乾 坤容我静 名利任人忙
(旧)教育基本法(1947〜2006) 憲法改正反対(九 条の会こちら

また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。ヨ ハネによる福音書8章32節)

メ ディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味で はコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意 識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディ アの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。(佐藤卓己)

■ 富柏村の一連の写真画像はこちらで ご覧になれます。
■ 「はてな」の富柏村日剰・香港日記(テキストのみ)はこ ちらを ご覧 ください。
■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日記を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。
■香港の高級紙「蘋果日報」からの紙面、寫眞の無斷借用多し。同紙社主・黎智英氏自ら同紙の無斷借用轉用大歡迎と公言ゆゑ、それに甘えてをります。
 2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。


六月卅日(火)曇。早晩に帰宅してドライマティーニ二杯。煮た咖喱を食す。さつさとアタシは早寝だが半夜三更、七月朔日になるを以て香港政府の禁煙政策は 酒場、雀荘、夜総会など「大人の場所」の禁煙緩和措置失効し全面禁煙となる。
▼香港の所得税について(以下、HK$1=12円での概算)。所得税の基本控除130万円、既婚なら260万円、無収入の親の扶養は別居で36万円、同居 なら倍、両親なら倍、他に子ども養育控除、住宅ローン金利分控除など様々あり。単身で所得が130万円以下なら所得税は無税。年収500万円で配偶者と子 が一人ゐると所得税は約16万円。配偶者と同居の両親に収入がなく子供が二人ゐて香港の不動産の高値で月24万円の住宅ローン返済のうち12万円が金利だ とした場合、なんと年収600万円で所得税は無税となるだらう。
▼香港鼠楽園の拡張に鼠楽園と香港愚政府が合意。既存のエリアが「子ども騙し」なので「大人も楽しめる」三区域の建設にHK$36.3億を投入。鼠楽園側 がHK$34.9億投資で香港政府の再投資は御座居ません、と言ふが実際にはHK$62.5の返済計画もなき償還まづ不能のHK$62.5億の融資貸付あ り(鼠楽園側はこれにHK$27.6億)。香港政府の投資額は当初の土地造成まで含むと已にHK$220億。鼠楽園側は毎年920〜1,070萬人の入場 者見込むことで開園からの40年で香港にHK$984〜1,173億の経済効果あり、と言ふが米国鼠による詐偽は明らか。香港政府は拡張後の入場者を年間 730萬人と多少地味に見込み経済効果をHK$647億とする。それでも投資資金の約三倍弱で、と説明してみせるが1999年当時、香港政府は鼠楽園開園 での投資効果をHK$1,480億と豪語したのだから馬鹿もいゝ加減に仰しよ。泥沼。こんな愚かな計画を立て公的資金導入した香港政府の小役人どもの「責 任者出て来ーいつ!」と人生幸路。だが香港鼠楽園の誘致計画責任者はアンソン陳方安生で後任が文革曽。後者は明日の香港回帰紀念式典の主人公で前者は午後 遅くの民主派デモで「香港の良心」か。

六月廿九日(月)やうやく雨が歇む。星巴珈琲の商魂淺ましく商品にsmallがあるのにsmallを隠しtall賣るだけならまだしも今日はsmallと 註文せばtallの紙コップを見せ「これか?」と質すので「さうぢやなくてsmall」と註文すると「これだね?」とsmallの紙コップ見せ「それだ」 と答へると「ありがたうござゐ」とも言はず憮然と珈琲を注ぐ態に呆れ余の言葉もなし。どうやらsmallといふサイズの存在を「なかつたこと」にしたゐら しい。ひどく忙しいなか夕餉も逸しさすがに餓へ遅晩に湾仔の泉記に寄りあつさりと好物の紫菜魚蛋粉で小腹満たさう、と思つたら供されたのは紫菜牛腩粉…… 牛の肋肉と筋の煮込みの「きしめん」に海苔がたつぷり盛つてあると思つていたゞきたい、想像しただけで食慾も退く一品。最初は店の間違ひか、と思つたが、 それがチキンカレーとビーフカレーの間違ひなら頻繁にあり得ようが紫菜牛腩粉なんて誰も註文しない珍しいもの、をよそひ間違へるはずもなく明らかにアタシ が紫菜魚蛋粉と註文したのを給仕が紫菜牛腩粉と聞き間違へたのだらう。魚蛋(ユータン)がどうすれば牛腩(アウナ厶)に聞こえるのか、そんなにアタシの広 東語はひどいか、と凹む。あつさりと胃に優しい夜食のはずがかなりヘヴィな紫菜牛腩粉で思ひきり胃に負担あり。
▼そもそもアタシは香港にこれだけ住んでゐて広東語が本当に下手。今でもタクシ自動車で運転手に行き先を告げるとか街市で買物に不自由しなければ良い、と 思つてゐるのが良くない。これが広東語に文盲ならもう少し「聞かう、話さう」といふ気も起きよう、がアタシは「讀めた」。高校の時に散々「漢文」で苦労し たが、神田神保町の東方書店など立ちより「北京週報」とか手にとると唐詩など古文に比べ現代中文のなんと平易なことか。で自己流讀み下しを始め、それが今 に至る。で「讀める」から、もともと独りが好きなうへ誰かに何か尋ねよう、とか話を聞かう、といふ気が失せる。しかもアタシほど皆さん新聞など貪り讀む暇 もなからうから何かあつてもアタシの方がだいたい新聞で讀んだり、で事に詳しい。そして何よりアタシが生理的に「広東語が嫌ひ」といふと語弊があるが嫌ひ ぢやないが「自分が話したい言語」ぢやない。ジャズは好きでもブルースは、みたいな。
▼今日の朝日新聞の社説「児 童ポルノ 放置できぬ幼い被害者」には驚いた。同じ朝日の社会面に「本社の出向社員 13歳買春の疑い」といふベタ記事あり、この社説はてつきりこのお詫び社説か、と思つたが全く関係ない。文字通り児童ポルノ規制訴へるもの、だが驚いたの は冒頭の一節。これが
インターネットでさがせば「おぞましい」くらいひどい児童ポルノの 画像にたどり着くことも難しくない。子どもを性的に虐待し、尊厳をずたずたにする「犯罪行為の写真」があふれているのだ。
……とかなら普通。だが今日の朝日の社説は
「児童ポルノ」というと、ちょっとエッチな少年少女の姿態、といっ たイメージを持たれがちだ。
が書き出し。少年少女の姿態を「ちよつとエッチな」と表現できるのは、まるでその筋の好事家のやう。これだけでも「えつ……」と思つたが、社説はそればか りか
「児童ポルノ」というと、ちょっとエッチな少年少女の姿態、といっ たイメージを持たれがちだ。だが、インターネットでさがせば、おぞましい画像にわけもなくたどり着くことができる。子どもを性的に虐待し、尊厳をずたずた にする「犯罪行為の写真」があふれているのだ。
と続く。一瞬、すんなりと讀める鴨しれないが、「ちよつとエッチな」に「だが」で「おぞましい画像」といふ展開を深読みすると、まるで「ちよつとエッチ な」は許容範囲かしら、やつぱりこの書き手は「ちよつとエッチな」レベルでの好事家か?とすら勘ぐつてしまふ。しかも「インターネットでさがせば、おぞま しい画像にわけもなくたどり着くことができる」と書いてゐるが10年前の「ネットの春」の自由謳歌した規制なき時代ならまだしも今どき、殊に児童ポルノに つひてはかなり規制も厳しく普通の検索レベルではさういつた「おぞましい画像」レベルのサイトに「わけもなくたどり着くこと」はかなり難しいはず。例へば 検索サイトでは「児童ポルノ」と引けばわかるが大量の「児童ポルノ規制」訴へるサイトが続き検索サイトの自主規制でさうしたサイトには往き着けない。なに せ児童ポルノ画像蒐集など立派な犯罪行為であるからサイト者もかなり公開には慎重で、かなり凝つて探さなければさう易々と「おぞましい画像」に辿り着けな いだらう。それをこの社説の書き手は「わけもなくたどり着くことができる」といふのだから。朝日の論説委員室のパソコンで「社説を書くため」でもさういつ たサイトを見てみたのかしら。或は誇張か。よくわからんが何十年も朝日の社説を読んできたアタシもこの社説には驚いた。

六月廿八日(日)幾度も甚雨あり。机に凭り午後に至る。午後遅くFCCに往き獨酌。白葡萄酒二杯。新聞讀む。晩に自家製のコロッケ揚げ食す。コロッケはい つも麦酒か焼酎なのだがクロケットだと思へば葡萄酒はどう?といふことで智利はAconcaguaのAgustinosなる葡萄園のCab Sau、07年のReserveを飲む。肉料理にはちよつと負けようがコロッケには合ふ。
▼米高積遜さんの逝去。沢山の報道に接したが追悼は何といつてもFT紙の“Peter Pan 'King fo Pop' who moonwalked into history”が格別(FT 27/28 June 2009)。また同日の同紙に“Scramble starts to untangle singer's riches”といふ記事あり経済紙としてさすがの分析。“Thriller”でポッ プスターとして 最高位を得、ビートルズの版権取得などでビジネス上でも見事な投資判断下したが次作“Bad”ではすでに凋落が見え巨資に対して物入りも続き今年一月に倫 敦で開催予定の公演も債務精算が目的(とこゝまではどの報道も一緒だが)でUS$5〜10千萬と噂される倫敦公演のギャラで負債の半減を企図。で負債は約 US$5億。……となると倫敦のギャラで半減も難しい、と思つたが、その負債のうち半分はSony ATV Musicとのジョイントベンチャーでの損失の担保。でそれを除けばUS$2.5億ならUS$1億のギャラで負債半減といふのも首肯けるところ。で今回の 倫敦公演。本人は10公演が限界でそのつもりが恐怖の50公演開催と決まり、その精神的負担が死因の一つといふ噂もあるが、これを企劃したのがコロラドの メディア王、Philip Anschutz氏のプロダクション。Philip Anschutz氏といへば保守的クリスチャンでネオコン有力者との噂もあり。Anschutzといふ姓からユダヤ系か、と想像しマイケル=ジャクソンの 死も実は……なんて想像すると故・太田竜先生的な陰謀論になつてしまつたり。それはさうとApple社のiTuneもさつそくマイケル特集があるが興味深 き事実はiTuneでのダウンロード曲が“Ben”がトップで“I'll be there”と幼きマイケル少年の天使の美声が続きジャクソン5の“I Want You Back”、ポール=マッカートニーとの“Say Say Say”と続く。“Thriller”以降のアルバムは持つてゐる、曲は知つてゐる前提で、急逝に際し往年の名曲への回顧なのだらう。それにしても凋落か らの奇怪なマイケルさんに対して、殊に彼の少年愛嗜好に懐疑があつたなか人々は彼が逆に越後獅子的にShow Bizで歌ひ踊らされた幼ゐマイケル少年を愛をしむ……この逆相が興味深いところ。水上勉が生きてゐたらマイケル少年を主人公に『べん』なんて小説も書け たかしら。
▼今晩見たNHKスペシャルでJAPANデビュー第四回「軍事同盟 国家の戦略」。こ のシリーズは四月だつたかの第一回で日本の台湾統治取り上げたが拓殖大の元総長先生らが内容は公正さ欠き「精神的損害を受けた」として東京地裁にNHKを 告訴。番組では「日台戦争」といつた言葉を誤つて使ひ日本の統治時代に台湾の人が 不当な扱ひを受けたかのやうに偏つて伝へた等と主張の由(朝 日新聞)。この第四回は日本が日露戦争から第二次世界大戦での敗戦に至るまでいかに国際関係の中で誤算があり上手く利用され……にスポット当て る。がこれが左翼的には「日本は侵掠国家であるのに、まるで被害者のやうな扱ひ」と批難され右翼的には「まるで日本の戦略が間違つてゐたやうな扱ひ」と批 難されるだらう。さういふ意味では中立で公平な扱ひかしら。さういふ意味では第一回の台湾統治もアタシには左右いづれからしても緩い=バランスのとれた内 容と映つたのだが。
▼朝日新聞の書評を読んでゐたら、井上章一『伊勢神宮』(講談社、柄谷行人の評)も面白さうだつたが市川昭午氏が著書『教育基本法改正論争史』(教育開発 研究所刊、耳塚寛明の評)で「法は行為を律するもので、心を律するものではない」と言つてをられる由。社会の荒廃を教育基本法(原法)での徳育の軽視の責 任にしてしまつた中教審にあつて37名の委員の中で一名だけ基本法改正に賛成しなかつた市川氏は教育基本法改正は結局のところ目的は「憲法改正に弾みをつ ける」ためと指摘。御意。「法は行為を律するもので、心を律するものではない」つてのは、昨日綴つた中国での煽動顛覆国家政権罪で逮捕された劉曉波氏にも 当て嵌ること。ところで前述の『伊勢神宮』は「仏教建築以前の日本固有の建築様式」といふ伊勢神宮に対する日本人の「通念」への疑問提示ださうな。西洋建 築のモダニズムがあつて、それへの比較として伊東忠太やブルーノ=タウトの評価で伊勢神宮は「近代として」絶讚されるやうになつたが実は式年遷宮も長期に 渡つて中断してゐたいし神宮の建築がどこまで原型保存か証拠もない。その近代の勝手な伊勢神宮への「日本固有」といふ意味づけが同じく近代の思想としての 皇国史観に繋がること。結局、日本人が伝統とか思つてゐることの多くが伝統とは乖離した近代の勝手な誤解なのだらう。
▼北京訪れし劉健威兄が「鳥巣」体育館訪れ遠目には良いが近づくと周辺の照明灯の塗装の剥離に始まり鳥の巣のやうな体育館覆ふ金属に北京五輪から一年でか なりの錆や腐蝕目立ち黄砂の砂塵が舞ふ気象条件の中で(大気汚染だつて深刻で)鳥巣の金属條の内側はかなり汚れもひどく表面積でいへば通常の外壁の建物の 何倍かをどう清掃し維持してゆくのか、と疑問呈す。国内ならこんなこと口にしようものなら国家顛覆罪なのかしら……。中国といへば政府によるネット管理と 検閲が強化されるなか国内のブログで"Hello, internet censorship institutions of the Chinese government,"と始まる書き込みあり“We are the anonymous netizens. We hereby decide that from July 1 2009, we will start a full-scale global attack on all censorship systems you control.”とネット管制する中国政府当局に対して攻撃の戦線布告あつた由(FT 27-28 June 09 "Control, halt, delete")。記事は中国と並べ政治混乱のなか暴動起きる伊蘭での政府による携帯やネット交信遮断のことなど紹介。三億人のネット人口抱へる中国は政 治的自由の制限など表面的な管制は皆な見て見ぬふりで物言へば唇寒し、と口を噤むがネットだけは“the desktop is the last bastion of personal freedom”といふわけで中国の沈黙する若者たちにとつて最後の自由の砦。

六月廿七日(土)さすがに先週からの晩のお座敷と外食続きに草臥れた。颱風は去つてゆくが甚雨幾度となく日暮れて雨ひどくなり深更には雷雨。昼前に少しで も運動しよう、とジムで走る。昼にZ嬢と湾仔。北方餃子源に 餃子を食す。雨のなかHappy Valley競馬場併設の賽馬博物館。此 処で石硤尾で閉鎖となつた工廠大廈の遺留品など集め戦後の香港軽工業の小さな展示あり。香港ジョッキークラブが資金提供しその工廠大廈を取り壊さず創意藝 術中心なる施設に改造したゆゑ競馬博物館でその展示あり。銅鑼湾に出て珈琲飲みZ嬢と別れ書店いくつか眺め帰宅。机に凭り雑事済まし晩は蕎麦を茹で食す。 今日くらゐ酒を抜くつもりが飲み残しの葡萄酒あり。三宅伸治仲井戸麗市のライブ評を朝日新聞で 読む。忌野清志郎逝去のあと二人のギターと歌を東京にゐたらどれだけ聴きたいことか。それにしても二人とも中年にとつては理想的に恰好良いのはやはり好き なことをやり続けて良い年のとりかたをされたからなのだらう、がそれにしても羨ましい恰好よさ。ちやうど今日、そごふの旭屋書店でマガジンハウスの Oily Boy といふポパイ誌オマージュの中年オヤヂの雑誌を購ひ読んだ。ポパイ創刊から33年とは。当時のポパイ世代の若者はみんな中年オヤヂなのだが、この雑誌が 「みんな「大きな少年」になつた」なんて言つてしまふ、この自分勝手(笑)。でもそれが許されるくらゐ世代的には高度経済成長とバブルで何の不自由もなく 若い頃を過ごし、それなりに余裕ある中年になつてしまつた世代か(その対極にはホームレスや派遣労働といつた低所得のオヂサンたちとの格差があるのだ が)。この雑誌の編輯部も往年の自分勝手が健在なのは、銀座菊水が喫煙具商なのに掟破りで売り続ける腕時計 SEALANE を「ドメスティックウォッチ」と紹介するやうなところ。ドメスティックウォッチつて何よ?と思つたがgoogleの検索にも引つかゝらない造語、精確には ドメスティック・ブランドの腕時計なのだらうが、えうするにたゞ「国内生産」のこと。それをドメスティックウォッチなんて呼ぶことで無理矢理「恰好良くす る」のが田中康夫が見据ゑた80年代くらゐからの哀しさ、でしよう。

六月廿六日(金)颱風接近で天気不安定。金鐘での打合せ終へ十数年ぶりで銅 鑼湾の石山に食す。飾り気もなく極く普通の店であることが日本料理屋の中で寧ろ珍しく日本人駐在員の食堂と云はれるほど。高野豆腐、風呂吹 き大根やモツ煮など普通に美味が慥かに嬉しいところ。颱風らしい強風のなかバーSに「グラスにベルモット塗つたところにジン(Gordon London)注いだだけ」のドライマティーニ二杯獨酌。こゝ二日ほどの新聞讀む。半夜三更、禁断の空腹で利苑に雲呑麺食し帰宅。
▼信報に日本のJITCO(財団法人国際研修協力機構)の調査による外国 からの研 修生・技能実習生の死亡について記事あり。研修実習生の数が増えてゐることもあらうが、研修期間中の死亡が1992年の2名から2008年には 34名にまで増えてをり、しかも死亡原因で最も多いのが脳・心臓疾患で16名で、これが(92年からの調査によれば)死亡原因の32%を占める。そして作 業中(事故)の11%に次ぐのが九%の自殺。研修生・技能実習生の大部分が20〜30代。この年代の日本人の心臓死の発生割合と比べるとほゞ二倍の発生率 の由。脳や心臓を蝕み自殺も多ければ明らかに過労やストレスが原因だらう。なんて不幸な国に来てしまつたのかしら。
▼地球の環境破壊と観光産業。世界中で12人に1人が観光関連業に従事。その観光業は一日にUS$30億といふ巨大規模な産業。同時に二酸化炭素排出の 5.3%が観光産業によるもの。当然、南国の海岸の自然破壊や海洋汚染などにも関係する(以上、IHT紙の"Welcome to tourism" by Elizabeth Becker より引用)。そもそも観光なる近代の行為が産業革命後の英国で都市労働者を郊外の景勝地に日帰り旅行で「憂さ晴らし」させたのが、しかも給与収入を行楽に 消費させるメリット?もあり(炭坑の飯場の賭場と同じか)。それほど観光は近代の産業そのもの。アタシだつて、その環境破壊に関与してゐるのでせう。がア タシが一番信じられないのがTyler Brûléのやうな世界飛び回り仕事してゐるらしいジェットセッターたち。環境問題など言及する前に少しは毎週、世界を飛び回 るのを止めれば?と思ふ。安保反対でさんざん国家権力だの大資本に苦言を呈してゐたのが大学卒業すると国家公務員や大手企業に就職して何ら疑問がないのと 同じで、アタシはかうしたことに疑問感じないどころか寧ろ華々しくできる人たちが最も信用できない。
▼中国の異見分子の劉曉波氏(53歳)。昨年は中国政府に対して人権護持求める「〇八憲章」を発表。奇しくも国際人権日の前日に当局に身柄拘束されたも の。でそれが一昨日「煽動顛覆国家政権」の嫌疑ありで逮捕される。基本的人権であるとか表現の自由を求めただけで「国家顛覆」と判断することぢたひ、つま り人権も表現の自由もない国家である、と言つてゐるも同然で実にわかり易い(嗤)。これについて昨日の信報社説が実に見事な指摘をする(以言入罪怎麼走向 現代化)。
改革開放以来、中国は法律と法制の改善と合理化を進めてきたが、そ の中の一つの特徴は「政治罪名」と「何が法律に觝触するか、の中身(法律觝触)」を区別した(してしまつた)こと。中国の刑法(第105条第二項)に煽動 顛覆国家政権罪があるが、これで言へば、具体的な行為(国家政権の顛覆を企図した行為)を起して初めて、その刑事責任を問はれる。何も武器すら所持せず背 後に組織もない一個人が普遍的価値としての「人権」を求めただけでこの法律を適用するのは間違つてゐる。だが現実には煽動顛覆国家政権罪は「以言入罪」 (何か言へば罪)なのだ。もはや煽動顛覆国家政権罪の罪名と実際の内容が全く別のものになつてゐる。2003年に基本法23条による国家安全条例の立法化 に香港市民が反対した時も、焦点は「意志の表現は無罪」であり「何を以て煽動とするのか」であつた。中国にとつて言論に制限があり思想の禁区(タブー)が あることは中国が今以て尚、全面開放を受入れてをらぬ後遺症だらう。上海が国際金融センターになるといふ構想も香港にとつては脅威だが(かうした人権や表 現の自由への制限がある限り)まだまだ国際スタンダードに至らぬ問題多いだらう。
……と信報社説。御尤も。

六月廿五日(木)諸事多忙のまゝ日が暮れるが連晩お座敷かゝり今晩は鏞記酒 家に知己の方六名と晩餐。この季節、冬瓜のスープと清湯牛腩が美味。夏は焼鵝は今一つと言ひつゝ食べたりず焼鵝も半羽。食後にFCCに談し 半夜三更に至る。

六月廿四日(水)NY Times で香港から Philip Bowring氏の“Iran's Chinese Lessons”が今回のテヘラン騒乱と中国の天安門事件を絡ませて興味深い。さすがに少し宿酔感あり。でも引き続きお仕立仕事 忙しく宿酔も気にしておれず。早晩にHappy Valleyで足脚按摩。でかなり久々に今季最後のHappy Valley競馬場開催となる競馬観戦。Veuve Clicquot一本携へ某銀行のボックス席にA夫妻、M夫妻とZ嬢。葡萄酒は新西蘭産のSauv BlでAstrolabeの08年と、一番人気馬が安定して勝ち続けるなかアタシが買つた馬券があんまり的中しないので豪州のShirazで Killerman'sの06年。昨晩、見城でお見かけのS調教師も一勝、今季見事なデビュー飾つた蔡明紹(Matthew Chadwick)騎手も二勝したのに。それでも今季最初で最後のHappy Valleyの競馬観戦はやはり楽し。

閏五月初一。晩に尖沙咀。Holiday Inn Golden MileでS氏と待ち合はせ。このホテルのロビーで爆弾爆発で死傷者出たこともあつたなぁ、と思ひ出したがもう20年近く前のことかしら。S氏が常連でア タシはかなり久々に鮨の見城。入るなりカウンターにS調教 師。やつぱり朝が早いから八時には店を出られた。知己の方数名に邂逅。それから卡拉OKクラブのに飲み深更に至る。
▼蘋果日報に銃不法所持者の裁判開廷で「槍客奉命刺傷李柱銘 身懷黎智英照片住址」と蘋果日報。李柱銘氏が立法議員であつた当時の議員事務所の住所など書かれたメモと、蘋果日報黎智英社主の顔写真と一緒に黎氏頻に往 く食肆のメモ紙あり。白色テロルのやうだが大陸からの刺客だが裏に政治的背景なし、と言ふ。で食通の黎氏ゆゑアタシの覚えに綴れば黎氏常連の食肆は天香樓 杭州酒家、九龍福臨門、稲菊日本料理、阿一鮑魚(富臨飯店)、鯉魚門海皇園林酒家。ペニンスラホテルのGaddi'sはこれに列挙なし。ところで中環に鮨 喰(Sushi Kuu)なる鮨屋あり。この蘋果日報の記事によれば黎智英氏の息子の経営で李柱銘氏も常連の由。この鮨屋を唯靈先生が二月に信報連載で紹介していてアタシ はてっきりこの肆と鮨久を混同していたがこれはアタシの大間違ひ。Wellington街の寿司喰Sushi Kuuが黎智英氏子息の経営で、銀座久兵衛を彷彿させるWhydham街の方が鮨九(Sushi Qube)ということ。

六月廿二日(月)仕立物もどうにか明日のお届けに間に合ふかしら。早晩に湾仔の再興焼臘飯店で叉焼飯と例湯、でHK$28は本当にお値打ち。例湯も本 当に最後の一掬いまで飲みたくなる美味さ。
▼ランタオ島芝麻湾の「麻薬に溺れた学生を甦生させる」正生書院の梅窩移転拒否問題。梅窩の住民集会に出れば住民らの罵声怒濤浴びるを承知で学生に覚悟さ せ面を顕にさせた陳校長の策略は見事に功を奏し輿論が(佐藤卓己先生的には)「若者たちの救済」の社会的道義として輿論となりつゝあり。尊子の一コマ漫画 は「リサイクル」=甦生施設作らうとする陳校長に対してゴミ処理場作られるを迷惑とする近隣の住民。
▼まづは東京新聞の北京から平岩記者の記事。伊蘭での大統領選をめぐる不正追及がデモ隊への発砲事件に発展したテヘランの情勢を「中 国が独自報道禁止 民衆の『天安門』想起恐れ」と伝へる。ネットでは深く読めないが東京新聞よく讀む築地のH君の話では「改革派」はむしろ旧世代 の伊斯蘭体制保守派で、「保守派」が改革派である、といふのが東京新聞の指摘なんださうで、ムサビ「元首相」は伊斯蘭体制全盛の首相時代(1989年ご ろ)バン/\反対派を弾圧の由。いまテヘランの街頭に出てゐる反対派とムサビ派は同床異夢で、司令部もなにもなく、ラフサンジャニ氏が「改革派」の黒幕だ としたら、これは旧世代の「巻き返し運動」が民衆の不満を利用してゐる、といふ構図だ、と言ふ。さう聞くと慥かに天安門事件が、改革派が民主運動を利用し て、といふ説や、反対に、保守派が民主運動を利用して改革派に打撃を与へようとした説を彷彿させるわけで、すると平岩記者の「北京が伊蘭報道に敏感になつ てゐる」理由がわかるやうな気がしたり。

六月廿一日(日)夏至。朝、北角を通ると琴行街の行列の出来る、尚更週末には行列の長い「鶏蛋仔」といふ焼き菓子の店が、さすがに朝の十時過ぎに焼き菓子 を喰ふ客も少ないのか朝の開店間際だからか一人待ち客がゐるだけ、で「並 んでまで」といつも思ふ焼き菓子を買つて頬張る。慥かに昔懐かしい素樸な味だが十数分並んで買ふ?といはれたら疑問。だが店を大きくするとか焼き菓子の電 気オーブンを多くするとかせず客が並んでゐても一人の焼き手が三台の焼き器でゆつくりと焼いてをり、で行列が絶えないことが、むしろマーケティングの上手 さなのだらう。日曜だといふのに週明け迄に済ます仕立物の仕上げ仕事。午後遅く整体按摩に行く途中、香港墓地に掃墓の人少なからず。父の日で亡父の掃墓と はアタシのやうな不孝者からするとたゞ/\敬意。整体のあと午後六時前だといふのに夏至で太陽はまだ高くライカを持ち歩いてゐたので日暮れに影も延び面白 い写真でも撮れるかしら、とヴィクトリア公園を歩く。公園内の公営プールにプール見下ろす食肆&バーあり。二人の常連の爺さんが涼むだけの、閑かなその肆 のテラスでステラを二杯ぐいぐいつと飲む。帰宅しても午後七時半過ぎまで外は明るい。こゝ二、三週間、書籍をほとんど読んでをらず。で手許の雑誌や溜まつ た新聞の切り抜きなどずつと讀む。雑誌などきれいになくなりかなり落ち着く。届いた瞬間に読まう!と思ふくらいぢやなければ定期購読は危険。新聞も数紙減 らしてどうにかその日のうちに読める分量となる。あとは時間の使ひやう。
▼一昨日だつかか取引先の銀行より電話あり。当座預金が残高不足で小切手落ちず入金してください、と。小切手の不当りは御法度だが付き合ひの長い銀行で連 絡があるとその日のうちに入金すれば良かつたので、ついお気楽だつたが「これから残高不足の場合は手数料でHK$60いたゞくことになりますので。今回は 猶予いたしますから」と。だんだん世の中せちがなくなるわひ。
▼香港政府の規律部隊=警察、消防、税関や入出境管理局などの所謂「制服組」の公務員が本日、給与据置きの措置に抗して約二百人が市街をデモ行進。日本で は考へられぬだらう、が香港では公務員とて待遇改善要求の自由は当然、ある。これで士気が下がるとか、市民の規範たるべき公務員が、とは誰も言はぬ。
▼先週末のFT紙のLunch with the FTが伯林フィルの指揮者Simon Rattle卿を仏蘭西郊外の、まるでセザンヌの描く風景のやうな田舎屋に尋ねてゐるが、これが面白い。英 国人としてのサイモン卿の独逸人観、といつても伯林フィルもかつての安永徹氏に続き樫本大進君がコンサートマスター務めるわけだし伯林フィル=独逸人ぢや ないが、やはり芸風として当たり前だが「国籍を超えて独逸」だらう。で些かステレオタイプな独逸人観ではあるが
“Germans have an understanding of history and cannot allow themselves to forget it. It may be a curse but in some ways it’s a blessing. It makes them cautious. American economists can’t understand the German fear of inflation and the effects of inflation when dealing with the world economic crisis.
“They wonder why Germany pursues such a different course – ‘Why can’t they agree with us?’. I would have thought it was fairly obvious. These are intelligent people but they show a lack of historical awareness [of the inflationary pressures that brought Hitler to power].”
と語るSimon卿、で
How does this affect his relationship with the orchestra? Language plays a huge role, he replies. “German sounds so clear and articulated but it’s not allusive. My language teacher came to some of my rehearsals and told me afterwards that I didn’t know how to talk to Germans. “You can’t say vielleicht [perhaps] and ‘don’t you think that ...?’. They have none of our layers of politeness, and you have to be careful how you use humour, because Germans often take irony as sarcasm.”
との指摘はなるほど、と思ふ。ところで“Don't you think that...?”でふと思ひ出したが昨日ペニンスラホテルのGaddi'sに食した折、黒服の地場の給仕も仏蘭西娘の給仕もメニューを選んでゐると、と 言つても料理を選んでゐるより三鞭酒でたゞ酔つてゐると言ふはうが正しいが、お勧めの料理を勧める際に二人とも近寄つてきては“Why don't you order あれこれ?”と語りかけるのだつた。それが「今日のお勧めは」を意味する慣用文句と言へばそれまでだが“Why don't you order あれこれ?”と言はれても「そりや、メニューにない特選の料理だらうがっ!」と「どうしてメニュー見てゐて書いてないそれが頼めるのよ」と思つてしまふ。 どうもその“Why don't you....?”といふ慣用句が、ジムでの会員勧誘とか自動車セールスとか、さういふ、どうしても「もと/\購買の意慾も必要性もないものを売りつけら れる」時に聴くフレーズ、といふアタシにはさういふ印象なのだ。……なんだかSimon Rattle卿の独逸人観とは全然違ふ話になつてしまつたが。

六月二十日(土)台湾から福建省に抜けようとする颱風の影響かしら無風で蒸すばかり。こゝ二、三日の疲れか冷房のせゐか鳥渡、感冒気味。いろいろ机まわり 片づけ昼にZ嬢とペニンスラホテルのGaddi's料理店に 食す。食前にペニンスラのBrutを一瓶供され「お飲みになりますか?」と給仕に尋ねられたのも二人でなら、お持ち帰りの客の方が多いのだらう。でもその 三鞭酒をZ嬢と白アスパラガスの前菜の頃には飲み干してしまひ良い気分。グラスで新西蘭のSelaksのSauv Blを一杯。仔羊のフィレも前菜同様Z嬢と半分づゝ、が極めて美味。ペニンスラのPinot Noirを一杯。でチーズ。いろいろ四方山話して食事してたら早や三時間。蘋果日報社主、黎智英氏の尊顔に拝す。Z嬢と「赤葡萄酒用のクリスタルの酒盃を 賈ゐませう」といふ話になりChristofle商店を見るが今一つ。フェリーで中環に渡り無風で暑さ厳しいなかエスカレータ上りオリンピアグレコ珈琲店 に珈琲豆購ひ中環に下り今度はBaccarat商店で酒盃を見るが気に入つたのがあつたが今日は見るだけに留まる。もう六時で帰宅。暑さにやられて暗くな るまで一寝入り。起きて揖保の白糸を茹でゝ食す。無風のまゝ晩に至り暑さそのまゝ。今日、中環のHMWで購入のNarciso Yepesのギター演奏は独逸グラムフォンのCDでアランフェス協奏曲とサルバドール=バカリッセのギター小協奏曲イ短調、Odon Alonso指揮、西班牙放送交響楽団の演奏を聴く。アランフェスをアタシが最初に意識して聴いたのは富田勲のシンセサイザーによるものだつただらう。で 高校の時に同級生の、Charを神様のやうに尊敬している仲の良かつたバンド少年のK君がジャコの加はつたヱザーリポートのLPと一緒に頼んでもゐないの に「聴いてみてよ」と貸してくれたのがこのヰエペスのアランフェスだつた。Charとヰエペスを聴いてしまふK君にとても驚いて彼を敬した。そのCDを突 然見かけ、なんだか突然その頃が懐かしくなり購入した次第。
▼福建省の永定、南靖、華安などに群集、あるいは点在する客家獨有の聚合住宅「土樓」がかつてひつそりと佇んでゐたものがユネスコの世界文化遺産となつた 結果がこれ。遺産として保存するはずが寧ろ破壊的情況はご立派。まだ観光開発される前の画像は現在常滑に住まわれる畏友K君が1998年だかに訪れし頃。 この変はりやう。
▼中国がGoogleの中国語サービスに対して海外サイトへの接続不可を要求(FT紙週末版一面トップ)。中国のサーチサイト百度(Baidu、CEOは Robin Li)は楽曲の不法ダウンロードや未認可医療サイトなど整理した結果、当局の求める内容となり一先づ安泰の由。
▼十七日(水)朝日新聞オピ欄への辺見庸氏の寄稿「犬と日常と絞首刑」やうやくゆつくり讀む。死刑といふ制度が日常の当たり前のやうに社会に滲透してゐる 日本の態を氏は「天皇制と同様に」一木一草、はては人々の神経細胞にまでぢつによく融けいり……と指摘する。興味深い<死刑と社会>の記述ではあるが、そ もそも天皇制を「一木一草に宿る」とすることじたいに近代の誤謬が潜んでゐるはず。明治にならうとする頃から半世紀足らずで日本社会に組み入つたのが天皇 制なるもので、そもそも日本「社会にとつて」は天皇制など伝統でもなく近代に氏のいふ「ジャパネスクな文化」になつたものでせう。それに比べ死刑は氏の指 摘にもあるのは「地球上のいたるところですでに法以前の自然の掟として存在してゐたらしい」のなら、その死刑を語る時に天皇制を持ち出すのはアタシはちよ つと修辞が過ぎる、と思ふ。

六月十九日(金)早朝から今日中に済ませねばならぬ仕立てしごと多し。文字通り息つく郤もなし。どうにか仕上がつたものメールで届け一旦帰宅し針箱など置 いて早晩に西湾河。太安樓で基記水電工程の牛雑を一串立ち食ひと思つたら賣つてをらず。水電工 程で牛雑賣ることが食品衛生署の指導でも入るのかしら他の屋台は営業してゐるのに。さういへば去年も夏の頃は終ゐ。流儀か。一つ筋違ひの屋台で牛丸串頬張 る。美味い。がビニール袋に入つた煮る前の串に刺された牛丸が何十本も数時間そのへんに放つとかれるのを見ると暑いさなか「ちよつと危ない」と思ふ、新型 流感よか、ずつと。それにこの周辺、最近は嘉亨灣だの逸濤灣だの沿岸の聚合住宅に住まふ日本人多く、太安樓界隈でおち/\汚い買ひ食ひも躊躇ふ。Z嬢の話 では嘉亨灣、逸濤灣の邦人ご夫人方の間では太安樓の中を通り抜けられるか、買物が出来るか、が西湾河の「地元通」の度合ひなのださうな。其処で立ち食ひな ど言語道断か。Z嬢と待ち合はせ二記飯店。この食肆も太安樓 にあるがいつから揃ひの食肆のネーム入りのポロシャツなんて着るやうになつたの?、英語メニューまであり。相変はらず早い時間から満席。電影資料館で新藤 兼人監督の「裸の島」観る。廿年ほど前 にNHK放送センターの部外者禁の映像資料室で観たと記憶するが銀幕では初。この映画に今さら何を語らう哉。林光の音樂。独立プロダクションのこの映画が 川喜多かし子の力もあり「1961年のソ連」でモスクワ映画祭でグランプリつてのが何とも素敵。この映画に社会主義リアリズムつてのが応へてしまつたのだ らう。でもあらためて見るとマルクスといふよりウェーバー的。ソ連で思ひ出したが旧レニングラードのサンクトペテルブルグを先日訪れたチヨートク先生、こ の「フィンランド湾に面した水の大都」を「まさに歐州を蒸溜したやうな露西亜の美都」と喩へていらつしやる。チヨートク先生はアタシがいたゞいたメールの 中でマカオを「偽リスボン」なんて呼んでゐたが、それくらゐだと笑つてゐられるがサンクトペテルブルグを「歐州を蒸溜したやう」なんていはれてしまふと、 もう「ほかにサンクトペテルブルグをどう喩へられるのかしら」と思ふ。そして上等の美味いウオトカが飲みたくなる。

六月十八日(木)バンコク在住Y氏来港で「古へを訪ねて」で尖沙咀の新大壽(New Kotobuki)日本料理に食す予定が、ちよつとネット環境にゐる必要がありFCCでのお食事にしてもらつたが出向かうとする矢先に急な仕事入りドタ キャン。対不起。で急な対応済ませ一段落したところでご一緒のS氏と二更に「自然や」。Z嬢も来て夕食。帰宅後深更まで明日までに仕上げる針仕事の夜業。
▼今日の蘋果日報の尊子の一コマ漫画はマカオの二代目行政長官選挙。初代より更に能力には疑問ありさうな官立候補で対立候補が出る隙間すらなく出来合ひの 官製選挙を皮肉る。
▼北朝鮮の「金正日総書記の三男」の正哲君の訪中、朝日新聞(峯村記者)のスクープ受け韓国のマスコミでは正哲君がマカオ在住の兄の正男さん殺害を企み中 国公安当局が事前にそれを察知し正哲君側に自制を働きかけるとともにマカオで正男さん周辺の警戒を強め正男さんは身の安全のため中国々内で隠遁中なんて報 道もあつたが、今朝の朝日新聞では峯村記者が昨日で訪中を終へた正哲君が北朝鮮に戻つたとして訪中ルートなど明かすとともに北京でのこきんとー国家主席と の会談には中国政府幹部に太いパイプをもつ正男氏も同席、と伝へる。それにしても北京からの北朝鮮報道では朝日新聞がかなり強く他が海外紙も含め「日本の 朝日新聞によれば」と追従記事。拉致問題さへなければ平壌支局開設も実現してゐたのかしら。朝日のこのスクープを讀賣新聞(関記者)は中国外務省(復報道 局長)が「これを「中国側は、この件に関する情況を承知していない」と述べ、事実上否定」して、環球時報(英語版)も一面トップで北京の北朝鮮大使館員が 報道について「そのようなことは聞いたことがなく、まったく根拠のない報道だ」と否定してゐる、と報道してゐる、と紹介し、讀賣新聞は
中国メディアが北朝鮮当局者に直接取材し、外国メディアの報道を全 面的に否定する内容を伝えるのは極めて異例。報道の内容を否定しようという中国当局の意向も働いているとみられる。
と指摘。讀賣は朝日のこの報道を否定したいのか中国の事実否定の躍起を伝へたいのか今一つ釈然とせず。そんななかで東京新聞の平岩記者がネットには出てゐ ないが、東京新聞(平岩記者)は報道副局長が事実を否定しなかつた、回答を避けたことつき「東洋的婉曲表現では通じないやうなので、はつきりさせておく」 として、明確に朝日報道を否定した、と報道の由。で毎日新聞(浦松記者)は更に副局長が
「日本の方々は東洋の含みのある言い方が理解できるに違いないと 思っていた。まだ理解できないようなら今日はもう一歩進めて事をはっきりさせる」と前置きしたうえで、「私も関係メディア(朝日新聞)の報道を読んでみた が、まるで『007』の小説のようだと思った。彼らが次のシリーズで何を書くのか、私には知る由もない」と述べた。
とまで発言、と紹介して、朝日新聞(広報部)のコメント
ご指摘いただいた北朝鮮についての一連の報道は、確かな取材に基づ き記事にしたものです。
まで載せる。俄然面白くはなつてきたが正哲君は北京に来て胡錦涛君が会つたのか会つてないのか、正男君はマカオからやつて来て同席したのか、韓国の報道に よれば暗殺されさうになつたのか(笑)。アタシは正哲君は来た、と思ふ。が朝日に対する他紙が中国政府の見解と中国メディアの報道紹介するだけで朝日のス クープ否定する取材報道が出来ぬのがつらいところ。

六月十七日(水)ちよつと気分良きことあり早晩にFCCで三鞭酒を一杯だけ独酌。湾仔でZ嬢と待ち合はせネパール料理のHimalayaに食す。先週水曜に引き続き香港演芸学院で同学 院の学生による音楽会。相変はらず主劇場では「猫」劇上演中。今晩も演芸学院のオケを指揮するはPerry So君。楊青なる作曲家の中国の笛の協奏曲「蒼」に続きアレクサンドル=アルチュニアンのトランペット協奏曲、シューマンのピアノ協奏曲イ短調Op.54 (ピアノ:宋沛樟、で中入後はモーツァルトのバスーン協奏曲、ドリーブ(Clément Philibert Léo Delibes)の歌劇ラクメ(Lakmé)から「鈴の歌」、で最後はベートーヴェンのピアノ協奏曲二番。シューマンを弾いたPeggy Sung(宋沛樟)に華あり。トランペットのMan Hay(文曦)君も頑張つて本番で力を出し切つた、といふ若々しさがアタシら年寄りには何とも感無量。ラクメを歌ふRicel Guiman(紀文)といふソプラノも香港にこんな声楽の若手がゐたのか、と驚きZhao Ning(趙寧)もベートーヴェンの二番、ピアニストにとつては若い弾き手向け、器量問はれる殊に第一楽章を、キーシンが年齢的にはぎり/\かしら(でも アルゲリッチは別……笑)、これを伎倆的にはまだ/\伸びるだらう弾きつぷり。先週の演目の方がずつと期待してゐたが終はつてみると地味な今回の方がソリ ストもずつと良かつた。
▼法輪功のあつと驚く北京中南海包囲から早いもので10年余。法輪功によれば10万人が禁錮や再教育施設に収容されてをり、この10年で3,200人(昨 年だけで100人)が中共の虐殺により命を落としたさうな。どうも中共と法輪功の関係はよくわからず。先日のNY Timesの報道では1999年4月25日のあの17万人だかによる中南海包囲のまへは中共と法輪功の蜜月時期が続き前年だつたか中国の在紐育総領事館主 催だつたかの中国文化紹介のイベントで法輪功が気功をお披露目もしてゐたとか。

六月十六日(火)晩に銅鑼湾。天よしに公務員S氏、某大学N 助教授、Z嬢と天麩羅を食す。
▼香港でNHKのNW9風なら若いレポー ター が澁谷とかカメラ目線で歩きながら「若者に広がる麻薬濫用ッ!」と言ふのでせうが香港でも言はずもがな若者の間でK仔とか気軽なドラッグが普及。でそ れも名門校の学生とかにスポット当る。尊子の一コマ漫画もいくら大人が「麻薬禁止」といつても気軽におクスリ手に入る環境ぢや、と。ランタオ島の芝麻湾の 辺鄙な土地に正生書院といふキリスト教系の麻薬で問題おこした学生のための全寮制の学校あり。校長がなか/\良い奴(写真)で朗らかな校風で麻薬に限らず 所謂「問 題のある」学生がやり直す学校として人気あり70数名が定員のところ百数十名超える超過密情態。で政府とかけあひ同じランタオ島で梅窩の休校中の公立学校 施設の貸与が検討されるが梅窩の住民が「麻薬に汚染された学生たち」の来襲に猛反対で住民集会開催。会場には正生書院の多くの学生も来場しみづから地域の 理解求める姿は新聞やテレビにも姿を曝し何とも立派な勇気に思はずアタシも感極まるものあり。
▼朝日新聞が北朝鮮の「金正日総書記の三男」(以外に呼称のない)金正雲君が特使として訪中とスクープ。広州、深圳まで来られた由、なら北朝鮮とは縁深い マカオは訪れなかつたのかしら。マカオには兄の正男氏の寓居もタイパ島にあるといふ噂。今にして思へばその住宅地、マカオがカジノブームになる前にZ嬢と 黒沙海岸から昼食後に散歩してゐたら突然、銀行の営業マン現れ不動産購入勧められ「頭金もない」と断つたら「頭金ゼロでも購入の不動産を担保に融資しま す」と。「たら、れば」だがあの時に購入してゐたらカジノバブルの時に売約すればかなりの収益になつたらうし正男さんの隣人になれてゐた鴨。

六月十五日(月)
▼お笑ひといふのは「面白いネタ」を考へるより、誰かが真剣に考へたことが滑稽である時ほど面白いものなし。SCMP紙読んでゐて大笑ひ、は今月四日の六 四追悼二十周年で香港での晩会に主催者側発表で15万人+場外に5万人と発表 のところ警察は6.3万人と発表。後の香港大学の集計予測では10.8〜13.2万人。警察=政府当局が意図的に少ない数を発表してゐると批難あり。で懸 念されるは七月朔日の香港返還紀念日恒例の市民デモ。2003年の50万人デモには到底及ばないものゝ時節柄かなりの参加者が期待されるところ。政府当局 もこの参加者をまた小さく出しては何を言はれるかわからず、かといつて対応に苦慮するところ。で何を考へたのか政府筋は、昨年が主催者側発表で4.7万人 だつたのに「今年は10万人か、それ以上の参加と予測」と打ち上げ花火(笑)。昨年の主催者側発表の倍以上としておけば、かりにこれ以上参加しても政府は 「想定内」と言へるであらうし10万人下回れば更に御の字。なんとも北京中央も「まつたく香港の特区政府つてのは……」と呆れるであらう、小役人的な場当 たり対応が可笑しいかぎり。
▼最近日本の雑誌で定期購読はアサヒカメラと日本カメラの二誌になつた。かつては噂の真相とか月刊東京人、月刊太陽や芸術新潮までかなり購読してゐたが。 で銅鑼湾そごふの旭屋書店では800円の雑誌が円高もありHK$100也。今日はHK$1=12.7円くらゐだらうが旭屋レートはHK$1=8円といふわ け。かなり割高の気もするが例へば日販系の海外居住者對手の書籍購入サイト(ジャパンクラブ)だと書籍は店頭販売価格+送料なのでお得さうだが800円の 雑誌にカメラ雑誌は重たいのも難だが船便でも送料は540円で計1340円。すると微妙に旭屋の方が安い。しかも日本での発売日から一週間くらゐだし。
▼さう言へば昨日、FCCの前で不法路上駐車とバスの不通を綴つたが、その直前にとても驚く光景あり。休日に彼女とか連れモデルのやうに写真撮影してゐる カップルはけして珍しくないがFCCの前でちやうど通りかかつたカップル、その男の方が携へるカメラが遠くから見てもレンジファインダーで、黒いボディ。 一瞬、いかにも御曹司然とした若者がM8で気取つて、と思つたらMPだ。35mmのズミクロン装着でGパンのポケットにセコニックの露出計。それだけなら 驚かないが、恐れ入谷の鬼子母神、なんとMPを素手で、ベルトもストラップさへも付けずボディにレザーカバーをするでもなく、本当に而も片手でたゞボディ を持つて歩いてゐるではないか。こんな、まるでキャノンのオートボーイを持つやうな油断つぽいライカの持ち方をアタシは初めて見た。せめて両手でもつだら う、歩いてゐる時でも。その持ち方に驚き思はず見入つてしまつたが若者はジヽイが自分のライカMPを羨ましさうに見てゐる、と勘違ひしたやうだ。

六月十四日(日)朝は晴れたがいつお仕事になるか判らずO君主宰の馬鞍山へのトレイルは不参加。昼にかけジムで有酸素運動と筋力運動各一時間。ジムを出る と下雨。鰂魚涌の金峰靚靚粥麺が日曜午後といふのにちよつと 空いてゐて及第粥食す。美味いね。夕がたFCCのバーに一飲。FCC出てくる と渋滞で何事か、と思へば路上駐車の車の所為で路線バスが通り抜けられず立ち往生。実はマメに切り返せばぎり/\通り抜けられさうだが路線バスもこのテの 路上駐車に日ごろ甚だ不満なのだらう。敢へて譲らずで警察が来て騒ぎとなるのをアタシも暇だからずつと眺めてゐた。晩にテレビの本港台(亜洲電視)で「香 港亂噏」といふ、芸人が各界の著名人に扮し時事問題言ひたい放題に語る番組。今晩のネタは「新型流感の休校措置」。司徒華や梁「長毛」國雄、著名風水師な ど似てゐてかなり可笑しい。がいちばん可笑しいのは学校が休みになつてしまつて暇で暇でどうしやうもない子どもらがテレビ局のスタジオにまで溢れ討論番組 なのにコメンテーターの後ろで大騒ぎして遊んでゐる、といふ、それだけなのだがこれが最高に可笑しい諷刺そのもの。でこの番組、局のサイト見るとちやんと 「この番組は台湾でとてもウケてゐる「全民最大黨」を下敷きにして製作したもの」と、それが言ひ訳ぢやなくて宣伝文句。あっけら感が佳い。
▼千葉、県知事が森田健作君で、なんだかその青春ドラマの生徒役のやうな若輩が千葉ほどの大規模な政令指定都市の首長に。31歳ッてのはトップはトップで もせいぜい船橋郊外のファミレスの店長だらう、ふつう任されるのは。代議士になりたい場合、大切なことはたゞ一つ=松下政経塾を出て、アイドル人気のある 出来る限り若いうちに博打に出ること。そして政治家として最も大切な「時代を読む力」はどうやら当世では自民党か民主党か、といふ選択は今夜はファミレス で「ハンバーグにしようか、ビーフカレーにしようか」くらゐの選択だらう。国会議員は小泉チルドレンの現実を見れば当選三回でもするまでの不安定さあり首 長こと狙ひ目。最大でも二期で国会議員、しかも参院、で利権でどろ/\、永田町のデスマッチはごめんなさい、で大学で政経分野の教授職を得る……なんての が将来像。次は二十代女性の政令指定都市市長誕生かしら。
▼歌舞伎の桜姫東文章を中村屋がコクーン歌舞伎で現代劇として上演中の由(長塚圭史脚本、串田和美演出)。朝日新聞に大笹吉雄のかなり辛辣な劇評あり。ア タシは歌舞伎の芝居を今更現代劇で見たい、とは思はないが南北の、しかも東文章なんて……。
▼だいたい日本人が「伝統」とか「日本的」なんて信じちまつてるものにかぎつて明治の、それも明治二十年代くらゐから意図的に「日本的」とされたもので、 それを数十年ですつかり「日本の伝統」なんて鵜呑みに出来るところが日本の寧ろ「日本的」なところでせう。近代革命を経験するかはりに全く逆の「この国の かたち」を明治政府の創作した出来合ひのもので取繕つて。文藝春秋的な程度であるとか自民党の代議士のオトーサンたちや都知事が信じてゐる「日本」なんて ものはこの程度のもの=共同幻想。今日、朝日新聞の書評で紹介されてゐる「正坐と日本人」(丁宗鐵著)で「正坐が一般化するのは明治期で、明治政府が近代 日本人を形成しようと自己を律する武士道の象徴としての正坐を広めた教育の成果」と読み(書評子は江上剛)正坐までさうだつたの?とさすがに驚いた。かう して考へると盾の会の軍服を著て日の丸の鉢巻をして畏まつて正坐してゐる三島由紀夫がいかに非伝統的な、つまりいかに「明治期から作られた日本像」の一つ の典型なのか、といふこと。

六月十三日(土)朝から晴れたかと思へば通り雨で亦た晴れる。アタシが死んだ時に葬式は要らぬがバッハのゴルトベルグ変奏曲、それも絶対に高橋悠治さんの 演奏のゴルトベルグだけは流してもらひたひ、と土曜の朝からその曲を聴いてさう思ふ。昼前にジムで筋力運動。 昼に自宅で先週末に尖沙咀の印度商店で購つた印度製の日清カップヌードル食す。アルフォンゾマンゴーも、まう季節終ひ。夕方にAVOHK主催でBowen Rdにて2009 Malcolm Phillips 5km Memorial RunありAVOHKの催事いつも申込むばかりで出る機会逸し今日こそと勇み湾仔のKennedy RdよりWanchai Gapを思ひつきり登つたら電話で急な外来が入つたので「先生、すぐにお戻りください」と当直の看護婦。スタート手前300mのこゝまで来たのに、で無念 ながらK氏ら知己の参加者の応援に残るZ嬢と別れWanchai Gapを下り日没までご執務。仕切り直しでZ嬢と西湾側のJなる横丁の食肆。Z嬢が聞きつけてきたもと/\は鍋屋だが鶏 肉料理よくする由。慥かに鶏腸の炒め物も正肉と鶏レバの煲も上手い。とんでもなく小汚い肆だが上手ければ全然よい。かなり満足(で店の名は匿す)。食後に 路道裡の猫と遊び明記糖水で芝麻糊+緑豆沙の汁粉を頬張る。
▼東都の好事家T君より一山一寧のと言はれる書。元の国使として来朝、北条貞時と後宇多院の帰依を受け日本に没せし高僧の話して直筆か、は置いてをゐて 「啼鳥」の五言は判読し難きところあり、と扶け請はれアタシがわからう筈もなく香港大学博物館のY館長に託し専門家に読んでもらふと王維の「從岐王過楊氏 別業應教」で
楊子談經所,淮王載酒過。興闌啼鳥換,坐久落花多。
徑轉回銀燭,林開散玉珂。嚴城時未啟,前路擁笙歌。
下世話に酒場で譬へれば「東都のジュク、といふよりか大阪のキタ」かしら。
▼今日の信報に劉達文といふ人の「我為劉千石辯護」なる投稿あり。先日、六四の廿周年にあたり香港で中国民主化に関はつてきた人で誰の話が聞きたいか、と いふことを考へたとき、もと香港駐在の新聞特派員であつたM氏が挙げたのが劉千石で、なるほど、とアタシも納得したが如何せん知名度的には香港を除くと劉 千石はあまり知られた名ではなし。ヴェテランの労働運動、民主化運動の活動家だが九七年以降、広州に住まふ病身の老母に一目会はうと民主派の中では中国入 境証を珍しく得られ、また千石の政治的姿勢が中共寄りとその「変節」批難され最近は民主派の中でもかなり低調にこそ見える方。この投稿で言ふのは許家屯の 回想録にもある通り、香港基本法の起草委の人選の中で民望高かつた劉千石の名もあがつたが「中共的には」民主化急進分子とされ、中道から左派で中共にも理 解あつた李柱銘と司徒華が起草委に選ばれたが六四後の両者の動きはこゝで言を要すまひ。で九七以降は千石氏が中共の政策に理解示し香港の急進的な民主化要 求などに次第に距離を置く姿勢が民主派からは叩かれたのだが方法論は穏便から急進まで幅があるわけで劉千石といふ人をたゞ批難して良いのか、この人の立場 の評価を考へ直すべき、と。御意。

六月十二日(金)雷雨。朝起きて玄関前に投げられた新聞どつさり収め、まづ眺める蘋果日報の一面トップほど愉快なもの他になし。今朝は「フィリピン人の女 中が雇ひ主の政府女高官を切りつける」と大見出し。本来であらばWHOのフェーズ六への引き上げや昨日の全港小学校幼稚園トンフル休校措置取り上 げるべきところ蘋果日報の矜恃としてインフル騒ぎを敢へて二面以降の扱ひとして(と、アタシは勝手に勘ぐるのだが)一面は全面使つて、この三面記事 (笑)。このセンスの佳さ、或いは悪さ。いづれにせよ、好き。晩に食事に誘はれアタシが鏞記としてゐたが新型流感の余波で客人よりお断り受けお流れ。 Simon Rattle卿指揮の伯林でマーラー九番聴きながら日暮れ。晩に丁望さんの「金庸與《明報》:回想録的一個輪廓」(信報財経月刊09年5月號に掲載)讀 む。金庸が創刊し中国報道と余暇の武侠小説が評判となり潘粤生、林山木(行止)、丁望、沙翁(倪匡)ら錚々たる筆者たち。1959年5月20日の創刊から 70年代までの明報の凄さただ/\想像するばかり。
▼香港藝術館にて特別展「路易威登 A Passion for Creation」に“Class War, Militant, Gateway”の展示あり招かれ初めて香港訪れしGilbert and George のお二方。その日記が先週のFT紙週末版にあり(Gilbert and George and Louis Vuitton, 30 May 2009, FT)面白可笑しく讀む。香港の何処だかの寺院参拝のお二人、その帰りにGeorgeさんが小用したく路上の公衆便所に入らうと車を止めてもらふと路傍の 地面に座り何かの種を噛んでゐた労務者の男二人のうち一人が便所に入つてくるなり裸の上に著てゐたオーバーオールの作業著を下し、すると下着すらつけてを らぬ素つ裸でGeorgeさんに“Come on!”と言つた、と。でその話を巴里に建設計画中の美術館 The Fondation Louis Vuitton pour la Création 設計した、この特別展にその模型展示あり同じく来港中のFrank Gehry氏に伝へると、八旬になる老建築家は“Yeah, great, I'm going to go and get coffee now”と喜んだ……とこの逸話をGilbert and Georgeのお二人はこの特別展での記者会見で記者を前に神妙な面持ちで(きつと、さうだらう)語つて聞かせたさうな。お二方らしい「はぐらかし」遊 び。でGilbert and Georgeのお二方、香港滞在中に何に呆れたか、とひへばDavid卿(鄧永鏘)の娘に招かれたthe China Clubでの夕食で“the most beautiful restaurant”なのに(つてこの評価にアタシは大いに疑問だが)客はno dress codeをいゝことに半ズボンとサンダル履きの米英の客たちの醜悪。いつも見事に背広着こなす紳士なお二方にはそりや許せまじ。だがチャイナクラブとはそ の程度の食肆よ。
▼一昨日綴つたやうに曽鈺成や曽憲梓など土共も口塞ぐなか行政長官・文革曽(つて「曽」姓ばかりだが親類縁者に非ず)は今週初めやうやく六四追悼で十数万 人の市民参加について発言。蘋果日報(十日)は
記者以英文問及他在燭光集會上是否扮演重要角色時,以英文欲表示會 尊重市民意願,但 respect(尊重)一詞只說了第一個音就口窒窒,其後誤將 respect念作 expect(預期),說成「 expect people's view」。
と伝へる。つまり英語での問答で文革曽は“respect”と口にしたが模糊/\と口籠り“expect people's view”と言ひ直した、と。さもありなむ、な話。だが、も一つ読んだ信報の記事は
行政長官曾蔭權昨天被問及有關六四燭光晚會的事宜,他強調,尊重港 人的看法,不評論事件。不過,期間發生一段小插曲,事緣這是一條英文問題,曾蔭權的現場回應為「Well I think we may, we expect people's views, and I have no comment to make on this matter.」但政府新聞處其後發表的新聞稿,則將expect(期望)改為respect(尊重),有指曾蔭權希望說respect,只是讀音不太清 楚,造成誤會,以為是expect(以下略)
と、蘋果とは逆に、まづ“expect”と発言したが、これは“respect”と発音したかつたが不明朗で“expect”と聞かへたもの。で政府のプ レスリリースでは“respect”と表記。両紙の報づるところ綜合せばrespectと言はうとしたが「不図い」と察しexpectとしたがやつぱり respectの方が良いんぢゃないか、と訂正、といつた話かしら。曖昧模糊な話。いづれにせよ文革曽の心中察すれば
物言へばくちびる寒し天安門
だらう。その今年の香港の六四集会。主催者側発表は参加者15萬人に対して警察は6.28萬と発表。その乖離に驚き今回は警察がかなり意図的に小さく発表 は明らか。香港大学の民意研究計画の計算では10.8〜13.2萬人の由。
▼鳩山君総務相辞任。首相官邸で辞表提出後、谷中に祖父の墓参。テレビのニュースで眺めてゐると一瞬、柏手打つたやうに見えお寺で?と思つたが谷中はお寺 多いが谷中霊園はもと/\天王寺の地所を明治初期に東京府が没収して造園の公共墓地だから「あ、神式か」と思つが、藤山一郎はクリスチャンだらう……郵政 の問題より更によくわからぬ。

六月十一日(木)夜明けころに一つ大きな落雷あり。目覚めてしまひ雨音聞きつゝ朦朧としてをれば落雷ぼつ/\激さまし雷神踊り狂ひ六時過ぎには窗の向ふは ただ白く濁るほどの大雨、が小一時間で小雨、の朝の大騒ぎ。日暮れに帰宅しタンカレーでマティーニ二杯。本日の狂乱は朝の雷に終わらず昼すぎ自称政治家行政長官 文革曽が記者会見にて全港の幼稚園小学校の明日からの二週間の休校措置発表。数日前に地場の中学で十六歳学生一人感染あり十一人だかの同學の者感染疑ひあ らば本日夫れ確証に至り、の措置なり。迅速といへばその通り、だが十代後半に最も感染易き新型流感で何故に幼児童が対象か、今一つ解せず。晩のテレビ ニュースでは新型流感を「社區爆発」と煽る。孫某なる教育局長、記者の質問に答へて曰く、幼子はマスク、鼻紙をだう使ふかも曖ろ、だから幼稚園、小学から 休校措置、と。六月の中旬とならば九月始業のワールドスタンダードならば学期末、小学なら休校措置も実質的には夏休み、で感染が最も危き十代後半はまだ期 末考査終はらず休校措置も出来ず、が本音だらう。だが小学でも学校によつてはまだ期末考査など終はらぬ場合は弾力的措置として学校独自の判断で開校もあ り、とまぁ曖昧模糊。ロールキャベツとマカロニサラダの夕食。ジャスコの安売で購つたChâteau du Moulin Rougeなる「いかにも」な名前の葡萄酒飲む。NHKの無節操無教養ニュース娯楽番組NW9は国連の北朝鮮核疑惑審議伝へ、これに抗する北朝鮮のテレビ 番組傍受画像流す、が何が驚いたつて平壌中央テレビだかの女性アナウンサーの独特のあのドス効かせた抑揚のアナウンスを日本語での通訳も口調から抑揚まで 声帯模写してみせNHK報道局の無節操無教養どころかバカさ加減に呆れて言葉もなし。東京の中央線高円寺界隈的な若者の芝居への取り組みを映せば「行き場 のない現代の若者たちの閉塞感」つてベタな内容。二十年前の大江健三郎が二十歳の頃も、五一五事件の頃も「若者たちの閉塞感」は便秘みたいなもの。まるで 昨日今日おきたやうに。今日の衆議院での憲法審査会に関する審査会規程が自公の賛成多数で可決されしことも「今の憲法の問題を検討するための」つてアンタ ら報道の中立性は何処に。最初から「今の憲法の問題を」と言い切つたらNHKも改憲勢力の片棒を担ゐでゐようが。これくらゐ偏向報道がよくぞ出来たもの。 文藝春秋七月号讀む。中国を信じられない「100の理由」なる特集。日本の保守層がこんなもの讀むで溜飲下げてゐるやうぢゃ「ケツの穴が小さい」だけ。還 暦のオヤヂも時代の閉塞感に苦しむ若者も所詮、同じ窩の狢であらう。
▼香港のこの全港小学休校措置に「この時ぞ」とばかりに香港鼠楽園が「夏休み到来」と6月いつぱい有効の入場券HK$250で発売。政府衛生局長が「休校 措置は夏季休暇とは違ふ」と名指しで鼠楽園非難。
▼昨日の日剰に綴つた左丁山氏指摘の馮某なる者の信報の記事は五日の信報に掲載の「天安門廣場屠殺「真相」」。これにつき八日の信報に「訂正」あり。馮某 曰く
一、文章開首八九年為原稿所無,編輯沒有留意,八九年《蘋果日報》 還沒有出來。
二、我原題目是〈天安門廣場開槍事件「真相」〉,但被改成(天安門 廣場屠殺「真相」)。我不用屠殺或屠城等字眼,原意是盡量呈現客觀真象,題目改了,就已有前設立場。由於我教的是新聞寫作,所以特別注意新聞用語,請諒 解。
三、文章刪去了一些關鍵字句。也許該版編輯經驗尚淺,其實我看到有 兩段都可以偷一行出來,那就可補回刪去的兩行。該兩行是在最尾部份,也影響了文章的結論—Perry也認為,開槍事件主要發生在木樨地和東長安大街附近。 Pery又引述Kristof說:「軍隊的確在天安門四周開槍,但他們並沒有向那些圍坐在紀念碑上的學生開槍。」
と。つまり八九年当時に蘋果日報が創刊されてをらぬ事実に気づかなかつたのは編集部の粗忽であり、この記事の原題は「天安門廣場開槍事件「真相」」であつ たものを編集部が勝手に「開槍」と改め、Kristofの文言はPerryなる学生からの引述で而も正確な記述部分が削除されたことで誤解を招いた……と すべて編集の粗忽に責任なすりつける無様なり。信報もかなり呆れたか、この馮某の訂正釈明のみ掲載し一切謝罪も意見もせず。

六月十日(水)晴。日本などに比べるとクレジットカードの利用頻度高き香港はHK$100(1200円)くらゐがぎり/\カード使ふかどうか、の判断か、 と思ひきや、HK$10の 顔の油とり紙買ふのにクレジットカード使ふご婦人見かけ驚く。店もちゃんと承り重ねて驚き。ドラッグストア系量販店で薄利多売、で3%くらいカード手数料とられ るのだろうに。早晩に湾仔。Queen's Rd Eastの某樓最上階のバー Hに銘柄失念のシャルドネ二杯。Z嬢と待ち合わせ北方餃子源に 食す。主人は山東省煙台の人。香港演藝学院。演劇庁にて猫ミュージカル興業あり“So nice!”としか言葉知らぬ観衆横目に同学院音楽科学生のAcademy Concerto Concertsを聴く。Z嬢が「意外と音響佳い」と評価のこのホールにアタシはお初。学生オケで指揮が香港フィルから Perry So(蘇柏軒)君。ショパンのピアノ協奏曲1番のピアノはRachel Cheung(張緯晴)で後半はワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」のHenk de Vliegerによる管弦楽用編曲物。Rachel Cheungはまだ16歳?だかで評するにも若すぎるが、きちんとは弾くがだうも一言でいへば「つまらない」。しかも曲がショパンの協奏曲1番はアタシに は「つまらない」。ショパンはやつぱり独奏曲よね、と思つてうと/\してゐるうちに了る。中入後のワーグナー。学生オケだと思へば出色の出来。ヴィオラの 首席と木管全般が聴かせどころたつぷり。どこからがペリー君の指揮者としての力量だつたのか初めて聴くオケでアタシには不明だがペリー君はデ=ワルトを今 の師とするわけで歌劇はこれから上手そう。
▼先日この日剰で紹介の、天安門事件六四の未明の一つの考察。天安門広場の学生が解散に応じ東長安街に出れば向ふから軍隊に追はれる市民デモ隊に前方塞が れ広場に押し返され軍は指示に従はず広場に戻つて来た学生に発砲……といふ節を紹介。信報に掲載の馮某なる嶺南大学社區学院講師による「天安門廣場屠殺 「真相」」なる記事からの引用。これにつき今日の蘋果日報で左丁山氏が烈し批判するは、この記事の中で馮某が「紐育タイムズのKristof記者は天安門 広場での学生射殺はなかつた、と指摘してゐる」として、事件当時に香港では明報と蘋果日報が広場での射殺があつた旨の報道したことが不正確、と指摘。アタ シはこの類ひの「南京大虐殺はなかつた」のは「何らかの衝突による殺害はあつたが市民無差別虐殺は云々」といつた言ひ訳的解釈に全く興味なく馮某のこの修 辞も無視してゐたが左丁山氏曰く、当時、蘋果日報は未だ創刊されてをらず(笑)黎智英が天安門事件に発奮し『壱週刊』発行すら翌90年3月のこと。でさす がにこの誤記には馮某も言い訳がましく八日の紙面で「信報編集部のミス」と責任転嫁で釈明の由。だが左氏が更に指摘するは今年6月5日の紐育タイムズをご 覧なさい、と。89年6月に同紙北京支局長であつたNicholas D. Kristofはは六四の廿周年にあたり“Bullets over Beijing”なる記事。巻頭から引用すれば、
It was exactly 20 years ago that I stood on the northwest corner of Tiananmen Square and watched “People’s China” open fire on the people. It was night; the gunfire roared in our ears; and the Avenue of Eternal Peace was streaked with blood. Uniformed army troops massed on the far end of the square, periodically raising their assault rifles and firing volleys directly at the crowd I was in, and we would all rush backward in terror until the firing stopped.
と。これを読めばKristof氏が天安門広場での学生射殺がなかつたなどと言ふはずもなし。御意。
▼香港での六四追悼集会の盛会が7月1日の香港特区成立記念日=恒例の市民デモに結びつくこと懸念し舌禍に易き親中派御用政党の曽鈺成立法議会議長、全人 代常委の土共・曽憲梓らだんまり決め込むなか歯に衣をきせず勇気ある発言はマカオのカジノ王たる何鴻燊(スタンレー=ホー)氏ただ一人。
(六四)已經係歷史,我真係唔識欣賞,咁都放唔低?六四等於歷史 History記來做乜呀?
と気炎をあげたり。

六月九日(火)アタシのところも会計検査院の09年3月期の監査報告も近く出づれば今年度補正予算案もあり忙殺されるまゝ日暮れ迎へ辟易と帰宅しタンカ レーのマティーニ二杯。鮪の中落丼食し菊正宗ぐびり。NHKの無節操無教養ニュース娯楽番組NW9はמאראקאמי האראקיさんの長編新刊『1Q84』取り上げ「なぜこんなに賣れるのかっ!」ってアンタら挙つて取り上げ煽るからに決まっとるやんけ。『海辺のカフ カ』の文庫版発売開始直ぐに日本橋の丸善で上下二冊購ひ成田から香港に戻る機内で読みつ佳い意味「変態小説」に驚いたが、また新作を讀むかしら。天気予報 で沖縄は梅雨明け、西日本から徐々に梅雨入りと伝へるが、沖縄の初夏のこの雨の季節つて果たして本当に「本土」的な意味での梅雨なの? 台湾から南の感ぢの雨期ぢゃないのかしら。ぎゃくに台湾でぢいさん婆さんが雨期を梅雨と呼んでゐたり。
フェロモサの梅雨も明ければ早稲みのり           とか、季語二つもあり、駄目。
フェロモサの梅雨晴れて海の遠く日の本ながめ何処にぞ我   とか鳥渡、釈迢空っぽく。
今晩七時に翡翠台放映の香港電台製作の番組“Food & Science”録画見れば牛肉は焼くより鹽水に浸け凝縮せし肉を摂氏七十度くらゐの温水で煮つたものの美味さ、また牛肉のドライエイジングの滋味など取 り上げ、入江さんや斎藤さんが米国で食す牛肉の醍醐味つてコレなのね、と思ふ。そのあとクライバー指揮の維納でブラームスの4番聴いてゐたら、音量下げた まゝつけッ放しのテレビでNHK歌謡コンサート、鳥羽一郎が歌つてゐる。ブラームスの4番の第2楽章に合わせ歌ふ鳥羽一郎の奇っ怪さに悪酔ひしたか何年ぶ りかでブランデーで鶏尾酒、スティングァなんて飲むぢまふ。ワルテル指揮、維納のマーラー『大地の歌』聴く。数日ばた/\してをり、ってどこがばた/\な のか、と我乍ら日剰の記述讀み返し思ふが今になってやうやく日曜の安田記念のウオトカの勝ちつぷり拝見。ありゃ何だ、の最後のあの位置、あの状況からの勝 利。ディープスカイとか他の馬が一瞬、スローモーションになったやうな錯覚すら覚える。香港もウオトカの単勝HK$17、ディープスカイとの連複HK $40で香港馬の立ち入る隙もなし。
▼文兄より久々に唐突に、源氏なら明石の巻か、垂水が蹴鞠の師なる男、の話あり。いたいけな十四才がぢぶんのいふことをなにひとついひわけもせず蹴鞠に精 をだす姿があまりにもいとほしふて、つゐそばにをいて置きたうなつた、が椿事、文兄曰く、違ふ球を握りて精を出してしもふたんかの、と。われ、チョーサン もさだをか、と答へしに、文兄、王(わう)がゐぐちに、ねぇ、おーシュレットだけに、と。思はず、王シュレット使つたあとはながしませう、掘り撃たれゝば 腹もたつのり、と答へれば文兄に駄文讃められ甚こそばゆいおもひ。
▼三井住友銀行の頭取まで務めた銀行家を自民党が民営化した郵政の社長に迎へ、その御仁にかりに何か波風があつたにせよ本来であれば自民党や財界の有力者 の間で「まぁそりゃアンタなぁ、西川君だつてお国のため、と難儀な仕事を受けてくれたわけだし」と解決するのが善かれ悪しかれ日本の戦後政治の常道であつ たとするなら小泉三世がまさにぶッ壊した自民党は芸能人の泥酔椿事に激怒するくらゐが器の総務相がマスコミ相手に西川氏非難ぶち上げるどころか「街頭演説 で人事問題を論ずる」前代未聞( Ⓒ加藤紘一君)。自民党も末期的。だが代る野党の不甲斐なさも更に末期的。次ぎの総選挙で一票を投ずれるは、きゃうさむ党くらゐかしら。

六月八日(月)気づいたら経済海嘯の影響だらう、マイレージ換算率極端に悪くなつてをりAmexも15,000ポイントが1,000哩である。もと/\は US$1=1哩であつた夢のやうな時代、HK$8=1哩計算だつたのが今ではHK$15=1哩とほゞ半減。たゞAmexとか優待特典でポイント2倍なんて してゐるので実質的にはHK$8=1哩がどうにか維持されている、と喜ぶべきか、騙されてゐるだけ、か。Citibankとかもプラチナだと辛うじてHK $8=1哩。本日、天気隠定せず。早晩に大雨。雨宿りもかね入つた湾仔の茶餐庁にふと衝動的に乾炒牛河を食し凍奶茶飲む。茶餐庁の数多き一品料理の中でカ ロリー、含油量、栄養価の低さなどで断トツトップの乾炒牛河に乳脂肪、糖分過多の凍奶茶は肥満や高血圧、血糖値など危ない中高年には「絶対にいけない食生 活」の見本。しかも高座の夜席のあと無性に甘味欲しハーゲンダッツのアイスまで頬張つてしまふ不祥事。
▼深圳市長の許宗衡が収賄の廉で身柄拘束。北京市長だの上海党委のトップだの中国の党幹部級首長らの収賄は今更驚きもせぬが「為人民服務」で公務員給与が 低く抑へられる結果、その権限の大きさで企業から贈賄図られゝば受けたくもなる気持ちもわからぬでもなし。かといつて公務員幹部職の待遇改善すればさらに 横柄になるかしら。どうであれ絶対的権力は必ず腐敗するもの。シンガポールや香港はさうした公務員が収賄を避け公平にあるがため公務員給与かなり高水準と する。その極例が香港金融管理局「任総」の年収1億。だがよく/\考へればアタシらの納税から彼らの汚職防止に高俸が拠出されてゐるくらゐなら企業との贈 収賄の方がアタシらの懐は痛まぬか(嗤)。

六月七日(日)快晴炎熱。昼まで自宅で机に凭る。昼すぎ太古坊のEast Endにエール一飲。昼過ぎの閑かなパブはガラス張りで明るい外を眺めて厭きず。整体按摩。夕方、西湾河。Z嬢と電影資料館で大島渚監督の 『少 年』観る。この「向川喜多夫人致敬」特集は、くどいが向川 喜多(むかひがわ・きた)夫人ではなく川喜多かしこ女史に 敬意向けた映画特集。アタシは例えば佐藤忠男先生の『日本映画300』に載るやうな作品はほとんど、而もその少なからずが香港で観ているつもりでいたが 1969年のこの『少年』は見てゐないやうな、あるいは見たことすら忘れてゐるのか、鳥渡、怪しい。で映画が始まるとカラー作品であること(イメージは白 黒)、物語が高知で始まること、でやつぱり見ていなかつたのだ、と判明。だが有名な映画で物語も子ども使つた当り屋の実話、スチール写真などで見たやうな 印象だつたのだらう。親が子を使つて当り屋を生業とし健気な子の描写……とそれは良い。が今かうして制作から40年後、物語の背景にやたらと映される「日 の丸」が映画の中でモチーフとして無意味に思へてならず。父(渡邊文雄)が元傷痍兵である、といふ、それが国家とこの家族の関係でこそあれ、当り屋する家 族の物語と「日の丸」は本来何ら関係もないこと。戦後の左翼の時代の、左翼を代表するやうな映画監督だから左翼的ぢゃないといけなかつた、それだけのため に使はれては「日の丸」も難儀。1969年当時はタイトルバックの黒い日の丸も映画の中で高知から北九州、北陸、北海道までの都市が日の丸だらけであるこ とに観衆も何か政治的意味を感じたのかも知れない。が結局、80年代に右翼に対する意味での左翼といふ政治思想がコケた時に左翼のその大島渚といふ監督が 単にお笑ひ番組の常連ゲストとなつてしまひ、お笑ひ芸人が「世界の北野」と呼ばれる映画監督になつてしまつた。あの映画に映す程度で「日の丸」=国家に何 か対抗している、と思つてゐたことぢたい、なんて甘かつたのかしら、と40年後にアタシは思ふのでした。小腹が空き太安樓基記水電行工程の牛雑を一串頬張り西湾河 の湾岸を筲箕灣まで日暮れの散歩。筲箕灣の東大街は最近「平民食街」なんて評判で食肆ずらりと並ぶ盛況。冠泰と云ふ客の入りの良いタイ料理の安食堂で海南鶏飯を食し筋向かひの甜品老媽なる甘味屋にかき氷と緑豆沙を食す。
▼一週間前の週末のFT紙を今ごろ読めば、ふだんなら Lunch with the FT といふ、取材対象の人のお気に入りの店で昼食をともにしながら語るを聞くインタビュー連載あり、が今回は Tea with the FT なのは取材の相手がかつて趙紫陽側近で近ごろ生前の趙氏の発言をまとめ『改革歴程』といふ題で出版の鮑彤氏だから、で北京の自宅で当局の軟禁下におかれ外 出もまゝならず、しかも相手が外国メディアの記者とあつては、で鮑氏の自宅訪れた、ってそれだけでも破格だが、で自宅でお茶を飲みながら。鮑氏は六四当 時、軍を掌握してゐたのが鄧小平なのだから六四での学生市民虐殺の責任は鄧小平にある、と厳しく評し、歯に衣を着せず「中国共産党はマフィアのやうなも の」と断ず。それはそれで良いがマフィアが国家政府ほどの絶大な権力を握つてをらぬ、と思へば「中国共産党はマフィアのやうなもの」といふのはマフィアに 失礼だらう。この取材後、六四から二十周年で政治的敏感な季節、鮑氏は当局から「国内観光旅行に誘はれ」北京離れた由。ところで数日前に読んだ六四の分析 (信報だつたか)で興味深かつた話は、六四で学生市民の大量殺害があつたのは事実として、その行為がどういふ「意外」の結末だつたのか、といふもの(香港 の広東語で「意外」は事故の意、事故がいくつかの事象が偶然に重なつた結果、予想だにせぬ事故=意外が起きる、といふ意味で言ひ得て妙)。その一つの「意 外」発生の状況とは、
天安門広場に居座り抗議活動續ける学生たち。党中央の決定で抗議活 動の強制排除の決定が下る。軍や公安当局者が学生領袖と天安門広場の学生解散を談判。これに応じぬ場合、武力行使も辞さぬ、と警告。広場の学生らは六月四 日未明、天安門広場から東長安街へと動き出すが東長安街には北京站方面から市民デモの集団あり。これを東から追ひ立てる一師団。で市民デモは東長安街を西 へ、天安門広場の方への追ひやられる。天安門広場を離れようとした学生らは市民デモの流れに逆らへず復た天安門広場へと戻ることに。広場では学生らの自主 的な解散を期した公安当局はまた引き返してきた学生らを見て「やはり徹底的に抗するつもりか」と合点。ならば武力行使も辞さぬ、と判断。北京飯店の前あた りの現場は取り乱すばかり。広場を押へようとする公安と東から長安街を広場へと向ふ師団に挟まれた学生と市民。混乱状態となり軍は発砲、戦車が踏み込み死 傷者多数の惨事。
……といふやうな話。けして「虐殺はなかつた」とか「人民解放軍は人民を殺すはずがない」等と事実を否定するつもりは毛頭ない、が意外とかうした予期せぬ 状況のなかで最悪の状態になつたことも充分に考へられる、といふ話。

六月六日(土)快晴。気温摂氏卅三度。暑くなるといつも思ひ出すのが夏のさなかにひとさまの前に出たので、ときちんと背広姿で汗もかゝず涼しげな表情の久 が原のT君。煎茶の席で、暑くないの?、とほんとトーシローっぽく尋ねると、気持ちのもちやうで。そりゃ暑いけど慣れれば慣れるもの です、といはれ、さういふものか、と感心。Z嬢と昼前に尖東の香港歴史館。摩 登都會:滬港社會風貌 "Modern Metropolis: Material Culture of Shanghai and Hong Kong" なる特別展参観。ありがちな、歴史写真並べ「はい、ご覧ください」想像してゐたがなか/\だうして都市文化、社会生活全般の充実し た展示内容で面白い。レトロ趣味。香港で戦前のJimmy's Kitchenのお洒落なメニューあり供する料理が今とあまり変らず、さすが。永安や先施など戦前に上海で戦後は香港の二大デパートメントストアがいずれ も創業者が豪州華僑で豪州が創業地と知る。ところで香港の“Victoria City”について。十数年前では興味持ち図書館で調べやうにも難儀したが今ではだいぶ資料も充実。1843年に香港島の中心地を“Victoria City”と制定は良い。がいつたい何時まで、この英領香港の中心都市?存在したのかしら。今でも航空路の都市名表示であるとかNHKワールドの受信地名などで Victoria (Hong Kong)とあるが、ありゃ航空や通信の国際規約で具体的な都市名が必要で香港の場合は「香港」といふ地域名の下に都市名が“Victoria City”制定のまゝ、とアタシは勝手に解してゐる。白日夢の如き、土曜の昼で閑かな尖沙咀の裏町、Austin街の北京餃子店に昼を食す。独特の飴を用ゐる。久々に「い かにも北方系」の容貌の主人在り餃子づくりが見事。Z嬢と一緒なのに写真機店数軒覗き散歩。日本ではコシナがベッサシリーズ10周年記念でNokton 50mm F1.1なる大口径レンズを発表なのだ。125千円は高い、がライカがなか/\出さぬノクチルクスのf0.95に比べれば値段は8分の 1と思ふと「125千円ってなんて安いのかしら」と大いなる誤解が惚け老人の怖さ。香港藝術館にて特別展「路 易威登 A Passion for Creation」参観。直接、ルイ=ヴィトンとか関係ないのだがGilbert and Georgeのお二方のClass War, Militant, Gateway(1986)もお目見え、でそれ見たさ。それにしてもアタシは村上隆のLV作品など全く理解できず。村上隆がLVをば素材にするのは勝手だ がLVがそれを受入れ日本の少女アニメ風のキャラとは……。炒るやうな暑さ。XTC Gelato頬張りつゝフェリーで中環。Z嬢と別れColorsix現像店に写真フィルム出し外国人記者倶楽部のバーでステラぐい/\と喉ごし爽やかで涼を得る。小 腹減り鏞記の焼鵝頼粉、無性に食べたく鏞記に駆け込むが午後遅く夕方の一旦店仕舞ひ。向ひの黄枝記に咖喱牛腩麺食す。帰宅。一浴。早晩に復た尖沙咀。ペニンスラホテルのバーに飲む。新顔の若過 ぎるバーテンダー二人がお当番。無難にギムレツトを注文。ジントニックの次くらいに簡單だろう。二人のお当番さんは小娘の方がギムレットの調合を教えても らつてゐる始末。天下のペニンスラホテルのバーでこの様。世 も末。P君が現れたのでヘンドリックで胡瓜マティーニを一杯。昨晩に續き香港文化中心で李寶春の京劇。昨晩よりぐっと客の入り佳し。一幕目は陰陽擊鼓罵曹。三 國史の名士禰衡が曹操から受けた冷遇への遺恨で化けて現れ、ぐっと痛恨抑へ沉鬱に崑曲「陰罵曹」歌ふのが李寶春なのだから。昨晩、幕間にこのCDをHK $50で入手済み。これが日本なら能なら續ひて孫正陽が八歳の男童役!の「櫃中緣」は狂言。岳飛之子岳雷が追つ手避け逃げ込んだは劉玉蓮の家。玉蓮は事情 察し岳雷をば衣櫃に匿ふが事情知らぬ間抜けな兄(孫正陽)が騒ぎ、家に戻つた母が執り成し岳雷をば愛娘の婿とすることで目出度し、目出度しの話。梅欄芳が 戦後、舞台に復帰した頃に小丑の若手で同じ舞台に立つてゐる!七旬も後半の孫正陽が、天王寺屋だつて十歳だかの愛息にこの役なら譲つてしまふだらうとこ ろ、じつの年齢よか七十歳も若い、幼気な童役を見事に演じ、それが可愛らしいから。幕間に小屋を出てXTC Gelato頬張る。中入後は「大鬧天宮」なのだが、昨晩は 「烏盆記」(奇冤報)の通し狂言で今晩は折子戯専場(一幕物特集)といふが「陰罵曹」がたつぷりで「櫃中緣」と合わせ九十分、「大鬧天宮」も尺の長い芝居 で何処が折子戯か……嬉しいところだが。でこの「大鬧天宮」は西遊記の孫悟空物。李寶春が孫悟空で澤瀉屋の全盛の頃を彷彿させるような八面六臂の活躍。澤 瀉屋の四の切なら大道具の仕掛けや宙乗りもあるが京劇の場合、軽業や大立ち回りだけだから。「その他大勢」の若い役者の身の軽さは当然として小猿の役なが ら見栄を張ればぐっと眼を見開き瞬き一つせず見事。台北新劇團なるこの李寶春が手塩に掛けて育む劇団の格別。寶春の孫悟空は孫悟空の英才と武術の強さ、そ してその才気ゆゑの傲り、弱さまで実に巧みに演じきる。もう還暦も来年とは、の身のこなし。思わず舞台下に駆け寄り、の拍手喝采。舞台写真は右が李寶春、 左が孫正陽のこの若さ。それにしても勘三郎と久々に舞台に登場の猿之助つて言はれたら似てゐて信じるね、こりゃ。芝居が撥ねれば開演から三時間五十分の午 後十一時半近く、日本なら芝居小屋出た老人たちは帰宅の手段もなく野垂れ死に、だらう。まぁ「あゝ、いいお芝居を見せてもらつた」でぽつくり逝つてしまふ のがアタシらの理想なのだけど。ヴィクトリアハーバーに月が見事。
▼英国首相ブラウン君、内閣閣僚相次ぐ辞任で窮地に追ひ込まれるが彼自身が才量は別としてそも/\前任ブレア君の「やりたい放題」で労働党はもはや何が労 働党か、の所信も不確か。小泉三世に「ぶっ潰された」自民党も同じ。米国とてブッシュ二世の好き勝手を誰もあれが共和党とは思つてもゐないがブッシュ後遺 症から脱するには未だ暫く時間もかゝらう。今更評価するのも何だが俳優レーガン、鐵女サッチャー、中曽根大勲位の時代、その後の新自由主義の幕開けで何だ か市場開放だの国営企業民営化だの「やりたい放題」に見えたが少なくとも政党政治を壊そうどころか寧ろ保守党の基盤強固なるものに尽力もあり。それを思へ ばこの「レサ中」の三人を「ブブ小」と一緒にしたら失礼、といふもの。

六月五日(金)早晩に銅鑼湾で理髪済ませ尖沙咀。Delaney'sでギネス麦酒二杯。暑さ蒸し食欲もなし。香港文化中心で「京 劇老戯新唱」と題した京劇 公演あり参観。京劇の老生では当世第一人者の李寶春が「江南第一名丑」と誉れ高き孫正陽と「烏盆記」を通しで演ずる、といふ贅沢な舞台、にしては客の入り が「えっ?」と思ふほど散漫。李寶春が九十年代後半から率ゐる台北新劇團は謂はば歌舞伎なら澤瀉屋のやうな新演出で、それが香港の老客らに受入れられぬの か孫正陽招聘とはいへ台北を軸に活動する李寶春であり台北新劇團の公演とあつては中共側には面白くないか(嗤)。事実、台湾系の観客かなり目立つ。客席で 殊更、品の良い刀自と眼をやれば香港中文大学で一年ほど北京語習つた際のL先生、邂逅でもう十八、九年ぶり。李寶春は今年の二月に進念二十面體主宰する榮 念曽(Danny Yung)による「録鬼簿」なる舞踏あり寶春さんが今晩の烏盆記から霊となつた劉世昌の踊りを見せて、以来。何より「烏盆記」の通しは嬉しい。で幕開けは 「梵王宮」より「掛畫」の一幕もの。嫁娘が新房に画を掛ける、といふちょいとアクロバティックさが面白い程度で、澤瀉屋の亀さんが独楽を見立てて踊るやう な、それ以上のそれ以下でもないもの。で「烏盆記」(奇冤報)は第二幕の「鬼路」で冥土に迷ふ劉世昌(寶春)に纏ふ小鬼たち、は西洋劇の道化の如き化粧 で、それが奇を衒うのでなく、まぁ軽業の見事さは驚くばかり。その荒技に呼吸も乱さず静かな場面に入られる器量。李寶春の台北新劇團の想像以上の水準の高 さ。で烏盆を通じ現世に戻つた劉世昌と出会ふ張別古の役が孫正陽。七十代後半だらう、が溌剌とした丑角ぶり。道化役=丑角がここまで洗練されるかしら。孫 正陽は歌舞伎ならさしづめ富十郎(先日、その天王寺屋の傘寿祝賀の「矢車会」での勧進帳の弁慶がそりゃ良かつた、と湛君から聞く。ブラック師匠は当日、満 席で見られなかつた由)。李寶春といふ名老生、父・李少春ゆずりの器量、芝居の良さに加へ歌唱の格別の上手さ。張別古に、そして裁きの法官相手に語る因果 な物語の歌ひつぷりがそりゃお見事。歌舞伎なら当世仁左衛門が澤瀉屋のような演出にも多少興味もつやうなもの。スタンス的には勘三郎か、といふ気もするが 寶春には中村屋のやうな「やってみて差し上げますからご覧ください」の「くどさ」がないから。いやはや何とも素敵な舞台を見せていたゞきました。十六夜の 月を愛でる。
▼李寶春が 文革で痛めつけられし父・少春を回顧する「我的父親李少 春」はぜひ一読あれ。
▼昨日の信報、林行止専欄が「往之不諫變生不測 來者可追為後人謀」と題し香港に六四の歴史資料館開設を、と提言。将来に歴史の評価託すにも資料等の収集と分析には香港ほどの好立地はなし、と。香港政府 前環境食物局長の任關佩英(Lily Yam)女史が追悼集会に一市民として参加と聞く。FT紙によれば昨日、北京天安門広場に鳩ふ観光客或いは市民の7割は実は軍人、公安や政府関係者の由。

六月四日(木)朝、昨夕Z嬢仕入れた新界沙頭角は康寧牧場の瓶詰め牛乳飲む。香ばしさ格別。本晩ヴィクトリア公園にて六四追悼集会あり。ふと思へばこれに 一度も出向いたことなし。主義主張に関はらず人が多く寄り集まり何か一つの動きとなることにアタシは苦手。テレビつけるとちょうど追悼集会からの中継で司 徒華先生が登壇し「15万人が参加」と宣言。先生の感慨深し表情。後の警察発表は6.3万人。主催者側は公園に入りきれぬ者を含めば20万人とする。六四 翌年の1990年の初の追悼集会が15万人(警察8万人)。これに匹敵か劣らぬ参加者数は事実。 董建華の劣政や基本法23条による公安立法制定反対の翌1994年以来の高潮か。
▼李嘉誠の次男リチャード皇子と女優イザベラの間に男子誕生。皇太孫が名は李長治(Ethan)の由。
▼俳優の石堅(1913〜2009)逝去。享年96歳。ブルース=リーの『龍爭虎門』(燃えよドラゴン)が還暦の頃とは。だがカンフー映画に興味乏しきア タシは今になつて思ふと1976年のマイケル=ホイの『半斤八両』で石堅を最初に見てゐたことになる。最も最近観た石堅出演の映画は1967年の蕭芳芳主 演の『玉女親情』(電影資料館での一昨年?の石堅特集であつたか)。

六月三日(水)多雲惨澹。午前、風強く大雨となる。蘋果日報で李怡さんの蘋論を読んだら拙譯の朝日新聞にも李怡さんが書かれた文章にもあつた「記憶反抗遺 忘的歴史」が“引用”としてあり。昆徳拉の言葉の由。昆徳拉はクンデラ、チェコの亡命作家のMilan Kundera の“La lutte de l'homme contre le pouvoir est la lutte de la mémoire contre l'oubli.”(人間の権力に対する戦いは、忘却に対する記憶の戦いである)の漢譯。晩にハクスリー『すばらしい新世界』続き読む。こ の未来社会がフォード暦採用はこれも結果論だがさすがハクスリー。米国自動車産業の同じビッグ3の中でもGM 暦ぢゃ2009年で終はッちまふしクライス ラー暦ではフォード暦よかより脆つかしい。
▼信報の書き手の中で主筆の練乙錚はあまりアタシの好みに非ず。だが今日の香島論叢の「我不「反思」故我在」(我「反思」せぬ故に我在り)は興味深く読 む。「平反」も日本語に譯すのが難しいが「反思」は更に。「過去を顧みる」ともチト違ふ。で練乙錚が敢へて説くは、
李鵬が死ぬのを待てば民主化運動の活動家の名誉回復がされる、とい ふのは楽観的過ぎる。中華人民共和国成立から最初の三十年の重大な過失は殆どが党内の路線闘争が元凶で毛澤東の死後に歴史的評価の見直しもされた、が改革 開放後の三十年で中国は党・政・軍・商の複合体となり党幹部子弟が牛耳り、六四の市民虐殺に何らかの形で加担した元老らの子弟子女が党や軍、それに与する 大企業の中枢にあり絶大な権力と巨額の利益を得てゐる思えば「解放後三十年」は解放前三十年の路線闘争ほどさう簡単に見直しは能はぬはず。明日ヴィクトリ ア公園で六四の死者追悼をする友よ「這個二十年之後,可能還有不止一個二十年」と心の準備をしなければならぬのだ。
と練乙錚。だがその追悼集会の人々のなかにぽつんと練乙錚自身がゐるのであらう。
▼アイルランドの名伯楽 Vincent O'Brien 氏逝去。享年92歳。1970年のニジンスキー馬の活躍どころかアタシが香港で競馬を始めた頃にはすでに引退されアタシにはO'Brienといふ姓を聴く とどうしてもディラントーマスやマーラーのAidan O'Brien師になる。

六月二日(火)暑き日。黄昏に帰宅して孟買サファイアでドライマティーニ二杯。アルゲリッチ、アバドと伯林フィルでラヴェルのピアノ協奏曲ト長調を聴く。 Z嬢に一度この曲の第3楽章を「ゴジラ、ゴジラ、ゴジラとメカゴジラ」と歌はれてしまつてから、何度聴ひても「「ゴジラ、ゴジラ、ゴジラとメカゴジラ」に 聞こへてしまひどうしやうもない。夕食後にキーシンのプロコフィエフのピアノ協奏曲の2&3番を聴く。ハクスリーの『すばらしい新世界』を少し再読。国家 のあり方としてのシンガポール=モデルにつき先日、築地のH君と話てゐてハクスリーのこの小説を思ひ出したから。物語で倫敦の中央人工孵化・条件反射育成 所の支所がアジアはシンガポールにあつたとは……(今ごろ再読或は再々読で気づいたが)ハクスリーの卓見としか言ひやうなし。1932年の『すばらしい』 の執筆当時のシンガポールはまだマレー半島の英領の港 町。戦後20年も経ち独立し今日までまさに『すばらしき』に描かれるような「共有・同一・安定」の李朝の全体主義国家にならうとは。
▼蘋果日報が英国の衛紙つまりThe Guardianから転載のこの記事“Boy chosen by Dalai Lama turns back on Buddhist order”は西班牙で大乗仏教徒の家庭に生まれ 14ヶ月の時にダライラマ14世に謁見の機会あり「霊童」と見染められ印度にて御佛に仕へ修業に精進したものゝ世俗して今はマドリッドに戻り映画制作を学 ぶOsel Hita Torres君(写真右、24歳)について。西班牙ゆゑダライラマの眼に適つても政府に軟禁拘束もされず幸ひ、か。
▼朝鮮民主主義人民共和国にて領袖様が三男坊様を後継にご指名の由。瑞西の寄宿学校に学び英法獨の三語に堪能の由。瑞西が永世中立の国是が為に栄光なる自 立、充分な軍備誇ると思へば孤立と核武装の北朝鮮はアジアのスイスかしら。で平壌にアジア開発銀行とかWTOやWHOのアジア総部を無理矢理置いてしま ふ、といふのも一考かも。
▼香港のいろ/\な意味で、って皮肉でだが「真の」政治家(かつて「変色蛙」と譬へられたが……笑)李鵬飛君(写真左)が蘋果日報で「爆六四後港英内幕」と物語るは1989年6月4日の早 朝六時半、電話のベルに起され相手は当時の香港総督Wilson卿。天安門での解放軍による人民虐殺に香港市民の動揺どう抑えるか、と。香港政府はその 後、矢継ぎ早に懸案の新空港建設の実現や科学技術大学創立など民心安定策を提案。HK$1,250億投資の空港建設は中国政府は英国が香港の潤澤なる現金 をば97年に中国に渡さぬための方策と決めつけ不快感表明。英国首相メイジャー君が訪中し当時「世界の敵」の如き李鵬首相と握手することで中国政府の合意 をば取り付けたが1992年のヰルソン卿退任はメイジャー首相による実質的更迭処分、と回顧。李鵬飛君の滑舌は止まるところ知らず、彼は総督直属の行政局 (現・行政院)首席議員の鄧蓮如・女男爵(女性でも男爵とはこれ如何に)と倫敦に飛び英国政府に嘆願し香港市民5万人の英国永住権奪取、で当時、香港駐倫 敦辧事処にて英国政府とこの協議に当つた若き政務官が今ではTVB(香港の民放テレビ局)総経理としてすつかりカミングアウトしてオネエキャラで振るまふ 陳志雲、香港側でこの永住権業務担当が当時の行政署署長のドナルド卿(現行政長官・文革曽)の由。李鵬飛君、饒舌は止まらず六四の一年後にヰルソン卿より 与へられし「不可能的任務」は女男爵襲ひ首席行政局議員の立場にて対中関係緩和政策として当時立法院議員であつた支聯會主席の司徒華氏に「支聯會解散」求 めるもの。司徒先生はこれを断つたのは当然、でこれがホントのミッション=インポッシブル(嗤)。
▼その司徒華先生、二十年前回顧(蘋果日報)。六月四日から香港の動揺不安広まり六日晩には旺角や油麻地で投石や放火あり七日は治安不穏にて香港の全学校 が休校措置。ストライキ。臨時休業の店舗は七割。司徒華先生は皇后大道中の商務印書館に中共系で ありながら「南京大虐殺日本人殺中國人、天安門廣場中國人殺中國人」と対聯掛けられたこと。その司徒華先生、アタシが先生にぶつかつた昨日の外国人記者倶 楽部での講演で語るは「中国通」の総督ヰルソン卿の当時の最大の関心は「中国共産党は倒れるや否や」。六四から一週間後、支聯會主席の司徒華先生招き側近 や通譯も交へずサシで北京官語にて談義。うーん、『悪い奴ほどよく眠る』から『天国と地獄』の頃に黒澤明に撮らせたき大人の世界。そのヰルソン卿の質疑に 先生は「直到我死了,你也死了,共產黨仍不會垮台。」(ワシが死んでアンタが死んでも共産党はまだ倒れぬ)と答へた、と。白眉。また91年の立法局占拠で の直接選挙枠の議員増案につき先生は「すでに基本法草案で直選は18議席と規定あり。これを増やせば中国が反発するばかりでメリットもない」と答へたのは やはり確かであつただらう、と。司徒華先生は今や世界に残存する共産主義政権で中共は最大、最狼、最も暴力的なわけで「中国は世界で一番最後に民主化され る国家になるであらう」と断言。先生の雄弁に老ひは見られず。
▼朝日新聞の文化面に佐藤卓己氏(メディア史)がインフルエンザについて「熟慮要する危機報道」と題し、今回の新型インフルエンザを危機報道の視点から考 えると熟慮に欠ける点は感染者数に関して新たな感染例を報道する意味はあつても隔離中の患者数なら兎も角すでに完治の者も含め累計数を見出しに上げる必要 があるのか、感染者が右肩上がりで増え続けてゐるやうな印象を与へ風評撒き散らす原因になりかねない、と指摘。清水幾太郎の『流言蜚語』の「流言蜚語は国 家を試すものではないであらうか。(略)民衆から信頼されてゐる国家のみが動揺を免れることが出来る」を引用し「マスクを買い占めに走った人々がみな、風 評に惑わされたとはいわない。ただ、この国の政治に対する信頼とメディアの影響力のバロメーターになったといえるだろう」と指摘されてゐる。
そもそも、危機報道は惰性に流されやすい。なぜなら、事態が悪化す る危険性を指摘する姿勢は、楽観敵に分析するよりも「良心的」に見える。また悪化しなかった場合でも、自分たちの警告が流れを変えたのだと強弁できる。つ まり、危機報道は外れても歓迎されこそすれ責任を問われない絶対安全な報道である。
との指摘、NHKのNW9の制作組はこれが理解できるか。
▼東京新聞の平岩勇司記者の「六四」の一連の報道。「天 安門事件 20年 今も国から迫害」や、当時の学生リーダーよりも「軍の鎮圧に抵抗した市民は「暴徒」として逮捕され、当時の学生リーダーより過 酷な扱いを受けた。無期懲役、猶予付き死刑判決を受け、長い刑期を終えて出所した二人の人生を追った」と渾身のレポートの「天 安門事件20年 市民の闘い 学生守り『暴徒』レッテル」など格別。天安門広場で、今になつて思へばウアルカイシら学生運動の領袖よか「戦車を止 めた」青年・王維林こそ彼のインパクトは中国政府にとつては国家的屈辱そのもの。この青年がその後、台北の故宮博物館の陶瓷骨董の顧問として文物鑑定に従 事、と法輪功の新聞『大紀元時報』に記事あり、と富柏村日剰〇六年六月二日に 記述あり、と築地のH君に教へられる。で、ふと気になりかなり久々に大紀元 時報眺めるが今年の「六四」廿周年にしては六四関連の暴露記事見当たらず。

六月朔日(月)ふだんならこの時期、暑さで寝苦しく目覚めやうところ早朝にうすら寒く目醒む。閉窗のうへ冷房もつけず毛布まで掛けてのこと。本日の朝日新 聞(文化面)にアタシの拙譯で「六四」天安門から廿周年で香港のヴェテランジャーナリスト李怡氏の寄稿「記憶在反抗遺志」掲載あり(朝日は蘋果日報と違ひ無断転載禁止、本紙 をご高覧請ふ)。さすが李怡氏、たんなる「六四平反」の主張とならず歴史と対峙する姿勢が見事。その高尚なる氏の矜恃が拙譯にて幾久ばかりか日本語で伝は れば何より。晩に外国人記者倶楽部の小部屋借りて会合あり末席を汚す。同所では夕方「六四平反」について何か会合あつたやうで人出多し。階段でアタシも余 所見して登つてゐたが上から下りて来た方とぶつかり相手もアタシがよく見えてをらぬ様子、は目を患はれる司徒華先生。先生の他に六四当時に中国で北京工人 自治聯合會組織し現在は香港で中国労働運動に関はる韓東方氏、民主党代表らが記者相手に会合開催の由。李怡氏お見かけするがアタシも慌たゞしくご挨拶も出 来ず。
▼昨日の「六四平反」の香港でのデモ行進。主催者側発表で8千人参加(警察発表4.7千人)。1990年の1万人参加からジリ貧傾向が前行政長官・董建華 の貧政で04年に5.6千人(同3千人)に回復?し08年には990人(同600人)にまで落ち込んだが今年は行政長官・文革曽の舌禍で回復。「六四」の 平反も然ること乍ら常に香港の行政長官の行政官としての能力の無さが六四デモに与へるインパクトの大きさ。北京政府も頭が痛いところ。出来レースで子飼ひ を首長にするからかうなる。ところで一昨日、紅磡から香港島に潜る海底隧道の入り口に「明日は交通渋滞」と予告あり六四か、と思へば基督教の Pentecost Sunday(五旬節)ださうで香港スタヂアムにてGlobal Day of Preyerなる祈祷会あり2万人参加の由。
▼その文化面にはこの李怡氏の文章のほかに新井素子による栗本薫(中島梓)追悼の文、「惜別」には舞踊家としてより澤瀉屋夫人としての藤間紫、写真評論 家・平木収あり。読んだり舞台を観たり。澤瀉屋夫人は三月末の逝去。平井氏は二月のことで三月初旬の長徳先生の日記にて1978年頃のプラハでの長徳先生 と平井氏の思い出など読んではいたが、同じ紙面にこれだけ並ぶと……何とも。

日記インデックス に<戻る>