題し て語るか斯の如し。查(金庸)夫妻、黎智英(蘋果日報社主)夫妻、倪匡夫妻らとの会食の折、この連載の話となり、蔡瀾に代はる代筆もそろそろちよつとネタ が尽きた、と言ふ倪匡氏。中国武侠小説の第一人者・金庸氏は、明報の創設者であり黎智英もこれまで三顧の礼尽くし蘋果日報での執筆願つたが叶はず。その金 庸先生がぽつりと「その借地=連載、自分が借り受けよう」と。「但し一篇だけ」と釘をさす金庸に、黎智英、蔡瀾、倪匡が連載で書いてこそ面白い、と説得 し、結果、三人が輪番で受け持つことになつた由。金庸が再び筆を執る、といふのは文芸界にあつては椿事なり。
▼昨年より信報で週一回、孔在齊(沈鑒治博士)の京劇史の随筆連載あり興 味深く読む。上海に育つた氏が戦前の京劇を語る見事な文章。先週は程硯秋(1904-1958)、今週(六日)は四大髭生之一・楊寶森(1909- 1958)。実際に楊寶森の戦前の舞台を上海で見た沈氏は、その歌唱の絶妙を語る。がそればかりか楊寶森の弟で鼓師である楊寶忠に関する言及も興味深いも のがあり。ここ数日、岡本綺堂の明治劇談読んでゐるが、この孔在齊の京劇劇談も実に面白い。

戊子年正月初一
。気温摂氏九度。極寒続く。子年元旦の話題も 朝刊一面は「200張新淫照曝光」と、昨日の除夕に復た芸人猥褻画像流布あり新に三人の女芸人の醜態顕わとなり、これで警察幹部吐露の六人勢揃ひ、題して 「世淫大浪六人女(よ はみだらおほなみろくにんをんな)」の感あり。芸人の淫態もさることながら行政長官夫妻の新年賀辞も 先帝董建華にせよ今上「文革曽」夫妻までエグさ尽きず。ふと思へば、この二年母に余の帰邦の便配慮頂き先考一周忌、三年忌春節に執行われ香港での過年四年 ぶり。三年前の春節は「冬は暖かいところに行きたい」との先考の言葉にフィリピン、セブ島での度假を企図しせめての孝行と父母招くつもりが母より父の容体 海外渡遊はとても無理と連絡受け予約取り消しもせずZ嬢と私のみセブ島に遊び、その一ヶ月余後に先考逝去、を思ひ出す。昼まで机に凭り雑事済ませ昼食もと らぬまま少し走り近隣のジム。マンション群の中を走れば親類縁者宅に御年賀の民多し。余は節句だの聚会嫌ふとかねがね言ひつつ元旦に独り走るも一抹の寂し さあり。それにしても路上の駐車どうにかならぬものか。正月は警察も路上駐車取り締まらぬだらう、と年賀の客の算段、まつたく。ジムにて筋力運動と有酸素 運動一時間。元旦にジムで鍛練する胡散臭い老若男女で盛況。ジム内で昨晩ご一緒のM嬢にばつたり。お招きいただいた昨晩のお礼申し上げつつM嬢は昨晩、軽 く小一合入る湯呑みにアタシに「甕雫」を並々注いでくれた張本人。酒を残すは失礼としつかり飲ませていただいたが、同じくなかり飲んでゐたM嬢もお互ひ 「今朝はすつきり」とさすが、いい焼酎は違ふねぇ、と感心。かつては春節の正月初一など、市街は映画館が開くくらゐでひつそり閑まつてゐたものが今ではコ ンビニは当然として少なからず御年賀の客見越しての果物屋、菓子屋ばかりか八百屋、肉屋なども開く店少なからず。正月の風情も今何処。Quarry Bayにて通りかかりに眺めれば金峰靚靚粥麵は「正月初十上市」と張り紙。正月に九日間も休むとはさすが粥が美味いと評判で客は長蛇の列、しつかり儲けた が身を粉にするだけ働きに働いて、そりや正月は九日休むだけの褒美に納得。帰宅して洋琴弾きの手習ひ。燈刻、ピンクフロイド聴きつつ窓辺のミントの鉢植え より数葉摘んでウォッカ飲む。グラスに残つたミントさらに指で捥りアルマニャック注げば風味佳し。鶏尾酒でThe Stingerならミントでもリキュールの Crème de Mentheとブランデーでこれも美味いがアタシには甘すぎ。コニャックぢやなくてアルマニャック、でミントの葉はこれは美味い。NHKの衛星放送で音楽 番組SONGS(NHK総合では昨 日放映)の忌野清志郎復活スタジオライブの放送あり。昨年夏より喉頭癌の治療に専念。ライブ1曲目は「雨あがりの夜空に」で、忌野清志郎はもう神 仏、あたしは拝みたい。今月10日に武道館でコンサートの由。20年以上前に伊豆のキティスタジオでご尊顔に拝したドクトル梅津さんもお元気。30分の番 組で物足りないが89年の清志郎扮するザ・タイマーズの曲(当時、放送禁止&大手レーベルより発売中止)が一部であれNHKで流れたのに驚く。韮と春菊の パイ、名前知らずの茸(危ない?)など食しCh. Canteloup 00年飲む。NHKで清志郎ライブに引き続き「爆笑問題のニッポンの教養」で東大の長谷部恭男先生(憲法学)出 演を見る。長谷部先生、憲法とは、ヒトには多様な価値観があり憲法とはそのすべての価値観が公正に共存できるため仕組み、といつた話をされ、憲法は「ヒト がどう生きるか、など教へるものではない」と。普遍法として当然。だが、その憲法に愛国心だのわが国の伝統だの文化だの、を入れたがる連中がゐるから困つ たもの。長谷部先生、憲法解釈とは「芸のやうなもの」で「上手いか下手か、なるほど、さうきたか」みたいなものだ、と。この先生自身、上手いことを言ふ。 東大の憲法学といへば引退された樋口陽一と爆笑問題だつたらいつたいどうなるのかしら。今晩のNHKのNW9は時津風部屋で冒頭から18分。異常。香港は 春節だが日本は平日でオンタイムで対応せねばならずメールでの諸事対応三更に及ぶ。
▼中国の元首相・李鵬(80歳)が農歴歳末の廿九日(一昨日)中風で一時は生命危ぶまれたが病院に運ばれ険境は脱す、と台湾中央社伝へる。李鵬といへば 89年の天安門事件だが、もともと電力(水力発電)閥のドンとしての政治力で三峡ダムの水力発電や広東省大亜湾の原発建設など推進させ妻は大亜湾原発の駐 北京事務所の要職に就き、長男(李小鵬)は現在、中国全土の1割の発電設備有するといはれる中国華能集団公司の総経理、娘(李小琳)は中国電力投資集団公 司の董事長、と兄妹で中国の五大電力会社の二つを牛耳る。他の三社は中国大唐集団公司・中国華電集団公司・中国国電集団公司だが、もともとは国営事業の民 営化での枝分かれ、李鵬一族が多少なりとも係はらぬ筈もなし。

丁亥年十二月卅日。除夕。晩に尖沙咀にて招飲の約あり余の同伴致すA氏と北京道Delaney's酒場にギネス麦酒一飲。往路湾仔の高架道より見下ろせし 鵝頸橋街市歳末の賑はひなれど尖沙咀の酒場は閑散。マルコポーロ香港ホテルの日本料理「西村」 に食す。S女史らの招き受け末席汚す。歳末に海産の珍味多し。宮崎日南の京屋酒造の「甕雫」は甕に仕込まれた一升の芋焼酎。9人で一升半。除夜に向け尖沙 咀の人混み。フェリーで港島湾仔に渡り帰宅三更に到る。
▼信報に作曲家Erich Korngold(1897〜1957)紹介のかなり長い記事あり。香港ショパン協会の音楽会にて来港のGary Graffman氏の弾く「左手のための」の作曲がこのKorngoldでチェコスロヴァキアの人。モーツァルトの再来と言はれしピアノの神童は二度の大 戦に厳しい時代送る。
▼神里達博氏の「食の安全」に関する文章読む(5日朝日新聞衛星版「『昭和の日本』を二重写し ギョーザ事件から見えるもの」)。この餃禍の本質は対中不信に非ず、過度にグローバル化した我々の「食」のシステム、言ひ換へれば、先進国の中でも突出し て低い自給自足率にこそあるもの。老舗の食品偽装も、バブル以降「成熟した文化」を売りとする国家への変貌を期待した日本にとつて、近未来の「中核産業」 たるべき高級食材において不始末を見せつけられたことへの苛立ちであり、中国の食品安全への不信も食品公害頻発の「昭和の日本」のトラウマ、忘れかけてゐ た過去の自分に似た他者との遭遇、不快な記憶の呼び覚まし、と。ふと井上ひさし『吉里吉里人』思ひ出す。かうした戦後の偽善へのアンチテーゼであつた吉里 吉里の共和国。あの、もう四半世紀以上前の疑問提示が何ら解決してをらず。

二月五日(火)中国国内での取材中に検挙され3年近く拘留されたシンガポールのThe Straits Timesの香港特派員程 翔氏釈放され香港に戻る。北京五輪前の大赦の由。翌朝の新聞は程翔抑留をずつと問題視してゐた蘋果日報など程翔回來了!と一面トップで大々的に扱ふべきところ猥 褻写真出元電脳店店員検挙で一旦収束したかと思はれた芸人猥褻写真流布で警察をば嘲笑ふかの如く復た新たな写真が本日午後網上に貼られ蘋果日報、東方日報 などこちらが翌朝一面トップとは世の中完ぺきに狂つてしまつた感あり。興味深きは信報。高級紙として一貫してこの芸人猥褻写真醜聞は無視。劉健威兄だけが 連載で身勝手な芸人猥褻写真の網上流布と表現の自由とは違ふと指摘続けるに留まつてゐたが、ふと今日の信報に、中国のスポーツ用品ブランド「特歩」の香港 上場遅延の記事あり。信報には珍しくこのメーカーの芸人起用の広告写真掲載。で興味深きはその芸人がN某と女性デュオT某なり。後者の片割れ、また前者の 妻、いづれもこの醜聞で芸人陳某相手に醜態晒した当事者。この企業上場の報道もまんざら醜聞意識して、か。この上場遅延は起用芸人の醜聞とは直接関係ない やうだが。
▼日中餃子問題。唯靈氏が信報の随筆でこの話題取り上げる。餃子についての蘊蓄さんざん述べた最後に「日本の焼き餃子に比べたら中国の湯餃、蒸餃、煎餃の はうがずつと美味い」と。御意

農歴十二月廿八日。立春。寒さ続く。風邪は少し回復の兆し。用心して早晩に帰宅して休養。岡本綺堂の明治劇談『ランプの下にて』少し読む。同書は確か昭和 10年だつたか岩波文庫もあるがアタシが入手は昭和40年の青蛙房刊、初版本箱入り美本で、いまではもう到底あり得ぬ見事な製本ぶり。
▼蘋果日報で尊子が、昨年中国でテレビ放映されブームになつた「大國崛起」捩り、雪の凍土のなかでカネはあるが寒さに喘ぐ中国を一コマ漫画に。今年の寒波 が半世紀ぶり、中共になつて最も厳重とはいへ、旧正月の3億の民族大移動、石炭だの冬場の燃料輸送、基幹産業への打撃だの考へると雪害への対応の遅れなど 「21世紀の世界の工場」としては問題多し。この四半世紀の経済発展での様々な未解決の問題がかうした災害や疫禍にて露見される。がその中国の産業に依存 する私らの生活。日本とて対岸ばかり憂ひておれず、例へばNHKのNW9で連日取り上げられる毒入り餃子問題。毎晩、冒頭で「また新たな事実がっ……」と 深刻な一言のワンパターンから始まるが、この「報道」のうち何処までが事実経過か、実は「中国側も、有害物質が意図的に混入された可能性もあり、さらに積 極的な調査をする『と思われます』」と、内容のほとんどが憶測と推量。看る側も茶の間で炬燵に丸まりお茶飲みながら「まぁ……怖いねぇ」とただ疑惑への不 安の増長がマスコミ報道。スノーボードで7名行方不明も捜査は今日一日続きましたが遭難者の発見には到らず、つて遭難者の家族知人はさぞや心配だらうが 「まぁ……可哀想だねぇ」だけの反響に報道番組が「なぜ消息を絶ったのか」と憶測で5分も取り上げるべきかは疑問。世の中てんでをかしいつたらありやしな い。米国とて「白熱の大統領選挙候補者選び」でクリントン夫人が「学生ローンの金利廃止」なら小浜馬楽氏は「全ての国民にアメリカンドリームを」と。かつ ての日本社会党も真つ青の非現実的な政策?だが、大統領選挙はこれでいいらしい。
▼某男性若手芸人陳某に因む猥褻画像網上流布につき画像ゲット元手の電脳店の関係者ら検挙される。話題の主のこの芸人は海外よりビデオ画像にて被害者とな つた女性らに陳謝のうへ画像入手しても流布せぬやう、ダウンロードしたら消去するやう訴へる。芸人生命にかかはる一大事のやうだが信報で誰だかが書いてゐ たがクリントン前米国総統の不倫同様、事件後も本人の反省と誠実さの「売り」で好感度上昇なきにしもあらず。相手の女芸人らも、この画像暴露で嫁ぎ先から の離縁だの婚約破棄など実害ことあれ、その「清純さ」とて爾来市井の誰彼信じ るはずもなし。芸能の世界に足を突つ込むことじたい、廓と同様、華々しく花よ蝶よと目出度い分、さう易々と足を洗へるものぢやなし。鬼か蛇か、地獄の底ま での行き来こそ本来の芸道なり。ところで警察も、今晩の発表にあたつた香港警察副署長の黄福全なる御仁(まことにお目出度い姓名)も公僕どころか「え つ?」といふほど芸人の如し。押収のノートブックの猥褻画像につき記者団の質問に答へ(もともとさういふ顔つきなのかもしれぬが)ニヤニヤと薄ら笑ひ浮か べ「1,300枚くらいあった」と答へ、相手の数は隣の副官に「何人だった?6人だったか?」と。個人の私生活に絡む事ゆゑ「それなりの数」「数名」と答 へれば良い程度の筈。猥褻画像の扱ひについては、この副署長、個人で猥褻画像所有するぶんには法に抵触せぬが不特定多数に流布すれば……と「釈法」披露 し、記者団の突つ込みに乗つて?「個人で所有する猥褻画像を仲間うちで一緒に見る、友人にコピーして渡す程度なら問題ないが、一般的に言って、ネット上で 接触する不特定多数は友人でもなけりゃ、こりゃ公衆。そこに画像掲載すれば当然……」と、まぁ活弁。警察も警察ならマスコミも芸人追撃は見事で一昨年11 月に話題のこの芸人陳某が中環の電脳店に電脳修理に訪れ電脳を店員に託す場面の写真があつた、と披露。当時の没ネタが今になつて重大証拠か。全てにわたり 呆れて言葉もなし。

二月三日(日)陽光重現気温回昇、とは申せ気温は摂氏12度くらゐ。風邪でとにかく休養と自宅でぢつとしてゐたが数日前の新聞読んでゐると香港電影資料館 にてLicensed to Kick (Men): The Jane Bond Films(奉旨打男人的女人:珍姐邦電影)といふスパイアクション映画全盛の60 年代後半に香港で好評得た女アクション映画の特集の記事あり。南紅が主演する黒玫瑰シリーズはあっしの好み(って気分はブラック師匠)。で上映予定を網上 で確認すると「黑 玫瑰」は今日の昼。黒 薔薇が掛かるんぢや寝てはゐられねぇ、と厚着して早速西湾河の香港電影資料館に赴き切符買ひ求め太安樓の鄙びた粥麺屋に及第粥で腹ごしらへ。香港電影資料 館でPat Yorkの映画スター写真展見てから映画『黑玫瑰』(1965年)を楽しむ。監督は楚原、主演は南紅、妹役が陳寶珠で二人が義賊「黒玫瑰」を演 じ、これに絡む美貌の保険会社調査員役が謝賢。本来は敵対する正義(調査員)と悪(黒玫瑰)が実悪と対峙した時に協力して相手をやつけ……といふ単純なこ のストーリー展開の爽快さ。謝賢のこの役を見れば『92黒玫瑰対黒玫瑰』での梁家輝がいかに謝賢や蕭芳芳主演の映画『玉女親情(別名:假千金)』呂奇に似 せ名演だつたか、とあらためて納得。帰宅。臥床。南方熊楠『浄のセクソロジー』河出文庫読了。五百数十頁のこの本の後半は熊楠と岩田準一の往復書簡、その うち熊楠の部分だけ。往復書簡であるから片方だけでは片手落ち、で熊楠・準一の往復書簡集も手許にあるのだが未読。晩にお好み焼き。でまた臥寝。風邪を治 さねば。
▼某男芸人と数名の女芸人に「酷似」の男女淫乱写真、網上に出回り芸人事務所側は「悪意ある合成写真」とし警察に出所の捜査求め、警察はIPアドレスなど 頼りに網上に画像添付、転送の者ら芋蔓式に検挙。社民連主席黃毓民曰く末端の悪戯者の逮捕などせず淫乱写真の出元と噂される某男芸人の電脳確認すりやゐゐ だらう、と。この芸人の電脳故障で修理の際にHDのデータ一旦、他のHDに移管され、その際にこの芸人らのプライベートな画像が第三者の手に渡り、それが 「悪意で合成された」由。ならば本人にいつ何処で修理したのか、を問ひ質すのが先決、と。だが警察もこれをすれば「悪意ある合成写真」のはずが実はオリジ ナルであつたりもするわけで警察もわかつちやゐるが出元調査できず。だが末端の画像転送の愉快者検挙は行き過ぎ。香港警察といへば先日は財閥トップの速度 違反で超過速度のディスカウントに応じた為体もあり。

二月二日(土)雨。大きな雨粒は香港に降り落ちる直前まで雪だつたのかしら。いつミゾレになつてもをかしくない氷雨。しつかり風邪を ひき昼に近隣のC医師の診療所に赴き診断を請ふ。患者多し。C医師余の診断を最後に閉めて午後は競馬。外は冬用の帽子、厚手のコートに手袋、でも寒い。午 後ふらふらだつたが用事済ませ早晩に帰宅の途につけば春節前の歳末の土曜晩とあつては何処も彼処も買物客の混雑甚だし。商場駐車場に入る自動車の混雑でバ スも渋滞に巻き込まれ普段の倍の一時間かけて帰宅。正月だの聖誕祭だの大袈裟な消費活動恨むばかり。今晩は自宅にY嬢お二人、K氏招きZ嬢の手料理食す。 Moet et Chandonの三鞭酒から始まり葡萄酒はブルゴーニュのPouilly Fume 05年、米国加州のCanyon Roadのメルロー05年、豪州のLindemansのShiraz Cab 06年。鹿児島本坊酒造の芋焼酎・甕幻あたりで三更半夜、アタクシはちよつと朦朧気味。
▼本日は競馬で地場G3、百年記念瓶(The Centenary Vase)。一番人気はPacking Winner(Coetzee騎手)だがyieldingな馬場でこの悪天候ぢや古馬に有利と9歳馬のBullish Luck(Soumillon騎手)選んだら見事に正解の三馬身差の勝利。4番人気で単勝9.2倍。二着はVital King、三着はViva Macauと続き一番人気PW馬は四着。黄昏のVengeance of Rain(VoR)に133磅の斤量は重すぎるハンディキャップだつたが9頭だてでどん尻、最後直線400mで競走止めてしまひレース後、 退役決定の由。05年に香港ダービー制してQE II Cup、Charter Cupと季中に三冠制覇は史上初。この年の12月の香港カップもVoRが優勝(二着はPride)。VoRはこの年のWorld Racing Championshipで世界の馬王に。ちなみにこの05年の香港ヴァースにBullish Luckが出てハットトリックに負けてゐる。VoRはその後、心不全だかで休養続けたが3月の香港金盃で優勝し復活、ドバイのシーマクラシックも制覇。
▼蘋果日報で一月は休筆としてゐた蔡瀾さん、二月に入つても已然、代打倪匡氏の連載続き復活せず。

二月朔日(金)毎年冬になると「寒波到来」だの「極寒」などと綴つてはゐるが北回帰線以北の人から見れば半ば冗談。それがだ、今年は深刻な寒さ。朝の気温 が摂氏9度、とこれが尖沙咀の繁華街のど真ん中にある天文台の気温だから陋宅は 二度は低い。毎冬、摂氏10度下回るやうなことは珍しくないが言はば瞬間芸で昼になれば気温は上がり朝の寒さが嘘のやう、とか二三日後には馬鹿陽気であつ たりする。この冬はこんな寒空が何日続けばいいのか、建物もすつかり鉄筋コンクリートが冷え切つてしまつた。春節まで寒さ続く由。知人の地元T氏が日本好 きで昨年、自宅の一部屋を日本間に改造、そこに炬燵まで置いてしまつたのを「香港でそこまでは……」嗤つて見てゐたが今冬は完ぺきにT氏の勝ち。毎晩、炬 燵でさぞや暖んでをられるだらう。アタシはすつかり風邪つぴき。自宅では温風ヒーターつけたうへにマフラー、膝掛けまでして今、これを綴つてゐる。長年愛 用のウォシュレットも温水と便座の温度を初めて「低」から「中」に調節。温暖化、夏の高温と冬のこの極寒。異常が当たり前なのは人間も地球も一緒、か。月 本さん的に自分だけは軸を狂はせないやうに自律してゐることだけが大切。荷風散人も、さう。晩にすつかり高級食材になりつつある豚肉と白菜の豆乳鍋。熱 燗。早々に臥床。
▼アタシが「よくわからない」ものの一つが捕鯨問題。これだけ国際的な非難の中、敢へて捕鯨続ける意味があるのか、逆に欧米の対日捕鯨バッシングもちよつ と異常ぢやないか、日本が捕鯨は悪くない理由とする「鯨の数が増え過ぎると海洋生態系が崩れる」憂慮はどこまで深刻なのか、等々。農林水産省は
今後世界人口の増大に伴ひ、地球表面の70%を占める海洋は、食糧 生産の場としての重要性がより増大すると見込まれる。我が国は、海洋資源管理の経験も多く、世界的な海洋食糧資源の保存・管理にリーダーシップを発揮すべ きである。
と捕鯨の重要性を謳ひ、日本捕鯨協会は
捕鯨に反対しているのは、食料供給のため水産資源に依存する必要性 が低い欧米諸国が中心です。一方で、国土を海に囲まれた日本としては、鯨類を含む海洋生物資源を人類の食料として有効利用すべきという主張を、粘り強く続 ける必要があり……
と反論する。がGreen Peaceなんて引き合ひに出すと捕鯨反対の急先鋒すぎると思はれるかもしれないが同団体の日本支部の星川淳事務局長の指摘(今日の朝日新聞)に言はせれ ば
年間1,900万トン(国内消費量の約3分の1)の食料を廃棄して いる国が、世界で一国だけ公海で野生哺乳類を年間1千頭以上を大量捕殺し続ける説得力は弱い。
といふのも確かに納得。捕鯨は縄文時代から伝統的といふ言ひ分に対しては、
櫓船と網と銛を使った伝統的捕鯨では、鯨肉の流通は地域的に限られ ていた。明治時代に動力船と捕鯨銃によるノルウェー方式の近代捕鯨が導入されるとき、多くの漁民は沖の神であり、魚を追い込んでくれるクジラを見境いなく 殺すことに反対した。鯨肉食は日露戦争以降の軍用缶詰で国民に広がり、いま年配者が懐かしむのは戦後の食料難を救つた鯨肉の味だ。はるばる南極海まで出か けて、捕鯨船で撃ち殺したクジラを洋上工場のような母船に運び、流れ作業で解体・冷凍加工する捕鯨が、日本の「伝統文化」だろうか。
と言はれると、確かに、と思ふ。捕鯨もこれもまた、日本人の弱い「伝統」で騙されてゐる一つかも。だいたい日本人が伝統と信じてる風習や生活文化の多くが 実は明治以降の近代の産物であつたりする。

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