六月廿九日(水)年度にかかわる仕事ひとつ大きなものが終わり安堵。早晩にFCCで資料整理して新聞熟読。ドライマティーニ一杯。タイ風の鶏肉の赤カレー食す。尖沙咀に渡り少し時間ありバーWに寄りジントニック一杯。尖沙咀東のリーガル九龍ホテルにて日本航空と朝日新聞の主催で永六輔氏の講演会。開演十分前の筈がすでに壇上には永六輔の姿あり話始め。開演前の「前説」を自分でしているあたりがこの人らしさか。Z嬢も来る。永さんはすでに故人となつた有吉佐和子がバタビア日本人学校、中村八大が青島日本人学校、永六輔夫人が北京日本人学校の出身で、それが発端となり三十年前から世界各地の日本人学校まわり子どもらに話すること始め今回もシンガポールから参られ本日、香港の日本人学校で子どもら相手に説教。その巡業始めた友がみな逝去しての永さんの奮闘。で本晩は大人相手。相変わらずのスタンスでネタは「身障者」「皇室」「芸人の楽屋話」の3つ。脈絡ないようだがキーワードは<貴賤>とすれば差別のなかで貴くもなり賤しくもなり同じ範疇。朝日新聞的には永六輔は政治的には中道左派で而も日本の伝統には保守的で実に朝日新聞に合致した文化人。だが日本航空的には放送メディアでならまず放送禁止のネタ少なからずナショナルフラッグとしては保守反動右翼の諸君に「なぜあんな話を後援するのか?」と突っ込まれれば困るわけで永六輔氏自身も「これはここだけの話。他で言っちゃダメよ」と笑いをとっていたが。で話の内容はいちいち綴らぬが疑問点もいくつかあり。昼の子ども相手の話でも「いのちの話」で、それを東京都で都知事が永さんの友だちの「へんなおじさん」で都知事に頼まれて「いのちの話」をしたのだけど、だそうだが生死にかかわる重病の幼児がその幼子の生命力と最先端医療で管をいくつも身体に挿入し懸命生き延びる様に都知事が接した時「生きることとは何なのか?」といふ難問にぶつかつたなどといふ話もあるが「第三国人」への蔑視であるとか「つくる会」の歴史教科書の採択のため都立の養護学校(つまり実際に歴史教科書を用いた授業など出来ない)での選択実績づくりであるとかを考えれば、昔からの友だちはたんに政治思想の差異なら宴会の余興で議論楽しむで済むが、都知事としてのさういつた問題は永六輔にとつて許せるものなのか。「その都知事に請われ」いのちの話できることへの疑問。そして、その東京都では卒業式で君が代を歌わぬだけの理由で教員が処分されていることに触れ永六輔は立場的には歌を歌うことなど強制はいけない、の立場だが国歌普及に命燃やして死んでしまつた畏友の黛敏郎とは卒業式で「仰げば尊し」が歌われなくなつたので「仰げば尊し」を復活させようと企画したことなど触れ全体主義での強制に疑問を呈しながら何故か今晩の講演会の最後でも「それでは皆さんで「仰げば尊し」を歌いましょう。みなさんご起立ください」と永六輔。べつに坐つたままでもいいのだろうが<式>といふのはその選択の自由に欠ける空間。一応は起立したがZ嬢ともども歌えず。会場はあまり歌声高らかにならず。なんか話は散漫なまま、あー楽しかつた、がそれぢゃ何を学んだの?と言われると……。結局は右も左も一緒で権威は権威、自分の色に染めたいのよね、とZ嬢。御意。最後まで個であることが大切、と反面教師的に学べたかも。永六輔の話は楽しいがフーコーまで読まないとやはりいけない。会場に面識ある方かなり多し。香港のリベラル中道の日本人の集会か。読売新聞なら将棋の米長邦雄先生の講演会開催とか。でZ嬢がまだ食事もしていないといふので永六輔の相撲甚句で講演会終わるなりどなたにも会わぬまま会場を辞せば外は雨が本降り。今日は見事な快晴だつたのに。早足で幸福中心の焼き鳥屋・五味鳥。いつも繁盛の店がうまい具合に雨であろうか席があり。講演会帰りの客が来るだろうからと急いだが案の定、何度かハイキングでお会いしたことあるN氏夫妻も講演帰りで来る。二更のうちに大雨のなかタクシーで帰宅。競馬は12日の沙田での開催が今季閉幕のところ15日のハッピーバレー開催が大雨で順延となり、それが本晩開催。3Tで第4レースのQ(買っていれば208ドル)、第5レースのQP(同94ドル)、第6レースのQP(同313.5ドル)で9頭中6頭的中しているが当然1ドルにもならず。あと3頭当たっていれば三千三百万ドルで四億六千万円が手中に。翌日の新聞によれば投注額で昨年比3.6%減で最も賑わった96-97年度の入場者数326万人、年間投注額923.5億ドルに対して入場者4割減の193万人で投注額も3割減の626.6億ドル。政府の競馬興業での税収も昨年比4億ドル減。
▼許仕仁がドナルド曽「政権」の宰相?である政務官に就任(正式には明日)。1948年に香港に生まれ皇仁書院から香港大学卒後に香港政庁に入り教育主任アシスタントになり翌年に政務官(上級公務員)となり86年に副経済司、副工務司(90年)、新空港工程統籌署長(91年)から運輸署長(92年)と土建分野で着実に出世し95年に華人初の財経事務司となり97年返還で財経事務局局長。2000年には政府の強制積立金(MPF)の開始で政府から形式的に離れMPF管理局行政総裁(年俸500万ドル)。その後は香港政府の高層人事の動揺のたびに、まずはアンソン陳方安生の辞職で財務官ドナルド曽蔭権が政務官となつた際の財務官後任にと董建華に請われ02年の董建華再選での問責制導入の際も人選に上がるがMPF管理局行政総裁に駐まる。その間、02年には香港ジョッキークラブの理事にも就任。03年にはMPF管理局行政総裁の職を辞しコンサルタント会社設立し財閥・新鴻基地産に庇護われる。03年には財務官・梁錦松の更迭で再び財務官就任請われるが固辞し04年には九龍バスの取締役となり今年五月にドナルド曽蔭権の行政長官選挙立候補で許は九龍バス取締役など受給職位すべて辞し選挙対策に携わりドナルド曽の「当選」で今回の政務官への就任。「橋王」と揶揄されるだけさすがの世渡り上手。公務員の頃に財閥系デベロッパーに取り入り董建華から距離を置いて董の招聘に応じず年俸500万ドルの政府外郭団体の職に遊び董建華更迭で畏友ドナルド曽の抜擢に乗じてのこの出世。唖然とするほどの見事さ。
▼澳門のカジノ王・スタンレー=ホー君(83歳)がマカオでカジノ観光など独占してきた会社STDM(Sociedade
de Turismo e Diversoes de Macau)の株主総会でホー君と確執続いた82歳の妹Winnie嬢の株式所有権剥奪の決議。この5年の配当1億1千万パタカ精算し「出ていけ」で金輪際、妹とは思わぬと公言。妹は兄の独裁ぶり非難、60億パタカ投資してのチャリティ基金創設構想あり。八十路の兄妹のこの確執驚くばかり。
▼バチカンとの関係回復に至るのかどうかの中国のカソリック教会。上海カソリック教会で89歳の司教・金魯賢が引退し42歳のXing文之(Xingの字は扁が「刑」で旁が「おおざと」)が上海教区司教に就任。山東省出身で昨年まで米国に一年留学のXingの司教就任はすでに中国政府の承認あり。これを北京と友好関係未回復のバチカンが暗に承認するかどうか。金魯賢は中国カソリックの重鎮で1955年から27年間も投獄され不屈の信者だが今では政治協商会議のメンバーで中国政府御用団体である中国愛国天主教団の名誉総裁。紐育タイムスの言葉借りればCounterfeit
Bishop(贋せ司教)といふ指摘もあり。金司教の寵愛受けた子飼いのXingが法王も交替のバチカンと何処までどう対応するか。
六月廿八日(火)快晴。晩に無味乾燥なる太古城に薮用あり美孚に勝るとも劣らぬ恐怖の食文化真空地帯ゆへ北角和富道の勝利小厨にて海南鶏飯食し太古城に向かふ。偶然とは面白いもので掲示板の書き込み読み笑つたが数日前から火曜日の早晩飯は勝利で海南鶏飯かと思つていたら畏友O君も昨日突然この店の鶏飯に食指動いた、と。太古城は折から巨大なナントカザウルスの化石の展示あり。この週末には数十万人が訪れたとか。たかだか恐竜の化石眺めるにショッピングセンターから厳暑の屋外にまで長蛇の列で数時間並んでの為業に陶傑氏なら小農社会と嗤おうが農を卑下するに能わず正確には小市民ぶりか。ナントカザウルスだが興味深きはこの巨大な恐竜の化石が中国で発見されたものであること。で今回の展示は「中国で発見された巨大恐竜の化石展」で中国は世界四大文明発祥の地の一つであるばかりか過去にはこれほど巨大な恐竜がいたといふ「教育」がこれ。これも愛国主義の一環か。
▼廿七日の蘋果日報で陶傑氏がドナルド曽蔭権の「自称政治家」揶揄し政治家についての寓話を披露。「夏日挿曲」といふ題。子どもの頃に「大人にになつたら何になりたいか?」といふ作文で理想的なのは警察官とか消防士、医者、科学者と答えるが、ある日、椿事がありました、と。七月一日の香港回帰記念日に胡錦涛主席が来港。特区政府は国家主席を天水圍の頼昌星記念小学校訪問をアレンジ。品行方正学力良好の生徒が校門に並んで国家主席を出迎え歓迎。国家主席は児童の頭を撫で、或る小学三年の子に「大きくなったら何になりたい?」と尋ねました。その子はもともと練習していた答えを言わないばかりか「僕はね、大きくなったら国家主席と中央軍事委員会主席になりたいんです。あなたの仕事ってことですね」と答えました。国家主席に随行の林D8は顔面蒼白。女教師の一人もえっ!驚いて叫びました。胡主席は口の筋肉がちょっと緊張しましたがまた笑みをつくり「そう、それは志気があるなぁ。で、なんで私のような仕事、国家主席と中央軍委主席になりたいの?」と尋ねました。「それは……」と少年は「胡さん、あなたの市民を重視した政治ぶりは僕も認めますよ。でもちょっと足りない。国家は進歩が必要で、市民が普通選挙で全人代の代表を選出するとか、もっと自由な社会にするとか、が必要なんです。僕は大きくなったら選挙に出て、その頃の国家主席は米国の大統領と同じで選挙で選ばれるから、僕は中国で初の民選で選ばれた国家主席になって、一人の大政治家になりたいんです」と答えました。国家主席に陪同の校長は思わず失禁、膝の震えが止まりません。国家主席のSPは主席をその場所から離そうとします。胡主席は何も口にしませんが目は笑っていました、一応。アーサー王教育統籌局長は校長を睨み、胡主席はSPに守られながら図書館の見学に向かいます。校長はアーサー王に「どうすればいいでしょうか?」と泣きつきますが局長もなす術がありません。半年の後、頼昌星中学は政府の資金援助が大幅に削減され閉校しました。この学校のスポンサー=頼昌星も政治には敏感ですからカナダからの学校への資金援助は止めてしまいました。この学校では保護者の緊急集会が開かれましたが校長は「これは私の失敗じゃない。あの日、あの小学生があんなこと口にしなければ、政治家になりたい、なんて言わなければ、こんなことにならなかったのに……」。完。見事な寓話。政治とはどれほど危険なゲームか。気軽に政治家になりたい、なんて言わないこと。一公僕が政治家など夢想することで被害被るは香港なり。
▼愚民が先の歴史の不幸も忘れ首相の靖国参拝だ、国旗国歌の国家主義、平和憲法忘却の改憲に奔走するなか畏れ多くも天皇皇后両陛下はサイパン訪問し先の大戦での戦没者を慰霊。しかも事前に公表された日程にはない「おきなわの塔」と「太平洋韓国人追念平和塔」にも立ち寄られての拝礼。宮内庁は「この一帯にたくさんある様々な碑に敬意を表すべきだと考えて」「この二つの碑も慰霊できればよいと思っていたが早く公表することで状況が複雑になるのではと心配していた」と説明。前日の最終決定。ご立派なこと。まさに戦後日本の良さを体現された陛下でいらつしやる。翌日の紐育タイムス紙は“An
emperor's lonely ceremony”と見出しあり。
▼金庸(正確には金庸は武侠小説書く時の筆名で査良が本名)氏の剣橋大学での栄誉博士号授与につき徐志摩が論われている事につき畏友O氏が「台湾での恋愛ドラマ『人間四月天』で主人公の徐志摩が剣橋大学の印象強かつたからだろうか」ばかりか徐志摩と査良が浙江省海寧県出身で同郷、と指摘あり。成程。記者がどこまでわかつていたのかは不明だが記者の愚問で相手怒らせたことで02年の董建華の再任の際に江沢民に「これは欽定なのか?」と質問して江沢民を激怒させ
You are so naive! と言わした記者を思い出す。
▼練乙錚氏の連載題十二回の切り抜き見あたらず。で第十三回(廿七日・信報)。香港政府の頭脳集団たる中央政策組の内部事情について。練氏の上司である首席顧問は鄭維健から劉兆佳に変わるのだが鄭氏についてはその学究肌に対して董建華は鄭氏の意見聞くも余り愉快に思わず。鄭の退任後は董建華も民意を気にして政治評論コメンテーターとして著名であつた中文大学の劉兆佳の採用となつたわけだが劉は当初こそ積極的に働こうという姿勢も見せたが二年前の七月一日の市民デモで大幅に参加者数を読み間違え北京中央も劉兆佳への評価下げ劉は昼食でのアポ以外はすつかり自室にこもり読書の日々だとか。当時の政府の大きな錯誤はサイバーポート事件。政府は当時のハイテクバブルに応じてハイテク産業興隆をとサイバーポート建設を計画したのだが公共投資にもかかわらず市民や業界の意見も取り入れず一部の財閥(李嘉誠の長江実業だが)と組んでハイテク都市建設を急ぎ完全な失敗。出来上つてみればハイテクバブルなどすつかり終わりハイテクなるもの企業が一カ所の産業団地に集結する必要もなくサイバーポートのホテルや住宅棟も閑古鳥。練乙錚氏の連載第十四回(廿八日・信報)。董建華は就任時に掲げた八萬五政策の放棄を決定。これは毎年八万五千戸の公団住宅建設し市民に供給するといふ薔薇色の未来であつたがバブル崩壊から数年を経て住宅融資で負債かかえる市民激増し民間(財閥系)デベロッパーの住宅供給過剰となり公団住宅の提供は不動産価格下落促すマイナス要因増ゆへの決定。これについて重要な公共政策については各方面の意見を参考にして市民に納得のゆく説明が必要と指摘したが精神衰弱気味であつた董建華氏は当時、林D8の意見に耳傾け八萬五政策は住宅提供の停止を決定と公開せぬまま提供中止といふ事実を先にして問題が指摘されたところで「八萬五政策はすでに99年の時点で取り消されていた」と釈明で済ます「大事化小、小事化無」で事実矮小化で乗り切ろうとした錯誤。香港政府はすでに市民の信望もなく盲従飛行続け北京中央の意を汲んだつもりで土共の極左に近づき董建華は孤高の人となる。で二年前の七月一日の五十万人デモ以降は一人二人と董建華の周囲から人も去るばかり。
▼信報は廿七日の林行止専欄が自称政治家ドナルド曽の行政長官就任取上げる。北京での長官就任宣誓のあと首相温家寶君を前に「国家の私への信任にとても感謝、感謝でございます」と述べたことに英国領香港の植民地に生まれカソリックの学校に学び番書(笑……英文)教育を受け植民地政府の政務官(上級公務員試験合格)で英国政府から爵位授かつた人物であるから中国政府からの信任はさぞや感謝であろう、と。御意。この植民地人が行政長官に就任したことは一国両制が機能していることの証左かも知れぬがドナルド曽の北京中央への追随ぶり。今回の就任宣誓を見ても香港からの臨席は曽夫人の他は政制事務局長の林D8と法務官でありながら法治知らぬ梁愛詩女史んじょみで三権分立と司法独立を象徴する首席大法官(最高裁判長)李國能の不在はドナルド曽が司法独立も忘れているかと不安。結局、行政長官の任命は中央が地方官任命するといふ中国の古来からの勅撰の如し。ドナルド曽の動きですでに気になることはまず政務官に香港政庁の頃に曽の同僚で一旦政府から退職し財閥系大企業の顧問となつていた許仕仁の起用。みずからの選択で早期退職で政府から天下りの人士を再び政府最高職に招くことで政府内の現職の公務員の志気も下がり当然のことだが財界に有利に動く可能性。また米国政府真似て各部局に副部長を据えることで政務官レベルの上級職での政府内の活性化を図るようだが党派に属さず公平な利益に徹すべきこの者たちが、財界に緩いドナルド曽の行政組織において大企業などにどこまで距離を置けるかの不安。かつての英国当地での植民地根性が今では北京中央と香港財界に遜つた奴隷根性かも。
▼中国海洋石油(CNOOC)による米国石油会社ユノカル買収など中国資本の米国上陸につき(日経)紐育タイムス紙でPaul
KrugmanとNicholas D. Kristofが両者ともこれを取り上げる。八十年代末の日本のバブル経済での米国への資本流入。三菱地所によるロックフェラーセンター買い上げや映画会社買収など記憶に新しいがKrugman氏が指摘するのは当時の日本の円マネーが米国を席捲するようでいて実は日本円が米国に落とされ結果的に日本の投資家に利益は還元されず米国にキャッシュが潤つたのに対して今回の中国元は米国で「浪費」されることなく確実にその利益が中国に反映されるであろうこと。真の意味で中国資本が米国にとつて脅威となること。Kristof氏も米国にとつての脅威はアルカイダでもイラク戦争でもなく米国ブッシュ政権の財政上の向こう見ず、であり中国経済が優位になることへの不安を説く。
六月廿七日(月)快晴。昼に見事なほどのスコールで驟雨あり。早晩にジムで一時間の有酸素運動。銅鑼湾に行き開店間際のバーYに寄りドライマティーニ一杯。荷物置かしてもらひ沖縄料理のEnにバンコクから急遽仕事で来港のY氏がO君も誘い鼎談。鍛高譚といふ紫蘇焼酎さらりと一本空けてしまふが沖縄料理の店でこの焼酎は北海道産。だが琉球と蝦夷の深い関係を考えれば納得かも。料理は豆腐羹、大根サラダ、海葡萄とあと一品(失念)だが肉も油もなしで異様なほどあつさりの肴で焼酎一本。バーYに流れドライマティーニ一杯とニッカの竹鶴一杯。深酒にならぬよう地下鉄があるうち余裕で帰宅。鼎談での話題からいくつか。まず日本の株式会社と株主の不在について。例えば東京三菱銀行とUFJ銀行の合併。新銀行の名前は三菱東京UFJ銀行となるらしいが何故「みずほ」とか「さくら」に出来ず長つたらしい名前かといへば最終的には三菱銀行になるために今は時期尚早でとにかく三菱を冠にすることが優先とか。この名義変更だけで今回の三東U銀行(未踏銀行でもいいかも)と将来的な三菱銀行の二回でどれだけの何億の経費がかかるか勘定せば本来は株主に還元されるべき利益の浪費にすぎず。その無駄を指摘できぬ株主も株式会社のシステムもカンペキに世界銀行の一つとなつたHSBC的な世界からは理解できぬもの。もう一つ。日本のエアラインの不都合はエコノミー満席でのビジネスクラスへのアップグレードがアジアのエアライン(日本を除く)ならアップグレードされればどんな客であろうとビジネスクラスの客として扱われるのに日本のエアラインの場合、物理的な事情で座席こそビジネスでもあくまでビジネスのお客様との区別がために飲物から食事までエコノミーのものへの徹底。それだけ考えても日本のエアラインは使えず。ところで十五年前に余が香港にて物書きの真似事始めた頃の(と思い返せばもう香港で媒体に物書かぬようになり二年くらいか……)編集者であつたY嬢から本日ある用事で久しぶりに電話あり。あまり飲み歩かぬ、とくに日系の店を避けていたはずの富柏村が最近はけつこう日系の飲み屋に出没とか、とY嬢。確かに今晩も。怒鳴らずとも話せる、煩くない店で、といふことでは普通はホテルのラウンジやバーなのだろうが香港の場合フィリピンバンドの絶唱と素人知識で酒を供される不都合思えば結局、日系の「女の子のいない」バーとなる、のかも。
▼South China Morning Post紙に香港の中文紙の動向と広告収入量の記事あり香港の04年の新聞広告収入のトップは東方日報のHK$4.56Bでシェアの31.8%を占める。続いて蘋果日報17.9%、不動産広告多い経済日報が12.7%で広告収入増のため発行部数水増し報告しタイガーバームで財を築いた胡一族の娘で星島の社主・胡仙女史が逮捕されるところを董建華の指揮権発動で免れた星島日報が8.7%、毒にも薬にもならぬ良識紙・明報が7.5%、地下鉄站で無慮配布のメトロ新聞が4.1%と続き他多勢の新聞が9.6%となる。で苦戦続くのは星島日報社で英文の香港スタンダード紙は赤字低迷、起死回生で広告収入に頼る無料紙市場に参入とか。メトロ新聞に続き先日は中原地産も無料紙に参入で星島で三紙バトル。広告がどこまでとれるか、だが広告主もアホにあらずメトロの十数万部といふ発行部数も実は朝の七時からの新聞配りで実際にこの無料紙を手にするのは七時くらいから地下鉄利用する中学、高校生が殆どで電車内での暇つぶしに読み捨てられるを見れば広告効果が何処まであるか疑問。
▼行政長官就任のドナルド曽蔭権が行政長官選挙の立候補届け出に職業欄に「政治家」と記載したことが「自称政治家」と物笑いの種。植民地政庁の官吏が本人の才覚もあろうが棚ボタで行政長官となり特別行政区とはいへ中国の一地方都市の行政組織の長で所詮、公務員の出自から何も出てはおらぬ輩が政治家気取り。共産党一党独裁の国家において政治家なのる勇敢さ。董建華辞任をば伝えられ自らがそれを襲ふとわかつた日の国歌・義勇軍行進曲の口笛といい董建華には見られぬドナルド曽蔭権の粗忽ぶり行政長官就任したばかりですでに明らか。
六月廿六日(日)昨日午前中の大雨が午後快晴となつたのに続き不安定な天気。来港中のY君とランタオ島に遊ぶ。朝十時半に中環から地下鉄で東涌。驟雨。東涌峠は視界廿米程の濃霧。長沙の海岸にバスが下るといくらか晴れ暫くすると一ヶ月ぶりかの快晴の空に驚嘆。何度か通り雨あり午後曇る。東涌に戻りY君は市街に戻りZ嬢の主宰での夕方の東涌から大澳までのトレイルにT夫妻にI君と集合。東涌駅前のマンション通り抜け東涌の旧村に入る頃に大雨。びしょ濡れ。それから徐々に天気回復。大嶼山の山には真っ黒な雨雲かかるが空港のほうは見事な快晴。東涌から空港眺めつつ沙螺湾、深石村を抜け大澳まで三時間余。10kmほど。村の集落の家々の庭やかつて果樹園であつた土地が放置された樹木生い茂る林などにマンゴスチン、茘枝や龍眼などかなり繁る。
この細道が果実街道と云われるのも納得。大澳に日暮れ前に到着。旧市街の香蓮酒家は満席で運河の向こう岸に同じ経営の出店あるからそちらへと勧められる。バスで来た0氏合流。墨魚餅、ローストチキン、酢豚、四川蝦仁など肴に麦酒ぐいぐいと飲み喉潤し揚州炒飯と羅漢炒麺。晩八時五十分のバスで東涌に九時半に戻り地下鉄で中環に戻る。
▼二十世紀はじめの中国の詩人・徐志摩が突然「香港の一部で」話題となつている。事の起こりは武侠小説の大家・金庸氏へのケンブリッジ大学での栄誉博士号の授与であり事が大きくなつたのは陶傑氏の蘋果日報での文章。剣橋大学に向かう金庸氏に新聞記者が「徐志摩について研究するのですか?」と問いかけ金庸先生憮然と「徐志摩はただ剣橋に傍聴に行つだ只で軽薄。私は学問をしに行くのだから徐志摩から学ぶものなどない」と述べる。徐志摩は欧米で学び唯美派と見られる現代中国の詩人で1923年に胡適らに呼び掛け新月社を主宰(徐志摩の胡適に関する随筆こちら植田均訳)。ゴダールらと1925年には訪ソするが十月革命評価せず無産階級革命運動や革命文学を批判し魯迅ら左翼文学者との論争が有名だが今さら何故に徐志摩が俎上にのるかといへば恐らく金庸にこれを尋ねた記者は台湾での恋愛ドラマ「人間四月天」で主人公の徐志摩が剣橋大学の印象強かつたからだろうか。これに陶傑氏が噛みつき徐志摩など剣橋大学と結びつける必要もなしと指摘。翌日(廿五日)の連載では続けて徐志摩が留学当時の剣橋大学の話となり(このへんが陶傑の真骨頂だが……笑)「共産主義と同性愛の巣窟」と。ラッセルらの名を挙げ学内で隠密裏にではなく公然と同志倶楽部組織され英国情報部の高官となつたソ連のスパイKim
Philbyらの話。貴族の出自でKing's Collegeから剣橋大学に進んだPhilbyは大学でその同性愛活動展開し四人の同志らと地下読書会を組織しマルクスレーニン主義に親しみPhilbyは英国情報部M6のナンバー2にまで昇格し読書会の四名の同志のうち三名も英国情報部で出世。同性愛者を共産主義用語の借用で同志と呼ぶのは九十年代に香港で始まつたがこの逸話を知れば実は共産主義の同志と同性愛の同志が剣橋で1910年代に同じ磁場にあつたことが興味深い。陶傑氏は剣橋はオックスフォード大学とよく双璧とされるが牛津大学に比べ剣橋は正統の牛津への反叛で共産主義や同性愛など興るも必然か、と。話は徐志摩からかなり離れたようだが陶傑氏は徐志摩に話を戻し当時の剣橋にあつても徐志摩は中国に残した恋人の女性・林薇音に一途で、銀行家のブルジョワ家庭出身で共産主義にも染まらず徐志摩はとても当時の共産主義と同性愛の剣橋の校風には馴染めず。徐志摩をとても剣橋大学の東洋の文化買辧とは言えず(買辧については数日前の日剰参照のこと)剣橋と聞いて徐志摩を挙げるような者は何もわかつていない、と陶傑氏。だがこちらとか読むと徐志摩の剣橋での日々をそう易々と否定的に言つていいものかとも悩むが。余がふと気になつたのは徐志摩が金庸氏に「軽薄」と一瞥で済まされ陶傑氏がそこまで徐志摩を罵倒すること。確かにブルジョワ出身の唯美主義で「中国で留学経験のある太宰治が詩人をしているようなもの」かも知れない。が太宰がたんなるブルジョワ出自の唯美主義でないように徐志摩が共産主義革命に乗り切れなかつたことで時代に何も投げかけなかつたのか?、殊に十月革命後のソ連を訪れ何を見て何を感じて共産主義革命の未来に疑問を感じたのか?、たんに銀行家出身のブルジョワの保守とは思えず……と思つたのだが昨日(廿五日)の信報文化欄に蒋芸なる人が金庸氏と陶傑氏の徐志摩の扱いについて疑問を提示。今の時代に白文(文語体に対する口語文)で文章を書く者が(白文運動を主導した)胡適に感謝しなければならぬように白文で詩を書くものは五四運動の頃の詩人に感謝すべきで当然、徐志摩もそれの一員で彼らの勇敢な文芸活動なければ今日の詩がこれほどまでに意象豊富にはならなかつた、と。
六月廿五日(土)。昨日の大雨は午前十時から昼までの雨量が200mmに達し上環の「海味街」と呼ばれる海産物問屋並ぶ永楽街、文咸東街のあたりは四十年ぶりの水害で突然の鉄砲水に海産物問屋の店先に並んだ乾燥鮑や干し貝など高級食材が雨水に泳ぐ様は「泳げ鯛焼き君」の如く文字通りの「回海」と。本日は朝八時にアイランドシャングリラホテルで昨日来港のY君と再会。Y君は某銀行で1996年迄だつたか香港駐在。現在は丸の内の銀行本店勤務。この時期の夏休みは銀行が秋に併合あり(と書けばどの銀行か明白か)で七月以降休暇とれず。トラムで上環。羅富記で朝粥。Y君と一旦別れ中環の街市通り抜けFCC。昼まで新聞読み資料整理など。昼にY君と尖沙咀で再会しハイアットリージェンシーホテルの中華で昼食。点心と炒麺。午後はジム。指圧と足按摩。早晩に三度びY君と銅鑼灣に待ち合わせY君の中国茶や乾果物の買い物に付き合いバーYで麦酒飲み暫し憩ふ。歩いて灣仔。ジョンストンロードの杭州酒家にて晩餐。評判の醤鴨(醤油につけた鴨の薫製)、井蝦仁に東坡肉と鶏毛菜と呼ぶ青菜。麦酒飲まずに龍井茶。デザートかわりに灣仔に知らぬ間に支店ありの恭和堂にて亀玲膏食す。思えばいわゆる亀ゼリーを砂糖も甘露もかけず余もそのまま食すのはY君からの伝授。トラムで金鐘。Y君がホテルに一旦荷物置いてトラムで中環。バーRに憩ふ。Y君と別れタクシーで二更のうちに帰宅。
▼昨日M教授と某氏五十歳、奥様のおめでたに努力の意味で「やればできる、ってことですねぇ」と余が述べたのが別の意味での「やればできる」でけつこうウケていたことが今日になり判明。M教授は「うつかり者の子だくさん」といふ言葉もあつた、と。
▼昨日ドナルド曽蔭権君が北京にて正式に行政長官として任命受ける。温家寶首相の主宰でわずか三分の宣誓式。97年と02年の董建華君の就任宣誓式は香港灣仔の會議展覧中心で盛大に行われ97年は首相李鵬、02年は江沢民の強力な支持で江沢民国家主席自らが臨席。今回は北京で明らかに香港特区がその自治性より中央に帰属の一地方自治体であることが明らか。
▼香港鼠楽園がディズニーランド附属のホテルでの宴会料理にフカヒレ提供につき動物保護団体などからの批判強くフカヒレ提供を断念。
▼練乙錚氏の連載第十回(廿三日・信報)。宰相について。宰相とは公務員官吏の長にて議会制での首相に非ず。米国で言えば宰相は国務長官。特区政府で政務官はこの宰相に当たるが問責制にて政務官の宰相的立場を解消、がどう作用したか。問責制導入にて全ての司長・局長級の幹部が行政長官の任命でその責務が独立し相対的に宰相的全権有した布政司的政務官の権力と組織矮小化。英国統治期は政策決定の全てが布政司を通してから総督と行政院に上奏されていたものが董建華行政長官になつてからは全て直接行政長官に直接上げられる体制となり政務官も他の局長級と同格となる。これにより政務官を長とする公務員が政策主導権失う。官吏とは「官」の決定を「吏」が遂行する強力な行政体制であつたが植民地時代のその組織が問責制となつてから体制の打破で精神力失せ新しい問責制での精神力も建立できず。この形骸化は北京中央も予測もできず。練乙錚氏の連載第十一回(廿四日・信報)では97年からの董建華行政長官の評価について。将来、董建華について歴史的評価がされた場合、董建華氏の個人評価はけして悪くなかろうが政責については97年以降マイナス要因が多すぎて政策として対応は困難。その施政での問題はまず董氏が知識重視したものの知識をどう正確に理解できていたかどうか。董氏に助言する者多く、けして董氏が盲動とまでは言わぬが知識を得て正確な判断できず。董建華の読書はブッシュのレベル以下と練氏は指摘。もう一つの問題は董建華の愛国が盲目であつたこと。愛国という観念はかなり複雑は筈だが董建華にとつての愛国は「見てごらんなさい。中国があれだけ発展を続け特に上海は……」が口癖で、その思考に疑問視といふものがない。知識不足とこの盲目的な愛国の情が董建華の短所。
六月廿四日(金)大雨。赤雲警報発令。西環などで市街水濫れ通行止めとか。驚く電話あり。或る四星級ホテルの邦人営業担当より電話あり「四月にお送りしているコーポレートディスカウントレー
トの契約書をまだサインバックいただいていないのですが?」と。その合意をもらえぬと割引料金提示できず今後コンベンションなど続きますし一泊二千余ドル
の料金となります、と一方的。アジア通貨危機から始まりSARSの疫禍では地獄見たホテル業界も景気回復で復調か嬉しかろうが横柄さまで復調。そもそも契
約など打診した記憶もなし。その点尋ねると打診いただいておらぬがホテルからオファーしたもの、と。ちよいとそれは不躾。そちらから勝手に資料送付してお
いてサインバックしておらぬとは失礼な物言い。「失礼は承知でこちらか勝手にこれこれこういうものをお送りしておりますがご返事はいただいておりませぬが
ご意向は如何なものでしょうか?」と尋ねるべき。相手も言い方が悪かつたと恐縮しつつも「安く泊まりたければさつさとサインバックせよ」の姿勢、は変わり
なし。呆れるばかり。よくよく質せば昨年までもそういつたオファーはしていたがとくにサインバックまで求めてはいなかつたが今年からきちんと確認すること
になりまして、と。それはホテル側の事情。「ですが昨年はちなみにT様にサインいただいておりますので」と先方は言うがそもそもTなる者はこちらにおら
ず。何かデータミスが、と先方も一瞬怯む。いずれにせよホテルの営業担当でありながら、そのTといふ名前が何処の誰かも認識しておらず。金輪際このホテル
利用するに値せず。数日前に米国でのクレジットカードデータ漏洩騒動の影響にて取引銀行よりマスターカード再発行のため現有のカード使わぬよう指示あり。早晩に銀行口座より現金下ろそうとカード使うと(クレジットカードと銀行カードが一枚になつてゐる)機械にカード呑み込まれ現金も下ろせず。銀行に電話せば安全のための措置との事。それも諒解するがクレジットカードは無効と聞いてはいるが銀行カードとしても機能停止とは聞いておらず。通帳なき口座ゆへカードもなければどうするのだ?と質せば銀行窓口なら口頭で説明いただければ対応いたします、と。カードデータ漏洩よかこの曖昧な対応のほうがよつぽど怖い。本晩は日本人倶楽部にて中文大学M教授主宰の香港研究会に香港大学美術博物館副館長のA君招き中環の中区警察署について講義いただく。王立アジア協会香港支部だの香港外国人記者倶楽部(FCC)でも発表しているA君のプレゼンテーションの上手さ。かなり多くの画像をパワーポイント使い鮮明に見せる。とくに中区警察署の裏に位置するヴィクトリア監獄の内部の画像は貴重。建築を学んだA君らしく十九世紀のこの香港植民地政府の要塞(ここに香港政庁、裁判所、警察消防と監獄あり)がヴィクトリア朝の英国らしくどういう装置として存在したか、を見事に提示。監獄と学校や病院がヴィクトリア朝の英国で全く同じ思想から生まれていること。フーコーの『監獄の誕生』や『医療の誕生』を思い出し講義後にA君にそのこと話すとやはりA君もフーコーを念頭に置いてこの建築の歴史を「まなざし」から述べていた、と。興味深き話の内容にてここに綴るは列挙に遑がないが香港島のヴィクトリア市についてその市域が何処なのか具体的な資料これまで見たことがなかつたがA君の資料にその市域を示す地図がありいくつかポイントにマーキングあり「もしや?」と思い尋ねればやはりそれが「シティーバウンダリー」と書かれた石柱。これが現存しBowen
Roadであるとか香港大学学長住宅の裏からピークに登る山道であるとか、この日剰読まれた京安村氏の書き込みにあるように簿扶林の23番バスの終点先の地点であるとかが其処。偶然であるがその京安村といふ人の書き込みを探してみたら何と恰度一年前の今日の書き込みであつた。できれば今度このシティバウンダリーの境界線に沿つて歩いてみたいもの。講義中A君持参のカナダ産葡萄酒(名前失念)いただく。A君の知人のワイナリーでA君が香港の輸入元。講義終わり日本人倶楽部のファミレス奥の「子供は入っちゃだめ」エリアでA君、M教授、某邦字誌編集長のS嬢と会食。歓談尽きず。A君といへば本日昼前の赤雲警報で晩の研究会開催の可否危ぶまれA君に電話すると台北に在り。午後のフライトで香港に戻る、といたつて余裕のA君。確か昨晩、香港大学美術博物館にて旧総督府の記念誌の発刊記念パーティーあり歴史建築についてであればA君主幹の筈で董建華の夫人も来賓として在りA君其処に居らぬ筈もなしと思えば昨晩のその発刊記念会終わつてから台北に飛び今朝から昼まで仕事して香港戻りだそうな。でA君に香港政府の首長級のいくつか興味深き内情を聴く。人の評判も風評は風評なわけで人望厚き或る人が実は意外と大問題でその人外すために別が泥かぶりと内情も様々。晩十時から一人UA銅鑼灣にて映画『蝙蝠侠』観る。Z嬢はこんな下品な映画は観ず。大型商業映画は殆ど観ぬのだが何故かバットマンだけは幼き頃にテレビドラマのバットマン好きであつたからか近年の映画作品もきちんと観ている。が今回の主人公役の役者にバットマンのニンがない。まず英語。英国の貴族役にしてはブリティッシュイングリッシュの気高さに欠ける。上唇のうえのまつたり感が余計にセリフを下手にする。今回の物語はどのようにバットマンが生れたかの生い立ちからバットマン誕生までの非行、修業時代の話だがバットマンが渡辺謙扮する頭領の忍者組織で修業していたとは(笑)。不要な逸話。敵もシリアス過ぎてダメ。やはり敵はジョーカーであるとかペンギンマンであるとか色物系でないとバットマンでない。バットマンといへば余にとつてはバットマンカーと助手ロビンがないとどうもいけない。ホームズが独りであるよかワトソン君相手の場合、明智小五郎に小林少年が絡むことで明智小五郎が断然生気ますのと同じ。恐らく将来この少年がロビンになるのでは?といふような少年も登場。でバットマンカーはまだあの美しい流線型になる前の装甲車のような形。全くもつてバットマンカーとは呼べぬ代物だがバットマン誕生であるから敢えて自動車もあの流線型とは全く対照的な装甲車にしたことも考えてあるといへば確かにそうなのだが。実は誕生日。誕生日の晩に独り寂しくバットマンの映画見る初老の男の悲哀感じ入るばかり。晩の十二時半に映画終わりこれで飲みに行くと空が明けること必至で「バットマンカー並みに爆走する」タクシーで料金50ドルの距離を僅か五分で帰宅。
▼加藤周一氏の朝日の夕陽妄語が曽我蕭白とりあげる。京都の国立博物館で回顧展あり余も『芸術新潮』の特集を読んだもの。加藤氏の文章は蕭白を語る美術評
として読むに値するもので加藤周一の目利きが映えてはいる。が夕陽妄語であるから当然、奇人の蕭白を語ることは狙いは小泉三世か、とか想像も易し。で「結
論は、独創的で抜群の技をもった蕭白は、同時に極端に不器用な、拙劣な画家でもあった」といふ一文に「そら来た!」と。だが最後まで蕭白論で終わるのであ
る。美術評であれば当然であるし加藤周一がそこまで感動した、といへばそれまでだが夕陽妄語であるから妄語なわけで「もしや我が国の政治状況にあまりに呆
れ加藤翁とて語る言葉失ったか」とまで想像してしまふのだが。
六月廿三日(木)昨晩の競馬惨澹たる結果に終わったが蹴球のコンフェデ杯は日本の対ブラジル戦を「引き分け」に賭け競馬の負債どうにか回収。ブラジルの勝
ちと引き分けが3.5倍だかでほぼ同率。で愛郷心(愛国心に非ず)で日本にせめて引き分けを、と思ったら現実に。連日の大雨。朝に乗り合わせのバスが大坑
道にて渋滞に遭い何かと思えば樹木倒れ道を塞ぐ。樹木除去に最大三時間要すと警官がバス司機に伝
えバス降りて歩こうとするが道路に隙間もなく樹木の枝葉の間を潜り抜
けずぶ濡れ。この季節雨は珍しくないが今月は降雨なき日はわずか一日。廣東、廣西は百年ぶりの洪水被害。北京は摂氏三十
九度の真夏日続き異常気象はもはや神の怒りの如し。晩に九龍にて工作任務あり早晩に先週に続き尖沙咀の札幌ラーメン店さんぱちに食す。先週の味噌ラーメンかなり塩辛き印象あり黄色い麺むし
ろ醤油ラーメンに合ふのではないか?と醤油ラーメン注文。店の案内をふと眺めると「当店は北海道より味つけをあつさり気味にしております。もし北海道のオ
リジナルの味つけ希望される方はその旨おつしやつてください」と。あれであつさりとは北海道それほど味が濃いか。醤油ラーメンは今度は甘み強し。そのうへ
玉葱煮込んであり甘み増す。好みであらうが余は苦手。晩十時すぎにバーS。Z嬢と待ち合わせ。白角ソーダで続いてジャックダニエルをロックで二杯と少し。
先日天后の利休で数年ぶりにお会いしてこのバーにお連れしたU氏が資生堂パーラーのチーズケーキこのバーに届けておいてくださり受領。ありがたいかぎり。
Z嬢と語れば小泉三世の話題となりZ嬢曰く「靖国神社に袴羽織で参拝するのなら韓国訪問も例を正して袴羽織で訪れるべきでは?」と。御意。小一時間で帰
宅。
▼先日逝去したフォーク歌手高田渡に「ブラザー軒」といふ歌あり。ブラザー軒は仙台東一番丁(レコード店サンリツの裏)にある創業明治三十五年だかの老舗
の料理屋。築地のH君が見つけたのは安藤文隆といふ人のサイト(こちら)から「ブラザー
軒」の原詩の作者・菅原克己という革命詩人は父が大正期に宮城県立角田高等女学校校長で克己十二歳の時に校長在職中に逝去。その父の思い出を「ブラザー
軒」といふ詩にしたこと。その渡辺氏の経営する東京は大井のLa Cantinettaといふ店で廿六日に高田渡追悼の「高田渡が愛した詩人たち」といふイベントあり。当然、菅原克己もここで取り上げられるのだらう。
東一番丁、ブラザー軒 硝子簾がキラキラ波うち、あたりいちめん氷
を噛む音。
死んだおやじが入って来る。死んだ妹をつれて氷水喰べに、ぼくのわ
きへ。
色あせたメリンスの着物。おできいっぱいつけた妹。ミルクセーキの
音に、びっくりしながら。
細い脛だして 細い脛だして 椅子にずり上がる 椅子にずり上がる
外は濃藍色のたなばたの夜。肥ったおやじは小さい妹をながめ、満足
気に氷を噛み、ひげを拭く。
妹は匙ですくう 白い氷のかけら。ぼくも噛む 白い氷のかけら。
ふたりには声がない。ふたりにはぼくが見えない。おやじはひげを拭
く。妹は氷をこぼす。
簾はキラキラ、風鈴の音、あたりいちめん氷を噛む音。
死者ふたり、つれだって帰る、ぼくの前を。小さい妹がさきに立ち、
おやじはゆったりと。
ふたりには声がない。ふたりには声がない。ふたりにはぼくが見えな
い。ふたりにはぼくが見えない。
東一番丁、ブラザー軒。たなばたの夜。キラキラ波うつ硝子簾の、向
うの闇に。
このブラザー軒、仙台に六年ほど暮らした余も一度も食しておらぬばかりか仙台生まれのH君も訪れた記憶なし、と。ブラザー軒の近くにはラインゴールドとい
ふ洋食屋あり焼き肉の白頭山など懐かしい場所。ブラザー軒は西洋料理屋だがラーメンなども供し東京でいへば日本橋のたいめい軒か。
六月廿二日(水)セブンイレブンで新聞を買うと華字紙は6ドルが5.40と一割引きであること初めて知る。朝二紙買うとすると1.2ドル引きで一ヶ
月だと バカにならず。昼前に土砂降りの雨。母よりの電話で歌舞伎座で弁当の折箱盗まれた、と。孝夫贔屓の母に歌舞伎座の切符を手配。数日前に夜の部の盟五三大
切の三五郎役の芝居楽しみに出かけたが銀座の三越で弁当の折詰め購ひ開演前に座席に置いてちょいと手荷物預けに席を離れ戻ればすでに失せる。ロビー通路の
長椅子で、でなら三越の袋で間違つた人でもおろうか、と思ふが一階席の三列目の真ん中で上品な席といへば上品で周囲の客を怪しめもせず。開演前の時間で係
員が昼の部の食べ残しの弁当と思つて捨てる筈もなし。歌舞伎座の一等席で弁当盗むとは世も末かと荷風散人の如く悩むべきか木挽町に住まふ歌舞伎座の怪人の
犯行か。早晩に自宅近くのジムで小一時間有酸素運動。トレーニングルームのテレビモニタで晩のニュース眺めておればドナルド曽蔭権君の行政長官就任ニュー
スは旺角で築三十年のビルの窓ガラス外れて落下し街路でインドネシア人家政婦がそれに当たり怪我といふニュースよかずっと後のニュース開始から十五分後。
帰宅して競馬中継眺めるが見事なほど擦りもせず。満月の晩も雨雲に月もなし。
▼今朝の朝日新聞「近隣外交を問う」で余と築地H君の福田首班内閣で外相に推挙の野田毅君が実に明瞭は発言。隣に公明党幹事長代理の太田昭宏君もいかにも
小利口な小物に見えほど野田君の冴え。小泉三世の自らの信念貫く姿勢もプラスの評価もあろうが歴代首相は時には我慢もし自己抑制しながら国際社会でいまの
日本の地位を築いたものでその蓄積を「一首相の信念とやら」で全部捨て去ってしまっていいかどうか。靖国にA級戦犯祀られていれば参拝見送るべき。A九千
版合祀は外国からの圧力でなく日本が戦争責任として総括すべき問題。日本が戦後、東京裁判の判決をどういう状況であれ受け入れて国際社会に復帰したのだか
ら、それを堂々と否定できず、靖国神社のA級戦犯の合祀もその経緯は東京裁判の考え方の否定であり一宗教法人が誰を祀るかの決定権が神社側にあるというの
が建前だが靖国神社の生い立ちからの国家的性格があり一宗教法人に「甘んじる」のなら首相参拝もおかしな話。祀られる遺族にもA級戦犯ら軍事指導者が戦場
に引っ張られた兵隊=犠牲者と合祀されることに疑問の声もあり。小泉三世は参拝も継続しつつアジア外交も実られようとするが加害者と被害者の違いがわかっ
ておらず……と。野田君は最後に「次のリーダーは、近隣諸国の関係を粗末にしない人でなければならない。任期を得ようと独善的で偏狭なナショナリズムに
乗っかっている人もいるようだが、もっと勉強してもらわないと困る」と安倍晋三へのイヤミも適度に品がよく結構。この自信は明らかに野田君の現在居る自民
党内の勢力が俄然力をもちつつある証左。当然、財界の後押しもあろう。だが小泉三世をここまで放置しただけでも自民党のいい意味での保守派と財界にも大い
に責任あり。何のための小泉放任であつたのか。おそらく「自民党をぶっ壊す」と小泉三世の雄叫びへの八割の支持率。あの当時これに異を唱えれば単なる旧守
派で国民の敵。で支持率も下がらねば結局は靖国などでの中国の外圧に応じて、でしか追い込めず而も自民党総裁任期全うとは。
▼国家を壊滅にまで引導せし首相だの軍の統帥がここまで祀られるが実際に国家は国民を守らぬ歴史的事実が沖縄にあり。紐育タイムスに沖縄で日本の敗戦直前
に米軍の沖縄侵攻の最中、自殺強要され母が娘の首を絞め、それを見ながら自分も首に縄まいて死のうと追い込まれた女性らが当時の悲劇語る記事あり。日本軍
から米軍が侵攻したらどれだけ恐ろしい目に遭うかと説教され男は殺され女は姦さる、と。まさに日本が中国でしたことそのものだが。そのような目に遭いたく
ないのなら、お国のために死んだほうがマシ、と。
▼陶傑氏が蘋果日報の随筆でディズニーランドをさんざん揶揄。見事。香港が九七年から八年でアジアの国際都市だの物流中心だのハイテク港に漢方薬ハブだの
さまざまな計画夢想し何ひとつ実現できず結局この八年で香港救済できるものが米国に三顧の礼にて招聘のディズニーランドか、と。米国で五十年代に流行つた
テーマパークで欧州ではディズニーランドの低俗趣味は受け入れられず今もつて赤字経営。東京にもあるが日本人は恥といふ観念があり東京にディズニーランド
が出来たからといつて成田空港に巨大なポスターも貼らぬし鉄道の駅とて東京圏の巨大な鉄道網のなかの小さな駅の一つにすぎず。それに比べて香港の大騒ぎ。
鉄道駅とて地下鉄路線図にミッキー鼠のロゴまで使つてのディズニーランド駅の強調。民族の尊厳とは如何に。といいつつ日本もあれだけの効率性と清潔美徳の
風習ありながらディズニーランドの開園ではそのマネージメントの巧みさだの吸い殻ポイ捨てすれば三分以内に清掃される清潔ぶりなどまで賞賛。香港のディズ
ニーランドは確かにミッキー鼠に「スタンレーの観光客相手の土産物屋で売ってるようなチャイナ服」まで着せてカンフーのマネをさせたのだから中国の経済力
は大したもの(と書いて実際にはバカにしているのだが)。どうせなら香港の全市民に一日くらい正式開園前に施設開放しては如何か。どうせなら香港政府との
トップ会談で七月一日の特区成立記念日にすれば五十万人デモの日だから、と。
▼練乙錚氏の連載第八回(廿一日・信報)。多くの人が董建華の最大の政策錯誤は「八萬五」と思つているがこれは間違い。八萬五は董建華が行政長官就任で打
ち出した毎年八萬五千戸の公団住宅建設目標でバブル崩壊後に民間デベロッパーの住宅供給がダブつき不動産価格の下落状況で〇一年だったかに八萬五計画は九
九年にすでに解消されていたと董建華が釈明。余りのいい加減さに市民の董建華への信望著しく下落したが練氏は八萬五計画ぢたいバブル的発想で近い将来のバ
ブル崩壊は予測の範疇にあり見事な数字掲げての将来展望など絵に描いた餅。この計画は実際には政府高官の厘瑞麟の錯誤。で実際の董建華の最大の失敗は「主
要官員問責制」であると練氏は指摘。これは〇二年に董建華が行政長官に再任された際に打ち出した公務員制度改革。これまで公務員の「上がり」職であった各
部局のトップを公務員制度から切り離し外部からの人材の登用など含め大臣のような職責としたもの。でなぜこの官員問責制が必要だつたかの背景はいろいろ言
われるが一つは一般的に保守的な公務員と董建華の政策上の乖離がありその解消、二つ目は「短椿事件」などに見られた公務員官僚の責任感の低さの是正。短椿
事件は公団住宅の高層住宅がほぼ完成してから基礎工事のボーリングで杭打ちが規定の深さの半分だけしか行われずに終わつていたことが発覚。そして三つ目は
陳方安生女史の公務員のトップである政務官としての役割とその管轄の広さと監督権限の大きさに対して北京政府が難色示したことによる公務員制度の見直し。
このうち一つ目と二つ目は実際に官員問責制にしたから解消するかといえば実際にはそうならず(実際に問責制で任命された官僚のうち財務官の梁錦松、ゲシュ
タボ保安局長の葉劉淑儀、SARS疫禍での責任とり衛生局長らが引責辞任)結局は三つ目の陳方安生女史からの政務官としての権力剥奪であり陳女史辞任だけ
でなく官員問責制の導入の際にそれまで政務官らに帰属の権力を行政長官に集中したこと。これで行政長官に秀逸なる行政手腕とリーダー性でもあれば結果オー
ライであつたのだろうが実際には董建華にそれだけの指導力もなし。董建華なる人はだが逆に私利私欲も権力欲もなく、この官員問責制も董建華本人の主意に非
ず。政府行政会議長老格の鐘士元がこの制度導入を何度提言しても董建華はそれに同意せず、当時この制度改革の責任者であつた孫明揚もこの制度実施が政府内
での孫のライバルともいえる曽蔭権に有利になることで孫は制度導入に積極的になれず。曽蔭権自身もそれまでの責任委譲された高級公務員制度からの改革には
自ら手足を縛るようなものでけして積極的になれず。でなぜその制度が実施となつたかといへば中央政府による主導であつたから。では中央政府がなぜそこまで
して陳方安生の更迭と政務官からの権力剥奪が必要であつたのか……は明日のお楽しみと練氏。で練乙錚氏の連載第九回(廿二日・信報)。九十七年の香港返還
でのスムーズな移行の一つが公務員が何の変わりもなく留任すること。五十年不変の一つの象徴。で欧米マスコミが「香港の良心」などと賞める陳方安生女史も
政務官として留任。だが中国政府はどうしても英国植民地政府から移行した高官への警戒心は解消できず。陳政務官と中央政府にとつて最も大きな楔となつたの
が九九年の法輪功事件であると練氏は指摘。マカオの中国回帰のこの日に江沢民がマカオで法輪功のデモに遭遇。江沢民は「特区政府は国家安全を擁護する責任
がある」と発言。だが陳政務官はマスコミのインタビューに対して香港では法輪功は合法的な組織であり香港の法律に抵触しなければ問題がない、と発言。これ
が死罪に値す。この世で中国共産党を公開の場で糾弾できるのは李登輝と法輪功だけ(笑)。ブッシュですらテロと北朝鮮の脅威は指摘できても中国政府には敬
意表す。自由や民主主義の標榜に比べ東洋型の宗教であり民衆の内心に汲み入る点で法輪功は中国政府にとつてやつかいな存在であり政府要人が住まふ中南海を
信者で囲む暴挙など許せる筈もなし。それほど危険な団体を香港政府は放置し、その政府の責任的地位にある政務官が中央政府を国家として重視せぬ状況。(結
果的に陳女史更迭後の董建華の行政長官二期目で基本法廿三条での国家保安条例の立法化を董建華に急がせたのはこの法輪功対策の延長線上にあり実際にはその
立法化失敗で董建華は大きな痛手被るのだがそれは置いてといて)。北京中央にしてみればこの公務員のトップである政務官への権力集中は放置できず。この政
務官は英国統治時代は布政司。この「公務員の首長」の制度は中国でいえば歴史的な「宰相」に当たるもの。カナダでいえば連邦首相内閣秘書(内閣官房長官の
ようなものか、日本では議員がこれに任命されるが)がこれに該当し、英国では内政については財政部常任秘書。中国では宰相。中国では君主(王室)権と宰相
(政府)権が画分されており皇帝が行政権を宰相に委譲することで宰相は行政実務に絶大な権力を用いてこれに当たる。中国でいえば党主席と国務院のような関
係。有能な高級官僚のうち最も秀でた者を宰相に据えることで国家の安泰と繁栄あることは中国の歴史見れば明らか。で香港特区政府の問題はこの宰相にあたる
政務官から有能な人材を駆逐し更に政務官の権限を制限し行政長官に任せたこと。
農歴五月十五日。夏至。日に幾度も大雨走り去ってはまた大雨。朝いつも新聞数紙買う新聞スタンドでふと明報を百年ぶりで購入。かつては「香港の朝日
新聞」 とかいわゆるクオリティペーパーであつたのも武侠小説の大家・金庸氏が社主の時代の成功で曾ては地下鉄でいかにも公務員、教員など明報を読んでいたものが
最近ではすっかり発行部数もおち学校の図書館や病院の待合室など毒にも薬にもならぬ場所でしか目にせず。政府関係の広報誌のごとし。唯一この新聞らしいの
は本日から二日間、香港城市大学の中国文化センター主催で「文化伝統と華文創作」といふシンポジウムあり(それぢたいは面白くもなさそうだが)パネラーと
して作家・白先勇氏とストックホルムから漢学の碩学Goran
Malmqvist教授が参加とは豪華。そのMalmqvist教授(漢名:馬悦然)が漢文で綴つた4つの短編小説まで掲載されるのは明報だから
か。余の銀行より電話ありクレジットカードのセキュリティに憂慮される点ありカードを新規番号で再発行いたします、と。これはマスターカードで、ところで
ヴィザのほうは?と尋ねると、その者はマスターのプラチナムカードの担当で同じ銀行の発行カードでもヴィザについては恐れ入りますが知りかねます、と。も
ともとヴィザのゴールドカードありき、で銀行から年会費無料にするのでマスターカードのプラチナカード持っては如何か?と勧められし経緯だが、こうしてク
レジットカードの情報漏洩などといふ惨禍に遭ふと上級カードから対応されるのはタイタニック号での避難と同じか。夏至も暮時まで諸事忙殺されジムにも寄れ
ず帰宅。鰻丼を食す。随筆家でファッションデザイナーの畏友W君より本晩招飲を受けるが連絡来ず夜晩出かけず。本日、ドナルド曽蔭権君を北京の国務院が正
式に香港特区行政長官に任命。即日発効。温家寶首相が任命状に署名するニュースも驚くなかれ晩のニュースで大雨などに続き三つ目。せいぜい話題といへばド
ナルド曽君が前任・董建華君常用の行政長官専用車トヨタ・センチュリー選ばずもう一台の専用車であるベンツS500選び任命と同時に乗用し始めたことくら
い。雨空の向こうにおぼろに十四夜の月の明かり浮かぶ。
▼小泉靖国参拝について。首相の靖国参拝について「賛成」の意見でも体温かなり違う事実。例えばA級戦犯の遺族や『諸君』的感覚だと「首相が参拝をやめる
と先の大戦が侵略戦争であったと認めてしまうことになる」のだが小泉三世ぢたいは先の大戦がアジアにおいて侵略行為があったことは認めた上で戦死者につい
ては慰霊すべきで靖国神社参拝することで今日と将来の平和を祈願するモットーであれば「賛成」のこの二者ですら感覚の相違甚だし。築地のH君の話ではA級
戦犯の遺族(娘)が「日韓で歴史認識を完全に一致させるなんて無理。いつまでも過去のことにとらわれないで、未来志向で行きましょう」と語つたそうで確か
に「完全に一致」は無理だろうが「悪いのはヒトラー」という程度の歴史認識は世界中で完全に一致で東アジアでそれに相当するのが「悪いのは日本軍国主義」
であり、それを完全にひっくり返そうとは、とH君。中国側の対応こそまさに「罪を憎んで人を憎まず」であり小泉三世は中国に過去の「罪」をどう憎んでるの
かの証拠を見せてくれと言われてるのにA級戦犯も含め「人を憎まず」の方しか実践せぬことの拙さ。このA級戦犯の娘のコメント流したテレビニュースのキャ
スターは「加害者と被害者では歴史の感じ方も違いますからねえ」などとコメントしていたそうだが逃げの口上。で今度は経済同友会代表が小泉三世に対して
「個人的に参拝を」と。経済同友会の代表幹事で日本IBM会長の北城恪太郎君が公式参拝はやめるべきだとの考えを示す。「近隣諸国に理解を得るためには、
どういう形で参拝するかをぜひお考えいただきたい」と、ここまでは理解できるが「羽織袴で神社に行くのは見た感じからして軍国主義。クールビズで行かれた
らどうか」といふコメントはどんなものか。羽織袴で神社に行くのが軍国主義なのではなく国家神道として神社本庁系の神社ぢたいが国家主義なのであり、クー
ルビズなど靖国の問題で話す必要もなし。いずれにせよ小泉三世の場合こういうことを言われるとますますムキになる可能性もありか。
▼で小泉三世はもはや終わっているとしてポスト小泉であるが築地のH君によれば毎日新聞(夕刊)での小特集で松野頼三は「麻生、谷垣、福田が横一線」、伊
藤惇夫は「安定政権志向で福田氏有力」、森田実は「亀井、平沼、加藤氏らの可能性も」と。余と築地のH君による福田首班での組閣もまんざらでなし。で森田
実君の分析が興味深く政権のカギをにぎる公明党は「これまでの小泉政権を正当化でき且つ対中政策を転換できる人」を推挙。これだと福田と谷垣。公明党が自
民党の反発を恐れてあまり強く干渉せぬ場合には親小泉・反小泉の中間派として高村浮上。一方で郵政民営化をめぐって政局が激動すれば小泉路線の正反対の路
線が登場し亀井、平沼、加藤、野田聖子らもあり。小泉三世は靖国を積極的に紛争テーマにするのも岸派以来のネオコン政治を保守本流に押し上げようとの狙い
もあり。しかしこれをやりすぎると小泉・安倍・町村らに対し「こだわり過ぎておかしいのではないか」という雰囲気が生まれ「政治家は大衆感情以上に度を超
えると見放される」といふのが森田分析。なるほど。で伊藤惇夫(元民主党事務局長)は小泉三世のような「一点突出内閣」の次ぎはバランス型が求められ「だ
から福田」と。わかりやすし。福田二世そもそも福田赳夫の息子で「岸派以来のネオコン政治」の主流にいてもおかしくない筈がここであえて距離を置けるあた
りは早稲田しか出ておらぬのに東大卒の町村よりも先が読める頭のよさ。ところで気になるのは、とH君の憂ひは本当に小泉阿倍の三世コンビが「大衆感情以上
に度を超えているか」どうか。朝のテレビで毎日のように勝谷誠彦様がキャンキャンと中国の悪口を喚いて喝采を浴びる。大衆感情も小泉阿倍のレヴェルとどっ
こいどっこい。これが衆愚政治の弊害としてはいけぬのかも知れぬが戦前なら首相を皇居に呼びつけて「小泉、中国のことでは少々やりすぎではないか」と陛下
が一言こぼせば臣小泉は恐懼して退出そのまま総辞職で直ちに福田康夫に組閣の大命降下、とか。
六月廿日(月)蹴球はコンフェデ杯で日本が希臘に勝つ。オッズは希臘が1.9倍、日本が3.65倍で「よくて引き分けか」と思ひもしたが引き分けの
オッズ が3.1倍と日本の勝ちよりオッズ低く愛国心に駆られ日本に賭ける。当然、点数が入らないと勝てないわけで珍しく「先制ゴール選手」も賭けて柳沢君7.5
倍、大黒君9.0倍に賭ければ大黒君でこれも的中。W杯予選の北朝鮮戦と先日のコンフェデ杯墨西哥戦での損失を一気に黒字転換。蘋果日報紙創刊十周年。十
年前に黎智英氏が新聞創刊に挑む。黎氏は天安門事件に触発され『壱周刊』発刊し当時の首相・李鵬を名ざして非難し気骨ある姿勢見せ当然この蘋果日報も97
年を前に香港の自由な言論の擁護する姿勢は明白であつたが十年前に創刊の時は蘋果を一個ずつ配り暫くは確か2ドルだつたかで新聞業界に殴り込みかけ鮮烈な
印象。この新聞が中国政府に対して厳しいことはわかつていたが蘋果日報の存在がここまで大切になると恐らく黎氏も含め計算違いだつたのは香港政府のあまり
の粗忽ぶり。これで毎日、新聞の頭巻記事のネタに事欠かず。早晩にジムで一時間の有酸素運動。帰宅。ドライマティーニ一杯。夕餉。ケーブルテレビのナショ
ナルジェオグラフィック局で先週「ファラオの記憶」といふシリーズだつたか埃及の古代王朝の特集ありビデオに撮つたツタンカーメン王の死の真相に迫るとい
ふ王の骸のミイラ化学分析と王の面構えの復元の番組見る。十九歳で亡くなつたといふこの若き王も死骸をば数千年後に人々に曝されさぞや恥ずかしからう。謎
は謎として見事な黄金の棺に眠る謎多き若き王としておいて何故にいけぬのか。一九二〇年代に英国の「学術探検隊」によりこの王の墓が暴露された段階でもう
終わつているのだが。だから今は堂々と科学分析など可、といふところか。それにしても王の御面を再現したところで若き美貌の王は後頭部がやたらと出て(そ
れが当時の埃及の王家の遺伝によるものらしいが)アイラインとマスカラべつたり。紅顔の美輪明宏かピーターの如し。昨日香港大美術館で購入の鄭寶鴻氏編集
の『香江道貌〜香港早期電車路風光』といふ歴史写真集を眺める。鄭氏の歴史写真蒐集は高添勉君も驚くほどの充実で今回の写真集はその膨大な写真から市街地
走るトラムに視点あてたもの。ハッピーバレーから見下ろす銅鑼湾など興味深き写真多し。
▼香港にも何軒かある永和豆漿。余も北角のこの永和豆漿でよく豆乳購ふが永和はもともと台湾は台北郊外の地名で永和豆漿といへば「名古屋ういろう」とか
「揚州炒飯」と同じ地名+普通名詞にすぎぬが台湾で1985年に林丙生なる商人この永和豆漿を登録商標とする。商売が当たり95年には中国でも永和を商標
化。フランチャイズで営業拡大するが96年に上海に「永和豆漿大王」なる店が出現。この大王にしてみれば永和は地名で豆漿は普通名詞で何も問題はない、し
かも永和豆漿に対して永和豆漿大王とすることで永和豆漿とは明らかに別の名、と。それに対して永和豆漿は「北京餃子」などと違い、もともと永和は豆乳が名
物であつたのではなく創業者の林氏が永和豆漿といふ商品名を考えたのであり大王はそれを侵害と訴える。結果的に両者和解するが永和豆漿がフランチャイズで
店を広げれば当然そのフランチャイズにあつた店が独立を狙ふわけで今度は「永和新一代」が登場。ここは商標について全面的に戦う姿勢で目下、永和豆漿が百
二十軒、永和豆漿大王が八十軒で新参の新一代永和も廉価路線ですでに十数軒だとか。
▼香港鼠楽園の九月開園にあたり地下鉄などにも宣伝多し。ディズニーの戦前からの文化帝国主義に異を唱える余は当然これに全く興味もないが香港の鼠楽園の
宴会部門が結婚坤披露宴のメニューにフカヒレ加えたことで自然保護団体が反発。鼠楽園にフカヒレ用いぬこと求めるが鼠楽園側は結婚披露宴のメニューにフカ
ヒレは欠かせず、但し鮫の生態保護重視しフカヒレを選ぶ披露宴には鮫の保護訴えるパンフレットを渡す、と何とも中途半端な対応。保護団体はフカヒレが中華
の伝統的メニューであるといふ鼠楽園側の説明に「それぢゃ東京の浦安デズニーランドで鯨肉バーガーを供するか?」と反発。フカヒレの問題は文明的な欧米人
にすればなぜフカヒレは出汁をとるでもない無味乾燥でスープにいれずともよいぢゃないか、と思うところ。だがこの記事(紐育タイムス)にもあるようにアジ
アの野蛮な美食家にとつてはフカヒレの食感は何ものにも代え難し。美味なるスープにその食感添えることの何と贅沢で野蛮なことか。
▼中国で政治的に言論抑圧されていること明白な事実だが最近興味深きことは土地の強制徴収に対する住民の反発。とくに農地を工業地にするケースで農民がピ
ケを張るなど政府の強行に断固反発する姿勢見せ殊に老年層が政府権力恐れず立ち向かう様。紐育タイムスが極東版の一面で伝えるのは、この問題の深刻さ。本
来、農民や労働者ら下層階級を代表するはずの共産党が農民を敵にまわす事態。貧富の差の増大。この政治的な大きな矛盾は今後更に深刻になることは避けられ
ず。
▼練乙錚氏の連載第七回(廿日・信報)。貧富の差と収入格差は物質的な社会問題だが、それに加え理想的な社会の建設には精神価値の重視も政府にとって大
切。五年前、香港政府の中央政策組の首席顧問が鄭維健氏であった当時(現職の劉兆佳は鄭氏の後任)に香港政府は「第三部門」の設立のコンセプトを董建華に
対して提言。これは政府と市場に対して市民運動など非営利の運動体であり、政府と市場(つまり財界)では満たされぬ多元社会で第三部門が補完する部分の重
視。不信任が深刻になり始めた董建華はこの民生重視に関心をもつたが非営利である第三部門の活動には政府予算が使われることで政府内には財政赤字で被積極
的な空気漂い01年に鄭氏が政府から離職し第三部門の構想は無に帰す。で結果的には財界とべつたりの香港政府が今日に至る。市民の信頼など遠き彼方。
六月十九日(日)薄曇。用事もなき日曜なれど朝七時には起床。新聞数紙に目を通し十時にはジムで一時間有酸素運動。昼にかけてFCCにて新聞読み昨日の日剰綴る。お昼はアールグレイ茶と胡瓜のサンドヰツチにしたいのだが胡瓜は北
回帰線以南は見た目ヘチマの如し。メニューには野菜サンドないが給仕に頼むと注文通り野菜サンドと紅茶。香港馬Cape
Of Good Hope(喜望峰)英国のローヤルアスコット競
馬にて見事栄冠に輝く。テレビニュースにてその雄姿見る。先日の安田記念といい今回といい香港馬のレベル向上。それに比べ香港での競馬興業ぢたいの売上げ
的には衰退が悲しいかぎり。このニュースも競馬売上げ回復には一切結びつかず。午後もまたジムに戻り筋力運動一時間。復たFCCに戻りドライマティーニ二杯。中環は庸記向かいの黄
枝記にてカレー牛南麺食す。黄枝記は澳門の確か十月初五街に本店あり。一九四十年代に広州で当時非常に流行つた竹升打麺(竹を用いての製麺
技術、現在でも香港なら灣仔の永華麺家であるとか澳門の祥記など僅かに残る古法なり)を習得
せし黄煥枝が1946年に地元・東莞で開業し51年に広州に移り59年から澳門にて経営する広東麺の名店。去年だか蔡瀾氏らの口添えか香港でも支店開業。
確かに美味いがHK$24は余が贔屓の陳成記の値段の倍近し。タ
クシーで香港大学。Z嬢と待ち合わせ大学美術博物館で館長の畏友A君が熱心に保存運動する中区警察署の施設建物の写真展(今日まで)参観。それと同じ場所
で昨年A君と一緒に関西を旅同行のE女史ら撮影のトラムの走る都市風景の写真展も観賞。中区警察署の写真はA君の解説にあるがわずか三時間の訪問で呉某と
いふ写真家が撮影の見事さ。偶然なる必然だが見事な陽光で写真が活きる。ぶらぶらと散歩し粗呆地区から中環。政府による営業権撤収が確定の民園麺家と隣の玉葉甜品は閉業惜しむかか
なりの賑わい。三度FCC。ステラアルトワを1パイント。Z嬢に呆れられながらBush
Millsの10年物をロックで1杯。ジムで昼にメンバーシップが「もうすぐ」切れると言われ実際には今年末なのだが2年の契約更新で更に無料で2年延長
で計4年と言われ而も余の取引銀行のカードでなら1年の分割払いも無利息と言われZ嬢も同じ頃契約更改ありのため早々に契約更新。4年でみれば月額HK
$133で十数年前に当時は入会金も数千ドルで月々HK$450だか払つていたこと思い出す。どこかで雑に粤菜が食したいとZ嬢の所望で一瞬、
通りがかりの香滑カレー店にも食指動くがZ嬢は昨晩、余も考えてみれば昼がカレーで断念。蓮香楼に参れば午後六時すぎですでに予約と早晩の客ですでに満席近いが辛うじて卓あり。梅菜蒸猪肉、羅
漢豆腐、野菜を食す。美味。上環よりバスに乗れば中環に醤油の大店・李錦記大
きな看板あり「愛国家、愛香港」と。バカぢゃなかろうか。たかだか醤油屋。反右派闘争か文革の時代なら左派からの攻撃を避けるための愛国ぶりか。醤油屋は
頑固に醤油を作って量り売りしておればよろし。愛国など宣伝するべからず。金輪際、李錦記の醤油産品は用いず(李錦記と並ぶ二大メーカーの陶大醤油はキッ
コーマンに対するヤマサ醤油の如し。英名はアモイ。創業者が福建省廈門(アモイ)の出身。一昨年のSARSの疫禍にて話題となりし集合住宅アモイガーデン
はちなみにこの陶大醤油の製造工場跡地に建てられたもので、それゆへ陶大花園(アモイガーデン)と名づけられる)。帰宅して大河ドラマ「義経」見る。大河
ドラマとはいへ平家の都落ち、義仲の入京、後白河法皇の御所焼討ちなど歴史の大事件をさっささっさとスライドショウの如く描く。驚くばかりの軽薄さ。平幹
二朗の後白河法皇も当初は興味深かつたが、もはやトリックスター役で夏木マリとのコンビは(正確には草刈正雄と三人だが)アダムスファミリーの如し。後白
河法皇といへば79年の大河ドラマ「草燃える」での松緑(先代)の法王役を思い出し政治術に長けた法王を紀尾井町が見事に演じる様昨日の如く思い出すばか
り。
▼信報の文化欄で映画評論家の王慶鏘氏が多言語翻訳システムのBabelFishを
紹介し、これがダグラス=アダムスのSF小説“The
Hitchhiker's Guide to the Galaxy”(邦訳は『銀河ヒッチハイクガイド』は新潮文庫のこの表紙絵がステキ)で
「小さくて黄色の、蛭みたいな恰好で、これは宇宙で最も奇っ怪な道具だけど、このバベルフィッシュを耳に装ふだけで世界中のどんな言葉も聞き取ることがで
きる」といふ道具。ネット上で多言語翻訳のシステムが使える時代になって、その製作者はこの小説からバベルフィッシュといふ名を借用したらしいが(王氏は
日本や韓国の映画関係者とのメールでの交信にこれを用いているらしい)この小説はかつてBBCでドラマ化されて好評だつたと記憶するが映画も製作されたの
だろうか。
▼紐育タイムスでトー
マス=フリードマン氏が書いた“Save
us, O Toyota”が面白い。もうゼネラルモータースも豊田自動車が買収すべきでは?というわけで、それがどういう効用があるかと言えば
豊田のここ数年のハイブリッド自動車の生産は地球環境に優しいばかりか豊田の自動車開発の重要性は石油に依存した世界経済をも変えるほど影響があるもの
で、中東の石油生産の今後の価値に影響があるとすれば豊田のハイブリッド自動車生産は米国経済、政治政策にも影響がある、そのうえ今日の世界にとつて最も
大切な地球の自然環境破壊を食い止めるエコ経済重視すべき、とフリードマン氏。
▼練乙錚氏の連載第六回(十八日・信報)。社会政策の後退が階級矛盾を上昇させた、といふ題で述べるは、香港政府の社会政策での無策ぶり。社会といふもの
は貧富の差だの社会矛盾があり階級の衝突があり、それが自由経済&民主主義の社会であれば、階級の衝突と社会的矛盾が経済市場において作用し富の再分配と
して機能し調和してゆく「はず」なのだが(産業革命以降の英国や日本を見ればわかる通り)(この観点はマルクス主義にあらずシカゴ学派のフリードマン教授
の説を練氏は引用)。香港の問題は97年から香港政府は政府の経済政策が一握りの財閥の影響を受けるだけで香港社会の現実から乖離してしまつたこと。この
「大資本のために政府が存在する」ような状況が香港以上に深刻なのが中国。確かに、登β小平の特色ある社会主義でも全体が豊かになることが最終的目標でも
まず一部のものが先に豊かになること、が具体的にはそこから富の分配が始まり……といふ点では現実的であるが実際の中国の状況は、その中国は開放経済政策
で「世界の工場」となり世界上の資本家と中国の労働力が対峙する中で中国共産党で中国史上最大の「買辧」階級となつた事実(「買辧」を日本語にするのは難
しいが清末から民国時代に米英列強の資本につき中国での商売に尽力した地元資本階級のこと)。政経社会が未成熟で階級利益の衝突があつた場合、社会の穏定
を国家が企図する場合はファシズムに陥る危険性。共産党が無産階級を代表する党であるタテマエのもとで実際には資産階級のために党政府が存在するとしたら
最大の矛盾。香港は元来、経済が政治の影響受けぬことが伝統であつたが中国のこの政治経済体制の影響は受けぬはずもなく、とくに香港の企業が中国国内にシ
フトする中で特に問題は管理層や専門分野での人口が「北上」=大陸内部にシフトが著しく香港社会は中産階級の空洞化が起きると相対的に中下層の人口が増加
し香港に残る資産階級と低所得階級といふ社会の分極化が避けられず。このような社会問題について香港政府がまつたく具体的な政策もなきことを指摘。
六月十八日(土)いつもより少し遅く朝七時起床。新聞数紙読み机まわりの雑事済ませ何時下雨になるかわからぬ空模様ながら小一時間のジョギング。途
中に西湾河の香港電影資料館に寄る。七月に成瀬三喜男の生誕百年だかで特集あると聞くがパンフレツト見当たらず。同じ月の抗日戦争映画特集の資料得る。帰
宅して午後はジムで二時間続けてで有酸素運動と筋力運動。よく運動した褒美に?尖沙咀のHMWでオーマンディ指揮のフィラデルフィアでマーラーの1番
RCA版(有名なコロンビア版はLPで有するが今回はCDで)、カラヤン指揮の維納フィルのマーラーの5番、ジャコ=パストリアスのビッグバンドで
Word of Mouth Revisited、同じくジャコのアンソロジーでパンクジャズとマイケル=ジャクソンさんのオフ・ザ・ウォールの5枚。ジム終わって馴染みの湯屋に寄り
垢擦りと按摩。極楽。無印良品にて甚平だの麻のシャツなど購ふ。昏時に尖沙咀のバーWにて
フォスター麦酒1パイント。帰宅遅くてかまわぬとわかり銅鑼灣に寄るつもりが地下鉄で今日の蘋果日報の陶傑氏の随筆が余りに可笑しく読み耽り気がつけば地
下鉄乗り過ごし天后。銅鑼灣に戻り開いたばかりのバーYを訪ふ。ドライマティーニとバーボン
をたつぷり1杯つ。ジャコのWord of Mouth RevisitedのCDかけてもらふ。帰宅して明太子のパスタ。赤葡萄酒は智利のSanta
Inesの02年。オーマンディのマーラーの1番を聴いて、これと先日のエッシェンバッハ指揮の同曲は何が違ふのか?と尋ねられたら余の耳では何も答えな
れぬだろう。同じ?と正直言つて思ふ。だがそれが何も悪いことでないのだが。フィラデルフィアといふオーマンディにより先の大戦以前に完成された希有の楽
団が今日エッシェンバッハにより存在することは素晴らしい。義経のドラマをビデオで見て早寝。
▼前述の陶傑氏の随筆は「タクシーでの会話」といふ題。世界中のタクシー運転手が話し好きなのは倫敦のオースティン型のタクシーとて例外に非ず。ちょっと
上品そうな東洋人で車内で痰を吐かなければ間違いなく「日本人か?」とコックニーの英語で尋ねてくる。「香港からだよ」と答えると「香港って言えばトン
キー=フーワァ」だな。「そいつが香港のトップになったら地価が半減したってホントか?」と運転手。「いや、あんたらの倫敦に比べたら物価はみんな安くて
香港は生活し易いよ」とオックスフォード街の町並みを眺めながら答える陶傑氏。「そうかい、それなら香港に移民するかな」と運転手。「もし移民したいなら
僕がアンタのかわりにそのトンキー=フーワァに電話してあげようか。トンキー=フーワァは僕の叔父さんなんだ。何か必要なら裏から手をまわす、これが中国
のやり方だからね」と陶傑氏は答えて「あ、もうダメだ。遅い。トンキー=フーワァはもう辞職してたんだ」。「そうかい、それじゃ誰がいまの総督なんだ
い?、香港の」と運転手。「新しい総督はサー=ドナルドだよ。アンタら英国の男爵なんだ」と陶傑氏が教えると運転手は「そうかい、それなら大丈夫だな」。
「だろうね。サー=ドナルドは香港では支持率も高いし香港の土共(Local Commusints)ですら支持してるくらいだから。選挙で当選したのもね、アンタらのブレア首相に比べたら圧倒的な強さで当選さ。だけどね、彼は僕の
叔父じゃなくてね。叔父さんだったらよかったのに(I wish he was)」と陶傑氏。正確には
I wish he were だが郷に入ったら郷に従え、で運転手の英語レベルに合わせた、と陶傑氏らしい注釈がつく。「そうかい」と運転手は「中国の共産主義者でも選挙するのか。そ
れなら香港に移民してもいいな」。陶傑氏はちょうど目的地にタクシーが着いた。運賃を払ふ。ちょうど痰がからみ(英国流で)ハンケチを出してハンケチに痰
を吐く。運転手は最初、陶傑氏を日本人だと思ったのだから痰を床に吐いて失望させてはいけないからね、と陶傑氏。
六月十七日(金)小雨。昨日のドナルド曽蔭権君の行政長官選挙「自動当選」につき今朝の新聞が軒並み巻頭一面大でこれ大きく報道する中で蘋果日報は
周星馳が米国娯楽雑誌“People”で世界のナイスな独身ベスト50に選ばれたといふ、つまりどーでもいい記事を一面大で掲載。明らかに曽蔭権君当選が
御用選挙で報道にも値せぬ出来合であるといふ皮肉と解す。或る組織に招かれ香港歴史といふことで銅鑼灣の市街の変遷などについて話す。外での打合せ終え余
りの暑さと汗、頭の切り替えでジムでシャワー浴び銅鑼灣の沖縄料理Enにて昼の組織の方らと
会食。F氏のお笑い系の如き「べっしゃり」にかなり笑ふ。泡盛飲みながらのあつといふ間に三時間半。これで勢ひついてバーSやバーYへの梯子がここ数ヶ月
のパターンであるが敢えて地下鉄のミニバスもある時間に帰宅。ここで深酒すると週末にかなり影響は承知の通りの話。
▼信報・林行止専欄に経済誌英国エコノミストの訃報記事あり。転載。南アフリカの、手術服纏つたHamilton
Nakiといふ黒人。五月二十九日逝去。享年七十八歳。十四歳で社会に出てケープタウン大学医学部の庭師となる。1954の或る日、この日がNakiにと
つて人生の転機、医学部の教員が動物実験にて長首鹿の生体解剖に力ある助手必要でNakiがそれ請われ、それ以来何かにつけ解剖実験の手伝い始め見様見真
似で麻酔施し解剖も実際に執刀する様になり長年の経験にて肝臓移植の専門家となる。1991年に退職するが正式な学位もなく毎月約三万円の退職年金受け取
るが、これは大学の規定で無学位の教職員に対しての最大の厚遇で南アフリカ政府よりNaki氏叙勲の誉に賦かりケープタウン大学の名誉博士となる。話はこ
れだけに終わらず1967年に遡れば一人の白人女性ケープタウン市街での交通事故で脳死となる。心臓は損傷なく心臓病患者への移植試みられ同医学部のバー
ナードなる医者の手術チームが執刀。手術成功しバ医師は世界で初めて心臓手術に成功した医者の栄誉。新聞に掲載されし手術成功後の写真を見ればバ医師の背
後に手術服姿のNakiの姿あり。実は手術室にてこの女性から心臓摘出はNakiの神業。だが正式な医者にあらぬNakiは而も黒人にて当時の差別政策に
て黒人が白人の身体や血に触れること禁忌。手術後の記者会見にてバ医師が記者に囲まれ手術成功報告する時にNakiはバスに乗り帰宅の途につく。Naki
は当時、電気や水も通らぬ小さな拙家に住み収入の殆どを郷里の家族に送る日々。バーナード医師は世界的にも著名な心臓手術の権威となるが01年の逝去の数
日前に良心の呵責から世界初の心臓移植での心臓摘出がNaki氏によるものであつた事実を公開しNaki氏の功績世界に知られたり。
▼練乙錚氏の連載第五回。中央政府の香港統治での錯誤は共産党の教条主義と内部矛盾引き起こしての闘争性と指摘。党の指導と統一戦線が大事だが革命成功の
曉には党の独裁と統一のため党内部での敵の量産と闘争あり。香港基本法は本来、党の教条主義や党政府の一党専政の良佳など含まず敵も右派も修正主義者もお
らぬ全民政府の観念である筈が一昨年末から昨年春にかけての愛国主義論争の如く「愛国」が踏み絵となり全民をこの尺度にて二分する分断。でそこで大活躍が
極左人士。本来、左派も左派本流にはかなり優秀なる人材もあり民生改善や世論の政治への反映など左派ゆへの力量があるが共産党政治の常で極左の台頭(練氏
は名前挙げぬが例えば長老では徐四民でありネクタイ王クロコダイル曽や行政会議のメンバーである測量士・梁振英や御用政党民建聯の曾?成であるとか)が中
央政府の後押し背景に力を有し影響力増し政府や議会にて内部の敵は誰れか?の無意味なる政治運動状態となつたことの悲劇。
六月十六日(木)雨。晩二更迄工作任務あり早晩に尖沙咀Granville Rdのさんぱちな
る札幌らーめん屋にてiPodでなぜか高橋悠治氏のゴルトベルク変奏曲を聴きながら味噌ラーメン食すとスープのなかに浮かぶラーメンの麺がスープとの永遠
の調和の宇宙にあり二片添えられた叉焼までもが(切れ端の鳴門は邪魔だが)和声の一部なのである。ちなみに麺はラーメンの余は知識乏しいのだが所謂「黄色
い麺」で好みありかも。数件隣りの天地図書にてようやく鐘民偉氏の『暴食澳門』見つけ購入。澳門文化人の民偉氏が澳門の食肆紹介するグルメ本であるが随筆
が民偉氏らしさ。素人写真も佳し。中には余の全く知らぬ美味そうな店もあれば「ここは絶対に行ってはいけない」と思える食肆もいくつかあり。いずれにせよ
民偉氏の個人的好き嫌い。民偉氏の経営する石頭店の場所は知っているが未だに民偉氏や蔡瀾氏の随筆に時々出てくる「小黒明」氏の経営する雑貨屋の場所が判
明せず。晩遅く帰宅する時も高橋悠治氏のゴルトベルク変奏曲を聴く。民偉氏は本のあとがきによれば小黒明が澳門で時速百キロで暴走する自動車に乗せられた
時にこの世に神が存在すると痛感したそうだが、バッハがこの世にあつたこともゴルトベルク変奏曲を創造したことも、そして高橋悠治なる希有のピアニストに
よりこれが奏でられることも全て奇跡。帰宅。晩十二時より蹴球コンフェデ杯日本対墨西哥の試合中継あり。オッズ墨西哥に有利で日本に賭ける。明日大切な任
務いくつかあり中継見終わると午前二時近くで悩むがZ嬢に観て負けたらがっかりで勝っても明日に疲れ残り観なければ明朝に勝ってラッキー、負けて観なくて
良かった、ぢゃないのと諭され確かにね、とジントニック二杯飲み柳沢選手の先制点のみ観て寝てしまふ。
▼信報に連載される練乙錚氏の連載第三回(十五日)。香港の中国回帰にあたり中国は香港基本法を定め香港の制度体系が五十年不変であること、香港の主権と
統治権は中国に還るが香港は高度な自治を行ふ筈であつた。だが香港と中国の最大の矛盾は香港の中国に対する負の印象であり登β小平の登場と胡耀邦、趙紫陽
の任用にて香港返還に向け前向きになつたものの天安門事件で負の印象が復た増大し経済開放など進んでも結局は一党専制のスターリン主義から脱却できず基本
法とて「法解釈」で骨抜きにされ河水が井水を犯すが如く法治も危うし。「愛国」一つとつても(共産主義国家でありながら)唯心形而上学的な感覚で、本来は
人民公社が養豚で成果上げることも香港市民が国内で不動産投資することも民主化運動も全て愛国のはずが愛国=愛党で党主導に逆らへもせぬことの不幸。03
年の7月1日に50万人デモまで発生させた基本法23条立法でも練氏は政府の中央政策組の中で明らかにこの立法は現状で香港政府の錯誤であり基本法の基本
に戻るべき、と主張したが中央政策組のトップである劉兆佳のおらぬ席で同僚から「あまりムキになるな」と言われた、と。本日の第四回の連載で練氏が指摘す
るのは中国が一党専政で党への忠誠が重要視されるが香港が中国に帰属するとしても行政長官はいかなる政党にも属せず広く市民のCommon
Wealth(これを「公共の福祉」と訳すことに余は疑問あり。せめて「公共の福利」のはず)のために行政主導するのが行政長官と香港政府の役目。最も大
切なことは中国政府が定めた基本法に忠実であるべきことで、その基本法があるのに実は机下には別の基本法があつたり解釈によつて「リトル基本法」を何冊も
作るようなその場その場の法解釈をすることが香港の市民を分断して広く市民のCommon
Wealthにならぬこと、を指摘。御意。
▼日刊ベリタで小泉三世の大晦日に画策される靖国参拝の憶測読む。自民党内からも参拝自粛の要請あり終戦記念日前後は反響大きく参拝見合わせても小泉三世
の「毎年参拝」は欠かせず前回の参拝が昨年正月で年内に参拝せねば信念全うできず。で何を画策かといへば大晦日深夜の元朝参り。大晦日でも批判あろうが少
なくと正月の新聞休刊日でメディアの論陣もお屠蘇気分。靖国参拝は政治的でなく日本の伝統的習慣としての元朝参りで靖国神社に参拝した、と。中国などから
強烈な批判あっても小泉三世の任期が来年九月迄であれば来年はもはや晩期で批判躱して「公約を守った首相」として勇退が小泉三世の筋書き、と。あり得る話
なり。
六月十五日(水)昼にiTuneでピンクフロイドを聴く。いつもよく聴くが「あらためて」で聴く。“The
Dark Side of the Moon”は(あの「凶気」といふ邦題が凄く嫌いだったが)73年の発表で、当時はまだ余も「かぐや姫」など
聴いていたが中学生の時に中学の放送室で親友のT君の持参したこれを聴いていた記憶。このアルバム“The
Dark Side of the Moon”は米ビルボードのチャートで14年間だつたか(つまり87年?)ベスト100に入つていたんだつたか。高校受験の頃に“The
Wall”など聴いて管理教育の弊害など感じていては勉強できる筈もなし。本日午後大雨。新界北部で降雨量が100mmを越えたとラジオのニュース。雨量
がよくわからず早速お勉強。理科苦手なので最初「夏休みにやってみよう」レベルだが、岐阜県のこの説明(こちら)では箱
の大きさで雨量が違ってくるから不正確だろう。で神奈川県の説明(こ
ちら)でなるほど雨量計という直径200mmの円柱に貯った雨量で1時間に何十ミリの強い雨が……となるのかとわかったが(さらに沖縄はさすがに
雨が多いから転倒ます型雨量計の説明も詳しい……こ
ちら)ちょっと待て、100mm越えたら洪水で大変なことに……。ニュースは降り始めからの雨量で、この場合は神奈川県の説明にある「降水が流れ
去らずに地表面を覆ったときの水の深さ」で10cmくらい水がたまっている状態なのかと思ったが香港天文台のサイト見れば屯門での一時間の雨量が87毫米
とあり、やはり凄い豪雨。早晩に雷雨続き雨の合間縫ってとりあえず自宅近くのジム。小一時間有酸素運動。トレッドミルしながら見ていたテレビのニュースで
ドナルド曽蔭権君行政長官選挙で七百十余名の選挙人の推薦状集め選挙人が八百名だかでは対立候補は立候補に必要な百名の信任得られず曽君が自動当選確実。
御用選挙。民主党候補敗北宣言。選挙人の一人である香港大学地理学科の教授が親中派でありながら信任状は事実上の記名投票と同じで選挙戦の実施とで無記名
投票で自由に投票する環境が大切と敢えて民主党候補に信任状与えた、と今朝の新聞にあり。もう一つのニュース。消費者委員会が市販のトイレットペーパー二
十数種で検査したところ細菌が国家規定の基準値上回るものが半数余と。香港では茶餐庁や安い食堂などトイレットペーパーを紙ナプキンかわりにする店も少な
からず、で専門家の話ではトイレットペーパーに付着している細菌ぢたいは乾燥しているので活性化せぬがいったん鼻を嚼んだり口を拭いたすきに鼻口に入ると
感染の可能性あり……でこの話ぢたいは驚かぬが呆れたのは「国家基準」でこれは中国政府の衛生部の基準なのだろうが香港は一国二制度で香港の法体系があり
外交&軍事以外のこういった衛生などについては香港の条例で対応できるわけで安易に国家基準適用することぢたい香港ぢたいの変節に他ならず。ジム出ると大
雨。幸いに濡れずに帰宅。すわ競馬、競馬とテレビつければケーブルテレビでのハッピーバレー競馬場からの中継の画面は第1レース目近だといふのに大雨のパ
ドックに騎馬の姿もなし。悪天候で遅延。ドライマティーニ。中継のアナウンサーも放送開始から三十分過ぎて話すネタもない、とダレていたが英国アスコット
のレース録画放映などもあり。雷雨ひどく結局午後八時に本晩の開催順延が決定。ジョッキークラブにしてみればそれでなくても競馬の売上げ落ちるなかで泣
きっ面に蜂。而も台風警報発令中ならともなく大雨で順延とは余の知るかぎりこの十数年で二年前だか雷がひどく騎手フラッド君や李格力君らの助言もあり第8
レースが中止になったのみ。灣仔埠頭餃子久々に食す。ブルーノ=ワルター&維納フィルでCDでマーラーの9番聴く。LPで「大地の歌」も聴く。マサラ
ティー。
▼マイクロソフト社のブログ、中国語サイトのMSNスペースでは「民主主義」「自由」「台湾独立」といった特定の言葉使った書き込みできぬよう検閲の事実
明らかに。マ社が中国政府への協力の事実認める(朝日)。このサイトは中国政府出資企業とマ社の合弁。中国では「インターネットニュース管理規則」で「国
家の安全に危害を加え政権の転覆を謀ったり民族の団結を破壊するニュースを制作、流布することを禁止、って民主主義と自由も国家の安全に危害を加え政権転
覆を謀るもので民族の団結も破壊か。逆にいえば当然のことながら国家が非民主的で不自由で民族団結の強制をするもの、といふこと。わかりやすいか。
六月十四日(火)四時間弱の睡眠でかなり眠いが諸事忙殺されたも幸いか。午後から雷雨甚し。近所のジムのサウナに一浴し帰宅。ビビンバ。昨晩痛飲で
もまた反省も浅くビールぐいぐいと飲む。あらためて美味と思ふ。NHK「義経」ビデオで見て早寝。
▼信報で昨日より十七回連続で練乙錚氏の連載あり。練氏は元「信報」の若手副編集長で98年より香港政府中央政策組の顧問に就任するが昨年七月に更迭
され(富柏村日剰04年7月6日参照)練博士は人生の
休暇で英国で航海学校に通ひ精悍な姿で帰港。で今回の回顧録。興味深い。昨日は深酒で新聞も読めなかったが昨日の初回で指摘するは香港の97年以降の政治
問題でいくつかの大きな錯誤挙げ、まずは97年を境に香港の政財界人士や香港「植民地政庁」の高官が香港「特区政府」の高官となった時の変節ぶり。公務員
として香港自治に当たる点では植民地→特区で何も変節は必要ないはずだが(以下、富柏村私見)結局は植民地時代の英国への「諛い」が返還後は厚顔無恥で北
京への諛いに変節。それで練博士が挙げたのが前・保安局長の葉劉淑儀で(葉は03年の保安条例立法化失敗で実質的な更迭で現在米国に居住)02年の春練博
士はゲシュタボ葉女史に「信報立場頑固如一、想必是林家掲錯了皇暦?」に言われたことを回想。訳すと要するに「信報の立場って頑固一徹であの連中(林家→
信報社主林氏ら一派、当然、元編集者の練博士も含む揶揄)はいつまで昔の尺度で見ているの?」と(「掲錯了皇暦」は占いの暦本が間違ってる、で暦本は皇暦
とも呼ぶが(中国語では一般的には暦書)「皇」暦と言うことで葉女史は皇室で英国を暗喩している)。練博士はそれを否定して「信報はただ共産専制主義に対
する見方が97年返還の前も後も変わってないだけでしょう」と答える。この葉女史に見られる変節がまず第一。そして香港の政治環境として、その大きな矛盾
を指摘。矛盾とは香港に見られる「言論上の高度な自由と政制上の民主制の低さ」。本来、民主と自由は相関し平衡するものだがこの不均衡。そして三つ目に挙
げたのは、これは中国の1949年以降の政治状況で最も重大な錯誤であるが「極左」の台頭。香港でも97年以降、親中派の極左勢力に発言力が増し「愛国愛
港」などスローガンに董建華も中道左派的な親中派にまでも不要なシフトを強いた事実を挙げる。御意。
▼聴き損じたが天主教香港教区主教・陳日君君(陳日・君でなくて日君が名前、で陳・日君・君)がFCCで講演し中国とバチカンとの関係などについて述べ
る。バチカンと北京政府との間でunofficialな接触があったことを認めたが北京側の関係改善にむけた姿勢は積極的でなく宗教の自由について合意が
得られていない、と。また記者からの質問で天主教が香港で同性愛に対して非寛容な態度であることを問われると同性愛については教会の立場は一貫している
(つまり反対)と強調。これで髣髴するのは香港でのカソリック教会での神父による一連の教会の通う少年に対するマイケル=ジャクソンな行為。教会こそ伝統
的に同性愛を温存でないか?といふ気もするが、だから禁忌か。禁忌(タブー、ご法度)はその事象への欲望の裏返し。しかも禁忌とすることで厳禁されるが実
は法度する側から他者への禁止であり、その禁止された行為の自らの独占が真実。してはいけません、とされる行為を内々で密行すること。これが禁忌。と考え
れば天主教が同性愛解禁としてしまっては教会的には「つまらない」のかも。
▼ピンクフロイドが七月にアフリカ貧困救済を主要議題とするグ
レンイーグルスでの強国首脳会議(先進国といふ言い方が偏見的で主要国とするようだが事実は強国が正しいはず)に合せて実施のLive
8で復活公演とか。朝日新聞は「25年ぶりに全盛時のメンバーで復活」ってロジャー=ウォーターズも加入?……まさか、と思ったが本当であった(こちら)。七月二日に倫敦まで
行きたいところ。無理か。
▼自由と民主主義の国、米国にてマイケル=ジャクソンさんが無罪判決。検察側が“疑うに足る証拠”を提示できず疑わしきは罰せず、か。どうせなら日本の最
高裁から藤田宙靖君遣れば有罪だつたか。いずれにせよマイケルさんが牢屋に入つてしまつたら「見れない」わけで奇妙なマイケルさんは美しきものが醜悪なる
成れの果て、といふのは見世物小屋の怪人たるべく見世物であるべき、が今回の善良な陪審員の判決の深層心理かも。
六月十三日(月)朝、驟雨。早晩にジムで有酸素運動一時間。バンコクからY氏来港で銅鑼湾の酒処いろ り。芋焼酎の黒白波。二人でほっけと鶏塩焼、サラダ頼んだがほっけ半分、鶏肉の塩焼きすら数片残してしまふ小食ぶり、といふか酒飲みだすと 食べぬ悪癖。よもやま話。そのまま十日ぶりにバーY。ニッカの竹鶴。さつさと帰ればいいのに 一週間ぶりにバーS。このバーで昨年来始めた頃に何度も頼んでいたレシピでのドライマティー ニ。美味いが最も強いドライマティーニ。亭主M氏とシェーカーの振り方などバーらしい会話。知人少なからず歓談。「なるほど」といふ話もいくつか。
六月十二日(日)朝六時半起床。どうにか体調も回復の兆し。朝涼しいうちに机まわりの諸事済ませる。朝十時からランニングクラブの定例ジョギングが
Bowen Roadにてあり数年前までミッドレベルに住
まひし頃よく走つた思い出深きコースゆへ参加せむと中環のジムに着がえ置いて向かふつもりが中環に地下鉄站から出ると朝は曇つていたのがすつかり青空で予
定変更でバスで南岸に向かい海岸で午後まで読書。微睡。『世界』六月号読む。午後ジムで小一時間有酸素運動。日が長いこの時期にとZ嬢が企画しランニング
クラブで黄昏どきに山歩き。といつても実際には晩に美味いビールを飲むために汗を流して喉を乾かそうといふ目的で午後五時に八名で太古に集合し康柏郊遊径
を登りぐるりと歩いて途中「花果山」といふ山中の老人ら子ども心に造成の基地を覗きマウントパーカーロード下り二時間の行程。途中、体長8センチほどの巨
大な蝸虫数匹に遭遇。
太古坊のイーストエンドにビール一飲。といつても二十分くらいで二パイントぐいぐいと飲み心地よし。通りから人
失せるほどの驟雨。軒づたいに印度料理マザーインディアに食す。同行のO氏がヒンズー語に巧
みで店の女将も客も驚く。昔はNHKでラジオジャパンのヒンズー語放送の原稿校正までしていたと知る。帰宅して早寝。
農暦五月五日。端午節。朝寝貪る。快晴の空を眺めつつ日向に出るほど体調回復しておらず昼まで読書。文藝春秋七月号に各界人士の小泉靖国参拝是非を
問う問答あり。文藝春秋であるから参拝すべきが多いのは当然だが数学者・森毅氏の「取りやめるべき」での一文が秀逸。
神社に行くのは個人の勝手だけれど、総理ではそうもいかぬ。気の毒ね。中国がどうなるかはかなり心配です。
中国で反政府暴動が起きて大地震になったら、日本にも大津波が来る!!反日ぐらいでガス抜きができているのなら辛抱しましょうよ。悪口を言われているだけ
なら、大した被害じゃない。それに、悪口を言われるようなことをしてきたことだし。実害の少ない悪口にカリカリするのはチンピラの証拠です。
……と森毅。見事な達観。同号に外相町村信孝君の「対中国「へくだり外交」を拝す」といふ記事あり。町村君の談ぢたいはけして暴論に非ず正論である。がそ
れが外相といふ立場でこの「対中国「へくだり外交」を拝す」という題で発表されてしまふことが対中国の関係良化にもならぬし彼自身の政治家、而も現役の外
相というでこの発言はいい方に向かわぬ。また町村君の発言には思い込みもあり例えば反日暴動の最中四月十七日の北京での外相会談のための訪中では北京の空
港から北京市内への高速道路や市内の一般道が封鎖され町村外相一行の隊列が赤信号も無視して走る様に「まさに厳戒態勢」と驚いているが北京では共産党政府
首脳クラスや国賓の場合これは当たり前。外相クラスでの実務者会談では通常ここまでやらぬが今回は日中関係が微妙な時期の訪中であるからこそ中国側のこの
措置。またその日も「瀋陽、深セン、アモイ、長沙、香港など中国全土で、大規模な反日デモが行われていました」と述べているがこれも大袈裟な話。二が月遅
れで岩波書店『世界』五月号もようやく読了。午後九龍に遊ぶ。本屋、カメラ屋、アウトドア屋など素見す。知る湯屋により垢抹りと按摩。晩にファッションデ
ザイナーであるが最近は一流の随筆家であろう旧知の登β達智君らと招飲の約あつたがW君が時間空くのが晩九時過ぎで体調芳しからず無理はせず。独りフォー
トレスヒルで地下鉄降り福建菜の●江春菜館(●は「門」構えに虫)にでも晩飯と思えばすでに
店の形跡もなし。残念。斉藤さんの手打ちうどん屋で甘煮椎茸のうどん。美味。気がつくと右手
首に蕁麻疹あり。今晩くらい酒を飲むまい。帰宅して『世界』六月号読む。内藤正中(島根大学名誉教授)の「竹島は日本固有の領土か」は見事な論文。昨晩
『週刊文春』に勝谷誠彦氏の「韓国漁船を銃撃せよ!」といふ扇動的な一文読んだ後味の悪さに比べ江戸からの文献紐解く学究の見事さ。勝谷氏なら内藤「正
中」といふ名前でシナ贔屓か、とか言いそうだが。竹島と鬱陵島との歴史的認識、日韓の認識の違い。結論から言うと内藤先生は竹島は日本領土というのが難し
い、とする(詳細は下述の通り)。喉の痛み失せ咳もでぬが体調不良のままで喉がおそろしく渇き突然大量の発汗など身体の生理が乱れている。早寝。
▼外務省の竹島問題サイト(こちら)で江
戸初期にすでに「伯耆藩の大谷、村川両家が幕府から鬱陵島を拝領して渡海免許を受け、毎年、同島に赴いて漁業を行い、アワビを幕府に献上していたが、竹島
は鬱陵島渡航への寄港地、漁労地として利用されていた。また、遅くとも1661年には、両家は幕府から竹島を拝領していた」と書いているが第一に伯耆藩と
いう藩が存在せず(因幡・伯耆の両国を保有した藩は鳥取藩か因州藩と呼ばれ、伯耆藩と呼んだのが韓国側が「伯耆州」と言っているのに影響されたとすれば情
けない、と内藤先生)、ここでいう鬱陵島は当時、竹島と呼ばれており、現・竹島は当時は松島と呼ばれており、つまり幕府は竹島(鬱陵島)への渡航をまず許
可して次ぎに松島(竹島)の拝領を受けたことになる。が渡航を許可することぢたい朝鮮領ではないか、という危惧と考えられる。で実際に朝鮮政府と竹島(鬱
陵島)について具体的に争議となったのが竹島一件(1690年代)。朝鮮政府は十五世紀以来、鬱陵島は和冦の被害があり無人にする空島政策をとっていたが
領有権は放棄しておらず。で江戸幕府との争議の末に幕府側は鬱陵島への渡航禁止を鳥取藩の命じる。外務省はこれを理由に「竹島への渡航は禁じなかった」と
しているが、当時、松島(竹島)については竹島(鬱陵島)に附属する島として特段の取扱いはしておらず実際に松島は竹島往復に立ち寄る程度ので竹島(鬱陵
島)渡航禁止となれば誰も松島(竹島)へ行かなかったのが事実。当時の幕府と鳥取藩の文書やりとりを見ると幕府側が「竹島(鬱陵島)がいつから因州伯州の
附属になったのか?」という質問に鳥取藩は「竹島は因幡伯耆に附属するものではない」と答え、「竹島(鬱陵島)の他に両国(因州と伯州)附属の島はあるの
か?」という質問に鳥取藩は「竹島(鬱陵島)松島(竹島)その他両国附属の島はない」と答えている。竹島(鬱陵島)と松島(竹島)を一つとして扱っている
のは明白で、それなら竹島(鬱陵島)への渡航禁止と別に松島への渡航禁止はしなくてもいいことになる。また次なる問題はなぜ、この竹島と松島の名前が混同
されたかにはシーボルトが登場。この渡航禁止でしばらく当時の日本の意識からこの2つの島が消えるのだが十八世紀後半となると西洋船が日本海にまで出没す
るようになり海図にない竹島と松島を「発見」しスミスの「日本図」にもこの二島が登場。これを長崎にいたシーボルト先生が竹島と松島を逆に印してしまう
(これが後に問題となるのだが)。更に仏蘭西の捕鯨船が松島をリアンクール岩と呼んだのが日本語でリアンコ島と呼ばれるようになったほど。外務省の資料で
は触れておらぬが明治に入ってからも明治九年に内務省の調査に基づき岩倉右大臣以下三名の参議の同意を得て「竹島他一島本邦関係無ノ義」が決定されてい
る。が対ロ戦争など海戦上この島の重要性が認識され日本政府は明治38年の閣議決定を経て島根県告示により竹島を島根県に編入し竹島を領有する意思を再確
認するのだ(外務省もそう書いている)が、なぜこのリアンコ島を松島と呼ばなかったのか。「新島」命名で島根県内務部長から意見を求められた隠岐島司が鬱
陵島を竹島と呼んでいるのは誤称で海図では竹島なので(シーボルトの誤解を信じている!)新島=リアンコ島が松島だ、と回答。それで本来、松島であるはず
の島を竹島として登記してしまったほど認識が浅い。当然この頃は日本による朝鮮併合目前で朝鮮政府は日本政府に反論できる状況にあらず。戦後はこの二島の
所有権については朝鮮戦争の影響が大きかった事実。戦後、連合国軍は当初この二島を朝鮮領としていたが朝鮮が南北にわかれ内乱が始まるのを見た駐日米国政
治顧問のシーボルト(長崎のシーボルトとは別人……当たり前か)が安全保障上この島が朝鮮に帰属することの再考を提案。これが日本にとって竹島の領土化に
大きく影響している。……と歴史の経緯を知れば江戸幕府が渡航禁止し仏蘭西の捕鯨船のつけた島名で呼ばれシーボルトの誤解で竹島という名前で明治期に領有
権主張し……では自領といふにはお粗末かも。外務省の情報には当然、シーボルトの誤解もリアンコ島と明治時代呼んでいた事実も何も書かれてはいない。だが
大切なことは内藤先生も、だから日本は竹島の領有権を放棄せよ、とは言っていないこと。持論の強要でなく日韓両国が関係資料を対わせ共通の土俵を作り客観
的に解明せよ、と。御意。
六月十日(金)薄曇。喉痛ひどく咳も出て養和病院に診断請ふ。この病院の会計に務めるL嬢に余のつけているマスクは子供用だと指摘され赤面。どうり
で小さい。とうとう今週はジムで鍛錬もできず早晩に早々に帰宅の途につくがバスが拙いことに北角通りついつい途中下車し開店間際の寿司加藤でビール一本。ご主人と世間話。さすがに刺身つまめずN君が供すは白魚の辛味大根和えとホタテ
の縁側使ったサラダ少々。美味。他の来客あり。それを契機に加藤を辞す。先日、唯霊氏が自宅近所の美味いものと挙げたのが上海料理の雪園、寿司加藤、北角道の牛南湯・牛一に阿鴻と海南鶏飯の勝利(今月二日に唯霊氏が海南鶏飯が美味いと書き余が日剰で名前失念していた店が此処)の五
軒でそのうち阿鴻と勝利の場所知らず北角に古いL氏に場所を先日教えてもらい先ほど寿司加藤で内儀さんに阿
鴻が潮州滷水で有名なこと聞き加藤を出てから和富道を散歩がてら阿鴻の前を通ると成程蔡瀾氏が紹介しておりけっこうな繁盛。その近くに勝利小厨あり。何処かで聞いた名前と思えば旺角に店あり此処が分店。折角だから海南鶏の例牌を持ち帰
り。書局街の天天で豆乳二本、隣の公和で端午の粽購ふ。帰宅。勝利小厨の海南鶏美味。海鮮のパスタ。白葡萄酒少し。
▼食べ物の話が続くが昨日の蘋果日報で蔡瀾氏が市街で料理屋の看板に「京滬川」と書いてあると北京、上海、四川の三つの異なる料理の美味いものを全て料理
できます、で料理人は神業か……とはいへず実はいま流行のフュージョン料理と同じで一通り習いましたが今ひとつ「これっ!」といふ域には達しておりませ
ん、のこと、と。然り。最近、確かに香港で「京滬川」と冠つけた店多し。美味いのではなく単に「広東料理じゃありません」の意味で理解すべきか。
▼これまで前首相森喜朗君を鮫の脳味噌だのと嗤つたこと反省。昨日の森派の総会にて森君は小泉首相に靖国神社参拝自粛を求めた衆院議長河野洋平君を安倍晋
三が「外交権は行政の長にあるのだから、もう少し慎重に考えていただきたい」などと批判したことにつき「議論するのはいいが、先輩を非難することはできる
だけ避けるべきだ」と語り同席の安倍坊に鮫の一咬。森君は河野君の自粛要請につき「河野さんは自民党が一番苦しい時の総裁。総裁経験者として皆さんの意見
を聞いた。河野さんの発言は党を思いやってのことだ」と擁護(朝日)。個別にいえ
ば済むことをわざわざ総会の場でとは立派。朝日新聞で躍起となる政治部、そして自民党内での安倍坊へのこの動き。安倍包囲網は着々とせばまりつつある、と
築地H君。それにしてもこの流れを読み切れない町村君は政治生命の危機。誰が考えても政権がいったん安倍にいったら、もう浮かばれないのが町村君。安倍坊
を追いだして自分が森派を継承する、という計算くらいはできる男だと思つたと築地のH君も残念がる。確かに。更に本日は神戸での講演で「「小泉さんも苦悶
していると思う。周りからとやかく言うべきでない」としながらも「自分の気持ちと国家の命運のどちらを優先させるべきかだ。日本の将来がどうなるかという
問題だ」と述べ(しっかりと周囲からとやかく言っているが……笑〜今年の参拝は自粛すべきだとの考えを強く滲ませる(毎
日)。小泉三世への自粛圧力は一層強まり参拝続ければ首相失格、折れれば男小泉の汚名で他に取り柄といへば軽口くらいでは首相失格。
▼一昨日紹介の住基ネット訴訟の二人の判事について多摩のD君より詳しい履歴紹介あり。金澤地裁の井戸謙一裁判長(31期)は福岡地裁小倉支部(85
年)、大津地裁彦根支部(88年)、大阪高裁職務代行(92年)、山口地裁宇部支部長(95年)、京都地裁(99年)で02年から金沢地裁。一方の名古屋
地裁の西尾進裁判長(28期)は最高裁行政局付(79年)、那覇地裁(82年)、国税不服裁判所(84年)、東京地裁(89年)、司法研修所教官(90
年)、浦和地裁(97年)で2000年から名古屋地裁部統括。一見しただけでどちらがエリートコースか瞭然。住基ネット訴訟のS弁護士は「渋々と支部から
支部へと支部巡り 支部(四分)の虫にも五分の魂」と戯歌を詠んだそうだが、どういう判決をしていく人が出世するかもわかり易い。判決はこちら。
六月九日(木)小雨。信報の巻頭一面広告に行政長官「選挙」「立候補」中のドナルド曽蔭権君の弟で前警視総監の曽蔭培君が大福証券なる証券会社の広
告に登場。「投資は経験を信じる」とのキャッチコピーに兄・蔭権よかずっと二枚目の(確かに下手な役者顔負け)の弟がほほ笑む。この前警視総監、退官後は
新創建なる財閥系投資会社に役員で参入。それだけでも呆れるが今回は兄が御用選挙とはいへ選挙期間中に弟がこの証券会社の広告で登場し「信頼」を語るは見
方によれば兄の選挙運動の一環に映るし、そう見られたくないなら控えるべきだし、粗忽にも粗忽。兄も董建華君辞任(つまり自分が後継者)とわかった日に中
国国家口笛で吹きつつ微笑みながら政府総部に出向く粗忽ぶりといい弟の退官後のこの様といい恥ずかしい態。晩遅くまで任務あり早晩に独りFCCにて夕餉済ますに訪れれば昨日日剰に紹介のDadid氏は余が入つてくるのを見るなりドライマ
ティーニに着手しようとしており余が敢えてバーカウンター避け遠くのテーブルに坐り「今日は飲めない」と合図で了解、と。心地よし。本日は昼間、ある団体
を香港歴史館に案内し廿余名に解説施し晩も三時間話していたがため喉痛甚し。
▼昨日の蹴球北朝鮮戦のあとのNHKニュース10にて、そういえばかなり気になったのが日本サッカー協会会長の川口?君だかがバンコクから番組に出演して
いたが試合後に選手とは話したか?との後に女性アナが今回の勝利について「中田選手は何かおっしゃってましたか?」と質問。サッカー協会会長にもここまで
の敬語使わずなのに中田様は其処まで偉いか、と驚く。中田なる蹴球選手がなぜそこまで英雄なのかZ嬢ともわからぬと首を傾げるばかり。
▼豪州にて政治亡命希望の中国大使館一等書記官氏。中国の在豪大使はこの外交官の帰国促し「中国には彼を処罰するいかなる理由もない。彼の自由は保障され
ている」と宣ふ。中国は約千人の諜報活動員が豪州におり民主運動家や法輪功などを監視と公言した外交官にいかなる処罰もないとは……。中国万歳。この外交
官は豪州が亡命受け入れない場合は米国への亡命も企図しているようだが米国は米国で二年前に中国から若干十五歳で単身密入国の少年に対して仮釈放中で毎月
一回の当局への出頭義務づけていたが担当官が三ヶ月に一回で宜しいと述べた上で三ヶ月ぶりに出頭したところを出頭遅延を理由に再拘留し危うく強制出国。少
年は通う学校でもかなり優秀。この孤立無援に市民や弁護士ら手弁当で応援。少年は当局が彼の強制退去を狙い誤った情報を流したとして係争中(紐育時報)。
六月八日(水)薄曇。体調万全ならず。ヘラルドトリビューン紙(紐育時報からの転載)の一面巻頭に“Nationalism
spurs growing Beijing-Tokyo rivalry”といふ記事あり。これまで日中両国間にこれほど両国が強大な時期はなし。中国は25年に及ぶ経済成長続けアジアに影響力強め日本は国連常
理目指し自衛隊を国軍化し平和憲法の改憲を画策。日本は呉に戦艦大和の記念館建立し中国では戦争終結六十周年で六十本余の戦争映画制作。天津の南開大学の
Pang Zhongying教授(国際関係論)は「我々中国は日本に対して被害者心理がある反面、我々より小さな国(日本)が豊かで中国に対抗し得る国力があるこ
とを認められない」とした上で大切なことは「中国は自国が軍事力増強している時に日本も「普通の国」になろうとする事実を好む好まざるに係らず現実的に認
めることだ」と述べる。この記事は三面に続き更に日本の政治状況を詳細に報告。政界から引退の野中広務先生に取材。先生曰く、現在の憂慮されることは政治
家が昔の鬼畜米英のように外国を利用し愛国心を煽ること、と指摘し安倍晋三君を名ざしでポスト小泉狙いで北朝鮮に対する反感を利用していると断言。更にこ
の記事では東京都での学校での国旗国歌の扱いで三百名近い教師が処分され富士ゼロックスの経営者が首相の靖国参拝に否定的発言をしたことで右翼の抗議受け
たことなど紹介。それと同時に中国の問題点としてあげるのはYu Jieといふ作家の言葉で「中国は靖国神社を非難するが我々は北京の中央に毛沢東崇拝の祠社をもつ。毛沢東は日本軍以上に国民を殺したのが事実。それを認
識せぬまま日本を非難はできない」と。これもまた然り。早晩にFCC。溜った新聞読み。ドラ
イマティーニ三杯。ドライマティーニは本当に凄い酒で同じレシピで注文してもバーテンダーが三人居れば三つ違う味の酒になる。ジンにベルモット滴らすだけ
で、である。余のレシピはステアもせず氷入れたロックグラスに注ぐだけ。オリーブ不要。檸檬皮のみ。FCCではDavidなる還暦くらいなのだろうか老練
のバーテンダー氏に作るマティーニが格別。David氏に彼のマティーニを賞めるとベルモット滴らす時が最も緊張する、と。三杯目を彼が作るのを見ている
とベルモットは栓を緩ませ栓をけして取らずに栓と瓶の口の隙間から滴らす程度。蹴球W杯の日本対北朝鮮の試合が始まる前に酒場を辞す。今晩は香港もあちこ
ちで蹴球観戦であろうが先日のバーレーン戦なら素直にスポーツ観戦できたが相手が北朝鮮となると考えること多し。試合は見ぬが0対0のドローに賭ける。日
本の勝ちではオッズは1.4倍。引き分けでも独逸での本大会出場可。0対0の3.85倍は魅力。六月のこの時期は日も長く帰りの車の窓から眺めれば中環か
ら銅鑼灣のハーバー沿いの超高層ビルにさっぱりとした晴天のなか西に傾いた陽がビルの壁に輝き実に見事。帰宅してワイルドターキー一杯。カレーライス食
す。テレビは衛星放送映らぬがネットで2対0での日本の勝ちを知る。ちなみに2対0での日本の勝ちは5.85倍であった。NHKのニュース10で日本がW
杯出場決定のニュースは実に35分間。日本のサッカーは本当に強くなった。見事。だがそれを国力と勘違いせぬことが大切か。中国など近隣に対してデカい態
度に出ぬこと。生きててよかった〜!とつぶやくオヤジ(もし日本が北朝鮮に続きイラク戦で二敗したらこのオヤジは生きていけなかったのだろう)。みんなあ
りがとう!と新宿の駅前で泣く若者。朝鮮学校で頬の左右に日の丸と北朝鮮国旗のシールを貼った若者が「どっちもたくさん点をとってほしい」と願ふ。様々。
サッカーでは賭け外れたが今晩の競馬ではテレビ中継眺めれば第4レースのクラス5で連複で55倍、ワイドで16倍の高配当得る。ここ数日けしてひどい暑さ
でなく気温は夜も摂氏27度くらいだが努めて冷房消して窓開け少し蒸して汗かくくらいで過ごす。
▼中国内地から香港への旅行が実質上自由化され香港旅遊発展局は一人六千ドルの消費力と踊っていたが実際には今年の5月の大型連休での数字では旅行者の三
分の一が香港での消費額は二千ドルから四千ドルであり平均は3,976ドル。香港への個人旅行が解禁となり始めた頃の平均消費六千ドルはやはり富裕層の
話。
▼「シアトルでの骨董品屋でのマネーローリングと脱税容疑で米国からインターポールに逮捕令状出て中国に潜伏中の」経済学の奇才・張五常教授が昨日と本日
の信報に「中国の前景」といふ見事な評論掲載。二十一世紀は中国の世紀などといふ言葉踊るがGDPで見れば確かに巨大な中国であるが米国と比べれば人口は
四倍余で民生や一人あたりの実質的収入など米国には遠く及ばず一人あたりの天然資源量や知識レベルなど考慮すれば今世紀、中国が首位になれる筈もなし。三
十年前に日本が経済力で世界を席捲し始めた頃と同じ勢いの中国の発展を見れば人口比で十倍なら当時の日本の十個分の機会が中国にあることになる。数年前ま
でセメントの輸入国であったのが今では世界一のセメント輸出量となり十年前に国内電話が不足していたのに上海では1人あたり3台という電話の普及、今年落
成する東海大橋は32.5kmの長さを誇り世界一だが数年度には杭州湾跨海大橋は36kmの長さであり世界の皮製品の8割、DVD機の9割が中国産。工員
数十二万人という規模の製靴工場に日に三千万個の即席麺を製造する工場……数字の上では偉大であり北京政府の功績が評価されもするが、それは十三億人が生
産労働に携る環境を作ったことでの評価であり経済発展というのはそれに比べ簡単なことではない。中国が世界経済を震撼させる勢いは日本の八十年代初めの頃
に似ている。悲観的に見ればその日本が八十年代後半にはすでに経済成長に陰りが見られたように中国もそれを避けることはできない。戦後の独逸とも同様。そ
の繁栄の時期の短さも同じ。であるから中国の世紀などとは言っておれぬこと。本日の続編では教授が指摘するのは経済成長での大きな誤謬。日本で見れば(こ
れは過去のことだが)日本が農産物の輸入をかなり制限したことは国内の農業生産の保護がタテマエだが実際にはコストの高い国内の農産品が地価高騰にまで影
響があったこと。二つめは国際的な圧力で円高が一気に進んだが経済成長中の国家の貨幣価値の上昇をその受益者の権益のために下方調整することは容易でない
こと。現在の中国にとっての問題は一つは異常な市場経済ぶりで航空券の価格が搭乗者の需要で分刻みで上下するなどの行き過ぎ。そして二つめに国内の地域間
競争の激化。一つの生産品目について浙江省と湖南省で競り合うなど資本主義経済での競争原理の度を超えた地域間競争が激化。さすが内地に籠る教授だけあり
中国経済の実態には詳しい、か。
▼昨日の信報で鄭永年氏が日中関係について見事な論説を書いている。非常に簡潔。中国と日本の関係は理想論で「改善しよう」などと宣うより冷静に「どう管
理するか」の範疇であること。二国間の関係など米ソ冷戦の時代を見ればわかる通り日本が米国に寄り当時、中国はまずソ連と蜜月にあったが中国がソ連と決裂
し米国と関係を結んだことで日本も中国と関係が良好になり冷戦構造が崩壊し米国の覇権となると米中関係が拗れ日本との関係も悪化する。中国にとって最も重
要なことは経済成長を持続することであり日本にとっては国際戦略のなかで中国との関係をどれだけ良好に維持するか。お互いが自国と相手国の利益を冷静に見
極めればそのために何が必要で両国関係をどう管理すればいいかの実務は明確になる、ということ。見事な論理。
▼中環の路上の民園麺家が路上での営業権有する老人の逝去で路上営業権失い閉業の危機にあること先日綴ったが、この路上営業の飲食店、いわゆる大牌档(だ
いぱいとん)は香港に現存するのは僅かに廿九軒のみ。九龍の石Kip尾に十四軒、中環に十軒、湾仔に四軒と大嶼山等は大澳に一軒。これについて劉健威氏が
見事な分析(本日の信報)。同じ大牌档と言っても九龍の石Kip尾のは基本的に「炒菜」系で(つまり煙油や汚水の問題少なからず)大牌档とはいふが大牌档
の政府規定は二卓八椅子で実際には通り沿いの店舗も有して大規模に営業するのが事実。それに対して中環の場合は麺家、珈琲紅茶、甜品で環境問題も小さいも
の。大牌档の最も集中するのはStanley街の突き当たりと民園麺家&玉葉甜品のあるハリウッドロード横の坂道で、その風情は独特のものあり、そういっ
た大牌档の文化的価値を再考すべき、と。
▼外相町村君の「中国に媚び売るからおかしくなる」発言(こちら)に対して自
民党の野田毅君が町村君指摘の「ごまをする人」は自らのことか?と抗議。築地のH君に勧められ野田君のHP見ると日中関係や靖国について理路整然、立派な
主張あり(こちら)。
サンデープロジェクトでの発言や産経新聞に寄せたコラム(産経、森田実氏の評価こちら参照)でかな
り嫌がらせ受けている様子。自由党から保守党経ての自民党出戻りで苦労も多かろうが是非頑張っていただきたいもの。それにしても産経新聞がなぜ野田先生の
ここまで正論を載せてしまったのか。産経新聞がここまでリベラルだったとは驚き(笑)。
▼司法修習を終えて裁判官を志望せし神坂直樹氏が忠魂碑への公金支出の違憲性を問うた「箕面忠魂碑訴訟」にかかわった経験などが原因で裁判官への任官拒否
された問題(朝
日)。それが思想信条を理由にした違憲・違法なものかどうかが争われ最高裁は昨日、神坂氏の上告を棄却。最高裁の人事施策の憲法適合性について裁
判所自身がどこまで判断できるかが注目されたが、訴訟が提訴から十年を経て最高裁は実体判断を示さぬまま神坂氏の全面敗訴で決着。氏は今後も任官希望する
方針で最高裁が一昨年新設の下級裁判所裁判官指名諮問委員会での判断に任官の可否が委ねられる。諮問委は任官過程の不透明さを解消するための任官・再任を
希望する全候補者について適否の意見を述べる。で今回の最高裁の第三小法廷の裁判長が藤
田宙靖君。伝統ある東北大法学部の教授から最高裁裁判官任官。これまで東電OL殺害事件での「疑わしきは罰する」ネパール人容疑者への有罪判決
(03年10月31日の日剰参照)やジャニーズ事務所社長ジャニー喜多川君の少年セクハラにつきセクハラの事実認めつつ週刊文春側の名誉毀損認める判断
(04年2月25日の日剰参照)などあり。今回もご立派な判決。
▼武蔵野の市民運動家(市民運動家って表現もヘン。単に市民としての活動だ)D君より先週の住基ネットについての正反対の判決。一つは金沢地裁、もう一つ
は名古屋地裁で対照表はこちら。
弁護士にいわせると金沢地裁はプロの法曹の書いた判決。名古屋地裁のは結論ありきで論証部分が殆どなく司法修習生レベルの判決。で、二人の判事は28期と
31期でほぼ同年代ながら金沢の方は地裁の支部ばかりを転々とする人生。一方の名古屋は東京、大阪、名古屋と中央の日の当たるところをずっとまわってきた
典型的なエリートコースだとか。そういう背景だけでこれだけ異なる判決になるのだから。だから上述の神坂氏のような違憲訴訟に係ったなんてことだけで失格
にする意味はない。最高裁裁判長藤田君程度にはそれも理解できまひが。
▼築地H君との組閣作業で人選に多少変更あり。外相町村君をせっかく内閣官房長官に抜擢したがここ数日の吠え方見て却下。野田毅君を外相に抜擢。
内閣総理大臣 - 福田康夫 H
無任所大臣(副総理) - 小沢一郎(無所属) FH
首相特命補佐官(中国担当) - 加藤紘一 FH
総務大臣 - 魚住裕一郎(公明党)F
法務大臣 - 武見敬三 F (評価↑)
外務大臣 - 野田毅 FH (新規抜擢)
財務大臣 - 亀井静香 FH
文部科学大臣 - 久間章生 H
厚生労働大臣 - 河野太郎 F
農林水産大臣 - 園田博之 F
経済産業大臣 - 額賀福志郎 H
国土交通大臣 - 平沼赳夫(古賀君絡み) H
環境大臣 - 浜四津敏子(公明党) F
内閣官房長官 - 衛藤晟一 H (町村君落選)
国家公安委員会委員長 - 中曽根弘文 F
防衛庁長官 - 高村正彦 H
内閣府特命担当大臣
沖縄及び北方対策担当 - 麻生太郎(古賀君絡み) F
金融担当 - 塩崎恭久 H
自民党三役
総務会長 - 谷垣禎一
政調会長 - 笹川堯
幹事長 - 古賀誠 (党内右派牽制)
衆議院議長 - 森喜朗
▼四度、浅草田圃について。久ケ原の畏友T君が「たんぼ」とくりゃぁ田圃の太夫と称されし四代目澤村源之助、と。昭和11年だつたかに亡くなった江戸の悪
婆の役の見事さで有名な役者(歌舞伎素人講釈こちら参照)。
亡き歌右衛門も四代目源之助を「たんぼさん」と仰せだつた、とT君。当然、四代目源之助が浅草田圃に住んでいたゆへ「たんぼの」と云われたものでT君の記
憶では「浅草田園」の田園を「たんぼ」と読むかどうかの話で源之助が「田園の太夫」と書かれた記憶は確かない、との由。やはり「田圃の太夫」。ちなみに
「エンコ」も上野が「のがみ」、新宿を「じゅく」と呼ぶような明治大正の現代語で(新宿はもつと新しいが)而も江戸以来の地元民というよりも地方出身で六
区浅草公園周辺を徘徊した者が言い習わした隠語。浅草という場所が江戸らしさのように見られるがT君は浅草という土地柄、大正期には決して「粋」な風情ば
かりにあらず。東武電車や常磐線など上野・浅草は北関東・東北方面への玄関口にて特有の田舎から持ち越しの土地感覚が漂い根っから東京人には寧ろ「ダサ
イ」町としての印象あり、と。確かに。
▼ナベツネが読売巨人軍のオーナー辞任から十ヶ月で会長として球団に復帰。唖然……といふより当然か。巨人はいま危機的な状況にあり建て直しに参画だそう
な(嗤)。
農歴五月朔日。終日諸事に忙殺される。晩に某現法社長のS氏の招飲に与り手広く事業されるU氏と三人で天后の利休に食す。U氏は二十年も前に余が仙台に居りし頃の音楽業界の先達にて六年程前より香港華南にて光
ファイバーなどの事業展開。バーSに飲み鼎談。三更に帰宅。帰宅のタクシーで運転手が語るに銀行の融資利息の上昇と不動産価格の今後の推移。タクシー営業
の権利金の話となり香港での今の相場はタクシー不況のようだが97年の高値に続く三百万ドルだそうで(この運転手は91年に百数十万ドルで利権購入)投資
と放出のタイミングが問題、いつ現金を手許資金にしていつ運用するか、などかなり語られる。ちなみにマカオのタクシー営業の権利金は今は四百万ドルの高値
だとか。マカオの観光ブームとカジノ新規参入が理由。この権利金の金額は香港もマカオもちょっと眉唾だが。
▼個人的に好きじゃないが勝谷誠彦氏が日記で指摘している「投票に行っても変わらないというが行かないと変わる」は興味深し。尼崎市の市議会選挙で党派別
では自民4、民主2人、公明11、共産8人、社民3人で無所属17人、公明は11人を擁立し全員当選で1議席増、自民と共産は立候補した全員が当選し議席
を維持で民主は新顔2人が当選。この結果から公明党が善戦し保守は無所属に実質自民党が多いのだろうし共産と社民とは左翼も強いではないかと結論づけそう
だが何が凄いかといへば当選者を得票順(こ
ちら)で見ると2位から12位まで11人が公明党候補。2位(つまり公明党1位)が5074票で12位(つまり公明党どん尻)が4119票で、こ
の差955票の間に11人全員が整列しせ上位3人は新人であとは現職。見事。勝谷氏はこの公明党の作業を「翼賛支配」「北朝鮮か中共の選挙結果」「尼崎と
いえば支那の走り使いに余念がない冬柴幹事長の地元」「法華経支配」と吠えておられるが自民党のかつての土建政治とて見事な票割りあつたも事実。たんにこ
の公明党の票分散と成果がおかしいと思ふ人は選挙に行き投票するべき。公明党自身は何も悪いことはしておらぬし自らの選挙運動の結果が他が動かぬから大成
功しただけの話。公明党の11議席確保も冷静に見れば全議席45中の公明党議席数11は四分の一近いが得票率45.8%でみれば仮に他の棄権がなければ
(公明党はほぼ100%の投票をしていたとすれば)公明党への投票率は11.86%と国民の1割が創価学会信者であるとすれば不思議な数でなし。たんに他
の人が選挙で投票しておらぬだけ。それにしても尼崎は日本の縮図か。公明党=創価学会(11議席)と同じ数の社共系過激派(笑)市民がおり自民と民主で
(無所属も含め23名)その学会と過激派の計となる。今回の選挙の得票率は48.5%と(これでも)高い!のだが市民の過半余数が政治的無関心で選挙に行
く人を自民、民主、公明、社共が四分の一ずつ票を分け合ふ様。
▼三度アサクサデンエンについて。月本さんもこの馬の馬主田原氏が浅草田圃からアサクサデンエンとつけた確証はないそうだが月本さんは最初に「アサクサデ
ンエン」と見た途端に「浅草田圃」と脳内変換してそれ以来他を思いつかなくなつた、と。アサクサの同期にはアサクサキニナルといふ実に気になる馬名の馬も
居るそうな。アサクサデンエンとオレハマッテルゼ(こちら)
で決まると赤線の娼婦に「俺は待ってるぜ」で東宝の渡り鳥シリーズか。で浅草田圃がなぜ浅草田園なのかが確証がないようだが調べてみれば浅草の佃煮の老
舗・鮒金のサイト(こちら)
に
花のお江戸は隅田川のほとり 粋な下町浅草で のれんを守って幾星霜
浅草田園や瓢箪池 時は変われど変わらぬものは 人の情と佃煮の味
浅草気質でネタ揃え きっぷで煮上げる味の良さ
と自らの店の宣伝文句を詠んである。この浅草田園は語呂からしてアサクサタンボと読むべきだろうがこれも確証がない。で調べようがないので浅草三丁目の鮒
金に電話。社長さんらしき方が電話で懇切丁寧に教えてくれる。有り難い。浅草田園と書いて昔から「あさくさたんぼ」と読むのが浅草の地元。それを「でんえ
ん」と読む人がいたらそれは地元じゃない「地方の人」。わかりやすい。ただ「浅草田園」でなく永井荷風も「浅草田圃」と書いていますが(と我)……でも鮒
金の旦那さんには浅草田圃ぢゃしつくりこない。荷風とて確かに祖父の代で明治官僚の田舎者、生まれて育つは余丁町では確かに余所者に違いないか。池波正太
郎先生も鬼
平犯科帳で「浅草田圃」と書いているが……。鮒金のお店の栞にはちゃんと「たんぼ」とルビ振ってあるそうで、七五調ですからね、と隅田川も「はなのおえどはすみだのほとり」と読むし、最後の「浅草気質」も「あさくさきしつ」なんて読んだらいけ
ませんよ、浅草のことはそれが上品とは言わないですが「えんこ」ですから(そうそう、浅草哀歌も「えんこエレジー」と読めればオヤジ)
「えんこきしつでネタそろえ」ですよ、とご主人。それとね、浅草田園、吉原田園、千束田園な
んていろいろ呼び方もありますけどね、ほんとここ(鮒金)ら昔の千束町は(電車も千束町って停留所がありましたよね、とアタシ、アナタよく知ってますね昔
のこと、とご亭主)地名の由来だって田圃の稲をねこう束にして、それが一束、二束って千束ですから、田圃があったこたぁ地名からでもおわかりでしょう、と
ご亭主。なる程。……と突然の電話でありながら暫し電話でいろいろお話拝聴。で兎に角「あさくさたんぼ」は浅草田圃と綴るより浅草田園のほうが地元的には
しつくりすると判明。で話は戻るが浅草の馬主が名づけた馬なら浅草田園と書いて「アサクサタンボ」と読むほうが実に浅草らしいのだが……については依然と
して極意は不明。
六月六日(月)曇。風邪癒へず朝のうち近隣のC医師訪れ診断請ふ。毎年冬に流行りこの時期には失せる流感が今年は寧ろ春から感染率高まる。C医師も
診断の際には余は前回三月下旬にやはり流感で診療請ふたがずつとマスク外せず、と。帰宅して服薬。寝たり起きたりで休養。溜っていた雑誌数誌読む。芸術新
潮の四月号は春に京都国立博物館で特別展あつた江戸の水墨画の奇才・曾我簫白の特集。簫白といふと一般には鬼女などグロテスクな通俗絵ばかり印象にあるが
(こういう特集ではいつもそう収まるものだが)実はすつきりとしたデッサン力も見事で山水画でも同時代の円山応挙の余白活かした作品とは対局のこれでもか
といわんばかりに濃密な山水画の存在(ボストン美術館蔵・楼閣山水図屏風など)。同五月号は伊太利亜はボローニャの静物画家モランディの特集だが橋本治の
連載「ひらがな日本美術史」の梶原緋佐子の巻が見事。久々に治ちゃん節全開で大正といふ時代に女を描いた、という一点で無理矢理に竹下夢二と梶原緋佐子を
論じてしまふのだが梶原緋佐子といふ画家を敢えて大正期といふ二十代の作品に焦点を当てる(緋佐子は1988年に数え93歳で没)。何故か、は三十代にな
つた緋佐子は単なる美人画の画家になつてしまふから。緋佐子が二十代で描いた女は疲弊しきつている。なぜか。仕事に疲れた、働く女だから。業種は異なつて
も伝統的な和服姿の女たちはプロレタリアート。で緋佐子は橋本治に言わせれば昭和に入ることにプロレタリアートの女を描くか美人画を取るかの選択が必要と
なり緋佐子は美人画を選んだことで普通の美人画の画家と後生が決まる。でその緋佐子と夢二がどう関係するのか?といふ点については尻切れトンボになり次回
にまわされる、という治ちゃんらしさ。で次号(六月号ポスター画のレイモン=サヴィニャックの特集号)での連載を読むと、夢二という画家は緋佐子が「社会
主義か、美人画か」の選択を強いられたのに対して夢二は敢えてその選択をせずにどちらも含んだことで昭和初期に美術史の何処にも位置づけられない魅力ある
夢二の世界を構築してしまつたと治ちゃん。御意。で夢二の何処に社会主義があるか?といえば一つの例は描く女性はみんな華奢で繊細なのだが大足であるこ
と。その美とは極端にあるリアリズムがそれ、となる。で夢二の達成が晩年の作品「立田姫」。夢二といへばあの大きな微睡んだ瞳だがこの立田姫は目を閉じ
る。だが閉じても表情がある。普遍的な人の表情になった夢二の描く女性。(治ちゃんはここまでしか書いておらぬが)昭和六年。もはや日本は戦争にまっしぐ
ら。夢二は最高傑作を遺し三年後に亡くなるのだから。確かに牀に伏せてはいるがビジネストラベラーズ三冊、わーずわーすの四月号、Penの二月十五日号
JJ的東京マップなど読み旅行案内など目を通す。夕餉に親子丼。NHKのニュース9で巻頭ニュースが明後日のW杯北朝鮮で十五分に及ぶ「報道」に呆れる。
W杯予選といへばバーレーンからの中継観ていてサッカー場の企業広告で何が目立つかといへば朝日新聞。他の全ての企業がファミリーマートまで英語の看板で
ある中で唯一漢字で朝日の「日」の字朱色にした愛国心。世界に流れる中継なのであり日本のクオリティペーパーであると海外での認知もあるのだから
Asahi Shimbunと英語にすべきでは? 進歩派気取りで実は社主制の近代以前の企業体質かも。流感直すべく早寝。
▼安田記念優勝のアサクサデンエンについて誰かこの名前にことで書いていないかと日記漁れば「やはり」月本さんが書いていた(笑)。アサクサデンエンが2
億5千万円だかで購入されたのは昨日何かで読んだがノーザンダンサーを祖父にもつシングスピールが父でシングス=ピールだ
と最初思って、ここに「田園」の謎が?と思ったがSingspielでSing Spielであろうから「豪快に歌え」か。だが月本さんが
「浅草田圃という名前はそれなりに。読みもアサクサタンボのほうが好かったかな」と書かれていてはっと膝を打つ。何故そこに気づかなかったか、ついデンエ
ンで田園とばかり考えていたが浅草田圃か、酉の市かと合点。荷風散人に確か浅草田圃についての文章ありと荷風全集紐解けば、そうそう「里の今昔」がそれで
大音寺は昭和の今日でも、お酉樣の鳥居と筋向かひになつて、もとの處に假普請の堂を留めてゐるが、然し周圍
の光景があまりにも甚しく變つてしまつたので、これを尋ねて見ても、同じ場處ではないやうな氣がするほどである。明治三十年頃、わたくしが「たけくらべ」
や「今戸心中」をよんで歩き廻つた時分のことを思ひ返すと、大音寺の門は現在電車通りに石の柱の立つてゐる處ではなくして、別の處にあつてその向きも亦ち
がつてゐたやうである。現在の門は東向きであるが、昔は北に向ひ、道端からはずつと億深い處に在つたやうに思はれるが、然しこの記憶も今は甚だおぼろであ
る。その頃お酉樣の鳥居前へ出るには、大音寺前の辻を南に曲がつて行つたやうな氣がする。辻を曲がると、道の片側には小家のつゞいた屋根のうしろに吉原の
病院が見え、片側は見渡す限り水田のつゞゐた彼方に太郎稻荷の
森が見えた。吉原田圃はこの處を云つたのである。裏田圃とも、また淺草田圃とも云つた。單に反歩とも云つたやうである。
お酉樣の鳥居は鷲神社。電車通りは当時、大音寺通りと呼ばれ、合羽橋から入谷町、千束町を抜け南千住に到る(現在の国際通り)都電で恰度大音寺の前が千束
町の停留所。鷲神社の裏が新吉原で娼妓相手の吉原病院がこの地にあり。樋口一葉の「たけくらべ」の世界……と話は尽きぬがアサクサデンエンの馬主氏の会社
は現在は元浅草一丁目で創業が大正十二年といふから仮にこの地(浅草区七軒町)にあつたとすると(現在の都立白鴎高校、当時の名門府立第一高女の近く)同
じ浅草とはいへ2キロほど離れてはいる。が持ち馬に浅草といふ冠をつけるのが田原氏の主張とすれば浅草田圃といふ名前も当然あつてもよし。だが、やはり浅
草田圃ぢゃ一葉、荷風の世界で馬もどうも大川の土手を風情豊かにのんびりと、でやはり競走馬としては選べぬわいなぁ。
六月五日(日)曇。風邪気味で午前在宅。机まわり片付け新聞読み安田記念予想。一昨晩のB君との話でも香港では香港から参戦の三頭のうち Silent Witness、Bullish Luckに人気が固まるであろうから日本馬が「買い」は明らかで好調な武豊君のアドマイヤマックス、復活に期待のテレグノシス、間違いなく後藤浩輝君はハ ナをとって先行するであろうローエングリンから香港馬に流す。どれが来ても連複で四十倍からアナなら二百数十倍と携帯で馬券購入でもう「もらったような」 気分。昼すぎ金鐘で知人らとの薮用済ませFCCに辷り込み有馬記念の中継観戦。予想通りローエングリンが先行しサイレントウィットネスが続く展開。サイレ ントウィットネスがハナを取り1600mでは厳しいかと思つても予想以上に落ちず最後直線で知らぬ馬二頭が伸びてブリッシュラックも追い上げるが届かず一 着はアサクサデンエン……浅草田園?って名前で最初に選考から外してる。二着のスイーブトウショウも全く気にもしておらず。浅草田園……なぜなのだろ う、って結果じゃなくてなぜ浅草田園なのだろう。Z嬢に電話すると「六区の田園って喫茶店?」と。御意。夕方遅く白雨のなか帰宅し調べれば馬主の田原源一 郎氏は横 断幕やノボリの製造販売の元浅草の田原屋の経営者。なるほ ど……ってそれで安堵できないのだが、とりあえず浅草である理由はわかったが何故、田園か。会社は浅草だが自宅は田園調布とか。あり得る話かも。雨上がり 日暮れ眺めながらビール二缶。名古屋の松坂屋で売っているそうな豆福の黒胡椒豆。大河ドラマ義経観ながらチゲ鍋。真露。先代貴乃花の追悼番組観る。風邪気 味で早寝。
六月四日(土)朝寝貪り目覚めれば「ラクサが食いたい」と突然の食欲。コンビニでゲータレードの大瓶購い水分補給しジムでサウナに入りQuarry
Bay祐民街にある来記といふラクサ評判の店でラクサ食す。大雨。帰宅。午後にRoyal
Asiatic Society(王立亜洲学会)と名前は堅く権威ある英国の学会の香港支部の企画で(英国では実際に権威ある組織だが香港支部は余が会員になれるのは権威
もないか)薄扶林の香港大学大学堂宿舎と伯大尼堂(The Bethanie)参観。古い建物好きのZ嬢もゲスト参加。約四十名参加。大学堂宿舎は元
々1861年に蘇格蘭人のダグラスなる商人の住宅兼事務所に建てられし洋館にて数年後にダ氏引退後廿年程空き屋となるが十九世紀末に仏蘭西のキリスト教伝
道団Nazarethがこの建物に教堂をば増築し拡充し施設として用いる。アジア各地の人文の書き物を仏蘭西語に翻訳し出版するなど中心的役割も果たす。
日本軍の香港占領で軍施設として徴用され戦後は香港大学の学生宿舎となり今日に至り現在も伝統ある百余名の学生宿舎。この寮生に案内され建物を見学。今日
は天安門事件の六四の追悼の日にて寮内のあちこちに六四に関る資料や写真の展示あり晩の追悼集会への参加呼び掛ける。続いて薄扶林道向かいのThe
Bethanie参観。
こちらは1875年に同じ仏蘭西のEtrangeres
de Parisなる伝道団により建設されたアジア各地で布教する神父らの熱病など風土病に対する療養所施設(仏蘭西の布教団は十七世紀後半よりアジアに参るよ
うになり十八世紀初頭には広州に教会を建立)。このBethanieの教堂はOzouf神父の設計で、このOzouf神父は(十九世紀末だろうか)東京で
司教となり東京に仏蘭西教会の建物も設計したといふが(このBethanieと似た建物だといふ)戦争で焼失。1975年まで仏蘭西伝道団が此処にあつた
が建物老朽化で彼らはハッピーバレーの聖ミカエル教会に移る(当時この地で布教の神父らは現在、
柴
湾のカソリック墓地に多くが眠る)。その後この建物は香港大学出版社の在庫書籍の倉庫として1997年まで用いられ政府はその後2000年からこの建物の
保存のため研究検討に入り03年にこの建物を香港演芸学院の貸与すること決定し建物の原状そのまま維持し内部改修の上映像メディアセンターとしての今後の
活用を決定。その大規模改修が来月から始まり、今回は改修前の最後の内部見学。此処はその建物も歴史的価値あるが庭園は今でこそ手入れされず鬱葱としてい
るが神父らがアジア各地から持ち寄せた植物がここで育てられ(当時の香港島は荒涼とせし岩肌)今でこそ香港特区の象徴図章となつたBauhiniaの木も
香港では此処に初めて藝えられたもの。庭園の崖下には牛舎もあり、何故此処に牛舎かといへばこの地がかつてはデイリーファーム社の乳業盛んだつた為で先日
Z嬢の発案で歩いた薄扶林の村はそのデイリーファームに働く地元民のための職能村であつた事実。バスで中環に戻り久々に和安里の明珠越南餐庁に食す。ジムのサウナに一浴し帰宅。夕方より喉痛と悪寒あり。早眠。
▼次期行政長官「候補=当選」のドナルド曽蔭権君ラジオ番組で天安門事件への見方につき「当時は自分もあの事実に愕然とし考えさせられること多かったが」
としつつ「その後の十六年の中国の社会的安定や経済発展などを考えれば天安門事件についても感情的にならず客観的な評価をすべき」と発言。唖然。歴史とは
こうして見直すべきものか。それなら戦後の日本の平和主義と民主化そして経済発展を見ればアジア侵略など戦争責任もすべて解消される、というようなもの。
六月三日(金)早晩にジムで小一時間有酸素運動。昏時バーYに寄りドライマティーニ二
杯。帰宅して焼き魚で夕餉。蹴球の日本対バーレーン戦が深夜あること知りスポーツ観戦せぬ余が珍しく畏友B君に電話で話すと恰度バンコクから戻つたところ
で何処かパブででも観戦のつもりだつたと。衛星放送で中継あり。雷鳴轟くなかタクシーでバーS。
B君と待ち合わせジャックダニエル数杯。深夜十二時過ぎにFCC。サッカー中継見るのは余とB君のみで他の客は日本対バーレーンはマイナーすぎてか関心も
なし。1対0で日本が勝つ。バーYに戻り痛飲。
▼ポスト小泉をめぐる自民党内の動きにつきに朝日かなり熱心に報道。経済部出身の箱島君社長退任で政治部巻き返しといふ噂もあり。今日も政治部長持田周三
君の署名論説で「首相は国益を語れ」とかなり強い論陣張る。小泉三世が靖国参拝で何を考えているのかわからないと言うがそりゃそうで何も考えておらず。強
いていえば中韓の反発受けても信念でもつて靖国に参拝する袴羽織姿の凛々しい自分を描いているのだろうか。いずれにせよポスト小泉は築地のH君の言葉借り
れば「戦後保守」の最後の反撃が始まるのか、本当に瀬戸際。河野洋平衆議院議長が元首相を集め首相の靖国参拝を牽制。議長の異例の動き批判する中曽根大勲
位も小泉三世の靖国参拝を批判。大勲位の参拝中止は「高度な政治判断」だが小泉三世のは本心から「私的な感情」。それが国会答弁として通用するんだからす
ごい話。私的な感情の発露でもつて国の外交を左右。本来なら「靖国参拝こそが国益」とでも答えてられるが本当に何も考えておらず。安倍晋三君ならぜったい
「私的」などとは言わず。だが安倍晋三君や石原慎太郎君が総理になると靖国どころか致命的に国益を損なう。がH君の話では民主党には「安倍待望論」がある
そうで自民党が極右にいけば中道右派の票が民主党にまわるという安易な打算。もし安倍晋三が首相で勇ましいこと公言し喝采浴びてるときに「中道右派」みた
いな中途半端では寧ろ誰からも相手にされず。また民主党が恐れてるのは谷垣禎一君で「岡田代表とキャラがかぶるから」といふ噂も。
六月二日(木)曇。昨日の信報に唯霊氏が地元北角の自宅(氏は和富中心にお住まい)近所には美味い食肆多いがと寿司加藤などに加え今度出来た海南鶏
飯供する店が美味いとか。うつかりその紙面捨ててしまい肝心な店の名がわからなくなつてしまつたのだが海南鶏飯について氏はかつてマンダリンオリエンタル
ホテルのカフェのが秀逸であつたが過去の話で今はFCCの海南鶏飯が香港では屈指と指摘され確かにその通り(銅鑼湾の南亜餐庁の閉業惜しまれる)で(前置
き長いが)晩に工作任務あり早晩にFCCにて一人あらためてその海南鶏飯食す。以前に比べ更
に白蒸の鶏肉は質が向上。付け合わせの胡瓜も美味く(多少鹹いが)HK$68といふ高値も納得の味。白葡萄酒一杯。遅晩に帰宅して唐辛子味のウォッカ飲
む。
▼1日の朝日衛星版に加々美光行氏(愛知大、現代中国論)が日中関係論じ90年代以降の日中両国民の変貌を指摘。日本社会での変貌は戦後の反戦平和希求の
大規模な国民運動の消滅。安保やベトナム反戦などの動きが72年の日中国交正常化の際に周恩来をして対日賠償請求権の放棄に至らしめた事実。反戦や日本の
軍事化に反対する日本国民への周恩来の信頼が根底にあつた(これについては日本側では竹内好がいち早く評価)と氏は述べる。中国も毛沢東時代の否定と改革
開放への転換果した登β小平は周恩来の対日観、政策を踏襲し「日本の高度な経済成長を日本国民による国家非軍事化と平和維持の努力のたまものと見なし」
「中国の発展には日本同様の戦争回避による平和維持が不可欠と見なし、軍の大幅縮小と経済発展の最優先を掲げ」「82年当時、教科書問題が浮上しても日中
関係が相対的に安定していたのは、そこになお日本国民に対する強い信頼が働いていたから」である。それに対して悲しいかな、90年代には湾岸戦争を境に日
中両国とも軍事強化路線をとり、日本は国際貢献で自衛権の拡大解釈と派兵増強、中国は89年の天安門事件を境に経済制裁を受け湾岸戦争の危機感から高度経
済成長と軍事強化の二本立てを本格化、日本は例えば米国ブッシュ政権のイラク討伐でも戦争発動の根拠であつた「大量破壊兵器の存在」の虚偽が判明し世界的
にイラク反戦運動が高まつても日本の対米反戦の気運すら盛り上がらず、両国とも国民レベルのナショナリズムを台頭させ今日に至る。加々美氏は「自分と対照
的に異なる相手を見る複眼的な視点をもつこと」で初めて自分の姿が映し出されるのに日中両国の(否定的な意味で)酷似した姿の今日では単眼的な同質の鏡し
か持ち合わせず自分の姿も相手の姿も見えなくなつてしまつたことを指摘。複眼的な鏡を取り戻すには「日中両国民の中になお反中、反日の情念に踊らされない
理性的な人々がいる」ことで相互信頼を取り戻し歴史認識を含めた日中共同の文化構築が大切、と。理想論であり勝谷誠彦氏らの極論からすれば「鼻で笑う」も
のだろうが加々美氏のこの理想論を信じたいと願ふばかり。
六月朔日(水)晴。程翔氏の中国での逮捕について香港政府は唐英年・行政長官代理(ドナルド曽蔭権君の行政長官「選挙立候補」で唐君が代理職)も保
安局長・李少光君も、特区政府として善処はするが一国両制が原則であり香港市民も内地では内地の法を遵守すべきで内地での司法執行については一国両制で干
渉できぬと宣ふ。唖然。一国両制は香港の自治を守るための制度であり香港市民が内地で検挙された場合に市民の人権擁護から善処する対応に持ち出す言訳に非
ず。粗忽ぶり甚し。早晩にジムで小一時間有酸素運動。晩にZ嬢と香港文化中心にてクリストファー=エッシェンバッ
ハ率いるフィ
ラデルフィア交響楽団の演奏会。この楽団の首席オーボエ奏者リチャード=ウッドハムスでモーツァルトのオーボエ協奏曲、そしてマーラーの1番「巨
人」を聴く。すらりとした長身に痩せてはいるが音楽家でもフィットネスしておりますと言わんばかりに厚い胸板。蜷川或は辻村系の禿頭でフーコー髣髴させる
日焼け。エッシェンバッハ君は若きピアニスト時代にカラヤン先生の薫陶を受け第二の師がバーンスタイン先生だ、というのだから。わかりやすい。モーツァル
トのオーボエ協奏曲。我はモーツァルト、殊に彼の協奏曲はとても苦手。あゝ次はこうか、そしてこうか、更にこう展開してこう終わる、といふあの世界。この
楽団の演奏もそつなく肩の力抜けて練習曲、本日の肩慣らしの如し。もちろんウッドハムスのオーボエはモーツァルトのこの曲を豊かに奏でてはいるが。でマー
ラーの交響曲1番「巨人」。Z嬢が、彼女にとつてはエッシェンバッハはピアニストで昔たくさん彼のピアノ曲をNHK-FMやFM東京で聴いていたそうな。
今日の公演にあわせ、この曲をあらためて聴こうと探したら我のコレクションにはマーラーの1番は若き小澤征爾のボストン交響楽団のLP1枚あり。小澤征爾
らしい抑揚ある、そしてかなり飛ばした演奏の「巨人」を聴いて来た、とZ嬢。我にとつてはどうしてもマーラーはブルーノ=ワルターのあのマーラーはかくか
くしかじかこうあるべき。それに比べると、このエッシェンバッハのマーラーは余計な解釈も抑揚もなく、だがこの曲はこれほどハーモニーが流れているのかと
あらためて感じ入つたのだが(悪く言えばポップス的)、その理由の一つは第二バイオリンが舞台上手、その隣りにビオラを配し、チェロとコントラバスを下手
の第一バイオリン後方にしていることで、マーラーの1番で第二バイオリンとビオラがこれほどハーモニーに参画していたことを初めて知る。エッシェンバッハ
のもつとも彼らしい演出は勿論この曲だから出来るのだろうが、はい次はフルート、はいチェロ、オーボエと各パートの音の「出どころ」引き立てることで、も
し自分がビオラ奏者であれば指揮者にあそこまでビオラに指示出されれば「それに応えよう」と演奏も奮い立つであろう。月並な言い方ではあるが楽団が指揮者
の意のままに音を奏で、まるでエッシェンバッハという個体がひとつの楽器の如し。で彼の指揮であるが、師カラヤン先生から見れば「もっと格好良く指揮でき
るでしょう」だし指揮は大きいがバーンスタイン先生ほど踊るほど舞うほど優美な指揮姿にも非ず。指揮の姿だけでいえば尋常の指揮法から見れば、これほど逸
脱した、いや逸脱どころか素人でもちょいと巧い人なら出来そうな、わかりやすい、単純な指揮。だがこの人のこの指揮で振られれば楽団の奏者であれば実に嬉
しい筈。この十年、短距離の走法でも昔ならご法度のような走りが最速になるように、水泳も泳法が変わるように、指揮も奏法は変化して当然なのだろうが。そ
れにしても第三楽章での導入での指揮は禅僧の如し。実に見応えあり。演奏が終わり万雷の拍手にエッシェンバッハは恍惚の表情。会場を出ると観衆が「聴かせ
ていただいた」と実に満悦の笑み。帰宅してGlenfiddichを
飲む。なぜGlenfiddichか、と言えばエッシェンバッハ率いるフィラデルフィア交響楽団はモルトではあるが限りなく上品に仕上がったブレンドウイ
スキーに近い、とマーラーを聴きながら思つた故。音を言葉で表すのは難しいが、上出来のブレンド、例えばバランタインの21年とは違う。もっとクセがあ
る。がシングルモルトの他を拒否するような個性ではない。わかる人はわかつてもらえるだろうがGlenfiddichの極めてあつさりとしているようで脹
よかな旨みがあの楽団の今晩の音であつたと独りにんまり。
▼で、今回のこのエッシェンバッハ率いるフィラデルフィア交響楽団のア
ジア巡業。凄まじき日程。五月十九日東京サントリーホールでの馬友友のチェロでのドヴォルザークのチェロ協奏曲とマーラーの1番皮切りに翌廿日が
横浜港未来で郎郎のピアノでチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番と交響曲5番、廿一日が京都にて前日と同じ演目、廿二日サントリーホールに戻り郎郎とベー
トーヴェンのピアノ協奏曲4番とマーラーの5番、翌日同所でマーラーの9番、中二日空いて廿六日にクアラルンプールでドヴォルザークの謝肉祭序曲、郎郎の
ピアノでチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番とバルトークのオーケストラのための協奏曲、翌日同所でリチャード=ウッドハムスのオーボエでモーツァルトの
オーボエ協奏曲とマーラーの5番。翌廿八日は当日のシンガポール移動で晩に郎郎のピアノで廿六日のクアラルンプールと同演目、
廿九日同所で廿七日とオーボエで同演目、中一日空いて五月末日に香港文化中心で郎郎のピアノでドヴォルザーク、チャイコフスキーにバルトーク、翌六月一日
つまり今日がリチャード=ウッドハムスのオーボエでモーツァルトのオーボエ協奏曲ととマーラーの1番(今晩はマーラーは5番から1番となる)。で中一日で
台北に参りオーボエは同じだがマーラーは1番。翌日同所で郎郎で横浜と同じチャイコフスキー2曲。中一日空いて六日にソウルで郎郎のピアノでドヴォルザー
ク、チャイコフスキーにバルトーク、七日同所でヴァイオリンにデイビッド=キムでチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲とマーラーの1番でこのアジア興業
終わる。五月十九日から六月七日まで二十日間で途中四日のみ演奏なしの十都市十六回公演。芸人の旅興業の凄さ。エッシェンバッハ、数年先まで予定びっしり
で世界中飛び回るがマイレージも当然かなりたまるのであろうが使ふ暇もあるまひ。
▼二子山親方(元大関貴乃花)の逝去で過去の取り組みの名場面といふのがテレビニュースに流れ見て驚いたことは大鵬から北の富士、北の湖、高見山といった
力士相手の大関貴乃花の取り込み、優勝の瞬間その全てを見ており、見た記憶があり、さらにその当時、誰と一緒に何処で、あーあれはとなりの八百屋「かま
や」の茶の間でまだかまやのお祖母さんが元気なころで夏の暑い時期に……とか、北の富士の庇手があれは庇手ぢゃなく負けだよ、と我が祖母が憤慨していただ
の、さまざまな記憶まで蘇る。貴乃花、長嶋、王、江夏にボクシングの輪島功一くらいまではそういう記憶がガルシア=マルケス的にあり。それじゃ息子の貴乃
花の連勝が、イチローが何安打打った時には?といわれると皆目見当もつかず。で今回の親方逝去での若乃花・貴乃花兄弟のいざこざ、香港にいて二人の言動も
わからずにいたが築地のH君より話を聞き、兄弟でどっちが喪主をするかでもめたことについて勝谷誠彦氏など「一般世間の常識で長男がやるのが当たり前。貴
乃花の態度は非常識」だそうだが相撲界は「一般世間」に非ず而もわが国古来の常識では喪主は家長で家長が亡くなれば家長を継ぐものが喪主。部屋を継承せし
貴乃花は「家督」を相続したのなら次男だろうと三男だろうと家長は貴乃花親方で長男の花田勝君は嗣子とはいえ廃嫡されたとすれば今さら喪主になり難し。貴
乃花の言い分では先代は勝君(若乃花)に部屋を継がすつもりであったのに勝は勝手に協会を退職して商売を始めた人間であればオヤジが死にそうになったら急
に舞い戻って遺産相続の根回しなど始めたのは許せない、と発言とか。平成の大横綱でありながら口下手で感情表現力が乏しくヘンな連中に騙され易い貴乃花親
方が父の喪が明けぬどころか逝去から数日のうちに週刊文春で恥を忍んで兄をそこまで言ったといふのもよっぽどのことか。一方の勝君は「父からお前にまかす
といわれた」とまるで華国峰ばりの遺言を披露。それにしてもこの兄弟、かつての印象といへば角界に育っても銀行員になりたかったという兄と華も相撲の資質
もある弟で、どう見ても地味な兄と派手な弟であったが、兄は「あの人が」といふほど銀行員とは全く違うキャラを育み、華のあるはずの弟が天性の相撲の素質
や技量とは裏腹に地味で口下手で自らの表現が下手と、全く逆。こういうものか。お互いが助け合い力合わせば、が理想的だが相克も甚だしくなれば悲劇はシェ
イクスピア的。蜷川先生演出で敢えて明治座で芝居にでもなる話。その兄の勝君の愛嬌もあり「銀行員になりたい」というキャラがH君は今にして思えば「つく
り」だったのでは?という気がしないでもなし。あの朴訥で誠実そうなキャラが弟・貴乃花の相撲は巧いが感情表現乏しいのに対して花田家としては兄があの
「お兄ちゃん」キャラ演じることで末は確実に各界の大横綱となる弟に足りない部分を填めて世間の支持を得るために編み出された人間像。それしても、とH
君、この一家がちょっと前までは理想の家族像でおしどり夫婦の理想の子育て。それの「化けの皮が剥がれる」過程に世間の興味が集まらぬ筈もなし。この花田
家に畏れ多くも天皇家、更に左でも大江健三郎ファミリーが日本の三大聖家族だったのも回想の彼方なり。