乾 坤容我静 名利任人忙
(旧)教育基本法(1947〜2006) 改正に反対した文化人129 名の声明 憲法改正反対(九 条の会こちら

また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし。ヨ ハネによる福音書8章32節)

メ ディアはコミュニケーションの道具という素朴なイメージがあるが、もっともこの言葉は「中間」という意味であり、二つのものの間を取り次ぐという意味で はコミュニケーションの道具となるが、同時に最初は一つであったものを二つに分けるという効果ももたらす。メディアは、それがもたらす情報を共有し仲間意 識を持つグループと、そうしたものに無関心、あるいは反発するグループとの分裂をもたらす。メディアが発達すればするほどこの分化は進む。だから、メディ アの発達がコミュニケーションを豊かにするというのは幻想にすぎない。(佐藤卓己)

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■ 「はてな」の富柏村日剰・香港日記(テキストのみ)はこ ちらを ご覧 ください。

■最近のブログ化のご時世に敢へてブログ化せぬ日記を。の 心づもりでをります。敢へて全て讀むこと強ゐる日剩あつてもいゝのでは?と。
讀みにくいこと間違ひなきサイト乍ら今後とも御贔屓の程宜しくお願ひ申し上げます。

2000 年11月24日からおそらくあなたは番目の閲覧者です。

九月卅日(日)二週間前に続きO氏とY氏と三人でMacLehose TrailのSection 4(馬鞍山)〜5(大老山)を歩く。杭口より西貢経由で西沙路の峠に八時四十五分。雲一つな い快晴。気温摂氏31度は暑いがさすが中秋も過ぎると風も心地よく木陰には冷気。登山家でもあるO氏の眼にも西貢の鶏公山だの馬鞍山は標高三千メートル級 の山並みに映るそうな。歌手のみなみらんぼう氏も香港で馬鞍山登ったそうだが「世界一高い標高700m」という表現は言い得て妙。だがO氏曰く、よく見る と登山道登る米粒ほどの人があっと言う間にどれだけ登っているか、もしあれが穂高だったら登山する人の身長は30mくらいですかね、とO氏の指摘に笑う。 確かに。走ったわけではないが早足で歩き続け九龍見下ろす沙田峠のカレー屋(恒生商店)に午後一時前に到着。標高100mから700mまで登り小高い山を 越えて15kmを4時間ならまずまず。鶏カレーと麦酒。歩いて黄大仙まで下り解散。黄大仙祠の周囲で法輪功の諸君、布教及び反中共政府キャンペーン盛ん。 正門、裏門、団体バス駐車場と鼠の入る隙間もなく法輪功の宣伝。明日が国慶節でこの週末より大型連休、中国から香港旅行客多し。で香港の主だった観光地は 大陸客に向け法輪功が踊る、の図。風呂屋に寄り按摩。帰宅すると畏友T君より電話あり。T君は草間彌生スタヂオ仕切るアタシの小学校から高校の同級生。来 月一ヶ月、香港で(尖沙咀のHarbour Cityにて)草間彌生のexhibitionあり、その打ち合せ&準備で今日来港。一通り打ち合せ済み晩に香港側と夕食の由。今回の展示にかかわる件で アタシがちょいとお手伝いした件あり。その確認も含め急遽お呼ばれしHarbour Cityの廣東茶居なる食肆での夕食に末席を汚す。T君、今回同行されている同スタヂオのF嬢とホテルで暫し鼎談の後、帰宅。
▼立法會港島区補選に立候補の葉劉淑儀、親中御用政党民建聯にとって票田の北角にて昨日は選挙活動。北角は福建幇で蔡素玉の地元。だが30分の葉劉淑儀本 人によるチラシ配りで少なくとも10名の市民がチラシ受け取り拒否。そのうち一人の青年はマスコミが取り囲む中、葉劉淑儀に対して「自分は港島区で投票権 あるが、アナタには投票しない。陳太(アンソン=チャン)に投票すると決めてる」と堂々と言い放つ。葉劉淑儀は冷静に「チラシだけでも読んでみて」と求め るがチラシ受け取りも拒否され葉劉淑儀も立場なし。四年前の反感はいまだ消えず。
▼先週の朝日新聞にあるエドワード=サイデンステッカー先生の追悼記事(白石明彦編集員)。コロラド大学に寄贈されたという50年代からのサ氏の日記60 冊。興味深し。
東京の湯島とハワイに半年ずつという生活が長く、永住権を取得して 昨春から湯島を終の住処と定めた。下町に江戸の残照を見た永井荷風を敬愛し、下町散策を楽しんだ。谷中墓地を歩き、大正12年9月1日と昭和20年3月 10日の死者の多さに気づいたと、晩年の随筆にある。
アタシが1990年当時あと少し東京に住まうのが長ければ池ノ端でサイデンステッカー氏の知遇得たJB君に連れてもらいサ氏のその湯島の家にお邪魔できた かも知れなかった、と残念でならず。

九月廿九日(土)午前中書斎にて雑事済ませ昼前に裏山でも走ろうか、と思ったが午前十一時より或る寄り合いあったことすっかり失念しており気がついたのが 四十分前。で金鐘に急行。昼過ぎに寄り合い主宰のT氏と食品店Greatのカフェで昼餉がてら雑談。午後薮用あり。早晩にZ嬢と湾仔の波止場で待ち合せ フェリーで尖沙咀。HABITŪ Ristranteにパスタ食す。葡萄酒をグラスで豪州のRoseroadだったか、失念。香港文化中心。香港管弦楽団で「薔 薇の騎士」を全曲通しで歌唱と演奏。指揮は同管弦楽団総監督の江戸出割音(Edo de Waart)氏。 コンサートマスターがJohn Harding氏に替って初めての拝聴。唸るような音色が好き。割音氏が香港管弦任されて四年目?か、今晩の演奏はさすがオペラ上手の氏だけあ り、楽団の演奏は充分に満足できるもの。この楽団、コンマスはじめかなりの団員が替わり、以前とはもうすっかり別のオケの如し。レベルかなり向上。だが三 分の二くらいの奏者が外人部隊では地元のオケという親近感に欠ける。歌唱は元帥夫人にDagmar Schellenberger女史、オクタヴィアンがMichelle Breedt女史、ゾフィーにHeidi Elisabeth Meier女史、で男爵(オックス)役のFranz Hawlata氏がかなり出色。ファイナルはWolfgang Holzmair氏。三時間余のオペラ作品を歌い手とオケの演奏だけで全曲通す、というのだから「飽きてしまうのではないか」と多少懸念あったが、なかな かどうして必要最小限の演出も用いて客を飽きさせず。Z嬢と一緒に「元帥夫人の嘆きがつくづく身にしみる年になった」としみじみと思う。香港文化中心の幕 間のバーコーナーで三鞭酒供しているのを初見。一杯HK$120は高すぎ、で誰も飲まぬ。
▼九月廿六日の毎日新聞より引用。
渡海紀三朗文部科学相は26日、安倍晋三前首相の教育改革路線とさ れる競争原理の導入について「義務教育には持ち込むべきではない。基本的には学校間の競争は極力さけなければいけない」と否定的な見解を示した。また、政 府の教育再生会議が導入を検討している教育バウチャー(利用券)制度にも、慎重な姿勢を示した。渡海文科相は「教育は市場原理になじまない。市場原理主義 で物事を進めると、社会にひずみが生じ、格差を生み出す」と述べた。バウチャー制度についても「バウチャーをもらっても(学校を)選ぶところがないという 地域的な問題が解けない」と安倍路線との違いを見せた。さらに、道徳を名称変更し、徳育にするという再生会議の提言には「言葉は重要ではない。(中身を) しっかりやっていくべきだ。なぜそう言わなければいけないのか聞いてみたい」と述べた。
官房長官町村君曰く「教育再生国民会議にはひきつづき活動していただく」。教育担当首相補佐官の山谷某も続投。だが実質的には年内に答申出させて「はい、 ご苦労様」か。この茶番劇のさなかにヤンキーから国会へ、の変節先生だけが「おいしいところ」ゲットか。文部科学省、築地のH君の指摘通り、渡海紀三郎君 の文相就任は幸い。この10年、小坂憲次君を除けば概ね「タカ派」が独占の文相ポスト。その後釜の渡海君はかなりリベラル派。もともと新党さきがけ、だ。 教育基本法改正成就で「さあ次は下位法をバンバン改定していきますよ」「教育現場も覚悟決めて従えよ」の背水の陣で、この文相人事は「当面、教育改革はほ どほどにやります」の意思表示か。で、間違いなく窓際であった中教審が蘇生。会長が山崎正和君。当面は「保守リベラル」の教育行政に転換か、と再生会議よ か「まだずっとマシ」で期待するか。
▼昨日のビルマでの日本のAPF通信所属記者の死亡について。築地のH君の話では東京新聞は昨日の朝刊で件の写真をトリミングせずに一面で掲載。キャプソ ンは「負傷し、倒れこみながらもカメラに収めようとする男性」。但し「日本人記者殺害」が同じ1面トップ記事にあり、写真がその決定的瞬間とは気づいてお らず、か。トリミングして掲載した社の場合は「長井さんかもしれないが、確認がとれない」状態での判断だったの鴨。だが外電ではすでに断定しており微妙な ところ。

九月廿八日(金)晴。ミャンマーの反軍政デモ取材中の日本のAPF通信所 属記者が流弾に当たり死亡。蘋果日報もSCMP紙もロイター配給の、この記者が倒れながらも兵隊が民衆追い払う光景撮影中の写真を大きく扱う。が 日本では「遺族に配慮」か朝日も日経もこのロイターの写真はトリミングされ倒れてもビデオカメラ離さず撮影する記者の姿はない。センセーショナリズムでも なく、現場の事実は事実としてレンズに写ったデモ鎮圧、撮影取材中に倒れた記者の姿をそのまま出すことに何か差し障りがあるかしら。このミャンマーでの現 実がむしろそのまま世界に報道されることが戦場や過酷な現場の記者の本望と思えてならず。諸事忙殺され晩に至る。帰宅してNHKのNW9を観ると上述のロ イターの画像映し出され至近距離から撃たれたらしき映像もあり。だが報道は「どういう状況で撃たれたか」とお得意の市街地の無意味な模型など見せ流弾なの か意図的な殺害なのか?と推理(有閑)。流弾だろうが意図的銃撃だろうが後ろから撃たれようが前から撃たれようが、戦場であるとか軍がデモ参加の民衆鎮圧 に武力行使する現場で、どうでもいいこと。平和ボケ甚だし。オマケにミャンマーの日本大使館の公使まで電話口でこの記者殺害につき「どういう状況だったの か」と語らせようとするが(わかるはずもなし)、まずは「遺族の方に心からお悔やみ申し上げます」とお通夜の如し。外国人記者の入国が制限されている状況 でヤンゴン市街で軍の民衆鎮圧の現場でビデオ撮影していた戦場記者の死因よりも「どうして軍政が続くのか?」を切り込むのがマスコミの必要性のはず。 NHKのニュースセンターに年収1,000万円以上の職員がどれだけいるのかしら。……でこの低いレベル。報道に携わるのなら一度、修行のため戦場に出て みてはどうか。「現地の日本人の安否も気遣われています」とキャスターの柳澤某。民主運動家が自宅軟禁される軍政国家。独裁であるミャンマーであるとか中 国、シンガポールに住まうのは自分なり隷属する企業の意志、判断なのでありリスクは本来自分で担うものなのだから日本政府が安否気遣う必要も非ず。アタシ もそうだが日本国に対して所得税も納めておらぬのだ。庇護する必要もなかろう。而もそのような軍政府独裁の其処に家族連れていくことのリスク、ヤンゴンに 日本人学校を設けている必要性の有無をよく考えるべき。キャスター柳澤某の「明日、国連大使がミャンマー入りします。これにミャンマー政府がどういう対応 をするのか、今後の対応を見きわめたい」という虚無な言葉で報道締めくくられる。馬鹿以外の何ものでもなし。NHKといえば社会部に堀某なる若手記者あ り。現場で、クルーもクルーだが、いちいち「私のいるここがっ」と画面外で言ってからレンズの視野に飛び込んできたり、風景からカメラを思いっきりパンさ せて現場の前に立つ自分に振らせる。陳腐。郵政民営化。これまで郵便局が郵便ばかりか貯金、年金まで扱っていたのが民営化で郵便配達の局員は貯金も年金も 扱えず。而も局員のリストラで新聞配達も郵便局が担う僻地では新聞配達は夕方に。「今までは局の人になんでもお願いしてましたから、これからほんと不便に なりますね」とNHKの取材に答える僻地に住まう住民の方々。ここでネタが終わる。これが報道か? 「こんな弊害もある郵政民営化、これを昨年の夏、多く の有権者が支持したのです」と往年の久米宏なら言ってみせたか。郵政民営化で不便強いられる方々に、郵政選挙では反民営化の候補に投票しましたか?と尋ね たい。小泉さんなら何か改革してくれるのではないか?と期待してあの時、自民党に投票していやせぬか。反民営化で共産党に投票するなりして意志表示した か。続いてのニュースです、「各地で地震災害に備え防災訓練」と。学校では地震予知情報が流れたら10秒もかけず防災頭巾かぶり机の下に隠れる訓練。防災 頭巾被っても屈んで頭を守るため項(うなじ)から頸の付け根が顕わに。学校の机の支柱が何トンの落下速度に耐えられるのか知らぬが、その顕な頸を重さでや られたらひとたまりもあるまひ。防災頭巾はB29の空襲で火の粉の舞うなか防空壕に逃げ込むまでに有効。地震で机の下に隠れるなら、便所坐りで屈むより寧 ろ、天井落下などの重圧から頸、そして頭を守るために床に横臥でもしたほうが安全というガイドラインもあり。肩の強硬な骨が頸や胸を守る。足を瓦礫に挟ま れるほうがまだマシ。防災の訓練がどこまで真意に防災なのか、むしろフーコー的には防災訓練の名の下に権力により訓練がなされ、それに從う国民の養成こそ 主眼。では消防署で何の訓練がされているか、といえば大地震予測の警報が流れたら、まずは消防車や救急車を建物の外に出す訓練。なぜかといえば、大地震で 停電になった場合や建物が傾くなど被害で出ると消防署の車庫のシャッターが作動しなくなり、シャッターが開かず消防車や救急車が出動できなくなる可能性も あるからです、と。シャッターをつけなければいいのに。どうせ24時間体制なのだし夜半に賊も押し込むまい。ちなみに香港の消防署は車庫に扉あるが、横開 きの蛇腹で通常は電動だが手動も当然可。で何処だかの消防署では、静岡が今日の最高気温摂氏35度という依然酷暑のなか、隊員の訓練で17kmだか持久走 して熱中症で消防隊員が死亡。いつ非常事態で出動があるかも知れぬこと想定すべきが訓練(香港ならヴァレーボールと30分のジョギング)。消防隊員が熱中 症でヘロヘロになってどうするのかしら。なにが危機管理なのか、てんでわかっておらぬ。相撲部屋の若手力士リンチ殺害は非難されるがこの消防署とて同じレ ベル。ミャンマーの軍政もおかしいが、日本もじゅうぶんにヘンなのだ。内田樹『先生はえらい』続き読む。

九月廿七日(木)バンコクのY兄に十月の香港での「アイーダ」の公演のチケット予約請われURBTIXのサイト覗くと(アイーダは5日間6公演すでに完 売)北角の新光戯院がついにネットでチケット販売開始の由(こ ちら)。驚愕。観客の平均年齢、ゆうに七旬は超えている世界、誰が入場券をネット予約するか疑問(笑)。いずれにせよアタシには便利至極。これま ではいちいち劇場窓口で購入だったのだから。さっそく十月の上海青年京昆劇団の「牡丹亭」の席を確保。楽しみ。本日見事な快晴で夕陽もまことに燦々。晩 に薮用あり夕餉を簡単に済まそうと天后の華姐清湯腩に牛腩河 食す。初めて華姐の尊顔を拝す。濁声で店の中で陽気に捲し立て振る舞う姿に中上健次の物語にあるオリュウノオバは実在したらこんな感じか、とふと思う。こ の近くの上海弄堂の婆サンもおなじような雰囲気あり。ところ で「薮用」なる語彙。最初はたんに「野暮用」の打ち間違い。ただ「野暮」というには、ウソでも自分で何らかの意志なり意図もってする事を「野暮」というの も謙譲表現としてもちょっと野暮、で何らかの事柄、だが具体的に綴るを厭い、さしずめ「某事」だろうが、「薮」は文字通り「薮」で「薮入り」という言葉が あるが薮に入っちまえば秘匿の感じもあり、すっかり薮用という言葉頻繁に用る。今日、ふと、ちょっと不愉快なことがあり、それでムシャクシャした結果、宮 澤賢治のような人になりたい、と思った。Z嬢に「賢治のようないい人に」と、その話をすると、果たして賢治はいい人だったかどうか、賢治に纏る斎藤秀雄の エピソード(『嬉遊曲、鳴りやまず』に出ていた話)など読んだかぎりでは、とてもいい人、とは思えない、とZ嬢に笑われ、確かにその通り。ところで斎藤秀 雄だってかなりのものだね、あんな歪んだ性格の人が、先生、先生と慕われ今だってああして教え子たちがサイトウキネンなんてオケまで作って演奏してくれて いるのだから世の中面白い……と話す。晩遅く内田樹『先生はえらい』(ちくまプリマー新書)読み始めたら、師弟関係は基本的に「美しい誤解」という記述が あり。「誰も知らない、この先生の素晴らしいところを私だけは知っている」という誤解。これを読むとサイトウキネンがなぜ存在し得るのか、を妙に納得す る。
▼立法會港島区補選にレジーナ葉劉淑儀女史が正式に立候補。03年に50万人デモ引き起こす直接の原因となった基本法23条での治安立法について当時の保 安局長として事実上、更迭の身。当時は謝罪要求など突っぱねたが今回は「市民に対して当時の自らの言動を謝罪」と。23条立法は当時の特区政府としての政 策であり自らは保安局長として主管であったが立法化に尽力した、というのが彼女の弁明。それにしても「ヒットラーも選挙で選ばれた」だの「休日のデモはレ クリエーションのようなもの」といった一連の言動が常軌を逸するのは確か。今回も謝罪発言は選挙での得票狙いのリップサービスに過ぎぬ、と泛民主派は一 笑。確かにこのオバサンの権力志向の強さ、独特のものがあるが、かりに立法會議員、はたまた行政長官就任?の場合、けして単なる「共狗」にはならぬ気もし ないでもなし。ところで今回の参選表明に同席の支援者には親中派御用政党民建聯や自由党の代表は当然として、まず気になる存在は地味だが史泰祖医師あり。 03年の50万人デモで「醫學界七一民主行動」組織した史医師の、今回のレジーナ支持は「変節か?」と非難されもするが常識、いや見識ある人で今回の判断 が香港の政治的分断を避けるための選択という言葉に深みあり。他に英国統治時代の政務官  David Akers-Jones卿、蘭桂坊の Allan Zemanや元喜劇役者マイケル許冠文の姿もあり。マイケル=ホイがその場にいることが喜劇か。勘違い甚だし。親中派の梁愛詩が正式にレジーナ葉の推挙人 というのは驚かぬが名誉顧問に「香港の市川房枝」Elsie 杜葉錫恩女史(94歳)の名があることに驚き。もともと保守派ではあるが、この老政治家に「香港の良心」アンソン陳方安生に対する評を聞いてみた いところ。

九月廿六日(水)蘋果日報は「張 學友狂炒菲傭 3年換21人 菲領事館列黑名」と歌手のジャッキー張學友夫妻が三年の間にフィリピン人メイド21人を理不尽に交替させ在香港フィ リピン総領事館でメイド雇い主のブラックリストに名前あり、の由。 Z嬢と昼前に北角からフェリーで紅磡。好像蔡明亮電影裡面的下雨。中秋翌日の休日に紅磡に渡るは香港のミニバス大王・馬亜木氏の「紅磡大環山新邨11- 13 第二座地下」に登記されし住所の確認。日頃の生活の中で気になりつつきちんと「まとめていない」こと少なからず。その一つが「ミニバス大王」と称される馬 亜木氏のこと。香港で六百輌のミニバス有し、ミニバスの運賃収益で不動産投資続け不動産資産がHK$20億とかいう記事も数年 前に新聞で見たが「露出の少ない」富豪で、馬氏所有のミニバスには所有者として馬亜木の個人名で登記住所が「紅磡大環山新邨11-13 第二座地下」とあるのだが紅磡に大環山公園だの公共プールはあるが大環山「新邨」は見つからず。で調べると、この大環山邨新ってのは40年くらい前に紅磡 界隈が開発された当初の団地の名称で、その後それが紅磡邨となり現在は家維邨。そこで家維邨に馬亜木氏の登記上の住所=会社?がどうなっているのか、を確 かめに赴く。北角からのフェリーで渡海に驟雨あり。雨歇み見る見るうちに快晴。かつての黄埔の唐樓ならぶ路地を抜け観音廟に賽す。この裏手が家維邨。戦後 の罹災者団地が如き公共団地も今ではすっかり立派な公共マンションに建て直されミニバス大王の当該住所は当然なし。G 階には診療所や福祉事務所などあるだけで、考えてみればミニバスという公共交通機関とはいえ民間会社の事務所が公共地にあったらおかしい鴨。一応、このか つての大環山新邨「跡地」には馬亜木氏のミニバス会社は不在と判断。ちょうど路地に官塘行きのミニバスが泊まっていたので意味もなく乗車。官塘で雲南麺粉 でも食そうか、と思う。ミニバスの車内で紅磡の地図を見ると家維邨の近くに「紅磡邨」発見。而も大環道という行き止まりの道。此処を見逃したのは不覚。官 塘で贔屓の「雲南風味」に赴けば中秋で連休二日。隣の榮華川菜館という開業三十年余の上海料理屋に食す。小籠包、紅油抄手と 銀芽肉絲。オンボロ、といえばそれまでの食肆だが、それを古めかしさとしてノスタルジーでPRする、なかなかの商売上手なり。食後、どうしても「紅磡邨」 が気になりタクシーで紅磡に戻る。紅磡邨に向うが此処も罹災者団地を重建しての公共マンション団地。ここにも馬亜木の手がかりなし。行き止まりの大環道。 広い空き地あり。其処もかつては紅磡邨で今後再開発でマンション建設待ちか。公共団地でもかつての罹災者向けの「難民アパート」ならG階にドサクサで公共 交通機関と名乗ったミニバス会社が登記上此処にあったが再開発で建物取り壊され……と想像できなくもなし。但し現在も数百両のミニバスが登記上の住所を 「紅磡大環山新邨11-13 第二座地下」としておりアタシの調べでは新車ですら同じ住所が書かれている、という、そういうことが許されていることがかなり不思議。そ もそもアタシが何故こんな事が気になり始めたか、といえばミニバス会社の登記住所が「大環山新邨」という公共団地にあること、なのだから。謎は深まるばか り也。バスで油麻地。Cinemathequeで第4回香港亜州電影節のうち河瀬直美監 督『殯の森』観る。満席。カンヌ映画祭でのグランプリ(審査員 特別大賞)受賞作。優しいようでいてかなり無理のある展開、一昼夜かけて彷徨う山中が「とても奈良らしい」里山のような光景であること、など、『萌の朱 雀』から河瀬直美監督の作品を看ているアタシらでもちょっと疑問点少なからず。ただ例えば『垂乳女』で生と老い、に続いてこれを観ると、この抽象的な作品 でテーマ明らか。主演のうだしげき氏は奈良の地元の文人。河瀬監督の「火垂」に感動していたが「監督と居酒屋でたまたま会ったのが縁」で、以後、監督の協 力者となり今回が役者に初挑戦の由。奇縁。尾野真千子はデビュー作『萌の朱雀』から10年で、すっかり大人の女性になっていた。観客として、この河瀬直美 の世界にすっかり浸かることだけ。午後遅く映画館を出ると中秋も過ぎ、だ いぶ傾いた太陽が油麻地の市街に、夏にはない興味ぶかい陰影を浮かび上がられている。急いで帰宅し早晩に筲箕灣。アタシらの所属するランニングクラブ恒例 の「十六夜の月を愛でるトレイル」で十数名でバスで石澳の岬のつけ根。香港トレイルを逆走し小一時間で「龍脊」に上がる。午後遅くからまただいぶ雲が出て 暗天となるが辛うじて雲の絶え間に東の海上に浮かぶ十六夜の月を愛でる。持参のビール飲み干しウエストバッグに忍ばせた携帯用小瓶のジャックダニエル飲 む。二更に筲箕灣に戻り越華會海鮮小館。路上に貼り出しの卓 で夜風浴びつつ海鮮に舌鼓。麦酒を大いに飲む。

陰暦八月十五日。中秋。安倍内閣にとっては陰暦でも八月十五日で終戦か。閣議で安倍内閣総辞職決定。産経新 聞は「安倍内閣最後となった閣議には、安倍晋三首相も出席した」ってアナタ、小渕首相が倒れ当時の青木官房長官が首相の「辞任の意向を伺った」と して首相臨時代理に就任し総辞職、の時ならまだも、安倍三世は過労で入院で首相の臨時代理も置かず「総辞職の閣議には出たい」と表明しており前日記者会見 までしているのだから「安倍首相も」はないだろうに……。ところで内閣が閣議で各大臣の辞表を集め総辞職、となるが一人くらい「自分は辞職しない」と言っ て辞表書かない大臣がいたりしないのかしら。その場合は罷免? 安倍内閣発足が昨年の九月廿六日(マスコミはちょうど1年、と書いているが陛下による首相 任命が今日中に行われないと=明日にずれ込むと安倍三世は危機管理上それまで職務遂行じゃなかったか)。ふと昨年九月廿六日のアタシの日剰読む(こちら)。この日アタ シは、野党と自民党離脱組に加え自民党反主流派、ハト派大量離脱で小沢一郎主犯の連立内閣が生まれる夢から目覚め安倍首相による組閣は「今回の安倍チョイ スで誰よりも強烈な印象与えるのは大臣でなく首相補佐官「拉致担当」中山恭子様」とアタシの感想(笑)。安倍三世の所信表明の記者会見が「明日の未来、で 意味不明」、その内閣が1年で教育基本法改正と日中関係是正だけ成功したことは予想通り。市街で通りがかりの民衆に内閣の布陣を見せて「どう思われま す?」と質問し安倍内閣への期待感テンコ盛り報道してみせたNHKの責任追及すべし……と言っても全てが「終わったこと」で、これで流してしまうのが「美 しい日本」。ああ……馬鹿馬鹿しい。で今日の現実に戻ると、福田康夫君首相就任。参院では民主党の小沢一郎君指名される。決選投票で小沢君に入れた共産党 の協調特筆に値す。夕方、雨空の雲が晴れうっすらと青空。中秋の月が愛でる鴨。帰宅して福田内閣組閣をNHKで眺める。昨年の九月廿六日を真似てビール飲 みながら。栗ごはん炊いていたがN氏にいただいた「いかめし」も頬張る。福田内閣は安倍第二次内閣の主要閣僚再任(17人中13名)。軍事専門家石破茂君 の防衛大臣就任は本望か(前回は防衛庁長官だったし)。だが安倍三世に対して「何を反省しているのか明らかに」と迫った石破君の態度はすでにたんなる軍事 オタクに非ず。05年5月時点での築地のH君と行った組閣案を比較してみると、アタシらのも派閥領袖起用という点では自民党の旧体質、派閥政治再演という ことで非難も可。しかし当時は小泉帝の御世、ポスト小泉で安倍三世浮上。そこで「なんとしても安倍首相誕生阻止」のため反安倍勢力の大同団結という点では 町村、谷垣、高村、古賀といった領袖ばかりか、当時の前原民主党も割って小沢君を引っ張り出したもの。これを今日の組閣結果と比べてみると
内閣総理大臣 - 福田康夫 ◎ 予想的中!
無任所大臣(副総理) - 小沢一郎(無所属)× 今回は民主党からの分裂なし
首相特命補佐官(中国担当) - 加藤紘一 × 対中関係問題なし
総務大臣 - 魚住裕一郎(公明党)× 公明党は冬柴君国交相に留任
法務大臣 - 武見敬三 × 鳩山邦男君起用は民主党でもポストなき兄への見せしめか
外務大臣 - 古賀誠▶党選対 
財務大臣 - 亀井静香 × この組閣当時はまだ離党前 国民新党はいぜん閣外勢力
文部科学大臣 - 久間章生 × 文相適任だったのだが原発発言はアタシらも想定外
厚生労働大臣 - 河野太郎 × 特措法「強硬」新法案「には」反対、で家系としてぎりぎりハト派
農林水産大臣 - 園田博之▶党幹事長代理
経済産業大臣 - 額賀福志郎▶財務大臣
国土交通大臣 - 平沼赳夫(古賀君絡み)× この組閣当時は郵政選挙での離党前
環境大臣 - 浜四津敏子(公明党)× 公明党との連立関係も小泉時代に比べると希薄か
内閣官房長官 - 町村信孝 ◎ 予想的中!
国家公安委員会委員長 - 中曽根弘文 × 郵政選挙での変節ぶり、「戦犯」扱いで入閣遠し、か
防衛庁長官(現・防衛省大臣) - 高村正彦 ○ 安倍内閣ですでに就任で今回外相、ほぼ的中か
内閣府特命担当大臣
 沖縄及び北方対策担当 - 麻生太郎(古賀君絡み)× 今回は総裁選孤高ぶり、入閣固辞、で男をあげた?
 金融担当 - 塩崎恭久 × 渡辺喜美が安倍辞任で泣いてみせ、篠原演芸場っぽく留任
党総務会長 - 谷垣禎一▶政調会長 予想ほぼ的中!
党政調会長 - 衛藤晟一君 × 郵政国会で党除名、無所属で落選で参院選(比例区)で復活、と茨の道
幹事長 - 笹川堯君 × 当選7回で党内基盤強そうだが今ひとつ上がってこない先生
衆議院議長 - 森喜朗 ……これは実現に向け、まだ期待か(笑) 但し森君起用は小泉時代に安倍期待論高まるなか福田首班とするにあたり森派(町村派)分裂のためのトッ プハンティング策にすぎず
こうしてみると、この組閣案で、その夏の郵政国会選挙で自民党離脱した議員のうち、この組閣案に亀井、平沼、衛藤と3名もいたのがポイント。この組閣案が いかに改革派重視であったか。結果的に今回の福田君本人による組閣案と同じような顔ぶれになったが、今回はすでに安倍三世失脚の後と思えば「派閥政治再 燃」と批判されても致し方あるまい。それでも今回は自民党結党以来の最大の危機的状況という点では派閥領袖揃っての大同団結で来る衆院選に向けていかなけ ればならぬもの。実は、築地のH君に言わせれば良く言えば「The 自民党」とでも言うべき「相当に手強い」布陣。現在の自民党の持ち駒を使い切った最強の顔ぶれ(加藤紘一と山拓さんを除く)。これに比べれば、松岡に赤 城、補佐官の「チーム安倍」や高市早苗だの小池百合子だのの安倍内閣の連中などトーシロー。小沢一郎にとっては「いちばんやりにくい相手」のはず。派閥均 衡・挙党一致の実現で、外部から自民党の懐に手を突っ込んで、の手が封じられ福田総理との対立軸を争点化するのも簡単ではない。徳俵に足が乗った、追い詰 められた自民党の知恵の総結集。「とにかくぜったい下野したくない」という永年与党の執念。H君の言を借りれば、いまの自民党が構造改革派・穏健保守派・ 極右派の三派が鼎立で、小泉内閣は構造改革派主導に極右派がのっかった内閣。安倍内閣は極右主導で構造改革派をとりこんだ内閣。とすれば福田内閣は極右派 をパージしたが新自由主義推進の構造改革派と、反・新自由主義の穏健保守派の両方に跨がったもの。今後は両派の主導権争い=どちらが首相の取り込むか、の 争いで、小沢一郎としてはそこに楔を打ち込んで分裂を誘いたいところ。もともと小沢一郎君は90年代には新自由主義改革の旗手として売り出し。民主党も松 下政経塾に象徴される都市型の新自由主義政党として成長してきたはずが今年の参議院選挙ではすっかり「反・自由主義改革」路線に宗旨替え(笑)。一見、選 挙向けだけの顔のようだが小沢一郎君がこの数年、本当に改心した、という噂もあり。今後の流れとしては自民と民主の「ガラガラ、ポン」でもう一度、保守派 とリベラル派を篩にかけて、民主党から前原君らネオコンサバが保守党(現・自民党)に入り、自民党からハト派勢力が袂を分け民主派結集とならねばならぬ。 小沢君の狙い目もこのへん。問題はその時に世論が新自由主義の構造改革路線の過ちを見切ることができるかどうか。H君の憂慮は、この数年の浮かれたような 「改革ブーム」は一段落したものの、小泉三世個人の人気がまだ高く、肝心の「最後の」総選挙で有権者がまた「小泉改革」の如きものを支持してしまう可能性 も相当あり。日本国民はみずから革命を起こせぬぶん、施政者による構造改革の掛け声などすぐに信奉するキライあり。ところでNHKのNW9は番組冒頭でま ず昭和51年だかの福田パパの首相就任の映像流し「憲政史上初の親子二代の首相誕生」と。親子二代の首相が初なのは事実だが、今日のニュースとしてはまず 福田二世の首相就任であり参院での小沢一郎君指名であり、それに先立つ安倍内閣総辞職であり、そこでようやく昭和51年の映像が順番ではなかろうか。しか も「憲政史上初の」ってアナタ、日本では憲政を始める前提で太政官制度廃止し内閣制を採り(明治17年に伊藤博文が初代総理大臣に就任、同22年に大日本 帝国憲法の制定)なのだから憲政=内閣制だと思えば、親子二代の首相が初という時に、いちいち「憲政史上初の」なんて枕が、結局は無意味で、ただの報道で の言葉の箔づけでしかないこと明白。ちなみにシンガポールでは(シンガポールを憲政国家と言っていいかどうかは疑問だが)すでに親子二代の首相が誕生して いるのでNHKは厳密に「日本の憲政史上初の」と言うべきだったのかも。ところで佐藤栄作の時に、細川十八世の時に、いちいちNHKは「憲政史上初の」兄 弟、祖父と孫、と言っていたのかしら。とにかく報道がチープなセンセーショナリズムばかり。雲立ちこめるが風もそこそこあり雲の流れも早くマンションの裏 手に井で東の山から月もずいぶん上がったか、と眺める。偶然にもぽかりと開いた雲の絶え間に中秋の月を愛でる。久が原のT君より「三五夜中新月色。二千里 外故人心」と白楽天の詩が届く。『考える人』07年夏号で吉田秀和と堀江敏幸の対談少し読む。NHK-FMの「名曲のたのしみ」。そう、番組冒頭「名曲の 楽しみ。吉田秀和」と氏の語りから始まる。「吉田秀和です」と言わない。ここに行き着くまでの少しの苦労を語る吉田秀和。素敵だ。あの至福の時。そして 「じゃ、また来週」で終わるのだった。30年以上まだ続く。永遠に続かないかしら。
▼今朝の蘋果日報がトップで「闊 太發火 國泰讓步 考慮航機升降時名牌手袋免放行李架」と離着陸時の乗客の「ハンドバッグ騒動」続報。こ れは乗客が離着陸時に乗務員の指示に従わずハンドバッグを棚に収容せず抱えるもので(高級ブランド品ゆゑ手許に置きたいワガママ)、キャセイパシフィック 航空はこの乗客を断じて許さず乗務員と口論。香港有数の富豪の妻もこの一悶着あり。口論どころか着陸後に安全規則に従わなかったことで乗客を警察に引き渡 す(笑)ほどの強硬路線踏襲。警察が来るまで他の旅客も機内で待たされ迷惑千萬。他の航空会社も同様の規則はあるものの「わがままな客は放っておく」由。 キャセイパシフィック航空は断固安全重視か、と思われたが内部資料で機長に対して、この措置の緩和も検討の余地あり、と通告。さらに資料には“a high profile incident when a lady passenger got very upset when asked to place her designer handbag in overhead storage.”とあったことで管理層は「ブランド品=金持ち客には諂うのか」と嗤われ……以上がこの報道の顛末。興味深き点は二つ。まず、ご婦人方が 結局は「高級ブランドのハンドバッグを手にしている」ことでしかアイデンティティを保てぬ性根の貧しさ、そして「搭乗客を全て管理下に置くこと」で権力の 装置たる航空会社(フーコー的よね)。その二つであるから当然、反発が生ず。結果的には客とサーヴィスの供給者という点で航空会社側が譲歩、となる点も最 終的には資本主義の鉄則か。
▼十一月の歌舞伎座の恒例顔見世。夜の部で音羽屋、松島屋に富十郎の「土蜘」はいいが最終幕が「三人吉三」で孝太郎、松緑に染五郎。
▼自民総裁選。地方票で麻生候補の善戦伝える報道がほとんど。だが河北新報は「予備選は麻生氏2票、同情票か 宮城」と(笑)。「福田氏が国会議員票で当 初から優位だったため、麻生氏に同情票が集まったとみられる」ってコレを言っちゃぁお終いよ。
▼ミャンマーでの僧侶デモ。市民デモへの拡大に対して軍政府の冷静な対応は中国政府による圧力の由(信報)。来年の北京五輪成功願う中国政府はミャンマー 軍事政権の主要な支持母体でありミャンマー軍が一旦デモ弾圧に動けば中国政府の印象も損ねかねず。

九月廿四日(月)自民党福田総裁の党人事。アタシらは谷垣君には「党務で汗をかいてもらおう」と総務会長に推したが(十三日の日剰参照)、二階君留任が谷 垣君は政調会長。いずれにせよ「党務で汗をかいてもうら」ことには変わりなく、アタシらの気持ちを福田二世も汲んでくれた由。高村防衛庁長官は留任でこれ もアタシらの読み通り。町村君の官房長官就任もおそらく確実。我ながら実に的確な読み。外相候補の古賀誠君は党で選対。今「風水が最悪」と最も注目される 農相に推挙の園田博之君は幹事長代理留任か。どうであれアタシらの意図した内閣が誕生しそうなのは確実。安倍三世が早晩に記者会見。疲弊した姿は憐れです らある。しかし記者会見での
総理大臣は、在職中に自らの体調について述べるべきではないと考 え、会見で体調の変化に言及しなかった。しかし、辞任を決意した最大の要因について触れなかったことで、国民に私の真意が正確に伝わらず、申し訳なく思 う。健康問題について率直にお話をするべきであった。
という発言を聞くと、「辞任決意の要因に言及しかなったので真意が正確に伝わらず申し訳ない」っていったい……。「真意が正確に伝わらず」というのは何か の発言が誤解された場合であるとか、久間君の原爆発言のような「そういう意味じゃない」時の言い訳のはず。コメントで触れていないことは正確どころか不正 確にも伝わらないのが当たり前。何を考えているのかしら。晩に雑煮を食す。下郡山現君の『信じろ とぼけろ 救われろ』(秋葉工房)読み始める。アタシはほんの一、二度会ったことがあるだけなのだが彼は昭和の終った年の夏に逝去。その彼の日記、遺稿集が1995 年に出版され、先日それをネットの古本屋で入手のもの。
▼葉劉淑儀の立法會港島区補選立候補表明は今週木曜の由(蘋果日報)。政府元高官らが支援、で具体的には梁愛詩が支援表明、ってそれぢゃ更に票が逃げよう というもの(笑)。公務員票、とくに警察や入境事務處など制服組の票に期待だそうだが、どれだけがこの「制服組の印象悪くした上司」に投票か。「ルペンよ り鼻をつまんででもシラク」という点では、一見すると陳方安生だが、「香港の良心」(と言われる)陳方安生が本当にどれほどの良心なのかアタシは知らぬ し、保安局長時代の印象が思いっきり悪い葉劉淑儀が、それじゃ立法會議員になったらただの愛国忠僕で「民衆の敵」か、というと意外とそうでもないよう な……。だからと言って「葉劉淑儀に一票」となるか、と言うと、あの基本法23条立法図った時の悪態ぶりは、まさに「千古罪人」なのだが。

九月廿三日(日)秋分。半藤一利『荷風さんの戦後』、正確には今朝五時前に目覚めて続き読み読了。さすが当時の荷風にかかわった文人らの日記などから興味 深い話の抜粋多し。村の催事あり朝七時半より仕事手伝い晩に至る。晩にその打ち上げあり末席を汚す。終わって数名でバーYにて歓談三更に至る。
▼蘋果日報一面で「港警大阪胸襲OL」と報ず。わざわざ日本で女性の胸を触り捕まった警官も可笑しいが蘋果日報の「絵」が精緻で実に大阪らしい風景。大い に笑う。

九月廿二日(土)快晴。気温は摂氏廿六度。湿度50%台で風もあり心地よし。室内の日陰にあれば冷房も要らず。子どもの頃、夏とはこういうものであった。 本来であれば裏山にのぼり一、二時間走りたいところだが今週は疲労と倦怠感著しく、おまけに今朝方の夢見悪し。机まわりの整理などして昼に至る。数日前の 朝日新聞の吉田秀和氏の音楽展望「バイロイトの今」を読む。夫人の死の絶望と老いを通り越してしまった「若い」吉田秀和がこの夏、バイロイトへ出かけて! 観た「ニーベルングの指環」の、氏から見たらずっと若い演出家らの果敢な表現への積極的な理解。アタシのようなオペラ音痴にもぐっとくる、わかりやすく、 而も哲学的に深い解説。オペラが舞台と音楽の総合芸術であることを、まんべんなく見て、それを伝える氏の、ああ、なぜ八旬の氏のこの青春の如き日々かし ら、とただただ敬服。午後、部落の寄り合いあり。終わって風呂に入り帰宅。先日Z嬢が築地で購った生山葵を賞味しませう、とかまぼこや焼いた蓮根など食 す。この季節の菱角なども頬張る(美味いものではにないが)。ようやく半藤一利『荷風さんの戦後』読了。
第10回北京国際音楽祭。さすがオリムピック来年開催控え音楽祭も盛り上 がり。バレンボイム、巴里交響楽団などなど……の中で最も大活躍は郎朗。さすが。郎朗のための音楽祭の如し。音楽家は演奏家である以上にプロデューサーで あり政治家でなければならぬ、の見事な例。10月25日の Lang Lang and Christoph Eschenbach with Orchestre de Paris のこれは見てみたい。……とまで書いておいたが信報の文化欄の記事によれば「5+4+1=10」と、これが何かといえば5つのオケ、4人の指揮者で1は郎 朗で、郎朗がこの一ヶ月の音楽祭で5つのオケと4人の指揮者相手に演奏するピアノ協奏曲が10曲だそうな(演奏会は8回)。まさにオリンピックの景気づけ 利用して郎朗が独舞台。まぁ今が旬、やれるだけやっておきましょう、と、これは芸人にとっては大切なこと。沢瀉屋だって病に倒れれば観られないのだから元 気なうちに頑張っておいてもらって良かった、と同じこと。それにしても郎朗の個人プロデュース企画で、ならいいが北京国際音楽祭という晴れの場をリサイタ ルにしちまうのだから凄いプロデュース感覚と政治家根性。
▼母国秘露で刑事訴追されているフジモリ容疑者、滞在先の智利でも秘露政府からの引き渡し請求再審理で智利最高裁は「軍による民間人殺害への関与」等の容 疑で引き渡し認める決定。今回の決定は異議申し立て出来ずフジモリ容疑者近日中に秘露に移送され母国にて刑事裁判被告として最高裁で裁かれる由。秘露以上 の母なる国、日本で間違って国会議員になどなっていたら「日本の馬鹿さ加減」世界に更に公表するが如し。落選はフジモリ容疑者公認が国民新党であったか ら、の幸甚。これが下手に自民党であったら、最悪。だがフジモリ容疑者の公認が自民党でなく国民新党であることも、同党の亀井静香チャンは「民主党の自民 党以上の幅の広さ」懸念してみせるが国民新党ぢたい「鵺の如し」。
▼中国天主教北京教区で昨日、教区主任(李山)の就任祝う聖典あり。当然、中国天主教愛国会の傘下での任命だが、かつて中国のこの愛国教会嫌悪したヴァチ カンは北京に歩み寄りの姿勢みせ、先日、安徽省だかで愛国教会が任命の主教をヴァチカンが承認。今回の北京の教区主任任命もヴァチカンは容認らしい。雪解 けといえば聞こえがいいが、政界より政治的なる宗教界。ヴァチカンと中国共産党は巨大カルトvs巨大カルトの攻防戦か。それにしても最近、中国で任命され る主教だの教区主任、なんだかどのツラ見ても聖人の徳など感じられぬ、むしろぬぼ〜とした間抜け面ばかり。いったいどういう人がどういう基準で選ばれるの か。ふと北野武監督の『教祖誕生』彷彿。

九月廿一日(金)多忙続く。右肩の痛み癒えず余計に疲労感あり。晩に尖沙咀。バーWにカルスバーグビール一飲し涼をとる。九龍公園にある文物資源中心 (旧:香港歴史館)にてRoyal Asiatic Society主催でGordon Mathews博士の “Chungking Mansions, A World Centre of Low-End Globalization”という講演会あり。拝聴。公園に足踏み入れただけで、やはり気温が一、二度涼しく、公園の樹木のありがたさしみじみと感ず。 この文物資源中心、いかにも歴史的建物風に拡充し格調高し。会場のレクチャールームはほぼ満席で盛況。Mathews博士はエール大学(アメリカ学部)卒 業後に1980年代は日本に滞在。93年にコーネル大学大学院にて博士号(文化人類学)取得しハーバード大学ライシャワー日本研究所を経て1994年から 香港中文大学人類学部、で現在は教授。司会がMathews博士は「アラスカ生まれで」と紹介した時に司会者は「アラスカ生まれの人類を初めて見た」と。 これで場が和らぐ司会の妙。文化人類学者が重慶マンションをフィールドワークしたから、と言って別段、大発見があるわけでもなく、面白可笑しくこの A World Centre of Low-End Globalization の実態を見てみましょう、といったところ。それにしてもMathews博士、人懐こいメタボだが英語のその早口といったらアタシがこれまで耳にした中でも 群を抜いて早口。とにかくよく喋る。楽しそうに面白可笑しく重慶マンション語る、まぁ大した話芸。で忘備録的にいくつか書き出すと、尖沙咀の重慶マンション、1962 年建立、数年後にはテナントの地権の分譲、転売烈しく、すでに“no unified ownership”状態で現在、約900の地権者がいると言われ4割は非中国人でカルカッタやカラチ在住もおり、尖沙咀の黄金の1マイルにありながら 「再開発」の俎上にあっても地権者の最後の一人まで建て替え承認得ることはほぼ不可能であり重慶マンションは下手すると半永久的に存在か(九龍城の場合、 英国植民地政府はその扱いに困ったが香港が中国に返還されることで、清朝政府の公用地であった土地の「再開発」は問題なし)。このビル群にアメ横の如き ショッピングセンター、インド料理など飲食店、細々と淫売宿、90軒の安宿があり国籍だけでも25と多彩に4〜5千人が居住(短期滞在含む)。現在の主流 はアフリカからの零細承認で香港や広東省で仕入れた物品を40kgの手持ちで故郷に持ち帰っての販売(これも立派な貿易か)。Mathews教授は90年 代にバックパッカーでこのマンションに滞在が調査のきっかけの由。アタシは1984年だか、重慶マンションでも最も安宿のA座16階にある Travelers Hostelに投宿が最初。博士の発表では現在、安宿の最低料金がHK$60の由。当時、このホステルが確かHK$35だった記憶あり。料金は倍近いが当 時はHK$1=25円くらい。今にして思えばアタシが投宿した頃は重慶マンション建立からわずか20年余、なのだが、それにしてはすでにかなり老朽化して いた印象あり。厳密に言えば20年ですでに「伝説化していた」と言えよう。講演ぢたい面白いが、さすがRoyal Asiatic Societyの講演会だけあり、老いた英国人のメンバーが1962年にこの重慶マンションが尖沙咀に建てられる頃の光景を覚えている、と語れば、当時、 香港警察で尖沙咀が管轄だった、という元警官も当時の実態など語り、Matthews博士自身がこの話に身を乗り出して聞き入るほど。もともと南洋華僑や 中国から逃出の資本による合弁の土地開発であったものが尖沙咀でモスクに近いことなどイスラム圏資本がこの一帯を重用。淫売宿がこのマンションで最も盛ん だったのはCanton Rdに軍埠頭があったことからベトナム戦争などで米海軍が立ち寄った頃のはず、と貴重な話少なからず。終わってMathews博士と一緒に重慶マンション で夕食会、という余興?あり、かなりの数の聴衆参加したようだが金曜夜で重慶マンションでとても一つのレストランには入れまい、と博士は2つくらいの場所 に別れて食事し、食後、重慶マンション裏の尖沙咀で(香港で?)最も安いバーで懇談は如何?と提案していたが、どうなったものか。アタシは一人、尖沙咀東 へ。映画観る前に軽く晩飯と思ったが尖東の地下の核シェルター「一平安」が満席。まさか一人でやはり盛況の五味鳥や「兎に角」に入る気にもなれず、そうい えば尖東でも場末にかつて「御多福」とかいう日本料理屋あったところが居抜きで鄙びたベジタリアン印度料理屋になっていた、いつも閑散としているから、あ そこなら、と行ってみると店の中は空っぽ、裏の調理場からの出口で店主らしき印度人が調理器具など運び出し、の最中。廃業とは今晩はついていない。午後九 時より香港科学館にてLuis Buñuel監督の“Los Olvidados”(邦題は『忘れられた人々』)観る。カンヌ映画祭で監督賞作。今月、このLuis Buñuel監督の全貌、で上映続くが時間が 全くあわず『アンダルシアの犬』も他のエロな映画も全く観られず残念。この映画、社会主義リアリズム、と いえばそう。視点がどこか中上健次的でもあり。アタシは人が、それも性根は純粋な人がだんだん悪に染まり落ちてゆく態を描く物語は好き。何かのちょっとし た悪事、それも偶然の産物の如きものがキッカケで転がるように。だんだんと悪事も悪事と思わず、と心に悪魔が住んだか、で最後も救われず。歌舞伎の芝居で もお夏清十郎、不知火検校、累、暗闇の丑松……といくらでもあるが、このLuis Buñuelの映画、それがまた貧困層の十代の少年ら、の物語、悪の道から這い上がろうと更生しよう、とした主人公の少年まで結局は救われ ずに殺され、而も死体が破棄される、という、そういう意味では全く夢も望みもない世界。それが現実、としたらリアリズム映画か。ところで少年たちを主人公 にしたこの映画、タイトルの“Los Olvidados”は、確かに「忘れられた者たち」だろうが、貧困社会で誰にも見向きも相手にもされぬ少年たちがボロボロになり死んでゆく、という意 味。これを「忘れられた人々」の邦題はあまりに貧困な感性。舞台は第二次世界大戦後のメキシコシティ。物語の舞台はスラムの如き貧困層が住まう下町。だが 遠くに1940年代末に高速道路の高架橋!に自動車が走り、少年が逃亡し徘徊するシティでは(貧しい少年はあやうく変なオジサンに買春されそうになるのだ が)商品が溢れピカピカの自動車が市街を走る。第二次世界大戦の欧米の混乱の中で中南米がつかのまの繁栄をした時代、その中でも大きな貧富の差を、きちん と描いて見せているところはさすがLuis Buñuel監督の腕の見せ所。いい映画。三更に銅鑼湾に寄りバーS。ご亭主に日本の土産でPeace煙草(箱入り)1カートン差し上げた ら「とっておいたんですよ」とPeace煙草(缶入り)1カートン(10缶入り)の箱をいただく。Peace煙草の意匠ぢたいきれいだが箱がまた美しく、 缶入りピース煙草の箱など、それぢたい珍しいのだが、それをとっておいていただいた。ありがたい。知己の客少なからず款語。近隣に住まうS氏とタクシー乗 り合わせ十二時過ぎに帰宅。
▼香港島のStubbs Rdにある1937年建立の中洋折衷建築の豪邸・景賢里の解体工事進行。 宝田明の香港映画など数々の映画などで舞台となった風光明媚な建物、ピークに向う観光バスの客も思わず目を見張る建築だが長年、空家のままで老朽化進む。 アタシは八月末だかに車でここを通ると引っ越し会社が家具など搬出しており、てっきり歴史史跡扱いとなり地権者が私物持ち出しか、あるいは7つ星ホテルへ の改築か、いずれにせよ壊されぬだけマシ、と思っていたが、これが大間違い。で九月に入ると解体工事始まる。歴史保護団体やマスコミが大騒ぎ。政府は私有 地として関与できぬ、と一旦は表明。だが慌てて歴史的建造物と指定し地権者との交渉始める。が最近、文化行政担当で脚光浴びる政府高官・林鄭月娥女史が折 しも昨日の古蹟切手発行記念の場で暴露するに、この景賢里の地権者、土地建物の第三者への譲渡契約持ち上がり、譲渡数カ月前に香港政府に対して譲渡の話が 持ち上がるが歴史的建物で何ら問題はないか、と諮問。これに対して文書受け取った行政長官府は文書を管轄である古物古蹟辧事處に回したが、担当部署の粗忽 で早急なる対処怠り、地権者は政府の公式回答得られるまま土地建物譲渡。買い手はさっそく「再開発」。古蹟辧は人員不足で手が回らずと説明、実際にスター フェリー埠頭の解体など民意含め懸案事項少なからず。私有地である景賢里の建物は対処優先されず、か。いずれにせよ解体現場の惨さ。
▼蘋果日報一面トップで「十六歲媽媽產子 十六歲爸爸扮執到送院親兒當棄嬰」と記事あり。16歳の娘が妊娠し自宅洗面所で自ら出産、家族も娘の妊娠には気づいておらず、そ の子の父たる同い年の相手少年にどうしようかと算段。少年は友人二人と策を練り警察に「捨て子を拾った」と届出。警察は事情聴取で少年に不審な点があり問 いただし少年は我が子と自供。……若気の至りか、ここまでは敢えて驚かぬが警察は少年を「與未成年少女発生性行為」(未成年少女との姦通)の罪名で逮捕し 友人二人も「誤導警務人員」(警察への偽証)で拘留。未成年者の性交の善悪などアタシはここで問わぬが、「大人が少女を姦淫」で罪を問われるならまだし も、同い年の少女と交わった少年へのこの罪は適切かどうか。そして、ふと「生殖機能をもつ年齢」と「性行為が合法とされる年齢」の、この差に<近代>なる ものを感じざるを得ず。
▼朝日新聞で論説主幹「もし「君が代」に二番の歌詞があったら」の若宮啓文君が「安倍首相の因縁」と題し「戦後」巡る村山政権との皮肉な対象を語る。93 年の河野洋平官房長官談話や95年の村山首相談話に対して「自虐史観」「あれはアジア解放の戦争」と反発した自民党の若手タカ派議員の中核にいた安倍三 世。村山富市君が首相になると自衛隊合憲、日米安保堅持と言い切らざるを得なかった如く、安倍三世が首相の座につき村山・河野談話を継承、と。若宮氏、あ えて、安倍三世が靖国参拝見合わせ日中関係打開は「右派政権ならでは」と指摘し「村山談話への非難の声が政界で影をひそめたこと」を安倍政権の皮肉な功 績、と。御意。首相の大任から降り安倍三世が靖国を堂々と参拝しようがしまいが、とにかく安倍ほどの右派でも首相となると靖国参拝できず戦争責任を否定で きぬ、ということは今後の保守反動右翼の政権にとっては足枷となるもの。結果、戦後レジームの解消どろこか戦後レジームの強化、か。

九月二十日(木)安倍内閣メールマガジン「これまで、安倍内閣メールマガジンをご愛読いただきましてありがとうございました」と先週の首相辞任伝えた第 46号が最後だった由。第46号での反響を発表(こちら)。 本日、郵政署から「香港法定古蹟」の記念切手発売。さっそく購入。今回の切手の意匠かなり落ち着いており、前回の野鳥シリーズも含め、香港の近年の一連の ダサい記念切手続くなかでは多少、真っ当に軌道修正か。諸事に忙殺され晩に至る。
▼新聞は短い文章で内容を正確に伝えるもの、と信じているが最近の記者の乏しい文章力ではそれも無理。例えばロイターの「国連謝意決 議、民主党は国連中心主義外交の見直しを=官房長官」という記事。見出しだと「民主党=国連中心主義外交、それを見直せ」と読めるが、記事を読む と
与謝野馨官房長官は午前の会見で、19日に国連安全保障理事会での 謝意決議に関して、「日本の給油活動が国連の意志に合致した行動をとってきたことに確信を得られた」と述べた。国連安全保障理事会は、アフガニスタンでの 米軍主導の作戦での日本を含む各国の貢献に謝意を示す一文を盛り込んだ決議を賛成多数で採択した。官房長官は、民主党に対し「国連の意志を尊重して外交を 行っていくということを一度考え直してもらう必要がある」として「全体の考え方の整合性をどうするのか、鳩山氏などに課せられた宿題だ」と述べた。官房長 官は「小沢代表の思想は国連中心主義であり、どういう形であれ、憲法の制約の中で国連の意志に従って行動するというもの」との認識を示した。さらに「国連 の謝意決議は、日本の給油活動を評価し将来継続することが必要だと安保理が表明している」として、小沢代表に海上自衛隊の給油活動継続のために必要な新法 成立への理解を求めた。
そうで、この記事からだけ事実関係を理解しようとすると、日本の米国支援=国連で認められたもの、だが民主党に対し「国連の意志を尊重して外交を行ってい くということを一度考え直してもらう必要がある」となると、民主党に「国連の意志を尊重するな」となりゃせぬか。それで「国連の謝意決議は、日本の給油活 動を評価し将来継続することが必要だと安保理が表明している」のだから民主党の小沢代表に理解を求める=国連の決議を尊重せよ、ってぐちゃぐちゃ。……で 困って他の記事を探ると朝日新聞の「町 村外相、安保理決議を歓迎 海上阻止活動に言及」は
町村外相は20日午前、海上阻止活動に言及した新たな国連安保理決 議が採択されたことについて、「我が国としては、この決議を歓迎する。引き続き、責任ある国際社会の一員として活動を継続する必要があると改めて判断し た」と外務省で記者団に語った。町村氏は今月上旬に豪州で開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の際の日米外相会談で、新決議への協力を米側に求 めたことも明らかにした。採択の際にロシアが棄権したことについては「採択されたという事実が重要なのであって、全体の決議の意義を減殺するものではな い」と述べた。高村防衛相も同日、記者団に「(有効性は)全く薄れない。反対ゼロ。有効投票14票で全部賛成。これを国際社会の意思と言わないでなんと言 うのか」と有効性を強調した。与謝野官房長官も同日の記者会見で、「国連安保理の決議は過去の給油作戦の重要性を認識し、諸外国の行った活動を評価し、活 動の継続が必要であると表明されており、国連の意思はそこにある」と同党の対応を牽制(けんせい)した。
とあるが、この官房長官の談話について「同党の対応を牽制」って、その同党がどの党なのか不明(笑)。もう「いい加減にしてよ」というくらい杜撰。記事も 切り貼りだからこういうことに。真っ当な記事を探すと日経の「高 村防衛相「民主党の反対理由なくなる」、鳩山氏「十分でない」」だろうか。
海上自衛隊が支援するインド洋でのテロ海上阻止行動(MIO)など に謝意を示す決議を国連安全保障理事会が19日にも採択する見通しになったことを踏まえ、日本政府は海自の給油活動継続に向けた新法案の作成を急ぐ方針 だ。野党の民主党は「新決議の内容は活動継続の明確な法的裏付けと言えない」として反対姿勢を続ける構え。与野党どちらの主張が世論の支持を得られるか、 今後の国会論戦が極めて重要になる。参院で第一党となった民主党の小沢一郎代表はアフガニスタンでのテロ掃討作戦について「米国の戦争であり、安保理決議 で正当と認められていない」との立場だ。高村正彦防衛相は19日午前、記者団に「(新決議があれば)民主党の一番大きな反対理由はなくなる」と強調。与謝 野馨官房長官は記者会見で「国際社会が日本の活動をどう評価しているか。理解する目安となる重要な決議だ」と語った。民主党の鳩山由紀夫幹事長は記者団に 「国連安保理決議は必要条件であって十分条件ではない。結論を大きく変えることにはならない」と力説した。
というもの。最初に挙げたロイターの記事をわかりやすく正確に書き直すと
官房長官は、民主党に対し今回の国連決議を受け米軍支援反対につい て「国連の意志を尊重して外交を行っていくということなら、もう一度考 え直してもらう必要がある」として「全体の考え方の整合性をどうするのか、鳩山氏などに課せられた宿題だ」と述べた。官房長官は「小沢代表の思想国連中心主義ならば、どういう形であれ、憲法の制約を受けつつ国連の意志に従って行 動するというもの」との認識を示した。さらに「国連の謝意決議は、日本の給油活動を評価し将来継続することが必要だと安保理が表明している」として、小沢 代表に海上自衛隊の給油活動継続のために必要な新法成立への理解を求めた。
ということか。書き直してみると、記事の表現というより官房長官の発言の「てにをは」がおかしい。ただ記事も発言をそのまま、ではなかろうし、発言という のは脈絡あってものなので、部分だけ取り出すと文法的にはヘンであったりするから、意味が正しく伝わるように書き換えるわけで、いずれにしても記事がヘ ン。ロイターで英語で書かれた記事の自動翻訳か……まさか。
*この記述について、ネット上の報道記事は随時書き直されるため引用記事がリンク先の本記事と異なっているかも知れず。請御了承。

九月十九日(水)曇。諸事忙殺され晩に至る。年末に薮用で東京行き二泊、飛行機も宿泊先も押えたものが取り消しとなり多少がっかり。放送作家の村上氏、つ ねにバンコクとかへの片道切符残していることが神安定剤のようなもの、もうダメ〜っというくらい疲れた時に一泊でもいいから緊急脱出する、と、その気持ち がよくわかる。今のところ自分の近い将来のitineraryがないことが少し寂しい。ところで、あの愛煙家、蔡瀾氏が禁煙。今日の蘋果日報の随筆で公 表。さすがの煙民も喫煙で咳が止まらず、で致し方なし。ただ喫煙の習慣とニコチン中毒から逃れるのは易からず東京で購入の禁煙パイポ「紅茶味」がお気に入 りで、但しニコチンは禁断症状あるので日に四本のミニシガーを毎日の三食の後と「あと一回がいつかは想像にお任せ」で燻らせ、それでも禁断症状ある時はニコレットでニコチン摂取で禁断症状抑える由。蔡瀾であるから、あれ ほど「禁煙なんて馬鹿馬鹿しい」と言っていたが、いざ禁煙となるとそれを面白可笑しく書くから……この人らしさ、か。いつまで続くか?と皆が期待?すると ころ。アタシはいつの間にか喫煙の習慣失せており、たまに誰かに勧められたりバーで一服もあるが習慣戻らず。パイプも時々思い出したように燻らす程度で、 パイプのほうが美味いと思っているから紙巻きに手が出ないのかも。
▼中環のKennedy Rd歩いていて軒並ぶ画廊がなにが「うんざり」かと言えばどの画廊も中国の現代画、みんな人物をテーマに男は決まって坊主頭の痩せぎすでランニングか開襟 シャツ姿、大口開けて笑うがどこか寂しげ、少年には稚気失せた老いを感じ得ず、オンナはきまって七十年代の文革紅衛兵か。……とこの手の絵画ばかりがやけ に眼につく香港のアート市場。これにうんざりは劉健威兄も同じだったようで先日の信報随筆で、この「ポスト天安門」の中国絵画、所謂「調侃派」、ただ「笑 うしかない」巷民の蒙昧無知を的確に表している、と言えなくもないが、この醜化された中国人像が商業的に現代アートの主流に挙げられ評判となり売買される ことへの中国人としての不愉快。しかも投資対象で中国人がこれを売買することに劉兄疑問呈す。御意。
▼親中派御用政党民建聯が昨日、立法會補選にあたり党として葉劉淑儀女史支持を正式決定。会議後、民建聯と代表と並んで記者会見のレジーナ女史「参戦を積 極的に考慮」と宣う。本来であれば今月初には出馬表明のはずが泛民主派で突然のアンソン女史出馬で情勢判断続けるレジーナ女史。民建聯の支持受けても(こ の支持受けることで余計嫌われるか……笑)その場で出馬表明出来ず、煮え切らず。麻生太郎君ぢゃないが負け戦覚悟の善戦を挑むか、或いは出馬取り消しも自 ら出馬表明後の取り消しに非ず「民建聯や親中派のご推挙はいただきましたが出馬は控えさせていただきます」も得策か。どう考えても今回の一騎打ちで落選よ か今回は逃げて次回の立法會選挙に范徐麗泰(立法會議長)引退の後釜で立候補=当選の方が将来の行政長官の椅子虎視眈々と狙うなら良策。かといって今回出 馬取り消しも最初の一歩で蹴躓くようなもの。今になってレジーナ女史、つくづく保安局長時代の恐怖政治ぶり後悔か。アンソン女史の出馬とて結局一言で言え ばレジーナ女史に対する「あんな可愛くないオンナ、誰がアタシですらなれなかった行政長官にするもんですか」の怨念か。
▼香港の通信大手PCCWに対して大陸資本某氏が買収挑む、とSCMP報ず。PCCWといえば社主の李澤楷君は香港での普選実現求め財界代表するリベラル 派。立法會選挙での泛民主派候補支援への去就注目されるところ。そのタイミングでPCCWの大陸資本による買収話も意味深。北京政府は香港財界に今回の補 選で踏み絵強いるが如し。
▼親中派言論人として香港で威勢よかった徐四民氏(鏡報創刊人)今月九日に逝去。昨日葬儀。この葬儀の報道見ても思うのは、董建華君、行政長官退任後、と にかく彼の仕事といえば親中派要人逝去で葬儀の際に棺出しの左最前列。このした殯(もがり)での神妙な表情見ていると、この人、けして悪い人じゃない、と はわかるのだが前行政長官のためにいまだ公費拠出されているかと思うと情けない話。
▼永田町について書かせたら今いちばん凄いのが『小泉の勝利 メディアの敗北』で注目された上杉隆なのは間違いなし。このジャーナリストが安倍三世首相辞任に見事なタイミングで『官邸崩壊』を新潮社より上梓。安倍内 閣、実は、就任直後の首相に、電撃的な中韓訪問で輝かしいスタートを切らせた若き側近たちの自信、忠誠心競争、功名争いが、間もなく自画自賛と自己顕示に 変質し、初期には成功の要因だったチーム編成自体が危機の誘因に反転した……というアイロニーの分析の冴え(と以上、朝日新聞書評の野口武彦の記述引 用)……で「読んだつもり」。今にして思えばちょうど一年前、安倍首相誕生の折、組閣よりも脚光浴びたのが首相補佐官らの勇姿。嗚呼、この人たちが日本を 変えてゆくのか……と。それが結局、何もできぬままに掃いて捨てられたのだから不幸中の幸い。

九月十八日(火)晴。速晩に薮用あり長沙湾へ遠出。茘枝角の地下鉄駅楼上の長沙灣廣場なるSCになにげに入る。繊維業かつて盛んな場所柄「女装」のブ ティックがフロアに所狭しと並ぶ(長沙灣道向いの香港工業大廈は更に圧巻)。どう見てもダサいが製造場所直結で繁華街のブティックより廉価、各製造会社の 製品展示も兼ねる。でこのブティック多いのは「なるほど」とわかるのだが長沙灣廣場で不思議なのは「果物屋がやけに多い」こと。中秋節まえでご贈答用に籠 に満載の果物売れるため、この季節、果物屋が賑わうのは承知だが果物屋などふつうは街路に面しているもので場末の商業ビルに果物屋並ぶのは異様。確かに長 沙湾には公営の蔬菜批發市場あり、此処から1kmと近し。だが、だからといって、かつて秋葉原に東京青果市場あったからといってアキバが「果物の街」には 成らず。で「長沙湾の商業ビルになぜ果物屋が多いか」は憶測で生きているアタシもすっかりわからず。帰宅途中にジャスコで葡萄酒二本(ジャスコが意外と葡 萄酒の数は少ないが品揃え充実、値段も他大手に比べ安かったりすること最近、発見)と好物の大班冰皮月餅いくつか購う。ジャスコの月餅売り場でも大班麺麭 の一人勝ち。アタシも含め、どう見てもご贈答でいただいた月餅はうんざり、で自分が食べるのに冰皮月餅購うと見受けられる客ばかり。なにせ要冷凍なのだか らご贈答には向かぬ。広東省で家禽インフルエンザ再発〜!のなか晩餐は鶏腿肉のヨーグルトソース煮。葡萄酒はすっかりハウスワインとして定着の智利の Escudo Rojoの04年。NHKテレビでニュースに続き「歌謡ショー」始まってしまいテレビを消すの逸するは最悪の火曜日。小林旭の「熱き心に」 がいくら微妙に音程が♯する小林旭でも往年に比べ完ぺきに「旭ちゃん、半音♯しちゃってるぜ」で、アタシがバンマスならオケを半音上げるだろうが上げたら 上げたで小林旭はさらに半音♯するのかしら。怖い。「文珍・南光のわがまま演芸会」という番組で文珍師匠の「マニュアル全盛時代」を聞く。無条件で可笑し い。先日の信州旅行で、わがライカで初めてカラー写真撮影(愚作こ ちら)。現像してみてそのライカの色彩に驚く。
▼先日、母から聞いた亡父の思い出話。藤島親方逝去が惜しまれた時なら新聞にでも投稿したのだが。
昭和三十三年の正月、若乃花(初代)初優勝パレードに沸き立つ花籠部屋ありし阿佐谷。当時、先考は杉並警察署の巡査。その日、一人の迷子に出くわせば、幼 き子、口を結びたるまゝ、名前も住所も全く答へやうとせず。さんざん問ひたゞして、やうやくわかりし其の子の素性。若乃花の末弟、將來の初代貴乃花なり。 兄の優勝パレードの日、迷子になつては兄に迷惑をかける……。それで警官に名前も明かせず、とは根性坐りし八歳の少年。花田少年、杉並で中學生になると水 泳で頭角を現し数年後の東都ヲリンピックの水泳選手かと囃され、其の後の大相撲での奮鬪ぶりは我等の知る通り。
▼広島の暴走族が「集会」開催を警察に阻止されたことで「集会の自由」謳った憲法に違反、と訴訟。天晴れ(笑)。だがここまでするなら暴走族も派手な外套 の背中に「憲法擁護」と刺繍して「憲法改悪反対」の雄叫び、「護憲」の幢を靡かせ、までしていただきたいところ。暴走族が自民党本部の門前に集り「憲法改 悪反対〜!」と集会すれば面白いのだが。
▼内田樹先生の『村 上春樹にご用心』について。タイトル読んだだけでも可笑しそう。読みたいが書籍購入し過ぎで自制。紹介にあった本文よりの引用「私たちの平凡な日 常そのものが宇宙論的なドラマの「現場」なの だということを実感させてくれるからこそ、人々は村上春樹を読むと、少し元気になって、お掃除をしたりアイロンかけをしたり、友だちに電話をしたりするの である。それはとってもとってもとっても、たいせつなことだと私は思う」を読んで、言えてるなぁ、と読んだつもり、に。そう、なんでもない日常生活が実は 凄いミラクルワールド、ワンダーランドなのだ、と。なんでもない小市民的な消費生活を「おいしい生活」とした80年代の西武をふと思い出す。
▼The Economist誌(9月1日号)の巻頭特集記事“Who's afraid of Google?”は出色。ある面では上述の「村上春樹がなぜウ ケるか」に近い、心地よさ、あり。みずからが一つの個にすぎぬのに地球の場所での在り処の確証。広告で成り立っているのに「広告が邪魔しない」洗練さの見 事。数数多ある雑誌のgoogle特集のなかで、さすが一流経済誌、と敬服。
▼紐育での法界坊だけでも勘三郎君には驚いたが今度は山田洋次監督が中村屋で文七元結を映画化の由。文七元結と聞くとアタシャやっぱり圓生、志ん朝の落語 が先だが仁左衛門の文七も見てみたいところ。この映画どうなることか、山田洋次の作風もけして好きとは言わぬが近年の時代劇もの全て香港で見ており中村屋 の文七もきっと見ることになるかしら。
▼ふと思い出したが土曜日に中環のStanley街歩いていると陸羽茶室の隣が大々的に内装工事中で今度は何が開業か、と思えばPeninsula Pharmacyが此処に。ペニンスラファーマシーと言えばかつてペニンスラホテル内で日本人観光客相手に大繁盛、が香港観光の主客が大陸田舎漢となり時 流に乗れずペニンスラホテル出て移転先が蘭桂坊のど真ん中。歌舞伎町ならさしづめ強精剤と避妊具だろうが、蘭桂坊は「変なおクスリしか売れましぇーん」な 場所。看板に日本語だけは「ペニンスラホテル薬局」とまるでペニンスラホテル系列の薬局の如く書いてあるのも御愛嬌だったが場所の悪さで三度び今度は陸羽 茶室の隣というのも「さもありなむ」な場所。確かに観光客狙いでわからぬでもないが……もはや日本人相手に観光薬局というコンセプトぢたい無理あるのでは ないかしら。
▼信報で依然、陳方安生女史の立法會補選出馬につき百家争鳴続く。社説にてアンソン女史出馬牽制の信報はついに林行止専欄で「天馬行空屬「搞笑」現實政治 兇險多」載せる(それにしても見事な漢題!)。けしてアンソン女史の立法會出馬否定はせぬ、が泛民主派の領袖気取りは凶事、と。だが同じ本日の紙面で香港 の大橋巨泉・鄭經翰と民主党元老・李柱銘が挙ってアンソン女史出馬で将来的な民主党と公民党の合併の可能性に言及。当のアンソン女史は今日になってアタシ はようやく読んだが月曜日の信報が出馬表明後のアンソン女史に独占インタビューで一面全面での特集記事掲載。信報の立場も微妙だが社論としてはアンソン女 史出馬に懸念、だが信報の実質上の社主はRichard李澤楷君で(最近「李嘉誠の次男」と呼ぶにはシェークスピア劇的にいろいろあり)リチャード君が財 界では民主標榜でアンソン女史出馬で資金提供ありやなしやと噂あり、で面白いところ。で、この独占インタビューでアンソン女史、冒頭から「今回の選挙の焦 点はreal issueでなく、候補者のcharacter integrityなのよ」と断言。つまり「香港の良心」たるアタシを取るか、恐怖政治の保安局長を取るか、と迫るようなもの。語るわ語るは歯に衣を着せ ず、で矢面に立たされるのは自由党党首のJames田北俊(田少)。田中真紀子の如き口調で「あの人、記憶喪失じゃないの?」と今回、親中派統一候補にな るであろう葉劉淑儀支持表明の田少に対して「基本法23条での立法の時は自由党が反対にまわったのに今回は当時の保安局長のレジーナを支持するわけ?」と 言いたい放題。それに対して田少曰く「当時はあの立法が香港のためにならぬ、と反対したもの。董建華であるとか葉劉淑儀、その各人に叱責しておらず、今回 は自由党の立場として香港の安定重視で親中的な、愛国的な立場をとる候補を推挙するのみ」と。これはこれで御意。

九月十七日(火)昨晩テレビ録画にて平成中村座七月紐育公演の「法界坊」観る。隅田川続俤(すみだがわごにちのおもかげ)。浅草聖天町の破戒僧法界坊を汚 き拵えにしたのは六代目だそうだが法界坊というとどうも勘三郎(先代)の、あ のニンどころか地がトラウマ。でそれを勘九郎君(勘三郎)が演じるのだから中村屋父子にとってはもはや十八番か……(コメントせぬが)。この紐育公演、難 癖つければいくらでも、だろうが「やっただけ偉い」。しかも海外公演で敢えて法界坊。紐育の目利きの客は「もっとシリアスな歌舞伎を観たかった」とコメン ト。それも素直な感想。だが、あれもまた歌舞伎。あんな、言ってみれば「ひどい」、歌舞伎座に掛けるを松竹なら厭う芝居を、あれも「やって損はない」のだ から、やらず高尚なコメント並べられるよか「やったが勝ち」かも。アタシは贔屓の橋之助の道具屋甚三を観られただけでも有難い。その成駒屋に勘九郎がさす がアリゾナに別荘、の達者な英語での台詞の中で即興で“He doesn't understand, because he finished elementary school only”だとか言ったのが可笑しい。当時、勘九郎君もそうだが梨園といえば暁星高校なのに(勘九郎君も暁星高校から國學院中退のはず)、橋之助君は役者 修行に精進と中卒で(だから“just finished elementary”は言い過ぎなのだが)十五歳で祖父五世歌右衛門追善興行で橋之助襲名ももう随分と懐かしい話。扇雀ものびのびと。沢瀉屋舞台に立た ぬも久しく歌舞伎にこのような役者一人くらいおらねば。で本日。朦霧続く。出街も厭う。晩に自宅にてドライマティーニ二杯。姫路のヤヱガキ酒造の「あら き」なる糯麦焼酎飲み蓮根と豚肉の炒め物食す。先日、松本でいなご社長にいただいた小布施堂の栗鹿の子と落雁、Kさんに香港でいただいた播磨屋本店(兵 庫)の丹波黒大豆の甘納豆頬張る。いいお菓子があるとお茶が美味い。
▼土曜日の朝日(衛星版)に佐伯啓思氏の「保守理念放棄した自民党」という文章あり。安倍政権追い込んだものとして挙げるは一に「その場その場の出来事に 情緒的に反応する不安定な世論」、二に「憲法や戦後レジームなど大きな理念避け「政治のカネ」に絞った民主党の戦略、そして三に「自民党自身」。一年前の 安倍担ぎ出しは小泉からの禅譲で国民的人気(当時の)、に肖り「選挙に勝てる」打算のみ。戦後レジームだのどーのこーのに非ず。で安倍では選挙に勝てぬ、 となればの使い捨て。「小泉政治以来、首相は世論の支持を調達し、選挙に勝つための広告塔という役割を割り当てられてしまった」と佐伯教授は指摘(だが基 本的に、例えば英国のブレアとて同じ、ぢゃないかしら)。「小泉政治によって、自民党は自らを大衆的人気主義の中へ投じ、もっとも急進的な「改革政党」へ と変えてしまった」もので「もはや自民党は保守政党ではなくなっていた」と断言。安倍三世は本来、自民党の党是的な部分(愛国心、自主憲法制定など)に基 づくもので「政治手腕も理念も小泉氏のものとは大きく異なる」のに「小泉政治を精算することができなかった」ことで「憲法や教育という戦後レジームの見直 しという保守的政策を掲げ、他方で改革の続行、成長の追求をかかげるという支離滅裂なもの」となった、とこの指摘は確か。佐伯教授の言う通り「グローバル な市場競争の強化は地方の疲弊と大量のフリーターを生み出し、「美しい国」とは矛盾する」し「日米同盟の強化は日本の自立心を失わせる」。もはや「保守政 党としての自民党は確かに小泉政治によってすでに壊れていた」のである、と断定するのだから、佐伯教授すらがここまで言いきったら小泉三世はさぞやご満悦 であろう。がさすが佐伯啓思、最後に一言「小泉政治のもたらしたつけは大変大きい」と(笑)。「つけ」なのだ。「つけ」ぢたい言葉は「借買い」でニュート ラルだが「つけが回ってくる」は広辞苑に拠れば「以前の無理や悪事の報いがめぐってくる」こと。
▼同じ紙面に佐伯教授と同じ京大の大澤昌幸氏の「ナショナリズム 脱却への普遍性めざせ」。手許に大澤教授の大著『ナショナリズムの由来』と『帝国的ナショナリズム』あり未読のためご本人の新聞への投稿読むと氏のナショ ナリズムに関する言及の結論がさきに読めてしまいそうで怖いが、大澤教授曰く、今日のグローバリズムの世界でなぜナショナリズムか?と言えばナショナリズ ムは反動的感情に非ず、グローバリズムのなかで普遍的原理が見出せないからナショナリズムが生まれるのであり、それを克服するために、と大澤教授は<普遍 性>を見出すべき、と指摘。その通りなのだが、その普遍性が見出せないから……と論は堂々巡り。この普遍性など、もうずいぶんと前から例えば樋口陽一先生 が指摘しているもので、だが凡人には<普遍の理念>などわからぬから憲法改正なんて戦後レジームのナントカなどと馬鹿げたことをぬかす。
▼話は旧聞に属すが先週だかの蘋果日報で林丁山氏がマカオのVenetian Resortについて。開業日にこのホテル訪れた知人は余りの人出の多さにカフェに避難しミルクティー注文して待つこと15分、催促して更に10分待ち出 てきたのが普洱茶でミルク添えられていた由。もう一人の友人は午後三時にチェックインし部屋あてがわれたのが午後九時。部屋の冷蔵庫は空で飲料水など買い に出るハメに。で翌朝チェックインの際に「ミニバーはお使いになりました?」と尋ねられ「まさか……何も使っておりませぬ」と答えるとフロントの職員に 「こちらの記録では冷蔵庫のお飲み物、すべてなくなっているのですが」と指摘された、と。近づかぬべき。

九月十六日(日)二週間前に続き今日はアタクシを含め六名でMacLehose TrailのSection 3を歩く。北潭涌から延々坂道の中央にカラーコーンが置かれ何かのレースにしては大袈裟な、と思えば同行のB君の話では自転車レースで昨年、暴走でバスと 衝突?で死傷者出て、のこの措置。だがかなりの数の自転車競走では車道狭くなると今度は接触事故とか起きやせぬか。午前九時に北潭凹の峠。曇天に恵まれ気 温もけして暑からず、かなりのペースで歩いた結果、11:45には西沙路の峠に下る。西貢に戻り海鮮料理でビールを飲みましょう、と、それにしても海傍の 料理屋どこも凄い人出。でも街市に近い方まで行けばどの店も閑散。西貢金輝 海鮮菜館なる食肆でゆっくりと蝦や蝦蛄、蜊など頬張りながら大いにビール飲む。ジムでサウナ一浴し帰宅。夕方、午睡。半藤『荷風さんの』続 き読む。晩に茄子を煮て、里芋の豚汁に栗ご飯。秋近し。
▼半藤一利『荷風さんの戦後』。これが荷風散人断腸亭日剰の当時の世相含んでの読み下しであるだけなら日剰既読の者には面白くもなし。それが半藤一利の筆 にかかると例えば荷風散人の罹災後の岡山での日々を同じ日の文豪谷崎の日記と対比させ、戦後の市川での暮らしも荷風の従弟で長唄の師匠である杵屋五叟の日 記を引くから荷風散人の変人ぶりが顕になり「荷風日記の面白さは自分を悲劇的な人物に作り上げたり、世に容れられない不遇で孤独な詩人に仕立てたりしてい るところにある」(河盛好蔵)の指摘も首肯けるところ。しかしここで終わらないのが半藤氏の真骨頂。五叟の部屋から聞こえるラジオの邦楽番組が五月蝿いと 苛立つ荷風の、その耳の敏感さに注目し濹東綺譚の
物に追はれるやうな此心持は、折から急に吹出した風が表通から路地 に流れ込み、あち等こち等へ突當つた末、小さな窻から家の內まで入つて來て、鈴のついた納簾の紐をゆする。其音につれて一しほ深くなつたやうに思はれた。 (以下略)
といった筆致を挙げる。実に巧い、半藤氏の持ってゆき方が巧い。小岩の東京パレス、の話も年寄りには懐かしが東京パレスについて「あの」高倉健が女郎屋通 い語る1975年のキネマ旬報の記事(こちら)見つけ読む。

九月十五日(土)朦霧。視界悪く無風にて劣悪なる大気。出かけるもウンザリで机まわり片づけ母に頼まれた文章書くなどして昼に至る。午後出街。行く宛もな く2番バスで終点は上環のマカオフェリー。海安珈琲室に憩 ふ。路 地から路地を抜け中環。Colorsixで写真現像受領。早晩にZ嬢とFCCで待ち合せ、まだ二時間半もあるが朦霧に外をふらふらする気力も失せFCC へ。ジントニック一杯。競馬中継あり。クラス2の第9レースと次のクラス1の最終レースだけ単勝で賭ける。前者は1番人気のPacking Winner、後者は2番人気のPocket Moneyとするがwhyte騎乗のPWもSize厩舎でCoetzee騎乗のPMもきちんと勝つ。1.9倍と4倍で手持ち資金増やし今季幸先良し。白葡 萄酒一杯。このまま飲んでいると酔いそうなのでアールグレイ紅茶を飲みながら原武史『鉄道ひとつばなし2』と姫宮栄一『香港』読む。いずれも途中まで読ん でいたものの読了。新書など一、二時間で読んでしまいそうだが『鉄道2』はアタシ自身が「鉄ちゃん」だからかどうしても細部まで読み込んでしまい熟読。原 氏はみずからを鉄道の専門家でもないし知識に乏しいと謙遜するが宮脇俊三、種村直樹、川島令三、嵐山光三郎ら(筆者がこの4人の先達の文章を真似て「東海 道本線での小田原から熱海」を舞台にパロディで書いてみせるのが可笑しいのだが)に対して原武史という人は鉄道随筆でなく、鉄道についてきちんと<批評> で書けるはず。ただ著者は好きで鉄道に乗っているだけで批評の対象になどしたくない、とおっしゃるだろうが。宮脇俊三の『鉄道2万キロ』、アタシも中学三 年の時に受験勉強そっちのけで読んだが、すでに廃線となった路線かなりあり、昭和の記録文学として著者もかなり評価、これは再読すべき。姫宮栄一の『香港 その現状と案内』は昭和39年の中公新書で著者は大正12年生まれで東亜同文書院出身(おそらく書院出身の最後の世代)。中日新聞の香港特派員。著者が香 港駐在の1960年代初頭は香港の日本人は千人に至らず総領事館と日本航空が中環のTak Shing Houseにあり(このビル、ほぼ当時のまま現存)、JETROが萬宜大廈にあり、香港大丸が出来て数年目、日本食といえばインペリアルホテルの東京レス トランとミラマホテルの金田中、という時代。この本には40数年前の興味深い記述多く後日それを綴る。Z嬢がFCCに来て簡単に夕食。智利のSanta Carolinaの赤葡萄酒飲む。FCCといえば20世紀の歴史に名を残す戦場記者であるClare Hollingworth女史讃えるラウンジの専用席が消滅、今晩もいらっしゃったが女史も一メンバーとして普通扱いの由。晩に市大会堂で香港シ ンフォニエッタ演奏会あり。ストラビンスキーの「ダンバートンオークス協奏曲」とハイドンの交響曲第94番「驚愕」。前者はJustin Brunsなる客演のコンマス除いて室内楽的小編成でこのオケでは多少難あり。指揮の葉詠詩もこういう曲は解釈が合わなく思える。後半は樫 本大進のソロでベートーベンのヴァイオリン協奏曲ニ長調。実演で聴くのはアタシは初めて。個人的には第1楽章のみで完成度からいくと充分、第2〜 3楽章は別の曲でもいい、とすら感じる曲。樫本大進の第1楽章は聴かせどころたっぷり。せっかくの香港公演であるからアンコールでソロで1曲くらい聴きた かったが香港シンフォニエッタのお約束でアンコールなし。帰宅して半藤一利『荷風さんの戦後』少し読む。今月に入り右の肩痛ひどく按摩、湿布でも癒えず温 泉も効果なし。肩にノミでも突いたような痛みに四十肩、五十肩……ただ老いを感じるのみ。枕下に茣蓙敷き枕少し高くし鎮痛剤服す。

九月十四日(金)昨日の安倍25億円脱税疑惑に続き今朝の蘋果日報は外報一面トップで「安倍疑患癌」なのだ。やっぱり新聞はここまでセンセーショナルぢゃ なくっちゃ。そ れにしてもここまで国政で面白みがある点で日本は台湾以上。松井今朝子女史が「敢えてボンクラを御輿に担いで優秀な人材が周囲をしっかり固めるというのは 太古から日本の典型的な権力構造」と見抜いているが、それを通り越して日本=ボンクラ国家、ということを痛切に肝に銘じるべきなの鴨。ところで「ぼんく ら」ってどういう意味?と思ったら「盆暗」は博打の隠語。「盆の上の勝負に暗い」で「頭のはたらきがにぶく、ぼんやりしていること。まぬけ」の意。で本 日、早晩に湾仔のDelaney'sでギネス麦酒一飲。永華麺家で雲呑麺。火曜日に日本から戻り安倍三世辞任で忙しく(笑)三 日目で雲呑麺食べようやく香港に戻った気分。西湾河文娯中心。安徽省は池州の「儺戯」参観。儺は宋代からの仮面舞踊。舞台に掲げられた「郷人衍慶」の額と 聯にある「村歌社舞蒙供、渾同方相氏、承衍郷人儺、棘矢桃弓祝事」の文字にある通り、日本でいえば神楽か田楽。音楽も鐘と太鼓だけで絃すら用いず、むしろ 素朴さ興味深い。が舞台に上げて客席から観劇するものか、は疑問。これが洗練されると雅楽の舞楽だろうし、今晩の演目にも「酔胡騰」というのがあったが、 晉の時代の中国の舞楽が廃れ、それが日本で林邑八楽のような形で「胡飲酒」など残り、むしろ洗練されたことも興味深いところ。遅晩に原武史『鉄道ひとつば なし2』読む。原武史のほぼ全著作読んでいるアタシには自然だが「鉄道モノ」でこの本を手にした人には突然、第一章「鉄道と東京」とか違和感もあろう。
▼香港の立法会港島区補選で陳方安生女史が泛民主派候補に絞り込まれたことに信報や左派の間で「非民主的」の指摘あり。アタシは陳方安生という人がどうい う本性なのか、は福田康夫君の「性格の悪さ」と同じくらいわからない。しかし選挙において候補者乱立で敵方勝たせるよか候補者絞り込みは常識の範疇。それ を「密室政治」とは言わぬ。こういう指摘が起きるのも香港が実はまだ選挙慣れしておらぬから、か。日本共産党以前のセンス。なにせアンソン女史の対立候補 (となるはず)のレジーナ女史は親分たる董建華に背後工作託し政府の保守派元高官の支援を得て立法會議長で今期で引退予定の范徐麗泰女史に取り入り保守派 と中間層に強い范女史の後継者扱いとなることで今回の得票及び次回選挙での議席確保まで余念なし。左派・親中派の支持集るのだから、これに対抗する上でア ンソン女史が担がれたのも民主派の候補絞り込みも当然のこと。

九月十三日(木)快晴。木曜日朝といえば安倍内閣メールマガジン。第46号の「こんにちは、安倍晋三です」は「改革、テロとの闘いを前に進めるために」と 題し、以下全文引用。
こんにちは、安倍晋三です。
内閣総理大臣の職を辞することを決意いたしました。
7月29日の参議院選挙の結果は、大変厳しいものでしたが、改革を 止めてはいけない、戦後レジームからの脱却の方向性を変えてはならない、との思いから続投の決意をし、これまで全力で取り組んできました。
また、先般のAPEC首脳会議が開催されたシドニーにおいて、テロ との闘い、国際社会から期待されている、高い評価をされている活動を中断することがあってはならない、なんとしても継続していかなければならない、と申し 上げました。国際社会への貢献、これは私の「主張する外交」の中核であります。この
政策は、なんとしてもやり遂げていく責任が私にはある。こうした思 いで、活動を中断しないために全力を尽くしていく、職を賭していくと申しました。
テロとの闘いを継続するためには、あらゆる努力をする。環境づくり についても努力しなければならない。一身をなげうつ覚悟で、全力で努力すべきと考えてまいりました。
そのために、私は何をすべきか。
局面を転換しなければならない。これが私に課せられた責任であると 考えました。
改革を進めていく、その決意で続投し、内閣改造を行ったわけです が、今の状況で、国民の支持、信頼の上で、力強く政策を前に進めていくのは困難である。ここは、けじめをつけることによって、局面を打開しなければならな い。そう判断するにいたりました。
新たな総理のもとでテロとの闘いを継続していく。それを目指すべき ではないだろうか。今月末の国連総会へも、新しい総理が行くことがむしろ局面を変えていくためにはよいのではないか、と考えました。
決断が先に延びることで困難が大きくなる、決断はなるべく早く行わ なければならない、と判断いたしました。
無責任と言われるかもしれません。しかし、国家のため、国民のみな さんのためには、私は、今、身を引くことが最善だと判断しました。
約1年間、メルマガの読者のみなさん、国民のみなさん、ありがとう ございました。
この間にいただいた、みなさんの忌憚のないご意見、心温まる激励 を、私は決して忘れません。
私は官邸を去りますが、改革、そしてテロとの闘いは続きます。これ からも、みなさんのご支援をお願いします。(晋)
とこれだけの文章の中に「テロとの闘い」のフレーズが4回。なにかに取り憑かれているのかしら。N氏曰く「ラマンチャの男と言えばかっこよさそうだが」 と。風車を巨人マタゴーヘルと間違えて戦いを挑み大怪我したピント外れ鴨。ちなみに今朝の蘋果日報は安倍三世辞任は今週末発売の『週刊現代』がスクープ特 集する安倍三世の父・晋太郎の遺産25億円を相続税対策で政治団体に寄付したものとしての脱税疑惑あり、週刊現代の安倍三世に対するコメント要求の期限が 昨日の午後二時(ちょうど辞任記者会見の時間)だった、とする。できすぎ、の話のようだが「さもありなむ」と思えなくもないし、香港の八掛新聞が簡潔に安 倍辞任の記事のリードでこれを紹介することがまた可笑しい。かなり久々に「きっこの日記」読んだら、この脱税疑惑ネタあり。蘋果日報の記事のモトはきっこ の日記かも。松井今朝子女史は「敢えてボンクラを御輿に担いで優秀な人材が周囲をしっかり固めるというのは太古から日本の典型的な権力構造とはいえ、激動 期にはそれが通用しなくなるのも歴史の語るところである。自民にしろ民主にしろ、安倍よりはチョイワルならぬチョイマシ程度の2世3世議員しか見あたらな い日本の命運や如何に。ただただ暗然たる気持ちにならざるを得ません」と語る。……という間に安倍三世心労で慶応大学病院に入院。機能性胃腸症。日本人の 四人に一人がこれ、という報告もあり。でも国民の四分の一が入院してるはずもなく、「バカ野郎、俺なんて毎日胃がキリキリでも……」とさらに安倍三世嫌悪 の国民も少なからず、か。いずれにせよ話題は次期総裁=首相争い。一つ懸念されるのは最近の歴代総理大臣は「前任者よりひどい」ことが選定の条件?になっ ているようなもの。となると俄然、本人も意欲見せる麻生二世(吉田三世)有利か。だが麻生二世、安倍三世とべったりの姿勢であった上に安倍辞任を「二日前 から知っていた」が調整できなかった=露骨な次期首相ポスト狙い、総裁選次期調整での混乱の幹事長としての責任……等々「麻生嫌悪感」党内に広まり、その 環境で晩に福田康夫君が出馬表明。ようやく、の感あり。この日剰紐解けば築地のH君とアタシがポスト小泉で福田康夫君首班で組閣したのが05年の5月。そ れがこれ。小沢一郎(無所属)が目立つが、これは当時、民主党代表が岡田君で(この年の9月の郵政選挙で民主党は大敗を期し前原坊やになるのだが)どうも 小沢君が民主党で浮き気味であったゆゑ。加藤紘一君が中国担当の特命補佐官なのは当時、小泉内閣で対中関係が最悪であったための調整役。で自民党で出来得 る限り真っ当な人選試みたつもり。
内閣総理大臣 - 福田康夫
無任所大臣(副総理) - 小沢一郎(無所属)
首相特命補佐官(中国担当) - 加藤紘一 
総務大臣 - 魚住裕一郎(公明党) 
法務大臣 - 武見敬三 
外務大臣 - 古賀誠 
財務大臣 - 亀井静香 
文部科学大臣 - 久間章生 
厚生労働大臣 - 河野太郎 
農林水産大臣 - 園田博之 
経済産業大臣 - 額賀福志郎 
国土交通大臣 - 平沼赳夫(古賀君絡み) 
環境大臣 - 浜四津敏子(公明党) 
内閣官房長官 - 町村信孝 
国家公安委員会委員長 - 中曽根弘文 
防衛庁長官 - 高村正彦 
内閣府特命担当大臣
 沖縄及び北方対策担当 - 麻生太郎(古賀君絡み) 
 金融担当 - 塩崎恭久 
旧大平派から「かつてのホープ」谷垣禎一君に総務会長として党務で 汗をかいてもらい、
旧福田派から政調会長は衛藤晟一君
旧田中派から幹事長は笹川堯君。
で、この結果、何が起きてしまうか?は史上初の首相経験者の衆議院 議長就任で森喜朗衆議院議長の誕生
というのがアタシらの読みであった。今回、福田首班で総裁選立候補の麻生、額賀の両君をきちんと組み入れ、古賀、平沼、町村といった人も適材適所に置き、 今回の福田首相担ぎ出しに最も暗躍の森さんを衆議院議長にする、と……見事、とつい自画自賛(久間章生君の文科相だけは時節柄、今ではマズいが。強いてい えば山拓さんが漏れていたが首相相談役だろう)。た だこれだけの、おそらくもう最後の最後「自民党の叡知」の人選だが残念なのは、いくらこれだけの布陣でも衆議院解散総選挙=民主党躍進となった場合、この 福田内閣が短命で終わってしまうこと。勿体ない。これに比べ、アタシらが今年8月に組閣の民主党連立政権
総理   菅直人(民主) 
官房長官 枝野幸男(民主)
外務   加藤紘一(自民新党)
財務   岡田克也(民主)
経済産業 亀井静香(国民新党)
厚生労働 長妻昭(民主)
法務   福島瑞穂(社民)
総務   田中康夫(新党日本・参院)
防衛   山崎拓(自民新党)
文部科学 内田樹(民間)
農林水産 山田正彦(民主)
国土交通 馬淵澄夫(民主)
環境   金田誠一(民主)
国家公安 河村たかし(民主)
沖縄   糸数慶子(沖縄社会大衆・参院)
北方   鈴木宗男(新党大地)
金融担当 榊原英資(民間)
女性担当 岡崎トミ子(民主・参院)
格差担当 喜納昌吉(民主・参院)
文化庁長官 平田オリザ
教育問題担当首相補佐官 保坂展人
で、民主党総裁 小澤一郎  菅先生に首相の座を譲ることで党総裁 とし てゴッドファーザー役
  民主党代表 鳩山由紀夫 民主党大幹部だが今一つ役割はっきり せず 表向き「代表」スポークスマン的役割
衆議院議長 渡部恒三
も面白くはあるが、それにしても福田ベスト内閣は短命はもったいない。そこで、とアタシが考えたのは「安倍政権はなかったことにする」こと。自民党にとっ ても党史に残る、どころか「解党につながりかねない致命傷」に至った安倍政権。選んでしまった自民党の諸君にその責任はあるが、酷かったものの1年に満た ぬ短命。で「なかったことにする」。安倍政権ばかりか、この1年の間の法改正とかもぜんぶ御破算に。「教育基本法、教育関連法案の改正はなかった」し一連 の大臣らの不祥事も「なかったことに」……ただ自殺した大臣だけは浮かばれないが。「なかったことにする」のは日本の美徳、これぞ「美しい日本」そのも の。で小泉三世から首相の座を禅譲受けた福田さんがこの組閣をした、ということでしばらくは自民党に最後のチャンスを与えましょう、と。で民主党もその間 に政権党となる準備をきちんと整え、あえて互角の勝負で総選挙、とか。そんなのは自民党に甘すぎる、という嫌いもあり。だが自民党ベスト内閣もやっぱり 「腐っても鯛」で立派。民主党連立も個性派揃いで面白そう。うーん、どっちにしようかねぇ、と国民の立場で悩めるなら幸甚。今の状況では「自民党が最悪」 だからの否定で民主党を選ぶ、ってな感じであるし、実は自民党以上に「レンジの広い」今の民主党に見えぬ部分少なからず。
▼なんだか最近流行りらしい「山手線占い」。 アタシがやってみたら池袋駅。ほがらかな外見で親しみやすいが、実は気性が非常に激しく、怒ると猛獣ランクの人。頭が良く真面目だが、信念は決して曲げな いので、主張を通す押しの強さも天下一品。友人にはとても親切だが、人に頭を下げるのは苦手。マニア受けする強烈なクセのあるタイプだ。決めたことにはと ことんのめりこむので、バクチなど破滅系には要注意。……と。

九月十二日(水)安倍三世首相辞任。辞任記者会見、どのマスコミより2ちゃんねるのほうがネット上では内容掲載が早い現実。Z嬢はこの報道でピラゴラス イッチが放送されず、と嘆く。安倍三世のテロ特措法で辞任は祖父の安保改正で辞任がトラウマか。「戦後レジームからの脱却」と宣ったが「美しい日本」も作 れず憲法改正も出来ぬうち首相就任から一年ももたずに失脚は「日本は戦後レジームから脱却してはならぬ」という神の御信託か。そう受け止めたい。辞意表明 がロイター通信の取材でだとか、自民党党内では国会対策委員長に対して「私は辞任するので、代表質問に答えるわけにはいかない」なんて言い回しでの意思表 示だとか、民主派の小沢代表に会談断られたことが響いたとか、緊急記者会見ででも「テロとの戦い」「テロとの戦い」とさすがブッシュに勝るとも劣らぬ正義 の心。
今後、テロとの戦いを継続させるうえで、私はどうすればいいか。む しろ、局面を転換しなければならない、新たな総理のもとでテロとの戦いの継続を目指すべきではないか。
って小学生が仮面ライダーごっこして「ショッカーの悪に対して我々はどう立ち向かえばいいのか」ぢゃないんだから。麻生太郎君は首相辞意の意志を「聞いて いた」と大物ぶり示すがアナタは毛主席に「後を任された」とした華国鋒か。安倍三世もひどいが、それを党総裁=首相に推した自民党ぢたい責任とるべきでは ないかしら。総選挙すべし。ところでこの乱世に誰が最も賢明か……天皇皇后両陛下は本日昼前に那須御用邸に到着し十五日までご滞在し静養の予定。早晩に尖 沙咀。David Chan氏のカメラ店に宮脇の扇子と松屋の傘届ける。代金受け取ったが、これがレンズに化けぬよう早々に退散。本晩外食の予定が安倍三世辞任で「ぢっくり とNW9で」決め込みホリデー院のdelicatessenに 腸詰めやサラダなど購い帰宅。Ch Bernadotteの Grand Vinの00年飲みながら生ハムとメロンで(ってなんかお祝いみたいだが)安倍三世の辞任記者会見の模様眺める。憔悴しきった表情はちと可哀相。テロとの 戦い、テロとの戦い、とまるで何かに憑かれたよう。小泉三世の御世、拉致、拉致と拉致でご活躍の溌剌さの頃が懐かしい。民主派小澤君は会談断ったといって も国会開幕でのご挨拶と国対委員長通して言われたので今更ご挨拶もないでしょう、と会見断った、とそれも「そう聞いている」といった程度のこと。まさか辞 任の一つの要因に会見拒否が理由づけされようとは、さすがの小沢一郎も唖然。国民新党の亀井さんが自民党の「党としての責任」に言及は御意。舛添君、そう いえば二十年前くらいに『自民党が野党になる日』って本をカッパブックスで上梓していたが自分が「自民党が野党になりそうな日」に自民党籍でしかも内閣成 員になっていようとはご本人も思っていなかったか。渡辺ミッチーの悔し涙はもう北区十条の篠原演芸場。首相の所信表明演説を受け代表質問に立つはずだった 民主派鳩山君の「バッターボックスに立とうとしたらピッチャーがいなくなった……投手(党首)ですから」は本人も不謹慎と思ったか「笑ってる場合じゃな い」としつつ笑いを堪え切れなかったほど往年の三平師匠のような切れ味のギャグ。
▼暴力団絡みの闇金融で香港での資金洗浄に協力したとして罪を問われるクレディスイス香港の邦人元行員、二審でも無罪(そうだろう)。被告は判決を当然と しつつ「失ったものが大きい」とコメント。瑞西の銀行に流れる何十億円のカネ、きれいなはずもなし。それを扱うから銀行員が年収何千万円(下手したら何億 円)の収入を得る。失ったものが大きい、って感覚は庶民には理解できぬ。
▼アタシ的には安倍首相辞任、の陰に隠れてしまったが「香港の良心」(と言われる)陳方安生女史が立法會補選立候補表明(昨日)。さきの行政長官選挙では 立候補回避し何故今回は?との質問に対して「60万人の市民が一人一票で一人の議員選ぶ選挙と、800人の選挙人がsmall circleで投票するのとは天と地ほどの差がある」と一蹴。信報は社説で「我々は立候補辞退を勧めたが」としつつ「次の目標は行政長官か?」として彼女 の立候補は最善にならぬ、と指摘。今回の泛民主派のアンソン女史擁立は密室作業と批判的。アタシは個人的にはアンソン女史の負の面もあろうかと思うが行政 長官にまでなる意志も彼女になかろうし選挙において候補者擁立はどうしたって水面下での作業は必然、と思う。信報の一コマ漫画で市民が多数、葉劉淑儀女史 の下に集い「頑張れ!」という声にレジーナ女史が「みんながアタシを応援してくれるのね」と喜ぶが実は群衆の中に「慶祝陳太参選了!」と横断幕あり。レ ジーナの立候補が結果的にアンソンを引っ張り出してくれた、と皮肉。アンソン女史が政務司長であった当時、レジーナ(当時、Immigration Dept署長)は待遇などに私怨もあり行政長官董建華に取り入り二人の間には確執あり。その二人がこの補選で争うのは面白いがレジーナは本来、先週末には 立候補正式表明のはずがアンソン擁立見極め続け。今日の信報で余錦賢という人がアンソン女史が「反政府=民主化」という政治的な意志表明ではない、「泛民 主派の領袖になるような意志はない」としつつ今回の立候補、昨日の記者会見もあえて5つ星ホテル選ばずに香港小童群益會を選び民主派大物を並べるでもなく 娘一人連れるだけで殺到した記者、カメラの中で「孤身主演独脚戯」したことも実に見事な演出として、まるでウッディ=アレンの“Take the Money and Run”(邦題は「泥棒野郎」)を彷彿、と。御意。

九月十一日(火)昨晩、ホテルに投宿の際に札幌の古書店より岡本綺堂の明 治劇談『ランプの下にて』が届いており受領。書き置く。読むのが楽しみな一冊。で今朝は六時に起きてモーツァルトのモテット(K.165)ソプラノは森麻 季を聞きながら荷造り。このホテルはチェックアウトでも実に気持ち良く送り出していただく。自動車を雇い東京駅。荷物をロッカーに収め地下鉄で築地。寿司清本店にて寿司頬張る。カウンター十四人だかのうち総店長が仕切る 角の四人除き八名が香港人で二名が台湾人。築地の寿司の国際化多いに結構。ただし「寿司屋にでれでれと松屋三越開店まで長居する勿れ」。常連の客ばかり寿 司をつまみさっと席を立つ。築地の場外で買い出しのZ嬢と別れ朝日新聞社の横から竹葉亭のあたりを抜け銀座へ歩く。まだ朝早し。銀座病院の待合室で診療客 のふりして新聞など読み時間潰す。八丁目の宮脇賣扇庵にて扇子購う。今回は尖沙咀のカメラ商David Chan氏に頼まれた扇子もあり。いつ盥ひっくり返したような豪雨来ても驚かぬ黒雲空を覆う。開店に合わせ松屋に向う途中でZ嬢と遭遇。動線が似る銀座で はおちおち買物もできず。松屋でDavid Chan氏に同じく頼まれた婦人用の折畳み傘(松屋オリジナル)購入。三共カメラでライカレンズ眺める。伊東 屋。ファイロファクスの新作のリング幅16mmだかの手帖皮カバー購入。いつも銀座では「ばっちり買いまショウ」だが今回は我ながら静か。さしたる買物も なくライオンビアホールの 開店に合わせ出向くと開店待ちのパナマ帽やハンチングの老人路上に少なからず。アタシもその一人。恵比寿麦酒のハーフ&ハーフ中ジョッキに一杯飲む。六丁 目のライカ銀座店訪れる。ギャラリーで……の写真展眺め『マグナムの撮った東京』の写真集購入。ここの技術部での無料点検は「日本の正規代 理店で購入の」ライカ限定。G階で客と店員のやりとり聞いているとカメラとレンズ購入の客は「それではお会計は消費税込みで合わせて158万何千円となり ますが、お支払いはカードで、一括で宜しいですか?」「二回に分けて」と……いったいなんて世界だ。M8の現品が試用のため置いてある。初めて触るが、定 価58万円だかにエルマーのレンズ装着した、そのカメラが防犯用の鎖や紐もつけずに、置いてあり、隣にはM7も同様に。まぁ悠長な(防犯監視カメラも作動 してるんだろうが)。で、店内の風景を撮影して……驚いた。「なんぢゃこりゃ」と松田優作ばりに驚くほど「ライカ的に」柔らかく明るく写る。デジカメでも やっぱりライカだっ、と納得。で清水寺どころか那智の瀧から飛び降りるつもりで58万円のライカ買っちまうか(或いは香港で買うか、香港のほうが安い)と 思ったりもしたのだが、画像には直接関係ないのだが、落胆したのはモニタ画面の懐石ぢゃなかった解析度の醜悪さ。七、八年前のデジカメぢゃあるまいし斜線 がひどいし拡大するとポルノ画像の局部の如くモザイクがすぐかかる。唖然。これぢゃEpsonのR-D1sのほうがずっといいですよ、まったく。数寄屋橋 でZ嬢と待ち合せ。「君の名は」だね、これぢゃ。丸ノ内線で東京駅。お昼用にカツサンド買って成田エクスプレス号に乗車。成田空港で書籍だの宅急便で送っ た荷物受け取りチェックインで計量すると59kgなり。ギリギリセーフ、でアタシら拳闘選手か。免税店で葡萄酒とシャンパン購うとすると航空券確認されお 客様は途中で乗り継ぎでしょうか?と職員の確認受ける。台北で乗り継ぎではないが台北経由。台北で機内から出ると安全点検で液体持込み出来ませんゆゑお酒 もそれに該当いたしまして、と。台北で機内に留まればいいのだが台北のキャセイのラウンジで「麺を食べなければならぬ」ので後ろ髪ひかれつつ酒はあきらめ ざるを得ず。「テロ対策……ブッシュめ、まったく」と思えば今日は911なり。キャセイのラウンジで昨日の蘋果日報の一面に香港の親中左派長老徐四民逝去 の報あり。で飛行機に搭乗し今朝の蘋果の一面トップは「香港の良心」(と言われる)陳方安生女今日にも史立法會補選出馬表明、とあり。親中左派の統一候補 で立候補の葉劉淑儀は先週中に正式に立候補表明のはずが泛民主派の動き睨み正式立候補表明未だせず。陳vs葉では港島区では「良心」派が優勢。陳方安生の 当選は現任の行政長官Sir Donaldにとっては穏健派として民主派取り込みで今後の政局運営に有利。しかも葉劉淑儀の立法會入りは当然将来の親中派行政長官候補になりかねず続投 狙うSIr Donaldにとっては「絶対に行政長官就任はあり得ない元上司」陳方安生の当選こそ自らの安泰。陶傑氏は連載随筆で「陳vs葉」を前者が英國植民地政府 のエリート官僚の本領発揮なら後者はかつて悪形悪相で市民の反感かった豪傑が米国留学経てイメチェン図り(脱胎換骨、包装再上市……見事な漢語表現)返り 咲き狙うと思えば、まさに今回の補選は英対米、と。御意。台北へのフライト、乗客少なし。キャセイにとって台北経由の香港〜東京便は近い将来取り消すべき では? 服務員もヒマなのでやたら葡萄酒注がれアタシャかなりいい気分。蝦のトマト汁煮食し黒松白鹿一合。機中、原武史『鉄道ひとつばなし』読む。近代の 天皇制を社会思想史から解く当代随一の精鋭、で而も「鉄ちゃん」だから講談社のPR誌に連載の鉄道ひとつばなし、がつまらぬはずなし。鉄道モノの随筆とい えば宮脇先生だろうが、お召し列車の運行が始まり「分単位」という時間の概念で日本が近代突入に至った話だの、東京駅がじつは虚弱な大正天皇に明治帝と同 じ威厳を保たせるための舞台装置としての役割あったこと、だが大正帝は病状芳しからず東京駅は皇太子・摂政(後の昭和帝)のハレの御幸の場として利用さ れ、原宿宮廷駅は大正帝の病態を人々の眼差しから遮断するケの場として造営され大正帝はこの駅から葉山御用邸に療養に旅立ったまま還ることなく崩御した事 実だの、中央線はハレの場・顕明界(皇居)と多摩陵(幽冥界)結ぶ鉄道だからこそ他の鉄道路線に比べ自殺者が多いだの、梅原猛ぢゃないが何の根拠となる史 料もなけけりゃ誰も他に論証のしやうもなき、もう、これは丹波哲郎か、家元(談志)の落語解釈みてぇなもんで講談。解釈が「面白ければそれでよし」なの だ。ブラック師匠の落語に通じるところあり。昨日、久が原のT君とも話したのだがハチャメチャなようでいてブラック師匠の凄さはきちんと古典を押えて、の 悪戯けた話だから、の面白さ。古典の素養のない人はダメ……別に安倍三世のことを言ってるワケぢゃないけど(小泉さんのほうがまだ長唄くらいは解せますか ら)。台北でキャセイのラウンジで牛肉麺食し飛行機に戻りウェルカムのシャンペン一杯で寝てしまい、あっという間に香港着。帰宅のタクシー降りてマンショ ンの部屋入ると突然の雨は凄まじい降りっぷり。荷物の片づけ三更に至る。
▼昨日の東京新聞夕刊文化欄に二つ興味深き記事あり。一つは宮本徳蔵(作家)の「横綱というもの」。もう一つは梅原猛の連載随筆で「能について」。前者は 筆者が小学生の時に当時全盛の双葉山が平幕の安芸丿海に負け宮本少年は「東京市両国立浪部屋 双葉山さま」宛に手紙を書くと達筆で和紙に認ためられた双葉 山からの返事!が届き「あたなの指摘どおり、自分には右に隙があるかもしれない。あそこで強引なすくい投げを打ったのはまずかった」とした上で「だが、あ なたはまだ小学四年生だ。先生の言うことをよく聞いて、一生けんめい勉強しなさい」と双葉山。友だちの間でもあの双葉山から手紙が届いた、と大騒ぎ、この 宝物は昭和二十年の空襲で焼けた由。で同じ時代にもう一人の横綱が男女丿川。引退後、高砂部屋の跡目を前田山に譲りビジネスに転向すべく早稲田の夜学に通 い興信所や保険代理業など始めたが失敗続きで最後は多摩川沿いの川魚料理屋で下足番をして孤独な死を迎えた、と言う。このような横綱の逸話を紹介しつつ話 は朝青龍に及ぶ。横綱に求められる、単なるスポーツを超えた精神性。国技のこの精神性が日本人にもはっきり何かもわからぬのに海外から来た若者に理解し ろ、は無理もある。朝青龍の憂鬱は横綱という神聖な概念に押しつぶされそうな恐れから来るもので、反発ではない。何とかそれを実につけようと努力しても思 うようにいかない。四ヶ月の謹慎は「四畳半の茶道、面壁九年の座禅といった伝統を持たぬ騎馬民族から見て、監禁と誤解されかねないでもない」として「モン ゴル、ヨーロッパいに向けても広く開かれた国技として、今後はいっそう慎重に考えていかねばならない」とする。
▼梅原猛は能「翁」について語る。翁の能は貴人の長命と国の安穏を祈る能として「稲積の翁」は弥生農耕民の祖霊である、と梅原翁。で大胆な仮説は後半の三 番叟の舞について……だがこれは次回のお楽しみ、で今日の午後には成田のアタシは読めなかった。誰か読んだ人、教えれてくれれば幸甚。
▼香港鼠楽園、開業二年目の今日この頃、一日の来園者平日は七千人、と蘋果日報報ず。すでに職員リストラの由。融資銀行団が融資早期返済求めるのも明日明 後日の話なり。

九月十日(月)未明に雨歇む。夜明けに起き風呂。朝食済ませ風呂。乗合バスで新島々。松本電鉄の電車で松本。長野よりいつも香港での競馬でお会いするI氏 松本に仕事でいらっしゃりご一緒していただき蕎麦・野麦。箸 で「救う」とぶつぶつと切れる繊細な蕎麦。蕎麦汁は濃いくち。アタシはわがままいえば昨日の浅田の蕎麦でこの濃いくちで食したい鴨。食後に珈琲まるもで珈琲とケーキ。母はI氏とは初対面。会 うまえに気がねして「あたしは一人でもいいから」と言ったがI氏に会い、その人の人柄にご一緒して良かった、と。ほんとうに「いい人」はそうはいない。母 と一旦わかれつらつらとZ嬢の買物に付き合いつつ、アタシは神経痛ひどく白骨温泉の硫黄泉でもいっこうに癒えず薬局で鎮痛剤購う。松本駅で待ち合せ午後二 時前のスーパーあずさで一路、新宿。ようやく宮尾富美子『八百善』読了し新宿の直前で母に差し上げる(もともとZ嬢読了のもの)。新宿駅で母と別れZ嬢は 買物へ。アタシは新宿駅東口地下のベルグに久が原のT君と待ち合せ寸暇を惜しみ一 飲。祇園祭の伯牙山の厄除粽などいただく。ジュクの昔話など。熱海湯など今でも怪人二十面相が小林少年誘拐っても不思議でなし、とか物語す。T君に新宿地 下街のフィールドワーク誘われちょいと歩き雑用済ませ自動車雇い小雨のなか靖国通り抜け駿河台の山の上ホテルに投宿。こ のホテルも若衆がほんとうに清々しく働く態、好感もてる。601号室、は5階から狭い階段上った隠れ家の如き客室。別名、モーツァルト。旧館の時計塔の尖 部の如き部屋で、マランツのアンプ、AuraのCDプレーヤーにTannoyのスピーカー鎮座おすましモーツァルトには失礼だが松本で購いしショスタコー ビッチの5番から聴く。続いてバッハのマタイ受難曲少し聴いて、ホテルの「山 の上」で天ぷら食す。数年前ぶりだが、当時とはまたかなり違う、さっぱり、かぎりなくさっぱりの天ぷら。江戸の人がこれを食べたら天ぷらと は思わぬくらい。近代の天ぷら。これくらいさっぱりだとアタシは天つゆも塩も要らぬ。酒は出羽の上喜元。食後にホテル内のバー・ノンノンに一飲。ここの バーテンダーの精進ぶりも見事。一切余計なこともせず余計な口もきかず。部屋に戻り小澤征爾の水戸室内管弦団のモーツァルトのCDを大音量で聞く。屋根裏 部屋なので一切、近隣などないからお構えなし。気楽な部屋。アタシはモーツァルトは嫌い、と思うがやっぱり天才とつくづく、つくずく思う。

九月九日(日)早朝に目覚め昨晩のサイトウキネンの演奏を思い出す。小澤征爾という指揮者、スコアの読み込みでは右に出るものない指揮者、オケを操り、そ れぞれの楽器をあそこまで持ち上げてくれれば、そりゃオケの成員の各々とてそれに応じ、それがサイトウキネンほどの一流の奏者なら、あヽなるだろう。がフ ルトベングラーがLP時代の代表とするなら、CDで完璧を追求したカラヤン、そして小澤征爾という指揮者はその振る舞いのビジュアル性まで含めDVD向 き。これを、数日前に「スペードの女王」でサイトウキネンの演奏聴いた久が原のT君は「絃の響きの厚さに感心」したし「小澤らしく、手の届かぬところのな い演奏」だったが「丁寧なのだけれど、CGやデジカメの鮮明さ似通うように思える」ところあり、と。さすが劇評をするT君らしい指摘。で本日、宿にて朝食 済ませ信濃毎日新聞読む。いいねぇ一本筋が通ってて。信濃の風土。記事で知ったはサイードと意気投合しバレンボイムが始めたワークショップがきっかけと なったパレスチナとユダヤの青年たちによるオケがザルツブルグでの演奏。音楽の演奏は時代と共鳴し政治性ももつ、とバレンボイム。源智の井優から湧水の源 地へ。市街地の路地にこんな上質の水が涌き流れるなんて。飲んで良し、顔を洗えば汗もひく冷たさ。松本市 美術館「常 設展が」草間彌生なり。草間彌生にとっ て松本は故郷であり精神的には最も遠い地でした、と「前書」は語り始める。松本が草間彌生に偏見をもち誤解続けた、と。こう書けるだけさすが、この地の風 土。草間彌生というと「例の丸い点々」の印象強いが草間自身が所有する二十歳の頃からの油絵など少なからず。アタシにとっては、小学校から高校までの幼な じみのT君がこの芸術家のスタジオで美大生の頃から今も中心となって活躍しており余計に興味深し。京都が前衛であるように、この信州の静かな古風な街にな ぜか草間彌生の「幻の華」が似合うから。美術館のコカコーラの自動販売機とベンチが草間っぽいデザインなのも笑えた。民芸品など見るという母とZ嬢と別れ 独り「あがなの森」へ。舊 松本高校の建物参観。この建物大胆に使い松 本市内の各公民館、地域活動の集会あり。ふつうの地方「自治体」なら市役所のお仕着せの官製イヴェントか或いは市民参加というとすぐ生協だの左傾「過激 派」市民だけと色眼鏡で見られるが、松本は通りかかったアタシが見てもほんとうに各地区の住民が積極的に参加し展示会やシンポジウム等々を開催中。私のま ち「地域と開発」市民会議、はお仕着せの会議にあらず、各地区の代表が面白可笑しく「わが街の自慢」大会。いかに何がどう素晴らしいか、それをどう維持す るか、と紹介。お宝自慢。それで自分たちで松本というわが都市がいかに素晴らしいか、を納得する。いい意味で自画自賛の活性。民度の高さ。明治の民権運 動、旧制高校の中でもリベラルさでは傑出した松本高校、古き良き市街の風情の維持……ただただ脱帽。ただ、あれだけ路地があるのにネコがいないのがちょっ と気になるのだが。この旧制松本高校、戦後は建物を信州大の文理学部、人文学部が用いたが昭和48年に新キャンパスに移り、この建物の保存運動が起きて 「松本市が国から7億円で買い取り」文化財としての保存と活用決め現在に至る。今年六月に国の重要文化財指定の由。国立大学の敷地建物とはいえ地方自治体 が国から買い取らねば文化財として保存もできるとは。しかもそれを国が文化財に指定されるとは噴飯もの。母とZ嬢を迎えにいき、また源泉のあたりの路地を 抜け「そば処浅田」。午前十一時半の開店で満席、すぐ待ち客 あり。蕎麦はほんとキリッとした歯ごたえ。薄くちの蕎麦汁。アタシは蕎麦汁は濃いくち、辛いよ うなのに蕎麦の末をちょっとつけて頬張るのが好き。蕎麦屋で酒を供すのはいいが、こんな待ち客が溢れる蕎麦屋でまさかゆっくり飲めぬし大吟醸と吟醸酒しか ないので安い純米酒好きのアタシは酒抜きでさっと蕎麦頬張り店を出る。それはそれでこの店の蕎麦は格別。市街散策していて通りがかりの「アガタ」なる古書 店。もう書籍は買うまい、と思ったが東洋文庫で郭沫若の自傳『私の幼年時代 他』と吉田健一『英國について』購う。母が開運堂で菓子を土産に購うというので、その間、Z嬢とこの店のロボットが作るソフトクリーム頬張る。宿に戻り荷 物受け取り自動車で松本駅。四半世紀ぶりに松本電鉄に揺られ新島々。バスに乗り換え梓川の渓谷を縫って一時間で白骨温泉。湯元齋藤旅館に投宿。大 正時代のこの旅館の客間の柱木材をそのまま 用いた内装の大正 館。八畳の角部屋に四畳半の次の間つき。お三時に、と松本の翁堂で買ってきたきんつばいただく。美味。扇堂の菓子 の紙袋は釈迢空による 「扇」の字。硫黄の温泉に浴す。この旅館、ラウンジの書棚を眺めれば、河出書房と新潮社の日本文学全集が数冊ずつ、中央公論社の世界の歴史も数冊、それに 加え圧巻は筑摩書房の日本思想体験全冊がずらり、と並ぶ。今まで旅館でこれは見たこともない。さすが中山介山がうんぬんというだけの白骨温泉の湯元。こん な山深い温泉だが投宿の際に「本格的な懐石料理を」と言われ期待したが結果を言えばちょっと失望。中居さんは三つの座敷かけもちで忙しすぎ。先付が出たと ころで、頼んだ熱燗(真澄)も出ぬうちに三つあとの軍鶏の水炊きの鍋に火がつけられようとし(旅館のあの鍋ものの固形燃料こそどうにかならぬか)、水炊き で七味を頼むと「あいにく一味しかありません」と出されたのがSBのテーブル七味(土産物売り場には善光寺の七味あり)。天ぷらはアタシはサラダ油の天ぷ らはダメ、しかもすっかり冷えている。「鰻の信州蒸し」は鰻が入手できなかったのは全く問題ないがサーモン、焼き雲丹と山芋の信州蒸しは単に美味しくな い。ご飯も「松茸ご飯」がシメジなのは全く問題ないが、これもたんに冷たくて美味しくない。これが出来合いの旅館の、最初からお膳に全て並んだ料理なら文 句は言わぬ……が「本格的な懐石料理を」なんて自慢した上で、だから残念。夜半に雨。再び風呂につかり早寝。
▼晩の会食の際に母に聞いた話。アタシの祖父という人は毎日のように夕方になると風呂に入りに近所の待合に行っていたそうな。銭湯かわりに待合の風呂をも らうとは……。で湯上がりにビールを飲んでふらり、と帰ってくる。その待合に育った息子氏がアタシの母に語った話では、風呂代のかわりに、とときどきこの 息子氏にアタシの祖父は小遣いをくれたそうな。その金額が千円。今なら一万円だよ、子どもに。まったく、なんて時代。
▼共産党が全小選挙区擁立を見直し。賢明。これで地方区で反自民党票をまとめ「鼻をつまんで」民主党、全国区では共産党に投票の有権者も増える、か。それ にしても参院で民主派との統一会派結成に二の足を踏む国民新党で亀井さんが民主派の議員の「幅の広さ」について懐疑的。

九月八日(土)台風一過。快晴。見事な青空と強い日差しのなか車窓から眺めれば坂東太郎の異名をとる利根川も水嵩増し河川敷まですっかり水に飲み込まれ上 州はさぞや大雨越しかと思い知らされる。江戸川、中川も初めて見る水量に驚くばかり。荒川放水路、大川も然り。母と一緒に新宿駅でZ嬢と待ち合せ午前10 時の特急スーパーあずさで一路、信州松本へ。中央線も国分寺あたりからの高架線工事続き国立の駅舎工事がどの程度のものなのか、と見ていたはずが見過ごし て立川を過ぎ、八王子すら珍しそうに眺める自分に、大月あたりでふと気づけば松本は四半世紀ぶりとはいえ二度目で、新宿からの風景になにが珍しく感じるの か、といえば二度とも新宿からの山登り者多き夜行列車で昼行は初めて。宮尾富美子の『菊亭八百善の人々』読むつもりが山あいの桂川の流れに見惚れて甲斐が こんなに山深いかと驚きつつ信州へ。下諏訪から岡谷まで、よくぞ平成の大合併で「エプソン市」にならなかったもの。日立市、豊田市があるのだからエプソン 市があっても驚かぬ。昼過ぎに松本着。レストラン鯛萬に昼を食す。食事 もそりゃ見事だがアタシが卓につくなりシェリー酒を頼みアタシ一人が白葡萄酒をグラスでいただき三人でお昼だからとChateauneuf du Papeの赤を半瓶でいただいたが、まぁ軽めの昼のコース料理に合わせ酒を供すタイミングの見事なこと。店を出るまで給仕の慇懃さの極み。さすが老舗。歩 いて市街流れ鴨が遊ぶ女鳥羽川に面したホテル池田屋というこぢんまりしたビジネスホテルに投宿。松本という街、観光都市でありながらホテルは意外と可もな く不可もなく、でサイトウキネンのフェスティバル開催中で聴衆ばかりか演奏者、関係者だけでも数百人規模、ましてや三人という中途半端で「泊まりたい」と いうホテルに部屋を探すには難儀。ふと、シングルルーム主体のこの宿に和室あり、一部屋に6畳に8畳の二室なら下手なホテルよりずっとマシ、と判断したが 正解。場所は女鳥羽川に面し至便、風呂も24時間あり、投宿の際にUSBに差すだけのWi-hiの端末貸してくれ和室でWi-hiも無料。大したもの。綿 のシャツを買いにパルコの無印良品。部屋に戻って食べましょう、と開運堂で ニッキ好きのアタシの好物、開運老松購う。ふらりと立ち寄った書肆秋櫻舎と いう古書店。狭いが文学、哲学中心に見事な品揃え。さすが松本で古本屋に売り出る本も充実なのだろうが、新刊書ばかりか対談集や随筆など幅広く、而も初版 本多し。旅先ゆゑ本を買うとあとが大変、と思いつつ吉田秀和『音楽展望』1〜2巻、三島由紀夫の討論『東大全共闘 美と共同体と東大闘争』、吉田健一『三文文士』、嘉次郎監督のカツドウヤ紳士録含む『カツドウヤ自他伝』、すべて初版本で購う。会計し買った本を袋に入れ て渡されると、ふと一冊多い、と思い取り出せば堀口大學訳のコクトーの『芸術論』が入ってる。黙って貰っていっちゃえば良かった、とアタシが言うと、積ま れた本をアタシに一冊余計に渡してしまった書肆のご亭主曰く「大學の訳ばかりかなり数が出まして」と、これはその一冊。なんでも堀口大學訳の仏文学書ばか り蒐集の御仁あり、その方からの放出。てっきりご本人が亡くなった、とか想像すればさに非ず。ほとんど全ての大學訳の本を持っており、美本、上装本が入手 できると多少汚れ、日焼けあり、のものを放出するそうで、それでもご亭主曰く一冊どれも一万円以上で買い取らせていただいたものです、と。まぁ世に好事家 あり。ホテルに戻り浴場でひとっ風呂浴び熱冷ましにビール飲む。早晩、ホテルを出てしばらく歩き銀行前より浅間温泉行きのバスに乗り信州大学裏手の松本文 化会館。サイトウキネンオーケストラの演奏会。小 澤征爾指揮。NHKのBSハイビジョンでも生中継ありのBプロ。会場でサイトウキネンのこれまでの演奏からバッハの「マタイ受難曲」と「ロ短調ミサ」、 ショスタコーヴィッチの5番のCD購入。母は毎年のようにこの夏のサイトウキネン訪れており今晩のも「取れたら奇跡」のこの演奏会でS席の13列目という 上席ゲット。ありがたい。まずはラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。さすがサイトウキネン。曲のフレーズの抑揚ならいくらでも上手く聴かせられる だろうが、こういう静かな曲の静かな曲尾で、すーっと音が消えていく、あの静寂がどうだけけできるか、がオケの真骨頂の一つ、とアタシは思う。この今晩の 演奏で、この「亡き王女の」の終奏聴いただけで痺れてしまうよ。ただ、この松本文化会館、初めて訪れたが、音響は今一つだろうが、とくに「亡き王女のなん て曲には不向き。ぜんぜん聞こえて来ない。そのうえ、やたら客席の聴衆の嚏や咳払いなどが反響して聞こえる、と気になったのはアタシだけかしら。この曲、 カザルスホールとか昭和女子大とか、このオケでなら、どうかしら。続いてアンリ=デュティユーなる作曲家の「瞬間の神秘」。そして同じ作曲家のLe Temps L'Horlogeという曲はサイトウキネンとボストン、フランス国立管弦楽団との共同委嘱作品で今回が世界初演。ルネ=フレミングのソプラノ。アンリ= デュティユーご自身が会場に。小澤に紹介され客の歓声に応える91歳の作曲者の恍惚(掲載の画像はアタシが「撮影禁止」で撮影したものぢゃ なくてオフィシャルサイトから借用のもの)。アタシは武満徹だってからっきしわからねぇ古い人間なんで現代音楽はとんとダメ。コ メントのしようもない。ただ「わからない」が本音。休憩時間には地元ホテルが葡萄酒のお振る舞いあり。大したもの。今晩の主餐はベルリオーズの幻想交響 曲。2楽章あたりでここまで出しちゃっていいの?くらいに盛り上げてみせた小澤征爾は、それも実は余裕で、ここまで出すか、と幻想どころか狂想的な第4楽 章を聴かせてくれた。演奏後に、とくにトロンボーンやチューバなど、ステージで肩を抱きあい喜び合う。感涙に咽ぶ団員もおり。小澤征爾が客の拍手の中、ス テージを演奏者全員と握手してまわる。客のアンコール求める拍手に何度も全員でステージに戻り並んで頭下げて呼応する。アンコール演奏なし。不満の客もい るが幻想交響曲であれだけ聴かせてしまったらアンコールは野暮。あそこまで狂想してみせたのだから、あれでよし。伯林フィルなら「あれぢゃやりすぎ、音を 出すというのはそういうことぢゃない」と言いそうだが、サイトウキネンはフェスティバルオケなのだ。松本文化会館、会場出ると寂しすぎ。巴里のオペラ座界 隈の賑わい、香港のコンサート会場出てのヴィクトリア湾の夜景、とまでは言わないが茨城県民会館だって外に出れば目の前に公園、千波湖が広がり、その向こ うの高台に水戸市街のパッとはしないが夜景広がる。ただ市郊外の真っ暗な住宅地じゃ寂し過ぎ。増発バスで市街に戻る。中町通りの若者で賑わうBUNという居酒屋に入り軽く飲んで夜食。この食肆の雰囲気、どこかに 似ている、と思えば神楽坂のMASU MASUだ。 若者がみな懸命に働く姿ほど凛々しいものなし。

九月七日(金)昨晩深更風雨烈し。朝起きると庭を眺め凌霄花の枝が倒れたと母嘆く。台風伊豆から奥多摩、群馬を抜け東北に向う由。各地で観測史上最高の降 雨量。記録的豪雨。傘の骨も折れる強風の中、朝のうちに真言宗豊山派神崎寺。先考の墓参。文字通り雨風の掃墓なり。一旦帰宅し母と出かける。みずほ銀行で T/C両替しようとせば外国為替のレートは午前10時に出ますので暫くお待ちください、と。銀行は九時に開くが十時までは両替も能わずとは……日本は鎖国 か。郵便局で保険だの手続きするが暴風のなか客甚だ少なし。破綻した商店街のなかにアタシが子どもの頃から営む間口一間半の古書商あり。多少左翼系で文学 書多し。今朝すでに成田空港宛で自宅に届いた書籍など送った後だったが、こういう時に限って本と出会うもの。角川書店の昭和文學全集が一冊百円!とは。小 林秀雄・川上徹太郎(第十三巻)、林芙美子(第十九巻)と大岡昇平・三島由紀夫(第二十三巻)の三冊購うが三百円では珈琲より安い。購入。新潮社の小林秀 雄全集(全五巻)は残念ながら第一巻が欠本で残念だが目に入った「透谷全集」が昭和44年版の箱入り美品で三巻揃いで三千円。いやはや。暴風と驟雨の中、 持って帰るのも難儀だが買わぬわけにいかぬ。靴だの夏物の上着の売れ残りだの買物済ます。暴風雨歇む。昼に母の最近贔屓の「だぼう」なる蕎麦屋。奇妙な肆名は仏教の「坐忘」より、蕎麦を打つ、で 「打忘」の意の由。郊外の住宅地の外れ、店の前には広い畑に蕎麦が育ち、見事な羽振りの大根、茄子。蕎麦が不味いはずもない。幸甚。食後に近所の「ゆきむら」という、一軒、郊外の一軒家、入ると骨董品など扱う居間で甘 味供す肆。地方は市街地の駅前商店街こそ壊滅的打撃だが更に地方に分散して面白い店だの食肆だのいろいろあり。これはこれでワンダーランド。ここの女将さ んが作る葛切りいただく。ふつうの一軒家の居間のようなところ坐り母と世間話などのんびりとしながら台所で女将さんが葛切りを作るのだが出てくるまで二十 分ほど。お湯が沸く音が聞こえ、流しから水の音、冷蔵庫から氷を出し、……ってことは注文してからお湯を沸しつつ葛粉を溶かし、で葛切り作られたのかし ら。美味い。実家で書籍、掛軸だの香港に持って帰る小間道具など片づけ。夕方スーパー銭湯に浴す。露天風呂から空を眺めれば見事な青空に白雲、西の空に夕 陽。アタシが幼い頃から食べている品川屋という鰻やから蒲焼 持ち帰り自宅で母と妹と食す。鰻やで酒飲みたいが、なにせアタシですら自動車の運転せねば餓死するが如き地方都市の実態。でも自宅で枝豆、焼き雲丹、蒲焼 きも美味。伊豆のシャトーT.S.(志太農場)の赤葡萄酒飲む。ちょっと軽め。三更にTBSで偶然に見た「恋するハニカミ!」、初めて見たが「やさしさ」だの「ありがた さ」だの「苦しさの克服」だの晩11時の番組としてはテーマ意味深。庭に虫の鳴き声さまざま。秋近し。

九月六日(木)朝八時にZ嬢と香港空港。空港先の展覧会場で大型のコンファレンスか何かあり(確かWorld Property Summitだが昨日開始と新聞にあり、これか?)Airport Expressが満員で立席の客で混雑は初めて。香港では参加者がジャケット着用というのも珍しいもの。キャセイパシフィック航空のラウンジで朝食。 CX450便は台北経由。台北での45分だかの駐機時間含め成田まで6時間要すが今日はZ嬢とアタシも実家にそれぞれ帰るだけで何ら帰邦急ぐ用事もなく、 それなら機内でのんびり寛いでいませう、とわざわざ台北経由。座席は香港〜台北も台北〜成田も二階席の81のA、Cで而も空席も目立ち快適。客 が少ないとスチュワーデス諸君もサービスに余裕ありで客も楽。台北の蒋介石ぢゃなかった台北桃園空港着。機外に出ても良い、とはアナウンスするがラウンジ ご利用できます、とはいつも説明ない。が、30分ほどあるのでキャセイパシフィックのラウンジに行くとトランジットでもないのだがいつも「歓迎、歓迎」 で、好物の牛肉麺食す。関東地方に台風9号近づき「台北まで来たら、今日は欠航で台北ステイもいい」と願っていたが予定通り一路、成田へ。キャセイパシ フィック航空の機内での葡萄酒の銘柄はもう3年近く変化なし。ただ03年の若かった葡萄酒が今では飲み頃に(笑)。ただ客もうんざりとわかっているのか一 銘柄、このシーズンのお勧め、があり今回は智利はLarocheのVina Punto AltoのCab Sauvの05年。けっこうアタシの好きな風味で思わず暇そうなスッチーに勧められるままもう一杯、それじゃもう一杯で機内食の牛皿をアテに気持ち良く飲 み、さすがに今朝は深更からの三時間睡眠で起きたものだから酔った勢いで熟睡。房総沖で「成田空港周辺が天候不良」で30分ほど旋回し多少揺れながら成田 着。入管が手際よくなったのに比べ税関は「申告なし」でも通関カード全員に書かせる愚策、暴挙に驚く。こんな措置、世界でも珍しい。カードに職業欄あり。 なぜ職業が通関の際に問われるのか。意味不明。これも珍しい。意識的に無記入。どうせならレゲエミュージシャンやサーファー、いや「菌類研究家」とか「麻 織職人」とか書いたら面白い鴨。通関の「ご旅行ですか〜?」の愚問もじつはあの会話で「怪しい旅行者」を釣るのだそう。だが、あの「どちらから?」「何日 くらい?」などやってるヒマがあるのならラゲージの半券と荷物確かめでもしたほうが荷物の受け取り間違いや窃盗の防止に役に立つ。Z嬢と別れ45分ほどで 郷里に向う高速バスあり。空港(第二ターミナル)の到着口付近でWi-hiに接続して急ぎのメールなど打っていたらハエが多いのに閉口。ほんとに二三匹ど ころか群衆。テロ対策よりハエ対策すべし。今どきハエの多い空港も珍しい。空港内に近隣で収穫された有機野菜の販売所あり。これも世界的に珍しい。成田空 港は「世界でも珍しいもの」沢山あり。いつも驚きの連続。中国なんかよりずっとミラクルワールドなり。お通夜の如く乗客の静かな特急バスに2時間乗れば降 車してすぐ自宅。便利至極。帰宅して父の三回忌以来半年ぶりに会った母が素麺茹でてくれさっと食す。半年の間に注文して届いていた書籍の片づけ、と思った が母が書籍ばかりか映画『薔薇の葬列』のDVDから銀座トラヤから届いたパナマ帽まで全て開梱し整理済み、あとは段ボールに詰めるのみで忝ない。すでに入 手、読了の本の注文の重複三冊もあり我ながら唖然。Amazonなど通販、返本出来るだけ幸い。テレビつけると百年一日の如く美味いラーメン屋番組。深更 にまだ起きていた母とちょっと飲もうか、と母が出してきた白葡萄酒は伊太利はBertaniの白葡萄酒Le Laveで日本ではポピュラーなものだろうが風味があるなぁと思ったら1996年。ガルガーネガ(葡萄品種)はこだわるときっと面白いだろう。二人で四方 山話してさらっと一本飲んでしまった。成田についてから雨に遭わずにいたが三更には台風が関東地方上陸の由。深更大雨。雨戸閉める。昔の家でたかだか板戸 ながら雨戸閉めることでだいぶ台風の「せめて怖さも減る」と思うと雨戸一枚も日本が南方からの風土にあって雨戸も大切とつくづく感じ入る。本日は機中、車 中、宮尾富美子の『菊亭八百善の人々』少し読む。宮尾富美子のまさに「語り」がアタシは好きだ。
▼機内で読んだ月刊信報九月号に日本への長期的投資の否定的展望あり。老化。通常、先進国での少子化、老化による人口伸び悩みでとくに労働力確保は移民受 け入れで賄われるが、日本の場合、居住者のうち外国人の占める割合は1.3%と先進国中で最も低く、帰化した市民(本人自身の帰化、親の代での帰化は含ま ず)もカナダが人口100万人中6,542人なのに対して日本はわずか118名。当然このまま老化、少子化が進み「移民拒否」続ければ日本経済の活力、競 争力が落ちるであろう、と。南無阿弥。

九月五日(水)曇。朝から最中。「とらや」の最中、なにが素晴らしいか、といえば防腐剤等無添加で「お早めにお召し上がりください」。お早めにお召し上が らないといけぬので多少多くいただく。GR Digitalの中に入れっぱなしの画像一葉あるのを見つける。先日、銅鑼湾にてふらりと翰墨軒訪れると銅鑼湾でももはや古蹟に属す蟾宮大廈で三樓(2/F)がか なり大規模な改装中で翰墨軒も蛻けの殻。そんな……香港でも屈指の中国美術の書画、文房具扱う肆で、移転先表示もなけりゃ廃業の知らせもなし。単なる模様 替えにしては荒々しい。どうしたのかしら。この蟾宮大廈もあとどれだけ「再開発」の標的にならぬのか。外装は地味だが内装の古典的美しさは格別。その階段 踊り場の写真であった。
▼親中派御用政党民建聯馬氏主席逝去に伴う立法會港島区補欠選挙、泛民主派統一候補と下馬評高き何秀蘭女史不出馬表明。「香港の良心」(と言われる)陳方 安生女史の出馬促す。何秀蘭もともと「前綫」の劉慧卿の舎妹?で、陳方安生が布政司(のちの政務司司長)当時、新空港開港での混乱につき何秀蘭は前綫代表 し当時の政府の空港開港責任者たる陳方安生に引責で辞職求めた過去あり。その何秀蘭が退いて陳方安生に譲るというだけで、日本の野党候補乱立での無様に比 べれば甚だ大人か。だが本日の信報は社説で「補選退選参選 陳太應否出選」と題して「陳方安生は不出馬とすべき」と指摘。理由として挙げるは、まず「なぜ出馬するのか?」と。今回の補選は2012年の普通選挙導入 の可否占う如く語られ、葉劉淑儀の左派代表での出馬に泛民主派が統一候補立て応戦することで民主対反民主の如き図式だが、かりに泛民主派候補が当選すれば 2012年の普選実施可というほど簡単な図式なのかどうか。そして泛民主派というが陳方安生が当選した場合に烏合の衆たる泛民主派なるものを果たしてまと められるのか。あくまで「親中保守反動左派に勝たさないため」に結束する民主派であり、いざ陳方安生当選の暁に結局、かなりレンジ広き泛民主派の中で陳方 安生が領袖たらんとせば孤軍奮闘になりゃせぬか、と。このような混乱予期される状況のなかで果たして出馬すべきか……信報は結論は明らかで不出馬とすべ き、と。一利あり。アタシは個人的に陳方安生という人の公務員のエキスパートならぬ寧ろ政治家的強さに、どうもこの人をそう易々と「香港の良心」とは呼べ ず。
▼会津は坂下の恵隆寺。樹齢八百年余と伝えられし柏の巨木が根元から倒れたり(朝日)。虫に食われ数年 前から立ち枯れの由。寺では焼香台を設けて丁重に供養。境内の参道や建物を避けるように倒れた柏に参拝客口々に「たいしたもんだ」「ほんとによくよけて倒 れたもんだ。見事な最期だ」と合掌。久が原のT君曰く「被害もなく最善の時間に往生」といふのも偶然だろうが、そこに意味を見出そうといふ心根が床しく愛 しい、と。御意。震災で浅草観音堂畔の銀杏が水を噴いて延焼から観音堂守ったと拝まれるのも同じような話。T君曰く、確かに梅原センセイ最近重ねて口にす る「日本思想の最大の成果は、神仏混淆思想と草木成仏思想」といふのにしみじみしみじみ納得させらる、と。御意。

九月四日(火)諸事忙殺され晩に至る。背中に微に蕁麻疹あり。肉を煮て牛丼。睡魔に襲われ臥床。翌朝未明に目覚めプーシキンの『スペードの女王』岡本綺堂 の譯(青空文庫版)で読む。もっとこってりした筆致かと思ったが意外と淡々。サイトウキネン松本にて演ったチャイコフスキーのオペラの方、筋も読んだがオ ペラの方がずっと面白そう。久が原のT君の話ではロシアの老伯爵夫人の「最近の社交界と云つたら、禮儀も作法も何もなつちやゐない。私が國王陛下の御前で 歌を披露した、ヱルサイユ宮の昔は大したものだつた。ポンパドゥール侯爵夫人も時折お出ましになつて…」云々、の回想の口説きも凄かった由。原作では伯爵夫人の孫のトムスキイが祖母の昔話として友人に巴里での豪勢な賭けの逸話あっさりと語るばかりで老婦 人自身の華麗なる物語り、はあらず。空も白む。巴里のオペラ座よ り秋のオペラ上演の報せ届く。すっかりそういう季節。
▼瀬島龍三氏逝去。戦中から戦後日本で暗躍の児玉誉士夫ら政商がすでに他界の後、歴史の表裏知る最後の御仁だろう。朝日新聞が1997年の香港返還の合わ せ「香港物語」なるたいそうな特集記事連載。その第1回目が「戦争」というタイトルで瀬島龍三が特務として戦前に香港訪れた話取り上げられる。上原謙の如 く白の麻のスーツで日本旅館の女将(高峰三枝子か)を連れてリパルスベイ……という話。これについては当時、アタシは月刊香港通信に若い記者の妄想話、と 書いたものもあり(こちら)。 瀬島の、戦後の伊藤忠での安宅産業の合弁も、安宅産業がもともと安宅弥吉が日下部商店香港支店(当地では日森洋行)に職を得て、そこから起業した経緯など 考えると、安宅産業倒産での鉄部門の伊藤忠への吸収も当然、弥吉死後のこととはいえ戦前からの絡み。
▼自民党の参院議員小林某の選挙違反引責辞職で神奈川選挙区では松あきら女史繰り上げ当選。公明党にしてみれば自民党と組み公明党自身の議席まで減らした 参院選挙。自民党のせめてもの香典返しで一議席増か。それにしても松あきらといえばさきの参院選では小泉三世の選挙応援の印象強し。どこか小泉三世だけは まだ枯れておらず。

九月三日(月)香港の航空機ショーだかありエアバス社のA-380が本日朝、ヴィクトリア湾を実技飛行。高度400mだかを飛びIFCの60数階より眼下 の由。Z嬢は自宅より眺めたそうな。アタシはちょうど執務中。農相辞任につき安倍より内奏受けていた最中、飛行機の轟音のみ耳にする。
わが島に渡り来たりし怪鳥をさきはひとしき空を航きつつ
国際免許更新。免許センターで申請書、免許証、香港IDと写真二葉を窓口で提出すると「その場」で国際免許証に必要事項が印字され写真貼り判子押して料金 支払い、でわずか2分ほどで国際免許証発給が終わる。この至便さ。情報管理されていても「その見返りとして」この手際の良さ。日本では個人データ管理する ことだけが目的で(これが「公安」と誤解)、それが至便に至らず。だから不愉快。もちろん免許センターに出向かずとも郵便での申請も可。ペニンスラホテル で進物用の月餅(と言うがありゃ所謂「月餅」とは全く別もの)受領。帰宅してドライマティーニ一杯。冷奴で酒を飲み秋刀魚焼いて食す。NHKスペシャル「人事も経理も中国へ」見る。 この渦中にあるのは京都の通販会社だけに非ず(NHKの番組外注はリストラというより「内部でカネ動かして」の仕業かも知れぬが)この中国は大連の仕事請 負会社とてあと数年もすればコスト高で仕事が内蒙古か安徽省に移るかも知れず。結局、生き残っていけるのは「会社のために」と業務を中国にアウトソーシン グする経営責任者だけ、か。だがその彼とて数年もすれば人件費半額でリストラ担当役員が中国で採用されるまでの寿命かも知れず。ただただ我々の資本主義で の「疎外」に哀れさ感じ入るばかり。
▼独逸での「世界体操」。日本が女子団体総合で12位に入り96年のアトランタ以来三大会ぶりに五輪出場。NHKの現地取材の者、取材で未だ中学生の代表 選手に「始めての北京オリンピックを迎えるわけですが」と、長嶋茂雄の「初めての還暦」に勝るとも劣らぬ突っ込み。
▼安倍内閣。米澤出の農相辞任。安倍三世の首相官邸のタチンボでの記者会見も「まずは国民のための政策を着実に実行していくことで信頼を回復したい」だの 意味不明で、視線も泳ぐ、泳ぐ。視線まで溺死近し。小泉三世ならこの場に於てもおそらく「叩いて埃が出る人は自民党を出て行ってもらいたい!」と宣いて見 せるだろうが(「人生いろいろ」で自らの年金問題は棚に上げたまま、か)。小泉三世の見事さは、本来あれだけ自民党否定するなら自らが三行半突き付け出払 えばいいものを自民党に固執するあの姿勢。それが国民には「自民党も問題あるけど自民党以外に印籠渡すのもねぇ」にウケたの鴨。それに比べ戦後レジームか らの脱却だとの宣いながら実は最も自民党的なところに依存して立脚する安倍内閣の脆弱さ顕わ。
▼親中派御用政党民建聯馬力党首逝去で立法会は港島区で馬氏の議席欠け、その補欠選挙十一月にあり。港島区は民主派と親中派の得票率比6:4と言われ前者 強し(民主vs親中、というのも可笑しな図式だが)。前保安局長・葉劉淑儀が親中派、保守派、財界の支持受け立候補の由。これに対抗し得る民主派統一候補 として、何秀蘭の名前先ず挙がる。前回(2004年)の立法会選挙にて港島区は民建聯が馬力&福建オバサン蔡素玉のコンビで2議席奪回狙い善戦。民主党は 李銘柱&何森のコンビが「2議席死守困難」のSOSを有権者に流した結果、リベラル票が必要以上に民主党に集り(アタシもこれに煽動された一人)、結果、 民主派として余若薇と組んだ何秀蘭のコンビは民建聯に815票の僅差で破れ、1議席で余若薇のみ当選。結果論だが民主党がSOS出さなければ何秀蘭はじゅ うぶんに当選圏内にあり(比例代表制の面白さだが)民建聯はこれによりラッキ〜!な2議席確保。で今回の補欠選。民主党は何秀蘭に義理があり今回は民主派 統一候補として何秀蘭立候補か、と思われてはいるが、葉劉淑儀という掃把頭、かつて50万人デモの時は香港市民の敵、で今はだいぶ本人もイメチェンに必死 だが、の親中・右派・財界が三つ巴で支援の超ヘビー級候補に対して何秀蘭でもリベラル有利な港島区でももしかすると組織票で負けるのでは?の憂慮も働き、 そこに民主派統一候補として名前が挙がり始めたのが「香港の良心」(と言われる)陳方安生。どんな組織票で対抗しても陳方安生が出れば鳩鷲対決で確かに面 白い。
▼日本では今年11月から16歳以上の外国人旅行者より入国審査時に指紋採取。拒否すれば入国できず一度採取された指紋は公安当局のコンピューターに登録 される措置。さすがに在日韓国人などの「特別」永住者は対象外とするが、この措置に理解得るため日本政府は香港にも近々、入管職員派遣し事情説明の由。ち なみに昨年訪日810万人のうち韓国が237万人で最大、続き台湾135万人、中国98万人で香港はそれに次ぐ31万人(人口の5%に相当)。テロ対策、 テロ対策、とテロ対策なら何でもあり。公安当局はテロリストに足を向けて眠れず。もちつもたれつ、の関係か、と一瞬思ったが、テロリストの中にはそりゃテ ロで糊口を凌ぐ職業テロリストもいようがテロという行為に至る政治的背景・宿命と困難、そして犠牲も大きいこと考えると、どう考えても公安当局=国家がテ ロあってのもので、テロ様々なのが事実。テロリストに足を向けて眠れず。必要悪とはまさにテロか。

九月二日(日)毎年恒例で初秋に新界横断MacLehose Trailの100kmを数回に割けせめて完歩と企画しているが本日はその第1回。常連のY氏、それに今年初参加のS氏とO氏の4人で坑口に朝早く集合し 西貢経由で北潭涌。数百人参加の10kmレースがMacLehose Trailの第1区であり。K氏、B君参加しており、その応援しつつ歩き始め雨のなか落雷に脅えつつ三時すぎ25km歩き通し終了。やはり体重が軽いと山 の登りも当然、かなり楽。ちょっと走りたかった気分。ところで香港最東端の西湾(って地名がどうもヘンだが)の西湾の浜辺に数件ある海の家のうちアタシが かれこれ十年近く贔屓にしていた一軒が、今日も当然のように寄ると、店の雰囲気一変して雑多、ふと見ると馴染みの亭主も女将も、昨年15歳だかになってい た息子の姿もなし。全く知らぬ者が店を切り盛りするが、見違えるほど雑多で坐るのも厭うほど。あの親しみ深い家族は何処へ、また、水筒の水を切らしへとへ とになってこの店に駆け込んだ猛暑、冷たいビール、2000年6月4日に安田記念にて40倍の十番人気の香港馬・靚蝦王の優勝をI君と眺めたのもこの店の テレビ中継……とさまざまな思い出あり。西貢にバスで戻りThe Dukeで ステラアルトワを二杯。同行の皆さんと別れ、ふと路地の龍記桂林米粉に 食す。かつて行列が出来た麺屋も今は潮が退いたか静か。だがこの店の薬材風味の汁で食すコシのある米粉は美味。今はこの路地の入口の林記という串物屋に行列あり繁盛。地元で作る本来の魚蛋が1串3ドル、 炒麺が6ドルと廉価でかつ美味の由。思わず魚蛋頬張る。帰宅して晩は大根おろし沢山加えた出汁に韮を煮て豚肉しゃぶしゃぶ。よく喰うねぇ、まったく。
▼朝日新聞の文化欄に「武智鉄二は終わらない」と劇作家・評論家の武智鉄二の特集記事(かなり扱いデカい)。唐突なり。1988年というとまだ最近のよう だが数えれば廿年も昔!に76歳で亡くなったこの劇作家のことなどお若い方は知るまいし、なぜ突然、武智か、と猜う。14日まで三軒茶屋中央劇場にて『黒 い雪』だの武智が監督した映画10本の上映あり、と、それの関連記事らしき。記者(米原範彦君)が歌舞伎好きだとしても今どき武智と聞いて(余程の好事家 は除いて)どれだけの人が関心もつか。武智歌舞伎を地で知る役者もだんだんと減るが武智歌舞伎で薫陶を授けられたのが扇雀(現・藤十郎だがアタシにとって は鴈治郎どころか、どうしても扇雀)で、その扇雀が武智鉄二についてこの記事の中で語っているのを読むと、実は藤十郎にスポット当てた記事なのかしら?と すら思えるほど武智はもう遠い世界。
▼その朝日の読書欄に中島らも夫人の美代子さんの『らも』集英社の紹介あり。読みたいが、もうこれ以上購入する書籍増やすと本当に大変なことになる、と、 大変狡いのだが「書評で感動できた本は買わないで読んだつもり」で済ますことにする。機会があれば読めるだろう、と。それくらい短い書評で読ませる筆致の 評者も少ないのだが、ふと評者の名前を見れば橋爪紳也教 授。なるほど、と関心しつつ書評も書いていたのね、と思ったら大阪市長選に立候補の風聞もありなのだった。

九月朔日(土)晴。祖母から毎年この日となると大正12年、お針の稽古の帰りに、と震災の日の話をして聞かされたもの。日本橋。地震よりも火事の怖さ。着 の身着のまま火の粉振り払い逃げて飛び込んだのが皇居のお堀。そして妹の誕生日。 で本日、昼前に尖沙咀。陳烘(David Chan)氏のカメラ店。ご亭主「あ、東京から帰ってきたの?」はつまり「扇子を買ってきてくれたの?」の意。違いますがな、ズミクロンの50mmのレン ズ、緩い沈胴の調整済み受け取りやで。昼から寄り合いあり末席を汚す。午後遅くジムで有酸素運動一時間。ふと、そういえばこのジム、10年前はこの場所に アイルランド系のパブあり、そういえば確か週末だったかZ嬢と早晩に、そうそう、と思い出せば10年前はこのビルの上に益新酒家があり、そこで会食の前に 時間持て余しこのパブに入りギネスでも一杯、と思ったらテレビモニタに緊急ニュースでダイアナ妃が巴里で交通事故死と流れたこと、突然、思い出す。晩はイ トヨリを焼いて食す。昨日M氏にいただいた蜜香紅茶を煎れT君よりいただいた「とらや」の最中食す。幸せ。蜜香紅茶は例の「東方美人」の如く雲霞に噛ませ た茶の一種、でまさに完全発酵の強い焙煎だが風味あり。
▼中秋ももうあと数週間。月餅の宣伝広告など夏前から当たり前のようだが今日の信報の土曜日「理性消費」も月餅取り上げ、上環の徐蒝野家菜のものを紹介。 有機の材料使って丁寧に、はいいが三個入りの月餅でHK$238とはねぇ。ところで今では毎年のように様々な奇を衒った新作月餅多し。アタシは個人的には 最近のものでは大班の冰 皮月餅が好きだが、従来の広東の月餅で初の新作で大好評が、今ではごく普通にどこも販売する「白蓮蓉」月餅で、これは1963年に元朗の榮華によ るもの。その13年後の1976年に、当時、皇后大道東にあった翠亨邨(今は中環の新世界大廈に中環分店あり)が鄧肇堅爵士が好物の奶皇包を月餅にしてみ たのが今日の奶皇月餅。これが数年度には大好評。
▼ベネチア映画祭は第64回目、で il settantacinquesimo (75°) anniversario の由。李安監督の「色・戒」ばかり注目されるがアタシはやはり同じ台湾人でも李康生が監督した「幫幫我,愛 神」気になるところ。李康生の部落(ブロ グ)より。
再過兩天 就要飛往威尼斯了 從劇本完成籌備資金到拍攝後製 花了 四年才完成 比懷胎十月還要困難 但終於還是把它完成 再次感謝 監製 蔡明亮和 製片 王琮 即所有的演員和工作人員 也希望支持我的人給我唸力與祝福 謝謝 小康 今天我吃了鱔魚吵麵
この、最後の追伸で一言「今天我吃了鱔魚吵麵」が良い。無口な、映画でもほとんど喋ることのない李康生であるから、この「今天我吃了鱔魚吵麵」が活きる。

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